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2011年12月1期世界史5: 鎧の歴史 (634)
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鎧の歴史
- 1 :11/08/26 〜 最終レス :11/12/03
- 歴史と切っては話せない鎧。
語りましょう。
- 2 :
- 世界の鎧を比べたいものだね
- 3 :
- アッシリアやシナではラメラーアーマー
スキタイやパルティアではスケイルアーマー
ケルトやローマ、ゲルマンではチェインメイル
- 4 :
- 古代日本の甲冑、特に兜ってどういう形状だったんだろうね。
たとえば首周りの部分について言えば、
すべて金属の装甲だったような再現図もあれば、
皮か金属板をつなぎ合わせたような形状の再現図もあるし。
埴輪に表現されてるデザインをどう解釈するかで、違いが出てるのかな。
というか、実際の発掘品が・・・そう多くはないってこと?
3年くらい前だったっけ、韓国の遺跡で古代新羅の鎧が発掘されたって発表されたことがあったな。
そういった近隣諸国の甲冑のデザインとの関連性って、どの程度解明されてるんだろうか。
- 5 :
- ソード
日本刀>>>>>>(ヨーロッパ)西洋騎士剣>>>>>>(イスラム)シャムシール>中国刀>>>朝鮮刀
鎧
ロリカ・セグメンタタ≧武者鎧>>>チェインメイル(西洋騎士鎧)>>>>東ローマ、トルコ軍のショボ装備
とにかく日本の刀と鎧の秀逸さ芸術性はヤヴァイ、世界最高峰レベル
日本刀や武者の鎧のデザインってさ、西洋や世界から見たら東洋の中でもさらに異質な存在なのかな?
未来世紀ブラジルって映画見ておもった。明らかにシナやアジアのと比べても日本のは変わってるよね。なんだか洗練されてるってか、
ネトウヨじゃないけど、シナのはやすっぽいんだよな
また、日本刀は高品質や良デザインもそうだけど
接近戦での扱いやすさ実用面でも一番なんだって。アメリカかなんかの番組で科学的に基づいて検証されたらしい。軽くて扱いやすくて斬り易く突き易いらしい。
バットマンビギンズって映画でクリスチャンベール扮するブルースウェインも隠密集団に日本刀で訓練されてたね。
朝鮮人が嫉妬して起源捏造クレクレするわけだな。
- 6 :
- >>5
嫉妬だ起源争いだとかいうのは、延々と不毛な論争を呼ぶだけだから、
この板ではやらないのが原則でしょ。
問いたいのはそういうことなんじゃなくて、
古代東アジア諸国の甲冑のデザインを示す史料に、実際どういった相互影響が見られるのか、
そこのところだよ。
- 7 :
- http://blog.livedoor.jp/panda_translator/archives/51767219.html
- 8 :
- 古代中国の場合
ttp://sylphys.ddo.jp/upld2nd/mil/src/1314376397701.jpg
この辺を見ると古代日本ではまだ中国の模倣段階に見える
三国時代なら日本は邪馬台国だから充分脅威のテクノロジーかな?
- 9 :
- >>5
日本刀の優秀性は南京戦の百人斬りで証明済みw
- 10 :
- 東南アジアやアフリカや中南米やシベリアの鎧ってどんなもの?
そもそも鎧が使われていたかどうか・・・
- 11 :
- >>5
ダマスカス鋼使ったダマスカスソードのほうが日本刀より上だよ
- 12 :
- 鎧の前段階は胸当てかな
しかし盾の方が防御力は高そうだ
- 13 :
- いや、おそらく素材が革とか布になる。胸当てみたいのは鎧が簡略化される方向で出てくる物だろう。
- 14 :
- >>11
ダマスカスソードは伝説だけで実態は不明。
- 15 :
- 中東の鎧教えてくれ
- 16 :
- アッシリア帝国の歩兵
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/gallery/illust/illu/assyria-spear01bb72.jpg
ササン朝ペルシャの重装騎兵(カタフラクト)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Ancient_Sasanid_Cataphract_Uther_Oxford_2003_06_2%281%29.jpg
1450年頃のイランの重装騎兵
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Lebas_razm.jpg
オスマン帝国兵のプレートメイル
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Armory_Topkapi_Palace_exhibits.JPG
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Turkey.Bodrum073.jpg
甲冑書店
http://homepage1.nifty.com/rinus/armor_books.html
- 17 :
- 剣も鎧も日本が最高で最強。お隣の文化乞食民族が死ぬほどクレクレしてくるにはそれだけの理由があるから。
- 18 :
- >>16
ペルシアの重装騎兵ってカタフラクトそのものだなw
中世は中東のほうが豊かだから重装備していて当たり前か
- 19 :
- 玉鋼とダマスカス鋼はどっちが硬い?
- 20 :
- >>19
たぶんダマスカス鋼だろうね
- 21 :
- FF12のマサムネやトウルヌソルの材料となる玉鋼を作る材料にはダマスカス鋼を使ってるのに?
- 22 :
- 玉鋼って普通の鉄鉱石からできてんだろ
ダマスカス鋼は鉄鉱石に不純物が混じっていてそれが強度を高めていたけど
ロストテクノロジーで完全には解明されていない
- 23 :
- 鉄鉱石と言うか砂鉄だな。
- 24 :
- 唐の鎧だけど、素材はなんなんだろう?
防御力あるのか、これ?
http://www.gaopu.com/toudai.html
- 25 :
- 「日本刀は偉大なり」なんて国粋主義が、
南京戦の百人斬り伝説とか生んだのかな。
- 26 :
- 城も東洋だと日本のが一番立派でかっこいいよな。中国のにも負ける気がしない。
- 27 :
- >26
いくらなんでもひいきの引き倒しだろー。
城としての機能や用途も違うから単純に比較できないし。
ちなみにおれは関西だから大阪城や姫路城は何度もいったことあるけど、
紫禁城みたときはスケールの大きさに腰抜かしそうになったぞ。
>25
切れ味の良さと戦場での使い勝手はちがうかならなぁ。
斬る刀は数人もきれば血や脂がついて使い物にならない。
だから戦国時代の武士は何本も刀を取り替えたし、そもそも刀より槍だった。
- 28 :
- 鎧は継ぎ目の部分の下から刀剣を刺し込まれると弱い。
- 29 :
- >>24
主に皮革製。
鎧の下に着る鎖帷子や鉄鋲刺子で防御していた。
よく覚えておけ。
>>27
>ちなみにおれは関西だから大阪城や姫路城は何度もいったことあるけど
所詮、日本の城など諸侯の居館に過ぎない。
支那や西洋の城は町全体が城壁に囲まれた城市。
ちなみに日本では平城京や平安京、そして北条小田原城がそれに当たる。
また、一説には最盛期の江戸城は北から東に流れる隅田川、西の多摩川、南の江戸湾を天然の外堀と踏まえていたので
その範囲までが最大城域だと考えると、世界的にも飛びぬけて大きな城だ。
よく覚えておけ。
- 30 :
- >>29
その概念で外堀まで城域に含めていいなら、大阪城もけっこうな規模になったんじゃねーの?
>また、一説には最盛期の江戸城は北から東に流れる隅田川、西の多摩川、南の江戸湾を天然の外堀と踏まえていたので
>その範囲までが最大城域だと考えると、世界的にも飛びぬけて大きな城だ。
- 31 :
- >>27
見たけど、ただ広くして誤魔化してるだけだな>紫禁城
肝心の城がただの寺院レベルやん
やはり日本の天守閣のが背高いし秀逸で立派。外装だけじゃなく襖や畳障子など上品さもある。
- 32 :
- >>30
大阪城と名古屋城と江戸城の比較
http://isoda.web.fc2.com/oosaka18.jpg
- 33 :
- ここは「鎧の歴史」のスレですし
日本史板ではなく世界史板です
- 34 :
- ディスカバリーチャンネルによると、スパルタとかアテネとかと戦ってた
古代ペルシャの不死隊って布の服だけで鎧着てなかったらしいけど何で着ないの?
鎧を買うお金がないとか作る技術がないとか、そんなことはないだろうし。
- 35 :
- >>34
wikipediaによれば多民族からなるので装備もバラバラ、鎧も着てるのもいれば着てないのもいる。
人海戦術で敵の志気をくじくのが目的だから装備は重視されない。倒してもしても新手が
迫ってくる恐怖って事だな。
- 36 :
- 中国・12世紀南宋兵の甲冑重量
弩兵 23.8〜28.8キロ
弓兵 30.2〜34.8キロ
槍兵 33.9〜36.8キロ
(学研 「戦略戦術兵器事典 中国中世・近代編」より)
日本の大鎧に至っては(乗馬して移動するとはいえ)40キロに達する
昔の人はこれで数十〜数百キロ行軍して戦闘するとは丈夫だのう…
- 37 :
- >>36
人間もそうだけど当時の馬も丈夫だったんだね。
- 38 :
- 現代のイギリス人が中世騎士の鎧を着ようとすると、小さすぎて着れないらしい。
中世前後の男性の平均身長は155センチぐらいだったらしいから。
- 39 :
- >>38
日本なんてそれ以下だし。
馬もポニー程度。
でも弓は2mもあり、太刀は1m以上あった。
- 40 :
- 身長がでかくなっても米俵をいくつも担げる頑強な人間は減ったな
まあ人力での農業がなくなったから当然だが。
- 41 :
- 科学力が鎧代わりだな
- 42 :
- 今の歩兵も50キロの装備を担いで何十キロも歩くじゃん
- 43 :
- 5尺だから150cmくらいじゃないのか。155より小さいけど大した差じゃない。
- 44 :
- グリズリースーツに勝る鎧はない。
- 45 :
- 鎧って鉄器時代以降の産物ですか?
鉄器を使わない民族は鎧は無いですか?
- 46 :
- >>45
革とか布製のも有ったようですが。
- 47 :
- 青銅の鎧もあるわいな
- 48 :
- 鉄が金より高価だった時代もあるしな
- 49 :
- わりあい中世でも分厚い布で鎧の役目持たせたりしてるよな
- 50 :
- >>24
防御力低いから、丸い金属板(円護)をつけている。その丸い金属板が光るから明光鎧という。
- 51 :
- >>36
>
> 日本の大鎧に至っては(乗馬して移動するとはいえ)40キロに達する
> 昔の人はこれで数十〜数百キロ行軍して戦闘するとは丈夫だのう…
当世具足だけど、復元鎧着たことあるよ。重くて重くて大変。ただ胴の帯をぎょっと締めて、肩と腰とに重量分散すると
登山用の大きなザックを背負った位の幹事ではある。ただなれないと転んだだけで、上に人が覆いかぶさったような
感じで、手助けなしには起き上がれなかった。足軽用の鎧も見変えによらず重いけど露出部分も多く動きやすい分、
重さに慣れれば何とかなる感じはした。
- 52 :
- >>45
古代ギリシアは青銅の鎧が主流だった。鉄を積極的に使うようになったのは、マケドニアがギリシアを
席巻するようになってから。
- 53 :
- ローマなんて鉄の武器に青銅の鎧だったりするからな
- 54 :
- >>51
当世具足は大鎧と比べたらかなり改良されてるだろうからねぇ。
>>52-3
そうなのか。その辺よく判らなくて、どうなのかなぁとは思っていた。
- 55 :
- 大鎧が40キロで当世具足が25キロくらいか
足軽だと厚い布とか紙製の鎧しかないこともあったんだっけ
- 56 :
- >>55
> 足軽だと厚い布とか紙製の鎧しかないこともあったんだっけ
それって、投石足軽とか一部の鉄砲足軽だよ。白兵戦をやる槍足軽はギリシアの重装歩兵並だよ。
- 57 :
- >>26
城というか西安の都市を囲んでいる城壁なんてすごいかっこいいぞ
感慨深いものがある
- 58 :
- それに建築物はイスラム圏が秀逸だと思う
木材と石材の違いはあるけど
- 59 :
- 紫禁城も巨大すぎて日本の城とはスケールが違いすぎるからな
紫禁城よりは日本の城のほうが美しいとは思うけどさ
- 60 :
- 国粋主義ってのはよろしくないのですよ
盲目的になってしまうのです
- 61 :
- 鎧も戦車みたいに正面は厚くて背中は薄かったりするの?
- 62 :
- 庭園も日本が東洋一、中国なんかにも負ける気しない=東洋では一番ってこと
つか、世界で一番かも。イギリスやローマ式も悪くないけど我々はアジア人であるから感性の違いがあるからね。
それでいても世界で認められる日本庭園はやはり芸術的で凄いんだろうが
- 63 :
- 規模のデカさでは負ける気がするが逆に坪庭は日本独自の美の究極と言えよう。
- 64 :
- >>27
足利義輝の例もありますね。
生麦事件で内臓を晒して死んだ英国人は肋骨までスッパリ切られていたそうです。
このような刀剣は世界に類を見ません。
- 65 :
- 城だの庭だのすぐ脱線するスレだな。鎧の話しろよ
三国時代
ttp://sylphys.ddo.jp/upld2nd/mil/src/1314376397701.jpg
明代
ttp://damedao.web.fc2.com/img/1241103465.jpg
で基本はラメラーアーマーだが札が小さく枚数が多くなるのが技術の進歩の成果か
- 66 :
- >64
たしかコレクションしてる刀を何本も取り替えて斬り死にするまで大暴れしたんだっけ?
死に様は匹夫のそれだったとしても、刀は業物ぞろいだったろうし、
相手が雑兵レベルじゃ鎧も知れてるだろうから結構奮戦したみたいだね。
>65
そこにでてる軍装もそうだが、鋲を打つ効果というのがわからんな。
隙間なくびっしりというのであればまだ理解もできるが、あんだけ
間隔おいて打ったところでなんになるんだろ?
- 67 :
- 銃兵の所の説明に『銃兵の着用する鎧は表面に綿布が張られ、鋲が打たれている。
裏には札(ふだ)が綴られ』とあるが「さね」とルビを振るべきじゃないのか。
鋲は綿布を固定する為じゃね。
- 68 :
- 鎧が発達すると盾は小型化し遂に消滅するのは東西変わらないんだな
- 69 :
- 重装備兵より綿襖甲兵のほうがアジア圏では多いんじゃない
北アジアってものすごく寒そうじゃん
- 70 :
- 中国の銃おもしろいなコレ
- 71 :
- 中国は火薬兵器を発明したし面白い銃を多く作ったけど西洋伝来の火縄銃のほうが性能が良かったみたいだね
- 72 :
- 時代が下れば高性能になるだろバカかオメーは。しねよ。
- 73 :
- >>71-72
14世紀あたりは西洋でも中国でも原始的な指火式銃筒しか使ってなかったが
15世紀に中国では火器技術が停滞。南蛮人が来るまでマッチロック等発明されず。
統一王朝が出来てモンゴルぐらいしか戦う相手がいなかったのが問題ではないか。
実際秀吉のときに明軍と戦った武士も騎兵は褒めてるし。
- 74 :
- 火縄銃は明の嘉靖27年(1548)に倭寇から獲得したのが伝来の契機といわれる。
手銃に比べて射撃性能が格段に高いことから、嘉靖37年には早くも1万丁が国内生産され、
その後急速に普及し、清代には兵士の6割強が所持するまでに至った。
「歴史群像 戦略戦術兵器事典 中国中世・近代編」より
- 75 :
- はいはい「白人がすべての文明の起源なんですよ〜」
- 76 :
- >>73
中国をはじめ東洋にはネジの概念がなかった。
銃を模造しようとした日本の刀鍛冶は、
自分の娘をポルトガル人に嫁がせてまで、
ネジの作成法を習得したとする伝説さえ残っている。
- 77 :
- >>75
恨み節は良いから
火薬兵器は西洋のほうが高度だった事はちゃんと認めようぜw
- 78 :
- 複式銃が早めに開発されたから必要だと思われなかったのでは?
- 79 :
- どの辺を斜め読みしたらそういう結論に?
- 80 :
- >>79は>>75へ
- 81 :
- >>76
裏付けもない単なるお伽話は、学問板ではやめてくれ。
- 82 :
- >>75
小学生の頃の認識だと
それが当たり前でっしゃろ
中国やイスラム地域の方が発展してたなんて
想像もつかないよぉ
ましてやモンゴルがヨーロッパまで
侵攻したなんて
目からウランバートルだよ
- 83 :
- >>59
そう? 紫禁城のスローブとか金色の瑠璃瓦とか美しいじゃん。
避暑山荘や円明園、頤和園や中南海の離宮群も。
- 84 :
- コッドピースって何であったんだろ。メースのいい的じゃね?
- 85 :
- >>81
ねじの話っておとぎ話だったのか!
今まで信じてた。
- 86 :
- >>84
どうでも想像して玉がキュンってなった
- 87 :
- >>85
気に食わない話はみんなおとぎ話って言うんだろw
- 88 :
- 中国人が高度な銃や機械時計を作れなかったのも
ねじの概念がなかったからと考えたほうが納得がいくだろう。
- 89 :
- >>86
強い騎士の武術書か何かに、フェイントかけてから
別の手で相手の股間にメースをかち上げる。相手は
大体は死ぬし、生き残れても子供作れない。ザマw
みたいなエグい戦法が書いてあったと聞いたことが
あったから疑問に思って。
- 90 :
- >>89
てか股間を守る装備は必要だろ
君のいってるのはコッドピースそのものでなく
それを不自然に大きくしてるのは何故ってことかな
- 91 :
- >>90
うん。男性性の誇示という点はわからないでもないけど、
それを鎧でまで強調したら無駄に目を引いてしまうし、特に
あの露骨な突起状の形状では誘ってるようなものでは。
男性性を誇示するのはいいが、叩き潰されたら元も子も。
- 92 :
- >>91
文字通り元も「子」もないなw
ご婦人が旦那に特製の送った話とかあるが大事なものだよなぁ
突起を付けたくらいでは本物に当たりやすくなるとはかぎらないような
無駄に大きいのなら空間があるはずだから、コッドピースの先端が潰れるだけだし
しかし先端を引っ掛けて叩くならピースがナニにひっかっかり危険か
文化としかいいようないのかな
日本のかぶとの立物みたいなもんかね
- 93 :
- 魏晋南北朝の騎兵
ttp://sylphys.ddo.jp/upld2nd/mil/src/1315493705398.jpg
軽騎兵に駆逐されて唐王朝の頃には消滅
何故東洋世界では重装騎兵と馬鎧は早い段階で衰退したのか?
- 94 :
- 軽騎兵の方が強かったからでは?
特に北方遊牧民の
- 95 :
- 北魏も隋唐も鮮卑だしなあ
- 96 :
- それと、馬種の問題があるんじゃないの?
十字軍の重装騎兵の馬は、大型の重馬だった(イスラム側と比べて)。
それでも、敏捷に集散するトルコ軽騎兵に対して必ずしも優勢とは言えなかった。
もしシナ世界に重馬がいなかったなら、軽騎兵より有利な要素ないんじゃない?
- 97 :
- >>93
なんか遊牧民特有の貧乏臭さというかモンゴルっぽいんだよな、中国の鎧って。>>65もだけど。
日本の侍のが独特で絶対かっこいいよ。白人が侍や忍者好きで中国の戦士に興味なしなのも肯けるよ。
単純に武士のがかっこいいんだもん
- 98 :
- でも華麗に戦ったのはヨーロッパの重装騎兵ではなく、モンゴルの軽騎兵でしょう
変え馬を常に並走させ、生きのいいのに乗り換えながら臨機応変に陣形を転換、絶え間なく槍や矢を射かけて翻弄し、相手の消耗を待つ戦術
堪ったものではありませぬ
- 99 :
- 馬鎧の総重量40キロ超か
大鎧を着た侍が乗馬したら鎧だけで80キロを超えてしまう
中国もだが日本の小柄な馬という制約では馬鎧は発達しないな
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