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2011年12月1期文学43: 三島由紀夫Part43 (852) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼


三島由紀夫Part43


1 :11/07/30 〜 最終レス :11/12/03
三島由紀夫(本名、平岡公威)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Yukio_Mishima_1931.gif
http://image.rakuten.co.jp/auc-artis/cabinet/s-2540.jpg
http://www.c21-smica.com/blog_century21_nobu/img_1596165_27088893_0.jpg
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PADZ21PEL.jpg
http://image.blog.livedoor.jp/maccy1977/imgs/8/e/8e3b520d.jpg
大正14年(1925年)1月14日、東京都四谷区(新宿区)永住町2に
父・平岡梓(元農林省水産局長)、母・倭文重の長男として誕生。
三島由紀夫関連過去スレ検索
http://makimo.to:8000/cgi-bin/search/search.cgi?q=%8EO%93%87%97R%8BI%95v&sf=2&all=on&view=table
前スレ
三島由紀夫Part42
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1303528124/

2 :
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、
横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。この「狂」の伝統が
どのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。ただ、すべての
「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。日本人は、
否、人間は、自分の内部の「狂」をもっと直視すべきではないだろうか。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の
精神であり、私としてはほめ言葉である。(中略)
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは
中岡良一などと同じように考えたい。

橋川文三「狂い死の思想」より

3 :
新国立劇場『朱雀家の滅亡』、2011年9月20日〜10月10日
「エウリピデスの『ヘラクレス』をベースに、太平洋戦争末期のある華族の滅亡を描く三島由紀夫晩年の名作を上演します。

新国立劇場演劇公演 2011/2012シーズンオープニングに三島由紀夫作『朱雀家の滅亡』
昨年、演出家の宮田慶子が新国立劇場演劇芸術監督に就任し、話題の作品を次々と世に送り出した。そしていよいよ、二年目となる2011/2012シーズンがスタートする。
2011/2012シーズンオープニングには"日本的なる美"を探究していく3作品連続上演「【美×劇】−滅びゆくものに託した美意識−」を企画。
その第一弾として、宮田自らが演出を務める、三島由紀夫・作『朱雀家の滅亡』が上演される。
本作は、三島晩年の名作。美しく滅びゆく、ある華族の物語。舞台は太平洋戦争末期の、長年天皇家に仕えてきた名門侯爵家・朱雀家。
国家や天皇への忠誠を貫くため息子を戦地へ送り出す男と、それへ真っ向から挑んでいく女たちの価値観がぶつかり合い、各々が葛藤する様を生々しくシャープに描き出す。

4 :
前スレ>>999
へー、三島父はナチスシンパだったんだ、三島によれば。 ナチスのことは
『伜・三島由紀夫』、続編『伜・三島由紀夫 没後』 には、まったく載って
いなさそうだね。
>>3
9月下旬からか。朱雀家の滅亡、日本のとある劇場で上演したら、若い人に
とっても受けたって、ドナルド・キーンが書いていたね。

5 :
>>4
ナチスドイツ好きだったことを言うと、軍国右翼だとか非難されるおそれがあるからあえて書かなかったのだと思います。

6 :
韓流・フジテレビ に「物申す」の方々、是非、拡散を!
★2ちゃんの有志がフジテレビへの抗議デモを決行!
参加条件は君が代を歌えること
日時: 8月7日11時〜13時  集合場所:お台場

7 :
>>5
同意だな。

8 :
ドーピングにまみれた中国スポーツ界
http://www.youtube.com/watch?v=IW66dQL3Na8
「迂闊に食べるとドーピング?中国での大会」
http://kinbricksnow.com/archives/51681005.html

9 :
高岡蒼甫って映画「春の雪」では本多の役をやり、
今度の舞台の「金閣寺」では柏木の役やっているんだな。
重要な副人物をどちらでも演じている。

10 :
三島作品専属俳優になったらいいかもね。

11 :
@tkok_sosk_8228: 三島由紀夫さんがこう言った。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
戦後60年以上経ち尚、
人は考える事を拒絶している。
その中に自分も存在してる。

12 :
三島のことばを引けばいいと思っている馬鹿も同じ程度だとは思うけどな。

13 :
高岡もあんまり粗雑な単純化された三島思想を振り回さないほうがいいとおもうな。
足をすくわれるぞ。
俳優として頑張ったほうがはるかに日本のためになる。三島の作品に出たっただけで誇ってもいい。
ネトウヨ層はそういうのとんと関心ないからな。

14 :
>>13
別に粗雑、単純化してないでしょう。
三島の評論や檄文もすべて三島由紀夫ですからね。

15 :
@a_i_jp: .@tkok_sosk_8228 高岡蒼甫さんがフォローしてくれた。ありがとう! 作家の中森明夫です。
三島由紀夫が『金閣寺』を連載した雑誌『新潮』に昨年、小説『アナーキー・イン・ザ・JP』を発表して純文学デビュー。三島由紀夫賞候補になりました。高岡さんを応援してます。よろしく!

16 :
単純化もなにも元々そんな複雑なものではないでしょう
思想そのものはいたってシンプル
やたらと複雑化したがるのはどうかと思いますよ

17 :
憂国読んで思ったわ。
三島由紀夫が深く腹を斬ったのは、森田が介錯に失敗することを予見したからだな。

18 :
介錯に使われた刀は、ご存知のように「関の孫六」でした。書店の御主人の舩坂弘さんから寄贈されたものです。
そのため、舩坂さんは警察に呼ばれたわけですが、そのときもう一度実物を見せてもらったところ、奇妙なことに
柄のところが金槌でめちゃくちゃにつぶされていて、二度と抜けないようになっていたそうです。これはいったい、
何のためなのか警察でも見当がつかなかったようです。
ところが、その後の調べで、伜の周到な処置であることが判りました。
というのは、こういうことです。伜は死ぬのは自分一人で足りる、決して道づれは許されない、ましてや
森田必勝君には意中の人がいるのを察し、彼の死の申し出を頑強に拒否し続けて来た。しかし、森田君は
どうしても承知せず、結局、あんなお気の毒な結果になってしまったのです。そして、森田君の希望により
伜の介錯は彼にたのむ手筈になったものの、かねてから介錯のやり方を研究していた倅の眼から見ると、
森田君の剣道の技倆はおぼつかないと見てとったのでしょう。かんじんのとき、万一にも柄が抜けることのないよう、
ああした処置をして彼に手渡したのだそうです。まことに用意周到をきわめたものです。自分自身が割腹に
使用したのは、かねて用意の鎧通しでした。

平岡梓「伜・三島由紀夫」より

19 :
・・・・・三島パパ、随分とクールだな。
お父さんも、確かにどこかおかしいな。

20 :
『 外国人参政権』、『人権侵害救済法案』反対の署名 http://p.tl/7aOL
よろ。
tkok_sosk_8228 (高岡蒼甫)

21 :
>>18
これは面白い!チワワさんGJですよ〜!

22 :
森田さんはオッチョコチョイそうな笑顔してますね。

23 :
三島由紀夫のたしか文章読本だったと思うんだけど、紹介されてべた褒めされてた本が思い出せないんだ・・・
内容は、子供が夜中に留守番?だかしてるときに、突然大入道みたいなのが空から飛んできて、
玄関でその子供といろいろ会話をしてうんぬん・・みたいな
何か分かるかた教えてください

24 :
多分、稲垣足穂「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」だろう。
因みに、ンは小字で、「さんもと」と読む。
「文章読本」じゃなく、「小説とは何か」にあるな。
訳知りに書いたが、当の作品を読んだことはないw

25 :
鶴屋南北か?
三島自身が、誰のよりも父の眼を最も意識していたのかもなw

26 :
息子の割腹の知らせを聞いた平岡梓の「若輩者めが!」の大喝と
痰吐きの音が聞こえてきそうだな。
そこに五味康祐の小説に出てくる老忍者や武芸者の老獪さを見るようなw
「用意周到」なのは、むしろ三島ではなく、平岡梓自身だったろう。

27 :
やまんもとだった!
ありがとう

28 :
やまんもとじゃねえさんもとか
とにかくありがとう

29 :
さんもと。

30 :
>>26
何その妄想。お父さんはただひたすら息子の生存を信じて、「介錯」を「介抱」と見間違えたり、
なんとか腹を縫い合わせて助かることを祈ってますよ。

31 :
●韓流ゴリ押しフジテレビを批判した高岡蒼甫が圧力かけられてクビ → 業界追放

まとめ
http://mimizun.com/log/2ch/mnewsplus/1312059375/27-34

韓国のタレントは「日本に原爆落とせ」とか、「東京は我が領土」とか酷い暴言を歌ってるのに、
なんで日本人が韓国のこと悪く言ったら駄目なの!!!
http://www.youtube.com/watch?v=a4ZwwYPogiE
http://www.youtube.com/watch?v=vVLOw55hWXo

フジテレビを許すな! 提供スポンサーの不買運動を!
http://imgcc.naver.jp/kaze/mission/USER/1/2/153032/12497/889x1241x159f956d47e8c7a4a7dcf06.jpg


<韓国・朝鮮系企業>
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mass/1296100668/91

韓流ゴリ押し・捏造フジテレビの主要スポンサー一覧
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mass/1296100668/90

32 :
>>20
その法案に断固反対。
URLにアクセスして署名したいが 規制妨害 されてないか?? 
そのリンク先まで 辿り着けなくされてない?

33 :
これは?
http://www.shomei.tv/project-1300.html

34 :
韓国に竹島を描いた古地図は存在するか: 日韓古地図の比較
http://www.youtube.com/watch?v=_w7wHekOQM8

35 :
をや?(´・ω・`)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1284084841/494
弾道ミサイルに対する迎撃ミサイルが開発されて攻撃力の均衡が成立するという考えに達して
現実にその準備は完了しているわけだが。緊張感に慣れすぎて緊張感を喪失しただけか。

36 :
【特亜に完全支配された日本のTV業界】- 高岡蒼甫は間違っていない!
http://www.youtube.com/watch?v=2qxd3gnyrJE

37 :
その状態で戦争が始まった場合のことをいっているのでしょう。
発射する側に躊躇がなくなって、より危険です。

38 :
>>37>>35宛てです。

39 :
>>37
先進国が途上国を攻撃するに当たって正当な理由になってしまうから、という意味ですか?
三島由紀夫は基本的に反戦論者なんですね。あれだけ酷い目にあわされれば当然ですよね。

40 :
>>39
迎撃できるとなると、最初に打たせるように仕向けたりすることもあるかもしれないから、そういうこともあるかもね。
三島は日本という高い文化の国がなくなることがいやだったから、ただ平和、平和と言って非武装主義の反戦論者とはだいぶ違いますよ。

41 :
はい。
あらゆる国が核武装していく中で、一国だけが核武装をしないということは、国家としての独立性も安全性も脅かされてしまう。
ですが、他人をしてしまうことと、他人にされてしまうことは同じ出来事だと思えてしまいます。どちらも正しい出来事だとは思えない。
疑心暗鬼から他人を害して生きるより、他人に害された方がマシなのか?
非武装主義は他人にされてしまうことを選択してしまってるわけで核武装論者は他人をして生きることを選択してしまっている。
この疑心暗鬼の緊張感は、女である私の理解を超えてしまいます。嫌な現実はシャットアウト。
   (V)∧_∧ (V)
    ヽ(・ω・)ノ  やっぱり国防は男性の役割だな。
.     /  /
    ノ ̄ゝ

42 :
ザリガニさんは男の子かと思ってた。

43 :
スイスのように永世中立であり戦争はしません、そのために
軍事力を強固なものとし徴兵制とする。
単純に考えて、これが理想のようにも思えるのですが。

44 :
武装中立と、スパイ防止法は必要ですね。
なぜスパイ防止法の法案が通らないのか、不思議な国だよ。きっと国会議員そのものにスパイがいるんでしょう。

45 :
あんな無能なスパイなんているだろうか?

46 :
無能だからスパイなんかするんだよ。

47 :
司会(松本徹):三島さんは、どんな印象でしたか。

本野:非常に頭のいい人でした。特に文学に関しては並ぶ者がいない。

六條:それは、誰もが認めてましたね。

(中略)
司会:三島さんは、戦争中でありながら一種の文化言論活動のようなことをやっていますねえ。

本野:それは彼が反抗的気質だったとか、周りの者に動かされてということではなかったと思いますよ、文化とか
言論とかに対して純粋な気持ちがあって、それを学校の中で実現しようとしたら、ストップがかかったという
ことだと思います。(中略)

司会(佐藤秀明):この一連の出来事に関連してだと思いますが、この時期の平岡公威はだいぶ感情が高ぶっていて、
総務部総務幹事を辞めたいと清水先生に手紙でぶちまけています。

六條:そういう手紙が残っているんですか。清水先生とはツーカーでしたからね。僕らには見せない顔を見せて
いたんですかねえ。
司会:(三島は初恋の園子と)学習院の友人の妹として知り合って、手紙のやりとりをするようになり、彼女の
一家は軽井沢に疎開するんです。(中略)そこへ三島が、主人公がですね、訪ねて行くんです。それで旧軽井沢の
ゴルフ場で接吻をすると書かれています。だけど、この恋愛は実らずに終わってしまって、三島はずいぶん
苦しんだようです。だから戦後は、辛い出発をしなければならなかった。

本野:まあ、あの当時でもそういうことはあったでしょうね。これは僕個人のことなのだけれども、一学年下に
黒田っていうのがいたでしょ、黒田一夫。その妹と僕が恋仲になって、だけど彼女が亡くなってしまったんだ。
それはショックでね。昭和二十年頃だったんだけれども。そのとき平岡に話したのかな、よく覚えていないけれども、
彼からお悔やみの手紙をもらったんですよ。なくしてしまったんだけどね、残念なことに。それがことのほか
よい文章でね。自分のことがあったあとだから、ああいう手紙が書けたのかなっていまちょっと思いましたね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

48 :
司会:(三島は)高等科では総務部総務幹事になっていますでしょ。四人の幹事のうちの一人です。集会などで
号令をかけたり、挨拶したり、そういう点では目立っていたのではないですか。

本野:いや、そんな記憶はないですね。目立つということは、彼の場合はほとんどない。

司会:高等科で、さっき話の出たお芝居を書いてますね。それで演出もしている。そういう点では、ある面の
中心的な存在だったのではないですか。

六條:それはね、小説や演劇のこととなれば、彼の右に出る者なんかいないんですよ。その点ではもう別格。
それだけはみんなが一目置いていた。

本野:成績もね、僕らがどんなに勉強しても絶対に一番にはなれなかった。全然違うんですよ、彼の一番は。
記憶力とか理解力とか群を抜いていた。二番を引き離した一番だったんです。ましてや文学に関しては全く
次元が違う。

司会:ということは、性格的にリーダーになるとかいうのではなくて、お芝居となれば、身につけたものや才能で
平岡を据えるのが当然だということになっていたと、こういうことなんですね。

六條:ええ。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

49 :
本野:彼は優れすぎているというか、異なりすぎているということですよ。それで彼は優越感をもつとか
そういうのでなくて、自然に優れていたということでしょうね。
司会:三島の側から言いますと、外務省なり文部省なり社会に出て仕事をしている人たちがいて、自分はもの書き
という特殊な立場にいて、何というかコンプレックスのようなものをもったのではないか。文学者というのは、
本当の意味での一人前の社会人ではないんじゃないかという意識ですね、そういうものがあったのではないか。
本野:彼とは割と簡単に話もできたし、間に垣根があるという感じでもなかったんですよ。でも、彼は自分の
世界を持っていたんですね。
司会:いや、石原慎太郎との違いということにもなるかもしれませんが、実社会の中で何かをするという意識を
ずっともっていたのではないかと思うんです。(中略)
(そして、その)行動が象徴性のレベルになってしまう。芸術家の行動というのは象徴性というところへ
行かざるをえないんじゃないかな。
これは僕自身の気持ちが入っているのですけれども、少年のときから文学の世界を目指して、それで
文学の中でやってきたんですが、いまの歳になると一種の空しさみたいなものを感じるんですよ。実業の世界で
生きている人は、何か世の中に痕跡を残していて、小説家がやってきたことと言えば言葉をただ並べただけだと
いう空しさですね。そんなものが三島にはあったのではないか。空しさをあえて突き抜けてみせるという意志が
あったように思います。
本野:空しいという感じは超越していたと思うなあ。(中略)あれが彼にとって自然な姿だったんじゃないだろうか。
昔彼と話をしていても、全く偉ぶった感じがしない。そのまま別の世界にいるという感じだった。あなたもそうでしょ。
六條:うん、そう。平岡は平岡でしたよ。それでいて我々とは全然違うんだ。それがすごいことだとみんな
感じているんだけれども、学校ではね、そういうことは小さなことだったんです。頭がいいとか、文学をよく
知っているとかは。
本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

50 :
【茂木健一郎と池田大作の往復書簡】: 大槻義彦のページ ―大槻義彦公式ブログ
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-4843.html

51 :
司会:この間、演劇で三島と関わった和久田誠男さんの話を聞いたんですが、宇宙人じゃないかと思ったと
言ってました。会っているときはそうは思わないけれども、家に帰って三島さんのことを思うと宇宙人としか
思えないと言うんです。いまのお話は、そういうところと関係しますね。三島さんのそういう面が現れるのは、
高等科からですか。

六條:そうねえ、中学のときはたわいもない子どもでしたよ。むしろ北条浩の方がずっと弁が立ったし、
理屈っぽかった。

司会:北条さんというのは、創価学会の会長になった人ですね。

六條:ええ、学習院を終えて海兵に行って。北条はよく平岡に食ってかかって、口論というか口喧嘩をしていましたよ。

司会:三島というのは、やっぱり天才と言うしかない人だったと思うのですが、それがどういうところで
形成されたのか、そこが知りたいですね。

六條:それはね、清水先生の感化ですよ、清水先生にもそういうところがあったんです。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

52 :
六條:岩田先生も(三島に)目をかけたでしょうが、岩田先生や佐藤文四郎先生は、清水先生とは違いましたね。
(中略)「輔仁会雑誌」に書いて清水先生に認められ、「文芸文化」に小説を発表することになるのですけれども、
あの清水先生に認められ可愛がられたというのが、大きかったんだと思いますよ。

司会:なるほどねえ。三島由紀夫がいたから清水文雄がいたんじゃなくて、清水先生がいたから三島由紀夫が
いたということですね。

六條:「輔仁会雑誌」に平岡の書いたものが載るでしょ。われわれからすれば平岡のが載るのは当たり前だと
思っていましたよ、平岡もそんなふうでしたよ。だけど、僕らには、彼の書くものが分からないんだ、難しくて(笑)。

司会:清水先生を読者だと思って書いていたんでしょうね。

六條:だから、僕らの前ではひょうひょうとしていましたよ。体が弱かったけれども、コンプレックスなんか
もっていなかったみたいですよ。驕らないし見下しもしないし、卑下している様子もなかった。ひょうひょうとして
当たり前の顔をしていました。
(中略)
司会:中等科から高等科にかけて、四歳年上の東文彦と三島は親しくなります。(中略)(三島は)自分の作品が
くだらないものに思えたとか、そういうことも書いています。だから、自己評価も素直で、また思うように
ならないことにはどんどん愚痴を言うといったタイプだと思っていましたが。

本野:そういう相手もいたんでしょうね。僕らにも愚痴を言ったのかもしれない。でも、愚痴に聞こえなかったんだね。

六條:彼は意志が強かったからねえ。(中略)

本野:それとね、家柄というんでしょうか、彼は普通の家でしょ。やはり華族の子弟との違いというのが
あったように思いますね。彼が優秀な人間だったということを関連づけてみると、そう思います。(中略)
あなた(六條さん)のように京都の古い家柄の華族とはやはり違う。(中略)反面、だけど俺の方ができるぞ
といった気持ちですね、そういうのが三島にもあったんじゃないかと推察します。

司会:それは確かにあっただろうと思います。あったから『春の雪』といった小説が書けたんですね。

本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より

53 :
現実を突きつけても現実から逃避して真実に逃げ込んで、
まとめwikiはほとんどの人が理解できない内容になっていて
アジビラ状態で態度を改めないし反省もしないし意思疎通もできないし
アクロバティックな責任転嫁と精神勝利法を繰り返し世間より一層厳しい
批判に晒されても真実に逃げ込みさえすれば救われてしまうため
現実で救われることがなくそのためますます孤立感を高め
また世間は呆れ返るばかりになり悪質というか稚拙なデマを
振りまいてますます孤立感を高め溜め込んだ鬱憤は内ゲバにて
解消するので絶えず外部に敵が必要なんだ。

54 :
因みに本人らはおそらくデマを撒いてる自覚はなく
それが真実であると確信してしまっている。

55 :
司会(松本徹):(三島は)最初は着物姿で現れたとか。終戦間もなくのあの時期、若い人で着物着ているひとなんか
いなかったでしょうね。

川島:そうですよ、あの時代、講談社の社屋は焼夷弾でね、黒こげになっているんですよ。(中略)そういう時代に
彼は紺絣に袴をはいて来ました。それはちょっと印象的でしたね。

司会:太宰治に会う時、着物を着て懐に匕首を呑んだような気持ちだったと三島は書いてますけど、講談社へ
行くのにもそういう気持ちだったんじゃないですか。

川島:どうですかね。相当緊張してました。
会ったのは僕だけでした。(中略)今日はこういう新人が来るから、頼むよ、と言われて。

司会:(中略)今後いけそうかどうか、見極めようと。

川島:ええまあ、やっぱり違いましたよ、普通の作家とは。僕たち池袋あたりでカストリ焼酎飲んで、檀一雄を
はじめとして、まあ無頼の連中とばかりつき合ってました。ところが、そういう文壇とは関係がない。なんか
スッとした、まあ貴公子っていう言い方はあんまり正確でないけど、何かスカッとした、よそ者が入ってきた。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

56 :
川島:プライベートなことになるけど、三島由紀夫の妹美津子さんっていうのがね、家内の同級生なんですよ。
三輪田高女のね。同級生で親しくしていた。そこでね、三島のお母さんの倭文重さんもまた三輪田出で、遊びに
来るようにって言われてね、何回も遊びに行ったことがある。三島家へですね。三島由紀夫を訪ねるのとは別です。
家内について何回も行ったことがある。

司会(井上隆史):講談社で三島由紀夫の来訪を受けた後ですね。

川島:ええ。そんなことから親近感持つようになった。そして家族ぐるみの付き合いになった。だから僕がね、
馬込の三島家を訪ねると、玄関左手に日本家屋があったんですよ。そこに親爺さんと倭文重さんがいて、僕に
気づくとね、あ、川島、こっちだよって必ず呼ぶの。(中略)今ね、うまい焼酎があるよって。その頃の
焼酎ってのはね、芋焼酎でね(笑)。(中略)

司会:三島が焼酎を飲んだとは聞きませんが。

川島:ええ、息子の方はね、全然ダメ。銀座のエスポワールってとこへ一緒に行ったことあるんです。でもね、
水割り一杯飲んで、真っ赤になってね、大変だった(笑)写真ありますよ、探せば。
川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

57 :
司会:林房雄なんかと、早くから会ってましたね、三島は。

川島:ええ。

司会:川島さんも勿論……。

川島:ええ、会ってます。(中略)林房雄がね、山の中腹に書斎を作ったんですよ。その書斎びらきをするって
いうんでね。三島さんと呼ばれたの。そしたらね、その頃ちょっと忙しかったのかな、途中で帰ってしまった。
そしたらね、三島が帰ったら、花がなくなったよってね、林房雄は酔っぱらって言い出したんだ。じゃああれ呼ぼう、
熊谷久虎という映画監督がいるが、その義理の妹のあれを呼ぼうって。あれは誰だろうと思ってたら、原節子なの(笑)
君ィ迎えにいってこいよっていうからね、地図書いてもらって、(中略)湯上がりの彼女連れて僕は林房雄の
家へ行った。

司会:じゃあ三島は会ってないわけですね、原節子と。

川島:会ってたら、いやあ、どうだったか。

司会:何年頃のことでしたかご記憶ありますか?
『仮面の告白』は出版されていました?

川島:もう出ていた。林房雄は三島をかわいがってますよ。
川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

58 :
司会(山中剛史):川島さんのお仕事では講談社インターナショナルでのものがありますね(英訳版『太陽と鉄』を
見せる)。

司会(佐藤秀明):ああ、インターナショナルに移られたんですね。

川島:これはねえ、(社で)反対が多くてね。カバーの裸の写真はやめてくれっていうんだ。

司会:三島さんは是非ともこれでって……。

川島:ええ。アメリカじゃね、裸の写真こういうふうにするとね、ゲイのね、一つのシンボルになるから、
それだけはやめてくれっ言われたんだけどねえ、「いや、是非ここにこれやってくれ」って(笑)。

司会:いい本ですよ。いい本だ。
中は二色刷りで、お金かかってますよね。

川島:かかってんだよこれ。それで、裏に署名。それが効いてるんだ。
(中略)
司会:帯をするとちょうど褌が隠れるようになってるんですね。

川島:そうそう。隠したんだよ(笑)。

司会:英語の題字も三島の筆ですか。

川島:そうですよ。そちらもどっかにあるんだけど。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

59 :
川島:ある時ね、三島家を訪ねて、一緒に出たら、「川島さん今日はあいてる」っていわれてね、僕は会議が
あるので社に帰らなくちゃといったら、「それじゃいいや、この次にしよう」って。パレスホテルへ送って行くと、
「出来たらあなたと一緒に行きたいんた」って、楯の会だね。

司会:決起の予行演習とか。

川島:いや、一緒に飲むんだって。「川島さんがいると盛り上がるから」って(笑)。僕酒飲みだからね。
彼あまり飲めないから、「代わりに飲んでくれないか」っていうふうに話してたね(笑)。(中略)ああいう時はね、
惜しいんだよな。会社のことなんか別にしてね、三島がそんなこと言うのはあんまりないからね、あの時期にね。
どうして一緒にいかなかったかと悔やまれますけど。まあ人生ってそういうもんだよね(笑)。

司会:最後の別れみたいな、そういうことはありましたか。

川島:いや、別にないですねえ。あれが実はそうだったのかなあ。うん。ただ凄く忙しかったからね、例会とか
なんとかでね。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

60 :
司会:映画「トラ・トラ・トラ!」を見にいこうと誘われたというお話ですが、それも晩年ですか。

川島:そうです。

司会:三島が好きだった戦争映画ですね。

川島:「トラ・トラ・トラ!」はね、楯の会の推薦映画だったの。隊員と一緒に何回もみてるらしいよ。志気を
鼓舞するために。まあ、あの事件も真珠湾攻撃みたいなところがあるからね(笑)。でも、今ねえ、三島由紀夫
みたいのいないもんな。もう全部フラットになっちゃってね。人間ね。

司会:数世紀の間に一人出るかどうかの人ですね。
(中略)
司会:川島さんが親爺さんと意気投合したってのは(笑)。

川島:いやあ、あの親爺とはホントによくつき合った(笑)。

司会:テレビ局や編集の人なんかが来ると、親爺さん見ているわけですよね。親爺さんと言葉を交わして帰る人は
そんなにいなかった。
(中略)
司会:お母さんが、あれだけ早熟な才能を育てたと思うんですが。

川島:やっぱり、原因はお袋じゃないかな、あの親爺よりも。「年取ると段々親爺に似てくるからやだよ」とかって
いってたけど(笑)。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

61 :
司会:ジョン・ネイスンが評伝で、家庭の中のことを結構書いてしまいましたね。あれは、ちょっと平岡家に
とっては、喜ばしくないような……。

川島:喜ばしくない。
ネイスンってのはね、あれ変わった奴だ(笑)。僕は非常に親しくしてて、渋谷の恋文横丁かなにかに連れてったんだ。(中略)
面白い男ですよ。ただ、まあねえ、聞き書きによる取材だから、よく分かってないですよ。

司会:彼は、日本語はよく出来るの?

川島:出来ますよ。僕は会ったときに、落語を一席なんて言うんだあいつ(笑)。その落語がね、なんだかね
「火焔太鼓」じゃなくて、なんか、聞きかじりのやつやって、日本語これだけ出来るんだって誇示してた。
まあよく出来る男ですけどね。でかくて、オートバイ専門で、ホントにアメリカンスタイルね。いい意味でも
悪い意味でも。どうしてんだろうなあ、今。
司会:カリフォルニアのサンタ・バーバラにいるんじゃないですか。
一時映画界に入ってたみたいですけどね。

川島:撃たれ役じゃないんですか(笑)。

川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より

62 :
戦争におけるソビエト軍(ロシア)の残虐性
http://www.tamanegiya.com/rosianozanngyakusei.html
■■■鬼畜強姦民族☆ロシア人【悪魔】■■■
http://mimizun.com/log/2ch/asia/1057052606/

63 :
秋山:(昔から)三島由紀夫の存在は知っていた。早稲田に入る前なんかでも本屋に行けば、「花ざかりの森」を
売っていたからね。これがあの早熟の才能ある者が書いたのかと、あちらこちらの本屋を見てまわった。読みは
しなかった。翻訳本をやらなくちゃいけなかったから、そんなものは読んでいられなかった。
井上(司会):秋山さんはいつ頃から、三島由紀夫に同時代の感覚や接点を感じるようになったのですか?
秋山:言いにくいけど、それはないよ。ないというより、「花ざかりの森」という早熟のタイトル。題が題じゃないか。
そんなかっこいいもの、関係ないと思っていた。
(中略)どこが違うのかと、後になっても感じたことだが、やはり階層が違うということだよ。(はじめて三島と
会ったきっかけは)村松剛や佐伯彰一がいた「批評」という雑誌に、村松に誘われて加わった、その時にね……。
松本(司会):昭和四十年一月ですね。
秋山:そう。なぜか遠藤周作が三島さんの家に連れていってくれた。その時、初めて社会的なことにちょっと
目覚めたんだよ。一月だったし、何か持って行かなくてはと、奮発して煙草の「ケント」をワンカートン買い、
持って行った。ところが遠藤周作と一緒に行ったら、三島さんが玄関で出迎えてくれて。まるで舞台だよ。
遠藤周作は三島に花束を持って来ていて、渡しながらご挨拶なんかしている姿を見て……。
井上:ちょっと違うなと。
秋山:ちょっとどころじゃないよ。持参した煙草は持って帰ってきちゃったよ。はっきりとこれは階層が違うなと。
井上:その時、階層というものをリアルにお感じになったのですか?
秋山:はっきり感じましたよ。西洋の何かを模したような立派な家だしね。特にやってることがさ。遠藤周作も
こんなことやるんだなと。
井上:遠藤周作についての見方も変わったのでは?
秋山:かなり変わりました(笑)。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

64 :
松本:外野席から見ていたわたしたちにとって、秋山さんの登場は非常に鮮やかでした。(中略)
「内部の人間」「想像する自由」(昭和三十八年)を発表されてからの秋山さんの存在感は凄かった。三島も
即座に認めた。
(中略)秋山さんから、三島はかなりの衝撃を受けたのではないかと思います。
秋山:未だによくわからないが、三島由紀夫は私に非常に親切でした。それはなぜだったか、現在でもよくわからない。
松本:なぜ親切だったのか色々と考えたいのですが、一つは、三島由紀夫の「太陽と鉄」(昭和四十年十一月
連載開始)は、秋山さんの仕事の影響があるのではないかと思うのです。(中略)評論かエッセイか小説か、
わからない新しい仕事というのは、秋山さんのほうが先ですよ。秋山さんがすでにやっておられる。そのとき
三島は、「なるほど、これだ」と思ったのではないかと私は思います。
秋山:あそこで文章の波長が共鳴したのかね。そう考えるといいけど、未だにわからない。
私がある時から思っていたのは、もしかすると先ほどの階層の話に繋がるが、階層や絶対的な教養の違いが
あるからね。こちらは正反対の何もわからない奴、というふうに(笑)。
井上:しかし、明らかに三島由紀夫は、人間的な好感を秋山さんに対して持っていたと思うんですね。存在に
対する好感とでもいうものを。
(中略)
秋山:三島さんは最初の頃から、しかるべき外国の作家、作品に手を掛け、自分のものにして進んでゆく。一方、
こちらは何もなく、敗戦を契機に今まで読んできたものを捨てなければならないと思っていた。ただ一つ私が
大切に持っていたのは、志賀直哉だけです。
井上:しかし、三島はそういう秋山さんのことを、なんて言うのかな、セクシーだと思ったんじゃないでしょうか(笑)。
山中(司会):ストイシズムというか、ギリギリのところから出てくる魅力というか……。
秋山:私が考える対象としたのは、道端の石ころ。三島さんはそうじゃないからね。
井上:三島にとってそれが魅力的なんですね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

65 :
秋山:私だけの考えですが、「仮面の告白」は、三島さん自身も説明し難い色々な意味があると思います。つまり、
私も後に、〈私〉という主格を中心にしての連作をやる。(中略)〈私〉という主格が行う人形劇のようなものに
すぎない。そこが「仮面の告白」に似ているのかもしれない。(中略)私は、三島さんの「仮面の告白」を
(「昭和文学ベストテン(小説篇)」)に挙げましたが、私が三島を挙げたことに、他の人は意外だったらしい。
三島さんは凄い人です。物を書くといってもただ書くのではなく、細部の密度、明晰さ、集中力を持って書く。(中略)
松本:「仮面の告白」にも書かれていますが、人間として生きていく資格のない人間だという認識がまず
前提としてある。そして、そこから、どうにかして生きていきたいという時点で、書くという行為が始まる。
これは秋山さんと同じなんですよ。(中略)しかし、お二人の行き先が全く違う。しかし、間違いなくここで
クロスしている。
秋山:私は、あのときから今に至るまで、道端の石ころですよ。今だってそうです。すべてそこに還元される。
三島由紀夫は、やはり特別な人です。つまり、三島由紀夫は主人公なんです。日本の文学者にはあまりいない。
井上:(中略)それぞれ違う道を歩んだ。そのところについてどうお考えになりますか?
秋山:物の考え方ですね。根本の波長が違うのです。三島さんは特別な人だということで、私は時折、中原中也と
比較することがあります。中原中也は、毎日毎日、昼起きて、散歩して、夜に詩を少し書く生活を七、八年続ける。
あの生活の時間の在り方というものは大変なもので、普通の人がそのような生活を送ったら、二、三年で気が
狂ってしまう。それを持ち堪えた中原中也の強さというものは凄い。私は中原中也の詩が心に食い入っているほど
好きですが、一瞬一瞬の生き方が違うと思いました。一瞬一瞬が前後に繋がるのではなく、完結しながらの
一分一時間の密度になっている。そこが三島と重なる。こういう人は、長生きしようとかそういうことではなく、
その都度、完結し、その連続を生きる。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

66 :
一昨日テレビ東京で放送された池上彰の終戦記念番組をみていて気づいたが
楯の会の制服ってあれは皇軍(皇宮警察?)を意識した制服だったんだな。
番組では玉音放送(終戦の是非)をめぐるクーデター未遂が起きてたという話を
当時の皇宮警察の方がきていて話してくれたのだが
まあやっぱり三島は凄いわな。
三島は本物には成れなかったけど本物らしい
役回りを演じてたぶん、いつか伝説的な「本物」として語り継がれるんだろうな。

67 :
>>66
阿南大将の切腹の話とか、玉音放送の前にみんな自決したとか凄い話でしたね。
当時の近衛兵だった人の若い頃の写真が三島由紀夫に似てました。

68 :
秋山:三島や中也、そして信長も、その都度完結する。だから戦争ができる。完結するということは、死と
裏合わせですよ。いつ死んでもいいと思っている。だから奇妙な戦争の仕方ができてしまう。あとは運ですね。
そういったことから考えると、多くの人が言っている信長と違った信長像が立ち上がってくる。
井上:中原中也と信長との繋がりなど普通は連想しませんが、秋山さんのおかげで一点繋がるなと考えさせられます。
中也と三島にしても本質的に相当違うと思いますが、密度の濃さという共通項が挙げられる……。
秋山:本質的には違うでしょうけれど、中原中也も主人公でありたいと思った人です。
(中略)中也と三島を考える上で、間に小林秀雄を入れて考えてもいい。やはり重要なのは出発点です。
中也は(中略)いわゆるランボオなんですよ。
いわゆるランボオに傾倒したら、社会の中の主人公にはなれない。しかし三島の文学はそうではない。ラディゲの
「ドルヂェル伯の舞踏会」などの方面ですから。
(中略)ランボオはいわゆる西洋を変えようということや、不可解なものに手で触るようなところがある。
そういったものを、実は三島も持っている。しかし、そちらへは進まなかった。
井上:どうしてでしょう。ラディゲに触れるのが早過ぎたからでしょうか?
秋山:いやいや。触れる段階の早さではなく、文学に取り組む姿勢の違いでしょう。文学のモデルの違いです。
中原中也の場合、文学のモデルは詩です。ランボオやヴェルレーヌです。三島の場合は小説です。小説は社会、
むろん政治も含んでいる。
あれほど一々のことを管理し決定して小説を書いていた人はいません。実際わかっていて、故意にそのプロセスを
飛ばしたと言えます。だから、所々で恐ろしいことを言っている。それは小説に対する疑いです。中村光夫との
「対談 人間と文学」の中で、小説に登場する〈彼〉という存在の、その〈彼〉に対して、どのような責任を
持つのかと言っていますが、これはそもそも小説の否定です。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

69 :
井上:小説を考えていく上で、それを言ったらおしまいということがあるのですね。なぜ三島は、そういったことを
言ってしまうのでしょう? (中略)
秋山:やはり三島さんは、主人公であることを生きた人だからね。たいへんな主人公になろうとしたのではないか
というのが私の考えです。織田信長と一緒です。(中略)
山中湖の文学館にある原稿などを見ましたが、あのような原稿の書き方をする人はいない。あれはすべて遺品ですよ。
いつ終わってもいいような、完結した原稿になっています。主人公の話に戻りますが、三島は日本あるいは
日本文化の中の主人公になろうとしたのでしょう。
松本:最後のところは、条件付きで賛成してもいい。例えば「日本文学小史」などは、いま秋山さんがおっしゃった
ような意図があったでしょう。日本文学の歴史と自分の文学を一体化させ、さらに先へ進もうとした。(中略)
一番肝心なのは、日本文学全体を考え、それを提示しようとして、三島は死んだんだと捉えることでしょう。
山中:ご自身の仕事に注目していた、そして親切であったという三島の死に直面し、秋山さんは会社をお辞めに
なるほどショックだったとお聞きしましたが。
秋山:ショックどころではなかった。なぜ三島由紀夫が、あれほどまでに私に親切にしてくれたのかわからず、
それに対してきちんと対応していませんでした。今にして思えば、私の「簡単な生活」をペンギンブックスに
収録してくれたことは、たいへん大きなことです。しかし、その時は全く関心がなかった。(中略)外で泥酔して
いたとき、わが家に三島さんが電話をくれた。その電話に家内が出ると、「私は小説家の三島由紀夫です」と
名乗られた。まずそのことに感銘を受けましたね。(中略)電話をすると、「ペンギンブックスの件はちゃんと
済ませてあります」と。三島さんが死ぬ一ヶ月前くらいだったと思います。(中略)同時に収録される埴谷雄高は、
「秋山君、ペンギンブックスの件はどうなったかな?」などと言っていました。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

70 :
井上:三島と埴谷の関係というのは微妙なんですね。
秋山:それが意外ね。
井上:本音がよくわからない。たぶん三島由紀夫は埴谷の考えていることは理解できるが、存在として感覚的に
好きではなかったのではないかという気がします。
しかし、もう少し接点があってもいいと思うのですが。
秋山:いや。対談や批評でも接点はかなりある。三島さんは埴谷のこともよくわかっている。
山中:(中略)同族嫌悪といったような、ある種埴谷に似たところを感じて、わざと避けたということも
あったのではないですかね。
秋山:たしかに似たところも感じていたでしょう。ドストエフスキーの小説でいうならば、埴谷雄高はどこかしら、
地下組織の秘密委員会の委員長のようなところがありますからね。(中略)一方、三島さんも楯の会を組織するしね。
松本:「豊饒の海」のような作品を構想するのには、やはり「死霊」のような小説が前提にあるでしょうね。
あれに対抗する輪廻転生の小説世界を作ってやろうという思いはあったかもしれない。
秋山:これは空想の話になりますが、「死霊」の中にはもう一つの流れがあって、現実に対して悪いことを
考える首猛夫、あれなんか三島さんは好きだったんじゃないかな(笑)。社会の中で悪いことを起こそうなんてね。
しかし、そのようなやり方ではなく、自ら実行しようと思ったのでしょう。三島さんは行動力があったからね。
ただ、今でもわからないが、長篇小説などを書く場合、主人公の意味が二つになる。一つは作品の主人公。
ところが三島さんの場合、現実の自分が主人公。これが素直に繋がるのか、打ち消し合うのか……。
井上:原理的には打ち消し合うはずなんですよね。
秋山:私小説というのは、作者が主人公になっては駄目。ところが三島さんの場合は、作品の主人公ではなく、
現実の中の主人公が強いから。
井上:作品と現実が重なってしまうのは、一つの幻想ですね。しかし、あえてそうした幻想を恐れなかったと
いうところもあるのではないでしょうか。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

71 :
井上:変な喩えですが、デカルトと三島は似ているところがありまして(笑)。つまり、原理的にそれを言っては
おしまいだというところまで相対化し、思考実験でゼロからスタートする。そして自明性というものを棚上げする。
現象学で言うところのエポケーというものを、ある意味でデカルトは徹底的に行うわけですが、三島由紀夫にも
そういうところがあって……。
(中略)
秋山:デカルトを文学として置き換えるならば、あれは宇宙の主人公ですよ。
井上:そうですね。そして、自分ですべてを構成してしまう。
秋山:よく冗談で言われているように、デカルトは宇宙の運動が神の一突きによるとするから、何もしなくても
よいのであれば、神は不在で済ませたかもしれないと。これも主人公です。物を考えるということはどういうことか? 
それは驚くということが第一だとも言う。まったくその通りですね。
山中:すべて疑ったのちに、考えている自己を見出す。コギトですか。
秋山:そして、精神指導の規則や情念論などすべて集約されている。大主人公ですよ。
(中略)
松本:三島の場合、現実の行動によって自分が主人公になれる、とは絶対に思っていなかったと思う。石原慎太郎と
違うところです。石原慎太郎は自分が主人公になり、少なくとも東京都を自分の意図するように整えようという
気持ちがあるけれど、三島は自分にはそれはできないという認識はあったでしょう。それが芸術家であると
いうことなのです。
山中:しかし、芸術家として自分自身が出てくる部分もあるのではないですか?(中略)
井上:石原慎太郎と比較するとよくわかります。慎太郎はアイロニーがなく、三島にはあったという話では
ないですか(笑)。
秋山:そう言われるとそうだけどね。とても言いにくいことだが、三島さんは石原慎太郎なんて小さいと
思ってるんじゃないの(笑)。東京都では、志が小さいからね。
あれくらいじゃな(笑)。(中略)例えば、日本文化というものを背負って歴史小説などを書いていた森鴎外と
いう人はどうだったのでしょう。
松本:鴎外の場合は、「古今集」までは遡りませんね。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

72 :
秋山:喩えとしてはかけ離れていますが、信長はある程度天皇と仲良くやっていこうと思った人です。
松本:信長が天皇とどれだけ向き合ったか知りませんが、三島の場合、天皇を問題にしたのは、あくまで文化の
次元において、日本全体を長大な時間と空間の両面から考えてですね。
秋山:三島さんはそれよりも上に行こうと思ってたのでは?
山中:同一化ではなく、さらに上ですか?
井上:三島は幻想において、源為朝、もっと遡って日本武尊などにも自己同一化しようとしたので、三島にとって
文化的天皇というのは日本武尊の系譜になりますね。そうすることによって、自分の理想の天皇になろうとしたと
いうことはあるのではないでしょうか。現実の天皇よりはるかに上になりますね。
松本:天皇というものは、なろうと思ってなれるものではないし、三島はそのようなことはまったく考えて
いませんね。(中略)普通の人間は絶対に神になれない。三島にしてもそうです。だから、人であり神でもあり得る
希有な存在、天皇に対して、厳しく要求したのです。
(中略)
松本:三島にとって小説は、基本的に少し合わないところがあると思います。(中略)ぴたりと合うのは、
やはり芝居の世界ですね。
井上:しかしどうでしょう。三島はニヒリズムや疎外感といった主題を抱えていたと思うのですが、芝居の世界に
行ってしまえば、そういったテーマを充分に追究できなかったのでは?
(中略)
秋山:三島由紀夫と小説の問題はかなり厄介ですよ。(中略)三島さんは小説に対して非常に難しい考えを
持っているね。
井上:テーマという言い方は適さないかもしれませんが、つまり風船を作れば結び目があり、三島由紀夫という人は、
風船の結び目がどうしても見えてくる人だと思うんですね。その結び目をどう名付けるか。私はニヒリズムと
名付けていますが。(中略)三島が、本気で書いた小説は、この結び目は何なんだ? ということをずっと
考えていたはずで、それはデカルトの主人公の問題と繋がると思うのです。

秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

73 :
秋山:ニヒリズムねえ。
松本:三島にとって小説を書くということは、初期においては自分をどう変えていくかという問題であり、後半は
言語というものをどのように整えるかという問題だった。(中略)
ニヒリズムなんて、今の時代、皆持っていますよ。
井上:人間である以上、皆持っているでしょうね。しかしそれに気づかないふりをしている。だが、三島の場合
「鏡子の家」の中で、青木ヶ原樹海で物が見えなくなるというシーンがありますね。あれは比喩ではなく、
リアリティーだと思うのです。実際の感覚として、あのようなことがあるだろう。あるいは物の意味が解体して
いくというような。
松本:それは、秋山さんが書いておられることでもありますね。意味が失われるというリアリティーね。
井上:人間として我々はニヒリズムを持っていると言っても、意味が解体していくことを、はたして朝から晩まで
感じていられるかどうか。三島という人は感じていただろう。また、例えば、中原中也のような一瞬一瞬完結した
生き方を我々は普通しないと思います。しかし三島は中也とは違う形で、そういった生き方を強いられている。
連続性がその都度途切れるという感覚です。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より

74 :
三島が目指したものが何かと言えばそれは天皇を神の君主とした
日本版ナチスドイツだろうな。
三島はヒトラーさながらの軍人指導者(ヒューラー)になりたかったに違いない。
戦時中の大本営や陸軍といい、それは世界において衰退していた帝国主義の再建であって
ソヴィエトやアメリカがもっとも恐れた事でもあった。
そしてそれは天皇や亡エチオピア皇室のように世界にも
まれに存続してきた国だからこそできたことでもあるだろう。
戦前の日本が目指した大東亜帝国連邦とでも言うべき超国家は
実現こそはしなかったが、日本がこれから歩むべき道というのを明確に差し示したとおもう。
そうして初めて三島の存在が、三島の志(と死)が重要な要素となってくる事だろう。
三島によって大東亜帝国の設計図が完成されたと俺は見ている。

75 :
韓流ごり押しテレビ番組を批判した高岡曹甫が、ある大物芸能関係者にツイッターやブログを閉鎖するように強要されたとか。
すごいねえ、ここはどこの国なんだかわかんないよ。
三島が将来、日本全体が金キロウ(朝鮮人)の人質みたいになるかもしれないとか、遠回しにこっそり書いているけど、
当たってしまったね。

76 :
どうも日本では左翼がフランス革命のような事をしたがってるみたいだね。
同時に東アジア共同体も含めて。
となるとこれは中国の日本解放も兼ねてるのかなと。
中国は将来的に日本も朝鮮も統合して統一共和国でも作る気なのかな?
そうなると祖国防衛隊が必要だね〜

77 :
あと韓国のごり押しで気になった事があって、
2ちゃんねるやネットのあらゆる所で組織的な書き込みを
行う工作員がいるんだが彼らが一方的に韓国非難や朝鮮人差別を
してるんだけどそれがどうも不気味でな。
まあこんだけ韓国にやられてるからね右翼団体が
怒ってそういうことをやっていても全然不思議じゃないんだけど
もし左翼や在日の自演だったらこれほど怖いものは無いわけだよ。
もしほんとに被差別で逆手をとられてあらゆる人権法案や資本、
あるいは市民の党や創価などの団体によってかつての
ドイツで起こったユダヤ人によるドイツ支配のような状態に
なったらね、ほんとに日本は混乱に陥るだろうね。

78 :
最近こういう事例が多い。
敵の文化を貶めるのは情報戦では常套手段だからな。
まったく嫌になるよ。
我々もそろそろ心に刀を持ち直し立ち向かって
ゆかなければならないのかな。
84 名無しでいいとも! sage 2011/08/18(木) 17:54:53.57 ID:fqN2qeAr
フジテレビと肩を並べるほどの反日企業で有名なライオン
 バルサンのCMがネット上で大炎上 
http://news.biglobe.ne.jp/topics/trend/0818/20698.html

79 :
>>77
自作自演で被害者ぶるのがサヨクの一つの有力手段になってると三島由紀夫も警告してますね。
ヘルメットに赤チン仕掛けて血が出たかのようにしたりとか。
チマチョゴリ切り裂き自作自演もあるし、まったくねえ…

80 :
松本(司会):(憂国の)音楽はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」でしたね?
藤井:はい。
音楽の打ち合せをした時、レコードを聞きながら三島さんがストップウォッチで計るわけですよ。で、「音楽を
どこから流すんだ」、「ここから流しちゃおう」ということになりまして、(中略)麗子はこういう姿勢でいて、
こういうふうに動く……、ってありますね。そこへ音楽を同時に流すわけですよ。するとピタッと合うわけです。
井上(司会):偶然、象徴的に合うわけですね。
藤井:例えば麗子が夫の帰宅の気配に気がついて振り向いたところで、牧笛が軍隊のラッパのように聞こえるんです。
シーン15です。皆びっくりしてね。神がかりだって。「ええっ!」って素直に子供みたいに喜んだ。あれは
三島さんな芝居したんじゃないかと思ったほどでしたよ。
井上:う〜ん、可能性としてあるかもしれませんねぇ。
藤井:いや、やっぱり芝居じゃないんですよ。ある種のフロックだと思います。
(中略)
井上:能舞台のようなセットに、「トリスタンとイゾルデ」という組み合わせが独特ですね。
藤井:ワーグナーは三島さんが最初から使いたかった。
井上:外国で上演するということを意識して?
藤井:いや、そうじゃないと思いますね。あの人はね、もともと外国人に見せようなんて思っていなかった。
はじめ「16ミリでやる」と言っていたので、僕は「やるんだったら35ミリでやりましょう。一般の劇場で上映できるし、
外国の映画祭にも出せるじゃないですか」と言った。それまで三島さんはそういうことを考えてなかった。
いわゆる短いプライベートフィルムを作るのが、小説家とかいろんな人たちのあいだで当時流行っていたんです。
それがベースにあったかもしれませんが、しかし、道楽でやるんじゃないと、三島さんは最初から言っていましたね。
そこで、「あなたの原作、脚本、製作、監督、主演でなきゃ商売になりません」と言ったんですよ。三島さんも
納得してくれました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

81 :
藤井:(憂国は)最初はブニュエルの『小間使の日記』と二本立てでしたからね。これもいい映画でした。
(中略)
山中(司会):ブニュエルと一緒にカップリングしてやるということに対して、三島が何か言っていたことは
ありますか?
藤井:いや、特にないですよ。(中略)
三島さんはね、例えば市川雷蔵の『眠狂四郎』とか勝新太郎の『座頭市』とか、高倉健の任侠ものとかとの
二本立てが出来ないか、というのが第一希望だったんですよ。「俺は芸術映画と一緒にやるというのは嫌いだ」
って言ってた。
井上:それは面白い話ですね(笑)。
藤井:この組み合わせは三島さんの意図に反しているんです。だから三島さんはATGでやりたくなかったんです。
だけど当時は二本立てが普通で、例えば『眠狂四郎』と『座頭市』をやる時に、どっちかを外して『憂国』では、
劇場が買わないんです。(中略)そうしたら、川喜多かしこさんが「洋画と組んだ方が良いんじゃないですか」と
言って下さった。
(中略)
藤井:話は前後しますが映画が出来た時に、三島さんが「内緒で一般のお客さんに見せてくれ」と言うんですよ。
「飲み屋のおばさんとかそこらにいるあんちゃんとかそういう人たちを集めて」って。
それでね、(中略)新宿に「十和田」という、有名な飲み屋がありましてね。(中略)女将さんと、ごく普通の
町の人たちに見せたんです。十五、六人いたかな。終わったら、女将が言うんですよ、「どうして日本の音楽を
使わなかったの?」って。(中略)そしたら、バーンスタインが東京に来た時、東宝の試写会でこっそり『憂国』を
見せたら、同じことを彼が聞くんです。「一つだけ君に質問がある」って、三島さんがいないところで私に聞いた。
「なぜワーグナーを使ったの? どうして日本の音楽を使わなかったの?」って。僕は新宿の飲み屋のおばさんを
思い出した。映画もわからないし、音楽もわからないんだけれども、巨匠と同じことを奇しくも言ったのは
不思議だなぁと。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

82 :
佐藤(司会):『憂国』という映画は、最初は漠然としたプランから始まって、ATGで大成功するまで大きく
膨らみましたね。
藤井:僕もプロとして真剣にやった。単に嬉しがって一緒になって道楽映画をやってたら、「お前何やっているんだ」
ということになって、会社を首になってますよ(笑)。スタッフも内緒で呼んだわけですからね。会社の誰も
知らなかったですよ。
(中略)
松本:(大映社長の)永田さんに叱られませんでした?
藤井:言われましたよ。「お前が今度やる時は俺にちゃんと言ってからにしろ」って。
松本:それだけで済んで良かったですね。
藤井:永田雅一は三島由紀夫の大ファンなんですよ。永田さんは学校もちゃんと出てないし、田中角栄とか
ああいうタイプなんです。(中略)二十八歳くらいで第一映画というのを作ってますが、今じゃ想像できないくらい、
才能というんですかね、それがあったんですよ。(中略)そういう永田雅一にしてみれば三島由紀夫は凄い存在。
若くしてデビューしてあれだけ売れまくった小説家というのは永田雅一にしてみれば天才だ。
だから、別の時ですけど、市川崑さんと僕がフランスへ合作の仕事で行くことになりましてね。三島さんが
講談社の榎本昌治さんと一緒に送りに来てくれたんですよ。その時永田雅一も羽田に来ていました。僕を送りに
来たんじゃないですよ。たまたま国内線で飛ぶために羽田へ来たんです。そうしたら三島さんがいるんで、僕に
向かって、「お前のために天下の三島由紀夫が来るわけがないだろう」って言って、「三島由紀夫が何故ここへ
来てくれたか、わかっているか?」って訊ねるんですよ。「社長、送りに来てくれたんです」って答えたら、
「お前を送りに来たんじゃなくて、お前が大映の人間だから来たんだ」って。
山中:嫉妬しているわけですね(笑)。
藤井:猛烈にやきもち焼いてる。「お前、誰に月給貰っているんだ」、「あなたに貰っている」、「俺が社長を
やっている大映にいるから、三島がお前を送りに来た。だから俺に感謝しろ」って。しょうがないから、
「どうもありがとうございました」って言った(笑)。三島さんは、よく永田雅一の真似をしては、まわりを
笑わせていました。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

83 :
井上:『からっ風野郎』の時はいかがでしたか。
藤井:『からっ風野郎』の時は、講談社の榎本昌治さんが、僕に「三島の映画やらないか」と言ったんですよ。
「監督? 主演?」って訊ねたら、「馬鹿。主演だ」って言うから、「あ、そう? で、何やるの?」。そうしたら、
「何でも良い」って。(中略)
松本:映画は榎本さんの発想なんですか?
藤井:いやいや、三島さん。
松本:三島さんがそんなに望んでいたんですか?
藤井:ええ。
松本:日活の『不道徳教育講座』にちょっと出てますね。あれがきっかけですか?
藤井:いや、その前からですよ。
松本:何で三島さんは、そんなに望んでいたんでしょうね?
藤井:やっぱり映画に出たかったんじゃないですか(笑)。自分が監督するんじゃなくて、要するに、役者とか
俳優としてですね。
佐藤:その前に『鏡子の家』の映画化の話がありましたでしょう? 大映で。それがいつの間にか『からっ風野郎』の
主演の話になってきますね?
井上:『鏡子の家』を市川崑監督でやると、「スポーツニッポン」が報じてますね。
藤井:市川崑さんが『炎上』をやりましたでしょう。傑作だと思うんですけど、市川さんもあれから三島由紀夫に
注目するようになったんです。『鏡子の家』は、雑誌「声」に冒頭部分が載った時から目をつけていて、本に
なると同時に、市川さんに話しました。やる、と言ってくれたんで、永田雅一に、三島さんが書き下ろしの大作を
出したので、市川監督でどうですかと言ったら、それ以上何んにも聞かなくて、「乗った!」って言うんですよ。
会議できめなきゃいけないのに、もうそれで決まっちゃった。そんな時に、主演の話を榎本が持ってきたんですよ。
『鏡子の家』とは関係なく。つまり、三島由紀夫原作の映画化と、三島由紀夫というスターの主演映画が、運悪く
バッティングしてしまった。それで『鏡子の家』のほうが後回しになっちゃったんです。
井上:そういうシチュエーションがあったのですか。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

84 :
松本:脚本はどうでした?
藤井:最初はね、「白坂依志夫でやろう」って言っていた。白坂は、『永すぎた春』でも脚本を書いたし、
三島さんともお互いとてもよく知っているんですよ。(中略)二人は話していて、「インテリをやりたくないん
だったら、じゃあ競馬の騎手をやろう」ってことになった。三島さんの体型って割と小柄だし、良かったんですよね。
それでね、「凄い名馬に乗る競馬の騎手が、八百長をやる話」に、三島さんも乗ったわけなんです。それで脚本を
作って、(中略)この時は重役も皆参加して本読みをやった。脚本を読むと、割とよく出来ていたんですよ。
八百長やって最後にカムバックするんですけど、ゴールインした時に死んでしまう話で三島さんにぴったり。
そしたら、永田雅一がですね、「お前何考えているんだ!」って怒り出したんですね。「俺を何だと思っているんだ。
俺は中央競馬の馬主会の会長だっ!」って。「中央競馬が八百長だって、そんなのは絶対できない!」って(笑)。
佐藤:でも、これ実現していたら良かったでしょうね。
井上:しかし、大映の他に日活とか松竹に話は?
藤井:三島さんは、仁義のかたい人だから、そんな軽々しいことはしませんよ。だけど、三島さんは映画のために
二ヶ月もスケジュールを空けているわけですからね。それで「弱かったなぁ」と思った。「とにかく考え直そう」と
いうことになって、フッと思いついたのが、菊島隆三さんが石原裕次郎に当てて書いた脚本があったんですよ。
僕は菊島隆三と親しかったから、すぐに電話して、(中略)「どこにも売ってないですね」って念をおしたら、
「売ってない」って。(中略)そして、菊島さんのところに三島さんとすっ飛んで行って、その場で読んだんですよ、
脚本を。三島さんは「やる! これでいきましょう。」って言った。これが原型なんですよ。それをまた
増村(監督)が直したわけです。三島さんは増村が言う通りにやって良かったわけですよ。(中略)二代目だけど、
気が弱くて、腕力がなくて、組の存続も危ぶまれる、気がいい男。そういう風に全部変えちゃったわけ。あれは、
やっぱり増村の凄いところですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

85 :
  記
1.日時:  8月24日(水)18:30〜20:30(受付開始は18:00)
2.会場:  中野サンプラザ8F研修室 六番研修室
       (JR中野駅北口徒歩1分)
3.テ−マ: 三島由紀夫と「わが友ヒトラ−」
4.講師:  後藤修一氏 (当会会員、ドイツ現代史研究家)
5.内容:  後藤修一氏はドイツ現代史とくにナチス・ドイツの研究家として著名であり、氏が高校生であった昭和44年に初演された三島由紀夫の戯曲「わが友ヒトラ−」の
時代考証に携わって以来、今年公演された蜷川幸雄演出版にいたるまでずっと本戯曲とかかわってこられました。
生前の三島由紀夫氏との交流からこの戯曲とのかかわり、そして本作品の時代背景である1930年代のナチスによる権力掌握期など後藤氏の専門知識を駆使して縦横に語って頂くものです。
必ずや興味あるお話が伺えるものと期待されます。また参加者からの質問、意見等歓迎。
6.会場分担金: お一人千円
7.その他: 尚、例会終了後懇親会を予定しております。(会費お一人三千円程度)

86 :
松本:だけど、『からっ風』の三島には、どこか借りてきた猫のようなところがありますね。
藤井:その点、『人斬り』は文句のつけようかないでしょう。
松本:そうですそうです。あの存在感は見事ですね。
藤井:もうぴったりです。一本やっているからキャリアが違うっていうかな(笑)。
山中:『人斬り』の時は藤井さんがマネージャーみたいなことをなさってたんですか?
藤井:勝新太郎がまだ大映にいて、(中略)僕はその頃企画部長やっていた。勝が僕にね、「ちょっと頼みが
あるんだけどさ、三島さんに出て貰えない?」とか言うんですよ。
松本:五社監督からじゃなかったんですね。
藤井:ええ。それで「何やるの?」って聞いたら、「人斬り新兵衛だ」って言った。僕はね、一発で出ると思った、
三島さんは。だけど、少し勿体つけなきゃいけない、マネージャーとしては。そこで「勝さん、それはわかんないよ」
と言った(笑)。(中略)で、三島さんに「こういう話が来ているんですけどね」と言ったら、「俺やるよ」って、
やっぱり一発で決まった。
三島さんは、「この田中新兵衛なら絶対にやる!」って言うんですよ。で、勝さんに、「この間、話したら、
三島さんは、やっても良いと言っているけど」と伝えたら、「会わせてくれ」って。勝もとっても喜んで
くれました。(中略)
松本:三島さんは勝さんの演技に全面的に支えられている感じですね。それが見ていて、気持ちよかった。
藤井:そうですね。それで、(中略)京都の撮影所まで行く。そうしたらね、勝新太郎がね。京都駅のホームまで
迎えに来ているんですよ。で、自分の車で、自分の運転で、都ホテルへ送ってくれて、「それじゃ、三島さん
明朝何時に撮影所で」って言う。その時、「テープにもう入れてある」って言うんですよ。三島さんの台詞と
勝の受けの台詞と両方を。次の日に行って、僕がテープを聴きますとね、勝が一々全部フォローしてくれて
いるんですよ。「ここはこう言った方が良い」とか。
佐藤:三島は、勝新太郎に随分世話になったとか、面倒見てもらったとか書いていますけど、そういうこと
だったんですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

87 :
藤井:それで、セットに入って、宣伝用の撮影にかかったら、当時日本で一番有名なキャメラマンの宮川一夫さんがね、
ふらっと入ってきたんですよ。「あれ宮川さんどうしたの?」って言ったら、「三島さんと君が来ているというから、
俺、応援に来たんだ」って。それで天下の宮川さんが、三島さんのメイクをチェックしてくれるんです。すると、
スタッフの気持ちが全然違ってくるんですよ。宮川さんが三島由紀夫のためにここへ来てくれている。それは
異例のことです。それでいてね、三島さんっていう人は勉強家ですから、都ホテルに戻って「明日は撮影所に
十時」とか予定を確認するでしょ。そうするとね、荷物をポンと机の上に置く。原稿用紙と『椿説弓張月』の本です。
(中略)もう撮影所へ来たんだからそっちの方へ頭が行くのかと思うと、そうじゃないんですね。夜の何時頃からに
なると、『椿説弓張月』に取りかかる。その時は『人斬り』じゃないんですよ。そして、朝起きると、また
大スターになっているんです。
井上:たとえば昭和四十四年の六月七日は京都で『人斬り』のラッシュを見てから、帝劇に駆けつけて
『癩王のテラス』の稽古はじめをして、翌日は楯の会の六月例会です。次の九日は楯の会の活動をやって、十日は
『椿説弓張月』のスタッフ会議、こういう感じですね。動き回っている。
佐藤:切り替えと集中力が凄いですね。
藤井:凄いですね。ちょっと真似できないですよ。
佐藤:それでどうなんですか、実物は。色んな人が書いてますけど、やっぱりあたりを払うような存在感がある?
藤井:それはあるんじゃないですか。
佐藤:そういうのと、映画の銀幕に乗るのとは関係があるんでしょうか? つまり、スターと呼ばれる人は、
もうそこにいるだけで、何かオーラを発していて、それが銀幕に自然に現われるものなんですかね?
藤井:やっぱりね、三島さんは大スターなんですよ。
佐藤:『人斬り』の宣伝写真で、仲代達矢、勝新太郎、石原裕次郎と四人で並ぶけど、負けてないですね。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

88 :
映画の話で質問ですが三島さんは香港映画のブルース・リー
とかご存知だったのでしょうか?

89 :
それから、音楽の話で紀元2600年祝賀曲というのが作られてるのを最近知った。
こういうのはすごく名誉ある事だと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E7%B4%802600%E5%B9%B4%E5%A5%89%E7%A5%9D%E6%9B%B2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%85%AD%E7%99%BE%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E8%A1%8C%E4%BA%8B
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%85%AD%E7%99%BE%E5%B9%B4

90 :
>>88
「燃えよドラゴン」の日本公開が73年だから三島亡き後ですね。
三島がリーの映画を観ていたらどんな感想をもっていたか。
ちょっと残念ですわ。

91 :
座頭市とか高倉健の任侠物が好きな三島由紀夫だから、多分、ブルース・リーも夢中になっていた可能性大だと思う。
あの筋肉質で小柄なリーに自分を重ね、ヌンチャクもやりそうな勢いで(笑)

92 :
子宮頚がん予防ワクチンは「民族根絶やしワクチン」
http://blogs.yahoo.co.jp/yasu_okudo001/50937965.html

93 :
>>91
私もそう思います。
なんというか三島好みですよね、リーは。
文句なしにカッコいいからw

94 :
顎の細い面長。顔立ちも似ているような。。。
これからは君、剣道より空手だよ、とか言って、
実際稽古始めたりしたかもw

95 :
>>94
空手はすでに好きだったみたいよ。空手大会に毎回推薦文寄せてたみたいだから。
きっとヌンチャクは絶対にやったし、リーにも会いに行っただろうね。
あわよくば、エキストラで端役で出してもらおうとか希望を抱きながら(笑)

96 :
池田整治の「マインドコントロール2 今そこにある情報汚染」が販売停止
http://d.hatena.ne.jp/memeadiction/20110426/1303777493

97 :
リーと三島の競演映画はあっただろうね。
そういう意味ではジェットリーと中村しどうの競演した
割と新しい映画があるんだけど、あんな感じにもなったのかなと。

98 :
そういえば中村獅童って、雰囲気が三島由紀夫とちょっと似てるね。
映画Mishimaの役ができそうな感じ。

99 :
松本:『からっ風野郎』の時と全然違うんじゃないですか?(中略)
藤井:全然違いますね。やっぱり一本通して主役をやると、違ってきます。それに『人斬り』のようにゲストとして
出る場合は、気が楽なんです。おまけに五社英雄さんは、増村みたいにがんがん言わない、まっしぐらには
来ないんですよ。おだてあげておいて、「はい、じゃあこのシーン行きましょう!」と。三島さんがとっても
ハッピーになったところで、バーンとやる。切腹するところでもね、三島さんはね、ボディビルで鍛えてるから、
腹筋が動くんですよ。三島さんがこう動かすでしょ。すると、スタッフが「三島さん、もういっぺんやって!」
とか言うとね、喜んじゃって、また見せてくれるんです。もうリラックスしていて、それで撮影するわけですよ。
外へ出ると、今度は「三島さん、居合いをやってよ!」と勝が言うんです。すると本気でやるんですよ。うまいんです。
そうすると勝がね、「でも、あんまり強そうじゃないな」とか「手を切らなきゃいいけどな」なんて、からかう。
僕は心配して見ているんですけど、本当にうまいんですよ。
井上:三島は非常にご機嫌でしたね、『人斬り』のロケの時は。
藤井:それでね、五社さんが何かに書いてましたけど、名古屋かどこかにキャンペーンに行くんですよ、京都から。
佐藤:帰る時ですね。
藤井:三島さんは仕事で東京へ帰らなきゃいけない。五社さんや勝新太郎は名古屋でキャンペーンがある。で、
名古屋駅で三島さん一人を残して、「じゃあ」って別れて新幹線を降りた途端に、三島さんはこうスチールを
取り出して見るんですよ、嬉しそうな顔して。それをね、新幹線の窓の外から勝や五社が見ている。そういうところは、
何て言うんですかね、やっぱり大物なんですよ。僕らだったら、「あいつらがちょろちょろしていて見られたら
沽券にかかわるから、名古屋を発車して五分くらい経ってから見よう」なんて思いますよね。しかし三島さんは
すぐに見る。
井上:見たくなって、もう我慢できなくなって見ちゃう。
藤井:それが子供のように可愛く映ると、五社さんが書いている。

藤井浩明「映画製作の現場から」より

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45: ☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part32 (863)
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47: チャールズ・ディケンズ (414)
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