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2012年07月三国志・戦国33: 蜀滅亡戦について語ろう (269)
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蜀滅亡戦について語ろう
- 1 :2009/12/26 〜 最終レス :2012/08/14
- 蜀は263年に滅亡したわけだが、
劉禅のせい、姜維のせいという意見はあってもどういう戦闘だったかはあまり聞かないよね
そこで立ててみた
蜀魏最後の戦闘を語ろう
- 2 :
- 国の滅亡を一人の責任にするとか普通に考えておかしい
- 3 :
- あの一連の戦いで一番凄いのはトウガイでも姜維でもない
衛カンの危機回避能力
- 4 :
- >>3
通だね〜
- 5 :
- 天命が終わったから負けたんだとしか言えない
蜀にしろ呉にしろあっさり滅亡しすぎ
- 6 :
- あの戦いで一番凄いのは柳隠だろ?
- 7 :
- 諸葛瞻らがいとも簡単に敗死したのは何故だろう
軍勢はそれほど差が無かったはずだが
- 8 :
- >>7
ケ艾の「勝てなければ首をはねるぞ!」で背水の陣だったから必死だったんじゃね
それに蜀側は兵を率いたことの無い武将がほとんど
初陣だった
- 9 :
- 羅憲が頑張ったお陰で防げたけど、下手すりゃ呉も来襲して成都が血の海だったな
- 10 :
- まぁ、戦闘のレベルまでは記述に無いからな。語られないのも仕方ない。
>>6
柳隠の存在が魏軍に大きな影響を与えたとも思えないがなぁ。
漢城や楽城もスルーしている辺り、鍾会は何よりも軍隊を前進させる事を考えていたので、
後方に寡兵で籠もっている黄金囲を全力で陥落させようとはしていないだろう。
それでも、他の陣地が陥落する中で黄金囲を保った柳隠は凄いだろうけどね。
- 11 :
- ケ艾ばかりが評価されるけど曹操や司馬懿時代でも抜けなかった漢中を抜いた鍾会も英雄といって良いと思うんだ
諸葛亮の墓参りや略奪の禁止で蜀の戦意を奪ったのも上手い
- 12 :
- 演義だと漢中はいとも簡単に陥落したような感じだね
- 13 :
- >>7
戦闘の初期段階にあっては、ケ忠や師纂が攻撃を諦めかけたように、
諸葛瞻優位に推移していたと見ていいと思う。
敗死したのは諸葛瞻らが玉砕覚悟だったという事もあるが、
>>8の言うようにケ艾の勝とうとする意志が強かった事も大きいと思う。
- 14 :
- 蜀攻略の計画を立てたのも鍾会だしなあ
許楮好きとしては好きになれんが能力は凄いと思う
- 15 :
- あのころ既に漢中の防衛線は生姜によって後退されてたんじゃなかったっけ
漢城や楽城を抜いたのが凄いということ?
- 16 :
- 意志ってw
気持ちだけで戦争勝てるかよバーカwwwww
- 17 :
- >>15
確かに昔ほど防衛能力は無かったが、大きな被害も無く漢中を通ったのは十分功績に値するだろう
- 18 :
- >>12
正史でも関城は簡単に陥落してる印象だが
- 19 :
- 演義はこの辺りになると凄く早送りな印象があるんだよ
- 20 :
- >>16
必ず勝てると思って戦闘に臨む指揮官は、勝てる戦闘には必ず勝てるだろう。
だが、勝てないと思って戦闘に臨む指揮官は、勝てる戦闘でも敗北してしまう。
指揮官の自信や不屈の精神は、勝敗を分ける一つの要素だ。特に拮抗している状況なら。
もちろんそれが全てではないがね。
もっとも、ケ艾が意志のみで勝った、などとは一言も言った覚えが無いが。
- 21 :
- >>20
どう見ても絡みたいだけのバカだから相手すんな。
- 22 :
- 六年夏,魏大興徒?,命征西將軍ケ艾?鎮西將軍鍾會?雍州刺史諸葛緒數道並攻.
於是遣左右車騎將軍張翼?廖化?輔國大將軍董厥等拒之.大赦.改元為炎興.
冬,ケ艾破?將軍諸葛瞻於綿竹.用光祿大夫?周策,降於艾,
景耀6(263)年夏、魏は大いに軍勢をおこし、征西将軍ケ艾、鎮西将軍鍾会、雍州刺史諸葛緒に命じて、数街道から同時に進攻させた。
このため、蜀は左右の車騎将軍張翼と廖化、輔国大将軍の董厥らを派遣してこれを防がせた。年号を炎興と改めた。
冬、ケ艾は緜竹県において衛将軍の諸葛瞻を撃破した。後主劉禅は光禄大夫の周の策を用いてケ艾に降伏した。
後主伝では戦いの様子はわからず淡々と書かれている
- 23 :
- >>22
なんで姜維の名前が無いんだろう?
- 24 :
- ジョミニアン久々に見たな
- 25 :
- >>23
姜維は成都をずっと離れてたから
- 26 :
- 漢中が落ちたのは、漢中全体を指揮する司令官が不在であった事も大きい。
蒋舒と傅僉の上下も曖昧な上、結局ばらばらに行動している。
通常なら督漢中がその任に当たるのだろうが、胡済以降不在。
宰相が漢中に駐屯している間は督漢中が空位になるのが常だが、
姜維が沓中にいた当時の状況がそれにあたるのかは分からない。
また、胡済が死んだであろう261年時点では姜維も成都にあり、
後任の督漢中が決められてもおかしくないのに、その様子も無い。
>>21
久々にああいうレスを見たのでつい。
自重するよ。
>>24
そうかい?
確かに今月は殆ど来てなかったけど。
- 27 :
- 演義では腐れ儒者と呼ばれた 周だが、彼の進言は理路整然としている
目前へ迫った魏に対し、蜀高官たちの意見は
@同盟国の関係にある呉に出奔しよう
A南中の七郡が険阻で隔絶した土地で守りやすいので、南に逃走しよう
というものだった
これに対し 周の反論は
@他国に身を寄せて天子でいられたものはおらず、臣下として服従しなければならない。
今後魏が呉を征服することはあっても、呉が魏を征服することは不可能であり、
呉が滅亡すれば降伏という屈辱を2度も受けることになる。よって小国の呉よりは大国の魏に降伏したほうがましである。
A南方が服従したのは諸葛亮の軍事的討伐であり、さらに毎年税を取り立てているので苦しみ怨んでいる。
こちらが切羽詰って身を寄せようとすると、南方はおそらく反逆する。
魏が来襲したのは蜀政権の滅亡もも目的であるので、南方に必ず追撃してくる。
もし南方に行けたとしても、敵を防ぐ軍事費用等を蛮族から徴収せざるを得ず、結局蛮族が反旗を翻すことになる。
魏が蜀の土地を奪ったとき、劉禅が蜀を去ってしまえば土地の住民は完全に魏についてしまう。
劉禅がとどまっていれば逃亡離反が防げるし反撃のときの呼応も可能。
素直に降伏するのと、南方に逃げ追い詰められてから降伏するのとでは魏の対応も異なってくる。
素直に降伏すれば爵位・封土も得られるであろう。
これに他に蜀高官は異論を唱えられなかった
- 28 :
- 実際呉を滅ぼしたのは晋だったが、それ以外はおっしゃる通りですって感じだな
- 29 :
- 孫呉では張昭らが>>27のように主張したが周瑜に押し切られたね
蜀漢では周瑜のように徹底抗戦を主張する者はいなかったのか
- 30 :
- 劉ェぐらいかな
演義で腐れ儒者って言ってた人
しかし劉禅は降伏を選んだ
おそらく諸葛瞻軍が奥の手だったんだろう
- 31 :
- 劉ェの死に様はかっこよすぎる
が、劉備は喜ばない死に様だろう
- 32 :
- まあ曹操の南征当時と魏の蜀侵攻当時じゃ彼我の戦力差や中華情勢が大きく異なるからな
- 33 :
- >>30
まだ辺境を守ってる将兵や成都の守備兵はいたはずなんだがな
成都間近まで侵攻されてる状況を押し返すのは難しいが
- 34 :
- ケ艾に提出された蜀の情報
戸数 28万戸
人口 94万人
兵士 10万2千人
官吏 4万人
兵糧 40余万斛
明らかに官吏の人数が多すぎるんだよな・・・
- 35 :
- 兵士も1割を超えてるな
- 36 :
- >>34
これじゃ官吏の給料払うだけで財政が破綻しかねんぞ
- 37 :
- 官吏が増えまくったのは何か理由あったはず
- 38 :
- 蜀の財政については判らんけど兵力という意味ではもう限界だったでしょうなあ
- 39 :
- 総人口94万人といえば静岡市くらい?
静岡市って公務員何人おんねん?
- 40 :
- さあ?
ただ人口100人に1人が理想とかなんかで見た気がする
94万人なら9400人かな
- 41 :
- 理想値の4倍強か
狂った社会だな
- 42 :
- >兵糧 40余万斛
これが一番やばいだろ
これじゃ長期戦無理
- 43 :
- >>27
>>34
降伏を選ぶのもやむなしか…
数字で見ると説得力が違うな
- 44 :
- 現実感あるもん
- 45 :
- まだ10000ぐらいは成都にいたと思うんだけどな
トウガイの勢いが強過ぎて弱気になったかも
- 46 :
- ガイ相手に成都に残った将兵に戦えと言っても厳し過ぎる
頼みの綱が戦死した後だし
- 47 :
- しかもトウガイに仮に勝てたところですぐにショウカイも来るだろうしねぇ・・・
- 48 :
- 劉ェの死に様は漢杉る
馬鹿親父(劉禅)と違って、劉備の志をモロに感じる
- 49 :
- >>45
迎撃に向かったのが実戦経験があったかどうか疑わしい諸葛瞻で
一緒に戦死した者も尚書系の官が目立ち将軍クラスがいないので
兵がいても指揮できる将軍が既にいなかったのではないかと
いたとしても病死直前の宗預と間に合ったかどうかの閻宇くらいか
- 50 :
- >>48
劉ェは武侯祠入りしてないんだっけ?
アホ親父はどーでもいいが、せめて祖父の側に並んでて欲しいなあ。
- 51 :
- >>27と>>34見る限り降伏した劉禅もアホとは言えないだろ
他の高官たちも異論を出せなかった訳だし
- 52 :
- 呉が送った部隊が救援部隊ではなく略奪部隊だったってのが…
- 53 :
- まあこの時代になると互いに不可侵ではあったが交流はほとんどなかったみたいだし
呉にしてみれば次はこっちが滅ぼされるという危機感があったろう
住民や金銀の略奪を考えてもおかしくはない
- 54 :
- 孫休が死んで呉軍は撤退したんだっけ
- 55 :
- その呉軍の指揮官が丁奉というのがなんとも
呉って魏や蜀と功臣の世代が一世代ずつ違うからなぁ
- 56 :
- 蜀滅亡戦において何よりも重要なのが漢中素通りだな
ここを抜かれたら蜀は終わりというぐらい重要拠点だったのに
- 57 :
- 滅亡戦なんてそんなもんですぜ
- 58 :
- 魏の軍勢は20万ぐらいだっけか
- 59 :
- 蜀の場合一番致命的なのが充分な量の兵糧が用意出来ない事じゃね
この時点で既に積んでる
- 60 :
- 兵糧よりも兵士を率いる武将がもういなくなってた
辺境には優秀な武将も居たが、成都まで遠すぎたのもあるか
- 61 :
- 滅亡時の酷さ
魏≧蜀>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>呉
- 62 :
- ケ艾が断崖絶壁を経てたどり着いた群はどこだっけ?
あそこの太守が戦わずして降伏しなければ情勢はかなり変わったと思うんだが
- 63 :
- >>27
何か張魯が曹操に降伏したのを思い出すなあ
特に最後のほう
- 64 :
- 大将軍だと大将軍府が開けて、丞相だと丞相府が開けるんだよね?
だったら皇帝が開く幕府はなんていうんだろ?
- 65 :
- >>50
劉備像の横に劉ェ像が並べて置いてある
でも劉禅像はない
- 66 :
- >>64
それは朝廷じゃね
- 67 :
- ケ艾も鍾会も強すぎ
かなり一方的にやられて降伏した感じ
- 68 :
- まあどこかで押し返せていればそもそも滅亡しないからなあ
- 69 :
- 魏の内乱が長引いたのは蜀にとって幸運だった
- 70 :
- というか司馬師以降は魏が完全に有利だね
- 71 :
- そらそうよ
国力って言葉だけじゃなかなか実感湧かないが、
要は人口だ
人口が多い→子供が増える→兵士が増えるってな
時代を経れば経るほど蜀は不利になる
- 72 :
- 呉蜀の場合は、代を重ねる毎に君主がアレになって行ったからな。
蜀滅亡の要因の一つは、政治と軍事の劣化だと思う。
- 73 :
- >>72
魏なめるな
魏の方が代を重ねるごとに君主がアレになってた先駆者だ
曹叡は始皇帝並だなんて言われてるんだぜ
- 74 :
- 魏は文帝が短命だったのが悔やまれる気がする・・・・
曹叡の劣化も呉蜀との軍事的緊張がある内は、ある程度抑制されていたかと。
周囲に脅威がなくなって暴走する辺りは、始皇帝に似てるとは思う。
間違ってたらスマソ
- 75 :
- 外安らかなれば内に必ず憂いあり、とはいつの時代でも変わらんからな
- 76 :
- あっさり突破したように見えて、
鍾会の漢中突破は、意外にギリギリの勝利だったんだよね。
漢中から300kmも離れた沓中にいた姜維をケ艾と諸葛緒によって包囲させ、
その間に鍾会が漢中を突破する、という戦略だったけど、
全戦力の1/3を使った姜維の包囲は失敗し、姜維は漢中まで1週間かからず到達できる位置まで来ていた。
蒋舒と傅僉が協力し、魏軍に対して抵抗する意思を見せていたなら、
姜維は関城に到達できていただろうし、張翼や董厥も間に合っていただろう。
結果だけ見たり、精査しなかったりすると、非常に簡単に勝利したり感じる戦いでも、
実際は累卵の如き危うさだったという事もよくある。
蜀の滅亡はそういった類のものだと思う。
- 77 :
- 文帝ってどうよ?
偽善と粛清と理不尽決定ばっかでうんざりするアホの印象なんだけど
- 78 :
- 文帝って司馬昭の事かいな?
偽善と粛清はまだ分かるとして、理不尽決定って何か具体例でもあるの?
- 79 :
- >>78
>>74の曹ヒの件
俺は曹ヒに曹叡ほどの指導力、求心力があるのか疑問だ
- 80 :
- 曹叡に求心力なんてあるか?
- 81 :
- 曹叡くらい臣下から総スカンくらった皇帝は三国時代にはいない
- 82 :
- 曹丕は人間の屑だし為政者としても疑問。
曹叡に丁儀、王忠、于禁、曹洪、鮑勲、楊俊、夏侯尚、鍾繇らのような被害者はいない
曹丕が長生きしていれば魏はもっと続いた、とifで語られるが。
こいつのエグい人格だと政治でも戦争でもボロを出す方が濃厚だろ。
曹操の遺産と呉蜀の荊州問題の漁夫の利を貪っただけの軽薄才子。
それが文帝紀その他を読んでの俺の評価。
- 83 :
- >>80
ない。
ないが曹丕にはもっとない
どの道魏は滅びる運命だったのかもね。
- 84 :
- よく考えてみると軽薄才子の評価は間違いかな
陰湿な鬼畜だわ
- 85 :
- 陳寿も人徳があれば聖天子にも匹敵するって言ってるけど、
つまり人徳が全く伴っていなかったという意味だよな
- 86 :
- 幼帝が継いだ時点でどの王朝も一気にテンパイだな
- 87 :
- つ清の康熙帝
- 88 :
- >>76
剣閣に籠ったから片側からの攻撃で済んだけど
関城に籠ったら両側から攻撃されるのでは
- 89 :
- >>88
剣閣に拠るって事は、その時点で完全に受動的な作戦しか採りえなくなり、主導権を完全に
放棄する事になる気がするのだが
姜維がどの時点で漢城に到達できたかにもよるが、そうなれば廖化や張翼、董蕨ら、国内に
展開している別軍らと呼応して魏軍の退路や兵站を脅かすといった有機的な作戦を採る事が
できたかもしれず、奏効すれば魏軍内に疲弊や厭戦気分が漲り早期の徹底を志向させえた
可能性も皆無ではないはず
史実では剣閣に篭るしかなくなった事で魏軍の攻勢を凌ぐ以外の方途を失い、進むも退くも
魏軍の胸先ひとつに委ねるほかなくなった様にも感じるわけで
- 90 :
- >>89
橋頭を通過した時点で姜維は敗走中だった上に
かわされた諸葛緒との距離は1日分しかないから
たとえ関城に到着してもすぐに包囲される可能性が高い
それに前方に鍾会の10万以上(−各拠点包囲分)
後方に諸葛緒の3万で包囲され
さらにケ艾の兵3万が丸々残っているから
どちらにしろ有機的な作戦どころではなかったと思う
- 91 :
- 希望的な意見になるが、剣閣で魏軍主力を拘束した状況で魏軍後方に展開して別行動を
とれる一軍が存在しないんじゃ姜維も手詰まりだよなあ
尤もそんな自由に動ける敵戦力が存在しながら、それを野放しにして鍾会が剣閣に自軍の戦力を
集中させる愚はおかさんだろうが
- 92 :
- 諸葛緒は姜維の捕捉に失敗した後、陰平でケ艾と合流し、
ケ艾軍の内、奇襲に参加しない兵を預かってから鍾会の元に向っている。
ケ艾の奇襲が行われるまで陰平に留まっていたのは漢中が落ちたからだろうが、
姜維を取り逃がしてすぐに漢中陥落の報に接したとは考えられず、
漢中陥落の如何にかかわらず、諸葛緒はケ艾と合流する為に陰平に向っただろう。
となれば、姜維としては、自身が関城に急行するかたわら、
軍を分けて隴西方面の敵に備える為の陣地を構築させる時間もあっただろう。
白水方面には張翼らを向かわせて増強させれば、関城と橋頭の二ヶ所で蓋ができる。
問題は、防御が硬直的に過ぎてしまうという事。
関城はまだ良いとして、防御陣地程度で5,6万の敵、それもケ艾が率いる敵を防ぎ切れるかは疑問。
敵の補給がどれだけのものかにもよるが、隴西方面の敵軍は早期に撃破する必要がある。
- 93 :
- >>92
諸葛緒は姜維よりも先に橋頭に駐屯していたから
その時点で関城との連絡ができていた可能性がある
地図だと橋頭から関城まで行くには南に迂回する必要があり
廖化、張翼、董蕨の動きに左右されるけど
突破済みの武都経由なら十分可能だったと思う
しかし陰平に留まった廖化に諸葛緒と戦った記録がないのは
状況不利として戦闘を避けて引き上げたのだろうと思うけど
(廖化単独で3万の軍とは戦えないだろうし)
漢中救援に向かっていたはずの張翼らは何をしてたのだろうか
関城陥落に間に合わなかったから引き上げたのか?
一応戦ったけど撃退されて引き上げたのか?
出発が遅くて剣閣近辺までしか来れなかったのか?
- 94 :
- >>93
諸葛緒と鍾会の間で連絡が取れる状態にあったかは、この場合あまり関係ないと思う。
姜維が漢中陥落の報に接したのは、陰平から関城までの間を移動中だった頃。
諸葛緒が道路を遮っている状況では情報も届かないだろうから、
順当に考えれば諸葛緒をかわして関城に迫っている頃だろう。
姜維が諸葛緒をかわす以前に関城は陥落し、且つ諸葛緒もその事を知っていた、
とも考えられるものの、そうすると魏軍本隊の関城剣閣間の行軍が緩慢に過ぎてしまう。
したがって、漢中陥落は姜維が諸葛緒をかわした前後となるので、
この時点では諸葛緒は漢中陥落を知らなかっただろう。
にもかかわらず、諸葛緒が姜維を追撃した様子も見られないという事は、
漢中陥落如何によらず、ケ艾と合流する予定だったのだろう。
なので、漢中が陥落しなければ、姜維にある程度の時間的余裕が生じた公算は高い。
ただ、漢中陥落を姜維が知ったのがいつか、というのは記述によって違ったりもする。
鍾会伝だと陰平を捨て関城に向う途中、ケ艾伝だと何も書いていないが、
沓中にいた時点で鍾会が漢中に侵入した事を知っている。
晋書文帝紀だと、姜維は彊川口で敗れる前に漢中陥落を知っている。
文帝紀は鍾会伝とケ艾伝記述を混同したのだろうとは思う。
仮に文帝紀通りだとすると、関城陥落の報に接してから鍾会が剣閣に前進する短い間に、
姜維は沓中から剣閣までの(恐らく)道のりで300km以上の距離を、
彊川口会戦、陰平での軍勢集結、諸葛緒突破時の機動などをこなしつつ進んだ事になる。
機械化された現代の軍隊でも無理だな。
張翼らが関城に到達していたなら、傅僉と蒋舒に起こったような問題は生じなかっただろうから、
彼らは、ようやく漢寿に到達した時に関城が陥落したのを知った、という事だろう。
- 95 :
- >>94
鍾会伝では関城が落ちた時点で鍾会自身は楽城を攻めていたとされる
姜維伝では関城が落ちたことを知った鍾会はそのまま前に進んだとあるけど
鍾会伝では胡烈が関城を破って倉の食料を確保したとある
だから鍾会は楽城を包囲の上放置して関城に駐屯したと思う
(資治通鑑では鍾会は前に進んで倉の食料を確保したとする)
この時点で楽城はもちろん漢城も落ちていないし
鍾会伝では守備側が各5千、包囲側が各1万程度だから
鍾会は両城を放置したまま先に進んで蜀軍と戦うのを避け
ケ艾と諸葛緒の状況を確認しながら様子を見ていたと思う
その後姜維らが関城陥落を知って剣閣に退いたのを確認してから
鍾会は楽城と漢城を放置して先に進んだのではないかと思う
- 96 :
- >>95
関城に入らなければ前に進めないのだから、
鍾会が一旦関城に入るのは至極当然の事だろう。
ただ、鍾会が関城に留まり続け、姜維らが剣閣に入るのを確認するなんて事は信じ難い。
晋書文帝紀の詔勅では、「剣閣不暇守険、関頭不能自存」とあるくらいだし、
蜀軍に時間を与えて剣閣の険に籠もらせる隙を与えるなんて愚は犯さないだろう。
ケ艾と諸葛緒に拠る包囲が成功しようがしまいが、迅速に関城と剣閣を突破し、
四川盆地へと雪崩れ込むのは規定路線だったはず。
- 97 :
- >>96
書き方が悪かった気がする
鍾会が関城に入った時点ではまだ漢中すら平定しきっていない
あなたの説だとこの時点での鍾会には武都や陰平の戦況は分からないし
自説>>93でも姜維の橋頭通過前の連絡だから結果は分からない
もし鍾会が剣閣に進んだ後で姜維がケ艾と諸葛緒の撃退に成功し
さらに蜀漢側が武都又は巴西経由で漢中を奪回した場合
鍾会は関城〜剣閣で孤立してしまう
だから鍾会は漢中平定を続けながら諸葛緒と連絡を取り
包囲から逃れた姜維が関城に向かうため南に進んだことで
後方遮断のおそれがないと判断してから出発したと思う
ほぼ総勢で剣閣に籠られるのは確かにいやなことだけど
それでも退路を断たれる方が怖いでしょ
- 98 :
- >>97
姜維の包囲が成功するか失敗するかも分からない状況で、
失敗したら危険だからと前進をためらったということ?
何よりも速度が重視されるこの作戦で、そんな判断はしないだろう。
作戦の成功が、関城と剣閣の迅速な突破に掛かっていると言っても良いくらいなのだから。
リスクの軽減を求めようとするなら、まず漢城と楽城を完全に陥落させてるよ。
特に漢城は漢中の軍事・行政の中心だから、後方の敵兵を撃破するという事以上に、
その陥落は大きな効果がある。
姜維が剣閣に入るのを黙って見ながら、なお二城を放置して進む事からは、
鍾会のそんな慎重な姿勢は見受けられない。
第一、姜維が漢中に戻ってくるのが危ないと言うのなら、
まず胡烈の前軍を剣閣に急行させるだけでも良い。
鍾会が関城が陥落してもなお、姜維らの行動を案じてしばらく停止していたのなら、
関城が陥落した時点で姜維はもちろん張翼らも剣閣には到達していなかっただろうしね。
また、陽平関を押さえつつ白水辺りに軍を派遣すれば、
ケ艾や諸葛緒と連携しつつ姜維を完全に包囲・撃破できる体勢が整う。
ただ徒に漢中に全軍を留めると言うのは、一番やらない事だと思うが。
- 99 :
- Jominianが昼間に書き込んでると違和感あるな。
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