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2012年1月1期戦国時代7: 【下克上】三好氏スレ2代目【天下人】 (258) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【下克上】三好氏スレ2代目【天下人】


1 :09/10/14 〜 最終レス :12/01/06
織田信長や豊臣秀吉が活躍するより少し昔
天下に号令した一族が有った、・・・地味だけど。
前スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152011322/

2 :
>>1 スレ立て乙です

3 :
関連スレ
三好長慶を語るスレ
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1209222022/
★管領家★  細川氏総合スレ  ★応仁勝者★
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152951252/
【茶器バカ】松永久秀【爆死】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150695069/
【河野・安芸】四国の戦国大名 その2【長宗我部】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171023765/
【14代】 足利義栄 【阿波公方】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156769019/
喫茶 松永弾正
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178032576/

4 :
>>1もつ
だけど少しのようだなアッー!

5 :
関連スレ 追加
【安宅】三好一族についてかたれ!!Part2【十河】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1145257647/

6 :
>>1
ちなみに、PHP研究所の雑誌「歴史街道」はもう何年も発行されているがいまだ三好長慶の特集が組まれたことはない
これ豆知識な。

7 :
なぜ信長が戦国大論争に決着を!

8 :
誤爆ったすまん

9 :
三好記 昔阿波物語 細川両家記を見てみたいな。
翻訳されてないんだっけ・・・
安宅氏関連って特に資料って残ってないよなあ

10 :
翻訳って・・・外国語じゃ無いんだが。

11 :
ウェブで公開されているのってあるっけ?

12 :
図書館で群書類従読めばいいんじゃね?
三好記…続群書類従22下合戦部
細川両家記…群書類従20合戦部
中学レベルの古文と古語辞典・漢和辞典があれば読める。
特殊な変体仮名は最初はわからんだろうが、そのうち読めるようになる。
自分も会津四家合考とか天正南部軍記とか読んでたときは苦労したな。
「より」を表す「n」みたいな仮名は最初どう読むかわからなくて困ったもんだw

13 :
俺の中の三好一味
長慶 根はお人よし、しかしやる時はやる、がやっぱり許す
義賢 根は真面目、真面目+根暗
冬康 優しすぎる漢、兄弟中一番空気が読める
一存 熱血漢でムードメーカー、空気が読めない
冬長 空気 優秀すぎる兄にコンプレックスを抱いていて空気の読める兄に泣きつく
康長 常に後手後手になり常に貧乏くじを引く、子供放任主義
長逸 めっちゃ頭悪そうに見えて実は頭もよくて器量のある人物
政康 仕事は淡々とこなす、刃物マニア(史実ですね実は刀目利き)
友通 体育会系×のに頭は良くない。にわか茶人
政勝 構ってほしい故の悪戯大好き!腋臭
政長 実はking of 茶人 のにわか
義興 義輝のスネオで煽て上手
長治  ヤリチン DQN親父をしたのは長房だと思っている
自遁  ヤリチン DQN仕事が出来る兄に嫉妬!
小少将 ヤリマン DQN・モンペ 
真之 ↑2名と母、自分との繋がりで精神崩壊寸前 鬱病
存保 ↑の惨状から反面教師で真面目
長房 重臣 仕事人 義理100

14 :
>>13
天敵の公方様や京兆細川は?

15 :
>>13
なかなか良いセンス
長慶が生きてれば信長も即死だったのに残念だ

16 :
晴元 凡才ゆえの執着心、ある意味人間味溢れている、嫌いじゃない
義継 優柔不断
義輝 性格は直情だが、良い・悪い意味でも腹黒い
義栄 (^q^)
氏綱 実力未知 長慶と協調路線は…無理だな
持隆 小少将<京文化で正解 欲張っちゃ駄目!
長教 畿内ではトップクラスの知将
安見 vip
高正 N速民 実休をやった事だけが生き甲斐(勝手に手柄を脳内変換)
波多野勢 引きこもり命!さわんじゃね

17 :
しかし長慶は松永一族を重用しすぎたな。
信用できたし優秀だったのは確かだろうか、もう少しバランスを取るべきだった。

18 :
>>17
家臣団では三好長逸と松永久秀のふたりが、長慶の裁許全般を
取り次いでいたので、自然このふたりが台頭するんだよね。
(しかも両名とも従四位下に叙されているし)

19 :
今日は三好山に登ってきたー、祠があるだけで何もなかったぜ!
石垣は山麓にチョコッとしかなかった…。
三好関連でまだ行ってないのは堺方面と飯盛・多聞と京都付近のみ
三好関連で行く所が悉くしょぼすぎて涙目すぐるw
高槻の城跡とかは開発しまくりで跡形もないしw
淡路は脇坂で湧いてて安宅冬康?誰それだしw
徳島に至っては蜂須賀の方が知名度ある始末で、芝生城に至っては田んぼ
勝瑞城館付近の調査を徳島県が進めて
あの付近に勝瑞城館再現して藍染・三好ブームを期待するしかないな、ないな…

20 :
ち、ちくしょう(;ω;)
群書類従 21 合戦部を買ったと思ったら
「続」 群書類従 21 合戦部 だったorz…中開けたら今川やら北条やら
http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_B000JBBOZU/
↑これか
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8CQ%8F%91%97%DE%8F%5D+21
↑これの一番上でいいんだよね?
http://www.books-yagi.co.jp/pub/cgi-bin/bookfind.cgi?cmd=d&mc=m&kn0=20&ks0=4-7971-0024-9&pr=&kw=11

21 :
新スレ乙。

22 :
徳島の三好山ってあるんですか

23 :
三好山は大阪府高槻市の、芥川山城のあった場所。

24 :
昨日、宗三左紋次みて長慶の水論裁許状と長慶・松永・長逸・岩成の花押を見てきた。岩成だけ字が太くて綺麗とは言えなかったが、他3名の花押は上手だった

25 :
>>24
三好氏の花押といえば、宗渭(政康)の花押が印象的だよね。
石成だけ上手じゃないというのが、妙にリアルだなあ

26 :
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/bunkazai_miyoshisuiron.html
これこれ、岩成だけ妙に太いw確かにリアルすなぁ

27 :
だいぶ前のスレにあった、シーボルトと三好エムイワ(笑岩)の関係が気になるな
日本文化を勉強したシーボルトとだが笑岩と一体何の関係があるんだ??

28 :
>>27
詳しく
話は変わるが、三好宗渭(政康)について、畿内で織田信長に敗れた後に、大坂の陣に参加して討死した
という話が出てくるけど、どの程度信憑性のある話なの?
(どんな史料や記録に載っている話なんだろう)
「奇禍にあって悲惨な死」を遂げたとか、長逸ともども消息不明などとも言われることも
多いようだが・・・。

29 :
十勇士から逆輸入とか

30 :
政康に至っては出所は解らんが居たと言う事はほぼ確定な気がするな。
政康だけなら物議醸しそうだが、政勝が生きてるからな。

31 :
勝瑞の遺構から井戸跡が発見されたらしいね。
年度末にかけて三好氏関連の講座なんかもあるだろうし楽しみ。

32 :
徳島羨ましす(・ω_・)
畿内からだと遠いでござる。
三好山ももっと整備して欲しい。できれば摂津渓とリンクさせれば…

33 :
江戸期の戦記ものには、何故か義輝を長慶がした事になっているものがたまにあるな。

34 :
群書類状の三好記とかには義継と義興が一緒だったり、政康辺りの記述が曖昧だ

35 :
「決戦」というパRに三好政康と岩成友通、あと松永久秀も登場するぞ。
ボタンュでなにやらふざけたセリフを吐くが、リーチにもならんかった。
しかしああいう一般人向けのものに登場するとは・・・

36 :
>>35
プレステ2の決戦3をパRにしたやつだから、キャラクターが同じなんだよね。
まあ、三人衆の扱いは「踊る大捜査線」の上司三人みたいな感じだったがw

37 :
ネットで見かけた三好一族主役のウェブ小説の中で、
立花憲政って三好家の重臣が登場してたけど実在だろうか?
三好関連の書籍漁っても見掛けない名前だが。

38 :
>>37
俺も三好氏は史料とかをあさっているが、見かけないな。
三好実休死後に起請文を取り交わした高屋城在番衆や、三好氏奉行人でも
なさそうだし・・・

39 :
憲政と言えば、上杉憲政だな。
ここまで表で活躍してるなら名前が出ない方が難しいんじゃね?
作中だと官位まで貰ってるが

40 :
来年正月に徳島中央テレビで三好長慶の特番があると聞いたのだが。
詳しい番組内容はわからんし、徳島のみのローカル放送らしいけど、
誰か録画して動画うpしてくれないかな。

41 :
>>40
まじですか?
徳島県民のみなさん
私からもお願いします

42 :
徳島中央テレビって
徳島の中でもさらに吉野川市と小松島市限定?
微妙なエリアだと思うんだけど。。

43 :
そんなテレビ局があるんだ。

44 :
徳永真一郎の「三好長慶」が105円で手に入った

45 :
しばらく前に出てたセンゴクのムック本立ち読みしたけど、
清々しいくらいぐらい三好や長曽我部含めた四国勢は完全スルーだった
対談部分で色んなテーマ別(文化人とか成り上がりとかもっと評価されるべきとか)に戦国武将を論じてたが、
ほんとに四国は完全スルー状態
センゴク本編関係なく色んな名前が出てたのにな
これは今から十河存保のへっぽこな書かれ様が楽しみだわ

46 :
引田の戦いとかやるかな

47 :


48 :
おおっらしゃああああああああプララ規制解けてる!!!
>>45
センゴクバトルランキングだよね、俺も見たけど宮下氏の対談の眼鏡が
評価されてほしいって挙げてたのは北条氏だったね
四国に関しての話は同意
宮下氏は三好三人衆を三人とも獣人みたいな容姿で1コマに三人詰めて書いてたからなww
色んな武将を悪に書かない宮下氏が生き残りの三好をどう描くかが気になるね
三好康長と十河存保を無能見たいな書き方されちゃったらショックよのう

49 :
>>48
三好氏も、長慶はもっとその実像や晩年も含めて、再評価されてほしい。
松永久秀にしても、正直、イメージ先行という感が強いし、三好氏を牛耳ったというのも
河内飯盛山の長慶のところに、晩年まで長逸・久秀が裁決を仰いでいたことを考慮すると、
せいぜい久秀が実権を持ってたのは長慶から任された大和一国の域を出ないようだし。

50 :
歴史本見れば見るほど三好は悉くスルーされてるのは相変わらずだな
逆に久秀の露出が増えてるのがあれだ。
まあBASARAとかに出る心配がないのが唯一の救い
長逸・政康・岩成の3人はお気の毒すぎる…

51 :
>>50
三人衆と比べてもそこまで弾正ってどうなんだ?という気はしてしまうんだよね。
三人衆に負けて一年くらい行方知れずになっているし、義継が久秀の所に奔った後も、
三人衆とそれに与する畿内や四国の軍勢が多聞山を交代で攻めるなどしているし、
基本弾正側が押されている印章を受ける。
勿論弾正は長慶の生前から御供衆になっていたり、正式に叙任されてたりするなど、
他の被官と比べると別格の地位にいた確かではあるんだけど、三好氏の実権を掌握した
なんて言えるレベルでは到底無いと思う。

52 :
長慶存命当時から三人衆で久秀と対等なのは長逸ぐらいで、
政康と友通はどちらも一部将に過ぎない
(政康には兄として政成がいて、永禄五年に討ち死にしてるけどやっぱり扱いは軽い
で、一門衆筆頭として遇されてた長逸も、
確固とした支配領域を与えられなかったって点で四兄弟や松永兄弟に水を空けられてる。
ていうか、摂津半国守護の松山新介あたりにすら扱いの上で負けてる。
まあ単品で行動するときの長逸は播磨といい丹波といい負け戦ばかりなんで、
その辺が相当ネックだったんだろうが……
で実際問題として内乱になったあとはといえば、
摂津の池田伊丹松山や、河内飯盛山城代の松山安芸守や中村新兵衛(例の鑓中村)の帰趨で
おおむねの勝敗が決してるんだよね
特に内乱初期は飯盛山の松山中村が松永方についてたから畿内南部でも松永方が優勢で、
内乱後期に彼らが寝返ったとたんに三人衆方が主導権を握るようになった
特に中村新兵衛の影響力は三好三人衆より大きかったようで、
甫庵信長記では東大寺焼亡の時には三好方の総大将であったとしている(そしてここで討ち死に)
全般的に見て三人衆の影響力って久秀に比べても相当程度限定されてるぽい

53 :
>>52
官途などの朝廷との関わり方を見ても、長逸は義興・久秀より先に従四位下に
叙され、禁苑を拝観するなど、朝廷との関わりが緊密な模様。
領域支配という点では、長逸は山城国飯岡城主になっており、山城南半分程度を
担っていたみたい。長逸と久秀については、長慶の晩年まで取次ぎを担当してたようだし
三好氏家中で果たしてた役割から見るとほぼ同格とみていいんじゃないかな。
(斎藤基速も裁許の取次ぎなどはしているものの、地域支配までは任されていないからね・・・
※ただし、久秀は御供衆になり、義輝との関係が良くも悪くも密接になっており、幕府との
関係において言えば、長逸とは一線を画していると思う)
長慶没後の内乱については、松山や中村の動向もそうだけど、畠山高政(安見宗房など)や松浦氏
なんかも無視できんと思うので、三人衆や久秀をどう評価するかも含めて、なかなか難しい・・・
飯盛山の松山安芸守は永禄十年に八月下旬に、久秀が畠山氏などと結んで攻勢に出た際に、
久秀に呼応しているけど、三人衆方は篠原長房と共にすぐに「あつかい」という形で鎮圧しているし、
件の東大寺合戦の後も、三人衆方は阿波衆、河内衆、遊佐氏、池田氏などの交代制で多聞山城を
包囲してるんだよね。
まあ、三人衆の動向については、河内の三好笑岩や阿波の篠原長房が同心していたということが大きいんだけどね。
いずれにせよ、よく言われる「久秀が三好氏の実権を掌握した」とか「長慶に取って代わった」ってのは
イメージ先行気味で正直適切じゃないのは確かだと思う。
十河と義興の死についても、久秀の関与はないとみてよさそうだしね。

54 :
甫庵信長記とか資料価値としては全然駄目でしょ、ちょっと悪い話でも言われてたけど
松山新介が久秀方の攻撃の要になっていた事は事実だろうけど
中村新兵衛の活躍に関しては松山新介と∽の関係だと思う
甫庵信長記は拡大解釈で大衆向けで毛利新助とかが持ち上げられるタイプだし
明良洪範にしても後世の江戸に書かれたもので大ヒットした甫庵信長記の影響を受けてるでしょ
長逸は中央と堺・阿波の関係も抑えてたし↑で書かれてるように場合によっては長逸≧≦久秀で良いと思う
三好が有利な状況で、今の松永が三好家を牛耳ったって評価はある意味間違いだが
義継があのタイミングで寝返ったのが三好家崩壊の原因だと俺は感じるね
長逸の息子の弓介が生きていれば良かったんだが、ぶっちゃけ義継のあの判断はありえへんわwww
私的史観で4兄弟はまあ一部で認められてるのは良いとして、それでも現在の三好の全容がかなり評価が低い理由は
過去の資料が創作される中で三好はハブされて当然的な風潮がずっと続いた所為だと思う(三成とかが顕著だがそれ以上だと

55 :
>>51
正解

56 :
よく、三好の対戦相手がしょぼ過ぎるとは言うが(主にノブヤボ連中から)
波多野・木沢・香川・香西・三木・湯浅・遊佐←辺りでも癖のある連中ばかり
織田信長(全盛織田家)
足利幕府(将軍)
細川・畠山(三管領)
一色(四職)
六角(管領代)
興福寺(筒井)
根来衆・雑賀衆(ガイキチ傭兵集団)
摂津衆・河内衆(本気で信頼できない連中)
松永久秀(いわずがもな)
本願寺(下間など武闘派)
↑いつ見ても面子がヤバイと思う
六角も衰退期には組んでるけど全盛期の定頼時代は敵対してるし
一色は松永長頼位しか絡みがないけどそれでも

57 :
長慶一人が傑物なんだよね
政長なんかは別として

58 :
>>54
義継が久秀方へ走るまでは、畠山氏や松浦氏なんかの畿内の諸勢力と一応の
和睦が整っていたようだしね。
義継出奔って、三好氏の内部ではどの程度の与同があったんだろう。義継の寝返りは
側近の金山信貞あたりが一枚噛んでいるようだけれども、篠原長房や笑岩などは
その後も三人衆方にいるし(まあ義栄を擁しているのが大きいんだろうな)、三好氏の
内部での義継の位置ってどんなものだったのか。
>>57
実休や義興なんかもすぐれた人物だったようだけど、あっさりみんな
死んでしまったからなあ・・・・・

59 :
5月に、学陽書房の人物文庫から
徳永真一郎の三好長慶が出るね。

60 :
光文社のを持ってるけど期待しないほうがいいぞ
昔の作品だけあって長慶小物で久秀大物の描写だし
河内代官職復活や木沢・政長討伐も久秀の力がなければ無理とか狂ってるとしか思えんわ

61 :
木沢こそ行動・実績共に戦国ナンバーワンの悪党と言える存在だよな
幕府から個人に対して討伐命令下されるとかどんだけwww
木沢みたいに幕府から害下された奴って他にいる?

62 :
というか、義継が恩義のある信長を裏切った理由がわからんのだが・・・・。
やっぱ、義昭や久秀にそそのかされたからか?

63 :
>>62
義昭や久秀に味方したのだから唆されてはいたんだろうが
やはり根本は一部将に転落した義継に対する扱いか?

64 :
>>61
そう言うのはけっこう頻繁に出されてると思うが。
それこそ嘉吉の変の赤松連中や応仁の乱当たりなら畠山義就、政長、斯波義廉、義敏、甲斐常治、山名宗全などなど。

65 :
幕府がというか、足利持氏討伐の際には、朝廷に治罰の綸旨を出してもらって
いるね

66 :
http://ux.getuploader.com/2chsengokuban/
アップローダー

67 :
≫64
六角高頼や加賀一向宗もそうだった
足利茶々丸も義澄から意をうけた早雲にやられたらしいよ

68 :
質問
・三好政康って人について
「三好晴海入道」って名乗って大坂の陣に参加して戦死したってのは
講談や小説とかじゃなく、信用できる資料に残っているのでしょうか?
「晴海入道」を名乗ったのか否かと
大坂の陣に参加したとされる三好某と政康は同一なの?って部分が気になります。
事実だとしたら、それなりに名のある武将であり、かなりの高齢であるので
何らかの公的資料に残っていてもおかしくないと思うのですが。
政康の子とか孫、もしくは一族などが実際には参加したのに
政康が参加したって事になってるとか、そういう事はないのでしょうか?

69 :
>>68
三好政康については、入道して釣閑(竿)斎宗渭と名乗っている。
史料上で青海入道というのは見たことがない。
フロイスの「日本史」だと、三好政康は「奇禍にあって悲惨な死」を遂げたと出てくるんだけど、
秀吉・秀頼に仕え大阪の陣で戦死したという情報の史料上の出展を見たことがないんだよな。
俺も知りたい。

70 :
なるほど、じゃあどっちも確たる資料(根拠)は、いまのところ無いという事になるわけですね。
ありがとうございました。

71 :
ヤングアニマルの信長の忍びに朝倉宗滴が出て来て宗滴記のネタも出て来たけど
宗滴が人遣いが上手い大名を読み上げるコマで
長慶だけ名前を挙げられてなかったのは酷い…orz
作者が意図的に外したんだろうけどそりゃあないよ。
何かと評判だった殿と一緒ってのも買ったけど予想以上につまらなかった
三人衆がへのへのもへ字だし
何より同じネタを何回も使ってるのが頂けない

72 :
三好長慶の450回忌法要 京都で子孫ら250人
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2010/07/2010_127829420749.html

73 :
>>71
ありゃ一般人向けだ
勉強用や詳しく知ってる人向けじゃないぞ

74 :
政康って、下野守だっけ?
諱以外の名とか記録に残ってないかな?

75 :
>>74
>>69で出てる入道名・宗渭、もしくは諱・政生が一次資料で確認できる名乗り。

76 :
>>75これは一般も参加できるんでしょうか?

77 :
総帥の三好長慶が生きていれば三好一党は統一されているから、
信長の上洛を防げたという奴もいるが無理だろ。
三好の動員兵力なんてせいぜい三万ぐらいだし。

78 :
上洛当時の織田はもっと弱小。

79 :
政勝は父親を長慶にされたのに、なんで長慶死後、本家を許したのですか?
(長慶憎んで本家憎まずとか?)

80 :
>>77
そもそもの話として、長慶が存命だった場合、おそらく義輝が害されるということもなかったろうし、
六角氏や畠山氏(ほか畿内の諸勢力)との関係もまただいぶ違ったものになってくる。
だから、よく俎上にあがる「信玄がもうちっと長生きできたら」とかいうネタと比べても、
信長上洛直前のシチュエーションで長慶が存命だったらという前提自体あまり意味のあるものではないな。

81 :
信長上洛時の三好家のふがいなさは異常。
みんな勝手にバラバラに戦ったり、
大和の松永弾正なんか信長についてるしな。
これってどうにかならなかったのかね。
長慶がもし存命だったらという仮定はなかなか面白い。
すくなくとも三好三人衆や松永弾正は従っただろうし、当たり前だが。

82 :
信長視点からでしか物事を考えられてない人間にとっちゃあ三好家なんてそんなもんだわな
三好家がバラバラになって滅亡の決定的要因になったのは三好義継の所為だからな
宗家の自覚があれば(無かったからだが)あんな行動は起こすべきじゃなかった
三好長逸・三好政康・岩成友通の発言権が大きかったとしても結果、三好義継の行為は勝手すぎた
少しの間だけ義継側についた大叔父の笑岩に見捨てられてるのが何よりの証拠だろう
野田福島で信長倒してる三好家連合がふがいないとは言わせないぞ

83 :
>>82
義継一人のせいにするのは間違いでしょう。
年齢的に考慮したら三人衆や久秀の方が大人気無いとも言える。
まあアレだ。
三好家が衰退したのは運命なんだと思う。

84 :
>>83
輝元と同じ様な立場でありながら求め過ぎたんだよ義継は
自分の実力も時勢や大局を見れる器じゃなかった
三好三人衆と喧嘩したにしても、三好笑岩に見限られるのがあまりに早すぎる
まあ義継の支離滅裂な行動は今の子供宛らの若さ、ってのは要素の一つとして考えられるな
三好家は豊かだったからな、子供達の判断力が著しく低いのが今で言う『ゆとり』と共通しているな

85 :
>>84
>輝元と同じ様な立場でありながら求め過ぎたんだよ義継は
輝元は隆元の実子だけど義継は分家からの養子。
輝元は毛利宗家として扱われているけど義継は拉致監禁状態。
それに加えて三人衆と久秀は将軍を攻めすような過激な行動を取るので義継も警戒している。
両派のどちらにも属さず宙ぶらりんなポジションは危険。
その当時の情勢を無視したレスは正直困るよ。

86 :
三人衆にしろ久秀にしろ、康長が一喝してなんとかできなかったのかな?
長慶と実休の兄弟ゲンカというラグナロクを仲裁した実績はあるんだけれど。

87 :
戦国期三好政権の研究
天野 忠幸 著
定価:8925円 (税込)
発行年月:2010年06月
発売元:清文堂出版
 序 章 戦国期畿内権力研究の成果と課題
第一部 国人編成と地域支配
 第一章 摂津における地域形成と細川京兆家 
 第二章 三好氏の摂津支配の展開
 第三章 荒木村重の摂津支配と謀反
 第四章 三好氏の権力基盤と阿波国人
 第五章 三好氏の広域支配と和泉
 補 論 三好一族の人名比定について
第二部 三好政権と畿内社会
 第一章 大阪湾の港湾都市と三好政権
 第二章 大阪平野の都市ネットワークと三好政権
 第三章 畿内における三好政権の支配構造
 第四章 三好政権と将軍・天皇
 終章 結論と展望
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/4005368/s/~6b19cf0ce

88 :
>>87
明日か明後日には届くが、内容が楽しみで仕方が無い
今谷明氏の説だけじゃなくて色々な説が出て来て何よりだ
しかし高いwww

89 :
>>87
阿波・摂津・和泉のことは取り上げているんだ
買った人がいたら讃岐・淡路・丹波のことについても取り上げているかどうか教えて下さい
また来ます

90 :
>>88
第二部の論文の一部は昔読んだことがあるんだけど、それでもつい買ってしまったw
十分に一読の価値ありだと思う。

91 :
今谷氏は主に三好氏の前期・中期がメインで(河内・山城・阿波)
後期の摂津状勢と和泉辺りは詳しく書いてなかったからなぁ。
三好氏の研究でまだはっきりしないのは
淡路・讃岐・丹波・東播磨あたりか

92 :
俺は金ないから近くの図書館に購入依頼出してくるかな・・・

93 :
>>87
読み終えた、天野氏の出身が神戸で卒論が荒木村重なので
摂津・和泉に関しては今谷氏より更に深く調べてて楽しかった
というより天野氏は今谷氏に比べると全体的に
武将達の下で文書発給などで動く被官達がかなり詳しく書かれてたのが収穫だった
摂津は池田氏・伊丹氏など中央政権に縛られずに独自に成長する事が出来たのもあって
摂津に住む住民たちの自立心が信長の政策に反発(一向衆ではなく農民)
摂津一下郡を治めていた荒木が農民達と同調して信長に反抗したってのが新鮮だった
他には、三好氏の影響力が畿内以外にも届いてたって新情報もあった
外交関係でも三好氏が畿内周辺だけしか影響が無かったってのは間違いで
もっと資料が発見されて研究が進めば
三好政権が織豊時代の『プレ統一政権』であるという事実が固まって来そうではある
・尼子氏・毛利氏・大友氏
・河野氏(三好実休の香川氏攻め関連)
・山名氏(松永長頼の丹後攻め関連)
・織田氏(松永長頼の被官が鷹を送ったらしい)
三好氏と天皇との関係とか他にも目新しい情報ばかりで
三好氏研究者以外の人にも見て欲しい専門書だと感じた
今までの三好氏研究(過去の今谷・長江・秋永)とは視点が全然違うから三好好きは買って損は無いと思う。
>>89
天野氏も作中で淡路は冬康がそんなに発給してないのと残って無いのとで資料が少ないと苦言してた。
今までの三好系資料(今谷・長江・出水・秋永)とは捉え方が全く違うから結構お勧めですよ。

94 :
89です
>>93
読み終え乙
摂津や和泉のことが詳しく書かれているんだ
興味がそそられます
資料が少ないと苦言されていましたか
誰でもいいからあの暗黒地帯に光を当てて欲しいですね
お勧めなら一回読んでみます
レポートあり

95 :
あと、三好実休は三好義賢じゃなくて三好之虎でほぼ確定だと
十河存保が一時期だけ三好性に戻して、その時に三好[義堅]と改名している
その時の存保の改名が軍記物での実休=義賢と混同した可能性があるらしい。
冬康の次男と言われていた清康だが、これも実休の3男との事だそうだ
天野氏は野口冬長に関しては完全スルーだったわw
これでまた三好氏スレが活性化してきたらいいのになー

96 :
×義賢
○之虎
これは最近の本だと三好専門書籍でなくとも
わりかし普通に書かれるようになったね。

97 :
89です
三好家は長慶については研究が進んでいる
逆に言えば長慶関連以外は厳しいとも言える
 個人では義賢、冬康、一存、長逸、康長
 国別では若狭、丹波、播磨、淡路、讃岐
ここら辺に突破口が作られたら面白いんですがね

98 :
政勝・政康が三好没落後、秀吉に仕えるまで
どこで何やってたのかとか

99 :
その二人については名前・生まれ・法名の由来検証とかしか無かったと思う
天野氏の本で目立ったのは政務に携わる人が多めでその内
三好長逸と岩成友通は新しい記述も多かった
三好シンパとしては松永久秀の尾ヒレっぷりにうんざりしてるだろうけど
やはり三好の取次役に収まらない器量を持っていると天野氏の本を読んで再確認した。
てか三好は中央と近いのもあって案外まともに考察されてると思う

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