2012年09月戦国時代53: 果たして今川幕府創立は可能だったか? (217) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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果たして今川幕府創立は可能だったか?


1 :2010/12/14 〜 最終レス :2012/10/24
もちろん義元が桶狭間で死ななかった場合のIFです。果たして無事
上洛し、天下を手中にすることが可能だったでしょうか?徹底検証
しましょう。

2 :
信玄と氏康が黙って見てるわけがない

3 :
桶狭間までさかのぼってのIFとなると、検証といっても
想像の枠を超えられないから、どうしてもファンタジースレになってしまうな

4 :
氏真の器量と義元の寿命をどれくらいと見るかじゃないかなまずは。

5 :
家康の飼い犬に落ち着いた氏真では…

6 :
足利将軍家の血縁なんだから今川幕府はないな

7 :
氏真って、某ブラウザ戦略ゲーでは半端ない能力なんだよな
愚鈍な人物じゃないって説もかなりあるし

8 :
案外、元康を養子にして跡継がせるとか考えたりしてな

9 :
上洛しても幕府が開けるものでもないしなぁ。
せめて、後北条くらい倒さないと、征夷大将軍にはなれないじゃないかな。
氏真は、時代が味方してくれなかったというか、見放されたと言うか。
義元があんな死に方じゃなかったら、どうだったんだろう。
家康は、忠臣のままで終わりそう。

10 :
太原雪斎はいるの?

11 :
雪斎は史実通り死ぬんじゃないか
合戦で死んだわけでもないし

12 :
義元がどこまで盤石な基盤を作るかと
有能な側近がいるかによるだろうな。
徳川秀忠だってあんなもんだろ。

13 :
足利傍系の今川氏なら、足利姓に復帰して足利幕府を乗っ取る手が使えそうだな
もっともそこまでたどり着ければだが

14 :
今川も結局は寄り集めの集団で、当主の力がものを言ったって事かねぇ。
強固な支配体制、或いはちゃんと家臣化していればだったら、ああも簡単に
寝返る人間もいなかったかもね。
そう言う意味では、>>13の言う通り、足利性になったとしても、統一まで
はいったかどうか。
「義元が」って言う今川幕府ならあるいは・・・どうだろうか。

15 :
>>9 家康はもしかしたら氏真の有能な片腕になるかもしれんが、機を見て政権
転覆。秀頼が氏真になるだけ。
>>3 寿命云々に関して、大上段にふりかざしていえば、当時の時代の流れをど
こまで把握していたかと関係あると思う。この時代の流れを把握できない人間
は古今東西、力量はあっても必ず肝心なところで病気になるか、事故に
あう、あれいは乗ってきた船が転覆したりする。まあだから桶狭間で死んだの
だということになれば、このスレは終わってしまうわけだが……

16 :
おいおい・・・
なんでもかんでも天下を取れば幕府を作ると思ってないか。
義元が京都に上ってもせいぜいが足利将軍家を助けて
室町幕府内に制限された政権を握る程度だよ。
自ら将軍になろうなんて思わないだろう。管領程度か。
大内義興よりは権力握るかもしれないが、
三好か管領細川程度の立場になるだけだろうな。

17 :
ついでに言うと今川義元は桶狭間の時点でもう41歳だぞ。
人生50年の時代にあんまり余生もないんだがな。
しかも桶狭間は京に上るための戦いではないというのがほぼ明らかになっている。
尾張を固めて京に上るとして最低でも45歳くらいになってる。
タイムリミットも少ない中、たいしたことができるとは思えない。
三好、松永を排除として足利将軍家と今川家の勢力拡大くらいが関の山。
どう考えても大内義興か尼子経久程度の権勢を持った大名が東海にできる程度だろ。
氏真が見直し論もあるとはいえ、せいぜいが「今川家を維持する」がやっとで、
それ以上のことはできまい。
家康ならできるだろうけど、今川家という名門を相手に家康がのっとるのは無理。
家康は豊臣という出自の低い家が相手だから乗っ取れただけ。

18 :
おもしろいスレだな

19 :
>>16
だが、義元が手に入れた管領と権勢を、氏真が堅持し、次代に繋げたとしたら
どうだろう。
どっちにしても、幕府は開けなかった可能性が高いけどね。
家康については同意見。
我々は結果を知っているから言える部分が多いが、当時は忠義者で通っていた
人物だし、今川家の筆頭過労程度で終わっていた可能性が高いと思う。
しかし、家康と言う人間は、期を見るのに長けた人物だよなぁ。

20 :
まずは尾張制圧とその後について論じる必要がありそうだ。

21 :
Ifとしては、田楽狭間は敗戦したものの死ななかった仮定ぐらいからの方がいいと思う

22 :
それでも、有力な重臣の多くは死ぬから
今川の力は衰え、松平の独立にも繋がるかも

23 :
有力家臣が多く死ぬってことはむしろ今川本家の力が強まるんじゃないの

24 :
>>23
義元が健全だったら家康も独立しないだろうし、そうかもね。

25 :
その後今川は織田と不戦同盟を結び、
義元父子は政に情熱をなくし、やがて駿府は小京都と称されるようになり
そして一族にあたる重臣某の(ry

26 :
なんだ大内家か

27 :
桶狭間で織田撃退していたら、松下之綱の縁をつかって木下秀吉も使ってくれと仕官しにくると思う。
結局、信長が義元に代わってオールスターが揃いそうだね

28 :
義元が健在なら甲駿相の同盟はしばらく維持されるね。
そうなると甲斐では義信がスムーズに家督を継ぐことにも繋がる。

29 :
>>28
武田GOODENDだな

30 :
義信が家督を継いでいたらって言うのも面白そうだね。

31 :
そして長篠の戦いで勝頼は討ち死にした1人になるのですね

32 :
たぶん勝頼にとってはその方が…

33 :
義信の器量が問題だな。果たして今川、北条につけこまれないだけの人物
か否か?

34 :
盛信に勝頼、信玄子飼いの家臣もいるしそこは大丈夫じゃないか?
義元や氏康よりは劣るだろうけど、氏政氏真とは渡り合えそう

35 :
>>33
血縁結んじゃって義元が上洛するほどデカい勢力になったのなら取り込まれるだろうなぁ
その分戦争なくなるからいいかもわからんが

36 :
軍師がいないから無理だろう。


37 :
上洛した頃に義元何歳かはわからんが
あの頃だって義元政治手腕抜群だし、部将達も合戦は強いし、そう無理でもないだろ

38 :
どうだろうな・・・結局
戦国が長引くだけだろーな
氏康がなぜか桶狭間を知っていて一気に駿河・遠江を制覇
なんてほうが、戦国に片がつくかも?関東の幕府で・・・

39 :
今川義元は、由緒ある守護の家系で、分国法の追加をつくったりと政治力にたけ、駿河・遠江・三河と押さえ経済力・軍事力は抜群、三国同盟で後ろの抑えも充分。尾張進行も成功してたし、本当に桶狭間で敗死するとは、誰も思っていなかったのは、確かだね。
私見だが、もしこのワンミスがなかったら、天下に一番近かった人だろう

40 :
しかし織田信秀には何度も負けているんだよな

41 :
桶狭間戦記も完結したけど、今川義元再評価として結構いいネタにはなった気がするな
て言うか古の光栄が低評価したばっかりにここまで祟られるとは義元さんも思わなかっただろうて

42 :
最新の信長の野望(天道)のPKから、義元の顔が公家顔から変わったね。
光栄もやっと評価を見直したと言うところか。
我が家は、歴史好きな兄弟なんだけど、義元は政治家として、かなり評価が
高い。

43 :
>>42
イケメンになったよな

44 :
谷原がやったからか?w

45 :
>今川家の筆頭過労
なんかヤダな・・ だがありそうでもある

46 :
今川家は足利宗家になることができる特別な家柄だったけど、
室町将軍家・鎌倉公方家・吉良家の男系が断絶しない限り
足利宗家の地位は回ってこなかったわけだな・・・

47 :
>>17
とはいえ討ち死等を除けば、大名の生化学上の寿命はそこまで短くもない
41ならまだ若い部類だ
早雲や元就の様に50を過ぎてから急激に躍進する人物も多い

48 :
運のみで勝った信長に可能なんだから、
義元だって運さえあれば可能。
・上洛途中の大名が若死。(領土2倍に)
・上洛途中の大大名がたまたま御家騒動で没落。(領土3倍に)
・上洛後、超強敵が次々と若死。
これだけで十分か。

49 :
>運のみで勝った信長に可能なんだから、
そう思っている時点で、その説はダメだなw

50 :
義元はかなりの肥満体だったらしいし長生きは出来なさそう
桶狭間の時ですでに40過ぎ、上洛して機内を平定して幕府を開いて、尚且つ安定させるには時間が足りないな

51 :
>>50
肥満体であったというソースプリーズ

52 :
>>50>>17
とはいえ討ち死等を除けば、大名の生化学上の寿命はそこまで短くもない
41ならまだ若い部類だ
早雲や元就の様に50を過ぎてから急激に躍進する人物も多い

53 :
義元が誤解されている…

54 :
駿河、遠江、尾張を手に入れれば、上洛なんて余裕だろうな。

55 :
斎藤義龍甘くみるな

56 :
尾張制圧後の政は氏真にまかせて義元自身は隠居するつもりだったんじゃないかと思ってる

57 :
成田義元ならば信長は瞬殺ですよ

58 :
元康とかをみると義元自体の器はでかかったんだろうな
でも、器がでかすぎて大丈夫だよ〜とか酒盛りしてたら・・・
省略されましたこれ以上読むにはせっさいせっさいと

59 :
>>55
すぐ死ぬから問題ない。

60 :
信長級の運があればなぁ。
織田家の跡取りが13歳、
斎藤が観音寺騒動で弱体化、
武田、北条が相次いで若死。
ここまでお膳立てされれば開幕なんて余裕。

61 :
「人間五十年」は「寿命が五十歳」って意味じゃないよな。

62 :
体が動かなくなるから50歳で戦死するって意味かな

63 :
31歳で死去。年齢的には幕府創立余裕。

64 :
41だった

65 :
>>62
> 「人間(じんかん)五十年」は、人の世の意。
> 「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされる。
> 「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。
> 信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。
> 「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」の正しい意味は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」である。

66 :
意訳すれば
「50歳までに500年分楽しんじゃおうぜ!」

「若いうちに色々と冒険してみよう」
みたいな感じかな
J−POPの歌詞みたいなもんだね

67 :
ところで、よく「雪斎が行きてりゃお家安泰だったのに」ってのがあるけど、すでに
駿府・三河を所有する大大名がたった一人の部下のせいで衰退したりする家臣システム
じゃ尾張を制圧出来てたとしても無理だったんじゃない?
それに、比較的人民が裏切りにくい農耕系のはず。尾張、美濃特有の商人気質に耐えられたかどうか・・・

68 :
衰退というけど、
今川氏真はけっこう持った方だと思うけど。
忠臣多かったし。
でもまあ人間、代えのきかない人は居るもんだ。
十河一存、香宗我部親泰、豊臣秀長、、

69 :
朝比奈泰能とかの死も影響も大きいかもね

70 :
>>68 でも、積極的攻勢に出れてた、強国今川家も、三河衆の離反とか武田の同盟
反故とか色々、守勢に回ったわけで・・・
でも、確かに、替えが効かない系の人って昔は多いのかな。
家臣団の人数と言うか今と違って自分の領国の民が文字すら読めない・書けナイだったし
替えが効かないじゃなくて替えがいない?

71 :
>>68 でも、積極的攻勢に出れてた、強国今川家も、三河衆の離反とか武田の同盟
反故とか色々、守勢に回ったわけで・・・
でも、確かに、替えが効かない系の人って昔は多いのかな。
家臣団の人数と言うか今と違って自分の領国の民が文字すら読めない・書けナイだったし
替えが効かないじゃなくて替えがいない?

72 :
御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ。
フッフッフ、キラーン

73 :
吉良って長曽我部に居なかったけ?

74 :
今川は足利幕府の補佐を考えているだろうから、今川幕府は無いな。
あったとしても苗字を足利に戻すから、後足利幕府だろう。

75 :
よくて大内義興どまりだよ。仮に上洛しても。
信長でさえ義昭を呼び戻し室町幕府を仕切り直ししようとしてたっぽいし
案外、征夷大将軍ってのは聖域だったんだろう、当時の感覚からすると。
義元やら信玄やらが幕府を潰すとは思えない

76 :
義元が生きて織田を潰したら、足利義昭は義元を頼ってくるのかな?

77 :
可能性は高いんじゃないか?
上杉憲政が関東管領と上杉姓土産に庇護を求めたのは長尾より先に佐竹(←先祖が途中から上杉)に打診したらしいからな
やっぱ親戚の世話になりたいだろ

78 :
そもそも織田潰しは、義輝の要請という論もあるよ。

79 :
なんでそんな早い時期から織田家が警戒されてんのよw

80 :
>>73
源希望の後裔に養子に入った。
今川は副将軍か吉良義尚のような将軍代行か、それだろ。
義昭の子供が将軍にならなければ、将軍もありだっかかも。

81 :
今川家って、江戸時代で言えば徳川御三家の二番目ぐらいなのかなあ
徳川御三家の二番目の紀州家は将軍家の跡継ぎ不在によって将軍の座を
射止めたけど

82 :
武田信玄が今川に臣従して、義元のいうとおりに動く合戦屋になれば、
幕府創設まで行けたんじゃないの?

83 :
義元と寿桂尼が死んだ後の政略をどうするかが問題だなぁ
三浦なんてのが取り仕切りだしたらあっという間に傾きそうだし・・・

84 :
今川義元が討ち取られた報を聞いた信玄や氏康の驚き方はハンパじゃなかっただろうな〜

85 :
イマガーやきっておいしいね

86 :
義元が死なずに尾張を平定したら次は美濃方面?それとも伊勢周りか?
どっちにしろ長慶死ぬの待たずに上洛作戦展開しても近畿の大和か山崎で三好家と大激突してぼろ負けしてんじゃね?
上洛の名分がなんであれ足利の親戚が大軍率いて京を目指す。ってなったら当時最強の三好家・長慶&ブラザーズが今川を上回る7万近い戦力で後のない死ぬ気の覚悟でぶつかると思うんだが。
結果今川家敗北濃厚かと
京周りで当時三好家本拠の芥川城を狙うとしたら、秀吉光秀合戦の場所となった京大坂間の要所で、さらに芥川城から半日の場所の山崎で三好家は迎撃するんじゃない?
ここは西から東に突破するのは難しく三好家本城とも半日の距離で士気も違う。
伊勢周りだと信貴山城が邪魔になり攻めるなら三好家の後ろ巻き、スルーなら挟撃。
後ろ巻き期待できる籠城戦で有力家老の松永が降伏する事は期待薄。
伊勢周りのが可能性は低いと思うがこの場合斎藤家の南下が今川家の崩壊の引き金かと

87 :
斎藤は武田に抑えてもらいましょう

88 :
史実で織田に敗れた三好に負けんの?
北条武田と同盟結んで東海から尾張まで抑えてる今川が?
こっから信長と同じように進めてけばそれだけで織田より有利なのに

89 :
てか義元公ってどの方向に勢力を伸ばしていくつもりだったのかな
尾張がターゲットになってたのは間違いないけど、そこからさらに西に行くと
えらい細長い領土にならないかなあ それとも本拠地を西のどこかへ移していく
つもりだったのか・・・ あるいはそのうち三国同盟を破棄するつもりだったのか・・・
西の京の都は遠いし関東でやっていくには北条、武田らがえらい邪魔になる・・・

90 :
>>88 長慶存命中ならボロ負けするでしょうな。
河内・摂津・和泉・大和・讃岐・阿波の六カ国と淡路・丹波の大半・播磨や山城の一部を支配下に置いて1562時点で三好家だけで6万超える軍勢を動員してる、当時最強の天下人だったしね。
三好長慶の名声は東西に轟いていて、正味の話、長慶存命中は今川家だけじゃなくどこが上洛作戦展開しても勝てないでしょ。
義昭を担いで朝倉家が上洛しなかったのも当主がポンツクってより、長慶の後光にビビってのことだしね。
まぁ長慶死後、家督争いで一族・重臣入り乱れての混乱の隙を突けた信長は強い運の持ち主かと。
長慶死後なら今川家でも三好家に勝てるでしょうな

91 :
あとから来た織田信長の知名度のせいで堺ですら無名に近い三好長慶。

92 :
桶狭間が1560で実休戦死が1562
桶狭間から2年以内に三好とぶつかるんならやばいね
実休が死んだ後なら長慶いても今川のほうが

93 :
一存死亡1561。
六角は反三好だよね。今川互角に戦えそうじゃね?

94 :
幕府はダメっぽいな

95 :
>>93
それが、六角さんの崩壊の引金は三好と組んで織田(浅井)と対抗しようとした所
それ以前にも六角義治が三好に接触して六角家臣から反発うけた事があった。
三好之虎が死んだとしても阿波には篠原長房がいる
まあ今川が上洛する事でのキーワードは三好よりも足利がどう動くかで変わるだろうね。
足利次第で三好や他の大名の動きがどうなるか

96 :
武田北条はどうするの?

97 :
武田は信濃から飛騨、越中、越後で北条は関東でしょ
特に今川と揉めなきゃいけない理由はないよ

98 :
今川に幕府はないかな。武田・浅井・朝倉との連立政権?

99 :
どう転んでも、武田あたりに消滅させられたろうな。まぁ、雪斎が存命なら・・・・、ゴメンやっぱ無理

100 :
武田って13代目の時、今川に負けて甲斐から追い出されてるじゃん。
知名度、実績からいって今川圧倒的じゃね?

101 :
義元自身はなんとかなるとしても、跡継ぎが和製阿斗じゃねぇ。

102 :
わかんねぇぜ
蹴鞠の才能があったんだから、手先足先は器用って事だし、手先器用な人でトロい奴はまぁいないし頭の回転は早そう。
頭の回転が早いって事は器用応用が効くって事で、かなりの政治的な器の持ち主かと。

ひょっとしたらバカ殿扱いされてんのは影武者で、戦の世を嫌って道楽の道を究める為に侍を辞めてたかもしれんが…

103 :
江戸時代には「今川流」なる剣術流派があって、流祖は今川義真という今川氏の人物だそうだが、一説によれば義真は氏真と同一人物らしい
ただし根拠ははっきりしないのだが

104 :
氏真は普通の人なんじゃね?
状況が状況だったから相当政治力や戦略に
優れた人じゃないと生き残れなかったでしょ。
武芸と世渡りが上手な普通の人。
うまい状況なら普通に運営できたろ。

105 :
あれを切り抜けられない程度の能力でもあるわけだ
普通な人に天下は取れんだろうし、とっても瓦解する

106 :
少なくとも足利義昭レベルではあったんじゃないかと
(もちろん馬鹿という意味ではない)

107 :
素晴らしい世界に為ってそう!?♪。

108 :
>>105
しかし二代目にそこまでの能力がいるのかね?
仮に関が原で家康が死んでたら秀忠は暗愚の代名詞になったとおもうんだよ。
でもうまく幕府を運営したわけで。
氏真がうまくまわしてく力があったかはわからないけど
そういう部分があったとしてもあの状況では生き残れなかったとおもうんだよね。

109 :
そもそも1560年上洛の途についた義元に、明確な乱世統一ヴィジョンがあったのかが不明。

110 :
そもそも義元は上洛の途など行っていない
桶狭間は単に親の代から続く今川・織田の勢力争いにすぎない
織田陣営の諸城の武将が今川に寝返ったばかりで、
状況的に好機とみた義元が一撃を食らわそうと進出しただけ
仮に信長を討ってもその先に、美濃の斎藤、近江の浅井、六角と、どう見ても上洛は無理
上洛についての事前の京への根回しもまってくしていない

111 :
>>108
二代目と考えると納得できないかもしれないけど、支配機構・体制の確立期の統率者としてみたら、普通の人では支えきれないと思わないか?
勿論それだけの体制を義元が構築できるなら普通の人でも問題ないが、実際問題徳川でも数代にわたって整備していったわけだから

112 :
氏真が某武将のように雷に打たれて覚醒したら大丈夫でしょ
氏真無双突入で東は関東から西は近畿を支配下に、残りは真・氏真モード突入で楽勝でしょ

113 :
義元が上洛したところで、足利将軍を補佐する管領・副将軍ポジに就くくらいだろ
自ら幕府開こうとするとは思えん

114 :
冷めたこと言うなよ

ここは可能性を追求する場所だぜ
因みに雷に打たれて覚醒する可能性は
雷に打たれて全身の細胞が癌化=約10×15乗×17=α
全身癌化した細胞が通常の生存可能=約10×40乗×16=β
不死身の覚醒氏真無双モードの可能性は、α×β=約10×8000乗×2
一等2億円を地球の誕生から今まで毎年当て続けた確率より薄い確率…
コレを引いた氏真が幕府を開けない訳がない
まぁ、可能性的には限り無く0だが、0ではない訳で…

115 :
>>110
尾張を手に入れた時点で敵無しだろ。

116 :
>>115
尾張を手に入れても本拠を前進させないと破たんする
武田みたいに甲府くんだりから遠征繰り返してたらな

117 :
>>116
義仲も頼朝も尊氏も大内も破綻してないけど?
そもそも岐阜くんだりから、何度も遠征繰り返してたのは信長。

118 :
>>117
戦国以前は短期間で兵を動員する方法が確立しておらず
一度、大軍を作ってしまえば無敵の快進撃になったらしい
城で篭城って言うより、砦に集合して出撃する戦い方だし

119 :
>>117
京を抑えながらも退去した大内を成功例に挙げる意図は?
武田・北条が大内の尼子に絶対にならない保証もないのに
あと長征してて負けたら死亡必死だよ 義仲やら新田やら顕家やら 尊氏みたいに縁もゆかりもない西国落ちして盛り返すのは奇跡

120 :
奇跡多すぎて面白いw
本拠地移転の方が有利なのは良いとして、
義元が本拠地移転に難色を示す理由とは?
つまり、今でこそ今川と言えば駿府かもしれないけれど、
当時そこまでの意識はあったのだろうか?

121 :
足軽に討ち取られるのは、公家の真似事してた軟弱豚義元にふさわしい最期

122 :
歴史ってのは勝者が書く訳で。
負けたから能無しでと誇張されてるだけでしょ
参謀がすごかったとしても取り入れる度量と
家督争いは征してるからね
ここ一番の運は無かったわけだが。

123 :
負けるのは実力的な部分もあるが
首とられるのは不運すぎるな。

124 :
大将が戦場でクビとられるって恥ずかしすぎる。滅多に無い。

125 :
本当の臆病者や退嬰主義の人間は、なかなか自分の城から出ようとはしない。
国力を総動員してでも尾張を取りにいった義元を軟弱とは思えない。
それに、下克上の時代において国内を強固にまとめ、武田や北条から
国を守り続ける事が出来たのは、義元の器量によるところが大と思う。
桶狭間は、義元の命令に頼りっきりだった今川家臣団と、義元をRには
どうすりゃいいかと自分で考え、動いた信長馬廻り衆の起動力の差が出た
結果ではないかな。

126 :
それもあるかもしれないけど、単純に「時の運」が信長に味方した気がしない
でもない。

127 :
義元は旧権力を維持しようとした。
もはや時代が彼のような行動を許さなかったのだろう。
風雲児織田信長の踏み台にならざるをえなかったのだ。

128 :
実際は義元は死なずに天海となって家康のオブザーバーになったけどね。
後づけの資料には義元を討ち取ったとあるが、桶狭間で負けたのは事実だが今川義元が討ち取られた。て事は織田家が言ってるだけで今川家は最初認めてない。
義元が桶狭間で負け今川家を出奔した事で今川臣団は誤解して偽の首級を持ち帰ったしな(織田家はなかなか渡さなかったが、端っから討ち取ってないので首なんて有るわけない。偽首準備の時間稼ぎ)
徳川家の当時の資料や江戸時代の資料には、桶狭間での今川家の敗北には触れてるが義元戦死には一切触れてない。
最後まで天海の素性は謎のままだが、江戸初期には義元=天海説が徳川家臣団に囁かれ続けてたしさ(水戸日記・尾張郷土史)
まぁ、義元的には桶狭間で死んだ事にして生まれ変わった環境で生きてけたしそこそこ幸せだったんじゃないかな

129 :
化粧落としてるから普段見慣れてるはずの家臣も判別付かないしな

130 :
その場合、義元はなんで今川を出奔したことになってるの?

131 :
たしかに出奔の理由は気になるな
一般的にそれなりの理由さえなさそうだし。
「麻呂、一足先に京にいくでおじゃる。
皆の衆は各国蹴散らしながら追いかけてくるのじゃ」
〜桶狭間で敗戦〜
「拙僧は浮世を離れた修行の身、過去は一切捨て申した  でおじゃる。」
こんな感じか?w

132 :
>>130-131
出奔理由がとても曖昧でした。
尾張郷土史の話では『日々に鬱み』と簡潔…
水戸日記は出奔理由には触れず
この出奔理由以外は信憑性激高なんだが、出奔理由が無い・薄いせいで、義元=天海説が支持されません…

133 :
まだ続いてたか・・・ifでも無理だろ

134 :
氏真に暗殺されそうになったとか
そもそも氏真から逃げる為の尾張出兵だったかもしれん

135 :
小田原に逃げるだろ。

136 :
静岡人必死やね。今川義元なんつーのは織田信長に足蹴にされたザコなんだよ。

137 :
負けた奴は悪いやつと言われはするだろうが
脳なしとは言われにくいと思う
だって勝った方は脳なしなんぞに勝ったところで自慢にも何にもならないし。
自分をよく見せるには負けた奴は悪いやつと落としたほうが見栄えはいい。
織田の史料で今川を馬鹿だとか無能だとか書いてあるものはない。

138 :
義元が公家みたいだとか、陣中で酒飲んでたという話は
江戸時代に書かれた軍記物に書かれているものだけ

139 :
信長公は今川が鉄砲を使ってるのを見て痺れて憧れて鉄砲打ちになったそうな

140 :
義元は肥満体で乗馬が下手糞だったらしい

141 :
普通体型の俺だが乗馬は無理だ

142 :
陶とか

143 :
服部小平太に鑓で狙われたときに刀で膝を切り払って戦闘不能にするくらいの
腕前はあったわけだよな?

144 :
小平太?誰それ?
義元公が本気出してたら織田の小倅や生臭坊主やナルシストには完勝できるよ
義元公には旗本八万騎がついてるからな

145 :
公家かぶれのピザが調子こいて遠征したら失敗したというのが桶狭間合戦の真実。

146 :
さめてるな~、もしもだよも・し・も!
・・・でも、無理。

147 :
どういう意味?

148 :
了俊が一生懸命捏造と宣伝して回ったけど、足利一族の家格って
足利>>>>斯波>>(越えられない壁)>>その他
だし。斯波は足利幕府成立前後では斯波ではなく足利名乗ってたし
元々政治に参加しなくてもよい将軍に次ぐ貴主であるのを義詮や義満が一段落として管領に突っ込んだって経緯があるわけで
徳川幕府でいうなら斯波のみが御三家相当で、他は御三卿にも満たないだろうよ
だから今川が足利に改姓して将軍になるってのは無いでしょ。それやるぐらいなら今川幕府作った方が反感は少ない
足利幕府っていう体制を残すなら管領ルートだね

149 :
ifを連発すれば何でも有りだが
当時の織田家さえも屈伏させられなかった人間に後のifは不可能。

実は、アンサイクロ〜に書いてた通り、上洛の目的は今川焼きをみんなに食べてもらいたかっただけだと思う。
軍を引き連れたのは見栄を張りたかっただけ。
厨な信長が過剰反応しただけじゃ?

150 :
だとしたら信長最低だな
ただみんなに美味しい今川焼きを食べて欲しかっただけの義元公を不意打ちでRなんて

151 :
今川焼きは江戸時代以降の食べ物だろ。

152 :
>>151
細けぇ(-_-#)

153 :
>>151
ツマンネ

154 :
今川義元の最後 桶狭間の戦いはなかったver
丸根と鷲津の砦を落とした今川軍は
城の前に捕らえた百人程の捕虜を横並びに並べると後ろから襲い掛かる。
今川兵壱「てこづらせおって!食らえっ!!」
織田兵壱「ぎゃあああっ!しっ尻が裂けるうっ!?」
今川兵弐「ふんっ!ふんふんっ!!」
織田兵弐「痛いっ!痛いーっ!!うっ動かないで・・・っ!!」
総大将の今川義元も敵城主佐久間盛重の尻に夢中になっていた。
義元「田舎武士の汚い尻もたまに味わう分にはいいものじゃ、ふんっ!ふんふんっ!!」
盛重「うあっ!ズンズンくるうっ!?」
だが・・・
織田軍「わあああああっ!!」
そこへ信長率いる織田軍3千人が玉砕覚悟で攻めかかってきた。
義元「おわっ!敵じゃ、早く下穿きをはかねば・・・・」
そのまま戦っていれば今川軍の数の優位は揺るぐことはなかったが、
しかし身なりや礼節を重んじる彼らはフルチンで戦うことをよしとしなかった。
織田兵参「参るぞ!覚悟!!」
今川兵壱「ちょっとまて、今竿を綺麗にして服を着るからな」
織田兵参「何を抜かしやがる!とりゃーっ!!」
今川兵壱「ぎゃああああっ!!」
かくて今川軍は大混乱。
義元「おのれ!下穿きをはいている最中に襲い掛かるとは卑怯千万!!」
新助「御大将に一番槍!食らえ!!」
義元「うぎゃああああっ!槍が尿道に刺さったっ!!!」
今川軍はほとんど抵抗らしい抵抗も見せぬまま大将を討ち取られ壊滅した

155 :
>>150
>>148氏の指摘している通り、
大判焼きを今川焼きと称したから反感を受けて織田勢の猛攻を受けたのかも知れん。

156 :
そんなに斯波が凄いなら末期は悲惨の一言。
超無能人斯波義銀の子供は守護代の奉行の出の(=信長)の無能の3男(=信雄)に
秀吉の策略にはまり暗殺されるという有様。同族最上に至っては早くも1617年に
お家取り潰しw。高水寺斯波氏もある程度の家格は何とか維持していたとは言え,
秀吉の時代にはいない有様。
足利一族は無能すぎる。吉良しかり斯波しかり。

157 :
>>156
そりゃ今川含めて上方武者の末裔だしさ(ρ°∩°)
どうせ、俺達上方もんは戦は向いてませんよだ(≧ヘ≦)

158 :
第8連隊の戦績に敗北はないぞ?

159 :
9連隊も8連隊も弱すぎだから昭和期に編成変えたんじゃね?
京都なんか大阪と一緒にされたら恥かくくらいで、敦賀と連んで4師団から飛び出すし。
っていうか河内源氏の頭領が平家が憎いよ〜って泣きながら、
板東平氏の嬢ちゃんに泣きついて出来たのが鎌倉幕府で、
その名門が足利・新田だろ?

160 :
義元公の話で新田義貞が出てくるとは…
深いところに行き着いてるな

誰か結論言ってくれ
義元公は男色だったのか?

161 :
戦国時代で男色じゃないほうが珍しいんじゃね?
だいたいあたりまえの事は書かない、よって普通に男色だった思う。
よっぽど男色狂いとか女狂いはそれなりに記述が残ってるでしょ?

162 :
寺出身だからそれなりの嗜みはあるはず。
まさかせっさいとせっせいと毎日、、

163 :
寺出身ならなおさらじゃね?
それに小姓がいくらでもいるっしょ

164 :
ハードゲイ…
全国時代って終わってるね
自分が10代前半の時に50前後のオッサンにRられたり掘られたり、逆にRらなあかんかったりしたら…
手首切りたくなるわ

165 :
>>164
男同士の方がやっぱり気持ちいいみたいよ
精神的に繋がれるし

166 :
久々覗いたけど話の流れが変わっとる!

167 :
当時の日本は、男色も女色もいける両刀の風習・風土があっただけで、
いまでいうゲイとは違う

168 :
今の感覚で男色を批判するなよ・・・

169 :
そう素直に男色って信じて良いんだろうか?
武家なんて男子相続が自然だけど、娘しかいない家なんて普通にあると思うんだ。
そういう家の中には、あっさり女の子を男装さしちゃえって思う家だってあるだろ?
そういう子と付き合ったのが男色扱いなんじゃね?
で出来たら、適当に、誰かの子供ってことにして、養子にとる。
で然るべきタイミングで自分は適当なところで死んだことにして女に戻る。
そんな話の方が、どいつもこいつもバイなんてより理解しやすいんだが?

170 :
なるほど。
すると信長か利家のどちらかは女ってことに。

171 :
>>170
信長公の狂乱ぷりは女そのものかと
後、この板の有名人の方の森公と磔公も、律儀さからして女かと

172 :
いつも戦場から一人離脱し、
子供の母親はほとんど全員不明、
正妻の墓も不明、
愛妾の醜聞も無い。
勘が冴え、
普段は博愛ながら、
愛憎の激しさは人の三倍。
信長が女の可能性はかなり高いと思う。

173 :
それなら子供は信長が産んだことになるのか
信雄・信孝兄弟の生まれはどう解釈する?

174 :
>>173
実は信長公こそが
真性のバイ
女なのに女が好きだったんだろ。
しょうがないから、本当の養子。

175 :
>>173-174
普通に双子だろ。

176 :
そもそも侍はデフォでガチホモってのが間違いでしょ?
妾たくさんいた秀吉や家康筆頭に吐いて捨てる程女好きの武将や世間山話はあるんだが
いないとは言わないが今も昔もリアルゲイは少数派でしょ。
上のレスの真逆で、みんな女好きだからそこそこの女狂いだと話残らず、突き抜けての女好きぐらいで後世に残る。
逆にリアルゲイは少数派だから有名武将がそうだとしたら話が後世に残った。みたいな。
ことわざでも、英雄色を好むってあるぐらいだし。
この色は男色とか無しな。歴史の偉人は皆さん女大好き人間。ってのを皮肉った言葉だから

177 :
たぶんだけど、昔の男性社会って女ってものを差別してて、どうも女は汚らわしいとか、
信用できないとか、人間よりワンランク下がる生物として見てた気がする
対等に愛し合えるのは男同士だけだったんだろう

178 :
女が汚いという考えは男には昔からある。
生理に出産に伴い汚物を撒き散らす動物だからね。

179 :
不浄ってのと、汚らしいあっち行けは別だろ。
神社の巫女ってのは普通にいるし。
尼寺ってのも尼僧ってのもいる。
女を忌避した原因は、
月に一回、合計1週間弱(人によりゃもっと軽い)異常に能力が低下する。
女一人で2〜5(普通の良いとこの奥さんの出産数のイメージ)人出産するから、次世代確保のための保護。
じゃね?
原始時代なら股間から血を垂れ流すから、
肉食獣に狙われて迷惑するってのもありそうだがな。

180 :
戦国時代は本当に男同志でRまでしてたのか?
風呂で背中を流すとか、風呂上がりに雑談しながらマッサージとか程度じゃね?
Rまでしていたとは思えないんだよ。けつの穴なんてRついて汚いじゃん。
女のRは最古の職業といわれるけど、
男の娼婦なんて一般的じゃないしな。
いつの時代も、女より男が好きなんて男は少数派だったと思うんだけど。

181 :
>>169
>武家なんて男子相続が自然だけど、娘しかいない家なんて普通にあると思うんだ。
>そういう家の中には、あっさり女の子を男装さしちゃえって思う家だってあるだろ?
直虎→美少年→彦にゃん
ここは歴代女性っぽいな

182 :
>>180
男色って言うけど、
当時は少年をはべらせるんだぞ。
森乱丸21歳、森坊丸15才、森力丸14才とか。

183 :
>>169
ねぇよwwwww
何のために婿入りという制度があると思ってんだ。

184 :
男色とか終わってるわ

不純異R遊どころの話ちゃうし

185 :
>>184
先進国ほどゲイが増加してるんだけど、
何故かと言うとSex and the Cityみたいな男アサリに、
男達が疲弊してどうしても男に癒しを求めてしまうんだと。
女が終わってるのか、男が終わったのか、都会が終わってるのか、、

186 :
まあ現代の日本がまったく先進国でないという意味では納得だな

187 :
森家の家系からすると実際はマッチョだったらしい森乱丸
巷説の類の美少年蘭丸じゃないので信長の寵堂ではなく
単に本人の才能+忠臣の遺児なんで信頼できるから側近にしていたというのが
有力説だけど
信長がネコだったとしたら別の意味で寵愛されてた可能性はあるなw

188 :
>>183
でも身代ごっそり他人にとられちゃうのは嫌だい!って家もなくもないかもしれんよ。
それこそ謙信女性説なんてのもあるしさ。

189 :
昔も一定の比率でISとかいたんだろうな

190 :
火事場の男色パワーで二条城まで一気じゃい

突き抜けるぅぅぅぅう

掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘る掘るぅ

191 :
男色説を否定したがる奴は戦国武将の名誉のために
そんなことを言っているのかな?
しかし前田利家が信長とやってたという文書も
小早川隆景が大内義隆とやっていたという文書も非常に名誉で自慢げに書かれているんだけどな。
加賀藩の記録によると諸将の前で前田利家が信長と若い頃やってたといわれる利家は光栄と感激のあまり涙を流し、
諸将は羨望の眼差しで見たということだ。
確かに男色に関する捏造とか嘘はあっただろう。
でも、そういうのはむしろ「本人の名誉」のための捏造なんだろう。
「○○公はこんな凄いお方と男色関係にあったんだぞ!!」という。

192 :
今川スレと思ったらホモスレだった

193 :
そいつぁホモスレえ

194 :
>>191
股佐左衞門の槍伝説は、捏造かよ!!!

195 :
>194
別に両立しない話ではないから。
槍の股佐は突く方と突かれる方の話。

196 :
氏真は一人っ子?

197 :
ペリーの近親者の誕生日に絡んだ著名な事例
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0204/45/296.html
その多くにあったのが、徳川幕府の日付であった。

198 :
成田三樹夫の今川義元ならば桶狭間で信長を返り討ちにし、一気に今川幕府を樹立し、寿桂尼どのを従一位にすることは容易かった。

199 :
>>196
出家した弟とか義信の嫁とか

200 :
信玄の代には互角だったろ、三国同盟も信玄のおかげだし

201 :
太原雪斎さえいればね

202 :
足利将軍家の御三家クラスだろ? 今川家
ほかに候補がいっぱいいたんじゃねーか?

203 :
幕府は無いな。三好を追い払って足利義輝を支える形になり
高祖父の今川範政に倣って征夷副将軍に就任して終わりだろ
まぁそれも義元一代限りで氏真になると近畿撤退してそうだが

204 :
太原雪斎の過大評価は異常
こんな坊主1人おっただけで幕府が開けるとかありえねえよ

205 :
家康の師匠ということで評価がかさ上げされてるんだろうな。
王の師匠の荒川みたいに。

206 :
今川仮名目録を制定できたのも、義元が家督を継げたのも、三河を領国にできたのも全部雪斎のおかげだろ
今川義元の右腕として手腕を発揮し、今川氏の発展に大きく寄与したことから、
「もし雪斎が1560年の桶狭間の戦いまで存命していたならば、義元が織田信長に討たれるようなことは決してなかった」
「今川氏の衰退は雪斎の死によって始まった」等と評する文献も少なくない。

207 :
そう言うたらればを言っていたらきりがないな、家康がおそれた武将がいっぱい
いるのと同じだ。。
基本的には、雪斎のおかげだではなく、雪斎を使い切れた義元の才能だろ。
どんな才能があるものでも、自分が当主でもない限り、才能をはっきする機会を
貰えなければ、一生鳴かず飛ばずだ。

208 :
>>205
> 王の師匠の荒川みたいに。

野球ファン以外にはわからんたとえだww

209 :
>>184
悪左府と清盛の弟って男色関係だったらしい。
日本って古来より凄かったんだな。

210 :
釣れますか。

211 :
後小松が本当にかわいそうなのは義満が存命してた時でなく晩年
息子の死後跡を継いだ養子の伏見宮家の後花園に最後までこだわっていた自分(後光厳流)の嫡流としての存在を否定されてしまったこと

212 :
今川了俊の話か?

213 :
細川政元が修験道に凝って生涯帯妻せずアッーなことがなければ、今川さん家も別の展開が有ったんだろうな。
政元くんが、一人でかなりがんばって室町幕府をぶっ壊したのは間違いない。

214 :
そもそも上洛したら天下が取れるわけでもない気がするのだが。
木曽しかり、本拠地までの経路全ての地盤を固めないと上洛なんてただの修学旅行だと思う。

215 :
信長を葬れて尾張半国を織田信勝か
坂井大膳に任せてれば、美濃斎藤は靡くかね

216 :
>>213
まあ政元がマトモな人で長期政権築けてたら戦国時代そのものが始まって無いだろうなw

217 :2012/10/24
桶狭間の合戦って要は、今川氏豊の持ってた版図を奪回するのが主眼なんだろ?そもそも。
花倉の乱不参加なのに、そこまでしてもらえる氏豊。
氏豊の幼名は竹王丸。意外と足利義稙の遺児竹王丸かもしれぬ。
だとすれば、つじつまが合う部分が多く出てくる。
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