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2011年11月1期野球殿堂53: 【正解?】入団拒否した選手を語ろう【裏目?】 (134)
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4: 昭和30年代前半生は誰も2千本安打を打ってない! (344)
【正解?】入団拒否した選手を語ろう【裏目?】
- 1 :11/10/30 〜 最終レス :11/12/03
- 最も有名なのは江川。
73年阪急、77年クラウンを拒否。
78年阪神、小林とのトレードで巨人へ。
- 2 :
- 正解・川口和久(ロッテ・広島)
裏目・小池秀郎(ロッテ・近鉄)
- 3 :
- 裏目:竹本由紀夫(ロッテ・ヤクルト)
正解:森繁和(ロッテ・西武)
じゃねーの
ロッテばっかりでスレ埋められるよこれ
- 4 :
- 竹本は最初の指名時は本人の意思よりも、会社や全日本の兼ね合いで
慰留されたようだ。
- 5 :
- 現役選手
正解:福留(近鉄→中日)、内海(オリックス→巨人)、長野(日ハム、ロッテ→巨人)、福井(巨人→広島)
裏目:木村(横浜→ロッテ)
微妙:新垣(オリックス→ダイエー)
- 6 :
- 元木
- 7 :
- 長野
- 8 :
- >>4
翌年に地元で世界選手権があったから?
後に五輪に合わせて指名凍結選手制度が出来たのも
この時の竹本の一件が影響してるのかもね
- 9 :
- >>5
福井は正解か?ドラフトの時「もうないじゃん」だぞ、今年の菅野以上に不満げだった
- 10 :
- >>9
指名順位考えたら正解じゃない?
高校のときのドラフト同期にもう首になっているのもいたし
- 11 :
- ミスター入団拒否
藤沢公也のスレはここですか?
- 12 :
- 大成したの福留のみ
内海は様子見
長野も
- 13 :
- ここまで石毛宏典(ロッテ・西武)なし
- 14 :
- ロッテ絡みが多いな
- 15 :
- 木田勇(広島→日ハム)
今、栗山監督就任の件でも言われてるけど創価の件が絡んでるらしい
広島指名時は創価がネックで入団に至らなかったとか
- 16 :
- >>14
そら12球団一の拒否数を誇ってますから
- 17 :
- 長野
- 18 :
- 竹本由紀夫
- 19 :
- 裏目:川村一明(阪急・西武)
高山郁夫(日ハム・西武)
いくらプリンスホテルの“囲い込み”があったとはいえ、
西武での伸び悩みを考えると高校出た時点でプロ入りするべきだった。
- 20 :
- 高山は当時から故障持ちだったのも一因だったらしいので
入っても活躍できたかは微妙だね。
- 21 :
- 黒田真二(日本ハム→ヤクルト)
- 22 :
- >>21
76年の日ハムは1位の黒田、 2位の藤沢、 3位の末次秀樹、 5位の柿田登が入団拒否。
ロッテの1位森繁和、2位前川、南海の1位武藤、3位唐木も拒否。
この当時はパの1位指名選手の入団拒否はざらだった。
- 23 :
- 正解:山倉(南海→巨人)
微妙:西山一宇(ロッテ→巨人)
池田親興とか米正秀とか一回拒否した球団に入る人もいたね
中日の古川とか
- 24 :
- 山倉は、当時の南海は野村が不動の正捕手だったからなあ。
まあ、どっちみち高卒ですぐに出れるポジションじゃないが、入っていたら、
3,4年でクビになったか、上手く野村の後釜になったか?
- 25 :
- 正解:山田久志(西鉄→阪急)
弓岡敬二郎(クラウン→阪急)
当時の西鉄・クラウンの酷さを考えれば…。
- 26 :
- >22
入団が大宮ぐらいだったので、ドラフト外の島田誠にもチャンスが巡ってきたらしい。
>23-25
皆、進学、社会人入り、残留などが決まっていての指名で球団側も
うまくいけばぐらいの感じだったらしい。
米は高校の野球部一期生で自身がない、弓岡は関西だったら行ってたかもという
話は聞いたが。
- 27 :
- >>23
西山は期待通りの活躍ではないにしても一時的に中継ぎで戦力になったし
今もスコアラーで巨人に残れてるんだからまあ正解じゃないか?
- 28 :
- やや裏目:小池
正解:福留
- 29 :
- 西山の時は有藤の後輩なので来るだろうと指名したらしい
- 30 :
- 正解:長崎慶一(阪神→大洋)
阪神拒否して法政に入って飛躍して大洋で首位打者、
最後はあこがれの阪神で日本一に貢献して引退
高卒下位指名で阪神入りしていたら恐らくさっぱりなまま消えていただろう
高卒野手の育成下手には定評があるから
- 31 :
- 正解:新井宏昌(近鉄→南海)
近鉄を拒否して>>30の長崎と同様に法政に入って活躍し、
南海では79年に打率2位になるなど3割を3回マーク。
その後やや衰えたが、86年に高校時代に入団拒否した近鉄に移籍して復活し、
87年に首位打者、89年には優勝に貢献し、2000本安打を達成した92年で引退。
高校卒業後に近鉄入りしていたら、ここまでの活躍はたぶんできなかったはず。
- 32 :
- 杉浦こそミスターアマチュア。ヤクルトやダイエーの誘いを蹴ってアマチュアに
拘り続けた。
- 33 :
- エモやんも、最初のドラフトで西鉄を拒否した。
その後の球団の消長を見る限り、正解だった。
- 34 :
- 江本はチームメイトが自分より上位で指名されたのが気に入らなかったから拒否したんじゃないっけ?
- 35 :
- 市川和正
昭和51年近鉄6位拒否、55年大洋4位入団
一時期正捕手の座をつかんだ時もあったから正解だろう。
- 36 :
- >>35
アリナシコンビ全盛の近鉄じゃ、出番ないよね。
下位指名だし、あっさり見切られそう。
- 37 :
- 応武も近鉄指名拒否
推薦入試不合格なら…というとこまでこぎつけたが
合格だったのでOUT
- 38 :
- >>36
先にプロ入りして1年目から働いた、高校で亭主役だった青エンピツ青山久人を追って
中日に入りたい気持もあったのでは。木俣もキャリア後半に差し掛かってたし。
あーでも近鉄が6位で掬えるほどどこからも指名されなかったわけか。
まあでもプロでも一応の成功組だし、セカンドキャリアも含めて勝ち組な人ではあるな。
- 39 :
- 微妙:武藤一邦(南海→ロッテ)
不人気かつ弱小球団という意味ではどちらに入ってても同じだったと思われ…。
- 40 :
- 市川は六大志望だったので拒否したが、希望叶わず原パパに拾われる。
- 41 :
- 有名選手ではないが、蒲谷和茂
大洋1984年ドラフト3位→拒否して東芝入り→交通事故で瀕死の重症
→西武1991年ドラフト9位→1年でクビ
最初に入団しとけばね・・・
- 42 :
- 正解:新谷博(ヤクルト→西武)
西武には結構多い高齢で入団して成功した投手のひとり
プロ入りが遅れたのは層の厚い日本生命にいたせいだろう
- 43 :
- 巨人しか行かない人や巨人でユニフォームを脱ぐ人ってのは野球が好きではないと
聞く。確かに好きなら何処へ行っても野球はやるだろうしね。
- 44 :
- ヤクルト広瀬哲朗
阪急門田博光
- 45 :
- プロアマが断絶していた時代は、
指導者候補をアマ側が囲い込んでいたからな…
- 46 :
- 新垣
- 47 :
- >>43
いまならまだしも30年位前は巨人以外は行く気しない気持ちはわかる。
プロ入りしてプロで10年やれる保証なんてないわけで
たとえ二軍で終わったとしても元巨人のブランド力は格別だからね。
- 48 :
- >41
無名校出身なので力を付けてからと東芝入りを決めていたところでの指名。
西武入団はリハビリも兼ねてで実戦で投げられる可能性は低かった。
- 49 :
- >>44
門田と同期の外山義明(広島拒否、ヤクルト入団)は?
- 50 :
- 小池秀郎
- 51 :
- 小池は素直にロッテに入って、カネやんの教えを受けていれば彼の野球人生に
プラスになったんじゃないかな?
同世代に伊良部という格好のライバルはいるし、その後のロッテは川崎の暗い
イメージから完全に脱却したし、もったいないことした。
- 52 :
- 小宮山 伊良部 小池 河本 ついでに園川
いい投手陣になったかもな
- 53 :
- けっこうな左腕王国だな。
小宮山というシャッキリしたまとめ役がいる分、全員もう1ランクいい選手になれたかも
- 54 :
- ロッテの話題が再三出てるけどここの球団史上で一番酷い
というか間抜けな指名拒否が85年にドラフト6位で指名した
北海高校の有倉雅史(日体大→日ハム)のケース。
ロッテはこの年、ドラフト2位で日体大・園川一美の交渉権を獲得。
しかし6位で既に日体大進学を表明している有倉をなぜか強行指名してしまい
これに日体大関係者が激怒。園川の入団拒否の姿勢をちらつかせた為
ロッテは慌てて日体大に謝罪。有倉側にも
「指名は間違いです。交渉もしないのでどうか日体大に進学してください」
と平謝りするしかなかった。
まあ有倉は大学出てハム入りたけどプロでも大成しなかったから
この時の指名拒否が正解だったかどうかは微妙だけどね。
- 55 :
- へぇ、面白い相関図
うっかりじゃ済まされん編成だけど園川は一応成功だし御の字かw
- 56 :
- 門田は一応ブレーブスにはいったよ。
- 57 :
- 小池
- 58 :
- >>54
それ違うぞ。
ドラフト指名後、2位指名の園川に対して
さっぱり連絡をせず園川側が「本当に
とる気があって指名したのか」とロッテに不信感を
持ってしまったのが原因。
日体大初の「名誉ある巨人指名」だったのに、
不人気ロッテが勝手に強奪指名しておきながら
その態度だったので日体大側が怒った。
有倉の指名など実は後付けの理由で、まったく関係ない。
- 59 :
- 長野
- 60 :
- ミスター入団拒否
- 61 :
- 竹本由紀夫
- 62 :
- >>54>>58
似たようなケースだと、1982年ヤクルトが駒大進学予定だった新谷と
駒大の広瀬を指名。駒大太田監督が激怒して2人とも拒否。
その後、2人ともプロで活躍。
- 63 :
- 原ドラフトの年、巨人を拒否した瀬戸山という捕手。
プリンスホテルに入った。
どんな選手だったのだろう?
まあ、山倉を押しのけてレギュラーになったとは思えないから、正解か?
- 64 :
- >58
園川は甲子園も出てない無名投手(川越工・石田)より評価が低かったことも
納得いかなかった。
>63
彼もプリンス入りが決まっていた。この年拒否してプリンス入り(高山、川村)
したなかでは唯一プロ入りしなかった。
でも社会人では正捕手となって10年近く現役だった。
- 65 :
- >>62
ヤクルトと駒大が絶縁したせいで、
やる大矢はヤクルトに残れなかったんだろうかね
初優勝した頃は、若松と共に幹部候補生と言われてたんだけども
- 66 :
- >>62
それもよく言われるのだが、
新谷も広瀬もプロ拒否だったにもかかわらず
指名し拒否されただけ。
駒大を怒らせたとかいうのは、後付です。
球団の言い訳にだまされないように・・・。
- 67 :
- 入団拒否したら一年間ドラフト対象からはずせ
- 68 :
- 鍛治舎前川の早稲田大学スラッガーコンビも拒否組だね
少なくとも鍛治舎はプロ野球等に入らず正解だった口か
- 69 :
- 瀬戸山満年、應武篤良、高見泰範・・・80年代後半の社会人全日本クラスの捕手はドラフト指名拒否組がやたら多かった。
- 70 :
- 島谷金二、産経65年D9、東映66年第一次D2、ロッテ67年D3拒否の末、68年D9
で中日入団。
長井繁夫、近鉄65年D4拒否、ヤクルト69年D3で入団。
長井はともかく、島谷の入団拒否のいきさつは会社の強い慰留?拒否した3度
のうち2度が上位指名だったにも関わらず、9位で中日入団したのは何故だろう?
- 71 :
- >>70
最初に関しては「プロでプレーする自信がない」と断ったらしいけどね。
- 72 :
- 正解:古賀正明(阪神→太平洋)
阪神1位指名断って太平洋1位で入団って時点でアレだけど、結果12球団勝利で名を残したからねぇ
>>70
所属してたのが四国電力っちゅう超優良企業だったから、無理にプロ入りしなくても…って思ってたって本に載ってたな
- 73 :
- >>70
当時の監督水原茂と同じ高校(高松商業)だったため
断われなかった。
- 74 :
- >>70
大先輩の水原元監督に口説かれたと聞いたような・・・・
- 75 :
- >>72
古賀の場合、太平洋に入団した76年の時にいた鬼頭ヘッドコーチ
(ドローチャーが結局来なかったため、その後監督に昇格)
が高校の先輩(日大三)だったことも大きかっただろうけどな。
- 76 :
- >72
野球部自体が休部になるタイミングだったような。(またはその前触れがあった)
- 77 :
- 正解:三井浩二(ダイエー→西武)
足寄高のときに4位指名ながらダイエーと阪神が重複。抽選でダイエーに決まったけど3位以上じゃなきゃイヤと拒否。
抽選で負けた阪神が指名したのが桧山。
拒否ではないけどダイエーにフラれたのが前田智徳。
スカウトは3位で指名すると言ったのに他の選手を指名。広島4位指名に悔し泣きしたそうな。
ちなみにこの年のダイエー3位指名は橋本武広。まずまず戦力になったし、結果的に今の監督人事に繋がったのだから、ホークスとしても大損ではない
- 78 :
- 河本和昭
- 79 :
- 古賀は丸善石油の時阪神にドラフトされたけど
交渉のたびに契約金が変動するので、そのときの
野球部長が球団に不信感を持って拒否させた。
その野球部長とは元オリックスの井嚢だった。
- 80 :
- 『かつて複数の球団から誘われたドラフト1位が、プロ入り後、多くの
チームに移った。「で、どうだった?」と聞くと「一番やりがいが
あったのは、今一番人気のないチームですよ」との回答だった。』
これ、20年以上前の野球雑誌の記事だが名前は伏せられていた。
恐らく、古賀のことだと思う。
ちなみに「今一番人気のないチーム」はロッテだと思われる。
- 81 :
- >>79
古賀の場合、2位指名の高校生投手、工藤一彦(土浦日大高)のほうが契約金が高いのを知って入団を拒否した、とも。
その年のドラフトは高校四天王と評される投手たちがいて、土屋正勝(銚子商)は中日に、永川英植(横浜高)はヤクルトに、
定岡正二(鹿児島実)は巨人にそれぞれ1位指名されるも工藤だけは1位で指名されず阪神が2位指名、
それに難色を示した工藤サイドが早大進学をちらつかせて1位の古賀以上の契約金を取れた。
今度はそのことに古賀が態度を硬化させて入団拒否。
- 82 :
- 阪神は古賀との交渉に2度しか会わず、後は全て電話で交渉をしてたらしい
- 83 :
- 阪神は古賀に入団拒否された翌年にも足立義男って大分鉄道管理局の
左腕投手を1位指名して入団拒否られてるよね。足立は最初のうちは
「1位指名は光栄。阪神は好きな球団です」って言ってたのに最後には
「会社にまだ恩返しをしていない。まだ若いしプロ入りは社会人で実績を作ってから」
って言って入団拒否。でもそれっきり足立って名前を聞く機会なんて無くなったなあ。
同じドラ1位拒否社会人残留組でも鋼管福山の田村はベテランになるまで投げてたのに・・・
- 84 :
- 弓岡
- 85 :
- >>83
しかもその年は二位指名の鍛治舎巧(後に松下電器監督)にも入団を拒否されている。
この二年間に渡るドラフト上位の失敗がなければ、昭和50年代に一度くらい優勝できていたかも。
- 86 :
- 小池
- 87 :
- >>85
それはない
- 88 :
- >>87
阪神の場合は43年田淵、44年上田二郎、45年谷村、46年山本和行、48年佐野とドラフト1位は当たりが続いていたので
入団していれば期待できたかも。まあこういう話題はこのスレとは違うのでまた別のスレで・・・
- 89 :
- 正解:平松政次(中日→大洋)
中日入ったらカミソリシュートは生まれなかったかも知れないから
- 90 :
- 門田博光
- 91 :
- >>89
でも平松が仮に中日に入ってたら優勝経験はできたんじゃね?
- 92 :
- プロ入りしなかった選手だが、
守屋利和(相洋高・82年ロッテの6位指名を拒否)
それにしても、入団拒否してバス会社(神奈川中央交通)に就職っていったいなんなんだ…
- 93 :
- 新垣
- 94 :
- >>52
それに前田幸長も加えてやってくだされ
ロッテでは8〜9勝して戦力になってたし
- 95 :
- デレック・タツノ(ハワイ大-パドレス79年1位、ホワイトソックス80年2位し
名を拒否、ブリュワーズ82年1位指名を受け入団)
2度の拒否は、プリンスホテルに入社した際に支払われた支度金が無税で賞
与に組み込まれてた為に、すぐに退社して入団出来なかったらしい。
といってもそれが何故入団拒否の理由になったのか今一わからない。
岡本光は2度の南海入団拒否の末(53年3位、56年5位)、巨人入団(57年2位)。
無名校にも拘らず上位指名拒否、名門松下で下位指名拒否後の巨人入団。
選手層の厚さに泣かされたのと、2軍で好成績残してるのに1軍に上げてもら
えなかったのは、干されてた感じもややした。
小池はロッテ入団してたら、小宮山並の通算成績を残してたと思う。
- 96 :
- 広島→西武の山根和夫の実兄で
後に都市対抗20年連続出場を果たす
山根(結婚後は鈴木)政明。
- 97 :
- >92
こういう選手は就職決まって本人の意思がないのに指名してしまった場合が多い
(ましてアマチームに決まってなければ関係性にも問題ないので、指名すれば来るだろうという)
>95
プリンスに入った時点で日本球界入りを目論んだのだろうが
何かの事情でそれが難しくなったんだろう
- 98 :
- >>95
岡本は決して干されていない。
一年目のオープン戦で肘をやってしまったのがすべて。
やってしまった場面を、テレビ中継で観ていた。
- 99 :
- 正解:蓑田(南海→阪急)
- 100read 1read
- 1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼 ▲
・ 次のスレ
54: おまいらが選ぶ日本球界最強の強肩選手は誰?4補 (377)
1: メジャーの殿堂入り選手 8 (967)
2: ビールかけをしたことがない哀れな選手 (154)
4: 昭和30年代前半生は誰も2千本安打を打ってない! (344)