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JIJI弓


1 :2012/07/04 〜 最終レス :2012/10/29
のんびりいくか・・・。

2 :
今日はお腹痛くない

3 :
今日はなんかだるい

4 :
今日も3本獲った。
龍飛岬の漁師みたいだ。。。

5 :
無用のスレ、消えたのか。。。

6 :
どうも、買いが強い。

7 :
よーしがんばるぞー

8 :
速き事、社宅の噂話の如く、
静かなる事、英単も調べてこない生徒の如く、
侵略する事、ウイルスの如く、
動かざる事、お地蔵さんの如し。
一番大事なのは、慌てふためき、無駄に動いて、傷口を大きくしないことだ。

9 :
何か久しぶりに10射。
積み上げたものは、無くならないなぁ。
筋肉疲労がとれて、清々しい。

10 :
かけの小紐を通す部分皮を洗ってみた。
台所洗剤で。。。
随分、白っぽくなって、硬くもならない。
基本的に鹿皮は、水洗いOkayみたいだ。

11 :
今のTVにしてから、音楽もたくさん視聴したけど、
日本映画もフルバージョンで結構ある。
昨日は、僕の彼女はサイボーグ。
レンタル、必要ないわ。

12 :
習慣とは恐ろしい。
しばらく何気なく引いていたが、
何故だか課題を見つけて解決したくなる。
後もう少し、弓手の補正。。。


13 :
当たり過ぎだ。
凄いって、また、言われた。
今日は、7枚のくじで6枚の当たり。
この前は、8枚で7枚当たり。
買い物袋が重すぎるわ。
射即人生、でも弓の方が中ってる。

14 :
今日は寿司食べたー
おなかいっぱい

15 :
さーて、今日は早く寝て明日の朝に作業を回しますか

16 :
明日は5時起きかなー
もっと早いかなー

17 :
奥義の射は、矢離れした時、通常の射より弓の形状が張り顔に近い為、
弓の縦伸びが少なく、弓返りの勢いは小さくなる。
それだけ引き成りのエネルギーを矢に伝えたと言えるのだが、
やんわりと弓を包んで弓返りを充分にさせ、かつしっかりとした上押しを利かせるのは難しいものだ。
今夜の最後の4射は、中庸を得た清廉な射であった。
張り合いは有っても、気負いの無い、円相の様な射であった。


18 :
6時だよ
おはよー
起きたー

19 :
今日もがんばりますかー

20 :
なんかお腹いたいよー

21 :
去年の今頃は、新しい手の内に取り組んでいたような気がする。
ギリ粉や筆粉など全く使わないから、汗で滑り気味の時期があった。
現在は、滑らない手の内や滑っても捻り要素をその分調整できる手の内など、
幾つか有るから、やりたい射に合わせて自由に手の内を変えている。
その日の気温や湿度によって、手の内の汗の量が違うから、
最低でも、2つの手の内は用意しておくべきだ。
こうした状況の変化に対応出来ない射手は、
時に自分でも信じられないような墓穴を掘ってしまう。
特に夏場、的中率の変化が激しい人は、汗対策が必要だ。
また、他の時期でも的中率の変動の大きい人は、
自分がどの様に弓を引いているのかさえ好く知らない人だ。
常に、中り外れを基準にして試行錯誤を繰り返していると、
射技がきちんと定着しない。
中っている時の自分の引き方を好く知り、その訳を考えて記録するようにでもならないと、
中っている理由も分からず、的中が安定しない。
射を積み上げていくということをしっかりと考えるべきだ。

22 :
的前練習は、大会や審査など晴れの舞台の予行練習で、
的付けなどの調整と体配が主な目的だ。
射技、射術、射法の練習は、巻き藁練習に勝るものは無い。
巻き藁前が8割、的前が2割程度の練習が好ましいが、
一般的には射術の未熟な者が巻き藁前を軽視して、
ウォーミング。アップ的にしか利用していない。
何年、何十年弓をやっても上達しないのは、こうした心掛けが原因となっている。
的前には、的中の魔が住んでいる。
的紙を破るだけで、自分が見えていない。
また、的中の魔によって、早気にもなる。
自分が器用な方だとは思わないが、5年の巻き藁修行で、
一般の射手が50年弓を引いた程の射術を得たように思う。
矢筋通りの射出、矢色の付かない矢飛び、
その弓固有の弓力を最大限に活かした矢勢。。。
さあて、今日も何かを見つけよう。

23 :
あついよー

24 :
お腹いたいしトイレいく

25 :
さーてがんばるぞ

26 :
お腹すいたー

27 :
一般に、馬手拳残身の大きさは、離れの重さと手先引きに由来する。
離れが軽くさほど手先引きではない射手の大離れは、一種の演出としか言えない。
残身をイメージして、別途残身を造るエネルギーを要してやっている。
まあ、それがトレンドの弊害というものだ。

28 :
おやつ食べよーっと

29 :
よーし、やるか

30 :
グラスで16キロの弓というのは、キョーという風切りの弦音を出すにはギリギリの弓力の様だ。
今の様な奥義の射を一歩退いて中庸の射になると、弦が弓を打たないのは確保しても、風切りの弦音はしない。
その代わり、矢離れした後、弓が縦伸びして、くの字に曲がった弦を引き伸ばした時の感覚が好く分かる。
矢離れ直前のくの字の弦に、余計なゆがみが無いため、弦が一文字に縦に伸びた時、一瞬軽く弦の張り合った感触があり、即座に静まる。
もし、くの字の弦に余計なゆがみが有る場合は、両弭に引かれて弦が伸びても、小さな振動がしばらく収まらない。
残身で手の内に振動を感じるのは、この場合だ。
こうした離れた弦にゆがみが無いのは、離れの緻密で軽い馬手の働きが大きく、その上に弓手による弓の姿勢制御にも拠る。
それは、まさに正射の矢飛びに現れている。

31 :
狙いを狂わせぬ長銃身の射とは、不動の押手、
それから、力を落とした馬手肘を結ぶ力線を喩えたものだ。
会の静止、離れ際、特に馬手肘は不動を保ち馬手は弦に引かれている。
後は、フェザーが触れなくとも離れるのが不言流の離れ。
これが有ってこそ、引かぬ矢束の射が成り立つ。

32 :
今日は晩ごはん何をたべようかなー

33 :
おなかすいてきたなー
晩ごはんは7時
がんばろー

34 :
中庸の射、今も引いてきたが、弦音がほぼ無い。
関板と弦の間隔は弦一本弱。・・・低すぎ。。。
それでも、弦が弓を打たないし、振動も無い。
まあ、不言がけと奥義の取り掛けだから出来ることだ。

35 :
うーん、この時間帯が一番つらい
息抜きー 復帰ー

36 :
矢番えのパチという音が嫌われるのは、かつて戦に用いられた時に、
敵に気付かれるからだが、
弦音も武器とすれば無いほうが好い。
俺が鳥なら、弦音を聞けば、その瞬間に飛び立つわ。


37 :
今夜の1時前から、アップだろう。
動かざること、お地蔵さんの如しだ。。。

38 :
ご飯タイムー

39 :
お風呂入るぞー

40 :
今日は暑くて手汗もかいたが、手の内に問題なし。
巻き藁矢で引くと抜けなくなるので、最近は組矢を下ろしてやっている。
組矢も6本の内、2本はお釈迦、3本目は羽が傷んできた。
この前、娘の4つ矢を引いてみた。
細くて、矢尺も5センチ短いが、矢色が付かないのと、離れるまで馬手拳が動かないので
心配なく引ける。
羽はターキーか何かで、柔らかい。

41 :
お風呂あがったー

42 :
作業だ作業だ
作業開始ー

43 :
今日もがんばるー

44 :
温泉に行って、屋外の露天風呂に入った。
近くにもう一つあったので、入ってみた。
つめてーなぁ。。。
鯉の泳ぐ池だったぜ。・・・ワイルドだろう。。。

45 :
昼ご飯食べたー

46 :
チオビタのむー
まずいー

47 :
コーヒーのむー

48 :
よーし今からがんばるー

49 :
今日は雨の合間に10射ほど。
弓手の微調整をしたことで、同じ中りでも中身が良い。
弦音は無く、静かな離れだが、
巻き藁を打つ矢の音に迫力がある。
こういう射なら、狙いがぼけない限り、外れようが無い。

50 :
晩ごはんー
寿司食べるー

51 :
今日最後の一手も良し。
人差し指の爪先を親指の第1関節に付けた手の内で、丁度好い。
矢羽の回転は、的前バージョンで11回ほど。・・・好いね。。。


52 :
お風呂入るー

53 :
俺の弓は宇宙だ。
宇宙は2つ要らない。
・・・今夜はTVでフード・ファイトの観戦。

54 :
お風呂あがったー

55 :
眠いー
寝るー

56 :
真に正直な矢飛びは、矢筈が会の矢筋の通り弦に押し出されて、矢が放たれることである。
こうした矢筈の軌跡は、矢を番えた弦位置の軌跡とも言うことが出来る。
また、和弓は弓の右側に矢を構えるから、入木弓の効果は有っても、矢の直進を妨げない工夫も必要である。
つまり、真に正直な矢飛びを得るためには、離れに於いて、矢の直進を妨げないように矢の接する弓の部分が左に避けながら、矢番えの弦位置を会の矢筋通りに弦返りさせなければならない。
矢を直進させる働きは、弓の入木効果(数ミリの回避)、内竹と接する手の内の構造的効果(3ミリ前後の回避、即効的)、弓手手首の反り(数センチの回避、遅効的)、弓手の振り(10センチ前後の回避、更に遅効的)に拠る。
実際には、弓手拇指球を弦で打たないように、最低3センチ程度、弓手拳が会の位置に比べて左へ移動する必要がある。
射の精度を高めるのなら、この左へ3センチの弓の移動を目指すべきだである。
離れの瞬発的な弓力によって、弓は手の内の構造に合わせて食い込み、弓返りの向きに傾く。
この場合、凡そ10度傾けば、弦は相対的に弓手から3センチほど離れたことになる。・・・本来、こうした角度を調整するのが握り皮下の詰め物である。
もちろん、矢離れする時の矢番えの弦位置は矢筋上になければいけないから、3センチ分弓の方が左に移動する訳である。
この移動を弓手・手首の反りでやると、元の回転角が大きくなり弦の位置も大きく変わるから、成り立たなくなる。
そこで、手首は反らさず左腕の射開きで3センチの移動を行うことになる。・・・これが、不動の押手の必要な訳だ。

57 :
これを、離れに於ける弓の挙動でみると、会から矢離れまでの間、弓の上の姫反り辺りは的方向に直進する。
また、この間、弓は上の姫反りを支点とし、末弭が脇正面へ、握りが3センチほど左に移動するように、全体として僅かに伏せる状態になる。
この場合、前述のように、握りは左へ移動しても、弦は弓の回転で右に押し出されているので相殺し合い、矢を直進させている。
こうした弓の挙動も射の精度の為には、必要最低限であるべきで、それが正射の条件とも言える。
ただ、詰め合いも伸び合いも分からぬ未熟なものがこれを目指すと、射が小さくなってしまう。
こうした無駄な動きが無い中で、十二分な力を発揮できるのが、射の妙味である。
尚、真の正直な矢飛びには、前離れ・緩み離れ・弦が帽子の腹を摺る離れ・弦に歪みをつくる離れなどをしない精密な弦離れが必要である。
現実的に、例外は有るとしても、不言がけの使用と不言流奥義の離れを用いなければ、直前の4つを解決する精密な離れは無理だと思われる。
他に、矢飛びの上下方向の問題も有る。
それら総てを解決したのが奥義の射であり、中庸の射である。
射手は、的前に立てば誰でも中り外れを見る。
我が身を観る者は少ない。・・・どのようにからだを使ったのか。
矢飛びを見る者は更に少ない。
弓の挙動を観る者は、殆ど居ない。・・・弓返りじゃないよ。
弦の挙動を観る者は、まず居ない。

58 :
作業再開ー

59 :
オロナミンCのむー

60 :
今日は、1本目を外してしまった。
初矢を外すことはまず無いのだが・・・
まあ、その理由は分かっている。
後は、外していない。
現在、関板と弦の間隔は、弦半本分だが、
離れても、弦と弓との接触は無い。


61 :
眠くなってきたー

62 :
この時間帯で、この書き込みというのは、
矢の製作と喫茶店を営業している奴あたりか。
悪意のある成りすまし他サイトへのコピペ投稿野朗。。。
敵が多いのは勲章。
敵の居ない弓は芸能だろう。・・・魔を打ち砕く矢。

63 :
あついよー
クーラーつけよ

64 :
栄養ドリンク毎日のんだら体に悪いかなー?

65 :
20射以上引いたが、外れは初矢のみ。
会での弓の伏せを更に減らして、押しの働きを増し、
射の精度が更に高まってきた。
弦の顔避け、左右の狙いに多少の伏せは必要。。。

66 :
つかれたー

67 :
がんばるかー

68 :
かんぱれー
俺もかんぱる

69 :
うん、かんぱるー
今日のごはんはぎょうざー
食べてからがんばるー

70 :
お風呂はいるー

71 :
弓は何気なく気楽に引く。
手先に力がこもると、からだが堅くなり、伸び伸びしない。
リラックスしながら矢筋に大きく伸びて会をつくる。
馬手の腕も小さくたたまれて、力線を矢筋に近付ける。
離れる前に少しだけ、手の内を固めてやる。
そうすると、矢勢も上がり、上押しも利く。
正鵠から視線をそらさず、弓手を押し切る。

72 :
やっぱり掃除するー

73 :
手先の重要さ・・・その2
会に至るまでは、手先にはなるべく力を込めない。・・・大事だなぁ。
からだが堅くなり、からだの縦線、横線が育たない。
また、手先の感覚が強いと他の部分の感覚をシャットアウトするから、
からだ全体のバランス感覚が鈍る。
だから、心がリラックスして手先の力を抜いて、楽な呼吸で会まで持って来ることが大切だ。
ただ、離れる前に手の内を形作る力と弓手首を固定する力を加えておかないと、離れた後に緩んでしまい、狙いも狂うし矢勢もそがれてしまう。
こうした力は、会で張り合い(伸び合い)を発動する辺りに加えればよい。
ちなみに、離れで手の内を開き、弓返りさせているような場合は、
手の内の緩みで矢勢は半端なく失われている。
また、手の内で弓が暴れる場合が有る。
復元速度の速い弓というイメージが有るが、実際は手の内に必要以上の力を込めている場合だろうと思う。
こうした場合も、矢勢は乗らない。・・・理由は、まだ分からない。
離れで、手の内の角見から腕を通して左肩・体幹と衝撃が伝わる場合がある。
これは、角見が弓力を押す極致だろうと思う。
下手をすると上半身が押し返されるので、足踏み・胴造りの良し悪しが試されることになる。・・・凄い矢勢になる。

74 :
お風呂あがったー

75 :
あっついよー

76 :
うーん、10分後作業再開ー

77 :
ねえ、栄養ドリンクって毎日のんでも大丈夫なの?
誰か教えてー

78 :
イチローがユンケル飲んでるし大丈夫だよー
俺もかんぱるよー

79 :
1時からはアップだろう。
明日の今頃は、ニヤっと出来そうだなぁ。
弓の方は、奥義の射に幻の射を合体させたが、
じねんの離れを手に入れてそれを超えてしまった。
今では、引かぬ矢束の射まで合体させてしまった。
10本に1・2本外すのは難点だが、くずれないのが長所。
後は、慣れしかないか。。。

80 :
そっかー
明日ドリンクのもー
今日はねる

81 :
焼き肉たべたくなってきた
ねよねよ
おやすみー

82 :
不動の押手といっても、手首の左右の遊びが2cm程は有る。
手首を控え目にすると矢は右へ、反りぎみにすると矢は左へ飛ぶ。
手首の左右の遊びを、的前での矢の散り幅にすると、
実験では30センチとなった。
弓道は、手の内と握り皮との接触の程度、つまり摩擦力の影響が大きい。
その原因は汗や湿度など、水・湿気による摩擦力の変化といえる。
手も握り皮も乾燥している方が、切れの有る好い射になるが、
中々いつもそうはいかないものだ。
それで、初矢は弓手首を中立の位置で押し、矢所を確認する。
そこで、的の中心からのズレを見て、左右にそれぞれ最大で15センチの補正が出来る。
しかし、これは最悪の場合の補正であって、
多少の摩擦力の変化は手の内のガイド指の働きで補正できる。
ガイド指は、直接弓の姿勢制御に働くから、矢所の狂いには、まず第1に確認することだ。

83 :
本格的なアップは、Monday morningのようだ。

84 :
おはよー

85 :
モスバーガーたべるー

86 :
アリナミン飲んだー
作業開始ー

87 :
不言流の射法自然成(しゃほうじねんじょう)
一枚のお札をピンと伸ばし、その薄い一辺の上に百円玉を落ちないように乗せようとします。
それは、ピンと張った細い糸の上に硬貨を乗せるのと同じで、
バランスの執り方が微妙で容易く出来るものではありません。
しかし、横長のお札をその真ん中で二つ折りにします。
そして、折合わせを数十度開き、上から見ればVの字に見えるお札の折り目の部分に百円玉を乗せます。
これなら、百円玉は容易くお札の折り目の辺に乗ります。
それから、硬貨を乗せたお札の両端を静かにゆっくりとピンとするまで張っていきます。
そうすると、どうしたことでしょう。
硬貨は最後まで落ちずに、お札の薄い辺の上に乗っているではありませんか。
さて、ピンと伸ばしたお札の一辺に、初めから硬貨を乗せようとしても出来ません。
ところが、前述のような方法を執れば、神業の様なことが出来るのです。
物理的には、硬貨の乗ったVの字の両端を結び三角形を作ります。
その三角形の内部に硬貨の重心が在れば、硬貨は落ちません。
また、ピンとお札を張った時も、その薄い辺の上に硬貨の重心が在れば落ちません。
この折り目を開いていく過程は、硬貨の重心のずれがずれた方の摩擦力を大きくし、他方のお札の辺の支えを浮かすように引き付けていきます。
このような自動調節作用(自然・じねん)の繰り返しで可能なのです。
厳密には、お札は薄いといっても一定の厚みが有るから可能なのです。

88 :
さて、私たちには知恵が有り、硬貨の重心を薄い紙幣の辺の上に乗せれば、落ちないことを知っています。
しかし、硬貨の重心を円の中心と捉えるのが精々で、紙幣の薄さの精度で実際の重心を見つけることは出来ません。
硬貨には彫刻や傷などの凹凸も有り、見るだけ、また作図的な作業によっても正確に見出すことは出来ません。
また、もしそれを見出しても、その重心を薄い紙幣の辺の上に乗せることも至難の業なのです。
ここに、人の思考と行動の限界が在ります。
この実験では硬貨の重心の位置が重要で、重力が大きく関与しています。
重力は、万有引力が元ですから、この実験には少なくとも太陽系の全体(自然・しぜん)が影響しているのです。
こうした全体の関係性が在るべきして在り、成るべくして成るのを「善」というのです。
この実験は、人の限られた思考に頼って行動しても成し遂げられず、かえって我を忘れて善に委ねることで成し得た(成・じょう)のです。
また、紙幣を引き伸ばしていっても、硬貨はその薄い辺の上に在り続けます。
つまり、この様に「一」に「止」まり続けることを「正」と言い、ピンと張った紙幣の辺に硬貨が乗っているのを、理念性に於いては「真」と言うのです。
つまり、「正」というのは「真」への紆余曲折であり、過程なのです。
このように、善・自然の如性(在るがまま・成るがまま)に委ねて、
真・十全とした事態を成した時、人の心・感性がうっとりするのを「美」と言うのです。
こうした真善美を知り抜き、そのままに生きることを智慧とも言い、
如来に位するとも言うのです。
言語による知恵や思考を離れて、無心で身を自然(しぜん)と成し、
真如なる自然(じねん)に委ねる射こそが、不言流の弓道です。

89 :
今日はすき焼きだー

90 :
お肉のおいしいたべかたー

91 :
やすいお肉
脂肪の少ないお肉のすき焼きがすき

92 :
具を焼いて煮て
お肉は最後に火を消してから投入
そしてお肉をいれてから弱火ですこーしずつ火を通し、はんなまくらいで火を消す
あとは余熱

93 :
牛脂、昆布はたくさんいれる
たれはしょうゆみりんさけ同じ分量
最後に肉を入れた時に砂糖を少々

94 :
これが、脂肪がすくない肉のおいしい食べ方
油載ってない肉すきなひとはおすすめー

95 :
投稿した後の無駄なレスの数で、閲覧者の感動度合いが分かる。
今回のは、大好評だ。
やったーマン。。。

96 :
ごちそーさまでした

97 :
やすい肉はすき焼きなどの大味な料理だとおいしくたべれるー

98 :
掃除するー
毎日掃除するー

99 :
内竹を手の内で真っ直ぐに押す好い感覚の射だったのだが、
かけの小紐がかけ本体から抜けてしまった。
接着剤の他に、針金を通して本体に紐の端を固定した。
丈夫だが、使えるのは明日だなぁ。。。
好い射ほど突出した感覚が無くなり、
何気ないものだ。

100 :
あっ明日の朝ごはん買わないとー

101 :
コンビニだとお菓子とか飲み物とかたくさん買いたくなるー

102 :
コンビニの麺類っておいしいの?
パスタはやわらかすぎたけど食べられないほどでもなかった

103 :
手の内を作るうえで最も大切なのは、虎口が内竹を真正面から押すことだ。
この感覚を一に止めて、正しい手の内を求める。
虎口の股の一番食い込んだ所を、内竹の横幅の中位に合わせるといった視覚に頼るものではない。
内竹を押す虎口のどの部分も等しく同じ大きさで、その面を垂直に押していると言う感覚だ。
この一を見つけ、保ちながら、後の捻り要素などを調整していくのが、手の内を探求する正しい方法と言える。

104 :
山手線乗りたいよー

105 :
コンビニいくぞー

106 :
相変わらず、俺のカキコは評判が好いようだ。。。

107 :
おすすめのコンビニ朝ごはんおしえてー

108 :
人の好奇心は未知なる物を求め続ける。
しかし、それが理解できないものであるとき、
それはもはや苦痛でしかない。
女性に恋をして、拒絶された時の感情に似ているかも知れない。
あの娘に出会わなければ、こんなに苦しむことはなかったのに。
未知な情報の神秘さも、失恋した女性の神秘さも、
求めて得られないものへの執着が、人を苦しめ続ける。・・・知の不幸
そうした犠牲者が、私にはとり付いている。
弓を極めるか、ここを去るか、それが解決策だ。。。

109 :
えっとねー
クリームデニッシュといちごヨーグルト買ってきた

110 :
うっかりしなかったらパン屋さんのパンたべたかったー

111 :
おふろはいるー

112 :
私の引かぬ矢束の射では張り合いというが、引く矢束の射でいう伸び合い、
これが弓返りに勢いを与え、矢勢を乗せ、矢の直進性も増す。
つまり、この張り合いが離れの弓力に対抗して緩まぬ支えを創り上げるからだ。
rも伸び合いからの離れを出していけば、弓返り率は上がっていく。
弓返りは、矢を放った後の弓の挙動だが、手の内がそこそこで、
伸び合いのある離れをすれば、弓は回る。
3・4段くらいからは弓返りが必要と云われるのは、
手の内と伸び合いのある離れが射に問われているからだ。


113 :
おふろあがったー

114 :
すずんだら寝ようかなー

115 :
朝ごはんたべたー

116 :
至誠に値しない射には、残身・残心が無い。
残身は思考を助け、残心は自然(じねん)育てる。

117 :
おーやーつー
たべるー

118 :
夢はその日の経験を整理して、長期記憶を選り分けていると言われている。
残心は、その射の評価が感動などで表出されたものと言える。
そうした感動は、感動しようと望まなければ、出会えない。
それが、行動の契機となる志向性の性質なのだ。

119 :
例えば、好きな人が何気ない冗談を言えば、女の子はケラケラと笑うが、
好きでもない人が同じ冗談を言えば、シラーとしてしまう。
つまり、好きな人と一緒に居て、相手のどんな言動も見逃さず
必死にその時間を感動で満たしたいと思っていると、
つまらない冗談でも自然に笑えるのだ。
これが、志向性の性質というものだ。

120 :
至誠をもって射に望めば、ヒトというのはその対価に見合う感動を自然に求めているものなのだ。
多少打算的に聞こえるが、それがヒトの性質というものだ。
まあ、ヒトが何かに向うということ・志向性は、その行動で何かを得ようとしていること。

121 :
至誠をもって射に望むということは美化されがちだが、感動という残心を求めて行動していることに他ならない。。
そうした感動がその一射に結び付き、長期記憶や小脳の自動調節機能に働いて、じねんを育んで行く事になる。
もちろん、より優れたと感じられる射ほど、感動の強度が強く、
より優先されて身に備わっていく。

122 :
お腹痛いからトイレー

123 :
今日の晩ごはんは焼き肉ー

124 :
今日は、的中精度を高め、8・9割から10割へ的中率が近付く手の内の決め方を見つけた。問題は、手の内と弓との向き合い方だ。
出来るだけ内竹に正面から、それを引き分けで作っていく。
大三で作る手の内は捻りの要素が強すぎるし、
会で、手の内が弓を正面から押す感覚が持てない。
それは、言うならば弓の姿勢制御を壊しているということだ。

125 :
えーとねー、ハラミがおいしかったー

126 :
ハラミすきー
カルビはねー、キムチといっしょにたべる
それでビールうまー

127 :
捻り要素が弱くはなるが、本来の手の内での構造的な働きで、
そして、張り合いを活かして離れれば、弓返りもする。
元々、上押しの充分な射は、エネルギー効率が好い代わり、
未使用のエネルギーが少なく、弓返りは勢いが良くないといえる。
まあ、目にも止まらぬ弓返りに憧れる輩は多いが、
射を高めるごとに、弓返りはし難くなるものだ。


128 :
明日の朝ごはんはねー、
フルーツグラノーラ買ってきたよー

129 :
今日は、捻りの調整で弓手首の近くを弦で何度か打った。
昔、よくやって慣れたせいもあるのか、大して痛くもない。
手首にあざが残るから、どの方から弦が打ったのかなど、
必要な情報が得られる。
実は、射の精密性で言えば、この程度、あざを作る射が好ましい。
しかし、それでは芸が無いから、少し調整だ。

130 :
作業ー作業ー

131 :
弓は立てるほど、肩からの支えが手の内に通じる。
しかし、今日も頬骨を数度弦で打った。
馬手・手の内で弦を避ける方法も有るが、返って行く弦にゆがみが生じる。
よって、頭持ちを正して、頬を僅かに避ける程度の弓手・手の内の捻り要素に留める。
総ては調整。
捻り要素は、必要悪。
悪は、出来る限り抑えるが、射の極みだ。

132 :
おなかいっぱーい
でもなんかのみたーい

133 :
さあて、今日は我が家の夏の大掃除だ。
みんな、普通に頑張ろうぜ。

134 :
女子は体形上、胸が有るから、相対的には上半身に対して弓は立て気味か、
或いは照っている状態に在りそうだ。
まあ、そうしたことが認められる状況にあると考えられる。
そうすると、男子よりは肩から親指根に通じる手の内の押しが利く状態にある。
ただし、その代わり、女子の方が顔などを弦で打ち易いともいえる。

135 :
フルーツグラノーラたべたー

136 :
まあ、親指根と云っても、その横も有れば、下も有る。
本多流などでは、下の方を内竹に当てて、強い矢勢を得ていると考えられる。
その下というのは拇指球のかなりの部分と言えそうだ。これが、下押しの威力。
この下押しと上押しの両方を同時に掛けることは可能だ。
なぜなら、上押しはただ押すだけではないからだ。

137 :
しかし、巻き藁の練習では、更に矢が抜けなくなり、練習不能になる。
下押しの好いところは、手の内で弓の落ちることが、押さえられることだ。
単に弓返りの速さだけではなく、下押しには弓の落ちを押さえる効果が有る。
本多先生もそうであったようだ。

138 :
鶏卵大の拇指球、その硬く発達した部分は、ちょうど15度ほど傾いた内竹にべったりと付く。
だから、べた押しなのだが、そこは肩からの押しの直列であり、広い面積で受けた方が、
弓力を小さな圧力として処理できるのだ。離れで上鉾の戻らない上押しで矢勢を高め、更に下押しの矢勢も加える。
そして、手の内の弓の落ちも抑えられる。射の可能性としては、面白いところまで来たものだ。

139 :
うーん、ねむいよー

140 :
ねむねむ

141 :
買ってきたー

142 :
今日の夜のおやつ買っておこー

143 :
手首の弦打ちから、考えてみた。
まあ、あざの程度も軽度で、痛さも以前に比べれば随分少ない。
今は、中仕掛けが細くなって筈の切れ込みに対しては緩いので、
弦返りの速度を矢の速度の方が上回ってしまった状態の早い時期に矢離れが起きたと考えられる。
手首を打つ弦に矢が着いているか、いないかで、運動量が大きく異なる。

144 :
おやつ何にしよーかなー

145 :
一般人の矢の加速は、弦返りの初めの20cm程度、不言流の上押しを用いれば4・50cmだ。
その後は、弦は矢筈に引かれ、ゆるんでいる。 最後に矢離れする時に、弦がピンと張り、矢の進路に影響する。
この影響の代表例は、矢が矢筋より上へ飛ぶ場合だが、左右の矢所の散りにも関与している。
この悪影響を払拭するには、弦返りの途中で抜けるような中仕掛けにすることだ。
ただし、不言流の執り掛けの様な矢こぼれしない対策を要す。

146 :
下押しには、他にも余禄が有るようだ。
更に進歩。。。

147 :
本多先生は、凄い弓手をしていた。
小指のことも、そうだ。
ただ、なかゆびの締めと、小指の締め戻しは、納得が行かぬが・・・。
細工のし過ぎ。
不言流と弓手はほぼ互角。
しかし、馬手は本多流に優る。
ここに至って、口弓を極めた。



148 :
手応えは充分にあるが、調整が必要だ。角見の利きに比例するのが、弓返りの勢いだ。それは、以前より強くなっ
た。上押しと下押しは上下の違いのように思えるが、その本質は、トルクとパワーなのだ。たとえ緩まぬ離れでも
、かけの弦抜けが悪いと矢勢は極端に落ちる。それと同様に、離れで手の内に弓が数m食い込めば、矢勢は殺がれ
てしまう。手の内の弓に接して弓力を支える面積を大きくすると、圧力が減って食い込みが少なくなる。
この食い込みも緩みだから、特大の拇指球をより堅くして弓を押し、同時により安定した姿勢制御が出来る。

149 :
最近、呼吸法には無頓着だったが、気お付けてみたら、
ちゃんと下っ腹に入り、胸は楽な状態だった。
もう、身に付いて、忘れていた。

150 :
拍動も、TVを見ているようなときより静かで、ゆっくりだ。

151 :
今日はつかれたよー
掃除するー

152 :
あついよー
つかれたよー
あたまいたいよー

153 :
あせかいたー

154 :
今日はつかれたし頭いたいしあせばんで大変だよー

155 :
なんかたべたいよー

156 :
体にわるいから食べるのはがまんだー

157 :
夏の大掃除、頭数揃えても、明日の昼まではかかる。
やっぱりからだを動かすと、飯が美味いや。。。

158 :
お風呂はいるー

159 :
お風呂あがったー

160 :
今日は天気が好い。
午後から、一休みしたら、弓の探究だ。。。

161 :
吉野家たべたー

162 :
今日は5射4中からのスタートだが、中身が良い。
弓を正面から押す感覚・・・最小限の捻り要素設定は良い。
後は、手首の上下設定・・・拇指球をどの程度の範囲使うかだ。
5年以上使い込んだ巻き藁では、その面に垂直で矢勢が有る時だけ、
ドンという音が出る。
狙いが狂ったり、多少のからだのゆれで、矢が的を外すことは問題ではない。
とにかく、矢筋通りに矢色なく飛び、矢勢が有って、
弓返りをして、その完了のままに残身となること。

163 :
作業がんばるー

164 :
私の弓手の手の平は、拇指球が大きいのは既に書いたとおりだが、
他の4指は、その付け根近くの手の平の部分が筋肉で盛り上がっている。
ちょうど、外竹左角を天文筋に合わせると、その筋肉列が後支えをしてくれる。
弓の姿勢制御には役立つし、弓返りの支点となる蝶番が一列しっかりしているので、捻り要素が少なくてもしっかり回ってくれる。
筋肉手も役立つものだ。

165 :
ただ、母や家内の肩などをもんでやったときには、柔らかくやったつもりでも
かなり痛いらしく、嫌われてしまう。

166 :
今日はねー、お寿司ー

167 :
的はさほど外さぬが、好いなぁと、
心底思える射は、5射に1射程度だ。
弦が殆ど関板に付いているが、弓を打たず。
かつて、200本か、そこらで1本しかなかった奥義の射が
今では、普通。
好いんぁの射を普通にしたい。

168 :
いかすきー

169 :
大掃除を終えた夜は、みんな清清しく、気持ちが言いという。
帰宅した長男が、ご馳走・スイーツやオードブルを買いに出た。
今夜観るTVは、2本目・宇宙船艦ヤマト・実写版、
勿論、You Tubeのfull virsionだ。

170 :
今日で、不動の押手・コンプリート版と対応する手の内の完成。
不動の馬手・ノンアクション・リリース版と合わせて、
不言流流祖の射、完成。
これなら超小離れだが、高校時代に取った弐段の名に恥じないわ。。。

171 :
ねむいよー
つかれたよー
作業ミスったよー
ねむねむ

172 :
正射必中などと言うが、正とは真へと至る道であり、たとえ正直な矢を放っても、時には狙いに狂いも有り、からだの揺らぎで外れることもある。
これを言うなら、むしろ、真射必中と言うべきである。
・・・正射必中とは限らない。
また、たとえ百連中したからといっても、それが真射とは限らない。
矢が並進運動をし、矢色も付き、的の後ろに狙いを付けて中っていれば、その様な射は正射にも真射にも値しない。
それは、ただ百連中したという事実のみが評価されるべきで、検証されていない射術の妙について、言及は避けるべきである。
百連中や継ぎ矢などによって、名人と称されるようになった先達は少なくないが、その射の内実については殆ど語られはいない。
現在、映像として残っている射について検証してみると、確かに上手ではあるが、射の妙・深奥が伺われるようなものではない。

173 :
トイレ大きいほういくー

174 :
爪揃えは、斜面の打起しなら好きにやればいいが、
正面の場合なら、取り入れてはいけないことだ。
昔、鈴木、本多、浦上、稲垣、小笠原流の射手ら5人の対談が有った様に記憶しているが、
その時に、正面にも爪揃いという話題が出たように思う。
本多先生は、浦上系の爪揃えとは正反対の射術なのだが、その話題については受け流していたように思う。
現在、正面の射手にも、爪揃えの手の内が多いのは、弓道誌に掲載されたこの対談の影響が発端ではないだろうか。
しかし、他の指に比べて短い小指を爪揃えし、爪が白く見えるほど側木を押せば、手の内が3点によって不備である。
一つには上押しが利かない。
二つ目には、弓の姿勢制御が充分ではない。
三つ目は、弓返りが充分に起こり難い。
一つ目は、本線としての矢勢の乗せ方に欠ける。
二つ目は、的中精度に難点がある。
三つ目は、手首を反らすなど、弓返しをする悪癖が着く。
爪揃えの手の内を見ると、手の内の働きの幾つが不備であると、
射を見るまでもなく分かってしまう。
手の内の完成を目指すのなら、爪揃えは決してやってはいけないことだ。

175 :
先人からの射術の伝承は、その殆どが江戸時代以前のものであり、
本多先生が正面打起しを広める以前のものだ。
どの様な法則性でも、それを適用できる範囲というものがある。
つまり、現代弓道に、射法の異なる前時代的な射技を安易に持ち込んではいけないのだ。
爪揃えもそうだし、卵中も同じことだ。
私は、今まで幾多の弓道誤謬を指摘してきたが、
先人が憎いのでもなく、売名を目的としているのでもない。
ただ、真実を知りたいだけだ。
それだけが、正から真へと歩む道なのだ。

176 :
すっきりしたー

177 :
風呂に入りながら、その前庭で全身の日光浴は気持ちが好い。
家の風呂は岩風呂で、半露天風呂にもなっている。
湯船が一坪くらいあるから、子供(4人)たちが小さい頃には、
みんなで一緒に入って、じゃぶじゃぶ遊んだものだ。
今の楽しみは、日光浴とその後のスイカだ。

178 :
吉野家たべたー

179 :
これからの暑い時期は食欲が落ちる。
そんな時は、水ご飯だ。
炊き立てのご飯を冷水で冷やし、どんぶりに入れて水を張る。
これを、ナス・キュウリ・キャベツなどの浅漬けと一緒に、かけこむ。
漬物には醤油をかけるが、わさびも少し利かしてある。
夏場の水ご飯は最高だ。

180 :
今日の最初の一手、皆中。
特に、2射目は、好いなぁの射だった。
腹、水物で、パンパンだわ。

181 :
しゃぎょうかいしー

182 :
今日の2回目、8射皆中だが、好いなぁの中りは1射のみ。
把が低すぎて、弦は関板に付いているが、
短く小さく、ビーンという音。
さあて、把の高さを直そう。

183 :
この時間の練習は、夕日を真っ直ぐ背に受けて、
塀に射形が映し出される。
打ち起こした高さは、以前より低く遠くになった。
大三は、ちょうど八節図のモデルと同じ。
矢は水流れか、ほぼ水平。
会相の馬手肘は肩の高さ、馬手前腕は潰れているが、まろやかなアーチ。
残身の弓手は肩の高さよりやや上、弓の傾きは的へ15度ほど、弓の伏せは数度。
馬手は肘が肩より1寸ほど下がり、会相の右腕の形のまま肘に合わせて移動している。
頭持ちは、顎の引きが1cmほど足りないのに気付いた。
把の高さを直すと、(実質15キロの弓をバカ引きしないので、)
風切りの弦音はしない。
離れても、矢が巻き藁に中る音だけだ。

184 :
晩ごはんたべたいよー

185 :
不言流の上押しの利いた射は、離れの音がアーチェリーと同じだ。
和弓の上長下短による強い下鉾と弱い上鉾を、完全な上押しで制御し、
まるでアーチェリーの様な弓の姿勢制御と上下両弦による長い距離で
短時間の加速を実現して、矢勢が乗って安定な矢飛びを得た。
不言流は、現代射法と言うに相応しい射法を得た感慨がある。

186 :
基本的に、アーチェリーでは巻き藁練習のようなものが無いように思う。
矢を番えるのも弓の中位だし、スタビライザー、リリーサーなども有り、
グルーピングの好い矢を選び、サイトを調節すれば、矢所の散りは想定内なのだろう。
つまり、基本的にアーチェリーでは、矢は狙い通りに飛ぶ訳だ。
ところが、和弓の場合は、ちょっとした操作のズレで矢は左右上下にズレてしまう。
まるで、ゴルフ初心者のドライバーショットの様に、どこへ曲がって飛んでいくのか分からない。
ゴルフなら打ちっぱなしでまともに玉が飛ぶまで練習してからコースに出るのだが、弓道の場合は真っ直ぐに矢の飛ばない者が当たり前に的前デビューする。
音楽なら楽器を演奏する人は、その奏法や楽曲の演奏を練習すれば良い。
ところが、声楽をやる人は、発声法という声の出し方、つまり自分のからだで楽器を造らなければならない。
アーチェリーは前者で、弓道は後者に対応している。
声作りもしないで歌っているアーチスト、例えば・・・の歌は、
真っ直ぐに飛ばない矢で的前ばかりをやっている射手と同じだ。
あまり、SMAPの音楽を聴こうとは思わない。
曲自体には好い作品が有るけど・・・。

187 :
酢豚食べたー

188 :
好いなぁの射のうちに、青白い光の様に、怖さを感じるものが、
少しだが、出てきた。・・・武道だからなぁ。。。
呼吸法の工夫で、少し見えてきた。

189 :
小さな人間の一射なれど、恒星が最後を迎える時のような輝きを求むる。
相対的に重力が大きくなって核融合の膨張する力を追い越すと、恒星は収縮していくが、
中に核が形成され、その表面で重力が跳ね返され、衝撃波となって周囲へと広がる。
これによって重力崩壊が起こり、超新星爆発を起こす。
宇宙はフラクタルと言われるが、超新星爆発の過程は、
詰め合い、丹田力の形成、伸び合い、離れという弓道の過程と似ている。


190 :
弓の中に割り込んだからだの中で、前レスの様な感覚が有る離れ。
しっかりと詰め合ってこそ、半端で無い反発力が出る。
俺の弓道は宇宙だ。・・・ フードファイトからのパクリ。。。

191 :
科学的根拠を得ていることではないが、
引き分けの最終段階で苦しくならない程度に息を吐きながら、
主に横線の伸びを行う。
会、それからは、腹で残った息を止め、詰め合い、張り合いながらの離れと行く。
強く素早い運動を起こす前は、息を溜めておいた方が好い様に思う。
しかし、弓道のように静止のまま、強い力を待ち受けて支えるような場合は、
息を吐き捨てて、留めていた方が好いように思う。
その方が、腹回りの筋肉も締まり、胴造りなども堅牢になる。
今日の最初の一手は、二通りの好いなぁの射であった。

192 :
今日はねー、ラーメン食べたー

193 :
魚粉とねー、背油のラーメンでねー、おいしかったー

194 :
今日はねー、栄養ドリンク飲んでない
でもがんばるー

195 :
魚粉に背油たくさん、でもスープとるときに薬味もたくさん入ってるから油っこく感じない
おいしかったー

196 :
今日もがんばるぞー

197 :
スイカを食べて、一休み後の一手・・・皆中。
今日は、10射ほど、ここまで外していない。
特に、的の中心に刺さる矢が多い。
矢勢も好い。
呼吸法が精密性をアップさせている。

198 :
シンクロの五輪選手・・・見ている人を引き込む様な演技をしたい。
おぼれて死ぬだろう。・・・残酷だぜーー。。。

199 :
トイレー
お腹痛いよー

200 :
今日の最初の3射、良し。
かけの補修だ。。。

201 :
わざと上押しを一般の人と同じようにして、矢を放ってみる。
まあ、それでも一般人の中では上押しが利く方だと思う。
完全な上押しの射に比べれば、根性無しの矢がひょろひょろと的に飛んでいくのが思い浮かぶ。
的前で、的を取り去り、両方の射をする。
そして、それぞれに矢が安土に刺さった深さを複数回計測して、平均値を求める。
運動エネルギーは質量に比例し、速度の2乗に比例すると記憶している。
その運動エネルギーが、矢の深く刺さるという仕事として現れる訳だ。
例えば、一人の射手が同じ道具で行うのだが、普通の射の矢の刺さりの平均値が10,0センチで、奥義の射の矢の刺さりが16,9センチなら、
奥義の射の方が(16.9÷10.0=1.69)、1.69倍のエネルギーを得ていた。・・・矢勢の主要素
では、矢の速度についてみてみると、1.69の正の平方根より、
奥義の射の場合は、普通の射に比べて、1.30倍の射出速度を得ていたことが分かる。
安土に刺さった矢の長さは簡単に測れるけど、そのデータから、2つの射術に於ける、矢勢の違い、矢の速度など、定量的な結果が得られる。

202 :
今日はねー、ヒレカツ

203 :
夜、暗くなると、的からの距離が日中に比べて、近い様に感ずる。
人の心理にそうした性質が有るのだろうか、少々検討が必要だ。
夜、左右ど真ん中の僅かに下に外れる。

204 :
写真の分野でいうと、暗い背景の中では、対象の立体感やそこまでの距離感が強調され、より身近な実体感が出るらしい。
つまり、夜の射では、昼間に比べて、的を近くに感じる客観性が無くもないのだ。
鉄砲魚の的付けで狙い放つと、矢が手前・下にいく傾向が有るようだ。
自分の感覚を自分で信じてやらなくて、誰が信じてくれようか。
それをリサーチしてみると、もう一歩自分のじねんに気付かされる事がある。

205 :
生物って、日中に活動するか、夜行性なのか、
基本的なところは決まっているんだろうな。
かつて、人類の祖先が、哺R類の小動物だった頃には、
夜行性だった時期も有ると思うが、今じゃ、
人によりけりか。。。

206 :
手相の天文筋は短かったのだが、弓をやっている内に、
弓引きの天文筋に成って来た。
弓の外竹左角は天文筋に当てられ、支えの軸を得ている。
そして、天文筋は弓の外竹左角によって育てられている。
小脳による運動の自動調節作用、多用する筋肉の発達、
皮膚や皮下組織の道具への適応など、
弓道は精神性から身体性へと比重を移して行くものと言える。

207 :
手先やからだが中りの納まりと張り合いの感覚を覚えていて、
射法に沿ってからだと弓が動いていけば、
ちょうど好い所で決まって行く。
違和感・気掛かりの無い会は、中る。。。

208 :
嘘大袈裟紛らわしい

209 :
嘘大袈裟紛らわしい
・・・そういう根拠も無い、只の誹謗を自由に書けるのが、ここ。
そんな掲示板に期待するのが、間違いだよ。

210 :
弦音を聞いて、ザザンなどの様に複数回弓に弦が接触する場合は、
弦返りする時、帽子の腹に弦が摺って、返って行く弦に大きな歪が出来ている。
摺れで減速するし、弦の歪で矢所が狂う。

211 :
今の4射は、皆好いなぁの射だった。
会で、張り合っている時間が無駄ではないのが、
しっかりと伝わってきた。

212 :
今の4射、外さなかったが、4射目は好いなぁの射ではなかった。
手の内の入りが僅かに浅く違和感があった。
その分、的の中心から1cm強ズレた。

213 :
我が家には、お花や木が植えてある隙間に、勝手に山菜なども生っている。
もう少しすれば、ミョウガも取り放題だが、
今日はフキを食べたい気分だ。
茎の長さが1m以上もある青ブキが、そこらじゅうにある。
時たま、近所の人がもらいに来るほどだ。
カミさんは出ているから、俺が茹でて、皮でもむいておくか。

214 :
好いなぁの射が何本も出た。
最後は的に中って、弦切れして、
弓を取り落とした。
好いんじゃないかなぁ。。。

215 :
総ての法則には、それが適用できる範囲が在る。
1+1=2が常に正しいとは限らないということだ。
まあ、自分で考えよう。
弓道には礼が重要視されているが、孔子の時代は奴隷制の時代であった。
孔子自体、中国の食人の風習に習い、ひしお漬けを大好物としていたことが記録されている。
ひしおとは、大豆や麦に塩を混ぜた酸っぱい糠どこのような物だ。
そこに、野菜や奴隷の肉が漬け込まれていたのだ。
日本の儒学者たちは、孔子の食人習慣を下隠しにしていたと言われている。
日本でも、古くは卑弥呼の時代から奴隷制があり、昭和の時代まで人身売買や身分制度が残っていた。
ギリシャのアテネは民主主義であったが、奴隷制に支えられていたし、アメリカの発展の為にも多くの奴隷たちが死んでいった。
孔子の恕も仁もそれだけ聞けば立派なことのようだ。
孔子は、人と人の関係性や感情を大切にしたと思う。
しかし、物事の真理性については殆ど語っていない。
君主が天によって選ばれた正当性、或る個人が奴隷である正当性など、その真偽を顧みる事さえ無かったようだ。
彼の中の人とは、庶民以上の身分の人間でしかなかった。
だから、奴隷は人間ではなく、家畜であって、食される物だったのだ。
礼とは既得権益を肯定し、差別の上に在って、それを維持発展させるものであったということが出来る。
私は的を敵とは思わないが、封建時代に作られた小笠原の礼法が無ければ、弓道が成立しないとも思わない。
今、孔子の礼、弓道に於ける礼を見直すには好い時代のように思う。
射に誠を尽くすことから、各自弓道をもう一度考えてみて欲しい。

216 :
手の内だが、その相手、弓把はある程度手に合わせて形状を整えている。
しかし、手の内を作るときには、手の方が弓把に合わせて形作らなければいけない。

217 :
一般の射手は、弓の握りに自分から手の形を合わせにいっていないなぁ。。。

218 :
ブロガーの記事を読んでも、夏場は多くの人が中らないようです。
普段7割強の人が大会で3割に落ちてしまうことも有るようです。
原因は暑さによる汗でしょう。
汗で、摩擦力が大きく変わってしまいます。
こういう射手は手の内の皮を弓に巻き付けて捻るタイプです。
このタイプが殆どなのだと思います。・・・手の内初心者
それを防ぐには、手の内で形を作り、その形で弓を捻れる様になることです。
・・・手の内中級者
しかし、手の内の形で弓を捻り弓返りも充分にするのですが、これでは捻りが矢の進行方向を変え、
的中精度を落としてしまいます。
それで、形で捻らなくても、弓が必要な分だけ捻りを発生させる手の内の構造を作るやり方があります。
・・・手の内上級者
ここまで来れば、正直な矢飛びが充分に期待できます。
ただ、捻りの要素が少ないので、離れの爆発的な弓力に対抗する力を内在的に蓄積していません。
だから、正確ではあっても、これでは矢勢が落ちます。
そこで、捻りの代わりに手の内で上押しを利かせることで、内在的な力の蓄積を行います。
捻りに比べれば、上押しは矢の進行方向に対する影響が非常に少ないので、良い方法です。
・・・手の内最上級者
これが、巻き藁5年で得た手の内だ。
最後の方は、その理屈を読んで分かる射手は殆どいないだろうし、
手掛けているのは私の他に居ないかもしれない。

219 :
アーチェリーにはリリーサーが有るから、まあ、何とも言えないが、
弦に3指をかけて引くやり方なら、不言流の離れの方が緩みもなく
矢筋に対する悪影響も少なく、的中精度が高い。
総合的には、アーチェリーの洗濯ばさみ的なリリーサーと、
不言がけを用いた不言流の離れの出し方は、右手的には同程度の精度だろう。
しかし、この場合だと、離れを出す容易さでは不言流が優っている。
アーチェリーのリリーサーの代わりに、不言がけで私が離したら、
同程度以上の的中精度が期待できると思うなぁ。
アーチェリーの場合は、リリーサーで離す動作が必要だが、
不言流の場合は、意識だけで離れる。
もうひとつは、3指で引いて離す場合は、使用筋肉の性質上緩み易い。
ところが、不言流は親指で引くから、その問題が無い。

220 :
私の不動の押手は、基本的に上下方向の遊びは無い。
左右方向の遊びは2cmほどで、それが弓を左にかわし矢の直進を助けていたもののひとつだ。
しかし、不動の押手の決め所を変えると、遊びがその1/3になるところもある。
これは、最近の発見だが、不動の堅固さと決めの容易さ、そこへの意識の持って行き易さで、
以前の決め方に優っている。
腕一本の筋肉の使い方と云っても、中々奥が深いものだ。

221 :
つい最近、TVでアーチェリー教室のような番組があった。
生徒は小学校高学年から中学1・2年くらいの男女のようだった。
彼らは初めてのアーチェリーなのだが、1・2時間の指導の内に、
狙いの調整が出来ていれば、ほとんど大きく外れずに矢を放っていた。
弓道なら、最低でも1ヶ月はかかりそうだ。
アーチェリーはそれだけ的中精度の高い道具な訳だが、
数十年も弓をやっている人が普通に弓道にはいるし、
射的の道具としての完成度の低さは、技術等で挽回できる筈だ。
近的で言えば、中り外れから得点制にルールが移行できないのは、
和弓の性能だけではない、弓道に取り付いた脆弱な精神性の賜物かもしれない。
たかが巻き藁を5年やった者が、多くの射手の及ばぬ射法に至るということ自体、
弓界は健全な在り様とは言えない。


222 :
孔子の残した礼や儒教が、現代社会で最も活かされているのは、
Rの世界じゃないのかなぁ。。。
命の遣り取りをした昔とは違うから、武術に宗教はいらないし、
封建社会のような倫理観も要らない。
各自が現代人として成熟した人生観や哲学観を養うべきだ。
弓道は、各自の核心にまで手を出さず、射業としての身の丈を守るべきだろう。
武道と宗教・倫理との分離こそ、現代弓道を深める道であろう。

223 :
「弓道で点数を狙えるように」を目標に腰を据えてやるか。
中りや優勝で満足しない射手でなければ、道は極められないわ。

224 :
一番下の娘に連れられて、家内と3人、温泉プラス寿司ツアーから返って来た。
今日は、満足120パーセントだよ。
みんな、大きくなったなぁ。。。

225 :
射術、集めるタイプと捨てるタイプ
弓道の射術の場合は、状況が変化する競技ではないので、
いらない、使えない技技を捨てていって、
ONLY ONEの射術にしていくのが上達ということだ。
たくさんの射技を集めると、好きな時に好きな技を使えそうだ。
それに比べて、どんどん使えない技と決別して、一つにしていくと、
状況に対応出来ない不安を感じそうだ。
しかし、集めるタイプは、捨てるタイプと比べると、
技術の優越や他との連携などに於いて、その分析が充分に行われていない。
ある技術を捨てる為には、はっきりとした結論を得る必要が在り、
集めるタイプは、そうした分析が不十分で、
ごみと好い技の見分けが付かずにただストックしている。
また、集めるタイプは不調になれば別な技にチェンジ出来るが、
それが駄目なら、またチェンジと試行錯誤を繰り返し、
無駄な時間を費やすし、からだに好い射を積み込んで行く事も出来ない。
弓道の道具類や関連書籍、古文書など、収集癖のある人間は、
弓道の技術に於いても集めてストックしていくタイプだろう。
また、ごみごみした部屋に住んでいるタイプも、
恐らく、弓道は余り上達が見込めないタイプだ。

226 :
甘酒をロックで、
TVからベンのテナーサックス。
涼しい夏の過ごし方。

227 :
星に願いを、
虹の彼方に・・・

228 :
澤田忠範士の矢渡しを見た。
範士の中では抜きん出ているように思う。
不動の押手が特に好い。
爪揃えなどしていないから、出来ることだ。
上押しもかなり利いてはいるが、やはり握力不足が響いているようだ。
横引きの射手が大勢を占める中、不完全ながら縦引きをやっている。
弓返りや弦の顔避けの問題もあるので、弓手・手首がまだ控えられ、
手の内で真正面から弓を押していない。
しかし、大離れトレンドのせいか、馬手側の詰め合いをして右肘で引いている射手は未だ見たことは無い。
みんな手先引きで、精々引く矢束の射だ。
俺には師が居ないが、己こそ己の拠り所として歩む他は無い様だ。

229 :
まるで弓を引き分けた時のような弓の返り。
上下の鉾が同時に返り、上の姫反りが反り返らぬままに矢離れするから、
弦が弓を打たない。
動きの少ない、静かな射、
ただ、凄まじい的中音。

230 :
引分けの時の両腕の力のバランスがガタガタで下手くそな自分にアドバイスを下さい。

231 :
射術の異なる人に引き分けの技術を説いても、前後のつながりや全体に調和をもたらさないので無理だと思う。
要点は、足踏みの線を基準に胴造りが崩れない事だよ。
打ち起こした後の矢筋を会まで目で追って確認する。
・・・足踏みの線とほぼ平行で、滑らかに移動。
その為には、呼吸に乗せて一節7秒くらいでゆっくりとやる。
特に、引き分けは大三が有るから、その前後で7秒の2倍。
気持ちも力も6・7割に抑えた感じで、リラックスしてやることだね。
・・・弓構えの状態で、からだの無駄な力と気負いが無いこと。

232 :
アーチェリーでは矢羽に相当する物をヴェインと呼んでいる。
「ヴェインの小さいものはグルーピング(矢の集中力)が良いが、ミスしたときの被害が大きい。
それに対して大きいものはグルーピングが多少悪くなるが、ミスしても被害が最小限にとどまる。
そのため一般的に初心者は大きいものを、上級者は小さいものを用いる。」・・・ウィキぺ

私の場合は、基本的に矢の並進運動が抑えられているので、ミスショットをしない限り矢羽による修正作用には頼らなくて好い。
寧ろ、3枚の矢羽抵抗に差が生じることで、直進性を妨げる作用の方が大きいと考えられる。
羽引きは、本来は矢を取り落とさない為の手段なのだと思うが、現在では矢羽を傷めないとか、両腕に張りを持たせるなどの意味が有る様だ。
不言流の場合は、羽引きしなくても済む矢羽の長さで、羽の高さも現行の7割くらいに抑えてある。
これで、矢の直進性と矢勢のアップが図れる。
特に、射の精密性が問われる遠競射の場合は、有効である。

233 :
遠近競射だね。
前レス、近が抜けていた。

234 :
ブログなどに写真が有り、色んな会相を見る事が出来る。
しかし、矢筋に押して、矢筋に引いているものは殆ど無い。
それは、体幹の縦線がしっかりと伸びていないと出来ない。
だから、まず体幹の伸びを見れば、弓手や馬手を見るまでも無い。
横線は基本的に3本の筋だか、それを3箇所で束ねる為に、
3つのリングをイメージして固めている。
弦離れしてから馬手や弓手が動き出す私の引かぬ矢束の射でさえ矢筋に押し引きしているのだが、
引く矢束の射で動きながら離れを出している射手が、矢筋に押し引きしていないのは考えられないことだ。
初心者は、離れで顔を打ったり、弦で髪を払ったりする。
この頃は、頬付けを離しながら離れるという悪癖が身に付いていないからだ。
ところが、情けない多くの射手は、顔を打たない為に、小利口にもこの悪癖を身に着けてしまう。
同様な理由で、法外な弓手の振りという悪癖も身に着けてしまう。
こうした理由で、矢筋に押して、矢筋に引き、頬付けのまま馬手拳を動かさずに離れを出し、
弓手も必要以上に動かないということが出来なくなっている。
弦で顔などを打たない為の頭持ち、弓の伏せ角度、弓の捻り要素の大きさなど、
本来の解決法によって悪癖を避けるべきである。
この悪癖の時期は、弓を始めて初期のことであるから、指導者が好く誘導しなければ、
射手としての一生を左右することである。
まあ、まともな指導者が居ないという現実を物語る事実だし、
殆どの指導者自身が、この悪癖を身に付けている。


235 :
前離れと早気については、指導者は格段の配慮が必要だ。
問題把握や問題解決の能力が低い初習者に対して、
この2点の悪癖は指導者自身の責任であると、認識すべきだ。
これらについて連盟の指導体制には、明らかに欠陥があると言える。
まあ、不言流も指導育成プログラムの更なる充実を図る必要が有るのだが、早気については発病してから対処療法や根源治療を目指すのではなく、早気に感染しない体質を造る事が大事だ。

236 :
オリンピックなんかを見ていると、自国の選手層が厚くて、身近に強いライバルが居る競技が好い色のメダルを多く取れると言われている。
しかし、自分の場合は、弓道競技が直接相手と対戦する訳ではないのもあるが、具体的な誰か、強いライバルを意識して練習したことはない。
ライバルを意識してそのレベルを超えることを目標にしていたら、今の状態は無いと思う。
弓道自体の深みを追及することを目標にしていたから、今が有るのだと思う。
そして、その深みに底は見えない。
弓道に於いて、ライバルや勝利を目指すことは、弓道に対する志、修練の深みを損なうものと思う。

237 :
的中音も好く注意して聞いてみると、矢勢の違いは聞き分けられるし、
矢飛びの良し悪しも大雑把ながら分かるものだ。
パンという一音も有れば、パァという様な、パの後にァの付くような的中音が有る。
安土の的面は、矢がほぼ垂直に刺さるように傾けて置いてある。
そこへ、矢色が付いたり、乱れた矢飛びの矢が刺さると、矢軸で斜めに的紙を破ってしまう。
そういう場合に、ァの音が微かに聞こえる。
まあ、自分で矢取りに行けば、4本の矢は色んな角度で的や安土に刺さっている。

238 :
youtubeの映像でいえば、久保田清範士はかなり好い。
上押しは不十分だが、不動の押手もまずまず、会の静止も好い。
離れに軽さが有る。
ただ、上押しが不十分だから離れの鋭さにはもう一つの感が有る。
会の静止は、その数秒間で矢筋以外の雑力を取り除く働きがある。
この状態を変えずに離れるのがベストだ。
離す、つまり離れようと思い動作を起こすのではなく、
留めようとする気持ちを捨てれば自然に離れる。
かけの工夫、取りかけの工夫、そして意識に上る前に、
離れの時機をいち早く察知して出る自然(じねん)の離れこそ、
有為にして無為なる究極の離れだね。

239 :
自然(じねん)というのを超自然的な神業のように捉える人が多いかも知れない。
しかし、それは極身近な当たり前のことだ。
例えば、自転車乗りだが、車体が左に傾けば、意識無しにハンドルを左に適度な量だけ切って、転倒を防いでいる。
これを意識的にやろうとすると、まず事態の認識に時間が掛かり、ハンドルを左に切る角度も即座に計算できないで、転倒する。
こういった意識的な自転車乗りの状態が自転車を習い始めた者の下手糞状態と言える。
しかし、多くの場合、2・3日、或いは一週間もすれば、特別な意識無しにバランスを執って自転車に乗れるようになる。
これが自然(じねん)の働きだ。
自然(じねん)とは、意識下での情報処理作用で、事態の認識・判断・運動の制御作用などを担っている。
簡単に言えば、ロボットには歩行や走行、階段の昇降が未だ楽に出来ることではないのだが、人にとってそれらが楽に出来るのは総て自然(じねん)の働きが有るからなのだ。
テッポウ魚が光の屈折まで考慮して張り出した枝の昆虫を水中から撃つ落とすのも、ムカデが多くの足を整然と波打つように動かして歩くのも、すべて自然(じねん)の働きに他ならない。
つまり、弓道の射に思考を持ち込むということは、意識で運転してコケている自転車の習い始めと同じ状況と言える。
人はなぜ、思考するのか。
思考という意識は、問題解決を迫られて起こるものだ。
無心で射を行えるということは、初めから最後まで射に問題が起こっていないと言うことなのだ。
自然(じねん)という人に備わっている能力も、下手な思考を頼りにすることで発現出来ない場合がある。
特に、弓道の射手の殆どがその様だ。
朝起きて、まだボートしている時に、何も考えずにいつものように歯を磨くように、ただそういう風に弓を引くだけだ。
弓道の真体とは、自然(じねん)で弓を引くことだ。

240 :
オリンピックのアーチェリーは70mだが、10点を取るには的前で5cm弱の的に中てる事だ。
精度を上げる為の総ての要素をそこまで引き上げて、オリンピック出てみたいなぁ。
入賞は、次の段階、金は更にその上の段階だ。
アバウトな道具で、人間はどこまで出来るのか、確かめてみたーい。。。
その為には、健康で長生きが大事。

241 :
20年間、代打ちをやって負けたことの無い桜井章一も、
俺の自然(じねん)の弓道と全く同じ内容のことを言っていたなぁ。
彼は宿(じゅく)の雀鬼と言われた麻雀の名人だが、
恐らく、哲学も心理学も脳科学も禅も好く知らないだろう。
それでも、自分の命さえも言い訳に出来ない世界で、
俺と同じようなところに辿り着いていたようだ。
へへへへへへー。。。

242 :
kブログの高速度映像だが、矢羽による回転は、4・5回転のようだ。
あのような矢色の付く前離れでは、10回転は無理。
また、矢離れ直後、乙矢本来の回転になる前に、かけの捻り戻しによる時計方向の回転が見られる。
かけの捻りや戻しと、矢離れ直後の矢の回転との因果関係やプロセスが分かっていないようだ。
この射手が馬手拳の捻りを利かせたまま強く離れているというのは当該ブロガーの誤りだ。

243 :
適正な矢番えや取り掛けを行えば、弦離れの直後に、矢は矢枕から僅かに浮き上がり直進して行く。
取り掛けは矢を番えた少し下の弦の部分が弦枕に留められている。
だから、弦離れした瞬間には、上弦が先に矢筈を引き、下弦のたるみが消えるまでの僅かな時間の後、
下弦が矢筈を引きに加わってくる。
こうした上弦と下弦が矢筈を引き始める僅かな時間差によって、弦離れした瞬間、
矢筈が進行方向斜め上方に引かれると同時に、矢軸が矢枕を押し付ける下向きの力が生まれる。
次に、僅かに遅れて下弦が矢筈の引きに加わった瞬間、矢筈が進行方向斜め下にも引かれ、
その結果矢枕に接する矢軸には下向きの力が消え、むしろ強い下弦の引きにより僅かに上向きの力さえ生まれる。
これによって、矢軸は僅かに矢枕から浮き上がる。
ちょうど、一度身をかがめてから飛び上がる状態と似ている。
また、矢軸が矢枕に一度押し付けられてはいるが、この現象が起こるのは離れの直後であり、
矢の加速が僅かな区間である為、矢枕を傷めないのだろうと考えられる。

244 :
自分がどうやって弓を引いているのか、
かけをどの様に使って、
弓や矢がどのように反応しているのかなど、
殆ど知らずに、どの作者の弓が好いのだろうか。
そんなもの、決めようが無い。。。
道具の収集癖が有る奴に、弓の上手い奴はいないわなァ。
出来る奴は、道具に自分を合わせるか、自分に道具を合わせるかの
両方を試みて、丁度好い接点を見つけるものだ。
数を頼ってRに掛けるのではなく、
今有る普通に使えるものに心血を注いで、
無二の伴侶に育て上げることが大事だなぁ。。。

245 :
そういえば、稲垣さんの射、右肘は肩より上で胸より少し前納まり。
確かに、矢筋の延長線上に右肘を感じ易いが、
和弓の引き方としては小さい会相で、中て弓、アーチェリー方式だ。
弓手が猫背を基にした横引き、十段は功労賞だろうなぁ。。。
ちなみに、俺が高校生の時は、同じような右肘だった。
でも、進化しないとなぁ。。。

246 :
自然法爾(じねんほうに)・・・
自然とは在るがまま、成るがままという真如・真理であり、如来とも仏とも言われる。
法爾とは人の思考による計らいではなく、無為による当然の成り行きを言う。
よって、自然法爾とは何の計らいも無い無心になり、在るがまま、成るがままに身を委ねよということである。
弓道では、思考による己の計らいを捨てることで、世界と射手と弓などが調和した本来の射が生まれる。
もちろん、地球の裏側にあるアルゼンチンで飛ぶ一匹の蝶の羽ばたきは、私の射への影響はゼロに近いほど小さい。
しかし、それも確かに私と繋がっている。
弓やかけ、矢などの道具類は、その構造性に伴う機能や素材の物性などが自然に他ならない。
そして、私自身は自然のままに生まれ、自然のままに存在している。
思考やその計らいを行わなくても、思考して行う射を超越した精密さで矢を射る事が出来る。
射技の最大の難関・離れも、自然に任せる自然法爾によって完結する。
じねんの離れ、俺の後継者、ただ一人にか教えん。
自然でなくても、そのやり方は簡単で、誰でも5分もあればそれなりに出来るだろう。
しかし、誰もそのやり方には辿り着かないんだよなぁ。
決して、その射を見た先生方から注意をされるようなやり方ではない。
静止した会から、ノオ・アクションで軽く離れていく。

247 :
胸の中筋から開いて離れるのではなく、
離れると胸の中筋から開くのが正しい。
多くの射手は引く矢束の射で、右肩の詰め合いなど行っていない。
肩をまたいで腕と体幹をつないで詰め合うと、
弓の押し引きはほぼ体幹の大きい筋肉でやるから、
感覚的には小さな力を用いているように感じる。
それで離れれば、腕と体幹の接続角度は殆ど変わらずに、
両肩が背後に回り、胸の中筋から開いた形になる。
ただ、背中の大きく強い筋肉を弱めに使っているから、
オーバーアクションには決してならない。
私の場合、離れで右腕は、馬手拳・右肘・右肩で出来る三角形の形が崩れず、
右肩が背後に回るのに着いて行くだけだ。
会から残身に於ける馬手拳の移動距離は5分から1寸くらいだ
馬手は弓手とは違い緩まないように支えているだけだし、
強く大きな筋肉を用いてその筋肉の割りには小さな力を働かせているので、
離れた後の反動で裏的へは大きくは飛ばない。
また、腕と体幹を詰め合わせる肩甲骨辺りの筋肉のせいで、
肩を支点として肘だけが大きく動くことも無い。
まあ、こんなことを書いても、範士の先生方の大多数が引く矢束の射で
馬手の方の詰め合いなど出来てはいないだろう。
まずは、静止した状態から、そのままで離れられるようにならないと、
ここに書いたことも活きてはこない。

248 :
>>力の方向が安定収束してきて、左右のバランスがよくなってきます。
これは、早気のブロガーが書いたものです。
適切な時間、会を保つと、射が安定して中るという内容です。
ビデサイトでは、把の高さを高くしても、弓力の増加を感じられない射手が居ましたが、
まともに静止した会を持ったことの無い射手には、分からないことです。
静止した会を数秒持つことで、矢筋以外に向いている雑力が消え去り、
また、細く小さな筋肉群で押し引きしていた力が、より太く大きな筋肉群に入れ替わり、
矢筋や引き尺の維持も楽で安定してきます。
私がこれを主張してから随分たちましたが、段々と理解と体感の輪が広がってきているようです。

249 :
離れの出来ない人が多い、というより、そんな人だらけだ。
そういう人に限って、胸の中筋からとか、胸を割って離れを出すと言う。
離れは出すんじゃなくて、出るものだよ。
出ない人は、離れるためのアクションを起こす。
そんなことは、会と言う完成形を壊すことだから、やってはいけないことだ。
会では手先で弓を押し引きしているのじゃなく、
体幹の大きな筋肉群で伸び合っているから、弦がかけから離れた瞬間に、
両の肩が後方に動き、胸の中筋からかぱっと割れた残身になるんだ。
まったく、本末転倒の考え方だ。

250 :
矢も今は羽にお金をかける時代ではない。
ミズノのSST・80−24辺りが、重さと強度で言えば、面白そうなところだ。
形状も好いな。

251 :
今夜は、これから得意の野菜の浅漬け作りだ。
明日の朝が楽しみだ。
これをおかずに、サラサラと水ご飯だ。

252 :
水ごはんってなーに?

253 :
不言流の水ご飯・・・
炊き立てのご飯を適量ざるに入れ、流水で冷やし、ぬめりもとる。
それをどんぶりに入れ、冷水をご飯の表面程度まで張る。
おかずのベスト3は、1位野菜の浅漬け、2位焼いた塩鮭、3位焼いた糠ニシン
これに、わさびを溶かした醤油をかけて、おかずとする。
しょっぱさと冷水が口の中で、丁度好い塩分濃度を作り出す。
そこへ、おかずの素材の味が滲み出し、わさびが全体を引き締める。
夏場に、どんなに食欲の無いときでも、これだけは爽やかに喉を通る。
これぞ、不言流、夏を乗り切るスタミナ術。。。

254 :
弓の冴えは、単に復元速度の問題ではなく、弦返りの過程のどの時期で矢が最高速度に達するかで決まる。
通常の射、つまり離れると上鉾が手前に大きく戻って来る様な場合には、合成弓では弦離れから凡そ実引き尺の1/4で矢がトップスピードに達する。
竹弓の場合には、弓の材質や製作者の意図などによって大きくバラツキは有るが、凡そ実引き尺の1/2程度弦返りした時点でトップスピードになっているものと思われる。
竹弓が離れた後に、合成弓より手の内に優しい感じがするのは、合成弓の約2倍の距離を掛けて矢を加速する為、離れの衝撃が柔らかいのだ。
しかし、合成弓に比べると、竹弓は弓力の割りには矢勢が落ちるという欠点がある。
また、矢をトップスピードにする為の弦返りの距離が長いため、その間の弓の姿勢制御を怠ると矢筋が狂い易いし、矢勢が落ちている分矢が直進するという慣性が減少しているとも言える。
つまり、竹弓を使用した場合は、弓力を支える力は程々で好いのだが、弓の姿勢制御能力が劣る射手にとっては扱い難いものとなっている。
逆に、合成弓の場合は、トップスピードまでの距離が短い分、離れの衝撃が強い。
しかし、その過程は短い弦返りの距離で行われるため、弓の姿勢変化の影響を受け難く、矢筋を狂わせ難いと言える。
だから、離れの衝撃に耐えられる力を有せば、弓の姿勢制御能力が多少劣っていても安定した的中を望める。
体力があり、手の内の要領を好く熟知していない若者が、冴えの有る合成弓を好む訳はこの辺に有りそうだ。
竹弓の場合は、弓力の割りに矢勢は落ちるし、弓の姿勢制御が求められるから、より使いづらい道具と言える。
しかし、弓道は中る事が至上命題ではなく、あえて難しい弓の中に、最善の射を築いていくことだから、基本のマスター、つまり5段くらいからは、竹弓で矢飛びの美しさや矢勢の乗りを求めていくことになる。
5段を境にして、それ以下は引く矢束の射で大離れが好ましく思われるが、それ以上では引かぬ矢束の射で中離れ、小離れが期待される。
また、矢色の有る矢飛びから矢色の無い正直な矢飛び、上押しが利かぬ上鉾の戻る離れから上押しの利いた矢勢の乗る離れなど、その前後で多数の相違点が有る。
名人上手と言われる射手の的中・連中については知られていても、その射手の矢飛びの美しさや単なる強弓の使用ではない矢勢の素晴らしさを示す逸話は殆ど聞かない。
如何に大衆の名人伝説が、鈍愚な弓道観によって成されてきたかが解る。
ところで、竹弓で言えば、弓の胴や大腰の辺りまで大きな裏反りの有るものは、弓の冴えを標榜して製作されたものと観ることが出来るだろう。
冴えの無い竹弓でも、冴えの強い合成弓でも、そのどちらにも対応できる支える強さと姿勢制御能力の両方を手にしたら、その後は冴えの有る竹弓で引いてみたいものだ、と思う。
そうした弓のひとつが肥後三郎なのだろう。
また、グラスやカーボンを素材に使用している弓の場合は、それらの物性によって、竹弓より容易に冴えの有る弓の製作が出来るようだ。
しかし、余りにも冴えが有りすぎると、支える力の大きさ以上に、自然の離れを体験していない大多数の射手には、タイミング遅れの問題が生じて扱えなくなる。
メーカーも、大量販売を見込むためにはユーザーのこういう能力不足に合わせて、冴えを落とすマイナーチェンジをして売り出しているようだ。
まあ、強弓も好いが、13キロくらいの弓で、16キロ前後の弓より矢勢の有る美しい矢飛びの矢を飛ばす射手に憧れるなぁ。。。

255 :
弓道の目的、色んな考えがあると思うが、
難しいことを如何に容易そうに完結させて行うかだ、と思う。
例えば、私が若い頃の体操競技では、ウルトラCというのが最高難度の技だった。
その技は、体操という可能性の中で選手自らが創り上げたものだ。
だから、難易度Aの技ばかりで演技をまとめても、大して高得点は得られない。
その代わり、ウルトラCなら高得点は狙えても、失敗する危険度は大きい。
少なくとも、5段以上の射手は、弓道の可能性を追求し、自ら難易度の高い射を目指し、またその完成度を高めようとするものだ、と私は思っている。
岡崎範士が会を25秒前後も持つのには、的中にとってどんなメリットが有るのだろうか。
長く持ったからといって、自然の離れではないし、恐らく信念としか言いようが無い。
もっと言えば、メリットなどという俗物の念は有していない射だ。
私とは異なる方向性で、岡崎範士は自己に困難な射を課しているのだ、と思う。
私の引かぬ矢束の超小離れの射も、引く矢束の大離れの時代性には非常な困難さを感じる。
また、中押し偏重の中、完全な上押し射法であり、離れは意識によらず意識下の自然(じねん)でノオアクションから起こる。
射の可能性の中にこれ以上のものを見出せば、また取り入れていくが、自ら探し当てた困難に立ち向かっていくことこそ、弓道の魅力であり、己の内に的が在るとは、正にこの事だと思われる。
誰にでも見える安土の的に、心を奪われてはいけない。

256 :
弓手拳から馬手の方までしっかりと詰め合いをすると、
右の方は右肘で伸び合うというのが嘘なのが分かってきます。
右肩を支点にすると離れで右肘が後ろ下に動きます。
しかし、胸の中筋を支点(折り目)にして詰め合い、伸び合って離れれば、
両肩が背後に動いて胸が開いた残身になります。
これが、本当の姿でしょう。
習いの段階にもよりますが、弓道界には、与太話が横行していますね。

257 :
今夜は宴会料理のお土産、
これじゃ、袴をイナセに着こなせやしないわ。。。

258 :
今朝はゲリラ豪雨状態だ。
おお、治まって来たようだ。

259 :
角見も利くし、弓返りもする。
中りもするが、手が汗でべたべただ。

260 :
会で、弦を右肘から糸かひもで引く方法と、右肩・右肘・弦枕までを詰め合って弦を引く方法を比較すると面白い。
まあ、その中間型も有る。

261 :
弦を糸かひもで引く方法は、右肘が矢筋に無い限りは矢筋に引き続けられない。
右肘で伸び合って、もし引き尺が変化すると、詰め合いの無い前腕の状態が変化して矢筋に伸び合うという状態を失う。

262 :
弦を糸かひもで引く方法は、会で離れる直前まで右肘で矢筋に伸び合っている感覚が有るだろう。
しかし、引く矢束の射で伸びながら離れた時、矢筋は変化している。

263 :
問題は、矢筋の延長に右肘が無いこと、右肘から弦枕までの詰め合いが無いこと。
その位置のままにただ離れれば好いのだが、詰め合いの無い馬手に離れという変化が有れば、矢筋は狂う。
弦を糸かひもで引く方法は、良策とは言えない。

264 :
私の弦離れはノンアクションだが、自分で離す場合は詰め合いが無ければ、より大きく矢筋を狂わす。
逆に言えば、詰め合いが有るから体幹からの離れが出る。
手先で離れれば大離れ、右肘で離れれば中離れ、体幹から離れれば小離れとなる。
体幹からの離れは両肩が背後に動き胸の中筋から割れる。

265 :
強く美しい矢飛びには、矢筋に伸び合うということが必須だ。
体幹の縦線がしっかり伸びて、弓の中にからだがギリギリ割り込んだ感覚を大事にしている。
この時、両腰骨が意識に上り、両肩と合わせて堅固な長方形が感じられる。
下腹の張りと両肩線の張りに、両脇腹の張りが加わって、離れの衝撃を胴造りで受け止める備えが出来たということだ。

266 :
まあ、射形が好くても矢飛びが定まらない人は多いと思う。
土体黄色 中四角
鏡を見ながら三重十文字のチェックは出来るが、その内実有っての射形ということだ。
やはり、足踏みが重要になってくる。

267 :
弓の中に詰め合いをした体が割り入って、しっかり離れの弓力を支える射は、強く美しい矢飛びの根幹だよ。
稲垣さんなんかは、右肘が前に浮いている。矢筋に伸び合うのは分かるが未熟な射だと思う。
それが一流派を代表する十段の射なら、連盟も呆れたものだ。
射の真体、九段・十段と、海外まで弓道を普及した業績は分けるべきだ。感謝状か功労賞のレベルだろう。

268 :
今日の初めの10射は8中。
ちょうど、1ヶ月ほど弓を休んでいて、再開から3日目だ。
初日は3本外れて、後は普通に中りだし、二日目は4射皆中からの始まりだった。
初日の外れは左右に散ったが、後は上下、狙いの問題だ。

269 :
その後、4射皆中。
ただ、最後のは弓返りが不十分だった。
弓手のかけ指が少し浅かった。
体力的に5秒前後の会だが、やはり澄ましが浅い。
体力を取り戻して、10秒前後がベストだ。

270 :
今日の3立ち目、4射皆中。
残身での弓の落ちは、親指の半分ほどが握り皮からはみ出す。
好い時は握り皮の内に納まることも有るが、まずまずだと思う。
弦離れ後の弓の返っていく軌跡も好い。
後は、この射法の鍛錬だけだ。

271 :
今日の最後の一手、皆中。
20射18中・・・9割。
凄い矢勢だ。
弦は関板との間隔が3ミリ程だが、離れても音はしない。
休み明けだから、矢筋の張り合いを確かめ、胴の四角形を確かめ、
後は、会の澄ましを充分にし、心身の雑力を消すことだ。

272 :
おまけに4射皆中。
24者22中・・・9割2分。。。
夜気が涼しめで、手の内が楽。。。

273 :
弓を再開した頃から、馬手が会で揺れるようなことは殆ど無かった。
元々馬手前腕を脱力するタイプだったから、 最低でも右肘で引いていたし、矢筋以外の力を使わないようにしていたからだ。
今は、体幹で主に弓を押し引きしているから、年を取っても馬手のぶれないジジでいられそうに思う。
まあ、俺の弓の頂点は、70代前半と観た・・・弓歴ニ十数年、好い頃だろう。

274 :
弓道は和を尊ぶ。和って、弓道のスローガン、個人で言えば座右の銘みたいなものだ。
本来、このような心掛けるべき事柄は、必要でありながら如実に欠けている現実があって、
その打開のために掲げられているものだ。つまり、弓道という個人競技で個人主義・自己中というのが、
弓道の宿命とも言える。その好い例は、射法の制定に当たって、各流派が我を張った結果、
教本の射法は統一されたものではなく、各流派の並列記載になっている。そこに携わったのは有名範士。

275 :
礼は家畜と同様な扱いをされた奴隷がいて、階級社会を維持する支配階級の論理だった・・・鎮護国家。
孔子は、ひしお漬の人肉を中国の食人習慣に従って好物にしていたが、それが礼の世界では普通だった。
彼の言った仁、博愛と言っても好いが、仁の影にはこんなに恐ろしいことがある。

276 :
現代の日本でも、小中高・・・と子供たちは教育を受ける。
この期間に、先生という支配者と学童・生徒という被支配者の立場の違いを骨の髄まで叩き込まれる。
国家体制は自由平等を掲げても、社会人になれば縦型社会の会社や官庁などに勤めて、更に上下関係を身に付けていく。
そして、知らず知らずに、我々は支配者の構想に組み込まれていく。

277 :
現代社会のトップにいる支配者は恐らく10人にも満たない巨大資本を持つ銀行家だろう。
例えば、ロックRー、ロスチャイルド、モルガンらだ。
彼らは現実に打ち合わせ会を設けて協議しているようだが、お金を通じて世界を一つに統合し、支配を強めようとしている。

278 :
私の知っている団体は、横型社会で皆平等だった。
勿論、会長などの役職は有ったが、それは業務を遂行する為のもので、上下の身分の違いを意味するものではなかった。
会員間に先輩後輩また年長者などという区別は有るが、それは頭から威圧的なものではなく自然発生的な関係だった。
弓界は横型の団体だと認識しているが、誤解している人も少なくないようだ。

279 :
支配というと実感が薄いので、いじめと言った方が好いだろう。
例えば、業務報告会で課長が社長に叱責されると、課長は係長、係長は主任や平に叱責が伝播する。
平は家庭に帰って妻に、妻は子供に、子供はクラスの自分より弱い子にと、叱責のようないじめが連鎖する。
2ちゃんねる自体は、社会の最下層で、自分の鬱憤の持って行き様の無い者の為に、支配者の意図を反映して作られたモノと認識している。

280 :
支配やいじめは、社会の中で慣習として認められていたり、制度化されていて、我々には被害を受けているという認識がなく、寧ろ自分の苦しい状況が自分の責任だと思い込むように、仕向けられている。
例えば、東京電力の料金値上げは、対象が家庭・商店・事務所で政府の認可が必要だ。
巨大資本との結びつきの強い工場などは除外されている。
しかも、そうしたところほど、電力の大量消費をしているのだ。
こうした弱者へのいじめを、政府は制度として公然と認めるだろう。

281 :
俺は昔から支配されるのが嫌いだったから、こういうことに敏感なのかも知れない。
ただ、逆に俺が団体等のトップに立った時は、自分が組織図の最下位でみんなを支え、最終的な責任を執る者という認識だった。
一度の人生、何がまともな事なのか、マジで考えなきゃなぁ。。。

282 :
今日はここまで4立ちで、12射10中。外した原因は、大三での馬手の甲が上を向かなかったこと。
ここを逃すと体幹の縦線が伸びず、馬手拳は起きず、横引きになって矢筋に張り合えない。
また、両肩線・両腰線・両脇腹の四角形も出来ず、胴造りも不安定になる。
好かったことは、会が8秒から10秒、12秒と伸びてきた。
12秒の時は、矢が巻き藁から抜けなくなった。

283 :
天龍さんは素晴らしい。
引き分けについて書いて有ったが、その骨は肝だよ。
そして、中四角と気の昇る縦線、こうしたものが的中率10割への要訣だ。
今日の初めの一手、皆中。
何の迷いもなく強く美しい矢飛び。
内実のこもった迷いの無い会相に、迷いは無し。

284 :
庭にミョウガを拾いに行ったついでに、自然薯(じねんじょ)を一本掘り出してきた。
60センチほどだが身は真っ白でサクサク。
さっそく摩り下ろして、温かいご飯にかけて食べた。
んー、この精力、どこへ持って行こう。。。
市街地の庭に、自然薯が自生しているっていうのが、凄いなぁ。

285 :
射の安定は土台にあり。
その上に射術があり、
その度毎の狙いの正確さがある。
そして、からだの揺らぎによる射の誤差を
的枠の内に収めること。

286 :
中っても外れても、失敗する射の殆どは縦線の伸び不足だ。
縦線が伸びれば、胸が弓の中に僅かに入り、馬手拳も少し起き上がる。
この僅かな差で、矢飛びの方向性も矢勢も大きく違ってくる。
離れの弓力を受ける横線にとって、弓の中で詰め合っているかどうかが、
胴造りを活かして射を安定させる第1だ。
それが安定して出来るようになれば、めったに外れることの無い射に成るだろう。

287 :
こじんまりと、馬手肘を前に浮かして引く稲垣さんの射、
詰め合いは、それだけでは威力が半減する。
弓の中で詰め合いが出来てこそ、本当に詰め合った価値が出るものだ。
そうした事を見極めずに、十段を拝受して逝ってしまった。
私も何かをやり残したとさえ気付かずに、一生を終えるだろう。
しかし、知り得た事は誰かに伝えて、物言わぬ道標となろう。

288 :
ビデ板で、馬手が口割りまで降りてこないんですなんて相談を見ると、
おいおい、自分のからだだろうと思ってしまう。
しかし、打ち起こしで右肩が上がるのを解決するのには3ヶ月、
離れると弓が手の内から4cmほど落ちてしまうのを解決するには5年以上かかった。
その他、特別な射癖は無かったが、新しい射技を一通り定着させるには、3ヶ月以内で済んでいた。
かつて、奥義の射は200本に1本だったが、今ではそれが当たり前になっている。
今回の弓の中で詰め合うという課題も、現在は1/2くらいの確率だが、
3ヶ月もすれば普通になるだろう。
ただ、この課題は、今までの個々の課題を同時にほぼ総て成り立たせることなので、
非常に難しい。
まさに、隙の無い射を目指すことになる。

289 :
普段、酒は殆どやらないが、息子から好いウイスキーを貰ったので、
ストレートで7割やった。
そろそろ、オン・ザ・ロックだ。
弓の方は、目指す方向性に迷いは無い。
熟練有るのみ。。。
ウィ。

290 :
これだけ飲んでも、一手皆中。
徹夜、寝起き、飲酒、引越し手伝いの直後疲労、
腰痛中、厳しい花粉症中など、
ストレスを課した練習でも問題なく引ける。
他にも30秒、1分の会等、
それでも中る弓に挑戦。
負荷をかけた練習が、自信に繋がる。

291 :
連盟、上位者の映像消したようだ。
まさか、俺が書きすぎて、恥ずかしくなったわけでもないだろうが・・・。
しかし、上級者が矢乗りさえ見せない、
虚構を孕んだ弓界だから、それもアリかも知れない。
人と和を結ぶには、1度くらい真剣に殴り合った後だよ。
殴るは喩えだがな。
見せ掛けの和ほど、醜いものは無いよ。

292 :
おお、SKEの10枚目のシングル、キスだって左利き、
そのmusic videoの撮影は、
俺の好く知っている学校や街並みだよ。
きれいに映ってるなぁ。。。

293 :
チャーリー・パーカーは、それまでのメロディー演奏から、
コードを基にしたより複雑で自由な全く新しい演奏法を作った。
彼はアルトサックスを吹くジャズ界の人間だが、
バッハやモーツアルトにも劣らない大天才だ。
音楽をあれ程までに変えてしまった者が、歴史上に何人いるだろうか。
さあて、弓の可能性に迫った俺の奥義の射で、
・・・どうかなぁ。。。
子供たちに夢を持てと言った大人の夢。
この夢を英語に訳すと、dreamじゃなくて、goalの方だよ。

294 :
今日は新たな射の基準に照らして、98点くらいのが3本出た。
射はどんどん難しくなっていくが、
古い積み重ねほど先にだんだんと身に付いてゆく。
だから、修練の時がいつも私を励ましてくれている。

295 :
今日の最後の3射、皆中。
1射目・・・94点・・・大三の不備を会で修正した。
2射目・・・70点・・・胴造りに問題、胸弦が強く引っかかる。
3射目・・・98点・・・現時点で最良だが、プラスαが無い。

296 :
今日は徹夜明けで、カミさんから任された仕事を処理した。
まあ、経済活動に関わる契約なのだが、関係法規や現況など、
多岐にまたがる一夜漬けをして勉強して、その分野のプロ・代理人との交渉だ。
こういうことは、お互いに勝っても負けてもいけない。
三方一両損みたいな結果にしてやらないと角が立つ。
それがちょうど1時間くらい前にまとまって、
更に、ちょうど雨が上がって、初矢を外して4射3中。
しかし、会も充分持てたし・10秒程度、
厳しく締まった射だった。


297 :
会で、弓の中に僅かにからだが入り、その中で詰め合って、
張り合いながら澄ましを充分に行う。
そして、自然(じねん)かつノンアクションで離れ、
弦は弦枕から離れればどこにも接触する事無く、癖のある歪みがなく弦返りしていく。
この時、上鉾が的方向に真っ直ぐ進み、手の内の数センチ前方の上方で止まり、上の姫反り辺りを中心にして、弓返りの回転をする。
弓返りは300度程度、残身での弓の落ちは握り皮にぎりぎり納まる程度。
残身で、弓手の手首折れは無し、弓手拳の移動は拳一つ斜め後ろ下。
馬手は、1寸の超小離れ。
離れると両肩が一寸ほど後方へ、その結果、胸の中筋から胸が割れる。
離れなどで、残身に胴造りの狂い無し。
矢勢すこぶる激しく、矢飛び美し。
弦音なく、弦の風切り音・弦笛少し有り。
俺の今の射、こんな感じだよ。
もっと、完成度を高め、安定感も求めよう。

298 :
前レスの上から5行目に訂正あり。
誤り・・・この時、上鉾が的方向に真っ直ぐ進み
正しくは・・・この時、末弭が的方向に真っ直ぐ進み、
以上

299 :
今夜、一眠りの後の4射1中。
駄目だーーー。

300 :
昨日の疲れをとるのに、ソーラー岩盤浴をして、居眠りして来た。
我が家の半露天岩風呂の露天部分に在る。
30分もすれば汗びっしょりだが、半端なく全身日焼けする。
水分補給にカミさんが気を利かして、
ジョッキーでアイスコーヒーを持ってきてくれる。
最高の気分。
しがらみの何一つ無い空間で、弓のこと、哲学などを、
雲の流れるように自由に思索する。
今日は新しいアイデアが浮かばなかった。
ただ、ぼんやりの時間が過ぎた。

301 :
久々に好い弦笛が鳴った。
弦の張りは弱めの設定なのだが、手の内のキメを強くしたせいだ。
そうした時に限って、矢が抜けてこない。

302 :
今夜、最後の3射2中。
照明を消し、矢番え、取り掛け等、
的も見えないが、出来ることを淡々とやる。

303 :
更に、一手皆中。
月は西に在り、建物が明かりを遮っている。
的付けも狙いも無い。
出来ることをやるだけだ。
自分の射が好く出来た。

304 :
今夜の射で、からだ全体を統一させるポイントを見つけた。
ただ立っている時も射を行う時もここを意識すると、
すべての力が集まってくるのだ。
それは丹田ではなく、背中側に在った。
丹田は呼吸によって力が加わる場所であり、からだの内部だ。
ところが、このポイントは体幹を覆う表面の筋肉群を
まるでこの1点で摘み上げて、そこから総ての筋肉群をピンと張る感覚だ。
今まで、腰周りや下腹部の筋肉、お尻の筋肉、脇腹の筋肉、背中上部の筋肉、背中下部の筋肉など、
その一つずつを個別にコントロールしてきたが、全体としての一体感に欠けていた。
ところが、このポイントだけを意識して張る様すると、体幹が外骨格を持ったかの様に決まる。
この成果は、久々に大きいものだ。

305 :
人のからだは、不思議だ。
色んなものが隠されている。

306 :
解剖学見地で、スポーツに於ける筋肉の使い方などの研究が進められているように思う。
しかし、弓道に関して言えば、体幹を安定させる為の筋肉の使い方とか、弓を大きく引き絞った状態を維持する筋肉の使い方とか、弓手を離れた後まで安定した状態に維持するといった筋肉の使い方など、具体的な研究例は見当たらない。
弓道は射的競技の一種で、一般的なスポーツに比較すると静止状態の筋肉の使い方が重要であるという特徴を持っているからでもあろうと、推測される。
体幹を維持するには、腹筋と脊柱起立筋の働きが大きいと思われる。
また、弓を大きく引き絞った会では、からだの背面の筋肉群のみならず、一部前面の筋肉群も重要な働きをしているように思われる。
さらに、手の内や弓手首の維持・不動の押手になると、上下や前後の2方向への曲がりを防止するために、どの部位の筋肉群をどの地点まで張れば好いのかなどを知れば実現する。
こうした射手の経験則に、科学が全くと言っていいほど追いついてはいない。
私は連盟の運営等に対する要望の中に、弓道を科学的に研究する事業の新設を訴えたが、是非叶えてほしいものだ。

307 :
弓を引く多くのものは弦離れすれば、その一時をもって総てが終わったのかのように気も体も緩んでしまう。
しかし、矢離れからが矢を押し出すという弓の一大事の始まりで、気も体もそれをしっかりと支えなければならない。
その成否が残身(心)に現れるのだ。
気は体に現れ、体は気を表しているから、会・離れ・残身を通して弓の張力は無くなっても、そのこと以上に緩まぬ様に残身は堅持されていなければならない。
私の発見した体幹安定の1点は、主に体幹の表層的な安定を得る中心点であり、丹田は体幹の内部を安定させる中心点の様な印象を受ける。
この1点は丹田とも一体化して、体幹全体を安定させ体と気を一体化させているように感じる。
この様に、多種多様な筋肉群を要する体幹の安定が、単純な1点と丹田の一体化だけで出来るとなると、会から離れを越えて残身に至るまでの胴造りの堅持が非常に簡単で可能になった。
また、この1点で体幹の必要な筋肉群に必要な大きさの強度を設定すると、それらの総てが調和して、一定の状態を再現し易い。
ところが、個々の筋肉群を個別にコントロールする場合では、一つずつ強度の違う命令を多くの筋肉群にそれぞれ送らなければならない。
そして、それを調整・維持するという煩雑なことをしているのだ。
こういった難しいプログラムを小脳を中心とする自動調節機能に根付かせるには、より困難な修練が必要なのだ。
今回の発見は、的中率8・9割から10割へ近接する為の大きな業績であるように考えられる。

308 :
訂正
2行目の矢離れは誤りで、弦離れが正しい。

309 :
人のからだは、水の入った皮袋までとは言わないが、かなり自由でグニャグニャなものだ。
それが、きちんとした骨組みで構築されている射出装置やその土台部分になると、
的中精度は飛躍的に上がる。
つまり、構造的に狂いが出にくいし、弓道では射手の体が射出装置などの大部分を占めているから、
心理的負担が減少することで、射の全体にわたる狂いが減少する。

310 :
この1点にしてから、射法八節の総てが好い方向に動いている。
特に、大三はまるで会のような内実のものになった。
また、離れても、その衝撃が気にならないので、矢筋通りの射出がより正確になったと感じられる。
刺さった矢が抜けなくなる頻度は高まる反面、矢を放つとこが段々と楽になってきた。

311 :
今夜の最後、3射皆中。
好い胴造りは好い大三を、そして、
弓の中で好い詰め合いができて、
好い会が出来れば、中って当たり前。
奥義の射は、弓力を最大限矢に乗せるから、
手の内には竹弓と同様の柔らかさがある。
これが、残身時の感想。。。
反動の強いグラス弓をここまでにするには、
完璧な不動の押手と強力な手の内が必要だ。
握力100キロ以上、タートルズの様な筋肉の付き方、
伊達じゃないよね。

312 :
女性が席を外す時に、「バラを摘みに行ってきます。」と言う時がある。
元々は、英国の貴族社会での言い方で、トイレに行く時に用いられた。
男性なら、何と言うかなぁ。。。

313 :
浜辺の濡れた砂で釣鐘の様な形の山を作る。
そして、その上に野球のボールでも乗せてやる。
この状態から何かを働きかけてボールが転がり落ちる。
これが弓道の射術だよ。
まあ、これは初心者の射だ。
熟達者は、より硬質な物質で山と球を作る。
また、より高く、より鋭利な先端の山にする。
硬質な物質とは、射出装置や土台などの堅牢さ、
つまり、揺らぎが無く、緩みの無い、胴造りや詰め合いなどの喩えだ。
高くとは、射に悪影響を与えない範囲での最大弓力を意味している。
そして、鋭利な山の先端とは、硬質な二者の関係も相まって、
離れの軽さを意味している。
これらが射の3大要素で、その他に、狙いの要素が加わる。
射術の向上は、常にこれらの究極に向うことだ。

314 :
その弓に固有の最大弓力を大きく引き分けることと、矢勢を最大にすることは同義ではない。
弓を大きく引き分けた場合、弦枕の位置は基本的に首筋と右肩の中間より右肩寄りに在る程度が好い。
この位置を決める要件は、第1にかけの帽子が矢筋と同様に水平になっていることあり、弦枕の位置や形状もかけ帽子の方向で弦を保ちまた離れる様になっているのが好い。
第2に、矢軸に添える馬手人差し指の第2から第3関節までの部分が上から見て矢筋と同様に的方向になっていることである。
第3に、右肩と右肘内側の詰め合いをし、馬手首の力を抜いた状態で、第1と第2の要件を満たすものが馬手の最大引き分けの位置である。
これ以外のものは、離れによって矢筋を狂わせてしまう。
ここまで述べた引き分けの最大限度で、矢勢の最大値は決まる。
後は、弓力を矢勢に活かす変換効率を高める方策である。
それは、本質的には変換効率を落とす要素を取り除くことである。
そうした要素は端的に3つある。
つまり、緩みと摩擦と矢筋の変更である。
緩みの最大のものは上鉾の戻りであり、次いで馬手や弓手の戻りである。
その他、離れで手の内を緩めたり開くものは明らかな緩みに繋がる。
更に、些事の様では有るが、離れの弓力を支える拇指球の筋肉が多少たりとも柔らかければ、それも緩みであって矢勢を削いでいる。
摩擦は弦返りの速度を減速させるだけではなく、矢筋を狂わせるものである。
摩擦には端的に2つ有り、胸弦とかけ帽子の腹の2種が有る。
特に、かけ帽子の腹と弦との接触は、外回りをさせて弦が顔を打たないためにも必要だ、と言う射手も少なくない。
しかし、弦の外回りなら角見の働きで充分に出来るし、かけと弦の接触による弊害の方が遥かに大きい。
矢筋の変更は、中りを危うくするものだから第1に有ってはならぬものである。
しかし、前離れ、緩み離れ、かけ帽子と弦の接触などで起こる。
こうした悪癖の離れが起こると矢の並進運動が起こり、直ぐに近い弦返りが乱されて、矢軸のうねりに弓力のエネルギーが消費されたり、弦の押す方向と矢の進行する方向に差が生じるため、弦の押す力の分力が矢を押す形になり、矢勢を減じてしまう。
その弓に固有の最大の弓力を活かして、最大限の矢勢を実現することは、前述の内容を総て整え直して可能なのである。
矢勢を求めて、単に、強弓を用いたり、軽い矢を用いた射とは、全く異質なものと言える。
最大弓力を知ることは理想の会相にも繋がり、最大の矢勢を求めることは矢飛びの美しさを求めることでもある。
こうした過程が正射であって、辿り着く果てが弓道の真体である。
私がここに記した内容は少なくとも5段以上の射手が心掛けることと承知されたいが、現実的には多くの範士に於いてもその試みが為されていない様に思われる。

315 :
雨の後で、手の内がべたべたしていた。
しかし、前レスの九十、数パーセントが達成されている射だった。
今日の最初の1射中り。

316 :
最終的に難しいのは、弓の中で詰め合いを作ると、
胸弦の接触する強度が高まってくる。
しかし、胸弦は会での弓の姿勢を安定には欠かせない要素でもあるので、
そのバランス感覚が難しい。

317 :
今日も普通に中っている。
中らないのは、宝くじと対向車線の自動車だよ。

318 :
基本的ではないが、
弓手拳から左肩、そして右肩がやや直線的に成る方が詰め合い的には好ましいと思われる。
この場合は、明らかに体幹が少し捩れている。
その捩れが離れの弓力に対して緩まない為の抑止力にもなる。
弓道ではタブーだが、アーチェリーでは当たり前の考え方だ。
弓道って、建前が多いな。

319 :
弓道を再開した頃は、巻き藁を3年もやれば一通りのことが身に付き、
その代わりその後はさしたる発見も無い長い時期を過ごすのだろうと考えていた。
ところが、5年半にもなるが新たな発見が度々ある。
大と小の差こそ有れ、嬉しいものだ。

320 :
雨の日が続き握りがベタベタで、手の内のキメが6割程度の感覚だ。
弓を主に手の内の形で制御するから、中りに極端な影響は無い。
しかし、射の冴えという点では、天と地の差が有る。
第1に矢勢の乗りが悪いし、普段とは違う余分な力が入り、大きな欠点が現れる。
射を進めていくと、普段より滑り易いから手の内のキメを無意識に強くしてしまう為、馬手にもそのストレスが反射してしまう。
会での馬手、特に矢軸に添える人差し指の圧力が大きくなったりして、てき面矢飛びが汚くなる。
今日の最初の6射は、4中。
通常の手の内感で初めの2射を外し、次の2射は手の内のキメを強くし中りは有るが大きな矢色が付き、最後の2射は馬手の方だけ余分な力を抜いて矢色が付かずに中った。
ただ、最後の2射も矢勢は普段に比べれば、1・2割は落ちている感じだった。
もし、雨の日など、湿度の高い射会では、この教訓を活かさなければならない。

321 :
会で息を丹田に収め、鼻から僅かに漏れ続く、これを練習するのにティッシュの小片を鼻の頭から垂らす方法がある。
他にも、弓道でのティッシュの用途は有るが、手の内が出来てくると、ティッシュを一枚握りに巻く、巻く方向も大事だが、
それで1射してみて、破れが無く、弓が残身で大きく落ちていなければ完璧。
お祭りの夜店で、薄い紙を張った針金で、金魚を救い上げるようなものだ。
握りの角に手の角を合わせてずらさず、また弓返りしようとすれば柔らかくそうさせてやる。
そして、手の内は残身でも崩れていない。

322 :
久々にやってみた。
1枚のティッシュを半分に裂き、それを弓返りの方向に握りに巻く。
凡そ2周くらい巻かさる。
その結果、中指の辺りに2回とも直径1cmほどの穴が開いた。
と云っても、ティッシュは2枚重ねなので、表面側の紙で、下の紙は無傷だった。
これをやると、弓を出来るだけ柔らかく持とうとするのだが、矢勢や射の冴えは十分ある。
つまり、手の皮などと握りとの摩擦力で角見の代用をしようとしている手の内ではティッシュは裂け、手の内が離れで大きく崩れる場合には、ティッシュがグチャグチャになる。
手の内に自信のある射手は、試してみれば自分の実像が現れる。

323 :
炎の体育会、狩野は気力では負けていなかったと思う。
しかし、射の繊細さ、完成度の差は歴然としていた。
彼の取り掛けは深く、弦の捻りも以上に強い。
離れは馬手が緩むし、精度を競うような射では、トップに勝てないのは当然。
一方、彼女の矢飛びはかなり綺麗だ。
しかし、芸人としては好くやったと思う。

324 :
今日も3日連続の雨模様。
手の内のキメは少し強めで、馬手は普段通り柔らかく。
今は、胴造りの1ポイントの様に、
左右上下不動の押手の1ポイント探しをしている。
どちら側に在るかは論理的に法則を見つけたので分かる。
ただ、その部位の特定は、人体の解剖学を学ぶより、
射手の経験則で見つける方が早そうだ。
もう、見当は付いたが、それを射で確かめる。
複数の筋肉群を別々に管理していたのを、1ポイントでそれらの各強度までを、
バランスの執れたものにしていく。
複雑を単純で置き換え、各筋肉強度に散らばりの有るものをバランスの執れたものにして、
更に、再現性を高める。
こうした方向性の始まりは、下半身の胴造りを足踏みの開く角度でキメたことだった。
それは弓道再開のごく初期のことだったが、不言流の射がほぼ出来上がったところで、
仕上げとなる取り組みだと思われる。

325 :
本来の矢勢を得るのは弓手だが、
矢飛びの美しさは馬手に掛かっている。
たとえ、前離れ,緩み離れが無くその場で離れても、
馬手の執りかけ方が不正だと矢色は付くし、
矢の飛ぶ方向性にも狂いが出る。
流派によっては、その不正を好として薦めるところも有るから困ったものだ。
離れてから5間も矢が飛ばなければ矢色が治まらず
堅物を射抜けないという教えは、将に馬手不正の証だよ。
現在は矢筋通しの狙いだから、左右の矢の散りは殆ど無い。
ただ、弓手の調整中と高さは直接狙いが付かないから、多少の誤差が出る。
まあ、的前での狙い対策は既に出来ているから、今は射を仕上げるだけだ。

326 :
とうとう、左肩から手の内に至る1ポイントのキメを見つけたようだ。
単純化、力のバランスの良さ、再現性の克服が進んできて、更に楽で高品位の射が出来るようになってきた。
また、今日は馬手の取り掛けがほぼ離れるまで変わらない状態だったので、軽い離れが安定していた。
後は、馬手拳が残身で矢筋より前に出ないように気を付けたい。
弓の落ちは、握り皮の内に手の内が収まるようになってきた。
他に、物見から残身まで顔向けの深さが変わらないように心掛けることに、気を付けよう。

327 :
今日は好い天気だ。
ソーラー岩盤浴から、スタート。

328 :
今日の目標は、胴造りと弓手の1ポイント、
馬手執り掛けの維持、弓の中での詰め合い、
そして、顔向けの維持、離れに於ける馬手拳の矢筋1寸移動だ。
まあ、これらの定着だが、総合的には意識的に9割5分の出来だが、
無意識的には、どうだろうか。
まだ、総合点は5割くらいじゃないかなぁ。

329 :
今日の最初の一手、皆中。
甲矢・・・70点・・・弓の中で詰め合いが出来ておらず、気が抜けていた。
乙矢・・・93点・・・矢飛びは最良だが、気迫が不足で矢勢が不十分。

330 :
横線の詰め合いには、屈筋が大切だ。
大分雰囲気が出てきた。

331 :
甲矢と乙矢を打ち込むと、
それぞれの回転方向に90度だ。
弦離れに癖が無く、
歪みの無い弦返りであることが分かる。
だから、矢所に乱れが無いといえる。

332 :
久しぶりに、巻き藁矢を引いてみたら、
筈の切れ込みは、ぴっちり垂直。
今の方向性に間違いは無いようだ。

333 :
右肘の内側の詰めは大切だ。
と云っても3通りは有る。
矢が前へ行くのは親指の使い方だが、
後ろに行く原因には、肘内側の詰めが大きい。
それは、大三とそこからの引き分けに掛かっている。


334 :
今日は曇り気味の予報だが、
ガンガン晴れてる。
ゆったりいくかー。

335 :
今日の一手、皆中。
今日は後、お休み。

336 :
天気予報は、前日ならほぼ当たるけど、2日前なら三角、
週間予報となると、もう3日以上先は当てにならない。
多くの人は、気象庁のネットワークやアメダスなどを、
過信している。
晴れと曇りの中での変更は、2日前ならよく有る。
晴れと雨の中での変更は、3日前ならよく有る。
ソーラー岩盤浴をしていると、見逃さないわ。。。

337 :
手の内を年間通して安定化させる施策を本日完了。
暑くて、グダグダ。
射技の方は、好きな様に引いていた。
理論弓道学とか思考実験とか、将に予想通りの解決を得た。
よく机上の考えなんていう奴がいる。
そんな奴らの思考は思いつき程度だから、
実際の場合に役に立たんということだ。
同じ人間同士でも、弓と同様、思考にも大差があるものだ。


338 :
俺の馬手の弦離れは、減点するところが無い。
今日、手の内の問題が解決したから、両手が減点なし。
もう、弓道って感じがしない。
美しく、強い矢飛びが、あれだけ色んな条件の整った僅かな高嶺に在ったのに、
今では、平地の道端に、空き地の雑草の陰に、普通に在る。
今日最後の一手は、的の真っ芯に2本とも刺さった。・・・同じ穴。

339 :
手の内が完成してみて分かる。
手の内は一生。
なぜか。
手の内だけを研究して、完成しないのが手の内ということ。

340 :
後は、サイトとエイミングの体力。
それの付帯事項のクリアだ。

341 :
正直、弓も飽きる。
今日は、60本くらい引いた。

342 :
rも久々に更新したが、明日が大会らしい。
この時期、ここと同じような気温なら、
全体的にグダグダの射続出になりそうだ。
汗で手の内が狂うと、的中6割以上が即上位入賞だろう。
不言流の弓なら、ほぼいつもの的中率に近いものを出せる。
射術だけではなく、日本独特の気候風土に合わせた道具への配慮も必要だ。
今日は何だかんだ90射くらいは引いた。
暑くてグダグダ、集中力など、初めの20射が好いところだった。
全体で、7割5分くらいの的中。
まあ、今日は体力対策、手の内が少し痛くなる前で止めたわ。

343 :
一昨日の最後の一手が心に浮かぶ。
それは、記憶という抜け殻だが、
これこそ弓道だという射だった。
一言で云えば、
「重い斧を振り下ろして、うずらの卵を崩さずに、殻だけを真二つに割る様なものだ。」
この喩えは、離れに於ける弓の姿勢制御を表したもので、会・離れ・残身という静の内に有る力の体感だ。
奥義の射も新たなステージに入ったと実感できる。
2/100・秒という刹那に、力の爆発と姿勢の制御を完結させるのが射術の極みだよ。
会相を作り、弓を張り顔のままで弓手に持つ。
離れると、末弭も本弭も一気で同等に、張り顔のそれぞれの位置近くまで矢を加速する。
そこで矢離れをして、その後もその位置のままに弓は縦伸びをして弓返りが起こり、残身となる。

344 :
こうした射の成否は、必ず矢飛びに問わなければならない。
つまり、「美しく強き、矢筋通りの矢飛び」である。

345 :
今日は、長男に連れられて温泉。
家内も喜んでいた。
快い疲れ。
日本酒のon the rock,イーイネ。
さあ、これで最高の射が出れば、今日は完結。

346 :
続け様に十数射、徒労に終わった。
また、明日やろう。

347 :
今日の最初の4射、2中。
その日の初立ちはいつも何も考えずに射る。
まるで大会に参加した時のように、だから大抵皆中なのだが、
中らない練習に矢数を掛けた後は駄目だ。
それが、弓歴の浅い私の弱点とも云える。
ただし、転んでもただでは起きない。
手の内の更に好い方法を掴んだ。
これは、手の内さえ筋肉が隆々とした私だから出来るテクニックかも知れない。
弓返りの勢いがアップし、弓の落ちも更に少なくなった。
早速、射術の積み重ねを記録したワードパッドに書き込んだ。
捻りの要素が少なくて、弓返りの勢いが強いというのは、実に儲けものと言える。

348 :
弓は引き尺を無理に伸ばすより、無駄な力の入らない射の方が矢勢が乗る。
つまり、整った弦返りは、実に速いものだ。
それは、水の入ったペットボトルと中の水が凍ったペットボトルを
斜面で転がした時のスピードの違いと似ている。
ペットボトルが転がるのは位置エネルギーが有るからなのだが、
水のペットボトルでは、中の水は殆ど回転せずにペットボトルの容器だけが回転する。
ところが、氷のペットボトルでは、容器と氷の全体が回転しながら、下へ転がっていく。
2者の間のこうした差によって、氷の方は落下以外に氷の回転という運動にもエネルギーが消費されるため、
落下する速度は予想以上に遅くなっている。

349 :
会では、離れによる瞬間的で大きな衝撃が手の内に加わる為、
緩まないようにと会を維持する力以上の備えをしている。
ただし、ここでは引く矢束の射、つまり押し引きの力で引き尺を増やして離れるようなものは考えない。
それは中級者で、上級者は引かぬ矢束の射であるからだ。
さて、馬手拳で引けば大離れ、右肘で引けば中離れ、右肩で引けば小離れであることは先に述べた。
それでは弓手はどうであろうか。
離れの弓力に弓手が負ければ、弓手は脇正面に移動し緩む。
しかし、離れて弓手が体の後方に移動するのはどうだろう。
この現象は、緩みに比べれば申し分ないようにも思われる。
しかし、必要以上に弓手に力が加えられていたというのが実態だと思われる。
離れの衝撃に過不足のない会での備えがされていれば、弓手は後方に移動するな残身にはならない。
野球などの振り抜くバットの場合ではフォロースルーは成り立つが、弓道の静止した会からの離れでは、過剰な労力がフォロースルーに見えるだけだ。
別に射法に残身を加えて八節にした人の責任を問うつもりは無いが、射を極めてくれば会と離れの後の身体の形は、ほぼ同じだよ。
大離れがトレンドだから、わざわざ残身を作るものまで出てくる。
それも中級者、上級者と上に上がるほど演出している。
上に上がるほど、手先引きから、肘引き、肩引きになるから、離れは小さくなるので、その分、故意に作っている。
しがらみに囚われないで、というよりしがらみを意識したことは無いが、そうした無心で弓道に向かい合うと、弓界の常識は崩壊する。

350 :
rも試合結果など、更新で出てこないなぁ。。。

351 :
偶に大離れもやってみる。
緩みも何の引っ掛かりもないので、好きな形の残身が作れる。
しかし、馬手に無駄な意識が行く分、弓手が弱くなって矢勢が乗らない。
まあ、引かぬ矢束の射にとって、大離れとはその程度のものだ。
その後に、本来の射をやってみると、無駄が無くしっかりと矢勢が乗る。

352 :
今日最後の4射、皆中。
4本とも中身が好い。
足踏みから肋骨の下部までがピタリと決まって、
縦伸び、横伸びが決まり、全体が一つになった。
しかし、和弓は難しい。

353 :
弓の横引き、大きい捻り、上押しの利かない中押し、大離れ、体幹の縦伸び不足、
これらは弓道修練の初期過程に於ける方便の射に過ぎない。
正射の内実、即ち矢筋通りに射出し、矢色の付かぬ矢勢の乗った矢飛びにとっては、
それを阻害する射癖に過ぎない。

354 :
1、弓の縦引き、即ち和弓の上長下短に於いては、縦引きが結果として矢筋引きとなる。

355 :
2、捻りは加えるのではなく、発生するものである。
即ち、かけからの弦離れと同時に弓手拳は僅かに的の左側へ移動をし始め、弓の内竹は手の内に押し付けられて数度の初期回転を行う。
こうして矢は弓を避け、また矢はほぼ直ぐな弦返りによって加速される。
その後、矢離れをすれば、弓は縦伸びをして手の内を打ち付けた反動で跳ね返り、天文筋を支点に弓返りする。

356 :
3、上下左右の不動の押手は、中押しの筋を張る事で完成する。
即ち、中押しとは充分に上押しが利く事であり、上鉾の戻りは無い。

357 :
4、小離れ、即ち体幹で弓力を支え伸び合えば、離れで馬手拳は殆ど飛ばない。
右肩周辺の詰め合いを行わなければ右肘が大きく動き、更に右肘内側の詰め合いを行わなければ馬手拳が大きく動く。
中離れ、大離れは、右腕の方の詰め合いが出来ていない不正な射である。

358 :
5、体幹の縦伸びが充分になければ、弓の中に入った詰め合いが成立しない。
この詰め合いは充分な澄しを楽にし、その結果として緩みを防止し、矢筋の狂いも防ぐものである。

359 :
今日の的中スレを見ると、某有名ブログ主だと思うが、4割くらいの中りの様だ。
残暑の厳しい中、手の内が決まらないことと思う。
筆粉などではない本格的な対策が為されていない様だ。
汗で手が滑るのを防げばいいだけなのだが、
弓道の伝書などから離れて、普通に考えれば身の回りのもので見つけられると思うがなぁ。
特に、風呂場辺りに。。。

360 :
私の大三は射法図に在る様に低めだ。
大三の位置は手の内の加減と直結しているから、捻りの弱い場合はこうなる。
また、大三では左腰が入り、右肩は下がり、右の肘から脇にかけてはっきりと張りが出る。
まるで、大三は小さな会の様だ。
ここでは、馬手の手の内や手首など、会と同様になっているから、スンナリ引き分けて会に納まる。

361 :
2/100・秒の離れの瞬間、
弓力の大部分は母指球で支えるが、上鉾の戻りは虎口の辺りで支える。
矢勢の乗った良い射の場合は、上鉾の戻りを支えきった感覚がはっきりと有る。
離れの瞬間に遅れずに、また力負けしない様にする備えが、手の内の張り合いだ。
横引きの射手の場合は、手の内や手首などによる捻りがそれに相応している。

362 :
昨夜はTVで、将棋の羽生さんと囲碁の藤沢秀行さんのインタビュー番組(再放送)を見た。
二人とも天才と言われているが、共通しているのは常識に囚われない自由な発想だ。
一つの分野で上に立つには、努力、資質、環境など、それらは当たり前だが、それだけでは実力の大差がつかないものだ。
そこで、大事なのは問題に取り組む出発点を沢山持つことだ。
つまり、自分が暗黙の内に自分を縛っている前提を取り払う事。
次に、物事をより単純化して考える事。
そして、関係を可視化して理解を促す事。
そうして出来上がった方法論、つまり戦術や技術や道具などは、体力や精神力には比べようもない両者間に大差を生む。
それは、投石やこん棒での狩と弓矢での狩の差であったり、刀と鉄砲での戦いの差であったりする。

363 :
仕事のログインが不具合になって、数日間復旧を試みていたが、やっと戻った。
これで一安心。

364 :
今日、カミさんが弓道本を4冊、図書館から借りて来てくれた。
その内の1冊に、各種大会の結果が掲載されていた。
見ていくと、選手権大会の優勝者に娘の名が載っていた。
それは平成分からで、昭和のも有れば、
同大会の優勝に俺の名も有ったのだが、カミさんは喜んでいた。

365 :
今日の初立、1射0中。
外れたが、矢が抜けない。
緩みの出やすいところは、手の内だ。
とりわけ、弓力を受ける拇指球の硬さ。
それに、上押しの利き。
ここがしっかりしていると、引き尺が大きくなくても矢勢は凄い。

366 :
一手皆中。
矢勢は有るが、矢飛びが汚い。
捻り要素が強すぎ。
手の内の下半分の問題。・・・修正しよう。

367 :
今日は普通に中るし、矢勢も有るのだが、
矢飛びが汚かった。
馬手拳が、その位置のままには離れていない。
前離れ気味になっているようだ。
気合が足りなかったと言える。

368 :
気合と大三を工夫して、安定した矢飛びの美しさを取り戻した。
弓の姿勢制御と矢勢と弓返りも、同時に満足できた。
全天候型に変えて、他の各部との整合性が崩れていたのが、
今日、矢飛びの汚さとして現れた様だ。
これで、統一感が備わった様だ。

369 :
上押しは、矢勢を乗せる技ではあるのだが、
同時に弓の基本姿勢を維持することなので、
矢の左右の散りを防ぐことになる。
多くの場合、向こう弦というのは上押しの強い時に起こり易い現象だ。
そうした場合には、意外と矢飛びは好くて的中したという経験がないだろうか。
ただ、弓返りが不十分だから、そのままではいけない訳で、
同時に、弓返りの起こり易い手の内の技も使わなければいけない。
手の内の要素は端的に3つ、主に弓力を支える(拇指球)、
捻りの要素(初期・手の内の内竹との接触面、弓返り・天文筋と中薬小指)、
上押し(手の内と手首の固定)である。
これらがほぼ決まるのは、大三だ。
今日の改良は、教本の様に低めの大三で、弓手拳が左腕とほぼ同じ向きに伸びる形にした。
つまり、鵜の首ではなく、斜め上を向く感じだな。

370 :
この形にすると、会で手の内に的に向って弓を下に捻るような力を感じる。
これが、弓の縦引きに於ける張り合いだよ。
この張り合いが、会よりも大きい離れの弓力に備える力となり、
緩みを防止する。
弓って云うのは、横引きの横の捻りには矢所が左右され易い。
ところが、多くの射手があれだけ上鉾が大きく戻っていても、
上下の矢所の散りはさほどではないことからも分かるように、
縦引きの張り合いは、矢所の上下の散りには余り影響しない。
的中精度を上げ正射を求めるなら、弓は縦に引かなくてはならない。

371 :
しばらく天気の悪い日が続いていたが、今日は秋晴れ。
息子に温泉グルメツアーに誘われたが、今日はちょっとした山場なので、
カミさんだけ連れて行ってもらった。
お土産を楽しみに頑張ろう。
今日の初立ち、4射3中。
矢勢・矢飛び好し。
外した4射目も、矢筋通りだ。・・・狙いと離れの時機に問題。

372 :
会での胸の中筋の使い方が少し分かってきたようだ。
弓手と胸の中筋はつながり易いが、馬手の方はそうは行かない。
そこら辺を今日は心掛けよう。
最初の一手、皆中。
矢飛びに、縦の狂い有り。
一晩の弦の伸び辺りで、矢番え位置に狂いが出たようだ。
もう少し下へ。

373 :
今日は新しい手の内に挑戦した。
矢勢は90点だが、矢飛びは100点に近い。
弓と手の内の接触を最小にし、再現性の高さを追及したバージョン。
手応えは充分。
今の様な全天候型の場合は、この手の内が最高の相性かも知れない。

374 :
この射だと、板打ちの弦音がする。
上鉾が13度までは戻っていなくても、上押しは余り利いていない。
しかし、矢飛びの美しさと的中精度は非常に良好。
季節で弓と手の内を変え、異なる射も面白い。

375 :
この手の内も一つの完成形だろう。
捻りは必要最低限、それが実現している。
それに、馬手の秘技の離れを加えれば、
中て弓としては、完成形に近そうだ。
ただ、天上人の射なら好いが、武人の射としては腹一杯にならない感じだ。

376 :
今日の最後の1本、100点。
奥義の射と今日の手の内とを統合させて、今までの1番の射だ。
これで、上押しの不十分なのを負い目に感じることも無い。
どんどん、進歩するもんだなぁ。

377 :
射の狂いとは、端的に2つの事で起きる。
一つは崩れること、緩みと云っても好い。
もう一つはやりすぎる事、力の入れすぎだね。
手の内の3つの要素の内、捻りの要素がやりすぎる1番の対象。
これが、まともならまず中る。

378 :
あの後、追加で10射ほどやったが、
捻り要素の意識が減った分、支えと上押しの要素が強くなったのか、
矢勢が増してきた。
巻き藁から、抜くのが大変。

379 :
手の内と弓とは、男と女の関係のようなものだ。
俺は外枠を決めるが、後はその中で弓を自由にさせる。
数学で云えば、少数という範囲は有限だが、その中は無限だ。
つまり、どこかに拠り所が有って、それでいて自由だと感じる時、
女は最善に振舞う。
男が描いた有限の中で、女は無限を感じ、そして輝く。
それが、手の内と弓との関係。
これが今日完成した手の内。

380 :
射法に気掛かりが無くなって
中る為の最後は狙いだが、
会の澄ましの中で、気を充分に矢筋に通して残身まで保つことが大事だ。
その為には、弓構えの円相を段々とつぶして、
出来るだけ矢筋の様な直線に形も距離も近づけることだ。

381 :
これをやると、離れた後も弓手が活きていて矢飛びも矢勢も活きて来る。
離れる時に、馬手に意識が有ると弓手は死んでしまう。
離れが自由自在に出せない射手は、凡そ2/100・秒という最も大事な時期を失敗していると言える。
左右に均等に伸び合って離れている場合は、離れ自体に意識が置かれていて、
離れた直後には弓手のコントロールを考えている場合も有る。
しかし、離れを意識しておいて、発後に弓手をと考えても、
実際は間に合わない。
弓返りや残身には間に合うのだが、やはり1番大事な時期に弓手が死んでいる。
ましてや、大離れの残身をイメージして会を持っていたら、論外だ。
仕事の時にはアフター5の事を考え、同僚と焼き鳥屋に行ったら今度は話題が仕事のこと。
これじゃ、弓も駄目だ。
会では矢筋に伸び合うだけ、離れのことも残身のことも考えない。
今に三昧できず、先行きを思うから、その時々の今が疎かになる。
今が疎かになるから、先行きが崩れる。
こういう戒めの分からぬ内は、凡射が直らない。

382 :
だから、離れというのは時機に至ったら間髪を入れずに出るものだ。
その時機を知るのも、弦を保つのを止めるという命令も、
意識下で行われている。
これが、自然(じねん)の離れだ。
意識の命令より早いから、離れの時機を逸しない。
無意識だから小脳の調整機能を害しない。
・・・など明確な長所がある。
これが真剣勝負なら、より早く相手の急所を断ち切ることが出来る。

383 :
そう云えば、数日前、TVのごきげんようにジュリナが出ていた。
質問コーナーで、嫌われる勇気を持とう、って答えていた。
まだ高校1年生なのに大人より凄い。
不言流が尊敬する数少ない人物の内のひとりだ。
ただ、地球のマジすか学園3はかなり脚本が最低だ。

384 :
私たちは1歳くらいになると歩ける。
もちろん、その前には伝い歩きだとか、寝返りとか、
その準備段階が有り、筋力の増強なども図られている。
この様に、歩く為の準備や練習をするから歩けるのだが、
本当は、そんなことではない。
歩く為の準備が出来ていくことも、歩く練習をすることも、
そして、歩けるようになることも既に備わっていたこと、
というのが真実なのです。
これをヒトの自然(じねん)と言います。
元々、白という漢字は神を表し、総ての自然物には、
そのひとつずつにひとつの神が宿っていると言われています。
神の山を白山などと呼ぶのもその好い例です。
自分の自という漢字は、神を表す白に一を加えて作られたものですが、
自然から私に分けられた神のひとつが自分という言葉の本来の意味なのです。
つまり、ひとりひとりのヒトの中には、神が宿っているのです。
だから、歩けるし、弓も引けるのです。
この神こそ、無色無形のものですが、自然(じねん)と云われ、
如来とも仏とも真如とも言われるものなのです。
人類には、弓矢で狩りをしたり戦っていた時期が長期に亘って有ります。
現代人は、そうした時期に於いて優位を占めた人類の子孫ということが出来ます。
そうすると、私たちの中には弓を引く資質・弓道の自然(じねん)が
備わっていると言えそうです。
そうした、神・自然(じねん)で弓を引くのが、弓道の真体となります。
ああ、今日は美味しい日本酒で、かなり酔ったY。


385 :
rもkもzも、他のブログも、殆ど仮死状態の様だ。
根拠や理由を明示した誤りの指摘は有り難いものだが、
つまらぬ保身でアクセスを断る了見の狭さ。
彼らに守るべき博学は有るのかなぁ。
どうせ、お互い、薄学同士じゃないのか。。。

386 :
Facebookとかmixiは自分の素性も明かせないようなやつは入ってこれないからマジ快適だお(´・ω・`)

387 :
今夜は、二人でうさぎドロップを見た。
昨日は君にと届け、一昨日はゲームだったなぁ。
今、TVで探せば、フルムービーがいっぱいだ。

388 :
おいおい。。。

389 :
今日は、雨の合間にでも、
弓を引こう。

390 :
今日は弓の握りの補修をした。
乾くまで、しばし待機。
通年で、手の内と握りの接触感覚が一定だから、射が安定。
今日も普通に真正面から弓が押せる。
だから、矢勢が有って中るちゃん。

391 :
握りの接着剤が乾いてもいないのに、かけをさしていまった。
しょうがなく、矢摺籐を握って射てみた。
ところが、弓力は落ちるが、矢飛びは美しく的のど真ん中に的中。
弓返りも好く、ほぼ完璧な射だ。
この感覚の中には、何か重要なことが隠されている様に思われる。
今日は、この射を研究だ。

392 :
んん、この問題は面白い。
既に、握りの大改造をしてしまった。
扱い易くなったよ。
今度、新弓を買う時は、これで行く。

393 :
手の内の捻り要素は同時に弓の姿勢制御の働きの一端を担っている。
捻りは必要悪だから小さく抑えたいのだが、それだけでは姿勢制御が弱まってしまう。
この二律背反に今日の研究が光を指してくれた。
つまり、捻り要素自体の感度を全体的に下げれば、捻り要素には以前より強めの働きかけをしても捻り要素自体が以前より大きくない程度で収められる。
そして、以前より強い働きかけによって、弓の姿勢制御の働きは向上することになる。
そうした知恵・弓理が握りに隠されていた。
こうして、またもう1歩、10割に近付いた。

394 :
捻り要素自体の感度を小さく設定出来たので、
手の内の中を大きく使って弓の姿勢制御が出来るようになり、
矢飛びに狂いなく矢筋通りの射の確率がギューと高まった気がする。
この様な研究は射癖が無いから出来るのであって、
物理学や推計学の実験計画法などの知識が有って出来るものだ。
専門家は机上で論理を築き、実験で検証をする。
思考実験を机上の理論と非難する輩は、専門家の思考実験が判っていない。


395 :
同じ的中でも、的の中心に中る確率がはっきりと高まった。
んん、好いーネ。

396 :
小雨が降り始めた。
今の一射もクオリティの高さを物語っていた。

397 :
ここのところ、手の内関係の改善を試みてきた。
その結果、現在は手の内の形状に落ち着きが無くなっている。
しばらくは、手の内を落ち着かせるのが課題の様だ。
・・・1週間は研究を停止。。。

398 :
弓をやってくると判ってくるのだが、矢の上下の散りはさほどではない。
しかし、左右の散りは中々消し去ることは出来ないものだ。
何射に1本左右に外れるかは射手にも拠るが、この危惧はいつまでも着いて来る。
手の内の出入りの問題とからだの正面で弓を引いているのが原因だろう。
私自身がどれだけの的中精度を実現するか、どれだけの連中をするかは別として、
弓道の方法論として、これらをどこまで解決できるのか、それを求めている。
そして、死ぬ前に、誰かに不言流を伝えたいものだ。

399 :
そろそろ、Wake up!・・・上行く・アップって感じだな。
あーー、目が覚めた。

400 :
ブロガーの旦那さん、初天皇杯取った様だ。
大したもんだ。
他には、夫婦で参加した県も有ったような。
それはそれで、微笑ましい。
色んなドラマが有る。
ヒーローやヒロインになるのは大変だ。
俺は、顔で坊さんかRの役が似合いそうだ。。。

401 :
今日は日が変わったが、昨日の状態が維持されている。
状況と理屈を捕まえていると、翌日には好い射が消え失せるという事が無い。
もうひとつ、馬手の方も良い状態だ。

402 :
さっき弦が切れた。
今回は2ヶ月弱もった。
この前までは、テンションを大きく上げて引いていたので、
1ヶ月ももたなかった。
ちょうど、的のど真ん中に刺さって終了。

403 :
何て言う弦?

404 :
かけも改造で大分荒れてきている。
あと2年はもたせるつもりで、補修をした。
さあて、稲妻・弦でも張るか。

405 :
今は関板と弦が5ミリくらい離れていて良いのだが、
明日引く時には、くっ付いていそうだなぁ。

406 :
mixiなんかのブログで、かけの改造を見たが、
帽子を短くしていた。
また、帽子に小紐を巻いていたが、判ってないなぁ、思った。
帽子を短くするほど離れは重くなる。
竹林のかけがどうして帽子に小紐を巻くのか。
帽子の1部にしか木が無い節抜きなのか。
取り掛けの技術とかけの構造と全体を総合しないと、
離れの軽さに繋がってこない。

407 :
弦の張りはじめは、伸びが激しくて使いずらいわ。
朝、長さ調整したのに、また伸びてる。

408 :
弓をやると、物を持つというのは難しい事だと思う。
10キロのコメ袋を横にしてかだらの前で持つ場合も、
手先で持てばかなり重く感じる。
しかし、両腕を袋の下から入れて、からだに密着させて持つと、
そんなに疲れない。
持つ者と持たれる物との一体感が大事だと思う。
手の内と弓の場合も、内竹と手の内とが一様に密着して、
正面から偏り無く支えている感覚が生まれると、
矢が思い通りに飛んでくれる。
詰め合いの方は、背骨の肩甲骨よりもう少し下の方で詰め合い、
両肩はからだの前の方に出ているから、肩甲骨の間は開いている。
そして、胸骨が僅かに弓の間に割り込むと、
弓の中での詰め合いが完成して、矢飛びは安定するし、矢勢も乗る。

409 :
射法としては、弓構えから一気に大三へ持って行くのが手の内を決め易い。
宇佐美さんと同じような感じだ。
ただ、このやり方は体幹がしっかりと出来ていないと胴造りに狂いが来る。
渡しの場合は、OK.

410 :
会での手の内の充実感がほぼ安定して再現出来る様になった。
しばらくは、手の内を落ち着かせる。
普通に、外れない。
矢飛びにはたまに狂いがある。
矢勢は、充分。

411 :
アタルキが強くしてくると、的が身近に近付いてくる。
そして、じねんの離れが、ちょっと早くなる。
何とか澄ましを長引かせようとすれば出来るが・・・
ま、脳内Rでも多量に出して、悦るか。。。

412 :
射法と手の内
@正面打起しとA斜面打起しとB宇佐美さん・竹林派方式の打起しでは、手の内にどのような違いが有るのか。
@は、高く打起してから多少下へ大三を執る。
この時、手の内の上部で弓を開き、手の内を凡そ決める。
Aは、ほぼ取り掛けの高さで、会に於ける弓と弓手の位置関係でほぼ手の内を決める。
Bは、取り掛けの位置から上へ大三の位置を執る。
この時、@と対比すると手の内の下部で弓を開き、手の内を凡そ決めている。
この様に、下へ、真っ直ぐ、上へという凡その手の内を決める時の動きの違いによって、会になった時の手の内の状態が異なってくる。
手の内は会に至った時、手の内の形のままにその機能が発揮されるべきもの。
あらためて小指を締め付けるものでも、手の内の上部を押し込むものでもない。
そうした手の内の機能を生む技術は、射法によって促され出来上がる。
尾州竹林派は凄いや。

413 :
最近、爪揃えする様になった。
でも、その中身は浦上系とは違う。
かなり前から、馬手の薬指と小指は丸めないで、伸ばしてる。
一つずつの所作を検討して、全体の統合をすると、
もちろん流派の様にはならないし、
統一感の無い連盟流にもならない。


414 :
手の内の張り合いがある程度大きいと、
馬手の事を忘れ、発後の弓手を活かしてくれる。
馬手は弦を掛けているだけだ。
弓は弓手で押して、弓手で弦を引く。
好い射が出た。
残身が自然と長い。

415 :
んん、この星の弓道は奥が深い。

416 :
今日は寒いくらいだ。
20本に1本くらいの割合で、弦が頬骨を摺る。
3000本の暴発実験のお陰で、別に気にならないし中る。
恐怖心や痛みも突き抜けてしまえば、平常心になれる。
これは弦返りが直ぐな証だが、顔向けや弓手の肘の入り具合が狂うと、
時々弦に叱咤激励されるということだ。
特別な師匠が居ない代わりに、いつも弦や弓や矢が教えてくれている。
小振りの娘のお下がりのかけを改造して使っているが、もう自分の手のような感覚だ。
オーダーで作ってもらった大きく長いかけを使っていたら、今の様なデリケートな感覚は無かったと思う。
TVドラマの剣仙が、剣は手ではなく心で持つ物と言っていたが、
弓矢も心に浮かぶ感覚を、余すところ無く感じ取って射る様にしている。
それが、じねんの射を深めることに繋がる。

417 :
最初の一手、皆中。
2射目は、バランス感覚が抜群。
弓の中に詰め合いが入り、楽に離れの弓力を支え、
上押しも利いているから、手の内への反動も殆ど無い。
まるで10キロくらいの弓を引いた感覚で、正確で矢勢も有る。
関板叩きの弦音もないから、巻き藁を打つ音しか聞こえない。
ただ、風切りの弦音、つまり弦笛が出ていないのが残念。
弓も17キロ位のを使わないと、弦笛は望めそうにない。

418 :
2立目、5射4中。
外した理由は、判らなかった。
恐らく、弓手が緩んだのだろう。・・・なら、珍しい。

419 :
会も弓の中に筋骨の詰め合いを作って、最大引き尺を取れば、
後は関節が伸びるわけではないから、もうこれ以上は無い。
ただ、緩まないようにするのだが、腕や弓などの重さをかけてやれば、
縮もうとする引き尺を保てる。
必要以上に、押し引きをして体力を消耗するより、
楽にして、手の内の張り合いを大切にし、矢を押し切れば良い。
また、一つ楽になったし、射の安定も向上したようだ。

420 :
会で詰め合いに特別な力を用いずとも緩まないということは、
弓の中で詰め合いが出来ている証であることが逆に判った。
・・・その後、14射13中。
ところで、捻り要素じゃなく、捻りが掛かってしまっている。
そこのところ、改善だ。

421 :
矢が的の後ろ気味に行く捻り効果を減じて、
修正Okay.
もし、前に行くなら、親指が緩んでいる場合だ。
たとえ1本は外しても、連続では抜かないことが大事だ。

422 :
以前書いた胴造りのキーポイントと会での力の焦点が一致していた。
会が好い状態で楽になると、今まで見えなかった感覚が浮かび上がってくるものだ。
そこは丹田とも繋がっているが、従来の考えとは異なる位置だ。
この星の弓道は深い。。。

423 :
残身に至るまで、胴造りの確かな感覚を持ちながらの射。
足踏み・胴造りに意識を持ちながら、感覚を味わいながら射を行う。
的付けに拘れば、射自体が崩れるから、狙いはテッポウ魚に任せる。
こうした状態での10射、皆中。

424 :
その後も、普通に中ってる。
ただし、矢勢が乗っている。
矢飛びが全く見えない。・・・着点好し、筈の振り無し。
中る音も迫力がある。
弓構えから直接大三へ打ち起こす射法に変えたので、
手の内の準備を工夫していたが、ほぼ収まった。
以前より、矢飛び・矢勢に好い射法になった。

425 :
今日は終了。
弓で心掛けるのは、真っ直ぐ。
最後の4射も、好い真っ直ぐだった。

426 :
今日の初立、4射3中。
1射目、ガイド指を忘れて、的の前へ飛んだ。
後の3射は、的の縦の中心線上で、低めの同じ点に的中。
まあ、ガイド指は時々忘れるが、俺もまだまだだ。
ただ、射法を変えて、手の内の準備と会での在り方が一致するようになってきた。

427 :
2立目一手、普通に外さないが、
2射目が好かった。
会で、最高引き尺に腕や弓の重さで重石を載せて保つ。
両の手の内と頬付け、胸弦の4点で弓とからだが一体化する。
この安定の中で離れる。
ただし、胸弦は強い接触にならないように要注意だ。
私の胸弦は、脇と正面の境目の肋骨に付くから、
接触の長さが短く食い込まないように注意している。
弓手は雑巾絞りをしないし、馬手の捻りもごく小さいので、
衣服には弦が絡みにくい。

428 :
矢筋に付いた狙いを狂わせない為には、
添え指で矢筋を固めて離れる。
やることをやれば、的の中心に最善の射。

429 :
手の内が決まらないのは、弓が手に比べて太過ぎるということもある様に思う。
エアーで手の内を作ると容易に出来るものが、弓を持つと出来難いのはこの要因が大きいと思われる。
連盟の傾向は中押と言われるが、弓手の上下左右の筋肉を使うから、
結果として中押しになる。
八節図には手の内が載っているが、上下左右の不動の押手のポイントがちゃんと書かれている。
こうした中押と手の内で離れれば、上鉾の戻りは抑えられる。
つまり、範士の射を見ると、差こそ有れ例外なく上押しが利かずに上鉾が戻っているから、
彼らもその殆どは手の内が出来てはいない。
まあ、俺だから言える事だなぁ。。。

430 :
今日の初立、4射皆中。
からだの前で弓を引くか、
弓の中にからだが入って弓を引くか、
この後者の場合でも、詰め合いが有るか無いかで、
射が大きく変わってくる。
前者は論外、また、後者でも詰め合いが出来ていなければ論外。
引く矢束の射は詰め合いの出来ていない射だ。
お肉で支える射と骨で支える射では、矢勢には大差が出るし、
矢筋の狂いにも差がある。
初矢で肩慣らし、後の3射で、これらの差を味わった。

431 :
いくら体力・筋力が有っても、離れの一瞬の大きな負荷には、
お肉では支え切れないものだ。
しかも、力の向きと支える向きに角度がつくと、
それは、更に無理というものだ。
まあ、自分の射の緩みを、正確に認識している射手は殆どいない。
私の場合は、離れの瞬間、弓手の手首が僅かに動く。
これも緩みだ。
骨の中で力を通し続けた時だけ、最良の射が出る。

432 :
天文筋というのは手相で云えば、感情線のことだと思う。
そこに外竹左角を付けるのが一般だと思うし、前はやっていた。
私の場合は頭脳線が直線で手の平を大きく横断しているので、
今度はそこに外竹左角を合わせることにした。
以前の方法だと小指の根元中りに豆が出来始めた。
恐らくこれでマメから開放されそうだ。
また、手の内を整える時も、大三に持っていく時も楽だ。
マメとか、擦り剥けとか、肘や肩の故障とか、
そういうのは不正な射だから、起こらないようにしなきゃ駄目だ。
今の4射も普通に中るし、矢飛び、矢勢、ともに好い。

433 :
今の1射、あんまり好くて、後は止めて帰って来た。
手の内の親指と小指の根元が上手くいって、
離れの前に嬉しくなってしまった。
不思議なもので、そうした状態をからだが覚えているから、
嬉しくなるのだと思う。
この不思議なもの、それもじねんの働きだ。

434 :
今まで10射に1・2射は、矢筋が多少狂っていたが、
それには沢山の原因がある。
その内の一つが手の内の決まりの不安定さだ。
その誤差が、今回の射法の変更や手の内の整え方の改変で、
少しでも改善されたと思う。
10割への道は長い。

435 :
巻き藁矢を使うと、普通に抜けなくなるので、組矢を使っている。
ところが、その組矢も時々抜けなくなる。
そして、抜く時に羽を千切ってしまう。
6本の内、無事なのは3本。
後は羽がぼろぼろだ。
今も抜けなくなって、1本で返って来た。
かけを外して、背中と後頭部を巻き藁に押し付け、
マジモードで、引き抜かないとどうにもならない。
時には、それでも抜けないことがあって、
追い矢を打ち込んで抜くことも有る。
ただ、筈打ちが怖い。

436 :
今、やっとのことで抜いてきたが、
矢軸を止めている糸巻きが視界から消える程度に浅く引いて離れると、
普通に困ることは無い。
ただ、胸骨が弓の中に入るには、窮屈な感が有る。
もう少し、引きたい。

437 :
矢の引き尺を一定にして、矢に与えるエネルギーを安定させる為に
クリッカーがある。
弓の場合には、クリッカーとまではいかないが、
羽の軸を止めている糸巻きをあと1cmほど長くして、
視界から消えたところが最大引き尺の様に出来そうだ。
弓手に比べれば、馬手の方の引きの深さには自由度が大きい。
この辺も、細かいことだが一つの対策だと思う。
大会規定でも、問題は無い。
・・・競技弓道の場合だが・・・。
早速、矢の改造を終わった。
さあ、検証だ。

438 :
この方法だと引き尺の一定という点ではクリッカーに劣るが、
弓道に於いてはもう一つの意味が大きい。
つまり、馬手の引き具合の深さが一定に出来ることだ。
馬手の引きが浅いと、弓の中に胸骨が入って、弓の中での詰め合いが出来ない。
しかし、馬手を深く引くと矢筋から外れた力が生じて矢飛びが狂う。
そうした両者の間に在って最大の引き尺を安定して再現するには良い方法だ。
今、やってみたが、14ミリほど延長して、好い感じ。

439 :
どうしても抜けないから、追い矢を一発で真横に打ち込み、見事に抜けた。
俺も、少しは腕が上がった様だ。
馬手クリッカー、中々好い。。。

440 :
今夜は、カミさんにケーキとプリンを買って来てやった。
俺はスコッチをアイスクリームで飲む。
これ、合うんだよなぁ。
もちろん、ショット・グラスで。。。

441 :
あーあ、酔ったばい。
それは別として、範士十段といえどもまともに手の内が出来ている射手が居ないのが現状の様だ。
100連中でも、天覧試合の優勝だろうが、それは事実としてのそれであって、
それ以上の神話を創るような物語ではない。
そんな逸話に限って、射の中身が話題に出てこない。
慎ましい矢飛びの美しさ、息を呑むような矢勢の迫力、
甲高い弦笛のさえずり、そして、一瞬の封印と決別。

442 :
明日は息子からプレゼントの冷蔵庫が来るので、
そのスペース確保に、棚の長さを短縮。
食器棚も中身を出さずにバカ力で10センチ移動。
俺もたまに役立つことが有ると自覚。。。

443 :
これから、グルメ・温泉ツアー。
息子に感謝。。。
今日は40射くらい引いて、6本外したなぁ。

444 :
冷蔵庫の搬入完了。
今回、食材をほぼ食べ切ったので、お腹が空いたが大したモノは作れない。
買い物に行って、大量購入しなくちゃ。
今日の初立、一手皆中。
2立ち目、4射皆中。
矢勢は引き尺が直接現れるものじゃない。
弓の中で詰め合いが出来ている時は、引き尺が少なめでもかなりの矢勢が有る。
逆に、引き尺が遥かに大きくても、弓の中で詰め合いが出来ていない時は、矢勢は余り乗らない。
この矢勢の差は、かなり大きい。
弓の中で詰め合いが出来ていなければ、たとえ本人は詰め合いが出来ていると思っていても、
相当の緩みが出ているものだ。
自分の射の自覚が無い内は、改善・向上には向わないものだよ。

445 :
大半の射手は弓に体が入っていない。
その上、右腕の方は全くと言って好いほど詰め合いが出来ていない。
弓手の手首は上に戻され、どれだけ矢勢を殺いでいるのだろうか。

446 :
射も落ち着いてきたので、会の30秒ホールド、連射でやってみた。
1本目、弓手の緩み・・・外れ。
2本目、決まって・・・中り。
3本目、30秒が長かった・・・外れ。
岡崎先生は、凄いわ。

447 :
3射で止めて来たのは、4射目の自信が無いからだ。
15秒未満なら好いのだが、20秒を越すと、次の射へ疲労を持ち越す。
以前は会・1分のホールドもやっていたから、徐々にその体力を取り戻したい。
こういうストレスを掛けた射を遣っておくと、
自信にもなるし体力的に余裕の有る射になる。

448 :
20秒ホールドで、4射3中。
4射目、ヨカッタァ。

449 :
的に中るレベルと芯を打ち抜くレベルの違いがはっきりと判る。
捻り要素の制御がもう1・2歩だ。
ただ、中るだけの射が多い。
また、明日生きてたら、やるさ。

450 :
今、1本やって来た。
芯を貫く好い射だった。・・・満足。・・・本人がびっくりする何かが有る。

451 :
好い射を出すということは、弓の中で詰め会いをし、弦返りも出来るだけ真っ直ぐにしたいから、
捻り要素の加減を間違えると、腕だの頬骨だの痛い目にあう。
ほんの数ミリでかわしているいる感じだ。
的の芯を貫く射とは、両刃の剣だよ。
的を射抜くし、一つ間違えれば、我が身を切る。
緩みの無い矢勢の載る弦返りで身を打てば、
流石に、苦痛で息が止まる。
サポータなどで保護を行うと、皮を切らせて骨を貫く、
その境界が身に付かない。
頬骨や手首に近い辺りは大したことが無いが、
肘から10センチほど的側の部分は、打った瞬間息が詰まる。
弓の修行は、辛い事、それが出来るようになって楽しい時期、
また、新たな課題にR辛い時期、それを乗り越えて楽しい事、
そうした事の繰り返しで上手くなって行く。
人生で、アイデンティティの危機を乗り越え、
新たな環境の年代を生き抜いて行くのと、
弓道の修行も同様だよ。

452 :
10射7中。
余り中身のある射じゃなかった。。。

453 :
今日は、小豆とかぼちゃのヨウカン2種類、作ってる。
カミさんと娘が大好き。
まあ、俺も嫌いじゃない。。。

454 :
多少狙いを犠牲にしても矢飛びを優先すると、
狙いはテッポウ魚で殆ど狂いが無いらしく、
美しく強く芯を打ち抜く射が出る。
三段・四段、少なくても1本は中てろ。
寧ろ、外して受かるような射をしたいなぁ。

455 :
静かな心で弓を持つ。
手の内と弓の角、内竹と手の内がしっくりと合う。
矢と添え指がしっくりと合う。
力ではなく、しっくりと合うこと。
素晴らしい4射だった。

456 :
奥へ通じる門は狭い。
誰が植えたのか、茨さえ茂っている。
そこを潜り抜けるには、頭を低くして自分を滅しなければならない。
手の内は、誰しも角見を大切にし、内竹を押す。
しかし、それは意識しなくてもそうなるものだから、捨てて置く。
大切なのは、弓の角と手の平の方だ。

457 :
離れということ・・・
離れはその時機が重要、たがら何時離れが出るのか分からない自然の離れは良いとは云えない。
自然の離れが、離れとして好い点は、矢筋のままに伸び合う中で離れることだ。
具体的には、弓手も馬手も胴なども、その位置のまま、つまり矢筋を変えずに離れることだ。
だから、矢筋のままに伸び合って、そのままで離れを出せるなら、自分で離す方が自然の離れより
数段よいことになる。
同様に考えれば、かけ解きによる離れは、離れの時期を自分で決められないばかりでなく、
かけ解き自体に意識が奪われて本来の射自体を台無しにしてしまう。
かけにギリ粉を着ける者、かけの指の結びを強くする者、かけの結びに鍵を掛ける者など、
これらは総て離れが重い。
指の結びをずらせて解く者、指を開いて離す者、指の結びの力を抜いて離す者、
これらは総て不正。

458 :
まず、弓の中にからだが入らない詰め合いは、詰め合いの用をなさない。
弓手主導で引き分けてくるから、先に弓手の方が弓に入り、次いで馬手の方が弓に入って詰め合いが完成する。
こうなれば、これ以上引き尺を欲張る必要は無い。
もっと矢勢が欲しいなら、強い弓に代えるべきだ。
この状態で、後は美しい矢飛びが有るのみ。
無心で、雑力を消し、狙いも含めて、会を味わう。
ただ一筋の心境・体感に至れば、間髪を入れず、じねんに離れる。

459 :
普段着ている半袖の上に胴着を着てやってみた。
さっきまで、寒くて震えていたのが嘘の様だ。
射の方は、狙い通りに低く飛び出して行く。
殆ど的の中の同じ穴に刺さっている。
今の引き尺は92センチ、弦切れが多かった時は95センチ。
そこそこの矢勢が有って、矢飛びに狂いの無い状態がベストだ。
今は4寸伸びの16キロだが、今度弓を買う時は、3寸伸びの17キロだなぁ。
それなら、普通に弦笛を楽しむことだ出来るだろう。

460 :
最後の一手、皆中。
同じ穴に刺さる。
同じ手順で、同じ間合い、同じような強度で、
再現性の基本通りにやれば、同じ穴。

461 :
弓の中に入った詰め合い・・・
馬手の詰め合いは、離れを出す時の支え、
弓手の詰め合いは、矢を引き出す時の支え。
会相での数ミリの緩みは、矢勢にはとっても大きく出る。

462 :
今日の3立合計、20射16中。
高さの・狙いの狂いで3本、手の内の不正で1本外した。
凡そ好いという生温いところから、脱却出来ない。
外したのは澄ましが駄目だった様にも思うが、甘いGGだわい。。。

463 :
10射9中。
4本目で、手の内が崩れた。
他は、的を縦に割る中心線を外さなかった。

464 :
10射、皆中。
手の内の狂いを最小限に押さえ、再現性の安定感が感じられた。
現在、多少手の内の捻り要素が大きい。
それを中和する意味で馬手の捻りを僅かに掛けている。
勿論、捻りを戻して離れれば、逆効果だ。
僅かな捻りのままに動かさずに離れると、的の縦の中心線を外れない。
今までのところ、40射35中・・・87.5%。
今の修正の射は、捻り要素で弦が外回りするのを、馬手の捻りで中和する方法だ。
これで、矢筋の直進と矢軸の水平の矢色が付かない状態にしている。
しかし、本来は力で力を抑え込むのではなく、
捻り要素自体を最小限に近付け、悪癖を起こさないことだ。
この修正の射は、本来用いることの無い無駄なテクと言える。
中る、矢筋に飛ぶという好い状況だけでは、好い射とは言えないものだ。

465 :
自分の射に対する目が肥えて来たのかも知れない。
捻り要素を僅かに減らしつつ数射したが、頬骨やもっと広範囲など、
弦が強く打つ。
今やっている捻り要素が、ほぼ最小限に近いようだ。
そして、それが必要悪で有る以上、それを中和出来るテクは正射の付帯要素なのだと悟った。
馬手の捻りで矢軸の回転にも影響が有るのだが、
調べてみたら90度で大丈夫のようだった。
よし、この問題は解決。

466 :
あの後、40射程したが、3本が外れた。
手の内が落ち着いて来た様だ。
しかし、矢飛びの不満は残る。

467 :
今まで使ってきた的は、28メートルの的前では一尺に相当する直径だ。
今では、その的も9割程度中る訳で、
これ以上の精度の向上を考えると・少し位の失敗でも当たってしまうので、
もう少し厳密な射でなければ中らないようにした方が良いと考えられる。
そんな訳で、今夜は的前8寸バージョンの的を5個作ってみた。
試すのは明日だが、これで9割程度中る矢飛びが得られれば、
的前の尺ニの的が大きく感じる様になれると思う。
尺ニの的面積を1とすると、一尺の的はその69%、8寸の的は44%だ。
・・・面積の比は相似比の数の2乗の比になるから、8寸的だと尺ニの面積の半分以下だ。
これで9割中る射が出来れば、普通の的前なら、ほぼ外さない。

468 :
さあて、今日から8寸的バージョンだ。
どんな射法でやるかなぁ。。。

469 :
今日の初立、初めに1尺的、1射中り。
8寸的、4射2中。
外した2本は、的から少し離れて左へ。
捻り要素が強スギちゃん。
まあ、5割というのは、狙う資格が貰えたということ。
澄ましの中で、捻り要素の雑力を消し去ることが当面の目標だ。

470 :
二立目、6射3中。
4射のつもりが1中しかないから、後2射して2本中てた。
内竹を正面から矢筋に押す感覚、これだ。
狙いの狂いも1本有った。・・・12時の叩き。
矢摺籐で見ると駄目だ。

471 :
アーチェリーのオリンピックだと、70メートルの距離で122センチの的。
距離は近的の2.5倍だから、中心の10点に中てるには的前だと中心の5cm弱の円になる。
従って、オリンピックで優勝が狙えるレベルは、直径7.2cmの中白に十割中てる実力ということになる。
まあ、その前に、余り上を狙わなくても70メートル届くことが求められる。
これは、夢だなぁ。
もしかしたら、俺もアーチェリーに転向するかも知れない。

472 :
初めの2本外して、後の2本入れた。
どうも、射がこじんまりしてきた。
だれか、置きに行ってるという奴が居たが、心理的に今はそんな感じだ。。。
まあ、二の黒の内側に5割、その外の的に4割的中という矢所の散り具合が見えて来た。

473 :
1射目外して、後3本入れた。
矢摺籐も矢筋も見ず、的だけを見る。
テッポウ魚の狙い・じねんに任せ、澄ましの中で手の内の感覚を味わう。
少し、嬉しい。

474 :
6射2中。
これで、半矢に戻った。
深く静かな心で弓を持つ。
んん。。。

475 :
ここまで24射12中。
尺ニの的は、そこそこの失敗なら許してくれる大きさだと痛感する。
今日中った12本は、芯を貫く矢勢が無い。
気持ちで負けていると思う。
ま、これからだ。

476 :
4射3中。
的へ気を送り続けて、中るべくして3射目は中った。
野球も或る年の後半戦は、アウトの打席は一つも無かった。
キャッチャーミットに入るまで、ボールから目を離さなかった。
だから、ファーボールを選ぶか、ヒットだったし、ランニングホームランも打った。
監督も兼任していたから、選手たちにゴロ捕球の練習を沢山させて、
自分はそれを打つのが、好い練習になった。
今の弓道と、選手がギリギリ捕れる所にゴロを打つのと、共通している。

477 :
4射3中。
野球で培った集中力が活きた。

478 :
4射0中。
どうも呼吸が乱れて、心が澄まなかった。
これで、半矢に戻った。
さあて、40射まで、あと8射。

479 :
4射4中。その後、4射2中。
8連続投稿規制にひっかかった。
外れた2本も6時に的枠付近。
今日の記録40射22中、55パーセント。
その後、4射3中。
4本目は、8時に外した。

480 :
矢飛びの左右の乱れは、射の乱れだ。
上下の外れは、殆どが狙いの狂い。
矢軸と的を見比べる癖が付いているが、
きちんと的の中心だけを見続ければ中る。
じねんを信じ切れていないのが、正直、私の現状のようだ。
新たなステージに上って、改めて自分の在り様が分かった。

481 :
今、10射くらいやったが、
離れる前に中る感覚が沸いてきたのが2本有った。
・・・全体的には半矢状態だ。
左右の散りが無い様に、・・・
心が初めに澄むのではなく、
会に於ける状況がまったりして来て、つまり、
矢筋以外の雑力が消え、力の偏りも無く、
からだが澄んでくるから、心が澄む。
その過程が澄ましだよ。
これが矢筋通りに矢を射出する必要条件だ。
狙いで的を外すのは、また別問題。

482 :
今の4射3中ではあったが、離れ前の中る感覚が出てきた。
弓構えで胸をすぼめ気味、つまり両肩が前に出て、
大三を作りに行くと、会の収まりが好い。・・・円相
矢勢も乗って来た。
8寸的への恐れの様なものが消え去っていく。

483 :
円相が大三や会を好くしている。
普通に中る感覚が戻って来た。
4射皆中。
寒くなって来たなぁ。。。

484 :
今夜は、ブリかまの塩焼きとブリの味噌汁にしようか。
久しブリ。
いつもなら、10時過ぎまで弓を引くのだが、
今日は寒くて、早仕舞い。
それでも60射は引いたよ。

485 :
外した人を笑っちゃいけない。
彼は的に中て様としてるんだよ。
私も、他の弓引きも、みんな彼だ。

486 :
嘘をついてはいけない

487 :
あの後、4射して2中。
んん、まあ、半矢状態だ。
明日は6割、やりたいなぁ。
弓構えから直で大三へ行く射法だと、練習時間も短縮できる。
今日は、後半矢勢も乗って来た。
弓返りは280度くらいだったが、最近は目標の320度くらいに近付いてきた。
これが完成すれば、弓倒しの時、弓手の手首が決まるわ。

488 :
正義の味方は面白い。
志田未来は、ちゅりちゃんが女優やってる時の芸名?
とっても似てて、高柳明音だよ。
SKE,ファイティン!

489 :
不言流の手の内の整え方、でも書いてみるか。。。
初めに、握りの縦の長さについて・・・
握りの下端に小指を合わせて手の内を作った時、
矢枕に乗った矢が籐と握りの境目を通る様に、
握りの縦の長さを調整しておくこと。
さて、中指から小指まで3指の爪先を揃え、握りの内竹右角にそれらの指先が僅かに掛かる程度に合わせる。
この時、握りの最下端に小指が来るようにする。
次に、人差し指と親指を開き、その間に在る生命線の上部を外竹左角に合わせ、人差し指を曲げ、親指は中指の上半分に被せる。
この時、感情線の下部を外竹左角に合わせる。
あと、引き分けて大三に移行する時点で、親指を中指の上から滑らせて右側木に沿わせ、
中指から小指の3指は指先の腹が右側木に沿う。
会の状態で、弓の外竹左角に合わせた2つの部分がずれない様にすることが大切だ。
もし、ずれるのであれば、運行が悪いか、握りが太過ぎるかだ。
それは、自分で判断して直すこと。
手の内の充分な働きを毎回安定させるには、手の内の整えから会に至るまで、
変えてはいけない部分をしっかりと守ることが最重要だ。
つまり、右側木と3指の位置、外竹左角と上の生命線、下の感情線。
打ち起した後、弓と手の内は角度を変えて行くが、これらだけはずれてはいけない。
ただし、色んな射法が有ったり、色んな手相が有るから、どの線に角を合わせるかは各自の工夫に任せる。

490 :
嘘をついてはいけない

491 :
嘘をついてはいけない

492 :
不言流の馬手は、離れに於いては完成している。
それでも、矢所に多少の散りが出るのは手の内と狙いに原因がある。
手の内が一生と言われるのは、一生掛かっても分からないのではなく、
分かっても同じように再現出来ないからだ。
それなら、斜面の様に手の内を決めれば好いと考えるだろうが、
あれでは捻り要素は好くても、上押しの要素が生み出せない。
だから、一度大三のような位置に持って行き、手の内の凡そを決める必要がある。
じゃあ、正面にすればという考えになるが、
手の内の上部を用いて弓を押し開くのでは下筋を活かした射にならない。
だから、弓構えから斜め上へ大三を執って、手の内の凡そを決めることになる。

493 :
嘘をついてはいけない

494 :
嘘をついてはいけない

495 :
嘘をついてはいけない

496 :
嘘をついてはいけない

497 :
嘘をついてはいけない

498 :
今日は、天気が良さそうだ。
寒いから、ジャージの上着なんかを着ると、
表面がべコベコしているので
弦が引っ掛かって射にならない。
まあ、寒くなったら、胴着でも半袖の上に着よう。
でも、この姿板前みたいだ。

499 :
嘘をついてはいけない

500 :
不言流には三法印が有って、それでなければ不言流ではないのが・・・
修行無常・・・ありとあらゆる射の可能性を探究するのが修行である。
射法無我・・・射法は個人の好みや縁などによって決まるのではなく、道理によって定まる。
会離寂静・・・弓矢も体も心も滅すれば会に至り、既に離れている。
正射・・・一に止まる射。
直ぐなる矢飛びの1点を心掛けるのだが、だからと言って修行無常の法印を疎かにしてはいけない。
あえて直ぐではない射術を試すことで、直ぐなる矢飛びの本質的な価値や射術の差異が明確になってくる。
また、直ぐなる射術では現れない弓矢の性質を知ることが出来る。
射というものは清濁が混在して成り立つもので、
濁りにも、時には毒にも、正射に役立つものが有る。

501 :
嘘をついてはいけない

502 :
嘘をついてはいけない

503 :
嘘をついてはいけない

504 :
嘘をついてはいけない

505 :
昨日は弦が伸びて関板に殆ど着くくらいで、張り直してから寝た。
今日は5ミリくらいのいい具合だ。
今日の初立、一手皆中。
把が少し高くなっただけで、矢勢が断然強い。
また、緩みさえ無ければ矢の直進性も増す。
2本とも的の縦の中心線上で、1本目はど真ん中、2本目はその僅かに下だった。
好いね。

506 :
嘘をついてはいけない

507 :
2立目、一手皆中。
小さな的の中で、僅かに左右に散ったが、高さはOkay。
やはり、手の内の再現性の確かさだと思う。
・・・4/4

508 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


509 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


510 :
4射3中。
2本目を6時、的枠に外した。
手の内を整えた状態から大三へ移行する時、
拇指球が内竹左角に引っ掛からないように
かわして手の内を整えること。
レイの点は、大三や会に移行しても、ずれてはいけない。
・・・7/8

511 :
4射0中。
僅かだが左右上下に矢が散った。
原因は明確では無いが、弓手の方の詰め合いが不正かもしれない。
・・・7/12

512 :
4射2中。
初めの2本を外したが、射自体は好い。
・・・9/16

513 :
4射4中。
先の0中の原因が分かった。
馬手の手首の力が抜けていなかった。
・・・13/20

514 :
4射3中。
3本目を6時的枠に外した。
狙いの問題だ。
4射目は馬手の添え指感覚が好かった。
・・・16/24

515 :
4射2中。
2本目、4本目を外した。
4本目は狙いが定まらぬままに離れた。
・・・18/28

516 :
規制掛かったなぁ。
4射3中。・・・21/32
4射2中。・・・23/36
4射皆中。・・・27/40・・・本日の的中率68パーセント
昨日は55パーセント、今日の目標の60を超えた。

517 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


518 :
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


519 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


520 :
より高いステージで得られたこと
1、馬手の添え指の使い方・・・精密な射への新テク
2、口割りの高さの一定・・・問題点の発見
最後の4射は、今日の総決算で、学んだことを活かせた。
明日は、70パーセントを目指す。
その後、6射したが中り続けている。

521 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


522 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


523 :
口割りが低いと、会での狙いの景色が違う。
その違和感が、中る感覚を消し去ってしまう。
尺ニの的なら、これらの狂いも的中にしてしまうのだが、
厳し目の設定にすると、今まで発見できない誤差、
自分の欠点や更なる精密性への対策が、浮かび上がってくる。

524 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


525 :
40射の記録終了後、
10射9中。
最後を外した。
ガイド指が弱かったのかも知れない。
あと、今日は自由に引く。

526 :
8回連続投稿の規制も有るので、
一見バカが無駄に書き込んでいる様にも見えるが、
規制に引っ掛からないので、俺には役立っている。
ふん、面白いもんだ。。。

527 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


528 :
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


529 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


530 :
やっとメジャーが見つかったので、この前作った5個の的の大きさを測ってみた。
そうしたら、8寸じゃなく、7寸的バージョンであったことが判明した。
尺ニの的の面積を1とすると、7寸的は34%だ。
今日の記録だと、尺二の的のニの白の内部に68パーセント的中ということだ。
ここへ8割台の的中が有れば、尺ニはほぼ外さないだろう。
そこへ到達したら、一の黒に相当する5寸的バージョンでやるさ。
そうしたら、また何かが見えてくる。

531 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


532 :
手の内を整える時、中指から小指の3指先を内竹右角に掛けるが、
その指先には角を受ける形が出来上がって来る。
拇指球には皮下に凡そ逆三角形の硬い組織が出来て内竹を受け、
外竹左角を受ける線の辺りには、弓を定位置に据える形が出来てくる。
今は、まだ意識的に手の内を整えるが、段々と手の内と握りの納まる位置が決まって来る。
手は道具に変わっていくし、道具が手に変わっていくのが感じられる。
これが、手の内の再現性が高まっていく過程だと思う。
7寸的は残り2個なので、途中から尺バージョンの的を射た。
7寸の緊張感のままに射ると、的が大き過ぎるように感じられた。

533 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


534 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


535 :
何に夢中になるかは別として、夢中になって幸せを感じるのは、
人としての最高の悟りだ。
そんな悟りという言葉を知る必要さえない。
まあ、その上の悟りも在るが、その主体はもはや人ではなく、
寂静という無であり、そこには何ら知覚も感情も無い。
真に楽を齎(もたら)す悟りとは、豪(ごう)に亘(わた)る智慧(ちえ)ではなく、
刹那(せつな)に過ぎる三昧(さんまい)のこころ内に在る。
弓矢、武芸、弓道、どんな係わり方をしていても、
誰でも一度位は、一生懸命に弓を引いて、楽しかったことが有るだろう。
そうなら、私たちは既に人としての最高の悟りを味わっている。

536 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


537 :
昔、入学式で新入生たちに、挨拶をした。
「大好きなものを沢山見つけて下さい。
それは、教科でも、部活でも、趣味でも、友人でも、先生でも、何でも好い。
その好きになったことを通して君たちは成長し、この学校生活を全うする。」
今になって考えてみると、これは人としての最高の悟りであり、生き方だ。
嫌いなものは頑張れない。
頑張れば辛い。
好きになれば、苦労を苦労とも思わない。
好きなことだらけになれば、その好きなことを、好きな人を大切にし、
幸せに生きられる。
他人に放った言葉が、今自分に返って来た。・・・なんてなぁ。

538 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


539 :
今日は、4射3中からスタートした。
今の実力は7割前後なのだろう。
記録を採るより、今抱えている2つの課題に立ち向かおう。
それらが解決して、果たして何割になるのか。
これを、後日の記録で調べればよい。

540 :
2立目も4射3中。
4本目を外したが、6時にギリギリ。
馬手の添え指の問題は意識さえすれば解決出来るレベルだ。
3中の矢は、同じ穴に刺さった。
狙い以外の射の問題はほぼ無いと云える。
大言を吐けば、狙いが付けば中白を8・9割外さない。
4本目の外れは、狙いの問題なのが分かる。
殆どの場合、狙いの狂いは矢の上下の散りだ。
高さの狙いは、(的と足踏みとの位置取り)、足踏み、縦線の伸び、弓手の高さ、頬付けの高さなどで決まる。
的の中心に焦点を当てた時、一定の中る景色というものが在る。
その景色が狙いのOkayを出す。
それが、テッポウ魚の狙いだ。
一定の中る会相の感覚と、狙いのOkayの両方が成り立った瞬間に、
意識よりも早く離れが出る。
これが、じねんの離れだ。
今日の課題は、足踏みから体幹の縦伸びを中心とした再現性にある。


541 :
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない

542 :
このおじさん的前も引いてるね
巻藁で妄想を膨らませているだけじゃないな

543 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない

544 :
4射3中。
1射目は、手の内が会に入ってずれてしまい失射だった。
しかし、高さは4射とも同じで、3本は同じ穴に刺さった。
厳密に両足の立ち位置を決めて射てみると、中る景色の感覚が有る。
ちなみに、1射目は会相のOkayは出ていないが、
会相の不出来を諦めたレベルで、じねんの離れが出た。
この現象は、じねんが厳密なシステムではないから不完全なのではなく、
状況の変化に応じて、最善の選択をするという柔軟性を表している。
もし、取り戻すことの出来ない手の内の不備を待っても、
からだが疲労するばかりで、射は台無しになる。
また、意識的に左右の狙いを変えても、変える量の根拠が無い。
それならば、的の縦の中心線を外しても、現状を受け入れることが最善なのだ。
実を言えば、会で手の内がずれて僅かに入り過ぎた。
この状態では矢は右に飛ぶのだが、実際には左・10時に外れた。
私にとっては珍しい手の内のズレを、意識下では過大評価して、
大き過ぎるリアクションを執ってしまった様だ。
これも、じねんの働きなのだが、データ不足で小脳の調整機能が失敗した様だ。
この様に、突発的な不出来が発生したときは、じねんの修正作用に任せて、
いつも通りになるべく変えないで射ることが重要だ。
そうしたデータの蓄積で、からだが自然に反応して、失射をカバーしてくれるようになる。
もし、そうした時に意図的に狙いを変えたり、手首を強く曲げたりなど、
イジリまくると、じねんの働きは出来ていかない。

545 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない

546 :
4射皆中。
射の課題、馬手の添え指に関しては充分な成果が得られ、
射自体の誤差による矢所の散りは、
現在の分解能では見つけられないくらいに小さくなった。
記録中ではないが、今日はここまで7寸的バージョンで12射10中・83パーセントだ。
後は、狙いの基になる足踏みと胴造り等の精密さが課題だ。
巻き藁前と的前では、狙いの景色が異なる。
だから、中てる為の狙いを巻き藁で練習しても役立たない。
的前で中る為に、中る要素となる射の向上が課題だ。

547 :
一手皆中。
一本中る、爽やかだ。
また、一本中る、また、爽やかだ。
そうした中りと想いが、じねんを育む。

548 :
一手皆中。
中る景色の再現性が高くなって来た。
足踏みからの胴造り、縦線の伸び、頬付けなど、
より安定して来たということだ。
勿論、最近落ち着かせた手の内の安定感も大きな働きをしている。
不言流の手の内の整え方など先レスに書いてあるから、
的中率6・7割以下の人なら、2割くらいアップしそうだよ。
まねしてみたら・・・。

549 :
一手皆中。
中る景色を得るには、沢山の要素を満足させなければいけない。
だから、自分の射の細部まで、その形や位置、力の程度など、
出来る限り把握しておかないといけない。
だから、スランプも起こらない。
その中でも大三の位置は重要だ。
弓手首の入り様の程度が大事だし、その後の引き分けで会の納まりに影響が大きい。
私の場合は、平凡に弓手肘と的との見える位置関係で決めている。

550 :
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551 :
一手皆中。
本日、足踏みの位置を固定しての20射18中。
頬付けの狂いもほぼ無くなり、
そもそも、胴造りは足踏みから一気に肋骨の下部まで決め、
その上に射の横線や頭部を組み合わせている。
だから、射の運行で重心の多少の移動は足の裏に感じるが、
残身まで体幹はほぼ、全くに近いくらい動かない。
まあ、それを可能にしたのも、不言流の足踏みが有るからだが・・・。
今日は、20射で9割だから、今までの積み重ねに、
更なる積み重ねが確実に根付いて来たことが確認された。
そして、射術の統一性に於いても高まったと言える。
明日は、フリーな足踏みで挑戦しよう。

552 :
今日を思い返してみたら、引き尺がかなりバラバラだった様な気がする。
会の途中で何度か引き尺が気になっていた。
でも、まあ結果的には中ったのだが、
完璧な中る景色ではないことが意識に上っていた。
意識に上るのは好くないし、好くない事態だ。
例えば、引き過ぎていると感じれば、
上押しを強めにして矢飛びが多少下向きになるようにじねんが働く。
この手の現象とそのデータは多数有るので、じねんも成功したのだろう。
しかし、初めから問題が起こらず、意識に上らない方が好い。
明日は、この点の解決方法も馬手クリッカーを交えて探ってみよう。

553 :
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554 :
最後に、足踏みフリーで、締めの1射中り。
もう、真っ暗だ。

555 :
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556 :
4射3中。
大三の位置の働きを調べたくて、4射してみた。
少し高く離れた大三にしたら、会で手の内の右上に今まで以上の圧力が掛かる。
そうした意識が浮かぶから、的の左に矢が飛ばないようにじねんが働いて、
結果弓手が緩み矢は反対の右に僅かに外れた。
じねんは曲者だ。
普段よくある不具合はじねんが修正してくれるが、
滅多に無い不具合はじねんが塩梅を弁えずに勝手に反応してしまう。
だから、離れの時機を決めるじねんは好いが、
矢飛びの不正を予感して起こる修正のじねんは、封じ込めた方が好い。
つまり、手の内など射の不具合を初めから起さないように勤めるべきだ。
脳科学的に、心は常に行動や思考の後追いをするモニターの様なものだから、
無心が初めに在るのではなく、行動に気掛かりが無く、
問題解決の思考をする必要が無い時に無心になれる。
だから、どこにも気掛かりの無い射でこそ、無心になれる。
無心になれないのは、不具合に埋もれ、気掛かりに曝されているからだ。
小脳の自動調節機能・じねんは、有心によって機能が奪われることが知られている。
だから、精密な射を目指すためには、じねんという心法をマスターする必要がある。
まあ、弓界にじねんの認識が有って、じねんを必要とする射手は片手も居はしないだろうが・・・。

557 :
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558 :
今日も、8連続投稿規制の露払いが働いてくれた。
Thanks,so much.

559 :
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560 :
今の弓界、どうなんでしょうね。
師匠に教えてもらうのを待っている。
その教えに着いて行けない。
師匠も自分が出来ないことを指導しているかも知れない。
講習会なんかで、上の先生に教えられたことを。
手の内が好くないという様な範士レベルの講師からの指導。
好かったら、とっくに範士になっている。
講習会、体配以外に射技を教える気が有るのなら、具体的に示すべきだ。
自分で掴めと言うなら、例えば、一般論として手の内の働きやそれに直結する筋肉や骨格の性質など、
そういったバックボーンでも明かすべきだ。
つまり、そうした上の上の先生方自体が、上の教えに追随して来た結果が、
現状の指導状況、指導され状況を生み出しているのかも知れない。
加齢によって、極端に体力が無くなれば、的中が落ちるかも知れないが、
長年の修練の積み重ねで、云わば年功序列で的中率は高い筈だ。
そうでない高段者は、審査の複数・多数回受験で運よく認定された程度の射術だと心底思う。
足の痺れを我慢して、体配を覚え、和服に馴れ、笑顔の受け答えを身につけて称号者。
現今の弓道のトレンドは、武芸。
とは言っても、武の気骨、胆力が、上の上からも伝わっては来ない。

561 :
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562 :
射に於ける影響力というか、重要性と言ったらよいか、
それをパーセントで表してみた。
馬手の離れの出し方・・・45%
弓手の手の内・・・・・・25%
詰め合い・・・・・・・・12%
狙い・・・・・・・・・・ 8%
胴造り・・・・・・・・・ 5%
呼吸法・・・・・・・・・ 3%
その他・・・・・・・・・ 2%
不言流の秘儀・馬手の離れの出し方は公表しないが、
7寸的で9割を出すのに堪える不言流の手の内は既に公表した。
手の内が完成していると考える者には不要だが、
そうでなければ、半年の間試してみるのが好い。
試している者の相談が有れば、ディテイルの説明や運用についても
多少はアドバイスをするつもりだ。
ただし、何から何まで、ベッタリの他人依存症の方はお断りする。


563 :
嘘をついてはいけない
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564 :
私にとっては馬手の離れの出し方は、的中にとっては45パーセントくらいの影響力が有る、
ということは前のレスで書いた。
それで、昨夜は10本に1・2本外す可能性が有る添え指の不具合を解消する為、かけの改造を行った。
勿論、意識的に注意して操作すれば大丈夫なのだが、
意識の有無や操作の程度によって的を外す要因を含んでいるので、
そうした危惧を払拭したかったのだ。
昔、実験をする為の測定装置や実験装置を手作りしたり、
特許の取得のために、形状とその機能の関係を研究したりして、
色々と試した経験が役立っている。
当時の取り組みに比較すれば、かけの目的を実現する為に形状や材料などを工夫し、
望む機能を持たせることは意外と容易い。
今日は色々と試すので、的中の記録は採らないが、まずかけの改造の成果を確かめたい。
もう一つは、引き尺の安定とより高度な中る景色の再現性について、
適切な策を講じたい。
ところで、昨日の固定化された足踏みについては、
狙いの中る景色には、さほどの影響力を感じなかった。
つまり、通常の足踏みで充分というのが感想だ。
矢筋通りに正直な矢飛びをする射を当初から心掛けてきたので、
そうした射の再現性がかなり高くなって来た。
こうした状況が有るから、射に関わる色んな要素の比較や検討、検証が出来る。
射癖などで射に一定の誤差が有ると、
基本的にその誤差より小さい誤差を生む要素については調べようが無い。
だから、射の精度が高まるほど、小さな誤差を生む要素についての研究が出来ることになる。
本来なら、4・5段の基本的な射の完成段階で、
正直な矢飛びの射を身に付けていなければならない。
そして、そこからが更に精密で美しく強い矢飛びを探究する段階ということだ。
射術を深める出発点には、何よりも正直な矢飛びが必要だ。

565 :
今十数射して、かけの改造の成果を確かめた。
初めに、尺の的でやると普通に中るので、7寸に代えたら中らない。
馬手の親指の負担が大き過ぎて、射自体が成立しない。
あらためて馬手の離れを出す状況が認識された。
結果、改造は失敗。
即、かけを元の状態に復元した。
それで7寸に向ったが、普通に中る。
今回の実験で、自分の弦離れするシステム、
つまり、かけ帽子とそこに添える指の力関係の実態を把握できた。
不言流では、堅帽子を抑える指の圧力を小さく保つ為に、
小指や薬指を丸めないで、自然に伸ばしている。
この塩梅が重要だった訳が判った。
好し、決着。

566 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


567 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


568 :
現在では、7寸的を10本に1本は外す主要因が狙いになった。
その狙いも左右はほぼ矢筋通しの狙いで問題は無い。
課題は上下の狙いだ。
その前に、会に於ける狙いの景色を創り上げる過程。
特に、大三とそこからの引き分けによって、
水平な馬手の親指や矢への人差し指の添え方が決まり、
会での右肘の収まり具合が変わってくる。
私の場合は、人差し指の矢への添わせ方に不具合が生じると、
7寸的を外してしまう。
引き尺については、矢の上下の狙いに影響する要素だが、
弓の中にギリギリ胸骨が入って詰め合いが出来る状態を最大引き尺にする。
なぜ、引き尺をアバウトにしておくのか。
理由の一つは、引き尺に拘るより本来の射に専念する為。
二つには、引き尺が単純に矢勢・狙いの上下を決定しないこと。
三つ目は、上下の狙いこそ、じねんに委ねるべきであること。
的と矢摺籐の摺り合わせによる的付け、クリッカーによる一定の引き尺、
こうした機械的な正確さは、射の多要素性の一部でしかない。
例えば、頭持ちが変化していれば、そうした摺り合わせの的付けは成り立たない。
しかし、的に向かい合った射を総合的に考慮して狙いを定め得るのは、
正にじねんの働きなのです。
例えば、人の視覚は視野の中心部は視神経が集中し、詳細に見ることが出来、
周辺部に行くほどぼんやりしてきます。
この時、意識に上るのは中心部の情報なのです。
しかし、意識下では視野の周辺部の情報もそれなりに受け取っています。
これと同様に、じねんは狙いの景色の他に、射に関わる多くの情報を受け、
それらを総合して、中る狙いの景色を判断しているのです。
だから、じねんの狙いの方が出来上がればより確実な方法と言うことが出来、
そこに任せた余裕で、射の充実を図るほうがよいという結論なのです。


569 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


570 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


571 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


572 :
人にとって、慣れた事は容易く出来、初めての事は難しいのは、
何故なのでしょう。
例えば、為替相場では、これから先の為替の変動を予想する時、
最近の変動となるべく一致するような過去の変動を見つけ出し、
過去の為替の変化で未来予測を行います。・・・多数ある手法の一つですが。
人の蓄積された知識、これは法則と言っても好いのですが、
こうした情報は、現今の状況に類似する過去の状況を記憶として再構成し、
未来の予想を行って行動を起すのです。
正に、為替の変動を、類似する過去のグラフ形状から予想するのと同様なシステムです。
こうしたシステムの一環がじねんの働き、つまり小脳の自動調整機能なのです。
このシステムが充分な機能を持つためには、色んな状況に対応できるように、
出来るだけ多くの多様なデータが必要になります。
つまり、じねんを充実させるには、こうしたデータを取得する為に慣れるということが重要になる訳です。
私もこの5年半強で数万射をしましたから、一通りのデータは取得していると思います。
そうすると、意識にまで上らなくても、射を構成する多くの要素情報が意識下に送られ、
過去の類似情報の検索が行われ、射の結果を含めた記憶が再構成されます。
その結果が好ましい場合には、快感を伴ってOkayが意識に表示されます。
思考に比べて、じねんの好いところは・・・
例えば、ジュースの入った紙コップを持つ場合、
思考なら・・・軽く持ちなさい、という様な情報や
親指と他の4指を向かい合わせ、
紙コップを包み込むように手全体で235g重の力で持ちなさい、
というような情報を得られるかも知れません。
しかし、思考によって得た、軽くとは具体的にどの程度なのか。
また、具体的に235g重と言われても、量りでも使わなければ、
その数値通りの力を発動できません。
じねんなら・・・過去に同様な紙コップで同様な量のジュースを飲んだ経験が有れば、
造作なく適度な力を用いて紙コップを持ち上げることが出来ます。
つまり、じねんは具体的な力の程度までを考慮し、実現も出来る。
他にも、じねんは意識より早く情報処理の結果を齎すので、
離れの時機のように逃したくない一瞬を捕らえる事が出来る。
また、意識に上る情報は全知覚のごく一部であるのに対し、
じねんは全知覚情報を対象に優先順位の高い方から
出来る限り多くのものを取り上げて総合的に判断する為、
思考より精度の高い判断を下すことが出来る。
射の真体、射術を極めようとすれば、最後の仕上げはじねんという心法だよ。




573 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


574 :
アーチェリーというのは、人間の狩猟本能とも言える射術を、
機械で置換する方向に進んでいる。
弓道は、射術によって人間の本性を掘り起こしている。
一方は物質文明と人間との融合、他方は自然回帰という人間の在り方。
そういったテーマの相違が、アーチェリーと弓道を分けている。

575 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


576 :
手の内が良い人は、左の手の平がきれいだ。
手の内は、手にある線と握りの外竹左角を合わせ、内竹は拇指球で受け、
右側木に3指先の腹を添える。
そして、親指と人差し指で、軽く両の側木を挟む。
手の内を整えたらキーになる3箇所はずらさずに会まで持って行く。
また、弓を強く握らないし、強く捻らないから、
握りと手の平の間で強く大きく摺ることは無い。
それに、握りの角に手の平の角を合わせ、
手の内の形で弓を保持するからマメなども出来にくい。
手の内にマメが出来たり、皮がむける等、
弓と手の内の正しい関係を作っている射手には、
その様なことは起こらない。
自分の手の平、師匠の手の平、その両方を見れば、
また、新たな認識が出来そうに思う。
ちなみに、私には肘や肩、関節など、一切の故障経験が無い。

577 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


578 :
今日は、7寸バージョン的を何射か外した。
矢飛びに左右の散りは無い。
今日は、口割りが下がることが有って、
中る景色が見えないままに見切り発射をした。
ただ、口割りが正しい時は、中る景色のより強い感覚が有った。
的前に立ったら、新しい中る景色を刷り込むことになる。
もう、充分に的前に立っても恥じない射なのだが、
実はちょっとした事情があって道場には通っていない。
かっちゃんとしてネットで好き放題語ったからといった様な理由ではなく、
からだに関することで、解決するのに1・2年は掛かりそうだ。
まあ、のんびり行くさ。。。

579 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


580 :
狙いの感覚の中で、視覚による中る景色以外に、2つ重要なものが有る。
ひとつは、胸弦だ。
胸弦は失敗すると胴着などをはらって、矢筋を大きく狂わせるのだが、
上手く決まると、狙いの付いた矢筋が微動だにせず、
澄ましから離れまでを安定してもって行ける。
もうひとつは、馬手の添え指・人差し指だ。
会に入った時、人差し指の第2から第3関節の間が矢軸にピッタリと添うと、
矢筋の感覚が自分のからだに入って来て、矢筋が自分の体の一部のように感じられる。
そうなると、一層狙いが確かになるし、矢筋に悪さをするような離れ方はしなくなる。
こうしたことも、離れる前に現れる中る景色を支えている。

581 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


582 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


583 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


584 :
馬手を安定させる方法
私の中仕掛けは細めに作るので、2・3日も経てば、幾らでも矢こぼれ出来る状態です。
でも、取り掛けから捻り皮を矢軸に添え、馬手の状態をほぼ一定のままに会まで持ってきます。
この時、馬手の手首には柔軟性を持たせ、常に矢を優しく保持する取り掛けの馬手を保ちます。
筈の溝に対して中仕掛けが細くても、矢こぼれが起こらないということは、馬手の取り掛けが好く、会までの射の運行が適切に行われていることを意味します。
矢番えは筈の方を持って弦に押し込む作法になっています。
この時も、カチンと音がして入るような中仕掛けの太さなら、矢番えが難しいですね。
また、不正に捻りの強い射や上押しとの関係で矢番えの高さに問題がある場合には、筈から弦が抜けにくいほど矢離れの時に、大きく矢筋を狂わせたり矢色が付く原因になります、
本当に正直な矢飛びの射を射れる場合は問題ありませんが、そうでない場合は弦の抜け易い筈の状態の方が有利です。
また、矢こぼれしそうな状態での射の運行は、正しい取り掛け、その維持など、大三、引き分け、会の好い状態を作ります。


585 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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586 :
私とここの多くの住人との弓道に対する考え方の相違は・・・
弓道は的に中てる。
弓道は弓矢の性能を充分に活かして的を射る。
・・・ということだと思う。
矢飛びの美しさとは、会での矢筋通りに放たれ、
矢色が付かず、矢羽によって矢軸が回転して的へ至る様である。
矢勢とは、強弓に軽い矢を番えて放つような単に矢の速度ではなく、
射手と弓との組み合わせで、矢にこめられる最大限可能な運動エネルギーのことである。
美しい矢飛びは直進性に優れ、対象物を垂直に射抜く基本である。
矢勢もまた直進性を担保し、射程距離を伸ばし、破壊力を増す。
直進性は的中の要であり、長い射程距離は遠矢を可能にし、
対象物を垂直に射抜く破壊力は堅物の射に適する。
この様に見てくると、的に中てるというのは、弓道の一面に過ぎない。
不正な矢飛びを是認して、後ろに的付けをしてまで的中を求めるより、
射の本質に向けて誠実に最善を尽くし、
たとえ外れても的を正直に射る姿勢こそ弓道と云える。

587 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


588 :
今日も7寸的バージョンで、中る射のデータをからだに刷り込んでいる。
射法全体のスムーズな流れを重視している。
中るOkayが出ない時は、出るまで待つ体力と心の余裕の練習もしてる。
会の長さが普段は6から8秒くらいなのだが、更に10秒、12秒と持って、
中る景色の中で張り合い続けていたら、
久々に弦笛が聞こえた。・・・弦の風切り音・キョ
弦と関板の距離は3・4ミリで、返って来る弦が関板を打たない、
完璧な不言流奥義の射で、7寸的を射抜いた。

589 :
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
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590 :
今日悟ったのだが、弓道は的にさせられていた。
私が的を射るのではない。
的が私に矢を放たせていたのだ。
そう云えば、小用の時に的が有れば、つい狙ってしまう。
それが、人の本性だ。
的とは、人に刺激を送る総ての現象だ。
射るとは、その現象に心とからだが反応することだ。
基本的に、人は外部の刺激に対して条件反射的に行動(思考)する。

591 :
弓道も、諸法無我なのが実感されたわ。
んん、面白い。

592 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


593 :
とうとう5個作った7寸的もお釈迦になったので、
一尺の的でやると緊張感が薄れる。
大きい印象は有るし、小さなミスでも的中する。
的の中に、自分で小さな的を見立てて射るしかない。
それが良射を生む秘訣だ。
いくら人の本性で、的に突き動かされて射ていたとしても、
その本性を越えるすべが人には有る。
発達した大脳新皮質による意志力だ。
だから、実用の射術を凌駕する弓道にまで発展できたのだと思う。
まあ、それも霞的を的とはしていなくても、弓道というものを的にした
条件反射なのかも知れないが・・・。

594 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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595 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


596 :
ひとはエコに出来ているから、大きな的になると、
必要以上に緊張感を生み出さない。
それは疲労や空腹を抑え、体力・気力を温存する生命のシステムだ。
そうした制御は、実戦の射術には適合するが、弓道には不釣合いだ。
教育の分野では、1を教えるために10や100の勉強をするが、
弓道でも、尺ニの的を射る為に、8寸、6寸、・・・の練習が必要な気がする。

597 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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598 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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599 :
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
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600 :
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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601 :
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


602 :
今日は寒かったので少なめだけど、40射近くは引けたかなぁ。
弓構えから直接大三に持って行く射法だと矢数が増える。
もう大分前にも、この射法をやったことがあるけど、
当時は三重十文字に狂いが出て、ギクシャクしていたけど、
今は胴造りがしっかりしているから、何ら苦にならない。
手の内も打越しを高く執ったりしない分、狂いが殆ど無い。
中る射の再現性を高めるには、好い手の内の再現性が必須だね。
後もう少し、好い馬手の添え指の再現性と口割りの更なる安定感を含め、
澄ましの行き届いた・雑力雑念の無い、そういう射を深めたい。
明日から雨の日が続きそうなので、また7寸的でも作ろう。
まあ。7寸で9割の確認も出来たので、5寸的も試しに作ってみようか。
尺ニの的の面積を元にすると、5寸的では尺ニの17パーセントということになる。
2.9mの射位で、直径15ミリの円を狙うということだから、
初めはビビルと自分ながらに思う。
予想では、4射1中ペースじゃないかな。。。

603 :
ある日、ロドニーが庭いじりをしていると、生真面目そうな訪問販売員が柵越しに話しかけてきた。「新型の芝刈り機を買いませんか?」ロドニーは丁度、
芝刈り機を買い換えようと思っていたが、こ

604 :
じねんを俯瞰的に眺めて見ると、より精密で中る射を実現するには、
射に影響する要素の刺激をより鮮明に多く感じられることだと思う。
その為には、生命活動に直結する新陳代謝などの働きも必要最低限に抑えるなど、
無駄な刺激の排除が最優先されるべきだ。
出来ることなら、夢も見ずに熟睡している状態に近いくらいの安静の内に、
射がなされることが好ましい。
また、通常の生活では視覚からの情報量が全体の80パーセント以上を占め、
他の小さな刺激量が意識に上るのを阻害している。
狙いや身体の空間的姿勢の確保には必要だが、
それ以外は半眼で遮断し意識の許容量に空きを作ることが大切だ。
また、的への必要以上の志向性は意識の空き容量を減じるばかりか、
他の身体感覚など志向性の向わない刺激の排除を行ってしまう。
狙いに固執するか、射を全うするか、それらのどちらかではなく、
両者のバランスが大切だと考えられる。
ただし、一般に狙いに重きを置く傾向が強い為、
射を全うする方に重点を置く心構えが大事である。
仏教では、夢を見ない熟睡の状態を小涅槃と言う。
また、悟りの極致は涅槃寂静とも云う。
弓道でも、じべんの働きを最大限に活かし、真体の射を行うのは、
この小涅槃に近い状態と言える。
つまり、眠りの射であり、本来澄ましはその方便と言える。
残心は小涅槃の睡眠からの覚醒。
ひとは深い眠りから覚めるとき、直ぐに弓倒しなど出来ないものだ。

605 :
訂正、下か2つ目の段落1行目の・・・
じべんは誤りで、
正しくは、じねんです。

606 :
私の弓道再開から今日までを振り返ってみた時、
進むべき方向とそこへ至る道を誤らなかったことが、
何より幸いであった。
そして、今も迷い無く進んでいる。
その道が、弓道だよ。

607 :
5寸的に中てるなら、眠りの射しかあるまい。
静慮と三昧、本来それらは一であることを射で示す。
長い道のりになりそうだ。

608 :
ドラマの中で、息を押しRように静かな眼差しで主人公を見つめ、
幸せの影に悲しい微笑を浮かべる少女がいた。
そんな少女の命を守りたいと思う主人公の気持ちに、自分もなっていた。
この星に住むひとの心には、ため息が出る。

609 :
眠りの射は最後の仕上げなので、そこに至る前にまだ散在する射技の向上を探究している。
今日の成果は、取り掛けの高さだ。
かけの帽子と人差し指との股に矢筈が在るのだが、矢軸と帽子の間隔をどれ位にするか。
両者がくっ付いたり、その間隔が狭すぎると、矢飛びが狂う。
しかし、広過ぎると、馬手の捻りが掛けられず、矢の保持に難が出るし、
添え指で矢筋を感じられなくなる。
その微妙な間隔を見つける。
また、帽子の向きも、平付け傾向の方が下を向き、捻るとその反対だ。
帽子の先が下を向いた場合も、前述と同様に左右の矢色が付き、矢は的の後ろに行く傾向が有る。
先程は、この2点について実験し、一応の成果が得られたが、更に微調整する。
矢筋の延長線の巻き藁に垂直に、筈を全く振らずに刺さる矢がより安定して出そうだ。

610 :
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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611 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
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嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


612 :
今日の5寸的バージョンの初立、一手皆中。
縦の中心線には狂いなし。
2本とも6時の同じ穴に的中。
7寸的・55パーセント・・・手の内の改善
    68パーセント・・・手の内の充実、馬手の添え指の改善
    90パーセント・・・手の内の更なる充実、馬手の添え指の充実
5寸的・一手皆中・・・・・・前記の充実の他、取り掛けの改善
              今日は胸弦のトラブルを防ぐ為に胴着を着ている。  

613 :
2立目、4射1中。
1本目と2本目は、弓手の肩の入りが不足していた。
背負い的になった足踏みの不正が原因だった。
4本目は、中る景色にならず、見切り発射だった。
的が小さくなった分、自分の欠点がよく見えてくる。
欠点を潰し、更なるテクを見つけようぞ。
実は、手の内の整え方について僅かな改善点が見えてきた。

614 :
6射3中。
中る景色が見えるか見えないかの問題だ。
景色と言っても視覚だけではなく、総ての知覚。
・・・6/12

615 :
4射2中。
手の内をいじりながらの不安定さが、若干の狂いに繋がっている。
・・・8/16

616 :
4射2中。・・・10/20
5寸的バージョン初日、的中率50パーセント。
私の矢の散り具合は、尺ニの霞的で・・・
一の黒の内側に、50パーセント。
二の白の上には、40パーセント。
二の黒を含む外側に、10パーセント。・・・外れを含む。
これが今日までに得られたデータから言える射の在り様だ。
射自体の狂いと狙いの狂いの複合された状態と言える。
5寸的をやると、射自体の狂いが多々有ることが再認識させられた。
まずは、この撲滅に頑張ろうぞ。
半矢の状況は、5寸的に中てることが困難なのではなく、
中る状況を作る過程が不安定ということだから、
心して練習すれば必ず良くなる。

617 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


618 :
今の練習、3本外して、最後は眠りの射に挑んで、
不十分ながら1本の的中を得た。
人の為すこと、いくら意を尽くしても未来は定まらない。
それは、意に沿った十全とした射が出来ないからだ。
中る射の十全とした策が講じられ、例外的な事でも起こらなければ、
矢は的に必ず中る。
それが、自然の理だ。
自分の意思とそれを実現する為の十全とした術(すべ)を得て、
その通りに行動できること。
そうした完全な知行合一は難しい。
知るとは既に出来ることだが、人には本当に十全とは出来ないから、
本当に知るというのは、恐らく決して無いことだ。

619 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


620 :
4射2中。
弦が関板を叩かないが、キュウという可愛い弦笛が聞こえる。

621 :
4射3中。
今日は、半矢だ。
弦笛以外に、無駄な音のしない射は、好い射だ。
今日は、ここまで。

622 :
矢筋を狂わせないし、ノジナイも起さない様なきれいな弦返りをすると、
引き尺が無理に大きくなくても弦笛が僅かにする。
つまり、矢速が確実に上がっている。
射の精密性が辿るのは、美しく強い矢飛びの道程だよ。

623 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


624 :
今日は、俺をツィートとしてる嘘ついちゃいけないちゃんが、
サボリ気味だわい。
ファンなら、手を抜くなよ。。。

625 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


626 :
好ーし、その調子だぞー。。。

627 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない


628 :
今の手の内は、普通に弓を握っています。
親指の爪が上を向くこともなく、親指を反らす事もありません。
その方が弓とマッタリの状態になります。
また、内竹の右上・角見にも、そこだけ特別な圧力が掛かると、
矢が真っ直ぐに飛んでいく気がしません。
だからと言って、捻りの働きも有り、矢勢を乗せることにも、問題が有りません。
手の内は、手の筋肉の使い方で形が決まります。
しかし、手だけで手の内を考えていては手の内が上手くいきません。
手の内と左腕、そして肩や肩甲骨や脇の下などの体幹と一体となる筋骨の使い方で手の内が出来上がります。
特に、左腕で云えば肘の内側が脇正面を向くようにすることは必要ですが、
自然と体幹からの押しが左腕の全体を一様に通り、手の内に達するようにすれば、手の内は完成します。
これだけで、上下左右に不動の押手が出来上がります。
ただ、弓を握るのですが、握り締めてしまうと、不動にはならなくなってしまいます。

629 :
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない
嘘をついてはいけない

630 :
的前で弓を引くとき、何を考えていますか?

631 :
永眠の射

632 :
考えるのは練習や研究の時には必要最低限許されるが、
本番などで考えるようなら、射が死ぬし、中らなくなるよ。


633 :
大きさの異なる的で楽しんでいた。
5寸的では一つの射術の忠実な再現性を試みる訓練だ。
隙や迷いは許されない。
尺の的では、中るのは当たり前だから、より自由度を高めて、
色んな状況の引き方をする。
その中で、射技としてより精密なものを模索する。
7寸的は9割だから良いのだが、5寸的ではまだ5割。
射技として5割の壁を越えるものを見つけるのが目的。
今、手の内の人差し指と親指との使い方で、好い感触を得た。
矢筋に狂いがなく、上押しが完璧に利いて、
弓返りが300度以上が一応の合格基準だ。
今夜はもう少し、新たな工夫について、その機能を調べる。

634 :
もう5寸的は無いので、急きょ尺的を5寸に直して引いて来たが、
思い通りの矢飛びで、合格基準を満たしている。
しかも、矢勢も乗っている。
今まで、こんなことやっている人を見たことも聞いた事も無いが、
今までに射の精度とは、一味も二味も違うような感じだ。
明日やってみてこの感覚が失われず、その後、5寸的で的中を調べれば、
真偽の程が明らかになる。
今日は、ここまで。

635 :
どうしても、この射技をもう一度確かめたくって、引いて来た。
雨が降り始めたが、一本引いた。
今までで、Best threeに入る出来で、
5寸的に決まった。
感動の一射だった。

636 :
今夜はカミさんと映画鑑賞。
TVのようつべで、名探偵コナンの1と2だ。
今日発見した手の内、その理屈を考えていたが、
上押し完璧、拇指球コチコチ、上下左右の不動の押手完璧、
弓の姿勢制御理想的で、矢飛びは好いし、弓返りもバッチしだと思うのだが、
もしそうなら、馬手の秘儀・離れの出し方と同レベルの大発見だ。
テニプリの秘打みたいなもの、或いはひかるの碁の神の一手みないなものだ。
俺の進化は止まらない。
俺の弓道は宇宙だ。・・・なんてな。。。

637 :
自由度ということも考えてみる価値が有る。
弓道では好い射の再現性を高める為に、好い状態の再現性を高める必要がある。
自由度というのは可変性だから、好い状態を作る過程と出来上がったものについて、
その自由度が低い方が好い射の再現性を高めることになる。
今回の発見は、再現性の為に自由度を封じ込めることが、
同時に幾つかの機能を高めることに働いた。
奇跡的な成果に成るかも知れん。

638 :
射法というのは、射技を固める過程だ。
云わば、好い射の再現性を高めるために、
それ以外の射の可能性を封じ込めて、
一定の射術の再現性を高める方法だ。
胴造りや詰め合いが、体幹や射の横線を固めること、
つまり自由度を封じ込めて、射を安定させていることに
改めて気付くだろう。
ボウガン射法も、この自由度で考えてみると、
その優秀さが再認識される。

639 :
居眠りの射

640 :
昨日の手の内、やってみたら好いわ。
馬手にも連動して、好い状況を作る効果が有る。
今までの手の内と比較する為に、やってみたら、
前の手の内でも好い中りで、どっちが上か分からない。
困ったものだ。。。

641 :
手の内は難しい分、面白い。
親指一本でも、幾つもの秘密が隠れている。
稲垣さんは、昔の武士が色々と試して、
結果として1番良いのがこの手の内だ、と言っていた。
俺には、その先にはまだまだ沢山の改良点が有ると思われるのだが・・・。
そこから先へ進まないのなら、伝統文化としての流派射術で終わりそうに思う。
個人的に発展させようとしている射手も居るかも知れないが、
どこからもその声が聞こえてはこない。

642 :
昨日とその前の2つの手の内は、その長所を取り入れながら、
ひとつに統合されて、更に好いものとなった。
親指のもう一つの使い方を見つけて、手の内の働きを強化し、
馬手への好い影響も引き出してくれた。

643 :
息子が船釣りでカレイを50匹釣ってきたので、
私の射場は、干し場になった。
華麗なる射。。。

644 :
寒さの中、無心でやると、ド真ん中に刺さるが、
気が抜けていると、尺的でも時たま外すわ。
今一文字の大離れで4射してきたが、引き千切り離れじゃないので、
静止したまま離れて、普通なら小離れ、作れば大離れ。
演出の大離れも、間髪を入れず動きの向きや速さに段差が無いから、
見た人はそういうものだと思うだろうなぁ。
尺的だが、集中してやれば、どちらも外れない。

645 :
的は半矢くらいの大きさで練習しないと、気が抜けるものだ。
充実感・感動と失意・悔しさ、そうしたものに2分された練習こそ身に付く。
15ミリの5寸的バージョンで、また明日やるか。

646 :
今日は、一手皆中。
雨になった。。。

647 :
今日は52センチを頭にひらめのオンパレードだよ。
早速、刺身で食べた。
後は、煮付けも好いが、ムニエルも好い。
息子は、魚のおろし方を習って来たらしく、
披露した。

648 :
you tubeで現会長の射を2つほど観たが、
馬手の離れの出し方が好くない。
重い、引き千切る、詰め合ってないからビクも出る。
弓手は、離れると開いて、閉じてをしている。
引き分け終わった途端に離している。
横引きの射は、基本的に引く矢束の射で、無理クリ離れを出す傾向にある、
その典型だった。・・・九段・・・真体なのは分かっている。

649 :
ところで、俺の射はどうか。
雨の合間に1射だけ、5寸的の真ん中に決めた。
引かぬ矢束の射、弓の中で詰め合いが出来、
10秒ほどの会。
超小離れ、弓返り300度くらい、
残身の弓手の位置は、2つに見える弓の右の方に的が重なっている。
ノジナイの無い矢は3m先の的まで、半分くらいは矢飛びが見える。


650 :
>>648
タイトル教えて

651 :
俺が見て上手いと思う人の会は、
特に馬手の前腕が的方向に引かれている感じが出ている。
裏的に引く力感が馬手前腕にみなぎっている人は、駄目だ。

652 :
娘からは、エクレアの差し入れ。
日本酒と欧米のお菓子、合わない。。。

653 :
かっちゃん動画のタイトル教えてくれよ

654 :
ビデ板にアチャチャで2つ書き込んで、やっとのことで、入禁。
Syamenのブログに書き込んで、無反応、Rマン。
実力無いと俺に関われないわなぁ。。。

655 :
動画見つけた
見つけたからあとはいいよん

656 :
喜寿の時の栄さんの会相、
馬手の引かれ方は、ピカ1だわ。。。
まあ、普段くさしているが、好いものは好い。

657 :
それも見たことあるからいいよん

658 :
今夜は、美女缶や過去からの手紙なんかを観てる。


659 :
>>655
URL教えてクレー教えてクレー

660 :
http://www.youtube.com/watch?v=9bignEE3CEw&feature=relmfu

661 :
http://www.youtube.com/watch?v=K-wAT9erIdk&feature=plcp

662 :
ありがとう
でもこれ、かっチャンと違うんじゃないかなって思ってた
総合スレに張られてたときに見てた

663 :
俺はかっチャンについては非常に詳しいが、
あの中か小離れの射手は、かっチャンじゃない。
かっチャンはあんな上品な顔じゃない。
怖そうな顔だよ。
それに、超小離れだよ。

664 :
かっちゃんは下手だし怖がりだから未来永劫動画のアップはしないよ

665 :2012/10/29
朝嵐のかけを使いこなすには、尋常ではない技が要るよね。
ビデ板で俺が書き込んだが、それが消されて、
判ってないレスだけ残っているなぁ。
まあ、消される前に読んでおけば、それで好いんだが・・・。
俺の弦枕は、ピッタシ親指第1関節の位置に在る。
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