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2012年07月哲学402: ウィトゲンシュタインと心 (560) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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ウィトゲンシュタインと心


1 :10/11 〜 最終レス :12/07
いま、ぼくは、ウィトゲンシュタインの「哲学探究」を読んでいます。(黒崎宏先生の『哲学的探求』読解)
そのなかで、ウィトゲンシュタインは、心的過程、というものをとことん退けています。(クリプキはそれを「心」にたいする憎悪みたいな表現をしていますが)
なぜ、ウィトゲンシュタインは、心を、退けるのでしょうか?
現象学から、哲学の世界に入ってきた、ぼくには、新鮮さと驚きと、疑念の入り交じった、印象をウィトゲンシュタインに感じています

2 :
>>1
戦争に無理矢理駆り立てられた経験から
死の恐怖と人間の心の弱さを痛いほど実感したからじゃないでしょうか。

3 :
ケツ叩きのウィト

4 :
>>1
生徒のケツを布団のようにバンバン叩くからです

5 :
>>1
彼はいわゆる文系をやる人間とは違うんです
理系脳なんですよ

6 :
≪ウィトゲンシュタイン≫青色本
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1287420570/

7 :
ウィトは理工系の僕には、なじめるタイプの哲学。
さらに、近年のアメリカの分析哲学とはまた一味ちがう深み。
内面の宗教観、形而上学観。

8 :
日本人の理系って感情未熟なマザコンばっかりじゃないの
感情の対立から逃げるようにして論理に没頭する。

9 :
かたりえぬものにはちんもくせねばならないといいつつ、
そういう領域への崇敬の念。
哲学的、論理的言及との境界づけ。

10 :
>>1
僕はいま「野矢さんの「論考」を読む」を読んでます。

11 :
心を退けるとは具体的にどのことだい?

12 :
私的言語の不可知性のところかな?

13 :
ウルキオラ「… … 心 … か … …」

14 :
私的言語と心に関係あったっけ?

15 :
14 : 虎々ちゃん(静岡県):2010/11/19(金) 14:58:14.75 ID:9vuY4zgN0
知らなかったら知る努力をしよう

16 :
>なぜ、ウィトゲンシュタインは、心を、退けるのでしょうか?
なぜなら、心は、実在しないからです。

17 :
>>16 なぜなら、心は、実在しないからです
ことばが不十分。誤解を受ける。
「世界には」「論理空間には」ってこと?

18 :
実在とはなにか

19 :
ケツの叩きすぎ

20 :
ふ〜ん?

21 :
この人は哲学のような曖昧なものを数学的に答えのあるものにしたかったんじゃないのかい?

22 :
心的過程って、なにかな? 1は、くわしく説明をすべき。
最低でも、引用先とか述べるべき。

23 :
お前迷惑だよ<とーへんぼく

24 :
【Twitter】 twitter フォローしようぜしあおうぜ !!!
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1290230862/l50

25 :


26 :
>>21
論理的言説の適用範囲を確定しようと格闘。
なにかいわゆる一般的にイメージする「哲学」の答えをだそうとしてはいない。
近現代にそぐわないのに残りつづけている「哲学」に決定的なとどめをさそうとした。
しかし、伝統的な哲学が求め続けていた言語を絶する領域にたいする崇敬の念はあった。
こういうものを論理言語ごときで語ってくれるな、ということか。
ちがうかな?

27 :
>>26
考えれば考えるほど、訳が分からなくなるね

28 :
離婚の主な原因って結婚らしいぞ。

29 :
形而上学が嫌いだったからでわ?

30 :
>>29
きらいではなかったとおもう。ごりごりの記号論理学者や今の分析哲学者は
そうかもしれないけど。
彼は、あくまで学問的・論理的記述のありかたとしてものをいってると思う。
その背後のこと、行間にみえるもの、まで否定してるわけではなく、
それを言えるか言えないか。

31 :
形而上学と心は語り得ぬものじゃん?
て?

32 :
我々は対象‘について’語ることは出来る。
しかし対象を‘語り出す’ことは出来ない。
対象は主語に出来ない。

33 :
おっと「オブジェクトはサブジェクトにならない」だと
トートロジーだな。あああ、暇だ。どうでも良いわ。

34 :
ケンブリッジの博士号だかの面談で師匠のラッセルたちの
肩を叩いて「諸君には(私の話は)分からない」だろうって
慰めたのな。そういう世界もある。

35 :
「性のアウトサイダー」と「ウィトゲンシュタインと同性愛」から先に読んだからか、
そういう枠でしか彼のものを読まない。

36 :
ケツ

37 :
ああ、完全な人生の浪費だね。

38 :
>>35
君が「私はバカである」と言う時、この「私」は本当に主語で
あるのか疑問に思わないだろ。

39 :
>>35
全く、君が救いがたいバカであるからと言って気落ちする
必要はないのだ。
何故なら君は私ではないのだから。

40 :
そこで私が誰かに「私にはこのスレが糞スレであることがわかる。AAで荒らされているから。」
と言ったとする。
その人は私に聞くかもしれない、
「AAで荒されているスレを見るとき、君にどうしてこのスレが糞スレであることがわかるのか。」
と。
・・・・ヽ(*`Д´)ノグォラァ

41 :
>>40
AA荒らし屋も、ちゃんとスレを選んで荒らしてる。良スレは荒らさないだけの良識はもってる人たちさ。
言い換えれば、荒らされたということはクソスレ認定されたってことさ。

42 :
ここはスレ主が比較的まじめに聞いてきてるから、
>>40につられてAA貼るのはくれぐれもよしてくれよ。

43 :
やっぱ、ウィトゲンシュタインとその信者は、ハエ取り壷にはまってしまったハエだなw

44 :
独我論全般に対する論破:
心は物(物質)の構成する人体に生ずる物である。
物の写像が、心の中に構成される。(心の内の、精神の働きによって)そして、心の中に、世界像が形成される。
ある心は、他の心の一部の写像を、物(目、表情)から、構成する。
また、他の心のつかんだ命題のかたちの世界像(物質と、他の心(の一部)たちを含む)である、言語表現から
影響を受けて新たな世界像を構成する。従ってこの新たな世界像(我の心の一部)には、他の心の一部が含まれる。
以上の考察により、我の心は、他の心の全体をつかむことはできないにしても、一部は確実につかんでいる。
独我論とは、この一部の心を、理解しているからと言って、起源が他者に有ったことを無視し、自由に、捨て去る
等の加工をすることができることをもって、自分の心でしかないと言い張る、要するにすべての吸収にのみ視点を
おいた、起源に対する無視するところに成立する、論である。従って、悪い独我論者は、起源を無視した自己中心性
に陥ることが多いと、予測される。

45 :
>>44
独我論は恐らく論破できないと思うんですよ。
自分の襟首を持ち上げて宙に浮かぼうとするようなもので、どんなに腕力(論理)を鍛えても不可能に思えます
あるいは、自らの目で自らを観察する事と同じくらい不可能でしょう。鏡が無いと無理みたいな
ヴィトゲンシュタインは全然読んだ事が無いんであれなんですが、
心が物質だから何? と思います。そこは全く論点では無い。しかしながら、
ヴィトゲンシュタインはそれを指摘した時点で、もう論破していると言わんばかりです。その考え方が理解できないです

46 :
>>45
つまり、物は心を写像できない。心は物を写像できる。この、不対性、一方向の流れ
を悪用して言い張るのが独我論であり、独我論に対する論破としては、あなたの心の(あるいは、あなたの世界の)
起源は、どこにありますか、と質問すれば、論破できるのではないか、と考えたんだけど。
結構使えると思うんだ。

47 :
>以上の考察により、我の心は、他の心の全体をつかむことはできないにしても、一部は確実につかんでいる。
より正確に言うのなら、「我の心は、他の心の一部を掴んでいると信じている」でしょうね
我々は、我々の観察や認識をいくらでも疑えます。そして、その懐疑はついに晴れる事はありません。
懐疑論に対し、「それでは君は会話もできないねw」と言う人がいますが、それは懐疑論に対する
不完全な理解と言わざるを得ません。我々の懐疑は晴れる事はありません、しかしながら、
自分の認識を正しいと信じる事はできます。
信じるとは、非常に弱い力です。「お前にとってはそうだな」という言葉一つで揺らぐものです。
対して、真理や理論は強い力です。「誰にとってもそうであり、信じない者が間違っている」と言えます。
懐疑論が言わんとすることは、真理や理論など、初めから無い、という事です。
つまり、「誰にとってもそうであり、信じない者が間違っている」という考え方は、無いと言っているのです。
より正確に言えば、普遍的な正しさは疑い得るから、普遍的に正しいと言えない、という事でしょうか。
問題は、認識に対する信頼度でしょう。
懐疑論に反する人は、己の認識は100%正しいのだとしたいのだと思います。
対して懐疑論者は、己の認識が100%正しいわけでは無い、と思っているだけであり、
100%信用していないという事ではありません。答えが出せない、と肝に命じているだけとも言えると思います

48 :
>>46
悪質と言うのなら、心の起源を問う質問は悪質であると思います
分かるわけが無い、と言うのが率直な意見です
もしかしたら24時間前に出来たのかもしれません。それを否定する術もありませんし

49 :
>>47
あなたの、論述を読んでいて、疑問に思ったのが、
>対して懐疑論者は、己の認識が100%正しいわけでは無い、と思っているだけであり、
と言うところに対して。
懐疑論者は、己の認識が100%正しいわけでは無い、と言うことについて疑うことができない、と言うことを無視している。
己の認識が100%正しいわけでは無い、と言うことについて疑うとは、己の疑いについて、疑いを持つことだ。
要するに、すべての人間は、有る瞬間には、有る一定の懐疑という意見を含んだ、世界像を持っている。
その瞬間から、別の瞬間に移るときに、世界像を変化させることによって、懐疑という行為が成り立つだろう。
世界像の変化を伴わない懐疑などあり得ない。従って、懐疑とは時間に依る。有る一定の時間の内での
行動によって、有ることに対して疑っているか、そうでないかがきまる。瞬間瞬間の世界は疑いえないことは、
明白だ。
懐疑論は、(村上春樹の小説から引用すれば)重い時計を下げた山羊に似ているように思う。
時間を進めるために、今は何時かいつも気にしている。確かめなくても時間は進むのに。
懐疑しなくても、ひとは疑うべき時には疑うはずだ。
何か、以上の文から意義のあることを取り出すとすれば、懐疑論、と聞くと、疑問と言う概念をひとくくりに
考えがちだが、疑うという行為の創造性は、多様であろう、と言うことかもしれない。

50 :
>>48
悪質と言えば、分かるわけが無いという答えほど悪質な物はない。
そういってしまえば、自分の心は自分だけの物、従って、他人の心は
他人だけの物、と、自己の所有のみを主張するのか。勘のみによって、
人を責めたり、人に感謝したり、自分の心はこうだと言ったり。
24時間前に心が出来ましたと言ったり。
自らの自由の拡大は、記憶喪失の理由によって、主張されるのか。
悪いこともばれなければよい(と言い聞かせる)、都合の悪いことは忘れる、
まあ、いずれにせよ人は自分に嘘はつけない物だと思うが。
本当に起源に無関心ですか?他人の心の現状の起源を気にしなくても生活
出来ますか?

51 :
ウィトゲンシュタインは「哲学を語ることの無意味さ」を論理的に完結した。そこが偉大。

52 :
考えたこともない対象は、疑ってもいないということだ。
しかし、疑っていないことが、イコール信じていることにはならない。
一度も疑ったことがないことを、信じているとは言わないのである。
信じているとは、それが疑いの対象(思考の対象)になった後に、
意識的にその疑いを否定することが、信じているということである。
信じるとは、疑いを疑うことである。ゆえに、信じるとは疑うことなのだ。
信じるとは疑うことである、という事を、みんな分かっていないから笑える。

53 :
ある科学者が、炊飯器を持ち出してこういった。
「私が開発したこの炊飯器はわれわれと同じ心を持っています。もちろん
お米も炊けます。この炊飯器は恋もするし逡巡もします。そしてごはんを
つくることができるのです。」
さて、われわれはこの炊飯器が心を持っているか否かどうやって
確かめればいいんだろう?

54 :
われわれと同じ心というのは無理がある。
心を固有の反応だとすれば、炊飯器も人間とは違う心を持っている可能性はあるだろう。
違う心だから、どういう心かは理解できない。

55 :
プラスチックのオモチャ犬に癒されるって奴はいるらしいが、
共感したいとは思わんね。

56 :
見わけがつかないほど良く出来たものなら、そう言えないだろ。

57 :
アシモフのロボット三部作とかな。
生き物には電源スイッチはないが。

58 :
【文学士】えなりかずきさん『論理哲学論考』を語る★2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/bread/1287749738/

59 :
今考えてることも、感情も、心も、全ては電気信号でしかない。

60 :
>>49
>その瞬間から、別の瞬間に移るときに、世界像を変化させることによって、懐疑という行為が成り立つだろう。
瞬間もまた懐疑されます。つまり、私が過去だと思っている事柄は、私の思い違いでは無いだろうかと。
瞬間という発想は、主観による観察を「疑わない」時だけ成り立ちます。
しかし懐疑論では、そのような「疑わない」事をせず、主観による観察は曖昧であるとします

61 :
>>60
>瞬間もまた懐疑されます。つまり、私が過去だと思っている事柄は、私の思い違いでは無いだろうかと。
瞬間(過去だと思っている事柄を含んでいる瞬間)に対して、「私の思い違いではないだろうか」と思う時間(瞬間)
同士を比べることによって疑いが成り立つ。
懐疑という行為が、瞬間瞬間の移り変わりを基礎として成り立つということが言いたかったのであり、瞬間が疑いうる
というのは、別の瞬間の存在を認めれば、当然のことですね。世界観の変化と言うことを言いたかったのですよ。
「懐疑」という行為について、常に見張るような行為であると言うような認識を持っておられるように感じられたのですが、
それは言葉(懐)の綾のようなものであって、疑う主体と疑われる主体の世界観を分けることは出来ず、主体というのは
世界観を持つ(認識)ことのみを行い、
と言うようなことが>>49の時点では考えていたことですが、私よりあなたの方が包括的理解に立っていることに気づいた。
瞬間を思い出すことが出来るのが「主体」であり、過去については「主体」の持っている物(記憶)であり、「懐」疑という
主体性のある行為も可能である。私の>>49の考えは、懐疑論を可能にする主体の思考の産物である「瞬間」
を現象学的還元しようとしていたことに気づいていなかった。

62 :
>>59は電気信号。

63 :
>>59
外界を観察すると脳の物理現象があらわれる。
自己の内界を観察すると情感・質感(クオリア)があらわれる。
双方に対応関係はあるが、どっちかに還元してしまうことは、ほんとは独断にすぎない。
それに、ウィトの文脈からズレている。

64 :
>>63
還元て言葉は無意味だな。正確には原因と結果の関係と言うべきだろう。
また、どっちかに還元するのが問題というななら、双方に原因を求める考え方をすればよい。

65 :
>>63
貴様の頭蓋骨に脳みそが詰まってるかどうかは、貴様の頭蓋骨を
割って見なけりゃ分からん。これが確実性の問題だ。

66 :
科学的な知識は常にドクサであり得るからな。

67 :
>>64はおっしゃるとおりだ。
問題だというのは原因と結果の関係とするところだな。
あるいは主客二元論の前提⇒そこから観念論あるいは唯物論に一元化(還元)ってのも問題かな。
ちがう?
>>65 >>66
そういうことじゃないな。科学の帰納法の限界の問題以前。
主客の断絶の問題だよ。

68 :
最近の哲学で還元という言葉がどのように使用されているかはよく知らないが、
一部の要素で全体を説明することや、下部構造で上部構造を説明することを還元主義と批判する事から来ている言葉なのだろう。
まあ、それは問題だと言っちゃあ問題だが、どんな理論でも一部しか説明できないのだから、
還元?することは避けられないのである。
また、主客二元論についてだが、主体も客体も、どちらも人間の感覚器と接し感覚を通過して生まれるものであるのだから、
感覚に一元化してよいと考える。

69 :
感覚とは認識の形式に過ぎないのでは?

70 :
>>69
まったく逆

71 :
「感じる」ということに既に感じる側と感じられる側が
前提になっていないか?
それ抜きには感覚の定義が不可能に思うが。

72 :
人間的存在という現象を人間存在そのものから解釈する、だっけ?

73 :
つか懐疑論についての一般形式ってのが、山田圭一のウィトゲンシュタインの解説本にあるよ。
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例えば他人の心の議論だと
S:「他の人が心を持っているなんて証明できない」
C:「いや出来るだろ。彼は心を持っている@。だって映画を見て笑っているじゃないかA」
S:「いや、君が言えるのは、正確には「彼は映画を見て顔の筋肉を動かしているAa」
  ということだけだ。
  もし、彼が精巧なアンドロイドで映画を観るとき笑顔をつくるように作られているとしようB。
  それでも、世界になんら矛盾は生じない。
  よって彼が心を持っているとはいえないC。
  他の人にもこれを繰り返すと、すべての人が心を持ってない可能性があるD。といえる」
ってのが懐疑論の論法
整理すると
@:日常的命題「彼には心がある」
A:日常的証拠「彼は映画を見て笑っている」
  →Aa :書き換えられた証拠:「彼は映画を見て顔の筋肉を動かしている」
B:懐疑論的仮設:「彼は精巧なアンドロイドかもしれない」
  (暗黙の世界観Ba :「人間には心がある)
C:不可決定性:「彼は心を持っているとは断定できない」
D:懐疑論的結論:「人間は心を持っていない」
って構造をしている。
懐疑論者はまず「Aならば@」っていう一般的な論証のAをA:aに書き換える。
その後BとA:aが同時に成立することを言う。
かつBと@が矛盾することを示す。(本当にBが攻撃しているのはBa)
そこでAaの証拠能力が無くなってAaならば@が妥当な推論ではなくなる
でここからCが導かれて、それを他の@のクラスの命題に当てはめればDが成り立つ

74 :
>>45
以下、ウィトゲンシュタインの「論考」の独我論の部分。
http://tractatus-online.appspot.com/Tractatus/jp/index.html
5.6 私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する。
5.61論理が世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある。
それゆえに、論理の内側で「世界にはこれらは存在するが、あれは存在しない」と語
ることはできない。
そう語ることは、明らかにある種の可能性の排除を前提としているが、しかし、それ
は事実ではありえない。なぜなら、事実であるとすれば、論理は世界の限界を超えなけれ
ばならない。すなわち、世界の限界を超えることによってのみ、論理は世界の限界を外側
からも見ることができるのだから。
思考できないことを思考することはできない。思考できないことを語ることもできな
い。
5.62 以上の見解が、独我論はどの程度まで正しいかという問いの鍵となる。
すなわち、独我論の言わんとするところはまったく正しい。ただ、それは語ることが
できず、自らを示すだけである。
世界が私の世界であることは、この言語(私が理解する唯一のこの言語)の限界が私
の世界の限界を意味することに示されている。
5.621 世界と生はひとつである。

75 :
5.63 私は私の世界である。(ミクロコスモス。)
5.631 思考し表象する主体は存在しない。
「私が見出した世界」という書物を私が書くとすれば、その書物の中で私の身体につ
いても報告がなされ、また、どの部分が私の意思に従い、どの部分が従わないか等も語ら
れなければならないだろう。これはすなわち主体を孤立させる方法、というよりもむしろ
ある重要な意味において主体が存在しないことを示す方法なのである。すなわち、この書
物の中で論じることのできない唯一のもの、それが主体なのである。
5.632 主体は世界に属さない。主体は世界の限界である。
5.633 世界の中のどこに形而上学的主体が認められるのか。
あなたは、これは眼と視野の関係と同じ事情だと言う。しかし、現実には、あなたは
眼を見ることはない。
そして、視野におけるいかなるものも、それが眼によって見られていると推論できる
ものはない。
5.6331 すなわち、視野は決してこのような形をしているのではない。  
5.634 このことは、われわれの経験のいかなる部分もア・プリオリではないということ
と結びついている。
われわれが見るすべては、また別のようでもありえた。
われわれが記述できるすべては、また別のようでもありえた。
ものにはア・プリオリな秩序は存在しないのである。
5.64 ここにおいて、独我論を徹底すると純粋な実在論に一致することが見てとれる。独
我論の自我は広がりを欠いた点に収縮し、自我に対応していた実在だけが残される。
5.641 それゆえ、哲学において非心理学的自我を論じうることには確かに意義がある。
自我が哲学に現れるのは「世界は私の世界である」という事実によっている。
哲学的自我とは人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱う人間の心でもなく、形
而上学的主体であり、世界の部分ではなく、世界の限界である。

76 :
>>73
第三者の心で議論してるのがつまらんね。
「君の心」、「僕の心」で差し向かいに議論
しないと。

77 :
駄目だよなぁ、こんなことで哲学している
つもりになっちゃ・・・

78 :
自分に心があることをどうやって自分に
証明するかが問題だというのに。

79 :
証明不可能なのであれば、そんなものは
存在しないのかも知れない。
スフィンクスは自ら謎を解かねばならないと
言ったのはキルケゴールだったと思うが。
朝は四つ足、昼は二本足、夕暮れには三本足に
なるこの生き物とは一体、何であるのか?

80 :
人の一生を象徴した謎かけですね
老人が皆、杖をつくわけではないけれどね
さて、うどんを煮て食〜べ

81 :
携帯絵文字使ってもPCだとわかんねえよ。
物心ついてから死ぬまでずっと三本足な
生き物もいるけど、ああいうのは迷惑だね。

82 :
スフィンクスがオイディプスに投じた謎かけの
生き物は、>>81の生き物とは全く別のものの
ようだ。
「人」で一緒くたにくくっても回答にはならん。

83 :
自分に心があることを他人に証明する
必要はない。ただ、自分自身に対して
それが証明可能であるかどうかを独り
で考えるんだ。

84 :
心の哲学からのウィト解釈
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/75.html

85 :
>語の意味とはその用法である
>脳というのは心的な語彙を用いる文脈としては単純に間違っているのである。
>したがって、脳の心的状態を探し求めるのはカテゴリーミステイク(範疇の錯誤)、
>つまり一種の推論の誤謬なのである。
向こうずねを蹴り上げられると「脳が痛みを感じる」、
つまり「頭痛が生じる」というのは間違いということだな。

86 :
おじさま(ケロロ軍曹)の本棚にも、ありますよ。
ウィトゲンシュタイン

87 :
>>1
ただ単に、アスペだったからだろうな。

88 :
向こうずね蹴り上げられると頭痛のする奴が正常なんだろw

89 :
フーコー的にアスペを語るスレ

90 :
衒学趣味のお喋りですか?

91 :
そうでもあります。
社会によって「病」と判断されていく個性について語ります。

92 :
個性に心はありますか?

93 :
大昔から、「天才はほとんど狂人だ」って言われ続けてきたからな。
逆に、狂人の要素が無い者は、天才じゃないってことだ。

94 :
おやおや、またアスペ厨が暴れているな。w
凡才の故に、ウィトゲンシュタイン程の才人をみると
どうしても基地外の烙印を押して、隔離したくなるんだろ?
凡才は庭で盆栽でもいじっていればいいのに。w

95 :
それは逆で、狂気を肯定的に評価しているのだが。

96 :
狂気には狂気なりの合理性がある。
天才は境界例だろうけど、本当の
狂気とは違う。

97 :
境界例は普通の人の世界が分かるから、
世の中に評価される。

98 :
フーフーはハイデッガーの影響があるらしいじゃないか。
84年にエイズで死去。流行の最先端だな。

99 :
洗濯屋の車に跳ねられたり窓から飛び降りたり、ポスモダって
のは妙な奴が多いよ。

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