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2012年09月戦国時代22: もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら (381)
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もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら
- 1 :2012/02/11 〜 最終レス :2012/10/28
- もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら、その後の歴史はどうなってたか?
悪ノリで語るスレです。
家康の二元統治?
日本人海外渡航禁止?
ま、ろくなことにはなってないと思いますがなるべく楽しくお願いします。
- 2 :
- 2世紀半ぐらいの間、平和を享受出来ると思う。
- 3 :
- 水戸の副将軍がドラマになったりするんじゃないかな
- 4 :
- >>1
あの布陣で東軍が勝つわけないだろ
IFスレにしたってもうちょっとありえそうなのにしろよ
- 5 :
- >>4
確かに。
午前中こそ互角に戦ってたものの午後になって毛利一族軍が山を下りて参戦したらとたんに劣勢になって包囲撃滅されてるもんな。
家康本陣前での毛利宰相秀元と本多忠勝の一騎打ちは本戦後半の名場面だよな。
- 6 :
- 毛利一族は総大将の輝元はorzだったけど他の一族が優秀だったから救われたよね。
関ヶ原で陣頭指揮を執った秀元の采配は見事だったし、個人の武勲としては本多忠勝を討ち取ってる。
吉川広家の二股膏薬ぶりは実に秀逸。
ギリギリまで東軍の味方をして毛利一族を封じ込めてるフリをしながら、実は戦力の温存を図っていたという。
「調略、隆景の子かと覚えたり」
とまで評されたのも頷ける。
そして忘れちゃいけないのが大津城攻略部隊の小早川秀包。
大津城で立花宗茂と本丸一番乗りを争ったのみならず、関ヶ原に到着後小早川本家の陣に乗り込んで家康の目付をRシーンが痛快だ。
- 7 :
- そもそも、東軍が勝っただろ。
スレタイ間違えてる?
- 8 :
- >>7
ネタをネタと見抜けない人は来ないで下さいw
- 9 :
- あんまり1人で決める奴は嫌われるぞってばっちゃが
- 10 :
- >>5
おいおい
1日で決着するわけないだろ
- 11 :
- >>10
ああそうだった。
説明不足スマソ
関ヶ原での戦いは一日でカタがついたけど(包囲撃滅されたのは徳川家の旗本二世部隊)、その後に大垣城攻防戦があったんだっけ。
- 12 :
- 立花宗茂があまり活躍できなかったのが残念だよな
長政を討ち取ったくらい
- 13 :
- >>12
死ぬまで残念がってたらしいね。
「討ったが官兵衛の親父様なら三国一の大手柄なものを、甲州殿では並の手柄」
って。
だが一騎打ちのシーンはこれまた迫力がある。
- 14 :
- >>5
あれは戦う前の約束が実際に守られたという点で美しい。
勝った方は相手の息子を万石に取り立てるという約束をして、秀元は実際それを守ったからね。
戦後三河に隠れていた忠勝の子を探し出して本多平八郎元忠と名乗らせ三万石をもらえるように世話してやってる。
おまけに蜻蛉切と三国黒まで返してもらって、本多家としては言うことはなかったろう。
忠勝が勝っていても同じようになったとは思うが。
>>10
>>5>>11に補足させてもらうと、9月15日午後になって大津城攻略部隊が関ヶ原に到着→毛利一族軍下山して参戦→家康本陣総崩れ→小早川軍下山し西軍参戦
→東軍総崩れ→家康敗走→追撃戦→大垣籠城→家康脱出→家康濃尾国境で捕まる→西軍凱旋
な。
家康が捕まるまで大体三月かかってる。
- 15 :
- スマソ。
手元の資料が関ヶ原関係のものしかないんでその後のif展開が想像できん。
実家に帰れば慶長後期から18世紀の資料までいろいろあるんだが。
史実では家康は捕まった後高野山に送られて軟禁生活、徳川家は大減封だったが…やっぱ逆になるのかね。
- 16 :
- 家康が天下とって秀吉が禁止したキリスト教解禁したり、朝鮮との国交回復させたり、遠くの国
とも貿易を盛んにおこなったりするんじゃないかな?
まあ治世が長く続けば彼の子孫が貿易制限したりしそうだけど。
- 17 :
- 秀忠の到着を待たずに決戦に踏み切るとは
普段慎重な家康らしからぬ判断だった。
- 18 :
- >>16
あのアホの秀忠ならやりかねん。
史実ではインド洋艦隊司令官として活躍した松平忠輝とかも飼い殺しにされそうだし。
豊臣家から引き継いだ名将たちも次々潰したんじゃないだろうか。
下手したらイスパニアに侵略されてるよ。
>>17
まあ、決戦の時点で秀忠はもう着きたくても着けないわけだが…。
そういや昨日の大河は秀忠が中山道で死ぬ回だったよな。
上田城を無視して行ったはいいが大雨と山道で立ち往生してるところを真田一族軍に後ろから襲われて川に落ちてあぼーん。
「未来永劫嘲りを受けようぞ」って確かに21世紀になっても笑われてるわ。
- 19 :
- なにいってんだこいつ
- 20 :
- >>1
懐かしいなー。乙
もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら
http://yomi.mobi/read.cgi/hobby8/hobby8_sengoku_1161313522
- 21 :
- >>20
よかったらもまいも参加すれ
- 22 :
- 普通に江戸が日本の首都になってたんじゃまいか?
- 23 :
- >>22
江戸が首都とかwwwwww
あんな辺境、誰が行くんだよwwwwww
- 24 :
- >>23
可能性として言っては見たがやっぱりありえねーよなwwwwww
吉幾三とかいうおっさんが歌ってたけど田んぼと畑しかないド田舎だし。
新幹線通ったのも80年代の終わりになってからだしなー。
- 25 :
- >>19
きっと『その時歴史が動いた』見て来たにわかだよ。
関ヶ原の名場面を語りたくて仕方がないんだからそっとしといてやれよ。
- 26 :
- 京都以外が首都になるわけねーじゃん
江戸とか土人だらけだぞ
- 27 :
- 首都は大坂だろうが
- 28 :
- >>17
あの時家康は御所柿だか鯛の天ぷらだかにあたって正常な判断力を失ってたという説がある。
他にも家康は既に死んでいて、関ヶ原の時は影武者が軍勢を指揮していたとか。
>>26
>>27
だよなwwwwwww
首都は大坂、最大の貿易港は神戸。これはもう小学生でも知ってる常識だよな。
江戸といえば、こないだやっと政令指定都市に昇格したばかりの田舎。
- 29 :
- >>1
多分一昨年の台湾問題では漁船を撃沈せずに船長を逮捕してしかも圧力に負けて 釈放とかしてそう
樺太や済州島でも相手にもっと付け込まれていたかも
- 30 :
- >>29
ありえる。
外交に消極的な徳川家が長く統治してたら、日本の外交力はものすごく立ち遅れることになっただろうね。
下手したら樺太だけじゃなくて千島本島もロシアに奪われてたかもしれないぞ。
関ヶ原の論功行賞、あのとき三成が上杉家を札幌神指150万石に加増して蝦夷の守りにつけて内地化に成功してたから、さすがのスターリンも第二次大戦後千島本島を異民族の島と言い張ることはできなかった。
徳川家なら蝦夷ヶ島のままで放置して19世紀末にやっと函館に城を作るぐらいだろう。
上杉鷹山の時代にアラスカ探検隊を陸路で派遣するなんて壮挙はとてもできなかったに違いない。
- 31 :
- 江戸と言えば、秀忠の息子の長丸がトルコ人の格闘士をたくさん呼び寄せて御前試合をして楽しんだ経緯から今でもトルコ人が多いよね。
江戸名物の相撲はこのトルコ人の伝えたレスリングが改良されたものだってのは知ってたけど、トルコ人は19世紀にみんな帰国してしまったと思ってたからカルチャーショックだったよ。
- 32 :
- >>22
長渕の名曲とんぼが死にたいくらい憧れた華の都大東京って歌詞になんのかよ
- 33 :
- 九州から江戸に喜んで移住するってたとえIFでも想像つかんわw
- 34 :
- >>33
俺もだよw
江戸よか仙台とかのほうがまだマシwwwwww
仙台はラテン文化が花開いてるからなwwww
- 35 :
- >>16
キリスト教解禁するかな?
家康は三河の一向一揆で手を焼いた経験があるからキリスト教は秀吉以上に弾圧するんじゃないかと。
家康が容認する気でも本多正信あたりが阻止するでしょ。
後継者の秀忠もその側近もキリスト教を容認するとは考えにくい。
過激な拷問とかやって宣教師や信者を殺しまくるんじゃないかと。
むしろ東軍が勝ってたら、キリスト教と結びつくのは豊臣家だと思う。
戦死する可能性もあるから微妙だけど、小西行長のルートでイエズス会と結びついて徳川に対抗したと思う。
秀頼に子供が多ければ、その中の一人をキリシタンに託して指導者にさせるぐらいのことはしたんじゃないかな。
住民全員キリシタンの天草とかに隠したらいくら伊賀者が優秀でもまず見つからないだろうし。
あと、キリシタンと結びつきそうなのは伊達政宗だね。
- 36 :
- >>2
それはないと思うぞ…。
家康が生きている間はともかく、死んだらまず兄弟間で内紛になる。
家康が関ヶ原時点で60歳。
秀吉が死んだのが62歳だからもう何時死んでもおかしくない。
おそらく65歳ぐらいで死ぬだろう。
家康の死後は秀忠と秀康・忠輝あたりが跡目を争って、徳川家をガタガタにしてしまうと思う。
政宗あたりはそうなるように仕向けるだろうし。
徳川家が将軍なり関白になるとしても、その支配力は限られたものになって合戦が絶えないだろうね。
つまり戦国の再来。
- 37 :
- >>12
そういやほかに討死した大名っていたっけ
- 38 :
- 山内一豊の死に様はワロタ
日和見したあげく東軍を裏切ったのに毛利の猛攻の前に一撃で粉砕されてて
死の間際に「お味方でござる!お味方でござる!」て連呼してたらしいなww
- 39 :
- >>38
秀次事件で無傷で助かったもんだから三成にとっちめられてキツイ目にあわされた毛利一族からのウケが最悪だったもんな。
- 40 :
- >>38
大河ドラマ『一字三星 毛利三代』でそれ見たわ。
清水宗治の息子の景治が首を取ってた。
景治役は植村喜八郎だった。
この時中村一忠と有馬則頼も死んでる。
- 41 :
- >>38
脇坂安治も結構(;´∀`)・・・いたいなぁ・・・だぞ。
戦場ではうまいこと小早川中納言(豊臣秀詮)について東軍に襲いかかったものの、このとき平野長泰を討ち取ってしまったのがまずかった。
戦後平野家の元家臣から東軍に内応の約束をする文書を送っていたことをRされて改易の上切腹。
同じ小早川与力の諸勢でも小川祐忠は歴戦の古豪に相応しく敢闘して伊予十二万石、朝倉旧臣の出世頭赤座直保は大谷吉継の後を受けて越前敦賀五万石に出世してるのに。
- 42 :
- ところで賤ヶ岳七本槍の末路って、
福島正則…捕縛され八丈島に流罪
加藤清正…肥後で侵攻してきた二宮就辰率いる毛利軍と戦う、息子が西軍についていたので本領安堵
加藤嘉明…本戦で島左近に討ち取られる
脇坂安治…戦後裏切りがばれて改易切腹
片桐且元…開戦前に暗殺
糟屋武則…最初から西軍、戦後十二万石に加増
平野長泰…本戦で脇坂安治隊に攻められ討死
これでOk?
結構悲惨だね。
- 43 :
- 福島は江戸春の陣に泳いで参戦しようとして流された挙げ句オランダ船に拾われて世界一周したらしいね
- 44 :
- >>43
崩壊寸前の明国に渡って各地で大暴れしたという説もある。
この時のエピソードが清代以降に改訂された西遊記にかなり取り入れられているらしい。
福島は秀吉の身内すなわち猿の一族というのが明国では広く知られていて、それで孫悟空と同一視・習合されたようだ。
向こうに渡った福島は斉天大聖の化身として、行くだけで悪党が逃げ出したり降伏してきたらしい。
- 45 :
- 何言ってんだお前
講談はよそでやれ
福島はヨーロッパでレスラーになったんだよ
必殺技は桶屋バスター
- 46 :
- >>45
棺桶デスマッチを考案したとも言うな。
- 47 :
- 福島レスラー説をちょっと調べてみた。
福島レスラー説はヨーロッパ特に中欧・北欧では広く信じられている。
ドイツ・オランダには直接の子孫を称するボッチャー(桶屋)家、カイパー家(同左)が実在。
世界ふしぎ発見で紹介されて家系図も出てきたけど、日本側に残ってるのと大体一致する。
素手で熊を退治したとか大蛇を締め殺したとかいう武勇伝も伝わっている。
スカンジナビアの方にも子孫を自称する家系がいくつもある。
彼らは共通して「ザンギ」「サンギ」という姓を名乗っているそうだ。
ロシア帝国時代にフィンランド大公の随員としてサンクトペテルブルクに行ってそのまま永住した子孫もいると聞く。
その後ロシア風にザンギエフと名乗るようになったらしい。
寛政年間の日露戦争でロシア側の陸軍司令官の一人として戦ったザンギエフ准将はこの四代後の子孫だという。
関白秀詮は福島の行方を相当気にかけていて、大々的な福島狩りを実行したけど見つからなかったとか、バチカン大使になった織田重治(三吉信秀の息子)が探索を命じられたことも日記に残されてるな。
- 48 :
- >>44-47
まあまあ三人とも。明国説もレスラー説もどちらも有名な説だからな。
一番史実性が高いとされているのは脱出を図って(あるいは一緒に流されていた息子の正勝と甥の正之を脱出させるため囮となって)番兵に射殺されたというものだが。
春の陣の会戦直前、伊豆に二千石をもらっていた桜井佐吉が「勤め方がよくない」として改易になっている。
桜井が脱出を手引きし、失敗した可能性は高い。
>>45
桶屋バスターってのはBASARAの正則の技じゃねーか。
相手を逆さまに抱え上げた状態で、頭部から地面へ叩き付ける技だわな。
ブレーンバスターの原型だ。
ステージ3の賤ヶ嶽の合戦で中ボスの山路将監を刀も槍も使わず組打ちで倒すと以降使用可能になる。
ただしこの場合日本号を入手できなくなるので後々不利になるんだが…。
- 49 :
- 関ヶ原前日までに大津城攻めの決着がついたのが良かったな
宗茂なしじゃ流石に負けるだろ
- 50 :
- >>49
歴史小説家とかにはその解釈で書いてる人が多いね。
大河ドラマ『一字三星 毛利三代』もそれっぽい。
大津城落城の回で城を落とした後兵を休ませるよう主張する毛利元康を説得して関ヶ原に急進させるシーンがあるほか、島津義弘に馬上から参戦を呼び掛けて戦闘に参加させる役回りも宗茂に振られてる。
極めつけが津川雅彦の家康が戦意喪失して撤退を決意するのは宗茂の旗印が見えた直後。
- 51 :
- 織田一門も何気に働いてるぞ。
大谷隊で奮戦した信吉と長次の兄弟はもちろん、信高と信貞の二人も攪乱工作や織田系の大小名の切り崩しに大いに活躍してる。
- 52 :
- >>48
それ桶屋バスターじゃねーから。
BASARA全キャラでクリアしてから来い。
>>49
あれは運の要素もあるけどな。
美濃へ向かう徳川方の荷駄隊が道に迷って立ち往生していたのを見つけて積み荷のカルバリン砲を分捕ったのも大きいぞ。
で、その大砲をバンバン撃ち込んで城壁と言わず天守と言わずボコボコにしたから陥落が早かった。
宗茂は戦後筑後柳川45万石に加増だっけ?
大津城と本戦との活躍からするともっともらっても良さそうな気がするんだけど警戒されたかな?
小早川秀包が秀詮の持ってた小早川本家の名跡込みで筑前名島54万石、これもちょっと少ない気がする。
>>50
たわけうつけまぬけのフルコンボもこの直後だな。言われてたの誰だっけ。
- 53 :
- 忘れてた。
無双の新作では福島の八丈島脱出もプレイすることができるらしい。
「八丈島より泳いで参った!」のセリフもばっちり収録で。
島から脱出して江戸にたどり着くまでにいろんな妖怪や悪党やイギリス人や豊臣大名と戦うんだが、何よりも強敵なのは海ステージでの潮の流れという。
ボタン連打が少しでも弱いと流されて>>44>>45が言ってるみたいなバッドエンドになる。
- 54 :
- 大阪城攻城戦が見たかったよな
あんな巨大な城は落とせるのだろうか
- 55 :
- >>54
無理。
家康は城攻めが絶望的に下手。
- 56 :
- マッカーサーも落とせなかった城だからな
- 57 :
- >>56
明治時代の陸大での机上演習で祖父アーサー・マッカーサー将軍、攻略に失敗。
昭和17年サンフランシスコ条約締結(別名・日米軍事同盟、日米安保条約)の際に現地で行われた机上演習で孫のダグラス・マッカーサー元帥、攻略に失敗。
ダグラスの息子のアーサー・マッカーサー4世は大坂城の天守に登ったけど、それはミュージシャンとして来日してだから攻略はできてない。
今度孫のマッカーサー6世が来日して机上演習に挑戦するらしい。
本当に懲りない奴らだな。
- 58 :
- しかし家康って、関ヶ原から敗走する途中でも糞を漏らした事で、
「内大臣 東と西で 糞漏らし」
とか散々な言われようなんだよな。
普通敗者ってもう少し美化されるものなのに、
ここまで滑稽な逸話を後世に残した人も珍しいよな
- 59 :
- >>53
つ【連射パッド】
128連射に設定すれば楽勝。
それより四面の真田信繁がどうしても倒せないんだが。
超必殺技の『真田日の本一の兵ぞ』食らうと一撃で体力全部持ってかれるし真田強すぎじゃね?
>>58
正露丸のCMに津川雅彦の家康出てたよな。
あとTOTOとかニッケンのレンタルトイレのCMとか。
糞をするところばかりCMにされている。
- 60 :
- >>58
そりゃそうだ。
250万石の大封を預けた秀吉の信頼を裏切った最悪の裏切り者ってことで豊臣時代、家康の事跡は徹底的に破壊されたし演劇で家康を主人公にすることも禁止だった。
情けない姿で描くことは黙認、むしろ奨励されてたから情けない姿ばかり残ってる。
家康がボコボコにされるということで三方ヶ原の合戦は為政者側にも好まれて、『豊鏡』とか公式の歴史書でも度々大きく取り上げられてるし。
豊臣びいきの公家衆もあることないこと日記に書きまくったしね。
滑稽な姿ばかり残ってるのは当然の結果。
- 61 :
- 史実の話ばっかしてないで、たまには東軍勝利後の妄想でもしようぜ。
家康って岡崎出身なんだから、秀吉に押し付けられた江戸なんか放棄して岡崎に帰還して
岡崎幕府を始めたりするんだろ。
- 62 :
- >61
いや岡崎から駿河に拠点を移していたから駿府幕府になるんじゃね?
- 63 :
- 意外と伏見城に入って室町16代将軍を継いだりして。
- 64 :
- >>61
ありえるぞ。
三河は足利庶流の筆頭・吉良氏の領地だったところ。
「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」って歌もあるし、吉良氏から継室をもらって室町幕府の継承を宣言するかも知れん。
こうなると信康が死んでるのが痛いね。
信康は今川の血を引いてるから、信康の正室に吉良氏の娘をもらえば不動の後継者ができる。
岡崎幕府の二代目は確実だっただろうなあ。
- 65 :
- >>61
家康は強欲だから西軍についた大名をことごとく改易すると思われ。
そしてそれを自家の領地に加えて諸大名に吝嗇と言われる
- 66 :
- >>65
そんな事したらどの大名も徳川家への反旗を翻して徳川家あぼーんだな……ありえんだろ
- 67 :
- 大東亜戦争末期の伊勢湾上陸作戦でマッカーサー率いる連合軍100万が半月かかっても落とせなかった大坂城
後方撹乱により兵站を断たれた連合軍は脱走が相次ぎ崩壊していく
味方の巻き添えを恐れて空爆も出来ずそのままジリ貧となりトルーマン大統領は国民の支持を失って
講和を決意したことはあまりにも有名
- 68 :
- シコシコキモチA
- 69 :
- >>60
最近になってようやく、隆慶一郎の
「影武者 豊臣秀吉」とかで家康が再評価されつつあるよね。
秀次事件の黒幕は、家康と本多正信による陰謀ってのが通説だけど、
あの小説だと石田三成が黒幕なんじゃないか?というのを匂わせていて中々読みごたえがあった。
- 70 :
- >>52
山下真司の黒田長政。
調略失敗を咎められて見捨てられる。
で、宗茂と戦って討ち死に。
- 71 :
- 徳川って何ぞって思ったら羽柴秀康の実家か
- 72 :
- >>70
あほーからたわけうつけまぬけ、とどめに蹴りまで食らって最後は討ち死にはちょっとかわいそうだったな。
黒田家は如水が西軍諸将の空き城に兵を入れて防衛に協力した功績(ついでに命懸けで家康をだました恰好になった長政の功績)で長政が家臣の娘に産ませた庶子が相続を認められてるし、島原の役で侵略してきたスペイン船を撃退した功績で12万石から24万石に加増されてる。
あれだと戦後すぐに滅んだように見えるよ…。
>>71
本人は徳川が実家と言われるのを嫌っていたらしいがな。
戦後大和大納言の爵位を継いで百万石をもらって、完全に豊臣一族になりきってたし。
息子の秀直の正室は豊臣秀頼の娘。
もはや秀吉の息子としか言えん。
- 73 :
- 秀康の秀頼への溺愛ぶりは異常
- 74 :
- 裏切り者って言えば増田長盛を忘れちゃいかんぞ。
大阪城内の情報を東軍に流して、大阪城内には偽情報流して輝元本隊の出陣を阻んでたのがばれて、面子を潰されたことに輝元激怒。
輝元にボコられた末あわや斬首も息子盛次の助命嘆願で高野山に配流になった。
輝元役の宇津井さんのあんなバイオレンスな姿は初めて見たぞw
- 75 :
- >>74
あのシーンは本当に迫力があった。マジで血出てたし。
長盛配流、年寄職罷免、その上家老が三人腹を切って、越前北ノ庄8万石に減知の処分を受け入れてやっとお家存続。
増田はいいとこなしだったな。
かたや伏見城内の甲賀忍者を寝返らせて早期落城を達成した長束は20万石に加増、弟や庶子まで大名に出世してる。
水口城下で家康を襲った甲賀忍者も頭が一万石の大名に取り立てられて、下っ端も伏見城内から内応した奴含めて軒並み豊臣直参の忍びに出世。
この状況判断の差、手際の差、とても同じ近江衆とは思えん。
>>52
>小早川秀包が秀詮の持ってた小早川本家の名跡込みで筑前名島54万石、これもちょっと少ない気がする。
名目上はな。毛利本家とのバランスを考えて、加増高を抑えなきゃいけなかった。
しかし実際は名島は博多湊からのあがりもあるし、実高100万石とも言われる豊かな土地。
むしろ優遇。
宗茂の柳川45万石もそう。筑後は米どころ、特産品も多いし実高は表高の三倍近い。
- 76 :
- 東北でもぞもぞして時勢を読み誤り
宇和島に転封のうえ減封された伊達政宗もワロスだな
- 77 :
- >>76
宇和島転封まではな。実質は改易、息子秀宗に新知充行だったし宇和島入り早々、些細なことで難癖をつけられ隠居の上出家させられてるし。
だが政宗の本領発揮はむしろこの隠居後だ。
旧最上、伊達領合わせて120万石をもらった堀秀治がバカなのにつけこんでその足元で一揆を起こさせて改易に追い込み、政治工作の末結局秀吉に減封される前の72万石で仙台領主に復帰。
堀は哀れだよな。
一時は「これで景勝と同格になった!」と大喜びしてたら、まさかの急転直下。
- 78 :
- 長宗我部盛親もなかなか見事に立場を変えてるぞ。
戦前には家康にすり寄って、「信長の弟家康の許可を得て信康の信の字をもらう」という裏技で盛親の名前を信親に改名して家康派をアピールしておきながら、いざ戦となると無理矢理西軍に組み入れられた体を装って西軍に味方。
本戦では長束、安国寺と共に毛利軍の突撃に同調。
兄上とまで呼んでいた本多正純をズンバラリン。
そうしたかと思うと戦後は「恩義に報いて」家康の旧臣を召し抱えて卑劣漢の汚名を回避。
架空戦記ではぞんざいに扱われて出番がないまま改易になるパターンが多いけど、史実の長宗我部はほんとすげーな。
- 79 :
- 何気に小早川秀秋の兄弟が全員大身大名に出世している件。
- 80 :
- >>77
原田甲斐のせいで宇和島に逆戻りだけどな
- 81 :
- >>80
その反動かねえ
明治維新前の宇和島成敗の四境戦争での内線作戦は
藩祖政宗の真骨頂である蘆名殲滅を彷彿とさせる見事さ
それにひきかえ、勝者西軍は御先祖様に顔向けできんだら
特に、薩摩島津 安芸毛利 土佐長宗我部 肥後加藤は最悪
- 82 :
- せいしょこどんの手のひら返しすげぇよな。ちゃっかり小西追い出して肥後一国手に入れて
それに比べて、福島は豊家への忠誠は誰も疑ってないのに、けじめとらされたり
要領悪かったりで、相模に知行貰ったのに
上杉が勲功で越後復帰した後の会津に押し込められるという
- 83 :
- >>80
あの一件は原田甲斐一人のせいにするのは酷ってもんだぞ。
政宗が秀頼の四男でキリシタンの首領の天四郎秀綱やらさらにイエズス会やらと手を組んでノビスパン貿易で財力を蓄えていたり、家康の下の息子たちを城持ちの客分として厚遇してたり、鎮守府将軍の位を勝手にもらったり…は政宗だからいいとして。
問題はその後で、下の息子たちや孫までが悪影響を受けて実力もないのにマネをした。
だから真田守信や大谷重政の大藩潰しのターゲットにされて、原田甲斐はそれに利用されたというだけの話。
- 84 :
- 真田も大身だったのに支藩作りすぎて
代を経るごとに影響力無くしていったから人のことは言えんがな
- 85 :
- >>84
越後65万石が明治維新前には30万石だからな。改易・減転封以外では一番すごい減り方だ。
真田と伊達の支藩の数は狂歌に歌われてたな。
『近頃都に流行るもの 竹に雀に六文銭』って。あと『真田の家、左衛門大佐首を取り、左衛門小佐嫁を取り』ってのもある。
左衛門佐守信といえばそんな歌ができるくらい、側室と男子の数(ほぼ支藩の数と一致)でも有名だった。
他にも守信をネタにした歌は多い。
『嫁入りに 渡してやれと六文銭』これ以降三途の川の渡し賃がいつの間にか子宝祈願のお守りに変化しちまうし、三途の川の鬼が死人から取った六文銭を袋詰めにして子宝祈願のお守りとして売っている絵まで描かれる始末。
『葉武者より我もなりたや三途の川の渡し守 佐殿の御子をば渡して一身代』という歌もあった。こっちは作者が家康の子孫だ。
妊婦の腹に『真田左衛門佐』と書いて貼ると男子誕生間違いなし、という俗信もあった。
- 86 :
- 真田は江戸の陣で大助幸昌が討死にしてなきゃ大身を維持出来てたかもね。
酒に酔ってる所を本多忠朝に急襲されたボンクラ扱いだけど、本当は女郎屋で遊んでた守信と薄田兼相が襲われるって聞いて助けに駆け付けようとしてやられたんだし。
守信が自分の恥を封印するために幸昌の不手際ってことにしたみたい。
- 87 :
- 亀レスだが
>>27>>28はアメリカの首都をニューヨーク、オーストラリアの首都をシドニーとか言っちゃうタイプだな。
大阪は最大都市だがあくまで「商都」、首都は陛下のおられる京都だぞ。
- 88 :
- >>87
いやいや、枢軸連合(UA)本部のある大阪は世界の首都やで!
- 89 :
- >>87
>>88
確かに世界の金融の中心ではあるわな。枢軸連合ってのはユダヤ・アラブと大阪商人が作った銀行の集合体だし。
カネの流れからしたら確かに世界の首都だわ。
ところで知ってるか?
ホワイトハウスの地下金庫には非常用のさらに非常用の金(GOLD)として独立戦争当時の関白がジョージ・ワシントンに融通した資金の一部が、今なお使われずに取っておかれてるらしい。
秀吉の作った分銅金がダース単位で眠ってるらしい。
- 90 :
- >>86
それは「影武者豊臣秀吉」の創作じゃないか?
ちょっと調べてみるわ。
- 91 :
- >>86
おまいのそれは「影武者豊臣秀吉」の十六巻の話。
「徳川退治記」にある薄田と守信が傾奇者姿で楽師や女連れて城方をおちょくり、本多忠朝が激怒出陣した時の話が元ネタ。
- 92 :
- 忠朝隊を伏兵が包囲、ボコボコにした後で傾奇者姿の幸昌が城方に舞を披露、頭に来た忠朝が鉄砲で幸昌を撃ち、幸昌の装束が一部吹っ飛ぶ場面。
久しぶりに読んだけどええわー。原哲夫の漫画版は幸昌の表情もいい。幸昌が戦後すぐ死んだのは本当に悲しいよな。
- 93 :
- 伊達政宗が旧領回復のために神保隊を踏み潰して猛攻仕掛けたのはその次の日だっけ?
- 94 :
- 吉川が弁当を食べ終わって
食後の運動行くかと突撃したのは
どの大河だっけ?
- 95 :
- >>93
次の日であってる。1624年3月某日。
だが突撃したのは政宗じゃなくて羽柴秀康に陣借りして参戦してた忠宗。
政宗は1615年に旧領を完全回復して、この時は大老格。石田重家や大谷大学が政宗に「戦功次第では宇和島24万石を忠宗に与える」と唆し、政宗に発破をかけられて突撃。
味方討ちの挙句城から狙撃されて討ち死に。結局もらえたのは一万石だけだったという。
- 96 :
- >>94
『黄金の日々』。確か7月上旬放送の回のどれか。
>>94の台詞のその後に『駆け回って腹がすいたら御所柿を取って腹を満たせい!夕餉は江戸の狸の味噌鍋じゃ!』と続く。
そのころ助佐は大津城攻防戦に巻き込まれて大砲操作要員として奮戦中。
- 97 :
- >>96
死んだはずの善住坊が赤マフラー巻いて出てくるのは要らん演出だったな
- 98 :
- >>97
こっそり掘り出してやったんじゃねーかってにおわせるところでやめとけばよかったのに。
黄金の日々の唯一の汚点というか。
- 99 :
- >>93
神保はぼろぼろの状態で戦場を離脱してやっと助かって、秀頼に謁見して伊達の処罰を訴えたけど相手にならなくて、結局お情けの五千石加増で一万二千石の大名にしてもらっただけですまされちゃったんだよな。
で、そのことがずっと遺恨になってて、伊達騒動の時の上使には自分から志願して仙台まで城受け取りに行ったと。
費用全部持ち出しでとんでもない借金こさえたけど本人は満足だったらしい。
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