2012年09月戦国時代34: 【津】藤堂高虎 主君二人目【今治】 (725)
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【津】藤堂高虎 主君二人目【今治】
- 1 :2008/11/16 〜 最終レス :2012/10/27
- 今年は津入府400年だそうで・・
引き続き高山公について語りましょう
前スレ
藤堂高虎
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157003463/
藤堂高虎家訓200箇条
http://blog.goo.ne.jp/ota416/c/f6c53dc92b7c97d7318f65f91137c977/1
藤堂高虎逸話集
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/toudoutakatora.html
藤堂高虎公入府400年記念事業公式ホームページ
ttp://www.tsukanko.jp/takatora/
- 2 :
-
,.__y⌒'ー---┐ /彡三 __ミVヽ イソィ
/ -┼‐ ナ丶 \_ /ソ/ 、ゝミ ヽ イヘ _へ、_、__,.ヘ、___
} (才 tナ l/// ヘヾ 、ゝ イ ゝ´
f´ '´ / ヽ、 <ミ ゞV ト | ト、 ハ ソ r´
l つ /へノ / _≦ミ ミハ | _|」|ト リハ } vリ彡> ┌´ ( 聞 ど
{ -‐ァ -‐ァ、、 } .f´l }´l三 ソ ;彡气ミly ソ_,,仏ミ> ヽ ) こ う
.} (,__ (,__ .l´i.|-l =l.=⌒ミ| ,ィッ'ラ,. !k;劣^lf' } ( え も
.) r‐、 { |.-| _.| _}_{ f ムl ''´. ∨"' |´ _,. { ) ん
└-、 f´ ,f {.-| "l "l ヽ、ハ ヾミソ l =_,, -''_. 〈 ( な
ゝ ゚、_,,,,,,. -ゝ/ .| ⊥┴ └ V' ハ ,ィニニ1_,,-_''>-'''´ヽ_ノ )
/ / / | 丶 彡-:ト、 fニニニゞ''/´ ).〉´) (
/ :/ / | ヽ /´ ト.´ 、 =' / ハト、 // ´)
/ / l _,.ィ{ ; Y ノl.| \>、,,____/ / l l // ┴----、-、 __,,.、rー-
_{,. -‐'''´ そヽ、_ ,.丶_/、\\ ト、ミノノ / | |_ノノ>,.´イヽ ̄| ´ ':l-、
_,.┬''''´ ∧、ミ=≦ 三/ __l_\\ \_ ./ / f´イ<彡 =ミ\| | ´'-、
ト、丶 ノ} ´'ヽ、‐--/テテニニニ丶ヽミ、| / / l ∠ ノ ヽ__ |. |
\\ /人、 / /// ,.オ,ニ弋\ l y / l と,. (_ ) -' | l
r''>\\/ イ, / 〉// レ ノ __ヽ\ヾ.l / / | ヾヽ_l _} fノノ|. l
>ニつ//ヽ; / /∧| rへ ( ) f'ーl l | / / トミ===-‐ <| l
- 3 :
- >>1
乙です!
2スレ目突入とは嬉しい
- 4 :
- 高虎Tシャツ、だそうな
ttp://www2.imgup.org/iup730906.jpg
- 5 :
- 長束正家が気合入れていれば、勝てたんだよ
- 6 :
- >>1乙
スレタイ吹いたw
- 7 :
- >>1乙
この間、実伝藤堂高虎を買ったんだが素晴らしいね
津と伊賀しか売ってないのが惜しまれる
- 8 :
- >>7
上野公園でのイベントで売っているかと思ったけどなかった。
イベントで上野動物園内の高虎のお墓参りして来たよ
初代高虎から10代までのお墓がありました。11代は駒込にあるんだよね。
- 9 :
- >>4
イラストがかっこいい 兜もかっこいいな どこで売っているの?
- 10 :
- >>9
4じゃないけど彦根のしょうぶ屋かな?
ネット通販もしてた気がする
- 11 :
- 通販してるのならちょっと欲しいなw
- 12 :
- シロモチ君のブログには笑った
http://blog.goo.ne.jp/shiromoti
- 13 :
- >>9
ここだね
http://www.syoubuya.com/?pid=6663132
- 14 :
- スレタイの主君二人目って誰だったっけ?
信長?
- 15 :
- 阿閉さんじゃない?次は磯野家か
- 16 :
- 浅井長政→阿閉貞征(貞秀?)→磯野員昌→津田信澄→秀長→秀吉→家康だね
秀長に仕えた時は21歳。苦労したんだろうな
- 17 :
- 秀長家臣時代にようやくその苦労が報われた感じだな
- 18 :
- 解答dクス。
信長の直臣だった時期があったような気がしたが気のせいだったようだ。
- 19 :
- これだけ支えてた家が滅んだり没落してたりするの見てると色々考える事思う事あるだろうなぁ
- 20 :
- やっと安泰した家に仕えたと思ったら
横槍による跡継ぎの変更→その跡継ぎがポックリ→廃絶だもんな
- 21 :
- >>16
秀長と秀吉の間が秀保だね。
そして家康の後が秀忠→家光。
合計10人、有名どころだと最多じゃないかな。
浅井・阿閉・磯野・信澄で合計5年前後。
若気の至りとは言え、ホントに転々としてたんだな。
たとえ腕に自信があったとは言え、やっぱり若い時は短気だったんだろうね。
- 22 :
- >>21
秀保や秀忠・家光は代変わりだから主変えにはならないかと
逆にそのカウント方式なら秀吉の死から江戸幕府設立までは名目上秀頼の家臣
- 23 :
- 自分から主君を替えたんじゃなくて、
主君本人がいなくなちゃっただけだもんな。
- 24 :
- それなら、磯野→信澄もそうならね?
あれも磯野出奔で養子の信澄に家臣一同スライドじゃなかったっけ?
- 25 :
- これだけ主君を見てきたなら、理想の主君像も具体的にはっきり
描いてそう。それにより近かったのが家康だったのかな…。
- 26 :
- >>24
磯野も養子縁組で半ば乗っ取られた形だね(一例は北畠信雄と神戸信孝)
その時に一部の家臣が付いていったみたい
出奔は1578年。信長の息子二人の養父が隠居させられたり暗殺されてるから
これも家督を譲るよう強要されたんだろうな
員昌の息子はのちに石田三成や高虎に仕えたそうだ
- 27 :
- >>25
一番合ったのは秀長かなと思う
- 28 :
- 家康についてはあの時点で逆らっても取りつぶされるだけ
高虎自身も大身になり家康以外に仕える相手がいなかった
- 29 :
- 秀長配下で家康との取次ぎをやってたのが高虎だからね。
その頃に家康と高虎の私的な交流もあったらしい。
よく言われる「秀吉死後に家康に露骨に擦り寄った」てのは違和感あるんだよなあ。
そもそもこの二人、ウマが合ったんだと思う。
ただ、関が原の頃は完全に家康シンパの高虎と、福島あたりとは温度差があったんだろう。
仲が悪くなったのはその頃からなのかね?
黒田長政ともその頃仲が悪くなった事を考えると、
長政もその頃は完全に家康に心服してなかったのかね?
- 30 :
- 家康への温度差と言うより、忠誠心競争で仲が悪くなる事も多い。「宮廷社会」の特徴。
- 31 :
- でも忠興とは仲良かったんだよな。
- 32 :
- 長政は幕府関係者さえ引くくらい卑屈プレイしてたからな
- 33 :
- 親父の黒官とは播磨時代以来の間柄で、
関が原の後も家康への取り成しを頼んでくる仲なのに、
なんで息子とは仲悪くなっちゃったのかねえ?
- 34 :
- 長政と忠興の仲の悪さも有名だな
- 35 :
- 藤堂家と黒田家の縁談話が結局破談になって、
細川家に「あそこの仲の悪さはガチ」なんて書が残ってるんだよなw
- 36 :
- スレ違いだが黒田家と仲の悪い大名家といえば細川家と並ぶのは藤堂家よりむしろ蜂須賀家では?
長政と蜂須賀家から嫁入りした正室の離縁の遺恨が明治時代まで続いたとか
- 37 :
- 根に持つタイプだったのかねえ?>長政
高虎と市松が仲悪かったのは何となく分かるw
- 38 :
- 黒田は肥後の加藤くらいしか友達が居なかったっぽいな。
藤堂、伊達、細川、島津、蜂須賀、丹羽、立花、
この辺は外様の仲良しグループだったっぽい。
- 39 :
- 復活組の丹羽、立花と伊達が並んでるのってなんか違和感あるな
- 40 :
- 黒田と細川ってコンビのイメージあるのに仲悪いんだよな
- 41 :
- >>37
福島正則も巷間伝わるような乱暴な武辺者じゃなくて
いかにも豊臣系武将らしい兵站と迅速な部隊機動に長けた武将なんだけどな
シラフの時はw
- 42 :
- 当時の大名同士の友好関係についての話だけど、大谷吉継と高虎って
仲良かったのかな?
関ヶ原の戦いの後に吉継の墓を藤堂家が建立したという伝承が残って
るらしいから、この二人はそこそこ良い関係だったんではと考えてるんだが
- 43 :
- それは湯浅五助の忠義に感じ入ったからでは?
まあ、敵将にも礼を尽くす人だからかも知れんが。
ところで、関ヶ原では藤堂玄蕃が戦死しているんだが、元は秀次家臣で、
この時も国元の留守居役の任を捨てて参戦しているんだよな。
これはやっぱり三成憎しで動いたと見ていいんだろうか?
- 44 :
- >>43
レスサンクス。
なるほど湯浅五助の逸話は有名だし、その線はあるかもね
浅学ゆえ藤堂玄蕃については知識が無いです。しかしそれが事実とすると高虎
のみならず幅広い人物から恨みを買ってたんだなあ、三成という人は
- 45 :
- ゲームで義理のパラメータが100点満点で1だったりするんだけど
それはあんまりだろ
- 46 :
- 三重(津)出身の女の子に高虎の話をしたら、「誰それ?」
って反応だったけど、地元じゃ有名じゃないのかね?
高虎祭りとかないよね?聞いたことないけど。
- 47 :
- もし本当に三成憎しなら、同じ秀次配下で若江八人衆に数えられていた
奴らの大半が三成のとこにいたことはどう思ってたんだろうな>藤堂玄蕃
- 48 :
-
●● 無限にお金が増えていく方法を編み出した ●●
日本人も、日本人国籍を貰える。
人殺しの犯罪者、多額の借金持ちが別の人間に生まれ変われる。
★★★★ 戸籍も複数持てる ★★★★
@中国・韓国・日本の犯罪者が、お金持ちの子供として戸籍を手に入れる。
Aお金持ちの戸籍上の親をRか、相続争いで資産ゲット。
B前の戸籍では前科が付いたので、さらにべつのお金持ちの戸籍を子供として手に入れる。
Cまたお金持ちの親が死んで財産ゲット。振り込め詐欺より簡単。
【資産争奪の無限ループの完成】
一人暮らしのお金持ちの資産家ならその後継者に合法的になれる。
自分の孫や子供や配偶者が人質に取られたら、認知に応じる老人。
何回でも借金が出来る。脱税し放題。
離婚訴訟で奥さんと子供から逃亡可能。男女とも複数同時婚姻も可能。
国際テロ組織・スパイ組織が、日本国籍を複数所持し、国際テロ・国家や企業秘密取り放題。
国内のみならず、海外に大迷惑を掛ける為、テロ支援国家日本誕生。
「国政改正法案」
- 49 :
- >>47
三成が秀次を陥れたという説は、冤罪説も根強くあるからね
当の高虎自身も同じ近江人だし、三成個人とはさほど険悪ではなかった
のではないだろうか
三成襲撃の七武将に高虎が入る説もあり、いまいちはっきりしないが…
- 50 :
- そもそもその七武将が本当に三成を憎んでいたかどうか怪しいからな
対立は確かだが、単なる派閥争いかもしれんし
- 51 :
- いわゆる三成襲撃事件を主導したのは、蜂須賀家政と黒田長政の二人らしいね。
- 52 :
- もともと毛利家の取次ぎ(全権)を
如水と正勝が担当してたけど(国割りの頃から)
如水が失脚して三成が任せられる頃には
相当冷戦状態になってたんじゃまいか
- 53 :
- >>46
あるよ。高虎のお祭り。
ただし、津まつりの一部だけど。
- 54 :
- 秀頼が滅んだ後、大阪城が欲しいとか言い出した家康の何番目かのガキを
「テメーなんめてるのか!」とボコボコに〆て紀州(和歌山)で
我慢させたんだよな、さすがだよ。
- 55 :
- 頼宣の話だな。
遠江→駿府→紀伊と移封する時に
「オレ、大神君様と一緒で狩が趣味なんだけど、紀伊は鶴がいないからやだ〜!
だったら大坂にしてくんない?」
て言ったら高虎が
「大坂なんて豊臣の恨みの残る地に、徳川の若様が行っちゃいけません!
しかし、ワシは昔粉河にいたけど、確かにあそこは鶴がおりませんな〜。
よし、ワシは狩をしませんから、伊勢で狩をなさいませ。鶴も多いし」
後の南龍公を諭す高虎。この頃になると、ホント親戚のおじちゃんみたいだw
- 56 :
- 高虎って大柄(180cm以上)で、体中に合戦傷があって
右手の小指と小指がちぎれてなかったんだろ。
年取っても、こんな恐ろしいジジイに、徳川一門の若造といえども
ビビるよ。
- 57 :
- 関ヶ原での高虎軍2900、大阪冬夏の陣5000でいいのかな。
- 58 :
- >>53
今年は400周年だったけど、どういうつながりか安めぐみが来たそうだなw
- 59 :
- 高虎の逸話って言うと
主君7回かえないと一人前じゃないってのしか知らないんだけど
他に有名なのってある?
- 60 :
- >>59
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-4.html
- 61 :
- >>56
京の公家衆なんてもっと怖がってただろうよw
- 62 :
- 高虎 「頼宣ちゃん、今年のみかんはまだか?」
十男坊「すいません、まだ収穫ができたないようで」
高虎 「アホンダラ!江戸にはもう届けているそうじゃねーか!
俺のことナメているのか?おう!」
十男坊「申し訳ございません、すぐにお送り致します。。。」
高虎 「礼儀ってものがわかってないんだよ、お前は!」
十男坊「高虎のオヤジ様、本当に申し訳ございませんでした」
- 63 :
- 虎視耽々って漫画あったけどあれを史実の高虎と思う奴はいないだろ
- 64 :
- >>59
一番有名なのは出世の白餅の話かな
ここに結構載ってる
http://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/toudoutakatora.html
- 65 :
- >>60、64
ありがとー、高虎は来年の大河は出るかねえ
- 66 :
- 津で署名集めていたらしいけど、高虎主役の大河が見たいな。
エピソードが多過ぎて一生を追ったら一年じゃとても足りなさそうだが。
まず紀行のコーナーには事欠かないだろう
城とか城とか
- 67 :
- 地元のお偉いさん方はガチで狙いにいってるな>大河
NHKへの嘆願も会長じゃなくて実際の選考スタッフの方に持って行ってるし。
火坂雅志も「私の作品の中では虎の城が一番面白い」と太鼓判押していたそうな。
いいのか天地人w
- 68 :
- まあ、長編じゃ確かに虎の城が一番面白いw
- 69 :
- 本当なら今治市も多いに協力したいところだろうが
400年祭と新都市(という名の広大な空き地)計画で余力使い果たしてるうえ
司馬遼マニアの市長を擁する松山市がNHK大河特番をもっていっちゃったからなぁ……
- 70 :
- >>66
> 城とか城とか
そうだな。あとは城とか城とかだな。
- 71 :
- ネタ少なくて一年もたないと言われた直江が大河
になったんだし、ネタ豊富な高虎がなれないわけがないとおも。
無理にネタを作る必要もないのだし(逆に削るのも難しいんだろうけど)。
- 72 :
- 最終回は死ぬとこまで?
- 73 :
- 歴史マニアやかなりの歴史好きなら藤堂高虎を知っているけど
一般的にはマイナーな武将なんだよな。
この秋の東京上野のイベントみたいなのをもっとやって欲しいな
上野公園の東照宮や動物園内の寒松院なんで誰も知らない、おれも知らなかった。
高虎ってどんな人?をもっとアピールしていかないとね
- 74 :
- なんて人って聞かれると、体がメチャクチャでかくて武勇も凄くて頭も切れて時勢も読める人です、
って言う、チートそのものの人物像になってしまうなw
- 75 :
- 若い頃、空腹のあまり餅を20個無銭飲食したんだけど
店主が逆に感服してしまった人って言えばいいよ
同じく食い逃げ未遂をした家康とは意気投合したという
- 76 :
- そろそろ通年じゃなく半期、というか2クール大河復活してもいいじゃないかねぇ
- 77 :
- いや、ホントに知れば知るほどチートに見えるんだよなw
上手く作れば、これほど万能主人公がハマる人物も数少ないと思う。
- 78 :
- チートでもいいけどw、万能というよりは苦労と機転の人かなぁ。
(主家取り潰しなど)やむを得ない事情も含め転身を繰り返し、
腕っぷしに頼らず技術を身に付けて上に進んだ。
今の時代にこそ受け入れられそうな人物だと思う。
大柄なのに部下への気配りなんかが細かいよね
- 79 :
- 毎回課題を与えられクリアに奔走してたら、万能のチートな人になってたイメージw
補給やら兵站やら算術やら鉄砲指揮やら水軍指揮やら築城やら交渉やら情報収集やら……
漢字の読み書き苦手だったのが信じられん技術官僚&政治家ぶりだしな。
- 80 :
- 前半生はただの猪武者で
さまざまな特殊技能を修得した後半生には逆に体力は衰えていただろうから
実際はチートでもないかと
- 81 :
- 今日、津の寒松院に行って来た。
松寿夫人の墓はあったが、久芳夫人の墓は無いんだな。
何だろう、晩年は疎遠になってたのかね?
ちょっと気になった。
- 82 :
- 丹羽長秀から養子をもらってたらしいね。
- 83 :
- 正確には長秀本人からもらった訳ではないから違うな
- 84 :
- >>82
藤堂高吉の事だね
高虎以上に激動の人生を歩んだ一人だと思う
図書館に藤堂高吉の生涯と言う本もあったな
- 85 :
- 藤堂高吉は優秀だったが運がなかった。
- 86 :
- 運も戦国大名の器量
- 87 :
- まあ最終的に陪臣とはいえ万石取りの大身武士で終わってるから運が悪かったとも言い切れん
丹羽家にいたって最終的に10万石の大名家で藩主の庶弟がそれだけの禄をもらえるとは思えんし
大和大納言家なんて初めから継げるはずがなかった
- 88 :
- ただ藤堂家の跡取りだけはまだ芽が合ったんだよな
それでも義父に実子が出来たことで義理の従兄弟秀次のような憂き目に遭わなかっただけマシかと
- 89 :
- 高校時代の同級生に藤堂君ってのがいたが
今思えば信長の野望のグラフィックにそっくりだったような
もしかしてね
- 90 :
- >>88
秀次や悪い話スレの市松なんかを見ると生き残っただけよしとすべきかもね。
「衆目一致する後継者の養子→実子誕生」は古今東西もめる元だからねえ。
秀忠のお側衆(だっけ?)やってた丹羽家の実兄は高吉の扱いに激怒してたらしいが。
- 91 :
- 養子の後継者と実子ってものの並存は、間違いなく家を二分させるからねえ。
応仁の乱を見れば明らか。
- 92 :
- 丹羽の小倅らしく野心の無い良識有る人物だったみたいだな。
本家との仲は最低最悪だったが。高虎の葬式出なかったりとか。
- 93 :
- 高次が高吉を恐れていたんだろうよ。
江戸への使者を差し止めてたりするし。
高虎死亡時で高次が29歳。
高吉が24歳年上の53歳。しかも武功もあり治世の実績もある。
血筋を抜きに個人としてどちらが次期藩主に相応しいかは一目瞭然。
- 94 :
- >>93
> 高吉が24歳年上の53歳
新藩主になるには歳食いすぎだろ流石に
- 95 :
- 高次からすると嫌な存在だな。
名張から出て来てほしくないだろ。
- 96 :
- また高吉にとっては不幸な事に幕閣が世代交代していて、
高虎死去の頃には高吉の事を知る人間がいなくなってるんだよな。
丹羽家から養子に来た経緯とか、
秀吉や家康に目を掛けられていた事とか。
- 97 :
- 元当主の養子というと毛利家の秀元がいるけど
これは元々毛利家の人間だったこともあって、藩主の座こそ実子秀就に譲ったけど実質的に
義父輝元の亡き後は秀就を傀儡に毛利家の実権握ってた。
あとは黒田家の黒田忠之と義理の叔父である黒田一成の確執もあるな。
一成は藩祖如水の恩人の子ということで養子になり、先代藩主長政とは兄弟同然の間柄と
いうことで如水死後は長政と折り合いの悪かった三家老に代わり重臣筆頭のような位置に
ついていたから実質的に黒田家のナンバー2だった。
忠之が暗愚と見られてたため、黒田家家臣は長政死後は何事もまず一成に相談したのみ
ならず、島原の乱に黒田家が参陣したときも幕臣が忠之を差し置いて一成に連絡や相談
をしてきたので忠之が面目をつぶされたとか
- 98 :
- 斯波畠山の両管領家に将軍家まで起こった養子と実子の相続争いの挙句起こった
応仁の乱なんてものもあるしな。
- 99 :
- 黒田一成
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E4%B8%80%E6%88%90
戦国期の家督争い・御家騒動・内乱を語る
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224768422/
- 100 :
- まあ、黒田さん所はなあ。
- 101 :
- この高吉と高次の関係を踏まえてみると、高吉の蟄居も別の見方が出来るんだよな。
自他共に認める後継者の高吉22歳の時に松寿夫人が輿入れして、
2年後に実子高次誕生。
高吉が加藤家と騒動を起こして蟄居したのがその3年後。
高虎が留守の時に自分が後継者だとアピールしようとして焦ったのかも。
そして、幕府からも咎無しとされた高吉を蟄居させた高虎にも、
何か思惑があったのではないかと見えてしまう。
- 102 :
- 松寿夫人って輿入れしてきたの?
どこかの姫だった?らしいけど
遊女あがりの側室だったとなんかの本で読んだけど
遊び慣れてなかった高虎を虜にするくらいは
簡単だっただろうなって思っていた
- 103 :
- 内股膏薬と当時から言われていたらしいが、主君を次々変えるのが
当然の世の中ならそんな表現は出てこないと思います。当時としても
やはり変節漢の印象がぬぐえなかったんでしょうな。
- 104 :
- >>103
> 内股膏薬と当時から言われていたらしいが、
言われてませんよ?言われていたと言うならその記録を教えてください。
- 105 :
- ガキの頃、Rをモチで包んで食わせたり
無茶苦茶な野郎だったんだろ
- 106 :
- 秀吉の死後は秀頼に拝謁すらしてないからな
二股膏薬どころか完全に乗り換えてる
「二股膏薬」の意味をわかってないのでは?
- 107 :
- つーか二股膏薬って片桐の事じゃなかったっけ?
- 108 :
- >>102
松寿夫人は但馬の長連久の娘で、宮部継潤の側室。
継潤の死後、知己の高虎が引き取ったとされている。
大坂の遊女と書かれた書物もあるけど、おそらくアンチ高虎のネガキャン。
- 109 :
- 秀頼に拝謁していながら大坂城を攻撃した諸将の方が、
現代の視点から見れば悪人だろう。
- 110 :
- 現代の視点で見ても何の意味も無い事くらいわかるだろ
- 111 :
- >>107
完全にそうだな
大阪城と駿府を行ったり来たりw
- 112 :
- 高虎ってパワプロだとオールB(一個くらいCあるかも)って感じだな
- 113 :
- 津市の教育委員会が編纂した「高虎さんのはなし」を買ってきた。
簡潔で分かり易くまとめられてるな。
御落胤の話は知っていたが、こういう流れだったとは知らなかったよw
- 114 :
- >>113
よければkwsk
- 115 :
- >>113
この辺の書籍関係は津や上野に行かないと手に入らないのかな。
東京の上野公園でのイベントでも書籍関係が何も無く残念だった。
- 116 :
- >>114
お待ち。
時は天正十三年、高虎が粉河に入った頃の事。
粉河寺は秀吉の紀州攻めで灰燼に帰していた。
この地を治めるには寺の復興が不可欠。
高虎は寺の再建に取り組んだ。
また神輿を贈って伝統の粉河祭りを復活させ、
自らも僧兵に扮して祭りに加わり盛り上げた。
そんな夜、侍女として仕えていた地元の娘に手をつけてしまった。
高虎は娘を外に嫁がせたが、娘は既に高虎の子を宿しており、やがて男子を生んだ。
時に高虎29歳。
実子高次が生まれる17年近く前の話である。
高虎が我が子を引き取らなかったのは、
三年前に結婚したがまだ子が出来なかった久芳夫人に遠慮したのかね?
- 117 :
- >>116
ありがとう。なるほど、こんな状況だったんだ。
しかしアレだ、こうやって若い頃から寺の再建とか任されているうちに、築城ノウハウも
得ていったんだろうな。とも思った。
- 118 :
- 二股膏薬 風見鶏 変節漢
- 119 :
- >>112
ダビスタだとST持続ダート適性気性無難で宝塚記念辺り勝ってそう。
- 120 :
- 藤堂高虎…田村亮
- 121 :
- 状況が不利になると乗り換えるってことはさ、本当に困ったときには助けてくれないってことだよな
- 122 :
- >>121
状況が不利になってから乗り換えているわけじゃ無い。
有利も不利も無い時期に既に移り変えている。
- 123 :
- 豊臣から徳川以外は仕えてる所が潰えてから何だが・・・
- 124 :
- 浅井、津田、阿閉も潰れてからじゃない
状況が不利になったから乗り換えたわけでもないが
- 125 :
- 状況悪化云々より自分と合わないから離れたというか、模索してた感じだな
- 126 :
- 浅井、阿閉、信澄の所は、若さ故の過ちで、
短気起こして飛び出しただけだと思うがな。
旧主家が滅びたのも偶然だし、
高虎の先見性を褒めるのは贔屓目に過ぎると思う。
また、落ち目だから逃げ出したと言うのも誤り。
浅井はともかく阿閉や信澄は、
本能寺の変がなければ滅びるような所じゃなかった。
- 127 :
- どうしても高虎を節操のない悪者にしたいヤツがいるな
- 128 :
- 日本史板の方がレベル高そうだから移動するわ
- 129 :
- >>126
藤堂高虎のエピソードって、割合、古い恩を返すという話だったり、
大谷刑部や豊臣秀長の菩提を弔ったとか、そういう義理堅さのような
エピソードが多いんだよね。
>>127
外様なのに、徳川体制でも大きな信頼を受けたことに対する
やっかみのようなものがあったのかもしれんね。
おまけに、幕末の津藩の寝返りっぷりもあるし
- 130 :
- 128
二度と来るんじゃねーぞ、タコ!
- 131 :
- 高虎が二股膏薬とか言ってるやつって
未だに田沼意次が賄賂政治家とか
徳川宗春が無駄遣いした馬鹿殿とか言ってるやつと同レベルだという自覚ないんだろうなw
- 132 :
- >>129
信澄の息子や磯野、阿閉の子弟も
自分が大名になってから召し抱えているんだよな。
まあ、身代が大きくなって、人が沢山必要だった側面はあるんだが。
外様にも譜代にもやっかみを受ける立場だよなぁ。
- 133 :
- いってみたけど日本史板の方がレベル高かったよ
- 134 :
- ただ過疎なんだよね。
- 135 :
- :江戸幕府将軍家 - 飛騨国や甲斐国など天領400万石。(この数字に知行所を持つ旗本・交代寄合の石高300万石は含まれない)。
1位:加賀藩前田家 - 加賀国、能登国、越中国の3国の大半を領有。加賀国金沢城(金沢市)。102万5千石。
2位:薩摩藩島津家 - 薩摩国・大隅国の2国、及び日向国の一部、南西諸島を領有。薩摩国鹿児島城(鹿児島市)。77万石。
3位:仙台藩伊達家 - 陸奥国の一部を領有。陸奥国仙台城(仙台市)。62万5千石
4位:尾張藩尾張家 - 尾張国と美濃国及び信濃国の一部を領有。尾張国名古屋城(名古屋市)。62万石。
5位:紀州藩紀州家 - 紀伊国と伊勢国南部及び大和国の一部を領有。紀伊国和歌山城(和歌山市)。55万5千石。
6位:熊本藩細川家 - 肥後国の大半。54万石
--------------------------------------------------------------------------------
7位:福岡藩 - 47万石
8位:広島藩 - 43万石
9位:長州藩 - 37万石
10位:佐賀藩 - 36万石
11位:彦根藩 - 35万石
12位:水戸藩 - 35万石
- 136 :
- たかが32万石のくせに態度がでかいんだよってのが本音だろ
- 137 :
- 高虎が管理してたのは250万石ほどあったけどな。
- 138 :
- >>135
会津藩と越前北の庄藩が抜けてる
それと熊本は高虎生前なら細川家ではなく加藤家だったはず
よって細川は小倉で40万石だ
- 139 :
- 虎さん生前なら会津加藤家60万石もあったな
- 140 :
- 32万石でも十分でかいけどな…
ところで「虎の城」皆さん読んだ?
- 141 :
- >>140
読んだ。ホントにアレを大河にすればいいのにって出来だった。
- 142 :
- 小説として楽しめて読めた。
ただ、「悪漢から助けたらそれが〜」のパターンを
秀長と久芳夫人の両方で使ったのはどうかと思ったがw
- 143 :
- 槍の一突きで岩を割ったとかいうのは逸話として残ってるの?
いくらなんでも無理がありすぎるように感じたが・・
- 144 :
- 火坂氏は天地人でボロクソ評だから、虎の城に手を
出したいけど出せないでいた。
素直に買ってみるわw
- 145 :
- >>143
ヒント:火坂は伝奇作家
- 146 :
- ちょっと重たくて長いけど 高虎400年東京上野イベントで
http://www.woopie.jp/video/watch/856f44f54975bc23?src=new&page=1
- 147 :
- なんで虎なん
- 148 :
- >>147
親父の名前が虎高。
その親父の方の「虎」の字は、武田信虎or上杉輝虎に貰ったとされている。
ちなみに、母親の名前も「とら」だったりする。
- 149 :
- おんな太閤記に高虎キター!
……けど、石田や増田と一緒に長浜城で育てられたって、
それはちげーだろw
- 150 :
- >>149
今見てるけど秀長の配下じゃないのかよw
脇坂・平野・糟屋あたりと間違えてんだろけどなんて緩いドラマwww
- 151 :
- >>150
近江出身だから近江衆と一緒にされたのかねぇ?
まあ、この手のドラマに詳しい考証事は求めないけど、
せめて秀長配下にはして欲しかったなぁ……
- 152 :
- とんでもドラマの話は荒れるからやめろ
不毛だ
- 153 :
- >>149
つーか増田長盛も古参ではあるが小姓出身組じゃないじゃないかw
三中老とか一柳直盛とか毛利勝信とかあっちと同じ組だろ
- 154 :
- よく考えたら秀吉が長浜に来てからの家臣だから旧木下組時代からの尾張組とも別枠だな
- 155 :
- おまけに秀長配下だから、秀吉直臣の連中とは別枠だしな。
家康に仕えた時も三河譜代ではない外様だし、
保守本流には縁遠い立場だよな。
- 156 :
- >>155
154は増田長盛の話ね
高虎は別枠どころか厳密には譜代ですらないからなぁ
秀長家臣を譜代に含めるなら話は別だが
- 157 :
- 豊臣家の家臣を譜代と外様ってどうやって分けるんだよ?
前田はどっちだ?
- 158 :
- >>157
秀吉の配下大名の色分けに関しては
・古くから秀吉に付き従っていた者、子飼い
蜂須賀、前野、三成、清正、正則など(高虎も一応このポジションか?)
・旧織田系
前田、蒲生、細川、丹羽など
・織田時代の秀吉同盟者系外様
宇喜田、黒田など
・外様
徳川、上杉、毛利、伊達、島津など
こんな感じかね?
- 159 :
- >>158
蜂須賀・前野は実質的には秀吉配下でも一応信長存命時は織田家直参の寄騎
だから織田系じゃね?
- 160 :
- >>159
それを言うと、秀長まで立場としては、信長から派遣された寄騎って事になっちゃうからなあw
まあ、秀吉自身が織田の軍官僚出身なわけで、織田家と言う枠の中で、「古くからの秀吉派」と、
そうでない連中とに、やはり秀吉自身も分けていたように感じるのだが。
- 161 :
- 秀長って信長から直接禄貰ってたっけ?
秀吉の代理として伊勢や紀伊に出陣した時には秀長個人に信長から感状や褒美が出てるけど
- 162 :
- >>161
途中から信長の旗本に編成されてなかったっけ?>秀長
- 163 :
- 少なくとも本能寺の時点では信長の直轄地じゃなくて秀吉支配地の但馬が領地
だから秀吉の下に戻ってるな
- 164 :
- 保守age
- 165 :
- 幕末の藤堂家ってどんなかんじ?
- 166 :
- 高虎と関係ねえし
- 167 :
- ここは何板か考えて質問しようね
おバカさんw
- 168 :
- 身長190cm 体重110kg超
対人戦闘では戦国最強だったんだけどな。
- 169 :
- だから若い時の不遇も自業自得な部分があったんだと思う。
周りが自分より弱いから、自惚れてた所があったんだろうね。
- 170 :
- 秀長「武士の働きとはな、力ではない。心じゃ!」
高虎「心…!?」
こんな少年漫画的展開
- 171 :
- しかし終生その短気は治らず
- 172 :
- リアリストの高虎に心とか・・・w
- 173 :
- >>172
「技」とか「知恵」ならいいのかw
- 174 :
- 高虎は大きすぎて動きが鈍いほうだったんじゃないのか?
全身傷だらけすぎないか
- 175 :
- パワー&タフネスのタイプだったんだよ。
偵察に行って、鉄砲で撃たれても逃げ帰ったとか、
槍で刺されても血糊拭いて誤魔化したとか。
- 176 :
- 火坂さんの講演会では 若いころは常に一番槍だったと言っていたな。
敵に向かって槍一本持って突っ込んでいったんだろうな
- 177 :
- 戦場で馬を乗り入れる場合は、鑓先が揃っている所を狙えと言ってるんだよね。
揃いの得物を持つ者は支給品を宛がわれた新兵の部隊だから組み易いと。
逆に、バラバラの得物の所は、それぞれ自分の道具を持つ古強者の部隊だから避けろと。
こういうのも自身の経験から出てくる言葉なんだろうねえ。
- 178 :
- 虎さん
- 179 :
- 戦国随一の巨漢で、終生短気が治らず、漢字の読み書きも苦手。
交渉に秀でた策謀と調略の達人にして築城の第一人者で、さらには治世の能臣。
この両方が同居してるのが凄い。
- 180 :
- 和子入内にも大きく関与してるところがすごい。
- 181 :
- 江戸城大手門も高虎が作ったんだね
- 182 :
- 南禅寺楼門を見た時には、その大きさに圧倒された。
- 183 :
- 中日新聞で藤堂高虎が主人公の下天を謀るという小説が
連載されているけど、読んでいる人はいる?
- 184 :
- ノシ
今は家康と秀頼の対面まで来たねぇ。
書籍化されたら買おうと思ってる。
- 185 :
- 読んでるよ。高虎や清正が護衛し、秀頼が家康へ会いに行く辺りだよ。
- 186 :
- 高虎を扱った小説は虎の城と下天を謀るくらいかね?
- 187 :
- 文庫だと、PHP文庫で2冊、学研M文庫で1冊、学陽書房人物文庫で1冊。
あと、小松哲史の「主を七人替え候」と、地元史家・横山高治の「藤堂高虎」がある。
PHP文庫の徳永真一郎は、割と細かいけど、事実の羅列でちょっと没個性的。
同じくPHPの羽生道英は、徳永より簡略されてるけど、そこそこ。
学研M文庫(今、手元にない)は、後書きで「秀吉に仕えた築城家」として
作者が捉えている時点で、内容は推して知るべし。
人物文庫の村上元三は、まあヒドいし薄い。
小松哲史は、「藤堂高虎の復権」を謳っている割には、そこまで描けてるかなあ。
確かに頑張ってるし、新潮新書の「〈人使い〉の極意」なんかは面白かったけどね。
横山高治は、津出身の家康の側室・於奈津や
現代の津の事情なんかを絡めて書いてる所が楽しかった。
ラノベ的に軽く楽しむなら羽生、事実関係を抑えるなら徳永、
面白いエンタメを読みたいなら火坂かなと思う。
- 188 :
- >>187
ありがとう、割とあるものですね
下天が単行本になるのはまだ先だろうし、いくつか読んでみます
- 189 :
- 三重大学の教授藤田達生の「江戸時代の設計者」異能の武将藤堂高虎、講談社は面白かったよ。
帯にも徳川家康に天下を取らせ、城を、藩を作った近世のプロデューサーだもの
- 190 :
- 日本人らしからぬ、「裏切り」と「野望」の塊にしか見えないその生き様。
名前だけは格好良いけど、ヒーローには成り得ないし、個人的に小早川金吾に並び、嫌い。
- 191 :
- と、>>190のように印象論だけで調べもせずに語る人間が多い事が問題なんだよね。
秀秋もそうなんだけど。
- 192 :
- 高虎の最初の主君なんか父を隠居させて家督を継いで、義兄を裏切って背後から不意打ちしてるのに
嫁と娘の七光りで悲運の武将扱いです。その同情を少し分けてください。
……と、いうような他人を踏み台にする言い方はマナー違反か。
秀長の供養の件といい旧主の息子を召抱えてる話といい感情のない人間じゃないのに
この手の人間を冷徹一辺倒な人間扱いする人は後を絶ちませんね。
忠義を貫けるのはごく一部だからこそ時代を越えて称えられるんじゃなかろうか。
- 193 :
- 九州征伐で軍監らの静止を無視して宮部の陣へ救援に向かい
自ら槍を振るって夜がしらむまで奮戦した時は十分にヒーロー( ^ω^)
- 194 :
- >>190
で、高虎は誰を裏切ったの?
- 195 :
- >>193
後の第二夫人は宮部の側室だったしね。
同じ近江出身の秀吉派閥だし、何かと接点あったんだろうね。
- 196 :
- >>194
誰だか忘れたけど 誰かが言っていた・・ような気がしただけじゃないの
- 197 :
- 190は今川義元を軟弱なお公家さんもどきだと思ってるタイプw
- 198 :
- 190は、主君を変えたイメージだけでいっているね。
・三河吉田の餅やの話
・秀長が亡くなったあと、
・関ヶ原の大谷刑部との話(みしるしとその後の墓所の建立)
・捕えられた石田三成に弱点について教えをこう
・家康からの信任。(伊勢・伊賀という東海道の要所など
どこまで史実かわからんところもあるが・・。残っている話からは
義理がたい、人から信頼される武将としか思えんが。
- 199 :
- それは持ち上げすぎだろ
加藤嘉明との不仲
渡辺勘兵衛との確執
家康の枕頭で簡単に宗派を変える等、徳川に媚びているとしか言いようがない何個かの逸話
マンセーするだけじゃなく、負の面も踏まえた上で人物の評価をするべきだろ
- 200 :
- 病の家康の枕頭で宗派を変えてまで家康の事を考えている男。徳川に忠義の現れとしか言いようがない何個かの逸話
で、どうだい
- 201 :
- >>199
> 加藤嘉明との不仲
> 渡辺勘兵衛との確執
それは負の面か?
- 202 :
- >>199
誰かと仲が悪いこと事態は別にマイナス評価ではないでしょ
- 203 :
- こいつ主人を7度変えたんだろ?とんでもねー野郎だな
- 204 :
- >>203
でも、主人を変えることに禄高も上がっている。
戦国時代では「主君の良し悪しが自分の出世へ直結している時代」であり、
「よりよく出世する為には時には主君を変えるのは当然」な世の中なの。
「1人の主人に最後まで仕える」ってのは江戸時代になってからのこと。
その意味では高虎が正常であり>>203がアホだということ。
- 205 :
- 個人的には九州征伐の宮部救援の件で
「裏切り」「不義理者」とかからは、ほど遠い存在なんだが。
ageてる奴はなんなんだろうな
- 206 :
- 荒らしたいだけなんだろう
- 207 :
- 少なくとも勘兵衛の件に関しては高虎どんだけ勘兵衛好きなんだよって話しだろw
奉公構えで他家への仕官邪魔してまで「戻って来い」だもんな
しまいには「ウチじゃだめなら(高虎が幼君を後見してる)蒲生家や肥後加藤家で
いいから」だもん
普通の嫌がらせ奉公構えとは違う
その手の嫌がらせ奉公構えの代表みたいに思われてる黒田家と後藤又兵衛も
実はそのパターンらしいな
- 208 :
- >>207
勘兵衛といい又兵衛といい、残ってる話から考えると、かなり扱い辛い
「面倒くさい」やつだったのは間違いないだろうしね。
それでも「欲しい!」と言われるだけの人ではあるんだが
- 209 :
- 勘兵衛は自分が大名になる気マンマンだったからなあw
高虎死後に幕府関係者に売り込みに行ってるし。
既に高次が手を回してたんでついに諦めたらしいけど。
- 210 :
- 虎
- 211 :
- 高虎さんはいったい何個のお城建築に関わったのですか?
- 212 :
- >211
ネットでちょっと根気出せばすぐわかるよ
自分で調べてみ
ついでに城作ってる期間と戦のあった時期を照らし合わせてみると面白いよ
一体何人いるんだ高虎!と思う
- 213 :
- 西は朝鮮半島から東は江戸まで?
居城にいる暇がない。
- 214 :
- しかも現場大好き人間だからな。
秀長配下以降は仕事中毒っぽく見える。
- 215 :
- 1620年の徳川大阪城の時には加賀の前田が担当した石垣があまりにも下手すぎたので
お前ら邪魔だよ、俺がやるって穴太衆と北国衆どかして作り始めた位だもんな
「御ふしんの邪魔」と各大名へ言っているし、当時の高虎さんと各大名の技術格差がすごかったんだろうな
- 216 :
- 城だけじゃなく寺社の建設もやってるよね。
職人気質というかなんというか。
少なくとも時分の得になることばかり考えて、政治的に立ち回るタイプではとても無いわな。
- 217 :
- 純粋に武士としての家臣じゃない建築関係の大工、石工などの職人さん家臣も多かったんだろうな
高虎さんは どちらかというと 建設会社の親方ってタイプだったのかな
仕事の後は若い衆と 好きなフナ寿司肴で一杯やっていたかもな
- 218 :
- 職人軍団を抱えちゃったから
彼らのためにも仕事を確保しなきゃならんかった事情はあるだろうね
ゼネコンの社長っぽいところはあったかもね
でも戦国が終わって
一国一城制度が敷かれて仕事が少なくなって
職人たちの身の振り方に苦心したかもしれないと思うと
そんな高虎に萌える
意地でも仕事世話しそう
- 219 :
- >>216
寺といえば南禅寺の山門が有名だけど、
カネを出してるだけではないの?
縄張りとか関係ないと思うんだけど。
- 220 :
- えっ!金だけなんですか、
去年行ったけど入口の説明の板にはそんな事書いてなかったけど?
関係者の人ですか?それとも八尾の人ですか?・・もっと詳しく教えてください。
- 221 :
- 東京新聞の夕刊 加藤清正が亡くなって高虎が向うも来ないでくれと言われたんだな。
熊本では身内のゴタゴタがあったそうだね。
加藤家の改易が1932年ってのも高虎が亡くなった2年後ってのも何かあるのかな〜
小説では高虎と清正はかなり仲の良かった描き方でしたね。
藤堂家の刀鍛冶上総介兼重もこの辺りで宮本武蔵に紹介されたのだろうかね
- 222 :
- age
- 223 :
- 喉自慢の津を会場にした会をテレビでやっていたので、高虎についておかんに語ったところ……。
おかん「要するに気は優しくて力持ち?」
情味のある人物だけど宴会中に間者を見つけてぶった切る方でもあるんです
説明が下手でごめんよおかん。
- 224 :
- ↑それも戦国流の宴会芸?
- 225 :
- 高虎は士を遇し民を愛したけど
間諜への制裁だけは過酷だよね
大阪陣でも自軍内で流言飛語飛ばしてた大阪の間諜を手足の指を
切り落として送り返したし
その一方で自分の使う甲賀者は厚遇してたけど
- 226 :
- 明日は津市の高虎入府400周年イベントの最終日ということで、
ひこにゃんが援軍として登場するらしい……と聞いて
「あ、あんな微妙なキャラ作ったぐらいでひこにゃんが来てくれるだとぉぉ!」
と思ったが、よく考えたらシロモチ君とのゆるキャラつながり以外に
高虎が彦根近郊出身だとか、東軍のよしみだとか、いろいろあるんだな。
そもそも西軍に着いてる時点で、ウチとこの城は駄目か……
時流に乗るって難しいものですな。
津市の藩主の薫陶著しさには素直に敬服致します、はい。
- 227 :
- 津は大阪圏なのそれとも名古屋圏なの?
- 228 :
- 400周年最終イベント行って来たはいいが、
築城術の講演聞いててひこにゃん見逃した……
とはいえ、おまけでもらった資料がなにやら良い出来。
大坂の陣の首帳なんかも面白いが
高虎の半生を概説した「藤堂家譜」が普通に読み物として面白い。
後世のお手盛り描写を差し引いても
一番槍しすぎ。弾当たりすぎ。働きすぎ。
で、後半の文禄の役辺りになると
船大将しつつ現地築城しつつ敵城乗り崩し、となんかもう何でもありになってるんですが
コレなんて少年ジャンプ?
- 229 :
- 成り上がるならそれくらいしないとダメな時代だったんよ
みんなその途中で死んでいったんだから
- 230 :
- >>227
実体経済的には名古屋圏。
でも、言語的にはかなり関西弁。
「近畿地方」というときにギリギリ入ったり入らなかったりする、そんな土地。
- 231 :
- >>230
さんくす
去年の入府400年時にうなぎ食べてうまかったけど関西風の焼き方だったり
天むす発祥地とかタイ焼き発祥地とか おもしろい生活文化を知ったのでね
今年は津や伊賀上野へ行ってみようと思っています。
- 232 :
- 但馬竹田城も高虎さんの作ですか?
- 233 :
- あれはもともとあった山名氏の城だと思う
修繕や増改築くらいはしたかもしれんが
- 234 :
- いまさら虎の城読了。三成がちょっと宿敵としての魅力に欠けるかな?と思った以外はよかった。
それにしても最近歴史小説読んでて自分のイメージと違う書かれ方をしてる武将をみたときに
「こういう解釈もあるのか」的な反応する回数が減ってきて自分の頭の固さに泣いた。
- 235 :
- >>234
大和大納言家取り潰しの因縁はあるけど、
高虎の生涯から見れば、三成も島左近も途中退場だからなあ。
高虎生涯の宿敵なんてのはいないのかも。
ま、清正じゃない方の加藤さんはいるけどw
- 236 :
- 大河ドラマ作る時は終盤に大阪夏の陣が来るだろうから、長曽我部盛親との死闘へ向けいろいろ伏線をはっていく必要があるだろうね
- 237 :
- 藤堂高虎は、主君を何人も変えているけど、積極的に謀反したとかじゃないからな。
松永久秀のように。
仕えるべき主君に恵まれなかった、その当時大勢いた浪人の一人じゃないの?基本は。
評価が高いので、大名待遇なんだけどさ。
- 238 :
- あれだけの信任を得ていながら32万石しかもらえなかったのは、
徳川政権の内部に深く食い込んだからかな。
外様だけど譜代のような微妙な立場。
- 239 :
- 領地が32万石でも200万石以上を管理しているからな。
- 240 :
- >>238
徳川家は、譜代筆頭の酒井氏ですら十万石とか程度で、
井伊でさえ数十万だから。かなり優遇じゃ?
- 241 :
- 井伊とならんで先鋒受け持つ信頼されっぷりだが。
その代わりに大阪の陣ではかなり打撃蒙ってるな。
- 242 :
- まあ、危険も多い代わりに戦功の機会も一番多い、と言うのが先鋒だからな。
- 243 :
- 60歳で先鋒はキツいよな@大坂の陣。
普通は隠居している年齢。
家康が60歳のときは関ヶ原に出陣してるけど、
総大将だから全く違うもん。
- 244 :
- 冬の陣はなんとかだけど 夏の陣は酷かったんだろうね
- 245 :
- >>236
長宗我部とは四国攻め以来の因縁があるからねえ。
部下の去就込みで、ここが一番盛り上がるか。
- 246 :
- 虎age
- 247 :
- >>243
養子とった後に実子ができて跡継ぎ問題があったり、
外様だけど重用されているゆえ、責任を果たさないと睨まれる可能性があったりして。
高虎自ら動かないといけなかったんだろうね。
でも重臣や一門が相当戦死させられているな。
藤堂家も戦乱から遠ざかって、実戦のカンが鈍ってたんだろうか。
- 248 :
- 大坂の陣の頃はまだ22万石なんだな。
他に大藩はいくらでもあったのに。
- 249 :
- 豊臣家大名時代でも朝鮮出兵で7万石ぐらいで船手奉行務めている。
あまり石高は関係ないんじゃ? 譜代先鋒の井伊家ですら当時は30万いってないでしょ。
- 250 :
- 既に石高が最重要と言う時代じゃ無いからな。
- 251 :
- でも、現場じゃやりにくい事もあったんじゃないかな。
朝鮮撤退の時には五大老から「高虎の言う事聞くよーに」
て委任状を取り付けてなかったっけ?
- 252 :
- 朝鮮出兵だと、藤堂高虎と同格の奉行は何人もいたし。
石高や官位からいっても上の大名が沢山いたからな。
余談だが、李舜臣と交戦した際に、高虎自身も手傷を負っている。
- 253 :
- >>243
戦国後期の主要合戦に全て参加した大名は
高虎以外に誰もいない(家康ですら四国九州朝鮮には行っていない)んだから
先鋒を担えるのが事実上高虎ただ一人しかいなかったんじゃないの?
- 254 :
- デビューからして姉川の合戦だからなあw
小牧・長久手と併せて、家康とは二度戦ってるんだよな。
身分は全然違うけどw
- 255 :
- 申し訳ないんだが
誰かこの葵徳川で着ている藤堂の鎧 若しくは兜の詳細を教えてくれないか?
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm2772023
2:40ぐらい(ニコ動ですまん)
- 256 :
- >>105
初耳。
kwsk
- 257 :
- 下天を謀る、今週で終わりだと
- 258 :
- 虎の城やっと読んだが
三成を無理やり貶めてて興ざめ
今じゃ否定されてる「忍城水攻めを強行して失敗した」だの「朝鮮征伐を進めた」
「秀次粛清を画策した」「淀君と結託してた」など出鱈目オンパレード
まさに高虎が今までの時代小説家にされてた仕打ちそのまんまだよコレw
- 259 :
- >>258
典型的な三成厨の感想乙。
- 260 :
- そもそも三成がらみでその辺書いてる小説のほうが珍しいわな。
とはいえたたき上げと吏僚の対比上強調してるのはわかるけど、
関が原後鉄砲足軽の助言もらう伏線としてもうちょっと軍事の才覚がある描写あってもいいかな。
個人的には講談でクールな印象のある水軍のほうの加藤さんに違和感があったが、
そりの合わない相手には普通あんなもんか。
- 261 :
- >>259
たった5行しかないんだから最後の行まで読んで頭悪いレスしないように
>>260
孫六さんは「七本槍」を豪傑集団だと捉えてる作家にはああいう風に書かれること多い
- 262 :
- 下天を謀る終了。
家康死ぬまでで終わりだったな。
割と詳しく書かれているから、
朝廷との交渉も読みたかったんだが。
- 263 :
- 夏の陣ゆかりの史跡
八尾の常光寺を詣でてきました。
- 264 :
- とら
- 265 :
- >>258
火坂に他人を貶めないで
その武将を持ち上げる力量なんて無いと思うの…
- 266 :
- 寝屋を出るより 其日を死番と可得心 かやうに覚悟極る ゆへに物に動する事なし 是可為本意
- 267 :
- 藤堂高虎入府400年事業に95万人
2009年5月19日
初代津藩主・藤堂高虎の入府400年を記念した65の催しに事業費約3100万円をかけ、
計95万人が訪れたことが、18日の実行委員会で報告された。
実行委は津市や津商工会議所などで構成。昨年4月−今年3月、1年間にわたり虎にちなむ
イベントを繰り広げた。集客が多かったのは(1)津まつり39万人(2)津花火大会15万人
(3)東京で開いた物産・観光展「江戸高虎楽座」10万人がベスト3。
この日、市役所であった実行委の会合で委員長を務めた松田直久市長は「イベントを通じて
高虎の名に広く親しんでもらった。一過性の催しに終わらせず、さらに津の情報発信ができるようにしたい」と評価した。
実行委員会は解散したが、高虎ゆかりの地などを歩く「歴史街道ウオーク」は10−11月ごろ、
「江戸高虎楽座」は10月23、24日、引き続き開催する。
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20090519/CK2009051902000012.html
記念イベントの観客数などが報告された実行委員会=津市役所で
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20090519/images/PK2009051902100107_size0.jpg
- 268 :
- >>267
端っこにいるゆるきゃら見て「これなんぞー?」と思って調べてしまった
なんか餅つーよりもシロアリに見えてしまうんだが
ttp://www.tsukanko.jp/takatora/charactor.html
- 269 :
- 去年の津まつりでシロモチ君と、とらまる見て来た。
- 270 :
- シロモチ醤油付けて焼いて海苔巻いて食べたい。
- 271 :
- 高虎は現代にきたらすぐにキャドとか使いこなしそうだな。
- 272 :
- アニメオタぽい発想だね。俺なら高虎が今の日本や東京大阪を見たらどんな顔をするかって思うよ。東京タワーの展望台から東京を見せてやりたい
- 273 :
- だからあれほど九州は薩摩包囲網を作れと言ったのに・・・徳川殿・・・
- 274 :
- キャドとアニメが何故結びつくのか…安直だからかな?
- 275 :
- キャドってなんやねんと思ってとりあえずぐぐってみたら
コンピュータを使って設計すること、もしくはそのツールで
建築設計などに使われることがわかった
あ、確かにアニメーションにも使うそうです
272さん物知りですね
- 276 :
- 東京やら何やらみたら純粋に建築士として愉しみそうではあるな>高虎
- 277 :
- 当時の高等技術集団 穴太衆や甲良大工を使っていたんだから 今なら先端技術の土建屋になっているかもね
- 278 :
- 徳川内閣の建設大臣だよな。
- 279 :
- 藤堂村が名前改められたりしたのは、
やっぱり徳川譜代には嫌われていた事の現れなのかねえ?
- 280 :
- ageるよ
- 281 :
- 会って話を聞いてみたい戦国武将の筆頭だなぁ
- 282 :
- 秀長に会うまではガツガツしてたんだろうな。
若い時と後年のギャップが凄い人だと思う。
- 283 :
- 先祖がどうも藤堂家に仕えていたらしい。
祖父に聞くと、先祖は矢倉という姓なんだけど、何した人か分からないかな?
- 284 :
- >>283について、祖父から聞いた話だと重臣格で上野城の現場監督していたけど、台風で城が飛んで左遷されたらしい。どこまで本当かは分からないけど…。
よろしくお願いします。気になる。
- 285 :
- >>283
矢倉氏と言うと、堀内氏虎の配下として熊野三山を支配した、七人上綱の一つだな。
堀内氏は関ヶ原で没落したのだが、大阪夏の陣の時千姫の護衛をした事で許され、
その後藤堂氏の配下に付いている。
君の先祖はこの大阪の陣の時、堀内氏と一緒にか、もしくは関ヶ原で堀内氏が没落した時、堀内氏から
離れて、高虎に付いたのではなかろうか?
- 286 :
- >>285
詳しい説明ありがとうございます。
地元の図書館と実家で調べてみました。伊賀ではないのであまり詳しくは分からないのですが...
初代は矢倉大右衛門という名前で、おそらく本名は秀親という名前です。
今治時代に一条家配下の芝一覚という人物の誅殺に関わっています。
高虎の伊賀入国の際に奉行職(入国奉行?)を務めた人物のようです。
ある本で、旗揚げ〜浅井氏時代に仕えた、と書いてあったので(あまりしっかりした文献では無いですが)>>285さんのおっしゃった一族とは違うかもしれません。
どういう人物なんでしょう?藤堂姓の家臣以外は渡辺勘兵衛という人物ぐらいしか詳しくは書いてなく、よく分かりませんでした。
- 287 :
- 虎の城読みオワタ
なんかありがちな主人公は何でもこなせる出来人、
家臣からは慕われていて
格が上の連中には一目も二目も置かれる存在
同格、格下の武将は馬鹿、高虎はもっと高みに居るみたいな描写が多くて・・・
(例えば関ヶ原前でも同じ武断派は三成への恨みに凝り固まっていたが、
高虎はもはやそんな次元ではない みたいな表現とか)
主人公が完璧超人で
それを際立たせるために他の登場人物悪く書く小説好きじゃないわ
- 288 :
- あ、でも
浪々とした時代と秀長家臣時代の
禄に納得出来ず主を変えたり裏方に徹する秀長への不満を漏らす場面なんかは
人間臭いところが出ていて良かった
- 289 :
- 大谷吉継の墓とそのエピソード
- 290 :
- 関ヶ原で諸将と見る所が違ったのは事実だしな。
高虎最大の功は、戦場での奮戦でも寝返り工作でもなく、
岐阜城攻略後に諸将を引き留め、家康を決戦の場に呼び出した事だと思う。
- 291 :
- age
- 292 :
- 生駒騒動って、高虎は直接関係ないよね?
- 293 :
- >>265,287
そもそも人物評価に欠陥の無い小説なんて無いだろw
>>203
其の辺りを何でもかんでも江戸時代からと捉えるのは
流石に間違いじゃ無いんですかね貴方。
- 294 :
- 母方の家の先祖は藤堂さんに仕えていた武士だったらしい
それだけ
- 295 :
- あっゴメン
名字は尾崎です
詳しく知りませんか?
- 296 :
- 下天を謀る出たね
- 297 :
- 天下を謀るのあおりが、「CIAとソニーを併せたような知謀」とか書かれてて
吹いたぞw
- 298 :
- これはまた何かすごいことを言いたいのは解るが意味の解らないあおりだなw
- 299 :
- NHK教育のETV特集で藤堂高虎が朝鮮の李舜臣にボロ負けしたと言ってましたが
本当ですか?
- 300 :
- WW2の米国が海の戦いで日本にボロ負けした……わけじゃないのと同じ
朝鮮側の戦術的勝利はあっても、日本側の水上輸送路は二度の戦役の全期間を通じて健在でした
- 301 :
- >>297
「天下」じゃなくて「下天」な。
前から間違えてる人いるけど。
帯の言葉は確かに吹いたw
「情報戦略」と「先端技術」と言いたいんだろうが、
SONYとは方向性が違うよなあ。
まあ、そこで大手ゼネコンの名前を出されても困るんだがw
- 302 :
- 下天を謀る読んだ。
個人的には高虎小説の中でベスト。
欲を言えば、若い時の苦労話と、
家康死後の幕府の舵取り(和子入内とか)であと1巻欲しかった。
- 303 :
- 葵徳川三代だと家康死後も高虎活躍してるね
なにげに俳優さんかっこいいし
- 304 :
- 葵三代は何気に大好きだったなぁ。秀忠にスポットよく当たって新鮮だったし。
下天を謀る良い評判なんだね。よんでみるよ楽しみだ
- 305 :
- 下天を謀る、単行本化されてたのか。即セブンネットで注文した(アマゾン無かった)
掲載紙とってなかったから、読むの楽しみだ。
>葵三代の高虎
なんと言っても田村亮だったからなぁ。もうちょっとごつかったら完璧だったかと。
あれ以降、大河ドラマは大河ドラマじゃなくなった気がするなぁ。スレ違いだからこの話は深く話さないけど。
- 306 :
- 葵三代見てなかったけど、そんなに評判いいのか
総集編とかレンタル出てたっけ?
- 307 :
- 総集編どころか完全版レンタル出てる
- 308 :
- >>306
信長・秀吉・家康以外をしっかり描いてる点で秀逸。
秀忠なんか顕著な例。あと、これ以降ノブヤボで島左近がチートになった。
何より、おれが藤堂高虎に本格的に興味持つようになった作品だ
- 309 :
- >>306
ネットに動画あるよ
関ヶ原は今でも大河に使われるくらいすごい
- 310 :
- >>307-309
まとめてサンクス!
脚本ジェームス三木だから面白いだろうなあとしか思ってなかったよ。
ぼちぼち見始めてみる。
>>305
「風林火山」は好きだったぜ!
アフター風林火山を期待した「天地人」は(ry
- 311 :
- 関ヶ原の時や大阪の陣、あと下って島原の乱のときにも、藤堂家の代表的な部将として
藤堂大学って出てくるんだけど、この大学さんって、具体的に名前は何なのかわかります?
個人的に色々調べてみたんだけど、よくわからん。
- 312 :
- 息子の高次が確か大学頭て呼ばれてた時期なかったっけ?
うろ覚えですまんが。
- 313 :
- 高次もそうだが、藤堂宗家は世子が大学頭を称するようだな。
んで、当主になると和泉守。
- 314 :
- 下天を謀るを読んで、一番吹いたシーン。
高虎は嬉しさのあまり拳を天につき上げ、「よっしゃ」と一声大きく叫んだ。(上巻・第三章より)
ちょwwwwwww
- 315 :
- 高虎率いる藤堂軍って普通に考えたら強いはずなのに
俺が読んだことがある歴史小説だと蹴散らされる役割にされることが多いような気がする
関ヶ原では大谷隊に、大坂の陣では真田隊や木村隊や長宗我部隊にやられるシーンがよく出てくるような・・・
なんか引き立て役にされやすいのだろうか?
まぁ小説はあくまで小説だし最終的にいつも勝者の側にいるわけだけどもなんか損な役回り。
- 316 :
- 強いからこそ、そういう役回りなんじゃないかな?
その辺の雑魚なぎ倒して「俺つえー」ってやっても、小説としては面白くないし
- 317 :
- どちらかと言うと建築関係に強いから、
ニッカ系の姿しか思い浮かばなかった。
- 318 :
- 宇和島城
- 319 :
- 自分で偵察行って銃で撃たれたり、早朝から建築現場見回ったり、
根っから現場大好き人間だよな。
- 320 :
- 下天、おもしれーの?
- 321 :
- sage忘れ……
- 322 :
- >>315
運悪くというか、家康の作戦というか、
敵の中でも最高にテンション高い部隊にぶつけられてる。
「しぐるい」は相手にしたくないよ。
- 323 :
- >>317
ワロタ
- 324 :
- >>320
三成&淀コンビの扱いに納得できるなら、そこそこ
- 325 :
-
高虎の評伝を読んだら、死亡時の遺体の状況の記述で
手か足の指が何本が欠損していたそうだ、常に過酷な第一線を任された
人みたいだな
- 326 :
- 身体中傷だらけだったんだよな。
若い時はバリバリの武闘派だったんだろうね。
だからこそ後年の政治家への変貌が興味深い。
指の欠損に関しては「下天を謀る」では、高野山から降りる時のに
決意の表れとして指詰めしたとしていた。
ホントかウソかは知らんが、上手い説明のつけ方だなとは思った。
- 327 :
- なんで指つめするんだよ
単純に戦傷で欠損しただけ
そうやって負傷して以前のように動くことができなくなったから頭使うほうに転身したんでしょ
年齢重ねて経験積んだからそういう仕事任されるという面もあるだろうが
- 328 :
- 秀吉ほどではないけど、大した家のでもないのに家臣に恵まれたからこそ、
自分の領地を留守にしてあっちこっちへ行けたんだろうなあ。
普請だけでなく駿河の大御所の元にもかなりいたみたいだし。
- 329 :
- 家臣をたばねる才も優れていたんだろう。
なぜ高虎に仕えるのか家臣団にもし聞けたら、明確な答えが次々と返ってくるだろう。
どう考えても人間味あふれる人だったような気がしてならない。
- 330 :
- 秀長の所で学んだのが大きかったんだろうなあと思う。
秀長自身も苦労人だから、高虎にも良くしたんじゃないかな。
あと、元の主の子弟をいろいろ雇いこんでるのな。阿閉とか磯野とか。
譜代がいる身分じゃないから縁のあった人物を雇用するというのもあるけど、
巷間言われているように忠誠度0の人間のする事じゃないわな。
- 331 :
- >>330
大坂の陣で西軍に属した津田信澄の子息をとりなしたり、豊臣秀長や大谷刑部の
供養もしているんだよね。
おそらくは、何度も主を変える中で、最終的に徳川家の信任を勝ち取っていること、
幕末の津藩の寝返り劇なんかが世間でのイメージに影響してるんだろうね。
- 332 :
- 南禅寺に山門を寄進
- 333 :
- >>331
家康に信任された件も、徳川譜代から見れば「何この外様?」だし、
外様から見れば「何このおべっか野郎?」だし、
嫌われるポジションではあるわな。
あと、現代においては司馬史観の壁が分厚いからなぁ。
幕末の子孫の言動まで面倒みれないっつーのw
あの家康が信任した一点においても高虎という人間の大きさは推し量れると思う。
- 334 :
- 司馬遼太郎以前に津藩の鳥羽伏見での寝返りを高虎と関連付けて揶揄するような事はなかったのか?
明治天皇が煙草を盗んだ蜂須賀の子孫(実際は血が繋がってないけど)に「血は争えんな」とか言ったとかいう逸話もあるぐらいだし、
そういう子孫の行動を藩祖、家祖の出自や行動になぞらえて揶揄するような事はあったと思うんだけど
- 335 :
- なんか読み返すとどうもいちゃもん付けてるようにしか見えないな
勘違いしないで欲しいんだけど、俺は高虎が寝返りの名手だとかは全く思ってないから
単に司馬遼太郎が小説に書く前はどうだったのかな?っていう興味本位で聞いてるだけだからな
- 336 :
- >>335
いや、別にいちゃもんつけてるようには見えんぞ
- 337 :
- 何年か前「その時歴史が動いた」で、初めて幕末の藤堂藩の寝返りを知った友人は言った、
「藤堂、またやったか!」
「また」ってなんだよう!? だれがいつどこで一度でも寝返ったよ!?
って言いたかったけど言えなかった。
たぶん現代人の大方の認識なんだろうね。ひとむかし、ふたむかし前ならなおさら、司馬センセで
ダメ押しってとこじゃないか。
くやしいっす
- 338 :
- そういうときは藩祖高虎公なら初めから勝つ側に居るから寝返りなんかする必要がなかったといえば
いいんじゃね?
- 339 :
- 寝返りという言葉の意味がわかってないんだろうな。
- 340 :
- 寝返りという言葉の意味がわかってないんだろうな。
- 341 :
- 「その時・・・」の松平アナの著書「歴史を本当に動かした戦国武将」の中に
藤堂高虎の章があるという。自分は未読だが、誰か読んだ?
こういう影響力ありそうな人が、高虎のマイナスイメージを払拭してくれないかな、
とは思う。 本が売れないと話にならんが。
- 342 :
- むしろ関ヶ原で脇坂ら四将の寝返りを促した方だよなw
- 343 :
- >>212
関が原以降の高虎さんの居所の年表を見ると、すごい機動力。
当時の移動手段は馬? 籠? 輿?
とにかくよく動く。ほんと何人いるんだ、高虎さんって感じ。
- 344 :
- 高虎の城普請は徳川家持ちですよね。
津や上野以外のカネまで出してたら伊勢で暴動が起きる。
- 345 :
- どこだったか自腹きったのもなかったか?
- 346 :
- 下天を謀るを読んでの感想
・高虎は万能すぎる
・高虎は人脈が広すぎる
・なんでも高虎の手柄である
家康死後の和子入内関係まで続けるべきだろう。
秀忠や家光からの信任も厚かった関連のエピもほしい。
- 347 :
- 俺も下天を謀るは高虎の異常なほどの有能っぷりと
大坂の役で終わりなのが気になった
人脈の広さは史実でも結構なもんだから別にいいけど
- 348 :
- >>341
立ち読みしてきた。童門氏の「二番手を生きる哲学」からの引用が多い。
藤堂びいきならいまさらな内容だが、黒田官兵衛、直江兼続、片倉小十郎らと共に列挙
したことには拍手。藤堂の章のテーマは「転職力」。
結局買うのは・・・やめた。
下天はまだ読んでない
- 349 :
- 「BALLAD」をレンタルで見た。敵役の名前は大蔵井高虎というではないか!
うちの家族は「高虎ってやっぱあれ?藤堂高虎がモデル?」とか言うし、んなわけないだろー!
原作はクレヨンしんちゃんだろ、よいこは高虎=悪者だとか思っちゃうじゃん。
- 350 :
- このひと最後に徳川についたから先見の明があるとか機を見るに敏とか言われるけど、
もし西軍側で改易とかなってたら部下にすると死亡フラグとかこじつけられちゃうよなあ。
- 351 :
- 高虎本人の挙動と(元)主君の滅亡は全然関係ないんだけどなw
浅井から出たのは小谷落城よりちょっと前。
阿閉から出たのは本能寺−山崎合戦のずっと前。
磯野は主君が逃げちゃったからおいといてw
信澄から出たのも本能寺よりも前。
たまに「主家が滅びたから転々とした」なんて記述があると笑える。
- 352 :
- 浅井にしろ阿閉にしろ、もし高虎が仕官し続けていたら
もう少し情勢は変わっていただろうか? そこまでの影響力はないか・・・。
ま、滅んだ人たちのことはどうだっていいんだが。
- 353 :
- >>352
おそらく、全くと言っていいほどないと思うぞ。
浅井阿閉に仕えてた頃の高虎は、まだ十代の猪武者でしかないから。
「元々武士じゃなかった武士」の秀長に仕えていろいろ変わったんだと思う。
秀長にも譜代の家臣とかいないから、戦以外で高虎が担う部分も多かっただろうし、
それで武将として飛躍的に成長できたんだろうなあ。
- 354 :
- なるほど、有難う。
ニュース板で、高虎サミットの件で一時盛り上っていたけど
どんな感じ? 行ったことある?
それにしても、アンチもまだまだいっぱいいるね。
- 355 :
- そういう奴らは史実の解釈の違いとかじゃなくてまず史実を知らない連中だから話にならん
「一端武者から取り立ててくれた秀吉を裏切った」とかなw
- 356 :
- 大河になったら教えなさいな。
- 357 :
- しかし戦に弱いよなこの人
藤堂の負け戦数え切れず
- 358 :
- >>355
>>357
さっそく来たよw
- 359 :
- 弱過ぎだろw
堀の方がつえーと思うよ
信長の野望では数値低いけど、長生きしてたら堀の方が藤堂より数値上になるわ
- 360 :
- 信長の野望天道では堀のほうが統率上ですでに戦では堀のが強いよ。
政治知略は高虎のほうが(コーエー名物不義理補正なしでも)早死にした堀より実績の分上になるし。
- 361 :
- 堀が天寿全うしてたら
政治80
統率75
は硬いよな、黒田長政よりは器がデカいよ
あの当時で蒲生か堀かと1,2を争った人物だからさ
- 362 :
- 武将の能力を数値で表せると思ってるゲーム脳(笑)の人間はゲー板へどうぞ
- 363 :
- 今日初めて津城周辺と菩提寺である寒松院に行った。
その廃れっぷりに泣いた。
開府400年事業とは何だったのか。
あれじゃあ大河は無理かなぁ、と、マジで思ってしまった。
- 364 :
- 自分が行った時も寒かった・・・
確かに高虎さんも泣いているかも。
- 365 :
- >>363
地元の人に慕われてないのか
慕われてたら立派に祭ってくれるのにな
- 366 :
- 津城の復元模型が見たい・・・。
- 367 :
- 人によって見方はタイソウ変わるようで・・・
自分にとっては (書物は無視してググッた場合)
人情味のある人に見えるんだけどなぁ。
波乱万丈にも出そうww
- 368 :
- 息子がもうすぐ遠足で津城に行く。
息子よ、おおいに高虎スピリッツを学んでこい!
- 369 :
- 津に落ち着いて滞在できるほど暇じゃなかった高虎
- 370 :
- 明日滋賀の甲良町で高虎サミットあるらしいけど、行く人いる?
- 371 :
- 安部龍の講演があるとか? 行きたいけど行けない。
行った人、教えて
- 372 :
- >>365
完全に忘れ去れれてるなら、まだいいんですが、
開府400年という、少なくとも高虎および藤堂家を素材に事業行ったわけで、
それにしちゃああまりにも粗雑だなぁ、と。
>>1にある記念事業のページでは、ゆかりの地としてトップにあるのに、荒れてましたから。
それとも、あれでもマシになったのかな?
津本家の墓には、誰の墓かわかるそれなりに新しい立て札が立ってましたし。
>>368
ぶっちゃけ、何もないというか、どこで弁当食べるんだろ・・・?と思ってしまいます。
あの高虎像の前くらいかなぁ。
- 373 :
- 現状はともかく、遠足の事前学習なんかで、熱心で公正な社会科教師に
高虎の生き様とかきっちり教えてやってほしいなあ。
高虎より目線なら公正でなくてもいいが。
結局、地元の意識がいまいちなのもそのへんが徹底してないからじゃないかな。
- 374 :
- 地元って言っても名前くらいしか知らない所の方が多くないのか?
というオレは「高虎?風見鶏だったらしいねw」と昔思ってた津市民だw
- 375 :
- >>372
寒松院はお堀を埋めてバイパスにしちゃったからねぇ。
それに、たぶん元々主家頼みで檀家がほとんどいなくて
明治以降、存続するのがやっとなんじゃなかろうか。
実際、物理的に傾いてるし。
最初の奥さんの墓がある四天王寺の方が
緑があってまだ風情があるね。
四天王寺には、なにげに信長の生母の墓もあるけど
もちろん大河「江姫」のキャンペーンの気配などなにもない……
津城もお市&3姉妹が一時暮らしてた説もあるのに……
ま、土地柄しょーがないかとも思うけど。
- 376 :
- 天台宗に改宗しちゃったのはやりすぎ
いくらなんでも節操ないよ
- 377 :
- >>375
久芳院の方は、四天王寺の方にあったのか・・・
時間無い&寒松院行くのに迷って疲れたから、スルーしてしまったんだよなぁ。
あと、江姫キャンペーン、あったぞ。いちおう、津市内での活動、なのか?
http://www.smmnet-1.com/go/map/shitennouji.html
- 378 :
- >>376
もうあとは死ぬだけの家康にどんだけ忠誠を尽くしたところで
改宗なんかしちゃったら、負うリスクの方が大きいはず。
でもそうしなくちゃいられなかった高虎には、そこに何の計算も駆け引きもなかったと思う。
もとより、大谷吉継の墓にしろ、秀長の菩提を弔うことにしろ、
死者を悼む気持ちの強い人なんだろう。
節操がないととるか、馬鹿がつくほど実直ととるか、人それぞれだとは思うけど。
- 379 :
- 遠足、津城スルーしたって。なに考えてんだ、教育委員会! おらが殿様の偉業を教えろー、若い芽を摘むなー
まっったく!弁当は偕楽公園で食べたって。
- 380 :
- 厨房の教科書では、高虎さんについて外様という事しか記されていません。
個個の武人については、高校とかで習うということでしょうか。
ネットとかで調べてみたのですが、用語とかが今一わかりません。
場違いなこと言って御免なさい。スミマセン。
ユトリ小僧です。
- 381 :
- 何がわからんのか聞いてみろ
分かる言葉だったら教えてやるから
- 382 :
- ありがとうございます!
でも、家庭の事情でネトの使用が難しくなりました。本当スミマセン・。
自分勝手にいって、自分勝手に止めて、スミマセンでした。
- 383 :
- おもろいな、ユトリ小僧。
家庭の事情が許せばまた来いよー
- 384 :
- >>378
家のプラスになると考えたとは考えなかったか?
- 385 :
- 高虎くらいの経歴の人間なら人生の無情さとか生臭坊主とか宗教の無意味さとか散々見てきてるから
宗旨なんてただの建前、パフォーマンスくらいにしか思ってなかったんじゃないの。
あと御家の事だけじゃなくて、当時戦国叩き上げで生き残ってた大名なんて数えられるくらい。
だから幕府創業期で不安定な時期に高虎みたな当時の重鎮が幕府に絶対忠誠のパフォーマンスしてみせて
治世を安定させる必要性を感じてたのかもよ。(東北の大藩に火遊び好きな奴がいるしな)
豊臣家の崩壊を間近で見てるだけにね。
- 386 :
- お家の安泰とか、藩幕体制の確立と治世の安定とか、後付けの理由のような気がするのは
あまりにも感情論に過ぎるか?
高虎「で、改宗したから。わし。」
藤堂家「えっ、マジ?」「やばいって。後の世まで、節操なしのそしりを受けるぞ」「いや、お家安泰のためなればこそ、ですな? 殿」
高虎「・・・いかにも」
藤堂家「さらには幕府の礎となり、治世の安定をおもんばかって、ですな? 殿」
高虎「・・・いかにも」
藤堂家「よもや我が殿ほどの御仁が、死に行くばかりの年寄りに感じ入り、なんの策もなく宗旨替えなさることなど、あろうはずもなく」
高虎「・・・・・・・さにあらず(徳川殿はわしにとってただの年寄りではないのだよ)」
藤堂家「は?」
みたいな。うざい?
- 387 :
- とりあえず先日三重の城めぐりをしたが、
津城はあんだけスペック高いのに
人影もまばらで勿体ない感じだったな
桑名城なんて遠足スポットで大人気だったのにw・・・
復元模型とかあるのかな?
ちなみに三重(県)の城めぐりね、三重(天守)めぐりじゃなくてw
- 388 :
- >>386
そこまで個人的に心底陶酔してたとは思えないんだよねぇ
そういえば、秀長って宗教何だったんだろう?
- 389 :
- 藤堂高虎の小説でお勧めって何?やっぱ虎の城?なるべく一生を詳しく書いた奴が良いんだけど
- 390 :
- 自分も「虎の城」と「下天を謀る」しか知らないので、他にいいのがあれば知りたい。
小説ではないが「江戸時代の設計者」藤田達生著は高虎の業績を知るにはもってこいだった。
安部龍太郎は「江戸時代の・・・」に触発されて「下天・・・」を書いたとか。
- 391 :
- >>389
>>187
個人的には「下天を謀る」が一番好きだけど、
家康の死で打ち切りみたいに終わってるのがなんともw
- 392 :
- PHPの文庫2冊と下天と虎を読んだけど、歴史小説はつまらない。
「江戸時代の設計者」みたいな本をもっと読みたい。
- 393 :
- 一番詳しいのは「実伝藤堂高虎」かなあ。
別所書店とか三重県の書店に問い合わせてくれ。
- 394 :
- ありがとうー!!
高虎さん書物に飢えてたから。ではさっそく。
- 395 :
- 高虎本なら、伊賀上野城が一番そろってるかも
あそこ、通販してくれないかなぁ
いっぱい買いたかったけど、荷物になるから泣く泣くあきらめたが・・・
- 396 :
- 主君に讒言エピソードもあれば
さらに格好いいのに
- 397 :
- 歴史スペシャルの特別企画なかなか良いね。
- 398 :
- それって何? どんな企画?
- 399 :
- 横からだが、たぶん今年になって創刊された雑誌のやつじゃないかな?
http://www.sekaibunka.com/rekishispecial/
初っぱなからNHKに便乗してたからスルーしてたけど、まさか高虎で特集組むとは。
- 400 :
- >>399
そう、それそれ。
豊臣と徳川の大阪城比較とか面白かった。
- 401 :
- 読んだよ、面白かった。韓国でも城を築いたって本当だろうか。
最近、少しずつ高虎の露出が増えたような気がするが、
城めぐりや昨年来の歴女ブームのおかげか?
いずれにしろ、風向きが変わるのはいいことだ。
- 402 :
- >>401
順天倭城に関わってたはず。戦役の最末期の戦いで明・朝鮮軍撃退した城だな
- 403 :
- この人の築城術の師匠筋に当たる人は誰なんだろうか?
最初に築城に携わったのは秀長配下の時分だが、
秀長も別に築城の達人って訳じゃなかったし。
書物で学ぶより、実地で学んだり耳学問の人だから、
誰かしらの影響は受けてると思うんだけど。
- 404 :
- 主を七人替え候の文庫出たね
- 405 :
- >>403
頭の中にCADが入ってると言った人がいた。
瞬時にして設計図と完成図が頭の中にできるんじゃないかと。一種の特殊能力?
それはさておき、師匠ってなあ。手取り足取り教えてもらう感じじゃないのは確かだから、
自分で学ぶというか、覚えるというか、いわゆる盗むというか?
- 406 :
- >>405
その盗む相手は誰だったんだろうって事。
城造りなんて学のない者が一朝一夕に出来る物ではなかろうし。
層塔型天守とか何処から出て来た発想なんだろうか?
- 407 :
- 誰って特定できるのかな。調べてもはっきり出てこない。
築城の名手と言われる要因はいくつもあるようだが。
ただ、学がないと言うのはどうなんだ、守りやすく攻めにくい城は
高虎ほどの実戦経験があって初めて築けるのでは?
こと築城に関しては実戦経験と学は同義語といえるのではないか?
- 408 :
- 学がないってのはあんまり書物で学ぶ御仁ではなかったって事だよ。
穴太衆や甲良大工との繋がりが出来た事は大きいんだろうけど、
そもそも高虎を城造りに邁進させたきっかけは何だったんだろうなあ。
自分より大きい物が好きだったからとか?w
安土築城を見て感銘受けたのもあるのかも。
- 409 :
- 自分もデカイから大きいものは好きだけど、城作ろうとは思わんなあ。仮に穴太衆や甲良大工を掌握できたとしても、
自分に向かない仕事は手を出さないだろうな。でも高虎はそれをやってのけるんだからすごい。
そのへんの苦労話は「虎の城」にちょこっと出てたような気がする。あくまで小説だけど。
- 410 :
- >>409
「虎の城」最近読み直してるけど、やっぱり面白いな。
ただの史実の羅列じゃなくてちゃんとイベント挟んでるから、
エンタメとして読み応えがある。
あと、昇給拒んで少禄でも高虎の側にいる事を望んだ高虎家臣を、
大名に出世したが故に秀吉の下から離れていった蜂須賀たちと
対比させて書いてたのが印象に残った。
- 411 :
- 歴史群像に高虎きたね。
浅井にいた時から柵や逆茂木の仕掛けに達者だったとは知らなかった。
若い時から物作りが好きな人ではあったんだなあ。
- 412 :
- しらなかった
- 413 :
- 祝!!規制解除! 長かった〜! 頼むから巻き込まないでおくれよお。
偶然にも、仕事休んで昨日伊賀上野城に行って来た。誰も付き合ってくれないので
一人で行ったけど(っていうか、客自体ほとんどいない)、楽しかったー!
ようやく手に入れた「遺訓二百か条」と「実伝藤堂高虎」は、もはやRルだ。
- 414 :
- >>413
yournet被害の同士がここにも居たとは。
伊賀上野はゴールデンウィークには居たけど、平日はそんなモンだろうな。
本売ってる所は、もうちょっと買いやすくして欲しいな。最初わからんかったw
- 415 :
- そう、朗らかそうな見張りのじっちゃんから、買ったぞ。
しかもフツーのレジ袋に入れられて、夕立にあって何かヨレッとしてしまうし。
でも城の前の上野高校付近で雨宿りしてたら、野球部の奴らが「ちわっ」と
挨拶してくれた。い〜い感じだった。
おい、書き込めるって素晴しいな、同士よ。
- 416 :
- 高虎の残念石って見てみたい。
- 417 :
- 歴史群像の藤堂高虎って超興味津々なんですが。そこらの本屋にはないかなやはり
- 418 :
- 甲良町の高虎公園行ってきた。残念石も見て来たさ。
ここで生まれたかと思うと、感慨深かった。
地元の人たちに愛されてるのがよく分かる、小さいけどきれいないい公園だった。
- 419 :
- >>417
隔月刊の雑誌だから、歴史コーナーにない?
- 420 :
- 八重洲に行ってみます
- 421 :
- 歴史群像の記事は良かった
特に後半の三成との対立と家康への接近の理由の考察は面白かった
若干根拠になる資料がこじつけクサいけど、小説とかで繰り広げられる理由とかより説得力はありそう
- 422 :
- test
- 423 :
- 歴史群像、立ち読みしようかと思ったけど、あまりの読み応えに結局買った。
しかし何故この戦争マニア誌に、こんな面白い高虎特集が来るんだ?
高虎特集以外、ほとんど興味ないんですけど・・・。
- 424 :
- 毎回、戦国時代でも何か記事入れるのがこの雑誌の特徴なんだよ。
昔は戦国の方が多かったけど、さすがにネタが尽きたのかな?
たまーに、日本以外の記事もあって、墨家の映画があった時には墨家の記事もやったりしてたな
- 425 :
- なるほど。
そういや豊富な古写真に混じって、えらいクリアな写真があるなあと思ったら
THE PACIFICというドラマの特集でした。
さて、高虎さんは秀長の家臣になったあたりから築城術を身につけたと思い込んでいたので、
少年期より(つっても、でかい少年だろうけど)土木・建築に興味とある程度の技術を
持っていたらしいという見解は非常に新鮮でした。
- 426 :
- 高虎の父や兄は功績あるの?
あまりににも触れられていない。
- 427 :
- いちおう、落ちぶれていたとは言え藤堂家自体国人だったわけだし、
さらに父親の伝承が真実だとすると甲斐で武田家に使えてたわけだから、
その身分の者の嗜みというか必須教養として、ある程度の土木・建築技術は誰でも持っていた気はするんだよなぁ。
ただ、その後の功績がすごいから、「幼い頃から持っていたんだぜ!」的な文章が残りやすいのかな、と。
もちろん、知識や技術は持ってるけどそれが実践できたかどうかの違いはあるだろうけどね。
本格的な、築城のための技術は、やっぱり秀長仕官以後の気がする。
- 428 :
- 歴史群像シリーズの藤堂高虎が見つかりません
- 429 :
- 高虎の兄ちゃんは早くに死んでるよね、父ちゃんは多忙な高虎が父ちゃんに
嫁と城をほぼ任せていた時期があったと、小説か何かで読んだ気がする。
元気な父ちゃんは領土をよく守り、再婚したとか高虎の弟ももうけたとか
あいまいな記憶で申しわけない・・・。
- 430 :
- 高虎ってどこの出なん?
- 431 :
- 近江(滋賀県)。
- 432 :
- 名古屋で開催された「世界SAMURAIサミット2010」、高虎登場でどうしようかと思った。
そういう、スポット浴びる人じゃないと思ってたから。
どうなることかと思ったけど、イケメン高虎が織田信雄、忍者らと乱闘、
なかなかかっこよかった。
- 433 :
- 今高虎の大河をやったら天地人のようになりそうだな・・・
- 434 :
- >>433
裏切りも全て「それが藤堂なのだ」とか言って終わらせそうだな
- 435 :
- ??なんじゃそりゃ
説得力ないね〜
- 436 :
- 六平太みたいな架空人物を登場させて、都合の悪いことはすべてなすりつけて人身御供にする手もあります
- 437 :
- >>433
どちらかというと、天地人より風林火山になるような
- 438 :
- まぁ実際大河になれば忠義の人になりそうだなぁ
秀長→家康の流れも秀長が「兄じゃはもうダメかも知れん。
秀保さえも手にかけよう。その時は家康にこの国を託したい。
分かるな?高虎」とか意味不明な台詞いわせて
- 439 :
- 秀長みたいな大物にいわれるのは解るとして、その前は如何つじつまをつけなさる?
- 440 :
- 風林火山みたいに汚い部分もどんどん出して欲しい
- 441 :
- >>286
ご先祖探しをされてたようだが、最近思い当たることが。
http//iiwarui.biog90.fc2.com/ そこのカテゴリ矢倉秀親で紹介されてるのがご先祖ではないか?
今頃何言ってんのって感じ?みんな知ってたかな。
立派なご先祖じゃないか! ま、うちだって、立派に高虎公に年貢おさめてたけどねW
- 442 :
- 主人公として描かれている小説以外で、高虎さんが登場する小説って
どんなのがありますか?できれば悪意のないものが読みたいのですが。
今は堺屋太一の「豊臣秀長」を読んでいます。
- 443 :
- 確か渡辺勘兵衛主役の作品があったはず。
タイトル忘れたけど。
- 444 :
- 池波正太郎の「戦国幻想曲」かな?
- 445 :
- ありがとうございます!
読んでみます。
あと、山岡荘八の「徳川家康」はどうですか?長いので迷ってますw
- 446 :
- 今年の津まつりも高虎の行列あったようだけど
どうだったの地元の人?
気にはなってるんだが情報がないから遠方から見に行く程のものなのか…
- 447 :
- 知りたい!
行ったことないから、イメージの中ではすごいことになってるんだが
実際はどうなんだろう?
- 448 :
- 実際のところ、忙しすぎて津にいたことはほとんどないんだろう。
各地の城普請や駿府で家康の相談にのったり、
晩年も秀忠に昔話をしてあげたり。
- 449 :
- >>349
> 高虎=悪者
クレヨンしんちゃん見てそう思ってた自分が来ましたよ
wiki見たら全然違った(当たり前だけど)。ごめんなさい
- 450 :
- さすが、よい子は素直だ。お友達にも教えてあげようね。
高虎ってい〜いヤツなんだよって。
- 451 :
- 歴史群像で藤堂高虎が取り上げられたという話でしたがいくら探しても見当たりません。正式な書籍名はなんというんですか?
- 452 :
- 学研「戦略・戦術・戦史Magazine 歴史群像」2010年8月号( No.102 ) ですね。
隔月刊行で、第一特集はだいたい太平洋戦争のこと、第二特集は日本の戦国武将のことなどを載せるようです。
サイパンだとかアリューシャンだとか、付録が戦闘機「秋水」のポスターだったりして
戦争マニア雑誌のようにも見えるので、戦国目線で探すとスルーしてしまうかも。
いずれにしろ、もうそろそろ12月号が発売されるだろうから、高虎特集号は取り寄せるしかないかな。
- 453 :
- [主を七人替え候」を読んだが、久芳夫人が自殺したと書いてあった。
ヒステリーで、うつになって、自殺って、うそだろ。気の毒すぎる。
超多忙な高虎は居城に長居できなかったらしいから、
子供もできず寂しくて心を病んだと考えられなくもないが....
何か根拠でもあるのだろうか?
- 454 :
- >>453
関ヶ原後の三成と高虎の会見エピソードの捏造、上杉の領土を越前とか書いてるのに
訂正していない件などから見て、根拠があるとは思えない。
というか、童門の立花宗茂よりひどい出来だ。
PHPの羽生や人物文庫の村上、あの天地人の火坂の作品が神作品に思える。
下天を謀るは未見だが、あの作者ならこれよりひどい出来になるとは考えられない。
- 455 :
- なるほど。そりゃあの童門の上をいく駄作だな
- 456 :
- 個人的な藤堂高虎作品評価
虎の城 時代伝奇小説的傑作 槍で石割るわ。石田三成に恋人NTRされるわ。島左近とガチバトルやるわ。
藤堂高虎羽生版 良作、良くも悪くもPHPらしい作品、常識的!常識的!
藤堂高虎村上版 トンデモ設定でも、上手い人が書けば何故か納得できます。
主を七人・・・・・三国国人一揆とか九州独立王国とか宇都宮釣り天井の黒幕とか尺を考えて書いていない。
典型的オタアニメの設定厨の「ような作品
- 457 :
- 久芳夫人自殺の線はないと見ていいよな。
別に久芳夫人に特別な思い入れがあるわけじゃないんだが、
どうにも不快だったので、聞いてみました。ありがとう。
- 458 :
- 今度の高虎サミットは来年の秋、伊賀で、と聞いたけど本当ですか?
実は高虎サミットって一度も行ったことないんだけど、どんな感じ?
伊賀なら近いから行ってみようかな、と。
- 459 :
- 三津五郎がやってる城の番組の今治城の回はよかったね。
宇和島も津も上野も扱った。
築城といえば高虎。
規制明けでやっと書き込み。
- 460 :
- そんな番組あるとは知らなかった。惜しい事をした。BS朝日だね?
- 461 :
- >>457
ただ墓所が別の場所にあったりするし
晩年の高虎と久芳夫人は疎遠だったのかも知れない
- 462 :
- >>641
夫婦や親子の墓所が別々ってのは、この時代そう珍しいことでもないと思うが・・・・
- 463 :
- いや、でも松寿夫人とは同じ墓所なのよ
もちろん江戸と津で死んだ場所は違うんだけど
地元でも違う寺に祭られてるのはちと違和感あるんだけどねえ
例えば、高吉の処遇で夫婦の間に溝が出来たりしたのかも
- 464 :
- あるとすればむしろ2代目と久芳院の不和じゃないか?
- 465 :
- 秀吉の信頼を裏切ったクズ
- 466 :
- 未来に希望を持てない家を裏切る、というか見捨てるのは
戦国の習いです
- 467 :
- 真っ先に豊臣を見限ったのは少し酷いw
- 468 :
- また高虎がどこの家中の人間だったかも知らん低脳君かw
- 469 :
- 大和中納言家を潰したのは相当恨んでたと思う
跡継ぎの暗殺疑惑もあるし
きっかけを作ったのは秀吉でしょ
- 470 :
- 久々に来てたんだな
スレがちょっとだけ盛り上がるから、偶には来て欲しいなw
- 471 :
- 後継ぎ変な死に方だな
- 472 :
- >>463
家康の晩年に改宗してるし
その辺の事情ってのも考えられるんじゃね?
久芳夫人はそれまでの藤堂家菩提樹で高虎は改宗したから天台宗
寒松院の号も天海和尚が送ったものだし。
個人的には久芳夫人とはラブラブと思いたい
養子縁組した子の数も多いしね
- 473 :
- 合戦だ築城だと居城にいることが少なかったわkだけど、
留守を守ったの久芳夫人? 虎高?
子がいの家臣もいないよね。
- 474 :
- >>472
久芳夫人が亡くなったのは家康死後、つまり高虎が改宗した後だぜ?
その辺の宗派の辻褄は合わせようと思えば合わせられたはず
>ラブラブ
元来はそうだったと思うよ
久芳夫人にしても高虎の留守を守った賢夫人だし
ただ晩年は気の病ともキリスト教入信したとも言われてどうにも評判良くない
高虎の遺訓の夫婦に関する話も自身の悔いから出た言葉だと考えるのは穿ちすぎかねえ
- 475 :
- 徳川将軍家ですら、浄土宗の増上寺と天台宗の寛永寺の2つの菩提寺がある。
家康は久能山で神になった。頼宣・頼房の生母お万は日蓮宗。
当時の宗派は家ごとと限らず、かなりいい加減なんじゃないの。
- 476 :
- 『捨て童子』では面白いキャラになってたw
- 477 :
- 『捨て童子』に出てたっけ?
『花と火の帝』に出てたのは覚えてるんだけど
- 478 :
- >>477
出てた出てた>高虎
・家康から、秀忠に鞍替えしようとする
・風呂で女性とイチャイチャしてる所を(家康の手によって)狙撃される(肩にかすり傷程度)
・宗矩に「能を今から習え、家康も下手だし、むしろ下手な方がウケがいいから」
とかやってた。
- 479 :
- なんか、義理堅くて生真面目な高虎のイメージとは違うな。
- 480 :
- 自分は『捨て童子』みたいなイメージ
- 481 :
- 隆慶一郎が高虎を書いてたら
本人も大喜びで面白いの仕上げてくれたかもねぇ
高虎って調べるほど面白すぎる武将だし
- 482 :
- test
- 483 :
- ごめん、規制解除されてた。
『捨て童子』『花と火の帝』をちらっと読む限り、
隆氏は確かに高虎に一目おいてたように思う。ただし、立ち位置が主人公の
仇とか敵とかそっち側で、相当アクの強い人間のように描かれていたような・・・。
自分は硬派高虎のイメージだから、「ちがーーーう!」とか思うんだけどね。
- 484 :
- 今日、
三津五郎の番組の再放送あり。
見るべし。
- 485 :
- >>484
見たよ!!
ありがとう!教えてもらってなければ見逃すところだったよ。
面白かった、あんまり高虎に興味なかったうちの家族も目からウロコ状態だった。
録画したから一人でもう一回見てたのだ。
- 486 :
- コンビニ本で出てたんで虎視眈々読んだ。
小池一夫時代劇画としてはそこそこ面白いけど
藤堂高虎伝では決してないなぁw
- 487 :
- >486
むしろ忍者モノとしてやってほしかったかも
あの剣もその方が活きるしね
- 488 :
- 今日1月6日は高虎公の誕生日。
- 489 :
- 現代なら正月とまとめて誕生会されそうだなw
- 490 :
- クリスマスで纏められる人の逆だなw
- 491 :
- 生きてたら455歳か。
ところで弘治2年って旧暦だよね。
- 492 :
- 「歴史人2月号」は城がテーマで、高虎もちらっと特集されてたけど、
誉めてるんだかけなしてるんだか釈然としなかったので、とりあえず
立ち読みだけして帰ってきた。
- 493 :
- ほめてもけなしてもないなら、それは普通に中立的だっただけなんじゃ。
- 494 :
- >>491
> 生きてたら455歳か。
ワロタ
- 495 :
- てか、当時は数え年なんだから誕生日会やるとしたら全員正月じゃね?
- 496 :
- 先日、所用で津に行ったので市立図書館に立ち寄ったら、高虎資料超充実!
でも市民じゃないので借りられなかった。
- 497 :
- >>496
そういう時って、
「お願いだから、売ってくれ」
と思うよね。
図書館とか古本屋は意外なものに出会える。
- 498 :
- センゴク天正記で高虎再登場来たね。
これで少しでも高虎のイメージアップして欲しいわ。
- 499 :
- 来たねっー!待ってました。しかもいい感じじゃないか。
さらにかっこよくなってるぞ。今後が楽しみじゃ!
- 500 :
- 織田信勝(信行/勘十郎)と津田信澄
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1300721441/
元主人スレ
- 501 :
- >>499
センゴクスレ読んでて気づいたが、播磨で高虎の嫁取り話くるかね?
ゴンベに嫁取りの話してるし
- 502 :
- あったらすごく面白いと、ここの住人的には思うけど、どうだろう。
レギュラー?とは言え、センゴクの主役はゴンベエだし、
あくまでワキの高虎の嫁取りにそうそうページは裂けんだろうからねえ。
ゴンベの嫁取りの話は、高虎の出世への嫌味に対する、高虎流のいやあ〜な切り返しと見たw
- 503 :
- 今更だけど以前歴史群像での高虎特集のタイトル「深遠の名将」って響きがいいな。
- 504 :
- >>503
軍事・内政・徳川家への取り入りと全部こなせたのは大きい。
- 505 :
- 朝廷つか天皇家との交渉任されるとかスゴいよな
槍働き自慢の大男からの変貌ぶりが高虎の魅力
- 506 :
- この前、「見事な自己変革を遂げた」と講演で火坂雅志氏も言ってた。
- 507 :
- 初めてこのスレに気が付いたけど
タイトルにワロタ
- 508 :
- 器用貧乏じゃなくて器用富豪
- 509 :
- >>507
二人目だから今の主君は阿閉さんだなw
- 510 :
- 司馬さんの「戦雲の夢」
長曽我部盛親が題材だけど藤堂家が出てくるね
結構感動した
- 511 :
- 「覇王の家」と「城塞」にも藤堂の出番は多い。
徳川家への取り入りがうまい。
- 512 :
- 津藩主兼熊本藩加藤顧問兼会津藩加藤顧問兼松山藩蒲生顧問
- 513 :
- 漢字多いw
- 514 :
- >>509
こっちの高虎さんはなかなか出奔しませんなぁw
- 515 :
- >>511
出番多いけど好意的な書き方じゃないよな。
「覇王の家」とかでは高虎は一種の詐欺漢の才能があるとか書いてなかったっけ…。
- 516 :
- ひどい話じゃ。
- 517 :
- へうげものにも高虎が出てきたね
織部の弟子の遠州の義父だからこれからも出番ありそう
センゴクともども司馬史観の壁を突き崩してほしいわ
- 518 :
- 織部と高虎の関係といえば・・・
最終的にはせつないものになるんだろうな。
- 519 :
- 織部の屋敷を高虎が貰うんだよね
後に遠州に譲るけど
- 520 :
- 高虎と秀長の話をたくさん聞きたいなぁ。
- 521 :
- 堺屋太一の「豊臣秀長」を読むと(高虎がガンガン登場するわけじゃないが)、
槍働き一辺倒だった高虎が秀長から何を吸収していったかが何となく分かるような
気がする。
- 522 :
- 秀長自身が農民→名将と超進化した存在だからな
猪武者→名将に進化した高虎にも多大な影響があった事は想像に難くない
徳川治世下において秀長の菩提寺を移した事からも秀長への高虎の思いが伺える
同時にそれが許される高虎への将軍家の信任の厚さも伺えるわけだが
- 523 :
- センゴクでようやく秀長・高虎主従が登場してニヤニヤしてしまう俺
- 524 :
- >>522
そうか!それは思い至らなかった。秀長の墓って高虎の一存で建てたと思ってた。
秀長ほどの人になると、と言うか秀長の立場だと墓建てるのも将軍の許可がいるんだな。
- 525 :
- 秀吉なんか神号剥奪された上に墓壊されてるからな
その弟ともなれば幕府に黙ってというわけにもいくまいて
てかおそらく高虎以外にこんな幕府的に大それた事許された人いないんじゃないの?
- 526 :
- なるほど。人によっちゃ改易、取り潰しだったかもね。高虎だからか。
秀長だからとも言えるのかな。秀長は秀吉の弟だけど家康との間柄的には悪くなかったよね。
それにしても、もし秀長がもうちょっと長生きしてたら、
という仮説はよく立てられるよね。高虎のその後も変わってくるとか。
- 527 :
- 秀長存命なら家康も動けず武断派と能吏派の分裂も起きず豊臣家は安泰
高虎も大名にはならず大和豊臣家の家老で終わってたのかもね
それよりも秀保が早死にせずにいたらどうなっていたのかが興味深い
秀吉死後に若い君主を支えて高虎が大和豊臣家をどう舵取りしていたのか
- 528 :
- 月曜21時からBS TBSで
戦国No2を語る的な番組があるんだが
来週は高虎が主役だよ
- 529 :
- >>528
凄く面白そうだな
- 530 :
- >>528
それの石田三成を見たが例えが会社的すぎて微妙だったよ・・・
終始、片桐且元スレのこれ↓を思い出した
137 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/06/04(月) 09:55:07 ID:F7ibg19o
>>130-133
こんな感じか。
豊臣秀吉→事務所社長。女性タレントはこの社長との枕は必須。
豊臣吉子→社長夫人兼副社長。社長死後所属タレントを多数引き抜いて独立する。
豊臣秀長→事務所幹部。タレントたちの信任は厚い。
所属タレント
浅井茶々→女優。社長の愛人。片桐、石田、大野、前田等たくさんの有名人とフライデーされる。
社長の愛人を身ごもって次期社長の座を狙う。
片桐且元→元アイドルグループ七本槍リーダー。解散後冴えない脇役男優だったが、
茶々の覚えめでたく事務者所幹部就任。
石田三成→実力派アイドルだが業界内の評判は良くない。福島や加藤とは養成所時代からの仲だが仲は良くない。
大野治長→美形正統派俳優として女性ファンが多い。次期社長茶々の喜び組筆頭。
それをいい事に且元を足で使う。
加藤清正→元七本槍のW加藤の一人。人気bPだった。解散後アーティストとしてソロデビュー。
長身で熱血漢を売りにしてたが痔である事をすっぱ抜かれてからは人気に翳りが。
大谷吉継→ホラー映画には欠かせない存在の俳優だったが、脇坂に中絶、暴行等事実無根なことをマスコミにリークされ
イメージダウン。仕事が激減する。現在石田のバーターで細々とドラマで脇役をやってる。
京極竜子→元清純派女優だったが、最近は汚れ系女優に見事転向。
宇喜多秀家→元スイマーのスポーツタレント。その熱血漢なキャラが人気。
最近は妻の豪とともに鴛夫婦タレントとしてバラエティに引っ張りだこ。
宇喜多豪→元アイドルだったが秀家とできちゃった婚。現在ママドルとして活躍中。
ブランド漁りや海外旅行などの豪遊ぶりを綴ったエッセイは衝撃を呼んだ。
- 531 :
- >>527
秀保の早死はできすぎてるよね。
高虎が高野山に入ったのはどこまで本気だったんだろう。
この時点で、もう豊臣家どうでもいいやモードになってなかったのかね?
>>528
知らなかった。絶対見る!
- 532 :
- つまらない番組だよ
きっとがっかりする
残念だ
- 533 :
- 内容はともかく、そういう番組の5番目だっけ?に
特集されることが嬉しかったりする。
- 534 :
- 昨日今治城に行きましたが、明日の放送の告知ありましたね。
内容が酷すぎたら嫌ですが、そうでない限り、知名度アップに貢献して欲しいです
- 535 :
- 番組見た。
まぁ、無難な内容だった。主君捜しに肯定的な構成だったし。
建築が前面に出てたけど、和子入内とかの外交面でも触れて欲しかったな
- 536 :
- 見た見た。
冒頭、女子アナが「名前はかっこいいんだけど(よく知らない)」発言で吹いた。
そういう人達がさらっと見るには良かったんじゃないか。
いろいろ盛り込んでほしかったところはあるが、そうなったら一回だけでは足らないし。
ただ、秀長から家康までの流れはもう少し厚くしてもよかったかも。
てかこの番組、秀長スルーってのはどうなの?
- 537 :
- >>536
今回の回でナンバー2の師匠みたいな紹介だったので、そのうちやるかも知れませんね
- 538 :
- http://w3.bs-tbs.co.jp/no2/
こんだけ持ち上げられると、気分いいぞ。
名前がかっこいいとかまだ言ってるしw
ところで、安土築城にはホントのところどの程度関わってたんだろう。
- 539 :
- 実況 ◆ BS朝日 217
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/livewowow/1305711002/
- 540 :
- 【祈願】センゴク宮下英樹55番槍【災いを終わらすべし】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/comic/1302225409/
- 541 :
- >>540
長年望んだ秀長高虎主従コンビが見れて嬉しいわ
他には信長の忍びにも高虎がチョイ役で出てる
これからどんなキャラ立てになるか楽しみだわw
へうげものにも最近出番多いし、これで高虎の認知度や人気が上がればいいなあ
- 542 :
- 高虎と小堀遠州は実際こんな感じだったんだろう、と思わせるね。
- 543 :
- 学研の歴史群像新書で『天正血戦譜』という
高虎が主人公の小説を発見して即買ってしまったよ。
主人公ってだけで嬉しい件ww
- 544 :
- なんかワクワクするような内容じゃないか?
- 545 :
- >>543
本屋で見たけど、トンデモ本じゃないか。
秀吉に殺されそうになった秀長が秘かに生き延び云々とかいう設定でドン引いた。
- 546 :
- 個人ブログなのでアドレスは書かないけど
豊臣秀長の菩提寺 大光院について
>文政7年(1824年)に焼失しましたが、後に藤堂家によって再建され、現在は大徳寺山内にあります。
という記事があったのですが、
高虎公本人が京都大徳寺に移したという説があるというのは聞いていたけど
後世に子孫も再建に力を貸していたと・・・?
すごくいい話だけど他で聞いたことない話なのですが
有名な話なのでしょうか?
- 547 :
- >>545
不快にさせてごめん
ちゃんとジャンルを書いておくべきだった
架空戦記とかシュミレーション小説とかいうもので、
そのトンデモ設定を楽しむものなんだ……
- 548 :
- 架空戦記はピンキリだからなあ・・・
高虎主役は興味があるけどあんまり買う気になれない
- 549 :
- >>546
いや〜、それは知らなかった。高虎が移築してから200年以上経ってるじゃないか。
亡き主君への思いは、高虎から綿々と受け継がれていたんだね。すごくいい話だ。
- 550 :
- >>299
玉浦の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E6%B5%A6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
- 551 :
- 【ビッックバン】松山大学【いちろーノ星】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/campus/1307122555/
- 552 :
- >>550
この戦いって朝鮮側の記録があるだけなんでしょ
その朝鮮側記録にも敵将の名前は書いてないらしいし
本当に藤堂高虎の軍なの?
- 553 :
- >>552
朝鮮側からすれば大戦果だけど、日本側からすれば輸送失敗だからなぁ。
海軍力の軽視の一例ではあるけど、記録を残そうと思うかどうか。
- 554 :
- 藤堂高虎の軍と特定するには何か根拠がないといけないでしょ
その根拠って何?
- 555 :
- この人地元の人にも嫌われてるみたいだな
やっぱ幕末の子孫の行動とかも影響してるんだろうな
- 556 :
- 地元だけど嫌われて無いぞw
- 557 :
- 津や伊賀では全然嫌われてないよ。
滋賀や愛媛ではどうか知らんが。
- 558 :
- 滋賀や愛媛では空気
- 559 :
- 今治じゃ城つくったすごい人!て感じだよ
すぐ国替えになったから悪いイメージはない
- 560 :
- >>554
水軍の統括が高虎(名目上は大和豊臣家)っていう資料を、向こう側が見つけたからじゃない?
それなりに大規模な船団みたいだし、高虎って判断しても間違いではないでしょ
- 561 :
- 民主主義でもないのに、地元に好かれる方が稀有な存在
- 562 :
- 肥後加藤のことか
- 563 :
- >>557
嫌われているわけではないが
伊賀では忍者>>>高虎
津でもいまひとつなような気も
ちなみに三重県の一部地方(東紀州地域)では一揆農民を虐殺した件で有名
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%B1%B1%E4%B8%80%E6%8F%86#.E8.84.9A.E6.B3.A8
- 564 :
- >>560
玉浦っていうのは巨済島の地名なんだけど
朝鮮の役当初、高虎は朝鮮に渡っておらず壱岐にいた。
高麗舟奉行・・・早川長政、毛利高政、毛利重政。
対馬舟奉行・・・服部一忠、九鬼嘉隆、脇坂安治。
壱岐舟奉行・・・一柳可遊、加藤嘉明、藤堂高虎。
名護屋舟奉行・・・石田三成、大谷吉継、岡本宗憲、牧村政治。
『 鍋島侯爵家所蔵文書・高木貞元所蔵文書』より
高虎が朝鮮に渡ったのは7月以降で
玉浦海戦があった5月7日よりずっと後のこと
- 565 :
- >>560
>水軍の統括が高虎(名目上は大和豊臣家)っていう資料を、向こう側が見つけた
何を根拠に言ってるの?
- 566 :
- 結局、玉浦海戦の日本側指揮官が藤堂高虎であるという根拠を誰も語れない。
相当眉唾な話っぽくなってきたな。
- 567 :
-
ホントのところ玉浦海戦については、藤堂側の諸記録もまちまちで
よく分からないようだね。
おおむね7月渡海としてる記録が多いのかな。
関係ないけど、韓流ドラマでは藤堂軍は凄まじい負けっぷりで、よって藤堂には好意的だった。
日本のドラマではありえないほど出番も多く、日本軍はなんか変なんだけど
藤堂はわりとかっこよく描かれていた。
「不滅の李舜臣」
http://www.searchnavi.com/~hp/tojin/leess/
- 568 :
- >>555
地元じゃないけど一番好きな戦国武将だぞ。
- 569 :
- 戦が強かったわけでもないよな
弱くもないけど
- 570 :
- 器用富豪
- 571 :
- >>567
混乱の元凶は江戸時代に書かれた「朝鮮征伐記」や「高麗船戦記」等の軍記物
の記述が文禄期と慶長期の海戦をごっちゃにしたことにあるようで、その後、
藤堂家がいくら間違いを指摘しても水戸の連中が直さなかったと「高山公実録」
に書いてある(高山公実録 上 74頁)。
- 572 :
- 豊臣秀保の代わりに大和大納言家(公称)百万石を経営したり実働部隊を直率して最前線を駆けていた最盛期の活躍があまり伝わってこない可哀相な人だよね。
朝鮮出兵のタブーがなければもっと評価されていいのに、何故か評価が当てられるのは裏方の地味な部分ばかり。
- 573 :
- 戦国武将としてのハイライトは根白坂かなやっぱ?
- 574 :
- >>573
元均艦隊を撃滅した漆川梁海戦か、李舜臣を撃破した鳴梁海戦じゃないか?
- 575 :
- >>574
李舜臣鳴梁海戦では来島通総や軍監の毛利高政救援のため小型艦で突入して
負傷し、李舜臣の残存部隊を取り逃がしている。
もっとも韓国側では鳴梁大捷としてお祭りまでしているけど。
- 576 :
- >>575
しかし、高虎は負傷を押して毛利高政を船で拾い上げ、李舜臣が守っていた海峡を制圧して全羅道西岸に到達して儒学者他の捕虜を得て本国に輸送路を利用した戦果を得ている。
- 577 :
- >>575
朝鮮水軍が保持していた鳴梁海峡となけなしの全羅左道の水軍基地である左水営を失陥して日本水軍に蹂躙を許したのが鳴梁海戦の結果だったわけだが?
- 578 :
- ぶっちゃけチョンが相手だと大した事ないと思ってしまうw 誰でも勝てそうだから
勝てないのが不思議っていうか
- 579 :
- >>577
鳴梁海戦は朝鮮水軍にとって勝ち負けより、司令部とわずか12隻でも水軍戦力を
温存できたことが最大の戦果。
この戦で司令部と艦船を失っていれば後は明の水軍しか日本の水軍と戦うものが
いなくなるため、後々の戦局の主導権を明側に握られ、戦後、朝鮮に対する明側の
干渉が更にひどくなった可能性すらあった。
もっとも撤退途中に敵中に取り残されて霊光沖で拿捕、日本に「拉致」された
姜や月峯にとっては囮にされたみたいなもので、たまったものではないのだが。
- 580 :
- >>579
十隻前後の主力艦と司令部は温存されたが、朝鮮水軍が再進出するのは日本軍が沿岸から引きあげて更に明軍が進出してからだよ。
全滅してもしなくても大勢に影響はなかったのでは?
- 581 :
- >>580
軍事的にはそうだが、司令部が温存された政治的な意義は大きかった。
明の援軍はお世辞にも一流とは言えない連中で、日本軍以上に略奪はするし
水軍司令官の陳璘は賄賂でどうとでも転ぶ人物だったので、朝鮮水軍の
司令部が壊滅していたら、順天包囲戦等で日本軍のあれほどの苦戦は
無かったはず。
また内政的にも司令部の温存と「鳴梁大捷」の報告は李舜臣と同郷で東人派の
中心人物、柳成龍の政界における発言権維持に大きく寄与している。
ともかく鳴梁で李舜臣を潰しておけば日本軍はもう少し楽ができただろうに。
- 582 :
- >順天包囲戦等で日本軍のあれほどの苦戦は 無かったはず。
曲輪の一つも取られてないのに「あれほどの苦戦」ってなんだよ
- 583 :
- >>581
順天は苦戦してないよ。
規定方針通りに籠城して援軍を待っている。
明鮮軍は兵站が続かずに攻勢挫折で一度引き返している。
言い方によっちゃ「朝鮮は補給に失敗した」ことになる。
最後の脱出は被害を減らすための方策を選択した結果、兵糧や戦力は維持していたのである意味積極的な脱出タイミングの選択をした。
- 584 :
- >>567
勝ちもあれば負けもある、
しかも戦後に最大の元凶である豊臣政権を潰した功労者の一人ともならば
ヨイショするのに比較的抵抗が少なかったんだろう。
敵が弱小とか狭小すぎても李さんの功績が引き立たないから、韓国人なら
藤堂を好敵手にすると思う。
- 585 :
- 高虎って、初陣の時の褒賞に浅井長政からもらった刀と黄金一枚を
その後の浪人生活中、どんなに辛くともこれだけは売らなかったって話聞いたんだけど本当?
出典が分からないんだが、そうだったら嬉しい
- 586 :
- 困窮するほど長い浪人生活してないからな
図体デカくて戦歴もあるから若い頃は仕官には苦労しなかった
就職難の現在でもただ職に就くだけならブラック企業の求人でいっぱいなのと一緒だw
いざ仕官してからの待遇が働きに見合わないことが多かったのが高虎の苦難の時代だろう
- 587 :
- 高野山に入った頃が、心情的にはどん底だったのでは?
- 588 :
- アレは自分で選んだ隠棲だからな
秀保の死に不審なものを感じて家老の自分の身も危ないと感じた可能性もあるし
- 589 :
- たしか同僚の何人かは腹切らされてて
- 590 :
- たしか同僚の何人かは腹切らされてて
高虎は高野山に入ってたおかげで切腹せずにすんだんだよな
- 591 :
- 子孫のわたしが
先祖を小ばかにする輩に怒りを覚えて
通り過ぎます。by愛媛
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%97%A4%E5%A0%82%E9%AB%98%E8%99%8E
- 592 :
- 藤堂高虎って義理堅いのか強いのか弱いのかいまいちはっきりしないわ
- 593 :
- >>591
怒りなさんな、ここには基本的に高虎への愛が流れていると思っている。
- 594 :
- Wiki中国語版の関が原の戦いのページでは池田輝政のかわりに
なぜか高虎が三成襲撃の7将に数えられていた。
- 595 :
- 山方町に住んでる。田窪◎一■男氏んだらしいね
役所勤めだろ。お気の毒。老人相手に頑張ってたのにね
お気の毒ばか
- 596 :
- 高虎の家族関係はどうだったの?
養子と実子の件はよく聞くけど、
父や兄との交流とか、は話題にならないね
- 597 :
- 兄は若い時に討ち死にしちゃってるからねえ
- 598 :
- 父は超多忙な高虎に代わって、領地を治めてることが多かったようだ。
わりといい年して再婚して、子供もできたりしてたんじゃないかな。
イメージとしては憎めないおっちゃん。父子関係もまず、良好と言えたんじゃないか。
- 599 :
- この人の大河はまだですか?
- 600 :
- 今やられても困る
- 601 :
- 何で困るの?
- 602 :
- 功名が辻とか天地人みたいに周囲を踏み台にする展開になるのは必至だからじゃね?
ほら、ちょうど天地人の原作者の書いた「虎の城」みたいにw
- 603 :
- 「虎の城」の上巻は嫌いじゃないよ。
- 604 :
- 津まつりに行ってきたよ!
高虎時代絵巻を見てきたんだが、
あの唐冠形兜、遠くからでも目立ってかっこいいな!
あと高山神社でお抹茶頂いてきた。
干菓子が藤堂蔦の形をしていて、ちょっと感激……。
- 605 :
- あ、それ欲しかったな。干菓子。
- 606 :
- 司馬遼太郎の小説で悪く書かれがちと評判らしいが
関ヶ原読んでふつうにかっこいいと思って興味もった
でも調べれば調べるほど、なんかよくわからない人物だな〜って思う
高野山へ上ったのはやはりいざこざに巻き込まれないためのカモフラージュ出家だったのだろうか?
藤堂高虎ってやることなすこと裏があるように見られて面白いわw
- 607 :
- 裏があるように見るからなんかよくわからない人物になってるんだろ
- 608 :
- まあそうだろうな
ただ高野山から下山して伊予七万石って出世なんだろうけど
大和大納言家の家老をずっとやっていたんだから、文治派として五奉行のような政治中枢への登用が
あってもよかったんじゃないかね秀吉は…とか思ったんですよ
やはり直臣ではなかったから無理なのかね
- 609 :
- 自分と一体化していた家が潰れてやる気ゼロ
なんか政争に巻き込まれそう
どっちにしろ出家したくもなる罠
- 610 :
- 高野山は真言宗だな
家康が死ぬ直前に、日蓮宗から浄土宗に改宗してるな
高虎、節操ないぞ、と今になって気付いた
将軍家の菩提寺も、増上寺は浄土宗だし、寛永寺は天台宗だな
そういう時代だったのかな
- 611 :
- そもそも高虎は、秀吉への忠義はともかく組織としての豊臣家に対しては、大和豊臣家の改易の時点で
見限ってた感じがするな。
対して徳川幕府組織は、その創生に高虎が深く関わったので、そりゃあ大切に思っていただろう。
- 612 :
- つか秀長家老時代から家康とは昵懇だからな
「秀吉の死後家康に接近」なんて書いてる本はそれだげ読む気がしない
- 613 :
- 昨日ブラタモで、上野公園内にある藤堂家の墓所が映ってた
実況スレのほとんどが徳川家の墓所って推測して泣いた
さらに津市のと比べて、管理行き届いてて泣いた
- 614 :
- 案外、知らない人多いんだよね。トーキョーの人はみんな知ってると思ってた。
ここはひとつ、声を大にして。
上野公園の墓所=藤堂家○ 徳川家×
- 615 :
- ここで声を大にして叫んでもあんまり意味無いわw
- 616 :
- あげ
- 617 :
- >>613
再放送で昨日見た。
上野動物園にあるっていうから、いつでもお参りできるのかと思ってたら、そうじゃないんだね。
タモリがお墓拝んでるの見て、やっぱ高虎すごい人なんだと思った。ってタモリ基準かよ、自分。
- 618 :
- 妹の同級生に子孫がいるらしくて噴いた
家の規律は厳しいらしい
- 619 :
- そうなんだ
- 620 :
- 珍しく高虎が主人公の漫画「虎視眈々」読んだが
内容が酷すぎた
史実ではない巷説での武士の立身物語のステレオタイプテンプレで
主人公の名前を別の武将に変えても成立するような話だった
高虎を主人焼こうにした意味が皆無
- 621 :
- 保守
- 622 :
- 小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10
- 623 :
- age
- 624 :
- 豊臣征伐先鋒の時の周りの武将の反応はどうだったんだろう
- 625 :
- 第106回放送予定
戦国 お城誕生ものがたり
〜城づくりプロフェッショナル 武将・藤堂高虎〜
http://www.nhk.or.jp/historia/schedule/index.html
- 626 :
- >625
おお!
11日にNHKかー
- 627 :
- 三浦正幸と藤田達生が出てきていつもと同じことを繰り返すんじゃないの?
- 628 :
- 本日放送age
- 629 :
- 近所の城を作った人だった…
記念カキコ
- 630 :
- 順天倭城はスルーだった
- 631 :
- しかし今治城の多門櫓が日清以降の火砲でしか攻略できなかったとは
買いかぶりすぎ。文久3年には黒船の艦砲には対抗できないので
移転を計画したこともあったくらいだから。
それに海に近い分、敵艦よりの高仰角榴弾砲攻撃に多門は無力だしね。
- 632 :
- 築城名人以外の事柄が意外に多くて良かった。
でも新鮮味がなかった。
家族とか藩政とかもやってほしいものだ。
- 633 :
- それは仕方がないでしょ
大半の視聴者は高虎のことを名前だけしか聞いたことがないとか、名前すら知らないとか
その程度なんだから
あの番組で興味を持ってくれる人が何人かいればそれで良いよ
- 634 :
- 見逃した人、再放送情報ですぞ
18日水曜16:05〜
- 635 :
- 再放送お流れになったみたい
誰か動画アップしてくれー(犯罪教唆?)
- 636 :
- 清廉さには欠けるかもしれないけど一族や家臣を食わせていかなきゃならんしな
企業人としては一流じゃねーかね。大谷さんとか直江さんは上司だとちょっと困る。
- 637 :
- 汚い手は使ってないのに、悪く言われる筋合いはない。
- 638 :
- 秀長が生きてる間はずっと仕えてるつもりだったのかね?
- 639 :
- そりゃそうだろ。よっぽど関係が悪化でもしなきゃ、辞める理由がない
- 640 :
- 秀長が死んでも、秀保に仕えていたじゃないか
- 641 :
- 300年たっても、誹謗中傷、追い落とし、足の引っ張り合いで何ら変わらないのがなんとも。
また、この人は言いやすいから、言ってやれとタゲられた人に集中砲火なのが萎えるなぁ。
- 642 :
- 再放送がおじゃんになってしまったんだよな
こういう時訳の分からん深夜態にNHKはやると思うんだが誰か上げてくれー
- 643 :
- 城の映像は新しかったけど、昔の「その時歴史が動いた」のときとそう変わらん出来だったよ。
DVDが出てる。http://www.honyaclub.com/shop/g/g14395291/
大きな図書館がある街なら借りることもできるはず。
- 644 :
- 朝鮮出兵時に水軍担当になったのはなぜなのだ?
- 645 :
- 小田原征伐のときに、病気の秀長の代将として毛利や長曾我部の水軍を統率した手腕が
認められたんでないの?
- 646 :
- オR舐められクイーン、長野美郷
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- 647 :
- 見た目ど真ん中ストライ〜クのソープ嬢を妊娠させたくてたまんねぇ
嫁にして子供産ませてぇ〜
- 648 :
- 幕末に津藩が幕府を裏切ったことで遡って高虎も悪く言われがちだが、
日光東照宮の破壊を官軍から命じられたとき、「藩祖が賜った大恩がある」と
言って従わなかったんだよな。
俺の出身県に東照宮が残ったのは、津藩のおかげでございます。
- 649 :
- 井伊直政が浜松譜代だから
高虎も江戸譜代にしてもらえばよかったのだ。
北条旧臣でも譜代がいっぱいいる。
- 650 :
- ちゃっかり徳川譜代になり、ちゃっかり官軍側になる生き残り術
- 651 :
- はっきり勝ち組が決まってから乗り換えたことはないんだよね
少し調べればわかることだけど
- 652 :
- 家康に接近したのは秀吉全盛期だったっけ
- 653 :
- >>652
秀吉はおろか秀長すら存命の時からの付き合いだからな
「秀吉死後に家康に近づいた」なんて話を見ると何見てるんだろうと思う
戦国無双シリーズ新作についに高虎登場で
しかも割とかっこ良さげな役っぽくて嬉しい
これでファンの裾野が広がってくれる事を望む
- 654 :
- でも、だれの直臣か、と問われれば、
秀長であり、秀保であり、秀吉なんだよな。
- 655 :
- 家康の京都屋敷の門を自費で普請した件について、秀長と秀吉が内心どう
思っていたかはわからんよな。
とりあえず、表向き罰することはなかったようだが。
- 656 :
- 幕府側の将兵からは突然の裏切り行為であり「その行い、藩祖(高虎)に似たり」とそしられた
- 657 :
- 二百数十年後の子孫の行動にまで責任を問われても、そりゃ無理な話だ。
草創期の幕府と、それから二百年後、爛熟期・退廃期を過ぎての幕府なんて、
名前だけ同じのまったく別物だろうし、そもそも十五代将軍の慶喜からして
内戦反対派で幕府軍は本当に幕府軍と言っていい代物なのかって話しだしな。
- 658 :
- まあ、滅びの美を愛好する人たちにとっては、高虎の生き様は一見「潔くない」「生き汚い」と
言われてもしかたないだろうさ。
けど、少し深く知ろうとすれば、むしろその知略やサバイバル術に感心してしまうんだよな。
深く知ろうともしないからイメージでしか語れない。そんな奴をまともに相手にするだけ時間の無駄。
- 659 :
- 自分ひとりじゃなくて、家族や家臣や家臣の家族のことも考えたら、
高虎みたいな生き方も肯定できる。
- 660 :
- >658
秀保が死んだ後、出家して高野山へ隠棲したのは潔いと思うけどなぁ
- 661 :
- 高虎が好きなように見せかけてあまり興味ない奴の典型的レスという感じ
- 662 :
- >>661
新参に厳しいなw
確かに高虎に興味持ったの最近なんで充分な知識ないんだ勘弁してくれw
いろいろ教えてくれるとありがたいぜ
- 663 :
- 近所の年寄り曰く、
「昔は高虎は(評判)良かったんやでぇ、
映画にも浪曲(講談か?)にもなったし、
それがさ、あれが書いてからや、あれが悪ぅ書いて・・」
「司馬遼太郎?」
「そう、そいつ。」
- 664 :
- うーん、どうだろ
幕末の時の「藩祖そっくりですね」の皮肉が史実なら
江戸期にはすでに藩祖・藤堂高虎=日和見というイメージ自体は
それなりに巷間に流布してんじゃないの??
司馬遼はそれを踏襲したというか、別にオリジナルな解釈でもないんじゃない
いや、司馬が高虎嫌いなのは確かだろうけど
- 665 :
- おそらくね。高虎の日和見イメージは司馬関係なく、
ずっとついてまわってたんだろうね。
で、一方で恩義に厚いとか彼なりの忠節とかを認める向きもあり、
じっちゃんは後者を見聞きしたんだろう。
とかく、高虎の好き嫌いは二極に分かれるとはよく聞く話だね。
- 666 :
- 司馬の小説で高虎が出てきたのは関ヶ原しか読んでないけど、
そんなにひどい人物像かね?
ほかの小説でも出てくるの?
- 667 :
- 接待は高虎にと言われだったかな。
築城家、武闘派って描写はなし、体格については、女籠からころげでるシーンがあるので、読者が小柄で卑劣な裏切者ってイメージを抱くよう印象操作してるな
- 668 :
- 110キロを籠で運ぶのは大変そうだ
8人がかり?
- 669 :
- >>667
>女籠からころげでるシーン
190cmの巨体が転げ出てきたらびっくるするだろうなぁw
- 670 :
- >>668 >>669
そこが作品中で民明書房ばりに古文献を捏造したり、実在の古文献に
ありもしないエピソードを挿入した司馬らしく、女籠を8人がかりで担ぐ、
女籠から超巨漢が転がりでたなどの描写がないのよ。
おかげで中学時代に関が原を読んだ俺の中の藤堂高虎のイメージは
超劣化型石田三成おべっか使いヴァージョンになってしまった。
あの作品を読んでた頃の高虎のイメージは
身長150cm(当時の標準)、ミスターオクレ並の体格、揉み手擦り手と
おべっかで出世した謀略家、戦下手で人の功を盗み取り、自分の失敗
は人に押し付ける糞ゴミ野郎だったなw
- 671 :
- 小説なんかどうでもいいけどね
いまや大河ドラマですらどうでもよくなってしまった
- 672 :
- ああ、最近の大河観たら台詞回しとかぶっとんだわ。
マジで( ゚д゚)←な顔になった。
あんな出来になるんなら大河ドラマなんかにならないほうがいいかもな。
- 673 :
- >>670
えらいハズしようだなw
一般的にさすがに今時、このイメージはないんだろうなあ。
いや、あるのか??
- 674 :
- >673
むしろ、50、60の権力ある世代が持ってるんじゃないか?
好きでもない武将のこと調べて誤解を解こうなんて酔狂な人間は少ないだろう。
- 675 :
- 高虎のイメージ変わったとよく聞くようになったけど、
それは柔らか頭の世代が多いんだろうね。
- 676 :
- >>673
まあ、俺が、高虎の実像を知ったのは高校2年生の時、友人と鈴鹿の
8時間耐久レースを見にいった時だな。
レース観戦後、地元の飲食店で、相席になった爺さんと歴史談義になって
司馬の描いた高虎についてものすごく怒っていたんで、詳しく話を聞いてみた訳よ。
その時は、半信半疑(地元びいきってこともあるから)で家に帰ってから調べ直して
認識を改めた。今現在の俺の中の司馬評価は、歴史ライトノベルの厨二病作家だな。
- 677 :
- その爺さんはどうして高虎を正しく知ってたのだろうな。
高虎の人生、ほとんど津にはいなかったろう。
清正みたいに土木工事で国がよくなりました、なら伝説になってもいいけど。
- 678 :
- >>677
伊賀在住の人だったかな。
この人のお陰で脇坂安治と高虎がまともな武将だって
初めて知ったわけで、司馬真理教から脱会できたのも
爺さんのおかげ、大恩人ですわ。
- 679 :
- イメージ悪いといろいろ損だよな。
高虎の隠棲中、史書(公室年譜略)にある「家中の士離散せず」も、高虎への忠義に厚い家臣た
ちの美談ではなく、どうせ呼び戻されるのを見越した高虎が予め言い含めておいたんだろうと受
け取られるからな。
大和郡山豊臣家が取り潰された後の高虎は、秀吉にとっては殺してしまったほうが安心できるぐ
らいの超絶危険人物だと思う。
豊臣家の内部事情には精通してるし、秀長には忠実に仕えたが、まるでタイプの違う自分に心服
するかは未知数。家康と誼を通じてるし、家康でなくても他所の大名に仕えられたらたまったも
んじゃない。
監視付きで寺に軟禁状態、ある日病死に見せかけて暗殺の可能性も充分あったわけで。
- 680 :
- 高虎としては、秀長と秀吉とでは一線を画してただろうね。
高虎にとって秀吉はたまたま秀長の兄だったにすぎないような。
高野山にこもるに至っては、仇ぐらいに思ってたんじゃないの?
- 681 :
- >>676
小説を信じて歴史を語るのも
歴史に詳しくなって小説を馬鹿にするのも
どっちも変わらん
- 682 :
- 司馬遼太郎の小説は歴史小説としてはやっぱり上手いと思うけどな
史料にそれなりに忠実でも、小説としての構成とか筆致、
人物像が面白くない歴史ものって多いけど(というか大半がそうだけど)
あれだけの量を書いてて、どれもそれなりの水準っていうのは
すごいことだよ
- 683 :
- 高虎は犠牲になったのだ…
司馬遼の小説的構成…、エンタテイメント…、その犠牲にな…
- 684 :
- >>680
主君の兄だけど本能寺以降の天下取りを間近に見ていた訳だから
尊敬できる一代の英雄だとは思っていたんじゃないかな
大和大納言家滅ぼすに至っては認識改めてたと思うけど
- 685 :
- 高虎は主君に対する評価眼が厳しそうだから、
老醜をさらしはじめた秀吉のことは内心とっとと見限ってそうだ
もちろん、それまでは尊敬もしていたかもしれないけど
- 686 :
- 世渡りの名人
- 687 :
- よく見てみると世渡りベタなんだけどね、高虎。
世渡りよりも技術と能力で引き上げられた感じ。テクノクラートなんだよね。
- 688 :
- 逆に言えば秀長や家康は人を見る目が合ったと言う事か
- 689 :
- 主君を替えて転々としてた20の若造をいきなり破格の300石で召抱えるんだもんな。
秀長の器でかいわ。
事前にかなり情報収集したかもしれないが。
- 690 :
- 藤堂家は近江の名族だからってのもあったんだろう
- 691 :
- 高虎の頃にはだいぶ零落してたと思うよ。お家再興が高虎の悲願だったんだよ。
だから、勝手に主君転々としてたように見えるけど、
背負ってるものは大きかったじゃないかな。
- 692 :
- >>690
名族なの?
まあ村の名前にもなってるから土豪クラスではあったんだろうけど
母親が浅井家の養女になってから嫁いでるのは藤堂家を浅井家に繋ぐためなんだろうね
六角の勢力範囲に近いし
親父の実家の三井家は浅井家滅亡後はどうしたんだろうか?
- 693 :
- 家康が高虎邸に訪れたり
家康と高虎で政宗邸に訪れてるのが記録されてる史料って何だっけ
- 694 :
- まあ世渡りの上手下手で言えば
高虎も司馬遼には及ぶまいて
- 695 :
- 「鳴け聞かん わが領分のほととぎす」
これ自分の手持ちの史料には高虎の作になってるんだけど、
なにげに調べたら加藤清正の作だっていうじゃん。やっぱ、そうなの?
- 696 :
- 7月11日(水)22:00〜 BS朝日
歴史発見 城下町へ行こう! 「伊賀上野」
出演者のピエール瀧がちゃらすぎるから、
多分ダメな番組内容だと思う。
昨晩は高知だったけど悲惨だった。
- 697 :
- ほす
- 698 :
- 幕末の鳥羽伏見の戦いで山崎か男山を守備してたってことは幕府から相当津藩は信用
されてたわけだろ。長州征伐には出兵したのか
- 699 :
- たまにレスがあると、板名もスレ名も読めないヤツだったりする
- 700 :
- 高虎サミットは来年、今治で、と聞いたけど詳細分かる人いませんか?
- 701 :
- >>700
今治の教育委員会か観光局に聞いたほうが早いぞ?
- 702 :
- >>701
んー、そうだね。ありがと。
- 703 :
-
【速報】 塩 鬼 容疑者、違法駐車
まさしく現代に降臨した悪鬼の化身!
てか単なる犯罪者。
- 704 :
- >>700
高虎サミットin今治は再来年の平成26年ぞな
- 705 :
- >>704
えっ、ホント?! 来年じゃないの?
- 706 :
- 再来年はクロカンになりましたね。
高虎はどれくらい出て来るかねえ?
- 707 :
- かろうじて七将襲撃でワンシーンあるかどうかだな
接点が少ないので、登場しても限りなくモブに近い扱いだろ
関ヶ原前夜に黒田孝高が徳川との取次役だった藤堂に
「これから私は自分で勝手に九州〜中国を切り取るつもりなので
その分の領地は息子とは別にくれるよう、あなたから内府に
取りなしてください」「そうそう東軍が勝ったら、長政には、
私とは別に備前あたりに一国ください」という
すごく大胆な手紙を平気で送りつける場面をやってほしいが
綺麗で平和主義者な孝高路線でやるみたいだから、まあ無理だろなw
- 708 :
- クロカンは秀長の参謀を長く務めているし、
高虎は秀長の家臣だから二人の接点は多いよ。
高虎の築城術の師匠はクロカンだとも言われている。
- 709 :
- 黒田家譜でも黒田に関係する小説でも
藤堂は、まずでてこないというか、ほぼ空気なので知らなかった
なんか藤堂の方では、具体的な話とか史料とか書いてあるの?
クロカンが築城の師匠ってのは、正直まったく初耳なんだけど
- 710 :
- 妄想としか言い様が無い。クロカンがいつ秀長の参謀(笑)になったんだよw
- 711 :
- どっちにしても格上は黒田なんだから、
高虎は出てきてもちょい役だろう。
江みたいな大河だったら、出てきたらら負け。
- 712 :
- >>709-710
播州平定から九州征伐まで秀長とクロカンは殆どセット。
そして秀長の家臣と言えば高虎。
クロカンと秀長の2ショットという演出ばかりとは考えにくいので
高虎が加わる可能性は高いと思う。
- 713 :
- その時期のクロカンはむしろ蜂須賀とセットだろ
- 714 :
- 高虎出るかどうか、出るとしたらどの程度か、って方向に意識を変換するべきなんだな。
さるスジから、高虎大河最有力とか聞いてたから、ちょっと期待しすぎた。
はずれたショックからなかなか立ち直れないんだよ。
- 715 :
- むしろ藤堂の大河が最有力という噂の方にびっくりしたお
ふつうに無理じゃろ、と部外者ながら思ってしまう
大河スレでは、真田はずっと有力視されてたり、
今回、下馬評の高かった明智があっさり天王山で
黒田に討死したりしたが
藤堂はほとんど評判にも上がってなかったんで
- 716 :
- nhkのリップサービス真に受けたんだな・・
- 717 :
- おまえら現状の大河のレベルで映像化して欲しいのか?
- 718 :
- お断りだね
まともな原作でもあれば別だが、まともな高虎本は無いもんな
- 719 :
- 黒田孝高スレでは、これまで「スイーツ大河はR!」「まともな原作ないから
無理に大河化しなくてもいい」という意見も多かった
が、大河の主役に決まった途端、スレの住人の大半は大喜びしている
かわいいのう、かわいいのうwww
だから、かりに藤堂が大河が決まったら、ここのひとたちも絶対そうなるって
まあ、どうせ黒田スレも、再来年には「天地人」時代の直江スレのような
「おい、どうしてこうなった…」な葬式ムードになるわけだけど!
- 720 :
- >>719
また無駄に多く照が出てくるんだろうねぇ
- 721 :
- クロカン大河
九州征伐をじっくりやるなら、高虎もでてくるんじゃないか?
根白坂の戦いやったら美味しい役をもらえるぞ!
- 722 :
- 大河ネタはもういいよ
- 723 :
- ところで高虎役は誰だい?
背が高いというつながりで阿部寛…
- 724 :
- 万一、ちょい役で阿部寛の高虎が出たら、将来高虎大河の阿部は絶望だよな。
- 725 :2012/10/27
- というか、大河はもう打ち切りでいいやとさえ思いだした俺
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