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2012年07月世界史297: 大航海時代 (817)
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大航海時代
- 1 :10/11 〜 最終レス :12/06
- 大航海時代でほぼ世界一周を終え、アフリカのクロンボ
アメリカ大陸やオーストラリアにいた未開土人
トルコや中国、日本らの半未開国を見て、ヨーロッパ白人が
最も優れていて世界を征服できると素直に思っただろうな。
- 2 :
- ヨーロッパ人が香辛料を求めた理由について、これまで食肉の保存のためと
思われてきたが、実際は医薬品と考えられていたからなんだよな。
- 3 :
- >>1
大航海時代じゃ、まだヨーロッパに比べて中国やトルコが遅れを取ってたとは言えないよ。
中国は良く知らないけどトルコ(っていうかオスマン帝国)は大航海時代真っ盛りの、
16世紀から17世紀にかけてスペインと肩を並べる(場合によっては上回る)くらいの、
強国だったから同時代のヨーロッパ人は半未開国とは思ってなかったんじゃないかな?
- 4 :
- >>1
白人厨に真面目に反応するのもなんだが、大航海時代のヨーロッパじゃ他国
を未開呼ばわりできるレベルじゃない。
東洋でも既に出来上がった中国〜東南アジアの南海貿易やインド洋貿易網の
中の一部にようやく入り込めた程度。
当時じゃ未開・半未開の区別よりキリスト教徒かそうでないかのほうが
重要。
だいたいオスマンが半未開国で簡単に征服できるなら大航海時代が始まっ
てない件についてどう思ってるやら。わざわざ自分の馬鹿晒したスレ立て
文書く神経は理解できんな。
このスレが伸びる場合、多分、スレ主の知的レベルをはるかに超えたレベ
ルの話になると予想。アンチ・モンゴルスレでもそうだったからな。
多分、お前さん、邪魔になるだけだよ。
- 5 :
- 東方見聞録ころには差別的表現はなかったようだね
でも数百年後、結果的には世界のほとんどを西欧の白人が植民地にしたけどね
- 6 :
- 日本見て簡単に征服できないって言った宣教師がいてだな…
つまり何が言いたいかというと>>4の言うとおり>>1ではついていけない話になるかもな。
このスレの「大航海時代」の範囲について決めておかない?
- 7 :
- 朱棣と鄭和
|
| おまえが大航海時代の一人者だろ!
\___ ____________
∨
|VVVV'|
__∧鄭∧__|_朱__|____
| ( ;´∀`) (´∀` ) .|
| ( ) ⊂ ) |
/ ̄( ( (  ̄( ( (  ̄ ̄/|
|| ̄ (_(_) ̄(_(_) ̄ ̄||
∧
/ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| (エッ!!) |
| が無いんですが |
- 8 :
- 遊牧民族が落ちぶれ銃器・火器が急速に発展した時代でもあるね
- 9 :
- エジプト停滞の契機となったのはヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰航路の開拓で、
それまで莫大な富をもたらしてきた香辛料のインド・ヨーロッパ間の中継貿易が
激減し、エジプト経済は深刻な打撃を受けた。
当時、カイロを首都としてエジプト・シリアなどを領有していたマムルーク朝は、
同じく香辛料の中継貿易で利益を上げていたヴェネツィアやインドのムスリム王侯と結び、
ポルトガルの香辛料貿易を阻止すべく開戦したが、1509年2月、インド北西部
ディーウ島沖の海戦でポルトガル海軍に惨敗する。
その8年後、マムルーク朝は新興のオスマン朝によって滅ぼされ、エジプトは
政治的にも中東の大国から一属州の地位に転落。
- 10 :
- >>1が思い通りにならなくてイライラスレは ここですか?
- 11 :
- >>6
15世紀後半から17世紀ぐらいまでが妥当じゃないかな?
>このスレの「大航海時代」の範囲について決めておかない?
- 12 :
- >>11
17世紀といえば、英仏蘭が東インド会社を設立して、インドのスラトに
商館を設置したり、マドラスを譲渡されたり、マラッカを奪取したり
していたころだな。
- 13 :
- >>12
そうだね。大航海時代における覇権国家が、
スペイン・ポルトガルからイギリス・フランス・オランダに移りかけた時期だね。
- 14 :
- >>9
その代わりポルトガルの覇権も一時的なものだったからな。マムルーク朝
倒したオスマンが出てくるし、それに対抗するためにサファヴィー朝と結
んで、結構な量の香辛料をペルシアで荷揚げしてレヴァント貿易ルートに
載せなければいけなかったし、給料遅配で現地のポルトガル人が横流しも
してた。
オスマンも完全にポルトガルを排除してインド洋の覇権を握れたわけじゃ
ないけど、大体数十年くらいで香辛料の供給源はレヴァント貿易に戻って
る。香辛料貿易のアフリカ航路の復活はオランダの台頭以後だろうな。
- 15 :
- ヴェネツィアが衰退したのは、香辛料貿易をオランダに独占されたことのほかに、
レヴァント貿易でもオランダやイギリスとの競争に負けたことが原因だよな。
教科書的な理解だと、大航海時代の到来→イタリア海洋都市国家の衰退、
となっているけど。
- 16 :
- >>15
レヴァント貿易が独占できなくなってからも、毛織物や絹織物生産などの
産業と輸出に力入れて、経済力は衰えてはなかったんだけどな。
17世紀に入ってからオランダやイギリス船を締め出す保護政策で失敗して、
レヴァント貿易の中継港としての位置もラグーザやリヴォルノに取られた
し、産業面でもやっぱりイギリス・オランダ製品との競争に負けたことと
三十年戦争で顧客のドイツがボロボロになっちゃったことで、最終的に
衰退に向かってる。
>教科書的な理解だと、大航海時代の到来→イタリア海洋都市国家の衰退、
となっているけど。
実はスペイン・ポルトガルの大航海時代って本当に一時的な収入しかない
んだよなあ。フェリペ2世、何度国家の破産宣告したことか。
- 17 :
- >>16
新世界から来た富で儲けたのは、スペインではなくイタリアの銀行だった。
コロンブスもジェノヴァ人だったしね。
>>1
ヨーロッパ人が入手したがったクローヴ、メイス、ナツメグなどは、
インドネシアの東部、マルク諸島とバンダ諸島が産地だったが、16世紀初頭の
この地域には、テルナテ島とティドーレ島にムスリムのスルタンがおり、
勢力を二分して対立抗争を続けていた。
ポルトガル人は当初、その武力を利用しようとしたテルナテ島のスルタンに
歓迎され、この島に要塞を築くことに成功する。しかし、ポルトガル人と
やや遅れてこの地に来たスペイン人が対立しつづけたこともあって、
クローヴの生産と販売そのものは依然としてスルタンが握り続けていた。
二つの島のスルタンは、クローヴをポルトガル人の持ちこむインド産の
綿布や武器・弾薬と交換することによって、自らの経済力・軍事力を強化し、
その影響力はマルク諸島のみならず、周辺のバンダ諸島やニューギニア西部にまで
及ぶようになった。
香辛料の生産地は、ヨーロッパ人によって簡単に征服され植民地化された
わけではないよ。
- 18 :
- やっぱ産業革命で白人の文明力を確信したあたりから
一層見下すようになったんじゃないの?
- 19 :
- 見下し自体は宗教の影響からかだいぶ昔からあったしな
- 20 :
- この板で不思議なのは、おそらくモンゴロイドであって白人でもないのに
有色人種を見下すレイシズムに染まって>>1のように一生懸命プロバガン
ダをする奴が結構いること。バブル時代に日本人がバナナって呼ばれてた
の思い出すわ。
勿論、逆に白人を見下そうとするレイシストどもも同じレベルのバカタレ
なんだが。
こいつらがまともな歴史知識をもってるの見たことない。こういう輩は
大抵教祖みたいなのの受け売りなんだが、こいつらだけは何の影響受けて
るのか、どうしても分からん。
- 21 :
- >>19
前近代における白人優越主義はまだそこまで大きくなかったよ。
そりゃ、ヨーロッパに限らず古今東西どこでも異文化圏を見下すことはあったけど、
「東方見聞録」なんかを読めば分かるように当時の白人には、
あまりアジア地域に対する差別意識は見られないよ。
まぁ、事実としてアジア諸国のほうが先進的だったというのもあるけど。
ただ、イスラーム圏に対する差別は中世からある程度あったけど、
これは見下しというよりは宗教的敵対心と言ったほうが言いと思う。
- 22 :
- むしろ>>1みたいに思いつきで立てたっぽいスレのスレ文に対して
>>20みたいに深い感想を抱く人が多い事の方がこの板の不思議な所だと思うw
- 23 :
- 過疎板だと、電波な人達は特定なスレに隔離されて放置される。
物理学板とかだと隔離スレでものすごく強力な電波スレがある。
普通のスレに侵入するとすごい勢いで攻撃されるから、隔離スレに篭る。
ここは過疎板ではないので、隔離スレができにくい。
- 24 :
- >>22
自作自演だろう
- 25 :
- >>21
マルコポーロは商売人だからあんまり宗教的なことは興味ないのかもね
大航海時代になると船にはかならず宣教師を乗せていたから自然に宗教的意味合いを帯びてしまう
- 26 :
- アジア方面の航海士らはあくまで貿易や布教の意志があったけど
新大陸方面の連中は・・・・
- 27 :
- >>22
>>23
思いつき程度ならいいんだが、例えばギリシャやモンゴルがちょっとでも
絡むと、レイシストも混じってるアレク厨と反アレク厨が乱入してきて全
く無意味な煽りあいをするし、変なレッテル貼りされたり尻馬に乗って都
合のいいように取るから、とにかく迷惑なんだよ。多分>>1も同類だよ。
隔離スレに篭ってくれるのが一番いいんだがな。以前はそうだったはず
なんだが、いつの間にかしゃしゃり出てくるようになってるしな。
こうやって問題提起すると自作自演とか言う奴もでてくるし、本当に馬鹿
馬鹿しいけど>>4みたいに予め潰しておかないとすぐに同類が湧いてくる
からな。
>>26
まあ、新大陸方面でもインディオへの人道的扱いをカスティリャ女王に
訴える宣教師や、ディエゴ・デ・ランダとか現地語を覚えて布教しよう
とする人間はいたけどな。
その代わり、イースター島でもそうだったが、現地のマヤやアステカの
文献、コハウ・ロンゴ・ロンゴを異教の書だと徹底的に燃やして文化破
壊してくれたわけだが。
- 28 :
- 某スレは難民版のこぴぺとかも呼び込んでスレ寿命が短かったな
- 29 :
- >>26
アメリカ大陸征服も基本的には布教や貿易が目的だよ。
特に布教に関しては「偶像崇拝根絶運動」というインディオ版異端審問までして、
スペインの宣教師たちはカトリックの布教に努めようとしたよ。
そのせいで、インディオの伝統的な宗教は徹底的に根絶やしにされた。
- 30 :
- >>29
おまえ、インディオの十字架とか見たことある?
どうみても異教の神像だぞ。
つっても、ヨーロッパの教会も原始キリスト教からかなり変質してしまってるのだろうが
- 31 :
- >>30
偶像崇拝根絶運動が行われたのはペルーやメキシコあたりが中心で、
他の植民地ではそこまで徹底して行われなかったからね。
それにインディオ側も結構したたかで偶像崇拝根絶巡察吏に賄賂を渡したりして、
自分たちの異端的信仰を見逃してもらったりもしてるしね。
地方の村で布教していた宣教師は結構そこのインディオと持ちつ持たれつな関係だった。
- 32 :
- 大後悔時代
大公開時代
大紅海時代
大公開
- 33 :
- ポルトガルは、メシュエン条約以降はイギリスに経済的に従属することになってしまった品。
ついでにいうと、ブラジルは17世紀末に金が発見されるまで、あまり儲かる
植民地ではなかったんだよな。
- 34 :
- >>33
金が発見されるまでのブラジルは専らさとうきび栽培が主な産業だったね。
でも、この砂糖貿易もしばらくするとカリブ海諸島に追い抜かされてしまった。
金が発見されたのはそれとほぼ同時期のことだったから、
ポルトガル領ブラジルにとってこれはかなりラッキーなことだった。
- 35 :
- いい感じにのびててうれしい
- 36 :
- >>34
でもインディオ達は既に大打撃を受けてた
- 37 :
- >>36
元々、ブラジルのインディオたちはあまり社会が発達してなかったから、
スペイン領アメリカのインディオたちと違って社会的位置づけがされず、
イギリス領アメリカのインディアンたちのように社会の枠組みの外に追い出されてたね。
- 38 :
- バンデイランテはブラジルの黒歴史
- 39 :
- >>38
ブラジルは奴隷制を廃止するのに結構な時間がかかってたね。
他のラテンアメリカ地域と違って植民地時代から奴隷に頼ってた経済だったからね。
- 40 :
- 大航海時代っていうか大侵略時代だな
- 41 :
- >>40
アメリカ大陸に限定して言えばそうかも知れないけど、
インド洋なんかにおいてはまだ明・清やムガル帝国、サブァヴィー朝などの、
大国が存在してたから西欧諸国も大々的に侵略は出来てないよ。
アフリカや東南アジアやインド亜大陸の海岸部をちょっとだけ占領できれば良いほうだった。
- 42 :
- 鉄器が普及していて首狩族がいたから
8世紀以降のアジアはちと無理ぽっい
- 43 :
- >>42
8世紀以前だって西欧諸国がアジアを征服するのは無理だと思うけど。
イスラーム帝国や唐に代表される歴代中華王朝などが存在したし、
当時の西欧諸国は世界史的に見てもまだまだ後進地域だったからね。
- 44 :
- >>41
ヨーロッパ人がインド洋に侵入してきて自らの手に収めた香辛料の量は、
全アジアの生産高の約30%にすぎなかったといわれているね。
(これは、オランダやイギリスが進出してきた16世紀後半から17世紀にかけての数字)
ポルトガルが香辛料を独占していた16世紀前半においては、もっとも成績の
よかった年でも、ポルトガル人によって流通させられた香辛料の総量は、
全生産量の20%程度だろうと推測されている。
結局、ポルトガルができたことは、インド洋にもともとあった海上貿易の
体系の中に割り込み、その香辛料の流通の5分の1程度を支配したにすぎない。
- 45 :
- >>44
確かに実際のポルトガルのインド洋における影響は、
今まで考えられてたのよりも遥かに小さいだろうね。
まぁ、全く影響がない訳でもなくマムルーク朝なんかは、
ポルトガルのインド洋市場参入によって結構な打撃を受けたけど。
- 46 :
- >>40>>41>>43
中南米以外の有色人種が完全に屈服したのは20世紀初頭。
白人単独で有色人種を屈服できたのは19世紀だと思われる。
大航海時代は東南アジアではある国のスルタンと同盟を組んで
他のスルタンを倒すというケースが異様に多い。
そこから考えて、自然条件の厳しい中南米がなんであそこまで早く
制圧できたのか不思議である。
南アフリカの首長国ですら20世紀初頭である事を考えると、
アステカ・インカが簡単に征服出来たのは伝染病で国力が低下したからだとしか思えない。
北米全体を白人が征服したのは随分後の19世紀後半だ。
インカはボリビア、ペルーにまたがるアンデスの高地ではないか。
それも太平洋側である。あの早い崩壊は謎である。
中南米だけが非西洋非白人地域の中で突出して征服されるのが早いのである。
アステカもインカも滅亡は16世紀より19世紀がしっくり来る。
- 47 :
- >>44
オランダ東インド会社は香辛料の生産元であるモルッカ諸島へ直接進出に乗り出しており
生産高30%ということはないだろう
- 48 :
- >>46
アフリカなんかはまだ旧世界の一部だから旧世界の技術も伝わってるけど、
インカとアステカにはそれがないからね。純粋な軍事力ではスペインに分がある。
まぁ、人数はインディオ側のほうが多いけど。それと、征服時の両帝国は、
どちらも内乱期だったし、そのうえ被支配民族がそれぞれの国の滅亡のために、
スペイン人に手を貸してたから、その事も滅亡の一因として挙げられるかも知れない。
- 49 :
- >>46
スペイン人が到来する前に旧大陸の伝染病が既に大流行して国力低下してい
たというのは、今一番議論されてる説だろうな。
けど、アステカ・インカの崩壊は、とりあえず最初に皇帝を抑えて、いわ
ば人質にしてしまって一旦国家機能を麻痺させてしまったこともやっぱり
でかい。
それにアステカの場合は、一旦追い出された後にアステカに不満を抱く各国
家を糾合して大軍勢で攻め寄せたのもあるしな。下手に群雄割拠されてるよ
りは大帝国を一気に崩壊させるほうが早い場合もある。
マヤなんかは征服する魅力が薄かったのもあるが、最後のマヤ都市のタヤサル
が陥落したのは1697年だから、もう18世紀に入る頃だ。
- 50 :
- >>47
オランダが香辛料貿易を独占できたのは18世紀ごろかな?
>>46-48
アステカはラテンアメリカの古代文明の中で、唯一、軍事国家として確立された
王国だったな。生贄を部族内で賄うには限りがあったため、「花の戦争」と
呼ばれる戦争を繰り返して捕虜を獲得し、彼らを生贄としてささげた。
アステカ滅亡の原因としては、
・優れた政治家であり機を見るに敏な策略家でもあったコルテスが、アステカに
反感を持つ強敵トラスカラ族やセンボアラ族などの諸部族をたくみに味方に引き入れ、
同盟軍として増強しながら戦ったこと
・アステカにはなかった騎兵や鉄砲・大砲などの近代兵器を持っていたこと
・コルテスたちが蛇の神ケツァルコアトルと間違えられたこと
・モンテスマ王は最高位の神官であり同時に最高の技術を持った占星術師でもあった。
アステカの貴族たちの中にはスペイン人を迎え入れることに反対し警告する者もいたが、
宗教が軍事に対して絶対的な優位にあったアステカでは、モンテスマ王の
決定したことは神の意志であり、スペイン人に対する好戦論者も強く逆らうことは
できなかったこと
といった複数の要因が重なってもたらされた幸運だと思われ。
- 51 :
- >>49>>50
インディオだって一枚岩では決してないからね。
今まで帝国に支配されてた被支配民族の不満を利用するのは、
他国を征服する上での基本的な戦略だしね。
- 52 :
- 何で貧しい近代以前の欧州に嗜好品である香辛料をそんなに買い付けられる
だけの購買力が有るの?
- 53 :
- >>11
>15世紀後半から17世紀ぐらいまでが妥当じゃないかな?
>>このスレの「大航海時代」の範囲について決めておかない?
17世紀中ごろから19世紀までの期間について語るスレを誰か立ててくれないかな
世界システムやら帝国主義やらについて語る場所がないから
漏れが立てようとするとはねられてしまった
- 54 :
- >>52
肉の防腐・防臭に欠かせない
- 55 :
- >>52
現地の温度・湿度・土壌は、それなりに栽培ノウハウを蓄積すれば
効率的な大量栽培が可能だった。
取引相手を選べば、安定して廉価に調達できたであろう。
後の時代にはプランテーションが行われることから
栽培ノウハウは形式知化され、植民地経営に活用された。
生物多様性条約COP10「名古屋議定書」なんてなかったからね。
- 56 :
- >>55
でも、今でも「言語多様性条約」というものはない罠
英語が世界を席巻していて、この流れはもはや止めようがない
- 57 :
- >>52
一応、毛織物とか木材資源とかヨーロッパ側でも売りつけるものがあったから。
それにイタリアの海洋都市国家はレヴァントのあちこちで中継貿易してたから
その利潤も香辛料購入の資金になってる。
まあ、それでも13世紀だと中産階級も香辛料は使用してたが、極少量が鍵付き
の棚にしまってあっただけ。当時のトロワで胡椒の値段は、塩の150倍くらいみ
たいだな。香辛料が少ない分は家庭菜園で栽培したハーブを利用。
- 58 :
- 香辛料は金と同じ重さで取引されていた・・・・
ようは仲卸業者ムスリムのぼったくり商法にブチギレて直接原産地へ買付けに遥々航海したってこと
- 59 :
- >>58
実際にぼったくってたのはアフリカ航路開拓時代のポルトガルのほうなんだが。
レヴァント貿易じゃ東南アジアから中東までの間に大量の中継業者と税関を
抜けなければいけないから、末端価格が高くなるだけ。
それと同レベルかそれ以上の価格で売ってたポルトガルのほうがよっぽどぼっ
たくりだぞ。
- 60 :
- 中世には、サハラ以南から北へ大量の金が流れていたなあ
11〜12世紀のヨーロッパ世界は銀本位制で銀貨が鋳造され、地中海の南の
イスラーム世界が金本位制で金貨が鋳造されていたので、両者は貨幣制度と
貴金属需要においてまったく異なっていた。地中海に面したカタルーニャや
ジェノヴァでは、限られた量の金貨が使用されていたが、それも自ら
鋳造したものではなく、イスラームの金貨を入手して使用していた。
ところが十字軍を契機にしてヨーロッパ社会は金貨への関心を深め、
ラテン帝国で金貨を鋳造し始めたのをさきがけに、フィレンツェ、ジェノヴァ、
ヴェネツィアが金貨を発行した。
そしてアラブ世界に広まっていた黒人王国の金のエピソードは誇張されて
ヨーロッパに伝わり、アフリカの黄金郷伝説を生みだすことになる。
サハラ交易に遅れて参入したポルトガルは、地中海のムスリムを介する
取引を諦め。大西洋へ活路を求めた。彼らは1443年にアフリカ西海岸の
アルギンを占領し、金と黒人奴隷の交易地とした。アルギンの人々は
ポルトガル人から北アフリカ製の衣服、羊毛の毛布、エジプト製のシーツ、
粗雑で安物の織物、毛布、赤や青の布地などを受け取り、ポルトガル人は
黒人奴隷、金、ゴム、カモシカの皮、珍獣を入手した。
1487年ポルトガルのジョアン2世はアルギンから内陸に入った拠点ワダーンに
在外商館を開いて、サハラの金交易を支配しようとしたが、結局サハラの
金交易ルートを大西洋に向けることはできなかった。16世紀初めごろ
ポルトガルにもたらされた金は年に20kg程度でしかなかった。
- 61 :
- 香辛料の値段を調べていると、重さで量れば金銀よりは安いんだが
そらサフランぐらいになれば相当するけど
- 62 :
- >>57
ヨーロッパ側から売るものは大した値段にならなかったんじゃなかった?
新大陸産の金銀を元手に、ひたすら物々交換してただけじゃなかったかな
- 63 :
- >>62
鉄砲や火砲といった武器は現地の有力者には相当需要があった
- 64 :
- >>63
需要はあるにしても、そんなに大量に売るわけにもいかんでしょ。
いつ自分たちに向けられるかもわからんのに
- 65 :
- >>62
ヴェネツィアは奴隷も売っていたよ。
- 66 :
- ヴェネツィアは木材(軍艦用)や奴隷(マムルーク用やガレー船漕ぎ)をムスリム向けに輸出しまくってて
教皇庁から「異教徒どもの軍事力が増強されるじゃねーかやめろ」と何度も禁止令が出た
- 67 :
- バルボア最高!
- 68 :
- 10世紀頃のヴェネツィアの主要な輸出品は木材と東欧からの奴隷。
それらをエジプトのアレクサンドリアでイスラム商人に売り、金銀で
支払いを受ける。
その金銀を持ってビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルで香辛料や
布地、金銀の細工品、宝石類などの商品を買い込み、ヴェネツィアに戻る。
このパターンが長いこと続いた。
- 69 :
- >>62
もう奴隷貿易の話が出てるが、中継貿易もしてたって言っただろう?
東欧がキリスト教化して奴隷資源が枯渇しても、13世紀以降になると黒海
沿岸との中継貿易も入る。
第四次十字軍以前にもう、ヴェネツィアはビザンツ全土で免税で商売をする
特権を持ってたから、ビザンツ経済に思い切り食い込んで利潤上げてたの。
あまりにも傍若無人すぎてコンスタンティノープル市民の反感買って、一回
追い出されたのも第四次十字軍のコンスタンティノープル陥落の遠因。
- 70 :
- アジア圏での貿易の話してるのに、
ヴェネツィアは奴隷貿易してた(キリッ
はないんじゃないの
- 71 :
- 中華列強ー中国が分裂していたなら スレがあるけど、
大航海時代みたいな必然性がないよね?
香辛料求める訳でもなく、
奴隷輸出するでもなく、
宣教師が進出するでもない
- 72 :
- >>62
あとあまり知られてないが傭兵事業
ポルトガル人の傭兵隊長がビルマのどっかで勝手に独立した例もあったなー
- 73 :
- ビルマとタイはポルトガル人傭兵を大勢雇っていたな
後になると日本人傭兵も雇うようになったけど
- 74 :
- >>70
大航海時代の香辛料貿易の話するなら、レヴァント貿易の知識も必須。
レヴァントで香辛料貿易独占してたのはヴェネツィアだから、ヴェネツィアの
話が出てくるのはある意味当然だろ。
寧ろ、レヴァント貿易なしでどうやって大航海時代を語れるのかわからん。
ヴェネツィアだけじゃなくてジェノヴァも奴隷貿易してたのは本当だし。
- 75 :
- 各地の貿易圏・貿易ルートの画像
http://www.geocities.jp/yamada_1817/oversea/over_out/ind.jpg
http://www.stockstation.jp/cx/images/080130map.gif
http://www.celtnet.org.uk/images/spice_route.gif
http://asiapacificuniverse.com/pkm/mapSpiceRoutes.GIF
http://www.oration.com/~mm9n/articles/dev/09christianity_files/09Chri14.gif
- 76 :
- イスラーム世界の側からみると、結局、ポルトガルはオスマン帝国領を経由した
香辛料貿易をやめなかった。
オスマン朝はイエメンとバスラの勢力を維持し、まだ西インドのグジャラートや
スマトラ島のアチェとの間に協力関係を結んで、ポルトガルに対する政治的抵抗を
やめることなく、同時に商業上の関係も保った。
ヴェネツィアのレヴァント貿易さえ、16世紀半ばには回復した。
16世紀後半には、ダマスカスやカイロへ隊商によって運ばれる商品は、アレクサンドリアと
トリポリでヴェネツィアの船に積み込まれるようになった。
オスマン帝国を経由した貿易は、イエメン産コーヒーの人気の高まりを受けて
拡大した。
- 77 :
- >>76の続き
こうしてオスマン帝国領を経由した国際中継貿易は回復したものの、16世紀末には
イギリスとオランダが国際香辛料貿易の支配権をめぐって争い始め、インドと
東インドに植民地を建設し、そこを拠点に香辛料貿易を独占しようとした。
1625年、北大西洋の海軍国はついに地中海の香辛料貿易を打ち切った。
オスマン帝国は絹やコーヒー、インドの綿製品や染料の貿易が活発だったおかげで
損失を補うことができたが、最も利益の上がる貿易は喜望峰経由の西ヨーロッパ・
ルートに奪われた。
その上、インド洋で支配的な地位を得たイギリスとオランダは、地中海貿易で
直接オスマン帝国と競うようになった。
1580年、イギリスはオスマン帝国と最初の貿易条約を結び、オスマン朝から
絹を買い、綿製品と金属をオスマン朝に売るようになる。
香辛料でさえ、直接インド洋から地中海に運ばれるのではなく、ヨーロッパから
運ばれるようになった。
- 78 :
- >>76-77
オスマン帝国は地中海貿易に関してはかなり積極的だったのに、
インド洋貿易に関してはアチェとかと組んでポルトガルを牽制しただけで、
イギリスやオランダのように積極的にインド洋を支配しようとはしなかったね。
現在の視点で見ると結構惜しい事をしたな〜と思わなくもない。
まぁ、当時のオスマン帝国は基本的に国が積極的に経済に関わらなかったから、
地中海の制海権さえ抑えられれば良いやっていう感じだったのかな。
- 79 :
- 地中海もスペインが強敵だろ
西地中海貿易はレパント以後制海権を奪われた
そのかわりアルジェやモロッコで海賊で利潤をあげてた
- 80 :
- >>79
まぁ、確かにオスマン帝国は地中海を巡ってスペインと争ってたね。
一般的にオスマン帝国が地中海に制海権を保てたのは、
プレヴェザの海戦からレパントの海戦までだと言われてるけど、
東地中海貿易(=レヴァント貿易)に関してのみ言えば、
レパント海戦後もしばらくはオスマン帝国が支配権を握ってたよ。
後、オスマン帝国が利用した海賊はアルジェやチュニスが拠点。
モロッコはそもそもオスマン帝国領じゃないよ。
- 81 :
- >>74
たぶん>>70は大航海時代初期じゃなくて中期〜後期の話してるんじゃない?
傭兵稼業だのは有名だけど、大航海時代中期以降も香料諸島だのインドだので奴隷貿易してたわけではないでしょ
- 82 :
- >>77の続き
16世紀末にはイズミルがオスマン朝のもっとも重要な港となり、次第に
ブルサとアレッポを凌ぐようになった。オスマン朝がイズミル地域に対する
支配力を失うと、フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの承認が
この地域に群がった。イズミルは国際都市に発展し、アラブのラクダの隊商や
アルメニア人、ギリシア人、ユダヤ人、トルコ人の商人の拠点となった。
ヨーロッパ人は綿、羊毛、ドライフルーツ、穀物の活発な貿易を促進し、
ヨーロッパの内部で商品を供給するシステムを確立した。
オスマン朝のイエニチェリ、関税徴収官、その他の役人は自由意志で
行動するようになり、イスタンブルの当局の管理を逃れるようになった。
イズミルがヨーロッパ経済に部分的に統合されると、イズミルとイスタンブルとの
つながりは断ち切られ、オスマン朝は地中化貿易の支配権をヨーロッパ商人に
奪われ始めた。
- 83 :
- >>82
これはオスマン帝国の自業自得によるところも大きいね。
オスマン帝国の経済政策は自国内での供給を第一に考えたため、
自国からの輸出は厳しく取り締まるけど他国からの輸入は積極的に保護した。
そのせいで西欧の商人がイズミルやイスタンブルで割拠するようになってしまった。
でも、まぁこれはマイナス面ばかりでもなくて長い目で見れば、
オスマン帝国の近代型世界経済への参入というプラス効果もなくはなかったね。
特にイズミルなんかは現在でもトルコ屈指の大貿易都市だし。
- 84 :
- ×フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの承認が
○フランス、オランダ、イギリス、ヴェネツィアの商人が
- 85 :
- >>83
大西洋沿岸諸国の経済が発展し、砂糖、コーヒー、タバコ、綿といった
西洋の主要産物の貿易が盛んになると、オスマン朝の絹貿易の重要性は
低下してしまったね。
最も利益の上がる貿易品は珍しい贅沢品から大量消費の商品へと移り、
大西洋の貿易国にとって有利な状況となった。
やはりオスマン朝だけでなく、ヴェネツィアの衰退も避けられなかっただろうな。
- 86 :
- >>85
>やはりオスマン朝だけでなく、ヴェネツィアの衰退も避けられなかっただろうな。
オスマン帝国はたとえ貿易量が減ったとしてもまだ自国内の生産だけでも、
供給が事足りたから良かったけど、ヴェネツィアは完全な貿易依存経済だったから、
イギリス・オランダの台頭によるレヴァント貿易の衰退はより被害が大きかったと思うよ。
- 87 :
- >>38
黒歴史というかバンデイランテがないとブラジルの歴史が始まらないぞ・・・
- 88 :
- >>86
レヴァント貿易で敗退した後、ヴェネツィアは経済力じゃ落ちてるんだが、
海外貿易の変わりにテッラ・フェルマの農業やサービス業への職種転換、
地方のローカル港化で、失業率なんかも上昇してないし、社会不安もない
まま小国で落ち着いてるんだよな。
国内情勢に限れば、基本安定した社会は最後まで維持したままナポレオン
に滅ぼされてる。
- 89 :
- >>86
やっぱり世界経済に依存しない独立した貿易体制をとっていた大帝国と、
中継貿易に依存していた都市国家では打撃の大きさが違うだろうな。
ヴェネツィアは現代でたとえるならシンガポールみたいなもの。
>>38
ブラジルでは16世紀後半から、サトウキビ栽培に伴う黒人奴隷の輸入が
始まるが、16世紀を通じて入ってきた黒人奴隷の数はわずか4万人程度にすぎなかった。
この時代、ポルトガル商人が奴隷貿易を独占しながらもブラジルに黒人奴隷が
余り入ってこなかったのは、一つには奴隷商人にとってはブラジルより
スペイン植民地に売ったほうがはるかに儲かったこと、
もう一つは、ブラジルではグヮラニー族を奴隷化する便法が考えられて、
実際に試みられたから。
- 90 :
- >>88
なるほど。かつてのような経済大国ではなく1小国として生きる道を選んだのか。
それはそれで近世においては上手な生き残り方だね。
>>89
そもそもバンデイランテっていうのがまさにグアラニー族の奴隷化を、
専門とする集団の事だからね。ブラジルで奴隷制廃止が遅れたのは、
彼らの存在も大きな原因のうちの1つだと思う。
- 91 :
- ブラジルは1831年の奴隷貿易禁止法以後にも、密輸として大量の黒人奴隷が
入ってきた。
コーヒーの世界的需要が高まる中、ブラジルのコーヒー園労働者としての
黒人奴隷の需要はほとんど無限だった。
「必要なんだから仕方ないだろう」という、ブラジル的な官民なれあい方式で、
年間3万人から6万人の黒人奴隷が非合法に密輸された。
- 92 :
- >>91
まぁ、確かにブラジルはラテンアメリカで最も奴隷に依存した経済だったからね。
国内にいる黒人奴隷だけじゃ労働力が足りなかったんだろうね。
- 93 :
- そういや、ブラジルの大統領に「お宅の国に黒人はいますか?」って聞いた
イェール大学歴史学専攻の米大統領がいたなあ・・・
- 94 :
- 16世紀末からのオランダ人のインド洋=南シナ海世界出現は、ポルトガル人にとって
一大脅威となった。オランダは、1568〜1648年にいわゆる八十年戦争により独立を
とげるまで、終始スペインが敵だったが、ポルトガルは1580年から60年間スペイン王によって
統治されたから、オランダの攻撃をまともに受けた。スペインの植民地は、
メキシコでもペルーでも、海岸から内陸まで開発して、大きな領土を形成していたので、
海からの攻撃だけでそれを征服することは困難だったが、ポルトガルの海外植民地は、
多くが港市であったために、海からの攻撃は容易だった。
オランダ勢力のアジア出現まで、ポルトガル人が手掛けた商品は多彩だった。
モルッカ諸島のニクズクやチョウジ、セイロン島のシナモン、マラバール海岸の
コショウ、ペルシャの馬、ギネアやモノモタパの黄金、ブラジルの砂糖、
西アフリカの黒人奴隷、日本の銀、中国の絹および絹製品などが、彼らの富の
源泉となった。これらのすべてがオランダ人の掠奪の対象になったのである。
- 95 :
- >>94の続き
オランダ艦隊がポルトガル植民地を攻撃したのは、アフリカ、ベニン湾のプリンシペ、
サン・トメ島が最初で、1598年から翌年にかけておこなわれた。
両島とも、15世紀以来、ポルトガルの奴隷貿易の中心地だった。オランダ人が、
大西洋の対岸のブラジル北東部にはじめて攻撃を加えたのは1624年から25年に
かけてだったが、おそらく西アフリカの奴隷貿易と、ブラジルの砂糖製造産業の
二つを手中に収めて、大西洋経済のかなめを握ろうとしたのであろう。
しかし、ブラジルの奪取はポルトガル側の強い抵抗にあって結局失敗し、
オランダ人は1654年にペルナンブーコから撤退した。その後はカリブ海の
アルーバ、ボネール、クラサオなどの島々に拠り、クラサオを奴隷貿易の基地とした。
西アフリカで、オランダ人は1625年、ポルトガルの奴隷および金貿易の基地
サン・ジョルジョ・ダ・ミナを攻撃して失敗したが、12年後の1637年に占領に
成功して、西アフリカからポルトガル勢力を駆逐し、16以上の基地をつくった。
- 96 :
- >>95の続き
オランダはその後、1641年にアンゴラ、ベンゲラを強襲した。しかし、その前年
スペインからの独立を果たしたポルトガルは、その勢いを駆って大西洋地域各地で
反撃に出た。そして1648年8月、コンゴ王国やジャガ族と連合したオランダ人は、
リオ・デ・ジャネイロから出撃したポルトガル軍に打ち破られた。
1663年に結ばれた平和条約でオランダは黄金海岸を保有し、アンゴラ、ベンゲラ
およびプリンシペ、サン・トメはポルトガル領として認めた。
以上の結果、オランダは、大西洋世界では西アフリカ、カリブ海間の奴隷貿易
だけに限り、海外活動の主力はアジアに置くことになった。
- 97 :
- ヨーロッパが低迷期から脱出する切っ掛けになったのが新大陸発見
- 98 :
- >>97
大航海時代前夜のヨーロッパは、イタリアでルネサンスが興ったり、
スペイン・ポルトガルでレコンキスタが終了したりしてるから、個人的には、
低迷期っていうよりはじわじわと昇りかけてる黎明時期っていうイメージだ。
- 99 :
- >>97
資本の蓄積と貿易・保険業などの金融が発達した影響も
大きかったんですかね
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