2012年09月中国英雄114: ●● 売国奴? 秦檜 ●● (312) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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●● 売国奴? 秦檜 ●●


1 :2007/01/04 〜 最終レス :2012/08/29

長らく売国奴の扱いを受けて蔑まれてきたが、最近では評価を見直す動きもある南宋の宰相秦檜。
本当のところは、どんな人物だったのでしょうか?
「秦檜」
日本語版
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%AA%9C
中国語版
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%A1%A7

2 :
とりあえず、>>1が一番悪い。以上。

3 :
李卓吾にすら弁護されてない。

4 :
共犯と言うか黒幕の>>1に汚名を全部負わされてしまったような印象を受ける。
>>3
それはきついな。

5 :
実際のところ、この人は金に内通していたのかな?
岳飛の処刑については、宋朝の伝統的な軍閥解体策も背景にありそうだし。

6 :
軍閥を解体するのに、個人を「R」というところに、実行犯および黒幕たちのえげつなさがある。
軍閥の解体は過去の乱世期にもあったし、むろん殺しもあった。
その多くは皇帝などの武力討伐だったりするわけで、無抵抗な個人を権力をもって嬲りRのは、普通に非人道的な行い。
秦檜だけが特に、というわけではないが、比較的開明政策な宋にあっては黒い一点の染みのごとく目立つ。

7 :
高宗の負の面を一身に引き受けた人。

8 :
ずっと売国奴の代名詞にされて、民衆から罵られ続け、
唾を吐きかけられ、小便を引っかけられてきたんだから、
もう十分に報いは受けただろう。
そろそろ評価を見直してやってもいい。

9 :
見直しても単なる卑劣漢だからどうしようもない。

10 :
秦檜の子孫って残っているのかな?
いたら、かなり居た堪れないと思うが。

11 :
秦檜の一族は、秦檜死後に追放されたんじゃなかったっけ?

12 :
政権からは追放されたけど。
なにも族滅されたわけじゃない。

13 :
戦争を終わらせて空前の経済大国を造り上げる下地をこしらえ、
皇帝の意向である軍閥解散命令に従わなかった反逆者の芽を摘み、
基本的には民衆に直接害を及ぼすことがなかった。
まさに最低最悪、救いようの無い悪党だな。

14 :
>>10
あれだけ、世間的に悪役にされちゃったら、
祖先の名を隠すだろうね。

15 :
>>13 金国への多額な歳幣の元手を民衆に課した。 という最高の功績が抜けているじゃまいか!

16 :
>>14
岳飛の子孫で、清代に武官になった者がいるけど、
こちらの場合は、ちょっと誇らしげな感じだろう。

17 :
>>16
でもさ、抗金の英雄の子孫が清(後金)に仕えるってのも
何か皮肉だよね。

18 :
それが公瑾の子孫だったらもう完璧

19 :
愛国正義の英雄 岳飛
最低最悪の売国奴 秦檜
の構図は、今に至っても武侠小説世界に格好のネタを提供

20 :
>>1も汚名の半分は肩代わりしてやるべき。
>>1の意を受けて、秦檜は動いたんだろうし。

21 :
虚偽浅慮無謀の「英雄」 岳飛
冤罪の真の愛国者 秦檜

22 :
ところで、秦檜って、奸臣によくあるような不正蓄財はしていたのかな?
賄賂をがっぽり取って金銀財宝をたくさん隠し持っていたような。
このへんは評価に関わる重要な部分だと思うんだけど。

23 :
うーん、岳飛は野に降りた後も兵を養っていたからなぁ(岳飛贔屓に言わせると人望があったから勝手についてきただけ、となるが)
電撃逮捕と苛烈な処罰がなければ内乱になってたんじゃないの?
軍閥解体で政権を安定させる事は南宋の命題だったわけで

24 :
岳中麒は岳飛の子孫であること、小説家のほら吹き話らしいだけど
何百年前の親なんかはっきり覚えていること信じられない

25 :
>>23
もともとが私兵じゃなかった?

26 :
私兵なら韓世忠や張俊の軍勢も同じでしょ
やっぱり国軍に組み込んでもらうべきだったんだよ
政府の方針に反して下野した人間が軍事力持ってりゃ警戒される
日本でも時代は違うが西郷隆盛の例がある

27 :
張・韓の場合は同じ私兵でも将官は高宗に即位前から付き従っていた実績が
あり、抗金戦争でも朝廷の言うことをよく聞いていた。
朝廷が劉光世の軍閥を解体するときに失敗して副将が軍と共に敵に投降する
不祥事があったが、その再来を極度に恐れて岳飛とその軍閥に対して
苛烈になったというのが真相だと思う。

28 :
四川の呉氏軍閥はどうなんやろう

29 :
>>28
呉氏の軍は元来は対西夏戦に備えて配置されていた北宋正規軍。そしてその
将校は正規の軍人。信用については5大軍閥中最高だった。
それに呉カイ・呉リンと並び称されることが多いが、呉カイ存命中は
呉リンは他の副将と同格。事実呉カイ死後
最後の戦いで四川方面軍の総指揮を執ったのは胡世将だった。
戦後かなり経って呉リンが四川宣撫使と
なることで事実上呉氏軍閥が開始されたと考えることも可能。
四川方面軍に私兵的要素は皆無と言ってよい。

30 :
そうや呉兄弟って甘粛の方の出身だよね。

31 :
秦檜は金が異姓の傀儡王朝を作るのに公然と反対した硬骨漢
宋への忠心は確かだった
ただ路線の違いが岳飛との運命をわけてしまった
固有の武力を持たない文官が武官を抑えるために酷吏を使うというありふれた例の一つ

32 :
靖康の変で、大楚皇帝に反対したから、
金に連れ去られる羽目になったんだよね、この人は。
大楚皇帝も可哀想な人だが。


33 :
張邦昌、説岳で極悪に描かれていてカワイソスw

34 :
民と宋歴代の陵墓を守った忠臣なのにねぇ
皇帝すら金の命令に服従して連れ去られる中、違命を受けたとかいわれても……

35 :
李綱とかはものすごい正義の人って描かれ方だよな。

36 :
岳飛は好きなんだが、李鋼はダメだ。
主戦派という論調で見た場合、岳飛は実力が伴うが、李鋼は口だけ。
戦中の日本陸軍か現在の愛国心を強調しているヤツラと同じにおいがする。

37 :
岳飛が日本で流行らないのは、そういう漢民族マンセーが強烈過ぎるからか?

38 :
人從宋後羞名檜,我到墳前愧姓秦

39 :
そもそもの間違いは岳飛が出てくる話で最初に読んだのが田中芳樹の「岳飛」だったこと
本当に時間の無駄
岳飛のどこが偉いのかさっぱりわからない、はっきり言って鼻つまみものにしか見えない
史実の岳飛云々以前に「岳飛」の名のつくものにマイナスイメージが定着してなかなか抜けない

40 :
39
田中芳樹の「岳飛」→田中芳樹の「岳飛伝」に訂正

41 :
日本人に岳飛を紹介するのに、説岳をそのまま持って来るのはあまりよくない。
中国の古典なんだし、当然漢民族の嗜好に合わせた内容。
三国志だって、三国演義そのままじゃなくて、
吉川英治がオリジナルの三国志に改編したから、あれだけ人気が出た。
だから田中芳樹も説岳を基に、日本人の嗜好に合わせた面白い物語にして、
売り出すべきだった。
田中芳樹にできるかどうかは別として。

42 :
>>41
そうか?これまで岳飛モノの翻訳したものがなかったんだから
まずは原典直訳を考えるのは不自然じゃないと思う。

43 :
>>42
原典に忠実に訳してれば、また評価は違ったと思うよ。
中途半端に手を加えてるから、評価も中途半端になってる。

44 :
ここは一つ北方謙三に岳飛を書いてもらおう
ハードボイルド秦檜… イカスぜ

45 :
岳飛とか秦檜より韓世忠の方が主人公としては無難で日本人好みになる。
軍閥間は不仲と史書に書かれている中でも他のみんなと比較的仲良かったし、
朝廷の言うとこはよく聞くし、終わりもいいから紹興の和約でハッピーエンド
にすることもできる。
岳飛伝は史実で病死だった宗弼や張俊をわざわざ変な死に方を用意したり、
釈然としない。そこまでしなくてもと思う。
特に父親を殺した曹寧の結末は後味悪杉。岳飛の死後に、岳飛の仇敵の遺子が
岳飛の遺族を厚遇して父親のことはスッパリと水に流していい人として描かれているところと
比べると明らかに釣り合いがとれてないし。

46 :
秦檜は良い奴だったよ

47 :
岳飛はどうも他の武将と折り合いが悪かったみたいだな。
性格的に問題があったんだろう。

48 :
主人公にするとDQN扱いされてウケないだろうね、日本じゃ
準主役にすれば映えるだろう

49 :
むしろ秦檜は最近でいる汪兆名のような立場じゃないのか?
俺は尊敬するけどなぁ。

50 :
岳飛は好きなんだがあのままなら亡国を招いていただろうなぁ
そこからすると秦檜は救国の志士ということになるか
タイムマシンがあったら是非話をしてみたい人物のひとり
そういえば自ら岳飛の末裔だという中国人女子中学生は祖先をとても誇りにしてたよ

51 :
日本人で近い武将は義経か真田雪村あたりかね
なんとなく近い路線でしょ
もし義経や雪村の子孫だったら誰でも誇るでそ

52 :
それは先祖の美名に遠く及ばない自らを恥じることと裏返しのように思う。

53 :
誇るのと自慢するのは、ちょっと違う。
でも、歴史的に(いい方で)有名な先祖だったら、ちょっと嬉しい。

54 :
>50
義経は本懐を遂げても身内(この場合は梶原と兄)にやられたような
もんだから微妙に違うかな。日本の場合いい意味で特別すぎて
その辺の中国人の感覚は理解がし辛いかも。
日本人の感覚だと清濁併せ持つ方が(勿論「清」のほうが強い方が)共感を得易い
だろうし。

55 :
今でもしょんべんかけられているのかな

56 :
>>44
もう書いている。
北方水滸伝・楊令伝を語ろう 第十九章
http://book4.2ch.net/test/read.cgi/books/1174951291/

57 :
岳飛が政府にとって迷惑な存在で排斥すべき人だとは思うんだよね
ただ、他にやり方はなかったのか
秦檜ひとりが汚名を被る形になってしまったでしょ

58 :
言論をもって士大夫を殺さず、が宋の国是
岳飛が科挙に通ってたら追放だけで済んだかもね
軍閥のボスだから生きている限り火種になる

59 :
秦檜も同じ売国奴なら、せめて桑維翰見習って、敵勢力を追い返せばよかったんだよ軍閥を利用して。
やることやってないで、他人を犠牲にだけしているから蔑まれるんだな。

60 :
読売新聞の調査によると、
【中国人大学生が好きな日本人】
@川端康成
A小平邦彦
B高倉健
C村上春樹
D黒澤明
E松下幸之助
E(同点)豊臣秀吉
G武田信玄
H浜崎あゆみ
H(同点)宮崎駿
【日本人大学生が好きな中国人】
@チャン・ツィイー
Aジャッキー・チェン
B孔子
C諸葛亮
D劉備
E曹操
F関羽
G毛沢東
H楊貴妃
I孫文
となったようだけど、もし日本側が、好きな中国人で秦檜を1位にしたら、
中国人はどう思うんだろう?w

61 :
素朴な疑問なんだが、なぜに秀吉がランクインしてるんだ?
明を攻めようとした男が

62 :
隣の9センチ属国と違って庶民から成り上がったことや数々の能力は認めてるらしい
あの国は優秀な人物は国籍を問わず尊敬するところがあるからな

63 :
それと中国で、日本の戦国時代は、NHK大河ドラマの視聴や、
ゲームとかの影響だろうけど、そこそこ人気がある。
秀吉は日本の戦国時代では一、二を争う英雄だから、
自然と入ったんだろうと思う。

64 :
異民族でも皇帝になれる国だしな
秀吉だって十分な資格があったわけだ
それにチャレンジした精神を認めてるんだろ
政府はともかく知識のある中国人は反日少ないらしいし

65 :
>>64
良識ある日本人に、反中が少ないのと似たようなもんか。

66 :
間違っても「中共の核だけは綺麗な核」とかほざくアフォが良識ある日本人とはいえないと思うがw

67 :
ネット右翼は、もっと知的レベルを上げて欲しいとは思うが、
脳味噌がお花畑の人間を良識ある人物と言うのにも抵抗感があるw

68 :
親中は脳みそお花畑かもしらんが、反中でない=親中でもないしな。
なんにせよ、戦争回避の策は秦檜に見習って欲しいが、
だからといって、民衆「だけ」の負担には決してしないでもらいたいね。
今の日本で中国や韓国に腰砕け外交したら、怒り狂う人たち多いんじゃないのかね?
今もそなんもんか。


69 :
つうか岳飛をそのままにしておいたら、靖難の変の時みたいに講和が成立して帰ろうとした金軍に勝手に攻撃かけて(奇襲自体は正規の作戦だったが抜け駆けとも)大失敗かましたヨウ仲平みたいなこと連発しかねないんじゃ?

70 :
靖康の変だね。
そんな失敗していたら、後世に馬鹿扱いされていただろうな。

71 :
岳飛がもし金を滅ぼして欽宗を救出していたら、
それこそ厄介な問題が持ち上がるな。
下手したら内乱が起きるし。

72 :
いや岳飛じゃ絶対に金は滅ぼせないから、その心配はない

73 :
それはどうだろうね
というか岳飛が結構強いのである程度河北攻めあがったら金は和睦の条件に欽宗を出してきそう

74 :
無理。岳飛だからって兵站や金軍に有利になる地勢の差まで克服できるはずもない
宋軍全般の善戦自体が防御的なものだったことを忘れちゃ駄目だ

75 :
岳飛が指揮すれば防御型の軍編成してる南宋が攻勢に出て金を滅ぼせるって
どんな架空戦記小説だよ

76 :
金朝の内乱に付け込むことはできなかったのかな?
初期の金朝はかなり内部がごたごたしていたでしょ。

77 :
防御主体の編成は孟キョウ以降だろ。
出来るかどうかはともかく、岳飛の頃なら戦略的な機動力は失われてはいない。
弱兵と言われる宋も、それ以前に指揮官が素人ばっかなのが問題なだけ。
アホ上司が無茶か馬鹿な命令しか出さないんじゃ士気も奮わんよ。
これはシビリアンコントロールの弊害と言うべきだろう。
朱温のような殺されるべき色魔がのさばり、本当の忠臣が冤罪で死ぬ。
ふざけた世の中だ。

78 :
指揮官が素人というよりも、指揮系統が分散されすぎているのが、北宋の制度なんだな。
有事の際っていうのは、特に個々人の能力の差が顕著に顕れ、やり手が兵という数の力を手にすることが往々にしてある。
そういうのを防ぐために、誰か一人に権限が集中しないように、同一の権限を持った役職を複数つくり、それぞれの合意で軍は進退したという。
それはつまり、軍としてのレスポンスの悪さに直結するわけだけど、本来最高司令官として皇帝があるはずだった。
皇帝の意思によって、軍は即座に反応することが望まれるのだけど、それは皇帝が親征して自らの意思で決定していくという、まぁかなりの現場能力が要求される制度ということになる。
最終的に、享楽になれた皇帝は親征しないものだから、軍の機能はのろまの亀状態だったわけ。
>>アホ上司が無茶か馬鹿な命令しか出さないんじゃ士気も奮わんよ
ということになる。
岳飛はそこで、当時最大のリーダーシップを発揮して、官軍ではない私兵をもって戦線に突入していた。
これは唐末からあった節度使とその元従牙兵と同じ構図なので、軍隊としてはかなり強力な結束とレスポンスをもっていた。
当然、指揮者たる岳飛の現場判断力とそれなりの視野と思考力があってこそだろう。
完顔宗弼が岳飛にどうしても勝てなくて、恐れて逃げ出したときが、開封を奪還する最大で最後のチャンスだったろう。
そこを政事的な理由から、秦檜に阻まれ目前の好機をみすみす逃したのが、職人岳飛としては腹に据えかねたのだろう。
勃興期でこれから充実を向かえる金を、南宋がこの時点で「滅ばす」のは無理だが、故地回復ならば、河北住民のゲリラとかとあいまって、可能性はあると思える。
かつて、契丹が華北を席巻したとき、最大の敵は旧王朝のレジスタンスだったわけだから、ありえなくはないと思う。
そういうのに乗っかって、有利な平和条約を結べば、秦檜も悪評を買わずにすんだのに、自己保身が優先したのだろうかね。

79 :
可能性の薄い希望的観測頼みで無理矢理北伐したらそのほうが異常
北伐したところで成功する見込みは無く、上手く占領できたとしてもその維持には莫大な兵と資源が必要
有利な和平というが、交渉の主導権は(欽宗の存在など政治的なものを含めて)金が持っていたという前提を全く無視している
出先の一軍のアドリブを過大評価しすぎ

80 :
海陵王が暴政の挙句殺された混乱期ですら、宋軍は多少北上するのがやっと
このときはそれこそ遼族らの大反乱が起こってたんだが、それでも宋はその程度
で、結局和約を多少緩やかな条件で結びなおすのが精々
岳飛に天地そのものをひっくり返す力でもあればそりゃ別だろうがね、彼だって普通の人間だよ?

81 :
そりゃいろいろと条件は違うから、上のようなかつての成功がまたあるとは限らないが、開封奪還の好機であったのは、高い可能性をもっていたと思っている。
外交上、相手が欽宗や他の皇族を人質としているなら、戦勝あるいは相手が和平に傾いているときに、返還交渉を持ちかけることはできなかったのだろうか?
まず外交上で対等以上の関係を作ることが、外交のキモだと考えるが。
秦檜は、というより高宗の意を受けた秦檜は、取り返したいくらかの土地と毎年の歳幣を貢ぐことによって、早期に戦争終結を為したわけだけど、そのあたり裏の事情に自己保身が優先したのじゃないか、と思うわけ。
その場合、高宗の皇帝としての地位に対するこだわりみたいなもんだろうと考えているけど。
説岳に限らず、そういった講談は皇帝を悪くは言えないものだから、その側近に罪を転嫁することが多い。
その点では秦檜は割を食っていると思う。
上でも書いているように、別に金そのものを滅亡させられる、などとは思っていないが、せっかく南下してきた相手を撃破した以上、優位に立てるようにはできなかったのか、ということ。
開封まで目と鼻の先に勢力を戻してきていたわけだから。最初は多方崩壊していたのに、よく戻したものだ。
同じように土地を売った後晋の桑維翰は、あまり売国奴とは言われていないように思う。
この人は、契丹との和平論者だけど、主戦論者が勝つ見込みもなく戦争しだしたところ、中央に入って契丹迎撃の指揮をしている。この辺が違うのだろうと思うのだが。
戦勝後の和平交渉で、契丹から主戦論の代表者と桑維翰自身がここに来い。さらに、鎮・定両州の割譲が条件だ、と言われたとき、そこまで譲歩するいわれはないといことと、相手が怒気を孕んでいることを察して、和平案はお流れになったが。
その後桑維翰が無能な主戦論者に排除され国家は滅亡したので、主戦論自体を容認するわけにはいかなのは、いつの時代でも同じこと。
北宋滅亡前後の場合の無能な主戦論者というのは、説岳では正義の塊のような李鋼を指すかな…
桑維翰はうまく軍閥を動かして、あの耶律徳光を幽州に追い返し、じだんだ踏ませているのだから、すごいもんだ。
そういう前例があるから、北宋の背信や秦檜のやりかたが、どうにかならんかったものか、と思ってしまうのだ。

82 :
今も秦って姓の人いるの?
いじめられるんじゃない?

83 :
宋が建国以来恐れたのは、軍閥が独立して政府を脅かすこと
だから節度使は名誉職化し、進士に及第した文官が高位の軍職をもほぼ独占することになった
後世の視点からだと岳飛が謀反することなんてありえない、と思うだろうが当時の固有武力の弱い南宋政府から見たら軍閥が強大化して逆らったらどうするか、というのは深刻な恐怖だっただろう
そして中央政府が軍閥に勝とうと思えば謀略程度しか手段が無いのが現実
そもそも中央軍が強いのなら、軍閥私兵に頼る必要性自体が発生しないわけだし
秦檜の行為自体は情勢下の判断としては止むを得ないよ
問題は、その後富貴を手放さなかったものだから断腸の処置であったとしても私欲の為と見られちゃった点
和平が成立した後に非常手段を連発した責任を取って官を辞しておく、とかすれば小説的な悪役にならずに済んだかもね

84 :
兵站は江南を押さえている限り優位。
では宋に何が足りないのかというと、それは死兵。
上下ともに真面目に戦う気はあるのか?という連中ばかりだったが、指揮官が岳飛、韓世忠なら問題は無い。
民族主義と愛国心を極限まで煽れば士気においても互角以上の戦が出来るのは古今の例を考えてみれば、決して現実味の無い空論ではない。
唐末以来の戦乱で荒れ果てた中原が、莫大な投資をしてまで切実に必要だったのかは別にしてもだ。
岳飛の粛清など終わってからでも出来る。
あのタイミングでやるのが疑問だ。
だいたい金の戦力は過大評価気味。
軍閥の台頭以前に、首都を容易く囲まれてしまうのは北支那の地勢上しょうがない。
そこで持ちこたえられない弱腰が失笑ものなだけ。
常識的に考えれば攻勢限界を明らかに超えた侵攻作戦。
正常な戦争による征服というより、宋が対外交渉でいもを引いただけ。

85 :
忠臣蔵の吉良と似たようなイメージだな、この人は。

86 :
>兵站は江南を押さえている限り優位。
意味不明
ひょっとして兵站て食べ物いぱーいあるよだと思ってるの?

87 :
どう意味不明なのか?
莫大な食料とそれを運ぶ水運があれば、補給線を断ち切るのは金軍の編成では事実上無理だろ。
江南〜旧都間の運河一帯は地政学的に宋が一時でも保持しておかしくはないと思うが。

88 :
>>82
宮崎や宅間だからって全員が全員いじめられるわけじゃない

89 :
水運の利があったから、長江流域地帯でようやく金軍を食い止められたんだよ
北上するとなると、当然補給線の設置は必須だがそうなると運輸の労と防衛の苦労は並大抵じゃない
平原での野戦となれば、抗金の名将達が山岳や水路を利用して封じてきた金の騎兵戦力が最大限に稼動することになるし
宋側から打って出た場合の難しさは、他の戦例が証明している

90 :
例えば、金滅亡後の端平入洛なんかで宋軍は補給失敗で殆ど自滅している
豊かな物資を抱えていることと、前線にそれを円滑に送ることはイコールではない

91 :
>>83
ま、それはそうで、宋という政権の立脚した意義はそこにあるというのは理解している。
本来、皇帝が万機親政してこそ威力を発揮する体制なわけだから。
それにしても、後周期には「近代無比」と讃えられた少数精鋭の殿前司が、北宋になると見るも無残な弱兵に…
またまた桑維翰を持ち出すが(彼にも性格的な欠点はあり、緊急の際ということもあれ賄賂を強要していた黒い部分もある)、文官でありながら武人に対して戦略での手腕をみせつけたのは偉い。
さらに言えば、後晋期のときのほうがよっぽど節度使は危険な集団であって、それをよく統御できた。
だから余計に嫉妬も買い、自分たちの立場を文官より上にしたい武人や皇帝側近どもに、ヒステリックな追い落としを喰らっているが。
>>秦檜の行為自体は情勢下の判断としては止むを得ない
いや、和平論を否定はしていない。むしろ、それはして当たり前だと思っているが、つまりはそれを利用して自己の利益にし、岳飛を無抵抗な状態でR、というのが究極的な非難の対象。
より権力をもったものが、ないものを排除することを容認するのは、とてもできないので。
和平するにしても、民に負担の少ないやりかたを、もっと苦慮してもらいたいと思うわけだ。
高宗にしろ、秦檜にしろ、権力者は自らを犠牲にした例はかなり少ない。
>>84
>>民族主義と愛国心を極限まで煽れば士気においても互角
あるいは、岳飛あたりの愛国心は本物だったかもしれない。自ら体を張って戦線に突入しているから、偽物であってもそれは賞賛されてもいい。
問題は、それを煽るだけの輩。
唐末からやたら武人優位だったのは、常に有事だったからと、軍閥の統率者は第一線で実力を示し続けていたから。
後周と北宋初期の軍隊が強かったのは、統率者たる皇帝の力量と意思が、他の軍閥を凌いでいたからに他ならない。
愛国心を煽るだけの輩は、北宋滅亡直前の単なる背信行為しかしていない、最低な連中だ。
そういう連中のためには、誰も戦う気など起きないだろうね。

92 :
>>89
南宋初期のころは、ようやく長江の線での延命をてにしたけど、最終的には淮河〜漢水の線まで攻め上ったのじゃなかったっけ?
で、鄧州から陳留への行程に朱仙鎮があり、開封からの金軍出撃に呼応して、そこで岳飛が邀撃に成功した、と…
今確認してないから、そんな感じだと思ってた。
訂正はよろしく。

93 :
>>89-90
いくら宋のテクノクラートが無能だとしても、運河沿いに進めば孤立はしないと思うが…
それが点と線の攻勢で面の制圧にはいたらない可能性が大きいというのは判る。

94 :
最近良スレ化してきたな。
自分は卒論でこの辺りのこと書こうと思ってるけど
結局結論は>>83>>91の折衷案に近い感じで納まるんだよな。
あの時代の秦檜以前の文官達も目指したものは文治国家としての宋朝で一致していたし、
秦檜の政策自体にケチ付ける訳じゃないけど岳飛の処分やその後の専横はなぁ…。
その後の専横が後世に与えた影響を考察しないと彼個人の評価は決められないけどやっぱり嫌いだな。

95 :
和平策のお陰で、南宋がその後150年の寿命を持ったのは事実
専横というが、戦乱で荒れた国政を立て直し文化・経済・生産力を向上させた手腕は無視できないよ
一身の富貴や反対派を抑えて政治をやりやすくしよう、という方策は別に珍しいことではない
当時の士大夫層の価値観というものも見逃してはいけない

96 :
軍閥は軍閥でお互いに対立していたしな
岳飛と張俊なんかは実際に小競り合い起こすほど険悪だったんじゃない?
韓世忠は岳飛を助けようと秦檜の元に怒鳴り込んだほどだったけど、この人は岳飛よりはずっと中央に忠実で兵権をあっさり返しちゃったし

97 :
>>95
秦檜の手柄かどうか確認はしていないが、実際には次の孝宗の手腕によるところが大きいのじゃないのかな。
二代目が優秀だと、その政権は長命であったり、内実が伴いいい方向に進んだりする例が多いし。
むろん、基礎は高宗によって為されたわけで、そこは秦檜の宰相としての手腕を無視するわけにはいかないが。
でも宰相の専権という事態も、実のところ宋の制度では御法度なんだよね。
それは軍閥の抑制と同じことで。宰相は多く置かれて、権限が個人に集中しないようにしているのが宋という国なわけだから。
あくまで君主にのみに権限が集中するシステム。
そういう点、あまり岳飛だけを危険視するわけにもいかないと思う。

98 :
>>97
そういや何かの史書で四姦臣についての批評をみたけど
他は社稷の狐鼠扱いだったけど秦檜だけは下手すりゃ簒奪してたかもって言われてたな。
それにしても高宗がヘタレの印象があるせいか孝宗の名君ぶりは目立つね。
個人的には金とバチバチやり合いたかったのを抑えてあれだけの仕事するんだから頭が下がる。

99 :
秦檜の死後、実は定数がそれまで二十万程度だった禁軍だけでも二倍ほどにまで軍拡がされている
これは秦檜後の和平派が、強硬派を抑えられなくなったことを端的に示している
いくら南宋が豊かな国家であっても、軍事費の異様な増大は明らかにマイナス
しかもそれだけ強化された軍隊を持ってしてもモンゴルが勃興してくるまでてんで勝てなかったのが実態
南宋の発展は、戦後日本に似てカネで平和を購った産物だが当然それは軍事費や戦争への支出より外交的に払うカネが少なくてはじめて成立するもの
強硬派の放埓を許して、金にやった違背連発の二の舞を演じるような連中が主流になっていった経緯を見ると一概に秦檜悪玉、というのはやはりおかしい

100 :
>>97
でも、北宋と違って南宋は、宰相が専横的に権力を振るったって印象が強いね。
>>82
秦は、中国ではそんなに珍しくない姓だと思うよ。
檜という名前をつける親はそうはいないだろうけどw

101 :
宋は豊かな国家だ、というけれども
実態は赤字財政の対策に四苦八苦していた
何度も「冗吏を減ぜん」とリストラ策が検討されているし、新法・旧法の争いも大元は財政政策をどうするか
徽宗期になると、税収を決める土地測量の尺を短いものに変更するというセコイ真似までして増税が行われている
その負債は南宋にも当然圧し掛かっていた
岳飛が北伐すれば、金との戦争は泥沼に嵌って国家が破綻しかねない
韓世忠や張俊のようにとりあえず中央の統制に従うのならともかく、自分の単独作戦が制しされたからって官を辞ししかし私兵を傍に置きつづけた岳飛に対して処置が苛烈なのは自然なこと

102 :
>>99
そう。 実力やなんらの裏づけもなく、成算もなく、ただ自己の立場を、それを主張することによって強化したい、似非愛国者主戦論諸君は秦檜以上に糾弾されてしかるべきところ。
だが、それは現在の日本的な感覚であって、中華の人々はそこに侵略者にたいする姿勢というものを求めている。
日本と中国の考え方のスタンスの違いも、そこれへんにあるのかもしれない。
「異民族」「蛮族」あるいは「虜」「戎」とかいうのは、あくまで相手を蔑む言葉で、方便でしかない。
おおもとは、自分たちの生活あるいは権力の牙城を脅かすものは、どうであれ敵であり、その敵に弱腰なのか、強硬なのか、という辺りが問われるのではないか。
秦檜のやったことを表面的にあげつらうと、身内の脅威には高圧姿勢をとり、無抵抗な人間を拷問によって死に至らしめた。
外の脅威に対しては、土地と金によって機嫌をとった。
しかも、その土地に住まう者の苦労、歳幣などは民衆の当然の負担となった。
和平策や軍閥の解体はいい政策ではあれど、やはりそれをもって自身の利益にしようという打算がそこにあったと垣間見れるし、そのための質となった岳飛には同情も集まる、と。
さらに、岳飛に関して言えば、愛国精神をみずから戦場で証明している以上、口だけでないから余計に民衆のこころには残ることになる。

103 :
宋が遼あるいは金から「故地」を取り戻してみたら、現地の人間は重税の宋より異民族支配を望んだという現実はそんなもの〜な話もあるけどね
ところで歳幣にしろ軍事費にしろ、民衆の負担であるのは当然(でなければどこからカネが出る?)でそこを言い立てるのはそれこそ後世の感覚だろうに
感情論を抜きにすれば、秦檜は泥沼の戦争を終わらせ不採算地域を切り捨てて南宋発展の基盤を整備した。さらに国家を脅かす軍閥の猛威もある程度押さえ込んだ
明らかに一級の人材だよ

104 :
>>103
>>明らかに一級の人材だよ
を、否定している人は少ないと思うな。
秦檜自身も国家の脅威であり、そこに自制と謙譲があれば人間性も賞賛されるが、彼はどうもそういった人間ではなかったようにみえる。
そして先祖を特に大事にするかの国において、陵墓のある東京を他国に押さえられているという事実は、かなりな屈辱感をもっていたろう。
秦檜に対する悪意なりは、そういったものさえ含んでいると思える。
ところで、>>でなければどこからカネが出る?
は、当たり前の話だが、負担はより少ないほうがいいに決まっているし、過去重税を課した為政者が、そのことで絶賛された話はとんと聞かない。
つまりは、歳幣するにせよ、岳飛をはじめとした南宋防衛軍の軍事力を、外交の好材料に使い、和平策成功の功績をして自身の富貴を求めず、制度が押さえ込んでいる専権を行わなければ賞賛に値するということ。

105 :
変人李卓悟もこいつだけは弁護してないんだっけ

106 :
>秦檜自身も国家の脅威
これこそ過大評価だと思う
軍閥や反対派を抑えたとはいえ、文官である秦檜の基盤は高宗からの信任以外ほとんど無い
そこまで確固たる地位を築いていたら死後一族あっさり失脚とかにはならないでしょ
継承できるほどなモノは無かったんだよ
秦檜は下級官吏でありながら、金が張邦昌を立てるのに堂々と反対して抑留されたほどの人物
屈辱感を感じていない人間なら、最初からそんなことしない
しかし感情で実現不能な戦争を続けて国家を滅ぼした北宋末期の宰相達の二の舞は踏まなかったんだから、分別があったんだろう
あと、秦檜治世下では明かに前代と比べて民衆負担は軽減されているんだが。重税も軽減されているし、軍事負担も少なくなっている
どうも悪玉論の印象から抜け出せない人間はまだいるみたいだね
力量と歴史的意義は認めているのに、なんとか粗を探さないと気がすまないという

107 :
金と戦争状態になった発端は、宋側の同盟相手への違約と敵対行為連発によるもの
要するに和平派はそれを苦労して収拾したわけだが
岳飛が仮に北上してそこそこ戦果を挙げたとして、それで金が諸手を挙げて降伏なんてありえない
大義名分、現実的な軍力ともに金が上なんだから
一撃して有利に講和しよう、というのは負けが込んだ国が殆ど例外なく陥る妄想だが、実現した例は稀
まして岳飛は「黄龍府まで攻め込むぞ」と気勢を挙げている。講和材料としての勝利なんて考えていた気配は無い
退官してまで私兵を養っている危険人物を除いた行為を否定するということは、岳飛がクーデター起こして和平派をぶち殺せば良いということか?

108 :
>>106
>>どうも悪玉論の印象から抜け出せない人間
自分はこれでも公平に見ているつもりだが、権力者の欺瞞や利己心を暴きたいという欲求があるから、そう思われるかもしれないか。
歳貢の額は、額面ならあがっているが、これは問題視されないレベル?
澶淵の盟で北宋が契丹に支払ったもの銀20万、絹10万、金へは銀25万、絹25万ということになっている。
>>死後一族あっさり失脚
これはかえって、その影響力の強さを物語ってはいないだろうか?
宋の官僚制では、世襲官僚はないはずだから、個人の力量によってたつ部分が大きいし。
そのかわり、財産の蓄財に励み、一門が金銭的に名族化するようになると。
ついでに、秦檜は自分の門派を政界に登用してもいるし、他の宰相たちも属僚的な手合いとなっていた、されているので、やはりその影響力は巨大だったと思えるが。
秦檜個人を除くことはできないが、その一門ならば死後に除くことはできた、と。
それは皇帝にとっては軍閥と同じ脅威であったからと思えるが、世論の操作という面もあったかもしれない。
>>力量と歴史的意義は認めているのに、なんとか粗を探さないと気がすまないという
権力者に対する批判は許容してもらいたい。
特に、欽宗や岳飛のように権力者側に捨てられた者のことを思うとね。
>>107
岳飛は(だけではないが)北上して淮北、淮西、汝州から西京洛陽へと攻め上り、それらを回復して開封を間近にしていた。
これはかなりの戦果であり、そうなった経緯は金国の和約背反にあった。
講和でまとまっていたのに、金軍が大挙して南下したのを岳飛らが防いで逆攻勢したということだ。
それで金軍の降伏などありえないが、いいところまでは確実にいっていたと記録が残されている。
負けが込んだということはないといえるのだが。
で、金国のほうにも苦しい状況があり、和平せざるを得ない事情ができた。
完顔宗幹が死んだから。
有利な講和を進めようと思えば、できる状況であったのだと思うのだがなぁ。
>>「黄龍府まで攻め込むぞ」
>>退官してまで私兵を養っている危険人物
が、ちょっと確認できなかった。どこにあるか教えてくれると助かる。

一方で、金のほうにも派閥対立の問題から、宋強硬派と和平派があった。
この場合、その国策を推進し成功させることで、発言力を増し国政を動かしたい欲求が根底にあったことは間違いなさそう。
その辺は傀儡政権の処遇を見てのより可能性のある推測ということになるが。
つまり、劉豫の傀儡政権を推進していたのに、手柄を横取りされたダランは、完顔宗幹らに対抗するため、秦檜を許して宋へと帰国させ、早期和平によって金の衛星国家とする政治工作があったと予想される材料が多い。
事実、ダランらが主導した和平案では、河南・陜西が宋に返還されるという、まだ好条件であった。
そこで、金の方が違約し、開封から南征軍が出撃するが、特に岳飛を代表とする軍閥が、淮河北部を回復し、洛陽(西京)を奪還したうえ、開封に迫っていた。
このあたりは、和約条件や相手の放棄というわけでなく、軍事力によっての奪回なので、所有を主張する好材料となりえたように思う。
秦檜は和平条件としてそれら回復した領地は金へと割譲した上で、金の主戦論を封じ込めて講和に成功した。
ダランから主導権を奪った完顔宗弼も、宗幹の死によって軍政両面を取り仕切らねばならない立場になり、しかも金国内に双方それぞれ任せるべき人材を得ていなかった、という事情があり強硬論を撤回する必要があった。
秦檜の宰相としての立場も、高宗の信任を最大限に利用して、自分の門派を多く登用しているわけで、決してその地位が弱かったわけではない。
秦檜の死後、感情論で岳飛を悲劇の英雄視する世論に対して、秦檜を悪役にする必要があったのだろうし、皇帝を直接悪くいえるような社会体制ではなかったろうし。


109 :
途中で投稿してしまった。スマソ

110 :
徽宗末期からの主戦派代表格だった李綱を弾劾したのは、同じ主戦派の張シュンだった
講和派と主戦派の争いもさることながら、同じ派閥内での争いも深刻だった
秦檜の粛清は無論、誉められたことではないが内外で取った政策は前代の失敗を反省した現実的に必要なものだった
だからこそ後ろ盾となった高宗も容認したんだろう
主戦派が幅を利かせていた時、高宗はどうなっていたか?皇祖の位牌を紛失して海上を遁走するような苦痛を味合わされたのが実際のところだ
欽宗期の話だが、一度和平が整ったのに主戦派が動いた結果どうなったか?殺熊嶺での大敗からの一連の亡国を招いたのみだ
(特に中国人好みの)史観を抜きにすれば、秦檜の取った方策はその当時唯一無二の解決策だったとしか言い様がない
希望的観測で博打打って失敗したことが何度もあったあとだ、ということを無視したら駄目だと思う

111 :
秦檜シンパの言っていることも分からないではないが……。
腰砕け外交の上の上でできた和平条約を敵国に一方的に破られ、
自分は戦闘に非協力的で、軍人たちの努力でなんとか押し返し、
それどころか領土をさらに回復したのを、無理矢理、引き返させた上で勝手に和平し、
回復した領土を返還。和平に貢献し、中央政府の方針に一応従った軍閥を解体させ、
あまつさえ、軍隊を返還し、さんざん国のために働いた人物を無実の罪で殺害。
危険ではないとは言えないが、岳飛にこの段階でクーデータなどあり得ない。
決して軍事力では劣らない自国に『臣』と称させ、歳貢を増加させ、和平を買った。
そればかりか、その敵国は自分の死後、その歳貢を軍資金の一部にし、また、違約を
起こし攻めかけている。
確かに、自国が過去、さんざん無様な違約をしたのは事実だが、その罪は十分償った上で
それを承知してかなり譲歩した講和条件を取り決めたはずなのに……
生前にまた、違約されても独裁的な立場にあったこの男は引退させた軍人たちをまた
ふてぶてしくまた働かせたとしか思えない。そして、また、排除すると思う。
なにやら、日本のかつての侵略行為と隣国との有効を楯にとり、北朝鮮や韓国から賄賂を受け取り、
散々、売国的な行動を行ったと噂される日本の政治家と秦檜がだぶって見える……
あえて言う。秦檜はやはり、金国から賄賂を受け取り、
その資金で宋の政権を乗っ取ることに成功していたのではないか。
もちろん、賢い男であったから、宋が滅びれば用済みになることは分かっていた。
また、あまりに売国的なことをいえば、高宗もバカではないのでだまされない。
ただ、和平を求める気持ちと兄を返還して欲しくない気持ちにつけこむ要素があった。
また、当時の宋の朝廷は和平策が成功せず、強硬派が主流をなしていた。
秦檜はそこにつけこんだのではないか。和平派の方が現実的だが、理想主義と
金の強硬姿勢のせいで和平論がタブーになっていた。
だが、強硬派もかつて何度も失敗し、高宗はむしろそちらの方を恐れていた。
和平派で現実路線が自分だけなら、主導権は握れる。
笑われるかも知れないが、やはりそう思える。

112 :
こういう歴史事実というのは、現代の日本や他の国にだって通じるところがあるな。
反韓・反中をテコに愛国心を強調し、軍事力を行使したがっている手合いが、いかにうさんくさいか。
平和から対外戦争へと向かうときの雰囲気や勢いというのが、どういうところから発するか。
この事例は、いい題材で、よくよく知らしめるべき事柄であるな。
ネットウヨたちは岳飛的発想で、それに反する人らは秦檜的発想ということになる。
相手が攻めてこようが、軍事力でなく外交努力で戦争を回避するのが上等なやりかた、ということを秦檜は身をもって語っている。
そのためには、一部右翼の跳ね返りは、犠牲としても問題なし。というあたりか。

113 :
秦檜本人にでも聞かない限り、
和平方針が道具で一身の独裁が目的だったのか、あるいはその逆だったのかはわからない
ただ、中国人やその史観に共感する人間は明らかに前者だと断定しているよね
普通に偏見を持って何百年も唾吐きかけるって気持ち悪いわ

114 :
>>113
そりゃ単なる偏見が強いこともあろうが、そうさせるだけの事実が秦檜には多い、ということ。
疑われる材料があるのは、この際秦檜個人の罪となるわけで。とかく権力者ともなるとね。
それを指摘できるのは、健全なことだ。うやむやにしたりされたりするよりはいい。
これは現代の感覚でもあるが。
>>秦檜本人にでも聞かない限り
そうです。 なんてこという政治家が、今にいると思う?ソレと同じで大義名分論をもってくるに疑いないけどな。

115 :
>疑われる材料
なら政府の方針に逆らって官を捨て、その挙句私兵を傍から離さない岳飛だって人の事いえないし
同じ強硬派の韓世忠は私心を抑えて従ってるから、岳飛だけそんなことする理由にはならない

116 :
あと、偏見ばりばりを保持したまま無理矢理現代と結びつけるのも気持ち悪いわ
現代の政治が不満なら、ストレートに相応しいスレいって批判すべき
それこそ孔子を批判するフリして、現実の政敵を叩く真似した文革期中国の真似はしないほうが良い。みっともないから

117 :
>>116
いやいや、ムリヤリ結びつける、じゃなくて過去に学ぼうとしているだけ。
その姿勢は常に持っている必要があると思える。
その上で、いかに私欲を殺していくか、というあたりの命題を、歴史は教えてくれるものじゃないのか?
現代をここにもってきたのは、この際極端ではあったが、現在は過去の集積の上にたち、連続したものだという認識を持たねばならん、とする話。
これ以上は秦檜のやったことを考察する上でズレすぎるから、ここまでとしよう。

118 :
岳飛は驕慢だったからな。
「こんなに若く節度使になったのは、(宋の)太祖とオレぐらいなものだ」と皇祖と自分を比したり。
援軍を朝廷から要請されてもそれを遅らせたり。
恩賞に不満を漏らしたり、同僚と争いを起こしたり。
後世の史観では無視されているけど、当時としては洒落にならないことまで言ったりやったりしてるんだよね。
岳飛に比べればマトモだったとされる韓世忠さえ、金国の使節を襲うという暴挙までかましている
後世軽視ないし無視される軍閥の驕りをどうにかしないといけなかったのは明白だろう。
無理矢理現代のハナシに当てはめている馬鹿がいるが、日本の対外強硬派が「オレは神武天皇と同格だね」とかほざいたり、北朝鮮の外交官を襲撃したりしたか?

119 :
もっとも、秦檜の交渉におかしな点が無いわけでもない。
秦檜主導で一旦成立した和約では、黄河以南は宋に返還されるはずだった。
実際に金軍は兵を引いていて、宋は支配を回復した(この領土を宋軍の軍閥が自力で回復したんだと講談やその影響下の史観ではなってしまっているが)。
しかし宗弼が軍政の全権を実質握ると、これを破棄して南下してくる。
ここで秦檜は、自分が外交で取り戻しかけた土地をあっさり金に返してしまう。
相手の予想を越える譲歩戦術で金の主戦派を抑えようとしたのかもしれないが、この辺りが批判を受ける根本だろう。

120 :
>ネットウヨたちは岳飛的発想で、それに反する人らは秦檜的発想ということになる
物事をカテゴリ分けしてでしか考えれない人がよっぽど……
文系より理系の方が向いてると思うので歴史の勉強止めたら?

121 :
>>119
淮北の地は最初の講和以前では、金軍の自主退去などによって、一時南宋側の手に落ちたことはあったが
それは南宋が自力で回復したものではなかった。
そこにあったのは、当初金国がたてた衛星国家の斉だったわけだけど、金としては統治の難しく、また彼らには気候が暑く感じる土地で、一旦は直接統治しようと意気込んだものの、手放したとしてもそれほど損をするものでもなかったと思える。
そもそもは完顔宗幹の主導であって、和平策を推進した側では、そう考えたのだろう。
完顔宗弼が和平派を押し込んで、違約してまで開封を発したとき、それを各地で撃破し淮北および洛陽まで攻め上り、開封を射程に入れたのは事実。
>>軍閥の驕りをどうにかしないといけなかったのは明白だろう
むろんそうだ。 だがだからと言って見せしめの生贄にして、それをやった側がそのことに羞じないのとは、為政者の無私欲を表すものでなく、また誉められる行為でもないだろうと思うが?
北宋期では、とりあえずのところ、政敵は流刑、政界からの追放とするのが美点であり、捕らえてRのは当時の感覚として憤慨ものだったのだろう。
そうでもなければ、岳飛に同情が集まるわけはないし。
秦檜がやった行為が民衆受けしていたら、なんで秦檜が憎まれるか説明がつかない。
>>日本の対外強硬派が「オレは神武天皇と同格だね」とかほざいたり、北朝鮮の外交官を襲撃したりしたか
今は、まだ。 としか言いようがないな、そういう歴史に同種の懸念を持たないのでは。
それにそもそも、李鋼はじめとした、主戦論のことをこちらは別段持ち上げていないし、どころか糾弾さえしているぞ?
秦檜には秦檜の憎まれるべきところ、岳飛には岳飛の落ち度など、そういったものを考え比較した上で、高宗やら秦檜は自己の行為を正当化するために功績をほこるが、岳飛や欽宗といった切り捨てられる側に身を置くことを是としたのか? と問いたいだけだ。
そこらあたりが、売国奴の汚名を着せられる、最大の理由なんじゃないのか?

122 :
高宗自体が、既に「士大夫を殺さず」という原則を曲げて主戦派の陳東を死刑にしている時代で何を今更
平時の礼儀を火事場で重んじてたら、一歩も歩けず焼け死ぬだけだ

123 :
とりあえず現実にいるその連中がそういう馬鹿なことをやらかしたら好機
それ見たことかと堂々と言ってやればいいんだぜ

124 :
孔明のような義を重んじる政治をしておけばよかった。
孔明は敵には厳しかったが、味方に手を出すようなことはなかった。
岳飛とやらは、タカ派なだけで金に違約をしたと考えていなかったため殺された。
秦櫓とやらは、何の落ち度もない岳飛を殺してしまった。売国奴では無いが、これはただの独裁権の悪用である。
孔明のように元味方の金には対話協調路線でいくべきだったのだ。

125 :
>>123
それでは遅いがゆえに、過去には啓蒙する人というのが存在したのだ。
>>124
寇準の例があるからなぁ。
講和を企図しての皇帝親征。そして独断専行を極力避け(あるいはその非難を避け)
弱気で大金払っても講和したい皇帝とはうらはらに、講和するための金額を締め付けたうえ、国土は失っていない。
直接の比較は、状況の違いで一概には言えないが、秦檜と輩ではないように思える。
諸葛亮が特に持ち上げられるのは南宋に入ってからだっし、朱子学の影響で敵に国土を割譲した高宗は士大夫の中ではヘタレ呼ばわり。
ただし、皇帝を悪く言えないから、それを主導した秦檜に砲火が集中した。


126 :
岳飛を殺したのは、むしろ岳飛の部下だろうな
韓世忠や張俊の部下は素直に中央軍に再編を受けたのに、岳飛の部下だけは主将の下野に従った
「統制が全く利かない、しかも政府の方針に逆らう武力集団」なんだから危険度は謀反予備軍といわれても仕方無い
岳飛謀殺の直接の原因になったのは、部下の間の争いで片方が片方を謀反した、と訴えたことだし
例によって状況も経緯も全く違う事態に対処した人間を持ち出して無理矢理秦檜批判に結び付けているが、前提が違う以上まったくナンセンスだよ
むしろ感情的に「現代の○○は、オレが嫌いな秦檜と似ているように思えるから文句つけたい」と素直に言ったほうが良い
的外れな批判と我田引水ばかりで、何を過去から学ぶ賢人ぶってるのか?

127 :
>>126
主将に忠実で原理主義、中央政府に危険視されるって
何か西南戦争のときの西郷隆盛とその部下みたいだね>岳飛と岳飛の部下

128 :
>>126
そういえば、岳飛の部下に対立が生まれてたっけな。
それも秦檜などの謀略説とされる話もあったように記憶する。
上のほうでも誰か書いていたが、固有の武力を持たぬものの対抗するための謀略、というのはひとつの高い可能性のように思える。
岳飛の背信が、京師攻略にその肚があるのか、単に和約を蹴った金のまたの再侵攻に用心するためのものなのか、その辺はどうだろう。
自分は金に対して、だと考えているのだが。
どっちにしろ、自国の政府も敵国の金も信用していなかったことになるけど。
>>ナンセンス
自分でもそう思う。状況や条件の違いは、過程と結果の違いとなり、一概には言えないと言ったわけだが、政治を為すときの動機など、メンタリティの部分は何百年経ってもそう変わらないと思う。
あと、別に感情的に秦檜個人が嫌いというわけではない。
為政者が何かを為したとき、それによって犠牲となったもののことをより重要に考えているわけだ。
>>的外れな
そうか? 同じような国難にあっての対処ということで引用しているわけで、前例二人はその責任において、自ら講和条約を有利に結べるよう努力したが、秦檜は?
という、理念の話をしているので、状況や年代は違えど、そう的外れということもないと考えている。
そういうところで、秦檜が売国奴呼ばわりされ、今でさえ高潔な人物とは思われないゆえんを模索している。
で、そこに権力者の自己保身とかそういうものが、彼や高宗には優先されていなかったか?とずっと言っているだけだよ。
そちらの言い分は、そうじゃない、ということなんだから、それはそれで自分とは違う意見が聞けるからこちらとしては有意義なんだ。

129 :
他の事例ともっとも違う点は、やっぱり南宋成立自体の正当性が怪しいからかな?
高宗は靖康の変を受けて緊急避難的に即位したけど、欽宗が存命している以上は「僭称」とされる可能性がついてまわる
戦争がはじまった原因も宋側の背信、現実に国土の半分を奪われており軍事力も相変わらず金のほうが上
金も講和を一度自分たちの都合で破棄したけど、宋側の違背はもっと回数を重ねていることだし
そして金側の講和論者のダランは粛清されてしまった
泥沼の戦争から抜け出す方法は、もう宋には譲歩した講和しかなかった
むしろこれだけ無茶苦茶不利な諸条件を克服して、国家の安泰を引き寄せた手腕は余人には期待できないレベルだろう

130 :
岳飛は金に占領された河南の出身で、しかも進士ではなかった
出身もやや豊かな農家、といった程度(文才や教養は十分あったが)
要するに、強硬論を唱えて北伐する以外に拠るべきものがない
岳飛の部下達も、似たような境遇だったんじゃないか?
使節襲撃をかました韓世忠も似たような出身だし(こっちは官庫の下級労働者だから岳飛よりもっと下だが)
張俊は、軍事以外に蓄財の才があったから転身したが

131 :
>>130
なるほど。
どっかのスレでもあったが、士大夫層VS寒門層という図式の縮図か。
とはいえ、岳飛の職人的気質が、仕事完了間際の停止命令が肚に据えかねた、というのもあるかもしれない。
>>金側の講和論者のダランは粛清
たしかに、その時点で南宋側がすがる相手はいなくなったので、慌てたのだろう。
しかし完顔宗弼を軍閥らが押し返したし、金の事実上の指導者たる完顔宗幹の死で、完顔宗弼がもはや外征にばかり意を用いることができない状況であったのも事実だろう。
依然、金国が絶対的優位だったとするのも多少ためらう部分もある。
それにしても、講和にその執権を期待された秦檜は、講和成立後潔く第一線から退き、一歩引いた立場で国政に関与することはできなかったのだろうか?
また官僚の登用に偏りがみえるのはどういうわけか?
そして、死後悪名を着せられた理由は…

132 :
岳飛と違って士大夫出身である宗沢さえ、北伐を高宗から止められて憤死同然に病没した
ここでポイントは、軍閥の勝利=南宋の利益と必ずしも高宗周辺は捉えなかったということだろう
「北伐は良いが、それで力をつけた軍閥が、正当性に疑義がある自分たちを潰してくるんじゃないか?」という簒奪への恐怖心
結局のところ、これが秦檜を高宗が警戒しつつも徹底的に信任した理由だと思うな
秦檜がどれだけ権勢を持とうと、所詮は文官で南宋政府そのもの以外に寄る辺が無い
逆に、軍閥は自立の恐れがついてまわる(岳飛の迂闊な発言の数々は、それを加速させたと推測できないこともなかろう)

133 :
中国のカスどもは力を得ると専横に走るからな朱元璋、柴氏や宋太祖みたいに。
孔明のように信頼されていなかった南宋軍閥の負け。
孔明を見習えカスども。だからチャンコロなんだよRゴミ。
そんなのを語っているお前らも十分R。ばーか。

134 :
>>132
明受の乱で、高宗はアレルギー体質になったのではないか。
もともとこの人は射撃にすぐれていたりと、わりと武辺なところがあり、当初主戦論であったわけで
最初から平身低頭していたわけではないんだが、海上にまで追い散らされる間にいろいろと考えがかわったのだろう。
やはり中央の主戦論者たちは、実力を伴ってはいなかった。
>>133
出張ごくろうさま。
諸葛亮も見方を変えれば専横したことになるんだが。
だが、財産を必要以上に蓄えたりしなかったというのは本当のことなのだろうか。

135 :
諸葛亮も見方を変えれば専横したことになるんだが。

馬鹿だなあ。孔明は劉禅に止められなかったんだぞ。
それをやらないとむしろ蜀滅亡だろバーか。
だが、財産を必要以上に蓄えたりしなかったというのは本当のことなのだろうか。

調査の結果そうだったんだよ。
馬鹿の秦櫓みたいに贅沢してたわけじゃねーよ。

136 :
孔明も謀反を疑われて北伐中に呼び戻し喰らってるがなw

137 :
売国奴というのは明らかに間違い
国を売ったんじゃなくて、国を守るために下手に出たわけなんだから
本物の売国奴なら、金国の軍を引き入れるとかやってるよ

138 :
主力が軍閥である以上、不安定極まりないという点も軍事的に不利
実際に北伐作戦中に
数的主力だった劉光世軍閥が期待通り動かない
 ↓
首挿げ替えたら内乱勃発
 ↓
軍閥兵の大半が、金の属国である斉に集団投降
という実例があったことだし

139 :
国民感情と正しさは違うのさ。
例えばライブドア堀江の懲役なんてそうだろう。
どう考えてもおかしいけど、世間から異論は出ない。
2ちゃん感情も同じだ。著作権違反も本当はいけないのに逮捕されたらバッシングの嵐。
ただのタカ派が支持されるようになったら終わりだよな。
だから宋は三国時代と比べるとレベルが低くて嫌なんだよ。

140 :
>>139
例えが全く不適当な上、後段に到っては意味不明だからわからんw

141 :
寒門の軍閥首領は余程の主の知遇を得るかしない限り、
不忠の汚名を恐れずに簒奪する以外に政界で生きていく術は無い。
忠不忠よりも、その出自からくる政体の「不文法」への無知こそが覆しがたい罪。
建前として掲げた机上の空論を大上段に振り回して、既得権益を脅かすのだから堪ったものではないだろう。
言ってみれば空気嫁状態。
主戦派の岳飛の場合、戦争という手段を奪われれば彼自身も配下も手柄を立てて栄達する道は閉ざされる。
愛国心だろうが、虚栄心だろうが戦うこと自体に「利」がある。
不戦派の秦檜の場合、南支那の既得権益を固守することに「利」があるので、
実入りの少ない北支那を放棄しても構わないと思っても、不思議ではない。
二兎を追って手の中の一兎を逃すようなリスクを掛ける北伐は、例え成功しても「功少なくして労多し」と言った所だろう。
岳飛が女真族を追い返したとしても、北辺における軍閥の割拠は免れない。
苦労して外患と殺し合っても、新しい内憂を作るだけである。
妥当な判断だとは思うが、やっぱ大嫌いだわ。
「嫌われない為の最低限の努力」というのをこいつは全然してないし。
千載に渡って懺悔し続けるのが、やっぱりお似合いだ。

142 :
「外にも内にも功績を立て、王朝を脅かす武力集団を排除統制し、身は富貴を極める」
普通に負け組に妬まれる要素バリバリだからなー

143 :
もう高宗自身が前線に出て諸将諸官双方を直接掌握でもしない限り、軍閥VS文官という構造を打破するのは無理っすね

144 :
>>143
君はいいところに気がついたな。
唐末から北宋初期にかけて、各皇帝たちが苦心したのはそこ。
北宋という政権が立脚した意義もそこ。
しかるに、政権は長続きしてしまうと、建国の理念は歪んで受け止められることしばしば。
その場合でも、皇帝たるものには、常に自制心がなければ、とんでもない暴君となってしまう。
不思議と、北宋には暗君はおれど暴君がいなかったのは、幸いなことだろう。
士大夫官僚の合議が盛んであるから、皇帝でも高圧的な権力を振るうことが好きにできなかったからだろうか?
>>普通に負け組に妬まれる要素バリバリだからなー
その勝ち組とやらの富貴をたすけるために、民衆や権力なきものが食いつぶされていくのをみて、自業自得で済ませられないから、文句のひとつも言いたくなるってもんだ。

145 :
散々ガイシュツだが、秦檜はむしろ民衆や権力無き者の負担を軽くした人物
「反対派の権力者や軍閥を粛清した」ことを罪と数えるならともかく、嘘はいかんぞ嘘は
冤罪で反対派を追った秦檜の負の面をそれこそ笑えなくなるべ

146 :
抗金だろうが和平派だろがどのみち民衆に取っちゃ負担増には違いね。
いっそ金に全面降伏したほうが民族としてはアレだが民衆にとっちゃ楽なような気がせんでもない

147 :
徽宗時代からの主戦論者は景気の良い、自尊心を擽ることばかり言うけど
やってることは暴発の挙句の背信、敗戦ばかりだったからな……
岳飛らは所詮前線指揮官以上ではなく、中央で方針を決定するのはあくまでも高宗を頂く朝廷
軍閥対文官の大対立構造の下に、さらに軍閥対軍閥、文官対文官(主戦派対講和派に加えて北人対南人)の下部派閥争いがあったわけだから
金側にも主導権争いはあったが、南宋のそれはより複雑

148 :
完顔宗望は仏教信者で、欽宗を南に返してやろうとしたが若死して果たせなかったというが
実は欽宗返すことでさらに南宋をぐちゃぐちゃにしてやろうとしたんじゃ?

149 :
>>147
岳飛も他の同輩の武官たちからはあまり評判がよくなかったらしいしね。

150 :
秦檜も評判がよくなかったけど、高宗に重く用いられて富貴を全うした。
岳飛は最初、危機的状況の中で特に目立って奮戦したので絶賛されたが、強くなりすぎて危険だからとポイ捨てにされた。

151 :
南宋は南下はできなかったのかな?

152 :
岳飛の活躍ってそもそも信憑性あるの?
500騎で十万を撃破したとか、講談としてもありえない話ばかりなんだけど

153 :
岳飛の功績は巨大。岳飛だけではないけど。
建康、襄陽を取り返したのは、南宋という国が国家の体を為すのに不可欠だったろうし。
>>500騎で十万を撃破
さすがに10万人殺しつくしたわけではないから。
信憑性はともかく、それくらい活躍がめだった、ということだろう。
で、それはなんの記事?

154 :
項羽が28騎で数万を突破したようなもんだな

155 :
ググった程度だから信憑性はわからないが
史料を研究すると、岳飛は朱仙鎮(500で10万破ったとされる場所)まで進出してなかったそうだ

156 :
>>155
へぇ。 でも洛陽を取り戻したのは岳飛なんでしょ。
中国の歴史シリーズにはそうなってた。
しかし、朱仙鎮では岳家軍総出と思っていたが…(総勢4万だっけ?)

157 :
中国では、現代でも人口の七割から八割が農業関係者だという話
農民出身の岳飛にはシンパが多いんじゃないかね?
だから神格化も進みやすかった
あと、冤罪(岳飛にも問題点はあったが、処刑理由は明らかに事実ではない)での最後という悲劇性

158 :
洛陽ではなくて、ジョウ陽じゃなかった?
あそこは昔っから南北が対峙した時の要衝
対モンゴル戦でも、ジョウ陽が落ちたら一気に南宋は壊滅した
(正確には一度取られて、孟キョウが取り返したんだが)

159 :
>>158
襄陽はわりと早い段階で取り戻しているみたい。
金が盟約を破棄したときの南下で、岳飛は河南府路の招討使に任命されている。
紹興10年の秋7月に、岳飛の部下、張應、韓清が西京に入っている(西京=河南府=洛陽)。
その前から、潁昌あたりをどんどこ攻めていて、淮河・漢水の線より北で戦っているのは岳飛だけのような印象(当然、陜西方面もがんばっている)。
韓や張らは、寿春や海州といった淮河あたりの要衝(揚子江の防衛を考えると必須の地)を次々と取り返していた。
小商橋の戦いでは、岳飛の部下楊再興が戦死、金軍の潁昌奪還では、王貴らの奮戦で固守。
しかしもういっぱいいっぱいで、一旦軍を引き金に取られるが、再び出て潁昌で完顔宗弼を遁走させている。
累戦皆捷つ、中原大震。
岳飛は軍を進め、朱仙鎮に出る。そこは開封から四十五里のところだった…
高宗本紀では潁昌や蔡州は金の手にわたった段階で、秦檜の和議となったような感じ。
そもそも朱仙鎮という語が記載されていない…?
そのとき、西京(洛陽)は再び金の支配下になった、と。

160 :
孔明は蜀帝への表で
「桑百株、薄田十五頃の家財があるから子孫が食うには困りません、自分の必要なものは全て官給で賄ってます」
といっているよ
当時の宰相としてこの私財が多いのか少ないのかはわからないが

161 :
占田・課田制で一品官に対する占田が50頃だから諸葛亮のは全然少ないだろう。

162 :
トップ代わりの孔明の場合は特に自分に厳しくしておかないと他の蜀の家臣がついてこないという背景もあるな
厳しくかつ公平に、が孔明の信条だし

163 :
>>157
原因はおよそ以下:
1、忠君愛国、異民族との戦いで活躍
2、冤罪で殺された
3、「説岳」という説話が長らく民間で講談されている(これは重要)
「説唐」、「楊家将」と並ぶ人気説話でその影響は計り知れない。
4、岳飛は武将であるにも拘らず、残された数首の漢詩が
ほとんど名作(偽作の疑惑付きだが)、文人にも絶賛されてきた。
文民統制だった中国(宋は特にその傾向が強い)において極めて珍しい。
5、ついでに強い。「撼(うごかす)山易、撼岳家軍難」って諺がある。

164 :
冷静に見れば批判の余地は山ほどあるが
名将であったのは事実だろうね
敵軍からも尊敬される武将、というのは稀(爺爺、という尊称を金から使われたのは岳飛と宗沢だけ)
だからこそ逆に文官政府代表の秦檜としては処分に困ったんだろうね
外交交渉の時、金から「そっちは講和講和といってるけど、岳飛は北伐を連呼してるじゃないか!」って抗議されたし

165 :
あと冤罪は冤罪でも、歴史を調べたらそう珍しくないが、
宋という温和な王朝なだけにいきなり「莫須有」って
無茶苦茶な理由で国の大将を死刑にするのはやはり異例中の異例かな。
文人ならせいぜ流刑なのに。
そして岳飛って良く考えてみたら39歳で殺されたよな。
いわば武将の最盛期、惜しむ人が一杯出てくるのも不思議は無い。

166 :
感情論的な部分も多分にあるが、
>>164の>>秦檜としては処分に困った
からといって、殺しても良い、という判断が憎まれる対象でしょ。
その考えは、君側の奸を除くと挙兵するのと、実はさほど変わらない。
考えてみると、権力者への挑戦は… (岳飛にその兆候は見当たらない。彼はあくまで対金にこだわっていたようだし) …安禄山の例もあって、民衆受けはするんだよな。
唐側では悪魔のような安禄山も、幽州では英雄なわけで。
翻って、権力者が権力をもって下の者をRのはブーイングの嵐なんだろうな。

167 :
>>166
文章に誤解を生じる部分があるので訂正。
>>秦檜としては処分に困った
>>からといって、殺しても良い、という判断
>>164氏がそう主張していると思っているわけではないので、勘違いなさいませんよう。
ただ、その言葉だけを引用させていただきました。失礼。

168 :
秦檜以外の誰かが政権担当者であっても、岳飛を処分することは変わらなかっただろう。
それほど、当時の岳飛は朝廷からみて危険な存在だった。たとえ本人にその気がなかった
としても。「謀反を起こす気はなくても、謀反を起こす能力(勢力)はある。それが罪だ」って
やつですかね。
ただ、秦檜以外であれば、冤罪で処刑まではいかなかっただろうとも思う。それはやはり
秦檜が批難されてしかるべき点でしょうね。

169 :
歴戦の勇者で、民衆に人気があり兵をとりあげても私兵を集め
さらに政府の言うことを聞かない
外交交渉では不利になることの要因をつくる
>>168のいうとおり、秦檜でなくても処分されていたのは容易に
想像できる。

170 :
なんのかんのいって、粛清喰らったのは岳飛だけだからなぁ
他の軍閥みたいに、素直に兵権返すとか政府方針には私憤を堪えて従うとかすれば良かったのに
まぁ、そんな物分りのよい岳飛だったら後世人気なんてでないだろうけどw

171 :
>>169
歴戦の勇者で、民衆に人気があり兵をとりあげても私兵を集め
さらに政府の言うことを聞かない
秦檜でなくても処分されていたのは容易に 想像できる。
でも岳飛じゃなければ大人しく処分を受けないのも想像できるw
スケールの差はあるけど韓信が斉で軍を率いて連戦連勝の時に、
劉邦が助けてくれないから死刑って感じ。

172 :
大人しくもなにも、尋問部門に速攻連行されたんだから
事前に察知でもしていない限り、抵抗しようもない

173 :
>>171
いずれ反乱したかも、もともと韓世忠みたく、大局でものを考えられない
のが岳飛じゃないか?
遅かれ早かれどっちかが消えてたんだと思う。
ところで、中国での秦檜を見直す動きは実際どの程度なのかな?

174 :
見直す動きなんて殆どないだろう
漢民族マンセーのために死んだ岳飛こそ英雄で、現実的だけど屈した秦檜は民族の恥部
そういう感覚なんだから

175 :
反日感情にはもってこいの人物だろうな。
日本にも当てはめることできそうだ、これ。

176 :
>>174
岳飛について「彼を民族的英雄と呼ぶべきではない」とある学者さんが言ったらエライバッシングを受けたとか。
その学者さんの言い分としては、女真族も今の中国を構成する民族の一つである以上
女真族から漢族を守っただけの岳飛をそう呼ぶのはおかしい、ということだそうだ。

177 :
>>174
いやスレタイが
1 :趙構:2007/01/04(木) 21:28:58 ID:8ATqhmdN0
長らく売国奴の扱いを受けて蔑まれてきたが、最近では評価を見直す動きもある南宋の宰相秦檜。
本当のところは、どんな人物だったのでしょうか?
だから

178 :
中国以外ではっていう落ちとか?w

179 :
秦檜は、
1)基本、金とは和睦したい(北宋の伝統)
2)その為、靖康の変の二の舞だけは避けたく、主戦論派を封じ込めたかった。
3)岳飛は和睦反対派の急先鋒、しかも兵権を取り上げても不穏な空気
ここまではわかる。
でも
4)攻勢のなか不利な条件で和睦
これがわからない

180 :
>>179
金に信じてもらえないのじゃないかと言う恐怖があった、とされている。
外交手腕としては日本政府なみの無能っぷりな気がするが…
ま、それは言わない約束というやつだろうか?

181 :
金の側だって、信用できないんじゃないか?なにしろ宋側には講和を持ちかけておいての
背信行為が何度もあるのだから。
靖康の変では、講和交渉中に主戦派の奇襲なんてあった。岳飛の存在をみると、また同じ
ことを企んでいるのではと疑っても仕方ないかも。

182 :
その直前には金が北宋と同じことやってるんだから、それを外交材料としてもよっかったろうが
ともかく、早期和平を実現させるためには、相手ではなくこちら側が譲歩する必要があった
というのが、おそらく秦檜の言い分。
兵が血で取り戻した河南を差し出し、和平策実現の手柄をもって我が世の晴を謳歌したのは
また別の問題ということなんだろう。
岳飛の処刑も、相手に非があり自分は危険を排除した「だけだ」という。
和平はいいが、それを利用して自分の利益にしまくるというのは、下層民にとっては苦々しく思えたのだろう。
もし、秦檜を擁護する動きが当時からでもあれば、少なくとも鉄像は作られていなかっただろう。
鉄像を作ることによって、悪いのは秦檜だ、とする朝廷の印象操作もあったろう。
その意味では、秦檜も犠牲者だが、体勢は秦檜に同情するむきは少なかった。
よって、秦檜のやりかたは感情面で受け入れられない負の面が強かったといえるのじゃないか。

183 :
金の背信は1回
宋は同盟結んだ時期から無数
このあたりの負債処理が問題だったんだろう
あと散々言われているけど「本当の皇帝」である欽宗カードを金が握りつづけていた点も大きいと思う

184 :
そうなると、岳飛は北伐してどうしたかったのかな?
勿論、金を征伐して宋が再統一を果たすっていうのはわかる。
でも、成功して欽宗を奪還すれば、今の主君の高宗の立場は悪くなるし
岳飛は、高宗によって引き立てられたようなものだから
結果的に、高宗に対して裏切り行為を続けていたことになるのかな?
うまく説明できないが、欽宗カードを、高宗・秦檜につきつけていた相手
は、金ではなく岳飛だったということ?

185 :
つまり、岳飛にしてみれば高宗はあくまで代理であって、真の皇帝は欽宗しかなかったってこと。
…じゃないかな。
岳飛のおめでたい頭(=忠誠心過剰)によると、欽宗を奪還できれば、高宗も欽宗も彼を誉めて讃え
高宗は潔く欽宗に位を譲ってめでたしめでたし。
(当然、それこそ後世から称揚されるべき高宗の潔くも美しい行為であるが)
だから岳飛の中には高宗に対しての裏切りなど思いもよらないことだし、欽宗の奪還と開封の奪取は
忠誠心の証として最上のものだった。
そのために自分の能力を発揮することにも、ある種の楽しみみたいなのも感じていたかもしれない。
で、秦檜が余計な知恵を吹き込んだために、高宗は道を誤った…
悪いのは秦檜!! となる。
ま、そんなとこじゃね?

186 :
どうともいえないが岳飛のモットーは尽忠報国
彼にとって忠誠の対象は国であって高宗だの欽宗だのといった特定の個人ではないと思うが

187 :
>>186
いや185の言うこと一理がある
当時の岳飛が挙げたスローガンの一つは「二帝奉還」です。
歴史にも例が見られない皇帝が攫われたことは、
いわば宋の士人にとっての最大な恥辱で、岳飛の人気の源の一つ。

188 :
なるへそ。
高宗についてウィキで調べると確かに即位当初から正統性に疑問を持たれていたてのはあるみたいね
で、それが秦檜による岳飛以下抗戦派との対立の背景にあったてことか

189 :
実際に、高宗の即位を不当不法として(口実だろうけど)反乱が起こっているしね。
高宗政権(秦檜含む)からすれば危険視せざるを得ないだろう。
>>187
細かいことですが、初ってわけでもないですよ。
蛮族の捕虜になったというのなら西晋の皇帝がいますし、同じく捕虜として北方に
連れ去られた皇帝としては五代後晋の皇帝がいます。

190 :
やはりそう考えると、岳飛処刑は行き過ぎにしても
秦檜の行動は納得できるもの。
その後の行動は、賞賛されるものではないが

191 :
しかし民衆は公私ともに賢く立ち回った人間より、悲劇のヒーローを好むもの
だから秦檜は功績の部分さえ意図的に無視され、銅像に唾を吐きかけられるというちょっと中国人以外は引きまくる扱いを受けつづけている

192 :
>>190
支配者あるいは権力者の論理としてなら、秦檜の岳飛謀殺はわかる、というかよくある行動なんだが…
わかったからといって、それを容認したり奨励したりする気には全くなれん。

193 :
その権力者の論理に対する反発(民衆の感情)の発露が、墓前にひざまずく夫婦像と
唾や小便をひっかける行為なんでしょ。

194 :
でも秦檜の和平のお陰で一番利益を得たのは泥沼の戦争から解放された民衆なんだよなー
秦檜のお陰で助かった者やその子孫が秦檜を憎むという矛盾
岳飛一党の子孫ならまだわかるが……

195 :
>>194
まぁ、勝手に泥沼化しておいて、救ってやったぞ、って勝手な理論ではある。
たしかに、戦争が慢性化すれば、国境付近の民衆はひどい徴発を蒙っていただろう(あくまでも国家に)。
とはいえ秦檜は浙東とかの利権と絡んでいたから、素直に認めることもできなかったのだろう。
どうであれ、民衆というものは最初は被害者側の立場に立たされるから、文句も言いたくなるだろう。
だが、鉄像に唾をかけられるような仕打ちは、未確認だが、孝宗の国内宣伝もひとつの原因なんじゃなかろうか?
秦檜は自分のやったことが民衆や他の官僚武人たちにとって、どういう意味を持つかはわかっていたようだ。
その論拠となるのは、岳州の改名。
岳飛が真に謀反人なら、彼の名を思い出させるからと言って岳州を改名させんだろう。
で、そういう民心を納得させるためには、悪役が必要で、孝宗は秦檜を最大限に悪役に仕立て上げまくった…
まぁ、火のないところに煙は立たず、だから、もともとある秦檜憎しの念を増幅させたにすぎないのだろうが。

196 :
秦檜は上に対してはうまく立ち回ったけど下に対してうまく立ち回ったとはとても思えんが

197 :
>>38
言おうとしたが、既出か。
スルーされてきたけど結構有名な話。
実際宋代以降、檜という名前消えてしまったな。
その後乾隆帝に聞かれて、「一朝天子一朝臣」と答えた。
実際そんなもんです。

198 :
>>196
だから嫌われるんだよな。
それでも像に唾を吐くとか小便かけるとかは理解できないが。

199 :
>>198
唾を吐くことなど、確かに数年前から禁止されたよ。
あれでも文化財になったからw

200 :
岳飛が徽宗を奪還していたら、民衆からは総スカンだったような気がする
何しろ常態化した重税に加えて、自分の趣味のための徴発・労役を当たり前とした暴君だから
もし南宋の実権を再度握るようなことになってたら、今度こそ破滅しただろうね
>>195
勝手に泥沼化した時点では、秦檜にはどう見ても責任ないぞ
宰相クラスですらなかったんだから
秦檜憎しは勝手だが、暴論はいかんよ。それは徽宗期以来の宋歴代政府首脳の連帯責任だ

201 :
たぶん、戻ってきたら不自然な自然死してたな

202 :
>>200
徽宗は奪還の対象だが、帝位の正統性はもう欽宗に移った。
大差ないかもしれないが、一応欽宗の場合親政時期短すぎて、
政治における能力は未知数。そこに想像の余地があって、
現政権への不満もそのまま欽宗政権への期待に転じたと思う。
社会党は駄目だったとはいえ、もしかして民主党なら…いやなんでもない。

203 :
>>202
でも欽宗も中々素敵な皇帝だよ
開封から金軍が攻囲に疲れて撤退する時は追撃を抑えたくせに
三鎮割譲の時の万全の金軍にいきなり部下に喧嘩売らせて滅亡の直接原因を作っている
金軍に抑留されたときの台詞が「大臣達がわれら父子を誤まらせた」という嘆きの責任転嫁
まぁ、そういう話は一般民衆には知られないだろうけど

204 :
>>200
民衆からしたら、宋という国がやったことだから、そのときの為政者がとても慈悲深く租税も少なく労役を課さないのであれば称揚するし、そうでなければ文句を言う。
秦檜に責任がないとかあるとかではないだろう。
で、なんで岳飛が称揚されるかというと、たぶん農民出だからだろう。
>>秦檜憎しは勝手だが、暴論はいかんよ。
おれが秦檜憎しの論を張ってるんじゃなくて、当時の民衆や周囲の人にどうだったかを考えているのだが?
ま、多少毒は含んでいるだろうがなw
>>徽宗期以来の宋歴代政府首脳の連帯責任
言われるまでもない。
その崩壊の尻拭いで、岳飛らはようやく金陵以南を回復して国家の体裁を整えることができたわけだし、
さらに秦檜復帰後は淮北から洛水まで北上できるくらい勢いを盛り返していたのだから。
そこでいささか象徴的な事柄だが、かつて「金に屈さず」を説いてそれなりの軍略を提示したものの、
軍との共同歩調がとれずに結果、単なる騙まし討ちしかできなかった李鋼の死去した年というのが、
岳飛がついにあきらめ、前線から軍を返した年だったという。

205 :
>>195
秦檜夫妻像ページ後半
http://www.geocities.jp/torabane/btrip102.htm

206 :
岳飛が金に逆らえたのは武器を持ち、軍隊を保有していたから
しかし秦檜は一介の文官の身で、金に逆らった(傀儡皇帝としての張邦昌擁立の時)
結果抑留されたが、殺されてもおかしくなかった
真の勇気という意味では、秦檜のほうが岳飛風情よりはるかに上
岳飛や、志の低い卑民どもに大鳳の心などわからんよ

207 :
>>206
いや、それはいいすぎ
たしかに岳飛との攻防まではそうかもしれないが、その後は駄目。
むしろそのことが、後の評価を見誤らせてるわけだし

208 :
>>205氏の意図がちょっとわからんのだが。
そのページを見せて、何を説こうと?
そのページに書かれてあることの似たようなことなら、承知しているつもりなのだけど。
>>卑民どもに大鳳の心などわからんよ
しょせん岳飛など農民だから、疑わしいというだけで殺したところで、国家や自身にはなんの損失にもならんしね。
脱出した秦檜は先の大臣、王珪の孫娘を妻としていたので、その影響力で南宋朝廷に強固な人脈をつくった。
明受の乱で肝を冷やした高宗から、軍閥対策を任じられ主戦論者の抱きこみにかかった。
主戦論者だった宰相の張浚などは、秦檜とは違って自ら戦を督し、国家の滅亡を防いでいたが
高宗支持を崩さず、次第に和平のための戦いをするようになった。
秦檜は抑留期間で得た金との人脈を頼って金の和平派と講和の準備をしたが、
それは相手の事情で裏切られ、大挙南下した金を岳飛ら軍閥の働きで追い返し、
かつ河南・陜西を取り戻すことに成功したが、
金の懐の深さを深刻にみた秦檜は即時戦闘中止を命じた。
そしてそれに反抗した岳飛を処刑しておいて、回復した領地はもとより、
先の講和条件だった南宋への河南・陜西の返還は白紙にして、淮河〜大散関を国境線に決定し、
宋の皇帝は金の皇帝に臣下の礼をとり、毎年の使節派遣、銀25万両、絹25万匹の
歳貢することを自らの国家に課した。
和平後は科挙試験に自分の息を吹きかけ、合格者の多くを自らの与党官僚として派閥を強固にし、
批判者には弾圧を持って報い、大いに太平をもたらした。
秦檜死後の宰相は張浚だが、秦檜の路線は崩さず、より太平を致した。
なのに、なぜこうまで秦檜は嫌われるんだろうか…?
過去やそれ以後の官僚なら大なり小なりやってることなのにね。

209 :
…秦檜が後世の民衆から嫌われる理由がなんとなくわかったような気がする吹いた

210 :
>>208
そのどの時代でもいるような狡猾な官僚の代表格が秦檜だからでしょ。
他の碌でもない官僚だって、大々的に何かの媒体で糾弾されれば、秦檜と同じ扱いになるさ。

211 :
一番ヒドい奴は、高宗だろう
なんのかんのいって、岳飛の謀殺やら秦檜の政権独占にゴーサインを出したのは高宗
しかし、後世の悪評は一身に秦檜に
自分も被害者気取りだけど、岳飛のように命を失ったわけでもなく天寿を全うしている
岳飛も秦檜も、高宗の踏み台という点では一緒だと思う

212 :
>>211
一番ヒドい奴は、高宗だろう
それはこのスレのデフォなんじゃないか

213 :
昭○天○と東○英○

214 :
東儀英樹

215 :
何はともあれ、憎い奴は死んでも、むしろ未来永劫許さんのが中国流だからな

216 :
まぁ、加害者に甘く、被害者に厳しい日本よりは… その点… 

217 :
>>216
それは法律の不備であって日本人の感性じゃねぇ

218 :
いや、江戸時代から連綿と続く感性だろうて
被害者もその家族もさらしもん

219 :
>>217
法律の不備…
なんか、そっちのほうが救いがないな。
つまり、無能な為政者とそれを是正できない国民…

220 :
>>219
馬鹿な人権屋とへっぴり腰の政治家がずっと放置してきたからな。
最近はようやく是正され始めているが。
ここの連中はそれに大して貢献して無いだろうがな。

221 :
その前に君の頭を是正したほうが

222 :
政治を批判する俺ってカッコイイですよね

223 :
秦檜本人が悪く言われるのはわかるが
何で正妻の王氏まで悪人扱いになったんだ?
>>208に書いてあるみたいに、この奥方を通じた閨閥が
秦檜の権力の源泉の一つだったからか?
それにしても岳飛をRように秦檜にそそのかした
張本人にされちゃった理由がわからないんだが。

224 :
秦檜ですら躊躇していた岳飛無理やり誅殺を推進させた人物という評が王氏にはあるな

225 :
>>223
新法派は国を誤らせる、という共通認識があった。そして王珪はかの蔡京の同僚だった。
そして秦檜の妻王氏は王珪の孫。
…と、ムリヤリこじつけるのはどうでしょう?
ともかく、新法派が政権握っていたときに国を誤らせたわけだから、そういう矛先もありかな、と。
まぁ、それだけ岳飛を謀殺しりした、秦檜の悪辣さが際立ったのでしょう。
どう考えても、蔡京あたりとは似ても似つかんから、たぶん王氏がそそのかしたというのは、中傷の類と思われる。

226 :
説岳とかでも王氏の方が悪く描かれているな

227 :
とりあえず、奥さんと組んで岳飛を殺した、その罪が俺は許せない!!
多分、俺は最後まで秦檜を理解できないだろうな。

228 :
>>227
お前が学生、もしくは社会人なりたてならいずれ理解できるかもな

229 :
♪ ♪ 中国史十大悪人 ♪ ♪
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1187163025/

230 :
説岳とかは妻の王氏はR乱な悪女に描かれ、
金に拘留されていた時はRみたいなことをしていたかのように描かれているけど、
実際どうだったんだろう。

231 :
連れ去られた北宋の皇族の女性がどうなったか考えたら文官の嫁ごときがどんな目にあったか想像つくだろ
小説的だけどもしかしたら王氏は金が秦檜につけたスパイだったりして

232 :
主義主張なんて建前で、本音は既得権益を手放したくないだけ。
それが衰えて、今まで出来たことが出来なくなると自分が殺されたような感覚に陥るだろうからな。
まあ未来永劫売国奴として恥を晒すのがお似合い。
岳飛を冤罪で殺して無謬の忠臣にしてしまったのだからな。
実際は危険分子の一人だったろうが処置が苛烈にもほどがある。

233 :
>>232
では、どのような処分だったらよかったとお考えですか?

234 :
酒を酌み交わして兵権を自ら返還させる

235 :
>>234
無理だろ。私兵を雇ってたくらいだし・・・
むしろスレの統一見解としては、
1、岳飛は軽率
2、秦檜の行動の理解できる
しかし
3、金との交渉過程が理解できない
だったと思う

236 :
村山やら河野やらの1000年後には実はいい奴だった評価をされたりするのかな

237 :
小泉はマイナス評価にされてるとかもありか

238 :
>>236
中国に編入されれば当然そうなる

239 :
いや日本が中国に編入されたとしてほかの外国から

240 :
?

241 :
もう出尽くしたかな?
岳飛は愛国DQNで処刑→のち英雄
秦檜は憂国DQNで栄華→のち売国奴

242 :
秦檜は憂国ではあっても、DQNとは思えないな……

243 :
どうみてもDQn

244 :
典型的な皇帝の信任を受ける寵臣にして悪代官じゃね
民から絞り上げる役なので当然嫌われる

245 :
>>244
寵臣?その言葉は適当でないな

246 :
700年後の中国で同じような構図が繰り広げられた件
岳飛=蒋介石、毛沢東
秦檜=汪兆銘
金=日本軍

247 :
>>246
>岳飛=蒋介石、毛沢東
さすがに無理があるんじゃない?

248 :
【靖康奇耻】宋金戦争【岳飛秦檜】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1191844117/

249 :
この時代、一番の悪人は誰か?

250 :
>>1

251 :
うん、敢えて挙げるなら>>1だね。

252 :
高宗は悪人といわれても仕方ないな

253 :
趙構ってやっぱ、金軍に人質として出されたので、
父親や兄のことを恨みに思った部分が強かったんじゃないかな。

254 :
説話と事実の区別すらつけてない人が山ほどいて面白いスレッドですね

255 :
では区別をつけられていない人に啓蒙してください。

256 :
>>253
とりあえず、>>1に聞こうやw

257 :
岳飛は軍閥の巨大化を防ぐという宋のイデオロギーと真っ向から対立した。
彼の忠義には鼻から問題があったと思う。

258 :
なんかこのスレでも岳飛が特別扱いなのがよく分からない。
本人の将軍としての実力はともかく、政治的には普通の軍閥でしょ?
軍閥が台頭したから処分したっていう単純な話。
論点は
・このタイミングで処分するのが本当に正しかったのか
っていう程度の話で。戦争継続してればもっと有利な状況になったのかどうなのか。

259 :
一年近くレスなしかよw
>>257
2.26事件を起こした将校連中の「天皇へ忠誠」みたいなもんだな

260 :
岳飛は南宋に仕えたのがそもそもの間違いだな
やりたかったことを真っ向から否定されてるんだから

261 :
菅直人、仙谷は現代日本における秦檜確定だな。
岳飛は田母神氏か?

262 :
日本だったら普通に評価されてるレベルの傑物だよ

263 :
こいつを評価することは、
「尖閣や沖縄を譲り渡し、それに反対する保守を冤罪で弾圧し、中国との戦争を回避することに成功した英雄
 悪者とされるが、日本の天皇や首相も内心ではそれを望んでいたと思われるので、全く悪くない!」
といっているようなもの
曹操の信者がネット右翼なら、こいつの信者はブサヨということでw

264 :
いやー、倭国の秦檜、大暴走だなw
こいつの擁護論、一時は少しは肯定したが、なんか違和感があったから、やっと分かったよw
中国人からしたら、やっぱ、間違いなく、売国奴だわw
頑固で国家戦略には邪魔かもしれんが、頑なまでに国家に忠誠を尽くす突出して当代第一の名将の冤罪による殺害
一度、両国で確約した領土を、相手の条約違反の侵略に屈した形での明け渡し
主君の父兄に対する複雑な感情を利用した不正義・堕落への誘導
その後の言論弾圧、自己利権拡大
ここまでそろってどこに支持する余地があるのか?
権力握っただけの評価なら、趙高や後漢末・明の宦官と同列に並べてやればいいだけ
秦檜信者のブサヨ君たちにはもどってきて、とくと理解できるように語ってもらいたいものだw

265 :
愛国正義の英雄 岳飛 =SENGOKU
最低最悪の売国奴 秦檜=仙谷)
千年経っても人間やること同じ

266 :
中国史のどんな悪党や凡将も事細かに見ていくと結構同調できたり好きになれる部分もあったりするけど
こいつだけはどうしても好きになれないな
なんか長所やいい点ある?

267 :
岳飛=sengoku38氏
秦檜=仙谷
で決定。
みんなで仙谷の石像に小便やつばをかけようぜ!

268 :
■盧溝橋事件発生から3週間後の7月29日、
北平(北京)東方の通州で中国保安隊による大規模な日本人虐殺事件が発生した■
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100730/p1
其の三 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100901/p1
其の四 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100915/p1
其の五 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100929/p1
…「通州事件」…
▲集められた十名程の日本人の中にはまだ子供と思われる少年もいます。そして六十歳を越えたと
思われる老人もいるのです。支那では老人は大切にしなさいと言われておりますが、この支那の
学生や兵隊達にとっては日本の老人は人間として扱わないのでしょう。
この十名近くの日本の男の人達の手を針金でくくり、掌のところを銃剣で抉りとった学生や
兵隊達は今度は大きな針金を持って来てその掌の中に通すのです。
十人の日本の男の人が数珠繋ぎにされたのです。こうしたことをされている間日本の男の人達も
泣いたり喚いたりしていましたが、その光景は何とも言い様のない異様なものであり、
五十年を過ぎた今でも私の頭の中にこびりついて離れることが出来ません。
▲そしてそれだけではなかったのです。学生と兵隊達はこの日本の男の人達の下着を
全部取ってしまったのです。
そして勿論裸足にしております。その中で一人の学生が青竜刀を持っておりましたが、
二十才前後と思われる男のところに行くと足を拡げさせました。そしてその男の人の男根を
切り取ってしまったのです。
▲この男の人は「助けてー」と叫んでいましたが、そんなことはお構いなしにグサリと男根を
切り取ったとき、この男の人は「ギャッ」と叫んでいましたがそのまま気を失ったのでしょう。
でも倒れることは出来ません。外の日本の男の人と数珠繋ぎになっているので倒れることが出来
ないのです。学生や兵隊達はそんな姿を見て「フッフッ」と笑っているのです。
私は思わずTさんにしがみつきました。Tさんも何か興奮しているらしく、さっきよりももっと
しっかり私の身体を抱いてくれました。そして私の耳元でそっと囁くのです。
「黙って、ものを言ったらいかん」と言うのです。勿論私はものなど言える筈もありませんから
頷くだけだったのです

269 :
>>266
あるわきゃねーだろw
信者が、趙高が勝ち組のまま死んだのを称えて、「歴史を冷静に判断できる俺カコイイ。悪いのは扶蘇(岳飛)!」
とか叫んでいるだけ
岳飛が国家に有益だったかと別の問題なのに、岳飛=悪、秦檜=正義とか
ほんと幼稚な論説だなw
患者っぽい煽りも多いし、メンタルも相当似通っていると見たw
ということで、早く反論頼むよ
ブサヨ君(笑)

270 :
このスレに岳飛=悪とか言ってる人いたっけ?まず事実認識がまずくない?

271 :
【中国】仙谷由人官房長官、抗日姿勢が評価され中国共産党より国家功労勲章を授与される★3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/nissin/1285228112/

272 :
>>270
241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 08:45:45 ID:MQaMWFLF0
もう出尽くしたかな?
岳飛は愛国DQNで処刑→のち英雄
秦檜は憂国DQNで栄華→のち売国奴

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 23:14:57 ID:RLhptOrN0
秦檜は憂国ではあっても、DQNとは思えないな……
他にも、「岳飛は、宋の軍閥を抑えるという路線に逆らったのだから、
     冤罪で殺した秦檜は正しい判断」というレスがいっぱい
シ───(-_-)───ン

岳飛を処分するのはとりあえず分かるにしても、
(映像流出者が、公務員遵守義務違反程度の微罪でも、国家の秩序を守るため、
 重く罰せられねばらないという腐った理屈と同程度の意味でなw)
秦檜が正しいというのはなんぞや?
どう見ても、秦檜信者かブサヨの所行です。ありがとうございました。

273 :
誰も岳飛が悪だとも、秦檜が善だとも言っていないじゃん。
>>241はどっちもDQN呼ばわりしてるし、
>>242は秦檜は憂国であって、DQNじゃないと言っているだけ。
秦檜に同情的な人や功績を評価する人ははいるけど、岳飛が悪とは誰も言っていない。
その行動が国益に適うものだったのかどうかで判断して欲しい。
しかし、尖閣諸島の権益を侵害しているのは中国なのに、
ビデオを流出させた職員を漢民族の英雄に喩えるのは皮肉としか言いようがない。
恥ずかしいからやめて欲しい。

274 :
いや、同じだろ・・・
国益にかなうと(思った)から、秦檜=正義(善ではない)
国益に反すると(思った)から、岳飛=悪と、連中はいっているだろ
242が岳飛はDQN軍人だが、秦檜は憂国政治家というなら、これも同じことだ

今回の事件があったから、こういう一見、大局的な国益を重視する考えが
かえって、売国政治家の横行につながり、
自称冷静な日本人の判断より、伝統的な中国人の歴史的判断が正しいと確信しただけだ
国は関係ない
日本はそういう体験がないから分からないからこそ、他国を例にだすのは間違っていない

275 :
だよな

276 :
秦檜R

277 :
岳飛による金との戦争続行が国益に反するかどうかは、実現されずに粛清されてしまったから分からない。
秦檜は実際に和平を結び、和議が成立して20年弱は金からの侵攻がなく平和になった。
その間に内政を充実させ(江南の開発など)、政権基盤が安定し、南宋発展の礎を築いた。
結果論だが、この点は評価していいんではないのだろうか。
結局軍閥縮小させても、秦檜死後の金による侵攻をはねのけているし。
秦檜が正義かというと怪しいが、政治的に功績がなかったとはいえないはずだ。
あと、素朴な疑問。
どっちかっていうと売国政治家って視野狭窄に陥ってる場合が多いんじゃ?
自己の利益のために国を売るんだから。
大局的な国益を重視する人が売国していたら、それはスパイか工作員じゃないの?

278 :
要するに現状維持派と失地回復派の派閥争いといっちゃえばそれまでなんだけど
ライバルである岳飛を処刑したということが(しかもでっちあげで妻に後押しされて)
言論による士大夫の処刑を禁じた宋の遺訓と男尊女卑や捏造といった最低なイメージが重なりあってるからだろう

279 :
>>277
岳飛が悪とは誰も言っていないといったのが、あんたなら、ちょいとアレだが・・
まあ、いいだろう
>結果論だが、この点は評価していいんではないのだろうか。
評価に値しない。
まず、かなり譲歩した上で和平し、名将を獄死、引退に追いやり、軍閥を解体している。
ここで金が再度、条約を破れば、マジでやばい。
上司の扱いに不満を持つ軍部の一部が造反して、南宋の防衛ラインの一点が敗れれば、南宋は滅亡しかねない。
(元の侵攻の時と同じ)
金が条約を必ず守る国なら、講和もありえようが、
宋が過去にどうあろうと、その前提の上で結んだ条約を破って攻め込んできているという前科もある
すなわち、講和には、金がなぜか次回は守ってくれる、もしくは、もはや戦う国力がない、
という前提が必要となる。
後者なら、あれほど譲歩する必要はない。
岳飛たちは軍閥解体に抵抗してないのだから、もっと有利な条件で、講和すればいいだけ
条約違反を責めて、黄河まで奪い、歳貢を大幅に減額し、対等の条約を結べば、
後々の侵攻も未然に防いでいた可能性も十分にある
前者だとしたら、なぜ、それが分かる?
弱腰な講和を結び、岳飛たちがいなくなったと知れば、金の主戦論がまた持ち上がるかもしれない。
南宋の宰相が、それほどまでに金の政策を操れるはずもないし、深い意図を知ることができるはずもない
すなわち、南宋に対して、功績などはどこにも存在しない
あるのは、高宗個人に対しての保身と恐怖に関する功績のみ
まあ、人は誰しも岳飛にはなれないのだから、これに関しては理解できぬわけではないが・・
>大局的な国益を重視する人が売国していたら、それはスパイか工作員じゃないの?
こういう姿勢が、国家の利益につながると信じているブサヨがこのスレやこの(ry

280 :
秦檜≒仙谷

281 :
侵攻する国力がない≠戦う国力がない
当時の金にとって南宋は、金内部の派閥抗争や女真の本拠から離れていることもあって侵攻するほどの体力はない
が、南宋から攻めてきたら華北を防衛する程度の体力はある
日本が外国と戦うのと違って、これは地続きの中国の話なんだから
この金が抱える問題は、同じく南宋も抱えている。派閥抗争もあるし、補給線の問題も同じ。
それに歴代の南朝亡命政権の持つ、華北出身者を食わせる為に、華南の地から搾取しなければならない事による反発を処理しなきゃならん

282 :
>侵攻する国力がない≠戦う国力がない
>南宋から攻めてきたら華北を防衛する程度の体力はある
自分の講和の失敗を隠蔽しようという気まんまんの秦檜よりも、
前線にいる常勝の名将、岳飛の判断の方がはるかに信頼できるのだがな
とにかく、常勝の岳飛なら、現地調達で補給できていた可能性と同時に、補給を軽視していた可能性も認めよう
しかし、だからどうだというのだ?
なぜ、せっかく奪回した土地どころか、以前の条約で決めていた領土を条約破りを起こした上に、
敗北し、恥知らずにも再度の講和を願う虎狼の国家と化した金になぜ、あの条件で和平を結ばないといかんのだ?
あの条件でむすぶなら、軍閥の一つでも敗退するか、戦線が膠着してからでもよかろう
そうすれば、軍費がかさんでいる現状や軍閥への反発から、南宋の人々も秦檜を支持するだろう
これなら、多少の敗北でも南宋が滅亡することはない
勝てるなら、もっと、有利な条件で結べばいい
あの条約になんの根拠もない
ただ、ひたすら国益など度外視して和平(秦檜にはなんのデメリットもないw)だけをこいねがったか、
金から相当なキックバックがあったか、そう考えるのが普通だろう
大体、金に防御する国力があるなら、あの条件でなぜ和平を結ぶ?
それなら、岳飛たちがいなくなった後で、金が投機的に侵攻すれば南宋滅亡も不可能ではないことになる
その危険性をなぜ、考えなかった?
秦檜がバカでない以上、その時はその時は南宋朝廷をみやげにして、自己保全を考える用意があったと考えても、妄想とまではいえまい
ただし、用済みにされる可能性や、南宋朝廷が主戦論に傾き、自分が殺される可能性があるため、
積極的に望みまではしなかっただろうが
よって、秦檜にはなんの功績も存在しない
寄生主を殺さなかった賢い趙高という評価がぴったしだろう

283 :
ついでに言っておくと、自分はただ岳飛を絶賛しているわけじゃないぞ
はじめの条約で岳飛が主戦論を主張して曲げなかったのなら、
確かに人格的にも名将としても惜しい人物であるが、南宋の国是としてなんらかの
処分されるのはある意味仕方ないとは考えている。
この場合、韓信や白起と同等の評価になったと思う。
しかし、秦檜は蕭何や范雎とは全く違うだろう

284 :
防御する国力ではなく、ズルズルと戦い続ける国力だろ
金にとって華北は本貫の地ではない
宋にとっては奪回し、経営していく土地
一気呵成に奪回して、その後の支配を円滑に行えるならいいんだが
数年、数十年の単位で戦って、最後っぺで金に略奪されて満州に引き籠もりされたら
宋としては目も当てられないですな
通常営業で華北の赤字をの華南の黒字で賄ってきたってのに
華北再生の為に華南に負担を強いるとすれば、その内華南の方で反乱起きるな
補給は全て現地調達案なんて、相手に現地を焼かれたら調達できねーし、
調達した土地からは怨嗟を食らうし、馬鹿じゃねーのって感じですわ
「どうせ続かねーから荒らしてまた南に帰ろうぜ」っていう南北朝時代の北伐と同じ発想かよ

285 :
>数年、数十年の単位で戦って、
その時なら、あの条件で和平を結んでも分かるって言っているし
>補給は全て現地調達案
勝っている状態なら、できていた可能性を言っているだけだろう
基本は背後からの補給。南宋の補給が限界に達していたというソースもあるのか?
高宗や秦檜が、それを理由に目の前の和平をただ、こいねがった可能性もあるのだぞ
>馬鹿じゃねーのって感じですわ
あ、そういう人ね・・
こんな煽りをするようではこちらこそ話にならんわ
こちらの論説の重箱の隅つつきや、曲解しようとしているようにしか見えんし
じゃ、華北の奪還が無理という前提で(俺も無理だと思うが)
あの条約でよかったという理屈を教えろよ
ズルズルと戦い続ける国力があるのに、なんで金が条約を破らないと分かるんだ?
どこかの国のブサヨみたいに、ひたすら戦争反対の秦檜信者さんよ(←あえてのってやろう)

286 :
よかったも何も、実際あの条約の後で南宋が経済発展しているのが全てだろ
条約後暫くの間、歳幣が負担になった事があった? なかったろ?
宋は経済どころか人材まで南に依存してきてるじゃん。華北出身者を優遇して登用してたまでに

つーか金と南宋は日本と同じ状況じゃないって何度もいったよね?
日本は海に囲まれてるんだよ。攻め込まれたら開戦しても余裕で守れるよ。低姿勢でへーコラする必要はない

287 :
>>286
>よかったも何も、実際あの条約の後で南宋が経済発展しているのが全てだろ
おいおい、俺の質問は、
>ズルズルと戦い続ける国力があるのに、なんで金が条約を破らないと分かるんだ?
だぞ? わざと、曲解しているだろうが
>条約後暫くの間、歳幣が負担になった事があった? なかったろ?
これが本当なら、俺の案「あのまま退かずに、はじめの条約で案で再び飲ませるか
攻撃して勝ち続けるなら、黄河を境に、歳貢を大幅に減らした上で、条約を結ぶ」
にどこに不都合があるんだ?
>華北再生の為に華南に負担を強いるとすれば、その内華南の方で反乱起きるな
じゃなかったのか?
華南だって、河南より南なら、それなりに豊かだから、金よりも宋であった方が流通としてもいいし、
北からの防波堤にもある。メリットも大きいだろう。減らした歳貢を復興にあてればいい。
華北の人たちも華南から多少でも援助のある宋の方が、収奪されるだけの金よりいいだろ
別に都は開封にもどす必要もない。
>日本は海に囲まれてるんだよ。攻め込まれたら開戦しても余裕で守れるよ。低姿勢でへーコラする必要はない
『必要』はなくても、したがっている奴が腐るほどいて、奴らが政府とマスコミを(ry
守るまでもなく、軍の指揮権をもっている奴が、無抵抗で降伏したら、海があっても、終(ry
要は、秦檜は運が強かっただけ
もっとも、金が攻め込んできて、降伏しても、「危害を出さないよう賢明な判断をした名宰相」といって、
信者どもは称賛するんだろうけどw

288 :
もう反論はなしのかな?
しかし、煽ったり、人の質問や発言を意図的にすりかえたりするような人が、
>恥ずかしいからやめて欲しい。
とよく説教できたものだ。そっちこそ、恥ずかしい
あと他スレで、
「岳飛がいなくても、劉リ、張俊、韓世忠、呉玠、呉璘、楊沂中、李顕忠らが健在だから大丈夫では?」
という意見があったが、
岳飛が殺された時には、呉玠は死に、張俊、韓世忠は軍閥を解体され、引退し、劉リは抵抗して免職になっている
呉璘は色々な意味で蜀を動けないし、残った楊沂中、李顕忠は、宋全軍を率いるほどの地位にはない
張俊、韓世忠を戻しても、軍閥が解体された以上、今までの力は発揮できないし、
一旦、引退に追いつめた人物をもどすのは、政策に反するし、秦檜が韓世忠を再度使うとは思えない
しかも、秦檜のやり方に軍部から相当反発があったはずで、暗殺未遂事件までおきており、士気の低下はまぬがれない
再度、金が条約を破ったらこの状態で国防ができるのか、滅亡までしなくても、長江以北は
とられた上、再度、さらに南宋に不利な条約をぬけぬけと結ぶつもりか
秦檜信者の意見は理解に苦しむ

289 :
秦檜の悪いところは本人の素行の悪さによるところも大きいんだよな。
史官に圧力かけて自分の悪いところは隠そうとしたり
自分の孫を科挙の主席合格者にしようとして本来の主席を落第にしたり。
孫がかわいくても主席の人間を2席にすればいいだけの話だし岳飛の件だって
兵権を奪ったのならなにもRことはなかった。
和議は正しくても名宰相とは到底言えんわな。

290 :
政策に反するって・・・
危なくなったら普通に政策なんて反転して秦檜の首切って韓世忠登用だろ
そうやってコロコロ皇帝自ら政策を変えて、臣下の首切ったから
金との和平が纏まらずに南に追い落とされたのが宋じゃないw
政策に対する誠実さとか信念とかあると思ってるのかw

291 :
なんで文人秦檜のかわりに、武人の韓世忠を登用するのか分からん。
どんだけ人材難の国家だよw

292 :
>>290
久しぶりにレスがついていると思ったら、反応する必要もないレスだったなw
他の人が相手してくれた
まあ、あんたの言うとおり、「張浚」を登用して、韓世忠に軍事権を任せ、
秦檜を「罷免」して、(首切りが処刑の意味ならさらに(笑)だな)
あっさり、政策転換して、金からの侵略の危機を乗り越えたとしても、
南宋や高宗の評価は変わっても、秦檜の全く擁護にはならんな
今は、秦檜の評価と実態の話をしている
とにかく、秦檜は内ゲバだけが得意な強欲で冷酷かつ不公正な「無能」か、
用済みにならない程度に南宋をうまく売り渡した「売国奴」かの二者択一でほぼ決定だろうな

293 :
岳飛って、wikipediaより、ニコニコ大百科の方が詳しいんだよなw
しかし、朱仙鎮に行っていないって本当だろうか?
秦檜の最高の名言は、「莫須有」
自分たちは言論の自由や権利を求めるくせに、他人の言論や権利は弾圧するブサヨに支持されるのは、なんか納得

294 :
秦檜を支持しているのがサヨクというのは、なんか違和感あるが
本来的には、サヨクは岳飛も秦檜も擁護の対象じゃないからな
ところで、秦檜擁護に拍車がかかったのは、かの田中芳樹が岳飛を
称揚して秦檜を貶めたからという構図がひとつある。
田中は言わずとしれたネトウヨに嫌われる親中サヨク(と思われている)
だからその田中に反発して秦檜を擁護するのはネトウヨという、ゆがんだ
構図が「田中芳樹を撃つ」などで繰り広げられたのは失笑を誘うなw

295 :
思想は関係ないと思うけどなー。
ネトウヨを自認している私がこのスレでは秦檜擁護しているし。
あっ、あと大体規制されているから言えなかったけど、
私=270=272=277です。281や284は私じゃありません。
私は秦檜以後も、宋は華南で栄えたという事実から、
秦檜の功績が無かったとは言えないといっているだけです。

296 :
>>295
ロムってたおれの眼からすれば、君よりもブサヨブサヨ言ってる>>293
のほうがよほどネトウヨだけどな。
ところで、朱仙鎮の戦いがなかった、というのは宮崎一定先生の説で
《金史》に該当記述が見当たらないことが、根拠の強い部分。
編者はおなじトクトなのにね?

297 :
>>294
ネット右翼なんて、そんなもんかもしれんな
曹操信者なんて、ネット右翼そのものの行動と思想をしていたのに、
皇帝を迫害・簒奪した曹操親子や、国を裏切った司馬懿、
結果的に異民族に国を占領される原因をつくった司馬氏を崇拝していたからな
曹操評価の根拠に、毛沢東をあげるのも、また皮肉w
で、忠義心や愛国心の塊のような諸葛亮や関羽、岳飛の中傷に必死だからな
(正史を普通に読めばなw)
中国や親中国の文化人が嫌いなら、その好きなものを嫌いと言えば、
ネット右翼を完遂できると考えて、自分たちの自己矛盾にも気づかないらしいw
>>295
それなら、煽られた時点で、釈明のため、携帯からでも書きこめばいいじゃn
結局、同じ
ブサヨって言われているのは、どっかの日本の政治家と思想が全く同じだからだろw

298 :
>ところで、朱仙鎮の戦いがなかった、というのは宮崎一定先生の説で
>《金史》に該当記述が見当たらないことが、根拠の強い部分。
それが、根拠なら、俺は朱仙鎮の戦いはあったことを支持するな
趙翼が「宋史」、「金史」、両方読むように言っているのは理解できるが、
あまりにも都合が悪かったり、比較的、小事件の自分に都合の悪いところは、削除する可能性もあるもんな
宮崎一定先生が偉大なのは認めるが、絶対に正しいとはいえないだろう
で、自分があったと思う根拠だけど、
岳飛が拷問を受けている時、秦檜が戦功粉飾の罪を罪状にしていないこと
行軍日誌や、言ったかどうか分からない「節度使になったのは〜」を罪状にするなら、この方が理由になる
(なんか、問題発言を信じている人が多いけど、ねつ造や酒の席での部下の発言のなすりつけも十分、ありえる)
後、二十二史箚記で、趙翼が「朱仙鎮の勝利はあまりにもオーバーなので、嘘だと思ったが、
金史でも岳飛が勝利した記述や各州が降伏した記述がある」って言っている。
ttp://hx5000.bokee.com/viewdiary.23193528.html
宮崎一定先生が主張していたのは、どの論文であろうか?

299 :
>>297
なんで煽った奴の尻拭いのために>>295が釈明してやらなきゃならないの?
煽った奴が全面的に悪いだろう。

300 :
「ネトウヨガー」「ネット右翼ガー」って、うるさいよ?
そういう話はよそでやってくれ。

301 :
そもそも宮崎先生の名前間違えてるし。
一回だけなら単なる誤変換だと思うけど、
複数回やらかしてるなら宮崎先生のことを知らないのじゃ。

302 :
>>301
間違えたのはおれだなorz
そう責めるな

303 :
そう言われてみれば、書き込む時になんか、違和感があったな
その点だけは、失礼したことを、宮崎『市』定先生に謝っておくか

304 :
久しぶりに来てみたが、
俺の質問
>宮崎市定先生が主張していたのは、どの論文であろうか?
に秦檜信者(?)たちは、誰も答えられないのなw
(反論は先生の名前のコピペ間違いだけw)
これは誰かの勘違いかもしれず、その論文があるかどうかも分からないってことだな
俺は、二十二史箚記まで出して論じているのに、結局、その程度の軽薄な根拠の上に、
ここまで、なんら功績もない運だけの売国奴・秦檜を憂国の名宰相と称え、
岳飛を傲慢バカ軍人と談じていたわけだ

305 :
結局どちらが正しかったかって分からんよなぁ。
タカ派とハト派の対立なんて良くある話だけど、政敵を無実の罪で粛清したのが評価が低いゆえんか(中国では良くある事だが)。

306 :
自民党というか、保守政党が嫌だって奴は要するにあれだろ
社会の中で真ん中より下にいる事を何となく自覚してるんだろ
世の中が公助より自助という正論で動くとき、自らが切り捨てられる側にいる事をうすうす気付いちゃってるんだろ
たとえ末端にせよ、社会の中でそれなりの立場を得てまっとうに生活できているならば
政府には保守的な国家運営を願うのが自然な欲求であるはずだ
まっとうに生きていない者がいつもリベラルという非現実的な幻想に縋る
しかしよく見てみろ
本物のリベラル政党である米民主党でさえ当然のごとく失敗に終わっているのだ
いわんや政党の名を騙る日本の民主党では国そのものが無くなってしまう
それを承知の上で票を投じた者もいるだろう
しかしよく考えてみろ
自らを養えない事を悟ったとき、他人を巻き添えに自殺を図るのと、潔く死を受け入れるのと
どちらがまっとうなな死に方であるか
好きで生まれた訳ではないのなら、まともな生き方ができないなら、
死ぬ時ぐらいまともな死に方を選ぼうと考え直す事はできないのか

307 :
あげ

308 :
俺が一年前に書いた>>260はスルーかよw

309 :
http://youtu.be/61B7UztKk6k

310 :
当時の一般人からしてみれば兵隊に逝かなくて済む様になったので
正直"ほっとした"と秦檜に感謝こそすれ恨む者は少なかったのではないか。
そんなに当時も憎まれていたなら桜田門外のように斬殺されてる。

311 :
尖閣がまた問題になってきたので、1年半ぶりに来たけど、
あれだけ、数年前のレスで秦檜マンセーしていたのに、反論は>>310だけ?
宮崎先生の論文の件はどうなのか。話にならんな
>>310
施全の暗殺未遂事件を知らんの?
一回失敗した以上、護衛が多くて絶対不可能だろう
それに、古今の悪徳政治家のほとんどが、亡国の時に立ち会うか、
最高権力者(皇帝や将軍)が代わって権力を失ってからしか、殺されてないけど?
>当時の一般人からしてみれば兵隊に逝かなくて済む様になったので
>正直"ほっとした"と秦檜に感謝こそすれ恨む者は少なかったのではないか。
これも、想像に過ぎないがな
こっちも想像で語ると、
「岳飛が生きていて、河南が宋のものになっていれば、もっと安心して暮らせるのに」
と思ったものも多かったのではないか

312 :2012/08/29
体罰・虐待・DV・死刑・殺人等の暴力主義は、論理的思考力・問題解決力の乏しい人格未成熟者による劣等感解消用の精神安定剤。
「言って聞かなければ叩くしか」は虐め・テロにも通じる責任転嫁・甘え・自己正当化。彼らに必要なのは処罰ではなく洗脳からの解放と心の治療と矯正教育/感情自己責任論
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