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とある自己愛性人格障害者のラストスレッド


1 :12/01/06 〜 最終レス :12/01/10
どうも。自己愛サイト管理人のyuuです。
質問あったらどうぞ。
俺にはもう時間がない。必要とされる情報を効率的にサイトに反映していきたいと思いこのスレを立てた。
スレの趣旨やルールは必要とあらば逐次書いていこうと思う。
ホームページ
自己愛性パーソナリティ障害と向き合う ―人を尊敬し愛するために―
http://www.geocities.jp/moraharajikoai/

2 :
とりあえず、アニメ好きだということはわかったが、
スレの趣旨は書いた方がいいんじゃね?

3 :
>俺にはもう時間がない
どうして時間がないの?

4 :
私も「質問ある?」スレからずっと拝読していた者です。
なぜ「時間がない」のでしょうか…気になります。
今までの治療経緯を御サイトで追っていっただけに、このスレ立ての意味は
何なのだろうか?と思ってしまうのです。
私は自己愛性人格障害とは診断されていませんが、それに近いものはあり、
今、もっとも大切に思う人がこの症状に合致している可能性があります。
よろしければ、適宜ご質問させていただければと思いますので、
よろしくお願いします。

5 :
さあ今日も行こうか。
こんなクソスレに書き込んでくれた御三方、どうもありがとうw
後スレタイ変えるわ。
「元自己愛性人格障害者だけど何か質問ある?」
おし!これでいこうw
>>2
確かにそうだね。じゃあ書いていこうと思う。

6 :
いやよく考えたらスレの趣旨なんていう高尚なものなんてなかった。
私の個人的な暇つぶしにつきあって頂ければと思います。
>>3
仕事に戻るからです。
>>4
どうもありがとう。こんなに時間が経っても覚えてくれてる人がいたとは驚きです。
というか昔立てたスレからの人もいるので、一応貼っておきます。
自己愛性人格障害者だけど何か質問ある?
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/jinsei/1293630749/

7 :
>>5
スレタイ変えちゃうの?
このスレタイ、嫌いじゃないのにな
ていうか、現役引退コンサートなのか元なのか日付変更線をあっさり動かしてね?

8 :
サイトを軽くのぞいてきた
このスレを立てた理由って、自分の体験がよいものだから、他人にも共有して欲しいってこと?
それとも、他人の中において自分の体験の大きさがどれほどのものであるか、知りたいという興味から?
後者は好きにすればいいんじゃね?と思うけど、
もし前者ならば、
自己愛が治らないというか、自己愛たちがそのまま変わらないままでいるのは、
方法を見つけるのが難しいからではないと思うよ
理解力とか行動力の差ではなくて、
袋小路に陥って、そこから出るには変わるしかないと苦しんだ期間
(アルコール依存症だと底つき体験という言葉があるけど、まさにそれ)があるかないかの差だと思う
袋小路でさらに現実逃避に溺れられる人と、溺れることができない人がいる
同じ自己愛に問題を抱えている人間でも、抱えている破壊性にかなりの差があるんじゃないのかなあ

9 :
自己愛性人格障害と神経症の違いを教えて
自己愛で鬱になるのか神経質で鬱になるのか

10 :
>>7
ありがとう。確かに現役引退コンサートではあるけども、過疎りすぎワロタwww
ワロタ……
日付変更線とは??
スレタイ俺も気に入ってるけど、一部しか興味もってくれなそうでさ…
>>8
確かにそれはあるよね。
自己愛が変わらないのは、ひとつは追いつめられるかどうかというのがある。
ほとんどの自己愛者は抑うつの感情を弾いてしまうから、まず変わらなきゃいけない状況にまでならない。
破壊性の差というものももちろん大きいと思う。ただ内的な破壊性というのは、
それをコントロールできているかできていないかであって、
実際共通して抱えているドス黒い感情はというものもあると思うんだ。
後、比喩を使わせてもらうなら底付き体験も重要だけど、
俺はそれ以降の治療段階でぶち当たる壁もこと自己愛に関しては大きいと言いたい。
今日から思ったことをありのままに書いていきます。
後、趣旨めいたものもちゃんと書いてみるよ。

11 :
ラストスレッドだから気合い入れていく。
興味のある人はつきあって欲しい。
>・境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder, BPD)
情動制御に困難を抱える人格障害の一型。境界性パーソナリティ障害はかつて神経症と精神病の中間(境界)
の症状と考えられていたことから、Borderline という呼称が用いられるようになった。
しかし現在ではそのどちらとも関係がないことが明らかになっている。
通称「境界例」「ボーダー」「ボーダーライン」「BPD」。
>・自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder,NPD)
ありのままの自分を愛せず、自分は優越的で素晴らしく特別で偉大な存在であると考える人格障害。
米国の精神科医であるGabbard は、これを「無関心型」(無自覚型、oblivious type)
と「過敏型」(過剰警戒型、hypervigilant type)の2つのサブタイプに分類した。
しかしそれらの特徴はそれが顕在しているか潜在しているかだけの違いであり、
双方の特徴を持ち合わせているのが通常とされる。
また、カーンバーグは重症型である悪性自己愛(malignant narcissism)を定義した。通称「NPD」。
今後は NPD および BPD という呼称を用いることもあります。
>>9
自己愛性人格障害はと神経症は別物だよ。
鬱は両方ともなりうる。
NPD の場合は通常のうつ病と異なり、人格病理が反映されて構造上のうつに陥る。
だから薬は届かないし、治らない。
神経症の場合は普通の内因性うつ病と考えていいんじゃないかな。

12 :
気にしすぎて鬱になる
身動きがとれなくなる
現実生活もままならなくなるってのと
自己愛のそうなるってのは違うのかい

13 :
俺はもうサイトを含め自己愛性人格障害とは離れるだろうから、
それまでにはできるだけのことをしておきたいと思ったんだ。
でスレを立てた理由だけど、時間がなくてサイトを完成させることはできそうもないから、
ある程度必要とされる情報を取捨選別したかった。だとえば下記サイト、
境界例と自己愛の障害からの回復
http://homepage1.nifty.com/eggs/
このサイトは俺にとってはすごく役に立った。だけど、完成はしてなくて、
結構重要な部分がほったらかしになってるんだよね。
だけど俺には何でそうなったのかよくわかるんだ。
人格障害の理解に必要とされる知識というのは実際膨大で、
ある程度の期日的なリミットがある場合には素人が一から一人で完成するのはちょっとできないんだ。本当にすごく時間がかかる。
個人的には俺のサイトはもうこれでいいかなと思ってるんだけど、
仮にあるとするならば、他にはどんな情報が本当に必要とされているのかを、知りたかった。
そのヒントが、ここでレスしていく過程で見つかれば、それをサイトに反映して残しておきたい。
自己愛の特徴スレ・被害者スレ・本人スレをロムってる過程でそういう治療上、
知識上のヒントというのが俺にとってはたくさんあったから、ここで色々な人が思い思いのことを書いてくれたら、
自分では見えなかったニードがわかるかと思ったんだ。
>>8さんの指摘や、暇つぶしだとか、すごく幼稚な理由ももちろんも含んでる。許してw
それと、頭の中にある程度の学問的知識が残っているうちに、最後に本気で語っておきたいというのもあった。

14 :
>>12
俺は医者じゃないしそれほど的確なことは言えないと思う。
>気にしすぎて鬱になる
これは何を気にしてのこと?
ケータイからだと大変だと思うけど、仮に自己愛なら心の中はかなりわかるつもりでいるから、
できるだけの書いてくれたら何かお役に立てるかも。
現実と理想のギャップが大きくなりすぎた場合には、ひきこもりだとか抑うつの精神運動抑制は生じる。
男性なら性器も朝立ちすらしなくなることもある(私です)。
何で自分が自己愛だと思ったのかを書いてくれると嬉しい。

15 :
真面目に勉強してる奴とか見ると腹立つ
自分はそうする事ができないし、そうしようとすると落ち着かないというかカーッとなる(言葉でうまく言えない)
現実処理もままならない
バイトもしてなく、引きこもってる今
日常的に白昼夢に浸ってるというか、車の運転とか危なかっしくて絶対無理だと思う
結局、自分の事しか考えない人たち
という本を読んだが、冒頭の「七ツの大罪」
全て自分に当てはまってるよう感じた
ゲームとかしても自分が負けそうになるとリセットしてしまう
あるいはブチ切れる。周りの物を殴ったり、投げたり、大声を出したりする
(人前ではやらないが、不機嫌になるのはうまく隠せない)
栄光ある撤退というのか何なのかわからんが
地に足がついてない感覚というか
現実感があまり感じれないというか

16 :
>>8
後、2ちゃんにスレ立ててこいつただの構ってチャンじゃね?的な感想も抱くとは思うんだけど、
実はそもそもの始まりが2ちゃんなんだ。>>6に立てたクソスレが始まり。
だけどそれがきっかけになって、俺はすごく変わることが出来た。
そこで知り合えた人ともずっとやりとりしてたけど、
本当に色々なことを教えてもらった。
めちゃめちゃ詳しい被害者というか、この障害を真剣に考えてる人もいるんだということを知ることができた。
それとちょっと前だけど、このレス
433 :優しい名無しさん:2011/08/25(木) 05:13:54.75 ID:IOaN/jJ5
はじめまして。まだ付き合って2ヶ月くらいの彼が自己愛性人格障害の症状の全ての項目に当てはまり、この障害についてはまだまだわからないことも多いのですが。
ここ最近、以前よりすぐキレる事が増えました。キレるとそのまま会話はシャットアウト、出掛けていても食事の途中でも勝手に帰ってしまったりメールや電話もつながらなくなります。びっくりしたのはmixiやTwitterをブロックしていた事です。
それでいてもうだめなのかな、と思うと突然○○行かない?などメールが来ました。
そんな感じで繰り返していたのですが、数日前にまた突然キレて帰られてしまいその日は私を無視状態でした。
これは俺にとってすごく大きかった。すごく心に刺さった。

17 :
>>15
引きこもってる期間はどれくらい?正直に言って欲しい。
白昼夢は俺もよく浸ってた。その理由は、否認だ。
>「否認(否定)
抑圧を強いている現実の認識を拒絶する防衛の仕方を否認といいます。(中略)
否認は原始的ま防衛機制です。つまり子供がとるような防衛です。子供がおとぎ話に夢中になるのは無力な現実を否認して空想の世界で自分の本能衝動の満足を得ているのです。夢みたいな話しに夢中になる人も、(現実)否認の防衛機制が働いているのだといえましょう。」
これは少しずつ止めていった方がいい。止め方は必要とあらば書く。
>ゲームとかしても自分が負けそうになるとリセットしてしまう
あるいはブチ切れる。周りの物を殴ったり、投げたり、大声を出したりする
(人前ではやらないが、不機嫌になるのはうまく隠せない)
これは自覚があるのに抑えられないということは、
それだけ強い衝動がでてきて、それを自分でもコントロールできないということであってる?
それを今冷静に書けているのは、振り返って思い出したからということだよね?
後、治療記録を読んで、どのように感じたかを教えて欲しい。
同じような病理を自分でも感じたかとか。

18 :
18ヶ月くらい
引きこもり期間は
否認って言うのか 知らなかった
止め方は教えてほしい
白昼夢については、頭に浮かんだ事を片っ端に受け流すという事をやってるが、
うまくいってない。受け流す事態を疑ってしまう
コントロールできてるかできてないか…はわからない あ〜思いだせない

19 :
>>16の続き
貼ったレスを読んだ時は、本当に考えさせられた。
自分そのものだったから。それについて一週間ほど考えてみたけど、自分でも何故そのような行動を
とったのかはわからなかった。
いや、正確には意味不明すぎて理解のしようがなかったという方が正しい。
だけど、自分がたどり着いていた感情の答えは、実は正しかった。
自分はただただ愛情を試していた。ひたすらに理想の母親を求めて、得られなかった無限受容を求めて
確認作業を行っていたんだ。そうしてそれが治療記録11日目になった。
当時考えてた時は、被害者の人に聞かれてもうまく答えられなかった。
だけど、まぎれもなくそれは、幼児期体験の再現だった。
俺はあのレスを目にしなかったら無意識の衝動を思い出す事はできなかったと思う。
それを今現在でも繰り返している人はすごく多いと思う。
そういったことを理解することの積み重ねが、健康へと繋がっていくんだと思う。
治療機序として、知るという事はすごく大切なんだ。

20 :
>>1
聞きたいことがあるんだけど、NPDにおける>>1の誇大性は、どんなものだったの?

21 :
>>18
▲自己愛性パーソナリィティ障害5
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1319876297/l50
このスレの>>6を読んでみてほしい。
ここのスレ主は本物の精神科医だから(確認済み)彼にも相談してみて欲しい。
俺もお世話になった。すでに知ってたらゴメン。
正直そこまでいくと、とりあえず病院にいった方がいいと思う。
もしかして、メールくれた人?

22 :
>>20
白昼夢にひたるとか人をモノのように扱うとかかな。
具体的に書いてくれた方が書きやすい。

23 :
>>22
具体性にかけてましたか。ごめんなさい。
私もNPDと診断されました。
岡田尊司のパーソナリティ障害の本にある自己診断シートをやってみると、
まったく当てはまるものがなくて、どうしたらいいのか解らないのです。
で、誇大性とはどんなものを指すのかをお聞きしたかったのです。

24 :
メール?なんの事
知らないよ
いろいろとありがとう
また気になる事があったらくるけど
よかったらその時もよろしく

25 :
>>23
今読み返してみたけど、俺は全て当てはまった。
多分誇大性にはその語意以上のものはないと思うけど…
チェックシートに書いてあることはそのほとんどが誇大性を示すものだし。
自覚できているかどうかも問題だけれど、要は自分が特別な人間であるという考えと、
それに付随する行動群は誇大性の現れだと思うよ。
Gabbard による分類
・無関心型(oblivious type)
1 他人の反応に気づかない
2 傲慢で攻撃的
3 自分に夢中である
4 注目の的である必要がある
5 送信者ではあるが受信者ではない
6 見かけ上は、他の人びとによって傷つけられたと感じることに鈍感である
これはそうだね。
>>24
はいよーまた来てね!

26 :
後、このスレの趣旨は自分なりには書いてみたけど、
多分期待通りにことは運ばないと思う。
本人であれ被害者であれ質問されても、基本的には
本人には「病院行け」被害者には「離れろ」としか言えないし、
そう理解しておいて欲しい。
だけど、端から見て単なる雑談であっても、当事者にとっては
何か役に立つことが、お互いに書けるかもしれない。
それ以上でも以下でもないスレなので、そんな感じでよろしくお願いします。

27 :
>>25
調べてくれたんだね。ありがとう。
Gabbardによる分類も書いてくれたんだね。これもありがとう。
でも、私はその対極にある自己なんだ。
不思議だね。

28 :
エルザFロニングスタムが書いた、自己愛の障害:診断的、臨床的、経験的意義
の本を読んでのことを書くけれど、いい?これしか専門書を読んだことがないからなんだけど。
潜在型や過敏型に称されることも私は考えたんだけれど
誇大性における傲慢さがNPDの基本骨格を成しているように読めるんだ。

29 :
あほど、そっちね。
>Gabbard による分類
・過敏型(hypervigilant type)
1 他の人びとの反応に過敏である
2 抑制的、内気、表立とうとしない
3 自分より他の人に注意を向ける
4 注目の的になることを避ける
5 屈辱や批判の証拠がないかどうか他人の言動に注意する
6 容易に傷つけられたという感情をもつ(羞恥や屈辱をかんじやすい)
NPD はいわゆる無自覚型(無関心型)であれ過剰警戒型(過敏型)であれ、
その双方の特徴を併せ持っているのが通常だけど、
その人格構造の針がどちらかよりに振れているというのはあるよね。
俺は無自覚の方に大きく振れる。
>>28
もちろんどうぞ。
病理としての人格構造は全く同じだよ。
ただ、それは生育過程を経て対人関係においてどちらの自己表現形式を選択するかだけの違いであって、
日本では対人関係上の障害を回避するために巧妙に誇大性を隠蔽する NPD が多いらしい。
誇大性というのは表出しなくても、無意識に抱えていても同じです。
「嫉妬と羨望」
「理想化と失望」
「愛することの不能(愛するとはどういうことかわからない)」
「等身大の自分の欠如」
「共感性の欠如」
これらは共通してるよ。

30 :
>>29
答えてくれてありがとう。謎だったので、その解決に助かりました。
潜在型のことが書いてあるおすすめの本はありますか?

31 :
>>30
潜在型のことが書いてあるオススメの本というのはないなあ。
理解してくれたかのかわからないから、もうちょっと書くね。
まず、顕在型と潜在型とか一応あるけど、本当はそれはどちらも同じなんだ。
何でそういう行動をとるのかというと、怖いからだよね。
何が怖いかと言えば、「傷つくのが怖い」んだ。
他の人々の反応に過敏であるのは、自分がどう評価されるのか気になって仕方ないからだし、
抑制的、内気、表立とうとしないのは、批判されて傷つく可能性・シチュエーションを避けたいからだし、
結局は同じ構造をもってるんだ。
俺の場合は傷つくことよりも「すごさを分かって欲しい、認めてくれ」という気持ちの方が強かったから、
違う方向に向かったんだと思う
表出の違いというだけだから、そういった潜在型とかの特徴の記述というのは、300ページある本でも
1ページくらいしか書かれてないんだよね。
それ以前の前提をわかれたらいいんだと思う。
もしそれもちょっとよくわからないというなら、
本当に NPD なのか?という所からもう一度考えてみてはいかがでしょうか。

32 :
>>31
本はありませんか。関西の方は潜在型の論文を多く残されているみたいなので
論文を見ていますが、自己愛脆弱モデルと5つの自己対象転移を用いることが肝要と見ました。

33 :
人から傷つきたくないのは誰もが持っているでしょう。
治療者(カウンセラー)の評価的態度に傷つくこともあると思います。
人から認められたい、人として見てもらいたい、
私はそんなタイプです。
だから、他人に人としてどうなのかを見ることを強いています。
でも、私は自分がすごい人なんだと主張せず寧ろ抑うつ的になります。
私はそうやってうつ病になりましたから。

34 :
本当にNPDなのか、これについては考える必要性はあります。
杉山登志郎の発達障害のいまという本を読まれたことはありますか?
これは視点が違って、でも各人格障害の前駆体として一役ありそうです。
また、潜在型NPDを考えることと共に、チルドレン(AC)や
ADHD+ACの可能性も充分否定できるものとはしないかと思いました。
私は医者ではないのでその妥当性はありません。

35 :
理想的な自分を認めて欲しいというシナリオ
 誇大な点(つまり、事実やよくある因果関係に対して、水増しがなされる)
  等身大の自分→理想の自分
  自分のみの意見→他人にも同じように
  期待(かなえられるとは限らない)→完璧主義的な期待(必ずかなえなくてはいけない)

いろいろな要素のために、シナリオどおりにならない 期待≠実際の展開
 あえて言う人が少ないだけでやれている人も少なくないとか、
 意見の押しつけの部分に反発する人もいるとか、
 賛同してくれている相手の反応が薄いために真意を読み取れないということまで、本当にいろいろ

すべて他人が至らないせいにする 誇大型
すべて自分が至らないせいにする 潜在型
こういうことなのかなと思った
自己愛は、すべての事実に対して、いちいち評価的な解釈をつける癖がある気がする
それがないと落ち着かない感じ?
期待どおりにならないのは、ごく当然のことなんだけど、
つまり、脳みそ内=外界にならないのは、
脳みそ内も外界もどちらも、別の原理で動いていて、すごく「気まぐれ」だからなんだけど、
でも、脳内と外界が同期されていないという事実に気づくと、自己愛はバーストする
脳内≠外界であることが、ひどく醜悪なことであるという解釈をつけるように、
親などから刻み込まれているからなんだろうなと想像してる
脳内≠外界であること自体が、直接、自己愛の苦しみになってんのかな

36 :
ちなみに自分のことをきちんと開示している人が多いので、自分も書いておく
自分は、この点の誇大感を抱えてた
  期待(かなえられるとは限らない)→完璧主義的な期待(必ずかなえなくてはいけない)
両親は、確実に自己愛だと思う
自分自身は、そこまでひどくない(と思う)が、自己愛についての問題を抱えているので、
自己愛本人の内省的な分析も被害者の言い分も、共感的を持つことが結構あるし、自己愛本人の心理のからくりにもすごく関心がある
基本的に、親から客観的に成果を出すことだけはがっちりと管理されて、その過程は、思いっきり放置されてきた
客観的に成果を出すということについての考えについての管理は、カルト教団のやり方と全く変わりがなかった
脱会者のブログや本をたまたま読んで、飛び上がるほど驚いた
自分の親は、あの長髪ひげもじゃと同じタイプなのかと
他には、親に対しては増長禁止だったけど、第三者に対しては増長をけしかけてきた
親は、3しかない中身を100にふくらませるような自慢をしてたけど、
こちらが少しでも自慢をしようものなら、「何こいつ…」みたいなひどく鼻白んだ反応をしてきた
しらける反応とは、明らかに質が違う反応
他人からは、まあまあ充実しているように見えたみたいだけど、
自分のしたいことをかなえているわけではないので、段々虚しくなっていった
誰かに追いかけ回されているのに、もうこれ以上走れなくなっている夢をたびたび見た
それで、セルフエスティームについての本を読んで、生き方の行動原理を変えた
こういうのがいいな、ああいうのがいいな…ぐふふと妄想する中で、
自分の適性、社会的な環境などの現実的な要素を考えた上で、実現しようというように選ぶ
こういう行動原理に変えた
期待というのは、この妄想の倉庫に過ぎなくていいんだと
この行動原理に慣れてきたけど、
ふとした拍子に、「こんな自分じゃ許されない」という昔の状態にあっさり戻ってるときがある
よく見る夢は、服がなくて困る夢と、大勢で楽しくしゃべっている夢、見知らぬ場所を探検している夢に変わった
自分はこんな感じだな

37 :
>>32
あえていうなら狩野さんの「自己愛性パーソナリティのことがよくわかる本」を挙げられるけど、
個人的にはおすすめしない。ただ潜在型にページは割いてある。
これ以上に潜在型についてかかれている本は存在しない、
ちなみにこの症例は 上島国利(監修):パーソナリティ障害・摂食障害.
に続きが書いてあるから、興味があれば読んでみるといい。
後、自己愛転移が展開しないと NPD とは診断されないから、それは NPD ならみんなもってるよ。
これは育て直しというものにあたる。
それと、誰の論文読んでるの?
ちゃんと分かってる人の読まないと、理論紹介だけで終わって役に立たないよ。
>>33
誰もがもってはいるけれど、その程度が問題。
>>34
ADHD は NPD の環境因への反応性を高める。
AC は境界例の行動化を伴わない型。
境界例の自己愛型防衛というのもある。
挙げてくれた本は読んだ事はないなあ。
発達障害についてはサイトに反映しました。
自己愛性パーソナリティ障害の原因「5.問題の切り分けと NPD の本質」

38 :
>>35
俺なりに書かせてもらうね。
まず、誇大型か潜在型かは本人の性格で規定されるものであって、本当はあまり問題じゃない。
個人主義が隆盛を極めるアメリカでは、自己主張していかなければ理想を実現できないから、
NPD には誇大型が多い。
逆に謙遜を美徳とする日本社会においては、自信の自己愛的行動様式を隠蔽した方が、
和を尊ぶ人々とは齟齬がなくなり、うまくいく。
国民性および社会が規定するものだとは、色んな本に書かれてるよ。
後、誇大的自己の生成過程とかは、本を読まないとわからないと思う。
>>36
夢の象徴についてはわからないけど、何らかの心理状態を表してるんだろう。
NPD なら誇大的自己というのは間違いなく持ってる。
>ふとした拍子に、「こんな自分じゃ許されない」という昔の状態にあっさり戻ってるときがある
問題なのはこれだよね。誰しも理想を追い求めることはあるけど、
等身大の自分がないと満足することができない。
というか NPD は満足する機能を持っていないから、その過程を徐々に進めていかないといけない。
それがすごく重要だよ。
それが育て直しであり、自己愛転移というやつです。

39 :
あー、あっさり自己愛全開だな。

40 :
無関心型も過敏型も根は同じだからミックスしてるのが普通だと思う
自分が知りたいのは、
自己愛であっても誰かに心を開くことがあるのかということ
恋愛体質な自己愛がいて三昧しているのだが
どうも「寂しい」という感情だけはあるらしい

41 :
>>40
自己愛が誰かに心を開くのは、とても難しいと思う。
心情の吐露というか、自分の内面を見せてみることはあっても、
人を信用することができないから。というか、「信頼」というものが、どういうことか
わからないんだと思う。
>恋愛体質な自己愛がいて三昧しているのだが
どうも「寂しい」という感情だけはあるらしい
何でこれをするかというと、心にぽあっかりと穴が空いているから。
自己愛はみんなさびしいという感情をもってる。ただ、人格は安定しているから、
あくまで、「さびしい」という感情までしか到達できない。
何で「淋しい」のかまではわからない。
自己愛はずっと異性を求めるよ。
それは、自分が理想的な、誇大的な自己じゃなきゃ生きている価値がないという思いと同様に、
異性にも理想を求めてしまうからなんだ。だけどそんな理想に適う人間なんて現実にはいないし、
それにささいなことで「失望」もする。そうしてまた新しい対象を求めこととなる。
恋愛体質なのは、心に空いた穴を埋めようとしているんだよ。
後は刹那的に淋しさを紛らわす行動でもあると思う。
ずっともがいてるんだと思うよ。

42 :
「自己愛の損なわれた人は(中略)ただひたすら他人に肯定してもらいたいと望むのである。
しかしこれは失望に終わる。子どもの発達には、いつもぴったりと寄り添って、
はっきり求めずとも思いを満たしてくれる母親が必要だが、そのような献身的な母親は、
おとなになってからでは見つけようがないからである。母親のように無条件に愛し、賞讃してくれる他人は存在しない。そしてついには、
厳しい現実を通して思い知らされることになる。愛し、愛され、誇りに思えるような、
母親のかわりは存在しないのだ、と。しかしながら、それでもこの渇望は消え去りはしない。
それは楽園のファンタジーの無意識的な駆動力と化し、自己愛の傷を持つ人の行動に特徴的なかたちで現れる。」(pp154-155)
「自己愛の傷ついている人は、つねにその手を差し出して、かつて不足していたものを得ようとする。
母親や母性的なケアに対する渇望を顕示しているのである。ところがこうした顕示は、繰り返し「叩」かれもする。
思いを遂げようと望むたびに、失望、屈辱、憤怒、抑うつを味わわなければならない。何しろおとなの世界は、
子どものそれとはちがうのだから。この顕示のなかには、自己愛の傷がある。欠けていたものを補償しようとする防衛である。」(p156)
「自己愛の傷は早期幼児期の障害であり、癒すには母性的、成長促進的なものが必要である。」(p197)
自己愛障害の臨床 カトリン アスパー
ひとつは成長するために理想の母親を求め続けるというのがある。

43 :

「NPD 者の行動
患者は母親の敬意を勝ち取ろうと絶え間なく努力して育ったが、いつもいつもこの努力ははかなく無駄に終わった。
一方彼は、父親のような「凡人」で終わらないように努力もしており、こちらは成功したのだった。精神力動的な観点からは、
こういった経験を彼の自己愛的防衛の種子と見なすこともできる。彼の女性をたぶらかす行為、
すなわち、自分の魅力を使って女性を誘惑し、そして棄ててまた別の女性に走るという、情緒的に女性を傷つける行動パターンは、
自分が母親からは決して大切に思われなかったため、こういった母親の身代わり(無意識に彼はこう見なしていた)である女性を得て、
気にかけてもらい、それからその女性に復讐するという、終わりのないサイクルと見ることもできた。」(pp212-213)
パーソナリティ障害 治る人、治らない人 マイケル・H・ストーン
あともう一つは、そういうものは貰えないという確信から、
女性を捨てて、傷つけて、復讐する。このサイクルの繰り返しなんだよ。
人生をかけての。

44 :
>>37
本の紹介ありがとう。
読んでみます。
論文は広島大学院の人でした。

45 :
>>41
回答ありがとうございます
結局、「打止め」させる方法はないんでしょうかね
理想の相手に巡り会ったら、あっちこっちに手を出すのをやめるだろうか
しかも、自分の中の「寂しい」を埋めてくれる相手=理想の相手、ではないよね?
自己愛はいわゆるトロフィーワイフ的な恋人が欲しいんだろうから
>心情の吐露というか、自分の内面を見せてみることはあっても、
>人を信用することができないから。というか、「信頼」というものが、どういうことか
>わからないんだと思う。
自己愛って知り合って間もない時期に、誰彼構わず
妙に自己開示(そんなことまで?というくらい踏み込んだとこまで)するけど
あれは「わかってほしい」という希望からの行動なんだろうか
だとしたら、等身大のあなたで良いのだ、というメッセージを送ってやれば
自己愛から回復するのではないかと思うのだが…どうでしょう
と、ここまで書いて>>43を読ませてもらいました
復讐込みだとすると…無理ですね

46 :
そういえば、私は無意識に人を求めてるけど人を好きになったことがない。

47 :
>>44
お答えありがとう。学者さん系ですね。
確かにちょっときつい言い方だったかもしれない。ゴメンね。
ただ、できるだけ回り道はしてほしくなかったんだ。
だけど、その回り道も必要なのかもしれないなと思った。
だって俺も自分で納得しないと次に進まないタチだしw 
ハァ…

48 :
>>46
それすごくすごく大事なことだよ。それが、
「愛することの不能」
ってことなんだ。
俺もこれを自覚するまですごく時間がかかった。
「好きになってるつもり」にはすぐになるけれど、本当はそれは
ただの恋愛ゲームのかけひきにすぎなかった。
「愛することがどういうことかわからない」、正にその通りだった。
これと、同じじゃない?

49 :
>>45
打ち止めにさせる方法は、本人が気がつくしかない。
だけどそれを周囲によって自覚させることは、できないんだ。
他人を帰ることはできない。それは多分 NPD と接したことのある人なら、
みな無意識には分かってることなんだと思う。
理想の相手にあってしばらくは収まっても、手を出すのは止めないよ。
必ず、「失望」するから。だから新しい相手を求め続ける、そのサイクルが延々と続いてしまうんだ。
トロフィーワイフという外的な要素ももちろん重要だし、
自分を成長させてくれる内的なものも求めている。
外見だけだとすぐに失望(飽きる)からさ。
自己開示するのは、わかってほしいという願望と、
あとすごさを認めて欲しいという、誇大感・万能感の充足もあると思う。

50 :
>>45
>だとしたら、等身大のあなたで良いのだ、というメッセージを送ってやれば
自己愛から回復するのではないかと思うのだが…どうでしょう
これは自己愛本人が追いつめられて、「変わる!」っていう意志をもたない限り、ちょっと難しい。
今まで人生を規定していた誇大的な理想は全部捨てなきゃいけないから。
強迫観念をはずさなきゃいけない。
これはやっぱり、治療環境じゃないと、できないと思う。

51 :
>>47
回り道は一番の近道ですよ。
きつい言い方には、その感情を読み取るのではなく
要点だけ押さえればいいのですから。私は気にしません。
>>48
私は男なんですけれど、自身が母親になっていたので、
同性愛的思考に陥ってましたよ。
それに気付いた時人を好きになることが、
他人を求めることが解りました。
ある女性が頭の中に出てきたので、面白おかったですよ。

52 :
自分が他人を愛していいのか、その人ににつり合わないのではないか
という不安はありました。
愛の存在は知っていて、他の家族にある微笑ましい一面に愛を感じることはありました。

53 :
>>51
本当に色んな人がいるね。
回り道は確かにそうですね。
人を好きになる(求める)ことと、愛することとは違うけれど、
好きにはなったということ?
なるほどそちらですか…
その同性愛の仕組みと NPD の関係はよく説明されてるけど、
それですか?
なんか不思議だ。

54 :
付き合っている人がNPDかもしれません
NPDについて調べていたらスレ主さんの
ホムペに辿り着きました
もう別れようというとこまできていますが、
最後NPDの可能性のある彼と向き合って
みようと思います
どこか生きづらそうな彼の未来のためにも
その可能性を伝えてみようと思います
そのためには、まず自分がNPDについて
深く理解しなくてはなりませんね
でないと、相手に解ってもらうことなんて
できない
ま、頑張っても解ってくれないかもしれないし
怒りしか残らないかもしれないけど、頭の片隅に
でも入れば、いつか、また行き詰ったとき
思い出して何か変わるかもしれないから
スレ主さんのホムペ参考になります

55 :
>>52
確かに愛の存在を外から見て理解はできるけれど、あなたの中にはありますか?
つり合わないというのは、レベルがつり合わないということか、
それとも「ありのままの自分を知られたら絶対に幻滅される、拒否されるにちがいない」
という確信めいたものゆえに最初からつりあわないことにしているのかどちらですか?
何かちょっとなんとなくわかったような気がしないでもない。

56 :
>>53
同性愛とNPDの仕組みについては軽くしか読んでいませんが、
私の場合と同じ過程かと思います。
ただ、私は同性愛の性的接触に嫌悪していたので、
自身が何者なのかハッキリしませんでした。
今は、好きになることがどんな人なのかが解った状態なので
人と会うことから始めなければなりません。

57 :
>>55
客観視した時、微笑みが自分に向けられれば、
どんな形であれそれは愛と呼べるものと私は思っています。
愛を語ったことがないのでそれしか言いようがありませんが。ごめんなさい。
つりあわないと考えるのは、何もない私に付き合う人があるのなら
それは相手が可哀そうになるから。自己肯定感がないということです。

58 :
>>54
読んでくれてどうもありがとう。
参考になったならすごく嬉しい。
彼氏が NPD かもしれないということだけど、
おっしゃる通り、伝えてみても怒りしか残らない結果に終わるかもしれない。
向き合うことは大変だし、あなたが傷つくかもしれない。
だけど、それは相手の心には、必ず残ると思うんだ。ソースは俺。
NPD は中々変わる事はできないけれど、だけど真剣に言われた言葉って、
すごく響くし、心の片隅に間違いなく残ってる。
頑張るのもいいけれど、無理はしないで下さいね。
あと、ありがとう。

59 :
>>56
ということはおっしゃる通り母親になってたんですね。
かつて愛されなかった自分を対象と置き換えて接する事を通して、
男性である自分自身を愛していたと。
ただ自分とは違うから、難しいです。
愛というのは色んな規定ができると思うけれど、
私がいっているのは感情のことです。
多分この感情がわかれば、「あっこれが愛なんだ」ってすぐにわかると思う。
逆に言えば、そういったものを体験したことがないと、
愛という者がどういうものかわからないということになる。
「愛」という感情、わかりますか?
自己肯定感がない…ありのままの自分は無価値だということだよね。
これじゃ多分俺は参考にならないなあ(´・ω・`)

60 :
>>36
何度も読んでみたけど、私の家よりもすごくタイトなんだと思う。
後これはなんとなくだけど、多分自覚してからはすごくよくなったんじゃないかな。
それがセルフエスティームのおかげなのかな。

61 :
横から申し訳ない
>>42
>「自己愛の傷は早期幼児期の障害であり、癒すには母性的、成長促進的なものが必要である。」(p197)
>ひとつは成長するために理想の母親を求め続けるというのがある。
>>49
>自分を成長させてくれる内的なものも求めている。
自己愛の問題と離れるかもしれないし、個人個人で異なるものだろうけれど、
「成長」ってどういうことを指すんだろう
どういう状態/状況/相手を「成長させてくれている」と感じるのだろう

62 :
>>61
いえいえようこそ。
これはむしろ自己愛性人格障害の核心です。
これには前提がいるから、まずは以下を読んで下さい。
>彼らは両親から明確な虐待を受けた人ではない。両親の愛情が乏しい人でもない。比較的整った家庭で育ち、両親の社会的地位も高い人が多い。
両親像は様々であるが、父親が自己愛性パーソナリティ障害傾向をもち、母親の共感性が乏しいというパターンが比較的多いように思う。

多くの患者は「母は自分がいくら間違っても絶対に『悪かった』とか『ごめんね』といいませんでした。必ず『だって…』と自分を正当化する。
『それはあなたのためよ』ともいう。それで結局私が悪いということになってしまうんです」ということをいう。
思いやることの乏しさと共感性の乏しさと、不安のレベルが高いことなど、自己の防衛が頻繁に発動される例である。

多くの家族は結果主義である。「いつも結果を求められていました。95点をとると、『なぜあと5点とれなかったの』と叱られるんです。
私はいつも完璧でなくてはいけなかったんです」「グズグズいわずに結果を出せというのが父の口癖でした」

養育の早期切り上げも多くの症例でみられる。すなわち、子どもを早く自立させ、輝かしい子どもになってほしいという親の自己愛の対象にされているのである。
彼らは甘やかされているが、甘えを体験していない(「甘えるという言葉はわかるけど、それがどういうものかさっぱりイメージがわきません」という)。
親の子どもに対する期待は大きい。親が実現できなかった欲望、得られなかった欲望という、親自身の欲望の照射を受けて養育されているのである。
それは無意識下に行われるので、親も子どもも気がつかないまま進行するのである。そこに無条件の愛の欠落がある。

63 :
分析が進むと、彼らは「両親は自分に計算や打算が働いている」「確かに大切に育てられたとは思うけど、自分は無条件には愛されない。
自分が認められるには条件がいる。それが何かはわからないけど」と語る。「自分は生まれてきたくなかったのに、
親が勝手に生んだのだから責任をとってほしい」「生まれてきてごめんなさいという感覚がいつもある」という。
こうした無価値感、自己不信感、愛されていることの疑惑は兄弟に対する嫉妬と羨望の感情と併存している。

生のシステムとして幼い子どもは母親を鏡として使い、親の顔をみてその喜ぶ顔をみようとする。
期待に応えようとする行動自体はおそらく合目的的な行動であり、この行動によって子どもは学習し、適応を獲得していくのである。
母親も自分を頼りにして愛情に反応する子どもを必要とする。もし親の自己愛が病理的あれば、
子どのそうした無力を利用して自己愛を満足させる道具として使い、あるいは自己の不全感や
「果たせなかった欲望」という自己愛の傷つきを子どもに照射して「輝かしい子どもという期待」をもって養育に当たるだろう。
そこに「自分は無条件には愛されない」という強力な幻想を生み出す基盤を用意させる。
兄弟葛藤はいっそう事態を促進させる。すなわち愛の独占が一方的に奪われるのであり、嫉妬と羨望のルーツはそこからも生じる。(中略)
無条件には愛されないという強力な幻想をもつ子どもは、愛されない、
愛される価値がないという無力感と無価値感を防衛するために万能的な自己を発展させる道を選ぶ。
「僕はみんなから仰ぎみられるような存在になって、母が初めて自分の偉大さに気づいて改心し自分のところに戻ってくることを幼いときに夢想していました」
「自分は天才だから母親の愛情なんていらないと思っていました」と語る文脈は誇大的自己が愛されない、
自分を愛せないことの防衛であることを物語る。たとえてみると、彼らは食べたいごちそうを前に母親から

64 :
「これは全部あなたのじゃないの! 先に食べないで」と叱られた子どもがすねて「僕、いらないよ」と席を立つ姿に似ている。
愛を拒否するのは幼い子どもの意地(自尊心)であろう。ある患者は「自分は子どものころに何か引き合わない取引をしたように感じる。
多分、甘えることと引き替えに、誇りを手に入れるような」と語っている。
愛と甘えを断念した子どもが次の発達段階で獲得するのは自尊心という切符である。裏には自己不信が印刷されている。

現代の親はいくつかの幻想に支配されている。たとえば、子どもを早く自立させなければならない、
親は子どもの自由を奪ってはならない(自己決定権は子どもにゆだねる)、
好きな道で才能を伸ばさせたいなどである。そのほか高い教育を施さないと将来幸せにはならない、
その道でリーダーシップをとれる人間にしたい、人気のある子どもにしたいなど、親の欲望もある。
それらは彼らの確たる信念であり、強迫的ともいってよい観念であり、彼らに疑う余地もないような自明なこと、
社会の共通価値基準だと信じている。しかし子どものある時期は親の存在を必要とし、
親に依存し、保護される必要があるのである。幼児期における世界への参入には親のサポートを必要とするものである。
そして子どもの正常な向上心の発達には手応えのある大人とのを必要とする。
手応えのある大人とは優しくて、強くて、わかってくれる大人であり、この3つの要素の一つでも欠いた大人は手応えのある大人とはいえない。
優しくて物わかりがよいけど力強さが欠ける大人、強いが、優しくない大人は大勢いる。
そうした手応えのある大人とのを通じて子どもたちは自分たちの幼児的万能感を譲り渡すことができ、自分もそうした大人になろうと、
向上心を発達させていく。治療では誇大的自己を映し出す立派な鏡として治療者を利用する
理想化転移・鏡像転移が治療推進に大きな力をもつが、治療者が手応えのある大人である役割を引き受けることの治療的意味もそこにある。
市橋秀夫 自己愛と人格 より一部抜粋 http://www.geocities.jp/moraharajikoai/thesis.narcissism.html

65 :12/01/10
NPD は子ども時代を積み残したまま次の段階に進んでしまっているから、
自分の中に「内なる子ども」ができてしまう。
その子どもは何故大人になれなかったかというと、上にあるように、「無条件の愛」を経験していないからなんだ。
それを貰えずには子どもは次の発達段階にはいけない。そこに心理的「欠損」が生じる。その無条件の愛というののが、いわば「理想の母親」が与えてくれるものなんだ。
NPD は治療環境において、そういった過去に貰えなかった理想の母親が与えてくれるようなものを求める(自己愛転移)。
これが、いわゆる育て直しの過程と言われるものです。
そういったものが与えられて、自分に「ありのままの自分でもだいじょうぶなんだ。愛される価値があるんだ」という感覚が育まれてくると、
次第にそれがなくても生きていけるようになる(変容性内在化)。そうして、欠損が修復されて理想の母親を希求しなくてもよくなる。
すなわち、自分を受け止めて評価してくれるような人がいなくても、等身大の自分を信頼してありのままに生きていけるようになる。
こんな感じです。
>どういう状態
母性にあふれた、外見的も含めた理想的な異性に自己開示をできた状態
>状況
極端なことを言えば、2歳児のような自分をありのままに愛してくれる状態(※ タイムリミットは失望するまで)
>「成長させてくれている」と感じる
理想的な異性にありのままの自分をさらけだしても、嫌いにならずに愛してくれている時
参考になれば嬉しい。
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