2012年09月ビートルズ66: 【bayfm78】ビートルズから始まる。8【小林克也】 (246) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【bayfm78】ビートルズから始まる。8【小林克也】


1 :2012/07/03 〜 最終レス :8)
bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組
番組内コーナー
・ビートルズ・ストーリー
・各種インタビュー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)

前スレ
7 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1320067779/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/


2 :
※では改めて7月1日の最初から。
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月1日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月1日)
 ・1969年(今から43年前の今日)
  ジョンとヨーコとジュリアン、ジュリアンはジョンと前の上さんとの子供ですね。
  それからキョーコ、これはヨーコの前の旦那との子供。
  この4人を乗せてスコットランドのゴルスピー(Golspie)という所にジョン・レノンが車を運転する途中。
  これはね、子供たちにね、自分が幼少に過ごしたスコットランドの知り合いの所へ行こうとしてたんですけど。
  もう、田舎道で、でっかい道じゃないんだって、細い道だって。
  それとジョンは、極度の運転ベタ、近眼でしょう、それから視野が普通の人より狭いと言われていましたね。
  でも、「あんたが運転して!」っていうことでw、そのころ鬼嫁のイメージがあったヨーコがジョンの尻を叩いて運転させて。
  結果、交通事故。
  落っこっちゃうんですよ、他の車を、対向車を避けようとして畑に落っこっちゃうわけですね。
  楽しいはずの旅行が悲劇になって、結果、ヨーコは14針顔を縫う、娘さんのキョーコは唇を4針、ジョンは頭を17針縫うと。
  で、ヨーコは悪い事に妊娠中で、安静を言い渡される と。
  だからアルバム「アビーロード」のスタジオに行ってベッドを持ち込んで、
  ベッドに入ってビートルズを眺めていた、という有名なエピソードはこの事故から来ているわけですね。
  それで、ちょっとヨーコは怒ったということで、この時の事故車をですね、自分たちの屋敷の庭に当分飾っていた、というw。
  ええw、そういう。
  ジョンとヨーコとキョーコの3人で暮らしていた時期もあるんですよね。
  で、1972年に親権が認められて、アンソニーというヨーコの昔の旦那です。
  まあ芸術家、ミュージシャンでもある、アンソニー・コックスがね。
  彼の元にキョーコが行く、ということになります。

3 :
  じゃあ、ちょっと季節外れっていうか、この季節に聴くからこの曲良いのかもわかりませんが。
  冒頭に、ジュリアンとキョーコへ(お父さんと)お母さんが呼びかけている、それも、ヒソヒソ声で呼びかけている、例の曲。
  これを聴いてみる。
  〜 John Lennon / Happy Xmas (War Is Over)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yN4Uu0OlmTg  
  (小林)Happy Xmas カッコして War Is Over。
  War Is Over てのがこの曲のヘソというか、何というんでしょうね、今でもね不安な国なんかけっこうありますよね。
  だからこの曲ってのは、いつも何か感じさせて引っかかってくれるんですよね。
  ジョン・レノンそしてオノ・ヨーコの名曲を聴いていただきました。

4 :
□アリステア・テイラーの物語
 ・「若い制作スタッフをリバプールのキャバーンにまで来させたと思ったら、次は元日早々のロンドンでのオーディション。
  いやあ、いくらデッカレコードが業界の大手だと言っても、これはちょっと引っぱり過ぎだと思ったよ。
  連中はほんとにビートルズと契約する気が有るのか無いのか?。
  気の短いブライアンは心中穏やかではなかったと思うね。」
  こんな証言をするのは、ロック史上最も成功したマネージャー=ブライアン・エプスタインの右腕にして心を許せる友人=アリステア・テイラー。
  のちにビートルズが設立した会社アップルの総支配人となる人物である。
  ビートルズのデッカオーディションの実情、もう少し探ってみよう。

  いくら煮えきらない返事であろうとも、決定に時間がかかろうとも、当時まったくの無名バンドだったビートルズは、オーディションを受けさせて頂く立場。
  ブライアンもいら立つ気持ちをグッと押さえるしかなかった。
  ビートルズの4人と数人のスタッフの全員、不安を抱えながらも、皮肉な事にオーディションの日は翌日に迫って来た。
  1961年も大晦日である。
  大雪が降る中、ブライアンは列車でロンドンに向かった。
  ロンドンの北部の高級住宅街ハムステッドには、ブライアンを幼いころから可愛がってくれたフリーダ叔母さんの家が有り、
  そこに泊めてもらうことになっていたのである。
  一方、ビートルズのロードマネージャー兼運転手二ール・アスピノールが友人から借りたいつもより少し大きなバンは、
  アンプやドラムセットなどの楽器を荷台に詰め込み、メンバーを乗せリバプールを出発した。
  実はこの時まで二ールは、ただの一度もロンドンに行ったことが無かった。
  不安材料を満載したまま、オンボロ車はロンドンを目指すのであった。

5 :
  〜 The Beatles / Two of Us(Naked)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DFw914VZPDE
  
  〜 The Beatles / I've Got a Feeling (Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Jc8p7RLgG_I
  (小林)「Let It Be」のセッション I've Got a Feeling.
  これは「Let It Be」ではなくて「Anthology 3」に入っているバージョン。
  
  そしてその前は、有名な Two of Us。
  これはマッカートニーがプロデュースした「Let It Be...Naked」の中に入っている曲です。

6 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「いやあれは、すごい悪天候だったよ。よりによってデッカオーディションの前日。
  1961年の大晦日が猛吹雪。
  リバプールも一応は北国だから雪ぐらいは降るけど、あの時の雪は『何年に一度』とか、それぐらいの感じだったね。
  運が良いのか悪いのか、まったく不思議な運命に操られてたね。ビートルズは。」
  こうしたロックの史実をきちんと証言してくれるのは、アリステア・テイラー。
  彼はブライアンの右腕にして、のちにビートルズが立ち上げる会社アップルの総支配人となる人物である。
  さて、デビューまでまだ時間を必要としているビートルズの物語、もう少し続けてみよう。

  ビートルズは大晦日の昼ごろ、ローディ兼運転手の二ール・アスピノールの運転する大型のバンでロンドンを目指して出発した。
  荷台には楽器が満載。車内は冷蔵庫のように冷え切っていた。
  しかし、運転手ががんばらないとメンバーも凹んでしまうと考えた二ールは、カラ元気を出してこう言った。
  『なあに!、ロンドンったって、たかだか600キロぐらいだろう。
  普通に走っていれば夕方には到着してホテルにチェックイン出来るさ。
  みんな!、寝てればいいよ!。目が覚めたらロンドンって寸法よ。』
  もちろん、この時点ではメンバー全員心配など少しもしてはいなかった。
  とりあえず、ひと眠りしようとしたが ヒーターが壊れているのか寒過ぎてとても寝られたものではなかった。
  おまけに運転手の二ールは、しょっちゅう車を路肩に止めてロードマップとにらめっこしている。
  たまりかねたジョンが問い詰めた。
  『おい、二ール。お前ほんとに道順が分かってるのか?。ロンドン行った事あるのか?。』
  二ールは答えた。
  『ああ、地図は何度も確認してきたけど、実はロンドンは初めてなんだ。
  おまけに、この吹雪でさっきの標識見失ったみたいだ。いったん戻るよ。』

7 :

http://www.youtube.com/watch?v=_RYJBwyTz9k

8 :
  〜 The Beatles / Helter Skelter
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Zz92iBUKvvw
  〜 Mary Hopkin / Those were the days(悲しき天使)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-9JOmU2jFUo
  (小林)これは(2曲目)もうすっごいヒットでしたね。
  イギリスではもちろんナンバーワン、アメリカでは2位。
  なぜ2位だったかというと Hey Jude が長い間1位を…w。1位になれなかったっていうw。
  だけどまあ、全世界で一千万枚以上売れた。ロシア民謡を基にした Those were the days。
  プロデュースがポール・マッカートニー。
  その前は「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中に入っている(1曲目)Helter Skelter。

9 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「おい、二ール!お前ほんとうに道順が分かっているのか?ロンドン行った事があるのか?」
  この苛立ったジョンの問いかけに、ローディ兼運転手の二ール・アスピノールは答えた。
  「ああ、地図は何度も確認はして来たけど、実はロンドンは初めてなんだ。
  おまけに、この吹雪でさっきの標識見失ったみたいだ。いったん戻るよ。」
  これは1961年の大晦日。
  翌日にデッカレコードでのオーディションを控えたビートルズが、リバプールからロンドンに向かう機材車の中でのやりとり。
  こんな調子のあと、どんな結末になったのか、もう少し様子を見てみよう。
  通常であれば、リバプールからロンドンまではおよそ※600q程度、一人で運転するのは少し厳しいにしても、途中休憩を入れても6時間ぐらいで到着する行程である。
  しかしこの日は事情が違っていた。ロンドンまでの道のりのほとんどが猛吹雪に見舞われていたのである。
  運転手の二ールは何度も地図を確認したが、それでも道路標識が雪で覆われていたため道を間違えてしまい、結局10時間以上もかかってやっとロンドンに到着した。
  時刻は、日付けが変わり、元日の0時過ぎ。
  とりあえずマネージャーのブライアン・エプスタインが予約してくれたホテルにチェックインし、冷えて疲れ切った体を休めることにした。
  それでも、初めてのロンドンは物珍しいものが多い。
  まだ20歳前後のビートルズにとって、この街は憧れの土地でもあった。
  とりあえず周辺をブラつき、ブライアンが知っているレストランで食事をとった。
  スープの値段がリバプールの3倍、これには全員驚いた。
  食事を終えてホテルに帰る途中、公園にいた不良連中に紙に巻かれたイケナイ物を勧められたが、
  4人とも経験が無かったためすっかり怖気付いてしまい、丁重にお断りすることにした。
  翌朝に運命のオーディションが待っている。
  ビートルズのロンドン初体験の夜は、こうして更けていくのであった。

  (※ロンドン〜リバプール間は直線距離で約300km。東京〜新潟ぐらい?。)

10 :
  〜 The Beatles / Across The Universe (No One's Gonna Change Our World Version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hTgOVCTmzDg
 
  (小林)お馴染みのバージョンじゃ、ちょっとないと思いますけど。
  これは 「No One's Gonna Change Our World」“だれもが世界を変えちゃいけない”ていうチャリティアルバム。
  これは1969年世界自然保護基金のためにビートルズが出したアルバム、の中から、Across The Universe

11 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお返しとして送っております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (千葉県市川市/男性)
  キース・リチャーズ(Keith Richards)の自伝「ライフ」最近読んでいます。
  その中にビートルズ関連のエピソードも多いんです。
  克也さんもおっしゃっていたように、ストーンズは初めは曲を作る気は無かった。
  マネージャーに「お前ら、もっと売れるように、ビートルズみたいに曲を作れ!」と言われて、イヤイヤ作るようになったとか。
  ビートルズは親たちにも愛されるクリーンなイメージ。
  だからストーンズは「あんな男たちを彼氏にするんじゃありません!」と、親から怒られるような不良のイメージで売り出して行った、とか。
  興味深いエピソードがいっぱいです。
  最近、ビートルズを聴いている十代の子たちのメールが番組内でよく読まれていますので、私からその子たちに、この本をお奨めします。
  ネットで調べると図書館にもあったりします。
  君たち!ローリングストーンズも いいよ!。
  かつて克也さんの番組とともに十代を過ごした41歳のおっさんから。
  リクエストは
  「キース自身はシングルにするのを嫌がっていたが、勝手に出されてしまい、結果、初の全米シングルチャートナンバーワンになった。」
  そんなことが書いてあるんですが。
  この Satisfaction !。  
  〜 Rolling Stones / Satisfaction
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3a7cHPy04s8&feature=related

12 :
  〜 The Beatles / Think For Yourself
  ttp://www.youtube.com/watch?v=asjgoEUtcR4
  (小林)
  というわけで、これは Think For Yourself ていう曲が流れましたけど。
  (中野区/女性)
  先日、ビートルズの「イエローサブマリン」ブルーレイ発売記念試写会に行きました。
  ビートルズおたくですが、実は初めて見ました。
  ストーリーも歌詞もすごく深く、味わいがあり、今こそ みんな見るべきだ、と思います。
  「大切な事を見失っていないかな?。地球上の生き物はみんな仲間。ここがどこなのか、自分が誰なのか?。
  それは誰かが勝手に決めただけ。全ては想像上のことだ。見たい物だけを見て、他の事はごまかすような生活でいいの?」
  こんなメッセージが伝わって来た気がします。
  タイトル曲の「イエローサブマリン」も能天気なふりをして、すごく重要な意味が込められている、と思います。
  ビートルズから始まって、いろんな音楽を聴いて、またビートルズに戻って来ました。
  やっぱり最高です。
  リクエストは、1曲選ぶのは難しいけど、私はジョージファンなので Think For Yourself。
  (小林)
  ジョージの歌声でお送りしました。

13 :
  (茨城県笠間市/男性)
  リクエスト Nod Your Head をお願いします。ポールのアルバム「Memory Almost Full」から。
  私はビートルズの解散後に「LetItBe」からファンになりました。
  その代わりにレノンとマッカートニーは最初からバリバリ現役で楽しんでました。 (小林)あー、ソロはね。
  今でもレノン・マッカートニーを中心に音楽人生を楽しんでいます。
  ほんとうに楽しかったです。(今もですが)
  特に、マッカートニーはもうすぐ70歳。まだ現役ですよ。すっごい人です。見習います。
  まだ行けるよ、小林さんがんばって!      (小林)って言うw
  そんな人が手掛けるとは思えないパワーがこの曲にはありますよね。
  今年はビートルズ生誕50周年の年。エリザベス女王60周年祭。布袋さんの移住も決まり、オリンピックもあります。
  もう心ウキウキしています。マッカートニー・布袋 共作なんて実現したらすごいじゃないですか。
  でも夢は楽しんでもいいと思うからね。さらに実現したらベスト。
  (小林)
  どうもありがとう。あなたのリクエストです。
  
  〜 Paul McCartney / Nod Your Head
  ttp://www.youtube.com/watch?v=shUHtmo6f2c
  〜 The Beatles / I'm a Loser
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LCV0YXXyuHc
  (小林)ポールからジョン・レノンへつながりましたね。
  (千葉市美浜区/男性)
  デッカレコードオーディションの話し、どんな話しが出てくるか楽しんでいます。
  じっくり聴かせて下さい。
  リクエストですが I'm a Loser をホワイトアルバムからお願いします。
  歌詞が、ちょっと今までとは違うかなぁ?と思って初めて聴いた時、そう思った記憶がある曲でした。
  あんまり リクエストが無い曲じゃないですか?

14 :
  (小林)
  そうですね。
  おそらく歌詞だとか雰囲気が違ったのは、間奏なんかがカントリーっぽく聴こえる、ちょっとカントリーぽいもんね。
  だから、ジョンがディランから影響受けたとか言われますけど。
  なんとなく「ジョンが珍らしいな、こんな曲をやるのは?」ていう。
  カントリーみたいなことは、やったことない人ですからね。ポールならいざ知らず。
  というわけで、ポール・マッカートニー、ジョン・レノンと歌声が続きました。

15 :

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  デッカレコードの有名な、ビートルズが落っこちるオーディションの話し。
  リバプールからロンドンへ行くんだよ。それも大晦日だよ。
  で、1月1日から仕事だからねえ。
  それも仕事ったって、受かるかどうか判らないオーディションを受けるわけで。
  で、大雪で、道を間違えて、着いたら正月、1月1日っていう、面白い話しですよ。これは、ねえ。
  僕は、もうほんとに自分勝手にね、古い人間ですから、討ち入りの話し、赤穂浪士の討ち入りの話しなんかw思い出したりするんですよw。
  まったく関係ないですが。
  
  リクエストお待ちしております。
  もし良かったら、自分なりのエピソード。これは自由ですからね。それを付け加えてください。
  あらゆる年齢の方がリクエストくれるんでね。
  よろしくお願いしますね。
  beatles@bayfm.co.jp

16 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月8日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月8日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  日本に来たちょっと後ですね。
  マネージャーのブライアン・エプスタインがロンドン空港に到着します。めちゃくちゃ怒っています。
  で、彼はすぐ発表します。
  「フィリピンでのうちのタレント、シーラ・ブラック(Cilla Black)たちのコンサートをキャンセルする。」
  と発表したのが、46年前の今日。
  これは実はですね、この頃の模様は、この番組で何年か前に詳しくお伝えしたことがあるんですが。
  日本に来たあと、ビートルズはマニラに行きますね、フィリピンへね。
  フィリピンの大統領は当時マルコス大統領。まあいちおう民主主義で選ばれた大統領ですけれども。
  何て言うんですかね、専制君主みたいな政治が始まるわけですよ。
  で、大統領夫人がイメルダ・マルコス。贅沢がかなり好きな夫人だったらしいんですが。
  ビートルズが来たということでね、金持ちの子弟だけを集めて特別のパーティをやる、と。
  で、ビートルズに「来てくれ」と言うわけです。
  ところがビートルズは疲れてて、「そんな。行けない」って断るんです。
  そのイメルダそしてマルコスの招待を断ったことで、ビートルズはフィリピンという国全体を敵にします。
  コンサートが終わって帰る時に、マニラの空港で、もう暴徒に襲われたり、ジョージ・ハリスンなんかぶっ飛ばされたり、
  ブライアンもぶっ飛ばされたり。
  ブライアンはビートルズの売上金なんかもほったらかしで命からがら飛行機に乗って帰るわけです。
  「もう、フィリピンみたいな所は絶対行かない。うちのタレントのコンサートなんか絶対やらせない」
  という発表があったのが、46年前の今日の事。

17 :
  実はですね、66年というのはビートルズ受難の年なんですけど。
  ちょうどこの日はですね、
  NEMSつまりブライアン・エプスタイン=ビートルズの会社のアメリカの付属アーティストが、アメリカ人のアーティストがですね、
  ポール・サイモン(Paul Simon)が曲を書いて、この曲が2位にランクされているんですよ。
  で、その頃もちろん1位はビートルズの Paperback Writerが1位。
  だから、この曲がひょっとしてビートルズの Paperback Writer がいなかったら、ビートルズの同じ事務所のタレントなんですけども、1位になっていたかもわからない。
  2位止まりだった。
  それをちょっと、いま改めて聴いていただきます。この時代の事がよく分かるよ。
  ポール・サイモンが作っています。アメリカのシンガーです。でも、イギリスの香りプンプンです。
  グループの名前は「Cyrkle」と言います。
  じゃあその、全米2位の、その当時の曲ですね。
  〜 The Cyrkle / Red Rubber Ball
  ttp://www.youtube.com/watch?v=a9aHrgtf2zY  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ThH9UrJiG4o&feature=related (TV Show)
  (小林)というわけで、グループは The Cyrkleの Red Rubber Ball。「赤いゴムまり」ですねw。
  こういうやっぱり十代を意識した曲をポール・サイモンたちは書いたわけですね。
  これをやっていたのはアメリカ人。
  Cyrkleの…えーと、サークルってCIRCLEなんだけど、そのIをYに変えたり、CをKに変えたりした。
  これは、ジョン・レノンが「普通のCircleだったらあれだから、ちょっと字を変えれば、ちょっと個性が出るから…。」
  見事成功します。
  で、ビートルズが1位をとっていたので、アメリカのチャートでは2位に終わった、という曲をお送りしました。

18 :
□アリステア・テイラーの物語
 ・「なーんだ?、そのボロアンプは?。リバプールみたいな田舎じゃわからんが、ロンドンじゃそんなもの使えねえな。
  ほら、グズグズすんなよ!。こっちのを使えよ、こっちのアンプを!。そう言ってんだよ!」
  ビートルズが初めてオーディションを受けようとしている、ロンドンのデッカレコードでのひとコマ。
  言葉の主は、スタジオ専属のエンジニアの一人。
  わざわざリバプールから車で運んで来たビートルズのアンプを散々けなされてしまった。
  スタジオのスタッフの雰囲気も、リバプールとは違う。
  ビートルズの四人はまるでケンカを売られている気分であった。
  血の気の多いジョンとジョージは完全に臨戦の態勢。
  ブライアン・エプスタインがマネージャーになってやっと漕ぎ着けたロンドンのメジャーレーベルのオーディション。
  リバプールからは道に迷いながらも、10時間かけてやっとロンドンにたどり着いた。
  ホテルで横になったにはなったが、四人とも充分な睡眠はとれていない。
  おまけに真冬の寒さのせいもあり、やはり全員の背中がゾクゾクする。これは間違いなく風邪の症状。
  こんな最悪のコンディションの中、朝早くスタジオにやって来たというのに、エンジニアからは冷たい仕打ちである。
  こんな最悪の状態ではあったが、1962年1月1日の時点でビートルズは、すでに数百回のライブを経験した百戦錬磨のバンドであった。
  イギリス国内のみならず、ドイツの港町でありヨーロッパ一の賑わいを見せるハンブルグにも何度か長期巡業に行った経験もある。
  オーディション演奏なんて文字どおり朝飯前のはずであったが、人間やはり体調が全て。
  この時ばかりは、ジョンもポールもすっかり緊張しまくっていた。
  それでも本番の時間はやって来た。
  まずは、ポールの持ち歌からスタートしたのである。

19 :
  〜 The Beatles / Searchin
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0FE4639lChw
  
  〜 The Beatles / Crying, Waiting, Hoping
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6wPRyGAQYdE 
  (小林)いかがですか? 2曲続きました。
  まず(1曲目)Searchin。これはビートルズの「アンソロジー1」に入っています。
  もちろん、あのデッカでオーディションをやった時の、そのままの音です。
  ポール・マッカートニーが歌っていました。Searchin。
  そしていまの(2曲目)Crying, Waiting, Hoping はバディ・ホリー(Buddy Holly)のヒット曲、それをジョージ・ハリスンがリードボーカルで歌っていました。
  デッカのオーディション、2曲聴いたところで。

20 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「あれ?おかしいいぞ?。俺、緊張してる。こんなの高校生の時以来だ。変だぞー。
  ボーカルの音程が甘すぎる。これじゃ、ただのヘタクソなアマチュアバンドだ。
  どうしたんだ?。たかだかデッカのオーディションだろ?。
  落ちつけ、落ちつくんだ!。」
  これは1962年1月1日、元旦のデッカレコードスタジオでの景色。
  今年70歳となった、あのポール・マッカートニーの、心の中のつぶやきである。
  いくらハンブルグで、一晩10回ステージという過酷な状況の中で鍛えられたとはいえ。
  この時のビートルズは、まだ本来の意味でのプロでは無かった。
  その最大の理由は「ロンドンを知らなかった」ということ。
  もちろんこの時点で、すでにビートルズはリバプールのトップバンドであった。
  本拠地であるクラブ・キャバーンは、常に満員御礼。
  失神状態で熱狂するファンの熱気のせいで、穴倉の天井からは水滴がしたたり落ちた。
  それに、千人以上を収容する大きなホールでのライブも何度となく経験していた。
  なのに、なぜ?。
  この緊張はポールだけではなかった。
  心臓に毛が生えたような男=ジョン・レノンもいつになく慌てている。
  やはり前日の10時間の移動と、ロンドンの寒さにやられて風邪にも影響を受けている。
  おかしい。これじゃ、いつも行く所敵無しのビートルズとは違う。
  数年前のアマチュアバンド=クオーリメンに逆戻りじゃないか。
  唯一いつもと同じ平常心を保っていたのは、最年少18歳の少年=ジョージ・ハリスン。
  ちょっと前までは、ジョン・レノンが率いる不良グループの舎弟扱かいだったジョージも、すっかり一人前になったのか。  
  それとも、まだまだ子供過ぎてオーディションの何たるかも理解出来ていなかったのか。
  いずれにしても、ブライアン・エプスタインの作戦どおり、リードシンガーを固定しないというスタイルでの演奏は続いた。
  次の曲もオリジナルではなく、酒場の客相手のアメリカのヒット曲であった。

21 :
  〜 The Beatles / Three Cool Cats
  http://www.youtube.com/watch?v=bCvf_RKQK0M
  〜 The Beatles / Take Good Care of my Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fMuNC2dm-Eo
  (小林)2曲続きました。
  いずれもデッカレコードでのオーディションでビートルズがやった、そのままの音ですけれども。 
  2曲ともジョージ・ハリスンがリードボーカルを珍しく録っていましたね。
  Take Good Care of my Baby てのは、知っていますかねえ、キャロル・キング(Carole King)。
  彼女が作曲家ソングライター時代に残した自分の旦那さんと書いた名曲。
  これをボビー・ビー(Bobby Vee)というシンガーが歌って、デッカオーディションの前の年、アメリカで1位の大ヒット曲。
  それをビートルズがカバーしました。
  そしてその前は、ジョージ・ハリスンが歌っていました Three Cool Cats。
  これは、ビートルズの「アンソロジー」に入っていますが、やっぱりデッカのオーディションの音であります

22 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「なんだよ、この曲。前にハンブルグでたった一回だけ、酔っ払い客相手にやっただけの曲じゃないか。
  こんなの営業用の歌だよ。俺たちのスタイルじゃない。
  ちっきしょう、ムッカつくなあ。
  早く終わんないかな、このクソオーディション!」
  これは当時21歳ジョン・レノンの心の中のつぶやきである。
  時は1962年1月1日、ビートルズはデッカオーディションの真っ最中。
  とにかくジョンは全てが気に入らなかった。
  先ずは選曲。
  それはみんな、新米マネージャー=ブライアン・エプスタインのアイデアだった。
  このオーディションを受けるに当たって、ビートルズとブライアンは幾度となく選曲ミーティングの場を設けた。
  「デッカのオーディションは絶対に失敗できない。
  ビートルズのロックバンドとしてのパフォーマンスは間違いなく素晴らしい。
  いままでのイギリスのどんなアーティストよりも上を行っている。
  これは自惚れではなく絶対的なものである。」
  という確固たる自信があった。
  しかし、問題は彼らが認められている地域がリバプールを中心とするマージーサイドと、すでに2回ばかり赴いているドイツのハンブルグだけ。
  ロンドンではいったい何が好まれるのか?。皆目見当がつかなかった。
  ジョンは発言した。
  「ロンドンだろうが、デッカだろうが、そんなの関係ねえよ。
  俺たちは最高のロックンロールとリズム&ブルースを持っているじゃないか。
  それにオリジナルだってもう何十曲もある。
  何ならそのオーディション、全部オリジナルで行ってもいいんだぜ。
  ロンドンの連中をびっくりさせてやろうじゃないか。」
  しかし、ジョンのこの勝気なアイデアは採用されることはなかった。
  ブライアンのアイデアどおり、曲はほとんどが当たり障りのない十数曲に決定したのである。

23 :
  〜 The Beatles / To Know Her is to Love Her
  ttp://www.youtube.com/watch?v=QSVQDJaktHc
  〜 The Beatles / Like Dreamers Do
  ttp://www.youtube.com/watch?v=d5iWVsVCupw
 
  (小林)2曲続きました。
  つまり、今までかかった6曲は全部デッカのオーディションの録音っていうことで。
  今の(2曲目)Like Dreamers Do、これはオリジナルですね。ポールが歌っていました。
  
  そしてその前の曲は(1曲目)To Know Her is to Love He。
  元歌はフィル・スペクター(Phillip Spector)。もう有名なプロデューサー。
  名前は聞いたことあると思いますが、彼が高校生の時作っていたバンドがこの曲をやって、全米で1位になりました。
  すごい才能だったんですね、フィル・スペクターはね。それをカバーしました。
  ジョン・レノンがボーカルを録っていました。
  デッカオーディションの模様からですね、6曲を聴いたわけです。

24 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくプレゼントしております。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (東京都江戸川区/男性)
  ビートルズは今年デビュー50周年ですが、もう一つ今年デビュー50周年のグループ、ビーチボーイズ(The Beach Boys)の新譜からタイトル曲をお願いします。
  (小林)ということで、そうなんです。
  ビーチボーイズはビートルズと良い競争関係にあったわけですが。
  今回は、50周年を記念しての世界ツアー、そしてオリジナルアルバムを出していますね。
  そのタイトル曲であります「神が創りしラジオ」ていう邦題が日本語のタイトルが付いています。
  〜 The Beach Boys / That's Why God Made the Radio
  ttp://www.youtube.com/watch?v=OGke6pnT1d0
  〜 The Lovin' Spoonful / Summer In The City
  ttp://www.youtube.com/watch?v=s1_8909dNJ0
  (小林)The Lovin' Spoonful の Summer In The Cityが流れました。
  (千葉市稲毛区/女性)
  先日、ヴィダル・サスーンのドキュメンタリー映画を観てきました。
  長年シャンプーを愛用していましたが、それが実在するスタイリストの名前だったとは全く知りませんでした。
  彼は「サスーンカット」と言われる斬新なカットと技術で、60年代のファッションシーンを牽引し、世界に革命を起こした美容界のビートルズだったんですねえ。      
                               (小林)僕もこれ、ちょっと観たことがありますねえ。
  リクエストは、Revolution(革命)にしようかと思いましたが、映画で使われていた曲がとてもカッコ良かったので、
  The Lovin' Spoonful の Summer In The Cityをお願いします。
  (小林)
  かけました。

25 :
  (東京都江東区/男性)
  今年はビートルズのデビュー50周年ということで、例年にも増してビートルズの話題が増えることを期待しています。
  ビートルズを聴き始めて35年。私も6月23日で50歳を迎えます。
  中学生だった自分が50歳になるとは、非常に驚きです。
  今後は10年単位で目標を決めていろいろな事を実行したいと思います。  (小林)いいことです。
  リクエストはジョン・レノンが「百年経っても飽きない何かがある」とインタビューで語っているこの曲をお願いします。
   
  〜 The Beatles / I'am The Walrus
  ttp://www.youtube.com/watch?v=pr1GukmGV0U

26 :
  〜 The Crusaders & Randy Crawford / Street Life (Extended album version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NSOQhIl_kXU 
  (小林)
  いかがですか? I'am The Walrus に引き続いて、いつもとは違う世界でしょう。
  これはクルセイダーズ(Crusaders)フィーチャーはランディ・クロフォード(Randy Crawford)という シンガーです。
  Street Life を聴きましたが。 
  
  (茅ヶ崎市/男性)50歳
  湘南からちょっとノイズ入りのBayFMを聴いています。
  ビートルズは一番聴きこんでいたのは たぶん高校時代。
  北海道の田舎の高校生だったので、誰かが大枚をはたいて買ったLPレコードを、お互いに貸し借りして聴き。
  山本泰三さんのライナーの訳詩も穴が開くほど眺め。
  当時文庫で出ていた片岡義男訳の日本語歌詞本も買って読み。
  そんなこんなが、ロクに英語も読めないくせに勢いだけでやってる今の海外関係の仕事にも何か影響しているのかな?
  ちなみに、このメールも出張先のマレーシアのクアラルンプールから書いています。
  そんな高校生活も終わりに近く、ビートルズ一辺倒だった私たちに「もっと別の曲も聴いてみれば?」と問いかけてくれたのが、
  その頃のフュージョンブームだったのかもしれません。
  いなか暮らしの高校生には、おしゃれな曲調。
  曲のタイトルが、まだ見ぬ都会への憧れとともにキラキラ輝いて見えました。
  実際はそんなに素敵な事を歌っているわけではないのに気付いたのは、ずっと後になってのことです。
  そんなわけで、ちょっと長い曲なんですが、出来れば完奏して欲しい。
  私のビートルズから始まった二歩目の曲です。
  (小林)
  ということで、クルセイダーズ。
  もし気に入った方は、クルセイダーズをチェック!。

27 :
□エンディング  
  (小林)
  というわけで、きょうはいかがでしたか?
  ビートルズの話しの方も、デッカオーディションの頃でね、一番ほんとに面白い頃だよね。
  
  それから、リクエスト。
  「ヴィダル・サスーンの話し」といい。
  「ビートルズから始まって、二歩目はフュージョンに入った」といい。
  やっぱり「ビートルズから始まって」なんかいろいろ動いている、ていう。
  やっぱり生きているっていう事を感じさせていただきました。
  そういう風なリクエストもお待ちしております。 
  もちろん初心者のリクエストも大歓迎です。
  よろしく。
  採用の方には(ry

28 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月15日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月15日)
 ・1964年(今から48年前の今日)
  ビートルズが世界的になった年。「A HARD DAY'S NIGHT」がイギリスでナンバーワンになりました。
  いきなり、発売と同時にナンバーワンです。
  これはイギリスのチャートは、今でもあるNMEのチャートです。New Musical Expressのチャート。
  で、その時点においてNMEのアルバムチャートで「WITH THE BEATLES」のアルバムは24周目のランクイン。トップ30の中で。
  もうビートルズの天下の時代ですよね。
  この「A HARD DAY'S NIGHT」なんですけど、もちろんアメリカの最初の1位ですが、イントロが衝撃的だ、ていう。
  まあイントロのチラッとした話しになるんですけど。
  一説にはですね、Dm7F ていうコードと D7sus4(onG) という二つのコードを同時にガーンと鳴らしてるって言われています。
  で、ギターが「リッケンバッカー・360/12」という12弦ギターがロックの音を塗り替えました、これが使われていて。
  全米制覇するまでは楽器は自前で月賦でビートルズは買っておりましたが。
  有名になってからはメーカーなんかから提供を受けることがしばしばありまして。
  ジョージのこの12弦は最初のアメリカに渡る際に、ミネアポリスのショップからもらった、プレゼントされました。
  これ以来12弦サウンドはジョージのトレードマークになります。
  最も影響を受けたのはバーズ(Byrds)のロジャー・マギン(Roger McGuinn)「Mr. Tambourine Man」ボブ・ディラン(Bob Dylan)のヒット曲でお馴染み。
  あと、ビーチボーイズ(Beach Boys)のカール・ウィルソン(Carl Wilson)は、
  ジョージ・ハリスンのポスターをビートルズのポスターを自分の部屋に飾ってて兄貴のブライアンから怒られていた、ていう。
  シングルヒットの「Dance, Dance, Dance」なんかにも取り入れていると。
  そのあとクロスビースティルスアンドナッシュ(Crosby, Stills & Nash)とか、トム・ペティ(Tom Petty)、REM、多くのアーティストが真似をしています。
  ジョージ・ハリスンから始まった、この曲から始まった。

29 :
  そして何と言っても、タイトルと歌詞はほんとに面白いですけど。
  リンゴ・スターが、もうビートルズが忙しくなって、「今日は忙しい日の夜だったよねー。」て言う。
  リンゴは時々、ほら、日本語じゃなくて、英語がおかしいわけですよね。
  「ああ、お前、面白いこと言うね。今日は忙しい日の夜だった?。なになに、それタイトルにしちゃおう。」
  ていうことで「A Hard Day's Night」てのが生まれたわけですよね。
  改めて聴いてみましょうか、イントロ、ちょっと注目して下さい。
  〜 The Beatles / A Hard Day's Night 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lutb5xOlqLc
  (小林)いかがですか? ビートルズの A Hard Day's Night。
  イントロすごかったでしょう?。
  で、今の終わりのアウトロって言うんですけども、チャララ、ラララララ♪っていうところは
  また転調しているという、けっこう、いろんなものが入っているんですね、ビートルズの傑作はね。

30 :
□アリステア・テイラーの物語
 ・「ロンドンだろうが、デッカだろうが、そんなの関係ねえよ。
  俺たちは最高のロックンロールとR&Bを持ってるじゃないか。
  それに、オリジナルだってもう何十曲もあるよ。
  なんならそのオーディション、全部オリジナルでもいいんだよ。
  ロンドンの連中をびっくりさせてやろうじゃないか。」
  これは、あの伝説的なデッカオーディションを受けるに際して、ジョン・レノンが語った言葉。
  マネージャーになったばかりのブライアンは、「このオーディションは全体に失敗できない」と考え、
  ロンドンのメジャーカンパニーであるデッカの制作スタッフに何としても気に入ってもらおうと作戦を練っていた。
  オーディションをクリアするため最も大切なのが、選曲。曲選びである。
  すっかり熱くなっているジョンに対し、ブライアンはなだめるように発言した。
  「そうだね、ジョン。君の言っていることは間違いない。
  確かにビートルズの魅力は、ハードなロックンロールとオリジナルの黒人にも負けていないイカしたR&Bにある。
  もちろん、ジョンとポールのコンビが書いたオリジナルナンバーもなかなかのものだ。
  だけどね、ジョン。ここからが肝心だ。
  ロンドンの連中を納得させるには、卓越した演奏力と、音楽性の幅広さを見せることが最優先だと思うんだよ。
  そして、契約さえしてしまえば、そりゃあもう、こっちのものだよ。
  次から次へとオリジナルをプレゼンして、さらにアルバムにはいつもの得意ナンバーであるロックンロールとR&Bのナンバーを収録すればいいだろう。
  そのためにはねえ、何度も言うけど、オーディションを通過するのが先決だ。
  ジョンもみんなも分かってもらえるかな?」
  
  最後まで納得のいかなかったジョンであったが、自分の得意ナンバーも入れてもらうという条件付きでやっと首を縦に振った。
  しかし、営業用の曲に交じって演奏されたロックな2曲は、どこか実力を発揮できないものに終わってしまったのである。

31 :
  〜 The Beatles / Money (That's What I Want) (Decca) 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ncxbe6pqIfw
 
  〜 The Beatles / Memphis (Decca)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=TB8VAtEiehE
 
  (小林)ジョンがやった2曲がつながりましたね。
  Money をやりました。これはモータウンのバレット・ストロング(Barrett Strong)ていう人のヒット曲のカバーです。
  で、Memphis っていうのはチャック・ベリー(Chuck Berry)の有名なヒットで、これもカバーです。
  でも、ちょっと実力が発揮できなかったかなあ?っていう感じ。

32 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「契約さえしてしまえば…。
  それにもうこっちのものになるだろう?
  次から次へとオリジナルをプレゼンして。
  さらにアルバムには、いつもの得意ナンバーであるロックンロールとR&Bナンバーを収録すれば良いじゃないか。
  そのためにはね、何度も言うけど、オーディションを通過するのが先決なんだ。
  ジョンもみんなも、分かってもらえるかな?」
  これは1961年の12月、ビートルズのマネージャーとなったブライアン・エプスタインの発言。
  年明け早々、元日にロンドンで行なわれるメジャーレーベル=デッカレコードのオーディションに臨む曲選びのミーティングの席でのことである。  
  
さすがイギリス北部で最大の利益を上げているレコードショップNEMSの経営者だけあって、ブライアンはそのバランスを良く考えて発言していた。
  当時のイギリスの音楽シーンは、ことロックに関しては発展途上であった。
  もちろん、アメリカで産声を上げたロックンロールがものすごい人気であったことは間違いない。  
  エルビス・プレスリー(Elvis Presley)の出すレコードは、軒並みイギリスチャートトップに輝き。
  もちろん、ビートルズが最も参考にしていたバディ・ホリー(Buddy Holly)にも本国アメリカ以上の支持が集まっていた。
  白人シンガーだけではない、ファッツ・ドミノ(Fats Domino)リトル・リチャード(Little Richard)といった黒人ロッカーの人気も凄まじいものがあった。
  しかし、自前のロック、つまり、イギリス人が演奏するオリジナルのロックとなると1962年1月の時点では、クリフ・リチャード(Cliff Richard )とシャドウズ(The Shadows)ぐらいしか存在していなかった。
  もちろんリバプールを中心とする、マージーサイドのライブハウスは盛り上がっていたし、ロンドンでもブルースの大流行。
  若き日のミック・ジャガー(Mick Jagger)やキース・リチャーズ(Keith Richards)エリック・クラプトン(Eric Clapton)などは、まだまだアマチュア修行中でメジャーデビューを夢見る少年であった。
  この“メジャーデビュー”という言葉、それはすなわち“レコードデビュー”を指していたことは言うまでも無い。

33 :
  〜 The Shadows / Shadoogie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=cxGMrdo4C5Q
  〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nXTZ9oJB2p4
  (小林)
  そうですねえ、ビートルズのデッカレコードのオーディションの頃は、
  やっぱりイギリスの音楽界というのは「ロックはみんなアメリカのもの」ていう。
  9割以上はアメリカのもの。
  「自分たちのやる音楽ていうのは二流」というふうな意識があって。
  まあ一流ぐらい、と目されていたのは、お送りしたシャドウズぐらい。
  で、シャドウズの(1曲目)Shadoogieていう曲です。
  シャドウとブギを組み合わせた Shadoogieていう、これは1961年の曲。
  そして今聴いたやつが、(2曲目)Everybody's Trying To Be My Baby。
  アメリカのカール・パーキンス(Carl Perkins)のカバーをビートルズが「ビートルズフォーセール」のアルバムでやっていたものです。

34 :
□アリステア・テイラーの物語(続き)
 ・「ビートルズがデッカレコードのオーディションを受けた1962年1月の時点では、
  イギリスのメジャーなロックミュージシャンはクリフ・リチャードとシャドウズくらいしか存在しなかった。
  もちろん、リバプールを中心とするマージーサイドのライブハウスは盛り上がっていたし、ロンドンでもブルースが大流行。
  若き日のミック・ジャガーやキース・リチャーズ、エリック・クラプトンなどは、まだまだアマチュア修行中で、メジャーデビューを夢見る少年であった。
  とにかく誰もがライブハウスのステージに立ちたがり、メジャーなレコード会社からのレコードデビューを目指して日夜励んでいた時代である。
 
  肝心のビートルズのデッカオーディションであるが、
  実力を100%は発揮できないままに終わったとは言え、やるべき事は全てやったという充実感はあった。
  現場を担当したアシスタントディレクターのマイク・スミスは「お疲れ様!。素晴らしい演奏でしたよ!」と褒めてくれた。
  ロンドンのいわゆる業界人というものを知らなかったリバプールからの御一行は、このマイクの社交辞令を言葉通りに受け止め、みんな幸せな気分になった。
  マネージャーのブライアン・エプスタインは「このオーディション、間違いなく合格。」と思って疑わず、
  ビートルズの四人、ジョン・レノン、ポール、ジョージ、そしてドラマーのピート・ベスト、それにローディの二ール・アスピノールを引き連れてのレストランに入り、祝杯を挙げた。
  まったく、気が早くてオメデタイ話しである。
  実はこの日、ビートルズのオーディションを朝一番に入れたのは、全てデッカ側の都合であった。
  ランチタイムを挟んで午後にはもう一つのバンド、地元ロンドン出身のブライアン・プール&トレメローズ(Brian Poole and the Tremeroles )のオーディションが控えていた。
  そんな事とは露知らず、ハイボールで祝杯を挙げる“のん気で幸せなリバプール勢”であった。

35 :
なんかもう、アリステア・テイラーの証言話しではなくなってきている様子w。

36 :
  〜 Brian Poole and the Tremeroles / Twist And Shout
ttp://www.youtube.com/watch?v=iA-LMH5Fm00
  〜 The Beatles / Please Mr. Postman
ttp://www.youtube.com/watch?v=9BPQEmR6iCY
 
  (小林)2曲、初期のお馴染みの曲が続いたんですけど。
  これはビートルズの(2曲目)Please Mr. Postman。マーべレッツの曲のカバー1963年。
  その前の(1曲目)Twist And Shout はなんかビートルズっぽいけど違うなあ っていう。
  そうですよ、ビートルズじゃなくて…。
  ビートルズは午前オーディションを受けましたが、午後はロンドンの、結局こっちが採用になるんですけど、ブライアン・プール&トレメローズの Twist And Shout。
  ビートルズの Twist And Shoutに較べるとちょっとねえ。ジョン・レノンのシャウトが耳に慣れてるから、
  「あ、これ、ちょっと物足りない」と思われた方、正解です。

37 :
□リクエスト
  (小林)リクエストはメール・FAX・ハガキで受け付けています。
  ハガキの場合は 〒261-7127 BayFM「ビートルズから始まる」
  FAXもあります。043-351-8011
  その人の字の癖とかね、そういうの見ながら、その人のことを判断した時代が懐かしいです。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  リクエストする方、ちょっとがんばって、よろしくお願いします。
  (千葉市中央区/男性)40代、厄年
  克也さんこんばんは。最近のエピソードを聴いていると、ビートルズの誕生は危なっかしいですねえ。
  大成功後の姿しか知らない僕にとっては、話しがとても新鮮です。
  さて、MTV世代の僕には、ロックはアメリカ産と思い込んでる時期がありましたが、
  けっきょく好きなアーティストはほとんどがイギリス出身でした。
  エリック・クラプトン、スティング、ポリス、クイーン、そしてビリー・ジョエルも大のビートルズファン。
  ビリー・ジョエルはアメリカ人ですけど。
  みんな「ビートルズから始まる」ということですかねえ。 
  (小林)
  イギリスは、なんて言うんですかね、本家じゃないっていう意識がありますから、イギリスの中で屈折して出て来てるよね。
  そこが日本人なんかにも良く分かる、っていうことじゃないでしょうか。結果ですけど。
  「ビリー・ジョエルがソ連で歌ったという」そう、ビリー・ジョエルは共産圏でコンサートをやった比較的早い人でしたが、
  ポール・マッカートニーのあの曲をやっています。
  〜 Billy Joel / Back In The USSR
  ttp://www.youtube.com/watch?v=42Tah0DCubg
  〜 The Beatles / Help!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HkHvNz9tgzM
  (小林)やあ、ビリー・ジョエルからいきなりHelp!につながりました。

38 :
  (小林)
  ビリー・ジョエルはね、昔はね、僕がニューヨークに行って、ニューヨークのラジオスタジオにいて、
  東京のラジオスタジオに桑田佳祐がいて、で、ビリー・ジョエルが遊びに来る、っていう構図があった時にね。
  ビリー・ジョエルはビートルズの…「俺は、いつもビートルズの5番目のメンバーだと思ってた。」っていう風な事を言って、
  桑田佳祐が「ああ、自分もそう思ってたのに・・」という体験があったんですよ。
  だから、ビリー・ジョエルからビートルズへ上手く繋がりますよね。ビートルズはHelp!。
  (板橋区/男性)
  自分は今年41になるんですが、初めてレンタルレコードで借りたのがビートルズの「HELP!」でした、アルバム。
  あとで判ったんですが、アメリカ盤の派手なサントラでした。
  あの時は中学一年生で、1984年、何度も聴いて、自分がこの世の中でHelp!が一番多く聴いた曲です。
  5000回はHelp!を聴いたと思います。ビートルズの曲は飽きないですね。
  で、リクエストはHelp!
  (小林)ていうことでw

39 :
  (流山市/男性)50代
  今までずっとサイレントリスナーでしたが、初めてメールします。
  いつも一週間分のアイロンをかけながら、犬と散歩しながら拝聴しています。
  さて、8年越しの夢をかなえニューヨークに初出張しました。
  昔、克也さんにも「百万人の英語」を通して教わりましたが、私の努力不足で英会話というより英単語といったレベル。
  英文メールも真っ赤に添削されてしまう毎日です。が、幸い注文も取れ、実績も上がって来ているのが何よりの励みです。
  ニューヨークではセントラルパークに行って、ジョン・レノン・メモリアルで祈りを奉げてきました。
  心残りなのは、ジャズライブに行けなかったこと。 
  また出張機会があれば、ぜひ訪ねたいと、次の夢を追いながら50の手習い、もうすぐ60の英語に取り組んでいます。
                                           (小林)がんばってね。
  リクエストはそのジャズっぽいやつですね。マンハッタントランスファーの Birdland、これをよろしくお願いします。 
  (小林)
  さあそれじゃ、リクエストです。 
  〜 The Manhattan Transfer / Birdland
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6QOQr0gzS48

40 :
  〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band - With A Little Help From My Friends
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yOTBL9dThOI (3曲メドレー)
  (小林)はい、ここまでお送りしましたよ。
  (江戸川区/女性)
  主人が高校生の時にビートルズのコピーバンドをしていて、ドラムスでした。
  その主人が毎週、晩御飯も食べずに聴いています。        (小林)うわあ、すごいね。
  主人のために大好きな、サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドをリクエストします。
  (小林)
  この気持ちはわかりますね。
  あのね、ご飯を食べるとね、ご飯を食べる音がするんですよ。
  例えば、ご飯ぐらいだったらね、普通のご飯だったら大したあれじゃないんだけどw
  固いものだとか、バリバリするものだとか、野菜だとかサラダだと、耳に響くんですよ。
  そうすると、それが邪魔になるんですよ。ねえ。わかりますよ。
  だから、そんな晩ご飯お預け状態で聴いているというw、御主人のために Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandから
  つながっているんだから、リンゴ・スターまで行っちゃえってことでw。
  今日は御主人のために、お預け状態の御主人のために特別サービスでWith A Little Help From My Friendsもかけました。ワン!。

41 :
□エンディング  
  (小林) 今日はいかがでしたでしょうか?
  「もうビートルズのこの頃の話しを聴いていると、危なっかしいですねぇ」ていうリクエスト、その通りだと思いますよ。
  結果は我々は知ってるわけですけども。
ほんとに、本人たちはどうなるかわかんないんですよね。
  で、ブライアン・プールとトレメローズの Twist And Shoutを聴いたけど、あれも良く出来ていたじゃないですか。
  だから、あっちが採用になるっていうのも分かりますよね。
  ねえ、運命っていうのは面白いもんです。
  みなさんも、ヒヤヒヤしながら、自分との関わり、音楽との関わり、ビートルズの関わりなんかをリクエストにしてお寄せ下さい。

42 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月22日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月22日)
 ・1963年(今から49年前の今日)
  何回も言いますが、1963年はイギリス国内でビートルズが、すごい人気になった年なんですが。
  49年前の今日、ビートルズはジェリー&ペイスメーカーズ(Gerry and the Pacemakers)と新人のトミー・クイックリー(Tommy Quickly)とツアーをスタート。
  ツアーと言っても、そんなにでっかいツアーじゃないらしいんですが。
  ウエストンスーパーメアー(Weston-super-Mare)ていう観光地のオデオンシネマていう所で、コンサートをやっています。
  面白いのはね、この日やるでしょう、それから5日後 同じ所でやるんですよ。
  その間の4日間はビートルズは何もしていない。
  ビートルズは4日間休んでいた、という推測が成り立つんです。
  というのは1963年は、ビートルズはほんとうに死に物狂いで仕事をしています。
  で、改革的な事が起きるのは、いろんなツアーをやってて、
  だいたい大きなツアーになると、中心というかトリというか最後に出て来るのはアメリカのロックスターなんですよ。
  春、この年ビートルズはもちろん前座ですよ。
  クリス・モンテンス(Chris Montez)という人、それとトミー・ロウ(Tommy Roe)ていうアメリカで売れている人たちが最後に出るわけだけども、
  ビートルズが前座だったんだけども、ビートルズの人気がすごいんで、最初はアメリカのアーティストが最後(トリ)なんだけど、
  ビートルズが逆転してトリになる、という。
  今までね、アメリカの連中の前座しかやっていなかったイギリスの連中ね、ビートルズが最初にトリになっちゃったっていう、その年であります。
  その年の今日は、観光地でライブをやっていた。ていう。
  で、一緒にやっていたのがジェリー&ペイスメーカーズ。
  これはまあ因縁がありますね。同じ事務所なんだけど、ライバル同士ですよね。

43 :
  それから、ジョージ・マーチンが「ビートルズは、まずオリジナルはちょっと無理じゃないか?」ということで、プロの作詞作曲家による「How Do You Do It?」
  これをやってくれって言う、ビートルズに頼みますよね。
  で、ジョン・レノンが「冗談じゃない!、自分たちはオリジナルをやるんだ!」って突っぱねますよね。 
  あの曲をジェリー&ペイスメーカーズはやって、イギリスで1位になるわけですよ。
  で、その次のシングルもイギリスで1位になるんですが。
  それじゃ今日はですね、その次のシングル、つまりビートルズのライバルだったジェリー&ペイスメーカーズはどんな音をしていたのか、どんなバンドだったのか。
  これはもう我々の耳の中では、ビートルズが“王様”になっちゃっているから、ジェリー&ペイスメーカーズなんて屁と思って聴いちゃうけど。
  正直な耳で聴くとね、なかなか良いバンドなんですよ。ビートルズと同じぐらい良いバンドです。
  それをちょっと確かめてください、ジェリー&ペイスメーカーズ I like it。
  〜 Gerry and the Pacemakers / I like it 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aoRcpbsD-Vk 
  (小林)Gerry and the Pacemakers の I like it。
  これが2枚目のシングル。これもイギリスでナンバーワンになっている。
  つまり、イギリスの2大バンドっていうか、ビートルズの人気っていうのは、「ビートルマニア」っていうね、
  ビートルズへのヒステリー状態っていう言葉が生まれるぐらいすごいんですけども。
  人気バンドが2本立てぐらいでツアーをやったのが、49年前の今日です。

44 :
□デッカオーディション
 ・「お疲れ様!素晴らしい演奏でしたよ!」という労(ねぎら)いの言葉主は、デッカレコードの制作マン=マイク・スミス。
  まだ20代のアシスタントディレクターが、1962年1月1日元旦のオーディションを担当した。
  まだ充分な経験も無い若いスタッフにオーディションを任せたこと自体、ビートルズは舐められていた、と考えても無理はなかった。
  しかし、ロンドンの業界人というものを知らなかったリバプールからの御一行は、このマイクの社交辞令を言葉通りに受けとめ、みんな幸せな気分になった。
  マネージャーのブライアン・エプスタインは「このオーディション、間違いなく合格!」と思って疑わず、
  ビートルズの4人、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、そしてドラマーのピート・ベスト、
  それにローディの二ール・アスピノールを引き連れてレストランに入り、ワインをボトルで注文し祝杯を挙げた。
  それはあまりに幸せでオメデタイ連中であった。
  正直なところ、ビートルズはこの日の自分たちの演奏に満足はしていなかった。
  マネージャーの意見を尊重して受け入れた曲選びにも、違和感は最後まで残っていた。
  ポールの声は緊張から何度もかすれて音程を外し、ジョージの指は重く、思うようなイカしたギタープレイには程遠いものだったし、
  チャック・ベリーのメンフィスを歌うジョンの存在は、どこか場違いなものに見えた。
  ピート・ベストのドラムスもリズムのノリにバリエーションが無く、ただ辛抱強くそこで叩いているかのような印象を与える結果となったのである。
  一応は大人の社交辞令として、ビートルズを労ったデッカレコードのスミスであったが、
  彼の考えは実のところ、すでにグラつき始めていた。
  というのも、ビートルズと同じ日の午後、やはりこのデッカでオーディションを受けたブライアン・プール&トレメローズ(Brian Poole and the Tremeroles )
  の方が、どこか洗練されていて印象が良かったから、であり、
  スミスの評価はトレメローズに移って行ったからであった。

45 :
  〜 Brian Poole and the Tremeroles / Do You Love Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xH5_Z46h-o4&feature=related
  〜 The Beatles / Till There Was You 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qk4ohb870yU
 
  (小林)いかがですか? いま聴いたのがビートルズの(2曲目)Till There Was You。
  これはブロードウェイのミュージカルから来た歌で、ペギー・リー(Peggy Lee)という女性のシンガーが歌ってヒットした曲なんですが。
  それをビートルズがカバーした。これがデッカのオーディションでビートルズがやったやつですよ。
  その前が、結果的にはビートルズに勝っちゃうやつなんですけどBrian Poole and the Tremeroles。
  ロンドンのバンドで (1曲目)Do You Love Me。
  どうですか?、どれを、皆さんが審査員ていうか、決定しなきゃだめな立場にいたら…。
  ビートルズにするかトレメローズにするか、ていうところですよねえ。

46 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「ビートルズ…うーん…。リバプールのキャバーンで見た時は、もっとワイルドでブルージーな印象だったんだけどなあ。
  今回のオーディション、なんか肩透かしを喰らった感じだな。
  こっちが期待してたのは、あんなチャラけた曲じゃないんだよなあ。
  ところで、ビートルズの次にオーディションを受けに来たトレメローズ、あれはまあまあ良かったな。
  さすがロンドンのバンド、洗練されていて卒が無い。
  いずれにしても、どちらか一つに絞らないといけない。
  さあ、どうすりゃいいんだろう?。」
  これは、1962年1月1日、ビートルズのオーディションに立ち会ったデッカレコードの制作マン=マイク・スミスのオーディションの後のつぶやき。
  この日のオーディションに関しては上司のディック・ロウから、その全てを一任されていた。
  自分の仕事ぶりを認めてもらい任されることは嬉しいことではあったが、今回の任務は少し荷が重かった。
  上司からの命令はこうである。
  「いいか、マイク。今回契約できるバンドは一つだけだ。
  いくらマネージャーのブライアン・エプスタインがデッカにとって大口のクライアントだからといっても、それとこれとは別だ。
  とにかく、君がプロの耳を持っているかどうか、その真価を問われるのが今回のオーディションだと思ってもらいたい。
  さあ、がんばってくれ。」
  スミスは迷いに迷っていた。確かにトレメローズはロンドンのバンドらしく洗練されていて、演奏も卒が無い。
  地元のバンドであれば連絡も取りやすいし、ビジネスとしては楽である。
  それに対して、ビートルズはリバプールのバンド。
  この頃のイギリスの音楽業界そのものが、リバプールの事をまだ何も理解していなかった。
  実はそこには、ビートルズに並ぶ魅力的なバンドやシンガーがひしめいていたのである。

47 :
  〜 The Swinging Blue Jeans / Hippy Hippy Shake
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1Ke8mzgex4U&feature=related
  〜 The Searchers / When You Walk In The Room
  ttp://www.youtube.com/watch?v=4XWQCLqab4o
  (小林)というわけで、また2曲続きましたけども。
  そうなんだよねえ。
  ビートルズがオーディション受けた時は、正月には、午前中が田舎のリバプール 午後が地元のロンドンのバンドだったわけですよ。
  リバプールのことは、ほんとに良く分かっていなかったんだけど。
  この番組で何回か、リバプールっていう港町はね、けっこうリズム&ブルースはロンドンなんかより早いよ、みたいな話もしましたけども。
  そのリバプールのグループです。
  スウィンギング・ブルー・ジーンズ(The Swinging Blue Jeans)がやっていた。いずれもカバーですよ、今日はね。
  (1曲目)Hippy Hippy Shake、有名なロックンロールのナンバー。
  そしてザ・サーチャーズ(The Searchers)の(2曲目)When You Walk In The Room。
  2曲続きました。

48 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「いいか、マイク。今回契約できるバンドは一つだけだ。
  いくらマネージャーのブライアン・エプスタインがデッカにとって大口のクライアントだからといっても、それとこれとは別だ。
  さあ、がんばってくれ。頼んだぞ!。」
  これは1962年の元旦早々、ビートルズのオーディションを担当したデッカレコードの若き制作マン=マイク・スミスが上司のディック・ロウから言い渡された業務命令である。
 
  この日は午前中にリバプールからやって来たビートルズ、そして午後が地元ロンドンのグループ=ブライアン・プール&トレメローズの2組のオーディションが行なわれた。
  優等生的なバンドであるトレメローズに比べると、ビートルズはプロっぽくは無い。
  だけど、オリジナリティという点では、どんなバンドにも負けていない。
  なのに、このオーディションでは本来の得意のナンバーはほとんど無く、広い音楽ファンに受けそうな曲を集め、それで勝負を賭けてきた。
  確かにビートルズの本来とは違った側面を見ることができて、担当したマイク・スミスも興味を持った事は確かである。
  しかし、数週間前にリバプールで見たビートルズとは少し“キャラ”が違っていた。
  ビートルズの持ち味であるハードなギターサウンドもブルージーな歌い方も、デッカのオーディションではすっかり封印されていたのである。
  スミスはいよいよ迷ってしまった。
  いや、迷ったというよりは、ビートルズが判らなくなった、と言った方が正しいのかもしれない。
  わざわざリバプールまで出張し、あの狭苦しいクラブ「キャバーン」で直接ライブ体験した時のビートルズには、もっとワイルドさがあったはずなのに。
  今回はそれは、ほとんど見受けられない。
  正直、演奏だけであれば、軍配はトレメローズに上げたくなる。
  こうして、ますます「新人バンド選びのスパイラル」に巻き込まれていくマイク・スミスであった。

49 :
いつもありがとう

50 :
  〜 The Beatles / Money(That's What I Want)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Ilnz6hyk3oU
  〜 The Beatles / In My Life
  ttp://www.youtube.com/watch?v=iE3LBM-Yw3o
 
  (小林)まあ「話し」としては、ビートルズがレコードを出す前の話しなんですがけども。
  レコードを出すようになってから。直後に出した、ビートルズの(1曲目)Money。
  これはモータウンのヒット曲のカバーですけれども。
  逞しくなってますよねえ、というか、もうすでに逞しかったんだと思いますけど。
  それから、この頃になるとソングライティングも深みが加わって来ます。
  1965年ジョンの傑作です、(2曲目)In My Life / The Beatles。
  

51 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (草加市/女性)
  10代の頃から小林克也さんに影響されて洋楽好きになった30代の主婦です。 
                 (小林)責任重大ですw。どうですか?洋楽好きになって。人生は良い方に向かっていますか?w
  高校時代隣の席だった女の子がポールのファンで当時は私はマイケル・ジャクソンのファンだったので
  休み時間によく Say Say Sayや The Girl Is Mineをデュエットして歌っていました。  
                     (小林)やあ、レベル高いですねぇ。
  調べてみると他にもデュエット曲には The Manという曲があるみたいですね。この曲をリクエストします。
  (小林)あなたのリクエスト。 
  〜 Michael Jackson & Paul Mccartney / The Man
  http://www.youtube.com/watch?v=rXgim4YXLXk
  
  〜 Michael Jackson & Paul Mccartney / Say Say Say
  http://www.youtube.com/watch?v=b9jGSdGVNFI
  (小林)
  というわけでポール・マッカートニーとマイケル・ジャクソンのデュエットが2曲続きましたね。
  これは(2曲目)Say Say Say 80年代の大ヒットですが。
  (川崎市中原区/男性)
  先月はポールの誕生日とマイケル・ジャクソンの命日があったので二人が共演した Say Say Say をリクエストします。

52 :
  (小林)
  ポールとマイケルのデュエットは、もちろんマイケル・ジャクソンの方から仕掛けたわけですよね。
  住所とかいろいろ聞いてポールにいきなり電話をして「なんかやろうよ」っていう。
  で、この二人は仲良くなるんですけど、ただポール・マッカートニーによると、一つ後悔していることがあると。
  それはですね、マイケル・ジャクソンがメチャクチャお金がガンガン入って来て。 
  冗談半分に「おまえ、ビートルズの歌の権利を買えば?」ていうようなことを言って
  マイケルはサッと買っちゃったんですよね。
  だから、マイケル・ジャクソンがビートルズのほとんどの曲の権利を買ってる、ていうことはお馴染みだと思いますが。
  ポールが「買ったら?」って。「しまった!俺が買うんだった!」「ほんとだったら、買っとかなきゃだめなのに・・・」
  ていうような事をインタビューで言っております。

53 :
  (宇都宮市/男性)
  ビートルズチルドレンとも言える日本のバンド「チューリップ」が結成40周年を記念してツアーをすることになりました。
  少年の頃に好きだったバンドをまた見られるということで、娯楽に飢えている昨今、生活に張りが出てきました。
  この年になって聴くとなおさら深みを感じるフェイバリットソングの一つ The Love Map Shopをよろしくお願いします。
  
  〜 チューリップ / The Love Map Shop
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6trmvy0gD6k
  〜 The Beatles / I'll Follow the Sun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9N2FqdRl8ts
  (船橋市/男性)
  先日の放送で「フォーセール」のアルバムの何曲かかかって嬉しくて、そして懐かしく感じました。
  「フォーセール」は僕が初めて買ったビートルズのアルバムです。
  当時はジャケットが気に入り買った記憶があります。
           (小林)みんなどうだったろうwアルバムは買うのはジャケットが気に入って買ったよね。そうだよねw。
  他のアルバムに較べると埋もれた感は否めませんが、でも良い曲入っていると思います。

54 :

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
  いろんなリクエストがあっていいですから。
  型にはまる必要はまったく無いですから。よろしく。
  (メール、FAX、ハガキも可です。)
  リクエストは、定番ていうような書き方があるとすれば、そういうのは破って下さい。
  それがビートルズの精神です。
  
  というわけで、ビートルズがオーディション受かるかどうかっていうことで。
  結局は、なんといのうか、妥協したわけですよね、ビートルズがね。
  ほんとうは、自分たちの好きなやつをやらせればよかったんだけど、「大人のやり方」でやって。
  結果ですけど、デッカはダメになるんですけど。
  だから、やっぱりジョン・レノンなんてのは一番ロック魂にあふれた人でしょう。
  そういう風なものがぜんぜん無かったんですよ。
  結果落ちるわけですが、この頃の話しは面白いです。
  また来週もお楽しみに。
  

55 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年7月29日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 7月29日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  ビートルズが「アップル」ていう会社を作ったのはご存知だと思います。
  これはですね、音楽ばっかりじゃなくて映画だとか、それからファッションで自分たちがいろいろチャレンジしていこう。
  それも、商売にしていこう、という会社なわけですね。
  で、その一環として「アップルストア」て言うと、今「えっ。その店なの?」って間違われるといけませんけどもね。
  実は正確に言うと「ブティックアップル」ていうのをロンドンに立ち上げるわけですよ。
  ところがビートルズはデザイナーじゃないし、野心は面白かったんだけどね、それを実際に服を集めたりする人間がダメだったわけで。
  もうアップルは結局「ダメな店」になって行くわけですよ。すぐ。
  ヒッピー連中に食い物にされるっていう。
  で、これがですね、今から44年前の今日、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが来て。
  「もうアップルを閉める」っていうんで、アップルストアの目ぼしい物を、ジョンとヨーコが持ってった、ていう。
  それが今日なんですよね。
  ちょっとこれ関係あるかもわかりませんが、
  ジョン・レノンを崇拝するリアム・ギャラガー(Liam Gallagher)っているじゃないですか。
  あれが、やっぱりファッションブランドをスタートさせて、青山の、東京のね、青山に自分のレーベル名の「プリティグーリン」てのをオープンして
  こないだ本人が来てパーティやったんですよね。そういう野心があったんですよね。
  そういったのは最近では、ヒップホップの連中なんかにも受け継がれているみたいですが。

56 :
  さて、今から44年前の今日は、スタジオでジョンとポールが、ポールが書いたあの名曲。
  実は、ジョンがオノ・ヨーコと一緒になっちゃって、ジョンの最初の子供がね「寂しい」って言うわけで、ポールがジュリアンを励ますために作った曲ですよね。
  ヘイ・ジュード(Hey Jude)。
  これを二人が手直しをしています。
  そこで、そのバージョンをちょっと聴いて頂きたいと思うんですが。
  これ何回も録ってるみたいなんですよね。
  で、今日聴くバージョンはですねえ、特に冒頭のジョンとポールのやり取りが面白い。
  ジョンとポールは打ち合わせでやるんじゃないんですよ。
  ジョンが何か言い出すとね、ポールがそれに付け加えて、面白くしてその曲に持って行くっていう。
  曲、何回も録ると、けっきょく面白くないじゃないですか。
  だからいかに彼らは何回テイクしても楽しむために、いろいろ工夫をしていたっていうのがわかります。
  ジョン・レノンが話し始めるんですよ、
  そうするとポールが「うん、そう、それはボストンでの物語。じつはその恋の物語は…」なんて事を言いながら、
  ちょうどいい所でヘイジュードに持って行くんですね。
  その模様を聴いていただきましょう。
  
  〜 The Beatles / Hey Jude (Short Version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=mhmXfyX-3-k 
  (小林)というわけで、今から44年前のきょう、スタジオで、やり直したっていう。ジョンとポールが作って。
  これはシンプルな編成ですけども、これは今日録ったやつは実は採用されないで、後で録り直したやつが採用されるという。
  でも、でもw、一つ一つ味があって面白いねえ、ビートルズはねえ・・・。

57 :
□デッカオーディション
 ・「年末に、わざわざリバプールまで出張してあの狭苦しいクラブ・キャバーンで直接ライブ体験した時のビートルズには、もっとワイルドさがあった。
  今回のオーディションではそれが感じられないし、歌も演奏もいま一つ。あの曲選びのせいだろうか?
  うーん…彼らはもっと魅力的だったはずなんだけどなあ。」
  これは1962年1月1日、元旦のオーディションを担当した、デッカレコードの制作マン=マイク・スミスのつぶやき。
  まだ20代のアシスタントディレクターがオーディションを仕切り、契約するバンドの決定まで任されていたのである。
  同じ元日の午後には、デッカのオーディションを受けたのは、地元ロンドンで結成され活躍するブライアン・プール&トレメローズ
  彼らの演奏はとにかく卒が無い。
  つまり、トレメローズを不合格にしてビートルズと契約するための理由が見当たらないのである。
  マイクは自問自答した。
  「弱ったなあ、確かにビートルズはこのオーディションでは力を出し切っていないし。俺もどこか釈然としないことがある。
  でも、トレメローズよりすごいか、って言われると、それも決定的な結論は出ないなあ。
  よし、ビートルズのマネージャー=エプスタインさんには申し訳ないけど、今回はトレメローズと契約しよう。
  何てったってロンドンのバンドなら、連絡は取りやすいし、ビジネスプランも立てやすいしな。
  それにしても、あのリバプールのロックバンドムーブメント、すごいことだけは確かだ。
  キャバーンに出てるバンドもみんなパワーがあってセンスもいい。
  この先、どんなバンドがリバプールから出て来るのか、それだけは楽しみだなあ。」
  このように、スミスがリバプールの音楽シーンに興味を持ったのも無理はない。
  なんせ当時、リバプールだけでもバンドの数は500以上。
  このあといくつものバンドがリバプールからロンドンにやって来て、イギリスのロックシーンの中心となるのも、もはや時間の問題であった。

58 :
  〜 The Big Three / Some Other Guy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=5mbj6do2t6E
  
  〜 Gerry & The Pacemakers / Ferry Cross The Mersey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VEzMDPAV8MQ
 
  (小林)リバプールの音が、2曲続きました。
  ビックスリー(The Big Three)という、ビートルズのちょっと先輩のバンド、リバプールで人気があったそうです。
  (1曲目)Some Other Guy。
  そしていま聴いたのが、このところビートルズと一緒にコンサートをやった話しなんかお伝えしてますが、
  同じ事務所のジェリー&ペイスメイカーズ(Gerry & The Pacemakers)、この曲はジェリー・マースデン(Gerry Marsden)が書いた。
  これはなかなかいい曲でありまして、(2曲目)Ferry Cross The Mersey という有名な曲ですよね。
  イギリスで8位まで、アメリカで6位まで上がるヒットになります。Ferry Cross The Mersey ていう曲をお送りしました。

59 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「ロンドンのデッカレコードからまだ連絡はないのか?。
  元日にオーディションを受けてから、もう2ヵ月経つんだぞ!。
  一体全体どうなってるんだ?、あのデッカって会社は!」
  怒りまくっている声の主はブライアン・エプスタイン。
  この時1962年3月から2年足らずで、ビートルズを世界一のロックバンドに仕立て上げた伝説のマネージャーである。
  しかし、この時点ではまだビートルズのマネジメント事務所としては、ほとんど利益を出してはいなかった。
  収入源のほとんどは、父親から任されているレコードショップNEMSの売り上げ。
  1962年の元旦のデッカのオーディションを受けたあとも、ブライアンはしょっちゅうロンドンに出かけ、音楽業界の関係者を追いかけ回していたので、
  NEMSの創業者である父親の怒りも、そろそろ頂点に達する寸前であった。
  ブライアンは出来るだけ父親と顔を合わせないようにと、オフィスを構えるホワイトチャペルの店ではなく他のショップに出かけては何とか時間を稼いでいた。
  それにしても、「ロックバンドをロンドンのメジャーカンパニーと契約させてレコードデビューさせるのに、こんなに時間がかかるものか?。」
  ブライアンはそろそろキレる時期に差しかかっていた。
  
  そんな中、3月に入ってブライアンが最初に交渉したデッカの営業部長ピーチャー・スティーブンスから電話があった。
  その話の内容は
  「アーティストと契約し実際にレコードを制作する部署のプロデューサー=ディック・ロウから話しがあるので、ロンドンまでお越し頂けないでしょうか?」
  というもの。
  当然ブライアンは「ようし!ついに来たか!」と、一度は期待に胸を膨らませてはみたものの、それと同時に悲観的にもなった。
  なにしろ返事が遅すぎるのだ。
  しかし、どんな時でも「ビートルズは世界一になる」と信じて疑わないブライアンも、またそこにいた。
  この前向きな姿勢こそ、カリスママネージャーたる所以(ゆえん)だったのである。

60 :
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6ibeqQA2_Yw
  〜 The Beatles / Baby You Can Drive My Car
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nVGcndog-yY
  (小林)2曲続きました。
  初期の、というか、これはEPレコードですよね。
  1964年6月に出たそうですが。
  ジョージ・マーチン・プロデューサーの元「じゃあ、このカバーを」ってやったら、テイクワンでOK!だったそうです。
  Long Tall Sally。
  ポール・マッカートニー得意中の得意の曲です。
  そして Drive My Car 「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入っています。
  ポール・マッカートニーのリクエストで、
  ジョージは、スティーブ・クロッパー(Steve Cropper)つまり60年代のソウルミュージックで有名なギタリストですが、
  「そのように弾いてくれる?」ていうリクエストがあったそうです。
  Drive My Car。

61 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「あ、エプスタインさんですか? お正月はわざわざオーディションのためにロンドンまで御出で頂きありがとうございました。
  また、今日までお時間をいただいて、本当にお待たせいたしました。
  実はですね、そのビートルズに関して、以前エプスタインさんもお会いになっているかと思いますが。
  制作部のプロデューサー=ディック・ロウが、直接お会いしてお話しをしたいと申しております。
  それで、どうでしょう、ご足労をおかけしますが、近いうちにロンドンまでお越し頂けないでしょうか?。」
  この電話の主は、ビートルズの伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインが最初にコンタクトをとったデッカの営業部長ピーチャー・スティーブンス。
  ビートルズを最初に制作部に紹介してくれた人物である。
  当然ブライアンは「よし!ついに来たか!」と一度は胸に期待を膨らませてはみたものの、それと同時に悲観的にもなった。
  返事がおそ過ぎるのだ。
  どんなに車内で検討するのに時間がかかったといっても、2ヵ月は長過ぎる。
  「俺は、舐められているのか?」ブライアンはそう呟いてみた。
  もしそうだとしても、相手に背中を見せるわけには行かない。
  そして翌週、ブライアンはロンドンにいた。精神状態は不安定なままである。
  再びデッカレコードの門を叩き、通された部屋が、ビルの7階にある「アルバートエンバンクメント・エグゼクティブクラブ」という豪華な応接室。
  「このやろう、ハッタリで来るつもりか。上等だよ、望む所だ。」
ブライアンはそう呟き、臨戦態勢に入った。
  しかし、デッカの人間はみんな物腰が柔らかく、かなり豪華な昼食も用意されていた。
  たっぷりと時間をかけてランチを楽しんだ後、コーヒーを飲み終えたプロデューサーのディック・ロウが口を開いた。
  「それでですね、エプスタインさん。ビートルズの件なんですが・・・」
  部屋の温度が一気に5度下がったように感じたブライアンであった。

62 :
誤字誤文スマソ
×胸に期待を膨らませ
○期待に胸を膨らませ
×車内で検討
○社内で検討

63 :
  〜 The Beatles / For You Blue
  ttp://www.youtube.com/watch?v=e_UvXbKyPnk
  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Me4yCKIUt5o
 
  (小林)2曲続きました。渋い曲が続きましたね。
  If I Needed Someone、ジョージ・ハリスンの名曲というか。
  これ聴いて、音楽古いのを聴いてる方はね、
  バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)とかクロスビースティルスナッシュ(Crosby, Stills, Nash & Young)とか思い出されたと思います。
  それをやってたんですよね、もうね、「ラバーソウル(Rubber Soul)」に入ってますからね。
  楽器によって、歌の明るさだとか表情がだいぶ変わりますけど、ジョージ・ハリスンはリッケンバッカー360/12っていうのを弾いていました。
  その前の曲は For You Blue。
  これは「レットイットビー(LET IT BE)」に入っている曲なんですけど。
  ジョン・レノンはフェンダーラップスティールっていう、膝に置いて弾くスティールギターですよね。
  ジョン・レノンがやっています。
  これもちょっとアメリカのカントリーブルースっぽい感じでしたね。
   For You Blue。

64 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせて頂きます。
  不採用の方、申し訳ないですけど…これに懲りずに…。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (三鷹市/男性)
  僕がビートルズに興味を持ったのは中一のころ、よく学校の英語の先生がビートルズの曲を流してくれたのでいつのまにか心惹かれてました。
  ちなみに先生が流してくれたのは「Yellow Submarine」「Let It Be」「Obladi Oblada」の3曲です。   (小林)先生が好きだったんだ。
  今僕の中で一番好きなビートルズのアルバムは「ホワイトアルバム(THE BEATLES)」。
  メンバーそれぞれの個性的な歌がとても大好きです。
  ここで僕はこの「ホワイトアルバム」の中から「Happiness Is A Warm Gun」をリクエストします。
  初めは静かに始まりますが、最後のあたりで激しくなるところが、とても大好きです。
  (小林)
  この曲はまいっちゃうよね。ジョン・レノンの作品ですけど。
  タイトルが「幸せは暖かい鉄砲」ていうか暖かいライフル。
  「おお、何の事を歌ってるんだ?」と、頭の中バーッっと脹らむけど、
  その脹らみ以上のことを体験させてくれる歌です。
  〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=GiYxCWPKqq8

65 :
  〜 パフィー / これが私の生きる道
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XRVShbxb87Q
  (小林)いやあw、ジョン・レノンの Happiness Is A Warm Gunからパフィーへ来たら、けっこう繋がりましたね。
  イイ感じになってきましたねえ。
  (千葉市美浜区/女性)
  ビートルズ結成50年ということで、いろいろ盛り上がっていますね。
  この番組も何かしら企画があるのでしょうか?
  でも、いつものように変わらないのが克也さんらしくて、いいかも。
  リクエストさせていただきます、パフィーの「これが私の生きる道」
  これは初めて聴いた時「あれ?どこかで聴いた事のあるメロディが出るなあ」と思っていたら、
  ビートルズのメロディが何曲も入っているので、パフィーもカッコいいと思いました。
  もし、ほかにもあったら教えてください。
  (小林)
  まあこれは、ビートルズ好きの井上陽水・奥田民生がw、もう本当に遊んだ、思う存分遊んだ。
  ビートルズをリスペクトするっていうかね、
  ビートルズにいかにやられているか、っていうことを見せつけた。
  そしてまたパフィーが、すごいイイ仕事しているわけですよね。パフィーの味がまたすごい。
  ほらだから、アニメの作品がアメリカで受けたっていうのも、ちょっと頷(うなず)けますよね。
  はい、14年前ですよ、これが。

66 :
  (四街道市/女性)
  先日NHKで海外ドラマ「グリー(GLEE)」が放送されていました。
  合唱部がダンスをしながら、ビートルズの「Don't say goodbye,I say hello」と歌っていました。
  オリジナルも良いんですけが、グリーも素敵で一緒に口ずさんでしまいました。リクエストします。
  (小林)
  あなたのリクエスト。
  〜 Glee Cast / Hello Goodbye
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P26-9ee5gGg
  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=psuXzEIM05s
  (小林)
  All You Need Is Loveがかかっています。
  (神栖市/女性)
  いつも仕事中でメール出来ないんですが、
  今回旅行でニューヨークのセントラルパークにあるジョンのモニュメントに行って来たので、初メールさせて頂きます。
  私はビートルズには詳しくないんですが、ラジオを楽しみにしています。
  セントラルパークの中でも片隅にあり、判り辛い場所なんですが、たくさんの人が献花やロウソクを焚いていました。
  近くではビートルズの曲を奏でるバンドマンたちがいて、改めて広い世代と多くの人に愛されていたんだなと、実感しました。
  (小林)
  ニューヨークで、あの場所からですね、すぐ、路が近いじゃないですか、路に出るとその向かい辺りが“ダコタアパートメント”ですよ。
  今でもオノ・ヨーコさんたちが住んでいる、という。
  それも、見ました?見ましたかw?

67 :
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたでしょうか?
  ビートルズがデッカレコードという所でオーディションを受けて、2ヵ月も待たされてw。
  で、ロンドンに呼び出されるわけですよね。
  来週いよいよ、その答えがわかります。
  これはもう、名作を見るみたい。
  ストーリーは判ってるんだけども楽しみだ、っていうw。
  そんな感じじゃないかと、思います。
  でもねえ、やっぱりあのデッカの7階行くと、すっごい豪華なんだってね。
  そこで、偉い人がみんな集まって、むっつり昼ご飯を食べて、その後で言い渡されるんですよ。w
  ハイ、お楽しみに。
  
  リクエスト、今週は女性が多かったですね。
  女性の方の、それも20代30代の方なのかな、多かったですけど。
  全世代ウェルカムです。
  ひとつよろしく。
  採用の方には・・・(ry

68 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月5日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(8月5日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  あら?ちょっと俺の声おかしいな。そうなんです。風邪をひいています。ちょっと響きがちがう。
  イギリスで「リボルバー(Revolver)」のアルバムが、当時はLPとも言いました、「リボルバー」のLPが発売になります。
  そして同じ日、シングルで両A面で「エリナリグビー(Eleanor Rigby)」と「イエローサブマリン(Yellow submarine)」
  この組み合わせがまたすごいよねえw。
  エリナリグビー、今バックに流れてるのエリナリグビーですよ。
  ttp://www.youtube.com/watch?v=EwNr5fnq-d (Eleanor Rigby - String Alchemy)
  悲しい曲wなんですよ。
  悲しい曲と、ほんと能天気な曲がw、組み合わせ。
  両A面だってw、ファンも迷っちゃうよね。
  でこのアルバム「リボルバー」っていうのはですね、ちょっとビートルズの歴史を変える様なところがあります。
  実は1966年、今から46年前、ビートルズが日本に来てますよね。
  その時点では、もう「リボルバー」は録音してたんだけども、日本だとかいろんな国でコンサート奏るじゃない。
  ぜんぜんリボルバーの曲を奏らなかった。
  どうして奏らなかったのか、て言うと「生では再現できなかったんだ。」ていうようなことが言われています。
  例えばですね、最初に取りかかった「Tomorrow Never Knows」という曲、
  これはインド風のサイケデリックが聴こえたりするぶっ飛んだ曲ですけれども。
  この曲はジョン・レノンの曲ですが。
  ジョン・レノンが「ダライラマがヒマラヤの山の頂上から説教しているようなサウンドが欲しい」という注文をつけて、
  アシスタントから大抜擢されたジェフ・エメリック(Geoff Emerick)、これはエンジニアですが。
  彼がビートルズのメンバーの注文を聴くのに大活躍します。
  ジョンのボーカルをですね、
  回転式のスピーカーに通したりとか、テープの逆回転をやったりとか、ループていう同じ所をくり返すような、テープを切り刻んだり
  いろんな事をやっています。

69 :
  では、今から46年前の今日、イギリスで発売になった「リボルバー」の第1曲目、これはジョージ・ハリスンの作品です。
  ビートルズの歌は、ほとんどがラブソングがずっと多かったんですけど、これはラブソングじゃないんですよ。
  税務署員の、税務署がね、「なんと、95%も税を取って行くんだよ」というような事をいきなり歌いはじめる。
  これは、ファンはビックリしちゃいます、これ聴くと。
  で、これはねえ、まあいろいろ(音を)重ねて作ったと思われます。
  ジョージ・ハリスンの声でカウントがある中で、ポール・マッカートニーもカウントを出している。
  あのこれね、頭から注意して聴いて下さいw。面白いですからw、ビートルズのお馴染みの Taxman.

  〜 The Beatles / Taxman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZrNKxmmb_9A  
  (小林)
  いかがですか。これが46年前の今日発売になった「リボルバー」の1曲目 Taxman。
  税務署がw…、いきなりお前すごいなあwっていう感じですよねえw。
  これ20分の一しか残らないわけですよ、ビートルズ。
  一億稼ぐと、500万しか残らないわけですよ。
  あと9500万、税務署が持って行くっていう。
  こりゃあもう歌にしなきゃって、ジョージがw怒ってやったんでしょうね。
  で、ジョージの作品だけど、ポールのギターが大活躍ですよ。ポールですよ、ギターがね。

70 :
□デッカオーディション
 ・1962年3月、イギリスはリバプール、きちんとした身なりの男の心中は穏やかではなかった。
  男の名はブライアン・エプスタイン。
  彼はイングランド北部はもとより、今やロンドンの業界でも有名なレコードショップNEMS(North End Music Stores)の支配人であり、
  さらにはこの時点ではまだ無名のロックバンド「ビートルズ」のマネージャーでもあった。
  もちろん、この2年後ブライアンはビートルズを全世界で大ブレイクさせ「音楽の歴史上最も成功したロックバンドのマネージャー」の称号を頂くことになる。
  そのブライアンの心中がなぜ穏やかではなかったのか?  
  それは、2ヵ月前の1962年の元旦、ビートルズがロンドンの大手レコード会社デッカの新人オーディションを受けたことに原因があった。
  そのオーディションは、ビートルズの得意とするワイルドなロックンロールやリズム&ブルースのレパートリーは極力外し、
  ポップ路線で行ったおかげで、オーディション担当者の受けは良かった。
  と、ブライアンはそう信じていた。
  「音楽のビジネスに関して、俺は失敗をしたことが無い。ビートルズだって絶対上手くいくに決まってる。」
  そう信じて疑わなかったブライアンではあったが、今回は少し事情が違っていた。
  なんせデッカからの連絡が無いのである。
  そして2カ月が過ぎたある日、そのデッカから電話が入った。
  翌週、再びデッカレコードの門を叩き、通された部屋がビルの7階にある「アルバートエンバンクメント・エグゼクティブクラブ」という豪華な応接室。
  「このやろう、ハッタリで来るつもりか?。上等だ、望むところだ!」
  ブライアンはそう呟き、臨戦体制に入った。
  しかし、デッカの人間はみんな物腰は柔らかく、かなり豪華な昼食も用意されていた。
  たっぷりと時間をかけてランチを楽しんだ後、コーヒーを飲み終えたプロデューサーのディック・ロウが口を開いた。
  「それでですね、エプスタインさん。ビートルズの件なんですが・・・・」
  ブライアンは神妙な面持ちで、その言葉に耳を傾けたのである。

71 :
熱さで録音データのあるメインPCが
物故割れましたので
しばらくお休みします。

72 :
夏は自分よりもボロPC優先に扇風機当ててやらないと壊れるよな。

73 :
きょうは聞けなかったけど、どこまで話し行ったの?
先週は、不合格と告げられるところだったけど

74 :
  〜 The Beatles / Think For Yourself
  ttp://www.youtube.com/watch?v=asjgoEUtcR4
  〜 The Beatles / Fixing a Hole
  http://www.youtube.com/watch?v=xJZehOcygi0  

  (小林)2曲続きました。
  Fixing a Hole(2曲目)これは「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」に入っている曲。
  奇妙な曲ですよねえw。1967年。
  
  そしてその前は、これはジョージ・ハリスンの作品、(1曲目)Think For You Self。
  ポールはファズをかけたベースを弾いておりました。

75 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「このやろう、ハッタリで来るつもりか?。上等だ。望むところだ。」
  これは1962年の3月、ロンドンのデッカレコードの本社ビルに呼び出された時の、ブライアン・エプスタインの心の中の呟き。
  もちろん、この時ブライアンは事実上のビートルズのマネージャーであり、2ヶ月以上前に受けたオーディションの結果通知を、
  「まだか、まだか」と待たされていたのである。
  デッカレコードに到着し、ブライアンが通されたのは「アルバートエンバンクメント・エグゼクティブクラブ」という豪華な応接室。
  リバプールでビジネスに成功した裕福なユダヤ人家庭に生まれ、何不自由なく育ったブライアンではあったが、さすがにこの部屋にはビックリした。
  自分の父親の自己資本だけで一代で叩き上げたNEMSに較べると、まるで規模が違った。
  やはりここでも、貴族を中心とした資本者階級と労働者階級のはっきりとした棲み分けがある。
  イギリスの階級制度、もっと簡単に言うと「身分制度」を目の当たりにした。

76 :
  豪華なランチが済むと、ビートルズのオーディションには立ち会わなかったものの、決定権のある責任者=ディック・ロウが無表情で話し始めた。
  豪華な応接室に緊張が走る。
  「率直に申し上げますが、エプスタインさん。私どもはあなたのバンド“ビートルズ”の音楽に興味を持ちませんでした。
  バンドの時代はもう終わりです。特にギターリストが二人いる四人組みはもう流行りません。
  バディ・ホリーだってもう亡くなっているんです。」
  ブライアンは煮えたぎる怒りを顔に出さないようにして、こう答えた。
  「あなたのお考えは、理解できません。ビートルズがテレビに出演すれば、一躍注目されるのは明らかです。
  シャドウズの人気は簡単に超えるでしょう。
  私には、いつか彼らがエルビスより大物になるという絶対的な自信があるんです。」
  
  ブライアンの執拗な食い下がりに、デッカの面々は顔にこそ出さなかったものの辟易としていた。
  オーディションを受けに来る若いミュージシャンなんて掃いて捨てるほどいる。
  こういう類の人間はアーティストを商売道具、つまり金としか考えていないのが見え見えであった。

77 :
  〜 The Beatles / You Never Give Me Your Money
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LbOBHk3Wogg
  〜 The Beatles / Something (Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gp935slKcVE
  (小林)いやあ、これはジョージ・ハリスンのみんなよく知っている最高傑作のひとつ(2曲目) Something。
  でもこれは「アンソロジー3」に入っている。
  で、録音ていうのは1969年の2月25日、ジョージ・ハリスンの誕生日に録音されたっていう。
  これは別の曲に聴こえるぐらい。
  面白いですねえ、これねえ。
  もう一回聴きたいでしょうw。
  その前が有名な曲(1曲目) Give Me Your Money。ポール・マッカートニーの曲で。
  これは、またw、今日はビートルズの金の歌がw2曲続けられたからw、あの Taxmanねw。
  それからこれもw、お金の歌があるんだね。まだ他にも お金の歌あるからねえw。

78 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「あなたのお考えは理解できません。
  ビートルズがテレビに出演すれば、一躍注目されるのは明らかです。 
  シャドウズの人気は簡単に超えるでしょう。
  私には、いつか彼らがエルビスより大物になる、という絶対的な自信があるんです。」
  これは、ビートルズの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタインが、オーディションを受けたデッカレコードに呼び出され
  不合格を言い渡された後の発言。
  男一代ブライアンの啖呵であった。
  
  しかし、ブライアンはこの日は何とか平静を装ってデッカを後にしたものの、後日この不合格の決定を覆そうと、何度もデッカを訪れている。
  出来る限りの努力をしようと、一人でロンドンに出向いては、
  決定の判断を下したプロデューサー=ディック・ロウにアポイントメントを取っては執拗に食い下がった。
  ロウがだめなら、ブライアンが最初に話を持ちかけた営業セクションのピーチャー・スティーブンスを説き伏せようとした。
  さらには、小売部門にまで足を運び、自分が大手レコードショップの経営陣であることを武器に話を進めようともした。
  当事者であるデッカのプロデューサー=ディック・ロウは、こう語ってくれた。
  「あとで聞いた話なんですが、
  ブライアンは『もしビートルズと契約してくれるのであれば、シングルが発売されるごとに3千枚のレコードを仕入れる』
  という条件を出したそうなんです。
  どうやらこの交渉条件は、うちのデッカの営業セクションで留まっていたらしく、私の部署までは聞こえてきませんでした。
  もし彼が直接私のところに交渉に来てくれていたら、ストーリーは変わっていたと思うんです。
  なんせ、当時のイギリスの音楽業界の状況を考えたら、3千枚の売り上げなんてすでに『ヒット曲』ということになりますからねえ。
  運命というものは、面白いものであると同時に、実に残酷なものなんですねえ。」

79 :
  〜 The Beatles / Besame Mucho(Decca Demo)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xaLlA7GeQZ4

  〜 The Beatles / Medley: Rip it up/Shake, Rattle and Roll/Blue Suede Shoes(Anthology 3)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=l8PeVr_GmoA
 
  (小林)古いやつのカバーが続きましたね。
  最初はデッカオーディションで奏ったやつですよ。
  きっとハンブルグ時代に覚えたんじゃないかと思いますが、Besame Mucho。
  すっごい速いテンポですよねえ。
  
  で、(2曲目)これは1969年、アップルスタジオで録音をしたやつです。
  Shake, Rattle and Rollはポールが歌って、
  Blue Suede Shoes のジョン・レノンのちょっと気が抜けたアレがちょっとパンクっぽくて良いんですよね、ボーカルがね。
  ピアノがビリー・プレストンが奏っておりました。
  「アンソロジー3」に入っております。

80 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールでやる方は beatles@bayfm.co.jp
  ハガキなんかでもいいですよ、〒216-7127 BAYFM「ビートルズから始まる」
  FAXは 043-351-8011
  FAXは個性が出ますからねえ。絵を描いたりすることも出来からねえw。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  (習志野市/女性)
  先日の放送で、克也さんは「みなさん、ジャケットでアルバム買ったんですねえ」っておっしゃってましたが。
  ジャケットはいいですよねえ。
  実家の壁には母の趣味でサイモンとガーファンクル、エルビス・プレスリーなどのアルバムジャケットがたくさん飾られていました。
  今のCDのジャケットも、いいものがたくさんありますよね。レコードサイズじゃなくて残念。
  リクエストは、音楽が気に入ってジャケットで買ったやつ。
  (小林)
  そうかあ、まあだけど、音楽はもともと気に入っていたんだね。
  昔はレコード屋さん行くと興奮するんですよ。特にお金を多めに持ってたら、ちょっと要注意です。
  まるで、デパ地下に腹を減らして行くようなもので、もう必要以上に買っちゃうんだよね。うんw。
  あなたが「音楽が気に入ってジャケットで買った」のはノエル・ギャラガー(Noel Gallagher)のハイファインバーズ(High Flying Birds)ていうグループです。
  曲は AKA... What A Life!
    
  〜 Noel Gallagher's High Flying Birds / AKA... What A Life!
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lwHpLDgWonM

81 :
  〜 The Beatles / Blackbird
  ttp://www.youtube.com/watch?v=J6JaUplB5JE
  (小林)
  Black Bird かかりましたよ。
  前の(1曲目)ノエルの曲もすごかったですよね。
  だけど、オアシスみたいな、ほんとオアシスみたいな感じがするんだよねw。
  まあ兄弟別れ別れでやっているっていう。 
  (千葉県鎌ヶ谷市/女性)
  テレビはあまり見ないので「ビートルズから始まる」を聴くと「明日からまた一週間が始まるなあ」という気持ちが締まります。
  大学を卒業して一年と余りフリーター生活をしていましたが、このたびやっと就職が決まり、明日からやっと社会人になります。
  少し遅れをとったけど「このフリーター生活も無駄じゃなかった」と胸を張って言えます。
  素敵な人たちにR、素敵な思い出がたくさん出来ました。
  そんな充実したアルバイト先で毎日のように聴いていた、思い出の曲。(Black Bird)
  (小林)
  やあ、これは良い曲が思い出の曲だねえ。
  これが好きだって言う人いるよ。
  最近も、あなた、ファン(Fun)て知ってる?、アメリカの3人組の「We are young」っていうのがすごいヒットしてる。
  あのリードボーカル、名前は忘れたけど。彼が「Black Birdが一番好きだ」って言ってたから。

82 :
  (鹿沼市/女性)
  初めて読まれたときのあの衝撃。夢のようでした。  (小林)こないだ、読んだんですね。
  克也さんはビートルズにリアルタイムで会ったことはありますか?
                             (小林)リアルタイムで会ったことは・・・
                             リアルタイムは、リンゴと、電話で話をしたことがあるんですけどねえ。
                             ビートルズの頃ねえ。
                             あと、ポールには実際にテレビのインタビューで会いました。
  私はポールに会いたい。 
                        (小林)ていうような事を、書いています。Night Befor なんですが、リクエスト。
  この曲の好きな部分は基本的に全部ですけど、特にポールの声が響いてる感じが爽やかで風を感じる感じ?
  これが最高なんです。
  (小林)
  じゃあ、あなたのリクエストで、ポールが歌っています。       
  
  〜 The Beatles / Night Befor
  ttp://www.youtube.com/watch?v=u0mQGH7cq4Y
  〜 The Beatles / Yesterday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU
  (鎌ヶ谷市/男性)
  仕事が運送なのでなかなかメールできなくて、今回初メールです。
  現在34歳で、ビートルズを知ったのは中学校の音楽の授業です。
  そこからビートルズのCDをいろいろ買って聴いて嵌りました。
  克也さんのビートルズの歴史を聴いていて興味をそそられて、自分でも調べたりもしています。
  初めて聴いた曲 Yesterdayをリクエストします。
  (小林)
  かかりましたよ。

83 :
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  
  「話」は、ほんとうに面白いでしょう?
  あのビートルズが不採用、不合格、っていうw。
  結果がわかっているのにw、なんであんなに面白いんだろうねw。
  なんていうの、ビートルズが後々になって大成功するっていうの わかってるから面白いんだろうね。
  
  リクエストの方もよろしくお願いします。
  採用の方には…(ry

84 :
随分頑張ったな。

85 :
ありがとう

86 :
毎回ありがとうございます!

87 :
OSが(Win7に)変わったら、環境激変、なんかいろいろ不調。(´・ω・`)
WAVEデバイスがどうとかで、留守録を拒否されたりw
新しいメディアプレーヤーも使いづらくなったw
Janeも連投規制とか長文規制とか出たしw 
こまったw

88 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月12日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー 
は録音に失敗しました。

89 :
□デッカオーディション
 ・「あとで聞いた話ですが、ブライアンは
  『もしビートルズと契約してくれるのであれば、シングルが発売されるごとに3千枚のレコードを仕入れる』という
  条件を出したそうなんです。
  どうやらこの交渉条件は、うちのデッカの営業セクションで留まっていたらしく、
  私の部署までは聞こえてきませんでした。
  もし彼が直接私のところに交渉に来ていてくれたら、ストーリは変わっていたと思うんです。
  なんせ当時のイギリスの音楽業界の状況を考えたら、3千枚の売り上げなんてすでに『ヒット曲』ということになりますからねえ。
  運命というものは面白いものであると同時に、残酷なものなんですねえ。」
  
  これはビートルズがはじめて受けたオーディション、通称「デッカオーディション」を審査し、
  不合格の烙印を押したデッカのプロデューサー=ディック・ロウの発言。
  とても興味深いものである。

90 :
  ロックの歴史を振り返って見ると、そこには必ず「ビートルズ以前」と「ビートルズ以後」というキーワードにぶち当たる。
  つまり、ロックが発明されたのはアメリカ。
  もちろんロック以前のジャズやリズム&ブルースといった黒人音楽をルーツとする音楽はアメリカが本国。
  つまり、本場。
  これに対してイギリスは、その輸入国ということになる。
  「ビートルズ以前」には、イギリス産の音楽はイギリス国内やその周辺の国だけで聴かれ、ビジネス的にもそれほど大きいものではなかった。
  しかし「ビートルズ以降」、特に1964年2月にビートルズがアメリカ大陸に上陸して以来、それは急変する。
  イギリスとはまるで人口が違い、エンターテイメント大国であるアメリカでは、レコードの売り上げ枚数がまるで違う、
  エルビス・プレスリーに至っては、デビューしてすぐ百万枚の売り上げ、ミリオンセラーを連発していた。
  これに対してイギリスでは、数千枚の売り上げでも充分にビジネスとして成立したのである。
  もし、ビートルズがシングルを出すごとに3千枚のレコードを買い取るという提案が受け入れられ、デッカと契約していたら・・・。
  今となっては、すべて仮定ではあるが、ロックの歴史は「違ったビートルズ以降」になっていたことは、間違いないのである。

91 :
  〜 Elvis Presley / One Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=e8-hAM8tdr0
  〜 The Beatles / Oh! Darling  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lG3sgOJuugM
 
  (小林)いやあ、プレスリーとポール・マッカートニーの勝負ですよねえ。
  ロッカバラードって言いますけどね、こういうのね。
  二連ちゃん聴き比べを、特にボーカルの聴き比べ。
  プレスリーは(1曲目)One Night、1958年ですよ。
  ポールやジョンが高校生の頃ヒット曲で。
  で、(2曲目)これは69年、約10年経ったあとのポール・マッカートニーの Oh! Darling。
  どうですか?、僕はプレスリーなんかよく聴いてますから、プレスリーのファンの間では、さっきの話じゃないけど
  「ビートルズ以前」じゃないけど、プレスリーは兵隊に行くんですよね。
  「兵役前」「兵役後」ていうのがあって、兵役前のボーカルはおそらくジョンもポールも大好きなんですよ。w
  兵役後はちょっと変わるんですよね。エルビスは。もう、大御所っぽい感じ。
  で、Oh! Darlingは、どっちかって言うと兵役後っぽいエルビスの声っぽいですよね。ポール・マッカートニーはね。
  そんなことはどうでもいいかもわかりませんけども。

92 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「ビートルズがシングルを出すたびに3千枚のレコードを買い取る。」
  このブライアンの提案はデッカの営業部でストップしていた。
  アーティストとの契約に関しての決定権を持つプロデューサー=ディック・ロウの耳には届いていなかった。
  これはデッカが大企業であるせいで、横の伝達・コミニュケーションが上手くできていなかったせいなのか。
  あるいは、営業セクションが「これ以上ビートルズとかいうリバプールから来た分けのわかんないバンドに関わりたくなかった」ためなのか。
  今となっては、原因などはわからない。
  とにかく、デッカのプロデューサー=ディック・ロウはビートルズではなく、地元ロンドンのグループ「ブライアンプール&トレメローズ」を選んだ。
  この事実は数年たってビートルズの耳にも届いた。
  もちろん、彼らはすでに世界制覇を果たしていたが、これに関してポールはこうコメントした。
  「あのディック・なんとかっていうプロデューサー、後悔してもしきれないだろうなあ。」
  ジョンはもっと辛辣だった。
  「あんなやつ、後悔しすぎて死んじまえばいいんだよ。」
  マネージャーのブライアン・エプスタインが「ビートルズはエルビスよりも偉大な存在になる」という発言をした時、
  デッカのディック・ロウと営業部のピーチャー・スティーブンスは目を丸くして驚いた。
  連中は年がら年中 新人アーティストの売り込みを受けていたのであるが、
  その中でもブライアンほど理性的で紳士的なマネージャーはいなかった。
  「最も評判の良いマネージャー」として通っていたのである。
  そのブライアンが、「あんな感情に走った大人気ない発言をするなんて・・・。」
  同じ部屋にいた人間は、みんなそう解釈し理解た。
  しかし彼らは間違っていた。
  それはビートルズが世界的にブレイクした1964年から解散する1970年までにEMIパーロフォンから発売された全てのレコードを聴けば
  誰でも判る事実であることは言うまでもない。

93 :
  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand
  ttp://www.youtube.com/watch?v=yuSo60w0K_I
  〜 The Beatles / The Long & Winding Road
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fUO7N-zSMYc
  (小林)わかりましたかね。ビートルズのアメリカデビューから最後のシングル2曲。
  こんな並び方で、かけたの初めてですよね。
  I Want To Hold Your Hand 1964年1月に出て、アメリカでは本当に大ヒットでした。
  そして1970年の5月、アメリカでの最後のシングル The Long & Winding Road。
  これも大ヒットしました。

94 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「エプスタインさん、あいにく我々デッカレコードはビートルズと契約は出来ません。
  私の経験上あのバンドは売れないと思いますよ。
  私たちは音楽業界のプロです。
  ヒットするものしないもの、その業界でのウラ事情などなど、何でもわかります。
  あなたはリバプールでNEMSという素晴らしいレコード店を経営しておられる。
  それで 充分賞賛に値します。
  ですから、マネージメント業からは早く手を引いて、本来のビジネスに専念すべきです。」
  この言葉の主は、オーディションの結果ビートルズを不合格、不採用にした張本人、デッカレコードのプロデューサー=ディック・ロウ。
  最初の不合格通達にどうしても納得のいかないブライアンは、何度もロンドンに足を運びディック・ロウを説得しようと頑張った。
  しかし、ビートルズが不合格であれば、同じ日にオーディションを受け、運良く合格となったバンドもある。
  デッカはすでにそのバンドと正式なレコーディング契約を結んでいたため、ビートルズの不合格を取り消し契約するということは
  会社の規定上どうしても無理なことであった。
  普段ならスマートで清潔感があり最も紳士的なマネージャーとして有名だったブライアンが、こうも粘着質な男だった、なんて。
  ディック・ロウもいいかげん辟易していた。
  ブライアンも落胆はしていたが、顔には出さなかった。
  ビートルズを信じて、いつか絶対にチャンスは訪れると、四人のメンバーを励まし続けた。
  リバプールの若者をあれだけ熱狂させているバンドに、将来全国的なブレイクの可能性が無いなんて、どうしても信じられない。
  じゃあなんで、デッカの連中はビートルズにオーディションを受けさせたのか?
  ブライアンにはその理由が理解できなかった。
  そこには業界に在りがちな「大人の事情」が存在していたのである。

95 :
  〜 The Beatles / Don't Let Me Down ("Let It Be... Naked" version)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=02RB3rEghDA
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=GlpMs_R3P6U
  (小林)I Feel Fine、これは1964年アメリカでもナンバーワン、もちろん日本でも他の国でも大ヒット。
  そしてその前は、Dont Let Me Down 実は2003年にポール・マッカートニーが中心になって、やり直したようなアルバムがありましたね。
  「ネイキッド(Let It Be...Naked)」あの中に入っているバージョンです。 Dont Let Me Down。

96 :
□リクエスト
  (小林)
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  FAXやハガキでも受け付けています。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送っております。
  (?不明/女性)
  ビートルズ初心者です。高校生の甥っ子もビートルズ初心者なんですが。
  年代を超えて話せるミュージシャンの方は少ないので、先ずどんなCDを買えば良いですかねえ。
  初心者入門編という感じで入りやすいアルバムを教えてください。よろしくお願いします。
  (小林)
  やっぱり、いわゆるベストアルバムから入る、ていうのが良いかと思います。
  ビートルズの場合「赤盤」「青盤」ていうのがあってね。初期のベストを集めた「赤盤」これをお勧めします。
  それじゃ、曲目の指定が無いので「赤盤」の中で、僕の一番好きな曲w、というか申し訳ない、
  これです!。
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AW-h8OPkGO4

  〜 The Beatles / Birthday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=m_Nz9B1XFio
  (小林)
  いやあ Birthdayがかかっちゃいました。She Loves You + Birthday。
  (船橋市/男性)
  「ホワイトアルバム」は大好きなアルバムで、この中からリクエストさせてください。
  たぶん「レボリューション9」なんかリクエストしてもかかりそうも無いので、Birthdayをリクエストします。
  ちょっと早いけど妻と子供が8月誕生日なのでよろしくお願いしまーす。
  (小林)
  レボリューション… うーん「レボリューション9(Revolution #9)」ね、この番組でかけたもんねーw。知らないんだもんねーw。

97 :
  (府中市/男性)独身に戻った男。
  親父の米寿の祝いで8月末、故郷の沖縄に一緒に帰ります。
  高校までそこで暮らして、そこでビートルズの音楽にもRました。
  沖縄の白い砂浜で学生時代に聴いていた、スーパートランプ(Supertramp)の Breakfast in Americaをぜひ。
  ところでオンエアーされているんでしょうか?(一部音声不明瞭)
  なんといっても娘と私をつなげる大事な架け橋なのですから。
  (小林)
  ビートルズぽいよね、考えてみると、スーパートランプはね。
   Breakfast in America 大ヒットでした。
    
  〜 Supertramp / Breakfast in America
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aJH83DkNd9Q
  〜 The Rolling Stones / Sympathy for the Devil
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vBecM3CQVD8
  (小林)お聴きのサウンドは、ローリングストーンズの有名な「悪魔を哀れむ歌=Sympathy for the Devil」。
  よく、ビートルズとローリングストーンズは較べられるけど、ビートルズにはこんな世界は無いね。 
  (千葉県八千代市/男性)
  イギリスのローリングストーンズが1962年にロンドンで初演奏してから、7月12日で50年を迎えます。
  これまで、メンバーの脱退加入などいろいろありますが、人気バンドが一度も解散せずに半世紀も続いていることはすごいと思います。
  ミック・ジャガーはBBC放送のインタビューで、
  「音楽界で最も偉大なのは、エルビス・プレスリーとビートルズだ。でもエルビスは10年間ぐらいしか持たなかった。」
  と感慨深げに答えたそうです。
  いずれにしても、ストーンズもビートルズに引けをとらないスーパーバンドだと、改めて思いました。
  おいらがストーンズの楽曲で一番好きな Sympathy for the Devil リクエストします。
  (小林)
  いや、これはストーンズらしくて、ねえ、いい曲ですよ。
  どうもリクエストありがとう。

98 :
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  最後のストーンズなんかがかかって、ビートルズのファンはどういう風に感じたでしょうかね。
  ビートルズに無い世界だからね。
  ほんとね、ストーンズはビートルズの影でビートルズの真似っこをしながら、途中で自分たちを発見して、すごいグループになるんですけど。
  まあ、ビートルズばっかりじゃなくて、いろんなものを平等に聴くってのが いいんじゃないでしょうかw。
  もし良かったら、いろんな曲かけますからね、リクエストください。
  beatles@bayfm.co.jp

  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

99 :
また、トニー・バーロウの話に戻ってしまった

100 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月19日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 8月19日)
 ・1964年(今から48年前の今日)
  (冒頭部分録音失敗)〜ついでに、ワシントン・コロシアムとカーネギーホールでビートルズはコンサートをやります。
  この時もやっぱりすごかったんだけども、ビートルズは「世界の国が待っている」ということで。
  6月になるとデンマークに行って、香港、オーストラリア、ニュージーランド、なぜか日本には来なかった。
  で、8月9月が最初の全米ツアーです。
  どこの町へ行っても、もうビートルズはすごいんですよね。
  空港に行くと何千人も出迎え。
  ビートルズをホテルまで追っかけるとか。
  コンサートは、脱出方法を地元の警察と打ち合わせをして、こういったビートルズファンから逃げる作戦をビートルズは展開するわけです。
 
  コンサートで、実はこれからお送りする曲を、ビートルズが演奏します。
  ビートルズがこの曲を奏ったら、これは合図になるわけですね。
  スタッフはスタンバイ状態になって、アンコールを答えるふりをするわけです。
  だからビートルズは絶対「グッドナイト、お休みー」とか絶対言わないことにしてます。
  そうするとファンが外へ行って「出待ち」をするわけですよね。
  だけど、この曲がかかるとメンバーはですね、終わったら直ぐに、リムジンまで全力疾走して。
  でもホテルに戻ると、何とかファンが待ち構えていて
  下手すると、メンバーの部屋のベッドに不法侵入する、なんてエピソードがあるくらいですね。
  この頃のビートルズのすごさっていうのは、アメリカだとかイギリスでね、いっぱい本が出ていますね。
  もし興味がある人は、どれくらいすごかったか、そういう本を買って見るといいかもわかんないですが。
  さあ、それじゃ
  コンサートでファンをかわすために、もうこの曲が流れるとメンバーはスタッフはスタンバイって言ってた曲をお送りします。
  ロックンロールでカバーです。
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6ibeqQA2_Yw  
  (小林)Long Tall Sallyが流れました

101 :
□デッカオーディション
 ・「おや?この手紙、リバプールの消印が押してあるな。差出人がブライアン・エプスタイン。
  だれだ?このブライアン・エプスタインって人は。」
  手紙の受取人の名はトニー・バーロウ(Tony Barrow)。
  彼はリバプール出身の音楽ライターで、
  その当時1961年の12月にはロンドンのデッカレコードの契約社員として、
  シングルやアルバムの裏ジャケットに印刷されるライナーノーツを書いたり、
  アメリカから持ち込まれるいわゆる輸入盤のライナーの綴りを、アメリカスタイルからイギリス風に書き直す
  という仕事を任されていた。
  さらにこのバーロウという人物の歴史を遡ると、
  彼はロックンロールの創生期である1954年から地元リバプールの新聞「リバプールエコー」の土曜版に
  「オフザレコード」という、レコード評論のコラムを連載していた。
  しかし、このコラムを書く際、バーロウが使っていたのは本名では無くて「ディスカー」というペンネーム。
  友人たちはみんな不思議に思っていた。
  しかし、その理由は簡単。当時バーロウはまだ高校に通う17歳の少年だったのである。
  17歳ながら大人顔負けの視点と文章力を持つバーロウ少年は、リバプールエコー誌にとっては喜ばしいことではあったが、
  いかんせん17歳はマズイ。
  当時の常識としては、勉学を全うすべき高校生に新聞の記事、それもポップ音楽のコラムを書かせる、などもっての他。
  しかし、ライターとしての実力は間違いなく大人顔負けである。
  リバプールエコー編集部の担当者は、苦肉の策としてペンネームを使わせることにした。
  そのペンネームとは、聴きなれない言葉である「ディスカー」というペンネーム。
  これは当時のヒットレコードを連発する人気シンガーを指す言葉で、
  ディスク、つまりレコードをたくさん売りまくる人、という意味。
  特にアメリカのトップシンガー達に使われていた。
  
  さて、その"ディスカー”に届いたブライアン・エプスタインからの手紙。
  ビートルズのマネージャーとしての仕事を始めたばかりのブライアンは、いったい何を企んでいたのであろうか。

102 :
1961年の12月ということは4ヶ月前にタイムスリップですねえ

103 :
  〜 Paul McCartney / Singing The Blues
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MbCHXVOtDP4&feature=related
  〜 The Beatles / Honey Don't
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jmLy4y1P05s
 
  (小林)ビートルズが伝えようとしているのは、50年代から60年代ですね、
  ロックンロールとかロカビリーとか呼ばれていた音楽。
  (1曲目)ポール・マッカートニーは例のMTVのアンプラグドのシリーズに出ました。
  そしてポールが中学生のころのイギリスやアメリカのナンバーワンソングの Singing The Bluesっていう曲。
  これはガイ・ミッチェル(Guy Mitchell)という人の曲なんですが。これをカバーしておりました。
  そして(2曲目)Honey Don'tていうのは Blue Suede Shoes なんかで、お馴染みのシンガーソングライターなんですよ。
  実はね、「シンガーソングライター」ていう言葉は(当時)無かったんですけども、
  カール・パーキンス(Carl Perkins)という、
  カントリーでありロックシンガーでありロックンローラーであった人の Honey Don't。
  これをビートルズは「Beatles For Sale」のアルバムで奏っておりました。

104 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「私の事務所NEMSエンタープライズに所属するビートルズの音楽のことを、
  貴殿が執筆されている『オフザレコード』で取り上げては頂けないでしょうか?。」
  リバプールのロックバンド=ビートルズのマネージャーだと名乗る人物ブライアン・エプスタインからの手紙には、単刀直入にそう書いてあった。
  受け取ったのはリバプール出身でロンドンのデッカレコードで契約社員としてライナーノーツを書いていたトニー・バーロウ。
  バーロウは、地方新聞リバプールエコーの土曜版に音楽コラムの連載を持っていたが、
  そのライターとしてのデビューが17歳の時であったため、ペンネームである「ディスカー」を名乗っていた。
  ブライアンはそのディスカーに宛てて「ビートルズを取り上げて欲しい」と売り込みの手紙を書いたというわけである。
  そしてその手紙はリバプールエコーの編集部から転送され、バーロウが勤務していたロンドンのデッカレコードの部署に届いていた。
  しかし、このブライアンのバーロウに対してのアプローチは適切ではなかった。
  というのも「ディスカー」ことトニー・バーロウのコラム「オフザレコード」が取り上げるネタは、
  全てすでにレコーディングアーティストとしてデビューしているミュージシャンに限られていた。
  結果、バーロウはブライアン宛に「残念ですが、今回はビートルズを取り上げることはできません。
  早くレコードデビューできるように頑張ってください。」とロンドンから返事を書いた。
  すると、ブライアンはその翌週わざわざロンドンまでデッカレコードを訪ねたのである。
  通された部屋は社屋の隅にある、部屋とも呼べないスペース。
  当時ライナーを手がける部署などというものは、そんな扱いであり、単なる付録程度でしか考えられていなかった。
  しかし、訪ねてきた男ブライアン・エプスタインは、バーロウに興味を持たせるに充分なカリスマとオーラを放っていたのである。

105 :
  〜 The Beatles / Drive My Car
  ttp://www.youtube.com/watch?v=bm70jrf1ICY
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever(Love)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xOkzg8TQKUI
  (小林)これはビートルズの(2曲目)Strawberry Fields Forever。
  もうだいぶ前になるんだなあ、2006年「LOVE」のアルバム。
  ビートルズのプロデューサー=ジョージ・マーチンと彼の息子が、プロデュースとかいろいろ手がけましたけど。
  なかなかいい出来のアルバムですが。
  
  その前は(1曲目)Drive My Car、「ラバーソウル」に入っているお馴染みの曲。

106 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「残念ですが、今回はビートルズを取り上げる事は出来ません。
  早くレコードデビュー出来るように がんばって下さい。」
  ビートルズの伝説的なカリスママネージャーとなるブライアン・エプスタインは、売り込みに失敗した。
  相手は「リバプールエコー」という地方新聞に「オフザレコード」という週末の音楽コラムを連載していたライターの「ディスカー」ことトニー・バーロウ。
  彼はロンドンのデッカレコードの契約社員でもあった。
  配属はレコードジャケットとライナーを担当する小さな部署。
  ここにバーロウから返事を受け取ったブライアンが訪ねて来た。
  「返事に納得できなかったんだよ。」
  ブライアンとバーロウはもちろん初対面ではあったが、お互い生まれも育ちもリバプール。同じ匂いを感じ取った。
  ブライアンは持参したキャバーンでのライブ音源をバーロウに聴かせた。
  かろうじて、どんな曲が演奏しているか判るものの、音のバランスは最悪。
  聴こえて来るものは、ほとんどが十代の女の子の熱狂的な叫び声。
  毎日きちんとミックスされたジャズやポップスのレコードを聴くのが仕事だったバーロウにとって、
  このライブ音源を聴かされることは、苦痛以外の何物でもなかった。
  しかし不思議なことに、バーロウは訪ねてきたブライアンに強く興味を惹かれた。
  先ず、そのきちんとした身なりに好印象を持った。
  それは、高級感そのものであり、髪も癖っ毛ではあるが丁寧に散髪されていた。
  握手しようと差し出した手の爪はきれいに磨かれ、透明のマニキュアが塗ってある。
  スーツはもちろんオーダーメイドで、キャメルのコートも超高級品で、それに合うスカーフも見事である。
  靴も、今その辺で磨いてきたと思われる光沢があり、バーロウの目に焼き付いた。
  そしてさらに印象的だったのは、ブライアンにはリバプール訛りのかけらも無かったのだ。
  まるでBBCのアナウンサーか有名大学出身者のような、華麗な言葉を話した。
  会ってまだ5分というのに、バーロウはすっかり魅了されてしまったのである。

107 :
だめだ、ワクワク感を抑えられない。
早く続き読みたいです。

108 :
  〜 The Beatles / Martha My Dear
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-SbCIFbJQDk
 
  (小林)ちょっと優雅な感じがするロックですよね。
  バロック・ロックだって言う人もおりますが。
  ポール・マッカートニーの Martha My Dear。例の「ホワイトアルバム」に入っています。
  ほんとだったら結婚するはずだった、恋人の飼ってた犬の名前。
  犬に捧げて、犬に語りかけてる曲です。

109 :
□リクエスト
  (小林)リクエストは、ほとんどはメールなんですが。 
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  FAXやハガキなど、もちろん可能ですよ。
  リクエスト採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  (船橋市/男性)
  以前、克也さんの番組で「ジョー・コッカーは今夜歌うことが出来るんだろうか?」ていう曲が流れていましたが。
  だれの曲だったか、なかなか渋い曲だったんですが、
  今回はそのジョー・コッカー本人の She came in through the bathroom windowをお願いします。
  (小林)
  まあこれは、ジョー・コッカー(Joe Cocker)という人なんですけど、
  そうですねえ、アメリカで60年代から70年代、すっごい声を持っている、アメリカで人気の…。
  まあ、イギリスの白人シンガーなんですけど。
  なんていうんですかねえ、声を聴いていただくとすぐ分ると思いますが、すっごい声なんです。
  で、ジョー・コッカーが今夜歌うことが出来るかどうか、っていうのはね、
  ジョー・コッカーはすごい酒飲みで、ウィスキーだとかビールとか、いろんな酒を飲んでステージに出るんですよ。
  それで、だいたい酔い潰れるときもあるんです。  
  日本に来た時もそうでしたが、代々木公園なんかで、代々木でやったときは、途中でステージの脇に行って吐いてるんですよ。
  それで、彼の偉いところは、またステージのセンターへ来て歌うんですよね。
  すっごい滅茶苦茶な生き方をした人で、もう声が、おそらく今では無くなってると思いますが、すごかった声が。
  じゃあ、ビートルズの「アビーロード」の中に入っているメドレーの例の曲です。
  〜 Joe Cocker / She came in through the bathroom window
  ttp://www.youtube.com/watch?v=N1gUfCIaDvA

110 :
  〜 The Beatles / Please Mr Postman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=svPkYVD1E6k
  (千葉市稲毛区/女性)
  ロンドンオリンピックの開会式は見られましたか?
                           (小林)僕は見ませんでした。あとでニュースで見たり、違う映像で見たり。
  私はポール・マッカートニーを見るために朝3時から、テレビ前を張っていました。
  やっぱり最高にカッコよかったです。
  イギリスの選手が開会式で着ていたのはステラ・マッカートニーがデザインしたものだから、親子で大活躍ですね。
  ところで、ポールの前でギターを弾いていた人は、ダニーじゃなかったか。    (小林)ダーニなんですね。
  ダーニ・ハリスン(Dhani Harrison)に似てたと思ったんですが、あれは、誰ですか。
  (小林)
  人に訊いても「ジョージの息子は出てなかった」ていうことで
  ポールのあのいつものバンドのメンバーだったと思われます。
  リクエストにお応えしました。
  けっこう見てますねえ、ポールをね。

111 :
  (東京都中野区/男性)20代
  先週のロンドンオリンピックの開会式は最高でした。
  特にエリザベス女王が007と一緒にヘリコプターから降下してくる演出は素晴らしかったです。
  ただ、やはりお目当ての開会式のトリを飾るポール。
  これまでポールのライブ映像は何度も何度も見てきたんですが、生の映像は初めてでした。
  短いながらもポールのライブに大興奮。早起きして大正解。
  早く、日本でもまたライブをして欲しいな、と強く思いました。
  今回はポールのアルバム「フレーミングパイ」の Beautiful Nightをリクエストします
  あの開会式のライブにリンゴも参加して欲しかったと思うのは、自分だけではないはずです。
  〜 Paul McCartney / Beautiful Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MbwLqFXivWw

112 :
  〜 The Beatles / Across the Universe
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZxNA4E5BcHM
  (小林)ジョン・レノンの名曲 Across the Universe が流れています。  
  (神奈川県茅ヶ崎市/男性)
  インドの出張から戻ってきたばかりです。
  ムンバイからさらにプロペラ機や列車で何時間もかかるところで、毎日朝早く出発して夜遅くホテルに戻る生活で
  食事も満足にとれず、州の法律で酒の販売が制限されているので、楽しみの晩酌もままならない日々でした。
  加えて、下手くそな英語はロクに通じず、相手のインド訛りの英語はまともに聞き取れない、という最低な毎日でした。
  そんな連続して起こるあれやこれやの時、なぜか脳内に浮かんでくるのは、印象的なギターのイントロと
  「何一つ僕の気持ちを変えはしない」というリフレイン。
  ほとんどそのリフに励まされて帰ってきたようなものでした。
  それにしても、ジョンもそうとうインドで痛い目に遭っただろうに、
  どうしてあんなにポエティックできれいな旋律が出来たのだろう?、ということに思い至り、
  帰ってから調べてみたら、なんとこの曲は、ジョンがインドに行く前に作った曲なんですねえ。
  蛇足ですが、その出張の時にインドの会社数社に依頼した製品サンプルは、ひと月経った今現在何一つ手元に届いていません。
  (小林)
  あなたがなんでインドに行ったか、意味が無いじゃないですか。えへへw
  まあ、インドでは意味が無いっていうことじゃなくて、相当な勉強をしてきてるはずですよ。体験をね。
  『ということで、インド出張中ずっと脳内でかかっていた Across the Universe を』 っていう。
  そうなんだよねえ、やっぱり(あなた)の手紙を見て、改めて聴くとちょっと、ちょっと違う風に聴こえましたよこの Across the Universeが。

113 :
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  リクエストはけっこう個人的な意見だとか、個人的な生活を覗かせていただいたりして、面白いですね。
  やっぱり、どんな風にビートルズを聴かれているのか、その人それぞれ、どのへんにビートルズが位置しているのか、とか。
  この番組ではいちおう「ビートルズから始まる」っていうわけで、ビートルズがど真ん中にいるわけですが。  
  僕たちの生活の中では、まあ人によって違うと思いますが、ビートルズは多くの柱の一つにしか過ぎないんですが、
  どうでしょう? ビートルズにどれぐらい関わっているかっていうことをね、もう少し匂わせながらリクエストをお願いしますよ。
  採用の方には、イシイのミートボールなどセットにして・・・。
  そうするとねえ、その人のねえリクエストを読んだ後で、聴くと曲がちょっと違って聴こえるんですよね。面白いですよね。
  よろしくお願いしますね。
  個人的なお願いみたいですが。

114 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年8月26日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 8月26日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  アメリカで「Hey Jude」が発売になりました。アメリカでね。
  この頃はご存知のとおりA面B面ってあったんですが、B面は「Revolution」。  
  この「 Hey Jude」はビートルズ最大のヒットになります。
  そして、ビートルズが始めたアップルレコードから出た第一号です。
  700万枚売れます。すごいでしょう。
  でも、同じアップルレコードからこの年メリー・ホプキン(Mary Hopkin)の
  これはポール・マッカートニーがプロデュースした「Those Were The Days」これが発売され、2000万枚を超えちゃう。
  これもすっごいヒットですよね。
  アップル・レコードは、やっぱりビートルズがスタートさせたということもあって大成功です。
  ただ、ビートルズはビジネスマンじゃなかったっていうことで、このアップルレコードは衰退していくわけですが。
 
  この年のある日、自分たちのレコードをかけてパーティをやっていたミック・ジャガーの所に
  ポール・マッカートニーが「Hey Judeが出来た」っていうんで
  「みんな聴いてくれ〜」っていうんでこの「Hey Jude」をかけたら、場がシーンとなった。
  あまりにもすごかったということですよね、これはね。
  ポールは歓迎されたんだけども、全員が“ドン引き”した。
  でもう、このパーティがきっかけでポール・マッカートニーとミック・ジャガーは口を聞かなくなるほど仲が悪くなる、
  っていう話しもあるくらいなんですが。

115 :
  最初はね、この曲はねえ「Hey Jules」だったんですよね。
  ジョン・レノンの息子を励まそうとした曲、であったというのは有名ですよね。
  ジョンが、最初の上さんと別れてオノ・ヨーコとと一緒になったもんで、ちょとガックリ来ていた息子を励ます曲だった。
  でも、これはジョン・レノンがアドバイスして「Hey Jules ていうのは良くないよ、Hey Judeにしようよ」って言って
  この曲はタイトルが変わった、と言われています。
  ジョン・レノンがこの大傑作のために協力しているわけですね。
  ちょっと仲が悪くなってるんだけど協力してます。
  で、このB面が180度違う曲調です。まあポールは「ど真ん中」ですよ。
  でも、「オルタナのジョン」という感じがします。
  ピアノがストーンズの録音でも有名なニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins)が入っているんですが。
  このジョン・レノンの世界は、ポールの Hey Judeはポップスだけど、これはほんとにロックの精神がいっぱい、という曲で。
  今日はそのB面の方を聴きますね。
  〜 The Beatles / Revolution 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=hheXSIdQLkw (PV)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Fxyi9Rd0cQM (2009CD)
  (小林)
  44年前の今日アメリカで発売された「Hey Jude」の、当時の言い方でいうとB面がこの「Revolution」。
  当時はシングルを出す時、特にビートルズの中盤はですね、ジョン・レノンにも気を使って、ポールにも気を使って
  誰のシングルがA面になるか、ていうのを、当時は代わりばんこに出してたみたいであります。

116 :
□トニー・バーロウの物語
 ・「リバプールエコー新聞の音楽コラム『オフザレコード』でビートルズを取り上げて頂けない、
  というお話し、了解しました。
  確かに、ビートルズはまだデビュー前の身分ですから、それには納得ができます。
  しかし、ビートルズは今、リバプールでは一番人気のバンドであることは確かです。
  ぜひ一度、このテープを聴いてもらえないでしょうか?」
  これは、ビートルズのあの伝説的マネージャー=ブライアン・エプスタインと、
  後にブライアンの会社NEMSエンタープライゼスに入社しビートルズの広報担当として、
  その類まれな才能を発揮するトニー・バーロウ(Tony Barrow)との初対面の会話。
  時はまだビートルズのデビュー前、1961年12月のことである。
  残念なことに、ブライアンが持参したキャバーンでのライブ音源は最悪であった。
  素人がマイクロフォン一発だけで録音したことに加え、女の子の熱狂的な叫び声で演奏は完全にかき消されている。
  それでも、その熱狂ぶりにはバーロウも圧倒された。
  しかしそれよりも、バーロウは訪ねてきたブライアンに強く興味を惹かれた。
  まずその、キチンとした身なりに好印象を持った。
  それは高級感そのもの。
  そしてさらに印象的だったのは、ブライアンにはリバプール訛りのかけらもなかったのだ。
  まるでBBCのアナウンサーかオックスフォードやケンブリッジなどの有名大学出身者のような華麗な言葉を話した。
  会ってまだ5分だというのに、バーロウはすっかりブライアンに魅了されてしまったのである。
  それまでバーロウが仕事上で付き合いのあった連中といえば、
  音楽出版社やアーティストの事務所関係者、はたまたコンサートプロモーターといった、ひと癖もふた癖もある人種。
  銜えタバコでやって来ては乱暴な言葉で話す、というのが定番であった。
  そういった連中に比べるとブライアンはまさに純粋培養、見事にカットされ磨かれたダイヤモンドのようであった。
  この日から、ブライアンとバーロウの関係は始まったのである。

117 :
  〜 The Beatles / Two of Us
  ttp://www.youtube.com/watch?v=cfiE_5O9Dn0
  
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps (LOVE)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nNTJ-j_y-_0
 
  (小林)
  これは While My Guitar Gently Weeps、ビートルズ。
  これは「LOVE」から時々かけていますが、2006年のアルバムの中に入ってます。
  だから、最初のエリック・クラプトンが入って奏っているやつとはまるで違うでしょう、印象がね。
  ジョージ・ハリスンの作品。
  そしてその前は、「Let It Be」のアルバムから Two of Us。

118 :
□トニー・バーロウの物語(続き)
 ・「初対面の時のブライアンは、とにかく洗練されていたし、話す言葉も華麗だったね。」
  こう話すのは、後にビートルズの広報担当としてレコードを宣伝し世界中のツアーにも同行した、カリスマ広報マン=トニー・バーロウ。
  1961年12月、この時点でバーロウはロンドンのデッカレコードでジャケットとライナーを担当する部署にいた。
  もちろん正社員ではなく契約社員。
  それと同時に、生まれ故郷であるリバプールの新聞「リバプールエコー」の土曜版の音楽コラム「オフザレコード」を
  かれこれ10年近くも担当していたのである。
  この日ブライアンが持ってきた音源は当時試聴用によく使われていたアセテート盤。
  ブライアンは丁寧にお願いした。
  「このデモディスク、ビートルズのライブなんですが、一度聴いて頂けないでしょうか?」
  ブライアンはそう訊いてきた。
  「いいですよ。このオーディオセットご自由にお使いください。」
  バーロウが親切にそう答えると、ブライアンはディスクをターンテーブルに乗せた。
  バーロウは興味のあるふりを装ったが、爆音で酷く興奮した絶叫とヘビーなバックビートのリズムしか聴こえてこなかった。
  どんな曲が演奏されているのか、それはまったく判らない状態。
  
  ブライアンはその音源が 
  「独立系のテレビ局グラナダテレビによる、ビートルズの特別番組のために録音したもので、収録エンジニアの腕が悪かった」
  と言い訳をした。
  バーロウはその熱狂ぶりに興味を持ったことは事実であるが、
  「自分は一介のライナーノーツのライターであるから、然(しか)るべき部署から連絡をさせます」と約束し、
  この日はブライアンにお引取りを願うことにした。
  ブライアンはバーロウの目をじっと見つめ、こう言い残した「ビートルズはエルビスを超える存在になりますよ。」
  その口調その目は、間違いなく本気だったのである。

119 :
  〜 Elvis Presley / Marie's the name (his latest flame)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rZ91R6xlH-Y
  〜 Paul McCartney / It's Now Or Never
  ttp://www.youtube.com/watch?v=mNtmLTqVEOw
  (小林)エヘヘw。
  というわけで、エルビス関係の曲が2曲。
  だってね、マネージャーが「ビートルズはエルビスを超える存在になりますよ」って言うわけですよね。
  このブライアン・エプスタインとトニー・バーロウ、今お話しを続けていますが。
  この二人が会ったころのイギリスでのナンバーワンは、
  さっき聴いたエルビス・プレスリーの(1曲目)Marie's the name of his latest flame,っていう
  「最近付き合ってるスケの名前はマリーって言うんだぜ」みたいなw 曲ですよね。
  
  で、ポール・マッカートニーはエルビス・プレスリーの(2曲目)It's Now Or Neverという大ヒット曲をカバーしています。
  これは、「ニューミュージカルエクスプレス(New Musical Express)」というイギリスの音楽新聞なんですよね。
  音楽新聞がリスナーにタダで配った、コンピレーション・アルバムがあるんですが、
  これはチャリティのアルバムなんですが、
  その中に一曲、ポール・マッカートニーがプレスリーをカバーしていたやつが入っていました。
  これはちょっと貴重な音源ですね。
  2曲お送りしました。

120 :

□トニー・バーロウの物語(続き)
 ・「ビートルズは、エルビスを超える存在になりますよ。」
  マネージャーになったばかりのブライアンは、後にブライアンの部下となる広報マン=バーロウの目をじっと見つめ、そう言い残した。
  この時バーロウは、フリーランスの音楽ライターでありながら、ロンドンのデッカレコードの契約社員。
  ブライアンのその口調、そしてその目は、間違いなく本気だったのである。
  ブライアンが帰ったあと、バーロウは聴かせてもらったビートルズのライブ音源のことを少し思い出していた。
  公正な立場で考えてみると、キャバーンに集まった客が起こした聴覚的騒乱に埋もれてしまってはいたものの、
  「もし演奏がちゃんと聴こえさえすれば、バンドは悪くない音を出していたのではないか?。」
  と、バーロウは好意的な方向に考え直した。
  もっとも、ブライアンが言い訳として語った「グラナダテレビ」の一件は、完全なるウソであることが数ヵ月後に判明。
  なぜなら、そのグラナダが特別番組のための映像素材としてキャバーンにやって来たのは、翌1962年の夏だったからである。  
  実情は、ブライアンがキャバーンの熱狂的な客の中に交じり、
  家庭用のテープレコーダーにたった一本のマイクロフォンを頭上高く持ち上げての録音であった。
  その音質の悪さの言い訳として、「グラナダ云々の話」をでっち上げたのである。
  
  バーロウはこのブライアン・エプスタインという男の存在が気になってしまい、
  レコードジャケットとライナーの担当部署であることを忘れ、会社の営業部に内線電話を入れた。
  今日自分の部屋に訪ねて来たブライアン・エプスタインという人物のこと、
  そのエプスタインがロックバンドをマネジメントしていること、
  そして、エプスタインの本業はマージーサイドで多くの店舗展開を誇る大型レコードショップNEMS=North End Music Storesの支配人であること、
  等々である。
  案の定、営業部の社員はこのエサに食い付いて来た。
  しっかりとした手応えを感じるバーロウであった。

121 :
  〜 The Beatles / She is the woman
  ttp://www.youtube.com/watch?v=fUSd87X-Aj4
 
  (小林)She is the woman
  これはねえ、実は IFeelFineのB面なんだよね。1964年のね。
  B面にしてはもったいないぐらいの。
  どうなんだろうねえ。
  ビートルズのイメージがあって、ビートルズのイメージとちょっと違って、リズム&ブルースサイドっていうか。
  すっごい強い曲だけどねえ。渋い曲だけど。
  これがB面。

122 :
□リクエスト
  (小林)
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  リクエスト採用になるとイシイのミートボールなどをセットにしてもれなくプレゼントしている、ということなんで。
  よろしく。
  (我孫子市/女性)
  昔の曲の日本語タイトルは、レコード会社の社員が頭を絞ったようですね。
  洋画の邦題もいろいろ工夫されていたようですが。
  私共45年以上もビートルズファンをやっている夫婦ですが、よくビートルズの日本語の曲名について
  「こんな曲もあった」「あんなタイトルの曲もあった」と言い出しあっては笑っています。
  なかなか上手く付けたなあ、と思うのは
  「恋する二人=I Should Have Known Better」、「パーティはそのままに=I Don't Want To Spoil The Party」
  「抱きしめたい」は「I Want To Hold Your Hand」、「夢の人」は「I've Just Seen a Face 」
  「今日の誓い」は「Things We Said Today」などなど。
  逆に「う〜ん、これは?」と微妙なタイトルに今では笑ってしまうのが、
  「みんないい子」「Everbody's Trying To Be My Baby」、「涙の乗車券」「Ticket To Ride」、(小林)演歌っぽいですね、これはね。
  「素敵なダンス」「I'm Happy Just to Dance With You」、「嘘つき女」「Think for yourself」でしょうか。
  こういうタイトルの付け方、若い人はいったいどう感じてるのかな。
                          (小林)おそらくあなたと同じ様な感じじゃないでしょうか。
                              今もそんなにね、人が変われどタイトルの付け方は変わってないですから。
  克也さんはどう思われますか? 
  (小林)
  僕はあんまり気にしないように、あくまでも補助的なものだと思ってるんで、そういうふうに考えたほうが良いんじゃないかな。
  オリジナルタイトルを、そのアーティストが付けたオリジナルタイトルてのが、ほんとのタイトルだからね。
  っていうふうに思うんですが。
  さあ、(あななた)のリクエストはそんな中から「みんないい子」!
  
  〜 The Beatles / Everbody's Trying To Be My Baby 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nXTZ9oJB2p4

123 :
  〜 ROXY MUSIC Bryan Ferry / Jealous Guy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JY1RJ585Fvk
  (八千代市/男性)16歳高校一年生
  最近のデッカオーディションの裏話が、とても興味深いと感じています。
  落ちたことは知っていましたが、そんな裏話があるなんて知らなかったんで、聴いてとても面白いです。
  さてリクエストですが、以前 リンゴが亡きジョージに送った「Never Without You」が流れたり
  ジョージが亡きジョンに送った「All Thous Years Ago」が流れましたね。
  なので今回は、ポールがジョンに送った「Here Today」にしようかとも思ったんですが、
  以前にも流れていた気がしましたし、12月8日ごろリクエストした方がやっぱりいいと思ったので、
  今回は「元ビートルズメンバー以外の人が歌った、ジョンへの追悼曲」としてリクエストします。
  ROXY MUSIC の Bryan Ferry。
  (小林)
  ジョン・レノンの Jealous Guyを取り上げましたが、これが流れました。
  ブライアン・フェリーっていう人は、とてもカバー好きなんですよね、この人はね。
  だから、二ール・ヤング(Neil Young)だとかボブ・ディラン(Bob Dylan)だとか、自分が気に入った人のカバーをよくやっています。

124 :
  (千葉市花見川区/女性)
  高校の時、ビートルズシネクラブの会員に少しの間なっていました。
  会員の通販でビデオが入っている福袋があったので、高校生にとっては少し高かったんですが、
  毎月2千円のお小遣いの中から捻出したお金で、意を決して購入しました。
  さっそく届いたビデオを見ると、そこに映っていたのはビートルズではなく「ずうとるび」でした。
  途中からビートルズが出てくるかと思って早送りしたんですが、最後まで「ずうとるび」で終わってしまいました。
  ファンクラブの事務局にはがきを書いてビートルズのビデオと無事交換することができたんですが、その時のガッカリ感はよーく覚えています。
  今では笑い話なので(リクエストは)ずうとるび。ビートルズじゃなくてw
  (小林)
  若い方は「ずうとるび」のことを知らないと思うけど。
  ビートルズがすごかったんで、世界各国でね、ビートルズにあやかろうと、いろーんな、もうほんと。
  中には良いのもありましたけど、普通のやつがいっぱい出ているんですよ。
  日本では、これは「笑点」という今でも続いてる番組からスタートした「ずうとるび」
  「みかん色の恋」を聴きましょう。
  
  〜 ずうとるび / みかん色の恋
  ttp://www.youtube.com/watch?v=B-iOs8zyzKU

125 :
  〜 The Beatles / She Loves You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AW-h8OPkGO4
  (小林)
  わぁ、何回聴いても、この曲はエネルギーがいっぱい入ってる。
  (千葉県/男性)
  今回初めてメールを送ります。
  私がこの番組を知ったのは今から8年前。当時はBAYFMが入らないエリアに住んでいましたので千葉に来たときに聴いておりました。
  ちょうど6年前家を千葉県に新築しましたのでそれから毎回欠かさず拝聴しています。
  さらにMDに録音して、マイカーのBGMとしてくり返し聴いております。
  小林さんの健康とともに、ビートルズファンにとって貴重なこの番組が益々継続されることを期待してます。
  リクエストは、私が1977年夏にビートルズサウンドを初めて聴いた曲、She Loves Youです。
  当時はEP盤で、しかも直接録音が出来なかったので、スピーカーから流れてくる音をラジカセで録音しました。
  今では他のメディアに短時間で録音できるのと違い、ずっと聞き耳を立ててノイズが入らないか気にしていた事が、とても懐かしく感じられます。
  (小林)
  ということで、リクエストどうも。

126 :
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」
  お伝えしてる話は、だんだん面白くなって来るから、楽しみにしててくださいね。
  
  リクエストもよろしくお願いします。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方には(以下略)
  初めてのリクエスト大歓迎です。
  ドシドシ送ってください。
  待っております。
  
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U   

127 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月2日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(9月2日)
 ・1967年(今から45年前の今日)
  ちょっと地味な日ですが。
  この日の一週間前に、マネージャーのブライアン・エプスタインが32歳で亡くなっています。
  とても若くして、睡眠薬の多量摂取で。
  でも、ビートルズがツアーをやめて ちょっと暇になった。
  ちょっと心に穴が開いたような感じだったんだと思いますよね。彼は。
  でも、もちろんNEMSの社長ですから、いろんな仕事をしてたわけですけども、
  まあ、いろんなプレッシャーが有ったんでしょうね、睡眠薬の多量摂取で亡くなっています。
  で、本当だったら、生きていたら、ブライアン・エプスタインがニューヨークへ行く日だったんですよ。本当だったら。
  だから地味だって言いましたけど。
  
  この日ポール・マッカートニーはみんなに発表しています。「亡くなったブライアンの代わりは誰もいない。」
  ほんとに代わりはいない。
  だから「マネージャー無しで 自分たちはやっていく」っていう風な事をポール・マッカートニーは言うんです。
  ポール・マッカートニーは、もう後半はビートルズの実質的なリーダーで、音楽的にもいろいろまとめたり、
  それからお金の面でもポール・マッカートニーは他の3人に比べると特に几帳面だった。
  
  例えばですよ、給料を渡すじゃないですか。
  そうすると、リンゴ・スターは、明細を、実は読めないわけですよね、読めないのでそのまましまっちゃう。
  ジョン・レノンは、その明細書をクシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てちゃう。ちょっとジョン・レノンぽいでしょ。
  ジョージは、ちょっと眺めて一応は確認する。
  でもポールは、明細の項目ごとにブライアンに「これは何だ?これは何なの?」ていう風に質問していた。  
  そんなポールが「彼の代わりはいない。だからマネージメントは自分たちでやって行く。」って発表した。
  それが、45年前の今日のこと。

128 :
  ブライアンが亡くなった1967年の11月、シングルとして発売され、イギリスでもアメリカでも1位になったこの曲は、
  じつはブライアンの追悼の曲ではなかったのか、と言われています。
  その曲を聴きましょう。
  
  〜 The Beatles / Hello Goodby
  http://www.youtube.com/watch?v=HBZ8ulc5NTg (PV)  
  (小林)ビートルズの Hello Goodby。
  この今(流れている) ♪Hela heba helloa っていうのはビートルズの癖ですよね。
  なんか、チェイサーみたいなのってわかりますか?
  例えば芸人だとかシンガーがステージから去るときに こういう(演奏をする)、ステージの後テーマみたいな感じがするでしょうw。
  でもこれは Hello Goodbyってのは、追悼の曲だって言われるとよく分かりますよね。  
  「男と女の恋の歌かなあ?」と思って、これ聴くわけですよね。
  「ええ?そうかなあ?そういう男と女の行き違いがあるのかなあ?」て思うでしょ。
  ところが、でもこの歌のサビってのは「君はグッバイて言う。僕はハローて言うんだけども。何でグッバイって言うんだ?。」
  それを繰り返しているところを聴くと、やっぱりそうかあ、悲しさを何か…何ていうんですかねえ 独特のもので紛らわしていて、
  それがかえって悲しさみたいなのを呼ぶっていう、ね。
  なかなか、そう言われて聴くといい曲だっていう。
  今頃になって言っても遅いですけどw。
  そう思いませんか? ねえ。

129 :
□トニー・バーロウの物語
 ・「ビートルズはいずれ、エルビス・プレスリーにも匹敵する存在になりますよ。」
  ロンドンの大手レコード会社デッカのジャケットデザインとライナーノーツ担当の部署に勤務する人物トニー・バーロウに対して
  こう発言して去っていったのは、ブライアン・エプスタイン。
  もちろん、あのビートルズのマネージャーとして君臨した、ロック史上最重要人物の一人である。
  バーロウは、このエプスタインという男の存在が気になってしまい、自分の仕事を忘れ、営業部に内線電話を入れた。
  伝えたのは、今日自分の部屋を訪れて来たブライアン・エプスタインという人物のこと。
  そのエプスタインがロックバンドをマネージメントしていること、
  そして彼の本業はマージーサイドで多くの店舗展開を誇る大型レコードショップNEMS=North End Music Storesの支配人であること、
  などなどである。
  案の定 営業部の社員はこのエサに喰い付いてきた。
  この手ごたえに、なぜかバーロウは快感を覚えた。
  もちろん彼がビートルズやブライアンと同じリバプールの出身であったことも、その大きな理由の一つであったことは間違いない。
  営業部の一人は、NEMSがかなりの大きな割合でセールスを伸ばしている事を理由に、
  「そのお得意様のご要望とあらば、お抱えのバンドのオーディションの機会を設けることは当然の事だ。」と主張した。
  もちろんこういったいわゆる政治的物件はクリエイティブな部署のスタッフには最も嫌われるものであるが、
  そこは百戦錬磨の営業部、社内のいろいろな権力者に根回しを行ない、
  とりあえずビートルズをオーディションのステージに乗せること、にこぎ着けた。
  ここまで来たら、あとはもう野となれ山となれである。
  オーディションで落とそうが、シングル一枚だけの発売でサヨナラしようが、逃げ道はいくらでもある。
  それにしても、メジャーデビューまでの道は まだまだ遠いビートルズであった。

130 :
  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aBHShZx16P4
  
  〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xTU2Y0VFH0E
 
  (小林)いかがですか?ビートルズの、まあ何ていうのかなあ、こういう曲が出来るからビートルズだっていう。
  いま活躍している若いロッカーたちに、アメリカ・イギリスのロッカーたちに会うんですけど。
  テキストブックみたいに、教科書みたいな感じで彼らはこういうのをよーく知っていますよね。
  日本の若者はどうでしょうか?。
  ビートルズの Hey Bulldog、そして Happiness Is A Warm Gun、これは個性的なジョン・レノンの歌です。

131 :
□トニー・バーロウの物語(続き)
 ・「リバプールで人気のビートルズ?そんなバンド知らねえなあ。
  えっ?売り込み?。そんなの適当に門前払いでも喰らわせときゃいいだろう。
  えっ?マネージメントがあのNEMSの支配人?。なんだよ、それを先に言えっていうんだよ。
  あんな大手のクライアント、ロンドンにもそうはいないんだから。上手くやれよ、いいな!。」
  これはブライアン・エプスタインが同郷の音楽ライター=トニー・バーロウを頼って、
  ロンドンの大手レコード会社デッカを訪ねた直後の社内営業部の反応である。
  バーロウは、このあとブライアンの会社NEMSの重要な幹部となる人物。
  アーティスト事務所の業務の中でもかなり大切な広報PRの担当責任者として、全ての記者会見そして世界ツアーにも同行することになる。
  そのバーロウは、高校生の頃から地元リバプールの新聞「リバプールエコー」の土曜版に掲載されている音楽コラム「オフザレコード」のコーナーを担当するライターでもあった。
  学校を卒業するとバーロウはロンドンのデッカに契約社員として就職し、ロンドンに住むようになる。
  もちろん、音楽コラム「オフザレコード」の連載は続いていた。
  ライターとしてのペンネームが「ディスカー」。
  この「ディスカー」という名前のおかげで、バーロウはその素姓がバレることなく
  リバプールでもそしてロンドンでも音楽業界の仕事に専念することができたのである。
  しかし、この1961年の時点でイギリスの首都であるロンドンと、
  はるか北西部の港町リバプールは、音楽的にほとんど関係を持っていなかった。
  音楽や映画演劇などの娯楽産業は、あくまでもロンドンが中心。
  このころロンドンではトラッドジャズの人気は下火になり、新しくブルーズやリズム&ブルースがクラブで演奏されるようになっていた。
  後にビートルズの最大のライバルとなり、2012年に現在でも現役バンドとして活躍するあのローリングストーンズ(The Rolling Stones)も
  まだ正式には結成されていな時代のお話しである。

132 :
  〜 The Rolling Stones / Satisfaction
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3a7cHPy04s8
  〜 The Yardbirds / I Ain't Got you
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XjHQoWRbMf8
  (小林)2曲続きました。
  いま聴いたのは(2曲目)ヤードバーズ(The Yardbirds)の I Ain't Got you、有名な曲なんですけど。1964年。
  60年代の初めからヤードバーズはね、けっこう重要なグループなんですよ。
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)だとかジミー・ペイジ(Jimmy Page)ジェフ・べック(Jeff Beck)、
  この三人がギタリストで働いたことがあるわけですからね。すごいですよね。
  いま聴いた I Ain't Got youは二十歳前後のエリック・クラプトンですよ、ねぇ。
  そしてこれは、けっこうブルースでしょう。
  
  その前は(1曲目)お馴染みローリングストーンズの(I Can't Get No)Satisfaction、1965年のストーンズのヒットですが。
  その頃の60年代に入った頃のロンドンの音楽、まだヤードバーズだとかローリングストーンズは生まれていないけど、
  もうジャズってのが、下火になってロンドンではリズム&ブルースが、いま聴いた音楽みたいなのがロンドンで来るわけですよね。
  でも、リバプールとロンドンはぜんぜん違っていた、っていうことで、
  ビートルズの宣伝を担当するトニー・バーロウを中心のお話しをしております。

133 :
□トニー・バーロウの物語(続き)
 ・「リバプールは新しいロックの街。ロンドンはもう古いね。流行に乗り遅れるな!。」
  当時イギリスのある革新的な音楽ライターはそう語った。
  1961年から62年にかけてイギリスの音楽シーンは大きく変わろうとしていた。
  エンターテイメントの世界はロンドンが中心で当たり前、というのはもちろん真実であった。
  しかし、そういった考え方は、もっと強い刺激を求める10代20代の若者には完全に古い、前の時代のものとしか理解されなかった。
  50年代中盤からアメリカで巨大なブームとなり世界中の音楽の景色を塗り替えたロックンロールは、いったいどこからやって来たのか。
  エルビス・プレスリーの音楽はメンフィスを経てナッシュビルで生まれ、
  二人の偉大なるピアノロッカー=ファッツ・ドミノ(Fats Domino)とリトル・リチャード(Little Richard)のレコードはニューオルリンズでレコーディングされ、
  超個性的なメガネロッカーであるバディ・ホリー(Buddy Holly)の才能と、これまた個性的なサウンドはテキサスの田舎町の小さなスタジオで発明され。
  アメリカ全土を超え、イギリスのロンドンやリバプールでも大人気となった。
  その他にも、圧倒的な歌唱力を持つロイ・オービソン(Roy Orbison)、不良のカリスマ=ジェリーリー・ルイス(Jerry Lee Lewis)
  ハイスクールの学園生活をギターのビートに乗せた詩人=チャック・ベリー(Chuck Berry)
  そしてロックのスタンダードとなる「Blue Suede Shoes」を書いたギターロッカー=カール・パーキンス(Carl perkins)
  さらにはカントリーの世界からロックに飛び出してきたジョニー・キャッシュ(Johnny Cash) 
  などなど。
  多くのロックンロールのアーティストたちは、ブロードウェイやハリウッドといった、それまでのエンターテイメントの中心からではなく、
  アメリカ南部のいろいろな田舎町から発信されていた。
  そういった、アメリカで生まれた、大人の手垢の付いていないメッセージは大西洋を越え、
  リバプールやロンドンの若者たちの青春時代のサウンドトラックとなっていったのである。

134 :
いつの間に主人公変わったんだ?

135 :
  〜 Jerry Lee Lewis / Great Balls of Fire
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sX5L288USMg
  〜 Carl perkins / Honey Don't
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rNqYiRQtCSc&feature=fvwrel
 
  (小林)いかがですか?こういう風な音はどういう風に聴いていますかねえ?特に若い人たちは。
  Carl perkinsの「Honey Don't」、1955年、つまりプレスリーが有名になる前の曲です。
  でもビートルズの連中はこういうのが大好きだったんですよね。
  特にリンゴ・スターは、この曲は「ビートルズフォーセール」のアルバムの中でカバーしてますね。
  その前のJerry Lee Lewisの「Great Balls of Fire」、これはプレスリーの頃の時代のヒット曲なんですが
  ピアノを弾きながら、何ていうんですか、ピアノで暴れるっていうか、エルトン・ジョンが一時やっていましたけど
  靴を履いたままピアノの鍵盤をグワ〜ッてやったりするようなスタイルのジェリーリー・ルイスのロック。
  こういう風な若者たちが、イギリスの若者アメリカの若者が夢中になったロックンロールは
  みんなアメリカの田舎から出てきたんだっていう。
  だからロンドンでも面白いことに、ロンドンじゃなくて、ロンドン子がバカにしたリバプールから、
  すっごい波が出て来ようとしてたんだっていうことを、言おうとしているんだよ。

136 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (横浜市/男性)
                         (小林)50代ももうわずかですねwあなたw。
  この時期は日も短くなって、子供の頃夏休みの宿題に追われていたこと、
  大人になった今でも、燃える恋をしていた、甘いそして苦い若い頃を思い出したりします。
  そんな時、ふと、この曲が聴きたくなります。
  (小林)
  なかなかいい曲ですねえ。
  あなたはおそらく、いろんな音楽を聴かれたんだと思います。
  彼女は今度、発表されていないけど、60年代有名だったイギリスのグループと何か一緒に録音するみたいですよ。
  
  〜 松任谷由美 / 残暑
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NQiuAYgN0AU

137 :
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttp://www.youtube.com/watch?v=S7uBrx5aJ20
  (四街道市/匿名)
  ビートルズは私が小学校5年生ぐらいから聴き始めました。当時からすごい人気なのは分かっていました。
  音楽的には荒いように感じていました。アンチビートルズでした。
  そんな中、ビートルズの I Feel Fine の出だしを聴いてから、この人たちは只者ではない、と思えてきたのでした。
  それからというもの、ビートルズの音楽を頭の中で空想するようになりました。
  自分の予想通りの音楽が次から次へと出てくるから不思議です。
  こういう経験は自分だけでしょうか?
  リアルタイムで聴いてきた人は少なからずあるように思うのですが、どんなものでしょうか。
  それを決定的にしたのが Strawberry Fields Forever でした。
  私はあの曲が出る前に、あの曲が頭の中にすでにあったんです。
  と言っても誰も信じてくれないだろうから、今まで黙っていました。
  まあいいです。
  (小林)
  っていうw。『まあ、いいです。』ていうのがいいねw。
  それはねえ、若者は絶対あるんですよ。そういうの、あなたみたいな感じじゃないけど。
  「ああ、この人は俺の歌を歌ってるんだ!。」とか「あ、これ私の歌だ!」とか、そういう気持ちって絶対、若い時あるはずなんですよね。
  それがちょっと、あなたはもっともっと極端な感じだね。ちょっと面白いですね。

138 :
  (住所不明/匿名)
  私はビートルズファンの中一です。
  突然ですが、克也さんはビートルズの曲は何が一番好きですか?
                      (小林)僕はね、けっこう変わってきましたね、いろいろ。  
                          例えばきょうかかったHappiness Is A Warm Gun あれも好きな頃がありましたよ。
  私は「Old Brown Shoe」です。
  ジョージのリードボーカルが最高です。
  この曲をお願いします。
  (小林)
  住所とか書いてないんですけど、おそらくこれは女性だと思われますね。
  女の子でしょうね、中一のね。
  それじゃあジョージ・ハリスンのリードボーカルで・・・
  
  〜 The Beatles / Old Brown Shoe
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AFi69XquuVw

139 :
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?。
  リクエスト、けっこう匿名希望、残念ながら匿名希望の人でしたけど、面白かったよねえ。
  みなさんもリクエスト参加してください。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなく差し上げております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp です。
  ファックスは 043-351-8011  ファックスはめったに来ないけど、もったいないなw。
  ハガキとかも郵便番号は 〒261-7127 BAYFM「ビートルズから始まる」
  こっちで、よろしくおねがいしまーす。
  >>134ビートルズのお話しの方は、ちょっと分かりにくいところがあるかもわかんないですけどね。
  トニー・バーロウっていう、今で言う音楽ライター。
  だけど リバプールの男なんですよ。
  で、やっぱり才能があったんでしょうね、リバプールの新聞で音楽のコラムを担当していた。
  でも、やっぱり音楽の仕事をやりたかったから、ロンドンまで上京して。
  ビートルズが撥ねられるデッカレコードでライナーノーツなんかを書いたりする仕事をしていた、っていう。
  そのトニー・バーロウが語るビートルズのお話しなんですけど。
  きょうはビートルズが出てきた60年代はね、どんな時代だったのか、っていう説明をしました。
  アメリカっていうのは地方文化の国で、日本だとちょっと考えられないんだけど、
  東京が中心だとか、大都市が中心みたいなところがあるけど。
  アメリカは地方文化ですから。
  これは音楽の世界で面白いものが、特に50年代から60年代にかけて、田舎・地方都市から全部出てきてるんですよね。
  で、ロンドンはと言いますと、狭いイギリスですけども、ロンドンがやっぱり圧倒的な中心。
  だけど、リバプールっていうのは、港があって、これがいろんな世界とつながっていて、
  そこに、アメリカなんかの新しいものが入って来るんですよね。
  だから、そういったことを分かっていてビートルズの話しを聴いたりすると、良く理解できるんで。
  よろしくお願いしますw。

140 :
安価の部分は文体が似すぎていて克也サンが言ってたのかキロックノンさんが書いてるのかよく分からん

141 :
>>140
すみません。小林さんの発言です。
アンカー付けたのは 134さんへの答えになっているかと思い余計な事をしてしまいましたm(_ _)m

142 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月9日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 9月9日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  イギリスで「エリナー・リグビー(Elenor Rigby)」がナンバーワンになった日です。
  (ttp://www.youtube.com/watch?v=KcORZTd3LRo)
  今聴こえているのは実はエリナー・リグビーでw、これはボーカルが無いバージョンで、
  「アンソロジー2」の中に入っているやつがテーマになっているわけですが。
  イギリスでは「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」と両A面シングルとして発売になって。
  イギリスは予約が30万枚、年内には45万5千枚売れたっていう。
  イギリスでそんなに売れるっていうのは大変なヒットですよ。
  1966年度のシングルの最高売り上げを記録しています。
  この頃は音楽の雑誌が、週刊雑誌なんですけど、チャートをやっていて、
  「ニューミュージカルエクスプレス(NME)」のチャートと「メロディメーカー」のチャートがあったんだけども。
  両方で、NMEは4週連続1位で、メロディメーカーは3週連続1位。
  かなり、でっかいヒットだよね。
  でもアメリカでは、1位にならなかった。
  おそらくこの「エリナー・リグビー」の歌詞がね、暗い。暗い歌だからじゃないかと思うんですけど。
  3本のバイオリンに2本のビオラ、2本のチェロ、弦楽7重奏ですね。弦楽セプテットのスタイルでアレンジされています。
  「イエスタデイ(Yesterday)」は弦楽4重奏、あれにポールのアコースティックギターが入っていたんですけども。
  「エリナー・リグビー」は演奏はクラシックのミュージシャンのみでやって、コーラスでジョンとジョージが加わっていると。
  なかなかこの曲は面白い曲だと思うんですが、この、暗い詩はね…。
  だいたい、ビートルズの場合、例えばポールの曲だと、ポールが作曲して作詞もポールじゃないですか。
  でもジョン・レノンはこの曲に関しては「ほとんど自分が書いたも同然」ていうようなことを言っています。
  まあ、クレジットはレノン・マッカートニーになるわけですけども。どっちが書いても。


143 :
  ポールの書く歌詞なんですが、恋愛ソングじゃないんですよね。
  物語風のものがこのあと「レイディマドンナ(Lady Madonna)」とか「アナザーデイ(Another Day)」てのがあるんですけども、それはウィングス時代。
  ソロになってからもツアーでポールは好んで披露しています。
  じゃあ、改めて聴いてみますかね、これをね、「エリナー・リグビー」を。
  
  〜 The Beatles / Elenor Rigby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=CDJWkyCGQrk 
  (小林)やっぱ見事ですねえ。
  ビートルズの Elenor Rigbyを改めて聴きました。

144 :
□デッカオーディション
 ・「リバプールのライブハウスが盛り上がってるんだって?。そんなの聞いたことないねえ。
  だいたい、ロンドンの他にライブハウスなんてあるのか?」
  イギリスのある業界人は、当時そう言い放ったそうだ。 
  1961年から62年にかけてのイギリスの音楽シーンは、もちろんロンドンが中心。
  当然レコード業界も、ロンドンにあるいくつかの会社による独占ならぬ寡占状態。
  アメリカ南部のインディーレーベルから発明されたロックンロールに較べ、あまりにも保守的であった。
  もちろん、アメリカから入ってくるロックやリズム&ブルースのレコードはかなり売れてはいた。
  「キング」のニックネームを持つエルビス・プレスリー(Elvis Presley)はイギリスで、もちろん超ビッグスターである。
  UKチャートのナンバーワンヒットの何曲も叩き出した。
  しかしそれに影響された国産、つまりイギリス産のロックスターといえば、まず最初に思い浮かぶのが、クリフ・リチャード(Cliff Richard)。
  端正な甘いルックスを持った好青年シンガーである。
  このクリフ・リチャードをサポートするバンドが、これまた格式高いサウンドを持つザ・シャドウズ(The Shadows)。
  ひずむようなギターサウンドと上品なジャズのハーモニーを取り入れたアレンジで人気は高かったのであるが、
  アメリカのベンチャーズや、その他星の数ほどあるガレージバンドに比べると、馬力とかワイルドさの面でやはり同じ土俵に上がるべきものは無かった。
  そんな中、クリフ・リチャードと同い年のジョン・レノン率いるビートルズは、リバプールとドイツのハンブルグを股にかけ、
  文字通りアンダーグラウンドで、そのメジャーデビューを今か今かと待ち望んでいた。
  当時のジョン・レノンの口癖はこうであった
  「俺たちの目標はあのインチキ=クリフ・リチャードとか、そんなヤワなもんじゃない。
  ロックの頂上のその天辺(てっぺん)の、さらにそのまた天辺を目指すんだ!
  それまでおれは絶対にロックは辞めないからな!」

145 :
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NRQvxf6fNIE 
 
  〜 The Beatles / Roll Over Beethoven
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kOPCwnqcg4Q
 
  (小林)ビートルズの2曲。 Bad Boy・・・ いずれもカバーです。
   Bad Boy、これはラリー・ウィリアムズ(Larry Williams)のヒットのカバーであります。
  
  そしてもう一つは、チャック・ベリーの有名な曲の・・・。(Roll Over Beethoven)
  日本語のタイトルが間違ってるっていうやつ。
  「ベートーベンをぶっ飛ばせ」とかっていうんじゃなくて、「ベートーベンもお墓でロールオーバーしているよ」っていう
  「世の中変わってきてるからね」っていう、ロックの時代だから、っていう歌ですが。
  これはジョン・レノンの持ち歌だったんだよね、元々ね。
  だけど、アルバムを作ってるうちに「おいおい、ジョージ・ハリスンの歌が無いな」っていうことで
  ジョージ・ハリスンにジョン・レノンが譲っています。

146 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「俺たちの目標は、あのインチキ=クリフ・リチャードとか、なんて、そんなヤワなもんじゃない。
  ロックの頂上のその天辺(てっぺん)の、さらにそのまた天辺を目指すんだ。
  それまで俺は絶対にロックは辞めないからな!。」
  これは1960年代初期、まだまだメジャーデビュー前のジョン・レノンの口癖であった。
  
  もしかすると、こういった“ビッグマウス”大風呂敷発言をすることで自分の意識を覚醒し、自ら尻をたたいていたのではないのか。
  そうかもしれない。
  こういう超攻撃的で自意識過剰な男をリーダーに持つバンド=ビートルズは、
  リバプールとハンブルグを中心にライブをこなすことで、なんとか食いつないでいた。
  そこへ突然現れた若き実業家=ブライアン・エプスタインによって、メジャーへの道に一気に光が当てられた。
  ブライアンはビートルズのバッドボーイ風なイメージを一新、お揃いのスーツとモップヘアーで、キュートなアイドル風な4人に変身させた。
  毎週きちんとギャラを配分するのはもちろん、楽器屋の月賦も肩代わりしてやり、金銭面ではメンバーからの信頼を一気に高めることに成功。
  次に着手したのは、ロンドンのメジャーレコード会社との契約。
  NEMSとういうレコードショップチェーンの支配人でもあるブライアンは、ありとあらゆるコネを使って
  なんとか大手デッカレコードのオーディションを受けられる、というところまで漕ぎ着けた。
   しかしロックの歴史上では有名な話しになっているとおり、結果は不合格。
  それでもなんとかこの不合格を撤回してもらおうと、幾度となくロンドンに足を運ぶブライアンであったが、交渉は失敗。
  結果が覆ることはなかった。
  しかし、ここからが勝負どころである。
  どのジャンルであれ、成功した人間は必ず一度は挫折を味わっているものである。  
  そのどん底から這い上がってこそ、真の勝利者となるもの。
  果たして、ここからブライアンはどう勝負に出るのであろうか?。

147 :
  〜 The Beatles / Getting Better
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Jk0dBZ1meio
  〜 Jimi Hendrix / The Wind Cries Mary
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LK69zlAA4K0
  (小林)1967年の音が2曲、続いたわけですが。
  物語の方は、ビートルズの話しの方は60年代の初めの事をやっているんですけど。
  60年代もね、いろいろ変わってくるんですよ。66年を過ぎたあたりから、もう音がサイケデリックな音っていうんですかね。
  ビートルズもそういった流行に貢献しているわけです。
  「サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's lonely hearts club band)」ね。
  その中から Getting Better。
  そしてサージェントペパーズが気に入ったジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)がビートルズをカバーしたりするわけですが。
  これは1967年の The Wind Cries Mary。

148 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「実のところ、僕はビートルズの方が良いと思ったんですよ。」
  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当したマイク・スミスというアシスタントプロデューサーの発言。
  「なんだ、今さらそんなことを言うのか。」と思われてもしょうがないが、
  どうやらスミスのこの発言は 嘘や言い逃れではないらしい。
  事実、1962年元旦のデッカオーディションでは 本来担当すべきであったプロデューサーのディック・ロウは出席しなかった
  アシスタントのスミスに全てを託した。
  所詮、営業部が持ってきた政治的物件としか見なしていなかったのである。
  そしてこの日から遡ること数週間前、スミスはビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインの起っての希望でリバプールにやって来た。
  ブライアンはこの絶好のチャンスを逃してはならないと、準備は万端で用意した。
  予約した急行列車の席は特等席、もちろん駅までの送り迎えはNEMSでも最高の車。
  ライブの前には最高級のレストランのフランス料理で、ロンドンからの客をもてなした。
  そしこの接待の一番の目的であったビートルズのホームグラウンド「キャバーン」でのライブ。
  出来はもちろん いつも通り。
  店は熱狂の渦である。
  デッカのマイク・スミス青年は高級ワインで気持ち良くなっていたせいもあり、このキャバーンでのライブにはかなりの好感触を示していた。
  そして年が明けて1962年、元旦のオーディション。
  スミスの持っていたビートルズの印象と、この日のビートルズの演奏はあまりにかけ離れていた。
  メンバー全員が長旅で風邪を引いていたせいもあり、歌も演奏もかなり悪い出来であった。
  それに、ブライアンの提案で ロックよりもポップ路線でまとめた選曲にも問題があった。
  現場でこれを見てスミスは思った。
  「なんだこれは。あのキャバーンの客を熱狂させていたロックンロールやR&Bはどこへ消えてしまったんだ?
  ビートルズ、もっとがんばれ。僕は君たちと一緒に仕事をしたいんだ!。」

149 :
  〜 The Beatles / Twist And Shout
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6Kux9cLhrno
  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttp://www.youtube.com/watch?v=abCagn1bG0M
 
  (小林)ジョン・レノンの歌声が続きましたね。
   Twist And Shout そして Nowhere Man。
  「ラバーソウル」のアルバムからお送りしました。

150 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてもれなくお送りしております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (浦安市/男性)
  この前まで行われていたロンドンオリンピック、日本人選手の連日のメダルラッシュにも興奮しましたが、
  開会式のポールから閉会式のザ・フーまでの あの怒涛のブリティッシュアーティストのパフォーマンスすごかった。
  ロックを世界に誇れる文化としているなんて、なんてうらやましくてカッコいい国なんだろうなあ、と思いました。
  なんか音楽の浸透度合いが深いというか、日本人が思う以上により高い位置付けになってるんでしょうね。
  ビートルズがデビューして50年後、ロックがこれほどまで市民権を得ているなんて当時は誰も想像していなかったことでしょう。
  東京も2020年の大会に立候補していますが、こういう素晴らしい演出ネタあるのかな?そっちの方が心配になってきます。
  リクエストは、イントロが始まった途端、瞬間鳥肌ものだった「イマジン(Imagine)」にしようかと思ったんですが、
  観客も選手も大合唱したオアシスの「Wonderwall」をお願いします。
  (小林)
  上等です。
  
  〜 Oasis / Wonderwall
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6hzrDeceEKc
  〜 Michael Jackson / Come Together
  ttp://www.youtube.com/watch?v=m7UigJpzF1k&feature=player_detailpage
  (草加市/女性)
  先日、家でビートルズの曲をかけていたら9歳の息子が「この曲知ってるよ。ずいぶんゆっくりだね。」と言っていました。
  息子は私が持っていたマイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク(Moonwalker)」の映画のDVDを好んで見ていたので
  そこでマイケルが歌っている「カムトゥゲザー」に耳が慣れてしまっているようです。
  「ビートルズの曲なんだよ。」って教えてあげましたが、息子はマイケルの「カムトゥゲザー」の方が気に入っているようです。
  ということでマイケルのバージョンを。
  (小林)
  この時点でマイケルは、ビートルズのこの曲を含めた歌の権利を持っていましたからね。
  堂々と歌ったんだと思います。

151 :
  (茨城県笠間市/男性)
  デッカオーディションの話しはおかしくもあり、今思えばイギリスにとっても大変な一大事件でありましたね。
  当時のギターバンド編成を否定する内容でしたから、当然納得できないですよね。
  今のポピュラー音楽はそこが出発点でもあり、ビートルズは多大な発見・発展・貢献者でしたから。
  ビートルズがいなかったらどのようになっていたのか。
  これとは関係ないことと思いますが、ポールはこんな形で新しいバンド編成の実験をしていましたのを思い出しました。
  リクエストします。
  非常に難しいですが、合点のいく内容で面白い感覚を覚える曲だったと思います。
  (小林)
  あなたのリクエストいきますよ、ポール・マッカートニーの「ロケストラのテーマ」。
      
  〜 Paul McCartney & Wings, David Gilmour / Rockestra Theme
  ttp://www.youtube.com/watch?v=qn3KUEMhOB0

152 :
  〜 Boz Scaggs / We're all alone
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Y39Nn-2JdQ0
  (小林)ポール・マッカートニーの実験的なね「ロケストラのテーマ」すっごかったねw。
  あれ、そうそうたるメンバーがいっぱい入っていたわけですが。
  それから、ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs)の We're all alone と見事に変わりましたね。
  (三郷市/男性)
  マイケル・マクドナルド(Michael McDonald)、ボズ・スキャッグス、ドナルド・フェイゲン(Donald Fagen)の三人来日するみたいですが。
  (小林)
  そうなんですよ。聞いてビックリしましたよ。
  11月には武道館でこの三人が一緒にやって。
  マイケル・マクドナルドっていうと ドゥービー(The Doobie Brothers)の曲とかね。
  ボズ・スキャッグスは自分のヒットがあるでしょ。いま聴いたような曲。
  ドナルド・フェイゲンはやっぱりスティーリー・ダン(Steely Dan)の曲なんかをやったりする。
  どういうステージになるのかわかりませんが。
  ボズ・スキャッグス、お送りした曲は、リタ・クーリッジ(Rita Coolidge)がカバーしてちょっとヒットした曲なんですが。
  ボズ・スキャッグスはね、これが出来た時は大満足したらしいんですよ。めちゃくちゃ良いメロディだからね。
  だから、歌詞がね、ふつ〜うのラブソングなんですよ。このおっさんが作った曲は。
  だけど歌詞(楽曲?)がめちゃくちゃいいから、総合ではもう上出来っていう感じですよね。
  これは日本ではコマーシャルなんかに使われて大ヒットしました。

153 :
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたでしょうか。
  リクエストお待ちしています。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp  
  
  いろんな人のね、生活だとか意見だとか音楽体験が入ってくると、やっぱりリクエストもちょっと違う風に聴こえたりしませんか?
  みなさんのリクエスト、協力願います。
  それから、ビートルズのお話しの方は、ビートルズが売れる前ですよ。
  売れる2年ぐらい前の話しですかね。
  ここら辺がね、ほんとに毎回言うんですが、一番面白いと思います。
  来週はどんな話になるのか、期待して頂きたい と。
   
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U

154 :
あげ

155 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月16日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 9月16日)
 ・1963年(今から49年前の今日)
  ビートルズが大変になるのは64年でしょう。
  63年に「She Loves You」がアメリカで発売されています。
  これはビートルズにちょっと詳しい方は「えっ?I Want To Hold Your Hand の前に?」っていう。
  そうなんです、実はビートルズはイギリスで大変なことになるけども、これはもう皆さんご存知のとおり。
  アメリカのキャピトル、本当だったらキャピトルがビートルズを出さなきゃだめなんだけど、
  「ええっ、こんなのアメリカで売れないよ〜w」っていうんで相手にしなかったもんで、
  イギリスのレコード会社はアメリカで出してくれるところを探すわけですよね。
  で、「スワン(Swan)」という、この会社小さい会社です。ツキがない会社なんですよ。
  スリーディグリース(Three Degrees)とかねダニー&ザジュ二アース(Danny And The Juniors Pony Express)とか
  有名なアーティストと契約するんだけど、それは売れないときの契約なんですよねw。
  これは果たしてどうなるかと言うと、売れないわけです、全然売れないわけです。チャートにはまったく出てこない。
  で、ビートルズがキャピトルが「まあ、やってみるか」っていうことでと本気を出して売れますよね。
  その後で、翌年の2月になって。
  だから「スワン」ていう貧乏な無名なレコード会社はですね、これが売れちゃうわけです。
  だから小さなレコード会社としては思ってもみなかったような、宝くじに当たったようなお金が入る、ということなんですけど。

156 :
  この「She Loves You」っていう曲自体は歴史的な曲です。
  内容的にね、例えば「彼女がお前を愛している」ていう、作詞のアプローチが全く斬新で、これはビートルズらしい。
  それから作曲もそうです。アレンジもそうです。
  レノンとマッカートニーが、実際にこの曲は顔と頭を突き合わせて曲を書いたんですけども。
  当初はマッカートニーが目立つコーラスアレンジだったんですけども、最終的には今のスタイルに落ち着いています。
  それから、あの「ヤア!ヤア!ヤア!」っていうのはトレードマークになりました。
  それがwアメリカから小さいレコード会社から、49年前の今日発売されたけどwアメリカで売れなかったっていう、面白い話しですよね。
  改めて聴いてみましょう。She Loves You。  
  〜 The Beatles / She Loves You 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=T0YifXhm-Zc 
  (小林)ザ・ビートルズの She Loves You。
  もうこれはファンには聴きなれた曲かもわかりませんけども、ビートルズの原点の一つ。
  ビートルズの側近たち それからレコード会社の側近たちも、この曲が一番ビートルズのエネルギーが入っている曲だっていう証言もあるほどです。

157 :
□デッカオーディション
 ・「俺たちの目標は、あのインチキ・クリフ・リチャードとか、そんなヤワなもんじゃないんだよ。
  ロックの頂上のその天辺(てっぺん)のさらにそのまた天辺を目指すんだ。
  それまで俺は絶対にロックは辞めないからな!。」
  これはまだレコードデビュー前のジョン・レノンの口癖であった。
  この負けん気の強いキャラクターによって、ジョンはあの下手くそだったシルバービートルズを、
  リバプールを中心とするマージーサイドの地域でも1,2を争う人気バンドにまで仕立て上げた。
  もちろん、その功労者はジョンだけではない。
  的確なアレンジを提案し、自らもジョンと二枚看板のシンガーとしてがんばるポール・マッカートニーの存在は大きかった。
  それでも、この時点でのビートルズのリーダーは間違いなくジョンであったし、 
  デビューして2年間くらいはジョンがビートルズの顔であった。
  と、多くの関係者は認めている。
  そのジョンが、いつものキレを失っていたのが、1962年1月1日元旦に行われたロンドンのデッカレコードでのオーディション。
  この日デッカのスタジオで演奏されたのは、シャープなロックンロールでも不良の匂いが立ちこめるリズム&ブルースでもなく
  ハンブルグで酔っ払った船乗りを相手に明け方まで演奏していた、当時の流行歌ばかり。
  もちろん、これにはちゃんとした目論見があった。
  マネージャーになったばかりのブライアン・エプスタイン、この時ロックの何たるかをよく理解していなかった。
  レコードショップチェーンの支配人でもあったブライアンは、
  ビートルズをまず「万人受けするプロのバンド」として、デッカレコードのスタッフにプレゼンしたかったのである。
  しかし、リバプールからの吹雪きの中の長旅や寝不足などにも祟られ、この日の出来は最悪。
  地元のキャバーンクラブでのライブの半分にも及ばない結果となった。
  もうこれはデッカの制作陣の判断を仰ぐしかない状態となったのである。

158 :
  〜 The Beatles / Three Cool Cats
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zdeSp-FQV7A
  
  〜 The Beatles / Sweet Little Sixteen
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Ou-y8u0crNI
 
  (小林)
  いかがですか?。これは比べ聴きですね。
  デッカのオーディションで残っているビートルズのカバーが、コースターズ(The Coasters)の Three Cool Cats。
   Three Cool Catsっていうのは三人のクールな、男ですよキャッツはね、ネコじゃなくて。
  でスリークールチックス(Three cool chicks)三人の女性とのR。
  これはちょっとスタンダードぽい昔の曲なんだけれども、それをカバーしている。
  これに比べると悪い条件下で、ビートルズがイギリスでもすでにデビューした後ですけども、
  ハンブルグに残ってる仕事があるっていうんでスタークラブへ行きます。
  もう、ちょっとこれ余裕で、だけどすっごい勢いがあるビートルズの Sweet Little Sixteen。
  ちょっと比べて聴いて頂きましたが、どうでしたか?

159 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「なんだこれは?。あのキャバーンの客を熱狂させたロックンロールやリズム&ブルースはどこへ消えてしまったんだ?
  ほら、ビートルズ、もっとがんばれよ!。僕は君たちと一緒に仕事がしたいんだから。」
  これは1962年の元旦、ビートルズが受けたデッカレコードのオーディションに立ち会ったアシスタントプロデューサー=マイク・スミスの心の中の呟き。
  
  この数週間前、ロンドンから特急列車でリバプールに訪れ、今や伝説となっているキャバーンクラブでビートルズのライブパフォーマンスを体験したスミスにとって
  この日のビートルズの選曲と演奏は、文字通り「なんだこりゃ?」であった。
  「ウソだぁ。ビートルズはこんな曲をやるバンドじゃない。
  僕がキャバーンで見たあのハードにドライブするロックンロール。
  そしてジョンがヘビーに決めるリズム&ブルースはいったいどこへ行っちまったんだ?。
  マズイぞ、ビートルズ。このままじゃ不合格だ。」
  実のところ、デッカの中でビートルズの才能と魅力を理解しているのは、この時まだ20代の制作マン=マイク・スミスだけであった。
  本来ならばスミスの直属の上司であるチーフプロデューサーのディック・ロウが担当する懸案であるはずのビートルズであったが、
  ロウはこの仕事から逃げ、部下のスミスに押し付けたのが事実であった。
  なにせ、ビートルズを売り込みに来たブライアン・エプスタインは、NEMSという大手レコードショップチェーンの創業者の息子で支配人。
  若き実業家であり、デッカの大手お得意様でもあった。
  そうなると、もうこれは立派な「政治物件」であり、全ては「大人の事情」の世界で動くのが世の常。
  こうしたディック・ロウに代表されれる「少し汚れてしまった大人たち」に対して、アシスタントのマイク・スミスはまだ「無垢な青年」であった。
  1960年代に入り、間違いなく低迷してきているロックの音楽を 自分たちの手で盛り上げたいと純粋に考えていたのである。
  そこに現れたビートルズは、スミスにとって正に「夢」とも言える存在であった。

160 :
心の中のつぶやきを、だれがどうやって確認したのか

161 :
  〜 The Beatles / I saw her standing there
  ttp://www.youtube.com/watch?v=HhllDK6C6eQ
  〜 Gerry & The Pacemakers / How Do You Do It?
  ttp://www.youtube.com/watch?v=sPLHiGQwHnA
  (小林)1963年の初期のサウンドですね。
  ビートルズの I saw her standing there。
  これはもう有名な曲で、アルバムはイギリスでは1963年「プリーズプリーズミー(Please Please Me)」の中に入っています。
  そして、その頃とほぼ同じ頃のイギリスのナンバーワンです。
  ビートルズの仲間というか同じ事務所関係 Gerry & The Pacemakersの How Do You Do It?。

162 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「デッカのオーディションなんだけどね。
  あれは、選曲・演奏・ルックス、そのどれを取ってもビートルズの対抗馬のバンドの方が良かったらしいんだよ。
  でもね、オーディションに立ち会ったマイク・スミスは、それでもビートルズを推したい って僕に言うんだよね。
  よっぽどビートルズの内面からにじみ出る何かに魅力を感じていたんだろうね。」
  こう証言するのは、1962年当時リバプールの地方新聞「リバプールエコー」の土曜版に音楽コラムの連載を持ち、 
  さらにロンドンのデッカレコードの契約社員として、ジャケットとライナーノートの部署を担当するという
  「二足のわらじ」でがんばっていた青年、トニー・バーロウ(Tony Barrow)。
  この数ヶ月(後)ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインに懇願されPR広報担当責任者として
  ブライアンの事務所NEMSに入社する人物である。
  もちろん、バーロウはビートルズの世界ツアー、そして最も大切な記者会見にも必ず同席するという重要な任務をこなしていく
  ブライアンにとっての片腕となることも、付け加えておこう。
  
  オーディションを担当したデッカのマイク・スミスの好感触を聞きつけ、バーロウはさっそくリバプールエコーに途中経過をレポートすることになった。
  オーディション自体が、バーロウの口利きによるものだったことはもちろんであるが、
  バーロウはこの同郷のロックバンドが、この先どうなって行くのか、ものすごく興味を感じた。
  なにせ、この頃のイギリスのショウビズ界は、全てロンドンが中心。
  リバプールから全国区のミュージシャンが出てくるなんて、誰も想像すらしていなかった。
  もしこれが現実となれば、それはもう超特ダネである。
  バーロウは気合を入れてペンを取った。
  「リバプール出身 ビートルズの成功物語における最新エピソード。
  先日受けたデッカのレコーディングテストについて、
  プロデューサーであるマイク・スミスが『ビートルズは素晴らしかった!』とコメントした。
  そのテープは30分に及び、デッカはきっとビートルズをスターにする確信を持った、という。
  最新情報は随時お知らせいたします。」

163 :
  〜 The Beatles / Take Good Care Of My Baby(Decca Audition)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=LhdCiRCj6KU
  〜 Elvis Plesry / Rock A Hula Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=H8MlZ6J4rTo
 
  (小林)これはどうでしょう? 
  若い方の耳にはどういう風に聴こえているのかなあ、っていう感じがしますが。
  ビートルズがオーディションを受けたやつですね。
  デッカのオーディションで奏った(1曲目)Take Good Care Of My Baby、ビートルズバージョン。
  これは若き日のキャロル・キング(Carole King)たちが作ったポップスの名曲ですね。
  
  それからプレスリーの同じ頃の、これはイギリスでもナンバーワンになりました、
  (2曲目)Rock A Hula Babyっていう曲であります。
  
  これはね、どういうことかって言うとね。
  ヤワ(柔)なソフトなポップスの名曲なんだよね。これは、実は2曲とも。
  で、どういうことを言いたいかというと。
  この頃からも今も同じですけども、ロックだとかポップスの世界は、ハードなトガ(尖)ったものっていうのが必要なんですよ。
  絶対、バランス的に。
  ところが、アメリカもね、ヤワ(柔)くなっていたっていうことなんだよね。w 
  で、ビートルズがオーディションで奏ったっていうのは、ヤワなやつを奏ったんですよね。
  ところが、若者たちはハードなものを、ちょっとトガったものを探していた。
  だから、デッカのマイクは、そういうことをマイク・スミスは欲しかったんですよ。
  ビートルズに出てきて欲しかった。
  そういうことを言いたいんです。

164 :
□リクエスト
  (小林)
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしています。
  これはほんとありがたいんですw。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  
  (板橋区/男性)49歳
  ビートルズ歴は中1からなので37〜8年。
  先日ロンドンオリンピックの開会式でポールの元気な姿を見て感激しました。
  自分も一緒にヘイジュードを歌いてえ。日本に来てくれないかなあ。
  私が高校2年の時ウィングス来日の発表を聞いて、受験中にもかかわらず徹夜でチケットを手に入れましたが、R騒ぎでコンサート中止。
  それ以来、来日してもコンサートに行くチャンスがありません。
  ポールが見たい。
  高校のとき毎日聴いていた「ウィングスUSA」のライブから1曲目のメドレーをリクエストお願いします。
  プレーヤーが無いので何年聴いてないっすかねえ。
  (小林)っていう。
  レコードは持ってるわけだ。実家にレコードプレーヤーがあるわけですね。
  はい、あなたのリクエスト… 
  〜 Paul McCartney / Venus and Mars-Rock Show-Jet(1976live)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lNn5Q7H-FeA&feature=related 
  〜 The Kinks / Waterloo Sunset
  ttp://www.youtube.com/watch?v=5J3gX47rHGg
  (小林)
  キンクスの Waterloo Sunsetが流れています。
  (鎌ヶ谷市/男性)
  ロンドンオリンピックの閉会式でザ・フーやクイーンを真近で見られたオリンピック選手たちがうらやましいですね。
  キンクスがこの曲を演奏したとき時差で日本は朝でした。美しい夕暮れの曲ですので、この番組でお願いします。

165 :
  (船橋市/男性)
  先日、元ツイストの松浦さんの「スライドギターの教則」DVDを購入しました。
  その中で、彼は「デュアン・オールマン、ジョー・ウォルシュ、ジョージ・ハリスン、がスライドの天才だ」と言っています。
  また雑誌ローリングストーンで「百人の偉大なギターリスト」の11位にジョージが選ばれていました。
  彼のギタープレイに対する評価が近年高まっている気がして嬉しく思います。
  彼はどう言うでしょう?「そんなこと、どうでもいい」とでも言うでしょうか。
  リクエストは「クラッカーボックス・パレス」ジョージのスライドギターを楽しめる曲だと思います。
  (小林)ではあなたのリクエストです。  
  
  〜 George Harrison / Crackerbox Palace
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PpYYA3hBCo0
  
  〜 The Beatles / She's Leaving Home[Mono Mix]
  ttp://www.youtube.com/watch?v=8kTPGNxFf10
  (小林)
  サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)から She's Leaving Home。
  (木更津市/女性)
  私がビートルズのアルバムを最初に購入したのは今から32年前の昭和55年5月5日、偶然5の重なる日。
  当時中学生だった私のクラスでもビートルズのファンが数名いましたが、
  サージェントペパーズはだれも持っておらず、思い切って貯めた小遣いで購入しました。
  「私が生まれた頃にこのような音楽があったのか」と、とても不思議な気持ちでした。
  (小林)
  というわけで She's Leaving Homeよく聴いた、というね。
  ちなみにね これは、いろいろうるさい方のために、モノーラル盤でお送りしました。
  キーが半音近く高いんですね。
  やっぱりビートルズはモノーラルです。

166 :
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがですか?
  やっぱり、いちばんビートルズのデッカオーディションの頃の話しってのが、ほんとに面白いんでね。
  いろんな角度からお送りしてますけど。
  まあビートルズは不採用になるんだけど、採用になって欲しいと思ったのはビートルズ関係者以外にもいたっていうわけですよね。
  
  それから、リクエストよろしく。(略)
  
  今日はちょっと欲張って、いっぱいリクエスト(曲に)お応えしたので、
  皆さんのリクエストの書いた文章の半分ぐらいをちょっと読みましたけど。
  いつもだったらね、フルに紹介しますので、自由にわがままにいろんなことを書いてリクエストください。
  待っております。

167 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月23日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 9月23日)
 ・1968年(今から44年前の今日)
  これは面白い話しなんだよねえ、音楽マニアにとっては。
  あの「Happiness is a Warm Gun(ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン)」
  この時はまだ「Happiness is a Warm Gun in Your Hand」ていうタイトルだったんだね。
  これはスヌーピーの有名な漫画に「Happiness is a Warm Puppy」「幸せは暖かい子犬ちゃん」ていうような文があったんだけど
  それをジョン・レノンの頭にはちょっと違ってw 響いていたのかわかんないけど。
  「Happiness is a Warm Gun in Your Hand」「幸せはあなたが手に持っている、まだ暖かい銃」だから暖かい銃ってのは発射したばかりなのかなw。
  それとも「Warm Gun(ウォームガン)」ていうのは違う意味があるのかな。
  それですよ。
  これの録音を、今から44年前の今日 やった日で。
  これ面白いのはね、プロデューサーが、クリス・トーマス(Chris Thomas)というプロデューサーをやり始めたばっかり。
  その前はアシスタントだったんですよ。ビートルズのスタジオではね。
  で、クリス・トーマスはRピストルズ(Sex Pistols)だとか、ポール・マッカートニーだとか、
  後になってね、いろいろプロデュースする有名なプロデューサーなんですけれども。

168 :
  なんとこの日、この「Happiness is a Warm Gun」の、45回録音してるんだよね。
  4人で一発録りで45回やっていて。
  これは、資料を見ると、その翌日は同じことを46回から70テイク。(25テイク分)
  だから一日目に45テイクやって、その次に46から70テイクやって、
  またその翌日、膨大な録音を全部聴くわけです。
  で、第53テイク、53回目にやった前半部分と、65回目にやった後半部分がベストだ、っていうことを判断して、この二つを繋いで。
  それに新たにジョンのボーカルだとか3人のコーラスだとか、
  「オルガン、ピアノ、ベース、チューバ、スネヤドラム、タンバリン、これを録音して、そして完成に至る。」とありますけども。
  この頃はもう、ビートルズのそういうふうにやって、重ねて重ねて作っちゃう絶頂期ですよね。
  また、曲はジョン・レノンにしか書けなかった曲。
  改めて、そういうことを頭に入れて聴いてくださいね。
  ビートルズの Happiness is a Warm Gun。
  〜 The Beatles / Happiness is a Warm Gun 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=m9-xpE7YxzQ 
  (小林)改めて聴いてみましたが、どうですか?、どのように響きましたか?

169 :
最近この曲かけすぎじゃね?

170 :
>>169
克也さんお勧めの曲だからねえw

171 :
□デッカオーディション
 ・「リバプール出身ビートルズの成功物語における最新エピソード。
  先日受けたデッカのレコーディングテストについて、
  プロデューサーのマイク・スミスが『ビートルズは素晴らしかった』とコメントした。
  そのテープは30分におよび、デッカはきっとビートルズをスターにする確信を持ったという。
  最新情報は随時お知らせします。」
  これは1962年1月の時点で音楽ライター=トニー・バーロウが地方新聞である「リバプールエコー」の音楽コラム「オフザレコード」に向けた文章である。
  リバプール出身のバーロウは、当時ロンドンのデッカレコードの契約社員で、レコードジャケットとライナーノートを担当する部署にいた。
  ビートルズのマネージャーになったばかりのブライアン・エプスタインは、リバプールエコーを頼りにバーロウの居場所を着き止め。
  そのバーロウの紹介で、デッカのオーディションを受けることになった。
  というのが、ここまでのストーリー。
   
  この時バーロウは、そのオーディションのテープを聴かずに、録音を担当した若きアシスタントプロデューサー=マイク・スミスからの話を元に記事を書いた。
  これに関してバーロウはこのように語っている。
  「もしあの記事を書く前に、オーディションのテープを僕が聴いていたら、早まって記事を書くという勇み足を踏むことは無かったと思うよ。
  そのデッカテープでのビートルズは強い印象を残すものではなく、誰もがみんな『いいね』とは言わなかった。
  だから担当したスミスが、いくら贔屓目でビートルズに一票を投じたとしても、それに左右されることは無かったよね。
  やはりチーフプロデューサー=ディック・ロウの判断は間違っていないと、誰もが確信していたわけだ。
  もちろん、全ての話しはビートルズのあの圧倒的なライブパフォーマンスを見たことの無い状況での判断だからねえ。
  マイク・スミスだけがリバプールで現場を目撃していたわけだから、こりゃもう悲劇の始まりとしか言いようがないね。」

172 :
  〜 The Beatles / Money [Live]
  ttp://www.youtube.com/watch?v=nKxPv7LSe7o
  
  〜 The Beatles / You've Really Got to Hold On Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=7JPgwXYqWzc
 
  (小林)2曲続きましたね。1963年当時のね。
  ビートルズのMoney、これはすっごい迫力だったけど、「アンソロジー1」に入っているやつで
  ストックホルム、スウェーデンのテレビショウで客を入れたやつで。
  これはすごいでしょう、ビートルズは。すごい迫力ですよねえ。
  で、You've Really Got to Hold On Me、ちょっとメロディが違うなあ・・・
  そうなんですよ、これは、モータウンですよ。
  スモーキー・ロビンソン(Smokey' Robinson)が作った曲。
  それをビートルズがカバーしていました。
  「With The Beatles」のアルバムに入っています。

173 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「もちろんデッカオーディションにおける全ての話しは、ビートルズのあの圧倒的な『ライブ』を見たことのない状況での判断だから。
  マイク・スミスだけが、リバプールでその現場を目撃していたわけだから、
  もっとその目撃者の意見に聴く耳を持つべきだったと思う。
  でも、もう遅い。誰もが言うように、これはもう悲劇の始まりとしか言いようがないね。」
  これは1962年当時、リバプールの新聞の音楽コラムのライターとして、ロンドンのデッカレコードの契約社員、
  そして後にビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインにヘッドハンティングされ、
  バンドの広報PR担当責任者となる人物、トニー・バーロウの証言。
  もちろん彼は世界ツアーにも全て同行し、大切な記者会見の席でも必ずビートルズの傍にいた。
  いわば「生き証人」である。
  デッカのチーフプロデューサーであるディック・ロウは、クリスマスと正月の休暇から戻る前に、
  オーディションに立ち会ったアシスタントのマイク・スミスから届いたテープを聴きながら、
  採用するのは「ビートルズ」かそれともロンドンのグループである「ブライアンプール&トレメローズ(Brian Poole and the Tremeloes)」なのか、じっくり考えていた。
  そして、やはり採用するつまり契約するのは「トレメローズ」であることをスミスに伝えた。
  もちろんロウは、ビートルズがデッカの営業セクションから持ち込まれた、いわゆる「政治的物件」であることは充分に理解していた。
  レコード会社の営業部にとっては、ブライアンが経営するレコードショップチェーンNEMSは重要なクライアントであった。
  しかしこのディック・ロウのような「自分は優れたクリエーターである」と自負しているような人種にとっては、
  営業部からの推薦など「邪魔なもの」あるいは「余計なお世話」に他ならない。
  天下のデッカレコードの敏腕プロデューサーも、すっかり冷静さを失っていた。
  宝の山を目の前にして、引き返すも同然の決断であった。

174 :
  〜 The Beatles / Revolution (PV)  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ceISGri7y78 
  〜 The Beatles / I feel fine
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-YDETXM1JTk
  (小林)2曲続きました。
  Revolution、これはあの名曲「ヘイジュード」のB面だったわけですね。
  A面がポールでB面がジョン。だけど僕はこれはとてもいい曲だと思っています。Revolution 。
  
  そして、I feel fine。これは1964年、イギリスでもアメリカでもナンバーワンになった有名曲。

175 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「僕はリバプールのクラブキャバーンでデビュー前のビートルズのライブパフォーマンスを体験した。
  そりゃあもう異次元の世界さ。
  上手いとかワイルドだとか、そんなひと言では言い表わせない。『すごい』と表現するのが取り合えず近いかな。
  もしあの時1961年12月に、僕の上司も一緒に来てくれていたら、僕らの歴史は変わっていただろうね。」
  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当したマイク・スミスというアシスタントプロデューサーの発言。
  「なんだ今さら、そんなことを言うのか?」と思われてもしょうがないが。
  これは彼の本心なのだろう。
  デッカがビートルズを採用せず、ロンドンのバンド「ブライアンプール&トレメロ−ズ」と契約した事はロックの歴史上有名なことではあるが。
  その理由は2つ考えられる。
  
  まず、担当責任者であるディック・ロウにとって、営業部から強引に持ち込まれたビートルズに、よい印象を持っていなかったこと。
  いつの時代も、どこの国でも同じように クリエイティブな部署の人間はプライドが高い。
  そして自分のセンスを信じるあまり 時として運命的な判断を誤ってしまう傾向にある。
  ご多聞にもれず、ロウも判断を誤った。
  そして二つ目。
  ビートルズがリバプールのバンドであったということ。
  この当時1960年代の初頭、イギリスにおけるロックやポップ音楽のビジネスは、あくまでもロンドンを中心に回っていた。
  もちろんリバプールなどの地方都市にもライブのシーンはあり、音楽の現場は存在していた。
  しかし、ことレコードビジネスとなると ほとんど皆無であった。
  ブライアンのようにレコードを販売して利益を得るという図式はあっても
  その音楽そのものを制作したり録音したりする設備などロンドンにしか存在しない。
  言い替えるならば、音楽業界の人間にとってリバプールなど「遠い外国」それも途上国に等しかった。
  ビートルズにとって苦難の歴史は、まだしばらく続くのである。

176 :
  〜 The Beatles / Misery
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jyCt2C3TJDc
 
  (小林)これは1963年の「Please Please Me」のアルバムに入っています。

177 :
いつも思うんだけど、猛烈に話の進行が遅くない?
結局先週から話進んでね〜! とラジオの前で地団駄踏む事
何十回!
前回と今回での被りもあるし、CM明けでも被ってるから、
1回で本にしたら20行分位しか進まない。
特にウザいのがキャラ紹介、もうト二ーバーロウと
ジョージマーティンとエプスタインたちのキャッチフレーズを
何百回聞かされた事か。

178 :
小林克也いくらお気に入りだからと言って
ハピネスイズウォームガン流し過ぎ。
もう歳だから前回流したのがいつかも
忘れてるんじゃなかろうか。

179 :
  (小林)この番組に届いたリクエストにお応えしていきますが、
  その前に、すごいお知らせです。これは恒例のお知らせなんですが。
  
□公開録音のお知らせ
  「ビートルズから始まる」恒例のスペシャルパーティ。
  10月24日(水)夜7:00から、舞浜のクラブ・イクスペアリ(Club IKSPIARI)で開催。
  ゲスト:ジャズボーカリスト=Chika、平原綾香
  パーティに抽選で75組150人の方を招待いたします。
  ワインとイシイ食品のアレンジされた豪華なご馳走をご用意。
  応募はBAYFMのHP携帯サイト
  http://www.bayfm.co.jp/  か
  ハガキの場合 〒261-7127「ビートルズから始まる」スペシャルパーティの係
  FAXは 043-351-8011
  締め切りは10月14日(日)です。
  詳しくはBAYFMのHPでチェックしてください。

180 :
□リクエスト
  (小林)イシイのミートボールなどセットにして採用の方にはお贈りしています。
  メールアドレス beatles@bayfm.co.jp
  (江東区/女性)
  クイーンの Crazy Little Thing Called Loveをリクエストします。
  エルビス・プレスリーを意識した曲だと思います。    (小林)まあ、これはプレスリーばかりじゃなくて
                                          ジェームス・ブラウンとか、R&Bの要素が入ってるね。
  ビートルズのジョン・レノンはこの曲を聴いて、5年間の活動休止を終えて音楽活動への意欲を再び持つようになったと聞いたことがあります。
  プレスリー・ビートルズ、そしてクイーンという、
  それぞれの時代の輝かしいアーティストの存在がこの曲によって繋がりあったのではないかと思います。
  そしてそのような音楽の世界の楽しさを初めて教えてくれたのがビートルズです。
  私の音楽人生は、まさに「It all started whith The Beatles」ビートルズから始まるのです。
  (小林)
  あなたのリクエスト。
  〜 Queen / Crazy Little Thing Called Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zO6D_BAuYCI
  〜 The Beatles / Yesterday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU
  (小林)イエスタデイが流れましたねえ。
  (佐倉市/男性)48歳
  中学時代初めての英語の授業で先生が、英語を歌を通して親しむようにと歌詞を渡されたのが「イエスタデイ」でした。
  ぜひ「イエスタデイ」リクエストをお願いします。
  それ以来ビートルズが生活の一部ですし、洋楽の原点、尊敬するアーティストです。
  (小林)
  と書いてありますが、2回目の「イエスタデイ」をわざとスペルを間違えたのは、これは意図したことなのだろうかw。

181 :
  (茨城県日立市/女性)
  最近、ダイアモンド?ユカイさんをよくテレビで見るようになりました。
  芸人扱いをされてる感も無きにしも非ずで、すっかり「面白いおじさん」になっているユカイさんですが、
  昔は「RED WARRIORS」というバンドのボーカルで、今のイメージとはけっこう違うんですよね。
  ビートルズファンでもある彼のWARRIORS時代の中から「バラとワイン」をお願いします。
  
  〜 RED WARRIORS / バラとワイン
  http://www.youtube.com/watch?v=2KiFBsNEoxc
  〜 B'z / Farewell song
  ttp://www.youtube.com/watch?v=PyWZgTaoCAw
  (古河市/男性)
  ビートルズへのオマージュソングを発見しました。
  B'zの「セブンスブルース(The 7th Blues)」というアルバムに入っている「フェアウェルソング」で。
  この曲は「ヘイジュード」へのオマージュとして作られたそうでw、エンディングにそっくりなコーラスが登場します。
  ちなみに日本一の売り上げを誇るB'zですが、結成は「オー!ダーリン」と「レットイットビー」をセッションしたのがきっかけだとかいうことです。
  (小林)
  というわけで、リクエストにお応えしました。

182 :
  Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)
  「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  やっぱり、あの、毎回言ってるんですけどw
  ビートルズが売れる前のお話しっていうのはね、けっこう面白くて。
  デッカオーディション、ビートルズは結局受からないわけですけども。
  毎週お伝えしてるのを聴いて、
  「ああ、そうだったのか。ビートルズはなぜデッカに受からなかったのか」
  っていうのが、理由が判ったと思いますけど。
  まだまだ、この話しは続きます。よろしく。
  
  リクエストの方も、採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。
  今日はちょっとバラエティにあふれた曲がかかりましたが、
  まあ、ビートルズから始まるというわけでね、いろんなものけっこうOKです。
  みなさん、わがままにリクエストして下さい。
   
  公開録音のお知らせ(略 
  >>179 参照

183 :
1962年10月5日 英国で「Love Me Do」がEMIパーロフォンから発売。
2012年10月5日がビートルズのレコードデビュー50周年ですね。
それに向けてストーリを展開するのかと思いきや w
本編では、デッカで足踏みのゴタゴタが続いている模様ですw。

184 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年9月30日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 9月30日)
 ・1966年(今から43年前の今日)  
  「コールドターキー(Cold Turkey)」って知っていますか?「コールドターキー」っていう曲。
  これを録音した日です。あの有名な曲を。
  元々ビートルズで録音しようとしたんですけど、ジョン・レノンは。
  でもポールたち3人が大反対して、結局ヨーコと一緒にやっている「プラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band)」で発表します。
  同じ年の「パワートゥザピープル(Power to the People)」に続く2枚目のシングルになるわけですが。
  レコーディングしてから3週間ちょっとでイギリスで発売しています。
  で、コールドターキー 冷たい七面鳥、ですよね、
  この頃はドラッグカルチャーの時代でして、ドラッグだとかヘロインだとか、ああいった中毒症状に陥る者・・・。
  だから、中にはお菓子中毒の方いますね、お菓子なんかの中毒の場合でもコールドターキーは使えるんです。
  禁断症状のことを「コールドターキー」て言うんです。
  でもね、結局この曲は、ちょっと内容が…、そんなに、まあ(詩は)抽象的なもんだから、過激でもないんだけど。
  タイトルがいけなかったのかな。
  国営放送のイギリスのBBC、それからアメリカのラジオ局なんかでも、放送自粛をするわけですよね。
  それがあんまりヒットしなかったていう。結局イギリスで14位、アメリカで30位。
  で、ジョン・レノンは、実際これで頭に来るわけですよ。
  頭に来てなにをやったかというと、エリザベス女王からもらったMBE勲章を返しちゃったんですよね。
  で、その理由っていうのが「イギリスがナイジェリア、ビアフラ問題に頭を突っ込んでるけど、これは良くない。」
  っていうことで、抗議して返した。
  でもその実態は、実はこの「コールドターキー」が売れなかったからだ、と言われております。

185 :
  そういう話を聴くと「コールドターキー」どうしても聴いてみたくなるでしょう?。
  ジョン・レノンがリードボーカルです、それからリズムギターです。
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)がリードギターです。クラウス・ブアマン(Klaus Voormann)がベースギターです。
  リンゴ・スターがドラムスです。
  それじゃ、それを聴いていただきましょう。
  あの流れるようなメロディの所はエリック・クラプトンと…、
  あ、リフだね、リフはエリック・クラプトンとジョン・レノンが一緒にやっています。
  〜 John Lennon & Plastic Ono Band / Cold Turkey
  ttp://www.youtube.com/watch?v=_b-Cr9a6eVo&feature=related
    
  (小林)
  プラスティック・オノバンド、コールドターキー、ジョン・レノンの世界です。
  ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、大反対。
  でも、リンゴ・スターは結局参加しています。
  問題作です。
  いかがですか?

186 :
訂正します。
>>184
1969年(今から43年前の今日) 
です。

187 :
□デッカオーディション
 ・「ビートルズ?。なんだよ、このバンド、リバプールの連中じゃないか?。
  そんな田舎から来たやつら、オーディションなんか通るわけないだろ。
  おまけに、あのリバプールじゃ有名なレコードショップのチェーンNEMSがマネージメントしてるんだろ?
  そうかあ、それで営業の連中が『ビートルズをよろしく。』ってネジ込んできたわけだ。
  営業が制作に口を出すなんて、ますます気に食わねえ。
  まあいいか、肝心の演奏も今ひとつだし、不合格でいいだろう。」
  これは1962年元旦、ビートルズが初めて受けたオーディションの相手デッカレコードのチーフプロデューサー=ディック・ロウの心のつぶやき。
  この時のオーディションに関して、ロウはまったくやる気ゼロであった。
  欧米の会社員に多いケースであるが、クリスマスから新年にかけて長い休暇を取り、特に難しい仕事でなければ部下に任せてしまうこともよくある話。
  ロウの場合はまさにこのパターンであった。
  「年明けの新人オーディション、君に任せるから、よろしくたのんだよ!」
  任されたのはデッカ制作部のアシスタントプロデューサー=マイク・スミス。
  やる気のある若いクリエイターにとっては、たとえその仕事が上司から押し付けられたものであっても、任されるという事は嬉しいことであるし、
  自分の評価にもつながる。
  スミスは喜んで引き受けた。
  ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインの招待でリバプールを訪れ、本拠地であるキャバーンでビートルズを見たのが、12月の中旬。
  オーディションを受けさせ評価するバンドの、下調べもできた。
  もちろんこの時点で、スミスはビートルズのライブパフォーマンスに圧倒され、すっかりファンになってしまっていた。
  「ああ、早くビートルズがデッカと契約して、シングル盤、そしてアルバムをレコーディングする日が来ないかなあ。」
  スミスは心からそう思っていた。
  少なくとも、年明けのオーディション本番が終わるまでは、そう願っていたのである。

188 :
  〜 The Beatles / Oh! Darling
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lG3sgOJuugM
  
  〜 The Beatles / You're Gonna Lose That Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xVpq58PBjQI

189 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「ああ、早くビートルズがデッカと契約して、シングル盤アルバムをレコーディングする日が来ないかなあ。」
  会社のデスクに座りながら、心からそう願っている青年の名は、マイク・スミス。
  ロンドンの大手レコード会社デッカの制作部に勤務する若きクリエイター。
  いや、この時点ではクリエイターの卵だったかもしれない。
  しかし、そのスミスの願いも実現することは無かった。
  上司であるプロデューサーのディック・ロウは、テープに録音されたオーディションでのビートルズの演奏を聴き、全く興味を示すことは無かった。
  それもそのはず、テープレコーダーから聴こえてくる演奏は部下であるスミスから聞かされていた「リバプールのキャバーンでの熱演」
  とはあまりにかけ離れていたものだった。
  ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインの作戦であった「ハードなロックンロールや不良っぽいR&Bは極力抑えて、万人受けするヒット曲中心で行こう」
  という目論見は大失敗に終わったのである。
  オーディションから数週間経ったある日、ブライアンはデッカレコードに呼ばれ、豪華なランチの接待を受けた後、チーフプロデューサーのディック・ロウから今回のオーディションの結果を言い渡された。
  それは率直なものであった。
  「エプスタインさん、はっきり申し上げましょう。あなたが抱えているバンドですが、そのサウンドに問題があります。
  そもそも、ギターバンドはもう流行りません。
  それに、あなたはリバプールでとても成功しているレコードビジネスをお持ちなのだし、そちらに専念されてはいかがでしょうか?」
  
  ブライアンはこの言葉を"最高に無礼なもの”として受け止めた。
  そしてロウのこの「ビートルズを見逃した」という決断は、彼の音楽業界人としてのキャリアーに二度と消すことの出来ない大きな汚点を残すことになるのである。 

190 :
  〜 The Beatles / A Hard Day's Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zSm0M-BbVdY
  〜 The Beatles / Yesterday
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rxY1KQvQsAU
  (小林)あまりにも有名なヒットが2曲続きました。
  こういったものをみんなw オーディションでビートルズを採用しない事によって、みんな逃がしちゃったわけですよねw。

191 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「エプスタインさん、はっきり申し上げましょう。あなたが抱えているバンドですが、サウンドに問題があります。
  そもそも、ギターバンドはもう流行りません。
  それに、あなたはリバプールでとても成功しているレコードビジネスをお持ちなのだし、そちらに専念されてはいかがでしょうか?」
  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当した若きクリエイター=マイク・スミスの上司、チーフプロデューサー=ディック・ロウの発言。
  聞き役に回っているのは、ビートルズのあの伝説的なマネージャー=ブライアン・エプスタイン。
  もちろん、ブライアンの怒りはほぼ頂点に達している。
  それ以上にこのロウという人物が、あまりにも世の中のことを知らないことに増々腹が立ってきた。
  彼が言う「ギターバンドのブームはもうお仕舞い」というのは、
  アメリカでのロックンロール音楽が衰退しつつあるという事実を元に、何でもかんでも分類したがり、ブームを捏造しては終息させ、また次のブームをでっち上げると言う音楽業界のたちの悪い習慣の縮図であった。
  しかし、音楽の現場をロンドンではなく北西に数百キロ離れたリバプールを中心に見ると、どうであろう。
  リバプールを中心とする「マージーサイド」と呼ばれる地域には、ロックのギターバンドだけで300以上、いや、一説には700以上のバンドが存在していた。
  と言われている。
  
  この事実をロウは全く知っていなかった。
  それだけ当時の業界人はロンドン至上主義で、地方都市の現状などまったく興味を示していなかった。
  文字通り「井の中の蛙」である。
  もちろん、ロウの判断は大失敗に他ならない。
  ビートルズを不合格にしたという事実だけで、デッカの社内だけではなく、ロウは全世界のマスコミ・ロックファンから「世界一無能な音楽プロデューサー」と非難されることになる。
  そしてデッカは、この事件から程なくして、あのローリングストーンズを射止め、契約を結ぶのであった。

192 :
オーダーリンの途中に台風情報読んだ奴はゆるさんぞ

193 :
せやったなあ

194 :
  〜 The Rolling Stones / Get Off Of My Cloud
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-_Rz3oz96xg&feature=related
  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DVTh-zaGhNI

  (小林)ローリングストーンズとビートルズを比べてみました。
  同じ頃、1965年、同じ頃の作品です。
  
  デッカレコードはビートルズを落としたけど、ローリングストーンズをゲットしたっていう。
  これはこの番組で、前にお伝えしましたけど
  ビートルズが売れて1年か2年も経ってないと思いますけども。
  ジョージ・ハリスンと、このロウさんていうプロデューサーがBBCの番組「Juke Box Jury」という番組でね、審査員になるわけです。
  並ぶわけですよね。
  ジョージ・ハリスンは、ローリングストーンズのことを友達で紹介するんですよ。
  「ローリングストーンズっていう いいグループがあるよ」って。「今度は失敗しなきゃいいね。」とかなんか言うわけですよね。
  ジョージ・ハリスンがやさしい、ビートルズの余裕、王者の余裕、っていう。
  それを物語るエピソードです。

195 :
□公開録音パーティのお知らせ
  「ビートルズから始まる」恒例の公開録音パーティ。
  10月24日(水)夜7:00から、舞浜のクラブ・イクスペアリ(Club IKSPIARI)で開催。
  コンサートと食事会が一緒。
  ゲスト:ジャズボーカリスト=Chika、平原綾香
  パーティに抽選で75組150人の方を招待いたします。
  イシイ食品の誇る豪華なご馳走とワインをご用意。
  応募はBAYFMのHP携帯サイト か
  ハガキの場合 〒261-7127「ビートルズから始まる」スペシャルパーティの係
  FAXは 043-351-8011
  締め切りは10月14日(日)です。
  詳しくはBAYFMのHPでチェックしてください。
  http://www.bayfm.co.jp/

196 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせていただいております。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (千葉市緑区/男性)
  6月にこの番組を知ってから欠かさず聴いています。
  私は48歳ですが、35年以上ビートルズファンをやっています。
  きっかけは「イエスタデイ」でした。
  中学の頃NHKで、主人公が独裁者の牛耳る国へタイムスリップ。SF小説が放映されていました。
  この国では、クラシック音楽以外聴くことができない。聴くと罰せられる。
  主人公の少年を匿(かくま)った家で、家の主人が隠し持っていたレコードをこっそり聴く場面がありました。
  この時、息を殺して命がけで聴いた曲が「イエスタデイ」でした。
  このときの感動が今でも忘れられません。
  ということでリクエストはイエスタデイと言いたいところですが、先日かかったので。(小林)wきょうもかかったw
  二番目に印象深い「アイソーハースタンディングゼア」お願いします。
  初めて買ったLPが「プリーズプリーズミー」、当時LPは2200円、小遣いは2000円だったので前借りして買いました。
  EP盤用の卓上ステレオに無理やりセット。いきなりポールのカウントに身震いしたのを覚えています。
  身震い、というものを初めて体験した瞬間でした。
  (小林)
  いやあ、いい話しですね。あなたのリクエスト。
  〜 The Beatles / I Saw Her Standing There
  ttp://www.youtube.com/watch?v=AEfyeAS5aVA

197 :
  〜 The Beatles / All my Loving
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kg1YAKcIlyc&feature=related
  (小林)
  いやあ、いさぎ良い曲ですよねえ。
  (木更津市/男性)
  ビートルズといえば、イントロ無しでいきなり歌うことから始める先駆者として知られていると思いますが。
  私がビートルズの中で、イントロが無く歌詞から入る曲で最も気に入っているのがこの「オール・マイ・ラヴィング」
  この曲が収録されている「ウィズ・ザ・ビートルズ」の中でも一番よく聴いています。
  僅か2分7秒の中に含まれる軽快な曲調、演奏の間に無音の箇所があり、ビートルズの演奏に対する工夫が見て取れます。
  聴いていて なぜかワクワクしてくる不思議な曲です。
  (小林)
  ありがとうございます。

198 :
  (東京都江東区/女性)
  小学6年生の頃からこの番組を聴いていて、                                (小林)あははwすごいなw
  何度もリクエストを読んでいただいているんですが。
  ただ、まだ一度もビートルズの曲をリクエストしたことがありません。                 (小林)へそ曲がりかな?。
  なので今回もビートルズのジョージ・ハリスンの名曲サムシングをエルビス・プレスリーのカバーでお願いします。 (小林)いやあ、へそ曲がりだねえw
  独創的でメロディアスな音楽を生み出すビートルズと、圧倒的な歌唱力のエルビス・プレスリー。
  この二つの異なる音楽性が一つになったのが、この曲ではないかと思っています。
  (小林)
  じゃあ、有名なハワイからの衛星生放送のライブで、これはレコードにもなっているわけですが、
  エルビス・プレスリーでジョージ・ハリスンのこの曲。
  〜 Elvis Presley / Something (Hawaii1973)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=iz-_S-v2p6s

199 :
  〜 The Beatles / Honey Pie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=_cNixglFTTk
  (小林)
  いやあ、ポール・マッカートニーの独特の世界ですね。Honey Pie ビートルズ。
  その前はプレスリーが歌うビートルズ。
  (住所不明/男性)ジョン・ポール・マキ
  私はいわゆる放送注意語「ビートルズ・ピー」です。何百万円もお金をかけています。
  最もビートルズ・ピーはどこにでもいます。            (小林)「ピー」は消している音です。
  ビートルズは別格です。他のバンドとまるっきり違う。
  人を惹きつけるカリスマ性、曲の多様性、ハードロックから子守唄まで何でもある、楽器のいろいろ。
  言語もフランス語ドイツ語、音楽の原点、哀愁感のある歌い方。
  飽きない、だからファン層が老若男女、労働者からインテリ層、幅が広い。
  ただのロックばかりじゃない、全員が作詞作曲して歌えるし。
  ボンジョビが「ビートルズは今でも世界一のバンドだ」って言っています。納得します。
  ホームセンター、ラーメン屋でも一日中かかっています。
  彼らの幅広い音楽性を象徴する曲・・・    
  (小林)
  もう、べた褒めですけども。
  あなたのリクエストに応えました。

200 :
  BGM=Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたか?
  もう一度、公開録音パーティのお知らせをします。
  ゲスト:ジャズボーカリスト=Chika、平原綾香
  イシイ食品の誇る豪華なご馳走とワインをいっぱいご用意。飲んで食べて大騒ぎ。
  このパーティに抽選で75組150人の方を招待いたします。 
  10月24日(水)夜7:00から、舞浜のクラブ・イクスペアリ(Club IKSPIARI)で開催。
  詳しくはBAYFMのHPでチェックしてください。
  http://www.bayfm.co.jp/
  締め切りは10月14日(日)です。
  (略)
  リクエストの方も忘れないようにお願いします。
  メールが圧倒的に多いんですが、メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  お相手は小林克也でした。

201 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年10月7日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 10月7日)
 ・1964年(今から48年前の今日)
  この年に世界的に売れたビートルズ。
  48年前の今日 何をやってるかと言うと、ビートルズの4人とマネージャーのブライアンと、  
  それから映画のプロデューサー=ウォルター・シェンソン(Walter Shenson)が、次の映画のことで打ち合わせをしています。
  この時点でビートルズの「A Hard Day's Night」がイギリスのアルバムチャートのトップを独走していて。
  これは最終的に、一年の半分まで行かないけど21週間連続1位の記録を作るわけですね。
  映画出演の方は、ビートルズのマネージャーのブライアンの作戦、マルチメディア戦略、
  つまり、レコード、ラジオ、コンサートツアー、映画、そしてテレビを網羅すると、もう世界中のファンを獲得できるっていうことで、映画を大切に考えていた。 
  で、映画はアメリカのユナイテッドアーティストという映画会社と契約をしているわけですよね。
  このユナイテッドアーティストはビートルズのサントラ盤も出すことが出来るわけなんですよ。
  一作目の「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)」っていうのは監督のリチャード・レスター(Richard Lester)がやって、
  制作プロデューサー=ウォルター・シェンソンで、共にアメリカ人で大成功。
  リチャード・レスターは当時のイギリスの若者文化を描いた「ザ・ナック(The Knack)」という作品で世界的に評価されてカンヌで賞を取ったりして。
  プロデューサーのシェンソンはあまり有名ではありませんけれども、
  まあ、いちばん話がわかるのがプロデューサーですから。
  「次の作品はどうしようか?」っていうことで、メンバーを全員(集めて)それぞれ意見を言ったりする。
  面白いのは、映画の世界の連中はね、娯楽ではエンターテイメントでは「映画が一番だ」って考えているんですよね。
  「レコードは二番か三番」みたいに考えています。
  ところがビートルズの偉いのは、「自分たちの作る音楽が一番、映画なんて二の次だ」っていうように思っているところが、またビートルズの考え方の新しさなんですよね。

202 :
  さあ、その次の作品は「Eight Arms To Hold You」「あなたを抱く8本の腕」 これは意味はわかりますよね。4人だから8本ね。
  こういうちょっと面白いタイトルで制作されていましたが、曲の構成が変わって、強烈な曲ができて、タイトルはこのタイトルになりました。
  〜 The Beatles / Help! 
  http://www.youtube.com/watch?v=_nPoMzUM_uI 
  (小林)いや、久しぶりにこのHelpを聴きましたけど、強烈な曲ですよねえ。ええ。
  ジョン・レノンの閃(ひらめ)きですよね。
  だから次の映画のタイトルは「Help!」になっちゃったわけですね。

203 :
□デッカオーディション
 ・「あーあ、やっぱりビートルズは不合格になっちゃったのか。
  たしかに、オーディションを通過したブライアンプール&トレメローズ(Brian Poole & The Tremeloes)の演奏は卒が無かったな。
  それにロンドンのバンドだからレコーディングもプロモーションもやりやすいなあ。
  しかし、それにしてもうちのボスは我が国のロックの事情に疎すぎるんじゃないかな?。
  リバプールでのあのビートルズの人気、すごかったのに。」
  こう呟くのは、1962年の元旦、ビートルズの初めてのオーディションを担当したデッカレコードの若き制作マン=マイク・スミス。
  彼はオーディションの数週間前、ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインの招待でリバプールを訪れていた。
  もちろん、リバプールに行くのも、ビートルズを体験するのも、すべて初めて。
  ブライアンから最高のもてなしを受けたこともあり、リバプールの印象は一気に良いものとなった。
  そして、ディナーの後に連れて行かれたクラブ・キャバーン、
  もちろん当時のビートルズの本拠地にして、マージービートロックのメッカでもあった。
  キャバーンでの体験をスミスはこう語っている。
  「いや、やっぱりリバプールはロンドンとは違っていたね。
  店の客も若かったし、雇われてる用心棒も、いかにもって感じで強そうなんだ。
  ビートルズの前に出たいくつかのバンドもかなりのレベルだったし、店の専属DJのボブ・ウーラーのしゃべりも楽しくて、
  その上、かかる曲みんなイカしてるんだ。
  ロンドンの流りはジャズとブルースだったけど、ここではもっと多彩で強いビートを持つR&Bに人気が集まっていたみたいだね。
  リバプールはやっぱり港町だよ。ロンドンよりもアメリカに近いってことが肌で感じられたんだ。
  それにしても、あの夜の最後に登場したビートルズ、曲選びもセンスも良かったし、ボーカルも力強かったね。
  レコードデビューこそしていなかったけど、連中はもう"プロのバンドマン”って感じだった。
  特にジョンとポール、あの二人はもう最強タッグ、向かうところ敵無しだったよねえ。」

204 :
  〜 The Beatles / She loves you (Royal Variety Performance)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=M6F9CHh_mNo
  
  〜 The Beatles / It Won't Be Long
  http://www.youtube.com/watch?v=uUmXXFbhokc
 
  (小林)2曲、ビートルズの初期の音が流れました。
  It Won't Be Long これは、1963年「With the Beatles」のアルバムに入っています。
  そしてその前は、She loves you、ライブでしたが、あの拍手が気にならなかったですか?
  拍手が行儀の良い拍手でしたね。キャーっていう音は無くてね。
  これは行儀の良いのは当たり前です。
  1963年、ほらジョン・レノンが「貴族やお金持ちの方々、宝石をジャラジャラ鳴らしてください。」っていう有名な発言ですが、
  あのコンサートでの、イギリス王室のためのコンサートでの She loves you 。
  2曲お送りしました。

205 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「それにしても、あの夜の最後に登場したビートルズ、曲選びもセンスも良かったし、ボーカルも力強かった。
  レコードデビューこそしていなかったけど、連中はもう"プロのバンドマン”って感じだった。
  特にジョンとポール、あの二人はもう最強タッグ、向かうところ敵無しだったよね。」
  こう証言するのは、ビートルズのあの有名なデッカオーディショを担当したマイク・スミス。
  オーディションの前にはリバプールを訪れ、キャバーンクラブでビートルズ体験の洗礼を受けた、まさにニュージェネレイションであった。
  彼は「ライブでの最高な状態のビートルズ」を体験していただけに、年明けのデッカオーディションでの4人の不甲斐なさを心から悔しがった。
  「こんな古臭いバンドなんか契約できるわけは無いだろう」とテープを聴くやいなや全否定で責めてくる上司ディック・ロウに対し
  「いや、ボス、ボス、ちょっと待ってくださいよ。ビートルズはあんなものじゃないです。
  僕が思うに、今回のオーディションは単なる選曲のミスだと思うんです。
  リバプールでのパフォーマンスは、ほんとにすごくてロックでブルージーで、ものすごいパワーとカリスマがあって、
  とにかく、あんなものじゃないです。
  もちろん今回の演奏では、トレメローズの方が演奏もボーカルも上手いし、ロンドンのバンドだっていうメリットもあります。
  それは認めます。でも僕は、本当に見たんです。あのものすごいパフォーマンスを。
  彼らのステージを見て思いました。
  イギリスのユナイテッドキングダムのロックの歴史は“ビートルズから始まる”んじゃないかってことを。
  いやすでに、もう始まっているのかもしれません。
  トレメローズはもちろん素晴らしいです。
  でも、ビートルズとも契約するっていうことは…、そうはいかないでしょうか?ボス、お願いします。」

206 :
  〜 The Beatles / All My Loving(Ed Sullivan Show)
  http://www.youtube.com/watch?v=_5ejt-TTExA
  〜 The Beatles / Ticket to Ride
  ttp://www.youtube.com/watch?v=36pi9YTOvPo
  (小林)ビートルズが2曲続きました。
   All My Loving その前に、これはもう聴いたら判ると思いますが、キャ〜っていうすごい、あれはアメリカの女の子たちの喚声。
  そしてあの司会者の声がありましたね「レディスアンドジェントルメン!ザ・ビートルズ!」って言うのは、有名なエド・サリバン。
  エド・サリバンは、「エドサリバンショー」っていうのがありますけど
  あの人はアナウンサーだとかそういうエンターテイナーじゃなくて、元々新聞記者で、プロデューサーとしてテレビに出てたわけですね。
  だから話術とか面白さじゃなくて、自分が「世界から面白いものを集めて紹介するんだ」っていうショーだったわけですよね。
  エド・サリバンの声がチラッと聞こえました。
  Ticket to Ride、これは1965年。
  今日冒頭でお話しました2作目の映画「Help!」の中で、オーストリアアルプスでスキーをするシーンで流れていた曲であります。

207 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「僕はほんとうに見たんです。あの、ものすごいパフォーマンスを。
  彼らのステージを見て思いました。
  イギリスのユナイテッドキングダムのロックの歴史は“ビートルズから始まる”んじゃないか、ってことを。
  いやすでに、もう始まっているのかもしれません。
  トレメローズはもちろん素晴らしいです。でも、ビートルズとも契約するってことには、行かないでしょうか?
  ボス、お願いしますよ。」
  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当した若きクリエーター=マイク・スミスが
  上司でチーフプロデューサー=ディック・ロウに執拗に食い下がっているシーンである。
  ふだんは大人しく上司の命令に従っている忠実な青年マイク・スミスが、
  ここまで食い下がっている理由とそのパワーはいったいどこにあるのか。
  それはやはり、リバプールのクラブキャバーンで見たビートルズの圧倒的なパフォーマンス。
  そしてそれを中心として盛り上がっているマージーサイドのロック事情。
  ロンドンの大きなレコード会社で安定したサラリーをもらい、デスクとスタジオだけで仕事をしてきたチーフプロデューサーには理解できないエネルギーだったに違いない。
  しかし、スミスはそれを目撃し体験しロンドンに持ち帰った。
  しかし、持ち帰っただけで、そのエネルギーを自分の仕事に還元し、作品として世の中に発表するまでには至っていない。
  そのジレンマにも苦しんだ。
   
  ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインに向かって、ディック・ロウが
  「エプスタインさん、ビートルズのサウンズはもう古い。ギターバンドの時代はもう終わるんです。」
  と断言した予測も、スミスにはどうしても賛成できなかった。
  そして自分なりに、もう一度その未来を予測してみた。
  「もしビートルズがあのライブパフォーマンスの通りにレコーディングし、シングルやアルバムを発表したら。
  そりゃあもう、間違いなくロックの歴史を塗り変えてしまうだろう。」
  マイク・スミスのこの予測は、2年後には証明されるのである。

208 :
公開録音に10代の人って来てる?
やっぱおっさんばっかりなの?

209 :
  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand (Anthology 1)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=-dVaGL-E9ts
  〜 The Beatles / I Should Have Known Better(Movie)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lhPvtDDxEV0&feature=related
 
  (小林)いやあ、有名な曲が2曲つながりましたねえ。
  ライブで、これはATVスタジオでのスタジオライブです。「Anthology 1」に入っていました。
  ビートルズの I Want To Hold Your Hand。
 
  そして I Should Have Known Better。これは「A Hard Day's Night」の中に入っています。
  というか、映画ではジョージ・ハリスンがパティ・ボイドと出会うシーンですね。
  ここで流れておりました。
  甘いねェw。

210 :
□リクエスト
  公開録音のお知らせ(10月14日締め切りのため省略) 
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントするという。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (横浜市鶴見区/男性)
  最近のビートルズのデビュー前の話は、とても新鮮でワクワクしています。
  僕とビートルズの思い出は、父親から赤盤を誕生日にプレゼントされたことが、ビートルズを初めて知った時でした。
  そこからあっという間に虜(とりこ)になってしまった僕は、毎月の小遣いの許す限りCDを買い漁っていました。
  それから時間が経つと共に様々なジャンルの音楽も聴くようになり、21になった今も父親とビートルズやストーンズの話しもしています。
                                 (小林)ビートルズから、文字通り始まったわけですね。
  僕が洋楽を聴くきっかけとなったビートルズは今でも大好きです。リクエストは・・・
                                 (小林)ほらwアルバムの指定から来た、これw。
  リクエストはアルバム「Rubber Soul」から Wait をお願いします。
  
  〜 The Beatles / Wait
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Fj-digT2uNY

  〜 The Beatles / The Inner Light
  http://www.youtube.com/watch?v=DORTbu44PNY
  (小林)いやあw いい世界ですね。
  これは「Lady Madonna」の当時はB面だった曲です。 
  (国分寺市/男性)
  この番組があると知らず、行きつけの床屋で「She is Leaving Home」がかかり驚きました。
  自分は1967年8月26日生まれのサマーオブラブに生まれたフラワーチルドレンで、今でも合言葉は「ラブアンドピース」です。
                                                (小林)いいねえw
  さて、私はビートルズの中で遅咲きなジョージ・ハリスンが好きなので、彼の初めてのシングルとなった The Inner Lightをリクエストします。
  どうぞカツヤ・コバヤシ残暑に負けずナンバーワンなウルフボイスでシャウトしてください。
  (小林)はいww ありがとうw

211 :
  (千葉県市原市/女性)
  21歳の教員を目指す女子大生です。
  教育実習が辛く、先生に怒られて毎日泣いていた時期によくビートルズの曲を聴いて「子供が好きだ」という自分の教師観の原点に戻り、
  実習中を無事に乗り切りました。
  ビートルズがたくさんかかるこのラジオが大好きです。
  素敵な先生になるために、これからもこのラジオを聴いて、辛いことも乗り切りたいです。
  (小林)
  やあ、せんせい(宣誓)みたいに聞こえますね。「せんせい」と言うのは「選手宣誓」みたいにね。w
  あなたのリクエストで、
  
  〜 The Beatles / I will be back
  ttp://www.youtube.com/watch?v=G9hO25z1Fu8

212 :
  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttp://www.youtube.com/watch?v=DVTh-zaGhNI
  (福岡市/男性)
  当方福岡市在住の49歳。この番組はインターネットで毎週楽しみに聴いています。
  約40年前になりますが、私には6歳上の兄がおりまして。当時中学生だったその兄がビートルズを聴き出しておりました。
  弟の私もそれに釣られてすっかりハマってしまい、毎日小学校から帰ってきて聴いたものです。
  ある日、早めに学校から帰宅して、一人でいつものようにビートルズを家の古めかしいステレオセットで聴いていましたら
  ドラムの音とギターの音が左右のスピーカーから別々に発することが気が付きまして、それはものすごい衝撃で、私は腰を抜かさんばかりに驚きました。
  今では幼稚園児でもそれくらいは知っているでしょうが、私はステレオの仕組みなど知らなかったんです。
  後ろから頭を「ガーン!」と殴られたほどのショックでした。
  小学校3年のころ、昭和47年、1972年の秋だったと記憶しています。
  とてもショックを受けた曲 Day Tripperをリクエスト。
  (小林)
  ただし、今日はですね、一番音が良いモノーラル盤で、新しいモノーラルの音で聴きました。
  当時は、擬似ステレオだったんですよね。
  ステレオっていうのがあるっていうんでね、擬似ステレオ、ほんとのステレオじゃなかったんだと思いますが。
  (福岡市/男性 続き)
  でも当時、家のステレオは観音扉が付いており、超が付く高級品でした。
  私たちの父親は家のステレオで息子たちがロックを聴くのを快く思っておらず、すぐに止めに来たことを懐かしく思い出します。
  (小林)
  www いい話を、どうもありがとうございます。

213 :
  (成田市/女性)
  先日テレビ番組にザ・ビーチボーイズが出てきました。かなり高齢なのに歌声は若々しくとっても素敵でした。
  ビートルズもみんな元気で解散しないで、こんな風に歳をとってもバンドを続けていたら素敵だったのになあ、って思ってしまいました。
  (小林)
  まあ、事情が違いますからね。
  ビートルズには二人天才がおりました。
  ビーチボーイズには天才は一人だけ。
  そのためビーチボーイズはね、営業担当と制作担当に分かれました。
  天才が一人、制作担当をしていました。
  他のメンバーはみんな営業に向かいました。
  だから、いまだに、もう70以上になるんですけど、いまだに営業をやっているんですよ。
  すごいですよ、だから声が若々しいの当たり前ですよね。
  まあそんな話しは、とりあえず。
  あなたのリクエストで、例の定番です。
  〜 The Beach Boys / Surfin' USA
  ttp://www.youtube.com/watch?v=gbRKfieMsdQ

214 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)公開録音のお知らせ(略)
  
  リクエストもハガキ・FAX・メールで
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  こちらで待ってます。

215 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年10月14日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 10月14日)
 ・1966年(今から46年前の今日)
  発表がありました。それは、ノーザンソングス(Northern Songs)という出版社。
  これはポール・マッカートニーとジョン・レノンが、各作品を管理する出版社です。音楽出版社。
  利益が61万4000ポンドあった、ということが46年前の今日発表されています。
  これは、数字を言うとちょっと「えー?その数字はわかんないよ」っていう人がいます。
  今の日本円に翻訳するとですね、数十億円は軽く行ってるね。
  ジョンとポールの曲がだよ。ビートルズの曲がだよ。すごいでしょう。
  ノーザンソングスという会社はですね、ビートルズの版権の9割を所有していた。
  ブライアン・エプスタインとディック・ジェイムスというビートルズに縁(ゆかり)のある人間が立ち上げた会社なんだけども、
  資本的にはブライアンなんかはユダヤ系ですけども,、ユダヤ系の人が最初の1年とか2年は相当儲けたという話しを聞いていますよね。
  ジョンとポールの取り分が少なかったんですが、それが改正されて、ジョンとポールはこの会社の株主。
  で、ジョージは というとですね。
  才能のあるジョージは、この会社の「契約ソングライター」という扱いに過ぎなかった。面白いですよね。
  だからジョージ・ハリスンはこの会社を皮肉って「オンリーアノーザンソング(Only A Northern Song)」ていう曲を書いています。
  これはアニメ作品のサントラ的なアルバム「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」の中に入っているわけですが。
  1969年のアルバムに入っているんですが。
  その歌詞の内容は「どんなにがんばっても曲を書いても、どんなコードを弾いても、結局はノーザンソングなんだ。結局オレの歌じゃないんだ。」
  っていうようなことをやっています。

216 :
  ジョージ・ハリスンはご存知の通り、こういうふうな事を時々書く人で、
  「タックスマン(Taxman)」「いくら稼いだって、9割は持ってかれるんだ」っていうようなね、ことを書いたのはジョージ・ハリスンですからね。
  「いくら俺ががんばってもなあ、ジョンとポールに持ってかれるんだよなあ。」みたいなw。 
  だからジョージ・ハリスンは、力を得たときに「ハリソングス(Harrisongs Ltd.)」、ハリソンとソングを掛けて「ハリソングス」という出版社を、
  自分の出版社を立ち上げます。 
  ソロになると「ダークホース(Dark Horse)」っていう自分のレーベルをスタートするのもお馴染みですが。
  じゃあその、批判めいた歌、改め、批判めいてる歌だって聞くと、またちょっとニュアンスが違う風に聴こえるんで、面白いですよ。
  いいですか、Only A Northern Song。
  〜 The Beatles / Only A Northern Song 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xzh5uWgOmDU 
  (小林)
  ジョージ・ハリスンが書いた曲。ビートルズ、Only A Northern Song。
  後半はけっこうハードになってくるよね、これは。やっぱり後半はすごいよね、この曲はね。
  キツイことを言ってるわけですね。歌ってるわけですね。

217 :
□デッカオーディション
 ・「エプスタインさん、はっきり申し上げます。
  審査の結果、我々デッカレコードは、あなたがマネジメントしているビートルズと契約することは出来ない、という結論に達しました。
  それで、不躾(ぶしつけ)ながら私からの助言を言わせてください。
  我々音楽業界人の長年の経験から推測するに、もうロックの時代は終わります。
  事実、アメリカでは1959年を境にロックンロールは急激に下火になっています。
  特にビートルズのようなギターバンドは、今年中にも姿を消してしまうでしょう。
  そしてエプスタインさん、あなたはNEMS、つまり North End Music Storesという立派なレコードショップチェーンを経営しておられる。
  若くしてその事業を成功させ、イギリスでも有数の企業に成長させた、と聞いております。
  素晴らしいことです。
  余計なお世話かもしれませんが、エプスタインさん、あなたはNEMSの経営者、それで充分じゃないですか?
  ビートルズなどという将来性の無いバンドに関わらずに、今まで通りレコード店のビジネスに全力を尽くすべきだと思いますよ。」
  これはビートルズを不合格にした、というロック史上最大の失敗をやらかした、デッカレコードのチーフプロデューサー=ディック・ロウ(Dick Lowe)の発言。
  時は1962年2月6日、場所はロンドンのデッカレコードの超豪華な応接室でのこと。
  「エプスタインさん」とは、もちろんビートルズのマネージャーとしてロックの歴史に重大な足跡を残した人物ブライアン・エプスタイン。
  ブライアンはこのロウの忠告を全く1%も信じていなかった。
  いつもは冷静なことで有名なブライアンも、この時ばかりは、あまりの怒りにその頬を紅潮させており、彼のはらわたは正に煮えくり返っていた。
  しかし彼は感情を抑え、心の中で激しく呟いていた。
  「くそう、この男。ビートルズのオーディションの時はクリスマス休暇で現場は下っ端に任せっきりだったじゃないか。
  いいよ、覚えてろ。レコード会社は貴様らデッカだけじゃないんだから。」

218 :
  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttp://www.youtube.com/watch?v=aBHShZx16P4
  
  〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamonds(Love)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9gW8_QBITLw 
  (小林)
   Lucy in the Sky with Diamonds、これは2006年のジョージ・マーティン親子がプロデュースした、あの有名な「LOVE」。
  なかなか良い出来です。
  Tomorrow Never Knowsていう ジョンのちょっと分けのわからないwやつをくっつけることによって、
  Lucy in the Sky with Diamonds がもっと分からないような世界になちゃってるよね。
  
  その前はお馴染みの Hey Bulldog。

219 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「エプスタインさん、あなたはイギリスでも有数のレコードショップNEMSの経営者。それで充分じゃないですか?
  ビートルズなどという将来性の無いバンドに関わらずに、レコード店の繁栄に全力を尽くすべきだと思いますよぉ。」
  「くそう、こいつら何様のつもりだ!。いったいどこの、誰の口がしゃべっているんだ。覚えておけよ!。
  レコード会社は貴様らデッカだけじゃないんだぞ!。」
  ロンドンにあるレコード会社デッカのチーフプロデューサー=ディック・ロウは、物腰こそ紳士的ではあったが、
  その発言は、完全に上から目線。失礼極まりないものであった。
  そして、その偉そうな発言は、これで終わりではなかった。
  ロウはさらにこう続けたのである。
  「エプスタインさん、おそらくあなたは、うちのデッカのオーディションでのビートルズの演奏を気に入っておられないんじゃあないですか?
  もしそうでしたら、的確なデモテープをレコーディングしてくれるうちのスタッフを紹介しましょう。
  以前シャドウズでドラムを叩いていたミュージシャン上がりのプロデューサーで、ト二ー・ミーハン(Tony Meehan)と言います。
  彼だったら、きちんと演奏や歌そしてもちろん選曲に関してのアドバイスもしてくれるし、費用だって100ポンドもあれば充分です。
  どうでしょうか?」
  
  ブライアンの怒りはもうすぐ頂点に達しそうになった。
  が、ほんの1%だけ残っていた理性というものがブライアンを抑制してくれた。
  「分かりました。確かに私たちはオーディションの何たるかが分かっていなかったのかもしれません。
  すぐにそのミーハン氏にお会いしたと思います。
  じゃあさっそく、明日参ります。何時がよろしいでしょうか?」
  これがブライアンに出来る、最大の大人としての受け答えであった。

220 :
  〜 The Coasters / Searchin'
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kZgdFeytJdw
  〜 Bobby Vee / Take Good Care Of My Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=awNqLO6auQA
  (小林)
  ビートルズはご存知の通り、デッカでね「ダメ」って言われるわけですけど。
  そのデッカで歌った曲、デッカオーディションの中に入っている2曲はカバーです。
  今聴いたのが Take Good Care Of My Baby これはアメリカで1位、イギリスでも3位の大ヒット。
  でも1961年、ビートルズがちょっと一年前ぐらいの新しいやつを取り上げたわけですよね。
  この頃はアメリカのロックがダメになっている時代、と言われた。
  だけど、キャロル・キング(Carole King)夫婦が曲を作っていました。Take Good Care Of My Baby。
  
  その前はコースターズ(The Coasters)という黒人のコーラスグループです。
  プレスリーなんかにも曲を提供してて、有名なレイバー・ストラー(Jerry Leiber and Mike Stoller )この二人がプロデュースしていました。
  ビートルズはこの渋い曲に目をつけていたんですね。Searchin'という曲。
  これはちなみに、アメリカでは3位、イギリスでは30位ぐらいのヒットでした。
  ビートルズが取り上げた2曲。

221 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「エプスタインさん、我々デッカレコードはビートルズとは契約できません。
  しかし、もっと体裁の良いデモテープを作る手助けはできます。いかがでしょう?エプスタインさん。
  いいチャンスだと思いますよ。」
  これはビートルズを不合格にした男であり、
  のちの「ロックの歴史上最も使えないプロデューサー」の汚名を着せられることになったデッカのプロデューサー=ディック・ロウの、
  1962年2月上旬の発言である。
  「エプスタインさん」とはもちろん、のちに「5人目のビートルズ」の異名をとるカリスママネージャー=ブライアン・エプスタイン。
  もっともこの時点では、まだビートルズはレコード会社とは契約すらしていない。
  ブライアンもカリスマどころか、ただのマネージャー一年生であった。
  とにかくブライアンはロウの提案どおり、彼に紹介されたト二ー・ミーハンというデッカのプロデューサーに会いに行った。
  
  ミーハンはそれ以前、シャドウズ(The Shadows)というバンドのドラマーとして活躍していた人物。
  シャドウズはハンク・マーヴィン(Hank Marvin)という素晴らしいギタリストを中心とする、歌の無い、いわゆるインストゥルメンタルの人気グループであった。
  しかし、英国ロックの歴史上は、そのキャリアよりも、あの国民的ロックスター=クリフ・リチャード(Cliff Richard)のバックバンドとしての方がずっと有名である。
  そのミーハンは自分のプロデュース能力を信じ、シャドウズのメンバーとしてのキャリアを捨て、デッカに入社していたのである。
  このミーハンに会うため、再びデッカのディック・ロウを訪ねたブライアンはミーハンを紹介され、近くのパブで話しを聴くことになった。
  
  するとミーハンは開口一番
  「エプスタインさん。ロウも私もすごく忙しいんです。大まかな話は伺ってます。
  体裁の良いデモテープが欲しいんですよね?。私の秘書に連絡してスケジュールを決めてください。」
  ブライアンはこの事務的な仕事の進め方に、ついにブチ切れてしまった。
  このあとブライアンがデッカの門をくぐる事は、二度と無かったのである。

222 :
あれ?ブライアンはもっと粘着してディック・ロウにしつこくせまっていたのではなかったか。
>>94のあたりではそういう感じ

223 :
福岡の人がインターネットで聴いてるって投稿してるけど福岡なら聴けるのかな
うちはどうやっても無理みたいなんだけど

224 :
プロバイダによっては、Radikoの地域判定が東京になる場合がある
ってことでしょ

225 :
これかな
http://myct.jp/wiki/index.php?radiko%E3%82%92%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%A4%96%E3%81%8B%E3%82%89%E8%81%B4%E3%81%8F%E6%96%B9%E6%B3%95

226 :
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttp://www.youtube.com/watch?v=NRQvxf6fNIE
 
  (小林)
  もちろんオリジナルじゃなくて、ラリー・ウィリアムス(Larry Williams)というシンガーのカバーです。
  面白い歌ですよこれは。
  アルバム的にはアメリカでのビートルズのコンピレーションの中に入っていましたね。1965年の。

227 :
□リクエスト
  公開録音のお知らせ(略)
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして差し上げています。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (千葉市美浜区/男性)
  ビートルズ大好きのファンの皆様のメールを、素晴らしいMCを聴いて、毎週新しい発見です。
  こんな聴き方もあるんだと聴き直してしまいます。
  50年経っても新鮮さを感じさせるビートルズはすごいです。
  こないだ久しぶりに「PAST MASTERS」のB面…      (小林)あ、LPのね。
  聴きました。
  1曲目が「Long Tall Sally 」で最後が「I'm Down」です。
  そういえば東京公演も最後が「I'm Down」でした。
  きょうはポールの のたうち回るようなシャウトをお願いします。
  (小林)
  というわけであなたのリクエストで、
  〜 The Beatles / I'm Down
  http://www.youtube.com/watch?v=X3rTprsWCp8
  〜 Frank Sinatra / My Way
  ttp://www.youtube.com/watch?v=6E2hYDIFDIU
  (小林)
  いやあ、フランク・シナトラの「マイウェイ(My Way)」が、かかっちゃいましたよ。
  (三郷市/男性)
  やっぱりエルビスの「Something」は残念なことになってましたねえ。 
  (小林)
  この番組でリクエストに応えて、プレスリーの「Something」やったんだけど。まあ、ちょっと…。
  だからこのシナトラ聴いて分かったと思いますけど、
  ジャンルはどこでもいいんですけど、歌とか音楽に魂が入っているかどうか、っていうことだよね。w
  ということであなたのリクエスト。

228 :
  (新座市/男性)
  いつも録音して聴いています。
  ビートルズの話はいろいろあって本当に面白いですね。
  ところでビートルズにはいい曲がたくさんあるけど、人それぞれ嫌いな曲もあるんじゃないでしょうか?
  僕が嫌いな曲は「バンガロービル」です。
  イントロのフラメンコ調のギターはいいんだけど、途中から出てくるあの女の声がどうも気持ち悪い。
  うちの上さんも“よう子”だからあんまり文句言いたくないんだけど。
  それとバンガロービルって誰ですか?キャンプ場の管理人?
  克也さん嫌いな曲ってありますか? 
  あえて嫌いな曲「Bungalow Bill」をお願いします。
  (小林)
  嫌いな曲をリクエストするっていうのが、ちょっとビートルズ的じゃないですか。まあ、人はね。
  僕なんかは番組やってると、いつもポピュラーなやつは今は聴きたくないなあ、と思うけど。
  こういうやつっていつも聴かないから、かえって聴きたいと思うんで、リクエストかけましょう。
  応えましょう。
   
  〜 The Beatles / The Continuing Story of Bungalow Bill
  ttp://www.youtube.com/watch?v=O0rzbB9hhcY
  (小林)えへへ、バンガロービルのね話、どうですか。
  これ、嫌いな人がいるんですかねえ。
  ジョン・レノンたちのことがよーく分かる。
  ジョン・レノンは本を出したりリトグラフを描いたりして、芸術活動の一部としてやってるんだと思いますけど。
  こういうユーモアの精神があるから、彼のすごい切り込んでくるロックが生きているっていうふうに聞いて。
  あなた、ちょと考え方を変えた方がいいんじゃないか、と思いましたね。

229 :
  (小林)
  住所名前が無いんですけど、
  (住所不明/男性)
  ボーカルにデイビッド・リー・ロス(David Lee Roth)が戻ってきたヴァン・ヘイレン(Van Halen)の久々の来日公演を楽しみにしていましたが、
  エディ(Edward Van Halen)の緊急手術のため延期となりとても残念です。
  高校の頃デビュー時からリアルタイムで聴いていた私にとって、エディ・ヴァン・ヘイレンは永遠に色褪せることの無いギターヒーローの一人。
  あの切れ味鋭いギタープレイがまた聴けることを信じて、一日も早い回復を祈っています。
  (小林)
  最近のライブだとアレだって?
  テープで、ほらこれキーボードで、テープでキーボードが来るんだって?w。
  それで、あとでギターが来たらw、もうすっごいことになるんだってw。
  残念だねえ、延期になっちゃってね。
  さあ Jump です。
  〜 Van Halen / Jump
  ttp://www.youtube.com/watch?v=OgtGrs-9LTI

230 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)きょうはいかがでしたか?
  いやもう、ビートルズがデッカレコードに振られるシーンていうのは、
  もう、いい奴と悪い奴が出てくる勧善懲悪の話しの、主人公がいじめられるシーンだよねw。
  そんなふうになっちゃったw。
  最後にw、もう、正義がビートルズに下るわけですからねえ。w
  というわけで
  (公開録音のお知らせ=略)

231 :
10年前、00年ごろの放送を聴きたいのですが、当時エアチェックをされていた方いらっしゃいますか?

232 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年10月21日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 10月21日)
 ・1963年(今から49年前の今日)
  これは運命の日ですよね。
  ビートルズの、あるいはロックの未来・運命を変えた曲。
  I Want To Hold Your Hand。
  これが完成した日。これが終わった日です。
  どんなことをやったのかというと、もう録音してあるわけですね。
  で、スタジオ1。スタジオ2はいつも録音なんかのために使いますが、
  スタジオ1で作業が行なわれて、午前中は I Want To Hold Your Hand、あれのモノミックスをやりました。
  テイク17が採用された、と。まあこれは、マニアのためねw。
  それから、This Boy これはB面です。This Boy これのリミックスを、トラックダウンとでも言いますか。
  それを2つやっています。
  使われたのはテイク15。テイク15が使われました。
  そしてThis Boy の編集もやっています。
  切って貼ったりしたわけですね。
  プロデューサーはジョージ・マーティン。エンジニアはノーマン・スミスです。
  この日が I Want To Hold Your Hand と This Boy。この日をもって終わり、とあります。
  デビュー曲はビートルズは Love Me Do、それから Please please Me これはイギリスでの話しね。
  Please please Me からイギリスではもう1位の連続です。大変なことになる。
  しかし、こんなおいしいビートルズのヒットをアメリカのレコード会社キャピトル(Capitol)は「なんだ、こんなのは?」って言う。
  まだまだ、まだまだ、生意気な態度を取っていたわけですよね。
  しょうがなくて、マイナーレーベルの「Swan」とか「Vee-Jay」で Please please Meとかね、出すわけですけども、アメリカではヒットしない。
  しかし、この I Want To Hold Your Hand からキャピトルが重い腰を上げて、12月に発売して。
  年が明けた1964年1月に全米ナンバーワンになった、というわけです。
  49年前の今日、それが全てが終了した日なんですね。

233 :
  今日はB面を聴こうと思うんですが。
  ビートルズは絶対にA面もB面も自分たちのオリジナルで勝負するっていうポリシーがありました。
  きょうはそのミックスをやったって言いましたよね。
  ノーマン・スミスが編集の達人と呼ばれるわけですが、This Boyに至っては「あ、ここが編集点じゃないかな?」って推測することができます。
  聴きながら、「ここが編集したんじゃないかな?」っていうふうなのを、皆さん自分の耳で確かめて下さい。
  後に「リンゴのテーマ」と呼ばれる曲です。 This Boy。
  〜 The Beatles / This Boy
  ttp://www.dailymotion.com/video/x8nmg8_the-beatles-this-boy_music
  (小林)
  いかがですか?ビートルズの This Boy、B面です。
  2番の後半の ♪This Boy〜 って歌い始める時に、表情がちょこっと、ちょこっと違うっていうのが、あれは明らかだと思う。
  他にあるのかどうかはわかりませんけど。
  あれは、確かな編集ポイント…でしょう!。

234 :
□デッカオーディション
 ・「初めまして、エプスタインさん。デッカの制作プロデューサー、トニー・ミーハン(Tony Meehan)です。
  申し訳ありませんが、ロウも私もすごく忙しいんです。大まかな話しは伺っています。
  体裁の良いデモテープを作って欲しい、ということでいいですよね?。
  私の秘書に連絡をしてスケジュールを決めて下さい。」
  言葉の主は、元人気グループ「シャドウス(The Shadows)」のドラマーにして、現在はデッカの社員であるトニー・ミーハン。
  彼が「ロウ」と呼んでいるのは「ビートルズを逃した男」として、その汚名をロック史上未来永劫に残すことになる、デッカレコードのディック・ロウ(Dick Lowe)。
  このロウがビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインに対し、
  オーディションで不合格にした手土産にと、「改めてデモテープを録音したらどうか?」と持ちかけたのである。
  いつも沈着冷静なブライアンも、一連のデッカレコードの無礼な態度にそろそろ切れかかってはいたが、そこはグッとこらえてプロの意見に従った。
  確かにオーディションの際に録音した演奏は、お世辞にも良いものとは言えない。
  しかし、ブライアンの堪忍袋の緒も、もはやここまでであった。
  ロンドンまで呼び出しておいて「私共は すごく忙しいんです。」とは、いったいどういうことだ。
  ブライアンは、この横柄で事務的な仕事の進め方に、ついにブチ切れてしまった。
  もちろん、ブチ切れた感情は彼の心の中に留まった。
  しかし、これでお仕舞い。このあとブライアンがデッカの門をくぐる事は二度と無かったのである。
  
  これ以降、地元リバプール近辺、そしてドイツのハンブルグでのライブで食いつなぐビートルズのスケジュール管理と平行して、
  ブライアンは何度もロンドンに出張して、いくつかのレコード会社の門を叩いては、ビートルズを売り込んだと言われている。
  そして、どうやらその際に携えていたのは、例の「デッカテープ」だったのである。

235 :
  〜 The Beatles / Money (Decca Audition)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3If5AWP5eL4
  
  〜 John Lennon / Be Bop A Lula
  ttp://www.youtube.com/watch?v=K7FSlekmNz8
 
  (小林)有名なカバーが2曲続きました。
  Be Bop A Lula これはジョン・レノンがカバーした、1956年、プレスリーが出てきたその真裏ぐらいにいた人です。
  プレスリーほどメジャーじゃないけども、イギリスなんかではプレスリーより人気があったジーン・ビンセント(Gene Vincent)の一発大ヒットの。
  これはジョン・レノンの「ロックンロール」の中に入っている、1975年のアルバムの中に入っていますが。
  
  そして、ビートルズはモータウン(Motown)をけっこうカバーしていますよね。
  その一つ Money。

236 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「すいません、昨日お電話さし上げました、NEMSのエプスタインです。ビートルズのテープをお持ちしたんですが・・・。」
  デッカのオーディションを落とされて以来、
  マネージャーのブライアン・エプスタインは、ロンドンにあるメジャーなレコード会社の門を順に叩いて回った。
  レコード会社と言っても、ここはイギリス、アメリカのようなエンターテイメント大国とは違って規模も会社の数も少ない。
  なんせ人口が少ない。
  それに「リバプールのバンドなんですが。」と切り出しただけで、そのレコード会社のオフィス全体の空気が変わる。
  事務仕事をしていたスタッフ全員の手が止まり、一瞬 部屋の温度が下がるのがわかる。
  最初はこれが何を表しているのか、ブライアンにはよく分からなかった。
  しかし、この2ヶ月ほど前。
  デッカの若き制作マン=マイク・スミスがビートルズの演奏力をその人気ぶりを確認しようと、リバプールまでやってきた時の発言を思い出した。
  スミスはこう語っていた。  
  「エプスタインさん、ここだけの話ですが、うちのデッカレコードのプロデューサー連中の感覚はもう古すぎるんです。
  もちろん、僕のボスのディック・ロウだって同じ。
  それに、感覚が古いどころか、ビジネス的にも臆病すぎる。
  どんなアーティストを育てたいとか、『こんなシンガーを売り出したらイギリス中の若者がびっくりするぞ』とか
  そんな考えを持っている社員は一人もいません。
  ただみんな『このアーティストなら契約しても、大きな失敗は無いだろう』といった具合で、ただただ守りに入っているだけです。
  それに音楽業界は全てロンドンのもので、まさかリバプールから新人バンドが出て来て、それが売れるなんて誰一人予測すらしていないんです。
  僕はビートルズが本当に素晴らしいということが、充分に分かりました。
  エプスタインさん、20代の僕らの感覚で革命を起こしましょう。」

237 :
  〜 The Beatles / Any Time At All
  ttp://www.dailymotion.com/video/x3zfi2_the-beatles-any-time-at-all_music?search_algo=2
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F3RYvO2X0Oo
  (小林)2曲有名な曲が続いています。
  While My Guitar Gently Weeps「 ビートルズ(THE BEATLES)」のアルバムに入っています。68年。
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)が大活躍、クレジットは無いけどねw。
  
  そしてその前は Any Time At All 「A Hard Day's Night」のアルバムからお送りしました。

238 :
□デッカオーディション(続き)
 ・「音楽業界の人間は、その全てがロンドンのもので、まさかリバプールから新人バンドが出て来てそれが売れるだなんて、誰一人予想していないんです。
  僕は今回ビートルズが本当に素晴らしいということが充分に分かりました。
  エプスタインさん、20代の僕らの感覚でロックの世界に革命を起こしましょう。」
  これはビートルズのデッカでのオーディションを担当した若きクリエーター=マイク・スミスが、
  オーディションの2週間ほど前にリバプールを訪れ、ビートルズのライブパフォーマンスを見たあとでの発言。
  かなり興奮しているのがわかる。
  
  この確信を元に、スミスは上司にレポートを上げ、年明けすぐのオーディションをセッティングしたのである。
  しかし、オーディションの当日の演奏はボロボロ、いい所はほとんど無かった。
  それでもスミスは、まさかビートルズがこれで終わるわけがない、と上司であるプロデューサーのディック・ロウに勇気を振り絞って直談判した。
  「ボス、ビートルズはあんなもんじゃありません。
  きっとロンドンに来るだけでくたびれてしまって、本調子じゃなかったんだと思います。
  確かにボスが合格にしたブライアンプールとトレメローズは、演奏力があるしルックスも合格点です。
  ですが、ビートルズは、そしてリバプールは本当にすごいんです。
  ボス、なんとかならないでしょうか?」
  
  しかし、上司のロウはこの発言でスミスをねじ伏せた。
  「マイク、お前なあ、リバプールのバンドと契約するってことが、どういうことか分かってるか?
  レコーディング、プロモーション、ラジオ出演、そのたびに何百キロも向こうからロンドンまで来させるっていうのか?
  その費用はどうするんだ?
  この話しはもういい。少し頭を冷やせ。今日はもう帰っていい。」
  1962年、ビートルズがデビューするこの年、ロンドンから見たリバプールはイングランドの果て、ただの遠い北国だったのである。

239 :
  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lY5i4-rWh44

  〜 The Beatles / When I'm Sixty-Four
  ttp://www.youtube.com/watch?v=eCss0kZXeyE
 
  (小林)レノンらしい曲、マッカートニーらしい曲、典型的な2曲。

240 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (船橋市/男性)
  この番組を幼稚園の頃から聴き続けています。日曜日に家族で買い物に行く時カーラジオから必ずこの番組が流れていました。
  今から3年前ビートルズのリマスター盤が発売されると、僕は本格的にビートルズにはまりました。
  今ではリマスター版を含むCDを全て買い揃え、さらにはオークションで限定品の来日公演の写真集を買うほどの大ファンになりました。
  そこで、僕が一番最初に好きになった曲であり一番大好きなこの曲をリクエストします。  
  (小林)
  いいですねえ。小林お父さんとしてはですね、いい方向に君は来た。
  早くこの番組を卒業して、荒海へたくましく旅立って行って欲しいと、切に願いますね。
  もちろんw、この番組は聴き続けてくださいねw。
  あなたのリクエストは…。
  〜 The Beatles / Let It Be
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jejuho9aXDQ

  〜 The Beatles / I Want To Hold Your Hand
  http://www.youtube.com/watch?v=1boFmzL0AVo
  (小林)
  番組の頭でも言いましたけど、49年前の今日、この曲(I Want To Hold Your Hand)の全てが終了したっていうことですよね。
  (鎌ヶ谷市/男性)
  この時間は風呂に入りながら欠かさず聴いています。
  気が付けば、日曜の夕方はこの番組を中心に予定を組んでいるようなもんです。
  この曲は小生がビートルズを聴き始めるきっかけになった曲で、40年ほど前に夏祭りに向かうため友人宅に寄った際、
  「カッコいい曲があるからちょっと聴いてみてよ!」と言われ、当時流行の大型のステレオで聴かせてもらったところ、
  あまりの衝撃にぶっ飛んでしまい、それ以来、今日に至るまでビートルズにはまっている次第であります。
  何十年経っても色あせることの無いカッコいい曲。
  (小林)
  いいねえ、みんな 思い出話が。40年前か。

241 :
  (船橋市/男性)
  今、アメリカ出張中です。
  最近は何を話していらっしゃるか、ちょっと寂しいです。放送が聴けないので。
  帰ったら留守録してあるやつをまとめて聴きます。
  単身で終末が暇なので、先日ロスアンゼルスに行ってきました。
  暇に任せて、今までは寄り付きもしなかった「ウォークオブフェイム」なんて所にも行きました。
  ビートルズの4人のものもあって、ジョン、ジョージ、リンゴ、ポールの順で仲良く並んでおりました。
  ただですね、場所がはずれなんですよw。ヴァインストリートという場所で。
  マイケルのやつがチャイニーズシアターの前、あそこが中心とすれば、はずれもはずれです。
  終わりに近い寂しい場所なんですよ。
  ジョンの平和活動のせいかな?、とも勘ぐったりもしますが、
  ジェイムス・スチュアートやジェイムス・ディーンの近くなので正しくはないでしょう。
  なにはともあれ、名前だけでもこの四人が並んでいる風景はとても嬉しいものでした。
  名前だけ、なのにね。我ながらバカだと思います。
  リクエストは、これもまた四人の近くにあったw、ジュディ・ガーランド「オーバーザレインボウ」
  できれば、カーネギーホールのやつで。
  〜 Judy Garland / Over The Rainbow
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P7XBU5NBUXQ

242 :
  〜 The Beatles / Hey Jude
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jCyGM6tLePY
  (小林)
  リクエストは(古河市/男性)懐かしい名前ですね。
  あなたはここら辺が好きなんだよねw ♪DaDaDaDa Hey Jude Ju Jula Jula Jula Jula♪、さっきのところですね。
 (古河市/男性)
  先週の土曜日は妻とカラオケに行きビートルズばかり熱唱しました。
  私にとってビートルズはオンタイムではありませんが、中学時代に歌詞をほとんど覚え、いい英語の教材になりました。
  高校時代野球部で雨の日「おい、一年!余興せんかい。」と言われ、教室で「イエスタデイ」を歌ったのが懐かしいです。
  今日は妻が私のシャウトに苦笑いしてた「ヘイジュード」をお願いします。
  あそこがたまらんほど好きなんです。♪Ju Jula Jula Jula Jula〜ってところが。
  六本木の外人バーで、外人から拍手喝采されたのはもう23年前ですが。
  (小林)
  ここら辺でフェードアウトします。

243 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」きょうはいかがでしたでしょうか? 
  今日のお話しは、リバプールっていうのが、いかにロンドンでは僻地だというね、そういう感覚が伝われば、
  ということですよね。
  リバプールはロンドンなんかとノリが全く違ってた、ということなんですよね。  
  ロンドンなんかよりも、リズム&ブルースがすっごく盛んで、ロンドンはちょっとスカした音楽だった、ていう。
  その地域性とかそういうことが判っていただければ、と思います。
  
  リクエストの方も、今日の幼稚園の頃から聴いていたとかですね、いいお話をいっぱいありがとうございました。
  ああいう風な話しだとか、もうまるで関係ないような話しでもいいですよ。
  わがままにリクエストくださいね。
  イシイの(以下略)

244 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2012年10月28日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(10月28日)
 ・1961年(今から51年前の今日)
  もうずいぶん昔だね。
  それも正確に午後3時。レイモンド・ジョーンズという10代の男の子です。
  「ビートルズの“マイボニー”っていうレコードはありますか?」と言って、リバプールのブライアン・エプスタイン、
  後にマネージャーになるブライアン・エプスタインのやっているレコード屋さんに、尋ねて来ます。
  で、またしばらく経ったら、すぐ他の若者が「ビートルズのレコードありますか?」ていうことを尋ねてくる。
  それで、ブライアン・エプスタインがやっていたこのレコードショップはですね、モットーがあって、
  『どんなレコードでも、うちは取り寄せることが出来る』『取り寄せない商品は無い』というNEMSのモットーがあったので。
  ブライアンは調べるわけですよ、ビートルズを。
  ところがこれが、イギリスでは無い、イギリスでは出てない。
  ドイツのポリドールのロンドン支店から、結局25枚をその店に取り寄せます。
  25枚が最低の枚数だったんですよね。
  で、その日にそのレコード屋に女の子二人がやってきて、やはり「マイボニーはないか?」と尋ねた。
  いずれもビートルズの「マイボニー」。
  で、ブライアンは最終的には、このビートルズの「マイボニー」をこの店で1000枚完売します。
  1000枚売れたんですよ、大変な事ですよね。
  で、ブライアン・エプスタインは「このビートルズっていったい何なんだろう?」っていうことで、知らなかったわけです。
  で調べたら、500メートル先のクラブに出てるっていうことでビートルズとのRが始まる、ということです。

245 :
  でもね、ここからが大切なんですけども。
  レイモンド・ジョーンズっていうのは、実はウソだっていう話しもあります。
  それはですね、ブライアンの秘書をやっていて後にアップルの総支配人になる、この番組ではおなじみのアリステア・テイラーが
  「店に来る多くの客があまりに『ビートルズのマイボニー』『ビートルズのマイボニー』って言うんで、もっともらしい話しを自分で作ってブライアンに報告した」
  と彼は言っているんです。
  さあ、どれが本当でしょう。
  ビートルズのね、「レイモンド・ジョーンズっていう若者がやって来て尋ねた」っていうことは伝説の一部になっています。
  だから皆さんの、どうでしょう頭の中では、そういう風な事なんだけども、ひょっとしたらウソではないかもしれないな、っていうのは知っておいて下さいね。
  今のウィキペディア(Wikipedia)なんかもそうなんですよ。
  自分が本人のウィキペディアで見て言うんだから確かなんですけど。
  ウソがあるんですよ。ウソが。
  人が書いたりするもんだからね、捏造されたものがw、ほんとにありますから。
  まあ世の中、パッといろんな話しを聞いてすぐ100%信じてはいけない、ということですね。
  そしてですよ、「ビートルズのマイボニー」って言ったって、ビートルズがリードボーカルじゃないんで、主役じゃないんですよね。
  トニー・シェリダン(Tony Sheridan)が主役で、ビートルズはバックを務めていただけなんですよ。

246 :8)
  じゃあそれを改めて、もう皆さんご存知の話しだと思いますが、この曲を聴いて下さい。
 
  〜 Tony Sheridan with The Beatles / My Bonnie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=uW1-iDuIURg
  ttp://www.youtube.com/watch?v=UBZ2Mc-yjSI
  
  (小林)トニー・シェリダンとビートルズの My Bonnie。
  リードボーカルはトニー・シェリダン。で、コーラスなんかでビートルズのポールたちの声が聴こえておりましたけども。
  きっとあれですよね、キャバーンクラブで、キャバーンクラブは自分たちの根城みたいなものですから、
  そのお客に「やあ、ハンブルグ行ってる時にさあ、レコーディングしたんだよ。それ、ひょっとしたらイギリスでも来て売れてるかもわかんないねえ。」
  みたいな話しをしたから、ファンが来たわけですよね。ええ。
  そういうことです。
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