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2012年1月1期哲学21: 吉本隆明 2011 (431) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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22: 【サンデル】ハーバード白熱教室 その6 (803)
23: 共生という考え方 (100)
24: ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 (453)
26: 哲学的に死後の世界は実在する。 (85)

吉本隆明 2011


1 :11/09/23 〜 最終レス :12/01/03
1924年生まれ。
1950年代ー詩人として出発。『固有時との対話』(1952)『転位のための十篇』(1953)。花田清輝と
の論争。〈マルクス主義→日本ファシズムへの転向→マルクス主義への転向〉の可能の謎を思想。
1960年代ー安保闘争でブントに加担。〈大衆の原像〉〈個体幻想‐対幻想‐共同幻想〉のターム。
1970年代ー大学紛争、三島事件への発言。『最後の親鸞』(1976)で世界思想としての親鸞を提起
。フーコーとの対論(1978)。意志論の意味を提起。
1980年代ー埴谷雄高と論争。大衆の物質的豊かさをどう見るか。高度資本主義論。
1990年代ーボードリャールと対論。高度資本主義への視点。オウム事件への発言で物議を醸す。
《この境地でなければこれだけの「造悪」はできないはずだという評価になると思ってるわけです。
麻原のやった「造悪」と、この人のもってるヨーガの到達した境地と、パラレルだといいますか同じ
だと思います。》(『宗教の最後のすがた』1996)オウム事件を機に離れる愛読者(竹田青嗣など)
も現れる。『近代日本の批評』などで柄谷行人、浅田彰など、新しい世代に批判をされることが多く
なる。《用語が我流で、しかもそれが論理的につながっていない。最悪の意味で「詩的」に理解され
ていたとしか思えない。》(浅田彰)
2000年代ー『ひきこもれ』(2006)で一人になることの重要性を提起。講演CD『50度の講演』。
現在、2011.9月ー視力、体力が衰えるも思想活動は続いている。

2 :
 つい先日、池袋の古書店で状態の良い『吉本隆明全著作集(続)情況・情況への発言』があったの
で買ってきた。『情況』の冒頭は当時の東大紛争と入試中止に於ける東大教授たちの立ち回りの特
徴、変わり身の早さ、当初は学生との団交に応じていたのが議論が収束しないとみるやいきなり
機動隊導入し、学生に一向に話を通じさせられない身の程を知らないまま、なにがなんでも入試
だけはやろうとする奇妙な情熱に呆れ続けた、とある。吉本の切っ先は鋭く、当時の大学紛争論と
してはかなり良いものだったろうことが想像された。いまだに理に叶った論として読める。時代
変わっても何故か読めてしまうのが吉本情況論の凄さだろう。

3 :
前スレ
吉本隆明
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1284444977/

4 :
 オウム事件や麻原のことにしても、予め、‘あれは市民道徳に敵対するもので、いかにああいう
カルトを蔓延らせないかか、が一大問題’のような纏め方が多い中でほとんど吉本だけが根底的
解決ということを課題にし、語っていた。それは今の方がよりクリアに見えることだ。あの事件の
孕む問題をあそこまで〈存在の深さによって人間は変容する〉という言い方で出したのは吉本だけ
である。これも驚異的な読みだと言わなければならない。

5 :
>>4
意地で便乗しなかっただけ、としか思えない。

6 :
 まあそれもなきにしもあらず、だけど、でも『宗教の最後のすがた』(春秋社)みてると、それだけ
じゃなあく、やはり麻原の「造悪」の謎というのを、精神の「深さ」の問題として、受け止めているの
が分かった。あの本も、あまりまともに読まれなかったと思う。今読むと、オウム事件の根底的解
決としているだけあって、他のオウム事件本とは全く異なる。今読む方がそのことに気付かされ
るんじゃと思う。

7 :
>>6
絶版になってるし、近くの図書館にも置いてない。
amazonレビューには「弟子が感心してるだけ」とあるけど、読んでみたい。

8 :
吉本シンパは
インテリ崩れになっちまった貧乏な下層労働者が大半
おれもそのひとり
彼の思想内容自体には今から思えばさしたるほどのものはないが
その生き方や存在に助けられる

9 :
吉本の大学教授叩きに大衆化して非エリート化した学生である全共闘が追随した。
以後、大学で知的な教養主義的基盤が崩れ、現代に至る大学生の軽チャー化が進行した。
ってのが、もはや通説になりつつあるのだが、どうなんだろうね。

10 :
しらけ世代の大人たちが、映画や漫画やアニメに耽溺しつつも、
後ろめたさを感じながら生きてきたからかどうかはしらないけど、
今となっては漫画離れやアニメ離れすら起こっているみたいだからねえ。

11 :
そしてインテリ崩れたちと悩める社会人たちによる
哲学の再流行w

12 :
>>9
全共闘に対する影響力なんてなかったと思うけど。
むしろ、べ兵連のデモにすら参加しない非行動派の教祖にすぎなかった。
大学のレジャーランド化は生活水準の向上による結果であって、思想とは無関係。

13 :
KGBから金貰ってたベ平連w

14 :
「思想の自立的根拠」とか「共同幻想論」とかルみたいに読まれてなかったっけ?
大学解体とか言って大学教授を吊るしあげたりしてた連中が全共闘。
思想が影響なかったとも思えないがねえ。

15 :
たぶんこういうことじゃななかったのか?
ちゃんと読解して影響を受けたレベル→非行動の教祖に(ごく少数)
本棚に飾ってあったレベル→全共闘的なムード的行動派の教祖に(きわめて多数)
読んでも理解できず批判対象としたレベル→内ゲバに明け暮れる過激派に(絶滅種的に稀れ)

16 :
>>14
全共闘のスローガン・アジビラ・メンバーの手記に吉本用語なんか出てこない。
セクトでは、叛旗派の機関紙に吉本の名前がたまに出たけど、しょせん弱小セクトだし。

17 :
まあ、後から考えれば影響力を多めに感じるのかもね。
それと、どうしてもマスメディアとか文壇とかで目立つと皆読んでるような気になってしまう。
浅田彰「構造と力」が10万部で(累計ではもっと行くだろうが)、
そのうち何人読み通したのか知らないが、
それでもなんとなく浅田の時代があったように感じてしまうから。
それと一緒で。

18 :
>>17
そんな感じ。
「共同幻想論」はタイトルが魅力的で、売れたと思う。
しかし、当時の学生が求めていたのは、政治学的な国家論だったのに、
「遠野物語」や「古事記」が出てきて、唖然としたはず。
「擬制の終焉」や「自立の思想的拠点」もタイトルがよかった。

19 :
Wikipediaには、
『共同幻想論』が全共闘世代に熱狂して読まれ、強い影響を与えた思想書と書いてある。
羽仁五郎『都市の論理』のほうが影響ははるかに大きかったと思うけど。

20 :
 ‘過激派の時代に教祖だった’という話は一部じゃないかな。吉本は過激派の居る場所で当時
度々講演をやってて、その講演内容が冊子や本にもなってるが、ただ講演記録では本当の
ところは書かれてない。というのは当時の学生運動家から罵倒中傷され、壇上から降りて
きた吉本と掴み合いになることもおそらく珍しくなかった。猫々堂の『吉本隆明資料集47
』に「講演後の討論」というのが約30頁掲載されてる。そこでの学生からの罵倒中傷はひど
いものだ。参考に少し書いておく。
《学生E 現実的にね、社共的な階級闘争というものがあるわけでしょう?
吉本 そうかなあ、ぼくはないと思いますね。
学生E 大衆が一定の契機を掴んで立ち上がったとしてもね、ただ単に反体制的な行動し
か出来ないんですよ。
吉本 何、何、反体制な、なに?
学生E あんたはな、大衆の反体制的な後退的な意識に依拠しているんですよ。
吉本 何言ってるんだい、ぼくは少しも依拠なんかしてないよ。
学生E あんたはね、大衆はいつか立ち上がるだろうと…
吉本 いや、そんなことは言ってない。何言ってんだよきみは、よし、やろうか。(客席大
笑、吉本氏、椅子からやおら立ち上がり、背広を脱ぎ捨て、腕をまくる)
学生E 現実的に社会党の運動がある。そこでね、我々はそれを実践的に突破
していかなければならない。あんたは実践的なものを見失っちゃって…
吉本 何言ってるんです、あなた。
学生E 何を、どのように大衆を一定に統一するということね、そういうことを一切かなぐ
り捨てた時点において…
吉本 何言ってんだ、何がかなぐり捨ててだい、いつかなぐり捨てたんだい。よし、やろう
じゃないか

21 :
(続き)
学生H 人間はですね、考えただけではどうしようもないんですよ!(客席笑)
吉本 何を言ってるんですか、いいですか、観念の創造といいますがね、人間は現実的な
構造をもって生きてるんですよ。
(中略)
学生H 本学の竹内芳郎先生が、要するに知識人の役割ということでですね、知識人はもの
ごとを考えることが労働であって、ものを考えていればいいんだとー
吉本 ぼくはそんなことはちっともいったことはない。
学生H ところがね、いまの吉本先生の論理を聞いていますと、全く似てる!
吉本 いや似てない!(客席大笑)
学生H 吉本先生は観念の世界に閉じこもっちゃってるじゃないか。
吉本 冗談じゃないですよ、待ってください、あなた。冗談じゃないですよ、あなたはどう
しておれが観念の世界に閉じこもるなどと言えるんですか。
(中略)
学生H 要するにマスターベーションにすぎないじゃないか。
吉本 何を言ってるんだよ。何言ってやがんだ。
学生H 何だよ!(こののち、場内騒然となり、吉本氏と数名の学生の間に喧嘩腰の激しい
口論があったが、多くの発言は聞き取りがたい)
吉本 読んでるか、おれの書いたものを。
学生J そんなものいちいち読んでいられますか。
吉本 怠け者だよ、きみは。要するに。
司会者 みんな席に戻ってください。》
 これが珍しい事態だったなら‘教祖’も分かるが。

22 :
全共闘世代の批評家たちにいわゆる吉本派が多いじゃない?
また、全共闘世代じゃないが、柄谷行人も含めて後に批判に回ったようなのも含めて、影響力があった。
その後、80年代に糸井重里みたいな全共闘世代の表現者を擁護したから、なんとなく強い影響力を感じちゃうんだね。

23 :
>>20-21
カントとかヘーゲルに学生がそう言うならわかるけど・・

24 :
いかんともしがたいですな^^

25 :
最近のうちの会社のスローガン、
「共闘」なんだわ・・^^
なんだかなあ
by二十代の若手

26 :
吉本さん自身
いわゆる文筆によって名を売り稼ぐ知識人であって
一般サラリーマン・労働者(東大以下、大卒のほとんどがそうなる運命)
ではないことに矛盾がある
それはそれで構わないに決まってるが、
当時の学生の苛立ちと焦燥の矛先は、大学教員だけでなく吉本さんにもむかった
吉本さんを完全に誤解(あるいは自分たちとまったく同じ場にいてほしいという勝手な願望)
そもそもが彼は社共系の活動家ではない マルクスの方法論に影響を受けているだけだ 基本的にただの文芸批評家だ

27 :
「擬制の終焉」などは「全ての偽物を打ち倒せ!」みたいな純粋好みの学生に向けたスローガンとして受け取られた、と鶴見俊輔が言ってるらしいね。
全共闘は基本的に大学と大学教授を叩いたので、在野の吉本氏は逆に影響力を持ち得た。
全共闘は丸山真男を叩いたけど、吉本の「丸山真男論」などは影響力を持ったんじゃないですかね。

28 :
いやだから、60年安保のころの著述が全共闘期になって大ブレークしたわけだが、
当の全共闘学生に対しては吉本は至って冷淡な時評を書いてたわけで。
ただ、ベ平連よりは全共闘学生のほうが好きだとか、ともかく丸山以下、東大教授はなってないとか、
そういう論理というより情緒の部分が複雑に絡んでややこしいわけだ。
それと、全共闘世代の評論家などに影響を与えたというけど、その場合はまさに泥沼化した学生運動から
不毛なマルクス主義・主義から足を洗うにあたっての思想的正当化を与えてくれたということだろう。

29 :
猫々堂の吉本隆明資料集って吉本にちゃんとお金払うようになったの?

30 :
全ての偽物は学生の方だったというオチですね^^

31 :
あの頃全共闘の学生が教授に「アンタは専門馬鹿だ」と詰め寄ったら教授は「オマエはただの馬鹿だ」と応えたなんて話もある。

32 :
その精神的にどうしようもない当時のバカな学生どもが
社会の中枢にいるんだもんな
政治も財界も組合も学校もな
育ちが悪いんだよ 敗戦前後に生まれ価値の大転換がおこって大人に不審・理のないバカな反抗・ド貧乏が大人になって
高度成長期にさらされて急に大衆大量消費に入ってコロッとやられて社畜・エコノミックアニマルとなり
現代の若者には自己責任?論を唱えて説教して貶めておいて、ちゃっかり自己利益だけはきっちり確保  
確固とした理念も軸も何もなかったんだろ?結局。人生の意味もわかっちゃいねえ 
戦前世代のおっさんたちの方がまだまし。
老害はさっさと引退して消えてほしい。
吉本さんの名を語るな お前ら団塊は。

33 :
>>20-21
これは、国学院大学で70年頃に行われたものなのか?

34 :
>>27
60年安保闘争で逮捕された事実がマスコミに過大評価されただけ。
べ兵連すら罵っていた吉本に全共闘の学生が共感するはずがない。
吉本の主張を歓迎したのは心情左派・転向者・戦線離脱者だろう。

35 :
ベ平連なんてKGBの手先だろ。実際にカネももらっていたわけだし。

36 :
>>35
当時は誰も指摘してなかった。
今の知識で判断しては誤解の元。

37 :
60年安保の全学連も、右翼の田中清玄から資金援助を受けていた。
政治の世界では、敵の敵は味方。利用できるものは何でも利用する。

38 :
>34は違うんだよなあ。
まず、晩年になるまでは吉本がマスコミに評価されるなんてことはなかった。
それから当時は心情三派というのがあって、何にもわかってない学生たちの血気盛んさに眉をひそめつつも心情的にシンパシーを抱く「大人」は多かったらしい。
そういう心情部分の問題としてみないと全共闘や過激派セクトと吉本の深〜い関係はわからない。
よくも悪くも、市民派チックなベ平連から丸山真男までが、生理的に受け付けられなかったという、当時の日本的な原風景が感じ取れるかどうかだが。
21世紀の今では風景は一変しているんだろうけど。

39 :
 33の人、よく知ってるなあ。『吉本隆明資料集47』の記録によれば、1967年11月11日。場所は3
3の言うとおり国学院大学412番教室とある。
演題 人間にとって思想とは何かー『言語にとって美とはなにか』および『共同幻想論』にふれてー
主催 国学院大学文芸部
録音 若木祭実行委員会記録係
収録 『第85回若木祭・吉本隆明講演および討論の記録』
 どうも大学祭の講演会だったようだね。33の人は何故国学院大学って知ってたんだろう。この
ときにことはあの頃の学生の間では有名だった?因みにこのときの講演内容は『吉本隆明全著作集
14』(勁草書房)に収録されている。ただこれも今は古書店にしかないんだろうね。どうもこれまた
時の流れを感じさせる話だけど。

40 :
竹内芳郎というどこかで聞いた事のある人を調べたら
國學院で教えていたらしいことがわかったので、
33のようにかきました。
67年にはまだ生まれておりません。

41 :
>>38
しかし、小林秀雄の次の時代の文学のカリスマは誰かといわれれば好き嫌いは別として吉本を上げる人が多いだろう。

42 :
>>38
晩年?
1980年代に入って「共同幻想論」・「言語美」・「心的現象論序説」が文庫化された頃から、
「思想界の巨人」と言われるようになったと記憶してるけど。

43 :
あの頃の角川書店といえばまだ捕まって放逐される前の角川春樹の時代でアウトロー感覚で粋がっていたよ。
いわゆるマスコミといったのは大新聞とか、かつて朝日・岩波文化人と称された文化人グループのことだ。
吉本が早くから平凡パンチのインタビューは受けても、年取って朝日のインタビューなんか受けるようになったことが
それ以前からの読者には衝撃だったのだ。

44 :
産経が取り込もうとしたことがあったよね。
反社共、親原発、反朝日岩波ってことで一致できると考えたんだろう。
でも、オウムを擁護したり、とても一般マスコミが扱えるような社会の一般常識に収まる人物じゃなかったw

45 :
>>38
>>20-21を読めば、当時の活動家にとって、吉本もまた知識人の一人にすぎなかったことがわかる。
吉本の著作は全共闘世代の学生に読まれただけであって、全共闘の学生に読まれたわけではない。

46 :
>>42
吉本が国語の教科書に初めて載ったのはその頃かな。

47 :
公務員試験にも出たぜ
びっくりした
マルクスがどうたらとか・・
おいおいらしくねえじゃねえか役所はってね

48 :
>>45
それはちょっとずれる。やはり当時においては一番カリスマ性があったはず。
とくに全共闘=ノンセクト系の学生に受けていた。(それとちゃんと読まれたかどうかが別。)
ノンポリや引きこもりが吉本の読者層になるのは、ずっと後の時代だ。
それに対して、党派=セクトの活動家、すなわち社共系や革マル派の学生が吉本など読まないか反吉本だった。ブント系は親吉本だ。とくに叛旗派。
ただ、革マルの場合は吉本が気になってしようがないという感じで批判対象となる。それが國學院大學でのような反応となって現れたのだろう。
なぜかといえば、安保後の「擬制の終焉」の頃、吉本が最も先鋭な革マル批判とブント援護射撃をしていたからだ。
今の時代からは想像もできないだろうが、
ノンポリ=一般学生
ノンセクト=全共闘系学生=非党派系活動家層
セクト=ブント、中核派、解放派(三派系)
セクト・革マル派
セクト=社会党、共産党、親ソ系市民派(旧左翼系)
という分布があって、それが吉本評価にそのまま反映されていた。
ノンポリ一般学生が吉本なんかに触れるはずもない。
吉本に肯定的に触れたのが全共闘系とブント系の学生で、それ以外のセクト系は反発しながら意識する。
旧左翼系の学生はそもそも吉本なんかに関心がなかった。

49 :
 たしかに私は小田実の愛読者だったころ、吉本は許せなかった。水をさしてばかりいる、それで
自分は何もしない…。吉本の思索の豊穣さは政治的人間には無なんだ。だからたしかに毛嫌いして
いた。79年頃、吉本と鮎川信夫の対談が『現代詩手帖』によく載っていた。内容は進歩派の批判が多
く、それは私にとって難しく理解できないし、むしろ〈理解すべきではない〉という代物だった。あ
のような言説は敬遠していた。80年代半ば、吉本の詩集『日時計篇』などを読んで、それには感動的
に読めて、それから抵抗なく読めるようになった。吉本の深度に、初めて降りて行けるようになっ
た。80年頃は新左翼はまだ健在で、その人たちは吉本は読んでないようだった。黒田寛一やマルク
スだった。

50 :
原発のような究極的な技術を使った道具によって
進歩主義を終わらせることができると考えたのかねえ。

51 :
単純な技術信仰。理系の悪い面が露骨に出ている。育った時代的なものもあるかも知れない。

52 :
 吉本の80年頃の印象は私には良くなかった。サルトルがちょうど80年4月に死んだ。『朝日ジャ
ーナル』に生前最後の対談が3週にわたり掲載され、難しかったがそのラストは多分当時の誰もが
胸を打たれざるをえないものだった。《左翼は停滞し、硬直し、保守派に攻められてばかりいる。こ
れがもうすぐこの世から居なくなろうとしている老人の静かな絶望さ。しかし、はっきり言ってお
くが、私は希望の中で死んでいくだろう。だが希望、これを作り出さねばね…》このような言葉でそ
れは締められてた。これには胸を打たれた。ところがその年の暮れ、吉本と鮎川の対談で鮎川はこ
う言っていた。「サルトルは全部間違っていた。」これに吉本もほぼ同意してこう言った。「そう思い
ます。サルトルは間違ってばかりいて最後に覚めた。て感じです。」吉本の発言はマルクス主義へ
のサルトルの構えを実は言っていたわけだが、とにかく私にはここでの二人の発言は正直許せな
かった。

53 :
吉本はサルトルをどうこうじゃなくてフーコーやアルチュセールを弄ってくれれば良かったのに。

54 :
サルトルの間違いは70年には既にはっきりしていた。
晩年はほとんど忘れ去られた思想家だった。

55 :
 サルトル思想は生前からさほど全体像としては知られていない。最もポピュラーなのは初期の『
存在と無』の〈自由=責任=意識〉の哲学だろうが、それ以後、特に後期哲学は読まれていない。最後
の作家論『家の馬鹿息子』は〈乗り越えがたい幼少期〉が主題となる。これは吉本が80年代後半以降
展開し出した太宰治や三島由紀夫などの作家論における胎児期の問題と関わる。それをサルト
ルは70年に発表していた。吉本はサルトルの死後に追悼文を書いてるが、思想家サルトルへはず
っと目が離せない存在だったとしている。力量は否定できないことを知っていたと思う。ロシア
マルクス主義の同伴者だったことへは認めてなかったけどね。

56 :
 フーコーへはあまりないと思うが、デリダへの批判があるので抜粋してみる。
《たとえばハイデッガーがナチスに協力したとかしないとかという問題がありますね。たしかに講
演なんか読んでみると、そういうことを言ってます。だからそうじゃないということはできないと
思っていますが、だけどナチスに協力したかしないかとか問題にしている人たちは、ひとりでに
スターリン主義に協力しているんですよ。デリダのものもそうです。全部自分が無意識のスターリ
ニズムを持っていることに対しては無自覚なところから、ハイデッガーのナチス協力の問題を
論じたりしてるんです。ぼくらはこれじゃとてもだめだと思っています。デリダはハイデッガー
のナチス協力の問題をたいへん緻密によく論じてるんですが、よくよく読んでみると、この人は
自分の中に持っている無意識のスターリニズムを少しも取り出した上で論じていない。こういう
論じ方では〈いま〉につながるとはとても思えない。》(『吉本隆明資料集89』145頁)
〈無意識のスターリニズム〉というのは度々吉本が用いる批判だが、「ハイデガー=ナチス」批判に
潜む問題としてここまで抉った思想家もいないだろう。〈無意識のスターリニズム〉というのは知
における善意や道徳心などがそれ自体閉じた党派を志向してしまう無意識的な抑圧だが、デリダ
にそれがあると言った人は吉本だけだろう。

57 :
1920〜1930年時点でナチズムかスターリニズムしか選びようがなかった(ように思われた)ことは誰しも指摘してるじゃないの。
しかもデリダは別にハイデガーを批判してない。むしろ擁護してる。

58 :
 吉本のデリダ批判で何が問われているかを熟考すべきだろう。デリダが柔軟な人だということは
吉本だって知ってるに違いない。でもそのデリダに対して〈無意識のスターリニズム〉という場合
、そこで問われているのはおそらく善悪の問題で、デリダなり、他の思想家が、ナチスの戮、暴力
なりを絶対悪として措定し、ナチス批判を思想の絶対的使命とする、そのこと自体を問うている。
この問題はハイデガーによる有論の根底にもあり、モノの操縦士としての役割を担い、自身もモノ化さ
れていく人間にとって、その窮乏からの逸脱が可能になるのに、モノの世界の断念・拒絶が必需
とされている。その表現の中に、暴力や破壊としての悪の問題が含まれている。翻って現代思想家
たちは、難しい言い回しを好む割りに善悪の批判は為されない。《こういう論じ方で〈いま〉につな
がるとはとても思えない》というのは、消費資本主義に入った段階で、新しい善悪が要請されてい
る、とした脈絡と同じだと思う。ナチス批判する現代思想家がそこで絶対善‐絶対悪の観念を使用
するそのこと自体を問うているのは、その善悪の絶対値に開かれるべき観念が残っているんじゃ
ないか、と言いたがっているわけだ。

59 :
デリダはユダヤ人であり、傍観者じゃなく当事者とも言えるからね。
傍観者にすぎない吉本とは距離がありすぎる。
日本はファシズムも別に徹底していたわけじゃない。
絶滅収容所なんて無くて、マルキストも転向すればすぐに執行猶予がついていたわけだし。
スターリン主義にしてもそうだ。貧弱な共産党があっただけで、今考えると日本では大した問題ではない。
傍観者として論じるのか当事者として論じるのかで大きく違うと思う。
端的に言って、吉本氏は外国のことを知らなすぎる。

60 :
 当事者性は思想の免罪符にはならない。そのことはデリダだって知っていたはずだ。そこ
を考慮すべきなら本人がテキストで断るべき。断らない以上、考慮する必要はない。不要な前提は
第三者がつけない方が良い。

61 :
あと、59の言うことを読んでいると、西欧と日本の歴史の違いからして、西欧のことは日本では
語るべきでない、みたいなことになる。しかしこれは一見潔癖な言論封になる。ならば他人のこ
とを語るべきでない、ということになる。他人のことは当人にしか分からないのだから。体の良い
抑圧になる。デリダ読解にユダヤ人問題を絡めるべき、というのは一つの立場としてはあるが、一
つの立場に過ぎない。因みに私はハイデガーもよむが、デリダのハイデガー読解は難解なわりに
ハイデガー思想への神秘化が過剰で、ハイデガー思想を一部インテリや信奉者の遊戯にしたとみ
なしている。つまりハイデガー思想にある、表層と深層(歴史)の二極の広がり、深みを、歴史を痕
跡と規定することで消してしまった。それはデリダのハイデガー論の最もダメな特徴だと思う。

62 :
のわりには、吉本氏は「日本のことを毛唐の本を読んでわかるか」みたいなことを平気で書く人だけどね。
むしろそういう言説の先頭に立ってきたのが吉本氏といえる。
3流のマルクス主義イデオローグとか、デリダはスターリニストとか、お上品でないレッテルで切り捨てていく。
もちろん、吉本ファン以外、世界中で誰もそんなの聞いてなくて、滑稽でしか無いわけだが、それは抑圧じゃないのかな?

63 :
 デリダに関しては吉本に言われるまでもなく私が批判してる。ただ、あまり知られてないだけさ
(笑)ハイデガー読解において、デリダは有名人だからね。吉本が言うまでもなく上レスに書いた
ように宜しくない。それから、私が覚えている範囲でいうと、確かサルトルが来日し、加藤周一ら
と対談した折に喋ったことについて、おべっかないし適当とかと言っていたことがある。そんな
に数はないと思うが。60-80年代はまだまだ日本は西欧には知られておらず、言及も本気ではす
る価値のない国だ。そこで適当なことを言うのも致し方ない。そういう時代だった。
 デリダに戻れば、何だかよく分からないけど凄いこと言ってるに違いない、みたいな亜流はどこ
にでもいる。実は少々丁寧に読み直せば実体は分かる。デリダは晦渋さが凄い分、とりわけ祭壇に
置かれ易い思想家なんだよ。先入観を持たず読むべきで、すると色々分かってくる。デリダにかぎ
らず、西欧の現代思想家は難解なわりに知の党派性それ自体には解体の矛先を向けようとしない。
吉本の疑問はそこにある。知に携わりながらその反対の極へも考察を加え、知の党派性を壊すこと
に力を注いだ。吉本の問題意識は日本人が知的にかつてより上昇した今の方が切実だよ。

64 :
党派性というと政治的党派性のイメージがどうしても付いちゃうんだが、
党派性というよりも、哲学は西欧的思考のシステムに過ぎないという気がするな。
ソシュールにしてもデリダのソシュール批判にしても前提として西欧のアルファベットの言語があり、
そもそも日本語とは直接対応しない。
暗黙のうちにイデア論とかを前提にしていて、日本人が読む時に議論に普遍性があるのかどうかも怪しい。
「研究」としては読むことは可能だけど。
どんなジャンルでも思考のシステムがあって、例えば法学なら法学の用語と思考様式に入らないと法学の議論にならない。
哲学もそれと変わらない気がしますがね。

65 :
 現代思想家の本は皆、難しい。本気で読めば得るものはあるに違いない。どれも絢爛たる文章だ
しね。ただ、知というのがその反対の非‐知へも開かれているべきだ、ないし領域として繰り込む
べきだ、というのが吉本の課題で、そこが現代思想家の中でも特異さがある。吉本の場合、そこが
徹底していて、〈知よりも非‐知の方が価値があるとしなければどうしようもない〉という。だから
非‐知が啓蒙の対象になることに否定的だ。その辺になるとほとんど通じない人が多く、柄谷がは
なれていった原因の一つがそこだよね。特に90年代以降に若い論客に吉本が否定されていったの
もそこ。それがマルクス主義の復権になり、或は正義とは何か、正しい選択とは何か、という問題
に若い世代が入っていくことにもなる。これに吉本自身は〈マルクス主義が「夢よもう一度」をや
ってるけどそれはないと思います〉と言ってる。私もたまにTVでサンデルとかがやってるのを見る
ときがあるけど、率直に言って、そこに居る人間を見てて、〈価値ある選択〉を考えるなかでどんど
ん〈無駄な思考〉を切り捨てることを強いられるわけで、そのことが悲惨に見えるね。〈言論の実効
性〉に絡め取られていく姿がね。宮台真司から桜井和寿に至るまで、〈正義論の復権〉があるわけだ
けど、ああいう表現者の紆余曲折として出される言論が、またもや政治の底無しの中に大勢を巻
き込んでいくわけで、昔と何が変わったんだろうと自問せざるを得なくなる。ただ、吉本理論が
〈非‐行動〉や〈非‐抵抗〉や〈追従〉の物象化として流通していった、それは吉本自身の本意でないは
ずで、本意でないことが通俗的な流通をしたことへの反動も入っている気はします。党派に閉じ
ていかない、価値や実効性にがんじがらめにならない、ウルトラ民主主義がいかに可能か、は未だ
に吉本にとっても課題だと思うけどね。

66 :
しょうもないセクトに巻き込まれずに生き延びよとかいう感じの議論なのかねえ。
わからんでもない。やたら危機が煽られたり対立が煽られたりする状況には乗らず、
そして、野心を持って強者になろうともせずに生き長らえるという風な。
正義論云々は本屋と教育テレビ以外は大して盛り上がっていないような気もする。

67 :
いま現在でいえば民主党も自民党もどうしようもない、という感覚は説明不要なまでの自明のことであろう。
60年代においては、社会党も共産党も革マル派も中核派・解放派もみんなどうしようもない、というところはまずは大前提にしてもらわんとな、
というだけの話だったのであって、そんなに哲学的な話じゃないよ。
ブント・叛旗派に半身で肩入れしたのが話をややこしくしているのだろうが、当時の吉本としても何かに希望は持っていたかったのだろう。
そして誰もいなくなった現在において、既成党派を全否定してきただけで吉本は結局何も生み出せなかったではないかといえばその通りだが、
日本社会において既成党派か全部だめだったのは吉本のせいでもなんでもない。ただ吉本はそうした真実を口にし続けてきただけのことだ。
吉本もまた、この日本社会において何かを立ち上げることはできなかった、それだけのことだ……。

68 :
(続き)もっとも、いかにも全か無か的な全否定の論理を呼号していた分、負け方とか受け身のような思考が欠落していて、平成期の日本社会の総崩れになんら寄与するところがないことに失望を覚えたのは覆いがたい事実だ。

69 :
吉本隆明って抽象的な勝ち負けに拘る人だったの?
上の方のエピソードでは、具体的な身体で決着をつける喧嘩は嫌いじゃなさそうだがw

70 :
この人の(特に政治的)主張の大半は狂ってるんだけど、文芸批評家として80年代まで時代に耐えたのは凄いといえば凄い。
50年代から80年代の終わりまで、万葉集、源氏物語からポストモダン文学まで論じられたのは誰にでもできそうでできるものではない。

71 :
68の負け方とは、平成期日本大衆の「敗北の構造」のことをいっているわけだが……

72 :
 吉本隆明の言説に救われてきた人間からすると、ただ今は感謝だね。同時代に居てくれて感謝し
ている。あの思想は未だに死んでないし、読めるものだしね。忘れられていくんだろうけど、関係
ないね。かつて愛読者で去った竹田などの人の言説と、吉本の言説と、どっちが深みを持って時代
に堪えているか、明らかであるし。未だに正当な評価が乏しいのが残念だが。それにしても、若い
世代は、吉本とかはもう読まないのかな。大学生とかは批評家では誰を読んでるんだろう。例の宇
野常寛か、東浩紀か、批評家自体、もう読まれてないのか、元々理解されにくいものではあるけど、
知的アクセサリー以外の目的で思想書とか本気で読む人間は居なくなったのだとしたら淋しい
ねえ。

73 :
本も読むだろうけど、
国際貢献や社会貢献あるいはボランティア活動に携わる実践的なデキル子が目立つように思うが。

74 :
思想が社会を動かす時代じゃないね。これは世界的にそうだね。
フランスでももう大思想家なんていないもの。
若い奴は経済学とか法学とか実践的な個別のジャンルに行くのではないだろうか。
吉本を読んでも資本主義のことは何も分からないし。

75 :
同じ在野ならば、関曠野とかが資本主義を意識したものを書いたりしているな。

76 :
20年前から思ってるんだけど、関って何して食べてるんだろう?

77 :
印税とか講演料とか蓄えがあるのでは。

78 :
極貧の噂を聞いたことあるけど。
印税とか講演料で食えるのはテレビでよく見る文化人かベストセラー持ちしかあり得ないのでは?

79 :
世界中でデモ起こってるけどやっぱりスターリニズムだからダメなの?

80 :
すべてプロ市民。だめだめだ。
こんなのは歴史の普遍的進歩とは無関係で
まったく無視してよい、虫けら同然。

81 :
やっぱりそうですよね。吉本思想の深遠さがよくわかりました。

82 :
と、ハードスターリニズムからソフトスターリニズムを批判する吉本思想でした。

83 :
自演乙

84 :
初心者なんですが隆爺はスターリニズムって言葉をどういう意味で使ってるんですか?

85 :
まあ普通に恐怖政治する人でしょ。社会で言えばパワハラつかう人とか
共産主義的一党独裁の総裁で去勢する人のこと

86 :
スターリンのあまりに非人間的な恐怖政治の特殊性については、たとえばハンナ・アレントとかが詳細に議論していたりする。
当然、日本でも貧しいながら戦後の知識界でそういう議論はある程度共有されていたはずで、
そういう背景のもとで、吉本は例によってなんの注釈もなしに感覚的に濫用していたと思える。
定義なしにソフトスターリニズムとかいいだせば、そのレッテル貼りが一人歩きすることにもなりえようが、
意外にそういうことには無頓着だったんだな。

87 :
(補足)ただ、その場面限りでの時論的な文脈では、罵倒されている対象の性質が読者にも明確なわけで、
ベ平連などに潜む隠れソ連派の、今風に言うところのプロ市民派のことだな、とかは自明だったと思う。
考えてみると、吉本が忌み嫌った「進歩派」「市民派」というのはいまでいう「プロ市民派」の若い頃のことだな。

88 :
>>85
なんでデリダがそんなスターリニストなのって話になるな

89 :
>>56
吉本は善意や道徳心無しでやってるの?
吉本信者は変な吉本用語使う閉鎖的な党派じみた感じになるのは気のせい?

90 :
「ソフトスターリニズム」もそうだが、
吉本爺さんが好んで使う「党派性」という観念もまた謎が多い。

91 :
>>56
しかし、吉本さんが進歩的知識人とやらをスターリニズムの加担者だと攻撃するときにも、
無意識のスターリニズムに自覚的だとは思えないけどね。
原発問題についてもけっきょく党派性を引き寄せてしまっている。
つまり原発擁護論者の恰好のイデオロギーとして吉本思想が利用されちゃっている。
そこをちゃんと跳ね除けるだけの思想性を吉本さんがその批評の文脈で発揮していると思えない。
吉本さんも所詮はその批判対象である進歩的知識人の鏡像なんだよ。

92 :
つまり吉本は自分よりも新しく出てきたものを何でも批判するために、自分で造り出した紋切り型の批判
(要するに左翼的なレッテル貼り)をいろんなものに当てはめているだけだと思う。
“無意識のスターリニズム”にしたって、これはもともとベ平連とか、自分より後から出てきた
ある種の左翼(60年代後半に登場してきた新左翼の一派)に対して使っていたレッテルだろう。
それをなんの造作もなくデリダに対して使ってしまう。
「党派性」について厳しく批判する自分自身が、今やありもしない「党派性」の亡霊に取り憑かれている、
というボケ老人の想像もつかない恐るべき頭の中w

93 :
でも、なぜかサブカルチャーには寛容なんだ。
自分が年齢を重ねた今考えると、吉本のサブカルへの寛容さはなかなか凄いといえば凄かった。
普通あの年令になってサブカルなんて理解しようとすら思わない人が大半だからさ。
最初から継続して村上春樹を擁護してきたのは吉本派くらいしかいなかったし、案外、文学の選別眼はあったと思う。
それで80年代まで通用できたんだから大したものといえば大したもの。

94 :

ベ平連はもちろん鶴見俊輔のような非マルクス派を前面に押し出しつつも、資金・事務局を代々木から追い出されたばかりのソ連派が握っていた。
だから「進歩派」「市民派」を装う隠れ旧左翼=ソフト・スターリニズムだという批判が成り立っていた。
この構図はその十数年後の1980年代まで、あるいは90年代いっぱいまでは存続していたといってよい。やっている人間が同じだったんだから。
ようするに、ソ連、各国共産党を「ハード・スターリニスト」、そこから枝分かれした諸分派=隠れソ連派を「ソフト・スターリニスト」としていたが、
これは当時としてはその通りだった。
デリダもよくよく読むと、無意識のうちにナチス=国民社会主義は絶対悪だが、ソ連共産主義はそうでもいなという考え方を払拭できていないのではないか
というのが、当時の時代情況の中での批判点だったということになろう。このあたり、ネグリとなるともっと鮮明だといえるが。

95 :
(94の続き)
吉本にとっては、ナチズムや日本の軍国主義なんてのはソ連スターリン主義の焼き直しにすぎないので、本当に恐ろしい人間破壊の思想はスターリニズムだと
いう透徹した認識がある。その一点でのみ、吉本は反スタ一筋の革マル派・黒田寛一を評価さえしているぐらいだ。
時代が大きく変わってしまって、上記の構図が理解さえされなくなっているのに、昔ながらの言葉遣いを持ち出せばピンぼけも甚だしいといわれるのは
致し方あるまい。だが、それは後期高齢者となった吉本自身の問題ではなく、前期高齢者で早くも脳死している団塊信者の問題だろう。

96 :
(失礼、94-95の前に付けるべき箇所を落としてしまった。)
政治がらみのことは時代が変わるとわからなくなってしまうので混乱はやむをえないが、
ある時代を支配した次のような枠組に規定されて吉本の言説が成り立っていたことは踏まえておくべきだろう。
旧左翼=ソ連(スターリン→フルシチョフ)、中国(毛沢東)、イタリア(構造改革派)、日本共産党、日本社会党(社会主義協会派)
 これらはスターリンの一国社会主義論の系譜とされた。
新左翼=第四インター(トロツキー)、革マル派(黒田寛一)、ブント(青木昌彦)
 これらは反スターリン主義の永続革命論・世界革命論の系譜とされた。

97 :
>>94
デリダは50年代からずっとフランス共産党とは距離をとってた人なんだけどね。
それでエコールノルマルでは随分居心地悪い思いしてたみたいよ。

98 :
>>65
知より非-知って知識人より馬鹿な大衆って意味?

99 :
吉本信者の脳内妄想の怖さを見てしまった。

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