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2011年12月1期日本史33: 【名門】庄屋・名主・本陣・郷士【富裕】 (698)
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【名門】庄屋・名主・本陣・郷士【富裕】
- 1 :11/09/17 〜 最終レス :11/12/03
- 金もあり名誉もあり、はたまた苗字帯刀など特権もある。
外見は二本差しに雪駄を履き絹服を着、屋敷は塀はあり門あり
玄関、書院造。傍から見ればどこの殿様か上士か?
しかし、身分は徒歩より下・・・が、家の歴史、プライドは
下手な侍には負けない。
語りましょう。
- 2 :
- 大部分の郷士は足軽、浪人程度の身分だが、徒歩より上層のもいそう
- 3 :
- ttp://ja.wikipedia.org/wiki/本陣
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/郷士
- 4 :
- 藩領天領等で扱いが異なるが概ね大庄屋、本陣は苗字帯刀を許され
庄屋も長く勤めた人物や世襲した家は概ね認められてるぽい
(特権が無ければ庄屋の意味が無いとも)
また郷士については自称等あるのでなんとも
忘れてはならないのは御用商人かな
- 5 :
- 苗字帯刀
ttp://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/history/1059398495/
苗字帯刀Part2
ttp://logsoku.com/thread/academy4.2ch.net/history/1143035977/
苗字帯刀Part3
ttp://unkar.org/r/history/1206605722
苗字帯刀Part4
ttp://unkar.org/r/history/1220137047
- 6 :
- ■□■漏れの先祖は庄屋様!■□■
ttp://logsoku.com/thread/academy2.2ch.net/history/1059398904/
士族になれなかった先祖の愚痴を語るスレ
ttp://unkar.org/r/history/1126953595
【家柄】 庄屋 VS 下級武士【対決】
ttp://mimizun.com/log/2ch/history/1213688343/
江戸の名主・庄屋を語るスレ
ttp://mimizun.com/log/2ch/history/1092035570/
- 7 :
-
江戸時代に苗字帯刀を許された階級 ■パート2
ttp://mimizun.com/log/2ch/rights/1042215517/
- 8 :
- 江戸時代の農民は名字を使っていなかった
ttp://read2ch.com/r/history/1224597444/?f=t
- 9 :
- 享和元年(1801)の御触書
領主によって苗字帯刀を許された庶民は
(1)郷士のように由緒あって以前から許されていたもの
(2)奇特な行為によって褒賞として新たに許されたもの
(3)町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄によるもの
- 10 :
- 郷士の士族編入について
ttp://www.geocities.jp/mimuro0321/syakaiseido.html
- 11 :
- 僭称郷士と庄屋層の違いがいまいちわからない。
- 12 :
- 古文書に「帯刀御免」と記入されていれば帯刀を許されていたと
考えて良いのでせうか?。
- 13 :
- なんの古文書かによる。
- 14 :
- 個別的に家又は主に個人に対して許されるわけだが>>9のお触書が出ていれば
庄屋などに付いていれば苗字帯刀しても文句は言われないだろうが積極的に
帯刀するかと言えば疑問が残るね
- 15 :
- 苗字帯刀の庄屋も実際に帯刀するのは式事の時のみだよ
- 16 :
- 漏れの先祖は庄屋でしたが地区の大庄屋が藩の担当武士宛てに作成した
「●●藩旧家由緒書」と言う書物の中に「今般被仰渡候 相続の分明仕候者書上帳」と言う
項目の中に庄屋職を務めた先祖代々の説明文の中に書いて有りました。
- 17 :
- >>15前にテレビでやっていたけど武士も役目のときは二本差しで家来を引き連れていくが
ちょっと野暮用で近所へって時は丸腰or脇差程度だったかもしれないって。
ただ、丸腰のとき切られたら改易だろうから・・・どうすんだろうね?
- 18 :
-
丸腰は無い筈。適塾でも刀を取り上げられると外出できなくて困った
という話がある。また竹光を帯びた死体は非人に下げ渡されるという
- 19 :
- 野暮用と塾に行くときは違うだろ。
- 20 :
- >>19
不良生徒を(塾から外へ)遊びに出られないようにするという話です
- 21 :
- 武士が従僕を連れず単独で外出する際は深網笠か覆面、下級武士なら手ぬぐいで頬かむりが常識的な装いだが、
当然両刀を帯び、室内では大刀を預け脇差しのみ。ただし時代や地域差もあるかもしれない。
福沢諭吉は豊前中津の部屋住時代、着流しに大小指して頬かむりをして焼酎を買いに行っていたとの事。
- 22 :
- >>17
そのテレビは所詮・・・かもしれないレベルの話だね
- 23 :
- でも丸腰で襲われたりして藩から士道忘却とか咎められた武士の記録もあるようだから人によっては丸腰で外出もあったかもね。
- 24 :
- >>23
だから常識からすれば無腰は異常な状態であって、決して無いとか
ありえないとか言ってるわけではない。無駄話はやめようよ。
何を好き好んで家名断絶の危険を冒すわけ?
- 25 :
- 気のゆるみ、士風の荒廃でしょ?
- 26 :
- >>19
塾に行く?適塾って寄宿制だろ?
その辺の進学塾じゃないんだからw
ひょっとしてそんな基本的な事も知らない歴史に疎いやつなの?
- 27 :
- そんなに人を無意味に罵倒しない。
- 28 :
- >9はそれまで個別的に許可を出していたけど以後は役柄に付いていれば苗字帯刀
しても差し支えないということ?
苗字系の本に良く引用されてるんですが漠然としすぎていてわかり難いですね
- 29 :
- 漏れの父方の先祖は一応農民と聞いています。
農民なので唯一の公的資料の土地台帳も有りましたので取得しますた。
それ以外は有るか否か判りません。
先祖代々の位牌の中の墓誌を見ると全員に苗字が有りますた。
下の名前は四昴右門、仁兵衛、権右門、仁右門、甚平政常、卯太郎等です。
取得出来た最古の除籍謄本の当主は漏れの地元では結構有名な武士の分家の
娘を嫁に貰っています。
名前の最後に〜門、〜衛は小作人農民では無く庄屋だったのではないかと
漏れは思っていますが、間違っていますか?。
(郷土の庄屋の資料に漏れの苗字は今だ発見していません。)
- 30 :
-
>>名前の最後に〜門、〜衛は小作人農民では無く庄屋だったのではないかと
間違ってますね
- 31 :
- 間違っています?。
ショボ〜ン。
- 32 :
-
私が在所の金石文(墓碑・道しるべ・庚申塔など)で確認したところ
苗字付は当たり前、〜門、〜衛はごくごく普通の農家、諱付は無し。
名主だけは院号付でした。あくまで金石だけで、紙史料などは確認しておりません。
ちなみに天領
- 33 :
-
>>32 に補足しますが、神社に奉納した額には諱付のものがあります
もちろん全て百姓身分の者たちです
- 34 :
- 例えば名前(記述)、享年、 戒名をカキコします
1)●●仁右門 宝暦5年10月13日 奏仙院霜誉細居士
1)●●仁右門女子 安永3年04月06日 天光院員誉智教信女
上記2人は漏れの先祖ですが、
かなり良い戒名を貰ってると思うのですが?。
- 35 :
- >>34
上の戒名は(文字数的に)明らかに間違っていると思われる。要確認
- 36 :
- 宗派によって字数は変わる
院がついてるのに信女とかだと浄土真宗だな
- 37 :
-
ふつうに浄土宗だらう
- 38 :
- 戒名の中に誉れ(ほまれ)の文字が入っていると浄土宗です。
済みません、タイプミスですた。
(誤)奏仙院霜誉細居士 → (正)泰仙院霜譽紅細居士
(誤)天光院員誉智教信女→ (正) 天光院員譽智教信女
- 39 :
-
江戸時代から代々院号付なら、上のほうと言えるだろう
ただし寄進によって格上げされた可能性もあるから要注意
わが家は明治時代の当主が菩提寺に貢献したので、遡って
歴代ワンランク・アップしたことが資料上確認できる
- 40 :
- まあ、それは武士でもそうだけどね。追贈って言うんだっけ?
江戸初期に居士号だった旗本が後期に先祖に院殿号とか・・・
江戸初期は居士自体が珍しくて禅定門とかが一般的かな?
- 41 :
- 庄屋は門塀玄関書院造りが許されていたそうですが広さや高さにも制限はあったのでしょうか?
家老より広い家じゃまずいとか?
- 42 :
- そりゃ、お布施次第だろうけど。大藩の家老の屋敷より大きいのは考えにくいけど
小中藩の家老より庄屋宅のほうが圧倒的に広いだろ。役割が違うからね
年貢米とかもおかなくてはならないし・・・郷屋敷ってのもあったらしいがけどね
- 43 :
- 郷士と庄屋の違いが良くわからない。制度として郷士を各地において国境の警備を
させたい場合は郷士=武士、庄屋=農民という括りはまあ理解出来るが
帰農してに引きこもった場合は大地主ではあるのだろうが藩から見れば
唯の農民では?
- 44 :
- >>43
郷士とかは 各藩で制度が違うから
全くない藩もあるのでは
- 45 :
- 地元の藩には郷士制度はなかったみたい
代わりの制度的なものはあったが、御用銀で決まってたみたい
- 46 :
- 制度が無い藩にも郷士は存在する。藩が認めるか認めないかの差だが
どこまで認めるかも様々
- 47 :
- 藩が認めていないなら
単に名字帯刀を許された農民にならないか
- 48 :
- うーん、慣例的にだか?帰農した武士を郷士と呼ぶらしくて
藩的には唯の農民の庄屋に過ぎない家が、その由緒を持って’郷士’と名乗
もしくは云われているんだよね。
ウキとか見ると苗字帯刀を許された農民は郷士には入れてはいないのだが
郷土史を紐解くとそう単純に区分けは出来ない。また、江戸期から興隆した家でも
偽文書等作成して郷士と時間をかけて認識させていった家もある。
いまいちよく分からない
- 49 :
- 別のスレで名主=百姓みたいに書いてあったが
それも一概ではないんでしょう?
うちの先祖は平安時代に寺社を建立したらしいが
江戸期には名主を兼任していたという。
- 50 :
-
為政者側から見たら、牢人→土着→農民でしょ。
ただ元牢人側から言えば、ただの農民じゃプライドが保てないから
郷士とか自称するわけで
- 51 :
- 帰農法
- 52 :
- >>49
名主=百姓でしょ、100%
名主の内、一部だけが苗字だけ認められたり、苗字・帯刀を許されたり
家系図持ってようが、蔵に甲冑をしまってようが、藩の分限帳に載ってなきゃ百姓だよ
- 53 :
- ですから農民階層の“長”っていうことなんでしょうね。
ところで私が住んでいる地域は名主の子孫が今でもふんぞり返って威張っいますよ〜。
- 54 :
- 名主の子孫と言ったところで、大したご利益は無いけどな。
村での寄付金集めとかだと、「○○さん家は昔名主やってたんだから」と
いつも筆頭に、しかも他の家より高額な寄付金を期待されるし、
「昔からそうっだ」とお祭の時や寄合と称して、時折座敷を開放して酒肴を振舞ったりと大変。
- 55 :
- 郷士で有名なのが、土佐の郷士と新撰組が宿所とした八木家
土佐は制度として郷士があったけど、八木家とか実際どうだったんだろ
- 56 :
- >>52
江戸時代には士族や農民以外にも様々な職業があった訳で
近世の名主に様々な職業の名主がいても不思議ではない。
- 57 :
- 町名主は町人身分すよね、
でも、村方の名主は、例え網元でも造り酒屋でも百姓身分でないの?
郷士に取り立てられたら、息子や分家が名主を勤めるとしても、
彼自身は名主役は兼帯出来なかったような。
詳しい人教えて。
- 58 :
- >>52
で?下級武士が武士だとでも言うわけ?
だれか 「庄屋VS下級武士」というすれ作ってくれませんか?
徹底的に武士にすら当たらない下士程度と我等庄屋と格の違いを見せ付けますから、
だれかたててもらえませんか?
- 59 :
- >>52
で、分限長に乗ってるだけで、庄屋に何一つ勝てない雑魚身分がなんですって?
分限長に乗ってれば、旧大名家の庄屋より格上だったの?
庄内藩では、加藤家に藩家老ですらため口聞けなかったと残されてるが?
もっと徹底的に、奉公人まがいの下級武士程度と圧倒的に格の違いを見せ付けたいのだけど、
だれか 下級武士VS庄屋 というすれたててもらえないだろうか?
- 60 :
- >>52
そもそも、その百姓とやらに圧倒的に財力も土地も由緒も上になられてる事実をよく考えてみなよ。
徳川家直参の下級武士である御家人ですら、譜代、抱席のうちの名門とされる譜代ですら、
出自は忍者や伊賀衆、雑賀衆、根来衆といった、当時土地に定着もしなかった、
野盗や足軽といった類がほとんどなのに、
あるいみ、その陪臣の陪臣のそのまた陪臣にあたるであろう譜代大名や親藩の下級武士など出自なんて、
火を見るより明らかでしょ。
だから、その百姓程度より圧倒的格差で格下なんでしょうが。
- 61 :
- 明治維新後の我々庄屋連合と、その分限長にしかアイデンティティがない下級武士とやらの、
そもそもの中央政府からの扱いや政府の方針を徹底的に格の違い見せ付けたいんだが、
だれか、すれつくってよ
- 62 :
- 一村立ての「かわた」村にも年寄、庄屋役がありました。
村方は全て「百姓」というのは言いすぎだったようです。
- 63 :
- >>62
下級武士VS庄屋
というすれつくってくれませんか?
皆さんがまだ知らないような事実で、徹底的に庄屋連合との格を見せ付けますから。
下級武士なんてただの野盗の成れの果てなんですから。
- 64 :
-
郷士なんて百姓の自己満足・私称だよw
幕府や三百藩で『公式』に郷士なんて認めるてるのどことどこよ?
具体的な藩名と史料名だしてくれよww
- 65 :
- >>64
そのとおり。郷士なんてある意味自己満足を満たさせるために幕府が作ったもの。
武士なんて、上級武士のように藩政の執政でもないかぎり、ただの野盗と変わらないんですよ。
そもそも武士自体に根拠がないんですから。その根拠のない武士という総称に、さらに政治的意味合いが皆無の下級武士なんて、
郷士よりひどいものでしょ。
郷士ならまだ庄屋という本来の行政の一部としての機能があった上での飾りだからこそ成立もするが。
下級武士なんてしゃれにもなってないだろ。生活自体も。
- 66 :
- 幕府は、江戸中期以降は、武士というものをブランド化させ、
下級武士のように、何の役もなければ何の価値もないものに、
その武士という架空のブランド力で、現代も真っ青のピンはね搾取してたというだけなのに。
- 67 :
- >>58
やっと「あ庄屋」登場w
このスレが立てられた時にはまた「あ庄屋」の立てた新スレか、あるいは「あ庄屋」を呼び込むためのスレかと思ったが、思いの他マジメな内容のレスが続いてたから別人の立てたスレらしいと分かった。
そのため、「あ庄屋」タソも困ってしまって、1ヶ月もの間どうやってスレに割り込もうかとウズウズしながらも様子見していたんだと思われるw
- 68 :
- それに踊らされ、分限長にあったから、おらのうちはこれでも下級武士だぎゃ!!
とかいってな内職せずには生活すら成り立たず、
庄屋のようにアグラかいて 村のめんこい女独り占めの、村の行政、財政、司法、思案独り占めの
中世期の土豪スタイルを地で行く真の旧武家層の百章を横目に見てを見ても、
おらは、内職のわープアだけんど、分限長に乗ってる下級武士だっぺ!!
というように使い捨てのこまにされてたんだよ。あげくは藩主にお目見えすらできないくせに。
- 69 :
- 下級武士なんてどうだっていい。
- 70 :
- >>67
だれのことですか?
>>69
じゃ庄屋の何に興味があるの?
明治政府の太政官府みても、庄屋が江戸幕府期からの公認の行政区の長であったことが
きちんとかかれてる。庄屋がすごかったのはもう、いわずもがなでしょ。
- 71 :
- しかし、下級武士どもは、ひたすら庄屋は百章としかいえない。
分限長にしか根拠がない。そりゃそうだ。庄屋層は中世期よりその大名家に使えていたわけでないし。
明治新政府自体が、太政官府で、一般下士なんて政治の機能にすら組み入れてすらいなく、
庄屋は維新後すぐに、政治中枢のいち行政区の長だと歌ってるのに。反幕の政府が自体が。
身分なんて徳川家に都合のいいように江戸期に編纂されたものだろ。
なら、江戸期以前、戦国期以前に、庄屋層に出自や身分で勝てるのか?
- 72 :
- 皆!庄屋様がいらっしゃったぞ!
- 73 :
- 塩じいこと、もと国会議員の塩川家は、本家は庄屋だが、江戸初期分家は旗本御家人に3家も独立させてるだろ。
いつどこに下級武士がいるんだよ。
格が違いすぎるだろ。
下級武士という存在が、事実上庄屋より上となったのは、明らかに島原の乱以降だろ。
それまで、どこに、庄屋に威張れてた事実がある?それどころか、
江戸初期、その庄屋にすらさげすまれてたろうが。
- 74 :
- >>73
先祖の江戸初期の戒名は居士?
公文書には名字がある?
家に安政の書があるけど庄屋と百姓代にも名字が書かれていない。
- 75 :
- 下級武士なんて武士として一切認めないからな。
何が武士だw中世期よりし武士としての体を一切続襲してないだろうが。
中世期にいないんだよ下級武士なんていう職業も、そしてあんな内職やって長屋暮らしの、
武士なんて。
いないんだよ。中世期、庄屋と同じ生活スタイルの土豪や地侍はいても。
- 76 :
- あ庄屋様は足利支流との伝承を持つお家の生まれらしい。
ハハーッ!
- 77 :
- >>74
もちろん代々院号付の居士です。笠付も許されてます。
墓にも苗字も刻まれてるし、 諱もついて刻まれてる。
もちろんすべての庄屋がそうだったとは思っていません。
しかし、江戸初期よりの庄屋は旧武家層が大半ですから、
私のような家が多いと思います。
私の家は元地侍で、旧守護大名家の家臣団の家でしたから。
- 78 :
- 苗字云々も、先ほど述べたように、下級武士という搾取対象に不平不満を述べさせないため、
藩によっては庄屋等に苗字を公的に名乗らせないといった差別化を図ることでブランド化を強調させてたんでしょう。
苗字が藩によって対応も何もまちまちなんですから、さほどいみないでしょう。
意味があったのは下級武士という、御正道の使い捨てのこまたる搾取対象者にとってはプライドしかすべがないので、
武士はくわねど高楊枝決め込むためには重要なファクターなんでしょうが。
- 79 :
- だってよく考えてみてください。庄屋の屋敷は家老並みの屋敷に住み、
財力も個人所得では江戸期明らかに家老程度どころか大名家並みの庄屋がごろごろいるんですよ?
かたや武士と名乗らせてる下級武士は大半が長屋住まいで、着るものも庄屋以下
財力はいわずと知れたこと。三度の飯にも困る日々。
苗字くらいの差別化は駆らないと、不平不満を抑えるブランド力が低下するでしょ。
下級武士なんて幕末見ればわかるとおり、不平不満はあのようにテロ行為でしか返せない集団なんだから。
- 80 :
- 郷士って言ってもいろいろだから
新撰組の宿所になった八木家や十津川郷士みたいなのもあれば
土佐や薩摩みたいに完全に下士扱いの郷士もいたわけで
- 81 :
- >>77
我が家の先祖は江戸初期(覚えている年号は元和と寛永)から院無し禅定門・禅定尼です。
正直どういう身分か分かりませんが。
近所の庄屋の墓地は門と鉄柵があり立派な造りです。
- 82 :
- 明治維新後、版籍奉還し、その後藩知事は中央政府よりの派遣されてくる県令が統治することになる。
県令は大半が維新の勝者たる大名家や維新の功労者がなっている。
それらが各県で官選で任命した各行政区の長はほとんどが庄屋。
しかも太政官府でも庄屋の身分を保証している。
維新後ですらなぜ下級武士で泣く庄屋に行政区の長をことごとく任命した?幕末後3年もたってないのに、
なぜ簡単に身分が逆転する?江戸期より下級武士なんぞ庄屋以下だったからだろ。
- 83 :
-
さあさあ皆様お待ちかねのアンポンタンが来たよwww
- 84 :
- だったら薩長土肥・・・以外の一般下級武士の維新後の状況上げましょうか?
職人や飛脚が多いですよ。ほとんど新政府から官選での重職なんぞに任命されてなく、
おのおのてに職つける道に行ってるんですよ。
よく警察官とか言いますがそれも一部。
でだ。そのいち巡査程度がいつから村長より身分が高くなった?なめてるの?
一介の巡査が村長と比べるなんて、なめてるの?核が違うだろ。
江戸期、徳川家の都合で、村長より一介のチャりんこ巡査が対面上上とされてただけだろうが。
- 85 :
- 今後、常識として、下級武士なんぞより庄屋のほうが何もかも上だった真の事実を、
グローバルスタンダードにしなきゃ。
うそばかりだよほんと。下級武士なんぞに格下扱いなんて、猿といわれてるようなものだよw
絶えられない。
- 86 :
- さらに明治期の国会議員の内訳見ても、
もちろん大名家や維新の功労者が大半の中、第三の勢力として庄屋が多いのはなぜ?
薩長土肥・・・以外の一介の下級武士なんぞいないんだが?
- 87 :
- 旧大名家には元市長県知事が多くおられるが、
市長クラスは旧大名家であろうが、
町長村長クラスなんて旧庄屋がごろごろいるんですよね
それで明治期、一部の下級武士が運よく巡査になれてても、
巡査でしょ。地方行政区の長とは次元が違うでそ。
- 88 :
-
結局のところ、家中だの幕藩体制化の都合といった旧態依然が払拭し、
職制の適正化が行われれば、すぐさま現実の立場が浮き彫りになったでしょ。
本来、幕府300年もつつく中での、下士>>越えられない壁>>庄屋 出会ったなら、
幕末から三年後に、新政府の職制の適正化による行政区の長が、権力基盤が、
こんなにも簡単に下級武士と庄屋の立場が入れ替わるわけないとわかるよね?
案の定江戸忌避もとけば、立場上は、武士>庄屋であったとしても、実態は矛盾だらけだったろ。
それが結果として明治維新後三年もたたずに出てるでしょ。現実の適正が。
- 89 :
- ちなみに、明治5年、県令により戸長(村長)に官選で選ばれた庄屋の屋敷。
もはや交代寄合クラスの大身旗本屋敷だろ。
これを見ても百章だなんていえるのか?明治政府が選んでるんだぞ?下士じゃなく庄屋さまをw
http://blog.livedoor.jp/naturococo/archives/1668006.html
目を覚まし名よ。いい加減現実を受け入れなよ。・・・・
- 90 :
- 越後の豪族笹川家。
江戸期に庄屋。明治期戸長
http://travel.jp.msn.com/domestic_guide/B15000280.html
ただの藩邸だろ。これでもただの農民か?w
下級武士のその口で言ってくれよwwww涙拭けよwww
- 91 :
- http://livedoor.2.blogimg.jp/naturococo/imgs/c/2/c21c2a62.jpg
これが、旧武家庄屋連合の真実ですよ。
あえて下級武士の屋敷ださないのは、真の旧武家の情けですからw
- 92 :
- あっそうそう、それから、いつから農業は、武士とは名ばかりの土地すら持たない、
傭兵程度の長屋住まい武士に馬鹿にされるようになった?
江戸期以前、守護大名家クラス以外は、国人級や土豪は当たり前のごとく半農半士であって、
士の部分だけを生業にしてたのは、守護大名家か足軽くらいなんだがな。
- 93 :
- あっそうそう、で、いつから足軽野党は、土地を持って、争わなくても十分食っていける本百章すら馬鹿にできるようになれた?
明らかに江戸中期になってからだよね?これが真実の断片のひとつだ。
江戸以前は豪族ですら半農半士スタイルなのに、土地すら持てない用兵上がりの下級武士が、農で生業できるほどの家を
見下すようになったのは、まさに、江戸幕府の政策の最たるもの。徳川の都合によるものに他ならないんだよ。
だって、江戸下級武士の状況って、戦国期以前は何に当たるか行ってごらんよ。
- 94 :
- 大体、江戸初期以前、下級武士でも憧れの職業だったという文献出してくださいよ。
江戸初期までこそ庶民の憧れは庄屋だっただろうが!!野蛮なことしなくとも何から何まで保障してもらえるんだ。
そもそも武士なんてこんなの職業として存在してたわけじゃないだろ。
あくまで政の性質を帯びた武士が存在はしていたが、
いつの時代に、政の性質を帯びずに士のみで成立してた武士なんて存在する?足軽の話だろ。
結局下級武士は足軽上がりだと簡単に点と点ですぐつながるでしょ。
- 95 :
- 何この基地外スレ?
足軽に無礼討された水呑百姓の子孫が発狂しているの
- 96 :
- 水呑百姓ならまだマシかもwww
- 97 :
- 途中からすっかりおかしくなったよな。
まあスレタイから容易に想像がついたがw
- 98 :
- 庄屋様vs百姓上がりの足軽
ファイッ!
- 99 :
- 司会は●多、解説は旗本様でお送りします
●多「おっと、足軽!紋付き袴に大小二本差しを出した〜!」
●多「対する庄屋様は…紋付き袴に…あれ?大小二本差しが出ません!」
旗本「これはですねぇ〜いくら名字帯刀の庄屋様とは言え、日常的には帯刀できないのです」
- 100read 1read
1read 100read
・ 次のスレ
34: いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない (723)
35: 先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限るA (253)
36: 地家靖一の大室寅之祐は東京明治天皇19 (138)
37: 庄屋VS下級武士 (152)
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