2012年09月戦国時代121: 播磨赤松氏について語るスレ (411) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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播磨赤松氏について語るスレ


1 :2006/07/20 〜 最終レス :2012/10/22
三管四職

2 :
三管四職は細川以外没落しちゃったね

3 :
赤松は結構もったほうだよ
永禄十二(1569)年迄
没落後関ヶ原も出てるし

4 :
赤松様の子孫は存在するのかな?いたとしたら姓もやはり赤松だろか・・

5 :
母方が小寺氏のおいらが来ましたよ!
播磨を始め摂津・美作・備前あたりに赤松分家の子孫は多いだろ、
赤松三十六家というくらいだからね。
別所・小寺・宇野党などなど・・・。

6 :
579 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2006/06/27(火) 03:23:57
赤松左馬助則繁だな。
当主・赤松満祐の弟で25歳の時(1424年3月14日)に
前管領・細川満元の邸宅での酒宴で将軍の側近(安東某)を要撃して殺害して逃走(殺人事件)
嘉吉元年(1441年)6月には甥である赤松教康と共謀して将軍を殺害(殺人事件)
嘉吉の乱を起こして幕府軍と戦う(国内紛争を起こし、中央軍と戦う)
幕府軍に敗北後、菊池氏を頼って九州にまた逃走。
その後、対馬と朝鮮に拠点を持ち、高麗の官軍を相手に朝鮮半島を荒らしまわり(他国侵略)
嘉吉3年(1443年)6月に来日した高麗の使節団が赤松左馬助則繁を名指しで幕府に
討伐を求める(国際問題に発展)
文安5年(1448年)正月、対馬より九州肥前に上陸開始。
少弐教頼と連合して大内教弘と合戦(国内紛争・対地方軍戦)し
教頼・則繁連合軍は敗北し、三度逃走。
河内の当麻に潜伏中のところを細川持常の命を受けた甥の赤松則尚に討たれて(同族争い)
京都で晒し首。49年の生涯でまさにやりたい放題。

7 :
>>4
旗本石野氏(後に赤松氏)
赤松円心の長男範資の後裔で、氏貞の代に石野を称す
その子氏満は別所氏に仕え、後秀吉、その後前田に仕える
氏満の子氏置は家康に仕え、旗本家康御伽衆 二千百五十石(後、三千十五石)
宝永年間に範恭が、赤松姓に復する

8 :
大名家系が旗本か・・戦国だからしかたないね〜。。私は播州在住だが赤松や別所などの姓は見たことない〔いると思うが〕、もしいたらその流れの人と思っていいのかな?っていうか、美作とかって。。勢力大きかったんですね〜〔素人〕

9 :
六 ヤリタイ放題ですねー。だが・・・そこがイイ

10 :
>>4
有馬かと

11 :
しっかし、将軍暗殺の汚名を着てしまった、満祐は悲惨だね。
義持の男色相手に惣領家を挿げ替えられそうになったんだっけ?
満祐は怒って、京の屋敷を焼き払い、自領へ・・・
そして、義教にも・・・弟の領地を取り上げて庶流の貞村に与えたんだよな・・・そして惣領家の地位も・・・

12 :
義持、義教までの足利将軍って、勝手気まま
言い方を替えると、それだけ力があったってことかな、
とこのエピソードをみて思った
そういう意味では、満祐が戦国の引き金(遠因かもしれないが)引いたのかなとも

13 :
◆御一家衆・・・本家に次ぐ地位で、足利将軍の直臣になっていたのもいる
七条家、伊豆守家、播磨守家、有馬家、上野守家、在田家、本郷家、
広岡家、永良家
◆御一族衆・・・前者よりはワンランク下扱いの赤松一族
    別所家は16世紀後半に台頭したことは周知のとおり。
下野守家、遠江守家、能登守家、宇野家、間島家、上月家、別所家、
佐用家、豊福家、得平家
◆年寄衆・・・赤松一族以外の重臣
      御一家衆、御一族衆の分家もある
浦上家、喜多野家、富田家、小寺家、中村家、上原家、堀家、櫛橋家、
依藤家、明石家、薬師寺家、城所家、後藤家、衣笠家

14 :
浦上に幽閉、暗殺された赤松義村の辞世
立よりて影もうつさし流ては 浮世を出る谷川の水

15 :
赤松則英が大名家としては末代?

16 :
なんか異説もあるようだけど、
通説では豊臣期の大名としては(江戸期には存在しないけど)、
関ヶ原で敗れ自殺した、阿波国板野郡住吉一万石の則英が
最後ですね

17 :
>>10
久留米藩ね

18 :
あげ

19 :
ネギま

20 :
赤松も政則義村、までは頑張ってるんだけど
晴政は完全に浦上の傀儡だね

21 :
赤松が一番活躍したのはやっぱ太平記のころでっか?

22 :
円心、則祐
あとは良くも悪くも満祐かな

23 :
うむ

24 :
やっぱり赤松は将軍暗殺と神器奪還が華でしょう

25 :
北畠親房って人は気前よく系図をばら撒いた人だなあと思う。

26 :
神器を奪還したのは家来だったよな?

27 :
>系図
赤松は村上源氏に非ず
てか

28 :
でも鎌倉幕府の御家人帳に名前が載ってるんだから
単なる成り上がりでもないと思う。

29 :
>>27
名和長年と赤松円心は系図でみるとともに村上天皇の16代目にあたる。
12代前の源雅兼の子の代で分かれる。
久我氏流の北畠親房は自家の系図を貸し出してやり両者を同族扱いにしながらも
久我氏になれなかった庶流として差別化しているわけ。
ようは「お前らは俺の家の子・郎党なんだぞ」と暗に言ってるわけね。

30 :
どうも護良親王を介して、円心(親王に近侍したのは則佑だけど)が親房と近しくなり、
一族に入れてもらったのが、真相みたい

31 :
織田信長の子孫→有名フィギュアスケート選手
赤松の子孫の成れの果て→萌え漫画家

32 :
あの赤松って子孫なのか?

33 :
京都にも小寺という姓があるが播磨小寺氏とはまったく無関係らしい。

34 :
紀伊徳川家の家臣で
久留米藩の有馬家に養子を出した石野って
赤松の中ではどこの系統になるの?

35 :
赤松則村の先祖で確実なのって、
宇野(山田)則景からなのか?

36 :
系図が上になればなるほど怪しくなる宿命

37 :
則景の末子家範が赤松をはじめて名乗ったといわれる
山田則景=宇野頼景で赤松は宇野氏の庶流に過ぎないとも
この則景と源季房のつながりはあやしい
紀州の石野はちょっとわかりませんが
旗本石野氏と関係あるのかな?

38 :
>>37
紀州というのは勘違いだった模様。
旗本の石野家でしたね。
石野家の系統は
このソースでは則祐の系統みたいですが

http://www.harimaya.com/o_kamon1/hatamoto/dy_hata.html
この2つのソースでは、則祐の兄(または従兄弟の父?)の範貞の系統みたいで

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/moto2.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01052b.htm#005

39 :
>>37
紀州というのは勘違いだった模様。
旗本の石野家でしたね。
石野家の系統は
このソースでは則祐の系統みたいですが

http://www.harimaya.com/o_kamon1/hatamoto/dy_hata.html
この2つのソースでは、則祐の兄(または従兄弟の父?)の範資の系統みたいで

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/moto2.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01052b.htm#005

40 :
赤松義祐は早くから信長に誼を通じていたと聞くが本当?

41 :
>>40
1569年の時点では織田軍と戦ってるが

42 :
赤松氏って昔から可愛いよね
衆道的意味で

43 :
>>40
小寺や浦上の間違いでは?

44 :
浦上はないだろ?まあ小寺か黒田さんだろうな。

45 :
>>44
浦上宗景はどうだろう?

46 :
浦上は1569年に赤松義祐と結んで織田と戦ってる。
1572年に毛利の侵攻に耐えきれず織田を頼って毛利と和睦。
1573年にようやく信長から朱印状をもらってるくらいだから
決して早いとは言えない

47 :
赤松則房が織田に従うのは、
天正元年(1573)に浦上が朱印状をもらって以降
浦上が播磨、備前、美作のお墨付きをもらったため、対抗上じゃないかな

48 :
赤松氏って結構以外な所に一族がいるから面白い
上野の小川可遊斎=赤松祐正とか常陸の川尻赤松氏一族とか

49 :
晴政−義祐−則房−則英
赤松家代々の諱って何だろ? 最後は「則」の字になってるけど。

50 :
則でいいだろうよ。系図眺めてても一番多いし。

51 :
赤松政之

52 :
家格としては四職筆頭ですかな?

53 :
領地の多さでは山名に、家格では京極に敵わないかと。

54 :
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1170859012/
ついでに投票もよろしく。

55 :
>>53
下には一色のみですか・・・。

56 :
一色氏は足利本家に最も近い庶家だもんね。(斯波は準嫡流、石塔・渋川・一色は庶子)

57 :
足利一門でもないし、赤松は四職末席だなw

58 :
元から尊氏についたのではなく南朝方を裏切った論功で四職に数えられるようになった赤松氏
嘉吉の変で決定打w

59 :
赤松則良っていう幕末〜明治の政治家がいるが、彼は子孫か?

60 :
実父赤松雄之進(後の吉沢政範)の生家は播磨の名族赤松氏の裔にして円尾を
姓として代々網干新在家で干鰯問屋を営み廻船業を兼ね、龍野藩の廻米御用を
勤め苗字帯刀を許され祖先の赤松姓に復した
ググって見つけたサイトから転載

61 :
>>58
だけど円心は悪党だから
大出世といえば大出世

62 :
江戸時代、末裔が交代寄合にもなれてないのか・・・。

63 :
>>13の各家の知行地や本拠地ってわかる人いますか?

64 :
悪党の裔ってどこまでがホントなんですか?

65 :
先祖が悪党であろうがなかろうが
末裔どものやった所業のほうが酷すぎる

66 :
北方の小説の話なんじゃ?
昔読んだが内容は忘れた

67 :
赤松政範は武勇に優れておったわ。

68 :
【四職家】一色一族を語る【丹後・若狭】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183829686/

69 :
>>49
則房と則英は親子なのかな? 兄弟とかはなし?

70 :
美作とかには領地持ってなかったの?

71 :
>>67
置塩が居城だっけ?

72 :
関ヶ原で西軍から東軍に寝返った大名で唯一死んだ(自刃)のが
斎村政広(赤松広英)だが、この人が生きていれば近世大名への道
もあったろうな。
有馬家も赤松一族だが、宗家との行動があまりに違ったから赤松家
の生き残りとはまた感覚が違うしなぁ。

73 :
>>70
美作は尼子氏の台頭により、最も早く失った領地だった。
>>71
正範は毛利方についたかなりの豪傑だったが、たしか上月城だったか。
播磨西部で一大勢力を築いていた。
宗家の置塩はいち早く信長側について先見を見せたが、時期尚早だった。
同じ信長派だったかつての重臣小寺氏との結びつきが薄くなっていたのも
痛かった。播磨は分裂しすぎたなぁ。

74 :
美作は室町中期は山名と赤松の争奪戦だったんですよね?
赤松領→直義方・山名時氏を義詮方に引き抜き山名領、
しかし義満の時代に明徳の乱で赤松領(山名氏勢力縮小)、
嘉吉の乱で山名領(赤松宗家滅亡)、応仁の乱後赤松領だっけ
そして京極(尼子)が奪ったと・・・

75 :
小寺も一皮剥きゃ黒田

76 :
>>70
上野殿の末裔が久米南町の端の方に残ってたみたいだけど
浦上滅亡と同じ頃に宇喜多に攻め取られた。

77 :
則英や斎村政広の身の振り方でなく、
政則の時代まで遡って、どうしていたら
近世大名へと生き残れたか考えてみたいな。

78 :
>>49
赤松家周辺の武将で「範」の字を付けてる奴は、「則」を憚ったのかな?

79 :
>>78
赤松宗家でも「範」を用いる人はいるので、当人の好みで則と範を使ったのかもね

80 :
漢字よりも読みが大事らしい

81 :
このスレの前のほうで出てた旗本の赤松(石野)氏満がウィキに追加されてたよ

82 :
あんまり伸びないねこのスレ。
赤松氏は赤松氏特化サイトがあるからなぁ。
朝倉やってるとこ並に詳しいから、便利だし。

83 :
>>82
日本史板のほうに同じ名前のスレがある。
あと有馬スレともかぶるからね。

84 :
別所って赤松さんとこじゃどんな位置づけなんすか?
浦上さんは?

85 :
>>84
浦上は重臣筆頭格、別所は新興家臣。
赤松氏を頂点とする構造では、断然、浦上>>>>>>>>>>>別所

86 :
>>84
別所は家系こそ円心の弟から始まってるけど、政則を支えたのは浦上と小寺だった。
別所が東播磨であそこまでの力を持ったのは政則の養子の義村以後じゃないかな。

87 :
小寺さんは苦労した割りにあまり報われない。良い人っぽいけど

88 :
浦上則宗が傑物だったからなぁ。
それでも姫路、御着に勢力あったし、黒田官兵衛という家臣もいたんだから
信長方に常についてれば、うまく脱皮できたかもなー。
結局小寺家は逆に黒田家の家臣になっちまったんだよな。
ていうか、播磨はそもそも大きく分けて4分裂してたし、これがもっとまとまってたら
かなりの勢力になれたろうに。

89 :
赤松家臣の小寺・浦上・別所・松田がそれぞれ豪族化してたからなー。
こいつらが赤松当主を頂点に結束してたらさぞ威勢を張れたろうに……w

90 :
赤松だけで置塩、龍野、上月の3つに割れたのが痛かったな。
置塩と龍野は和解したからともかく、上月はあれだけの力がありながら
毛利方についちゃったからな。
ゲームにほとんど出ないから知名度は低いけど、力は龍野以上だったかもな。

91 :
播州皿屋敷の話に微妙に小寺が絡んでる件について。

92 :
番町皿屋敷の元ネタだっけ

93 :
>>92
皿屋敷ネタは割とポピュラーな怪談。
けっこういろんなところにあったりする。
岩波書店から出てた都道府県別の昔話の全集にそれぞれが載ってるのを図書館で読んだことがある。
と思いながらウィキ見たらやっぱいろんところにあるみたいでちょっとホッしたw

94 :
>>90
毛利方に付いた上月城を落とした後に入ったのが、尼子勝久・山中鹿之助の一党だっけ?

95 :
上月城は血生臭い歴史の連続で幕を閉じた感じだなー。

96 :
毛利はその後上月城に誰も入れなかったのかな?

97 :
>>90
西播磨における龍野の衰退と上月の成長は、織田方の龍野・別所対置塩本家・浦上・小寺連合の
争いで龍野が官兵衛と浦上宗景に大敗したのが大きく影響したんだろうね。
>>94
上月赤松+宇喜多援軍→尼子勝久→宇喜多家臣(上月氏)→再び尼子→毛利による包囲
>>96
近くの利神城に1583年頃には宇喜多家臣(服部勘助)、関ヶ原合戦後は平福藩池田氏が入り
上月城に代わって佐用郡一帯を治める立場となった。
上月合戦以降の上月城は、幾度の落城でどれだけの損害があったか分からず
そのまま廃城になったのかもしれないけど、支配はおそらく宇喜多家臣の誰か?

98 :
>>96
廃城になったような気がする。

99 :
上月城は対立の最前線じゃなくなったから
宇喜多には不用だったのかもね。

100 :
戦国で赤松と言えば誰だろ?

101 :
龍野の赤松下野守政秀じゃね?

102 :
勢力で言えば龍野の政秀か上月の政範だろうな。
少なくとも本家よりは遥かに大きい勢力だった。
政範はゲームにほとんど出ないせいで知名度はいまいちだが、
政秀に勝るとも劣らない気骨のある豪将だった。

103 :
知謀に長けた晴政はダメですかな?

104 :
美青年が多い家系だったらしい。

105 :
俺は、赤松家の末裔なんですが、皆さんの方が、詳しいですね
祖父の生前に、もっといろいろ聞いとけば良かったと、今更ながら後悔してます・・・

106 :
>>105
菩提寺の過去帳見に行って明治以前の経歴を調べてくるといいぞ。

107 :
知り合いに赤松範忠の曾孫って人がいた。
家紋とかすごいこだわりがあったなぁ。

108 :
>>106
ありがとう
今度、纏まった休みが取れたら、調べてみます

109 :
範忠は石野の後裔だね。

110 :
石野は赤松の庶流から始まってるけど、今や唯一系譜がはっきりしている家系だな。
結局関ヶ原の時点での立場や身の振り方でほとんど決まってるね。
西播磨の斎村も亀井に濡れ衣着せられるという不運はあったが、最初から東軍に
属せばよかったわけだしな。一族揃って西軍ってのは利口ではなかった。

111 :
1987.5.24に男爵に叙せられた赤松則良は 石野だよね。

112 :
そのころは石野が赤松の主流になったいたのかな

113 :
浦上の台頭を抑える方法はあったかな?

114 :
>>2意味がわからん。
京極は江戸初期、出雲隠岐二ヶ国を領する大大名。
分家も丹後全域を領する国持ち大名。
畠山も河内の戦国大名で頑張った。
一色も丹後の戦国大名で頑張った。
山名も因幡の戦国大名で頑張った。
斯波赤松が守護代等に追われ衰えたのは分かるが、
それならば細川京兆もだろう。
細川幽斉は管領家細川京兆とは別物じゃない。

115 :
早い時期に浦上に取って替わられたわりに 後まで頑張った方さ赤松。

116 :
早い時期に下剋上されちまったから一般的には話題に上ることもないという…
浦上はもう少し知名度あってもいいと思う

117 :
>>116
盛り上げてくれよ。
ザ・浦上氏
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154943603/

118 :
関東で名を上げた赤松常範の話題はここまで出ていませんか。

119 :
川尻赤松氏か。渋いなー
もっと研究の題材になっていいよね。
>>116
たしかに東播磨での勢力は縮小したけど、
西播磨は龍野の赤松政秀、上月の赤松政範の2期に渡って
勢力を確保していた。
それぞれ黒田、秀吉に敗北して没落しちゃったけどね。

120 :
嘉吉の変も含めて、節目節目で「何でそこでそう言う行動するの!?」って疑問が抑えきれない一族ではある。

121 :
世の中に多い「何故、あの人があんな犯罪を……」って感じだな。
領国も多くなく、四職でも末席みたいな扱いなのに。

122 :
やってる事無茶苦茶なのに、意外と回りから憎まれていないのも不思議だ。

123 :
義教のお陰。

124 :
義教の一件はむしろ「よく殺ってくれた!」と当時は皆が心の中で思ったはず。

125 :
尼崎の上坂部の赤松家出身ですが赤松円心の墓も近くにあるのですがやはり末裔だろうか?母方なのでもう一つ調べられないけどね。あと小寺とか縁を感じる姓が尼崎には多い

126 :
>>124
光秀みたいなもんか

127 :
義教と一緒に殺されたり大怪我されたり、義教に取り入って上手い汁吸ってたのにダメになった奴とか
いろいろ貧乏籤ひかされた奴もいるよ

128 :
>>125
家紋は?

129 :
三巴?ですが代々神社にある赤松円心の墓は大事にするよう言われるてます。江戸時代は庄屋をしていています。本家は二両引を冠婚葬祭では使用してますが過去帳(元禄年間)は農民系の名前でした。

130 :
>>129
江戸時代は帰農してたんですかね?

131 :
>>124
それだけの存在感はあったんでしょうね

132 :
そういや応仁の乱のときも、空気読まずに赤松さんが講和に反対して、山名が自殺未遂したり
細川が出家騒動起こしたりで、大変なことになったな。

133 :
>>124
一門の一人が首とられて一緒にさらされちゃった山名一族は大怒り

134 :
嘉吉の乱の時に赤松の屋敷に居たのに無傷で逃げ仰せた持豊の悪運には言葉も無い。
取り逃がしたのは痛恨だったな

135 :
すぐに講和ムードにならなかったのは赤松のほかに畠山もね。
まぁ、この両家は目的があったからな。

136 :
赤松不人気だな

137 :
将軍や皇族に害を加えた松永もびっくりの悪党だからな。

138 :
>>134
もともと将軍以外はR気なかったらしいけどね
義教怖がってたのはどの守護もそうだろうっていう読みもあったし
山名の一門の守護の首もとって義教と一緒に晒しちゃったから
山名一門大激怒で赤松崩壊

139 :
首が晒されちゃったのは山名熈貴?

140 :
>>138
播磨と但馬は隣国だったし、山名とは不仲だったのかも?

141 :
>>140
めちゃめちゃ仲悪い

142 :
逆に細川は手加減してたっぽい
畠山は一度家督奪われた持国が弟の持永を殺して強引に家督復帰中
赤松に味方した直冬の孫の誰かが庇護を求めにいったけど
持国にあっさり断られて幕府復帰の手土産にされてる

143 :
赤松と細川は比較的いいって事かな

144 :
>>143
応仁の乱以降は特に、山名への牽制もあるしね。

145 :
大内と細川はずっと仲が悪い。
山名と細川は良好な時期もある。

146 :
赤松age

147 :
>>145
つーか、応仁の乱の直前くらいまでは、畠山に対抗するためにも
同盟と言っていい関係だった>細川と山名

148 :
あげ

149 :
>>147 婿さんだから

150 :
結局大内の扱いで決裂した

151 :
大内と細川は仲悪いから

152 :
貿易利権で対立してたからな

153 :
赤松は細川寄り、山名と仲が悪い

154 :
嘉吉や討伐も含めて怨念が深い。

155 :
細川も山陽に勢力張ってるからね。

156 :
瀬戸内を押さえる構想ありだね。

157 :
斎村政広の子ってみんな死んじゃったの?

158 :
次郎右衛門 善右衛門か。

159 :
誰それ?という感じだね。

160 :
赤松の直系は?

161 :
>>160
絶えた。
現在残っているのは傍系。

162 :
なるほど。そうなんだ。

163 :
石野とかですか

164 :
石野は子爵だっけ。

165 :
嘉吉後によく生き残ったと思う。でも室町期は完全に滅ぼされないのが普通かも。

166 :
山名も大内もか。やったことのレベルは違うが。

167 :
室町的だね。

168 :
赦すいうことをしなければ、室町初期に誰もいなくなる

169 :
江戸幕府とは違うから。

170 :
赤松農水大臣

171 :
赤松の由来はどこだ? 赤松庄とかあるのん??

172 :
>>171
播磨国にあった赤松村が元。
赤松村は佐用郡と赤穂郡の境目に位置し、
明治の廃藩置県で基本的に赤穂郡に属したが、一部は佐用郡に繰り入れられた。

173 :
もともと播磨の土豪なのね。

174 :
【東播磨】別所氏を語る【三木城】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1256229478/
旗揚げしました。何卒よしなに。

175 :
>>173 南北朝期に急拡大したわけか。

176 :
農水相は子孫?

177 :
赤松だらけの民家あるぞ

178 :
花粉で大変だな

179 :
嘉吉の乱を起こしておいて、よく御家再興が果たせたな。
神璽奪回って、播磨守護にも匹敵するほど大事なものなのかね?

180 :
山名の牽制に必要だった

181 :
浦上村国って地味に名臣だな。
晴政家臣で村宗と渡り合えたのこいつぐらいじゃなかろうか。

182 :
>>179
嘉吉の乱の時に、細川持之は実は知ってたんじゃないかって話もあるしね。
後々、お家再興に子の勝元が後押ししてるし、ありえない話ではないだろうね。
背景にある山名宗全の存在が大きいんだけどね。

183 :
ガセネタだったけど、巻き添えになった
大内持世あたりはそう信じ込んでいたらしいね
大内と細川の仇敵関係の構図は山名衰退後もずっとつづくから
根が深い

184 :
利権争いって恐ろしいね

185 :
>>182-184
赤松は首謀者じゃなくて、鉄砲玉ってことか……。

186 :
簡単に信じるなよ

187 :
浦上村国って最後どうなったの?

188 :
【『年報赤松氏研究』第2号(2009.3)目次】
開催報告
 福武学術文化振興財団助成 第4回・第5回赤松氏研究会開催報告
特集「赤松氏研究の最前線」
 小林 基伸 戦国末期の播磨における地域権力と荘園
 野田 泰三 戦国期赤松氏研究の課題と一、二の試論
 矢田 俊文 戦国期播磨国権力構造に関する一視点
          ―越後など諸国との比較から―
論文
 森脇 崇文 豊臣期宇喜多氏における文禄四年寺社領寄進の基礎的考察
研究ノート
 大西 泰正 宇喜多氏家臣の叙位任官
 渡邊 大門 播磨国赤松氏および被官人の官途について
          ―隣国受領名官途の在地効果説をめぐって―
文献目録
 渡邊 大門 赤松氏文献目録稿
おしらせ
 濱田浩一郎『播磨赤松一族』新人物往来社 刊行のご案内
投稿規定
【『年報赤松氏研究』創刊号(2008.3)目次】<残部僅少>
開催報告
 福武教育文化振興財団助成 第3回赤松氏研究会開催報告
論 文
 山下 晃誉  天文前期の播磨における尼子氏勢力の動向
 渡邊 大門  戦国期赤松氏の領国構造
研究ノート
 竹内 智宏  室町幕府と赤松氏 ―申次赤松満政の活動を中心として―

189 :
【『年報赤松氏研究』第3号(2010.3)目次】
論 文
 大西 泰正 宇喜多秀家と豊臣政権
 苅米 一志 明応五年備前国金岡県西大寺化縁疏并序の成立 ―龍澤天隠をめぐる人々と観音信仰―
 光成 準治 中・近世移行期における村落統治と法 ―備前・美作国を中心に―
 渡邊 大門 戦国期依藤氏の存在形態
研究動向
 片山 正彦 近年の宇喜多氏研究をめぐって
書 評
 森脇 崇文 濱田浩一郎『播磨 赤松一族』新人物往来社
文献目録
 渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2009年1月〜12月分・補遺)

190 :
播磨 赤松一族
著者名: 濱田 浩一郎【著】
出版社/発売元:新人物往来社
発売日:2009年 01月 出版
サイズ:227p 19cm(B6)
発行形態:単行本
ISBN:4404035624第1章 赤松一族の草創
第2章 南北朝動乱と赤松氏
第3章 嘉吉の乱
第4章 赤松再興と応仁の乱
第5章 戦国時代の赤松氏
第6章 落日の赤松氏
税込価格:2,940円

191 :
渡邊大門『戦国期赤松氏の研究』岩田書院(2010年5月刊行/定価 7,900円・税別)
<目次>
序 章 赤松氏研究の現状と課題
第一部 赤松氏と守護代・国人層
第一章 西播守護代赤松政秀の権力形成過程
第二章 東播守護代別所則治の権力形成過程
第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏
第四章 赤松春日部家の基礎的研究
第五章 美作地域における奉公衆の研究
付論1 戦国初期の宇喜多氏について
付論2 中近世移行期における宇喜多氏の権力構造
第二部 戦国期赤松氏の領国支配構造と展開
第一章 戦国期赤松氏の領国支配の構造
第二章 戦国期赤松氏の領国支配の展開
終 章
あとがき

192 :
>>191
まだ読んでいないが買いました。

193 :
age

194 :
日本史板の赤松氏スレがついに落ちたので、保守age
http://www.unkar.org/read/kamome.2ch.net/history/1143937207
赤松氏研究はまだまだこれからの分野だから、まずは各地方の資料をまとめる所からだろうなぁ。
大きく分けて、大名時代の播磨・備前・美作、旗本時代の上総、有馬氏の筑後。

195 :
斎村政広(赤松広秀)の竹田城がスレになってたage
【天候】竹田城跡が「天空の城」に・・・近畿でこの秋一番の冷え込み
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1288847415/
近畿地方は4日早朝、気温が大阪で8.4度(平年11.7度)、
奈良で4.1度(同8.3度)を記録するなど、
各地で今秋一番の冷え込みとなった。大阪管区気象台によると、
昨夜から晴れが続き、地表の熱が奪われる放射冷却現象が起こったためという。
明日から週末にかけては高気圧に覆われ、最低・最高気温とも平年並みに戻る見込み。
兵庫県朝来(あさご)市の竹田城跡では幻想的な雲海が現れ、
日の出とともに訪れた写真愛好家らがカメラに収めていた。
冷え込んだ朝に近くを流れる円山川からの朝霧が立ちこめ、
標高353メートルの山城は「天空の城」を思わせる光景となる。
.
ソース
http://www.asahicom.jp/national/update/1104/images/OSK201011040043.jpg
http://www.asahi.com/national/update/1104/OSK201011040040.html

196 :
久留米有馬って仮冒だろ

197 :
赤松氏の一族が摂津の有馬に領して有馬氏になり、
関ヶ原などの功績で久留米21万石を拝領した。
元々九州にいた有馬氏とは全く別だが、仮冒ではなく、
こちらはこちらで由緒ある有馬氏で、赤松一族だよ。

198 :
有馬温泉付近を本拠に三魔とかいわれ義政期の悪人扱いされた有馬持家の直系子孫。
確かに初代は庶流(本家の従弟)だが母親は細川澄元の娘。

199 :
子孫がたいしたこと無いとか言ってなかった

200 :
尼崎の小寺姓だけど親戚が 赤松、三田の小寺姓と見合い
結婚ってのが4人。なんか繋がりがあるのかな?
最近ルーツ探ししだしてちょっと興味持ち始めたとこでよくわかんないんだけど

201 :
>>200
小寺姓というだけでは何とも言えない。
失礼ながら明治の新姓で何のゆかりも無い人が
赤松だの何だのと名乗っているケースの方が多いし。
本当に子孫であれば菩提寺があるはず。
菩提寺があれば過去帳があるはず。
それらが無いとなると怪しい。
系図は何のあてにもなりません。
系図屋という系図を捏造する商売が流行った時期が
あり、かなりの家が系図を捏造してます。


202 :
〈〈201
ありがとう 
自宅にあるボロボロ過去帳見たけど解読不能な文字大杉 
宝永?没1708年の人が一番古い記録っぽいってだけしかわかりませんでした。しかも戒名のみ 
怪しいですよね
菩提寺に行って確認してみます

203 :
さすがに今の時期の小寺氏だと赤松氏との縁はかなり薄いだろうね。
関西における赤松家と小寺家は系図上は断絶しちゃってるからね。
たぶん元々関西に多い姓で、歴史的には繋がりのある姓ってことで縁があったのかもね。
旗本として系図が明治期までハッキリしている江戸周辺のほうで赤松や有馬だったら
調べればすぐに繋がりは発見できると思う。

204 :
晴政は義晴から一字もらってるけど、義祐は義輝?義昭?のどちらだろ?

205 :
有馬持家

206 :
義の字は義則以来の伝統でしょ。晴政の親も義村だしな。
その義則は元々は足利義詮からだと思うが。

207 :
渡邊大門『宇喜多直家・秀家』ミネルヴァ書房(2011年1月10日刊行予定/定価3,000円・税別)

208 :
『戦国期赤松氏の研究』なら読みたいけど高いなぁ。

209 :
>>206
代々将軍から拝領してるんじゃないの?

210 :
播磨赤松氏の庶流の斎村政広の所に、源頼政由来の獅子王剣が伝わってたのは何故?

211 :
赤松政秀の息子だっけ?

212 :
>>210
血縁はないはずだが、いつ誰にもらったものかは不明。
政則あたりが将軍からもらって、代々伝わったのかもなぁ。
>>211
政秀(政則の庶子の孫)の子で、七条系の義村の家系より血統的には正統に近いんだよな。
亀井茲矩に陥れられなかったら、いい大名になってたろうな。
嫁の宇喜多秀家の妹は離縁したほうが良かったかもしれんが。

213 :
今年は、江戸期赤松氏研究でも頑張るか。
それなりに資料集めメドは立ってきた。

214 :
>>213
がむばれw

215 :
>>212
遅くなったがありがとう。感謝。

216 :
>>213
成果が出たら報告頼むぜ

217 :
有馬
石野

218 :
摂津有馬は赤松則祐の五男義祐の末裔という、赤松氏の庶流。
有馬則頼の活躍で久留米藩として栄えたが5代で絶え、大身旗本赤松範恭の従弟の則維が養子に入り、
以後この家系が幕末まで続く。伯爵。
旗本石野・赤松は赤松範資の末裔という、赤松氏の庶流。
赤松政則の養子となる事で惣領家入りした赤松義村の弟の末裔で、有馬則頼の娘婿の石野氏満の家系が
生き残り、大身旗本として交代寄合となり、外国奉行、軍艦奉行など要職を歴任し、幕末まで続く。男爵。
有馬を語るのに石野・赤松は欠かせず、石野・赤松を語るのにも有馬は欠かせない。

219 :
有馬則維は旗本石野・赤松の氏任の弟で、わずか300石の則員の子だが、
元々は有馬家の分家旗本有馬規故の養子になっていたから、最初は有馬本家を
継ぐ予定はなかったのかな。
30〜50倍の領主になれるとわかっていたら、本家のほうを入れちゃうだろうし。
幕府も絡んでいたようだし、色々と事情があったんだろうけど、気になるな。
また、則維は栄達を果たしたが実家にはどんなメリットがあったのか。
宝永年間に有馬の家督を継ぎ、同じ宝永年間に本家の範恭が赤松の家名を正式に再興しているから、
そのへんに絡んでるのかもしれないな。
日光奉行という要職で2000石の足高もあるし、この後も幕府の要職に度々就いているしね。
ただ、やはり21万石に比べると、パっとしない気がする。

220 :
てすつ

221 :
ネタ投下。男爵赤松則良について。
御家人吉沢雄之進の子で、祖父は赤松良則。
赤松氏の末裔で赤松政秀がかつて領有していた龍野で干鰯問屋をやっていて、名門の末裔と大商人だった事とあり、
名字帯刀を許されたとある。
則良は良則の娘の子で、造船関係に関わるきっかけとして大身旗本で幕末の軍艦奉行赤松範静がいた。
この赤松範静の範の文字をとって、則良は息子に範一と名づけたとするのが有力。
範は七条赤松家でよく使う文字で、基本勲功ではあるが、旗本赤松家の名跡を継ぐような形で、男爵を拝命
したと考えるのが自然だね。
則良は静岡藩に移ったけど、実は赤松範静も静岡藩に移った形跡がある。

222 :
やはり、渡邊大門『戦国期赤松氏の研究』岩田書院(2010年5月刊行/定価 7,900円・税別)を読まないとな。特に、15世紀半ばから16世紀末頃までの内容は、めちゃ詳しいぜ。参考になる。
<目次>
序 章 赤松氏研究の現状と課題
第一部 赤松氏と守護代・国人層
第一章 西播守護代赤松政秀の権力形成過程
第二章 東播守護代別所則治の権力形成過程
第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏
第四章 赤松春日部家の基礎的研究
第五章 美作地域における奉公衆の研究
付論1 戦国初期の宇喜多氏について
付論2 中近世移行期における宇喜多氏の権力構造
第二部 戦国期赤松氏の領国支配構造と展開
第一章 戦国期赤松氏の領国支配の構造
第二章 戦国期赤松氏の領国支配の展開
終 章
あとがき

223 :
近所の図書館に入荷したぜ。
一般的によく知られてないのが西播磨や美作だよな。

224 :
>>221
庶民が名字貰っただけで血統的には播磨赤松とは無関係?自称子孫?

225 :
>>224
旗本赤松家は大身旗本で有馬とかなり濃い親戚で、江戸初期から名家の末裔が
よくなるとされる御伽衆だったり、寛政系譜にも載ってるから、播磨赤松家の末裔
とするのは良い。というか現在唯一確証を持つに値する赤松家の血筋だね。
一方で赤松則良はたしかに怪しいと思ったほうがいいだろうな。
母方の祖父の血統が江戸時代から龍野藩で赤松姓を許されたとあって、
当時から末裔として藩レベルで認知されていたのは確かだろうから
いわゆる明治の新姓(完全自称)とは違う。
この一族と旗本赤松家の関係についてはまだ研究中。
何かしらの関係を持ったのは範静と則良の立場を見れば明らかなんだが。

226 :
渡邊大門『戦国期赤松氏の研究』岩田書院(2010年5月刊行/定価 7,900円・税別)は、西播磨にも触れている。それより、渡邊大門『宇喜多直家・秀家』ミネルヴァ書房(2011年1月10日刊行/定価3,000円・税別)が刊行されて、備前や美作のこともよくわかるようになったな。

227 :
>>221
へえー
名門扱いは受けていたんだね

228 :
赤松円心に1票

229 :
有馬頼底
当主の従兄弟だったのか

230 :
情報提供だぜ。
 『年報赤松氏研究』第4号(98ページ)が刊行されました。申込方法は、次の2種類になりますので、よろしくお願い申しあげます。なお、この機会にバックナンバー(3号のみ在庫あり)を同時にご購読いただけると幸いです。
【誌代+送料】
 誌代1,000円+送料180円=1,180円
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 申込に際しては、@必要な号数を記したメモ、A180円分の郵便切手+郵便小為替1,000円分を同封し、下記まで郵送しててください。
■送り先
 〒341-0037 埼玉県三郷市高州3-458-1-21 渡邊大門
【複数冊の購入】
 @4号を2冊購入される場合は、誌代2,000円+送料290円となります。
 A3号と4号を購入される場合は、誌代2,000円+送料290円となります。
 なお、上記以外で複数冊を購入される場合は、郵便料金が変わりますので、あらかじめご連絡をお願い申しあげます。
【『年報赤松氏研究』第4号(2011.3)目次】在庫あり
論 文
 中 脇  聖 戦国期一条氏の家領維持政策に見る福原荘と幡多荘
 畑  康 明 戦国期播磨国における「地域権力」の形成過程
          ―播磨国清水寺を通じてみた依藤氏を中心に―
 渡邊 大門 美作国後藤氏の権力構造
書評と紹介
 片山 正彦 大西泰正著『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』
 中村 直人 渡邊大門著『戦国史研究叢書7 戦国期赤松氏の研究』
文献目録
 渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2010年1月〜12月分・補遺)
投稿規定・バックナンバー
【『年報赤松氏研究』第3号(2010.3)目次】在庫あり
論 文
 大西 泰正 宇喜多秀家と豊臣政権
 苅米 一志 明応五年備前国金岡県西大寺化縁疏并序の成立 ―龍澤天隠をめぐる人々と観音信仰―
 光成 準治 中・近世移行期における村落統治と法 ―備前・美作国を中心に―
 渡邊 大門 戦国期依藤氏の存在形態
研究動向
 片山 正彦 近年の宇喜多氏研究をめぐって
書 評
 森脇 崇文 濱田浩一郎『播磨 赤松一族』新人物往来社
文献目録
 渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2009年1月〜12月分・補遺)

231 :
信長の野望全国版ではデフォの播磨は別所のほうだったな。
滅亡すると赤松が出てくることもあった。
群雄伝から赤松になったけど、播磨は当時大きく分けて3勢力だったからな。

232 :
>全国版ではデフォの播磨は別所のほうだったな
(´;ω;`) ぶわっ

233 :
自称赤松って武将あんまいないな

234 :
自称浦上(堀田とか)はいるのにね

235 :
え?

236 :
古くに滅亡した家系のほうが自称元には適してる。
赤松は江戸にも続いてたし、それは難しい。
宮本武蔵が赤松の末裔なんて話はあるけどもろ戦国時代の話だしなぁ。

237 :
宮本武蔵はどうなんかねぇ

238 :
武蔵の生家とされる新免氏は赤松氏の一族と言われてるけど(円心の次男貞範の系統)、
貞範から数えて4代の家貞の代で途絶え、娘の子の貞重を養子にとって家督を継がせ、
その家が新免家だから新免を称したそうな。
武蔵の親父の無二斎はその新免氏の家老格だった平田氏の出で、新免の婿養子になって
新免を名乗ったようだな。
武蔵はその無二斎の実子でなく、養子とも言われてるから、繋がりがあるとしても縁遠いね。

239 :
養子説の場合は生家は田原氏になるね。
この田原氏も赤松の一族。家貞ってのも2人いるし、ややこしいわw

240 :
摂津有馬って家格的にはどうなの?
三魔持家の末裔だが分家。でも母親は細川澄元の娘

241 :
三魔の持家から3代後の則秀は赤松とも称されて、その子が惣領の家督候補として推されたから
このへんまでは家格は高かったんだろうね。
嫡流はそこから3代後に断絶して、重則や則頼が継承したわけでもないから、摂津有馬氏も正確に
言えば断絶してるんだよね。
則頼はその摂津有馬の分家で、あまり本家との結びつきがあった形跡はないけど、
父の重則が細川澄元の娘を娶ってるから、家格が悪いというほどなかったのかもね。

242 :
まあ有馬本家と則頼は従兄弟だったからそこまで遠いわけではない。
それに細川はあれだったから、それに便乗して嫡流争いしていたんじゃない

243 :
しかし、赤松家関係者として筑後久留米23万石の大名にまで栄転された有馬はすごいと思います
それがしは、有馬さんについて活きます

244 :
有馬家は則頼が世渡り上手だったのと、強運が何度も重なったというのがあるね。
ただ、その久留米藩の嫡流が途絶えた後に旗本赤松(石野)が跡継ぎになったって所に
面白さを感じる。
有馬のほうにまったく男子がいなかったわけでもないのに、則頼まで遡らないと繋がらない
血統(娘婿の系統)で繋げていったわけだからね。
有馬の分家も赤松(石野)が跡継ぎになってるし、単なる偶然とも思えないね。

245 :
男子いたの?

246 :
分家に結構いる。
則頼の外孫の血統からもらってくるよりは遥かに近い。

247 :
ほほう

248 :
友藤というんだけど、赤松の一族らしいです
だれか、加東市西古瀬の友藤一族についてしりませんか?

249 :
全く聞いたことがない

250 :
御先祖が依藤を名乗ろうとして漢字を間違えたとかじゃないだろうな

251 :
http://www2.harimaya.com/akamatu/html/ak_kakit.html
と思ったら嘉吉の頃にすでにあった名字みたいだ

252 :
ネットで調べてみたところ、江戸時代の先祖友藤新右衛門が札を発行していた
くらいしか分かりませんでした。
別所からわかれたそうです。
家紋は片喰で、依藤氏とかぶってますね

253 :
分布からして依藤氏と関係ありそうな気はするんだけど
なんか関係ありそうなネタをいくつか拾ってきた

依藤(推定1700人)60%が兵庫、主に西脇市。ほかに大阪。
友藤(推定730人)60%が兵庫。ほかに大阪。
伴藤(推定270人)鳥取・岡山に20%。ほかに大阪・福井。ばんどう。伴→友?

古瀬館(友堂屋敷)加東市西古瀬:友堂和泉守の居館跡か。 藤→堂?
※湯通堂(推定220人)鹿児島40%、兵庫20%。ゆつどう。
井ノ口構 上荘町井ノ口:志方家臣・依藤三河守、依藤小八郎(別所安治の末子)らの居城。
天正6(1578)年、依藤氏は三木に篭城した。加古川温泉「みとろ荘」が城址。
※治定1561〜79 安治の子、小八郎

254 :
赤松則房系は断絶?

255 :
断絶。娘の家系はわからん。
今のところ残ったと言えるのは七条系(旗本)くらい。
まぁ則房も元々七条系だけどな。

256 :
赤松則英
政54 戦61 采58 知53

257 :
関ヶ原で赤松則英、斎村政広、赤松祐高の3人の大名がいずれも西軍についたけど
これは利口じゃないね。
政広は寝返ったのに謀殺されたから不運だったが。
妻(宇喜多直家の娘)も離縁しとくべきだった。

258 :
生き残ったのは、有馬赤松家ぐらいか

259 :
赤松政元はそこそこ良将だな

260 :
有馬は頼旨の時に途絶えて、則維の代から七条赤松になってる。

261 :
>>257
領地的に厳しいんじゃないかなぁ。東軍参加を表明したところで毛利・宇喜多が大坂行くついでに踏み潰されるよ。

262 :
斎村政広は但馬だから地理的にはどっちでもいいけど、
妻が宇喜田家だから、仕方なくって感じだろうね。

263 :
そんな背景があったのか・・・

264 :
斎村政広って
うちの地元じゃ今でも「あかまっつぁん」て呼ばれて
墓碑も建ってたりするけど、
後から来た割りには、山名氏より慕われたのかな

265 :
竹田城最後の城主だからでは?
竹田城址って今は天空城として名所だしね。

266 :
短い間だけど統治もそれなりに評判が良かった。
三公七民とかいうアホみたいな低税率でちゃんとやってた。

267 :
その評判が400年後も生きてるとはとても思えないけど、
兵庫県だと赤松氏は古い領主として郷愁を感じる人は少なくないみたいね。
それにしても儒学にも通じていたし(藤原惺窩はその死を惜しんだ)、人材的にももったいなかったな。

268 :
@wdaimon
渡邊大門
『赤松氏研究会会報』第3号(PDF)を無料で送信します。どなたでも、遠慮なくお申し込みください。
申し込みは、メールでお願いします。創刊号・大2号もありますので、必要な方は遠慮なくどうぞ。
拙稿「新出の赤松政秀書状について」が掲載されています
http://twitter.com/#!/wdaimon/status/76243391662407680

269 :
age

270 :
赤松政英は中大兄皇子の生まれ変わり

271 :
政秀じゃね?
その政秀も2人いるけど。

272 :
最近播磨の赤松、小寺、別所、浦上、黒田あたりのごちゃごちゃした争いを
勉強してるがなかなか楽しい

273 :
生き残った赤松って有馬と石野だけ?
藩士でもいない?

274 :
常陸の忠臣菅谷一族が旗本になっている

275 :
日本史史料研究会研究選書4
渡邊大門著『中世後期の赤松氏―政治・史料・文化の視点から―』
(A5版 本文348頁 人名索引4頁)
多様な視点から赤松氏を分析した一冊。赤松氏の細部を追究する。

目次  
序                                            7頁
第一部 中世後期赤松氏の様相                      21頁
第二部 中世後期における赤松氏庶流                  93頁
第三部 赤松氏関係史料の周辺                      197頁
第四部 中世後期赤松氏と文芸                      239頁
結                                           335頁
     
初出・原題一覧                                   344頁
     
あとがき                                       347頁
http://www17.plala.or.jp/t-ikoma/page032.html

276 :
渡邊さん本人が宣伝してるのか勘繰りたくなってきた
まさかね

277 :
ふふふ:::

278 :
私の性は鵜野といいます。
赤松氏の侍大将の鵜野小太郎か弥太郎の子孫のようです。
現在も刀が家宝として伝わってますが、いかんせんルーツが曖昧で・・・
先祖にどこそこの家老の娘が嫁いできたとかいう話がありますが
確証もないのでほぼ御伽噺です。
どなたか鵜野家の記録に関わった方はいらっしゃいませんかね?
一応第何代目かの当主として先祖のことを知っておきたいのです。

279 :
>>222
その書籍の
「第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏」
この宇野と関係ありそうだな。
今は住んでいませんが父親までは伊和神社の側に住んでいました。
伊和神社近辺に墓地もあり、彼岸の時期には墓参りに訪れています。
しかし、なんで「鵜」じゃなく「宇」なんだろう・・・

280 :
赤松家臣に宇野氏はいたけど鵜野氏はいないですよ
たぶん、同じ「ウノ」という読みから連想して
宇野氏の子孫を自称されたのかと思います

281 :
>>280
そうですか
http://www2.harimaya.com/akamatu/html/ak_sen01.html
の鵜野弥太郎かと思ったんですが・・・家紋も我が家と同じ左巴で「これは!」と思ったんです。
もしかしたら蔵にあった巻物に何か書いてあったのかもしれないんですが、
祖父と父親が中のもの全部燃やしてしまって残ってるのがその刀だけという状況です。
嫁いできた家老の娘が誰なのかもう一度父に確かめてみます。

282 :
>>278
へーすごいね
でも代数はわかんねえや

283 :
うぼあああああああ

284 :
IDがアホだとレスまでアホになっちゃうのかw

285 :
わろたw

286 :
アホマツ氏

287 :
>>275
最近購入して読み始めたところ…

288 :
最近赤松氏関連の新著多いな

289 :
有馬氏って北条氏にとっての名越氏、北畠氏にとっての木造氏みたいな存在だったのか?

290 :
けっこう権力握ってるなw

291 :


292 :
>>289
斎村・別所のほうがそれっぽくないか?

293 :
債務らは新しすぎ

294 :
名越・斯波にあたるのは春日部家
有馬は赤松は独立性高いから小山と結城みたいなもん

295 :
独立性ならその名の通り別所。

296 :
小山・結城も末期は・・・・

297 :
親子。

298 :
うm

299 :
小山氏は小物

300 :
播磨を見ていると
当時の国人領主はみな独立勢力だったんだな
ということがよくわかる

301 :
一揆連合と揶揄される安芸と実態は変わらないんじゃないかな。
上に戴く者があるかないかくらいの違いで。

302 :
赤松はのらりくらりと凌いできた感じ

303 :
石野氏って七条家のことだったんだ

304 :
赤松義祐は5万石くらいしか、実質統治できてなかった

305 :
守護大名は所詮点の支配でしかないからな

306 :
点の支配
線の支配
面の支配

307 :
あかまつのチビの家でかわいいカモが見える
あかまつのチビの土地をわたしの部下にあげる
赤松の部下の剣にわたしのいのちが消える


308 :
順番変

309 :
何それ。

310 :
落葉松じゃね
かなり無理があるが

311 :
嘉吉の乱?

312 :
武田勝頼って信玄以上の名将だったんだな
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1317840988/

313 :
あかまつのチビの家でかわいいカモが見える→呼び出し名目?
あかまつのチビの土地をわたしの部下にあげる→?
赤松の部下の剣にわたしのいのちが消える→義教殺害?

314 :
>>313
( ^ω^)???

315 :
チビっていうなぁぁぁ     ザクッ

316 :
えええええ

317 :
播磨の状況は甲斐と同じ、みんなバラバラ
甲斐は信玄みたいな強力なリーダーが生まれたから偶然まとまれたから強かった
信玄死んだら甲斐も播磨みたいにバラバラになって滅ぼされた
播磨も赤松の血筋に信玄みたいなリーダー生まれていたら団結して強くなっていたはず
個々の能力なら優秀な武将が沢山いたじゃないか、
信玄は赤松家に生まれてた良かったのに、播磨なら京の都は目の前だ、天下取っていた事は確実

318 :
浦上をどうにかしないと思い通りには動けないよ

319 :
有馬「私たちは生きている」

320 :
浦上は織田家になりそこねた家だな。
村宗が大物崩れで死ななければ、もしくは政宗と宗景が兄弟で争わなければ…。

321 :
石野.別所「小さいですが生き残りました」
七条「名門なのに降伏駄目でした」
斎村「亀井に捨てられました」

322 :
イイハナシダナー

323 :
今、赤松氏の研究といえば、誰が第一人者なのだろうか?

324 :
七条斎村には遺児いなかったの?
室町名門御用達の細川か同族の有馬が引き取ってくれてそうだが

325 :
>>323
依藤、小林、野田等の各氏。

326 :
他にいたら、具体的に教えてくれよ。

327 :
お前

328 :
やはり赤松氏研究は人材難か。

329 :
そりゃあ、そうでしょうねぇ

330 :
赤松氏の通字は祐?

331 :
あんまり知らないけど赤松氏はたぶん楠木正成と同じ悪党出身だよね
鎌倉幕府には認められてない武士で、認めてくれた後醍醐天皇のために戦った
楠木はそのまま後醍醐天皇と共に滅亡したけど赤松氏は途中から足利尊氏側に
ついたので室町幕府では播磨を中心にけっこうな所領をもらってた気がする
悪党出身の2家だけど明暗がわかれたな

332 :
赤松は御内人では? まあ元守護の播磨島津も悪党化する世の中だけど

333 :
そもそも悪党の定義は同時代でもはっきりしてない。
反体制、反社会的な悪党行為をしたものは、立場関係なく「悪党」と呼ばれていた可能性が高い。

334 :
>>331
wiki見てきた
立派な御家人だせw
確かに悪党が鎌倉幕府に与できないのは当然だが
御家人は北条家の奴隷じゃないのも事実。
責務を果たさない頭領に従わないのが封建制クオリティ。
悪党ってのは、公権力の庇護に入ってない在野勢力の総称ってところじゃね?
赤松みたいな血統書付きは悪党って範疇に入らないだろ

335 :
まあ中世の言葉によくあるが、足軽などと同じく「悪党」も、名詞であり動詞であり形容詞なんだよな。

336 :
まあ公権力(幕府・朝廷)から見た呼び名だし
また悪人と言うより猛々しいと言う意味が強い

337 :
龍野赤松どこいった

338 :
>>317
部下に浦上、小寺、黒田、別所、宇喜多、
長船、岡、戸川、花房、明石、、
人材には苦労しなさそう

339 :
独立心強そうだがw

340 :
ほんと、赤松の家来(ほぼ独立しちゃってるのかもしれないけど)って
すごい名前がゴロゴロしてるよね うまく統率できれば毛利にかわって
山陽・山陰の覇王になったかもしれないし、織田にかわって首都圏を
制圧してたかもしれない

341 :
晴政・義祐親子の対立がなく政秀がうまく補佐していたらあるいは?

342 :
たつの市埋蔵文化財センター開館5周年記念特別展
「西播磨の戦国時代 赤松氏の興亡」
平成23年11月12日〜平成24年1月29日

343 :
赤松氏は、なぜ、親信長だったんでしょうか?

344 :
アンチ三好だったから

345 :
赤松家はどの時期まで権力をもってたのかわからんな〜〜
浦上と宇喜多、小寺と黒田の関係も主従関係のような同盟関係のような・・・

346 :
久留米有馬は本当に赤松の血を引いてるの?

347 :
>>334
赤松は三好に助けてもらった経緯があるからアンチではないだろう
普通に織田信長=足利義昭=幕府→播磨安堵・・・この流れだろう
三好がどうのこうのよりも浦上の方を何とかしたいはず


348 :
スマソ
×>>334→○>>344


349 :
>>346
海賊王 藤原純友の子孫だよ

350 :
>>349
有馬違い

351 :
>>348
村上源氏
北畠具房の末裔だよ

352 :
義村の代に浦上を屈服させられていたら戦国大名化できたかもね

353 :
義村はいい線行ってたと思うんだがな、浦上村宗も失脚してあとは討伐するだけだった。
まさか2年後には何もかも奪われて自分が座敷牢にぶちこまれる事になろうとは。

354 :
(´;ω;`) ぶわっ

355 :
>>342 オールカラーで写真が豊富、良かったですよ。
■特別展「西播磨の戦国時代〜赤松氏の興亡〜」図録(A4版・70ページ)の購入方法について
価格:1,000円、送料:80円
※2冊以上希望の方は、たつの市立埋蔵文化財センターまで、送料をお問い合わせください
【郵送の場合】
 図録代金と送料の合計を下記へ振り込むか、現金書留または為替で送金してください。確認後、図録を発送します。送金の際には、氏名・住所と、書籍名と希望冊数を明記願います。
郵便振替口座  00980−9−277678
口座名義    たつの市立埋蔵文化財センター
申込み先
〒679-4392  兵庫県たつの市新宮町宮内16
たつの市立埋蔵文化財センター(0791-75-5450)

356 :
宣伝キターw

357 :
摂津有馬氏
七条系石野氏

358 :
赤松義祐 播磨5万石

359 :
五万もあるのかw

360 :
播磨って70万石ぐらいはないか?

361 :
赤松義祐はその10分の1も実効支配していないかと

362 :
石野範種の子孫がどうなってるのかご存知の方いらっしゃいませんか?

363 :
過去に書き込みしたものです。嫁いできた家老の娘がようやく聞き出せました。
安志藩の家老の娘が過去に嫁いできたことがあったそうです。
嫁いだ際に安志家の矢立を嫁入り道具として持ってきたらしく、実際に今でも自宅に保管してありました。
鵜野弥太郎が先祖かどうかは分家なもんではっきりと調べることはできないとの話でした。
中途半端だけどとりあえずご報告まで。

364 :
>>363
報告乙
嫁入り道具がどれだけ揃っているのかわかりませんが
それを拝むことができて羨ましいです

365 :
>>364
家にあったのは矢立のみです。安志家の家紋入り。
http://www1.axfc.net/uploader/Img/view.pl?dr=1468782373&file=Img_136612.jpg
何代目の誰の家老の娘かなど細かい情報は祖父祖母が亡くなってるためわかりません。
父親曰く小作料を取ってた家だから分家(うち)は武家ではない。本家なら武家の可能性アリとの話でした。
また刀見る機会があったら写真撮ってうpしてみます。

366 :
>>365
うp忝い!
しっかり堪能させて頂きました
やっぱり古き品は萌えます

367 :
ほほー

368 :
播磨って小雄群立で人材の宝庫だね
糾合できてれば相当な勢力になれたんじゃないか?
惜しむらくは抜きん出た雄がでなかったことか

369 :
織田と毛利の間の緩衝地帯ってかんじだな

370 :
秀吉は播磨を根拠地にして天下をとった。

371 :
>>369
播磨だけに限らず中国から近畿は国衆の力が強いから毛利も織田も手を焼くしかない
緩衝地帯という捉え方は結果論だと思うよ

372 :
義祐の器量はどうだったのかな
政才はそこそこありそうなんだが

373 :
>>372
足利義輝のような悲哀を感じるよね

374 :
義輝ほどじゃねえな

375 :
うm

376 :
>>360
播磨の支配なんてほぼ失ってただろ

377 :
せやな、小寺のほうがマシやった

378 :
小寺?それはないわ

379 :
播磨は雑魚ばっかりだな。黒田だって余所者だし。

380 :
まあけっこう大きな国だから統一者はいなかったようだなあ
織田と毛利の間の空白地帯ってかんじだ

381 :
>>379
赤松満祐の乱が無ければ・・・・。

382 :
そしたらもっと影がうすく・・・

383 :
満佑

384 :
赤松義祐はイケメン

385 :
はげしく同意w

386 :
自演乙

387 :
一族の有馬豊氏が筑後久留米23万石、国主格待遇を受けました

388 :
(#^ω^) ビキビキ

389 :
義祐救援という名目で出陣している以上は宗景は攻撃してこず龍野を攻め立て、また則
房も戦意は無かった。11月には池田勝正・和田惟政・伊丹忠親らが政秀救援に駆けつけ
たが同月中に政秀が浦上に降服したため、ほとんど戦うこと無く畿内へと戻っていっ
た。また、則房も浦上が播磨を去ると置塩に戻っている。翌元亀元年(1570年)に息子
則房に家督を移譲し隠居する。隠居から6年後の天正4年2月15日(1576年3月15日)に死去。

390 :
研究会千葉に引っ越ししたのか

391 :
>>390
えっ

392 :
赤松広隆は末裔なの?

393 :
赤松なんて播磨には山ほどいる。まあ何かしらどこかとつながっているのかもしれんが

394 :
赤松の子孫は播磨に散らばっている
ってこと?

395 :
>>394
というか播磨は赤松由来を名乗る連中だらけだろ

396 :
久留米有馬氏って赤松の傍流って触れ込みなんだが、本当にガチなのか?
いまひとつピンとこない

397 :
そんなピンと来るとか来ないとかで判断されても…
有馬は紛れも無く一門。

398 :
>>395
そりゃ、播磨守護を二百年もやっていれば、国中に一門が居るだろう

399 :
だからこそ播磨はクソ面倒くさい事態になった

400 :
400get!

401 :
赤松家の1560年頃の直接動員兵力ってどれくらい?

402 :
5人

403 :
>>402
ぶちこるすぞこら

404 :
きゃーこわいー

405 :
のぶやぼだとことごとく低能力の一族ってイメージが強いな

406 :
実際、戦国中期から末期は何も功績ないからな
浦上や別所のが活躍してる

407 :
黒田大河で赤松政秀は悪役で出番あるかなぁ

408 :
最近の大河の傾向見てると如水を引き立てるために、必要以上に馬鹿で無能な武将扱いされるのがオチだろう

409 :
政秀の存在ごと青山・土器山の戦いも、あっさりスルーする気がする<黒田大河

410 :
まぁ最近の大河どころか播磨灘物語でも、播磨の豪族は、
黒田家以外は、どうしようもない田舎者の馬鹿の集まりとして
描かれてるので、登場してもいいことは一つもないだろうけどね

411 :2012/10/22
播磨灘物語だと、別所長治は若いだけが取り柄、赤松広秀は見るからに愚人だったっけ?
そんな広秀さん、見たくないなあ。
まあ、出てこないとは思うが。
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