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2012年09月日本史165: 【桶狭間の戦い】今川義元【花倉の乱】 (462)
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【桶狭間の戦い】今川義元【花倉の乱】
- 1 :2012/04/09 〜 最終レス :2012/10/14
- 実は悲運の名将だったんだな
後北条家並みに過小評価されすぎだろ
- 2 :
- 太原雪斎
- 3 :
- 甲相駿三国同盟
- 4 :
- 1536年:義元継承に異母兄恵探が反乱。武田信虎などの助勢を得て、これに勝利する。(花倉の乱)
1537年:北条氏綱に攻め込まれ、富士川以東の駿河国東半分を奪われる。(第一次河東の乱)
同時期に遠江国で堀越氏・井伊氏による反乱。氏綱の采配と思われる。
三河国にて松平広忠の後ろ盾となり、信定を岡崎城から追放。
1540年:織田信秀が三河国へ侵攻。岡崎城の対岸にある安祥城が占拠される。
1541年:武田信虎が追放される。武田家当主交代。
北条氏綱死去。後北条家当主交代。
1545年:今川義元、武田晴信の連合軍が富士川を越え侵攻を開始。長久保城を残し駿河国全域を支配下に置く。
義元と盟約した上杉憲政、朝定、足利晴氏らが相模東方より侵攻。
窮地に陥った北条氏康、長久保城を義元に引き渡すことで今川・武田と和睦。義元は駿河全域を領土とする。
とりあえずはここまで。
こうして見ると、北条氏綱には負けてるけど氏康には勝利してるのな。そして常に武田を傭兵のように活用している。
- 5 :
- そういえば、北条早雲は最後まで義元の親父を屋形様って呼んで仕えたんだよな。
今川家の後ろ盾のおかげで伊豆や相模領有ができた。
- 6 :
- 三国志の袁紹とイメージがかぶる。
名門で最大勢力、自身が家柄の件で見降していた風雲児に寡兵をもって敗れた・・・
- 7 :
- いろいろ説があるけど結局寡兵の信長がどうやって義元の首を挙げたの?
- 8 :
- それには色々な説があるんだよ
- 9 :
- 義元が東海一の弓取りとなるまでの話や
信長の父信秀の事を知りたいね
- 10 :
- 織田軍2000人今川軍25000人説があるが3000と45000というの
もある。いくら雨が降っていても酒盛りをしている本陣
に突っ込めたものだぎゃ。
- 11 :
- 一つ一つの砦を落とす為に兵を分散させて、肝心の本陣が手薄になってしまったのがな
- 12 :
- 独自の法度を作り独立国家のような体裁になった
いうなればソマリア状態の当時の日本で
ソマリランドを作ったもんだ
- 13 :
- 桶狭間で勝ってれば、上洛して14代将軍足利義元に成るまで突っ走れたよね。
- 14 :
- 尾張も支配出来ていただろうが
美濃や伊勢まで進出できなさそう
というか京都に上洛する理由も意思もなかっただろう
- 15 :
- 上洛しても三好が健在だからな
- 16 :
- 斎藤義龍が生きている限り
美濃は取れない
- 17 :
- 京都に行ったとしても大内義興と同じようになる
- 18 :
- 尾張さえ押さえれば引き上げてたのかな
例の三国同盟があるとはいえ、いつまでも国元の駿河を空にできないしな
- 19 :
- 京都まで行ってたら鬼の居ぬ間にという奴で甲斐の虎に駿河獲られてたかもね
歴史は繰り返すか?
- 20 :
- 今川家の城持ち家臣と今川家に従っている国人の区別がつかない
- 21 :
- 早雲も今川の城持ち家臣だったんだよな
- 22 :
- >>7
仮に総勢25000の兵がいたとしても今川義元の本陣に割ける人数は3000とか5000くらい
対する信長は約2000の精鋭ぞろいであり、戦力差はほとんど無いはず
しかも雨があがった直後のまさかの遭遇戦であり、陣を張って待機していた今川側と比べれば
破れかぶれの決死の特攻をしかけた信長側の方が有利
桶狭間は完全に運の勝負だったと思われる
- 23 :
- 今川義元は藤枝市花倉出身。
刀で無くてサッカーで勝負なら
今川家は織田信長家に負けなかったと思う。
藤枝東高校サッカー部出身の今川武士団が織田軍団に
ドリブルで持ち込み巧みなパス回しで
勝っていた筈なんだがなあ。
- 24 :
- >>19
当時の晴信は義元のパシリみたいなもんだし無理だろう
>>22
ただの雨じゃなく公記によると
「にわかに急雨、石氷を投げ打つ様に、敵の輔に打ち付くる」(雹を含む豪雨が急に発生して敵の方向に降り注いだ)
「二かい三がゐの楠の木、雨に東へ降り倒る」(しかも二抱え、三かかえもあるような木が倒れる台風なみの強風)
http://www.youtube.com/watch?v=axn05dZwPpo
つまりダウンバーストが今川本隊に向かって発生したわけで
普通の雨程度なら準備も出来るし、信長は返り討ち必至
信長は超、運のいい奴とは言える
- 25 :
- >>24
酒盛り(捏造の可能性もあり)も雨で兵が凍えるのを防ぐための行動だけど、それも仇になったね
信長の人生最大の幸運と義元の人生最悪の不運がちょうどかち合った戦だと思う
- 26 :
- 雨が降ったのは突入寸前なので、奇襲成功との関係性は低い。
清洲から善照寺砦を経て桶狭間に至る間に気づかれなかったのは
人為的要素がないと無理なので、簗田出羽守配下の者が街道筋に
手勢を配して、今川方の物見や伝令を討ち取っていたと考えるのが
妥当。
事前に百騎ばかりで奇襲を掛けさせるなどしているので、清洲から
小勢がまばらに出撃するのを不審に思わせない工作もしている。
急な出陣で、兵がまばらに出て、善照寺に終結するのを今川方は
察知出来ず、そのまま物見を封じられて接近を許した。
物見が働いていれば、雨で視界が悪くなれば動き回って情報を得る。
雨だけで気づかないはずがない。
意図して物見を封じない限り、敵方への情報管制は出来ない。
現代戦で言う、電子妨害を掛けたと見るべき。
- 27 :
- >>26
でもその考えはあくまで個人の想像の範疇を超えないなぁ
なんせまともな史料が少なすぎる
タイムマシンがあるなら一番最初に見てみたい戦だ
- 28 :
- 安土城と今川館が燃えてしまったのは実に痛い
ここが残っていたら
信長公記以外の史料や当時の武士の記録も現代に残っていたかもしれない
大田牛一は後方の人間だから人づてに聞いた話もあろう
- 29 :
- 義元の休憩場所が分かるには、かなり上層部にスパイがいなければ、敵の大将がどこにいるかなど絶対に分からない。
- 30 :
- >>23
川中島にパシリに来てくれた義元くんありがとうby武田
- 31 :
- 近くの今川の陣を叩こうと思ったら
それが義元の本陣だった
織田信長
- 32 :
- 将軍家が途絶えれば吉良がつぎ吉良が途絶えれば今川がつぐ
なんでこう言われたの
足利の分家の分家とかいくらでもいただろ
- 33 :
- 確か2か所の砦で戦闘をしていて、そこにいると見せかけて奇襲して義元を叩いている。
つまり敵将に狙いを絞って、今でいうと中枢コンピュータを破壊した訳だ。
司令塔がなくなったので今川軍は逃げ出したので、仮に司令塔以外だったら、囲まれてやられていたかも知れない。
信長自身が行ったのだから、義元という確証があった可能性は極めて高いと思う。
- 34 :
- 雪斎が尾張侵攻まで生きてたらどうなったのかな
- 35 :
- >>26
>雨が降ったのは突入寸前なので、奇襲成功との関係性は低い
『勝ちに不思議の勝ちあり』(byノムさん)
実際、先鋒(あるいは勇み足)の千秋や佐々は討ち取られているし、大高城を包囲していた丸根、鷲津砦は陥落している。
>事前に百騎ばかりで奇襲を掛けさせるなどして
奇襲があったら普通警戒するだろ?
>清洲から善照寺砦を経て桶狭間に至る間に気づかれなかった
気付かれてたよ。雨が降らなければ信長は包囲殲滅されていた。『信長が勝った』結果から逆算しすぎ。
信長公記に『これほど不思議な勝ちを得たのは、きっと山口親子の祟りに違いない(意訳)』と記述されてるのに、ちょっと妄想補強が過ぎると思う。
桶狭間の雹混じりの嵐、三方が原直後の信玄の死、手取川直後の謙信の死。みんな信長の『武運』だよ。
- 36 :
- >>33
「信長公記」に信長は
「今度家康は朱武者にて先懸けをさせられて、大高へ兵糧入れ、鷲津・丸根にて手を砕き、ご辛労
なされたるに依って、人馬の休息、大高に居陣なり」
「各々よく々承り候へ。あの武者、宵に兵糧つかひて、夜もすがら来たり、大高へ兵糧を入れ、鷲津・丸根にて
手を砕き、辛労してつかれたる武者なり。こなたは新手なり。その上、小軍なりとも大敵を怖る〃なかれ。運は天にあり。
此の語は知らざるや、懸からばひけ、しりぞかば引き付くべし。
是非に於いては、稠(おお)ひ倒し、追い崩すべきこと、案の内なり」
という発言をしたと記されている
つまり信長は、目の前にいる敵が今川義元の本陣だとは思わず
敵の先鋒隊(家康)と勘違いしていたと考えられる
それなら突っ込んでいったのも納得出来る
だって相手は疲弊した兵(と信長は思い込んでる)、こっちは新手、勝てないわけが無い
まぁ家康はこの時点では元康と名乗ったんだけど
太田牛一は結構適当なところがあるから間違ったんだろうね
- 37 :
- >>35
『負けに不思議の負け無し』(byノムさん)
強いて言うなら、梅雨に仕掛けたことが義元の敗因かな>桶狭間
恐らく、信長が清須城に篭城した場合を見込んでのことだと思うけど
しかし梅雨だからといって、まさか「石氷を投げ打つ様……打ち付くる」天気に襲われるとはなぁ
- 38 :
- もし義元が桶狭間に勝ってたら、織田は潰れてただろうなぁ
そしたら翌年には斉藤義龍が急死してるし、美濃も獲れるな
そうなったら、もう義元を止められないだろ
焦った武田が駿河に出てきても、北条と挟撃できるだろうし、今川位の名門なら足利将軍の斡旋で長尾と同盟して挟撃も可能
結果論だが、やっぱり桶狭間が悔やまれるな
- 39 :
- >>5
北条氏綱の名前は氏親からの偏諱かね
- 40 :
- >>38
日本史上でいちばんみてみたいifですね。
- 41 :
- >>40
見てみたいですねぇ
桶狭間で負けなければ、尾張国人は今川方に流れるでしょう。
そしたら多分、駿河・遠江・三河・尾張・美濃に北伊勢辺りまでは順当に支配できるかと。
その辺りから三好・松永に苦戦中の足利将軍から救援要請が入って上洛。
親足利の六角や北畠は同盟か従属させられるでしょうし、朝倉とも悪くない関係を築けるはず。
朝倉と関係が築ければ、当然、浅井も今川方に付いて、一大勢力を築けるでしょう。
そこまでくれば、武田が反旗を翻しても西の守りは盤石だし、北条や上杉と組んで武田に当たる事が出来る。
上杉は将軍の要請には絶対従うでしょうし、上杉と仲の悪い北条も、武田と組んで今川上杉に挟まれるより、同盟を組むほうが得策となるでしょうからね。
不安定要素の武田と決着がつけば、東は盤石。
後は畿内を制圧すれば、将軍を傀儡にしてもよし、家柄的に将軍にとって代わっても良し。
ここから秀吉のように統一に突き進み、義元が亡くなった後は、家康に乗っ取られて江戸幕府というオチでどうでしょうかwww
ま、あくまでも結果論で予想ですが、桶狭間の結果が変わったら、現実的にこうなりそうな気がします。
- 42 :
- 上杉が今川のゆうことを聞くとかw
北条と上杉が組むとかw
- 43 :
- >>41
朝倉と六角は喧嘩ばっかしてなかったっけ?
それに信長を跳ね返し続けた義龍を、そんな簡単に屈服させられるとは思えない。
義元は岡崎乗っ取りから桶狭間まで12年もかけているし、同じくらいの時間を尾張平定に費やすんじゃないかな。
急激に支配地を広げる代わり、よく反乱にあう信長。
ゆっくり支配地を広げる代わり、内乱は滅多にない義元。
そんなイメージ。個人的に。
上手くいって、毛利元就みたいな感じになるんじゃないかなぁ。美濃、近江あたりを従属させるくらいで寿命が来そうな気がする。
そして二代目は……。
- 44 :
- 氏真は外交能力はそれなりのもんよ?今川家が最後まで残ったのもその証拠
内政も信長に先駆けて楽市を実施したりと色々
それでも衰退を止められなかったんだけどね
盤石な状態からの氏真の活躍は計り知れないよ、あくまで期待だけど
- 45 :
- >>44
そうだよね。何とでも言えるよね。武田勝頼だって信玄時代より広い版図を支配した。なのに武田家の滅亡は止められなかったんだ。
だから氏真が勝頼にずっと劣るとは思わない。
ただ16世紀後半の戦国時代末期、先代の所領を全うして、次代に引き継げた例って少ないんだよね。
織田家だって信秀の死後は尾張4分の1からやり直しだし、信長の死後は秀吉に乗っ取られた。
その豊臣だって秀頼の代で滅亡だし、毛利も島津も縮小してるしなぁ。
ただ江戸時代まで生き残った氏真の運を思うと、もしかしたら……信長も秀吉も現れない歴史で、もしかしたら……とは思う。
- 46 :
- 松平に手こずるようじゃ氏真なんてたかが知れてる
- 47 :
- 秀忠みたいに戦が弱い例はあるんだし、
氏真も名君だった可能性はあったかもね
- 48 :
- >>42
上杉だからこそ、今川の言う事を聞くと思われる。
史実では今川義元は、武田からの要請を受けて、川中島の戦いの仲裁役になっていて、それにより謙信は兵を引いている。
今川はそれだけの権威を持った家柄で、謙信の性格はそうした旧体制に忠実だと伝わっている。
敵は、謙信が一番嫌うであろう行動をした、三国同盟を破棄して駿河に攻め込んだ武田で利害が一致。
さらに謙信が慕う足利将軍家の斡旋があれば、ほぼ確実に話に乗るんじゃないかなぁ
という憶測だけどw
北条も、史実で実際に上杉と同盟しているんだから、状況がそうなれば同盟するでしょ。
史実では同盟を破って駿河に攻め込んだ武田と敵対して上杉と同盟したわけでしょ?
今川が滅亡してないってだけで、状況的には同じなんだから、俺的には、そこを疑問に思うのが不思議。
まぁ、あくまで憶測なので、賛否両論あって当然だから、否定も肯定もしないけど。
俺の想像です。
- 49 :
- 一向宗はどうするんだよ?
この時代は宗教関連の圧倒的権益をなんとかしないと、
安定した統一政権なんか作れないぞ
- 50 :
- >>43
確かに。
隣接している大名同士は仲が悪いのは普通。
だがそこに、駿河・遠江・三河・尾張・美濃・北伊勢を領有し、足利将軍家の後ろ盾となった今川家が現れたらどうなるのか。
って考えたら、仲良くしろよって言われたら、仲良くせざるを得ないんじゃないかなって思って。
そして、足利将軍家を守るという大義名分で、三好・松永を共通の敵として据えられたら、手を結ぶんじゃないかな…と。
信長がぶっ壊したから、旧体制が崩壊してきている訳で、信長がいない前提で考えたら、足利と今川に言われたら従うでしょ。
という憶測w
尾張や美濃の平定も同じで、織田家が潰れて無秩序となった所に、権威を持った今川がやってきたら、平定はスムーズに進むんじゃないかな。
例えば尾張の守護の斯波や、美濃の守護の土岐家を今川の重臣として復活させるとかしながら平定したり。
信長が最初苦戦した(反乱が多い)のは、そういう権威がない下剋上だから、国人たちに理解されずに苦戦したと思うんだよね。
美濃に関しては、義龍は桶狭間の1560年の翌年に急死しているから、義元の相手は家督を継いだばかりの龍興。
下剋上斉藤家で、まだ、国人衆にも認められてない与し易い相手だと思うよ。
さらに信長の時より今川の戦力は数段上になるし。
三河の松平は特殊で、元々地元の豪族から成りあがって、支持率が高かったし、最初、今川は織田から松平を守るという名目で三河に絡んだから、平定に時間がかかった。
松平を生かすという目的で入り込んだんだから。
だから尾張・美濃と三河は別物だと思うんだよね。
全ては憶測。
いろんな想像ができるからIFは楽しいww
- 51 :
- >>49
一向宗ねぇ…
今まで書いたのは俺の憶測だよ。
基本的に、しばらくは足利家の後ろ盾として状況が進んでるんだから、一向宗と敵対する事は考えてなかったよw
信長があの世界をぶっ壊そうとしたから、一向宗から反発を受けたのであって、義元が一向宗を排除しようとしない限りは敵対することはないかと思うんだけどな。
俺の憶測は、畿内を制圧して家康に乗っ取られて終わってるからww
信長の考えていたような統一をしようとしたら、ぶつかる事になるかもね。
鎌倉から続くような武家政権で、今川幕府ができたのなら、そんなことはないかと。
もしくは一向宗と手を結んで、お互いの権益を守るような状況で、安定するのかもしれないし。
- 52 :
- 信長があれだけ苦心して宗教勢力からいろんな権益や領地を取り上げた後ですら、
秀吉は部下に配る領地に苦心して、自分の直轄地は二百数十万石程度しか持てなかった
(経済を抑えてたからそれでもなんとかなったとも言えるけど、
このある面脆弱な地盤が豊臣が短命になった一因でもある)
宗教となあなあとやってたら、家臣に配る領地やカネが足りないんだよ
足りる程度であれば、それだけ力が無いって事だから統一政権なんか最初から無理な話
- 53 :
- >>52
そんなにムキに反論されても、あくまで俺の憶測だって言ってるじゃん。
信長や秀吉を卑下するつもりもないし、もし桶狭間で義元が勝ってたらどうなるかって想像してみただけ。
秀吉の例は、織田から続く基準での領地配分でしょ?
他の大名がみんな織田と同じ待遇だと考えるから無理が生ずる訳で…
現代のように、他の大名家がどれだけの働きでどれだけの知行を与えられてるかなんて当時は知る由もないんだし。
それに先ほどから言っている通り、信長がいない前提での話だから、その世界は旧体制なんだよ。
権威ある今川の家臣で、大勢力であれば、反乱も起きづらい。
豊臣の場合、そういう権威がなかったから知行や金で家臣を繋ぎとめてたって考え方もできない?
だから関白という座にこだわったんじゃないかな。
織田が平氏、徳川が源氏の流れって偽ってまで欲しがった権威ってのは、当時それだけの魅力があったという事だと思うんだよね。
ただ、義元が亡くなった場合にどうなるかはわからないよ。
そういう面で脆弱な基盤だというのには反論もないし、そもそも今川が天下統一するなんて断定してないし。
だから最後は家康に乗っ取られてって曖昧なオチにしたんだって。
だからいいよ、理解されなくても。
周りを説得するつもりもないし、ただ、こうなる気がするって書いてみただけだから。
そういう考え方も面白いねって程度でいいと思うんだけどな。
- 54 :
- >>53
俺も反論してるつもりなんか全然ないから気にしなくていいよ
上の話全般に、宗教関連の言及が全くなかったから、
その辺どうよ?って突っ込んだだけなんで、考えてないならソレで別にいい
- 55 :
- 川中島で二百日も対陣して疲れきってる武田上杉
今川がパシリに川中島まで着て仲裁すればお互い和解して兵を退くだろ
謙信も今川に心服してたとかありえない
- 56 :
- 友達の少ない上杉には仲裁に来てくれる奴もいないし
仮に今川じゃなくて北条が来たら火に油だし
そんなこんなでパシリは義元に決定した 上杉も条件面で結果が出て満足して帰った
今川が将軍だから謙信がその権威に平伏したとか今川焼き脳の幻影
- 57 :
- せっかく楽しく読んでたのに
想像の世界に断言して否定してる奴はいるし
読解力のない奴はいるし
つまらん
今川が将軍?
今川に心服?
どこにも書いてないし
今川クラスの仲裁なら、家臣領民を納得させて兵を退けるって意味だろ
- 58 :
- つか、今川なんて分家末流の田舎小守護じゃん。
なんか著しく幻想抱いてるやつがいるな。
- 59 :
- >>53
>権威ある今川の家臣で、大勢力であれば、反乱も起きづらい
氏綱に攻められた時、遠江で義元に対する反乱が起きているよ。
岡崎城に代官を置いた後も、松平庶家が反乱を起こし直ぐ鎮圧、ということもあった。
三英傑に武田上杉毛利北条、戦国時代はどこも苦労しているし、義元が長生きしてれば楽勝、ということはありえないんじゃないかな。
- 60 :
- >>56
今川義元と今川焼きは無関係なんですけどねぇ
名前が同じだからって煽りに使うのは短絡的過ぎじゃあないですかねぇ?
- 61 :
- 煽りなんか短絡的で十分だろw
煽りに何期待してるんだ?w
- 62 :
- 煽りに期待なんかするわけないじゃん、その発想がわからんわ
>>60の文章で何が言いたいのか理解できないのかね?
- 63 :
- 全然わからんね
なんか短絡的じゃない煽りを期待してるっぽいけど
- 64 :
- 私は藤枝市の花倉出身なんじゃよ。
最近我が最強の武士団も
剣術の他サッカー部も強くてな。
我が今川義元家臣団は藤枝東高サッカー部で技を練っとる。
藤枝東の戦術は縦にではなく横に繋いで
両サイドを広く使って点を取るんじゃぁよ。
蟹の横歩きだと云う御仁もいるがね。
そういえば織田信長が「東なんか問題外。四日市中央工業の縦パスの方が上だ」
と挑戦状を叩きつけおってな。正月サッカーでいい成績を残したと豪語するんだけどな。
先週のプリンス杯では二対一で東の勝ちじゃった。
そういえば北条早雲からも手紙が来とったな「市立船橋や帝京が東に負けるはずはないってな」。
今から私は桶狭間に向かうんだが徳川家康からも
「織田サッカー軍団は大したことはありません。連勝楽勝」と報告が今届いた。
なんでも鑑定団 愛のエメラルド
- 65 :
- >>63
単純な話
>>56を馬鹿にしてるだけだよ
- 66 :
- 馬鹿が馬鹿にしたら馬鹿にされた
- 67 :
- 短絡的だったなw
- 68 :
- 短絡的な表現をしないと理解できないようなので…
いや、こんなくだらない話で無駄に時間消費するのももったいないよね
俺が悪かった、申し訳ない
今川義元の話に戻そう
- 69 :
- 短絡的だと主張したやつが一番短絡的だったとは orz
- 70 :
- 短絡的な馬鹿だったねorz
- 71 :
- 吉本は短絡的に討ち死にした
- 72 :
- 雪斎以外にも有能な家臣が多いよね
- 73 :
- 朝比奈や岡部とか
- 74 :
- 個人的には岡部元信が家臣の中では一番好きなんだよね
あの忠義と武勇はすばらしい
- 75 :
- ってか、岡部元信の系譜がよく分からん
- 76 :
- 親父の氏親は北条早雲を、義元本人は徳川家康を
それぞれ家臣にしてたんだよな、今川パネェ
- 77 :
- >>75
わかるのはおじいちゃんが今川の重鎮ってくらいか
正綱とは兄弟なのか親子なのか…
- 78 :
- 小豆坂で軍功を上げたとするならば、正綱よりかなり年長になるのではないかな。
- 79 :
- 小豆坂の時は正綱6歳くらいだもんね
信綱と元信の戦功がごっちゃになってるって話も見たが、どうなんだろ
もしそうなら親子説もそのせいで生まれたとも考えられる
- 80 :
- 岡部元信といえば三河武士にとっても同時代の大物だし、岡部家は大名としても存続してるのに、
なんで系譜があやふやなんだろう。
- 81 :
- 小学生の頃、山岡荘八原作、横山光輝作画の「徳川家康」に嵌ってたんだけど、
今川義元の出番が結構多かったので思い入れある
一般的にはそんなに知名度高くないけど、当時としては大勢力だったんだよね
ただ公家趣味があったみたく、お歯黒とかしてるのはなんか違和感あったね
- 82 :
- 実際に公家趣味があったかどうかを示す史料は無いよ
ただ京から下ってきた公家を保護したのは確かだよ
- 83 :
- >>82
今川義元の描写はいつも、
・お歯黒
・額に二箇所の点(よく公家の描写でされるやつ)
・公家っぽい背の高い帽子みたいなやつ
何でここまで徹底されているんだろう?
- 84 :
- >>83
まさに公家といった感じだよね
単純にそういった描写の物が溢れてるから、皆右にならえといった感じになってるんじゃないかな?
ステレオタイプというか
信長といえば茶筅髷とマント、秀吉は猿顔、家康は狸、政宗は眼帯、といったように
ただ、幕末に描かれた錦絵の今川義元は普通の鎧を着てるし、化粧もしてないんだよね
今川義元の木像も化粧は無く、公家ではなく武家といった感じの様相
誰がいつ公家風今川義元を思いついたのか…
- 85 :
- 母親が公家出身だからでは?>義元の公家イメージ
実際は八幡太郎の流れをくむ武家の名門なのに
- 86 :
- 名家だしあっさり桶狭間あっさりで討ち取られたから
戦を知らないお坊ちゃんと思われたのかもね
ただのボンボンに武田が従うはずないのにね
- 87 :
- まあ、リアルな話し、今川は源氏分家末流の足利の分家のそのまた分家の地侍に過ぎないんだけどね。
なぜか足利が異常に出世しちゃったから今川もなんか名門であるかのように錯覚する人がいる。
- 88 :
- 桶狭間と言う地名が一人歩きしてるけど、本当は田楽狭間って場所じゃないの?
義元が討たれたのは
- 89 :
- 桶狭間と言う地名が一人歩きしてるけど、本当は田楽狭間って場所じゃないの?
義元が討たれたのは
- 90 :
- 桶狭間と言う地名が一人歩きしてるけど、本当は田楽狭間って場所じゃないの?
義元が討たれたのは
- 91 :
- 桶狭間と言う地名が一人歩きしてるけど、本当は田楽狭間って場所じゃないの?
義元が討たれたのは
- 92 :
- 桶狭間と言う地名が一人歩きしてるけど、本当は田楽狭間って場所じゃないの?
義元が討たれたのは
- 93 :
- 今の通説では、田楽狭間ではなく、桶狭間山じゃないの?
- 94 :
- 説というか、布陣したのが桶狭間山でしょ。
- 95 :
- 田楽狭間って説も根強いね
- 96 :
- 田楽狭間説は、織田軍の迂回説がほぼ否定されて正面攻撃説が主流になって
から(正面攻撃説では、桶狭間山に攻め登ったことになってる)、あまり
言われていない気がする。
- 97 :
- 太田牛一の信長公記をしたじきにして小瀬甫庵が書いた
信長記に出てくるのが田楽狭間だが
史料的価値は低く、創作も多い。
太田牛一の信長公記は桶狭間山だが参謀本部の戦史に田楽狭間が採用されているため
それを参照している小説には誤りが多い。
- 98 :
- 本陣があったのは桶狭間山だが、桶狭間山で戦死したという説は聞かないな。
- 99 :
- 信長記の信憑性が疑われるようになってから、田楽狭間で戦死したという説
も聞かないな。
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