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戦国時代の食事5膳目


1 :2011/02/06 〜 最終レス :2012/10/24
戦国時代の食事4膳目
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/


2 :
立てるん早過ぎやろw

3 :
そうか?

4 :
保守

5 :
戦国期に刺身と言ったら何魚なの?
マグロは漁獲料が近年多いだけで昔は遠洋にも行けないから、メインは秋刀魚とか鯵とかになるのかな?

6 :
当時は白身の魚がメインディッシュ、赤身は下魚
海のものだと鯛ヒラメ、川のものだと鯉鮒ナマズが”膾”の対象で記録(レシピ)に残る
ただ「記録にないから喰わなかった」とは言い難いのも現状
古くなるけど清少納言がイワシくって「お前息が臭い」言われた話とか
毛利骭ウの弁当に入ってた焼鮭をみんなで「それうまそう」といったとか
…まぁ 捕れた魚は何でも喰ってたと思われるので、その数だけ刺身はあったと思われ

7 :
凄いね清少納言がイワシを食ってたって
隆元の焼き鮭も美味そう
しかしわさび醤油で食うようになったのは江戸からかな?ただの醤油なら昔から食ってそうだけど

8 :
隆元じゃなく秀元だったような…
弁当の鮭はほとんどみんなにとられたほど人気だったようだ

9 :
当初は醤油でなくて”酢”  魚に合わせて、わさび酢 カラシ酢とかつかってた
合わせ調味料として使われてきたので、”わさび醤油”も醤油の登場とともにあったと思われ
えっと戦国時代の醤油は”たまり醤油”、日葡辞書(1604)にも記述があるくらいだけど、
醤油は主力輸出商品になので特に記載された可能性もあるので当時の一般化の度合いはよくわからないと思う
もともと製造に数年かかるので、都(近畿)周辺だけの消費に供給が追いついていたのかどうか、若干の疑問が……
めでたい席ではつかわれたけど、毎日の食卓上にあったかどうか、個人的には疑問に思ってる
現在の濃口やら薄口醤油が発明され大量生産始まったのは寛永年間(17世紀)
この頃から日本全国で日常的に醤油が使われるようになった
「刺身にわさび醤油」が常識になったのはもこの頃からじゃないかなぁ……

10 :
なるほど酢ですね
わさび醤油は自分も江戸以降だと思う、て事は寿司の酢飯の方が歴史は古いのかな?
戦国期に寿司らしきものがあったとしたら酢飯だろうか?それともいわゆるちらし寿司?江戸前寿司は江戸以降だろうけど

11 :
なれ鮨じゃない?

12 :
鮨は元々保存食だったからね

13 :
寿司はもともとR酸菌発酵のなれ寿司だったのですが、これ作るのに数ヶ月もかかるわけで
室町時代になると発酵が進んでない(米粒が残る状態)うちに食べるようになりました
(なまなれ、生成と当時呼ばれてました)
そしてもっと早く(一晩)できる、すっぱさを酢で代用した早寿司(箱寿司)と言うのが考案されます
(いまだとバッテラとかマス寿司、柿の葉寿司なんかにあたりますね)
これはいつ発明?されたかわかりませんが、1600年代には記録が残ります
つまり戦国時代の寿司は、↑の生成もしくは早寿司であったのではないかと 
ついでに…現在の主流のにぎり寿司は、酒造の廃棄物であった酒粕からの大量生産(1811年)が始まり
値段が格段に下がって江戸に持ち込まれ庶民に広まってから、つまり幕末の話になります
いなり寿司、巻き寿司もちょうどそのころ広まったんですよ

14 :
酒粕をどうするん?
江戸前寿司が文化文政からというのは聞いたことがあるけど

15 :
>>14
酒粕酢はミツカンの創業者の話ですので……
ttp://www.mizkan.co.jp/story/change/01.html

16 :
この時代も妊婦が食べるべきものとか食べちゃいけないものとかあったんだね
今でもダメって言われてるザクロなんかがちゃんと入ってて面白い

17 :
逆に目出度い時に食べる習慣は、例えば出産祝いに赤飯なんて戦国にあったのかな?
そもそも赤飯は江戸からかな?

18 :
米作の歴史と共にあったんじゃないかな

19 :
赤飯(豆入り蒸した餅米)自体は平安時代から記述が残ってます
さらに鎌倉時代には神に献げる”厄払い”の意味がありました(赤飯御供)
で、いつごろ厄払いから「おめでたい席に赤飯」と言う習慣に代わり広まったのか、
つまり戦国時代では凶事に食われたのか、吉事で食べたのか、わかんないです
でも「おめでたいときの赤飯」が庶民に広がったのは江戸時代天保くらいから(吉宗の頃)
なので、今のような赤飯の習慣は江戸時代からと言っていいかもしれません

20 :
なるほどね
やはり江戸期に食事の習慣が出来上がるのかもね
戦国期は兵士が餅をぶら下げて出陣した記述はあるみたいだけど、これは醤油焼きなのかな?
またきな粉餅、アンコ餅なんかも江戸かな?
ずんだ、ミタラシ、色々あるけど、戦国期の餅は何が一般的なのだろう?

21 :
醤油は当時ぜいたく品です。兵卒は使えなかったと思われ

22 :
では戦国期の餅には何をつけたんだろ?
味噌?餅だけ食べて美味しかったのかな?

23 :
もちはもともと”鏡餅”神に捧げる供物でした、日常食ではありません
”雑煮”も、モチを一度神様に供えから料理して食べたのです
で、室町時代に精進料理とともに”点心”の習慣がひろまり茶の湯の流行とともに、
饅頭などと同時にモチも”お菓子”として食べられるようになったのです
つまり戦国時代では、モチは戦時食と言うより御菓子、に分類されます
当時の食べ方はそのまま焼いたり田楽のようにしたり(豆腐の代わり)、
また乾燥したものを煎った”アラレ”だったんじゃないでしょうかねぇ
江戸時代寛永年間になって庶民にもモチをついて祝う習慣や名物としての”力もち”が広まり
文政になると草加せんべいが発明されます
本格的な日常でのモチを食する習慣はやはり江戸時代から、といえるでしょうね

24 :
毛利元就は下戸で餅が大好きだった、とか
竹中半兵衛が矢で撃たれたとき懐にいれておいた餅のおかげで助かった、とか逸話があるね

25 :
それでは信玄餅なんてのも実際に庶民に広がるのも江戸期っぽいね
また、きな粉じたいが戦国期にあっただろうか?

26 :
>>25
「信玄餅」はあくまでお菓子の商品名で最近のものだと思うよ
武田信玄が戦のために切り餅を用意したところから取って名付けたらしい
元々静岡や山梨の方ではお盆に安倍川餅(=駿府名物)に黒蜜をかけて食べる風習があったとか
安倍川餅の名前を家康が付けたという話があるから
それがお盆の風習に取り入れられて黒蜜かけるようになるのはおそらく江戸時代の間だろう
黄粉は奈良時代には薬として作られてたし
室町時代の女房言葉の本にも「まめのこをばきなこともうす」と説明されているよ
江戸時代にも一般的に認識されてはいたみたいだけど
申し訳ないがどの時代にどれくらい一般的だったのかはちょっと知らない
>>25は色々疑問に思ったことを即書き込んでるみたいだけど
ちょっと検索すれば出てくることもあるから、一度ぐぐってから書きこむと効率よく疑問が解消するんじゃないかな

27 :
wikiで陣中食を調べると結構いろんなもの食べてたみたいだね
餅の食べ方も現代と変わらない、ずんだ餅やらあんころ餅やら
戦場で兵達がお汁粉食べてるところを想像すると何だか面白いけど

28 :
モチの部分は江戸時代の話だと思うなぁ
せんべいも八戸藩の非常食が始まり、戦国時代にはなかったし
他にも、刀傷を焼酎で洗う、ってのは確かに江戸時代には一般常識だったんだけど
18世紀くらいには「焼酎より水で洗う方がいい」ってものの本に書かれるくらいなので
あんまり効果があるとは思われてなかったぽいし、そこの各内容はかなり微妙なところ
丸々信じずに自分で調べてみた方がいいかもしれないよ?

29 :
ですよね…ところどころは合ってる気もするんですが
戦国時代と念を押してあるわりにはどうも意外を通りこして正直違和感が
自分でもっと調べてみます、ありがとうございます

30 :
でも戦国の武士の腰には餅を3つぶら下げて出陣したとあるみたいだけど
確か元就だったかな?
あとは乾燥させた米、味噌なんかやらを装備し出陣したみたい

31 :
餅も糒もおやつ(自前の食物)なわけで通常の兵糧補給と同じレベルで考えてよいものかどうか……

32 :
餅の件だと、室町初期に成立した今川了俊の今川大双紙に
「朝の出仕に相備えて餅を一ツ二ツも喰うべし。大小便とどこほる物なり。
僧俗ともに大小便しげきハあさましきなり。仮に隙なくて一日程物を喰わねどもこたへらるるものなり」
ってあるが。

33 :
餅で思い出したけどリンゴは刷ってジャムにして餅につけたのが江戸だったかな。
ところで戦国期の飲み物にリンゴジュースやミカンジュースはあった?庶民は麦飯お焦げ水で富裕層は茶だろうけど、果実をシェイクして飲み物にしただろうか?ミカンは江戸、リンゴ明治だから無い?一部の農園者はやってた?

34 :
延喜式でも読みなはれ

35 :
延喜式って平安?そんな昔から果実をシェイクしてたのか。まあ桃ならありそう。

36 :
食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 54皿目
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1311428758/

37 :
栄養学などの知識が全くないと思われる歴史学者に考えられている戦国食だと
戦国の足軽は疲労骨折、靭帯断裂しまくりだっただろうな
カルシウムや植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸に必要な動物性蛋白質の絶対的不足が要因となる
炭水化物過多は特に男性にはろくなことない

38 :
当時の食事は(庶民含めて)おかずに魚が付いているのが普通
(現在の戦国食も必ず入ってる)
だったので「動物性タンパクの不足」は心配しなくていいと思うよ

39 :
と、>>38が息を吐くように嘘を吐くw

40 :
>>38
ちょっと>>36覗くと、それが嘘だということがすぐ分かる。

41 :
>>40
ちょっと>>36覗いたら、知ったかだらけでまるで参考にならないんだが

42 :
言われたから言い返す子どもみたいなレスだな
そんなに自分の知識に自信があれば、向こうに言ってズバズバ斬ってみせればいいのに。

43 :
また回りくどい荒らし依頼だな
自分で荒らせよ

44 :
面白いところではリンゴも戦国時代にあったみたいだね。

45 :
>>43
いや、俺は向こうのスレの住人なんで荒してもらいたいなんて全く思ってないよ。
>>41は口だけの奴だと言っただけ。
何なら別に向こうのスレでじゃなくても、こちらのスレで知識を披露してくれてもいい。
まあどうせなんだかんだの言い訳ばっかりだろうけど。

46 :
こいつ必死やな
キモっ

47 :
>>39
よくわからんけど 向こうのスレで「戦国時代の日常オカズに魚」って否定されてる?
ぎゃくに庶民も小魚食ってた、ってレスは見つけたけど……
つか>>38の「植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸」って存在しないし……
もしかして、あっちで相手されないからコッチに来ただけかな??

48 :
>>37
そもそも
>栄養学などの知識が全くないと思われる歴史学者に考えられている戦国食
歴史学者がメニュー考えてるんじゃなくて資料を基に再構成してるもんでしょ?
よく主張がわからん。
いま戦国食とされているものは不完全で、実際はもっといろいろあったんじゃないかってこと?
それともこういうメニューしか食べてなかったから当時の足軽は怪我が多かっただろうなってこと?

49 :
>>47
・現代人の発想で、日常的におかずとして魚がつく
・動物性タンパク源は多種多様で、魚はそのごく一部に過ぎない
って話だろ

50 :
訂正
・現代人の発想で日常的におかずとして魚がつく、というのは間違い
・動物性タンパク源は多種多様で、魚はそのごく一部に過ぎない

51 :
>.49-50
いや、肉食があったとしても、
肉が現代みたいに大量かつ定期的に出回ってるわけではない。
狩猟で取れる分はわずかであり、農家で飼ってちょくちょく食べる分もわずか。
少なくとも
>動物性タンパク源は多種多様で、魚はそのごく一部に過ぎない
とは考えにくいだろ。
少なくとも入手しやすい魚がメインだろ。
まあ、俺の親戚は大きな農家だが「田んぼのタニシをたくさん食べてた」とは聞いた。

52 :
>肉が現代みたいに大量かつ定期的に出回ってるわけではない。
なんで、現代ではゲテモノ扱いされている生物を、自分たちで不定期に捕まえて食ってたってことじゃ?

53 :
だから、入手難度の問題だ。
タニシなら定期的かつある程度の量が入手できる。
冬とかはダメだろうけど。
「小魚」も田んぼにいるようなものなら食ったんじゃないかな?
ドショウをはじめとしてメダカとか。
なんにしろタニシに関しては机上の空論ではなく
実際に「たくさん食ってた」という証言があるんだから間違いない。

54 :
>実際に「たくさん食ってた」という証言があるんだから間違いない。
www
当時の村人が一日何グラムのタニシを捕まえて、殻剥いて泥吐かせて調理して食ってたか考えれば、
それで十分な動物性タンパクが取れるかどうかすぐ分かるんじゃないの?
http://co-4gun.eiyo.ac.jp/food%20database/2gun/foods-dic-2-tanishi.html
タニシの可食部100gに含まれるたんぱく質はたったの13g
戦国時代の人の体重が50kgだとすると、一日に推奨されるたんぱく質量は50g。
推奨量の26%にしかならない。全然足りない。
さらに、村人全員がカラの重さを除いて、たったの100gでも、タニシを毎日食べたらどうなるか?
あっという間に村のタニシが絶滅するよw

55 :
>>53
>タニシなら定期的かつある程度の量が入手できる。
だから、それが現代人の発想だっての
分業化、産業化がほとんどされていない時代だったら、同一種類ばかり集める必要はない。
つーか、同じ種類のものばかり食ってたら、また栄養が偏りやすくなるし。
永山久夫とか時代交渉家連中は、昆虫食についてほとんど書かないけど、全国的にごく当たり前に
行われていたことなんだよ。
>実際に「たくさん食ってた」という証言があるんだから間違いない。
証言も何も、タニシが食料なのは常識だろ
つい最近まで普通に食われていた。


56 :
>>49
>・現代人の発想で日常的におかずとして魚がつく、というのは間違い
これの根拠を示してほしいな、ないと話が進まないので
とりあえず自分の「戦国時代の日常オカズに魚」は、フロイス日本史第一章(第一部四章)に
「食前に供されるものは、水だけで炊いた少量の米と、
 煮たり焼いたりした少量の塩漬けの魚と、ひどく味付けが悪く、
 そのうえ悪臭さえある一杯の野菜汁だけであったからである」
…とあるのも根拠の一つ

57 :
>これの根拠を示してほしいな、ないと話が進まないので
俺に聞くなよ。
>>47に対して向こうのスレの趣旨を要約しただけなんだから

58 :
戦国時代の庶民の食事って相当不味そうだな。

59 :
よくテレビで、「○○時代の食事を再現しました」とか言って、食べて見せてるけど、
リアルなやつは現代人には無理だろ。

60 :
>タニシ
池波正太郎の描写だとすごいおいしそうに思えるから困る
>>59
そうでもない、てか、時代とどの階級の料理を再現するかによるだろうけど

61 :
おまえら、タニシの佃煮って食ったことない?
子供の頃、よく食べてたよ。
ネタでなくて、ガマカエルやヘビ(まむし、シマヘビ)も食べたよ。
今でも捕まえて食べている。
そう言う俺は東海地方の新幹線の駅から車で15分のところに住んでいる。

62 :
>>60
だから、スレの流れから言って、戦国時代の庶民の食事のことだろ。
土だの、タガメだの、ゴミムシダマシの幼虫だの、俺には食えないよ。

63 :
あと、川の近所だからウナギ、鮎、ウグイなんかも食べたな。
長野だと川虫とか食べるらしい(現在でも食べられている。)
カエルは、穴の中にいるから手を突っ込んで採る。
ナイフの柄で頭をたたいて仮死状態にして、頭、手を取り皮を剥いではらわたを出す。
それを川で洗って、七輪で炭火焼き。塩や醤油で味付けすると美味。
ヘビは口から裂いて、皮とはらわたを出す。
岩の上で干して(カラスに持ってかれないよう注意)炭火焼き。
サバイバルでなく、俺の地元では普通。
高校時代は、弁当のおかずにも入っていたな。

64 :
>>57
要約って、あっちのスレのどこに「魚否定」のレスあるの?

65 :
あとタニシだけど……
宮城県の御弥陀羅施の池の伝承(山火事から仏をタニシが守ったから食べてはいけない)みたいに
当時タニシを普通に食用にしていたから成立する”仏教説話”が日本各地に残ってるし
戦国時代”も”普通の食材だったと考えるのが普通だと思う
…つか、動物性タンパクにこだわる前提に突っ込みたいのだけど……
必須アミノ酸のナニが植物食で取れないというの?

66 :
>>64
ちゃんと読んだの?

67 :
何だか分からんが>>38の言う『戦国時代の食事でも 「動物性タンパクの不足」は心配しなくていい』に対して
「どう考えても不足してる、タニシを取って食うくらいじゃ不足分は補えない」って書いただけなのに
ID:vdQ370jKはなぜ、必須アミノ酸とか意味分からんこと言い出すのだろう?
そもそも>>38も「植物性では絶対摂取出来ない必須アミノ酸」なんて一言たりとも言ってないが
>>47でなぜか発言したことにされてるw

68 :
>>59
当時の食事は現代の感覚では超しょっぱい上に、
おかずはもとより、米も汁も大概冷え切っていたので美味しくはないと思うよw

69 :
平均寿命も短いしな

70 :
ていうかタニシを「ゲテ物料理」と決め付けるのが現代人ならでは。
魯山人も「ごちそうだ」と発言している。
あと昆虫食やカエル食いも確かにあったろうね。
ただ、こういうのを現代人の感性で「そんなゲテ物料理が一般的であるわけがない」
と決め付けるのは間違ってるぞ。
現代人にとって「マトモな動物性タンパク食」とは
「肉(哺R類、鳥類の)、魚、R製品、鶏卵」ってことか?

71 :
『パッケージに入った』が抜けてるぞ

72 :
・慢性的にたんぱく質が不足しがちだから律令貴族ですら免疫不全気味の
病み、死亡の記録が少なくない。
・現代の完全菜食主義者も生きていけてるんだから
動物たんぱくは意地でも取らなきゃいけないもんでもない(無論何が何でもとっちゃいけないわけでもない)
・穀物(主食)が有限である以上副食になりそうなものは色々漁る
てだけの話な気もするがなぁ。
それはそれとして川の管理権は合戦になるくらい強烈だったが川から取れる獲物の扱いは
どうだったんかね。
タニシ取ってて隣村の領域までいっちゃって訴訟とかあったんだろうか

73 :
そりゃタニシは基本的に自分の管理する田から取るだろう。
ただ、それ以外にも下水や小川や貯水池、沼地などからもタニシは取れるからな。
それは基本的に五人組の範囲とか村の範囲なんだろう。
タニシの採取範囲でもめるって事はあったと思う。

74 :
昔の人が鳥やら獣やら魚食べるのがそんなに不思議なのかね

75 :
>>74
別に不思議ともいえないが現代人みたいに
安定供給がなされてるわけでもないし、
食う量も少ないだろう。

76 :
なんていうか「極点から極端」に走る奴が多すぎなんだよな。
確かに「昔は獣や鳥はほとんど食べられてなかった」という説は間違いだったろう。
だからといって、それが即座に「現代人なみに豊富に獣や鳥や魚を食べてた」になるのは違うだろう。
まあ、魚に関しては「漁業」というものがあるので、ある程度は安定供給されてたろう。
ただ、山奥とかは流通に難しいとこもある。まあ川魚という手もあるけどな。
しかし、獣や魚は当時の日本では安定供給はちと無理だろうと。

77 :
>>70
>ていうかタニシを「ゲテ物料理」と決め付けるのが現代人ならでは。
上でゲテモノと言われているのは、テッポウムシとか、ゲンゴロウとか、蚕の蛹とかのこと。
100年ぐらいまでは、全国的にごく普通に食われていた質の高いタンパク源なのに。
田螺は戦国時代の農民にしたら、むしろご馳走の部類じゃないの?
稲刈りのシーズンに取れる恵みの食材だからね。

78 :
>>68
>当時の食事は現代の感覚では超しょっぱい上に、
そうだっけ?
塩を味付けにたくさん使っているってこと?

79 :
>>56
フロイスが日本人の食事についているのって、ほとんど武士についてだったと思ったけど。
一般庶民の食生活は、さらにだいぶ酷いでしょ。

80 :
>>74
農民の食事の話をしているからでしょ。
そんなもの、ちょくちょく食えるわけがない。

81 :
今とは違って野山で天然の食材が入るので
そこまで酷くないよ
あと当時の最先端の料理技術を持っていた寺社が
信徒を集める為にお料理会などを開いて
積極的に料理法を広めた
もちろん精進料理だけどね
武士は食事すらも作法や縁起担ぎなどで厳しい取り決めがあって
庶民のような食生活はままならなかった

82 :
ただ動物性たんぱく質はともかく
野菜類は今のような品種改良もされておらず
ほとんど流通もしていない
あと大豆が大変な貴重品だった
理由は馬の餌として使われていたからで
大豆で作った味噌などというものは
戦に参加しなければ口にする事などはできない贅沢品だった

83 :
信長がよく食べていたという湯漬けだが
これは白米に昆布でとった出汁をかけて食うもので
箸の先でご飯だけをつまんで食う公家や武家の食事だった
箸の中ほどまで濡らしたり
口をつけてすすったり
出汁を飲むなどは無作法とされ禁止されていた

84 :
だから、不定期には取れるよ。
ただ、年間を通してみると、極めて不安定だったと思う。
農民の場合、親は農作業が忙しいので、狩猟的なことは子供が遊びの一種として
取ってくる分が多かったんじゃないかと思う。
この辺り、戦国時代の記録があるわけじゃないんで、あくまで推測しかできないんだけど、
幕末から明治初期の話を読むと、そんな感じなんで。

85 :
>>79
まあ、フロイスが本当に豊かでない農民の食事まで見てたかどうかは疑問なんだが。

86 :
当たり前だが、フロイスは、毎食、または毎日魚が付くなんて一言も書いてないしね

87 :
>>84
室町時代の一般的農家には弓と槍(害獣駆除目的)は常備されてたよ(罪人の押収記録にある)
田舎暮らしだと今でも年中動物はやってきて駆除しているわけで
手に入れる頻度はかなりあったと思えるけどね
つか昭和の時代でも、うなぎ(川魚)は取ってくる、ってな状況は田舎では普通だったわけで、
禁猟区(神域や鷹狩)以外狩猟権の設定がなかった時代に、
それをしなかった前提は無理があると思うよ
>>85、86
”珍しいこと”のほうが記録に残りやすいんだけど……日常だから「毎日」なんて言葉がないんだよ
つか「記述がないからない」って論法なら、平安時代は(記録がないから)イワシは食べてない、と極論できちゃう
あと「豊かでない農民」の定義をはっきりさせないと……
自作農が中心だった戦国時代でどこらがその階層当たるか、そしてそれは人口のどれくらいを占めたか
…をはっきり決めないと、水掛け論になる気がする

88 :
しかしなあ。「武士は一汁一菜」とも言われてる。
これは質素倹約を表した言葉だが、
貧農や下級武士の食事に毎食魚がついたとは思いにくい。

89 :
当時は禿山ばかりなので
山の幸も豊富とは到底いえない状況だったのでは

90 :
毎食、魚がつくとしてその大きさも問題ではないか?
昔のギャグマンガで「今日のオカズはメザシ一匹」みたいな表現がある。
まあメザシって事はないかもしれんが、小さな魚だった可能性はあるぞ。
ていうか「少量」って書いてあるし、指くらいの魚じゃね?

91 :
>>56で示されてるのはフロイス自身が宿で出された質素な食事の例だっけ?
ほかに食事の話が出てる文献ていうと「おあむ物語」かな。佐和山城の300石の知行の武士の娘。
貧乏で朝夕雑炊が主、ときどき兄が鉄砲で猟に出かけ、その時は菜飯おにぎりが食べられて嬉しいとのこと。
ザビエルの報告集ではこんな感じ。
「日本人は彼らの飼う家畜を屠Rることも喰べることもしない。
 彼らは時々魚を食膳に供し、米や麦を食べるのであるがそれも少量である。
 しかし彼らの採る野菜は豊富であり、僅かではあるが、種々の果物もある」
「雑兵物語」で足軽に与えられている食料は水一升、米六合、塩が一勺、味噌が二勺。
(ただし戦場におもむくまで・短期戦においては手弁当が原則)

でも戦国時代って身分もそうだけど場所・細かな時期によって大きく食事内容変わると思うから
ある記述だけとってこうだ! って主張することもむずかしいね

92 :
>>87
>自作農が中心だった戦国時代でどこらがその階層当たるか、そしてそれは人口のどれくらいを占めたか
>>91
>戦国時代って身分もそうだけど場所・細かな時期によって大きく食事内容変わると思うから
やっぱり簡単なマトリックスが無いと駄目かもね。
一次資料を参照にする場合でも、その資料が指しているのはどの部分、自分が実際に知りたいのは
どの部分、という風にずれがあることをまずは認識できてないと。

93 :
>>82
>理由は馬の餌として使われていたからで
これは軍馬限定?
なんか人間より馬の方がいいもの食ってるって、変な気がしたんで。

94 :
基本的には荷馬も。足軽より人夫の方が多く食料をもらってように
力仕事させるにはいっぱい食わせねばならんのよ
人間より馬の方がいいもの食ってるように見えるが
人間の5倍の荷物運んでくれるなら投資も十分理にかなってる。
ついでに太平洋戦争でも荷馬は兵隊よりある意味待遇がよかった
まぁ人間と違って馬はストレスですぐ死んじゃうからなんだけど

95 :
そうなのか。。
馬の餌は大豆と藁ぐらい?

96 :
戦国時代は小氷期だったから食えるだけマシ。

97 :
>>95
戦国時代の馬糧は、蒸し大豆とヌカや藁や雑草の細かく裁断したものと塩の混合物、かな
オオムギも日本では盛んに栽培されてたけど、これはよそんちと違って人間用だったよ
余談だけど、大豆が西欧に伝わったのは17世紀くらい(イギリスに輸入されてた)
しかも栽培は18世紀になってから
もっと早く伝わっていたら、西欧でも大豆を馬に食わせてたかもね

98 :
なんだ、「毎食、魚が出る」ってガセくたさいね。

99 :
そもそも毎食なんて誰も言ってなかったんじゃない?
「魚はそこまで珍しくないわりとポピュラーなおかず」って説に対して
「魚は貴重でめったに食べられなかった」って説で反論が出た、っていうのが議論の流れじゃなかったか

100 :
>>98-99
>>38
>当時の食事は(庶民含めて)おかずに魚が付いているのが普通
>(現在の戦国食も必ず入ってる)
>だったので「動物性タンパクの不足」は心配しなくていいと思うよ

101 :
>>100
…それを、「毎食、魚が出る」って受けとるのは、ちょっと日本語弱すぎる気が……


102 :
そもそも庶民層では「毎食まともに食う」事も難しい時代だったわけで。
「食える時に食えるものを食う。魚肉等動物性タンパクもその範囲である。」と考えるべきだわ。

103 :
>>102
>「毎食まともに食う」事も難しい時代
>>91の記述の通りなら、少ないなりにも毎日なにかしら食ってたような
室町末期って農業技術的には革命が起こった時代で生産物量も人口も増加してるから
その時代に「食えなかった理由」ってのがちょっと思いつかないけど

104 :
>>103
> その時代に「食えなかった理由」
不作・飢饉・戦争

105 :
メシが食えないのなら関東へ乱入すればいいじゃない

106 :
魚が貴重だったかどうかは住んでる地域によっても変わるでしょ。
今のように物流と保存が進んでない当時としては
内陸に住んでる人にとって魚は貴重だったのは想像に難くない。

107 :
水田を持ってる農民は、それなりに魚介類にありつけたんだろうけど、
山で畑を耕す農民は、たまにしか手に入れられなかったのではないだろうか?

108 :
>>104
>不作・飢饉・戦争
これはいつの時代もあったんじゃ? なぜ戦国時代だけ”特別視”する必要が……
(白土三平の漫画じゃあるまいし)
>>106
内陸への水産物の流通って平安時代からけっこう記録のこってたりするのよね
室町時代には、近江商人が加賀に商談で出かけた戻りに塩鯖買ってもどった記録がある
山梨には煮貝、会津には身欠きニシンの山椒煮、昆布スルメなんて鎌倉時代には都で普通に消費されてたし
”生魚”でなければ、内陸でも手に入れることは難しくなかった、と思われるよ

109 :
戦国期は海の魚より淡水魚が尊ばれたらしいね。
保存技術と入手経路の関係で、生で食える鯉が最上扱いとか
光秀が家康の饗応で出した鯉は琵琶湖のだっけ?
逆に言うとそれ意外は塩漬けが主かな
魚=沿岸部ってわけじゃなく、川や湖でとるのもけっこう割合としては大きかったと思う
あの時代の漁労で使える船なんてそうそう沖には出られないだろうし

110 :
しかし、昔は案外、利水権とかは現代以上に神経質だったんじゃないだろうか・
現代でこそ、割とどこでも釣りが楽しめるが
昔はよそものが魚とりとかしたら騒ぎになりそう。

111 :
薪を取りにいくだけで血の雨が降る、これが戦国時代

112 :
>>108
> >不作・飢饉・戦争
> これはいつの時代もあったんじゃ? なぜ戦国時代だけ”特別視”する必要が……
> (白土三平の漫画じゃあるまいし)
敵軍が侵入してきて収穫物の劫奪どころか、今後生産できないように田畑の掘り返しを
行うような時代が戦国以外にあったとでも?w

113 :
>>112
>今後生産できないように
それって雑兵物語の「敵地じゃ来年の収穫下がっても稲の根っこもほじくりかえせ!」のこと?
原文見る限り「敵地での兵量確保には温情かけるな」って意味にしか取れないけど
対象になる稲株とか普通に馬糧に使われた話(常山紀談)も残ってるしなぁ
つか日本じゃ、敵地の生産能力の根絶する戦略をとった行動
たとえば水路破壊水源汚染社会システムの根本的破壊(大陸じゃ普通な作戦)
そういう軍事行動に伴う永久的に生産能力に打撃与えた記録はないよ

114 :
>>108
>内陸への水産物の流通って平安時代からけっこう記録のこってたりするのよね
内陸に住んでいる上流階級の話じゃなくて、山の畑で生活する農民の話。
平地で稲作している農民と違って、水田や小川に住む雑多な魚介類を取ることができないってこと。
一般の農民が金を出して、おかずの魚を買っていたとは考えがたいよ。

115 :
>>109
>逆に言うとそれ意外は塩漬けが主かな
干物じゃないの?

116 :
>>113
天正2年5月付け上杉謙信書状
『明石、新田、足利まで田畑は全て掘り返した。
百姓はもちろん武士たちもすべて、妻子を引き連れ利根川の南(北条領)に逃げ込んだ。
今利根川以北は無人の荒野となっている。今日は桐生も掘り返した。』

117 :
>>108
>これはいつの時代もあったんじゃ? なぜ戦国時代だけ”特別視”する必要が……
藤木久志の『飢餓と戦争の戦国を行く』でも読んだら?
そもそも戦国期、他国に戦争を仕掛けていた一番の目的は、物資や労働力が欠乏したことによる略奪だというのに。

118 :
前田利家が鶴の吸い物食ってあたったと言うが
一般庶民も鶴を捕らえて食っていたのかね?
戦国では鶏を食わなかった事は知っているけど

119 :
鶴捕獲なんてすげー難しそうだし、さすがに庶民に狩猟技術はないだろうw
鷹と鉄砲必須

120 :
鶏食べなかったっていうのはまったく食べなかったと
いうことなのかね。
卵取るために飼ってたろうしオスなんかは食べててもおかしくはないと
思うのだけど、江戸期の本でもよくそうやって書かれてるから
いつも不思議に思ってた。

121 :
鰯が稲作の肥料としてある程度流通してたわけだしなぁ
ある程度経済力のある地域なら干物やなんかも入手が容易なのでは
そもそも水田で耕作するには大量の水が必要なわけで
よほど有力な領主が水樋とかの上水道の整備とかしないかぎり
ある程度の規模の河川に近い場所ってのがデフォみたいなもんじゃないのかね
つまり川魚や川蝦ザリガニ、タニシなんかは冬季は除くと
毎日とはいわないでも週何回かは口にできてると考えても問題ないんじゃないかね

逆に頻繁に氾濫しまくる濃尾平野なんか家も人も流されまくってるのに集落はなくならないもんな
水利ってのは常に争いの元になるくらい重要で身近なものなんじゃないの?

122 :
海に近い方の水利なんかはすごいと思うよ。
信長の前ぐらいから静岡、愛知、岐阜なんかの争いというのは
ほとんど水運、海運争いと言う感じじゃないのかな。
自領でなにかあっても海運握ってれば米とか食料輸入できるし
海魚だけだってべらぼうに捕れる。
あのあたりから三英傑が出たのも地の利という意味でなんとなく
理解できるしね。

123 :
経済力もすごいしな
逆に甲信地方なんか常に飢饉のイメージ
だから信玄が必死こいて対外戦争で略奪しまくったんだろうけど

124 :
>>120
だから卵食う習慣は当時ないってw

125 :
>>119
>庶民に狩猟技術はないだろうw
鶴を捕まえる技術はどうかわからんが、百姓でも狩猟はやるよ。
江戸期の話だが、耕地の開発がよりすすんだため、鹿、猪によるの農作物被害が大きくなり、
村々には「農具」として、鉄砲が備えられていたらしい。
ソースは塚本明『生類をめぐる政治』
あと、丹沢山系の山間部の村では、藩や代官から鳥獣対策用に貸し出される鉄砲が、
一つの村に平均6、7挺あったらしい。

126 :
>>121
>鰯が稲作の肥料としてある程度流通してたわけだしなぁ
それって、江戸期に入ってからの話じゃなくて?

127 :
普通に読めば分かるはずだが、>>119は「鶴の捕獲技術」を庶民が持ってたかどうかの話ね

128 :
かすみ網しかけてたらたまたま鶴が とかあるかもね
ピンポイントで種類絞って狩猟ってしないでしょ
それこそ有力者の依頼とか特別な目的でもない限り
仕掛けが体長○○位の〜鳥専用 みたいな区別はあるだろうけど

129 :
干鰯は戦国期にはもうあった
ただ本格的な流通は江戸期だねぇ

130 :
>>120
鶏は確か戦国期には神の鳥?とかで尊ばれていたような・・
卵でも食ったら神罰下りそうだが

でも待てよ
宣教師かポルトガル商人がカステラを信長に献上したっけ?
それとも江戸期だったか?
カステラは卵、まぁ牛Rもないと作れないけど

131 :
>>127
いやだから、特に鉄砲について書いているんだけど。
捕獲手段は結果的に持ってはいたんだよ。
そういう使い方が許されるかどうかは別の話だが。

132 :
>>120
戦国期には、基本的には家畜は食べなかったようなんで、鶏も同じ理由で食べてないのかもしれない。
卵も食べない、肉も食べない、となると、現代人の発想ではなんのために飼ってるんだ、
ってことになるけど、朝を告げるとか、実用・非実用的な存在理由があったんだろう。

133 :
>>132
みんなありがとう。
卵食べる習慣がなかったとは思えなかったもんでね。
江戸期には、朝を告げる、というのが飼ってる理由とか
あったなぁ。
鶴を捕まえる話だけど、網、みたいなのだと思ってた。
それと、技術、というか隠れてて素手でたまたま捕まえたから
領主のとこもってった、とかそういうのもあったかもね。
キジなんかはうちのじ〜さん素手で捕まえてたから
むつかしい話じゃなくて、昔の農民ならそういう根性は
普通にあったかもしれん。

134 :
前田利常が義父でもある徳川秀忠を歓待したときの献立表見てびっくりしたのは
【御汁】 鶴・竹の子・しゐたけ
【焼鳥】 ごい?
はともかく
【御汁】 白鳥
にはたまげた
鶴だけでなく白鳥も食ってたのか
呪われないか?

135 :
江戸期の本には、鶴、白鳥、とかよく出てくるもんな。
参勤交代の接待の時は鶴の吸い物だったらしいが。

136 :
>>133
いや、卵に関しては確かに驚くほど記録がないんだよね。

137 :
> 時代が奈良期に入ると、仏教の訓えから、肉食禁止令が出ました。その中にどういう訳か
> 卵も鶏も含まれていました。しかし、庶民
> は利口者、鶏は大事な「時告烏」と称して飼育し、雉(きじ)肉と偽って食べていたといいます。
> また、先人達は、卵が栄養の塊(か
> たまり)であることも知っており、病人や病後の体カ回復の妙薬として密かに賞味して、
> 殻は土中に埋めたといいます。
> .
> それが、室町時代になると、誰言うことなく卵は生きものでないとの風評が世間に広がり、待ってましたとばかりに鶏の飼育も急激
> に増えました。朝廷からの「殺生戒」のお咎め(おとがめ)もなく、またたく間に日本各地に卵の食習慣が広まり、卵の生産量も増加
> しました。
http://homepage3.nifty.com/takakis2/rekishi.htm
食ってたんだろ

138 :
> 日本においては平安時代までにある程度の規模の養鶏が行われていたが、
> 仏教の殺生を禁じる思想もあって、日常的に鳥獣や鳥卵を食べる習慣はなく、
> 鶏肉や卵料理が徐々に武家の料理にとりいれられたのは室町時代以降である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%AD%90%E8%B1%86%E8%85%90
室町期には既に食ってたってことだな。当然戦国にも。

139 :
>>134
「ごい」はゴイサギのことじゃね?

140 :
ふむふむ。
世界史的にも普通に食べてたと思うし
習慣がない、というだけで実際は食べられていたとは
思うのだよな〜。たまごね。
それと鳥獣というのも飼育したり養殖のを
食べる習慣がなくても、野生で捕れたものは食べてたと
思うんだ。
武家はともかくそこらの農村なんか絶対に食べてたんじゃないか。
魚も貝もなんでもかんでも。

141 :
いや、現代人の感覚で「絶対食べてたと思うよ」ってのは安易すぎる。
例えば、フランスではカタツムリを食うし、
そのためにエスカルゴに通常用いられるリンゴマイマイとプティグリだけではなく
アフリカマイマイというカタツムリの最大種の最大に気持ち割るカタツムリも食う。
俺は今でもエスカルゴは食えないし、ナメクジはもっと苦手だ。
鶏卵とかも昔だったら「気持ち悪くて食えない」とか言う人もいると思う。
「魚でも貝でもなんでも」って・・・・
日本人は「足のある物は机と椅子以外なんでも食う」という中国人じゃないしな。

142 :
>>117
個人的には、「あの本の読み取りかたがソレ??」 という感想
略奪、とは言うけど、あの時代どこの国でも軍の現地補給は常識、どこでも戦場は荒れた(本の通り)
でもそれと社会全体で生産不足(飢えていた)というのとは、話は別
あの本でも、戦争での人狩りの記述があるjけど、人=生産力な時代では、
その獲物を吸収する(労働力を欲する地域)背景なければ商売ならないわけで
そんな土地は(飢えても)食い扶持ふやしてた、って、あなたの主張はいってるようなものだよ?

143 :
>>141
反論じゃないが、気持ち悪い、とかそういうのが現代人の感覚であって
限りある食料とか栄養とかそういう意味での話ね。
生だと気持ち悪いなら火を通すだけのこと。
食べ物を捨ててる現代が異常なだけであって
あくまで人間の生存への常識の話だよ。
ちなみに、貝は貝塚じゃないが古代から食べてるよね。
魚だって命懸けでとってきて食べてる。
そういう意味でおかしくはないでしょう。
それとうちの実家では狸でも普通に食べてたが
こないだ若い歴史好きの人が、あるわけないだろ、と
これが全然話が合わない。
そしてやっぱり、現代の感覚で話さないでください
と言われたんだが少し不思議な感じがする。

144 :
>>142
なんかお互い話が噛み合ってないような。
その本の中身はあんまり覚えてないんで、ちょっと話が変わるかもしれないけど、
江戸期にせよ戦国時代にせよ、飢餓の大きな原因は流通や分配がうまくいってないことだね。

145 :
>>133
>鶴を捕まえる話だけど、網、みたいなのだと思ってた。
罠使ったんじゃないの?
自分の田圃に仕掛けとけば、結構簡単に取れると思うけど。
鶴の恩返しの原型となる話は、すでに室町期にはあったはずだけど、狩猟対象で、
料理の重要な材料でもあったことを知った後では、話の意味合いもちょっと違って見えてくるね。
>>135
そうそう、鶴と白鳥って最初読んだときはびっくりするね。
まあ白鳥なんて攻撃性の強い凶暴な鳥でもあるから、文学に縁のない人間からすると、
特別扱いする理由もないんだろうけど。

146 :
戦国時代って果物はあったの?
肉や魚といったたんぱく質は色々あったみたいだけど
果物についてはあまり聞かないけど。

147 :
>>145
そそ、網も広義の罠ってね。
どうも捕ってからしばらくは飼育してたような感じだから
比較的傷つけない網かなって。
>>146
こないだマキムク発掘で桃の種が山のように
出てきたけど栗とか山イチゴ、柿、こういうのは普通に
あったんでしょ。
卵もだけど当たり前すぎて記録には残らない
なんてのがかえってありそうだな。

148 :
戦国時代だと永田徳本先生が葡萄の栽培方法を云々と聞いた事があるけど
桃や柿なども他所に流通出来るくらいに栽培されてたのかねぇ

149 :
舶来物好きな日本人が、食事だけは独自性を保ち
一切中華を取り入れなかったのは不思議な気がするよ

150 :
>>146
南部家では城内に林檎を植えていたようだし一部の支配者層の食卓には
デザートが登っていたと思われる。だけど庶民にとっては甘味は高値の花だろう。

151 :
江戸初期では、なんとか庶民に手が届く甘味が干し柿と蜂蜜だったっけな。
水飴の方が安そうな気はするが。

152 :
真桑瓜は古くから食われてるから戦国期でも普通に食われてるんじゃないのかな
西瓜なんかも普通にあるだろうね、無論高級品だろうけど

153 :
真桑瓜って若きうつけ時代の信長がよくかじってたんじゃなかったっけ?

154 :
当時は全部天然ものだから美味しかったろうね。
鯛、ウナギ、今のわしらがかえって普通に食べられない。
マグロなんかあまって馬に食べさせてたというからな。
江戸期だけど。

155 :
徳川秀忠を歓待する献立表もう一度見直したら
白鳥以外に青鷺、雲雀(ひばり)も食ってたみたいだ

156 :
天然物が全ておいしいわけじゃない
特に農作物は品種改良や農薬の恩恵が大きい

157 :
天然物が全部旨いって固定観念は「美味しんぼ」とかの悪影響だろうな。
野生動物は飢えたり、変な病気もしたりするし、
食肉用に改良・育成されたものがいいと思うんだせが。

158 :
>>147
山イチゴとか市販のイチゴよりマズイぞ。
山のカキなんて渋柿ばかりだろうが。
ちなみに干柿は渋柿をうまく食うための措置だ。
何で「天然もの」>>>「畑の作物、養殖品」と決め付けるのか?

159 :
ちょっと乗り遅れた感はあるけど、そもそも鶏は弥生時代にはすでに食べられてたみたい。
遺跡から鶏の骨が出土している。新石器時代末に大陸から渡来したそうな。
で、天武天皇(平城京より前の時代)に「牛馬や鶏は食うな」って詔が出た。
これは肉食を禁じるというよりは家畜食禁止の令だったらしい。
その後は >>137みたいにおおっぴらではないけどこっそり食ってたんじゃないかなー
>>138の記述はさらっと室町時代以降って書いてあるけど、料理書の記述見る限り室町期は野鳥メインだと思う
http://www.yakitori-jp.com/encyclopedia/histry/hhtml/chusei01.html
1643年には「料理物語」で食材に鶏・鶏卵が挙げられている。
個人的にはキリシタンが牛馬をばんばん食べる影響で家禽である鶏食の抵抗も薄れたんじゃないかと思う。
それまでこっそり食ってたにせよ、料理本に載るくらい食材として一般的になったという意味で。
あと用途だけど、鶏は世界史的に闘鶏に使われることが多いので、
日本でもそこそこ余裕のある町なんかではやってたんじゃないかなと思う。

160 :
やはり肉の味を知ったらやめられないだろうな
江戸時代では猪は四つ脚動物だから本来なら食べてはいけないものだが
鳥は食べていい
だから当時の人はどえらい理論は考えついた
当時では空を滑空するムササビを鳥の仲間と見ていた
そこでどういうわけだが猪はムササビな仲間
ムササビは鳥の仲間
だから猪は食べてよいと

161 :
>そこでどういうわけだが猪はムササビな仲間
>ムササビは鳥の仲間
じゃあ、四足哺R類はなんでも食べていいってことにならない?

162 :
>>161
それはなぜかダメだったらしい

163 :
>>157
もちろん、うまいまずい、なんてのは感覚だから
絶対的なことを言ってるわけじゃないよ。
ただ自然の中で生きて自然100%のものは
美味しかったろうな、と思ってるだけで「決めつける」
とかそういう風に言われても困る。
市販とか今のものは品種改良されて現代風になってるから
「現代人は」今のが美味しいのは当然だろうし
養殖のハマチのほうがアブラがのってて
「美味しい」という人だっている。
そういう比較文化とか習慣とか好みの話じゃ
ないというのは流れでわかると思うけど
どうもそういう方面から考えてる人もいるんだなと。

164 :
牛肉は長い間世界で不味い肉の代表だった

165 :
>>159
桃の実もそうなんだけど骨が出てるのを
「祭祀用であって食べてたという証拠はない」という
ように言う人もいるのだけど、やっぱり存在して食べられたら
食べてるよな、普通。
ただこういう考え方は「非学問的である」みたいに
言われてまいってしまうが。
>>160
江戸期の話だが一応は仏教的なものから食べてはいけないものだけど
「山くじら」なんてごまかして猪は食べてるね。
鹿だって「紅葉」なんてごまかして食べてた。
鳥に関しては禁令が出てるけどそれに関しては最近新書で
わかりやすいのが出たよね。
なので記録や資料がどうあれ、食べてたろな〜、なんて。

166 :
>>159
卵ってのは豆腐百珍の次に出版されてるね。
面白いのはゆで卵でさ、黄身が外にある、という逆転卵?
これがすでに作られてるんだ。
当時は驚いたろ〜な〜。
闘鶏、だけどこれが出てこないんだよね
江戸や上方のでかい町でもでてこない。
ただ鶏なんて囲っとけばポコポコ増えるし
田舎のほうでやっててもおかしくはない。
ちょっと注意しておくは、いいネタありがとう。

167 :
鶏や卵を全く食べないのなら、それについてフロイスがなんか書くはずだと思うんだけどねぇ。
連中にすれば一番無難な蛋白源だし、それをまったく利用しないのを見れば、例のごとく
「我々とは逆の行動をする民族」として書き立てそうなんだけど。

168 :
闘鶏、平安時代くらいから「鶏合」って名前でやられてたみたい。
占いの一種として宮中でおこなわれ、民間でもやってたとか。
で、ちょっと戦国時代から遡るけど1416〜1448年を記した『看聞日記』で
「伏見で闘鶏を催そうしたけど、伏見の農村では鶏を飼っているところがなかったのでやむなく中止した」
って記述が。
やっぱり公に鶏は食用にするなって言われた歴史があってかつ野鳥(雉子など)が獲れる状態なら
わざわざ鶏を飼育するより雉子食うわって感じなのかな
あれば食うけど、積極的に食べるほどではないという

169 :
江戸期はむしろ日本の食肉の風習の復活期だな。江戸には精肉店も肉料理の専門店もたくさんあった

170 :
>>168
>わざわざ鶏を飼育するより雉子食うわって感じなのかな
自分で飼育したものを食うことを避ける風潮があったということだと思う。

171 :
>>169
戦国期よりも肉食の風習はさらに少なくなってるよ。
ただ、江戸期には外食産業が発達しただけ。
戦国期の外食専門の店といえば、寺院前の茶屋がほんの少し。
基本的には宿泊施設のおまけ。

172 :
>>166
>面白いのはゆで卵でさ、黄身が外にある、という逆転卵?
>これがすでに作られてるんだ。
>当時は驚いたろ〜な〜。
これは昔の人のほうがすごかった
百珍に載ってるけどその技術が失われて長いことどうやって作るのか不明だったけど
最近になってやっと作り方を解明、復刻した

173 :
>>170
もともと鶏肉は”雉”の代替品あつかい、鶏を食うときも”雉”と称した、って説もあるよ
卵については、「常に鶏の卵を煮て食いて、現に悪死の報いを得る縁」(日本霊異記)って
卵食ったら地獄行きだよ、なんて説話が生まれたくらいだから、記録にはないけど実際には食べてたんだろねぇ

174 :
>>171
江戸期は海路も発達し各地の名産品が江戸に流れるようになったから
あえて御禁制の肉を食う必要性が薄れたともいえるかと。

175 :
某藩の名産は牛肉の味噌漬けでしたが

176 :
>>174
関係ないでしょ。
肉に対する禁忌が時代が下るにつれ、強くなっていっただけ。

177 :
いつの間にか「昔は良かった」論になってない?
昔は平均寿命三十歳、R幼児の死を除いても六十には達しない。
栄養失調病やぎょう虫などの寄生虫も多かった。
三大栄養素はまだしも、そのほかの栄養素はなあ。
現代人の俺ですら、一人暮らしを初めてからビタミン不足に手を焼かされた。
なんか変な症状出てから、ネットを見て不足ビタミンを摂取する毎日だ。

178 :
古代エジプトのファラオは虫歯がもとで死んだのがいると言うが
戦国〜の日本でも食べ物がもとの虫歯で重症化したことあるのかな

179 :
>>171
戦国期はまだまだ仏教的禁忌の影響が強く食肉は限定的だった、というのは常識だと思うが。
それに江戸期の百性の記録見てみろ。どこの地域でもハレの日は鳥類を中心に肉料理が必ず出ている。
戦国期にそういう記録は殆ど無い。
つーかお前が戦国期のほうが江戸期より食肉の習慣があったという根拠は何だ?
そんな統計資料は見たこともないんだが。
戦国期は鎧などのための皮などを取るため大量の牛馬が屠られたが、それらの肉を食したという記録はなく
おそらくすべて廃棄されたと考えられる。(江戸期は”ももんじ屋(精肉店)”で牛馬の肉も流通していた。)
江戸期は、例えば井伊家などは「牛肉味噌漬」を名物にしていたが、それ以前にその土地の領主が
獣肉を名産にした時代はない。
戦国期の社会に、江戸期以上の獣肉食の慣習があったなど到底信じられない。

180 :
>>179
>それに江戸期の百性の記録見てみろ。どこの地域でもハレの日は鳥類を中心に肉料理が必ず出ている。
>戦国期にそういう記録は殆ど無い
当たり前だろ、そうした記録の絶対量が、戦国期と江戸時代とは違う。
>そんな統計資料は見たこともないんだが。
そもそも、戦国期に統計を取れるほどの資料は残ってないが。

181 :
>>180
だから戦国期のほうが江戸期より肉を食っていたという根拠は何だと聞いているわけ。
妄想や想像ではなくきちんとした資料的根拠をな。
わかる?

182 :
どっちでもいいけど(いいってことはないか、でも)
いちいち喧嘩ふっかけるような書き方しないでもっと落ち着いて書きなよ
意見の否定は人格の否定じゃないんだから

183 :
>>182
たまたま大学でその辺のことやってて自信がある子なんでしょ。
>>181
>戦国期のほうが江戸期より食肉の習慣があったという根拠は何だ?
まず、おれは>>171じゃないで。念のため。
1点目
以下、原田信男著『江戸の食生活』から引用する
「江戸時代も初めの時期には、肉食に関する禁忌は比較的弱かった。
ところが石高制社会が、しだいに内実を整え始める寛文〜延宝期(1661年〜81年)頃から、
肉食を穢れとして忌避する意識が強まったと考えられる。
喜多村信節は『嬉遊笑覧』で、肉を扱う獣店が寛文〜延宝期を境に消滅した、という
考証を行っているが、この推定はほぼ正しいように思われる。管見の限りで言えば、
元禄〜享保期(1688〜1736年)には、肉食についての記事がほとんど見受けられず、
宝暦〜天明期(1751〜89年)から化政期(1804〜30年)に目立ちはじめ、さらに天保期
(1830〜44年)頃から、獣肉店に関する記述が多くなるという特徴がある。
おそらく天保期における政治的な内憂外患に伴い、社会秩序が緩みはじめて肉食の
禁忌も弱まったためであろう。
2点目
成人男子の平均身長を時代別に比較すると、戦国期>江戸初期>江戸後期となっている。
(ソースは鈴木尚)
ただ、平均身長は肉食の習慣があるかどうかだけで決まるわけではないし、蛋白源は哺R類
以外にもいろいろあって因果関係の説明としては弱いので、あくまで個人的な推論の根拠でしかない。
それから、
>戦国期は鎧などのための皮などを取るため大量の牛馬が屠られたが、それらの肉を食したという記録はなく
戦国期は狩猟獣の肉は食ったが、家畜の肉は食わなかった。
江戸期でも、牛馬を食べることに対する穢れ感は強かったが、上級武士を中心にある程度食べられていた。
なので牛馬に関して比較すると、江戸期の方が肉が食べられていたといえる。

184 :
単純に戦国時代は”家畜”がいなかった、家畜の肉は食わない、じゃなくて機会が少ないだけのような……
フロイスの日本史には、ザビエルが普段は菜食なのに「宗教関係者も肉食をして良い」ことを示すために口にした
…って記述があり、当時広まってる仏教説話も「獣魚を食って地獄におちる」てなパターンだから
これは当時の一般が肉食をしないなら書かれない(広まらない)ことよね?
似たのに、後村上天皇は「肉ばっか食ってるから(仏罰で)都に戻れないんだ」なんて言われてるし
「戦国時代に肉食なかった」てなのは無理がありすぎるかな

185 :
いやまあ「戦国時代に肉食なかった」とはたぶん誰も考えてないでしょ
どれだけポピュラーだったか(あるいは限定的だったか)って話で。
>>183の原田信男の記述を見ると江戸初期は肉食が珍しくて後期に肉食が増えたとも読めるね
>>171のさす「江戸期」が初期を差してて>>179の「江戸期」が後期を差してるってだけだったりして
江戸期と戦国期だとそもそも食料の安定供給・流通がぜんぜん違うからそのまま比較するのが難しいよね(無理とは言わないが)
もちろん禁忌が弱いとかそういう話はできると思うけど、単純に肉食の記録となると

186 :
生類憐れみの令も関係ありそう

187 :
>>178
永倉とか。
ttp://aekd.seesaa.net/article/189132125.html

188 :
江戸でも、流通具合は肉の種類でかなり変わりそう

189 :
おっと おくっちまった

190 :
牛肉限定だけど……
秋月藩(望春随筆)だと、昔は長崎まで干肉頼んで取り寄せていたけれど、
寛政には必要なときに手に入るようになり、天保には牛肉の行商がきた、って書いてある

191 :
>>177
平均寿命だけどさ、記録のある公家さんとか皇族でも
結構6〜70代っていますよね。
そういう人たちは栄養とかも豊富で特別だったとは
言われるけどとりあえず長生きしてた人もたくさんはいたわけで
平均が30才というのはなんか微妙な言い方のような気もする。
統計のイタヅラというか60まで生きた人一人
子供で死んだ人二人で平均30才、でも30で死んだ人は
いないわけで同じように平均化すると少し実態と違ってきて
そこからさらに「平均が30歳だから」と演繹していくともっと
おかしくなっていくとも思うのだよね。
良かった論じゃないけど「あんまり変わらなかったろう」とは
思ってたりして。いろんな面においてね。

192 :
>>172
そうなのですか。
百珍に作り方が載ってたように書いてある本があったけど
誤読だったかな。それともそれでは不可能だったのだったかな。
マジックで卵の中から1000円札出すのがあるけど
あれはどうやるか知ってる?スレチで悪いが。

193 :
>>191
いやー、「あまり変わらなかった」ということはありえない。
確かに長生きな人もいたろうけど、短命な人もたくさんいた。
子度ミのうちに死んだ人もいたけど、
三十台、四十台で死んだ人も多かった。
平均寿命は数字のマジックとし言えないだろう。
今でもアフリカとかでは平均寿命三十前後の国があるが
ちゃんと貧しくて悲惨だしなあ。

194 :
>良かった論じゃないけど「あんまり変わらなかったろう」とは思ってたりして。いろんな面においてね。
いやー、メチャ変わっていると思うよ。
特に現代人において県単位で歩く事すらないってのは大きな違いだと思う。
そもそも、あなたは「めぐまれた人」「運良く長生きした人」ばかりを参考にしてないか?
めぐまれてない人もゴロゴロいるんだが。
昔は虫歯になれば地獄だし、盲腸(虫垂炎)になっても治療法なく死ぬしかなかったのだが。
俺は虫歯を抜くときに歯が根本で曲がっていて抜けなかった。
それて、歯科医は一時間近くかけて歯を細かく粉砕して取り出したのだが、
麻酔を数度にわたってかけたので、痛みはなかったが。
昔だったら「死んだ方がマシレベル」の阿鼻叫喚だったろう。
なんにせょ貴方はもっと文明に感謝したほうがいいよ。
エヴァじゃないが、人類なんてものは水槽の中の金魚みたいなもんだ。
「60まで生きた人」と「子供で死んだ人」で平均30とか言ってるが
あなたの方が子供で死んでた方かもしれないし。
「あんまり変わらなかったろうとは思ってたりして。いろんな面においてね。」
ってのはあまりにも文明への感謝がなさすぎだねえ。

195 :
>>193
いや、言ってることはよくわかるよ。
わしら爺はテレビや冷蔵庫もろくになかった時代から
生きてるから文明にはものすごく感謝してるよ。
だからちょっと誤解をされてると思う。
今のこの豊かさを当たり前に思ってるガキンチョ
の対極にあるようなものだからねわしら世代は。
わしの爺ちゃんぐらいだと風邪で死んでた人も
多いしそういう話は身近に体験もしててね。
実家には今でも井戸あるし小さい頃は使ってたし。
だからそのあたりはわかってほしいな
決して「文明を軽く見てる」わけじゃなくて。


196 :
続き
「変わらなかったろう」というのは文明の話じゃなくて人間の
本質という部分ね。
空飛べるわけでも手足が増えたわけでもない
だから「3大欲求」みたいなものは古代から今まであまり
「変わらなかったろうな」ということで。
東京でアザラシが見つかるとみんな押しかけるけど
300年前の江戸人とやってることはまったく同じでしょ。
これだけ発達した社会の中で「似たようなことしてるな」
というのにはいつも逆に感心してしまう。
歩く話だと熱田から桶狭間まで普通に歩くけど
今の子なんかはとんでもないものね。
こういう点は「メチャ変わってる」けどそれは
現代がいかに異常か、という論点の話だと思う。
わしらの上の世代で毎日岐阜城に登って散歩してる人いるけど
江戸期の人みたいに健脚でこういうのが昔は普通で
今でも残ってる部分は多いとは思うんだ
残念ながらもうわしらがその最後の世代なんだろうけど。
説教臭くてごめんね・・


197 :
ところで果物の話が出てたけど
江戸初期には、梨、葡萄、蜜柑、なんてのは記録に
出てくる。売買の時期の話だからその少し前の
戦国でもいっぱいあったろうし
あったのなら食べてたんじゃないかな。

198 :
て言うか>>177でべつに昔はよかったなんて誰も言ってないのに
いきなり「よかった論になってない?」とか言われても……って感じだったんだけど
なんでそういう話になってさらに文明への感謝とかいう話になってんの

199 :
果物っていうと武田信玄が干し柿を奨励してたって聞くね。
甲州は今でも干し柿の産地だし。

200 :
そそ、「むかしはよかった」という話になった最初は
「昔は悲惨だったんだぞ」という主張から始まったようなんだよね。
平均年齢とかアフリカとかを「ちゃんと悲惨」という表現してるのが
少し不思議だった。
薬も何もない生活=文明の未発達の生活を
そのまま「悲惨」と考えるのはどうなんだろう。
現代にそういう目に遭うと「悲惨」だろうが
昔は「それが当たり前」なわけであって単純に
比較して今の感覚で「悲惨」というのは少し違うような。
今の現代で貧しくて悲惨な国も場所もあるだろうが
それはあくまで現代の中の比較に留めるべき。
「昔はよかった」なんて誰も思っても言ってもないし
これは普通に歴史を考えていくと出てくる視点だしね。
しつこくてごめん。

201 :
お江で、干し柿をつるしてあるシーンがあって
「ビニールの無い時代におかしくはないか」という質問が
あったらしいけど当然藁だよね。
今でも普通に実家から藁で結んで送られてくるけど
NHKさんも大変だなーと思った。

202 :
時代劇で大名さんが食べてる御膳の中に
「ミニトマト」が入ってたことがあって
「さすがに間違いだろう」という質問もあったそうな。
江戸期にミニトマト・・

203 :
>>196
そうなのか? まあ、大体わかった。
で、人間の本質というと俺は現代人にありがちな最強度近視で
5cm先の字も読めず、眼鏡なしでは半盲みたいなもんなんだな。
これを言うと当然「昔は今とは違って近視の人はほとんどいなくて」みたいな
反論はくるだろうけど、やはり単に「視力の弱い人」はたくさんいたと思う。
となると昔だと最強度近視の人間は障害者扱いなのかなと思ってしまう。
あと酒井忠続とか土岐頼芸は晩年に失明したんだけど、
おそらくは緑内障・白内障の類だと思う。
まあ現代人の失明原因トッフは糖尿病だが、さすがに昔の人ではこれはないと思う。
現代人は糖尿病で失明し、昔の人は白内障・緑内障の対策なしで失明するとなると、
昔も今も失明率は変わらないのかな?

204 :
>>203
面白い話題かもしれないけどちょっとあんたは全般的にスレ違いが過ぎないか
例えば白内障予防に効果的なビタミンCと戦国時代の食生活をからめて話すならまだしもさ
一回スレタイ見直してほしい

ミニトマトは江戸期に伝来したけど、色のせいか観賞用で食用には用いられなかったみたいだね。
日本で実際に食べられるようになったのは明治以降とか。
ていうことは、戦国時代でも存在はしたけど食用に用いられなかった食物ってのもいろいろあるんだろうね。

205 :
>>201
うちの田舎(和歌山)だと、干し柿を釣るのは葉蘭(バラン)を細く裂いたものだったよ
藁は引張強度が弱いから、大きい柿(百目柿とか)だとすぐ切れちゃうしね
つかバラン、消えちゃったよなぁ……
昔の日本には普通にあっても今じゃ全滅、って道具にされた植物はけっこうありそうだね

206 :
>>204
へぇぇ、ミニトマト江戸にあったのか、勉強になった。
スイカもあったけど、人の首みたい、とか嫌われたというけどその
類なのかな。
鶏の話だが、江戸以前は闘鶏のための飼育で食用ではなかった
と見かけたけどあまり聞かないよなぁ。
獣食の話でウサギが出てないね。将軍も食べてたというのだけど。
昭和初期の飛騨では大体ウサギと鶏は飼ってた。これは記録とかじゃなくて
口承というか実体験というか。

207 :
>>205
ほほぉ、飛騨育ちだが「バラン」って初めて聞いたよこれも
勉強になった。
藁は弱いからこよりみたいにゆってぐるぐるまいてたね。
そういや卵が一般化したのは南蛮人のカステラとかで
その味の良さで広がったと何かで見たが
万葉集とかに出てこなかったかなぁ。
鰻は出てきてるもんねぇ。

208 :
大口叩いていた>>181は、結局だんまりかw

209 :
江戸時代初期、冬季になると江戸の町から野良犬が消えたって話があるね
庶民が鍋にして食っちゃうと
んでその悪臭に嫌気がさして生類憐みの令の一因になったとか

210 :
>>192
江戸時代に書かれた製法に従っても作ることが出来なかったのよ
それが最近になってやっと解明されたの

211 :
天明の飢饉の時に
「飢えた農民たちは犬猫は言うに及ばず、牛や馬まで殺して食べた」という記録がある。
少なくとも、食うことの抵抗感は犬猫>>>牛馬なんだが。

212 :
そりゃあ高い農耕機や自動車を食べようと思うのには抵抗感はあるわな

213 :
>>210
さんきゅ。

214 :
(食べてしまってもさほど困らない)犬猫は言うに及ばず、
(高価で労働力としてすごく重要な)牛や馬まで っていう意味なんじゃないかなその文は

215 :
>>212
そだね。
思うに農耕用の牛馬に関しては宣教師の記録どおり全く食わなかったか、
食うとしたら、自然に息の根がとまってからだろう。
飢饉でもない限り殺しては食わない。

216 :
農耕用でもウシウマがいるなら
食料用に飼育しててもおかしくないのに
そういう用法を採用してなかったのが珍しくて
記録に残ったかなと思ってる。
自然死で食べてたならそれで味を覚えるから普通は
飼育するだろうってね。
仏教的な戒律で食べなかったというのはそれも
あるだろうがやっぱり山中では獣はいるから食べてたかなと。
古代からずっとね。

217 :
牛の肉って不味いんだぞ
おいしくなったのは近代以降

218 :
江戸だと大トロは捨ててたというからな〜。
どこでもドアで行ってみたいもんだ。

219 :
常温保存で数日たった大トロはマズイとおもうよ……
赤身の方はズケで保存だしね

220 :
>>214
歴史を見る際、中途半端に現代人の合理的思考で考えるのは良くない。
まず当時の農村で、犬猫をペットとして見なしていたかどうかが疑問。
ヨーロッパ以外の多くの国々では、犬の扱い方が酷いことは、よく聞く。
で、牛馬に対しては、一緒に労働している仲間という感情は強かったんじゃないかと思う。
自分たちによく従って働いてきてくれた仲間を殺して食べるのは、かなりの苦悩があったんじゃないだろうか。

221 :
>>217
アメリカでも、元々一番いい肉とされていたのは豚肉で、牛が逆転したのは比較的近年のことだしね。

222 :
自然死した動物の肉とか普通に不味そうだ。

223 :
まぁ篭城戦なんかじゃ人肉食うのは餓死や戦死、病死した死んだ肉に限られていましたが
中国では知りません

224 :
>>220
>>214はべつにペットとか言ってなくね?
それはともかくとしてあの文は感情の意味で牛馬を食べるには抵抗感があるけどそれさえ食べたって主張か
どうなのかなー 犬猫だって生活圏の中にいる場合は警備・ねずみ取りとか用途があるわけじゃん
その意味では牛馬と同じ程度には感情的な抵抗あると思うけど ちょっと読み取りが恣意的すぎない?
あと、ヨーロッパ以外で犬の扱い方がひどいってのは、イスラム教で犬が不浄の動物だからってのがあるんじゃないか
飼ってない犬は野犬化したりして(牛馬より)危険だってのもあるかもね

225 :
犬の扱いはどこの国でもひどかった。ヨーロッパだって犬の扱いが良くなったのは
近代に入ってからだ。日本でも「犬追物」なんぞやってた。
犬、特に野良犬や野犬は死体を食うので、中世社会ではどこでも忌み嫌われていた。

226 :
いやー「自然死したのを食べる」と「殺して食べる」は昔の感性では大違いだと思うよ。
仏教の六道的に言えば殺害は大罪で地獄や畜生、餓鬼の世界に落ちる行為だしな。
現在の感性ではなく当時の感性で考えるべきだろ。
蓮如が浄土真宗布教に成功したのも当時は「必ず地獄に落ちる」といわれてた漁民を救ったからだしな。
迷信深い昔なら家畜の牛馬やペット「R」行為は避けたと思うよ。
戦争や飢饉による飢餓のさいも人食いは自然死ししたいを食うのであって、
殺して食う例はマレだろう。

227 :
>>224
>>214はべつにペットとか言ってなくね?
だから、現代人は犬猫がペットという頭があるから、食べたりすることに対して抵抗があるけど、
そういう発想がまったくない人々は、全然違う行動を取っても不思議ではないということ。

228 :
>>226
野犬は飢饉や疫病があると、それで弱った人間を襲うんだよ。

229 :
犬って、群れをなすから怖いんだよね。
今の日本にいるとあんまり実感無いけど。
以前ルーマニアに行ったとき、廃校になった学校があって、犬が校庭に1、2匹いたんで、
敷地内に一歩足を踏み入れたとたん、校舎から1匹、また1匹とでかい犬がのっそり
でてきて、すぐに10数匹になったんで、あわててその場を離れた。
戦国時代だったら、野犬が似たような群れを作って集団で暮らしていることも多かったんじゃないだろうか。

230 :
>>227
いやだから話が噛み合ってないと思うんだけどさ、
>>214はあなたの言う「現代人の合理的思考」的な、ペットとかそういう感情関係ないコストの問題の話してるじゃん?
その否定として「ペットとして見なしていたどうか」って絡み方してくのがよくわかんないっていうか噛み合ってないと思ったんだけど
コスト思考に対して「これは感情的な抵抗の意味だ」って絡んでくならともかく
べつに「現代人と当時の人の発想の違い」っていう論旨を否定するわけじゃなくて、話の流れで?って思ったわけ
まあそれはどうでもいいんだ。牛馬を食べることへの感情の意味で抵抗があったっていうのの妥当性の話がしたいのであって。

231 :
>>230
いや、かみ合ってるよ。
まず>>214に対しては、対象を食べる際の抵抗の過多を、有用性で図るな、と言ったつもり。
で、ペット云々の話は、その発言の元となっている>>211の思い込みに対して、前提を正しているわけ。
つまり、犬猫を食べる方が、牛馬よりを食べるより抵抗があるという発想は、現代人が前者を
ペットだという思い込みがあるから生まれるわけであって、そもそもその当時の農村の人間の
考えは違うでしょ、ってこと。

232 :
>対象を食べる際の抵抗の過多を、有用性で図るな、
ごめん、過多じゃおかしいな。
要は、「現代人の合理的思考」というのは、有用性という意味で言ったということ。

233 :
白湯をもて

234 :
>>229
わしはコンビニ帰りで犬の集団に追っかけられたことがある。
車が通りかかってくれなかったらどうなってたことか。
昔は犬の方が人工物みたいな敵っぽいのが少ないから
相当に危険だったと思うね、同感。
ペットが云々という発想はかなり現代的で違和感があるな。
綱吉の哀れみの令も、犬を放し飼いにしてた当時は赤ん坊なんかが
食い殺された事例が多くてその救済という意味もあったんじゃないかという
論もある。
犬や猫の話でペットというのは本当につい最近の発想で
畑仕事しててカゴの中に赤んぼ入れて田植えしてたような
時代はそれなりに「危険な動物」でもあったんだよね。
もちろん全部がそうというのじゃなくて
そういう危険があったのをわかってて犬猫は
馬牛よりも愛玩、ペット的で食べるのに抵抗があった
という話をしてるのかなと思って。


235 :
ニューギニアの食人習慣のある村で「なぜ人肉を食べるのか」という質問に「目の前に肉があるから」って村人が返事してた
日本でも皮やニカワ生産に牛は殺されたわけで、ソコで生じる多量の産廃物の処理に”食”がなかったというのも……
公的機関に猪飼部があるし獣肉すきな天皇がいたくらいだし「牛馬肉食への抵抗感」を過大評価しないほうがいいと思うけど

236 :
いーや、過小評価したらいかんと思うな。
少なくとも現代人は死んだペットを食ったりすることはほとんどない。
犬や猫はもちろん、鯉や鶏やウサギやミニブタも含めてだ。
ついでに言うと熱帯魚も現地ではほとんど食用だが食う奴はマレだ。
俺は試しにオスカーやアロワナを自然死したあとに食ってみたことはあるが。
「昔なら食ったろう」というのも推測でしかない。飢えたら食うというならわかるけど。
しかし「いつの時代も人間は変わらない」という意見もあるように
昔でも飼育動物にしてた動物をそう簡単に食う、ましてや殺して食うとは思えない。

237 :
ついでに言うと牛や馬も「最後は必ず食肉」は間違い。
宮崎県の狂牛病問題でも報じられてたように
「名種牛」と言われた種牛たちは晩年は牧場とゆっくり余生を過ごすし(ただし狂牛病で殺処分されたが)。
競馬馬も繁殖馬、乗馬などは食肉処分を逃れる。
変り種としては「史上最弱のダービー馬」といわれたオペックホースは
馬主が「種付け要請があるとは思えないが、仮にもダービー馬を食肉にするのは忍びない」と
「名ばかり種馬」として北海道の牧場に送られた例がある。

238 :
飼育というのには愛玩と食用というのと
あるけど、食用での飼育をしてなかったというとまた
少し話が違ってくるね。
野生のものなら犬猫でも抵抗はあんまりなかった
ろうし、愛玩的だから食用的飼育はなかったかというと
それはそれでちがってくるということだけど。

239 :
正直、ちょっと不毛な流れだと思うんだけど。
犬猫は愛玩的側面があるから食べにくいとかそもそも誰も言ってないし
(あ、>>211の3行目だけはそういう意味?)
ここではほぼ存在しない「犬猫はペット的だから食べにくかったはず」論をでっちあげられても

それに>>211の文章ってそもそも「ふつうは犬猫牛馬は食べない」って文章じゃん。
ソース探してきた。橘南谿「東遊記」、寛政年間の書物だね
「卯年、飢饉に及び五穀既に尽て、千金にても壱合の米を得る事あたわず、草木の根葉、其外、藁糠、
 或は犬猫牛馬鼠鼬に至るまで力の及ぶ程は取尽し食ひ尽して、後には道路に行倒れみちみちたる
 死人の肉を切とり食ふ事に成けるに」
五穀が尽きてしまい、草木の根葉やら藁やら、あるいは犬猫牛馬鼠鼬に至るまで、最後には死人の肉さえ……
って意味だね。死人の肉を食うはめになる大飢饉での話で、
通常では食べないものを食べたって文に読めるけど。
少なくとも犬猫と牛馬比べてどっちが抵抗感が〜とかいう以前の話だと思う

240 :
>肉食
京都の河原の連中が牛や天狗や河童食ってる絵巻が無かったっけか

241 :
>>239
>犬猫は愛玩的側面があるから食べにくいとかそもそも誰も言ってないし
当たり前のことを全部事細かに解説しないと分からないかな。
要は違う時代のことを考える場合は、まず最初に自分の視点を相対化する必要があるということ。
例えば、韓国人や中国人が犬を食べるという話を聞いた日本人は、残酷だという感情を持つでしょ。
文化の違いという建前で理解があるふりをしても、やっぱり自分が食べるとなると、それなりの葛藤を伴う。
で、狼や狐を食べると聞いても、可哀想だとは思いつつも、味さえ良ければ食べることには大してためらいがない。
その違いは、犬はペットというカテゴリーに含まれること。
現代では、ペットとは人間に準ずる動物のことなので、人が人を食べるのに比べれば随分ましだけど、
半分だけタブーを犯しているという罪悪感を感じてしまう。
現代日本人のほとんどは、上記のフィルターを通して物事を見聞きしている。
なのでフィルターを外して歴史的な事柄を見るために、まず犬猫はペットだ、という観念を
疑って、場合にとっては取り外してやらないといけない。
つまり、「愛玩的側面があるから食べにくいとかそもそも誰も言ってない」じゃなくて、
明示してなくても、それを前提として話さないといけないということ。

242 :
>>239
>(あ、>>211の3行目だけはそういう意味?)
だから、>>211については、その3行目についてだけを話しているの。

243 :
>>235
>日本でも皮やニカワ生産に牛は殺されたわけで、ソコで生じる多量の産廃物の処理に”食”がなかったというのも……
だから、それを処理する人たちに対する差別が生まれたわけで
>公的機関に猪飼部があるし獣肉すきな天皇がいたくらいだし「牛馬肉食への抵抗感」を過大評価しないほうがいいと思うけど
時代ごとにちゃんと分けて話した方がいいよ。

244 :
>>241-242
いやそれはごもっともだと思うし相対化しなきゃってのはべつに間違ってないと思うよ
ただそこだけにこだわってその先の議論にいってないんじゃない? と言ってんの
ホントに話したいのは後半で実際どうだったのって話なんだけど

245 :
>>243
弓職人は自前でニカワ作ってたよ、差別(専門業化)が完全に成立するのは江戸期じゃないかな(同時に牛肉の供給が確立してる)
あと平安時代の例を出したのは「禁止令」が出たころでもシステムとして獣肉を生産していたことと
当時(室町)でも天皇が獣肉を口にすることが忌みことでなかったこと、を指摘したいだけ
つまり「肉食を忌む」慣習、ってのは、当時の仏教布教のための宣伝が多く残ってるから目立ってるだけで
室町戦国時代に”獣肉”対する禁忌が徹底していた証拠はないと思うんだけど……
もちろん「毎日食う」ってな話じゃなくて、ハレとか体力つけなきゃいけないときに食ってたんじゃないかねぇ?

246 :
そだよね、肉食へのタブーというのも根拠は案外あやふやじゃないのかな。
フロイスの記述の拡大解釈みたいにね。
仏教の戒律に対しては婚姻はするわ酒は飲むわ
日本で自由に作り替えてる部分が多いから殺生に限って
守られていたとか慣習が広まっていたとするのも少し
疑問も残る。
もちろん各時代によるから一概には言えないけど
考え方の問題ということで。

247 :
>>246
フロイスの記録の”拡大解釈”ってこのスレでされてたっけ?
すくなくとも「そういう状況の庶民がいる」例の一つであったような……
逆に「肉食を嫌っていた庶民の風俗記録」が(仏教説話以外に)残っていたら、そっちのほうが知りたかったり
つか だれも「肉食の禁忌」については否定してないわけで、実情で消費されてかどうか、だけの話だし
現在日本だって「犬を食うのは……」って中で犬鍋屋商売成り立ってるしね

248 :
しかしなあ。現代日本人が犬や猫を普通は食わないし、
欧米人みたいにカタツムリを好んで食わないのも事実だぞ。
問題は普遍性ではないのか?

249 :
>>247
このスレというか、仏教的タブーというのはもちろんあったわけだけど
それ自体の効力というか庶民への広まり、束縛度という点で
「記録にあるのだから間違いない」とか「食べられてなかった」
みたいになってる本も多い感じがしてね。このスレでも。
ちとスレチだが最近は妙にフロイスを反動的に強調するような
のをよく見かけるんだ。これは史実と文化風俗とわけなければいけない問題だけどね。

250 :
内陸の動物性なら昆虫食で十分じゃね?
イナゴはもちろん、コオロギとか旨いやん

251 :
この時代は食えるものは何でも食ってたというのが実情じゃね?
東北だと未だにウサギが名物ってとこもあるくらいだし。

252 :
>>251
だから、そんな想像に根拠はない。
歴史は史料によるもの。

253 :
おぉ夏休みらしぃ史料さん登場か。
歴史を丸暗記用受験科目学としてがんばってるもんなぁ。

254 :
>>248
日本も奇食は割とあるぞ
えのころ飯(犬)
猿醤(猿)
いそぎんちゃく(佐賀あたりで味噌煮にするらしい)さんしょううおの丸焼き(福島)
おたぐり(糞の詰まった馬の腸の料理)
ヨドミ(ウサギの肉、内臓をウサギの糞と一緒に煮込む料理)
イルカのたれ(干物)
めだかの佃煮
ザザムシの佃煮
ハチの子のすし
目くり餅(紙の味噌汁)
日本で初めて作ったカレーに入れられた肉は蛙だったらしい

255 :
あるぞと断言しながら、らしい、らしいとはこれ如何に?

256 :
ウニとかホヤだってなんかなぁ。

257 :
わけのしんのす ってひでえ名前だよな

258 :
サルの肉は人間の肉同様に熱を通してもいろんな病気になるから
やめた方がいいなあ。
エボラ出血熱やエイズ、そして脳の穴あき病などになるしな。
脳の穴あき病についてはサルだけではなく、
狂牛病とか羊の脳を食べてもなるしらいが。

259 :
>カエルカレー
は普通に『西洋料理指南』に載ってるからな。
俺が知ったのはたくさんのふしぎでだが

260 :
きくらげ、ナマコを最初に食った奴の勇気には感嘆するね
アメフラシを食わなかったのは正解だ
昔の縄文人は犬の肝臓を食って全身激しい痛みを感じつつ死んだケースも人骨からわかるらしい
今でこそ犬は雑食だが、昔は肉食偏重だった
肉食動物の肝臓はビタミンAが多過ぎ、食べると人体に悪影響を及ぼすらしい

261 :
アメフラシも食ったと思うぞw
二人目や三人目以降のチャレンジャーがいなかっただけで。

262 :
>>260
そ、その人骨の話くわしく・・?

263 :
この頃の百姓さんの食事は、野菜に雑穀に少し味噌を加えたものと
山野の生物の肉や魚みたいな物少々みたいなもんばっかみたいなもんだったらしい。
それで、人力ででかい城作ったり、槍での頃しあい・・・
すげえな昔の人はwww

264 :
この頃だけでなく
昭和の2〜30年代の農村部つまり電気もろくに
こないような地域は江戸とほとんど変わってない部分もある。
だから今でもその痕跡は十分にあってそんなに
「本で読む」ということもなく「体感」できるぐらいとは思う。
食生活の話でもそういう実体験の経験ー伝承がたまに
でてくるのは貴重だと思うのだよな。
たまに戦国ー江戸初期を「わかるわけないだろ」と
言われるけどそういう根本認識が違ってて
案外3〜400年では変化しない部分もあるのではという
話ね。

265 :
>差別(専門業化)が完全に成立するのは江戸期じゃないかな
完全に成立しなくても、中世から差別は大いにあった。

266 :
平安末期にはほぼ確立しているわけだが

267 :
日本でも中国でもいいんですが、
料理人が偉い人(殿様でも王様でも)を料理の味で納得させないと
妻とか娘とか、自分の大事な人を殺されてしまう、って話はありませんか?

268 :
元三好の料理人だった坪内某が信長に殺されかけたがな。

269 :
料理人自身がころされそうになった話しならあるが

270 :
>>265
よく読んでほしいな……身分制度のはなしじゃないよ
鎌倉室町では武具(弓)職人がニカワを自分で作っていた、って話なんだけどな
それにニカワを供給する専門職集団が確立した(分業化)のが江戸時代じゃないかと
>>266
律令制崩壊の時点で日本の軍事(生産)組織は解体されてるからなぁ……

271 :
>>268
ありがとうございました。
>>269
>>268でしょうか。他にもありましたら教えてください

272 :
>>261
昭和天皇?

273 :
>>267
自分の子供を料理して主に食わせて取り入った奴は駄目か?

274 :
料理で決める、というのは味平以来の現代的システム
だから歴史の中にそういうのをみつけようとしても
なんだろうなぁ。

275 :
>>271
足利義教は料理がまずかったのを理由にぶっ殺したことがあるよ

276 :
この時代の食事は、味付けが異様に塩くどいもんだったらしい。
上杉謙信は塩を舐めながら酒ばっか飲んで脳卒中・・・。
織田信長も塩漬けの梅干なんかを旨い旨いと食ってたみたい。
多分、信長は本能寺で死ななくても、怒りぽさと塩漬けの食事で
高血圧である日ぱったりと死んでたろうな〜。

277 :
そもそも梅干しってのは塩に漬けて干したやつだと思ってたのだが

278 :
えっと…ほら、あるじゃん
はちみつ漬けの梅干とか・保存料漬けの減塩梅干とか………

279 :
戦国時代には血圧計がなかったのか?

280 :
信長に関しては京風の薄めの味付けに文句言って濃いめに作り直させたって話を聞いたから
単に尾張の田舎者舌だったという可能性が

281 :
ありゃあ田舎者の信長を京都人がえげつなく笑いの種にした、ってだけの話だ

282 :
松本清張の徳川家康で
江戸に移ってから家康が女中に漬物の大根?の味付けは塩が効いている方が
ご飯が進みおかずの節約になるというような話があったから
武士は第一に腹にたまればいいのかねえ

283 :
> 武士は第一に腹にたまればいいのかねえ
武士に限らず、中世ってのはそういう時代だ
『大飢饉、室町社会を襲う』あたり読むよろし

284 :
>>282
逆の話もあるぞ。
美味しいとたくさん食べ過ぎるからまずくして
食費を少なくするというの。

285 :
今でも味がこい名古屋はいつも田舎もん扱いだが
なんで味が濃いと田舎もんなんだ?

286 :
京都の食文化が味が薄いと上品だといわれるからか。
ハモとかの上品な味わいもそうだしな。
もっともそれは日本だけだろう。
フランス料理は味濃いし
中華料理も味濃いし
アメリカ料理はもっと味濃い。
インド料理もそうだ。
韓国料理はキムチと焼肉だしな。

287 :
アメリカ料理ってかえって思いつかないな。

288 :
>味が濃いと田舎もん
いい悪い話スレ?だっけのまとめにあったな
単純に肉体労働者向けと頭脳労働者向けの食事の差だったって話

289 :
>>286
> もっともそれは日本だけだろう。
> フランス料理は味濃いし
> 中華料理も味濃いし
> アメリカ料理はもっと味濃い。
> インド料理もそうだ。
> 韓国料理はキムチと焼肉だしな。
そのすべての料理は味がくどいものは高級ではないとしている

290 :
>>288
なるほど普通にそこに行くのか。
公家と武家の違いってとこか。

291 :
>>270
>よく読んでほしいな……身分制度のはなしじゃないよ
なんというか、最初から読んでもなんのことやら良く分からないんだが。
話しがかみ合ってない気がする。

292 :
>>287
ハンバーガー、ホットドッグ、ポップコーン、コーラ

293 :
アメリカ料理だとジャンバラヤとかガンボとかも一応ある
南部は意外と料理がんばってるんじゃなかった?
それでふと思ったんだが戦国時代の料理も地域によってだいぶ違ったりするんだろうか
都会と農村の違いとかじゃなくてもっと地域によるダイナミックな違いが
アメリカ大陸の広さと比べるとあれだけど、本州と九州四国なんかは海を隔ててるわけだし

294 :
>>283
古米のほうが新米より高価だったらしいね。
水分が少ない分、量が増えるから。

295 :
>>293
やっぱり江戸とか今からの比較でそれなりに判明するとは思うけどね。
ただ料理というよりは食材の違いということになるのかな。
調味料や調理法が昔は進んでなかったろうからね。
焼くか煮るか生かって。

296 :
>>293
少なくとも武家の儀礼における料理は東北から九州まですべて本膳料理だ。

297 :
戦国時代の人間が今の時代の料理食べてもおいしく感じないのかな?
現代人が食べても味がしないかしょっぱいかと言うのは何となく分かるけど。

298 :
爺婆はカップ麺とかまずくて食べられないと言うし
うまいかどうかは別として天然ものしか食べたことない
昔の人は今の素材自体があれだろうな。
ましてや調味料や料理法はとまどうかもしれん。

299 :
今の時代の料理って言ってもバリエーションが段違いだしなー
でも甘いものや味の濃いものってわかりやすいから好評だと思う
食文化の乏しい、たとえばアフリカの田舎とかだとキャンディがすごく喜ばれたりするし
ある意味で刺激的な味は魅力だと思う
一口目でびっくりして噴き出す→少しずつ慣れて気に入るって感じもする
天然物信仰に関しては上でもめたし置いとく

300 :
>>291
江戸時代中後期秋月藩の「牛肉の供給源」が藩で組織された牛処理機関(村?)であった、わけで
室町時代では同じ物(ニカワ)を得るのに武具職人自身が生産する必要があった
…から「組織的(牛肉供給)専門業化が完全に成立するのは江戸期じゃないかな」という話で……
(なので、それに携わるヒト(社会)の身分とか差別とか考慮してない話です)

301 :
キャンディとかそういう嗜好品はまた別の話じゃない?
現代だってどんどん改良してるわけだし。
シンプルな話で、昔の人にカレーとかラーメン
食べさせたらどうだろうってね。
肉の話だとハンバーガーとか。
公家はカレーは食べないだろうけど
尾張のしもじもの者にはウケたりするかもね。
市販のソースも慣れれば喜ぶだろうなぁ。
江戸期に出島とかでそういうのを初めて食べた話なんかは
たまに見かけるね。ワイン、コーヒー、ビールとかは明治なんかでも
記録見かけるなぁ。

302 :
コーヒーは蝦夷地警備の武士たちに薬として飲まれたのが最初だとか

303 :
いや、銭屋五兵衛の密貿易品として有名だコーヒーは。
彼は石川県ではヒーローだし。

304 :
>>300
>>235>>243から読み直してみたけど、要は最初から話が噛み合ってないってことみたいだね。

305 :
ジョン万次郎じゃなかったっけ、コーヒー。
天正使節団にもなんかあったな〜。

306 :
あと、当時のコーヒーは全くのブラックだよ。

307 :
> あと、当時のコーヒーは全くのブラックだよ。
アホか。昔のコーヒーは砂糖を大量に入れて飲むものだ。
ブラックなんて飲み方が出てきたのはずっと後世の話。

308 :
ここは戦国板だけど江戸スレみたいなのって
案外ないんだね。そういうとこで聞いたほうがいいような
話も多いみたいだしさ。

309 :
歴史上の食べ物の話題なら
いまは世界史板の食物スレが一番人多くておすすめ。

310 :
そもそも、このスレ自体が
本来は日本史板にあるのが適任だと思うのだが。

311 :
徳川家康は、麦飯、野菜、鰯、豆味噌の味噌汁などといった、どこのム所の
メシだよおい、と言った食生活ですごしたらしい。でも、おかげで当時と
してはかなり長生きの70代まで生き、あっちのほうも現役で60代で子供
作る事ができた。
ちなみに私も体患った時、こういう食事をしてたら、3ヶ月で病気完治し、
あそこもまた朝おっ起つようになりました。お勧め。

312 :
しかし、徳川家康が源義経の仮装をした時に
「自分で帯が結べないほど太っていたため滑稽だった」とある。
「太る」ってのは健康に悪いことだと思うんだがな。
それに粗食なのになんで太るんだろう?
鷹狩りが趣味だから肉食もしまくったんだろうな。

313 :
そりゃ幾ら食事が粗食でも摂取カロリー>>運動量なら太るわなぁw

314 :
家康の運動量、少なかったの?

315 :
関が原の前に各大名に出した書状って全部自身で書いたものじゃなかったっけ

316 :
吸収率?にもよるんじゃないの
大食いの人で一時間後に食べた量の九割排泄するらしいし
逆に減量明けのボクサーとかウサギの糞並のものしかでないとかなんとか

317 :
大食いだったのかもな。
癇癪持ちの家系らしく家康にも癇癪があったともいわれる。
それを出さない為に大食いでストレスを発散してたのかも。

318 :
蛔虫持ちだった。
あの時代の人はほぼ全員だろうが。

319 :
昔は歩くしかないんだから運動量は
あったとは思うよ、老後でもね。

320 :
>>312
高齢者に関して言えば、肥満はガンや心臓発作後死亡するリスクを下げる報告が多いよ
逆に痩せてる方が肥満や標準に比較して死亡率4倍(ガン死亡率18倍)
年寄りの粗食(バランスの良いコレステロール摂取や食物繊維)でデブなのは理想的長寿生活スタイルかも
…ま、胃ガンらしきものでお亡くなりになるんですけどね……

321 :
家康が太ったのは家康が太りやすい体質だったからなんだろうな。
しかし、戦国時代の粗食ですらそうだったのに、
もしも現代に生まれてたらどんなに太ってたかわからん。

322 :
信秀、義元の人質時代は良い物食ってそう
人質をどれだけ厚遇するかでその財力やら勢力を誇示するみたいな風習あったよね

323 :
>>318
サナダ虫だろ。

324 :
>>321
太ると言っても、脂肪たぷたぷのデブと、筋肉質でずんぐりしているのとではだいぶ違う。
ちなみに、戦国時代の日本人は、筋肉質でずんぐりは、前線の兵士にも結構いたっぽい。

325 :
江戸の絵なんかはずんぐりが多いけどふくろはぎとか
筋肉系のとこがずんぐりなんだよね。
それでもたっぷんしてるからなんかかわいい。

326 :
家康って現代に産まれたら何食べてんだろ
何となく王将に行ってチャーハンを黙々と食ってそうな気がする

327 :
そんな何の意味も無い書き込みをされても

328 :
黄門さまが日本で最初にラーメンを食べたというのは有名な話だけど
餃子も食べたという話がある。
家康ならチャーハンに餃子もつけたろう。

329 :
権現様は喰い意地はってからなぁー。
三人の中じゃ一番食のエピソードが豊富そう。
「焼きおにぎりウマウマ」
「焼き焦がしネリネリ」
「焼き味噌ホジホジ」
「安土饗応。三千両の元とるぞー」
「伊賀越え、漁師の飯横取りじゃぁーニナの塩辛うめぇー」
「大根の漬物辛いってよ。(たくさん喰われますが?) いまのままでえーわ」

330 :
狩りの途中「しまった喰いモンがない、コラ百姓なんかだせ、山芋?よしよし」
「鯛のてんぷらウメぇー・・・・・!」

331 :
てんぷらなんて塩だけでも美味しいし
当時の天然塩だったらマジ美味しかったろうな。
今のわしらのほうがかえって食べられないわ。

332 :
                            塩こそ最高の調味料!!

333 :
焼き味噌ホジホジとかきたねえこと書くなよ。

334 :
>>330
家康の鯛は、中華風の鯛の唐揚げにニラ塩ダレかけたもの、だったみたいだぞ

335 :
>>334
なんか普通に美味そうだなそれ

336 :
家康のてんぷらは、油が違う。
その油は、まったく生産されていなくて現在ではごくわずかしか残っていない。
(どっかの寺がごくわずかに持っているが、ちびちび特別な客だけに年一回だけ使っている)

337 :
かやの油でした。

338 :
へ〜、かやの油なのか。
菜種油というのかなんかの植物を大量に使って
搾り取ったように読んだおぼえがある。
なんにしろポコポコに育った大量の鯛の中でさらに
ホコホコのを選んでその中のテップリした部分だけを
いっぱいあげてその中のいいとこだけを家康に
提供してその中でさらにうまそうなのをヨって食べた
わけだから極上中の極上でまさに王者の美味しさだったろうな。

339 :
家康が現代に生きてたら吉野家に足しげく通ってそうだな
店に入った瞬間「特盛一丁!」と言って
出された特盛牛丼をガツガツ食ってそう

340 :
古き良き時代の吉野家ならそのイメージ通り

341 :
>>335
IDが SKE。
>>340
IDが CIA。

342 :
後ちゃんこ鍋とかもうまそうに食いそうだな家康は
ファーストフードもマックのハンバーガーは受け付けなさそうだが
ケンタッキーのフライドチキンは口の周りを油まみれにしながら
ガツガツ食ってそうだ

343 :
お前らのレスを読んでたら家康が孤独のグルメのゴローちゃんで再生された

344 :
  ∧ ∧
 ( ´・ω・)  おにぎりどうぞ
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、    ,.-、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け 焼たらこ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  
      鮭 鶏ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 

345 :
保守

346 :
この中で戦国時代にあったのはどれ?

347 :
梅干し こんぶ(煮物) ごはんですよ(ノリ煮) ちりめんじゃこ 塩辛 鮭
…くらい?

348 :
高菜わすれとった……

349 :
高菜、忘れてしまったんですか!

350 :
おかかみたいなのはおそらくあった。

351 :
当時は生節までで燻製(本節)なかったから、今のおかかは再現できんのじゃないかなぁ……

352 :
わさびやら野沢菜なんかはあったんじゃないか。
ごはんですよはどうだろう、海苔ってあったんかなぁ。
塩辛もイカの塩辛ってあったんだろか。
あったなら北海道では鮭や焼きタラコもあったかもね。
意外と今とかわらんじゃん。

353 :
家康なら天むすも食べてたりして。

354 :
ワサビ漬けも野沢菜も発明?されたのは江戸時代
ノリは昔から佃煮で食ってた、今の板海苔は元禄の発明
塩辛は日葡辞書に記述あり、イカそのものの記述はないけど、いろんな塩辛が作られたと思うよ
たらこ(スケソウダラの卵)は韓国で利用がされてたけど(15世紀くらいから記述有り)
しかし日本だと江戸時代に入ってから広まったものなので、戦国限定だとたぶん無理
鮭は塩ジャケだけでなく生の記述もあり、かなり利用されてたはず
(当時鮭が遡上する川は西日本の方まで広範囲にあった)
現在の天ぷらの原型が確立したのは江戸時代初頭(寛文11年)、天むすはちょっと無理かな
つか当時は板海苔無いから! 今のおにぎりとかなり見かけは違うと思う

355 :
昔のおにぎりはデカかったらしいな。おにぎりの原型と呼ばれる頓食に至ってはひとつに1合半。

356 :
>>354
へ〜、ありがと。
ただ、家康がテンプラ食べたというのはよくきくから
ご飯に入れてしまって、天むすを最初に食べたのは家康説を
勝手に広めよっと。

357 :
>>355
戦国時代の頓食がどんなものだったか、何か記録みたいなものって残ってるの?

358 :
江戸期でも成人男性が1日に食べたごはんを5合と言うけど
多すぎやしないかな。
戦国期だと移動の時の時に配った米の量が記録にあったけど
やっぱり多すぎるような気がする。
酒にしてしまう、なんて記述もあったっけな。

359 :
当時は車や電車で移動じゃあないんだぞ
移動するにはそれだけのエネルギーが必要

360 :
副菜が現代に比べて少ないってのもある

361 :
今でも東南アジアの人間は1日に米をそのくらい食う

362 :
旧軍は1日5.5合

363 :
もちろんそういう話は知ってるけど基本必要摂取
エネルギーがそこまでいるかなということね。
身長も今より低かったわけだし。
ちなみにみんなどのくらいごはん食べる?
わしはこの10年は1日1食だが体重はほとんど減らない。
東南アジアに関しては、一回そういう高基本摂取を多くしてしまうと
後には戻らないということで、最初から高カロリー品とかなかった
戦国ー江戸期と今とはやはり少し比較はむつかしいとは思う。

364 :
昔の食事は”副食”がものすごく少ないから、基本米だけですべての栄養素をまかなっていた
…わけで、すべてのカロリーを米から取ってたと仮定する
現在の肉体労働者の場合、体重50kgで一日2300kcal、一週間に16100kcaol目安と言われてる
で、労働時間で相対的に毎日何合必要か、計算する
現在は労働基準法があるので労働時間は一週間(168時間)に48時間働いてる計算
昔は土日がなく毎日労働、米1合570kcalとすると、
毎日8時間肉体労働(毎週56時間)だと18800kcal(毎週33合)、計算上4.7合は一日に必要な計算に
仮に一日10時間で23500kcal(41合、一日5.9合)12時間で28200kcal(49合、一日7合)
…ま、”仮の計算”ですがね……

365 :
>>363
お前が自分が「米以外のもの」をどれだけ食べてるかを先ず考えろ。

366 :
>>358
>戦国期だと移動の時の時に配った米の量が記録にあったけど
思ったんだけど、それって全部自分で食べるための米だったんだろうか?
当時は米も金の代わりだったわけで、副食となるものとの交換にも使用できる、
いわば賃金の一種のようなものだったとか?

367 :
玄米で配ったか精米してからかで全然違うな

368 :
戦国の頃は、米そのものが贅沢品だったらしいですね。
米を食いたいばかりに足軽になって頃仕合・・・
大変だな〜。

369 :
余ったら酒に〜ってしてたんだから物々交換もしてたんだろうな>兵士への支給米

370 :
戦時の肝油ドロップ思い出した

371 :
>>369
物々交換というか、当時は実質通貨でもあったしね。

372 :
多く配ると酒にしてしまう、というのは物々交換ということなのか。
自分たちで作って飲むのかと思ってた。
人によって使い方は違っただろうけど基本は
少し多めに配って緊急用とかにはしてたんじゃないかな。
364は正確かもしれないね。昔はもう少し少なくてもよかったかも。
それと副食は少ないのだけど山間部ではイモとか野菜はとれたろうから
それを鍋にしたりすれば米はもっと少なくてもすむ。
うちは家族3人で4合でもあまるぐらい。
おかずもふりかけ程度だし間食はしない習慣。
5合なんてものすごく多いと思うけどな。

373 :
>>372
それなら行軍中の山道などでどうやって副食を調達してたの

374 :
副食なぞ不要。

375 :
>>373
携帯した塩や味噌が副植物

376 :
>>375
いやだから>>372の言う3人で4合でもあまるくらいの副食とやらを聞きたいのよ

377 :
>>372
仮の計算結果(>>364)を認めながら「一日5合は多い」って結論になる(思考)過程がわからない……

378 :
>>376
バカの相手をする必要はない。
戦国期の食生活を現代と比べるなんてのはキチガイ以外の何者でもない。
>>372はこれから米だけは備蓄してある状況で、家族で電気ガス水道、さらに交通機関を一切使わず
しかも買い物も月1度に制限し、その上で食生活がどうなったかを確認してから書きこめ。

379 :
>>377
いやさ、細かいけど計算上は4,7合でしょう。
これは仕事してる成人一般男性だから
してない時とかその他系の女性老人とか含めると
もう少し平均が少なくなるかなってこと。
あくまで総論トータル的に5・5合を毎日必ず必要
食べてたかと言われると、実際はもう少し少ないぐらい
でなかったかな、ということ。
>>376
なんか最初から勘違いしてるようだけど、副食は
うちは取らないのだってば。おやつとかジュースとかもなし。
今時そんなやついるか?と言われたことあるけど
クーラーもないし電気温水器もないしシャワーもないし、腹が
減ったらお茶のんでるぐらい。
電気ガス水道台足しても1万円いかないぐらいだし
これは冷蔵庫なんかの電気代であって実際はかなり節約
してる感じはする。
話戻して現代でもかなり節約していれば5・5合は多いと思うし
昔はもっと消費カロリーが少なかったろうからちょっと
多く感じるな、ということ。
反論じゃないが、現代と比較してるのはみんなのほうで
飛騨の山奥でついこないだまで井戸水使った生活をしてたし
この夏も米よりイモやトウモロコシで昼はすませてるし
冬は大根汁ばかり。
こういうのは戦国はともかく江戸期とあまり変わらないような
シンプルな生活だと思うし、あくまで実感ということね。3人で
半分は畑仕事みたいなもんだし。
風呂も今でも薪でたくし夏なんか川で水あびておしまいも多いし
かなりシンプルでしょう。
こういう生活はあくまで実感で5・5合は多いなと思うし
昔だったらもっと少なくてもいい、と思ってるということ。
バカとかキチガイと言う前にこういう生活を10年ぐらいして
どのくらいのエネルギーが必要かを計算じゃなくて
実際に体験してそれから判断したほうがいいんじゃないかな。
わしは少なくとも体験談だから反論されても困るというだけのことで
貧乏自慢みたいでこういう話はあまりしたくないんだけどね。長くてごめん。

380 :
>>379
4.7合は”最低限必要な計算値”であって減らしてどうするの……みんな即身成仏しちゃうぞ?
まぁ日に2時間余計に(10時間)働くだけで最低6合は必要ってだけ再指摘を
>昔はもっと消費カロリーが少なかったろうからちょっと
昔は人間の労働=生産力で、仕事の内容はほとんど肉体労働な状況で
そういう”認識”をする理由は教えてほしいな、
(とりあえず機械や農薬使わずに農業してみれば、それが誤認とわかると思うけど)
まぁ昔の人がどれくらいの時間を労働に費やしたか、のは正直わからないけど
合戦中は、朝3時出陣合戦6時頃から夕方までなんてパターンもあるので
戦時配給の米は多いように見えても基本全部食っちまったんじゃないか、とは自分は思いますね
つか合戦前に米をもらっても重いだけで邪魔くさいと思う……
つか「一日に5合」って元話は武士の場合だよね? もともと女子供老人含めてないよね??
だから体重50kgの肉体労働者てなのを基本にして計算したんだけど

381 :
>>379
確かに1日5合っていうのはにわかに信じられないほど多い。
でもそれって現代人の感じ方なんだろうと思う。

382 :
>>380
減らしたのは単純に身長も低かったし
必要エネルギー自体も少なかったろうってことだけど
このあたりにみんな引っかかるのかな。
それと緊急時や合戦時は10時間労働もあったろうけど
当時はいくらなんでも平時の兵士はそこまで労働しないでしょう。
夜なんかは暗くて行動できないし朝も平均で明るくなるのは6時以降
とすると起きてる稼働時間が12時間で食事や休息もあったろうから
8時間でもフル可動は多いぐらいだと思う。
これも減らした理由の一つ。
武士限定でも、合戦とかそこまでの移動というのはかなりの緊急時
でしょう。
一番合戦や移動が多かったのは秀吉の時ぐらいとは思うけど
それでも年柄年中合戦してたわけじゃない。
彼は城をとりまいてそこでまったり攻撃も多いし。
だから総合的に5・5合というのはあくまで緊急移動時の
かなり多めの支給で、それを「平均的」と捉えるのは少し
中央値が違うように思えて、それも減らした理由。
もちろん緊急時はもっと食べたかもしれないし上で指摘されたけど
物々交換用の分もあるから5合以上支給されたたというのは記録通り
事実だとは思うんだ。
そして基本全部くっちまった、のも貴重で捨てるわけないから事実とは
思うけど、これは平時以外の稀な例であって、いくら戦国の武士でも
毎日5・5合食べてた、というのはにわかには信じがたい、ということで。
さらに少し話それるけど、現代で16100のはともかく
当時は夜になったら必ず?寝てたし、娯楽もなくてなにもしてない
状態も多かったろうから、これも必要カロリーを減らした理由の一つ。
このあたりはそれこそ「戦国にいたこともないくせにそこまでわかるのか」と
言われたらなんだから主張する気はないけど、明治〜昭和初期の100%百姓
の我が家は爺婆、仕事以外の時はとにかく寝てたもの。
夕は4〜5時には帰ってきて7時にはガーガー寝てた。
だから昔は全部人力だから今よりカロリーが必要というのは
わかるのだけど、その分シンプルな生活だから今より「多く必要」とも
なかなか言い切れないとは思うんだ。これは自分が百姓系だから
よくわかる。おにぎり2こずつで1合、3食食べても3合、もう2個多く食べても
4合、これに大根汁、海の方なら魚汁、こんで十分と思う。
少なくとも飛騨の山奥の百姓はこれ以上食べるような「裕福」な生活では
なかった。
武士もそうで働き盛りなら5〜6合、ガキやおっさんで4〜5合、これが緊急
稼働時のエネルギーであって日常時はもう少しすくなくなるぐらい
と言う感じで現代の百姓さんと当時の武士さんたちが大体同じぐらいの4〜4.5ぐらいかなってね。
これなら現代人の16100と比べてもそんなにおかしな数値じゃないんじゃないかな。

383 :
>379
勝手に女性を加えちゃダメだよ。江戸時代の幕府の扶持米でも男性は1日5合で女性は1日3合換算。

384 :
>>382
>減らしたのは単純に身長も低かったし
もとの計算みてほしいのだけど「体重50kg」を想定してるよ(現在日本男子平均70kg)
また、基礎代謝と労働量、で求めているので、それ以外の活動するならもっと必要な最低数値(4.7合)だよ
労働以外横になっていても必要な計算値、かってに削ったら生きてけない最低数値
それを削ったら、アウシュビッツ(一日1600kcal)とおなじ状況になる、とご理解を
つか肉労働数時間したら、だれでも休憩は横になっちゃうぞ(じっちゃんばっちゃん、疲労回復に横になってたんだよ)
それをサボってるからカロリーいらない、みたいな見方をするのは、ちょっと……あなた、ホントはものすごく若くない??
農薬除草剤がどんなけ農業革命(労働軽減したか)だったか、戦前まで日本農業はどれだけ重労働だったか
そこらは、百姓系なら、戦国に言及する以前にちょっと調べてほしところかな(今の兼業できる農業で昔を語る前に)

385 :
>>384
そそ、肉体労働したらコマメに休憩するからその分引いて
8時間は多い、っていったんだけどね。
それと決して反論じゃないけど、自分は先祖代々の百姓で親は
野麦峠やってるし重労働はよくわかるよ。
わしも働きに出た頃は週一休みで30日休みなしなんてザラだった。
54日連続出勤のタイムカードはまだ持ってるしね。
そういう経験則から言うのだけど今の学者さんの調査や数字は
そういう実体験とはかなり実感として違う。
江戸暗黒史観が見直されたのはいいことだけど
再びまた「そうじゃない、農業革命前は〜」という言い方をよく聞くので
少し長引いて話をしてるだけ。
決してそっちの言ってることを否定してるわけじゃないし間違ってるというわけでもないよ。
ただ別のとこでも「産業革命前に〜〜できない」みたいな論をこのところ
よく聞くから、そういうのがまた流行りだしたのかなってちょっと気になってた
ものでね。
日本史も世界史もヘタすると自分で調査せずに先行データをさらに孫引きして
解釈してやれ平均年齢とか数値で答えろ、とか見かけるから。
話戻して確かに昔は重労働だったし全部手作業ではあった。
ただ武士に5・5合支給されてたからといって毎日彼らが必ずそのぐらいを
食べてた、という結論は少し多いと思うしそれはあくまで緊急時稼働時で
平時はまた違うのでは、という一般論がこちらの主張。
それにまた反論受けそうだけど経験だと
少ない時は少なくなんとかする、農閑期にごっそり食べて太る
田植えでやせる、とかこういう話でこっちの苦労もおわかり頂けないかな。
「人間は食べダメ」できないという反論を受けたこともあるんだけど実際に
収穫期後にごっそり食べて太ってはまた働いて痩せる、とかいろんな
生活があったんだけど、データではあんまりそういうのみかけないものね
やっぱり平均とか年間消費が〜とかになって。
だから、調べる、と言われてもこちらは経験があるから「調べる」こと自体を
あまり重視してないような部分もある。
決して軽視したりしてるわけじゃないからその点はご理解頂きたいの
だけど。うちで食べてた量が382なんだけど、こうやって生きてきた、
というのも立派な実体験調査というように自分は思うので。

386 :
こら議論が嚊み合う訳は無いわ。
片一方がしっかり前提条件を付けてデータに基いて話してるのに、
ワシはそう思わん、という話だけじゃな。
参考までに江戸末期の貧乏な非肉体労働者(武士)の食糧事情だけど、
祖母-父母(60代)-当主妻(30.代)-娘(2歳)+下男・下女で一年玄米8石(1200kg)
精米歩合を90%として白米1080kg=7200合
一年365日として1日8人で19.7合=一人頭2.5合
となってる。
勿論、祖母や父母、娘全員が2.5合食ってる訳もない(食える筈も無い)ので、
実際には非肉体労働者でも3〜3.5合は楽に食ってたんじゃないかな。
ましてや今回の仮定は肉体労働者なんだから尚更だし。

387 :
おれはなかなか面白いやりとりだと思うぜ

388 :
3行
にまとめろよ
長文なら馬鹿でも書ける

389 :
どっかで見たようなやり取りだなあw
次は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の話が出てきそうだw

390 :
>>389
あれは「味噌と少しの野菜」に関しては
具体的な数値が提示されてないからなぁ

391 :
>>385
実体験を否定しているわけではありませんよ、お間違い無く
>8時間は多い、っていったんだけどね
当時の生活のサンプルとして、現在の永平寺の修行一日、で労働時間を仮計算します
起床0330、食事”掃除”含む朝課終了0800(ここまで実質労働3時間)
”作務”開始0900、昼食1100(ここまで5時間)
午後の”作務”開始1300、晩課薬石(夕食)1630(ここまで8時間30分)
夜座1930開始 就寝2100
以上のように、当時の普通の生活とほぼ同等と思われる禅僧の生活でも
実質労働時間は現在より多いわけで……
>「産業革命前に〜〜できない」みたいな論
当方、それを避けるために計算前に前提をすべて提示しております
>収穫期後にごっそり食べて太ってはまた働いて痩せる、とか
米(穀類)の収穫は一年に1回なので、人もそれに合わせたスパン(一年)で考えるべき
とすると、季節の個体の状況(痩せたり太ったり)は意味ないんですよ
つか年俸交渉してる野球選手に、プレーオフ時期の分給料減らすべき、なんて言えないですよね?

392 :
自分語りのスレに迷い込んだようだ

393 :
>>358
>江戸期でも成人男性が1日に食べたごはんを5合と言うけど
>多すぎやしないかな。
>戦国期だと移動の時の時に配った米の量が記録にあったけど
>やっぱり多すぎるような気がする。
>酒にしてしまう、なんて記述もあったっけな。
江戸期の役所勤めしかしていない武士と、戦国期の行軍中の兵士とでは、必要エネルギーが全く違うはずだけど、
具体的に、何にどういう風に書いてたの?

394 :
米を酒に、の表記は大概雑兵物語がソースなんでないかな。

395 :
豊臣秀吉が天正15年6月29日の、バテレン追放令の前日に出した十一ヶ条の通達では、
イエズス会宣教師の牛馬の肉食を批判している。このころも牛馬の肉を食うのは倫理的にも
非難されるべき行為であったと言うことがわかる。

396 :
当時の南蛮人が牛馬肉くえたのは「日本人が肉を売りに来た」からだぞ

397 :
街中で狩猟を

398 :
>>394
そこだけはどうでもよくて、それ以外の箇所についてのソースの話なんだけど

399 :
豊後府内では、宣教師が祝祭に牛を一頭購入して牛飯にして振舞ったという記録がある。

400 :
それは何年頃のこと?

401 :
1557年のことらしい

402 :
品種改良以前の牛は臭くて硬くて不味かったから、それをごまかすスパイスのたぐいのない日本で
それを振舞われた人たちはひどい目にあっただろうな。

403 :
生姜、にんにく、唐辛子は当時も手に入るんじゃないか。

404 :
>>402
当時のスパイスって、薬だろ。
味を良くするためなんて、贅沢な理由に使われたのは、ヨーロッパでもずっと後の時代の話。

405 :
えっ

406 :
>>404
ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。胡椒も含めてな。
胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。100%味付けのため

407 :
味噌で煮込めば大丈夫そうだけど

408 :
日本の話だと、胡椒はよく使われてた(レシピだと胡椒飯とか汁物の味付けに)
生姜は醤油がなかった時代から合わせ酢にして食卓に
でもニンニクは一般に広まったのは戦後だったりする……それ以前は漢方薬

409 :
>>406
>100%味付けのため
これのソースは何?
>ローマの時代からスパイスはいくらでも使われているんだが。
ローマのことはよく知らないが、もし使われていたとしたらその時代だけが
特別だったんじゃないの?
金に匹敵するぐらい高価だったものを、いくらでも使えるわけがない。
>胡椒が防腐剤とかそういう目的ってのは俗説。
それは明らかに俗説だな。

410 :
>>408
>日本の話だと、胡椒はよく使われてた(レシピだと胡椒飯とか汁物の味付けに)
いつの時代か書かないと、全然意味がないよ。
少なくとも、戦国時代は一般的ではなかった。
ザビエルが、換金目的で胡椒を持っていたが、日本では需要が無かったため
役に立たなかった、という記録があるし。

411 :
CiNiiの「江戸料理本に見る香辛食品利用の調査研究」は面白いんでおすすめ

412 :
>>410
む、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?
江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど
よく出る雑兵物語にも、足軽が戦場に(生水対策で)胡椒もってく話なかったっけ

413 :
>>412
>江戸時代だけど料理物語に「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」って記述はあるけど
料理物語はちゃんと読んだこと無いけど、ちょっと信じがたいな。
そもそも室町時代って、にゅうめんはポピュラーだったけど、素麺って食べてたんだっけ?
>む、その情報(戦国時代は胡椒は一般的でない)どこから?
具体的にどの本に書いてたかはすぐに思い出せないけど、ヤジロウに関する研究書だったと思う。
>雑兵物語にも
確かにこういう記述はあるな。
「梅干は在陣中一つで賄へども、胡椒粒は在陣中日数程は入べいぞ。夏も冬も、朝一粒づゝかじれば、
冷にも熱にもあてられない物だ程に、是は梅干とはちがひて、がいに入べいぞ。」

414 :
なんとなく思ったんだが、その胡椒って現代の俺たちがイメージする胡椒じゃなくて、
山椒とかの可能性は無いのかな?

415 :
連投になるが、山椒飯とかも調べたらあるみたいだし、お吸い物にも葉を浮かべたりする、
素麺のCMとかで上に飾りみたいに乗せてるのも山椒の葉じゃないか。

416 :
地域によっては、「胡椒」と「唐辛子」がほぼ同じ意味で使われていたりするからぁ・・・。

417 :
>>416
ヒンディー語でも、唐辛子はMirch。
黒胡椒はKali Mirch、白胡椒がSafed Mirchというように、頭に色の名前付けて区別してるだけだしね。

418 :
>>409
ローマの料理レシピが残ってる。少なくとも金持ちは胡椒をふんだんに調味料として使ってる。
胡椒を粒のまま表面にびっしり貼り付けて焼いた一種のケーキもあったくらいだ。

419 :
>>417
ヒンディー語ってアルファベット使うの?

420 :
>>419
デーヴァナーガリー文字読める奴がここに何人いるんだよw

421 :
大学でデーヴァナーガリー習ったよ
まあ自分の名前かけるだけでヒンディー語を習ったわけではないんだけど

422 :
>>413
ありがとう
たしかに>>415の指摘は否定できないけど、でも基本日本料理の香味ってだいたい同じ使い方をするんだよね……
(三つ葉然りしょうが然り)
日本での胡椒の使い方は西欧とちがって”薬味”なので、使う量が決定的に違うから
自分は、ザビエル(>>410)の話は胡椒を高く多量に購入するものがいなかった、って理解してた
ここらは決定的な証拠も無いので正誤の判断難しいよなぁ……

423 :
>>420
じゃ、カタカナで。

424 :
ツランセクショー
とか。

425 :
>>416
ただ胡という字を使っているから、土着ではなく、外来のものだろうね。
少なくとも、山椒=胡椒の可能性は低いと思う。

426 :
wikiより抜粋
>中国では花椒(かしょう)と呼び・・・、漢方では健胃、鎮痛、駆虫作用があるとされ、
英名はJapanese pepper。
山椒は元々日本に有って、別名のハジカミとか、当時はそれまで別の名前で呼ばれていたが、
中国名の呼び名、花椒(かしょう)が伝わったとき、(こしょう)に変化したと考えられるかも。

427 :
こんなとき、邦訳日葡辞典が手元にあれば、、

428 :
民明書房

429 :
>>426
胡椒は正倉院に収められたくらいから”胡椒”表記だったよ

430 :
胡椒=山椒説を強く押す材料は無いんですが。
正倉院に有るのは今、知ったのですが、時代が下がって室町、戦国時代でも当然本物の胡椒は希少な物で、
>>412-413に書かれているように一般に広く出回るような物では無いでしょう。
しかし山椒の実(種)を乾燥させた物は黒胡椒に見た目には似ているので、
一般の間で、両者が混同された可能性も捨てきれないのでは。

431 :
料理物語では山椒と胡椒は区別して書かれてるけどねー

432 :
胡椒が雑兵が用意できる(毎日二粒)くらいの一般的な「薬」ではあった、のは事実じゃない?
それを「一般に広く出回るような物では無い」って判断するのはいかがなものか
知られて数百年たってるものを「混同した」と断言するには、それなりの確証が必要だとは思うけどな

433 :
調理師の俺が知ってる範囲だと山椒と胡椒は見た目も味も使い方も別物
地面に植わってる状態でも見ればすぐにわかるほどぜんぜん違う
混同したというのはありえないと思う

434 :
私には、これ以上説を唱える根拠が無いので、>>431-433さんの疑問の反論で、
この話題についての書き込みは終わりたいと思います。
431さん、料理物語は江戸時代の物では、つまり>>413
>「室町には素麺に胡椒を添えたが今は云々」の部分は、
江戸時代の著者が、伝え聞いた物をそのまま書いたと考えられます。
他の記述で、胡椒と山椒が区別されていても、問題はないと思いますが。
432さん、正倉院に納められた本物の胡椒を一般の人々が目にする機会は、まず無いのでは。
香辛料でなく薬としての用途に限られているので、同じように胃の効能がある胡椒と山椒、
そして、日本で自生している山椒で薬として代用できるなら、輸入でしか手に入らない胡椒が一般に普及していたとは考えにくいのでは。
433さん、山椒の実を乾燥させた物と、粒胡椒とは似ていませんか?
また当時の物と、現在の栽培されたり品種改良された物が、大きさ、見た目などが違う事も有るのでは。

435 :
>>434
見かけが似ていても”口にした時点”で山椒と胡椒を間違えるとは思えませんけど……
まぁ鎌倉室町戦国は中国文化が日本におおきく影響した時代なので
中華料理に使われていた”胡椒”だけが除外された、と強論するには、疑問を呈するだけではちょっと……
胡椒を入手するルート、中国貿易は私貿易も入れれば歴史上止まったことはありませんので
「胡椒使用が日本では中断した」という仮説の根拠のほうが、自分は気になります
ただ素麺も元々中国料理なので、日本に来た当時胡椒と一緒に出された、という話は信憑性があると思います

436 :
口にした時にどんだけ違いがあろうが、すでにそれについて知識のある人の目には
どれだけ違いがあろうが、知識の無い人間にはどっちがどっちかなんてわからんでしょ。

437 :
>>436
胡椒も山椒も「漢方薬」としての歴史は古いんですよ
個人的な勘違いは別にして、漢方医は区別できるわけで

438 :
これまでの流れをまとめると、
1. 戦国時代、胡椒がどれだけ希少性があったか
2. ザビエルが来日した1550年頃のエピソードと、雑兵物語の記述に矛盾がある
3. 同じ「胡椒」という名称を使っていても、別の香辛料を指しているんじゃないか
という話の流れだが、、
16C後半の日本というのは、初めてのヨーロッパ人との接触が起き、その後
急速にいろんな文物が入ってきているんで、普及度については10年か20年
ぐらいに細かく区切らないと、話が全然噛み合わないってことがある。
ザビエルが来た当初は、希少なものだったのが、その後数10年で供給量が
一気に増えた可能性を考えた方がいいかと思う。

439 :
あと、胡椒も加工方法の違いで黒胡椒(比較的安価)と白胡椒(高価)の違いがあったり、
赤胡椒のように、胡椒と似ていても全然別種のものもあったりするんで、その辺りも注意が必要。

440 :
>>413
この「入べいぞ」ってどういう意味なんだろう?
誰か解説してもらえませんか?

441 :
「(持ち物に)入れておくべきだ。」という位の意味だね。

442 :
>>438
さらに「胡椒が料理に使われていたか」てな問題もあるよ
ニンニクなんて漢方薬として古くから知られていたけど
料理に使われることが広まったのは戦後最近なんて例もあるし

443 :
昔は唐辛子を胡椒って言ってたジャン。
柚子胡椒とかそうだし。

444 :
九州で唐辛子を「胡椒」と呼ぶ地方では、胡椒のことは「洋胡椒」とよんで”区別”してるよ
大和本草(江戸時代)では唐辛子のことを「高麗胡椒」って記述があり
朝鮮の芝峰縲絏では「南蛮椒」って書かれてる
つまり当時の”呼び名”は似ていても「胡椒とは別物」扱い
だから戦国時代でも、唐辛子と胡椒は混同しなかった、と考えていいと思うよ
もちろん山椒と胡椒もね

445 :
青椒が入ってきたのも戦国期だな

446 :
あおしょう?

447 :
青椒肉絲
つまりピーマン

448 :
ちんじゃーらおしょー

449 :
しろうと家庭菜園だとやたら辛いピーマンたまにできるよな

450 :
>>430はなんでそんなに山椒と胡椒が混同されてたことにしたいの?

451 :
もうその話は終わってるよ。
>>438で、いったん仕切り直しだな

452 :
うちに庭でも山椒はすぐにできるけど
いい香りだもんな。

453 :
独り言?

454 :
戦国の人間に添加物バリバリの現代食を食わせたら吐くかな?

455 :
「塩味がまったく感じない、不味い」とか。
カレーとかラーメンだったら何とかなるかな?

456 :
秀吉はそばがきが好きだったらしいな

457 :
>>455
”甘味”は江戸時代になってから広がった味付けだけど
それが主流な今の味は、当時でも「うまい」部類になると思う

458 :
戦国時代は、甘みを料理に加えること無かったの?

459 :
戦国後期には味醂とかあった気が

460 :
今でも爺婆でカップ系は食べられない人多いし
わしも月に1こがせいぜいで2こめは気分が悪くなる。
カレーは下っ端武士なら喜んだかもしれないが
公家みたいな人たちにはどうだろうなぁ。

461 :
インスタントやレトルト食品の化調がガッツリ効いた味つけは
濃すぎて受け付けないだろうな。

462 :
俺らが外国の料理に違和感感じるのと同じになるかもね

463 :
>>460
> 今でも爺婆でカップ系は食べられない人多いし
カップラーメン?

464 :
>>463
ヤキソバもね。

465 :
粉末ソースを半分くらいにしたらいいのに

466 :
>>459
酒はみりん系(忍冬酒とか)あったけど、料理にくわえた例はあんまりないんじゃないかな(レシピが残ってない)
>>460
今の爺婆は年齢的に完全にアジノモト世代だぜ、カップ麺はそれより油が……
何でも”使い方”、戦前の美食家、魯山人も自分でアジノモトつかってたし
全くなかった戦国時代でも化調は受け入れられる、と思うけどね
まぁ中国本土の中華ぐらいつかったらだめだろうけど……

467 :
甘いものって当時は干し柿くらいだろ。

468 :
>>466
化調ってか、インスタントってなんというか
人工品だし独特のまずさがあるじゃない。
一口目は確かに「美味しいね」みたいには言ってくれるけど
よくて3口目には変な顔するものね。
もちろん爺婆でも出始めた頃に食べてれば慣れてるだろうけど
戦国時代の人に食べさせたらやっぱり最初は気持ち悪いって言うと
思うよ。
ところでコーラはどうだろう。
知人で小学校になるまで炭酸飲ませなかったのがいるけど
「まずい」って言って中高生ぐらいになってもコーラ嫌いだったそうな。
好き嫌いはまた別の話だろうけどカレー嫌いとかチョコ嫌いとか
いるものね。
戦国の人にキンキンに冷えたコーラ飲ませたら「喉が焼ける、毒だ」
ってこっちが斬られかねんな。

469 :
炭酸水自体は天然炭酸の温泉があったりするから、
慣れてる人は何とかなるんじゃないかな。
まぁなにより個人差が大きいだろうけどね。
好きな人は好きだろうし嫌いな人は嫌い、
という今と余り変わらない結論に落ち着きそうな予感。

470 :
日本酒でも微炭酸のなかったっけ

471 :
>>467
>>151辺りの話が出てきて、無限ループが始まるような気が

472 :
南蛮渡来の滋養強壮薬ですと言えば、甘味も有るしコーラとか炭酸飲料は受け入れやすいかもな。

473 :
みかんってのは昔から今みたいに美味しかったのかな。
戦国期ならかなりのごちそうって感じがするが
とれる場所が限定されてるか。

474 :
>>473
現在主流の糖度が高いミカンはほとんど江戸時代に発見輸入されたのよね
それ以前のミカンは酸っぱいのが主流(漢方薬として利用)
今だと、ゆず、キンカン、ダイダイとかが該当するかと

475 :
光秀ェ・・・

476 :
濁酒とか酒は甘口じゃないかに

477 :
>>324-325
竜造寺隆信はどっちのタイプのデブ?

478 :
とりあえず戦国期すでに、伊豆、静岡、和歌山、愛媛ではみかんが名物だった。その地域を支配した大名が贈答でせっせと送っている。

479 :
>>474
ふむふむ。
柿でも甘いというのは現代の感覚で
昔は干し柿にするぐらいしか食べ方がなくて
それが少し甘くなってくれるしどこにでもあるから
貴重って聞いたもんで。
四国の方でミカンはたくさん取れてたのかな、
薬としてなら贈答として貴重だもんな。

480 :
>>479
普通の干柿の糖度は和菓子だと羊羹ぐらいなんだぜ(70%砂糖水くらいのやつもある)
ちなみに果実の糖度は、桃14%ぶどう17%メロン16%に対し渋柿は21%くらい、これを乾燥して糖度を高くしてるのよ
で、はちみつは76-80%くらいなので、現在でも、干柿はむちゃくちゃ「甘いもの」になるよ

481 :
>>480
ほ〜。
干し柿食べたことないので、美味しんぼに書いてある
「干し柿の甘さをこえてはいけない」を信用してた。
あれは甘くないというより、より人工的に甘すぎてはいけない
という高級和菓子のことだったか。
婆たちから進駐軍にもらった「ガムのあまくて美味しかったこと」は
よく聞かされたがあれは干し柿と比べてどうなんだろう。
やっぱり人工物でより甘さが強調されてたんだろかな。

482 :
あれは甘味とかに限らず食糧難で〜てのがあるように思うけど

483 :
夏場の体育のあとの水はたとえ水道水でもめちゃくちゃうまかったな

484 :
ガキの頃はパンの耳がおやつでよくこまぎれを
そのまま食べたものだよ、美味しかったなぁ。
・・当時は普通だったよな、な、な・・

485 :
焼酎は戦国時代ぐらいから薩摩あたりにあったらしいな

486 :
イカやタコってのは食べたんでしょうか?

487 :
>>485
郡山八幡神社の大工の落書きに「一度も焼酎ヲ不被下候」(永禄2年(1559)8月11日)ってあるから確実だけど
全国に広まったのは明治以降かなぁ
>>486
つスルメ

488 :
>>486
古代の朝廷への貢物にも入ってる

489 :
>>485
それ以前は無かったの?

490 :
>>489
蒸留酒の伝播経路としては14世紀後半にタイから琉球に伝えられ泡盛に
んでそれが九州へとって説があるみたいね
11世紀にはヨーロッパで確立されたから、種子島のように欧州人から直接だったり
シルクロード、中国を経て伝播と諸説あるみたいだけど

491 :
>>488
へ〜、ありがと。
古代ってのはヒミコとかまでさかのぼっちゃう?
それとも奈良時代ぐらいなのかな。

492 :
>>491
タコ、イカは縄文時代から食べられてるぞ。

493 :
>>492
ほ〜、骨とかでわかるのかな、骨ってあったっけ・・?

494 :
>>493
タコとイカは嘴が残るんじゃない?

495 :
>>492だが、スルメ自体は戦国時代以前から、あるみたいだぞ、実際に陣中食として、食べてたかは微妙な所だな。まぁ、推測だが、沿岸部の所領の大名や武将は食べてたんでね?


496 :
>>494
と思ったんだがものすごく小さいしそれでも
残るのかなって。それを見つけるのが考古学者の腕
なんだろうけどすごいな。

497 :
[PDF] 第 17 節 いか・たこ漁業
http://kagoshima.suigi.jp/ayumi/book/01/a01_01_17.pdf
>縄文期の貝塚からコウイカ類の甲羅片が相当数出土していることから,イカ類の漁獲の歴史は新石. 器時代まで
>遡ると考えられている。
>指宿市の橋牟札川遺跡から、たこつぼ型土器が見つかった。この土器は弥生時代(約二千年前)に登場し
>古墳時代に大阪湾から瀬戸内海沿岸、北部九州におよんだと考えられる。

498 :
夜に庭先の縁側で謙信がスルメを肴に一人酒を飲む情景が思い浮かぶ

499 :
謙信女説は

500 :
女でも酒は飲むだろ

501 :
>>124
>だから卵食う習慣は当時ないってw
こういうのがあるんだけど、、
>46 名前:人間七七四年 投稿日:2011/08/09(火) 23:26:41.62 ID:Togfk+uu
徳川家康が未だ竹千代と呼ばれ、駿府で人質生活を送っていた頃のことである。
ある日竹千代は駿府の大祥寺という禅寺に、20羽程の鶏が走り回っているのを見て、
そこの僧に
「あの中から1羽貰えないだろうか?」
と尋ねる。するとこの僧
「どうぞどうぞ。1羽と言わず全部でも差し上げますよ!
全くこいつらは、菜園を荒らす困った連中なのですが、勝手に生まれ育ってしまい、
しかたなくこのように飼っているのです。」
と、心底困ったように答えた。
竹千代はこれを聞いて笑いつつ
『ああ、この僧は鶏卵を食べるということをしないのだ』
と、心のなかで感心した。
のち、竹千代が徳川家康と名乗り、駿河も支配するようになったころ、
家康はこの僧を召し出し、殊勝な者であるとして寺領を寄進したそうである。
(徳川実紀)
そんな、竹千代と鶏と僧侶のお話

502 :
水木しげるの妖怪図鑑で、鶏食って呪われた?坊さんの絵が載ってたの思い出した。
坊さんの口から鶏の頭が出てて、尻尾まで生えてるやつ。

503 :
まんが日本昔話で婆さんと狐が一日おきに鶏卵食う話を見てから
味噌汁に卵入れて食うようになった。

504 :
…仏教説話になる、ってのは一般庶民がそういう習慣を持っていたわけで……
室町戦国時代、雉をたくさん食べてる記録があるのだけど、供給元は何か、と考えると
一般にニワトリは雉に名を借りて食われてたと思うなぁ
当時の日記でも「さすが中納言の雉はうまかった」とかあったりして
”雉”自体市場でたやすく手に入れられ、さらに等級があったようだし
あと南蛮菓子カステラが日本人にすぐ受け入れられたから「卵の禁忌」はなかったと思うな
でも、”薬”ではなく”料理”として卵が一般化したのは江戸時代だね

505 :
野鳥の卵はOKで、飼われた鳥の卵は食べるのに抵抗があった可能性もあるけど。

506 :
>野鳥の卵はOKで、飼われた鳥の卵は食べるのに抵抗があった可能性もあるけど。
可能性があるということは、どこかの国でそういう例があったの?
ソースがないのは「可能性」ではなくて「想像」だよ?

507 :
想像ではなく、類推だよ。
戦国時代、肉食に関する禁忌の基準は、基本的に家畜か野生動物かだった。
つまり、狩猟によって得られた動物を食べることに対するタブー感は薄かった。
理由は上の方でも出てたと思うので省略。
卵に関してそういう区別があったという記述は今まで見たこと無いが、
もし雉の卵は一般に食べられていて、鶏のは食べられていなかった
(もしくは雉の卵という名目でたべられていた)というのが事実なら、>>505の類推がなりたつ。

508 :
「野生の卵」って、マタギでも「山鳥の卵を集める」なんてしないくらい非現実的だよ
あくまで”雉の肉”の話であって、卵じゃない
卵は、昔鳥飼部があった時代には「薬」だったので、江戸時代まではたぶん同じような扱いだったかと
(鯉の生き血みたいな位置じゃないかな)

509 :
>>399
牛飯ってどんな飯なの?
今でいう牛丼みたいな飯か?

510 :
>>508
>「野生の卵」って、マタギでも「山鳥の卵を集める」なんてしないくらい非現実的だよ
どういう意味で「非現実的」なのか言わないと、意味がない。
野鳥の巣をたまたま見付けて、その中に卵があったとしても、それを取るという習慣が無かったのか、
卵だけをわざわざ探しに行くのは、肉に比べてコストに見合わないと言う意味なのか。
あと、マタギ以外にもいろいろな事例を知っていてそういうことを言っているのか、
たまたまマタギは卵を食べないという話を知っていて、例に出しているだけなのか。

511 :
ことば遊びはもういいから

512 :
言葉遊びではない。
>>508の書き方は、レトリックまがいだと言ってるだけ。
要は、読み手が誤解することを期待した書き方をしているんだよ。

513 :
>>512
それって、「自分が誤解した」ことを他人の責任だ、っていってるだけ??
つか室町時代に卵料理のレシピがないこと前提で「卵はどう使われていたのか」話してるのかと思ってたけど……

514 :
また胡椒=山椒の池沼か

515 :
>>513
もしかして俺が507だと思っててそんなこと言ってる?
別人なんだけど。
俺はただ、「非現実的」だとかいう言い方するなと言ってるだけ。

516 :
>>515
野鳥の卵をあつめて市場で売る”習慣(これは慣習のことですよね?)”、そういう商売があった(世界のどこかで)具体例出していただければ
「非現実的」という表現は不適切、だと思いますね
…なんか思いつきます???

517 :
専業は無いかもしれないけど、野鳥の卵を取って食べる習慣は世界各地にあるよ。
>野鳥の卵をあつめて市場で売る
>>508=>>516なのかは分からないけど、こういう限定した言葉を使って欲しいと言ってるんだよ。
>>508の書き方だと、商売としては無いと言っているのか、狩猟のついでに取ったりすることも
あったのか、たまたま見付けた場合でも食べることが無かったのか、分からない。

518 :
いつ産んだか判らない、野鳥の卵なんて食べるかね。
毎日、野鳥の巣を見て廻るか?
鶏卵にしても、今時の鶏のように毎日、卵産まないよ。

519 :
卵保存利くし、栄養価高いし、安全性高いしで、
有れば喰うだろ。
毎日見に行くとかしやしないだろうが。

520 :
>>517
「(もしくは雉の卵という名目でたべられていた)というのが事実なら」(>>507)って長文があって、
それに対し「(日本の山の採集商売従事者)マタギでも卵商売してないのに、キジの卵の話は非現実的」(>>508
…ってな流れで、なぜそのようなツッコミをされてるのかわからない……
>>519
まぁ”マタギ”では野鳥の卵は採集しないですよ(資源保護のため)  
ただ、当時(鳥の)卵を食べてる記録があったら、ご教授ねがいたいです
余談だけど、日本の狩猟対象野鳥で現在卵利用されてるものはウズラ
家禽化されたのが室町戦国時代、でも当時の飼育ウズラは鳴き声を楽しむものでした
飼育専門書「鶉書」(1650年頃)にも、好く鳴く個体選抜方法とか載ってますが
太らせるとか”食”に関する記述がないのです(野生種は肉目的に狩られてるけど)
ウズラの卵がレシピに乗るのが江戸時代、卵を目的とした品種改良が始まったのは明治時代
これを参考にすると、まぁ戦国時代の人にとって野生でも「卵を食べる」という慣習はなかった、んじゃないかと

521 :
>>520
日本霊異記とかにも卵を食べている為に地獄に落ちる話があったりするので、
9世紀頃から食べられてきた記録があるといって良いだろうな。
その後何度も肉食等を禁ずる法律が出てたという事が、
それが無くならなかった傍証にもなる。

522 :
>>521
いや「絶対口にしなかった」と言いたいわけではなく、あくまで”食材”と見ていたのかどうか、が気になるわけで
例えば”鯉の生き血”は昔からある民間薬であっても”食材”じゃないですよね
ニンニクも戦前までは食材ではなく”薬”に分類されてました(レシピがない)
で、日本でも鳥飼部まで遡ると、肉は食材なんですが、卵は薬あつかい、なんですよ
江戸時代には鶏卵はレシピも残る食材になるのですが、それ以前にはないわけで
となると、食材よりは”薬”として使われたならば、食文化的には同じ「口にした」でも別物
…という見方をしたほうが、食事という文化から見ればしっくりくるかもしれないような気がして

523 :
なんかいろんな話が出てて、何が論点か分かってない人もいるみたいなんで、少し言葉を補ってまとめると
戦国時代、
1. 卵(飼い鳥、野鳥に関わらず)を食べることはあったのか。
2. 卵を食べなかったとすれば、その理由は(肉食に準ずる)禁忌だったのか、単にそういう発想がなかったのか、
  その他現実的な理由(コスト、食中毒等)から食べられなかったのか。
3. 禁忌だとすればその範囲・理由は、鶏の卵だけか(飼ってる生物を食べるタブー)、野鳥もだめか(生き物を食べるタブー)。
4. 卵を食べる頻度は。積極的に探す人間がいたのか、偶然巣を見付けたら取っていたのか、もしくは
  絶対口にしないわけでは無いが、レアケースだったのか。
5. 卵を食べたとすれば、食料としてか、薬としてか。
6. 薬として食べられていた場合、言い訳として(タブーの抜け道)か、実際にそう信じられていたか。
7. 薬として考えられていた場合、薬効は何か。
特定の病気に効くと考えられていたのか、滋養強壮用か。
8. 卵を商業目的で取る人がいたのか、またそれは専業か、たまたま取れたときに他の物資と一緒に市で売る程度か。
ざーとまとめたので、抜けているものがあったら突っ込んでください。

524 :
>>522
>あくまで”食材”と見ていたのかどうか、が気になるわけで
ただ、>>501の話を信じると、鶏卵が食材扱いになっている気がしますね。
>>503については、江戸時代の可能性も高いけど、食材扱いっぽいし。
>鳥飼部まで遡ると
古代と戦国時代は、食文化がある意味断絶しているんで、遡る意味がないかと思います。
古墳時代や平安時代に比べて、戦国時代の平均身長はかなり低くなってますしね。
>江戸時代には鶏卵はレシピも残る食材になるのですが、
江戸時代と戦国時代では、食文化についての記録量があまりに違いすぎるんで、
記録だけを元に考えるのは難しいですね。
戦国時代の庶民の食材については、記録自体ほとんど無いですし。
>>167にあるように、フロイスが何も書いていないということは、逆に卵を食べていた
傍証になりえるのかもしれません。

525 :
>>520
「非現実的」って一語についてだけ突っ込まれているのかと。
要は否定の範囲が非常に不明確だってことでしょう。
私もマタギの話で、戦国時代に雉の卵を食べなかったことを全否定されるのは納得できないです。
また、
>余談だけど、日本の狩猟対象野鳥で現在卵利用されてるものはウズラ
ここから、戦国時代の卵利用を全て否定するのも、ちょっと強引すぎるかと。
ご存じかと思いますが、戦国時代、食用とされた鳥は、現在とは比べ物にならないぐらい種類が
多かったんで、現在狩猟対象野鳥かどうかは、まったく参考にならないです。

526 :
日本でちくわが食べるようになったのは秀頼が成人した頃だっけ?

527 :
>>522
薬っていうか薬味でしょニンニクは
しょうがやワサビみたいな

528 :
>>509
牛肉入りの雑炊とか炊き込みご飯系のものだと推定されている。


529 :
>>525
ウズラは日本で唯一家禽化された鳥ですので、戦国時代「野生種」と「飼育種」が同時に存在した珍しい例なんですよ
それ故「家禽化されて何が利用されたか」を考えるのは鳥に対して一般的な慣習の参考になるかと
あと”マタギ”は日本の山の採集文化「野生の鳥を取る」専門集団ですので、
それを否定するなら「どのような形でキジの卵を採集食用していたか」の具体例を
ご指摘されないと、恣意的に証拠を取捨選択されてるとしか言いようが……
あと>>518の指摘は自分は同意ですね、雉の卵は基本”地面に落ちている形”で発見されますから
果樹でも落下したものはそれなりの処理をして食べる日本では「安全な食材」と見なされないのでは?
>古代と戦国時代は、食文化がある意味断絶しているんで
これは何を根拠にそう考えるのでしょうか? 雉(野鳥)を食わなかった時代ってない気がしますけど
>>527
ニンニクが薬味として使われるレシピは江戸時代にもないですよ

530 :
>>529
>それ故「家禽化されて何が利用されたか」を考えるのは鳥に対して一般的な慣習の参考になるかと
だから、あくまで参考ですよね。
参考になることについては全く否定していません。
>あと”マタギ”は日本の山の採集文化「野生の鳥を取る」専門集団ですので、
あくまでマタギは東北限定の集団なので、それを即、日本全体に一般化するのは危険です。
参考にはなると思いますが。
>古代と戦国時代は、食文化がある意味断絶しているんで
例えば、古代では食べられていたR製品は、中世以降食べられなくなるでしょう。
肉食に関するタブーも、時代ごとに全く違います。

531 :
>>529
念のため言っておくと、私は何かを主張しようとしているんじゃないですよ。
あなたが言っていることが、すべて正しい可能性もあると思っています。
ただあなたの主張は、論拠が弱すぎると言っているだけです。

532 :
>>531
「可能性がある」ことを主張するには、それなりの(私のようないい加減さでも)根拠?が必要と思いますよ
今までのところ、私の出すの根拠?は「それは特例」と言って却下されているようですが……
そういえば一度も「野鳥の卵を食料利用した」具体例を出されていませんが、
時代や国の壁を超えて一つでもご教授していただけませんか?
>マタギは東北限定の集団
現在ではマタギのような狩猟集団は東北限定ですが、少なくとも室町時代には全国に存在していましたよ
あくまで「戦国時代」について考察してるので、そういう否定の仕方は予想外です
>古代では食べられていたR製品は
これは「R牛を飼う」習慣が失われて”供給が途絶えた”だけでは?
畜産というのは大きな投資を必要とするため日本同様東南アジアの米作地帯での労働牛でも恒常的R利用はされていません
でも”トリ”は違いますよ、投下資本が小さいので日本で一度も飼うことをやめたことはありません(「キジの卵」も同様)
ですからこれらの利用を「断絶した」と言われるなら、その根拠?を示していただかないと
私の「キジ卵利用は非現実的」と同じレベルの話では??

533 :
子供の遊び+おやつというのは?川の小魚みたいな感じで。
実家が東北で、年寄りの昔語りでは、
子供の頃、鶉の巣を探しては卵を取っておやつにしていた話が良く出ていました。
昭和の子供に出来るなら、戦国時代なら余裕だと思います。

534 :
マタギが全国区だったって初耳だけど、本当?

535 :
>>532
>「可能性がある」ことを主張するには、それなりの(私のようないい加減さでも)根拠?が必要と思いますよ
これじゃないの?
>>167にあるように、フロイスが何も書いていないということは、逆に卵を食べていた
>傍証になりえるのかもしれません。

536 :
>>532
アイルランドのカモメの玉子の採取権とか今もあるし、
オーストラリアのミズナギドリの玉子は流刑時代には重要な蛋白源だったし。

537 :
>>535
「記述がない」ってことは、市場にキジの卵が出回ってなかったから、とも取れるわけで……
ちとめんどくさいのは、自分の主張は「卵の消費がまったくない」じゃなくて
「野生の雉の卵を採集し市場に出す(食用にする)」ことがなかったんじゃないか、ってとこで
鶏の卵は「滋養強壮薬」として使われてた可能性もあるんじゃないか
とは考えています(少なくとも6世紀ではそのような使われ方でした)
>>536
ありがとうございます
でもフルマカモメやミズナギドリってコロニーで営巣しますよね(採集しやすい)
キジは各個に草むらに営巣して非常に発見しにくい(採集しにくい)わけで
ちょっと参考にしにくい例ではないかと……

538 :
卵百珍なんてのがあるくらいだから江戸時代後期には盛んに食べられてたね

539 :
wiki 鶏卵-食品としての利用より転載
>日本において一般的に鶏卵を食べるようになったのは江戸時代とする資料が多い。
>但し、戦国時代には戦場で野生の鶏を捕え、卵を生で食べていたようである。
>栄養価の高さから戦病者や病人、産婦によいとされている。
野山で野鳥が既に産み落とした卵を巣から採取し市場に出すのは、売り手も買い手も、それがいつ産んだ物か判らず、
割ってみるまで食べられるか判らないという、衛生面から市場に卵が商品として並べられたとは考えづらい。
しかし、野鳥を捕まえたり市場で購入し、解体、調理したとき、腹の中に鳥モツのキンカンと呼ばれる部分、
(殻の無い卵の前段階の物)が入っていれば、その場合は食べたと考えてはどうか。
これなら双方の主張に矛盾は生じないかと思われるが。
ここからは想像の域は出ないが、当時の妊娠中の禁忌、火を使わせない、縫い物をさせない、
母屋に入らせないなど、妊娠中は身体が穢れているという、古代宗教の思想、因習などが、
動物にも当てはめられ繁殖中の物を食べると穢れる、などの理由から、江戸時代に調理法が書かれるまで、
あまり公に卵が食べられなかった理由の一つかも。

540 :
卵で商売については、なぜか>>516で突然出てきてるんだけど?
他の人は、自分で食べたかどうかの話してるし。
両者話が噛み合っていないよ!

541 :
>>532
>時代や国の壁を超えて一つでもご教授していただけませんか?
アイスランドの話でもいいの?
崖で海鳥の卵を採取するのは有名だけど。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/3759/heimaey/nature/nature.html

542 :
>>540
自分は「キジの卵を喰う」ってなのは”キジの卵の採集の難易度の高さ”から非現実的って考えただけで
当時「キジの卵を食べた」というなら、市場取引や税や個人的記録があるべきじゃないかと
「偶然見つけて喰うことはあるだろ」って言われたら「まぁあるかもしれませんね」としか返せませんが……
>>541
ありがとうございます、でもアレはコロニーを作る習性がある鳥なんですよ
でも日本本土の場合はコロニーつくる種類はいないので、そういう鳥でも行われた例があれば……

543 :
植民地を作る鳥を想像しちまったわ

544 :
>>542
>市場取引や税や個人的記録があるべきじゃないかと
商品経済が発達し、記録が急増した江戸期ならともかく、戦国期の庶民の食材なんて、記録に残ってるものなんてごく一部。
上の方で話題になったテッポウムシとかゲンゴロウのような、間違いなく広範囲で食べられていたと思われる
食材についても、記録なんて全然残ってないし。
16Cに間違いなくポピュラーだったと考えられる、イナゴ以外の昆虫食の記録がちょっとでも残っているのなら教えて欲しいぐらい。
>>532
>時代や国の壁を超えて一つでもご教授していただけませんか?
・オランダ、ベルギーで食べられるタゲリの卵
・ツカツクリ(インドネシア等)の卵
・アボリジニが食べるエミューの卵
・ペンギン(南半球各地)の卵
・アフリカで広く食べられるダチョウの卵
・ウミガラス(北海道等)の卵

545 :
>>544
日本で利用される昆虫はだいたい中国の文献に載っている気はします(ザザムシ以外)
もともと「キジの卵は採集しにくいから非現実的(>>508)」から話が始まってますのでソコに限定して……
(野鳥卵利用例、ありがとうございます)
タゲリはチドリ見通しのよい河原に、ツカツクリは特徴的な巣を作り
ダチョウエミューは2mもある鳥ですし、ウミガラス、ペンギンはコロニー作ります
どれも”巣が発見しやすく卵採集がしやすい”ものばかりですよね
でもキジの巣は発見しにくい山林の草むらに、かつコロニーも作りませんから、採集は大変ですよ
そういう野鳥の卵利用を「あった」というのは、可能性としていかがのものでしょうか
(カラスすら食ったマタギですらキジの卵の利用はしてないんですよね)

546 :
ダチョウはハーレム型の繁殖で、ハーレムの卵は一箇所に集められるのでコロニーと変わらないよ
(一位のメスが自分の卵を中心に集めて抱く、周囲の卵はとられても割と気にしない)

547 :
>>545
>日本で利用される昆虫はだいたい中国の文献に載っている気はします(ザザムシ以外)
ザザムシなんて超ポピュラーなものが載ってないのに、なんで他のものが大体載っていると分かるんでしょう?
日本で食べられていた昆虫が、どれほど豊富か知ってます?
そしてそれらが16Cの日本で食べられていた旨のことが、中国の文献にあるなんて、信じられないんですが。

548 :
>>545
>でもキジの巣は発見しにくい山林の草むらに、かつコロニーも作りませんから、採集は大変ですよ
じゃああなたが否定しているのは、あくまでキジの卵だけに限った話、野鳥全般に関してではないということですよね。

549 :
野鳥は狩るのが面倒なだけだったのでは?
猪、鹿、兎といった動物に比べると
野鳥は狩るのが難しいですし
わざわざそんな動物を狩る必要性が何処にあったのかと。

550 :
かすみ網猟とかありましてね
卵は取れんが

551 :
>>532
>現在ではマタギのような狩猟集団は東北限定ですが、少なくとも室町時代には全国に存在していましたよ
それは何かちゃんとしたソースがあるということでしょうか?
スレになってしまいますが、マタギが室町時代に全国にいたということが書かれている文献とか資料を
ご存知だったら教えてください。
(単に狩猟をやっていた集団ではなく「マタギ」なんですよね?)
個人的に大変興味があるので

552 :
>>549
>野鳥は狩るのが難しいですし
今、議論になっているのは卵について。
野鳥は広く狩猟対象になっていました。
鶴だとか、白鳥だとか、現代では食用と思われていない鳥も、当時は食べられていましたよ。

553 :
農閑期は出稼ぎや狩猟ってのが普通じゃないの?
まあ冬季に狩れる獲物なんか限られるだろうけど

554 :
場合によっては人喰いもあったんじゃない?
戦場で戦死者の死体あさったりして。

555 :
鳥取の飢え殺しの時に所謂カニバリズムが有ったとあるように、
極限状態に陥るような場合によっては、人喰いもあったようだな。
もっとも非常に強固な篭城戦である鳥取の時に、
わざわざカニバリの記載があるということは、
少なくとも戦国当時の尾張程度の田舎〜畿内の間では、
鳥取程度の飢餓状態にならなければ起こらない程度の文化だったんだろうけど。
より辺境なら常食にする文化もあったかもしれないが。

556 :
まだ卵で無意味な水掛け論を続けてたのか

557 :
>>555
>より辺境なら常食にする文化もあったかもしれないが。
確か肝取りなら、各地で行われていたはず。
薩摩のが有名だけど、もっとずっと広い範囲で。

558 :
>>556
こういうのは無意味じゃなくて不毛というんだよ。
もし分かれば意味はあるから

559 :
>>555
さすがに武士は普段は人喰いなんてやらんだろうが、最下層は頻繁にやってたんじゃないか?
でなけりゃあんな混沌とした時代を生き抜くなんて不可能

560 :
卵の話、主張するだけ主張して、回収せずにみんなトンずらこいてしまったみたいなのでざっとまとめると、
・戦国時代は、卵食に対するはっきりとしたタブーはなかったっぽい。
 ※そもそも肉食だって、タブー視されていたのは四足だしね。
・あまり食べられなかったとすれば、コストが問題だった。
 鶏卵は、食材にするという発想がある人間は食べたっぽい。
 野鳥も、どの種類を食べてはいけないということではなく、コストに応じた範囲で食べられた可能性が高い。
これだけのことだろ?

561 :
>>557
肝取りが江戸時代の薩摩藩に伝わっていたのは知ってたけど、
本当に戦国時代に行われていたと資料に残っているのか、
俺は良くわからん。
まぁやってたとしてもスレタイで対象の”食事”というより呪術とかの方に近いんじゃないかな。
なんと言っても常に取れるようなものでもないしね。(卵w以上に)
>>559
何をもって混沌なのか難しいが、
頻繁にやってたなら例えば仏教説話などでもっと取り上げられて批判されてるはず。
戦国期にはあまりそういうエピソードが見られないし(資料が有るなら提示して欲しい)、
なにより混沌とした時代だからこそ人口(=生産力)が必要な訳で、
最下層になればなるほど普段は人喰いは出来なかったのではないかと。
その代り、人攫いなら戦国期の資料にも出てくるし多かったと思う。
生産人口の増加的な意味で喰人よりも余程効果的。
喰人は生産コストから言っても飢饉時等の最後の手段だったんじゃないかの。

562 :
>>561
>まぁやってたとしてもスレタイで対象の”食事”というより呪術とかの方に近いんじゃないかな。
まあ呪術みたいなもんだね。
空腹が理由ではないし。
余談だけど、落合信彦がベトナム戦争を書いた小説で、ベトコンが敵の肝を食べるシーンを読んだことがある。
小説だし作家が作家なので、信憑性は分からないが、太平洋沿岸の南方系民族には、
人食いの伝統があるから、その影響かと思った。
>なんと言っても常に取れるようなものでもないしね。(卵w以上に)
戦国時代の食材は、現代と違って流通に頼らず、各人それぞれ偶然見つけたものも
多く食べられていたので、常に取れるかどうかはポイントでは無いけどね。

563 :
>>561
緊急避難の人肉食と、薬としての人肉使用は一緒にはできないと思うよ(現在のプラセンタだってある意味そういう話だと思う)
中国の本草綱目(1596)には人肉が結核の薬として載ってて
当時の日本でもその医療常識?ならば、あくまで”薬”としての利用で食習慣という話じゃないし……
ちなみに人肝も”金瘡薬”として記述されてるから、薩摩の肝取りも”食料”と言うより”薬”として利用してたんじゃないかと
>>562
ナショジオのニューギニアの人食い村の番組で
村人が「なんで人肉を食ったのか」って質問に「目の前に肉があるから」って答えてたから
中国や日本とは根本的に何か違う文化に則ってる気がする……

564 :
首切り役人が余禄として、肝を薬として売ってて、かなり裕福だったって
話もあるなw

565 :
役人じゃないんだけど

566 :
アサえもんは浪人なんだよね

567 :
ちゃらららん〜人胆丸〜♪

568 :
>>563
>ちなみに人肝も”金瘡薬”として記述されてるから、薩摩の肝取りも”食料”と言うより”薬”として利用してたんじゃないかと
通説は、>>561が言うように強い相手の肝を食べることで、相手の力を自分のものにするという呪術的観念が働いている。
基本的に戦闘行為が終わったあと、その場で食べるものなので、食料としてはありえない。
薬も多分無い。
ここ参考になるよ。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5916/jinniku.html

569 :
>>568
ソコにも書いてるけど「飢饉時の非常手段としての人肉食」は世界各地(もちろん日本にも)にあり
明の時代の中国の事例は飢饉(緊急避難)の時の話で、それで”一般論”語っちゃ気の毒だと思うけど……
自分は「呪術的食人」を15世紀に当てはめるのはおかしいと思ってます(戦場で有名武将が食われてないから)
ま、それは置いといて、薩摩の肝取り」は、罪人が切腹した後若者がその肝を取り合う軍事訓練では?
その勝利品であった肝は食べずに陰干しして薬として利用されたと思ったけど
また戊辰戦争の際には薩摩兵が死体から肝臓を取った話があるけど、取った相手に言及がなく
(儀式的行為”での食人の例(ニューギニア)だと、勇者か身内(食べる相手が有名)が対象)
さらに鍋にして食べており(薩摩では一般的に人の肝は薬であったことからも)
儀式的名誉的行為というより滋養強壮目的とみたほうが適切、と思いますけどね

570 :
>儀式的名誉的行為というより滋養強壮目的とみたほうが適切、と思いますけどね
まーた言葉遊びが始まった
>>568のどこに儀式的名誉行為なんて単語があるんだ・・・
自分で曲解して言葉を作って勝手に不適切とかなんなんだお前は
滋養強壮目的だけなら死んだ人間や死にそうな人間から肝臓採取しろよ
それだけじゃないからわざわざ軍事訓練や戦闘行為を行った上で肝取りしてんだろが

571 :
つうかいい加減トリップつけてくれ
NGするからさ

572 :
>>570
「肝取り」があっても肝は薬用にした、って事実で、薩摩の肝取りは人肉食の例としては不適切では?
…ってレスしたつもりなんですが……
「人間を元にした薬」ってのは(ミイラも含めると)世界中で使用が途絶えたことがなく
それを持って「人食った、食わない」論議は難しい、ってな話で
”薩摩兵が人の肝を食った話”はこっちが出してるのに触れもせずに”逆ギレ”されても困りますね……

573 :
だからなんでわざわざ儀式的名誉行為なんて単語作った上で適切かどうかレスしてんだよ
的外れにも程があるだろ
むしろ滋養強壮目的で常食してたならそれはもう人食だろ
飢えない為に腹に入れる行為のみを食事と定義するなら別だが
滋養強壮(=栄養摂取)の為だけに、呪術的、儀式的といった意味合いを持たないならそれはもう
食事の一環じゃねえの?
それに戊辰戦争中敵兵から戦時中にもかかわらず
滋養目的の為だけにわざわざ敵兵を解体して採取する程重視してるなら
もっと日常手軽に採取してると見るべきじゃね?

574 :
>>573
問題は”常食”の程度なんですよ
薬として日本でも人血が利用されていますが、でもそれをもって「日本では吸血行為が常だった」とは言えませんよね
ちなみに戊辰戦争の間、薩摩兵が毎戦闘ごとに肝煮を作ったわけではありません
もちろん薩摩に通常肝煮を作る慣習もありません(ただ人の肝は薬として広く日本では利用されていました)
さて、あなたのいわれる”常食”は「どの程度のもの」なのでしょうか?
また、自分はニューギニア(現代)やアステカ(15世紀)の酋長や捕虜に対する食人を
(食べることで相手の力を得ることが動機なので)”呪術的観念”によるもの、と理解し、
それ故「日本でも敵を食べる」行為を同等の慣習と見て”儀式的名誉行為”という表現をしたのですが
「まったく不適切」と言われるからには、なにか別の食人行動をさしておられるのですよね
あなたの”呪術的観念”による行為は、どのようなものを想定しているのでしょう?
上の二例とは違う動機の食人が日本で行われていた、というなら参考例をご教授いただけると……

575 :
こいつきもい

576 :
>>574
>問題は”常食”の程度なんですよ
たった今お前さんが言い出した概念をさも延々議論されてた本題みたいに語られてもなぁ…

577 :
ふつうに学問的な観点から食人風習を語っているだけに見えるが

578 :
どこが学問的なんだか・・・途中で話のすり替えどころかまったく別の事を言い出すし
というかわけのわからんことや適当な造語出したりで何が何だか
3行にまとめれない奴は書き込むなって言いたくなるレベル

579 :
>>574
とりあえず、箇条書きで論点をまとめて。
シンプルな言葉で。

580 :
>>576
「人肉を口にする習慣」でも、飢饉だから、薬だからって人肉を口にしたことで「食事あつかい」するのはいかがなものか
…てな話の”程度”なんですけどね(それで、薩摩の肝取りって「食べる」ことは伴わない、とか指摘してるわけで)
>>578
つか自分で外国の例とか出さないといけないから長文になるだけですので
もっと他の人に、さまざまな例をだしてもらえればいいのですが……
つか日本の戦国時代で、”呪術的動機”で人肉食をした慣習、ってあります?
それがあれば自分の話なんて吹き飛ぶと思いますよ

581 :
明治政府が肝臓、脳髄、陰茎の密売を禁止したことがあるって話だけど……
呪術的なものというより薬だしなぁ

582 :
大陸では凌遅刑にされた罪人の肉が市場で売られてたんでしょ?

583 :
そっちは呪術的な意味が大きかったそうな
勇猛さにあやかるためとかね

584 :
誰か>>568にあった「人喰いの民族学」読んで、報告してくれ

585 :
>>556
旦那 卵の次は人喰いで水掛け論を始めやしたぜ

586 :
せっかく治まってるんだから余計なこと言うなよ

587 :
お前らそんなことよりカステイラの話しようぜ

588 :
>>587
小判が入ってるんだろ?

589 :
>>587
大根おろしとワサビ醤油用意しなきゃな

590 :
カステラは吸い物だろ、吸い物。
で吸い物で思い出したが、昔読んだ水滸伝小説で山賊に捕まった宋江が
酔いざましの吸い物にされそうなシーンがあったがあれは旨そうだった。
漫画では、故石川賢のSF鬼婆の話で鬼婆が人肉鍋を食うシーンが旨そうだったな。
小説も漫画も人肉を食う場面は猟奇ばかり際立たせて、うまそうな表現をしないのが多いのが残念。

591 :
桃太郎地獄変か。
あれは名作だったよな、漫画文庫みたいにリメークされてるのかな。

592 :
>>590
>人肉を食う場面は猟奇ばかり際立たせて
食肉解体の基礎を無視しまくってるよな

593 :
ロシアではよくあること。

594 :
>>438
室町時代末期に中世武家礼法を集大成した小笠原流
の食事作法を記した「食物服用之巻」にも、紙に
くるんだコショウ「こせうかみ」が添えられ薬味にした。
ちなみにコショウを薬味にするのは江戸時代のうどんの
食べ方に引き継がれる。18世紀末まで、うどんには粉コショウ
と梅干しが付きものだった。

595 :
うどんに胡椒か。今度やってみよう

596 :
関西風のうすくちに味付けしたうどんに、梅干の皮をちぎって入れ
その上にほんの少し粗引きしたコショウをかけて食べるとよろし。

597 :
うっ!どーん!
息の根止めるわよっ!

598 :
さんしょなんかもうちの庭に普通にあるけど
いい香りするもんな。
江戸ぐらいだったら贅沢じゃないかというぐらいで。

599 :
真壁久幹と梶原政景の逸話ってのは
真壁が貧乏だったのか、当時の鰯が高給品だったのか
どっちなんだ?

600 :
イワシは普通に食われてたんじゃないかな、庶民の宿の食卓に普通に焼き魚出されるくらいだし
つか「言い訳がおかしかった」から残った逸話じゃないかな、美濃守もダシにされて苦笑いしてそうだけど

601 :
場所にもよるわな。
海辺ならば割と普通に食していても、海から何十キロも離れた土地じゃあ
イワシみたいな腐りやすい青魚なんかはご馳走扱いだろう。
江戸時代、山の中の土地では川魚がよく食べられていて、今ではまず食べないような魚も
食べていたそうだから。

602 :
江戸時代ならすでに鰯は
干鰯として肥料としても流通してたけど

603 :
わしのおじいちゃんぐらいだと飛騨だがオオサンショウウオも食べてたからね。
昔話じゃないが狸汁だって食べてた。
ほんで、刺身なんか大人になるまで食べたことがない、とお爺ちゃんの親は言ってたそうな。
そのお爺ちゃんも、老人になって伊勢参りではじめて大アサリ、を食べて
感動した話はよく聞かされた。
こういう経験談からも昭和の戦後しばらくまでの山間部は江戸期と
あまり変わらない生活実態だったことがよくわかる。

604 :
ついでだが、その頃、朝誰も起きてこないから近くの人が
見に行ったら一家みんな死んでた・・という大事件があって今でも
語り草だが、死因はなんだと思う?
答えはもう少し後で。

605 :
>>601
居城は現在だと茨城県桜川市真壁町、霞ヶ浦近くで佐竹氏の家臣だし魚には困らなそうだよ

606 :
>イワシ
メザシ美味いよ。春の季語だ
煮干もイワシだし、佃煮にもするよ
魚醤の原料にもなる。

607 :
>>605
筑波山の西側だから近くはないね。まあ、遠いって程でもないけど。
あと、久幹時代は家臣ではないよ。家伝では息子の氏幹時代に佐竹様家中にとある。

608 :
清少納言か紫式部か忘れたが、鰯を食べて美味しかったけどにおいが臭くて
文句を言われた、みたいな事を書いてるから、その頃から馴染みがあった魚
だったんだな。

609 :
そういや戦国時代の霞ヶ浦は海水だったんだっけ。

610 :
汽水じゃないかな。1000年くらい前は海水湖だったみたいだけど。

611 :
>>604
>死因はなんだと思う?
備後の方じゃないよね?

612 :
>>611
あ〜ごめん、遅くなった。
それが「フグにあたった」なんですよ。
つまり飛騨の山奥でも流通とか行き来はあったのだろうけど知識がない。
だから鍋にして食べて全員が・・という話。
ところで備後ってなに?

613 :
なんだキノコかと思った

614 :
兵が縄かなんかに味噌汁をしめらせていった、という話を
聞いたんだが本当?

615 :
>>612
例の、「岡山・津山30人皆殺し」かなぁ・・・(^^;)

616 :
芋がらで作った芋がら縄だな
それに味噌を染みこませておいて、お湯をかければインスタントお味噌汁に早変わり
芋がらもお湯で柔らかくなって味噌汁の具になるというものだったと思う

617 :
>>616
それって有名な話ですか?
歴女さんたちがみんな知ってたからなにかで広まったのかな。

618 :
>>617
確か、NHKの歴史番組で見たような気がするねw

619 :
日本史の教科書にチラっと出てたような

620 :
>>615
備後は広島だから違うんじゃね?

621 :
間違えた、備前だった

622 :
ほ〜、テレビでやったのか、そりゃみんな知ってるはずだ。
で、それってどういう記録に載ってたのだろう。

623 :
>>617
今思い出したが、3年くらい前にCSのベネッセチャンネルでやってた、有名
戦国武将の食卓紹介みたいな番組で、食文化研究家の永山久夫がそのエピソ
ードを紹介していたな。

624 :
永山久夫が書いていることってどれぐらい真に受けていいんだろう?

625 :
大名の食事:江戸時代 - http://www.youtube.com/watch?v=kZ4393v5rD8

日本人の8割は農民でしょう
農民の食事:江戸時代 - http://www.youtube.com/watch?v=GDbHO6Wqjgc
庶民の食事
http://www.youtube.com/watch?v=bJp8SXs7QSc


626 :
あんな時代に最下層が生き延びるには人食いするくらいしか無いだろ。
他のまともな食材は全て武士に奪われるんだから。

627 :
何言ってんだ、この鮮人?

628 :
俺の祖先は秀吉によって拉致されてきた拉致被害者だ。

629 :
軍事最優先の時代だから庶民はまともな食事をしてないだろう。
合戦終了直後は死体という名の食料を求めて多くの人が集まった事だろう。

630 :
だろう、だろうばっかりだな。
このスレをちゃんと読んで勉強しな

631 :
Twitterでまわってきた酷い記事
@sengoku_walker:
【ニュース】 戦国時代給食 おかわり さつまいもご飯 集め汁 くるみみそ 甲冑武者も登場 増山城祭りPR / 30日、「増山城戦国祭り」 http://bit.ly/uUcptc

632 :
>>631
メニュー見ただけで突っ込みどころが満載過ぎるwww

633 :
さつまいもご飯wwwwww

634 :
集め汁のタマネギにも注目だぜ

635 :
戦国時代にサツマイモが流通してたら
兵站や糧食の概念がひっくり返ってしまうのでは

636 :
青木昆陽涙目w

637 :
ここは建設的に、真の戦国時代給食を考えてみようぜ。

638 :
わしが卒業してからごはん給食が始まって
本当にうらやましかった。
今は選択式とかもう贅沢のレベルらしいもんな。
イモとか雑穀系の給食出したら、児童虐待、とか
言われかねんな。

639 :
面白そうだね
陣中食として考えればいいのかな?

640 :
さつまいもw食料革命キタw

641 :
>>638
芋とかでは無いが…
ttp://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201109080038.html
こんなのもあったり。

642 :
スレチで申し訳ないが地元の選択給食であった話。
カツ丼と天丼を先生が数を間違えて注文しちゃったらしいんだよね。
10こと20こを逆に頼んだって。
当日「せんせ〜カツ丼あらへんで〜」「天丼やけにのこっとんで〜」「せんせーまちがえたん
ちゃうか〜」ってなって「あちゃ〜、悪かった、あやまる、ジャンケンしてまけたやつ
天丼食ってくれ〜」ってしたらしいんだ、「せんせ、トラック10周〜」「けんすい50回でもええで〜」
とか。ここまでなら和気あいあいのよくある?話なんだが、夕方ある親から
電話で「食べたくないものを無理やり食べさせられた、児童虐待だ」って・・・
校長と担任がその10人の家を夜に謝罪に回ったっていうのだけどさ。
1日主菜がないだけでどうこうとか、歴史教育が直してやらんといかんなぁ。

643 :
スレチでって分かってるなら書くなよ阿呆。

644 :
>643
面白ければ許してやろうず。
でも、あんまりおもしろくねえな。

645 :
秀吉の接待、という本にいろいろ面白いことが書いてあったが
もう戦国という感じでもないのかな。
室町の故事の料理だから伝統料理ってとこか。

646 :
確か続群書類従に信長が家康の接待をした時の料理が出てたよね

647 :
最後の光秀使っての京での接待だったっけ?

648 :
194 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/11/14(月) 18:09:03.61 0
日本兵に捕まったら食われる
太平洋戦争当時複数の米兵捕虜を食べてた日本兵が居る
まぁその日本兵達はは東京裁判で死刑になって死刑になる日まで米軍兵からリンチされてたそうだが

196 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/11/15(火) 15:56:20.35 O
捕虜を喰う程困窮した部隊は帰国出来なかったと思うよ。

198 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/11/15(火) 16:31:24.75 0
>>196
>>194のは腹が減ったから捕虜食ったんじゃなくて胆力を養うとかいう意味で米兵捕虜食った
それに最前線じゃなくて日本での話(小笠原事件参照)

649 :
>>646-647
安土献立だっけ
作り話っぽいけど光秀が切れるもとになったとかいう

650 :
>>649
あの腐った魚云々は小説だろうけどなにか両者が言い争いしたのは
確かだろなぁ、スレチでごめん。安土の献立というと公家流の四条流とかなのかな。
味噌の濃い味に慣れた家康はどう思ったんかな。

651 :
狩猟・漁業の歴史・社会史・文化史
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1321171048/l50

652 :
>>414
600 名前:めろんぱん♀ 投稿日:2011/11/19(土) 23:45:20.48 0
天平時代は輸入品なので貴人しか口にできない貴重品でした。
食品というよりも薬扱いでしょうね。
東大寺でも口にできたのは高僧だけでしょうね。
唐辛子を胡椒と呼ぶ地域があるのは、音が「唐枯らし」に通じるので
貿易業者が使用を忌避したからだと言われているそうです。
江戸以前の「胡椒」は輸入香辛料の総称だったようです。
胡は「西方の〜」という意味です。

653 :
>>650
腐った魚が原因だっけ?
なんか豪華すぎるとかいう(逆かも)話でおぼえてるんだけど
信長さんも逸話によれば濃い味が好きだったんでしょ
そして甘党

654 :
たまごふわふわ(静岡県)
メレンゲ状にあわ立てた卵がはいった澄まし汁
とうふちくわ(鳥取県)
豆腐と魚を練って作ったちくわ
いずれも江戸時代からある食べ物らしい。

655 :
>>653
ttp://www.azuchi.org/town/azuchikondate.htm
これが再現らしいが、味噌の濃い味のが多いがさすがにかなり豪華だなw

656 :
うどんに胡椒かけて食ったが普通に美味かったわ
これからもする

657 :
なれ寿司にキレたんだろ
納豆出してもぶちきれてたと思う

658 :
>>655
しいたけだけで一品になるのは現代と違うとこだな。
栽培法が確立されるまでは現代のマツタケ並みの高級キノコだったそうだし

659 :
>>658
現代でもしいたけステーキとか立派に一品になると思うんだが

660 :
>>658
晒し

661 :
>>655
おぉありがとう。江人気で復元はよくされるけど、何万円、もしたというのも
あったなぁ。
まぁ、松茸にしろ国産使用しないといけないし鶴をフランスから運んで
しまってはなぁ。
名古屋駅前の武将カフェ?には信長カクテルとかがあるというが。

662 :
>>658
昔のマツタケは高級食材では無いね
マイタケは超が付くほど高額だったらしいけど

663 :
チャングムみてたらマツタケの差し入れで「おお〜っ」
とは言ってたなぁ。時代的にこっちゃの戦国中期ぐらいか。

664 :
>>663
韓国の歴史ドラマは史実度外視だからあてにならん

665 :
>>664
ってか勝手に訳してるんでしょ。
こないだ韓国行ったらレストランで「お〜ぃマツタケ1キロ追加」って言ってた
日本人がいた・・

666 :
卸かよ

667 :
ただ中国でもフカヒレ買おうとしたらスーパーで量り売りだったもんな。
なんか感覚が違うなとは思った。

668 :
日本以外では松茸の匂いって「悪臭」扱いだったんだよな(西欧だけでなく中国韓国も)
…現状、世界中に日本の”食文化”がかなり浸透していますな……

669 :
戦前の大衆食堂のメニュー表
丼物 安い順に
松茸丼
肉丼
卵丼
親子丼

670 :
昭和40年代だが鳥肉よりクジラが安かった。
卵は病院に「おみやげ」で持ってくぐらいの
「高級品」?だった。
アワビも聞いた話だが毎日これしかないぐらい
普通だったらしい。
ガキンチョであんまり覚えてないんだが
天然アユやコイよりも「ハンバーグ」「カレー」
が食べたくてダダこねてたなぁ。

671 :
>>669
肉丼って勿論、牛肉
松茸は安価なため学生食堂のうどんにもたくさん入ってたらしい。
卵は贅沢品

672 :
卵は半分薬とか栄養剤みたいなものだったらしいね
毎日食べられるのは金持ちや殿様くらいなものだよ
鶏肉は更に貴重品で卵産む雌鳥を潰すのはとんでもないことだから
ブロイラーができるまでは一番高い肉だった
ちなみに当時いた鶏はかしわ鶏とかいう地鶏だった

673 :
age

674 :
今でも鶏肉のことかしわって言うもんね。そいやスーパーで見ないのは
ブロイラーだからか、勉強になった。

675 :
そいやチャングムでクジラの肉を「誰も料理したことのない
珍しい肉」と言ってたなぁ。ってことは、クジラ、自体は知ってたのかな。

676 :
当時の百姓の食事はくそ不味かったのかな。

677 :
食事なぞと呼べるものでは

678 :
江戸末期まで飢餓との戦いだったというから碌な物食べてないでしょうね

679 :
地方による
暗黒史観を採用するかにもよる

680 :
そうそう、自然災害で食べ物が一時的になくなったのが飢饉
のようなものだから、食べ物自体がない、ということはない。
これは藤木や黒田も言ってる。
そして、人為的なもの、がそれにからむし。
暗黒史観なんて過去のものかと思ったら結構みんな
そういうのをまに受けてるのね。
昔は昔なりになんとかなったから日本人は滅びずに生きてきたし
地方ごとにでも「全滅」したことなんてまずない。
大地震があっても。
今カップヌードル食べてるよりかは「ある意味」
まともだったとは言えるのだけどね。

681 :
江戸期の農村の暮らしは、戦国時代よりマシになったぞ
年貢も織豊時代は6-7割だけど江戸時代には4-5割に”減税”された(室町時代は3割以下だったけど……)
特に島原の乱以後、政府(藩)方針が百姓撫育になって締め付けはなくなり
つか寛永の大飢饉時に換金作物禁令だされたり、当時の農村では自ら金儲け作物作付に移行してた状況が伺える
(食うのにカツカツだったら、そんな余裕はないでしょ)
それに飢饉飢餓の影響は一時的なものだよ
例えば天明の飢饉で仙台藩陸奥領人口は502124人(1781)から409632人(1789)と減少してるけど
20年ほどで元に戻ってる(で天保の飢饉でまた同じくらい減るけど同様に回復以後増加してる)
つか1920年頃まで死亡率は農村より都市部のほうが高い(東京の平均寿命が全国に追いついたのは1985年)
比較して悲惨なのは江戸庶民の食の方じゃないかなぁ……まぁそれでもいろんな食文化が生まれたけどね

682 :
悲惨なのは島津領だった奄美とか

683 :
吉宗は安倍川餅のファンです。

684 :
>>681
それ天領のことじゃないの?>年貢

685 :
>>684
”年貢率”に関しては天領も藩もほとんどかわらないよ
例えば島原の乱の起きた島原天草も”名目”五公五民(でも実質石高が半分だからほぼ10割だけど……)
つか江戸時代って藩主は絶対権力者じゃないから重税は難しかった
一揆逃散は3000件以上おきてて、藩主が改易されたこと(堀田家1652)もある
まぁ生産者が認定された(検地)ことで、農民の権利がより強くなった時代でもあるのよ

686 :
ただ、同じ藩内でも年貢率が違う、ってのがよくあった……
つまり年貢というのは「為政者と生産者との直接契約」だったわけで
情報統制して他所の情報がなければ税率高くてもわからない(不満がでない)
だから江戸時代では領主が他村同士の結婚を禁じる事が多かったよ

687 :
仙台藩みたいに、年貢以外の米も藩札で買い上げて
農民はねったに米を口にできなかったって美味しんぼで
伊達の当主が言ってたけど

688 :
>>687
藩が買米政策強化しようとしたら仙北諸郡一揆(1797)起きてうやむやになってるよ
…だから「買米制度で米が食えない」ほどのヒドイ状況とは思いにくいなぁ……

689 :
>つまり年貢というのは「為政者と生産者との直接契約」だったわけで
>情報統制して他所の情報がなければ税率高くてもわからない(不満がでない)
これは半分本当
領地を持つ者がそれぞれ村人と契約して年貢を徴税してた
だから同じ藩内でも領主が違えば税も違う。
その結果、税が重い土地から村人全員が隣の土地へ移住すると言う事が戦国時代には頻繁にあった。
当時の農民はフリーダムで土地にこだわったり、領主に無条件の忠誠を誓っていた訳ではなかったりする。
そこで藩主が税を一律に管理するようになった。
税が重くて農民が居なくなると藩全体の生産力が落ちるからね
江戸期の税率の違いは大方「土地の生産力」にあわせたモノなんだよ
あまり米が取れない土地では税率3割とかもあるし(その上でさらに免除とかもある)
生産力の高い土地だと税率7割とかもある。
農民が食って生けるだけだけ残しておいてやろう、ってのがこの年貢の税率の決め方。

690 :
>>689
>農民が食って生けるだけだけ残しておいてやろう、ってのがこの年貢の税率の決め方
元禄5年佐渡で検地があって二万三千石から四万石になって”7割もの増税”になったけど一揆は起きてない
これはその時の検地が”農民の自己申告の集計”
年貢払うと新規開拓地に合法的な所有権が認められるので農民のメリットも大きいから
7割もの新田が”発掘”されたわけなんだけど
つまり課税基本は青色申告で、決して「生けるだけだけ残しておいてやろう」なんて要素はないよ
「時代劇の悪代官のイメージ」がそのまま本当の歴史と勘違いされてることが多いよね
私的な課税がバレて切腹した代官もいるし、検地せずに村々で宴会ばかりしてたら村人に密告されて改易になった奉行もいるし
”金”に関わることで公明正大でない場合、ってなのは江戸時代でもないよ

691 :
>>689
> 農民が食って生けるだけだけ残しておいてやろう、ってのがこの年貢の税率の決め方。
それは典型的な、明治後喧伝された江戸暗黒史観だな。
実際には江戸期の農民の税率は、明治時代よりずっと軽かった。
というか明治時代は恐ろしい超重税社会。

692 :
一気に近代国家になろうとしたからな。
とにかく金が足りなかった。

693 :
夫婦共働きで計800万の家庭があったとするだろ
所得税が23%、住民税が都道府県と市町村合わせて10%、
この時点でもう3割超とられてるわけですよ現代人も

694 :
そこを考えれば江戸期の百姓なんて、少なくとも天領なら実質税率10〜20%だからな。

695 :
すぐに話題が江戸にずれるのねここ

696 :
戦国時代と江戸時代と区別しない人が多いから説明に費やされる……
…だけでなく、食に関して発展したのは1600年代が多いので
どーしても江戸初期に言及せざるを得ない部分はあるよ

697 :
連続性という意味では記録が多い江戸期から推定する
のは有効だろうからね。
政治区分てのは今の教科書のため?であって
当時の人たちには関係ない。
過去を調べるのも大事だが江戸期との
連続性は大事だとは思う。

698 :
ただ、江戸期の史料を参考にせざるをえないのは仕方ないとして、
基本的には江戸初期に限定すべきだろうね。
江戸初期にも適当な史料が全くない場合は、さらに後の時代を参考にせざるをえないけど。

699 :
そういえば、うなぎを開いて焼くうなぎの蒲焼(大蒲焼)は江戸初期(寛永期)くらいには既に成立していたらしいが、
江戸期以前まで遡れるものだろうか?

700 :
うなぎ自体は縄文時代から食べられていただろう

701 :
秀吉の料理でうなぎが出てたような。
あとは調理法だけど室町からかなり工夫は
されてるから開いて焼いたりぐらいはしたんじゃないかな。
今でも海外だとブツ切りで鍋に入れたりするようだが
かえって野蛮だな。

702 :
江戸初期のうなぎの調理法は
丸のまま串に刺して焼いただけのもの
って剣客商売で池波先生が言ってた

703 :
寛永期の史料に、「大蒲焼」という、それまでの蒲焼と差別化している鰻料理が出現していて、それがどうも
ぶつ切りではなく開いた、現代でいう所の蒲焼だと比定されているらしい。

704 :
大体、蒲焼、という語源からして今風だもんな。
いかにも江戸になってつけられたって感じか。

705 :
蒲焼という言葉が最初に出たのは応永6年(1399)、鈴鹿家記に記載されたもの

706 :
それはそうだが、現在の蒲焼の原型は江戸時代からだ。

707 :
話が全く噛み合ってないな

708 :
9 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/07/03(日) 19:05:09.54 0
昔の田舎の子供は野鳥の鳥の巣を見つけてはね。玉子をおやつにしてたもんだ。今でもかな?
鶏にとってはヘビか人間の子供か?っていうくらい。迷惑な生きもんだったね。
あ、これもボブから聞いた話。

709 :
やっぱり日本の生活文化史が詳細にわかるようになったのって江戸時代以降なのね。。
 古代ローマとかうらやましい。。

710 :
話言葉もだぉな、昔はあんな漢文とかカナ文字とか
普通に読めたんだろか・・

711 :
古代ローマの生活文化が解ってるってなんの冗談だか。
あんあの平安時代よりももっと史料がないっつーの。
ほとんどは想像と妄想と推測の産物だ

712 :
>>711
ポンペイの遺跡からかなり詳細な資料が発見されている
当時の食事や食器なんかがきわめて良好な状態で残ってた
(食べ物は炭化したりさらには化石化してたりするけど)
一般家庭の家計簿やら居酒屋のメニューまで残っている始末
壁に娼婦が自分を宣伝した書き込みとかも残ってたり

713 :
「日本と比較して」って前提での話じゃないの?
何食ってたか、じゃなくて、どう調理して味付けしたか、というレベルの話だと
日本の場合は、ほぼ室町時代から江戸時代で確立したしねぇ
ローマの食文化で現在まで残ってる”味”は生ハムくらいな気がする

714 :
パックスロマーナとかパックストクガワーナみたいに
ある程度の長さの平和な期間が無いと、食文化とか発展しなさそう
戦争の糧食として瓶詰めや缶詰が生まれたりはしてるけども

715 :
>>713
>古代ローマの生活文化が解ってるってなんの冗談だか
これに対してのレスだったんだが
レシピも意外と残っているものだよ
最古のものはバビロニアで見つかった粘土板に
古代ギリシャ料理のレシピ集もあったがこれは全て失われている
古代ローマでは『農業論』
現存するものでは『アピキウス』。西暦4年か5年に書かれた物と言われている。

716 :
大阪城屏風にはアワビとかはっきりえががれてるもんね。
面白いのはうどん屋の最古の記録じゃないかっての。

717 :
(´・ω・`)年収三百万なのに三割も税を取られる。
(´・ω・`)必要経費を除いたら何も残らない。

718 :
>>712
葡萄酒に海水を混ぜるのがはやってたらしいな。
後世のパリではセーヌ川の水を混ぜるのがはやってたらしいが(ゲーテ談)

719 :
産業革命時のロンドンでエールにテムズ川の水混ぜて飲んだら間違いなく死ぬな

720 :
(´・ω・`)健康なら古代の生活も良さそうですね。

721 :
>>718
古代ローマではワインは「食事の時に飲む長期保存の利く葡萄ジュース」扱いで、
ワインを飲んで酔っ払うのは蛮族の所業でしたから
飲む時に水で割るのは常識です

722 :
古代ローマのワインって今のとは違って
>>715にもでてる農業論に従うと度数が20〜40%のものができるからなぁ
ちなみに古代ローマじゃ水だけでなく蜂蜜入れて甘くすることも多かったよ

723 :
鉛の容器に貯蔵していたために鉛中毒になって滅びたんだよね。

724 :
鉛の容器に貯蔵していたために鉛中毒になって滅びたんだよね。

725 :
”だいじなこと”らしいけど、古代ローマでは高級品はアンフォラ、安物は普通の壺にワインは入ってたぞ
鉛なんてどこから出てきたんだ??
…つか、かなりスレ違いだな……

726 :
>>725
>>724はダウト
>>722と被るけど、古代ローマでは葡萄の果汁を青銅の容器の内側に鉛をコートしたもので煮て作る
サパと言うシロップがあって、ワインに入れたり殺菌作用があることから果実を漬けたりするのに多用された。
酢酸鉛を始めとする鉛化合物がたっぷり入ったシロップを多用するとどうなるか、という説

727 :
室内・インテリア・家具・生活用具の歴史
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1322486111/l50

728 :
昔の人は(日本含めて)だれもが鉛過剰摂取……鉛中毒で滅んだ文明はないな
つか鉛って現代人でも一日15-25μgは摂取してたりするしなぁ
英文しかなかったけど、日本でも江戸時代の人骨から鉛被曝のヒドイ状況が伺えるやつを
戦国時代も同じような状況じゃなかったんじゃなかろうかねぇ
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0305440310002682

729 :
英文読めないけど、大名屋敷の女子トイレからのみ見つかって
白粉に原因があって、これがR幼児の発育に大きく影響を与えたのではないかという
話はあったね。
特に徳川将軍家が顕著か・・

730 :
東京の老舗
http://www.hanpen.co.jp 日本橋神茂
http://www.sasanoyuki.com 根岸の豆腐料理屋

731 :
>>729
白粉の鉛?

732 :
>731
今は禁止されているけど、鉛白(塩基性炭酸鉛)を顔料として使ってたんだ
今は酸化亜鉛を顔料に使っている

733 :
鉛毒で役者がボロボロになったらしい。
エロ時代

734 :
とすると遊女がボロボロになるのもそういうところに
遠因があったのか・・

735 :
栄養と衛生が悪いから

736 :
昔のおしろいは鉛のと水銀のがあってね
どっちにしろ毒だわな
>>733も書いてるけど歌舞伎役者が手足切断しなきゃならなくなったり大変だったそうな

737 :
農耕・酪農・牧畜の歴史・社会史・文化史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323952793/l50

738 :
金粉ショーが流行った頃に急性で呼吸困難に
なったとかあるけど、超短期の即効でもあれだし
長期だともっとどうしようもないんだろなぁ。

739 :
金粉のは窒息でしょう
毒じゃないよ

740 :
はいはいひふこきゅうひふこきゅう

741 :
>>738
あれは、都市伝説のはず。

742 :
>>741
いや、わしらがガキの頃に問題になってたのは覚えてる。
その頃はまだそういう噂系の伝説とかはない感じの時代。
3時のあなたみたいな普通の番組でもそういうショーみた
記憶があるもんな。

743 :
哺R類における経皮呼吸(percutaneous respiration)の酸素吸収量は
肺からのものの1%未満なので”窒息死”はありえない
…けれども、ほぼ全身タール塗布で発汗阻害等の結果、熱中症で死亡した例がある
つーか、江戸時代の鉛中毒とはまったく無関係だろ
「骨に蓄積された鉛量」での研究の話だし

744 :
最近は江戸幻想を叩くのがトレンドだね

745 :
>>742
窒息死ってのは007から広まった都市伝説だと思います
金粉を塗ると体温がうまく放熱できなくて具合が悪くなると聞いたことがあります

746 :
人間と他の哺R類との違いには色々ありますが1つあげると、体温調節機能の優秀さが上げられます。
他の動物は人間ほど長時間運動できません。排熱が上手く行かず体温が上がりすぎるせいです
モンゴルで行われる長距離競馬では体温の上がりすぎで馬が死ぬと言われています。
逆に死ななかった馬はまじめに走らない馬と見なされて殺されるとか
体に金粉を塗ると汗腺がふさがれて体温調節が出来なくなります
排熱機能に優れる生き物がこうなるとどういうことになるかは自明です

747 :
>モンゴルで行われる長距離競馬では体温の上がりすぎで馬が死ぬと言われています。
>逆に死ななかった馬はまじめに走らない馬と見なされて殺されるとか


どっちにしろ死ぬのかよwww馬カワイソスwwww

748 :
>>747
欧州の魔女裁判を思いだしたのは自分だけではあるまい。

749 :
>>>748
モンゴル競馬で30km以上走らされるのは6歳以上の去勢馬(イナヘス)
レースに出ようがでまいが”処分”されてしまう馬のレースだったり
逆に種馬(アズラガ)は28kmレースと短い距離で大事にされます
ちなみにモンゴルの人たちは馬をとても大切にしますが
自分ちで飼ってる馬に名前なんてつけません
たぶん日本の”車”感覚、残酷とかそう見るのはちょっと気の毒……

750 :
>>748
水没してRばよし。
水没しなければ魔女だから死刑とか。

751 :
>>(´・ω・`)年収三百万なのに三割も税を取られる。
 うそつけ。
 その年収なら税金無しのはず。

752 :
植物と人類の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1329082197/l50

753 :
>>751
もっと年収低いがばっちり取られてるぞ
ある程度は還付されるが

754 :
>>726
ベートーベンが難聴になったのは鉛で煮たシロップでワインを甘くし続けたから、
って話があるらしいね

755 :
>>157
天然物がうまいっていうのなら、
現在の野菜や米、家畜などなんて食べられないね
狩猟採集生活に戻るしかないですね

756 :
草しか食ってない牛の肉なんて考えるだけでまずそうだしね

757 :
生活習慣病に関して「食生活の欧米化にともない増加した・・・」とよく書かれているが、
こと高血圧に関しては日本の伝統的な食生活のほうが危ないよね。
塩分過多になりがちだし。

758 :
当時は牛肉は栄養補助食品みたいな扱いだろう。
食べるとしてもごくわずかな量のはず。

759 :
草しか喰ってない牛の方が美味しいんだよ

760 :
高血圧の原因は 大きくは遺伝要因と過剰な塩分摂取 なので
あんまり食事の西欧化(特に肉)は無関係だと思うんだ……

761 :
近年の日本向けでない元々のオージーは牧草飼育なんだが
味は・・・ニオイも・・・

762 :
牛を味付けしないで食べると、たまにトウモロコシの味がする

763 :
>>759
ワロタw

764 :
家康なんて異様な味噌好きだったようだが
高血圧にはならんかったのかね。

765 :
そんな史料はない

766 :
人の血圧測定始まったのは19世紀だから、さすがに”資料”はないだろうな……
ただし(高血圧症による)中気や卒中という症状は当時の漢方にもあったよ
で、具体的な血圧はわからないけど、徳川家康愛用と言われる「無比山薬丸」には
地黄など血圧血糖値降下作用があるものが入ってるので
今で言う「生活習慣病」を自分で意識していたことは十分有り得ると思う

767 :
>>765
尻から味噌が出るほど味噌好きだったんだよ

768 :
>>767
それ面白いと思って言ってるの?

769 :
うん、面白いと思ってるw

770 :
なら教えてあげるけど言うほど面白くないよ?

771 :
>>770
なんかワロタ

772 :
信玄は高血圧。謙信は低血圧。
ところでですが、海魚を生で食い、川魚は火を通すって慣例というか食の安全に対する知識は戦国時代にはあったのでしょうか?

773 :
全くない というか川魚の生食は普通に行われてた(海魚より新鮮だから)
海魚は基本塩漬干物(輸送時の保存のため)
漢方でも寄生虫って概念が薄いので、当時の人は危険と思ってなかった
まぁジストマ(中間宿主が川魚)なんて発症まで数十年かかるし
ヒト回虫なんて「共生」とも言える状況だったしねぇ……

774 :
>>772
謙信は大の酒飲みで
酒のアテは塩と梅干な人だぞ

775 :
謙信は高血圧が元で死んだようなものでは?

776 :
>>773
なるぼど、ありがとうございます。臭い川魚を生で食えるのはスゴいですね。
>>774
>>775
謙信は朝型の便所で踏ん張ってたらぶっ倒れた。これって低血圧に多いって聞いた事がある

777 :
重度の痔持ちで踏ん張った勢いで大量出血し血圧が一気に低下して
ショック死した

778 :
脳梗塞なら低血圧だと減る、って研究が日本であるよ
高血圧かどうか、は別にしてね
痔の出血で死んだ人、ってのも聞いたこと無いな
あれって内核に溜まった血が出てくんだよね、量が多くて驚くけど……

779 :
脳溢血って高血圧に多いだろ。

780 :
謙信って婦人病だったかもしれないよな。卵巣癌とかさ、だって女だろ、

781 :
はいはいゲーム板から出てくるな

782 :
>776
中国で宋代に川魚の刺身(たぶん鯉)がさかんに食われてたらしいが
臭みよけに専用の酒を飲んだり柑橘類の果汁であえるとかしたらしい。
こっちの戦国時代はどうしたんだろ?

783 :
>>782
>>5

784 :
江戸中期以前の刺身は酢だね

785 :
>>782
>>784
どうなんだろうね…。光秀が家康接待用の魚を腐らせた、みたいな話があるけど、この魚もやはりでは川魚?フナとかコイだったのかなやはり…。そもそも川魚を刺身で醤油に浸けたかも疑問…

786 :
醤油を生魚につける習慣、てのは大量生産始まった江戸時代じゃないかなぁ……
(当時では超高級品で”ヅケ”なんて出来ないと思う)
中国では刺身を魚鱠と呼んでて、明代の本(本草綱目)には「ニンニク生姜酢からしをつけて食べる」とある
たぶん日本でも似たようなものだったかと
で、当時琵琶湖は海扱いで、そこで取れる魚を光秀は出したんじゃないかな
「腐った魚」は鮒ずしって話もあるし

787 :
江戸中期より以前は、刺身は塩を利かせた酢に醪を混ぜたタレで食ってたらしいな

788 :
生魚酢で食って旨いか?

789 :
炒り酒だろ

790 :
>>788
今でもコハダとか鯖とか酢〆のこってるじゃん

791 :
北条氏政が飯にかける汁の量がなかなかわからず
それを見た氏康が嘆いたという話は有名だけど、
氏政が食べていたものは今でいう汁かけご飯なわけ?
それとも湯漬け?
汁かけご飯だったらどうしても
「いい大人がはしたない・・・」と思えてしまうけど
当時は大人、それも高貴な身分の大人が普通に食するものだったの?

792 :
汁かけ飯。汁かけ飯は八代将軍足利義政は広めたともされるもので、当時の大名も当然これを食した。
それだけに早くから汁かけ飯の食べ方にもマナーがあり、汁は吸わずに
箸でコメだけをすくって食うものだった。
ちなみに汁は味噌汁ではなく出汁汁。

793 :
>791
かなり昔、某国営放送で足利義輝が三好三人衆&松永久秀に
招かれた宴会の話があったが、三献の儀の後最初に出たのが
汁かけ飯で、大きな深皿に中が窪んだドーナツ状に飯を盛り、
別の深皿に二種類の汁が用意されてるというものだったな。

794 :
この汁かけ飯の汁でご飯を炊くようになったのが後の炊き込みご飯

795 :
>>792
出し汁だったら今の感覚ではむしろお茶漬けに近いものじゃないの?

796 :
>>787
戦国時代は?

797 :
>>796
似たようなもんだろ。

798 :
剣客惣菜(江戸時代)って番組で、ハゼの刺身、ってのを再現してた
http://www.jidaigeki.com/forum/sozairecipe/recipe13.html
刺身に醤油、ってのが一般的になったのは、けっこう近代になってからの模様

799 :
「煎り酒」っていう日本酒と梅干を使った調味料があって、
江戸時代の半ばくらいまではそれで刺身を食っていたらしい
タモリがテレビのロケで試してみて「ああ、これは刺身に合うね」って言ってた
でも戦国時代当時はそこまで日本酒も一般的ではなかったか

800 :
まだ食生活は貧しかったんじゃねえかな。それでもさ、雑穀米入りの飯だろ
梅干しだろ、肉、魚は干したのが中心だったはずだ
保存技術がなかった当時で。生野菜はふつうに食っていただろ。
調味料はまだ醤(ひしおと読む。米や麦、豆などを発酵させてから塩を含ませたもの)
だったんじゃねえか。ちなみにこれからとれる汁が醤油なんだけど。
もともと、武家と公家は食事内容からして違っていただろ、ひとつに平家が源氏に負けたのは
その貴族趣味の食事にあったとされている
まだその伝統をひいていたんじゃねえかな。戦国時代だろ、だってさ。
公家の伝統食を述べると数種類の干し物、白米だった。

801 :
ニュクマムっていう魚醤が東南アジアにあるの。でもね、日本では穀醤が発展していった。
味噌は室町時代からあったはずで、建長元年(1249)信州の禅僧、覚信(かくしん)が金山寺味噌
の製法を持ち帰って、溜り醤油ができたらしいけれど、普及はどうだろね
一般的にはまだ味噌、醤油未分化の醤じゃないかしら。専門家がいたら
教えてもらえると思うけれど。俺も調べただけだから


802 :
戦国期の史料が無い場合は、室町期と江戸初期を比較して、
その差分で想像するのがいいな。

803 :
一次資料がない分は語ってはいけないがこの板の掟

804 :
>>801
口伝だと鎌倉時代には発明されてる(たまり醤油)
まぁ16世紀に紀州湯浅から大阪に出荷した記録は残ってたり日葡辞書に載ったり
戦国時代に商品化されたのは確実かと
http://www.yuasasyouyu.co.jp/mottsiritai1.htm
でも当時は”超高級品” 庶民はめったに口にできなかったと思われ(生産量から推察)
江戸期になって関東(下総銚子)で生産が始まり濃口醤油発明(1697)されてからが
本格的な醤油の一般化の始まりではないかと
http://www.yuasasyouyu.co.jp/mottsiritai1.htm
それに対し魚醤は、しょっつる(秋田)いしる(能登)いかなご醤油(讃岐)全部江戸期になって製造が始まってる
…日本では、伝統的に魚はR酸発酵が普通なんだよな……

805 :
>>803
アカデミックな研究者でもやるのに

806 :
>>803
あんまうるさく言われてもさ、でもごめんね、一次資料といわれると焦るかな
出典は一次でなかったかな、ウィンペギア、ちょっと違った、ネットの百科事典で二次だろ
一次は信長公記とかと思うけど、ここに乗っけた資料の元は二次いいとこかなあ
スイマセンデシタ
>>804
ありがとう、鎌倉時代あたり、平安の食生活を調べた経緯があったの。
感謝します。

807 :
食い物に関して言えば、すべて一次資料を揃えるのは無理難題
たとえば「水飴」 
日本書紀の時代から記録に残り平安末の京では店頭で売られてたけど
お菓子(固い飴)となって広まるのは江戸時代(砂糖が庶民に広がるとともに定着してる)
じゃぁ鎌倉室町戦国時代には実際にどのように水飴が使われていたか、なんて
一次資料なんて全然ない(推察するしかない)
まぁ現在の「食」の始まりは17世紀に入ってからが多くて、それ以前の食い方なんてさっぱりなんだよな……

808 :
食い物スレだから一次資料じゃなくソースって言うべきだったな、、、
失敗した。

809 :
戦国時代の庶民は犬や猫もやはり食べたのか興味ある。徳川綱吉までは普通に食ってたのかな?
だけど、古代の天皇で犬は食うな、って御触れを出したような天皇も居た気がしたが…?

810 :
>>808
>食い物スレだから一次資料じゃなくソースって言うべきだったな、、、
アホか。
まったく違うじゃないかよ

811 :
>>809
なんか微妙な違和感あるけど、明治維新まで「肉食は薬(滋養とか医療、朝鮮人参と同じ扱い)」であって”普通の食事”ではないよ
で、それを踏まえて、「日欧文化比較」(フロイス1585)には
「彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」って書かれてる
というか、「犬追い」(広場に犬を放して射る)の後、死んだ犬は料理されて皆で楽しむ
とも蔭涼軒日録に書かれてるから、武士文化の中に犬を喰う習慣は存在してた
猫肉は、幕末には店頭に並んでいた記録がある(戦国時代に忌避されたと推測はできないと思う)

812 :
天武天皇だよ、675年にだされている。(日本書紀)
後、大仏様のときに期限付きで出されているね
 詔諸国曰 自今以後 制諸漁猟者 莫造檻穽 及施機槍等之類
  亦四月朔以後 九月卅日以前 莫置比弥沙伎理 梁
  且莫食牛馬犬猿鶏之宍 以外不在禁例 若有犯者罪之
読んでもらったらわかるけど、鹿とイノシシがなぜかぬけているよな
後農耕期間に限定しているんだよね

813 :
>>811
獣肉ってのは薬みたいなイメージだったんですね…。熊の手とかも中国だけなのかな?昭和初期でも熊を食ってたみたいだし、戦国時代の熊肉も薬かもね。秀吉の虎みたいに。

814 :
>>812
犬をペットとしてた天皇って誰でしたっけ?雄略とか応神?シロだったか名前のある犬。
つまり、犬は日本では初めからペット扱いでしょうか?

815 :
>>813
熊掌(熊の手)は孟子も大好きだった珍味
でも日本では食用されず安産の御守として使われてたくらい
ツキノワグマの手は小さいので食材としてむいてなかったのよ
で、秀吉の虎肉話は、江戸時代の作り話ではないかな
虎皮の献上はあるけど、肉は当時の正式記録がないのよ
ちなみに漢方では虎骨、虎肝、虎鞭(ペニス)、虎睛(眼)、虎血、虎脂なんてあるけど
肉そのものは薬としては使わないよ

816 :
犬はもともと人間様のお友達で縄文時代あたりはほんとに大事にされていたようだ、
しっかり埋葬されているの。弥生時代になってくると出土もバラバラで食用に転化したね
「元犬」って落語あるけど、お前の言うのはこれ?
宮中でも猫はうちで、犬は外でよく飼われていたよ。
聖武天皇が新羅よりチンを二頭送られている。これが狛犬の発祥らしいけれど
名前までは知らない。「続日本紀」室内犬はこれがはじめかな?
「国々に犬飼部を置く」という文章が日本書紀にみられることから奈良時代には犬のブリーターらしき官職もあったらしいね

817 :
江戸時代初期の江戸の庶民の冬のご馳走は犬鍋だった
冬になるとみんな捕まえちゃうから江戸の町から野良犬が消える代わりに
家々から犬を煮る悪臭がしたと蜀山人だかの作品に残ってる
綱吉の生類憐みの令はこの悪臭が原因っていう説を唱える人までw

818 :
>>817
江戸から犬が〜云々てのは蜀山人じゃなくて
大道寺友山重祐の落穂集だね
「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。
若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、
冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」
(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、
下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、
見つけ次第撃ち殺して食べたからである。)

蜀山人の方は一話一言補遺の中で薩摩のえのころ飯の紹介してるね

819 :
なるほどですな…。犬はまた狩猟道具として使われてたイメージもあるし。猪や豚やらを追いかけるための道具で。
だけど戦国時代なら狼になるのかな?日本狼も犬扱い?

820 :
と言うか日本狼は食用にされ過ぎて絶滅したんだろうな。

821 :
家犬も相当いただろうから、食うには困らなかっただろう
むしろ骨が信仰の対象になってたってほうがなんかそれらしい

822 :
古事類苑データベースで飲食部が公開されてるぞー (^o^)ノ
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/

823 :
>>822
こんなサイトあるのか。すごいなPDFまで付いてる。

824 :
>>822
情報感謝

825 :
戦国時代は寿司は安かったらしい

826 :
ドラマでフナずしが出ていたが

827 :
なんかこの当時なんかは麦飯や味噌汁なんかも贅沢品だったらしいと
聞いたんですが、本当ですか?

828 :
そういう訳のわからん史観をどっから得てくるんだ。
極貧史観か?

829 :
麦はともかく豆味噌は江戸時代に比べれば贅沢品だわな

830 :
味噌なんか大豆茹でて塩と麹混ぜるだけなんだしね
もちろん質のいいもの作るのには手間隙かかるが

831 :
>>827
甲斐の記録だと
1505年(冷害と干害で不作)には米一升(甲州升大体30合)70文大豆50文粟60文稗50文
1512年(大雪で交通遮断)には米80文小麦70文塩40文
1516年(駿河との戦)には米100文大麦28文大豆60文小豆70文
1519年(永正の大飢饉)には米100文大豆70文粟80文
安い(豊作)時期だと
1515年には米40文大豆20文小豆32文粟20文稗12文
麦飯は大麦(この時代でも粉にする→小麦、そのまま使う→大麦、と区別されてた)で
値段的には米の3割の値段、大豆は米の5-7割、粟5-7割、稗3-5割、小麦9割、塩5割
そして味噌は大豆と塩の加工品
…↑を踏まえて、麦飯、味噌がそれぞれ「贅沢品」かどうかは、ご自身で判断を……

832 :
当時は舐め味噌から調味料の味噌への転換点だったのかもね

833 :
そばって奈良時代からあるみたいだけど、出汁がなんだったのか疑問。まさか味噌?
醤油は江戸以降として味付けや出汁は何だったんだ?カツオ出汁なんか既にあったの?

834 :
麺にしてないから
そばがきだから

835 :
今の鰹節の製法ができたのは江戸時代中ごろだけど、
それ以前から乾燥させた鰹を珍重していて、煮汁にしたり、兵糧にしたりしていたようだ

836 :
鰹煎汁のことか? 麺類に使われた記録はなかったと思うけど……
蕎麦に関して言えば、蕎麦切り(戦国時代成立)までは米の代用品(和名類聚抄は麦の扱い)だったので
米と同じ調理法(粥)の時代が長かったよ
そば粉が作られるようになってから(鎌倉以降)蕎麦がきや蕎麦焼き(麸の一種)に調理法が広がった
ところで、日本で一番古い麺と思われる索餅(さくべい)は、煮込みか茹でたのを醤(ひしお)や酢をつけて食べてた
たぶん昔の麺類(まぁ他には索麺くらいですが)はすべてこの食べ方だったと推察していいと思う
で、室町末(戦国時代)に「垂味噌」( 味噌一升に水三升入、もみたてふくろにてたれ申候也:料理物語)
「煮貫」(煮貫は 味噌五合、水一升五合、かつほ二ふし入せんじ、ふくろに入たれ候、汲返し汲返三返こしてよし:料理物語)
が発明され、江戸時代までは麺類といえば味噌(+鰹出汁)ベースだったよう

837 :
ふな寿司

838 :
奈良時代から魚醤があったらしい
大豆醤油のような万能調味料ではなかったと思うけど

839 :
貼るの忘れてた
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%A4

840 :
>>838
それは現在の「液体魚醤」じゃなくて、塩辛の類だよ
(もともと醤は塩蔵した発酵物を示していた言葉)
というか中国で魚醤が廃れ味噌(穀醤)に変わったのも
調味料メインな使われ方とは違ったから、じゃないかなぁ
で、中国では固体のまま使われた穀醤だけど、日本ではちょうど戦国時代に液体化が進んだ
(金山寺味噌→溜まり醤油、味噌→たれみそ)
だから今残る東アジアの液体魚醤のルーツは日本の醤油かもしれないよ
ちなみに日本の現在で言う「魚醤」(しょっつるとか)の発祥は全部江戸期に入ってから

841 :
「安土饗応膳」近江八幡で試食会
http://www.asahi.com/food/news/TKY201206200366.html
…このメニューって、なにが元ネタなんだろ……

842 :
ちょっと調べた所、「続群書類従」第663巻の天正10季安土御献立ってのが元ネタらしい。
国会図書館のデジタル資料で目録は見れたんだが、本編はそこに無かったので内容は分からん。

843 :
『信長のシェフ』って漫画がけっこうおもしろいね
現代の料理人が戦国時代にタイムスリップするんだけど、
戦国時代になかった料理を当時の材料で工夫して作ってたりして面白い
あと読んでないけど『秀吉の接待』って本に当時の饗応メニューが載ってたりするそうで気になる

844 :
>>891>>893
当時の食事の作法だよ。
当時は今と違って会食・宴席でもご飯をお代わりしていた。
そして招待した人間は、客にお変わりを勧める。
客の方は、最後の一杯という合図の意味で、汁かけ飯にする。


845 :
>>891>>893のロングパスに期待しておこう

846 :
宇喜多直家が丹精込めて作った手料理

847 :
直家の手料理・・・・・・・弟が兄と会うときは下着の上に鎖帷子着込んで
さらに丸薬を懐に入れてから出発したらしいが。
たしか直家って2,3年かけて交流して仲良くなった豪族を宴会に誘いこんで闇討ちにしたとか聞いたが・・・・
唐突に話変わるけどこの時代甲斐とか山のほうの人たちの主食って粟、蕎麦、キビとかになるのかな?
粟は粥や飯にして、蕎麦、キビは粉にして湯でこねて塩つけてたべるとか?

848 :
1515年豊作だった甲斐の食料価格は甲州升で一升米40文その時粟20文稗12文
市場価格からすると、ある程度ごはん主食だったと考えていいかと
ちなみに当時の粟キビ蕎麦は”粥”で食われてた(平安時代から変わらない)
戦国末江戸初頭に個人での石臼所有が広がってから”粉食”が広まったんじゃないかな

849 :
そうか石臼が普及するのは江戸ぐらいからなんだっけ、じゃあ江戸時代の年貢率がきつい
領地の農民たちより戦国時代の農民の方がまだ米が食えたのかな?

850 :
お酒はどんなの飲んでいたのかな

851 :
ザビエルが「酒は米より作り、その他に酒はなく」って手紙に書いてるので
米から作る酒、ってのが当時は一般的だったらしい
で、基本的に酒屋(蔵)で売ってる品は現在の清酒とほぼ変わらない製法で作られてた
ただ精米度合いが低かった(糠が残る)ので、味醂のような風合いだったかと
ただし当時でも超高級品だった僧坊酒(南都諸白)は現在と同じく透明度の高い清酒と考えられてる
で、庶民向け安酒として広くにごり酒(どぶろく)も作られてた
蒸留酒(泡盛とか焼酎とか)は、当時は「南蛮酒」のひとつ扱い(都でも1534に取引の記録が見られる)
焼酎(当時の呼び名は焼酒)は、ポルトガル商人が「日本では米から作る蒸留酒が飲まれている」と手紙残してるので
たぶん米焼酎のみ(ほかの焼酎は江戸時代に入ってから作られ始めた)
でも鹿児島の神社に大工が飲めなくて文句落書きしたり、けっこう庶民的飲料だったよう
というか、鹿児島では清酒作りは全く無く焼酎しか作ってなかったんだけどね……
もちろん南蛮酒にはワインや中国の薬用酒も含まれるけど、こっちは超高級品に分類されてたと思う

852 :
焼肉食いながら白飯うめえな・・・

853 :
肉には麦飯にしとけ

854 :
麦飯のが高い現代。
稗とか粟も下手すりゃ米より高い。
現代の米を石高に換算するとどうなるんだろう

855 :
麦飯って特有の臭いがあるので苦手。
刑務所の臭い飯ってのはこの麦飯臭からきているらしいな。

856 :
>>855
多分麦を水につけすぎてる。麦飯たく時は麦はあまり水に浸すな。
そして保存は冷凍で。
臭くない麦飯食えるぞ

857 :
レシピ見て炊いてるけど、臭い。
特に冷めた状態だとヤバイ。
チンで温め直すと更に激臭。
麦の含有量がやや多いのかも知れんが・・・

858 :
>>857
それなら麦が悪いのかもしれん。押し麦使え

859 :
>現代の米を石高に換算するとどうなるんだろう
よくわからないけど、戦国期の米一石を現在の価値に換算するといくらかという事ならここで解決すると思う
戦国時代と現在の年収を比較すると?
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1211559939/14

860 :
>>851
鹿児島名物、酒ずし用の酒は赤酒(醸造酒)だから
そうでもないんじゃない?
そもそも蒸留したらかさも減る品。

861 :
>>860
薩摩の灰持酒(地酒)は18世紀から作られはじめた(伝承)から
戦国時代には無かったと思うよ

862 :
>>857
麦飯が臭くなったこと一度も無いんだが。。
ちなみに、刑務所の臭い飯と麦飯には直接関係はない。

863 :
直江兼次みたいに塩だけで飯は喰えないし
三成のように『味噌汁一杯』で一日走り回るのは無理だな

864 :
>>861
へ-18世紀からなの、あんがと。
>>857
務所の臭い飯って、古米を使用してるからだと思う
昔は保存状態が悪いから、アンモニア臭いんだよ(実食経験)

865 :
今は、団体のヒステリーがあるからかまともな飯らしい。
ホームレスになるくらいならムショに入った方がいいレベル

866 :
>>865
カレーとか煮物とか、一度に大量に作った方が美味しい料理は
出所後に作ってみても再現できないらしい

867 :
刑務所の飯がくさいのは真横に仕切りも何もない便器がある横で食うからだと聞いたけど。
そういえば菜飯って当時は大根飯のことなのかな?
たしか中級くらいの武士は普段は雑炊、訓練がある日は弁当(握り飯)にする必要があるから
菜飯を炊いたとかあった気がするけど

868 :
菜飯ったら青物刻んで混ぜた飯だろ

869 :
>>868
いわゆる炊き込みご飯のことだよ>菜飯

870 :
>>866
あと味の素を大量に入れてるからなんだと

871 :
>>83
ただの湯じゃないのな
美味しそうだ

872 :
>>867
うーん
おあむ物語ですね
でも300石取りがそこまで貧窮だったのだろうか^^
作中でも聞き手の子供たちに今の若い連中は贅沢だっていって
子供らが婆さんまた始まったwwwって反応してるので
かなり貧乏表現盛ってるんじゃないですかね^^

873 :
>>867
菜飯はある種ごちそうなんでない?
>>83
足利義政が好きだったとか。
片栗粉か何かでとろみをつけて一種のアン状にした
のをメシにかけて食うとか

874 :
>>329
子孫の14代将軍も京都と江戸を往来中に各地にお菓子を食いつぶしてるな。
政治は慶喜に任せて自分は道中お菓子を食いまくり。おかげで虫歯が悪化して
死んだようなもんだ。
実は長州征伐も本当は献上されてくる西日本各地のお菓子を食いまくりが目的だ
ったんじゃないか?


875 :
>>874
江戸時代の虫歯って大変そうだなー。治療法って抜くだけなんでしょ

876 :
>>875
だろうな。むかしのハブラシって楊枝みたいなやつだったし。
メシ後に年寄りがお茶でブクブクってのは虫歯予防?だったんでない

877 :
田舎では数十年前まで人差し指に荒塩山盛りにして指でワシワシ磨いてたわ。
おそらく戦国時代でも同じ事をやってただろうな。一番簡便なやりかただし。

878 :
塩って研磨剤として優秀だよな
琺瑯鍋磨いたら良く落ちる上に傷つかん

879 :
>>875
江戸っ子はマメに歯磨きしたって話だけどな
江戸っ子にとって"臭い""臭う"は最上級の屈辱だったらしいから
風呂や歯磨きはマメにした
歯磨き粉なんて何種類もあったからな

880 :
一方で入れ歯(木製)の技術もあの当時は発達してたみたいで。
あれが欧州にあればルイ14世ももう少しまともな食生活できただろうに
しかし何にしても日本人は木を使った工作はうまいみたいだ、

881 :
臭いというのにはかなり寛容とか
思ってたけどそうじゃないのか。
昔は普通にくさかったろうけどなぁ。

882 :
江戸時代の江戸に関して言えば一日に何度も風呂に入れたからね
それ以外の場所は風呂は集落中でもらい湯をしあうものだったらしい。
衣類に関しては綿入れは温かいけど基本洗えないので臭うと文化人類学の雑誌に乗ってた

883 :
歯が痛くて切腹したやつもいると聞いたな。
ところで話は変わるけど、かき氷って戦国時代では何をかけたの?シロップなんて最近でしょ?ただ氷を砕いて夏に食ってただけ?それとも何かをかけて味付けしたのかな?

884 :
氷室の氷なら平安時代は酒にいれたりしてたそうだが

885 :
甘葛(あまづら)
でぐぐれ

886 :
水飴もあるでよ

887 :
カキ氷は平安時代しか記録ないんだよね。京と江戸の違いかもしれないが
江戸時代には冷水売りというのが砂糖水を売っていた
一般庶民が氷を口にできるようになったのは明治20年前後からだね

888 :
冷蔵庫の普及はもっと遅くからと思ったが。

889 :
>>887
「ひゃっこい、ひゃっこい」が売り言葉
椀に白玉団子と水を入れてお客の注文に応じて砂糖を入れる

890 :
ちなみに「ひゃっこい」
は奴言葉
いまでいう不良の言葉

891 :
衛生的でない冷や水もあったらしく、「年寄の冷水」の語源になったとか

892 :
>>888
製氷機が登場したのが16年。氷を使った冷蔵庫が普及するのはずっとずっと後年です

893 :
製氷会社から氷買ってきて
石綿つかった箱にいれて、な冷蔵庫だから
衛生的な氷は中々

894 :
軽トラかミゼットの氷屋のおじさんが、ノコで氷を切り売りしてたな。

895 :
江戸時代に加賀藩が飛脚で将軍家に届けてた氷はかき氷用じゃないのかな?

896 :
届いた頃には、カケラが少し、って状態ね。

897 :
それは御下げ渡しの氷な

898 :
>>880
江戸の入れ歯は咀嚼用ではなく見た目を綺麗にするため
木工で物は噛めないよ

899 :
>>898
木製義歯のほうが上だったみたいですけど。
入れ歯昔話
http://www.geocities.jp/dentist_ks/irebamukasibanasi.html
歯の博物館
http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/seiyougishi/seiy3.htm

900 :
馬琴も甘いもの好きだったのか

901 :
戦国時代に蛇は食っていたのでしょうか?

902 :
何を持って食べていたとするかによる。
一般的な食材ではないはずだけど、今ほど忌避されていたとも思えない。
昆虫食と同程度の受け入れ方だと思うけど、
身分や地域、困窮度によってまちまちじゃないだろうか。
誰かの日記で、蛇を食う話に対する感想か何か書いてれば一番いいんだが。

903 :
あの時代だと「長虫」って書いてあるかも。
現代よりはよっぽど身近な生き物だったろうなあ。

904 :
>>902
俺もイメージ的に戦国の一般庶民レベルでは蛇を捕まえては食べてたと思うんだよ。蛇を祀り始めてからは食わなくなったとだけで。
文献とか無いのかな?秀吉や家康が蛇を食ったとか、蛇を揚げただの、刺身にしたなど…。実際に蛇は美味いって言うし。

905 :
>>904
焚き火にくべて丸焼きにして皮を剥いて食べたけどホクホクしてたんぱくで美味しかったぞ。
日本酒に良くあうよ。

906 :
蛇は火を通さないと寄生虫がヤバいけどな

907 :
>>905
小骨があるが、鶏肉みたいだって聞いた時ある。
まあ、昔の日本人は食ってたと思うんだけど、どうだか…

908 :
>>907
鳥のササミみたいだったな。弾力があるけどな…。

909 :
>>908
味付けはしたの?唐揚げでもいける?

910 :
少なくとも、海蛇は食べていたろうな。
マムシ酒なんて今でもあるぐらいだから、マムシそのものも
昔は食べていた可能性は非常に高いとは思うが。

911 :
沖縄の海蛇は燻製で持ってるな。
食べ方は知らないが普通の食材だったでしょう。
うなぎやどじょうを食べるからヘビだって
普通だって聞いたことある。
今でもゲテモノ屋行くとあるんじゃないか。
20年前にはハマスタのすぐ横にもあった。

912 :
>>909
塩胡椒して油で素揚げすれば小骨ごと食べられるよ。

913 :
>904
神話の時代から蛇は神として祀られています。
蛇に限らず、飛鳥時代あたりからあまり動物性たんぱく質はとってなかったんじゃないかな。

914 :
日本人の骨格が貧弱になるのは江戸時代からじゃなかったかな。
それ以前はそこそこ肉も食べてたかも。

915 :
昔からマムシそのもの(焼いて喰う)は薬だったよ
宇治拾遺物語の魚の干物の代わりに蛇の干物を売ってた物売りの話とか
昭和まで新潟の方で干物が存在したり、蛇を特別視する必要はないと思うけど

916 :
マムシ、現在でも酒につけてつかうよね?
使い道が判らなかったけどうちにもあった。

917 :
サンショウウオもじゃあ食ってたのかも知れないな。

918 :
さんしょうおは現役で薬として食ってるちほうあるな
オオサンショウウオはハンザキといって山の民の珍味として人気だったじゃん

919 :
>>913-914
室町期の実態がいまいち不明だが、少なくとも鎌倉期までは
肉食はよく行われていたよ。
ちなみに成人男性の身長は、古墳時代を頂点として、以降一貫して右肩下がり。

920 :
× ちなみに成人男性の身長は、古墳時代を頂点として、以降一貫して右肩下がり。
○ ちなみに成人男性の身長は、古墳時代を頂点として、明治前期まで一貫して右肩下がり。


921 :
サンショウウオはじっちゃんたちは普通に取れると食べてた。

922 :
井守は黒焼きとして今でもポピュラーだな

923 :
蛇、サンショウウオ、イモリは確定かもな。日本では鹿や狼なんかも捕まえては食ってたから絶滅した種も多いんだろうかな。
カブトガニも食ってたんじゃないか?

924 :
カブトガニはくえたもんでないらしいぞ
人気食材ではなさそうだ

925 :
>>923
そういうのを挙げるぐらいなら、過去ログみて豊富な昆虫食情報を探した方がいい。

926 :
>>917
北大路魯山人も食べていたよ。
>>919
室町幕府で将軍が幕府の関係者と会食するメニューは、
儀式的な意味もあるが、鳥・獣・魚がてんこ盛り。
生臭ものを一緒に食べて、禁忌をいっしょに犯して結束を固めるみたいな。

927 :
>>926
カラスなんて将軍家も食ったの?

928 :
>>923
カブトガニも食ってたんじゃないか?
あれは凄まじく不味い。その上異常に臭い。
マレーシアの海鮮レストランで珍しい食材として置いてあったので
食ってみたが、食えたもんじゃなかった。
一緒に食べた接待の華僑の人も嘆くほどだった。
ついでに犬も在日朝鮮人Rに食べさせられたが不味いなんてもんじゃないよ。

929 :
>>927
カラスは食わなかっただろ。
だって、うまいなんて話は聞いたことがない。


930 :
長野県だが戦前は食べたという話を聞いたことがあるな
骨ごとつくねにするんだとか
味は……どうなんだろ、うまいという話とうまくないという話両方聞いたことがあるけど
産卵落ちの鮭でもうまいっていう食糧事情だったようだし、話し半分だね

931 :
>>930
カラスを食ったと言う話は、初耳だわ。
ちなみにキジは美味いそうだ。

932 :
数年前にどっかの町で害鳥駆除したカラスを試しに食ってみたらあんまりうまくなかったという話を聞いた覚えがある。

933 :
町育ちじゃなくて山育ちのカラスは旨いって聞いた

934 :
>>930
カラス田楽というのがあるらしいな>長野

935 :
ムササビ食べたとか平安にあるから
カラスなら普通だろうなぁ。

936 :
捕獲はしにくそうだな

937 :
かすみ網か鳥もちを使うんだそうだよ、農村の食べ物だからね

938 :
スズメは今でも食べるし、カラスも食ってただろうな。

939 :
まお「まかせろ、アル!」

940 :
まぁ食えるものならなんでも食うわな

941 :
飢饉のときに食べた記録がある、というのと、
平時にも食べていた、といいうは、
ある程度は区別しておかないと話がグチャグチャになる。

942 :
長野のカラスは平時の話ね。
イナゴうまいですとか 蕎麦しか育たねえよ! という土地柄なので。

943 :
イナゴは半世紀前まで、全国で普通に食われていたよ。
もうちょっと他の昆虫挙げたらどうだ?

944 :
イナゴはとりあえず比較的裕福だと思われる播磨では60年前は普通に食ってたそうな
豊かになっただけでなく農薬で手に入らなくなったんだろう

945 :
タニシなんてのも普通に農村では食っただろう。タヌキやキツネも戦国ならば捕まえれば食ってたはずだと思う。
しかし、鳥でも鷹は飼い慣らしただけで、食わなかったんじゃないか?

946 :
君、推測ばっかりだね。
ちょっとぐぐれば分かる程度の情報は、確認をしてから、
だろうだろうばっかりにならないようにしたら?

947 :
トキは普通に食ってたみたいだな

948 :
鶴は大名の食事で吸い物とかにされて旨いとされてたんだが
興味深いのはローマ帝国でもうまいとされてたこと
大型の鳥で脂が乗ってたのかな

949 :
鶴、白鳥は、室町期に高級食材としてよく食べられていたみたいだな。
どちらも今の人間からすると、ゲテモノに近いように思えてしまうが。

950 :
昔は牛や豚を食うのはゲテモノだったわけで

951 :
都会で生ごみ食べてるカラスはまずいけど
山で雑穀あさってるカラスは割りとうまいと聞いたことがあるな
鶴は江戸時代も珍重されてて、将軍家とか一部の上流階級のみが食してた

952 :
江戸時代に鷹狩りで殿様から鶴を拝領したらすごい名誉なことだったそうだ。
その名誉を誇って刀の鞘に鶴の足を貼りつけた物がたまにあるけど
現代人の目から見たらちょっとキモい。
ttp://uploader.sakura.ne.jp/src/up108602.jpg
↑ここまでやるのはさすがに珍しいけど、よっぽど嬉しかったんだろう。

953 :
普通にいまのワニ皮みたいでおもしろいじゃん?
ちなみに由来とか元ソースとかはあります?

954 :
葵美術で売りに出てたのを面白いから保存しといたものだから
出自とかは不明なんだ。すまんね。

955 :
いえいえ御丁寧に
葵美術っておもろいすねw

956 :
トキはいま
汁のしたたる
五月かな

957 :
病んでさえいなければ

958 :
トキを食う
日本で今一番罰当たりだなw

959 :
平時と飢饉は違うと言うけど
農村なんかは常時飢饉状態だったろうから
そんなにかわりはないんじゃないかな。

960 :
>農村なんかは常時飢饉状態だったろうから
だから、単なる憶測で書くなって

961 :
イナゴなんて今でも捕まえて電子レンジで脱糞させて食ってるだろ

962 :
>>960
戦国時代は常時飢餓といってもいい状態だった
日記や記録にも飢饉の記録がわさわさ書かれてるし
寺の死亡記録にも端境期の夏に死亡者が増えるという飢饉時特有の傾向が記載されてる

963 :
飢饉(収穫が無い)と飢餓は意味違うぞ???

964 :
>>962
一行目から二行目に移る際、論理が飛躍している。
それなら、江戸時代も常時飢餓といってもいい状態だった、になってしまう。

965 :
わざわざ書くなら常態ではないとの解釈も可能だな
まあ階級にもよるからな
白米くうやつもいればその糠から澱粉とったものを食う奴もいる

966 :
いつもこういう話になるけど
藤木史観とそうじゃない系ときれいに別れるなぁ。
死亡者が増えるのを、飢饉と直接結び付けていいものかは
議論の余地がある。
単に寒暖の変化で爺婆が死んだだけかもしれないし。
人間はほかっといても死ぬからね。
農村なんかは採れる時はいいけどそうじゃない時もあるし
平時と言うのをどういう状況にするかで違ってくる。
電気が通る前の農村部なんて昭和になっても江戸、戦国とそう
違わないとは思うんだが、そういう体験者みたいな年配の人と
若い人で記録中心で認めないとか少しおかしな主張の人もいる。
話それるが、今でも農村暮らし体験ツアーなんてあるから
電気のない自給的な生活を一週間でもすればかなり
違いがわかるとは思うけどこういう話は荒れるから
やめた方がいいんだっけか。

967 :
読みにくい文だな

968 :
網野善彦が、「飢饉では、食べ物をお金で買う非農業民、飯米購入層が被害を受ける」って書いてあって面白かった
都市的な、商業的なところに起きるんだって

969 :
春飢饉とか都で記録されてても、元々都に住む貴族とか町人とか飢えた、って話はないんだよなぁ
都の死人はけっこう出てる記録はあるけど、当時は災害や飢饉で食えなくなった難民が
京都に集まってきて(金がなくて餓死する)事情もあるので、餓死者?数だけでは実情わかんないとは思う


970 :
>>966
藤木史観の独立したスレが必要なのかもね。
食糧事情以外についても、奴隷輸出の話とか、他の説とは
違いすぎるのが多くて、どう折り合いをつけていいのやら難しい。

971 :
>>969
ワラビとか山菜食ってたんでない?都の周りは山なんだし。
たしか足利将軍に天皇が「世間はワラビを探して血眼になっている、
いっそみんなワラビになってしまえ♪」
という詩を贈った話があったような

972 :
江戸の下級侍だって飯が食えなくて畑をやったり。
鎌倉の徳政令もあるが、武士ですらまともに食えないのが中世だな。

973 :
「武士は食わねど高楊枝」まさに侍

974 :
>>971
>ワラビとか山菜食ってたんでない?
それだけじゃ、季節が限られるだろ。
野草も虫も、田んぼの甲殻類、貝類など、いろんなもの食べてたよ。

975 :2012/10/24
カラス食レシピ
http://homepage3.nifty.com/hungryhunter/index_recipes.html#CROW
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