2011年10月1期戦国時代水野勝成 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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美濃の大名が上杉謙信だったら…
テストスレ@戦国時代
津軽為信知ってるかい?しらんだろ?
■熱く語ろうや柳生一族 ■


水野勝成


1 :11/03/19 〜 最終レス :11/12/15
前スレが落ちたので立てました

2 :
前スレ 水野勝成ってどうよ?
http://unkar.org/r/sengoku/1160244855

3 :
戦国最強は水野勝成
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1139160508/
姉妹スレ
信長の野望の水野勝成の評価が低すぎる
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1284955789/
水野勝成
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1285463820/

4 :
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 前半生
・掛川対陣。○ 徳川家康VS武田勝頼。徳川家康の麾下、水野忠重の指揮下。武田勝頼戦わずして撤退。勝成、初陣の功名を上げられなかったとして涙を流した。
・第二次高天神城の戦い ○ 徳川家康VS岡部元信。織田信長の与力大名。徳川家康への援軍。朝比奈弥六、その外首十五。織田信長から左文字の名刀と感状を貰う
・武田征伐 ○ 織田信長VS武田勝頼。織田信忠の麾下。水野忠重の指揮下。
・本能寺の変 ? 水野忠重、信長の軍に属し、中国攻めのため宿陣中この変に遭う。忠重には明智に加担していた疑惑がある。
・黒駒の戦い 〇 鳥居元忠二千VS北条氏忠一万。鳥居元忠と喧嘩して勝手に先鋒を務め、自ら内藤某を打ち取る。
・星崎城の戦い 〇 水野忠重VS岡田善治。水野軍は二手に別れ、一方を指揮。
・長久手の戦い 〇 織田信雄、徳川家康VS三好秀次。勝成、三好軍に一番槍。重臣・白井備後(偽物)と一騎打ち。討ち取る。その後、井伊部隊に参加。麾下の杉山孫六は森長可を撃ちす。
・蟹江城の戦い ○ 織田信雄、徳川家康VS滝川一益、九鬼嘉隆。一益の息子滝川三九郎と一騎打ち。三九郎は逃亡。
・桑名の対陣 △ 水野忠重VS羽柴秀吉。この後、勝成、水野家勘定奉行の富永半兵衛を斬って奉公構にされる。
・浪人中、京都清水で喧嘩して、刃傷沙汰を起こす。
・紀州雑賀攻め ○ 羽柴秀長(筒井定次とも)軍として参加。秀吉から七百石。
・四国長宗我部攻め ○ 羽柴秀次軍として参加。秀吉から七百石。
・戸次川の戦い × 仙石秀久VS島津家久。帰還の船の中、同僚を斬りして出奔。秀吉に刺客を放たれる。虚無僧になって逃亡。
・美作流浪。野武士の安東国貞の娘婿になるが、身持ちの悪さを注意され逆切れ、国貞をして逃亡。
・九州攻め ○ 佐々成政の麾下として参加。
・肥後一揆 ○ 佐々から千石。
 隈本城救援軍の先鋒を任される。佐々家で千石。
 救援軍の立花宗茂に合力。十時連貞と合言葉を掛け合い、無事兵糧入れ作戦を成功。
 田中城攻め 一番槍。
 首謀者の隈部親子を討ち取ったという説あり。
・志岐・天草一揆 ○ 小西家で千石。
 志岐城攻め 先鋒を任された小西主殿介の補佐。
 天草城攻め 攻撃命令がでてないのに清正と呼応して攻略。自ら敵をす。女武者と戦った逸話あり。乱鎮圧後に出奔するわけだが、このとき、行長の本陣に首を投げつけたとか、行長の弟に手傷を負わせたとかの逸話あり。
・長岩城攻め ○ 黒田長政VS野中重兼。黒田家で千石。後藤又兵衛と並び評される活躍。黒田家からも出奔。長政から追っ手を駆けられる。
・朝鮮出兵 三村親成の麾下。十八石。三村家の姫を妻とする。たぶん、毛利麾下の三村軍として渡海したのでは? ちなみに三村家では茶坊主をして出奔するも、すぐに帰参。
・再度三村家出奔。上京途中で盗賊退治した逸話あり

5 :
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 後半生
・関ヶ原の役 家康麾下。三万石。
 岐阜城攻め 勝成も参加していたという説もあるが、なにしていたか不明。2ちゃんねる情報だと、ミミズ食ってみせて諸大名をビビらせていたという。
 曽根城の戦い ○ 水野勝成VS島津義弘。曽根城を襲った島津に、援軍に駆けつけた勝成が鉄砲を撃つ。義弘はすぐに撤退。おそらく両軍とも死傷者なし。
 大垣城の戦い ○ 水野勝成三千余人VS福原長堯六千余人。関ヶ原の本戦が始まるまえに開戦。三の丸を占拠し、二の丸まで攻め込む。本戦から逃亡中の義弘は大垣城に入ろうとしたが、落城と誤認して方向転換。本戦後に内応工作を用いて攻略。
・大坂冬の陣
 博労淵砦の戦い 家康から大砲の用意を命じられる。勝成に手柄を独占されると心配した蜂須賀が抜けがけ。
 天満橋の戦い ○ 森忠政VS堀田盛高? 森忠政の軍監として救援に駆けつける。ちなみに前任の城昌茂を勝成は職務怠慢で叱責し改易。自らが後任になった経緯がある。
・大坂夏の陣
 大和の戦い ○ 水野勝成VS大野治房 治房軍は、奈良に勝成着陣に風聞に、四里退去。その後、追撃で数人討つ。
 道明寺の戦い ○ 水野勝成VS大野治長。大和口総大将は勝成だが、諸大名、特に伊達政宗はまったくいうことを聞かず、背後から鉄砲まで撃たれた。勝成が自ら槍を持って後藤又兵衛、薄田兼相を討ったという伝説あり。
 天王寺・岡山の合戦 ○ 徳川家康VS豊臣秀頼。真田信繁の寄騎・大谷吉胤を討ち取る。明石全登を撃破。勝成家人の汀三右衛門が全登を打ち取ったという説あり。大坂城桜門に一番旗。
・島原の乱 ○ 松平信綱の麾下。十万石。勝成が到着すると総攻撃決定。すぐに攻略される。このときも勝成自ら前線に立って首を取ったという伝説があるらしい。原城一番乗りを争う(戦後、水野と有馬のどちらが一番乗りかで騒動になったが、公式には決まらなかった)。
以上、水野勝成スレから抜粋でした。

6 :
世はまさに乱世、戦国中期。
長槍を持たせれば右に出る者はおらず、床に入れば肉槍が自慢。
殿様の命令もどこ吹く風の風来坊、水野藤十郎の激動の生涯を綴った本格的戦国官能小説!
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4434035940/mimizunkensak-22
マラ王しびれるぜ

7 :
主君
織田信長→織田信雄→徳川家康→仙石秀久→豊臣秀吉→佐々成政→小西行長→加藤清正→立花宗茂→黒田孝高→
三村親成→徳川家康→徳川秀忠→徳川家光

8 :
ネタ尽きたか

9 :
藤堂高虎と井伊直孝の両軍が負傷者続出で使えなくなったため、大御所は、日向守勝成を少禄からむりやり抜擢して大和口の先鋒大将を務めさせ、勝成は伊達、松平、松倉、小笠原ら諸大名を率いたが、伊達のポカにより、勝成の苦労が水の泡になってしまった

10 :
信長が水野信元を冤罪でして領地没収し
弟の水野忠重を佐久間信盛付きにした挙げ句に
その信盛を冤罪で追放して領地没収。
二条御所が光秀に襲われた際に信忠と一緒に有楽斎たちといた忠重はどう思ってたんだろうか…

11 :
水野信元だけじゃなく久松信俊とかも粛清されてるね

12 :
久松氏の坂部城も佐久間に落とされてるしな。
お大の方も気の休まらなかったろうな

13 :
家康も短気だったみたいだし、血が成せるものだったのかね。水野の血が

14 :
なんか勝成関連で調べてたら偶然こんなのみつけた
幽鬼 ゴレイキ
ttp://www15.atpages.jp/~msdds/wiki/index.php?%E3%82%B4%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AD
タイトルはネタだけど
五霊鬼ってこれなのねって初めて実態知った
そりゃこんな酷い話じゃ恨まれるわw

15 :
>>14 ふふふ その程度のことじゃないぞ もっと、すっごい事やったで〜

16 :
>>10
明智の日向守を引き継いだのもやはり信長にむかついてからなんだろうね〜

17 :
宇都宮藩主・戸田日向守、藤井(松平)日向守、ほか

18 :
日向守は自官でしょうか?

19 :
そもそもいつから日向守を名乗ってたんだ?

20 :
信元のことも語って良いのでしょうか?

21 :
>>19
関ヶ原の後くらい。任官して、引き取り手のない日向守を喜んで引き受けたそうで。
>>20
個人のスレだから、あまり語らないほうがいいのでは?水野氏スレでも作って語れば

22 :
水野氏じゃ、即落ちなので、ここで良いんじゃないか?
叔父なんだし

23 :
>>4の水野勝成が討った朝比奈弥六って何者?
朝比奈泰能、泰朝の縁者?

24 :
>>23
ここにあっただけの名前だしな
http://oshimamd.sakura.ne.jp/nagaoka/071.htm
ちなみに、
朝比奈泰煕は弥次郎
朝比奈泰以は弥三郎
朝比奈泰能は弥次郎
朝比奈真次は弥六郎
だそうだ
縁者っぽくはあるな

25 :
島原の乱 屏風なんちゃらって、雑誌みたけど、勝成君ガン無視されてるよ
さすが、水野家

26 :
あれって初戦の出陣風景描いたヤツだろ?決戦3日前くらいから派遣された水野がのるわきゃねぇ

27 :
風景画なんたらは雑誌名で内容は島原の乱のことを書いている。
緒戦から、落城までなのに、幕府軍首脳陣一覧に申し訳手度に水野勝成と記されているのみ。

28 :
逸話は多いのに、なんか要所要所で名をあげるチャンスを
微妙に外している気もするんだよな。

29 :
苗字といい
名といい
だせーから

30 :
立花宗茂と水野勝成って面白いね

31 :
隆慶一郎があと5年程生きていたら
「かぶいて候」の主役の一人が水野勝成だったかも

32 :
勝成の弟達
今更ながらだけど嫁さんのグレード半端ないな
信長の娘に、前田利家の娘とか
当時の水野氏の扱いって結構なものだったんじゃないかと

33 :
だから色々と危険視されてた部分も大きいんじゃなかろうか。

34 :
小禄でも水野家は織田家や徳川家と並ぶ大名だったし。

35 :
何時の間にかこんなのが出来てたのねえ
ちょっと続きが見たいw
刈谷偉人伝その2  初代刈谷藩主 水野勝成物語 .wmv
ttp://www.youtube.com/watch?v=1QrBE9IAsEg

36 :
>>35
面白かったが、再生回数の少なさに吹いたw
ちなみに福山じゃ、こんなのもあるぞ
ttp://www.tohbu-hotel.com/katunari/index.html

37 :
兜の逸話までフォローしてるとは
この漫画を書いてる人わかってるなw

38 :
>>4-5
鼻水でた

39 :
http://www.city.kariya.lg.jp/hp/page000302800/hpg000302723.htm

40 :
エロアニメ風にsておけばよかったのに

41 :
大河よりも、Vシネマに似合いそうだな。六左衛門シリーズとかって

42 :
岡崎状にいってきたけど、やはりここでも、水野氏は空気扱いだった。
歴代城主を多数だしているのに、空気って

43 :
Vシネマ風時代劇「水野勝成」
出演 小沢仁志 高野浩和ほか

44 :
ttp://sirmurai.cocolog-nifty.com/chible/2011/07/post-475b.html
島原の乱で留守中の福山城でこんな事があったとはw

45 :
成瀬正成が後期徳川の正統派エリートで
水野勝成は後期徳川の超アウトロー実力者って感じで対比してみてる
この二人って仲良かったりしたのかなぁ

46 :
幕臣で勝成と仲がよかったんだろうな、と思わせる逸話を感じさせるのは
井伊直政ぐらい思いつかない
たぶん、土井利勝とは仲がよかったんだろうが

47 :
今月号の歴史街道に出てた。大坂夏の陣特集

48 :
>>46
そっかー同世代で対極の人生だし何か気になるんだよね、この二人の関係

49 :
夏の陣サンクs みてくる

50 :
>>47で書いたものだけど
大坂夏の陣特集で、勝成は後藤又兵衛と一くくりみたいな形で解説されている。
裏永楽紋柄威二枚胴具足を着ている勝成のイラストあり。諏訪原寛幸によるイラストで、渋い仕上がりになっている。
勝成と又兵衛は似た者同士という具合に書かれている。

51 :
勝成と本多政重はウマが合いそうだよな

52 :
>>50
釣られて買ってきた
たしかに渋い

53 :
勝成の親父って、本能寺の変では信忠と一緒だったんだよな。で、逃げて助かってるという結果だった。
勝成はこいつはダメだと思ったんだろうか?

54 :
てす

55 :
戦国武将ファイル、エピソードが載ってた。まだ、20代の話だった。エピソードの宝庫ともいえるこの男には、数ページ割かないと把握しきれないな。

56 :
勝成が帰参して水野家を継いだ時、
徳川家康の生母である於大の方が
「やっとまともな後継ができた。」と発言している。
勝成でまともって水野一族ってDQNだらけなのか?

57 :
>>30
>立花宗茂と水野勝成って面白いね
立花宗茂    水野勝成
有名な人格者   有名な犯罪者
飢えても我慢   飢えたら強盗
喧嘩は冷静に傍観 喧嘩に興奮して加担
多くの大名の客分の話が 多くの大名から出奔
主君に忠節    主君から刺客
無礼者は諭す   無礼者はその場です
困った人には金を貸す 困ったら借金
二人の父を尊敬  父を見たら怒り爆発
秀吉から絶賛   秀吉から刺客
関ヶ原では親の仇をかばう 関ヶ原では親の仇をリンチ
島原の乱では総大将を補佐 島原の乱では独断専行
子孫は繁栄 家督は断絶

58 :
>>57
宗茂って種なしだろ
勝成の子孫は、結城でそれなりに続いている

59 :
>>56
どうみても、まともだろう

60 :
横山光輝の特色として揚げられるのは登場キャラクターが忍者、剣士、戦士などと
して描かれるのみで「人間」をまったく描かないことである。
時代物短編などのごく一部の例外を除けば、登場キャラクターの人間性などは
ほとんど意味をなさない。
ほんの少し前まで普通の少年として生きていた浩一少年がバビル二世として闘争
の世界に身をおくことに何らの躊躇を見せず。
数奇な運命の土鬼は己の出自を一顧だにせず。
長い時の旅に身をおくジュン少年は隠者のごとく人々の愛憎賢愚こもごもの営みを
傍観する。
影丸に至っては完全な戦闘マシーンでしかない。
人間的葛藤らしきものを見せたのは皮肉にも「非人間」であるマーズくらいなもの。
だがそれでいて物語はとてつもなく面白い。
主題がはっきりとし、全てがそこに集約される。
叙情的要素を全廃し、闘争、戦争、そういった叙事的要素に全てを傾注したいわば
不要な要素の切捨てが横山作品の面白さを産むかもしれない。

61 :
誤爆ったw

62 :
水野勝成の特色として揚げられるのは登場キャラクター が忍者、剣士、戦士などと して描かれるのみで「人間」をまったく描かないことで ある。
時代物短編などのごく一部の例外を除けば、勝成荒物ニテ人ヲ物トモセズとあり ほとんど意味をなさない。
ほんの少し前まで普通の少年として生きていた勝成少年 がバビル二世として闘争 の世界に身をおくことに何らの躊躇を見せず。 数奇な運命の家康は己の出自を一顧だにせず。
長い時の旅に身をおく勝成少年は隠者のごとく人々の 愛憎賢愚こもごもの営みに突撃する。
成之に至っては完全な戦闘マシーンでしかない。
人間的葛藤らしきものを見せたのは皮肉にも「庶民的」 である勝俊くらいなもの。
だがそれでいて物語はとてつもなく面白い。
主題がはっきりとし、全てがそこに集約される。
叙情的要素を全廃し、闘争、戦争、そういった叙事的要 素に全てを傾注したいわば 不要な人間の斬捨てが水野作品の面白さを産むかもしれ ない。
そんなわけで勝成は今日も人を斬る

63 :
歴史週間漫画かなんかで、水野勝成物語って読みきりあったけど、
清く正しく、正義感あるすばらしい人物扱いだったぞwww

64 :
>>62
下手なコピペだな
全然意味通ってないぞ

65 :
刈谷城いってきた。
近くに歴史民族博物館の建物は昭和初期建築の小学校を使用している。国指定の文化財。
刈谷上の模型等はあったけど、初代藩主の勝成公は目立たなかった。
勝成アニメやってるかと探したけど、それもなし。
なぜか、腹話術やってる、ボランティア?の方がいて、昭和初期の話を面白くやってくれました。
刈谷初代藩主といっても、誰それって扱いでした。

66 :
母親だか奥さんが本願寺光佐の妹というのは真実か

67 :
母ですね。

68 :
いつのまにかこんな本出てたのだな
「駆けろ、鬼日向 水野勝成」
ttp://www.soubunsha.co.jp/sofind.cgi?isbn=7947-0668

69 :
>>68
>16才で勘当され、仙石秀久、豊臣秀吉、佐々成政、小西行長、加藤清正、黒田長政に仕え、
ここまではともかく
>出雲の阿国と恋をして、服部半蔵とともに風魔小太郎と戦い、雑賀の孫一の親友で
これは盛りすぎだろw

70 :
いや待て
戦国艶武伝でも出雲の阿国相手にやってたし
三成の妹婿の福原さんと親友だったりとあっちも盛りすぎだった
盛るなら九州でイスパニアの強者と戦うとか
中国地方放浪中に尼子の残党と関わるとか
真田十勇士相手に大阪の陣で奮戦くらいはやってほしい

71 :
艶武伝は捏造エピソードはあったけど
登場人物の来歴は恐ろしいほど史実に忠実だから
福原さんも三成と組んで京を仕切ってた時期が藤十郎が出奔した時期とピッタリ一致するし
鳴門さんこと益田甚兵衛も確かに同時期に小西家にいた
つまり、史実の隙間を想像してるから誰にも100%否定できない
上の話は明らかに時間軸とか前後関係がムチャクチャだろ

72 :
半蔵が忍者なんて書いてる本はそれだけで読む気がしない

73 :
その程度でグダクダいってたら、小説なんて読めないぞ
俺はまだ読んでないが、勝成が朝鮮忍者たちと戯れているような小説がヒットする時代だ
鳳凰の黙示録 [単行本] 荒山 徹 (著)
ttp://plaza.rakuten.co.jp/monokakisan/diary/201012040000/

74 :
>>73
それは伝奇だからw

75 :
>>73
74の言うとおり伝奇小説に史実求めてどうする
つか荒山ワールドは半蔵が忍者とかそれ以前の問題だよw
二代目だけど半蔵の出てくる魔風海峡なんて最高だぞ

76 :
水野公の漫画、25年ぶり復刊
 福山市津之郷町のコピーライター中山善照さん(73)が、福山城を築城した初代福山藩主水野勝成(1564〜1651年)を描いた漫画「福山の歴史」を啓文社(尾道市)から25年ぶりに復刊した。
福山の街の礎を築いた功績を伝えるために再版の要望が強かった作品で、市教委は12月までに全市立小に配る。
 漫画は、勝成が広い城下町づくりを目指して現在地に福山城を築いた経緯やイ草生産を奨励した政策などを紹介。「鬼日向(おにひゅうが)」と呼ばれた勇猛ぶりも描く。
 制作は中山さんが知人から「古里の歴史を学べる本を作ろう」と誘われて企画。シナリオと絵コンテを担当して1985年に発刊した。翌年までに3刷計3万3千冊を発行し、絶版になっていた。
 絶版後、中山さんの元に「あの漫画がほしい」との要望が相次いだという。昨年秋の市子ども議会で、羽田皓市長が「福山の歴史」を児童に推奨。中山さんは、学校などで広く読んでもらうため、再版に踏み切った。
 A5変型判、328ページ。2300円。15日から市内の書店などで販売している。中山さんは「人間味あふれる勝成の生涯をたどり、福山の原点を学んでほしい」と期待している。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201111180031.html

77 :
まず勝成が登場したことを喜ぼうよ
戦国名言集とか忍者列伝にはちょいちょい登場するけどさ
小説はそこまでない、よな?

78 :
主役の小説はあるほうだと思うよ
ただ、勝成の不思議なところは、脇役として顔を出さない、というところ
例えばさ、「新・やる夫の関が原戦線異常アリ」
これには一応、勝成が顔を出しているが、
家康が勝成に水攻めの用意を命じた逸話とか、
関ヶ原前夜から勝成は大垣城攻め、決戦前に兵を引き、家康が勝成が大垣城にめいったことを諸将に報せて、士気を鼓舞したなんて逸話は、すっぱり無視してくれている
なんでこうも、勝成の逸話というのは、なかったことにされるのかね

79 :
アクが強くて脇役には使い難いのは想像出来る

80 :
主役を食っちまうからだろ

81 :
男色大名?

82 :
むしろ天性の女たらし

83 :
さすがYahoo!知恵袋
ベストアンサーでも凄いのがあるなあ
大坂の陣で死んでいたのかw
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1175569401
>「大坂夏の陣」は個々の戦いを見れば大坂方が勝利していた所も見られます。
>徳川方でも小笠原秀政や本多忠朝、水野勝成等が戦死、死傷者もかなり出ています。

84 :
影武者勝成でるな

85 :
それ言うたら堺に狸の墓もあるで

86 :
海音寺潮五郎の小説「かぶき大名」で、
家康の警護をしている親父の忠重とバッタリ出くわすシーンが最高だったw
>>83
誰と間違えたんだろ?w

87 :
水野勝成の弟
水野 忠胤
水野忠重の次男として生まれる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、
兄の水野勝成と共に東軍に与して美濃曽根の砦の守備や大垣城攻めで功績を挙げた。
このため、三河国内で1万石を与えられた(与えられた年は恩栄録によると関ヶ原の
直後と思われる)。
こうして大名として三河水野藩(藩庁所在地などは不詳とされる)を立藩する。
その後、従五位下・市正に叙位・任官し、大番頭に任じられた
(ただし、柳営補任には大番頭になったと記されていない)。
慶長14年(1609年)9月29日(徳川実紀では9月1日)、
遠江浜松藩主・松平忠頼を自宅に招いて茶会を開いていたが、
忠胤の与力である久米左平次と服部半八郎の両名が囲碁
(もしくは武道)の勝敗をめぐって口論、そして刃傷事件にまで
及んでしまったのである。この争いを見て忠頼は両名の仲裁に入ったのだが、
逆にその仲裁に切れてしまった左平次が、よりにもよって忠頼を害してしまったのである。
さらに徳川実紀では、忠胤が伏見城番を務めていたとき、配下の番士による悪行を取り締まれなかったこともあったという。
これらの理由から、10月16日に忠胤は家康より切腹を命じられた。同時に三河水野藩も改易された。
子の水野勝信は正室との間に生まれ、兄の勝成に引き取られて養子となり、後に徳川忠長に仕えた。

88 :
水野忠清(天正10年(1582年) - 正保4年5月28日(1647年6月30日))は、江戸時代前期の大名。
上野国小幡藩主、三河国刈谷藩主、三河国吉田藩主、信濃国松本藩初代藩主。沼津藩水野家初代。
水野宗家19代で三河刈谷を領した水野忠重の四男。備後福山藩初代藩主水野勝成の弟。正室は前田利家の娘。
子は水野忠次(長男、早世)、娘(京極高三正室)、娘(山内忠直正室)、水野忠職(次男)、娘(土方氏久正室)、
祖活(僧となる)、水野忠増(四男)、娘(有馬康純正室)、娘(菅沼定実正室)、水野忠顕(五男、水野忠貞養子)。
三河国刈谷に生まれる。慶長5年(1600年)、父が加賀井重望にされた後、水野氏の家督は兄の勝成が継ぎ、
忠清は徳川秀忠の家臣として仕えることとなった。同7年(1602年)、上野小幡に1万石の所領を与えられて大名となり、
同年、従五位下に任官し隼人正を名乗った。同10年(1605年)には書院番頭に任ぜられ、また奏者番を兼ねた。
慶長19年(1614年)からの大坂の役では冬、夏の両陣とも参戦し、元和元年(1615年)の夏の陣では敵将・大野治房を破るという大功を挙げた。
この際青山忠俊と行賞をめぐって争い、謹慎を命じられたが、翌2年徳川家康死去の寸前に謹慎を解かれ、父忠重の過去の功績と大坂の役の軍功により、
三河刈谷に移封された。
寛永9年(1632年)に2万石を加えられて三河吉田4万石に移封され、同19年1642年には信濃松本7万石に加増移封された。正保4年、江戸にて死去。享年66。
法号:真珠院郭誉全忠。墓所:東京都文京区小石川の伝通院。

89 :

勝成どころかその弟たちもかなりDQNだな

90 :
だって勝成の孫にで反逆罪で斬首された江戸奴がいるくらいですから
水野成之
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E6%88%90%E4%B9%8B

91 :
そう考えると
勝俊は奇跡の人だったんだな
DQNらしい話がまるでない

92 :
その代わり弟の水野成貞はかなりのDQNだが・・・
その息子は十郎左衛門だし

93 :
勝成にはもう一人、弟がいるようだ
水野遠江守忠直
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mizuno.html
http://www.net-plaza.org/KANKO/toyokawa/toyokawajyo.html

94 :
一族そろって、基地外なんだよ

95 :11/12/15
まぁ、水野一族ってのは
マッドサイエンティスト系だわな
異能な人ではあるが、一般人としてはちょっと近づいて欲しくない
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