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2011年12月2期文学42: ■三島由紀夫って過大評価されすぎじゃね?■ (199)
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■三島由紀夫って過大評価されすぎじゃね?■
- 1 :11/06/30 〜 最終レス :11/12/16
- 過剰な修飾語と、くどい心理描写、逆説的なアイロニーを
ちりばめて耽美的、虚無的雰囲気を演出してるだけだな
- 2 :
- あと激的な死に方したからな
普通に生きてたら今みたいに評価されなかったのでは?
まあそれが狙いだったのかもだが
- 3 :
- と過剰反応するバカ>>1
- 4 :
- 糞スレ立てるな
三島スレでやってろ
- 5 :
- 美とか唯識とか観念的な話をいれることで
頭よさげに見せる手法も嫌いだな
ハッタリで勝負するところは村上春樹とよく似てる
結構、だまされる人がいるんだよな
- 6 :
- O
o 池 と
。 沼 思
/ ̄ ̄\ で う
/ ノ \\ あ
| /゚ヽ/゚ヽ |. っ
. | (__人__) | た
| |'|`⌒´ノ |
. |. U }
. ヽ }
ヽ ノ
/ヽ三\´
- 7 :
- >>5
たかが小説ぐらいのことで、勝負とか、だまされるとか言ってムキになって、頭大丈夫?
あんたがいやなら、読まなきゃいいだけの話でしょ。
- 8 :
- >>7
お前にはムキになってるように見えるのか?
- 9 :
- >>7
というかムキになってるのはお前じゃねーかw
- 10 :
- スレ立ててムキになってないとねえ
- 11 :
- >>5
三島も春樹も物凄いナルシストなのも似てるな
どっちもルックスは微妙だけど、体鍛えて肉体美を誇示したがる
顔は三島のほうが大分マシではあるけど
- 12 :
- 問題は作品に力があるかどうかだよ
そして仮面の告白にはそれがあると思った
- 13 :
- >>1
悔しかったらお前が書けよ。
- 14 :
- 確かに平野敬一郎の亜流って感じしかしない
- 15 :
- 過大評価されていたのはせいぜい60〜70年代まで、それ以降はあまり文芸面では評価されていない。
褒められていないと言うわけでは無い。存在自体無かったことになりつつある。あと>>7はどこにでも顔出すな。
せめて三島と同世代の作家を網羅的に読め。話はそれからだ。低脳。
- 16 :
- むしろ過小評価です
- 17 :
- 死んでなかったら今頃
大江健三郎と石原慎太郎を足して2で割ったようなポジションだったんかなあ?
最近はとんと読まれなくなったよね
でもああいういかにもな硬質な文体が当時は新鮮だったんだろうな
- 18 :
- 性的に屈折した猟奇的な変人のはしりでもあるな
こういうのが格好良いと思われてた時代
今でも、そういう傾向の人はいるけど
太宰と本質はそっくり
あえて行動は逆をやってるけどね
二人とも他人を道連れにして、死を大々的に演出しちゃうほど
自己愛と自己顕示欲が肥大してた人
でもこの死を怖れないほど突き抜けた部分はある意味凄いよな
突き抜けた変人
後輩の大江と春樹は俗物のなかの俗物って感じだしな
文学なんてしょせんハッタリとパフォーマンスなんだし
そういう意味では大成功した人だよな
でもやっぱり時代を超えて読み次がれないのは、ドストエフスキーとかみたいに
本質的に人の心をえぐるようなものが欠けてるんだろうな
本物ってのはシンプルなものだしな、三島のはあまりに修飾で誤魔化しすぎてる
修飾で文章を飾るのが文学と思われてた時代だったからね
まあドストエフスキーみたいな世界的な文学者と比べるのはあれだけど
- 19 :
- 大江と村上春樹のパクリとハッタリは三島とは手法が違うけどね
三島は修飾で飾る、大江、村上は何も考えてないのを考えてるように装うのが得意
こういうのはいい加減卒業しようぜ
ドストエフスキーとかトルストイとか、本当に良いものは単純に面白いんだよな
- 20 :
- >>17
死んでなかったら、と仮定すること自体が無意味。
その死も含めてのその人の人生、文学、その人の哲学だから。
そんなこともわからないなら作家を批評する資格なし。
- 21 :
- >>19
卒業したきゃ、あんたが勝手にすりゃあいいだけ。そんなもん卒業とも思わないけどね。
洋楽かぶれのバカと同じに見えるだけで。
- 22 :
- 今だとこっぱずかしくて読めない類の小説だな
時代なんかねえ?
- 23 :
- 普通に面白く読めるけどね。
- 24 :
- 面白いと思うし、言葉のチョイスの絶妙さは素晴らしいと思うのですが…
- 25 :
- 松浦寿輝ごとき無能無才が最近作の小説『不可能』で
カリカチュアライズするほど、過小評価されてますがw
- 26 :
- 異常に修飾過多な不自然な文章だろ
後期になってだいぶ洗練されたけど
痛い文学青年の典型だけど、その痛さふくめての面白さだな
決して洗練された小説とはいいがたい
- 27 :
- >>26
痛い文学青年なんて世間にはごろごろしてるんだがなw
痛い東大教授なら、やりたい放題ですか?w
松浦は洗練されてないどころか、ただの甘やかされた愚か者だろうw
- 28 :
- あの顔を思い浮かべるとほとんど読む気がしない
生理的に受け付けないて点では石原と双璧をなすわ
でも『美しい星』は面白かったし、ちょい感動したW
- 29 :
- このスレタイは考えさせられるね
- 30 :
- 特に過大評価もされていないのに、反日朝鮮人もどきには過大評価に写るんですね。
- 31 :
- 前の都知事いわく、おかまのヒステリー
- 32 :
- ああ前の都知事って、北朝鮮スパイ釈放嘆願書に署名した売国タレントね。
- 33 :
- 三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。
「豊饒の海」は、三島君の作品の中で最高の価値がある。
川端康成
- 34 :
- 代作の総合商社の川端に言われてもなぁw
- 35 :
- じゃあ、文才の全くない>>1の類いの輩につべこべ言われてもねえ。
- 36 :
- 寧ろ過小評価だろ。
村上春樹なんかが評価されるなら三島由紀夫も評価されて良い筈。
- 37 :
- まあ似たようなもんやね。通俗小説とライトノベルやから。
- 38 :
- 二人とも似てるよな
自意識をゴリ押ししてくる感じが
作品自体は決して知性的な感じはしないけど
- 39 :
- 死に方のせいで三島は過小評価されてると思うが
>>38
三島の評論読んでこい今すぐに
- 40 :
- 逆でしょ。事件のせいで過大評価されてる。
事件そのものも当時の国内評価は、「おかまのヒステリー」(青島幸男)
こういう評価が昭和の間は長く続いた。
右翼でさえ三島を白眼視して持ち上げるということはなかった。
海外で勘違いした評価が高まるにつれ、日本国内でも三島を利用しようという
人たちが現れた。しかし、それもごく近年の現象。平成に入ってから。
- 41 :
- >>40
海外の評価なんか何の関係ないよ。
まさにそういうあんたのようなとんちんかんな見方をするバカが三島由紀夫を過小評価しているから、
ちっとも過大評価になってないし、それどころか逆に黙されてるし。
少しでも三島由紀夫の名前が出ると、過大評価だとか、あんたの妄想でしょう。
- 42 :
- 昭和の時代、三島を評価してたのはホモの人たちだけですよ。
それも小説ではなく、写真集。
- 43 :
- >>2
作品について言ってるんだっつの。まぁ自して
売名したんだがな。>>40の言う通り平成不況に入ってから勘違いの輩が増えた
- 44 :
- 葉隠なんかに影響されてる時点でダメ
三島を神格化させ無きゃいけない何かがあるね。
- 45 :
- と、昔のサヨクが火消しに必死
- 46 :
- 右翼はホモなんか評価しない。
身長160cmの虚弱児で、徴兵不合格じゃしゃれにもならん。
- 47 :
- 程度の低い批判しかできなくて、個別作品について具体的に何の批評できないのは、日本語の文学を読む力がない反日外国人だからですね。
可哀想に(笑)
- 48 :
- バカのおまえが言うことではない。
- 49 :
- ほら、男色三島が、美輪明宏のために書いた脚本での映画だとよ。
http://freemoviefree.blog31.fc2.com/blog-entry-5735.html
- 50 :
- さらにホモ三島が主演した憂国映画だとよ。
http://freemoviefree.blog31.fc2.com/blog-entry-5734.html
- 51 :
- >>3
過剰でもなんでもねえよ。
どこに目がついてんだじじい
- 52 :
- >>40
絶対的な評価なんてねえよ
- 53 :
- 松本徹(司会):三島さんは、どんな印象でしたか。
本野:非常に頭のいい人でした。特に文学に関しては並ぶ者がいない。
六條:それは、誰もが認めてましたね。
(中略)
松本:三島さんは、戦争中でありながら一種の文化言論活動のようなことをやっていますねえ。
本野:それは彼が反抗的気質だったとか、周りの者に動かされてということではなかったと思いますよ、文化とか
言論とかに対して純粋な気持ちがあって、それを学校の中で実現しようとしたら、ストップがかかったという
ことだと思います。(中略)
佐藤秀明(司会):この一連の出来事に関連してだと思いますが、この時期の平岡公威はだいぶ感情が高ぶっていて、
総務部総務幹事を辞めたいと清水先生に手紙でぶちまけています。
六條:そういう手紙が残っているんですか。清水先生とはツーカーでしたからね。僕らには見せない顔を見せて
いたんですかねえ。
本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より
- 54 :
- 松本:(三島は初恋の園子と)学習院の友人の妹として知り合って、手紙のやりとりをするようになり、彼女の
一家は軽井沢に疎開するんです。(中略)そこへ三島が、主人公がですね、訪ねて行くんです。それで旧軽井沢の
ゴルフ場で接吻をすると書かれています。だけど、この恋愛は実らずに終わってしまって、三島はずいぶん
苦しんだようです。だから戦後は、辛い出発をしなければならなかった。
本野:まあ、あの当時でもそういうことはあったでしょうね。これは僕個人のことなのだけれども、一学年下に
黒田っていうのがいたでしょ、黒田一夫。その妹と僕が恋仲になって、だけど彼女が亡くなってしまったんだ。
それはショックでね。昭和二十年頃だったんだけれども。そのとき平岡に話したのかな、よく覚えていないけれども、
彼からお悔やみの手紙をもらったんですよ。なくしてしまったんだけどね、残念なことに。それがことのほか
よい文章でね。自分のことがあったあとだから、ああいう手紙が書けたのかなっていまちょっと思いましたね。
本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より
- 55 :
- 佐藤:(三島は)高等科では総務部総務幹事になっていますでしょ。四人の幹事のうちの一人です。集会などで
号令をかけたり、挨拶したり、そういう点では目立っていたのではないですか。
本野:いや、そんな記憶はないですね。目立つということは、彼の場合はほとんどない。
松本:高等科で、さっき話の出たお芝居を書いてますね。それで演出もしている。そういう点では、ある面の
中心的な存在だったのではないですか。
六條:それはね、小説や演劇のこととなれば、彼の右に出る者なんかいないんですよ。その点ではもう別格。
それだけはみんなが一目置いていた。
本野:成績もね、僕らがどんなに勉強しても絶対に一番にはなれなかった。全然違うんですよ、彼の一番は。
記憶力とか理解力とか群を抜いていた。二番を引き離した一番だったんです。ましてや文学に関しては全く
次元が違う。
佐藤:ということは、性格的にリーダーになるとかいうのではなくて、お芝居となれば、身につけたものや才能で
平岡を据えるのが当然だということになっていたと、こういうことなんですね。
六條:ええ。
本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より
- 56 :
- 本野:彼は優れすぎているというか、異なりすぎているということですよ。それで彼は優越感をもつとか
そういうのでなくて、自然に優れていたということでしょうね。
松本:三島の側から言いますと、外務省なり文部省なり社会に出て仕事をしている人たちがいて、自分はもの書き
という特殊な立場にいて、何というかコンプレックスのようなものをもったのではないか。文学者というのは、
本当の意味での一人前の社会人ではないんじゃないかという意識ですね、そういうものがあったのではないか。
本野:彼とは割と簡単に話もできたし、間に垣根があるという感じでもなかったんですよ。でも、彼は自分の
世界を持っていたんですね。
松本:いや、石原慎太郎との違いということにもなるかもしれませんが、実社会の中で何かをするという意識を
ずっともっていたのではないかと思うんです。(中略)
(そして、その)行動が象徴性のレベルになってしまう。芸術家の行動というのは象徴性というところへ
行かざるをえないんじゃないかな。
本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より
- 57 :
- じゃね(笑)とか言ってる言語崩壊バカがなにをほざいてんだよゴミが
- 58 :
- 三島も徴兵検査合格していたら。自することなっかたのに思います。
親が、裏から手をまわしたことを、彼は知っていたと思います。
それが、負い目になったのではないでしょうか。
- 59 :
- >>58
三島の親にはそんな権力ないよ、残念ながら。
- 60 :
- 徴兵検査には合格しているんだが。
そもそも>>58の文章がおそ松君なんだな。タイプミスがあるにしても、
読点の打ち方とか、全体のリズムとか、とにかく消防くさくて怪しい。
ひょっとして、偽日…おっと、これ以上書くとヤバそうだw
- 61 :
- >>58
それから、何か勘違いしてるようですが、徴兵検査は合格してますよ。
手を回してたら合格してないと思います。
- 62 :
- 三島は不合格(最低合格ランクで待機組?)で、やったーそれ逃げろと親といっしょに小躍りして帰ったとか。
ま、オカマの虚弱児や。
- 63 :
- >>62
徴兵検査はちゃんと合格してます。
よく知りもしないで、ネットや駄本の捏造偏向情報つかまされた外人はんでっしゃろ(笑)
- 64 :
- 三島由紀夫は世界的作家だろう。
文豪だよ。
それと「褌」が似合う男だよ。
http://007.shanbara.jp/mensfashion/html/cbeb7cf2bdaccbeca50f528f/
- 65 :
- 徴兵検査第二乙種で合格ですね。身長足りなかったのかな。
まあ、合格は合格ですね。
敗戦直前徴兵されたが、医者の誤診で即帰郷ですか。なんかあやしい。
- 66 :
- 第二乙種じゃ不合格といったておかしくない。その当時、世間的にはね。
三島もそう感じていたろう。あくまでも想像ね。
- 67 :
- >>56続き
松本:これは僕自身の気持ちが入っているのですけれども、少年のときから文学の世界を目指して、それで
文学の中でやってきたんですが、いまの歳になると一種の空しさみたいなものを感じるんですよ。実業の世界で
生きている人は、何か世の中に痕跡を残していて、小説家がやってきたことと言えば言葉をただ並べただけだと
いう空しさですね。そんなものが三島にはあったのではないか。空しさをあえて突き抜けてみせるという意志が
あったように思います。
本野:空しいという感じは超越していたと思うなあ。(中略)あれが彼にとって自然な姿だったんじゃないだろうか。
昔彼と話をしていても、全く偉ぶった感じがしない。そのまま別の世界にいるという感じだった。あなたもそうでしょ。
六條:うん、そう。平岡は平岡でしたよ。それでいて我々とは全然違うんだ。それがすごいことだとみんな
感じているんだけれども、学校ではね、そういうことは小さなことだったんです。頭がいいとか、文学をよく
知っているとかは。
本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より
- 68 :
- 松本:この間、演劇で三島と関わった和久田誠男さんの話を聞いたんですが、宇宙人じゃないかと思ったと
言ってました。会っているときはそうは思わないけれども、家に帰って三島さんのことを思うと宇宙人としか
思えないと言うんです。いまのお話は、そういうところと関係しますね。三島さんのそういう面が現れるのは、
高等科からですか。
六條:そうねえ、中学のときはたわいもない子どもでしたよ。むしろ北条浩の方がずっと弁が立ったし、
理屈っぽかった。
佐藤:北条さんというのは、創価学会の会長になった人ですね。
六條:ええ、学習院を終えて海兵に行って。北条はよく平岡に食ってかかって、口論というか口喧嘩をしていましたよ。
松本:三島というのは、やっぱり天才と言うしかない人だったと思うのですが、それがどういうところで
形成されたのか、そこが知りたいですね。
六條:それはね、清水先生の感化ですよ、清水先生にもそういうところがあったんです。
本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より
- 69 :
- 六條:岩田先生も(三島に)目をかけたでしょうが、岩田先生や佐藤文四郎先生は、清水先生とは違いましたね。
(中略)「輔仁会雑誌」に書いて清水先生に認められ、「文芸文化」に小説を発表することになるのですけれども、
あの清水先生に認められ可愛がられたというのが、大きかったんだと思いますよ。
佐藤:なるほどねえ。三島由紀夫がいたから清水文雄がいたんじゃなくて、清水先生がいたから三島由紀夫が
いたということですね。
六條:「輔仁会雑誌」に平岡の書いたものが載るでしょ。われわれからすれば平岡のが載るのは当たり前だと
思っていましたよ、平岡もそんなふうでしたよ。だけど、僕らには、彼の書くものが分からないんだ、難しくて(笑)。
松本:清水先生を読者だと思って書いていたんでしょうね。
六條:だから、僕らの前ではひょうひょうとしていましたよ。体が弱かったけれども、コンプレックスなんか
もっていなかったみたいですよ。驕らないし見下しもしないし、卑下している様子もなかった。ひょうひょうとして
当たり前の顔をしていました。
本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より
- 70 :
- 佐藤:中等科から高等科にかけて、四歳年上の東文彦と三島は親しくなります。(中略)(三島は)自分の作品が
くだらないものに思えたとか、そういうことも書いています。だから、自己評価も素直で、また思うように
ならないことにはどんどん愚痴を言うといったタイプだと思っていましたが。
本野:そういう相手もいたんでしょうね。僕らにも愚痴を言ったのかもしれない。でも、愚痴に聞こえなかったんだね。
六條:彼は意志が強かったからねえ。(中略)
本野:それとね、家柄というんでしょうか、彼は普通の家でしょ。やはり華族の子弟との違いというのが
あったように思いますね。彼が優秀な人間だったということを関連づけてみると、そう思います。(中略)
あなた(六條さん)のように京都の古い家柄の華族とはやはり違う。(中略)反面、だけど俺の方ができるぞ
といった気持ちですね、そういうのが三島にもあったんじゃないかと推察します。
松本:それは確かにあっただろうと思います。あったから『春の雪』といった小説が書けたんですね。
本野盛幸、六條有康「同級生・三島由紀夫」より
- 71 :
- というわけで62の勝ち
- 72 :
- 50年後に三島と村上のどっちが残ってるかというと、三島だろうな
- 73 :
- 松本(司会):(三島は)最初は着物姿で現れたとか。終戦間もなくのあの時期、若い人で着物着ているひとなんか
いなかったでしょうね。
川島:そうですよ、あの時代、講談社の社屋は焼夷弾でね、黒こげになっているんですよ。(中略)そういう時代に
彼は紺絣に袴をはいて来ました。それはちょっと印象的でしたね。
松本:太宰治に会う時、着物を着て懐に匕首を呑んだような気持ちだったと三島は書いてますけど、講談社へ
行くのにもそういう気持ちだったんじゃないですか。
川島:どうですかね。相当緊張してました。
会ったのは僕だけでした。(中略)今日はこういう新人が来るから、頼むよ、と言われて。
松本:(中略)今後いけそうかどうか、見極めようと。
川島:ええまあ、やっぱり違いましたよ、普通の作家とは。僕たち池袋あたりでカストリ焼酎飲んで、檀一雄を
はじめとして、まあ無頼の連中とばかりつき合ってました。ところが、そういう文壇とは関係がない。なんか
スッとした、まあ貴公子っていう言い方はあんまり正確でないけど、何かスカッとした、よそ者が入ってきた。
川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より
- 74 :
- 川島:プライベートなことになるけど、三島由紀夫の妹美津子さんっていうのがね、家内の同級生なんですよ。
三輪田高女のね。同級生で親しくしていた。そこでね、三島のお母さんの倭文重さんもまた三輪田出で、遊びに
来るようにって言われてね、何回も遊びに行ったことがある。三島家へですね。三島由紀夫を訪ねるのとは別です。
家内について何回も行ったことがある。
井上(司会):講談社で三島由紀夫の来訪を受けた後ですね。
川島:ええ。そんなことから親近感持つようになった。そして家族ぐるみの付き合いになった。だから僕がね、
馬込の三島家を訪ねると、玄関左手に日本家屋があったんですよ。そこに親爺さんと倭文重さんがいて、僕に
気づくとね、あ、川島、こっちだよって必ず呼ぶの。(中略)今ね、うまい焼酎があるよって。その頃の
焼酎ってのはね、芋焼酎でね(笑)。(中略)
井上:三島が焼酎を飲んだとは聞きませんが。
川島:ええ、息子の方はね、全然ダメ。銀座のエスポワールってとこへ一緒に行ったことあるんです。でもね、
水割り一杯飲んで、真っ赤になってね、大変だった(笑)写真ありますよ、探せば。
川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より
- 75 :
- 松本:林房雄なんかと、早くから会ってましたね、三島は。
川島:ええ。
松本:川島さんも勿論……。
川島:ええ、会ってます。(中略)林房雄がね、山の中腹に書斎を作ったんですよ。その書斎びらきをするって
いうんでね。三島さんと呼ばれたの。そしたらね、その頃ちょっと忙しかったのかな、途中で帰ってしまった。
そしたらね、三島が帰ったら、花がなくなったよってね、林房雄は酔っぱらって言い出したんだ。じゃああれ呼ぼう、
熊谷久虎という映画監督がいるが、その義理の妹のあれを呼ぼうって。あれは誰だろうと思ってたら、原節子なの(笑)
君ィ迎えにいってこいよっていうからね、地図書いてもらって、(中略)湯上がりの彼女連れて僕は林房雄の
家へ行った。
松本:じゃあ三島は会ってないわけですね、原節子と。
川島:会ってたら、いやあ、どうだったか。
山中(司会):何年頃のことでしたかご記憶ありますか?
川島:何年頃だろうねえ。
松本:『仮面の告白』は出版されていました?
川島:もう出ていた。林房雄は三島をかわいがってますよ。
川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より
- 76 :
- 山中:川島さんのお仕事では講談社インターナショナルでのものがありますね(英訳版『太陽と鉄』を見せる)。
佐藤(司会):ああ、インターナショナルに移られたんですね。
川島:これはねえ、(社で)反対が多くてね。カバーの裸の写真はやめてくれっていうんだ。
松本:三島さんは是非ともこれでって……。
川島:ええ。アメリカじゃね、裸の写真こういうふうにするとね、ゲイのね、一つのシンボルになるから、
それだけはやめてくれっ言われたんだけどねえ、「いや、是非ここにこれやってくれ」って(笑)。
松本:いい本ですよ。
佐藤:いい本だ。
山中:中は二色刷りで、お金かかってますよね。
川島:かかってんだよこれ。それで、裏に署名。それが効いてるんだ。
(中略)
山中:帯をするとちょうど褌が隠れるようになってるんですね。
川島:そうそう。隠したんだよ(笑)。
山中:英語の題字も三島の筆ですか。
川島:そうですよ。そちらもどっかにあるんだけど。
川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より
- 77 :
- 川島:ある時ね、三島家を訪ねて、一緒に出たら、「川島さん今日はあいてる」っていわれてね、僕は会議が
あるので社に帰らなくちゃといったら、「それじゃいいや、この次にしよう」って。パレスホテルへ送って行くと、
「出来たらあなたと一緒に行きたいんた」って、楯の会だね。
佐藤:決起の予行演習とか。
川島:いや、一緒に飲むんだって。「川島さんがいると盛り上がるから」って(笑)。僕酒飲みだからね。
彼あまり飲めないから、「代わりに飲んでくれないか」っていうふうに話してたね(笑)。(中略)ああいう時はね、
惜しいんだよな。会社のことなんか別にしてね、三島がそんなこと言うのはあんまりないからね、あの時期にね。
どうして一緒にいかなかったかと悔やまれますけど。まあ人生ってそういうもんだよね(笑)。
松本:最後の別れみたいな、そういうことはありましたか。
川島:いや、別にないですねえ。あれが実はそうだったのかなあ。うん。ただ凄く忙しかったからね、例会とか
なんとかでね。
川島勝「『岬にての物語』以来二十五年」より
- 78 :
- 松本(司会):三島が強く意識していた同時代作家は誰でしたか?
寺田:やっぱり(武田)泰淳さんを一番意識していたと思いますね。後は、安部公房でしたね。(中略)
松本:泰淳との対談も寺田さんが?
寺田:そうです。いつ聞いたかよく覚えていないんですけれども、三島さんは「俺が一番尊敬している作家、
現代作家は誰か知っているか? 泰淳なんだよ」っていう話をするんです。(中略)人前では言わないだけですよ。
編集者には漏らすんですよ。(中略)
三島が死んだ時の泰淳さんのエッセイね、やっぱりもう……。これは酔っ払って書いてるなということわかるんですよ。
後半が乱れてくるんです。本当に泰淳が惜しんでいるんですよね、三島さんを。三島がね、「仮面の告白」の原稿を
坂本一亀に神田のランボオで渡すんだけど、それを泰淳さん、見てるんですね、側で。やっぱり泰淳さんが
特別な人だったのは、そういう現場も見られているということもあって、三島さんとしてはずっと泰淳さんのことが
頭から離れなかったのかもしれない。ライバルというよりも、どういうのかな、温かい先輩としてね。
寺田博「雑誌『文芸』と三島由紀夫」より
- 79 :
- 寺田:段々思い出してくるんですよ。こうやって話していると、延長線上で。やっぱりね、三島さんが文芸誌の
目次に入るか入らないかというのはかなり大きい問題になる時期だったですよね。それを言ってなかったんで、
付け加えますとね。やっぱり文芸誌のビッグネームなんですね。(中略)戦後派の中ではやっぱり三島さんは
一番商業的にビッグネームだったんですよ。そうだ、吉本隆明との対談をね、三島さんとの対談を、本当に
やりたかったですよね。二人ともやりたがっていたんですよ。
違った場所で私は二人から耳にしていて、実に残念だったですね。私がやらなきゃいけない仕事だった。(中略)
もう一歩突っ込んで、三島さんと吉本隆明との対談というのをやらなければいけなかったですよね。
松本:惜しかったですね。
寺田:これは実に惜しかった。これをやっていればね、そこでまた別の何かが開けた可能性があります。三島さんが
死ぬことをやめたかどうかまでは言えませんけど。
寺田博「雑誌『文芸』と三島由紀夫」より
- 80 :
- 松本:その頃はもう決めてたんでしょうけどね。泰淳さんと会った時はもう決めていた。
寺田:決めてますね。
松本:その時の言葉になっていない三島の態度で、何かありましたか?
寺田:うーん。僕は三島さんの最後で思い出すのは、新年号の原稿を頼みに行ったんですよ、もう直前ですね、決行の。
その時に三島さんは別れの挨拶的なことはしませんけれども、顔にやっぱりそういうものが出ていたような気が
後でしました。というのは、「君に児童文学あげるよ」というふうにね、言ってくれたんですよね。「じゃあ、
少年時代をいずれ特集でいただきます」と言わなきゃいけなかった。しかし、私は死ぬ覚悟しているとは
思わないから、「やっぱり新しいもの書いてくださいよ」って簡単に言って引き下がっちゃった。それを実に
後悔しています。
その時のニュアンスでは、「君にはあんまり何もして上げられなかったから、これを記念にあげようかな」という
ような気持ちが少しはあったんじゃないかなと思います。そういう表情がちょっと読み取れたんですよね、
後で考えるとね。
寺田博「雑誌『文芸』と三島由紀夫」より
- 81 :
- おかまのヒステリー
- 82 :
- 大河内(司会):演技をする際に、三島さんから注文なり助言があったんですか?
村松:いつも役の核心をつく説明をして下さいました。また演技の基本としては、人間を表現するのにひと色で
描こうとしない方がいい。例えばこのシーンで優しいからといって、残虐なところがあるかも知れない、愛の裏には
憎しみが……。何にでも光と影の両面を意識すること。人間を多面的に演ずること。
台詞に関しては、一つの文節をニューヨークのマンハッタンの摩天楼のように構築しておくれ。一つの台詞のなかに
一つのドラマがあると思いなさい。そう仰った。一言一句を大切にするということを思い知りました。
(中略)
先生のヒロインを演ずるときは、女という自分の素材によりかかってはいけない。むしろ素材は邪魔で、時には
自分が男になったつもりで「三島のヒロイン」を創っていかなくては、とても太ち打ち出来ない。複雑というか、
強さというか。極端なまでの存在です。
村松英子「ヒロインを演じる」より
- 83 :
- 村松:(朱雀家の滅亡で)私の頂いたヒロインの役名が璃津子ですけど、先生の亡くなった最愛の妹さんの名が
美津子。「戦争で負けたことよりもショックだった」と先生が言われた妹さんの死は、敗戦まぎわに勤労奉仕中
喉の渇きに耐えかねて飲んだ容器の水から疫痢にかかったためと伺いました。妹さんは聖心女子学院生でしたから
勿論制服は違いますが、「朱雀家」で愛しんで描かれている学習院の制服姿の若い婚約者同士に、私は若き日の
先生と美津子さんを重ねたものでした。「先生のノスタルジイですね」としみじみ言うと、「うん」と優しい微笑が
返ってきました。
松本(司会):読み返してみたんですけど、二幕目、恋人の朱雀経広が戦死の確実な戦地へ向うという時に、
璃津子が言いますね、「正式の、もう二度と引き返せない結婚ではなくてはいやでございます」。美しくて
雄々しくて、恋心あふれ出る場面ですね。
村松英子「ヒロインを演じる」より
- 84 :
- おかまのヒステリー
- 85 :
- 秋山:(昔から)三島由紀夫の存在は知っていた。早稲田に入る前なんかでも本屋に行けば、「花ざかりの森」を
売っていたからね。これがあの早熟の才能ある者が書いたのかと、あちらこちらの本屋を見てまわった。読みは
しなかった。翻訳本をやらなくちゃいけなかったから、そんなものは読んでいられなかった。
井上(司会):秋山さんはいつ頃から、三島由紀夫に同時代の感覚や接点を感じるようになったのですか?
秋山:言いにくいけど、それはないよ。ないというより、「花ざかりの森」という早熟のタイトル。題が題じゃないか。
そんなかっこいいもの、関係ないと思っていた。
(中略)どこが違うのかと、後になっても感じたことだが、やはり階層が違うということだよ。(はじめて三島と
会ったきっかけは)村松剛や佐伯彰一がいた「批評」という雑誌に、村松に誘われて加わった、その時にね……。
松本(司会):昭和四十年一月ですね。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より
- 86 :
- 秋山:そう。なぜか遠藤周作が三島さんの家に連れていってくれた。その時、初めて社会的なことにちょっと
目覚めたんだよ。一月だったし、何か持って行かなくてはと、奮発して煙草の「ケント」をワンカートン買い、
持って行った。ところが遠藤周作と一緒に行ったら、三島さんが玄関で出迎えてくれて。まるで舞台だよ。
遠藤周作は三島に花束を持って来ていて、渡しながらご挨拶なんかしている姿を見て……。
井上:ちょっと違うなと。
秋山:ちょっとどころじゃないよ。持参した煙草は持って帰ってきちゃったよ。はっきりとこれは階層が違うなと。
井上:その時、階層というものをリアルにお感じになったのですか?
秋山:はっきり感じましたよ。西洋の何かを模したような立派な家だしね。特にやってることがさ。遠藤周作も
こんなことやるんだなと。
井上:遠藤周作についての見方も変わったのでは?
秋山:かなり変わりました(笑)。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より
- 87 :
- 松本:外野席から見ていたわたしたちにとって、秋山さんの登場は非常に鮮やかでした。(中略)
「内部の人間」「想像する自由」(昭和三十八年)を発表されてからの秋山さんの存在感は凄かった。三島も
即座に認めた。
(中略)秋山さんから、三島はかなりの衝撃を受けたのではないかと思います。
秋山:未だによくわからないが、三島由紀夫は私に非常に親切でした。それはなぜだったか、現在でもよくわからない。
松本:なぜ親切だったのか色々と考えたいのですが、一つは、三島由紀夫の「太陽と鉄」(昭和四十年十一月
連載開始)は、秋山さんの仕事の影響があるのではないかと思うのです。(中略)評論かエッセイか小説か、
わからない新しい仕事というのは、秋山さんのほうが先ですよ。秋山さんがすでにやっておられる。そのとき
三島は、「なるほど、これだ」と思ったのではないかと私は思います。
秋山:あそこで文章の波長が共鳴したのかね。そう考えるといいけど、未だにわからない。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より
- 88 :
- 秋山:私がある時から思っていたのは、もしかすると先ほどの階層の話に繋がるが、階層や絶対的な教養の違いが
あるからね。こちらは正反対の何もわからない奴、というふうに(笑)。
井上:しかし、明らかに三島由紀夫は、人間的な好感を秋山さんに対して持っていたと思うんですね。存在に
対する好感とでもいうものを。
(中略)
秋山:三島さんは最初の頃から、しかるべき外国の作家、作品に手を掛け、自分のものにして進んでゆく。一方、
こちらは何もなく、敗戦を契機に今まで読んできたものを捨てなければならないと思っていた。ただ一つ私が
大切に持っていたのは、志賀直哉だけです。
井上:しかし、三島はそういう秋山さんのことを、なんて言うのかな、セクシーだと思ったんじゃないでしょうか(笑)。
山中(司会):ストイシズムというか、ギリギリのところから出てくる魅力というか……。
秋山:私が考える対象としたのは、道端の石ころ。三島さんはそうじゃないからね。
井上:三島にとってそれが魅力的なんですね。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より
- 89 :
- 秋山:私だけの考えですが、「仮面の告白」は、三島さん自身も説明し難い色々な意味があると思います。つまり、
私も後に、〈私〉という主格を中心にしての連作をやる。(中略)〈私〉という主格が行う人形劇のようなものに
すぎない。そこが「仮面の告白」に似ているのかもしれない。(中略)私は、三島さんの「仮面の告白」を
(「昭和文学ベストテン(小説篇)」)に挙げましたが、私が三島を挙げたことに、他の人は意外だったらしい。
三島さんは凄い人です。物を書くといってもただ書くのではなく、細部の密度、明晰さ、集中力を持って書く。(中略)
松本:「仮面の告白」にも書かれていますが、人間として生きていく資格のない人間だという認識がまず
前提としてある。そして、そこから、どうにかして生きていきたいという時点で、書くという行為が始まる。
これは秋山さんと同じなんですよ。(中略)しかし、お二人の行き先が全く違う。しかし、間違いなくここで
クロスしている。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より
- 90 :
- 河野多恵子が、私が敬愛しているのは谷崎、三島は…作りすぎるから小説書くと変なことになっちゃう、
彼でいいのは戯曲、芥川賞のとき私を推薦してくれたのは彼なんだけど、といってた。
確かにそうだよね。
- 91 :
- 「音楽」とかもつくりすぎてるということで評価低いよなあ。
たしかにラストで合理的にカタがつくあたりは、なんやねんそれ。
と、ツッコミをいれたくはなる。
でも個人的には好きだ。特にヒロイン凛子のキャラが。
- 92 :
- 頭ばっかりでかいチビの虚弱児ホモや
- 93 :
- 小説家というパフォーマンスを不器用ながら見せた優等生の凡人。
まともに読める作品は皆無。
- 94 :
- 千葉県市川市の駅前のツインタワー。
あれって、平野氏のノーベル文学賞のために山田Eと村上Rが人を依頼して
、したやつが数人入居しているそうだ。
- 95 :
- 身長160cm
- 96 :
- 秋山:私は、あのときから今に至るまで、道端の石ころですよ。今だってそうです。すべてそこに還元される。
三島由紀夫は、やはり特別な人です。つまり、三島由紀夫は主人公なんです。日本の文学者にはあまりいない。
井上:(中略)それぞれ違う道を歩んだ。そのところについてどうお考えになりますか?
秋山:物の考え方ですね。根本の波長が違うのです。三島さんは特別な人だということで、私は時折、中原中也と
比較することがあります。中原中也は、毎日毎日、昼起きて、散歩して、夜に詩を少し書く生活を七、八年続ける。
あの生活の時間の在り方というものは大変なもので、普通の人がそのような生活を送ったら、二、三年で気が
狂ってしまう。それを持ち堪えた中原中也の強さというものは凄い。私は中原中也の詩が心に食い入っているほど
好きですが、一瞬一瞬の生き方が違うと思いました。一瞬一瞬が前後に繋がるのではなく、完結しながらの
一分一時間の密度になっている。そこが三島と重なる。こういう人は、長生きしようとかそういうことではなく、
その都度、完結し、その連続を生きる。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より
- 97 :
- 秋山:三島や中也、そして信長も、その都度完結する。だから戦争ができる。完結するということは、死と
裏合わせですよ。いつ死んでもいいと思っている。だから奇妙な戦争の仕方ができてしまう。あとは運ですね。
そういったことから考えると、多くの人が言っている信長と違った信長像が立ち上がってくる。
井上:中原中也と信長との繋がりなど普通は連想しませんが、秋山さんのおかげで一点繋がるなと考えさせられます。
中也と三島にしても本質的に相当違うと思いますが、密度の濃さという共通項が挙げられる……。
秋山:本質的には違うでしょうけれど、中原中也も主人公でありたいと思った人です。
(中略)中也と三島を考える上で、間に小林秀雄を入れて考えてもいい。やはり重要なのは出発点です。
中也は(中略)いわゆるランボオなんですよ。
いわゆるランボオに傾倒したら、社会の中の主人公にはなれない。しかし三島の文学はそうではない。ラディゲの
「ドルヂェル伯の舞踏会」などの方面ですから。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より
- 98 :
- 秋山:ランボオはいわゆる西洋を変えようということや、不可解なものに手で触るようなところがある。
そういったものを、実は三島も持っている。しかし、そちらへは進まなかった。
井上:どうしてでしょう。ラディゲに触れるのが早過ぎたからでしょうか?
秋山:いやいや。触れる段階の早さではなく、文学に取り組む姿勢の違いでしょう。文学のモデルの違いです。
中原中也の場合、文学のモデルは詩です。ランボオやヴェルレーヌです。三島の場合は小説です。小説は社会、
むろん政治も含んでいる。
あれほど一々のことを管理し決定して小説を書いていた人はいません。実際わかっていて、故意にそのプロセスを
飛ばしたと言えます。だから、所々で恐ろしいことを言っている。それは小説に対する疑いです。中村光夫との
「対談 人間と文学」の中で、小説に登場する〈彼〉という存在の、その〈彼〉に対して、どのような責任を
持つのかと言っていますが、これはそもそも小説の否定です。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より
- 99 :
- 井上:小説を考えていく上で、それを言ったらおしまいということがあるのですね。なぜ三島は、そういったことを
言ってしまうのでしょう? (中略)
秋山:やはり三島さんは、主人公であることを生きた人だからね。たいへんな主人公になろうとしたのではないか
というのが私の考えです。織田信長と一緒です。(中略)
山中湖の文学館にある原稿などを見ましたが、あのような原稿の書き方をする人はいない。あれはすべて遺品ですよ。
いつ終わってもいいような、完結した原稿になっています。主人公の話に戻りますが、三島は日本あるいは
日本文化の中の主人公になろうとしたのでしょう。
松本:最後のところは、条件付きで賛成してもいい。例えば「日本文学小史」などは、いま秋山さんがおっしゃった
ような意図があったでしょう。日本文学の歴史と自分の文学を一体化させ、さらに先へ進もうとした。(中略)
一番肝心なのは、日本文学全体を考え、それを提示しようとして、三島は死んだんだと捉えることでしょう。
秋山駿「『内部の人間』から始まった」より
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