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2011年12月2期囲碁・オセロ53: 坂田栄男について語れ (411)
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54: 囲碁と最も縁遠いものを挙げるスレ 【その3】 (850)
56: 囲碁普及について真面目に考えるスレ3 (511)
57: IGO AMIGO」「碁的」総合スレ 2 (407)
58: 高尾紳路応援スレ 第8局 (295)
坂田栄男について語れ
- 1 :07/02/22 〜 最終レス :11/12/22
- この人強かったんじゃないの?
- 2 :
- |┃ /⌒\
|┃三 ( ) _________
|┃ | | /
|┃ ≡ | | < 特盛オ!ツユだくで!!!
____.|ミ\__( ・∀・) \
|┃=__ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ≡ ) 人 \ ガラッ
- 3 :
- 坂田は、こっそりと、ネット碁を打ったことがある。
- 4 :
- 【坂田】昭和の囲碁界について語るスレ【高川】
http://game12.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1166756135/
- 5 :
- 最晩年の序盤から激しく捻り合いに持ち込む打ち回ししか知らないから
シノギの坂田と言われてもピンと来ないなぁ
- 6 :
- あげ
- 7 :
- 耳毛がすごい!
- 8 :
- おふくろさんで揉めてる作詞家に顔が似てるような気がする
- 9 :
- 昔からずっーと思っているのだが、
名前は本当に「えーお」と読んでいいのか?
- 10 :
- えいおであってるよ。
怖そうなイメージで実際怖かったらしいが、解説は意外とっていっちゃ失礼だが、丁寧でマメに並べてくれるし
なかなかいいね。
碁の研究はどうやってたの?
弟子はいないし、なんだか孤高の勝負師って感じがするんだけど、一人?
それともどこかに出入りしてたのかな?
- 11 :
- でしいるよ
- 12 :
- さかたさかえお が正解。
- 13 :
- 昔、坂田名誉NHK杯として、NHK杯に出ていたが、よく1回戦で、
ころころ負けていた。何も知らない自分は、この爺さん、NHK職員か
何かで、お金積んで、お情けで出させてもらっているのかな?
みっともないなあ、と思っていた。
- 14 :
- NHKでころころ負けてた頃の話だけど、
当時の若手No.1棋士だったシクンを全盛期を思わせる
シノギの碁で一蹴したのは凄いと思ったよ
- 15 :
- >>14
あれは、シクンが情けないと思った。彼って、韓国ではプロになれないから、
日本に来てプロになったのじゃないのかな。韓国じゃ通用しないでしょう。
- 16 :
- >>15
さすがにシクンがプロになったころはまだ日本のほうがレベル高かったと思う
- 17 :
- >>11
新垣武は坂田の弟子でないか
- 18 :
- NHK杯でころころ負けていた印象はないなあ。
楊嘉源との碁で好手と見落としを繰り返して
自作自演というか、すごい碁だったのは覚えてる。
- 19 :
- 坂田のNHK杯と言えば、時間切れ負けの碁。
1回目
秒読みの人「25秒、6、7、8、9・・・・・坂田九段お打ちください。」
で、実際に打ったのは35秒くらいだった(かな?)けど、何とかセーフ。
2回目
秒読みの人「25秒、6、7、8、9・・・・・坂田九段お打ちください。」
それでも打たない坂田。手は石を持ったまま、盤上をウロウロ。
秒読みの人「坂田九段お打ちください。(2回目)」
で、実際に打ったのは40秒くらい。
打った直後(ほぼ同時)にブー!とブザー音。・・・で、アウト。
坂田「大丈夫だろ?ダメだったか?」(みたいなセリフ)
(大丈夫なわけないのだが)
当時、中学生くらいだった自分には色んな意味でショックな場面でした。
「秒読みは30秒だけど、打つのは35秒くらいまでOK。しかも天下のNHKで」
(記憶の中でかなり脚色されているだろうが)
- 20 :
- ひふみんのチョンチョンが可愛く思えるな
- 21 :
- 昔は時間制限は碁の必要悪という考えが強かったからな。
- 22 :
- ただ、ボケていただけにしか思えなかった。
- 23 :
- >>21
でも、たしか坂田先生のために(というのは言い過ぎかもしれないけど)、
時間制限が導入されたらしいね
- 24 :
- 日本が世界最強だった時代の最後の棋士ですかね。
小林光一のときは、ちょふにょんがいた
- 25 :
- 韓の台頭は1990年代中からだよな
- 26 :
- >23
手合割故に一局の勝敗が重く、長考の風潮と弊害が顕著になったこと
小岸壮二という棋士が常識はずれに長考するため、時間無制限でやりたくねーよ
そんなこんなで囲碁に時間制が導入された
- 27 :
- >>23が言ってるのは院生手合いの話だと思う。
- 28 :
- プロ試験だろ
- 29 :
- 俺のオヤジは「炎の諸」とやらをスカスカになるまで読んでたよ。
- 30 :
- >>29
「スカスカになるまで」っていうか?
- 31 :
- >>23
坂田のプロ試験の時、体力のない坂田につけ込んでやたら長時間の対局をいくつも強いたらしいんだけど
こんな明らかに上に行く人に意地悪したりしたら、後々その人たちの囲碁界での居場所がなくなるんじゃないかなぁ?
- 32 :
- tes
- 33 :
- >>29
炎の譜 ではないですか
- 34 :
- この人の他の棋士評が面白い。
高川さんも評価しとったっけど。
- 35 :
- 88歳なんだなあ、、、、
- 36 :
- 坂田米寿ですね
- 37 :
- 誰がうまいこと言えと
- 38 :
- 碁ワールド・6月号の33ページの写真、マフィアかよw
- 39 :
- 「高川さんは僕のことを勝負師というけど、僕に言わせれば
高川さんこそ本物の勝負師だよ」
坂田23世、素敵やん♪
- 40 :
- あげ
- 41 :
- 突然弱くなったけれど総入れ歯のせいだろう。
歯は怖いよ。
- 42 :
- 坂田の碁すきです。
「日本は、日本人だけのものではない。」
そんな考えの鳩山・民主には、絶対に投票しない。
- 43 :
- 95年頃に出版された呉清源の自叙伝みたいな本で栄寿の棋風を
呉清源が語っていたような記憶がある。
チクンは『石田さんの小太刀は竹刀で、坂田先生の小太刀は真剣』みたいな事を
どこかに書いていたような記憶がある。
- 44 :
- t
- 45 :
- 碁ワールドの写真みたら坂田先生一人だけ座ってたんだが
御具合悪いんだろうか?
- 46 :
-
先日、古本屋で『坂田一代』を100円で買ったのだけれど、
なんとサイン本だった!ラッキー!
てゆうか、囲碁人気はひどい事になっているという事ですね…。
- 47 :
- >>46
いや、たまにあるよそういうこと。
俺が見たやつは、石田芳夫、小川誠子、あとだれだったか木谷門下の有名な人1名の連名サイン。
- 48 :
- おじいちゃんが亡くなったりして、家族が書籍を処分したりすることもあるだろうし。
- 49 :
- >>47-48
ふふふ。
- 50 :
- 坂田ってゾンビちゃう?
- 51 :
- 単なる歯抜け爺さんやろ。
おまいらも煙草ばっかり吸うてたら40位から
ぼろぼろ抜け出すぞw
- 52 :
- 坂田少年が体力戦を挑まれて入段を阻止された件は、ひどいね。
小生がこんなイジメを受けたら、小生は碁を辞めてしまうよ。
もう、辞めているけど。
坂田は、根性があった。
- 53 :
- wikiによると、1964年度の年間勝率が、0.9375(30勝2敗)、本因坊の七番勝負で足掛け六年、17連勝。
二度の7冠、とある。謎なのは、高川の九連覇の最中、坂田が何で挑戦者決定リーグを優勝できなかったのか、だ。
- 54 :
- スマソ、↑358って別スレでカキコした名残です
昔、NHKで囲碁と将棋の棋士たちがスタジオに一同に会する特番があって、
坂田先生が「柔」を熱唱し、番組の中で将棋の大山15世名人が驚いてたね。
- 55 :
-
坂田は、日本人ではなく火星人の予感。
- 56 :
- >>53
囲碁将棋に限らず、プロスポーツの世界でも熱烈なファンとか
集団ストーカーが存在すると思うのです。
頭の中に蓄えられた知識は誰にも奪えないなんて大嘘で、
集団ストーカーされると実力の5%しか出せなかったりするよ。
- 57 :
-
集団ストーカーされて、呉清源は打てなくなって宗教に傾倒し、
瀬越憲作は打てなくなって自したんじゃなかった?
- 58 :
- ゾンビやろ?!
- 59 :
- ↑ 間違えた。ミイラやった。いや生きた化石か...
- 60 :
- 坂田は万波姉の大ファン。
もう40年若かったら手出ししとるやろw
- 61 :
- ↑ へー、知らなかった。ミイラのくせにやるわ。
- 62 :
- 全盛期の碁は、妙手が多く、おもしろいが、
坂田の傲慢な人格は好かん。
- 63 :
-
正直な人。
治勲先生のごとく、麻生さんのごとく、坂田先生もまた脳と口が直結している。
- 64 :
- もう90歳か
- 65 :
- 64ゲトされた。
- 66 :
- >>62
好人物で常識人だが碁は二流という棋士は腐るほどいるよなあ
- 67 :
- 子供の頃は賭碁で強くなったわけじゃん。
坊門とかエリートコースの人たちへの反発心はなかったのかな。あまり語られてないけど。
- 68 :
- 80歳超えてのNHK杯出場は
今考えるとすごい
- 69 :
- >>68
名誉NHK杯だから現役でいる限りNHK杯には出場できる
- 70 :
- 訃報:坂田栄男さん90歳=囲碁棋士、本因坊戦7連覇
ttp://mainichi.jp/select/today/news/20101022k0000e040079000c.html
- 71 :
- .訃報:坂田栄男さん90歳=囲碁棋士、本因坊戦7連覇
http://mainichi.jp/enta/igo/news/20101022k0000e040079000c.html
坂田栄寿・囲碁二十三世本因坊 本因坊戦7連覇や7タイトル同時制覇など、数々の記録を打ち立てた囲碁棋士の
坂田栄男(さかた・えいお)さんが22日、死去した。90歳。
1920年、東京都生まれ。29年、増淵辰子八段に入門した。35年にプロ入り(初段)。
51年、日本棋院最高段者トーナメント戦を制し、初優勝。55年、九段。
61年、高川秀格本因坊(当時)の10連覇を阻止して新本因坊となった。同年、7タイトル制覇を達成した。
64年にも名人・本因坊など、再び7タイトルを制覇。年間30勝2敗、公式戦29連勝という大記録を打ち立てた。
67年まで本因坊戦7連覇。二十三世本因坊の資格を持ち、坂田栄寿の号を名乗っている。
「カミソリ坂田」「シノギの坂田」と呼ばれる切れ味鋭い棋風で相手を圧倒。65年名人位を、
68年に本因坊位を失うが、その後も十段、王座などのタイトルを獲得、トップ棋士として息長く活躍した。
78年から86年まで、日本棋院理事長を務めた。92年、文化功労者。00年、体力の衰えを理由に引退した。
通算成績は1117勝654敗16ジゴ(日本棋院調べ)、タイトル獲得・優勝回数は64回(歴代2位)。
著書は「坂田一代 勝負師の系譜」「坂田の碁」など。門下に新垣武九段、佐々木正八段らがいる。
◇妥協ない厳しい碁
山下敬吾本因坊の話 本因坊戦7連覇はもちろん、棋戦が少ないころから、いろいろな棋戦で優勝した実績は
すごいと思います。対局させていただいたのは1、2回くらいですが、坂田先生の棋譜を並べて勉強していた時期もあり、
いい思い出になっています。碁のタイプは違いますが、妥協のない厳しい碁は勉強になりました。
米寿のお祝いの会に呼んでいただいた時は、私が棋聖を防衛した後で、「このまま連覇を続けてくれ」と言われたのが
心に残っています。
- 72 :
- 心からご冥福をお祈りします。
秀行先生に続いて大棋士がまた旅立たれましたね。
- 73 :
- 坂田栄男さん死去:昔かたぎの無頼派 勝負に強い執念
藤沢秀行名誉棋聖に続き(昨年5月死去)、囲碁界の重鎮である坂田栄男さんが、この世を去った。
全盛時の強さは皆の知るところだが、世間を驚かせたのが晩年、石田秀芳本因坊に挑戦した第30期本因坊七番勝負。
55歳での挑戦というのもビッグニュースだったが、石田を3勝2敗と追い詰め、本因坊復位という前代未聞の快挙が目前だった。
しかし、第6、7局と連敗して、奪取に失敗。第6局は勝利直前まで迫っていただけに、「あの一局は本当に悔しかった」と後々になっても、
ことあるごとに振り返り、勝負へのあくなき執念をみせた。
数少ない昔かたぎの無頼派棋士の一人だった。川端康成、近藤啓太郎ら、文化人とも幅広く交流した。
◇「本当に残念」
日本棋院の大竹英雄理事長は「本当に残念。お具合が悪いと聞いており、今日、お見舞いにうかがうつもりだった。
昭和の時代が生んだ強烈な力を持った棋士だった。長く日本棋院理事長も務められ、我々後輩が学んだものは計り知れない。
今後は、我々が囲碁界をさらに発展させることで恩返しをしていきたい」と語った。
◇「動揺している」
坂田さんの一番弟子である囲碁棋士の新垣武九段は「知らせを聞いて動揺しています。『自分は教えない、技術は盗みなさい』と言われ、対局ですべてを示す先生でした。
集中力を要するシノギで勝つ戦法は、まさにカミソリのニックネームがピッタリ。弟子にとっては偉大すぎる先生で、昭和の巨人でした」と師匠を悼んだ。
http://mainichi.jp/enta/igo/news/20101022dde041040033000c.html
- 74 :
- まだ若いのに
- 75 :
- えぇえぇ――――(((;゚Д゚)))――――ッ!!!
- 76 :
- タイトル歴
日本棋院最高段者トーナメント戦 1951年
四強リーグ戦 1952年
最高位戦 1955、59、61年
日本棋院選手権戦 1955-61、64-65、73-75年(名誉日本棋院選手権者)
早碁名人戦 1956年
NHK杯テレビ囲碁トーナメント 1957-59、61-62、64-65、72、76-77、82年(名誉NHK杯選手権者)
囲碁選手権戦 1958
日本最強決定戦 1959、61(呉清源と同率1位)年
本因坊戦 1961-67年(名誉本因坊、23世本因坊)
王座 1961、63-64、66、70-72年
日本棋院第一位決定戦 1961、63-65年
三強リーグ戦 1962年(呉清源と同率1位)
名人戦(旧) 1963-64年
プロ十傑戦 1964、67、69年
十段 1966-68、72-73年
日本シリーズ 1976年
JAA杯 1979-80年
早碁選手権戦 1981年
NECカップ囲碁トーナメント戦 1983年
その他の戦績
呉対坂田三番碁 1948年 坂田(先相先) 0-3 呉
呉対坂田六番碁 1953年 坂田(先相先) 4-1-1ジゴ 呉
呉清源十番碁 1953-54年 坂田(先相先) 2-6 呉(8局目までで坂田先に打ち込まれ終了)
本因坊対呉清源三番碁 1961年 坂田 2-1 呉
棋聖戦 全段争覇戦優勝 1978年、九段戦優勝 1980年
日中囲碁交流
1960年 6-0
1973年 5-1
1985年(団長) 2-2(×陳臨新、○汪見虹、○馬暁春、×聶衛平)
1988年 0-1(×聶衛平)
日中スーパー囲碁
1990年 1-1(○兪斌、×銭宇平)
記録
総タイトル数64個(2002年趙治勲に破られるまで歴代最多)
年間30勝2敗(1964年)
一般棋戦29連勝(1963-64年)
タイトル戦17連勝(第18期本因坊戦第5局-第22期本因坊戦第3局)
通算成績1032勝641敗10ジゴ
- 77 :
- とほうです
- 78 :
- 合唱
- 79 :
- 現役最後の対局では「このまま打ち続けるとみっともない碁になる」と、わずか53手で投了した。
やだ・・・カッコイイ(///)
- 80 :
- 日本棋院対応早えー。もう物故棋士扱いになってる。
追悼記事の一つでも書けといいたい。
訃報記事はさすがに毎日が一番くわしいな。写真は朝日のがいいけど。
http://www2.asahi.com/igo/news/images/TKY201010220328.jpg
- 81 :
- いい写真だな。まるで大学教授みたいだ。
- 82 :
- 【 昭和38年度名人戦、名人藤沢秀行 対 本因坊坂田栄男の、頂上対決における封じ手争い 】
ボクはね、秀行のね。ちょうちん持つような番組なんか出たくないんだけどね、本当は。
秀行はね、無頼派の棋士という、最後の無頼派、無頼派っていうのは嫌いなの僕は、正反対だよ。
秀行とはね、不思議な因縁があるんだ、
38年のボクと秀行の大勝負だよ。勝った者はね、即日本一なんだよ。
二つしかないんだから。「名人」、「本因坊」。
しかも秀行とワタシは仲が悪いんだよ。これも有名だったんだ。
だから、両方、舌戦の、今じゃ想像できないくらい、お互いにもうそのくらい大勝負だったんだよ。
---坂田が二連勝した後、藤沢が三連勝。
あのぐらい苦労したとき、後にも先にもなかったね。
ボクが三連敗した時は大ショックだよ、ボクは。どうしても、このままじゃ勝ち目はないと思ってね。
それからがボクとしては本当に命を削ったね、次の対局までに。
---第六局の封じ手場面
勝負と碁っていう・・結びつけて考えた場合に・・・。
たとえば、勝負に徹するっていうことになると、たとえば、二日でしょ、だいたい挑戦手合いって。
五時半なんですよ、打ちかけ(封じ手)がね。
1分前ぐらいね、それまでわざと考えといて、時間引き延ばして瞬間的に30秒とか1分前ぐらいで、
えらい難しい手を打ってくるわけですよ。相手困るんですよ。(by 藤沢秀行)
チラリとまた時計を見た本因坊が、やにわに石をつかみ、白50-2.
それを見た名人に、一瞬血がのぼった。
恐らく自分に封じ手をさせようとしている相手の意図が怒りを呼んだのであろう。
やにわに石をつかむなり、50-3. ところが、本因坊は、またすぐ50-4.
ここで一言、「頭にきた」と名人が言って腕組みした時、立会いの高橋七段が定刻をつげたのである。
(by 橋本方円子の観戦記)
---当時を振り明けって
もう、あんまり言いたくないね、もう腹が立つことが山ほどある。
だから、そういうのも神経作戦の要素に加わってくるんですよ、盤上の。相手を怒らせる
・・だって、20時間くらい顔つき合わせているわけでしょ、昔はね。(ふっふっと笑う)
(by 藤沢秀行)
あれも勝負の内だと思って・・気合負けしちゃいかんと思うから、それでああいうバカなことをやったんだ。
(by 坂田栄男)
だから、オレみたいに神経がピリピリしている奴は損なんだよね。図太い奴は、そういうの乗らないでしょ。
(えっへっへっ)いや、勝負っていう面から言えばね。(by 藤沢秀行)
考えてみるとね、あの勝負でね、やっぱり寿命縮めたね。
それからは それが最後と言ってもいいね、後で考えると、ボクが本当に碁を打てたのは。
すごく心身ともに、もうガックリしちゃった、参っちゃったんだよね。勝っても。
だから、おしまいなんだ。あけが最後なんだよ、ああいう勝負は。
ああいう勝負をね、するのは僕と秀行でオワリなの。 (by 坂田栄男)
- 83 :
- 90歳なら大往生でしょう
坂田の碁、再販してくれないかな
- 84 :
- 商魂たくましい日本棋院なら高級特装版で再販してくれるものと信じる
- 85 :
- 封じ手の話は秀行の打ち碁集に
それで形勢を損じたんだから今思うとバカなことをしたものである、
なんて書いてたなあ
確かヒカルの碁にも似たような場面があった気がする
- 86 :
- ご冥福をお祈りします
- 87 :
- うわあああああああああああああああああ><
ご冥福をお祈りします
- 88 :
- 坂田栄男のやさしいシリーズで碁を覚えた。
ありがとうございました
- 89 :
- 【坂田栄男さん死去】作家の三好徹さん「昭和代表する棋士失った」
「最後にお会いしたのは昨年の藤沢秀行名誉棋聖を偲(しの)ぶ会で、車いすのお姿だった。
若いころから天才棋士として知られ、鋭い碁で一世を風靡(ふうび)した。
全盛期の昭和30年代は、まさに“当たるを幸いなぎ倒す”といった存在だった。
囲碁の第一人者でありながら、人柄は少しももったいぶったところがなく、ざっくばらん。
勝ち負けがからむ同業者よりもむしろ作家らとの交流を好み、特に近藤啓太郎さん(芥川賞作家、故人)と親しかった。
藤沢さんに続いて、昭和を代表する囲碁棋士を失い惜しまれる」
http://sankei.jp.msn.com/culture/igo/101022/igo1010221803000-n1.htm
- 90 :
- カミソリ”囲碁の坂田さん死去
鋭い打ち筋から「カミソリ坂田」などと呼ばれ、本因坊戦7連覇など数々の記録を打ちたてた棋士の坂田栄男さんが、
22日午後、胸部大動脈りゅう破裂のため亡くなりました。90歳でした。
坂田さんは東京都の出身で、15歳で囲碁のプロ棋士になり、41歳で最も伝統のある本因坊を獲得し、
同じ年にNHK杯など7つのタイトルを獲得しました。
鋭い打ち筋から「カミソリ坂田」などと呼ばれ、昭和39年には年間30勝2敗という驚異的な勝率を収めて再び7冠を達成し、
その後も本因坊戦を7連覇するなど、数々の記録を打ちたて、平成十年に二十三世本因坊の称号を得ました。
坂田さんは、NHKの囲碁番組に出演してわかりやすい解説で人気を集め、日本棋院の理事長を務めるなど囲碁の普及にも力を尽くし、
平成4年には囲碁の棋士で初めて文化功労者に選ばれました。坂田さんは2か月前に体調を崩して入院していたということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101022/t10014764221000.html
- 91 :
- 【坂田栄男さん死去】昭和の最強棋士旅立つ
孤高の覇者だった。22日、90歳で死去した囲碁の坂田栄男(えいお)さん。
「碁は誰からも教えられるものではなく、教えるものでもない。自分で勝ち取っていくもの」が口ぐせ。
昭和39年、当時の8タイトルのうち7つを制覇、年間30勝2敗の空前絶後の記録を樹立した。唯一、取れなかった十段位も、41年に奪取。
65年のプロ人生で1117勝をあげ、64のタイトルを獲得した。
雑貨商を営み、碁や賭け事が好きだった父の見よう見まねで碁を覚えた。
中盤以降が特に鋭いことから「しのぎの坂田」、集中力を要する場面では決して緩むことがない鋭い棋風から「カミソリ坂田」とも。
38年の第2期旧名人戦第7局では後に「坂田の外ノゾキ」と呼ばれた名手を放ち、これを境に形勢が逆転、ライバルの藤沢秀行さんから名人位を奪った。
数々の名勝負を繰り広げた日本棋院理事長の大竹英雄さんは、「持っている力すべてを碁盤にぶつけ、対局に臨まれる姿が印象的だった」。
平成14年に坂田さんの優勝回数を抜いた趙治勲さんは、「私の(6年後の)還暦と、坂田先生の96歳のお祝いを一緒にしましょうと話していたのに…」と言葉を失った。
作家の川端康成ら文化人、福田赳夫元首相ら政界関係者とも親交があった。平成12年1月には、鐵枝夫人を伴い、「80歳をもって引退したい」と会見。
それから10年、鐵枝夫人に見送られ、昭和の最強棋士は旅立った。
http://sankei.jp.msn.com/culture/igo/101022/igo1010221914002-n1.htm
- 92 :
- 自分は坂田打碁集で強くなったので感謝しています。
数々の妙手に感動した。
- 93 :
- ご冥福をお祈りします。
- 94 :
- >>71の山下に棋聖を連覇してくれって言ったってのは、秀行の6連覇もされたのが悔しいから抜いてくれってことだったのかなw
しかし、同い年でいまだに現役の杉内先生は脅威的だな
- 95 :
- 中国報道が一番詳しそうだ。
http://weiqi.sports.tom.com/2010-10-22/00UP/26602024.html
- 96 :
- 今日坂田さんの訃報を聞く前に奇しくも藤沢秀行に4−0で防衛した本因坊戦を並べて
その強さに感動していたところでした
先生の棋譜は囲碁界の宝として永久に残ることと思います
- 97 :
- 坂田の強さは普通に相手よりも丹念に手が読めている事が基本だと思う。
ここは味良く構えるのが本手なんて考えはなく、
ただただ、手があるかどうかを純粋に読んで、手がなければ実利に付く。
数々の妙手も読みの裏づけが、相手よりも数段勝っていたときに出ている。
木谷の強さは「そんなところまで読んでいるのか」
坂田の強さは「そんな手まで読んでいるのか」 らしい。
どちらが上なのかは自明。
- 98 :
- これから「石の鼓動」読み直す
- 99 :
- セドルはそんな手まで読んでるのかタイプだな、治勲も
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