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2011年10月1期戦国時代上野の真の支配者は誰? TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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戦国時代の食事5膳目
濃姫(帰蝶)総合スレ その6
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戦国ちょっと最上な話


上野の真の支配者は誰?


1 :11/01/02 〜 最終レス :11/12/13
上杉北条武田、さらに滝川真田と入り乱れる上野国は、実質的にどの勢力の支配下だったのか?

2 :
真田安房守と城代の矢沢薩摩守、そして角の活躍で上野の平安は保たれた

3 :
ケバブ売ってるトルコ人

4 :
ランラン

5 :
長野業正

6 :
浅間山と赤城山に決まってるだろ

7 :
ひこにゃん

8 :
動物園だろ
ってそれは「うえの」か

9 :
福田?中曽根?

10 :
山本一太

11 :
小渕

12 :
救国の英雄で前橋育ちの鈴木貫太郎

13 :
>>6
腑に落ちた

14 :
ぬう

15 :
群馬県といえば大久保清

16 :
倉賀野尚行

17 :
上杉氏に決まっているじゃんお( ^ω^)
※越後のパチモン長尾上杉の事ではないお

18 :
ふむ

19 :
自民党だろ。

20 :
上野樹里がってマジ?

21 :
後ろはだよ

22 :
後に無政府地帯グンマと呼ばれるこの地には当時の諸大名も難儀したんだろうな。

23 :
群馬といえば山本一太だろ

24 :
西郷さん

25 :
暗がりにいるたちんぼさん

26 :
徳川発祥の地に行って来た。
太田市w
>旧新田町を本拠地にしていた平安末期の豪族・新田義重の四男・義季
>(よしすえ)という人物が、世良田に領地を譲られて世良田義季または
>得川(徳川・徳河)義季と名乗ったからだと伝わっています。
>この義季の末孫が『徳阿弥』と称した僧であり、放浪の旅のすえに
>三河松平郷の郷士の娘婿となって松平氏を称したのが、三河松平家
>(後の徳川家)ということになっています。
末裔が放浪の旅のすえ松平郷とか爆笑!
新田氏のプライドも何も無いのか太田市w

27 :
太田市が悪いんじゃないなく
卑しい徳川が憧れた新田の名跡を語っただけだろ。
足利が長尾になった挙げ句に由良に乗っ取られたが
太田市は由良は一応は岩松同様に新田の支族だし

28 :
由良は猪俣党だった気もする

29 :
由良は違うと思うが。

30 :
支配者は順番に、
新田
山内上杉
長尾
山内上杉
北条
長尾上杉
武田
滝川
北条
徳川
というところかな?

31 :
下野は?

32 :
大雑把にこんな感じかな?
古河公方
???
長尾上杉
佐竹と連合
滝川(織田)
佐竹と連合
北条
徳川

33 :
他国者ばっかやね

34 :
宇都宮さんとかは登場しないのか

35 :
下野の本来の守護は小山氏で、
小山氏といえば古河公方派の巨頭。
その対抗馬が宇都宮氏でこの2家の争いが拮抗した為、
下野も古河公方も大大名になれなかったのではないだろうか。

36 :
古河公方は上杉・北条・小弓と争って北条に吸収されたわけだけど
古河派の守護家通しでもあらそってたりするよね
よくいわれる洞システムを解消できない限り結局は消えていく運命なんじゃないかね

37 :
洞システムがわかりません。
古河公方の事はよく知らないので教えてください。

38 :
俺も知らんかったからググってみた。
 
>佐竹の独自システム「洞」は義昭のおじいさんのころに成立したものらしいです。
>「血縁者でみんななかよく」という寄り合い連合で、実態は領主それぞれが勝手に土地を支配しており、
>佐竹は盟主だけどそんなに存在感と権力が効くものでもなかったようす。
 
 
>いわゆる「佐竹洞」「洞中」とも表現された常陸中北部における地縁的、族縁的な領主連合を形成し、その盟主としての地位を固めていった。
>しかし、こうした連合・集団に対する佐竹氏の支配力、規制力は弱く「洞中」の諸領主は佐竹氏の規制を離れて独自に行動することが多かった。

39 :
さんきゅう

40 :
俺だよ俺

41 :
そんなヘナチョコ佐竹が豊臣政権下では大大名になり、転封されながらも明治まで残ったのは奇跡だな
宇都宮・結城・里見・小田・小山・多賀谷・千葉ことごとく没落したのに

42 :
関東勢の没落は、ほとんど政治的敗退だと思う。
千葉、倉賀野、富岡、那須、小山、太田は北条ともども潰され、
由良、佐野、里見は所領大幅削減。
秀吉政権は東国に疎く、家康は身内で固める志向だから、
関八州は本当にズタズタ。
逆に佐竹氏は洞システムで鍛えられた政治力が生きたのかも。

43 :
関東の戦国史は上方勢が乱入してくるまでは面白いのだがなあ

44 :
滝川一益がもう少し長生きしてたら、
佐野ー倉賀野ー太田ー宇都宮ー佐竹ー里見ー小山あたりが、
全部生き残っただろうに。

45 :
富岡どこいったんだろ

46 :
戦国中期迄は上野こそ、関東の中心だよね。

47 :
佐野は再興できたからともかく、岩槻大田に対する扱いが酷い

48 :
上杉の家臣衆は、まとめて消されてるね。
家宰の長尾、守護代の大石、太田、藤田、長野、、

49 :
上杉引き取れよ

50 :
家康が上州勢を冷遇したのは、新田氏を詐称した事を後ろめたかったからだろう。

51 :
西郷どん

52 :
秀吉の権威で関東国人から名家まで更地にしたから
家康は関東を小石高の譜代と他は直轄にできて
関ケ原でも自領内への調略の心配がなく
西上できたのが良かった。

53 :
大関、大田原、結城を潰し、
由良、足利長尾、宇都宮、里見を残しておけば家康は動けなくなり、
全く歴史は変わってたね。

54 :
上野の支配者は野菜さん こんにゃくとかごぼうとか白菜とか

55 :
テスト

56 :
>>53
大関、大田原って徳川側なのか?

57 :
北関東嫌がらせ連合が生き残ってたら
家康もかなり苦労したかも試練ね。

58 :
関東幕注文より上野と下野の有力者を抜き出してみた。
白井衆
 長尾孫四郎(白井憲景)
 外山民部少輔(土岐一族?)
 高山山城守(高山行重)
 小林出羽守(高山一族)
 上泉大炊助(上泉秀胤)
惣社衆
 安中(安中忠政?)
 小幡三河守(小幡信尚)
 長尾能登守殿(高津景総)
箕輪衆
 長野(長野業正)
 新五郎(長野業盛)
 大戸中務少輔(浦野重成)
 倉賀野左衛門五郎(倉賀野尚行)
 依田新八郎
厩橋衆
 長野藤九郎(長野道賢)
 同彦七良(長野彦九郎)
 引田伊勢守(疋田盛利)
沼田衆
 沼田(沼田顕泰)
 小川(小川可遊斎)
 尻高左馬助(尻高景家?)
岩下衆
 斎藤越前守(山田憲広)
新田衆
 横瀬雅楽助(由良成繁)
 泉中務大輔殿(泉基繁)
 金井(金井繁顕)
 雅楽助親類常陸守(鳥山繁雄)
足利衆
 長尾但馬守(足利景長)
 家風 平沢左衛門三良(長井政実)
小山衆
 小山殿(小山秀綱)
 家風 水野谷左衛門大夫(水谷)
宇都宮衆
 宇都宮(宇都宮広綱)
 芳賀伊賀守(芳賀高定)家風
宇都宮衆寄衆
 皆川山城守(皆川俊宗)
桐生衆
 桐生殿(桐生助綱)
 佐野殿(佐野昌綱)

59 :
もうさぁ上野は上野樹里に任せればいいんじゃねぇ?

60 :
館林の赤井氏・伊勢崎の那波氏・国峯の小幡氏は、北条側だったのかな。
豊臣政権化を大名として生き伸びたのは小山と佐野だけ?

61 :
群馬県か 厩橋城が有名だな もうすさまじいほどに上杉・北条で奪い合ってるな
北条高広とかなんども両陣営を行ったり来たりしてる
両方から恨まれてされそうだが、生き残ったのはそれなりの武将だったからだろうか

62 :
戦国最激戦区だからね。
真田も沼田に出てきて
さあ大変。
実際、一番得したのは由良さんだな。

63 :
上州厩橋

64 :
>>60
小山秀綱
1590年天正小田原の役で北条方として豊臣軍の実弟結城晴朝とは下野榎本城で戦う。
榎本落城後、家臣の石島主水と埼玉柳生に一時期滞在したと伝わる。
秀吉に面会を許されたが領地没収改易。

65 :
利根川の浸食でダメになってしまう厩橋がそんなにいいのか

66 :
前橋市は厩橋城の復興した方が集客できるとおもふ。

67 :
平井城ー山内上杉氏
白井城ー白井長尾氏
蒼海城ー総社長尾氏
箕輪城ー長野氏、内藤氏
厩橋城ー長野氏、北条氏、滝川氏、後北条氏、井伊氏
高崎城ー和田氏、井伊氏、その他
中央だけでも有名氏族の有名な城が多すぎる。

68 :
俺は群馬県出身だが、長野業正は小学校の頃郷土史の授業で長野堰を
築いた人物として、ちょこっと紹介されていた。
まさか、信玄を退けた名将だったとは、戦国史関連の本を読むまで
知らなかった。

69 :
上野の支配者ー有力国人
上杉憲実ー長尾忠政
 (足利学校を再興、足利持氏に勝利するも隠遁)
上杉憲忠ー長尾景仲
 (享徳の乱で足利成氏に暗される)
上杉房顕ー長尾景仲
 (足利成氏と各地で争う)
上杉顕定ー長尾景人、岩松家純、長尾景春(反乱)
 (扇谷上杉家に勝利するが、越後で長尾為景に破れ戦死)
上杉顕実ー長尾顕方
 (憲房に敗れる)
上杉憲房ー長尾景長、横瀬景繁
 (顕実から管領職を奪い、扇谷・上杉朝興、北条氏綱、武田信虎と争う)
上杉憲寛
 (上野国衆に追放される)
上杉憲政ー長野業正、由良成繁
 (河越の合戦に破れ、越後へ逃げる)
北条氏康ー長野業正、由良成繁
 (河越の合戦に勝利)
長尾景虎ー長野業正、北条高広、由良成繁
 (小田原まで攻め込み、関東管領に就任)
武田信玄ー内藤昌豊、北条高広、由良成繁(後北条)
 (西上野を侵食、東から北条氏康が支援)
武田勝頼ー内藤昌月、北条高広、由良国繁(後北条)、真田昌幸
 (佐竹と組み、北条勢を駆逐)
滝川一益ー内藤昌月、北条高広、由良国繁(後北条)、真田昌幸
 (陸奥〜下総まで影響下に置くが神流川合戦で敗退)
北条氏政ー北条氏邦、北条高広(反乱)、由良国繁(反乱)、真田昌幸(反乱)
 (北条、由良を降し、沼田城攻めを繰り返す。)

70 :
長野氏の台頭は、上杉憲寛の代かな?

71 :
長尾景春

72 :
スレタイだけ見て、
最後は藤堂家だっけ?と思った関西人はきっと他にもいるはず

73 :
関東人でも「西郷さん…?」と思うものもいるだろう

74 :
思わねーよ

75 :
山内上杉って上方の管領の方々に比べれば格下なのかな。
関東管領の本拠地なのに、伊賀ごときと同じ扱いなんて酷すぎる。

76 :
そもそも山内上杉は上杉の分家筋だし、山内家が関東管領を独占するように成るのも相当後年だし。

77 :
山内と扇谷はどちらの方が上杉の本流に近かったのだろうか?
両家が併存していた時期は、まさか両家とも関東管領を名乗っていたわけではないでしょ?

78 :
>>77
ggrks

79 :
当時は東海道<中山道って本当?
663 :人間七七四年:2011/11/18(金) 09:34:32.18 ID:ATuljyzi
中山道がメイン街道だったから
関東管領山内上杉の本拠地も上野国平井城だった。
信濃国善光寺も栄えていて門前町が大規模にあった。
東海道は未発達で大橋も架けられてない。
また木曾氏が織田に寝返ったから武田攻めで織田の大軍が木曽路を通過できたが、
本来は美濃から木曽路を超えて信濃を攻める方が難しい。
信濃から美濃へは河川が上流から下流の関係なので、
補給や兵員移動は容易い。
そのために木材流通に古くから木曽川は使用されてきた。

80 :
木曽路はないね〜
中山道使うなら飯田街道から東海道に抜けるのが一般的
どっちにせよ三河は超えないとまともに美濃なんぞ襲えん
せいぜい東美濃の山岳地帯を荒らすのが精いっぱいだわ

81 :
うわ、変なの呼び込んじゃった。やっぱsage進行じゃないと駄目かな。

82 :
武田攻めで海抜の低い美濃から、
海抜の遥かに高い木曾路を大軍で通過したのに、
しかも下流から木曽川の上流への登りなので、
木曽川を補給に使えない。
織田より条件が良い武田ができ無いとする明確な論拠をくれ。
そもそもそんなに無理なら関ケ原で秀忠を中山道を進軍させた家康はバカなの?
信玄には不可能だが
信長や家康には可能とかアホ妄言をまき散らしてる織田厨w
つか勝頼15000が木曽路を越えて明智城を攻め落として
信長親子逃亡してる事実は黙だろうけどw

83 :
山内上杉

84 :
>>79
本当

85 :
自演?
人や商人程度なら通れるが、大軍は無理
まぁ上野にゃ関係ないけどな
そもそも川の上流の川幅や滝の数知ってるならこんな馬鹿な事言わない

86 :

関が原の時の秀忠は商人だったw
織田糞脳ってスゴイね。

87 :
>>85
東海道に比べたら川とかちょろいんでない?
下流の川の幅や深さは半端無いよ。
姫街道って呼ばれるくらいだし。

88 :
悪天候になったら山道はある程度なんとかなっても
川ばかりはどうにもならないしな

89 :
>>87
荷駄?(輜重ゆう卒)含めての数字にしても万単位の軍勢を進ませられる道じゃない
ってことを力説したいんじゃね?
個人的には、万の軍勢=総員五千弱って思ってるから、気にしてないが
史実や旧陸軍の研究を信じるなら、当時の中山道を行軍するなんて基地外沙汰と思ってもおかしくない。
因みに下流域で川が増水して船も出せないくらいなら、
山間部も川の増水で道が無くなってる可能性も出る。

90 :
中山道を東から西へ
勝頼15000や秀忠38000が通過したのを無視かワロタw
西から東へは信長本隊が
一説に60000が行軍したとも言われてるのに。
織田厨馬鹿過ぎ。

91 :
>>89
上流と下流の川の氾濫は別次元だよ。
扇状地の扇端部と扇頂部ですら表情が全然違う。
また昔は大阪、長島、江戸が酷い湿地で難攻不落を誇っていたくらいだから、
川がひとたび氾濫したら時間的なロスも、山間部とは違うと思う。
そう考えると上野・古河や京都・奈良が関東や畿内を支配してたのも頷ける感じ。

92 :
鉄橋とかでぱーんと渡れちゃう今の感覚だと
橋も整備されていない時代の大河(それも1本だけではない)
の渡行の大変さは理解できないんだろうなー

93 :
洪水と言うのは
いく筋もの河川が合流するくせに
海抜が低い平地下流域だから
上流は関係ない。
大雨が降って困るのは信長のいた濃尾平野の300ヶ村々で濁流に襲われる人々だから。
雨降った方が武田有利な罠w
島津の大犠牲を強要した木曽川の宝暦治水とか知らんのかよ。

94 :
>>93
上流でも洪水はあるけどね。
奈良の土砂ダムみたいなのとか結構ある。
あと武田とか織田の話は、上野関係無いよね。

95 :
戦国時代の利根川。
昔の東海道が相模から上総まで船だったのも納得な感じ。
利根川の東遷
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/shoukai/2-2.htm
利根川東遷概史
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/tone/index.html

96 :
土砂ダムなんて例外中の例外。
そんなものまで持ち出すとか…

97 :
>>95
関宿城の展示に利根川東遷の展示あるから面白いよ。
利根川と江戸川の分岐点のスーパー堤防もすごいし。

98 :
へー今度入ってこようかな。

99 :
俺もー

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