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2012年1月2期日本近代史6: 【南京】東中野9【新路口事件】 (406) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【南京】東中野9【新路口事件】


1 :12/01/08 〜 最終レス :12/01/19
南京事件を構成する一つである新路口事件
その生存者・夏淑琴さんによる名誉毀損について語るスレです
それ以外の南京事件関連の話題はスレ違いですので慎みましょう
尚、2009年2月5日、最高裁にて被告東中野修道と展転社の上告は棄却され
夏淑琴さんの勝訴が確定しています
前スレ
【南京】東中野8【新路口事件】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1324614681/

2 :
前スレ見て笑ったw
>>794
捕獲した後は戦闘ではないってwww
便衣兵が捕獲されたのは戦闘の結果でしょうがwww
日本軍はいちいち戦闘で10人捕獲して戦闘終了して、また10人捕獲して戦闘終了して、今度は100人捕獲して戦闘終了して、なんて事を繰り返していたのかよwww
そんな事言ってる学説があるのかよwww
掃討期間中はずーっと戦闘中だろうがwww
By歩7戦闘詳報www

3 :
>>798
【問題にされている潜伏敗残兵の摘発処刑】とありますのでこれが分離査問以降の話だというのならそれ以前についてはそもそも問題にされていなかったということですねwwww

4 :
前スレ>>697では「便衣兵は【捜索】されてたんですか?」
なのに
前スレ>>727では「便衣兵を捜索した←何の間違いもない!キリッ」
更に前スレ>>727 「便衣兵【索敵】は戦闘行為←何の間違いもない!キリッ」←馬鹿丸出しww
【3回目】「便衣兵を【索敵】」と記している資料を提示してくださいなw

5 :
>>2
戦闘して1回休み。
戦闘して1回休み。
双六かよw

6 :
肯定派はいつも議論に詰まると振り出しに戻るので、まさに双六ですねw

7 :
おや、あいかわらずスレ違いな内容を続けるのにスレタイを変えるつもりは頑としてないのな。
よっぽど「嘘で固めた南京大虐」での手痛い負けが悔しいみたいだね。
ふつー、あんだけスレチを指摘されたんだったら、スレを立てるときには考慮するもんなのに
「東中野」とも「新路口事件」とも関係のないネタでスレの冒頭を埋めてるあたりも笑えるw
「南京事件全般を扱うスレ」じゃないと思ってスルーしている人を呼び込むのが
そんなに怖いのかね〜w

8 :
>>7
「嘘で固めた南京大虐」??w
そんなスレにも粘着してたんですか?w
さすが中卒無職wwwwwwwwwwwwww
@あまりにもお粗末な南京大虐肯定派「乙=傍観者=光太郎◎猪突猛進」君の中卒英語力をご覧下さいw
原文:To 【conduct】 their in accordance with the laws and customs of war.
訳文:其の動作に付戦争の法規慣例を遵守する事
Aこれを傍観者君が訳したのですが、その訳がこれw
http://8411.teacup.com/minzokuisyou/bbs/mobile/index/detail/comm_id/4395/
「この文章はto+動詞ではなくto+名詞で始まってます」
B慌てて「傍観者→通りすがり」に変身して必死のフォローを試みますが、その訳がまたトンデモwww
http://8411.teacup.com/minzokuisyou/bbs/mobile/index/detail/comm_id/4429/
「To conduct their(その行為に対して:主語)+ operations in their(従って動く:述語)」
Cこれだけ無惨な中卒学力をさらしておきながら、スマイスさんにこの台詞wwwwwww
http://8411.teacup.com/minzokuisyou/bbs/mobile/index/detail/comm_id/4395/
「…確かに英語は不得意な様ですね」

きゃ〜〜〜〜はずかしすぎるぅ〜wwwwwww

9 :
夏淑琴の証言は、そもそも日本兵による犯行であるということがまったく証明できていない。

10 :
前スレ≫800
>捕獲されたんだったら生与奪は日本軍にある。
>捕まっただけで捕虜になれるのかと。
誰が捕虜になれるって言ってんの?w 戦犯容疑者であってもをせずに処刑したら違法ですがw
>小川法務官によれば、戦闘中においては、軍律は不要。
それは【帝国臣民以外ノ人民】なw 軍律は占領地住民の為の規則なんだから占領後に制定するのは当たり前w
前スレ≫801
>南京城内に抵抗者が存在する以上、南京城内の一部分である安全区に対し攻撃を中止する理由は無い。
だからお前の自己解釈は根拠になりませんw 安全区で戦闘が行われた証拠を出して下さいなw
前スレ≫802
>捜索は支那敗残兵掃討のためにやってたのに、なんで戦闘行為じゃないの?おせ〜て〜(笑)
はいはい、すり替えないで下さいねーw 馬鹿犬は「便衣兵【捜索】も戦闘行為」と言ってます。敗残兵という括り
ではありませんw 「便衣兵掃蕩も戦闘行為」って書いてれば問題ありませんよwwwww
それに何で軍事的な意味合いのない【捜索】がイコール戦闘になるんですかー?w おせ〜て〜(笑)

11 :
前スレ≫803-804
>●またまた発狂した中卒猪突猛進君の "韓流日本語" ・・・(笑笑笑
あっさり回答されると返す言葉がなくて、仕方がないので同じ事を何度も書くことしか出来ない馬鹿めw
回答済み↓ですがw 前スレ≫772
 お前日本語理解出来る? 「便衣兵は安全区内で【 捜 索 】されてたんですか?」←疑問形ですけどw
 この文章が「便衣兵を捜索してない」と主張してる様に読めるんですか?wwwww ニポンゴムヅカシイネ-wwwww
>■いや、お前が "語感がおかしいニダ!<<`д´>" と韓流日本語解釈でされても、普通の日本人は普通に
>使ってるから・・・(笑 つ>>720 "語感がおかしい" の証拠プリーズ♪・・・(笑
【捜索】に軍事的な意味合いはないからですがw 普通の日本人は軍事目的で人を探す事はないから索敵はあまり
使わないだろうなw だから英文訳とか畑違いの経済学者の様な素人しか捜索と書かないんじゃねーの?wwwwwww
>【質問】: 日本軍は安全区内で便衣兵を 【 捜索 】 してたの?♪・・・(・∀・)
「だろうねーw」って答えてる筈だが馬鹿ですか?
>■【質問】:ニュースでは知らない人が居なくなっても 【 行方不明 】 って報道してるのは何故?♪w
馬鹿じゃねw ニュースを見てる人からみれば知らない人だが、居なくなったと判る人の報告でニュースになるわけだがwww
>■【質問】:"「行方不明」ってもともと知ってた者が居なくなった時に使う言葉" の証拠プリーズ♪・・・(・∀・)
どこへ行ったか判らない事をどういう人が知り得るかを考えれば自明w
>■日本軍の捜索は、支那残存兵力の【 抵抗力を排除 】して、【 それらの者(=便衣兵と化した支那敗残兵) 】を捕獲
>するのが目的だろうがバーーカ♪・・・(・∀・) オマエもそう書いてるじゃんw
武装放棄した便衣兵に抵抗力はないので抵抗力及び攻撃力を破摧する目的はありませんがw
> ■だから【 戦闘の手段がとられていた以上、日本軍にとっては戦闘中 】と書いたんだよバーーーーカ♪・・・(・∀・)
もともと抵抗力の無い者の抵抗力及び攻撃力をどうやって破摧するんですかーwwwwwwww
>■足立氏見解文中に "捜索がある" 何て一言も書いてねーYO♪バーーーーカ♪・・・(・∀・)
明らかに≪捜 索≫についての学者見解として引用してますがwww 何を今さらwwwwww
>■【3回目】:下記見解文の一体何処に "索敵" があるの?♪・・・(・∀・)
回答済み↓ですがw 前スレ≫773
 おーまーえーがー>>686で、
 「便衣兵≪捜 索≫については、戦闘の手段がとられていた以上、【【【 日本軍にとっては戦闘中 】】】 ・・・(´・ω・`)」
 って書いてるじゃねーかよwwww お前自身が≪捜 索≫については戦闘の手段がとられていたって書いてんだよw
 お前が引用した意図を汲んで軍事的には“捜索”じゃなくて“索敵”だろって返してるわけだがそんな事も説明しねーと
 判らねーのかよw お前の引用なんかいちいち読んでねーよバーカw
お前が≪捜 索≫についての学者見解として引用してきたから、それは軍事的には“捜索”じゃなくて“索敵”だろって返してるわけw 
 【質問1回目】俺が足立純夫見解文に"索敵"があるってどこで書いてるんですかー?wwwwwww
あとこれもなw
 【質問3回目】お前が引用した足立純夫の文章のどこに "捜索" があるんだよバーーーカ♪・・・m9(^Д^)プギャー
ああ、"回答不能" だから涙目で絶句してたのかw ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪

12 :
>>2
>便衣兵が捕獲されたのは戦闘の結果でしょうがwww
戦闘で捕獲した便衣兵は居るだろうなーw それを誰が否定してるんですか?w シャドウボクシング乙www
但し捕獲した後は戦闘じゃないけどなw 足立純夫が書いてるのは捕獲までが戦闘wwwwwwww
>>3
【問題にされている潜伏敗残兵の摘発処刑】とありますのでこれが分離査問以降の話だというのならそれ以前についてはそもそも問題にされていなかったということですねwwww
兵民分離査問以降についてしか佐藤は書いてないので、それ以前については弁護出来ないって事だろwwwwwww
>>4
よお!馬鹿犬w 飼い主にあまり迷惑かけるなよw
それで「便衣兵は【捜索】されてたんですか?」 って聞く事と「便衣兵を捜索した←何の間違いもない」のどこが
矛盾してんだよw 語感として【捜索】はおかしいと思ったから【捜索】していたのかどうか尋ねただけだぜw 
案の定>>720では英文訳と畑違いの経済学者感想文にしか【捜索】って出てこねーじゃねーかw
間違っちゃいねーが言葉の用法としては一般的ではないなw 何れにしても【捜索】に軍事的な意味合いは
ないから「便衣兵捜索も戦闘行為キリッ!」は間違いで確定だなwwwwwwwww
それで俺の宿題はどうなったんだよw いつまで回答拒否して質問返しで逃げるんですかー?w お前が
書いた事について質問してんだぜw 自分の書いた事には責任持てよヘタレニートwwwwwwwwwwww
【3回目】あの判決文のどこに検察側主張なんて書かれてるんですかー? 引用して下さいなw
【7回目】具体的に原剛氏の解釈と朝日新聞がどこがどう違っているのか詳しく説明よろw
 
あとさー、>>630の「国際法学者足立氏見解によれば、戦闘行為には「敵の拘束」も含まれますキリッ!」も
間違ってたんだけど今どんな気分?w 足立が書いてるのは【捕獲】までなんですけどw 追加質問ですw
【2回目】戦闘行為には「敵の拘束」も含まれるって足立純夫見解のどこに書かれているんですかー?w
【2回目】足立純夫の戦闘の解説文中のどこに"捜索"と書かれているんですかー?w
 
結局、馬鹿丸出しはお前だったなwwwwwwwwwwwwwwwwwww

13 :
>>11
●発狂在日韓国人 "猪突猛進君" のグダグダ韓流日本語講座♪・・・(・∀・)
  >http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1324614681/697
  >便衣兵は安全区内で【 捜 索 】されてたんですか? 便衣兵って行方不明者だったんですかーww
    ↓
  >http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1324614681/727
  >便衣兵を捜索したと書くのは構わねーよ。 """""""実際に探してるんだからw""""""""""
    ↓
  >http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1325994314/11
  >お前日本語理解出来る? 「便衣兵は安全区内で【 捜 索 】されてたんですか?」←疑問形ですけどw
  ■"""疑問形ですけどw"""" ← 何が言いたいのーーー♪? バーーーーーカ・・・(笑
  >http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1324614681/727
  >・便衣兵を捜索した←何の間違いもない。
  >便衣兵を捜索したと書くのは構わねーよ。実際に探してるんだからw
    ↓↑
  >http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1324614681/771
  >語感として【捜索】はおかしいと思ったから【捜索】していたのかどうか尋ねただけだぜw
  ■"便衣兵捜索したは何の間違いもないニダ!実際に探してるんだから書くのは構わないニタ!<<<`д´>ノ゙"
  と自分で書いてるクセに、"語感として捜索はおかしいと思うニダ!<<<`д´>ノ" かよ?・・・(笑笑笑
  韓流日本語はケッサクだわ ・・・ ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪
●また自爆するぞバーーーカ♪・・・(・∀・)
  >http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1325994314/11
  >ニュースを見てる人からみれば知らない人だが、居なくなったと判る人の報告でニュースになるわけだがw
    ↑
  ■【質問】:日本軍も、包囲下に居たはずの支那兵が "居なくなってる事が判った" んだよな?w
●こう書けば在日韓国人にでも理解できるんじゃね?・・・(笑笑笑
  【質問】:日本軍は敵国の抵抗力・攻撃力を破砕催するため、支那戦闘員を傷し、その抵抗力を排除して
  戦闘員及び便衣に着替えて安全区内に逃亡した敗残支那兵を捕獲したんじゃないの?♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

14 :
>>11
●勝手に "自己解釈" すんな馬鹿wwww
  >http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1325994314/11
  >お前が引用した意図を汲んで軍事的には“捜索”じゃなくて“索敵”だろって返してるわけだが
  >・・・・・・・・
  >お前が≪捜 索≫についての学者見解として引用してきたから、それは軍事的には“捜索”じゃなくて“索敵”だろって返してるわけw 
  >【質問1回目】俺が足立純夫見解文に"索敵"があるってどこで書いてるんですかー?w
    ↑
  ■この "ウソ" は恥ずかしいこそが、一呼吸毎にウソが出る在日韓国人証だなwwwww
    ↓
  >http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1324614681/697
  >> @〜Cは全て 【【【 戦闘の手段 】】】 ・・・(´・ω・`)
  >何それw 索敵が戦闘の一環なのは当たり前ですがw さんざん待たせたソースってこれかよw 
  >      """"索敵が戦闘の手段であるソース""""    を持ってきてどうすんだよwww
    ↑
  ■オマエは足立氏見解を指してはっきりと "索敵が戦闘の手段であるソース" と書いてるYO♪ウソ吐き在日韓国人w
  ■オマエは足立氏見解を指してはっきりと "索敵が戦闘の手段であるソース" と書いてるYO♪ウソ吐き在日韓国人w
  ■オマエは足立氏見解を指してはっきりと "索敵が戦闘の手段であるソース" と書いてるYO♪ウソ吐き在日韓国人w
  ----------------------------
  『現代戦争法規論 足立純夫著 P61 第3節 戦闘‐総則 28. 戦闘の原則』
  戦闘は、敵国及び敵武装部隊の抵抗力及び攻撃力を破摧するために
  行われ、そのため、
   敵の戦闘員を傷し、
   その抵抗力を排除してそれらの者を捕獲し、
   武装紛争の遂行に貢献している政治、産業、交通、通信の重要な中枢を破壊し、
   防守地区を占領し又は破壊する
  等の手段がとられる。
  ----------------------------
  ■【4回目】:上記見解文の一体何処に "索敵" があるの?♪・・・(・∀・)
   ああ、"回答不能" だから涙目で絶句してたのかw ・・・・ ぷぎゃーーm9((^д^))ーー♪

15 :
>>11
●自分が勘違いしてる事をまだ理解できないバーーーカ在日韓国人♪・・・(・∀・)
  >http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1325994314/11
  >【質問3回目】お前が引用した足立純夫の文章のどこに "捜索" があるんだよ
    ↑
  ■オイラは 『便衣兵捜索については、【【 戦闘の手段がとられていた以上 】】、戦闘中』 と書いただけだバーーカ♪
  ---------------------------------------
  http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1324614681/686
  【【【 便衣兵捜索 】】】 については、戦闘の手段がとられていた以上、日本軍にとっては戦闘中・・・(´・ω・`)
  ---------------------------------------
    ↓
  ■【 戦闘の手段がとられていた以上 】とした根拠は、下記見解文と、日本軍が支那の抵抗力・攻撃力を破砕催するため、
  支那戦闘員を傷し、その抵抗力を排除して戦闘員及び便衣に着替えて安全区内に逃亡した敗残支那兵を捕獲していた事
  が一致するからだYO♪バーーーカ♪・・・(・∀・)
  ----------------------------
  『現代戦争法規論 足立純夫著 P61 第3節 戦闘‐総則 28. 戦闘の原則』
  戦闘は、敵国及び敵武装部隊の抵抗力及び攻撃力を破摧するために
  行われ、そのため、
   敵の戦闘員を傷し、
   その抵抗力を排除してそれらの者を捕獲し、
   武装紛争の遂行に貢献している政治、産業、交通、通信の重要な中枢を破壊し、
   防守地区を占領し又は破壊する
  等の手段がとられる。
  ----------------------------
    ↓
  ■故に、【 日本軍の便衣兵捜索 】 は 【 戦闘の手段がとられていたから戦闘中 】 と書いただけで、足立氏見解文中に
   "捜索がある!<<`д´>" なんて一言も書いてねーーーYO♪・・・(・∀・)
  自分が勘違いしてる事にも気付かず、3回も馬鹿質問を繰り返したバーーーカ在日韓国人♪・・・(・∀・)
  ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪

16 :
>>12
日本語を曲解しても無意味なんだけどねぇ(笑)
捜索は支那敗残兵掃討のためなのに、何で戦闘行為じゃないの?おせ〜て〜(笑)
あと、日本軍が支那敗残兵を捕らえた理由は、支那敗残兵を無力化するためだよね?何でこれが戦闘行為じゃないの?おせ〜て〜(笑)

17 :
>>12
サーセンw
「敵兵の拘束」→「敵兵の捕獲」でしたw
その他は前スレを確認してくださいなw
ところで「日本軍による便衣兵捕獲は戦闘行為」でよろしいのですよね?w

18 :
>>10
捕まっただけの敵兵が何で戦犯容疑者になるの?

19 :
>>10
佐藤博士によれば、中国兵が安全区で捕まったなら、戦時重罪の現行犯なので不要で射されますね。
何でが必要なんですか?
そんな学説でもありますか?

20 :
>19
安全区で捕まったのは「タダの民間人」ですが?
「便衣」を着ていたのでしょう?
「敵兵だ」と判断する理由が不明ですねw

21 :
>>20
中国兵が便衣になれば、除隊手続き無しに市民になるのですか?
日本軍に捕らえられたのは〈市民と認められなかった者〉
で〈市民と認められる者〉に被害は出ていないんですが。
「水谷荘日記 戦塵」(歩兵第七連隊第 一中隊一等兵)
十二月十六日
それでも百数十名を引立てて来る。その直ぐ後に続いて、家族であろう母や妻らしい者が大勢泣いて放免を頼みに来る。
 〈市民と認められる者〉は直ぐ帰して、三六名を銃する。

22 :
>>20
防守都市に対しては無差別攻撃が認められる状態なんだから
日本軍がわざわざ敵兵として選別する必要はないんだよw
むしろ中国側が民間人として攻撃を受けないように証明する必要があるw
そしてそんなことをしなきゃいけない状況を作ったのは中国側w

23 :
>21
>日本軍に捕らえられたのは〈市民と認められなかった者〉
>で〈市民と認められる者〉に被害は出ていないんですが。
いつから第一線の兵士が「市民」と「軍人」とを弁別するだけの知識を持ち、
その弁別を行うだけの権限を与えられたのですか?

24 :
>22
>防守都市に対しては無差別攻撃が認められる状態なんだから
無差別攻撃が認められるのは「軍事目標」に対してではなかったのですか?
「便衣を着た民間人」を害するのは「無差別攻撃」の範疇ではなく、ただの「虐」ですよ。
>中国側が民間人として攻撃を受けないように証明する必要があるw
攻撃を受けないようにもなにも、「便衣(私服)」を着ている民間人なのだから、
攻撃してくるなどと考える必要もないでしょうにw
そんなことをしてくる日本軍が非常識だっただけですよ。

25 :
>>23
1937年12月13日、上海派遣軍第九師団・歩兵第六旅団長・秋山少将より発せられた、「南京城内掃討要領」からですが。
南京での正式な日本軍の作戦行動ですね。

26 :
>>24
中国兵という軍事目標に対して攻撃しただけであって、市民はその巻き添えに過ぎません。
市民そのものを軍事目標として攻撃したのではありません。
それとも日本軍が市民そのものを軍事目標として攻撃した根拠があるのですか?

27 :
>25
>上海派遣軍第九師団・歩兵第六旅団長・秋山少将より発せられた、「南京城内掃討要領」からですが。
現地軍の旅団長風情に、民間人虐を合法化する権限など与えられません。
それは単にその旅団長が「虐を容認する指示を出した」という説明であって、
日本軍の行動を正当化する根拠たり得ません。

28 :
>>27
どこに虐を容認する指示があるのですか?
○掃蕩実施に関する注意
1、軍司令官注意事項を一兵に至るまで徹底せしめたる上、掃蕩を実施すべし。
2、外国権益の建物を敵がこれを利用しある場合の外、立ち入りを厳禁す。重要なる箇所には歩哨を配置すべし。
3、掃蕩隊は残敵を掃蕩を任とし必ず将校(准尉を含む)の指揮する部隊をもって実施し、下士官兵以下、各個の行動を絶対に禁ず。
4、青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。

29 :
>28
>青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。
理不尽にも、全ての男性を「軍人とみなせ」という指示を出していますね。
まったくもって根拠が無く、私服の民間人を「敵兵とみなせ」としているのですから、
現地部隊が暴走して「敵兵」として認識し、戦闘と称して虐に走ることを想定していない無謀な支持です。
それでも、普通ならば「ただの民間人」である可能性のある「便衣の中国人」を問答無用で害するような
バカな部隊指揮官など居ないのが普通の軍隊なのですが、いかんせん日本軍はそうした「普通の軍隊」という枠に
留まるようなシロモノではなかった、ということですね。

30 :
ソンミ村とか知らないんですねわかります

31 :
>>29
どこが全ての男性を軍人とみなしているんでしょう。
>21
>「水谷荘日記 戦塵」(歩兵第七連隊第 一中隊一等兵)
>十二月十六日
>それでも百数十名を引立てて来る。その直ぐ後に続いて、家族であろう母や妻らしい者が大勢泣いて放免を頼みに来る。
> 〈市民と認められる者〉は直ぐ帰して、三六名を銃する。
全ての男性を軍人とみなしていたなら、銃されたのは百数十名のはずで、36名という事にはなりませんが。

32 :
>31
>どこが全ての男性を軍人とみなしているんでしょう。
<28>にある以下の文言ですよ。
>4、青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし

33 :
一旦監禁してから取り調べるってことでしょ
全てしたわけではないので言いがかりですね

34 :
>>24
> 無差別攻撃が認められるのは「軍事目標」に対してではなかったのですか?
それは無防守都市に対してですよw
防守都市に対しては無差別攻撃が可能で民間人に被害があっても合法です
なぜ無差別攻撃が可能な状態なのに日本軍が軍民の選別する義務があるのですか?w
> 攻撃してくるなどと考える必要もないでしょうにw
敵軍勢力殲滅は戦争の常識です
攻撃してこようがこまいが関係ありませんよw
そして便衣兵は保護すべき存在ではありませんし民間人を巻き込む非常識な行動です
> そんなことをしてくる日本軍が非常識だっただけですよ。
非常識なのは中国軍ですよw
日本軍は軍民に被害がないようオープンシティを勧告したにも関わらず
中国軍は受け入れずなおかつ民間に被害を及ぼす便衣戦術を行ったのですよ
それに対し日本軍は軍民の選別に努力して民間被害を抑えようとした常識的な軍隊ですよ
まああなたのように中国軍の非常識な行動を咎めず日本軍の常識的な行動を非難する
非常識な言動はイデオロギー丸出しなプロパガンダですねw

35 :
>33
>一旦監禁してから取り調べるってことでしょ
>全てしたわけではないので言いがかりですね
害した人数は、数千人にのぼりますが?
数だけで見ればこれだけでソンミ村の十倍に上りますから、
充分に「大虐」と呼ばれうる規模ですね。

36 :
>34
>それは無防守都市に対してですよw
>防守都市に対しては無差別攻撃が可能で民間人に被害があっても合法です
その場合、米国大使館員や英国大使館員が巻き込まれた場合には国際問題に発展しますね。
日中双方が宣戦布告を行っていない当時の南京市街には、それらの第三国の大使館が機能しておりましたから。
パネー号事件の事をお忘れですか?
また、日本は蒋介石政府に対して宣戦布告すらしていませんので
そもそも南京を攻撃するだけの確たる法的根拠を持っていないように思いますが。

37 :
>>29
あなたのイデオロギー丸出しな妄想を語られても苦笑するだけですw
どう見ても民間人保護を重要視しているのが分かりますし
「青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし」というのも中国軍が便衣戦術をとっていたからです
そして青壮年が皆しされたわけでもなくそこから軍民が選別されているわけで
あなたの妄想は意味がありませんw
> 4、青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。

38 :
>>36
だから日本軍が大使館・民間人を大量に巻き込む戦術をとったのですか?
それに明確な大使館・民間人が目的の攻撃ではない限り軍事的必要の範囲ですね
あなたが無知なだけで実質的な戦争状態なので国際法が適用されます

39 :
>37
>どう見ても民間人保護を重要視しているのが分かりますし
「青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし」
どう読んでも、青壮年を「全て敵と見なせ」と書いているようにしか思えませんが。
そして、現実に起こったことは多数の民間人を害したという「虐行為」です。
弁護の余地が何処にあるのでしょうかね。
>というのも中国軍が便衣戦術をとっていたからです
中国軍が便衣戦術で日本軍を攻撃したという証拠をお示し下さい。
それがない限りは「日本軍側の身勝手な言い訳」以外のなにものでもありません。
>軍民が選別されている
「日焼けの後がある」とか「手にタコがある」とかいうのは
選別と呼ぶに値しません。

40 :
>38
>だから日本軍が大使館・民間人を大量に巻き込む戦術をとったのですか?
私は日本軍が無差別攻撃を行ったとなどとは言っておりませんよ?
あなたが「日本軍は無差別攻撃を行うことが可能だった」とおっしゃっているので、
当時の日本軍がそうした行動を取ったらどういう不具合が起こるのかを説明して、
それがゆえに「日本軍にはそうした手段は取り得なかった」と言っているのです。
>それに明確な大使館・民間人が目的の攻撃ではない限り軍事的必要の範囲ですね
あなたの勝手な憶測は必要としておりませんよ。
安全区に全面的な攻撃をかけて、第三国の大使館員が傷されるような事態が起こったときに
どのような事態が惹起されるのかは、あなたの憶測で判断可能な問題ではないのでね。
>あなたが無知なだけで実質的な戦争状態なので国際法が適用されます
となれば「捕虜を取った時点」でハーグ条約が適用されますね。

41 :
>>35
最大に見積もっても6670名にしかなりません。
しかも〈市民と認められない者〉に限られます。

42 :
>41
>最大に見積もっても6670名にしかなりません。
ソンミ村虐事件の10倍以上ですね。
立派に「大虐」の要件を満たしていると思いますが。
>しかも〈市民と認められない者〉に限られます。
日本軍が勝手に言っているだけで、何の証拠もありませんね。
そもそもすら開いていないので、日本側のその主張自体が信憑性に欠けると言わざるを得ません。
日本軍が彼等を「市民とは認められない」とするだけの明確な物証なり資料なりが存在していないので。

43 :
ラーベも選別されたと認識していますが

44 :
>>39
>「日焼けの後がある」とか「手にタコがある」とかいうのは
>選別と呼ぶに値しません。
それを判断するのは日本軍であって、あなたではありません。

45 :
>>39
僅かな期間で日焼けが出来る程、南京の陽射しは強かったのですか?
日焼けが出来る程、長期間軍事訓練を受けていたのは軍人以外にありません。

46 :
>>39
>「青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし」
>
>どう読んでも、青壮年を「全て敵と見なせ」と書いているようにしか思えませんが。
現実をちゃんと認識しろよw
日本軍が本当に無差別に「青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなしていた」のであれば、最初に引立てて来た百数十名は全員射されていなければならない。
しかし現実には、百数十名→三六名w
つ>21w
>「水谷荘日記 戦塵」(歩兵第七連隊第 一中隊一等兵)
>十二月十六日
>それでも百数十名を引立てて来る。その直ぐ後に続いて、家族であろう母や妻らしい者が大勢泣いて放免を頼みに来る。
> 〈市民と認められる者〉は直ぐ帰して、三六名を銃する。

47 :
>>39
手のタコはラーベも選別の方法として認めていましたね。

48 :
>43
>ラーベも選別されたと認識していますが
おや、彼の発言に信頼を置くのですか?
彼は確かこのようなことを書き残していたはずですが。
シーメンス中国本社上海取締役会宛、発信者―ラーベ 1938年1月14日付
W・マイアー社長の書簡(一九三八年一月三日付)にたいする返事
(略) 
 しかし、私たちにとっての真の危機は爆撃の後、つまり日本軍による南京陥落後に始まりました。
 日本軍当局は見たところ、部隊の統率力を失っているようです。
 日本兵部隊は数週間にわたり略奪を繰り返し、およそ二万人の婦女子を強姦し、
何千人もの罪なき市民(発電所の職員四三人を含む)を無残に害したうえ
(機銃掃射による大量害も人道的な処刑とされていたようです)、
外国人の家屋もお構いなしに侵入しました。
(「ドイツ外交官の見た南京事件」P96〜P97)
ヒトラーへの上申書 1938年6月8日
中国側の申し立てによりますと、十万人の民間人がされたとのことですが、
これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。
我々外国人はおよそ五万から六万人と見ています。
(「南京の真実」 文庫版 P362)

私は秦郁彦の4万人前後という説を支持しておりますので、5万から6万というのは
いささか多い推定だと思っておりますが、否定派であるあなたがそれほどラーベの判断に
信頼を置くというのでしたら、上記の推定にも耳を傾けるべきなのかもしれませんね。

49 :
>44
>>「日焼けの後がある」とか「手にタコがある」とかいうのは
>>選別と呼ぶに値しません。
>それを判断するのは日本軍であって、あなたではありません。
ええ。
この日本軍の行為が「選別」と呼ぶに値するか否かは、
当事者である日本軍に委ねられるべきモノではなく、
第三者による判定に委ねられるべきモノです。
当時の米国人や英国人やドイツ人などがどのような判断を示したかこそが
問われるべきでしょうね。
とりあえず一例を。
ミニー・ヴォートリンの日記より
一月五日 水曜日
 これも午後のことだった。わたしが執務室にいると、新婚一八日目の若い花嫁が、
夫を捜す手伝いをしてもらえないか、と言ってきた。
 彼は何の罪もない洋服の仕立屋で、一二月一五日、家から連れ去られたまま戻ってこない、
というのだ。
 さらに別の新婚二ヵ月の若い花嫁がやってきて、一二月一六日に夫が連れ去られたと話し、
わたしに援助を求めた。
 いずれの場合も夫は兵士ではなかったが、戻ってくる見込みはほとんどないのではないかと思う。
 当初のあの狂乱の時期には多くの若者が銃されたからだ。
 前者は一〇人家族を、後者は八人家族を扶養する一家の柱であった。
 このような悲話がたえず耳に入ってくる。
(「南京事件の日々」 P99)
一月一一日 火曜日
 四時から五時まで執務室にいると、大勢の女性が入ってきて、夫の捜索に力を貸してほしいと懇願した。
 数週間前から、つまり、一二月十四日以来いなくなってそれきり、という事例もいくつかあった。
 ご主人は戻ってこないだろう、とはあまりに酷なことで、そんなことは言えない。
 しかし、連れ去られた若者については、多くの場合それは当たっている。
 若者たちは、当初のあの恐ろしい時期に銃されたのだ。
(「南京事件の日々」 P111)

50 :
>45
>僅かな期間で日焼けが出来る程、南京の陽射しは強かったのですか?
なぜ「わずかな期間」と断定できるのですか?
>日焼けが出来る程、長期間軍事訓練を受けていたのは軍人以外にありません。
根拠が薄弱ですね。
屋外での作業に従事していたら、日焼けくらいはしそうなモノですが。

51 :
>46
>日本軍が本当に無差別に「青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなしていた」のであれば、
>最初に引立てて来た百数十名は全員射されていなければならない。
さすがに、現場の人間は上層部の人間が「男は全部皆しにしろ」とかいう、たわけた命令を
出してきても「さすがにそりゃあ無理だ」という程度には理性を持っていたんでしょうね。
なんせ、安全区には20万人もの人間がひしめいていたんですから、
成年男子ばかり5万も6万もすのはさすがに難しいでしょう。
しかしながら、全員すのが無理という判断をしても、
「怪しいと思ったヤツ」を5〜6千人くらい抽出して害するのは出来ると判断したのでしょうね。
実際に、それが本当に兵士かどうかを確認できない限りは「民間人を害した」という汚名を
被るくらいのことは承知の上だったでしょうし、「勝てば官軍だ」ぐらいの軽い気持ちで
行ったのではないでしょうかね。
実際、昭和20年の8月に負けるまではその責任を取らされることはなかったわけですから。

52 :
>>50
>なぜ「わずかな期間」と断定できるのですか?
唐生智が南京の防衛司令長官に任命されたのが11月24日。
南京城陥落が12月13日。
南京市民が徴兵されたとしても訓練機関はわずか3週間弱。
真冬の11月末から12月初旬までの間で日焼けが出来るほど南京の紫外線は強烈だったのかとw
『南京戦史』P387
師団副官・宮本四郎氏の遺稿によると、捜査にあたった司令部の大行李長・瀬戸大尉の話として「ズボンをまくりあげさせ、短ズボンを穿いていた奴は太股に日焼けの横線がある。
此奴は兵隊である。・・・・・・紛らわしいのは逃亡兵の方に入れる。
それが逃亡兵でない時は、本人が言い張るばかりでなく、難民区から見に来ている男女中国人が、この男は何町の呉服屋の店員だとか、これは私の妹の子供だと泣きすがって哀願する婆さんが現れたりして、決着がつく」と記している。
日焼け(特にヘルメットのあご紐、額)は言い逃れできない。
真夏に短ズボンで屋外で働いている連中が、南京市内に知人がひとりもいないのかとw
服装(軍支給の下着にまで至る)、銃だこ、靴ずれ、髪の長さ(兵隊は坊主頭)、等々の複合条件に該当する南京市民が存在するのかとw

53 :
>52
当時の南京市街には近郊の農民なども多数流れ込んでいますが、
好きで短いズボンやヘルメットを使っていた農民なども居るんじゃないの?
>服装(軍支給の下着にまで至る)、銃だこ、靴ずれ、髪の長さ(兵隊は坊主頭)、等々の複合条件に該当する南京市民が存在するのかとw
それらが全部当てはまったとしても、たかだかそれだけの理由で害するのは根拠薄弱としかいいようがありません。
そもそも、「取り調べ」というに値しません。
「水谷荘日記 戦塵」(歩兵第七連隊第 一中隊一等兵)
十二月十四日
 昨日に続き、今日も市内の残敵掃蕩に当り、若い男子の殆んどの、大勢の人員が狩り出されて来る。
 靴づれのある者、面タコのある者、きわめて姿勢の良い者、日付きの鋭い者、等よく検討して残した。
 昨日の二十一名と共に射する。
十二月十六日
 市民と認められる者は直ぐ帰して、三六名を銃する。皆必死に泣いて助命を乞うが致し方もない。真実は判らないが、哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないことだいう。
 多少の犠牲者は止むを得ない。
 抗日分子と敗残兵は徹底的に掃蕩せよとの、軍司令官松井大将の命令が出ているから、掃蕩は厳しいものである。
(『南京戦史資料集T』P395、P396)
 これを見ても、自分たちの選別が「多少の犠牲者は止むを得ない」という質のモノだというのを
本人たちも了解していたようですから。
また、<49>で引用したヴォートリン日記の以下の記述はどうなるのかな?
>いずれの場合も夫は兵士ではなかったが、戻ってくる見込みはほとんどないのではないかと思う。
>当初のあの狂乱の時期には多くの若者が銃されたからだ。
>数週間前から、つまり、一二月十四日以来いなくなってそれきり、という事例もいくつかあった。
>ご主人は戻ってこないだろう、とはあまりに酷なことで、そんなことは言えない。
>しかし、連れ去られた若者については、多くの場合それは当たっている。
>若者たちは、当初のあの恐ろしい時期に銃されたのだ。
きちんとした選別が行われなかったと、第三国の人間が認識しておりますよ。

54 :
>>53
馬鹿丸出しw
それが「国際法違反にあたる」とした国際法学者見解を提示してくださいなw

55 :
>>53
>それらが全部当てはまったとしても、たかだかそれだけの理由で害するのは根拠薄弱としかいいようがありません。
>そもそも、「取り調べ」というに値しません。
根拠が妥当かどうかを判断するのはあなたではありません。
あなたがいくら根拠薄弱と言い張った所で単なる個人的意見であって、何の意味もありません。
>これを見ても、自分たちの選別が「多少の犠牲者は止むを得ない」という質のモノだというのを
>本人たちも了解していたようですから。
掃討の目的が市民の害ではなく、中国兵の摘出だとしっかり認識していますね。
中国兵という軍事目標への攻撃による民間の被害が発生する、と認識しているだけですね。
それはハーグ条約でも認められています。
>また、<49>で引用したヴォートリン日記の以下の記述はどうなるのかな?
連行されただけで害されていませんが。
身元を保証する人がいれば連行されなかったとヴォートリン自身が記録していますが。
『南京事件の日々』P244
一九三八年五月〜六月初旬
 そんなヴォートリンにとっての朗報は、模範刑務所に捕らわれていた民間人のなかで、元兵士でないことが証明された者の釈放がようやく可能となり、六月二日、嘆願署名を作成した婦人のうち、
刑務所に夫がいることが確認された者は面会にくるようにとの連絡が入ったことである。そして翌日、三〇名の男性市民が模範刑務所から釈放され、妻子、家族のもとへ帰って行った。
『南京事件の日々』ミニーヴォートリンの日記P58
十二月十六日
 日本兵は学院の使用人を二度に渡って掴み、この男たちは兵隊だと言って連行しようとしたが、わたしがそこに居合わせ、「兵隊ではない、苦力です」と言ったことで、彼らは銃ないしは刺の運命から免れた。

56 :
>>53
単ズボンは〈洋服〉です。
当時の農民が主に〈洋服〉を身に付けていたとでも?
市民がなんで真夏の暑い中わざわざヘルメットをかぶるのですか?

57 :
>>53
感想文ならご自分のブログにでもどうぞw
靖国神社大嫌いの無職中卒中年生活保護クレクレ詐欺師集団【中核】派「乙こと光太郎◎猪突猛進」おぇ〜w
mixiで他の全ての南京大虐肯定派から拒絶され、全レス削除されて公開処刑された糞ゲロ【中核】南京大虐肯定派「タクマニアこと光太郎◎猪突猛進」おぇ〜w

58 :
>55
>根拠が妥当かどうかを判断するのはあなたではありません。
>あなたがいくら根拠薄弱と言い張った所で単なる個人的意見であって、何の意味もありません。
そのとおりですね。
いま私たちがやりとりしている問題に関して、妥当性が有ったか否かを判断する仕事は、
キチンとした学問的訓練を積んだ学者のするべき仕事です。
そしてそうした人々が集まった「日中歴史共同研究」において出た判断が以下のようなモノです。
外務省HP
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html
日中歴史共同研究(概要)
4)南京攻略と南京虐事件
(略)
中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定
して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しか
し、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐事件が発
生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐行為の犠牲者数は、極東国際軍事にお
ける判決では20 万人以上(松井司令官に対する判決文では10 万人以上)、1947 年の南京戦犯
軍事法廷では30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究
では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数
に諸説がある背景には、「虐」(不法害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計
など資料に対する検証の相違が存在している。
(後略)
また、この「南京事件」を論じた学者の文章の中で引用されている文献は、
笠原十九司・秦郁彦・洞富雄などの諸氏の著作・資料集などが脚注に用いられていますが、
いわゆる「まぼろし派」の人々の著作は取り上げられておりません。
また、文中における「さまざまな推計がなされている」という際に取り上げられている事例も、
肯定派諸氏の論説を元にしており、「まぼろし派」の論説が排除されているのが分かりますね。
>掃討の目的が市民の害ではなく、中国兵の摘出だとしっかり認識していますね。
>中国兵という軍事目標への攻撃による民間の被害が発生する、と認識しているだけですね。
認識していた以上、それを批判されることも覚悟するべきでしょうね。
>>また、<49>で引用したヴォートリン日記の以下の記述はどうなるのかな?
>連行されただけで害されていませんが。
>身元を保証する人がいれば連行されなかったとヴォートリン自身が記録していますが。
逆に言うと、身元を保証してくれる人がいない「市民」は連行されて害された
ということですね。
私が問題にしているのは害された人についてのモノなので、釈放された人数が
何人いたかなどは問題にしておりません。

59 :
>56
>当時の農民が主に〈洋服〉を身に付けていたとでも?
暑がりだった人は裾でも捲ってたんじゃねーの?
いずれにしても、「日焼けしてたら兵隊だ」ってのは根拠薄弱としか言えませんね。
>市民がなんで真夏の暑い中わざわざヘルメットをかぶるのですか?
当時の南京では土木工事に従事する人が皆無だったという資料なり証拠なりを出して下さいな。

60 :
>>53
郊外の農民が6000人も安全区で何をしていたんだwww
安全区以外は無人だったという証明にしかなりませんがwww

61 :
冬の南京で暑がりですかw
あと、当時の南京で土木工事が頻繁に行われ、かつヘルメットが各自に支給されていたソースプリーズ

62 :
>60
>郊外の農民が6000人も安全区で何をしていたんだwww
日本軍が入ってくるまでの安全区は実際に安全だったからでしょうね。
ティンパーリ「戦争とは何か」
・・・それで、十二日の日曜日に日本軍が入城を開始する直前までは、称賛すべきほどの秩序が維持されていました。
食料を求める兵士たちのちょっとした例外を除いて略奪はありませんでした。
全市の外国人の財産は尊重されていました。
水道は十日まで、電気はその翌日まできていたし、電話は事実上、日本軍の南京入城当日まで通じていました。
われわれはいちども、深刻な危機感は感じませんでした。
というのは、日本軍は安全区への爆弾投下や砲撃を避けているように思われたからです。
日本軍が来てからの地獄にくらべれば、南京は秩序と安全の天国でした。
(「南京大残虐事件資料集」第2巻 P28)
日本軍の侵攻に晒された地域の住人が安全区に逃げ込んだのも、もっともな話ですね。

>安全区以外は無人だったという証明にしかなりませんがwww
なりませんよ?
あくまで、「安全区に大量の人々が流入した」ということを証するモノであって、
安全区以外に居住していた人が「全て」安全区に入ったことを意味するモノでは
ありません。

63 :
>>62
夜中からIDがそのまんまwwwwwww
また仕事は見つかっていないのですねwwwwwww
中卒+在日韓国人では無理ですからねwwwwwww

64 :
>61
>あと、当時の南京で土木工事が頻繁に行われ、かつヘルメットが各自に支給されていたソースプリーズ
ご自分でお調べ下さい。
私は「日やけの有無」で兵士か否かを判断するのが妥当であるかどうかについての
疑義を提出しているだけですので、「日やけがあればオッケー」と主張して居る
あなた方が「それ以外の理由での日やけ」を否定し去るだけの論拠を提示する
必要があるのですが。

65 :
>>64具体的に反論する事が出来ないからイチャモンに終始するまで読んだw

66 :
>>62
郊外の農民までわざわざ安全区に避難したなら、安全区外の市民はもっと早く安全区へ避難しているはずですねw

67 :
>66
>郊外の農民までわざわざ安全区に避難したなら、安全区外の市民はもっと早く安全区へ避難しているはずですねw
実際に戦火にさらされて焼け出された人々がより「安全」に対して過敏になっていたのに対して、
身近な危険に差し迫ることが比較的少なかった城内の市民の方が逃げると言うことに真剣になっては
居なかったのではないでしょうかね。
それにしても、反論内容が一行レスだけになった人が多いようですね。
反論すべき手材料が足りなくなって来たのでしょうか?

68 :
>>62
実際に陥落時の南京にいたスミス記者は「13日にかけての夜、中国兵による略奪が始まった」ことを述べておりますw
お尋ねしますが、ティンパーリは南京陥落時、どこにいたのですか?w

69 :
>>67
スレが長ければ良いわけではありませんがなw
馬鹿丸出しwwwwwww
南京陥落時、ティンパーリはどこにいたのですか?w

70 :
>68
>お尋ねしますが、ティンパーリは南京陥落時、どこにいたのですか?w
まさかご存じないのですか?
ティンパーリは南京戦当時は上海にいて、南京からきた電報をとりまとめただけです。
そのことは該当の著書にしっかりと書いてありますよ。
こんな初歩的なことを今さら説明させられるとは思いもしませんでした。

71 :
>>70
知ってたから確認させて頂いたのですw
馬鹿丸出しwwwwwww
陥落時、南京にいなかったティンパーリより、実際に南京にいたロイター記者スミス氏の証言の方が信憑性が高いのは当たり前ですよねwwwwwww
馬鹿丸出しwwwwwww

72 :
>>64
ただの日焼けではなく短ズボンやヘルメットの額や顎ひもの日焼けですが。
洋服が一般的ではない時代に短ズボンをはき、ヘルメットを被るような生活を長期間行っていた、南京に知人が存在しない人。
兵隊と判断して当然です。

73 :
>>64
それから銃を撃つとできる手のタコ、一般人は布靴主流の時代に固い革靴を履いた行軍による靴ズレ、知人の不在、それらが複数該当する人物を市民と判断するのは不可能ですw

74 :
>71
>実際に南京にいたロイター記者スミス氏の証言の方が信憑性が高いのは当たり前
ティンパーリの著書は、実際に南京にいた人々からの電報などをとりまとめたものなのですが。
スミス氏一人の証言よりも、より多くの証言者からの発言をとりまとめている点で、
ティンパーリの著書の信憑性の方が高いように思いますが。

75 :
>72
>ただの日焼けではなく短ズボンやヘルメットの額や顎ひもの日焼けですが。
>洋服が一般的ではない時代に短ズボンをはき、ヘルメットを被るような生活を長期間行っていた、南京に知人が存在しない人。
>兵隊と判断して当然です。
いずれも既に上のレスにて反論を行っております。
どれも根拠薄弱で、兵隊と決めつけた上に命を奪うような行為を行うには不適当ですね。

76 :
>>75
ハーグ条約により軍事目標に対する無差別攻撃は認められますw
従って日本軍には市民と敵兵を区別する義務はありませんがw
軍民識別義務は中国軍にありますw

77 :
>>74
歴史【学者】北村氏によれば、ティンパーリは国民党宣伝部顧問だったとのことですがwwwwwww
【国民党宣伝部顧問】の記述が信用できますか?wwwwwwwwwwwwww

78 :
>>74
あと、ティンパーリが集めた「多くの証言」とやらを具体的にお願いしますwwwwwww

79 :
>76
>従って日本軍には市民と敵兵を区別する義務はありませんがw
抵抗を止めて武器を捨て、軍服を脱いで私服を着ていたのであれば、それは市民ですよ。
太平洋戦争当時の日本人は、徴兵制を敷いていたので成人男子は全員兵役を経験した
「元兵士」ですが、除隊してしまえば「ただの市民」です。
広島・長崎の原爆や、東京をはじめとした年への大規模な空襲は、戦争犯罪だとする立場に対して、
「元兵士」だから市民ではないので攻撃対象だという論理が成り立たないのと同じ事です。

80 :
言い訳クンはいい加減防守都市の無差別攻撃が合法な状態で
日本軍がわざわざで軍民を選り分ける義務と法的根拠を持ってこいよw
まあそんなものはないから合法なんだけどね。
結局、絨毯爆撃でもして軍民皆しにしても合法な状態でも
日本軍は危険を冒してもわざわざ軍民を選別した常識的人道的軍隊でしたw

81 :
>77
>ティンパーリは国民党宣伝部顧問だったとのことですが
北村氏の指摘の通りですね。
「戦争とは何か」を執筆した当時のティンパーリは単なるジャーナリストだったのであり、
その著書を利用できると考えた国民党が宣伝部顧問の椅子を用意し、ジャーナリストとして
活動するためにその椅子を活用できると判断したティンパーリがそれを受けただけのこと。
「国民党宣伝部顧問」の記述が信用できないとおっしゃるのでしたら、
日本軍の軍人が残した「厳正なる軍民分離が行われた」とする記述などは
なおのこと信用に値しませんね。

82 :
>>79
> 抵抗を止めて武器を捨て、軍服を脱いで私服を着ていたのであれば、それは市民ですよ。
もうこの社会的常識のなさは凄すぎるなwww
正式に除隊しなければどんな状態であろうと軍属の兵士ですw
ましてや最前線の戦場で兵士が私服になったら市民とかw
どんだけ馬鹿なんだwww

83 :
>>81
では、あなたはティンパーリを信用するということは、日本軍による軍民分離が厳正であったことも信用するのですねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

84 :
いったいいつ南京の便衣兵が正式に除隊したんだ?wwwwwwwwwソースプリーズwwwwwwwwww

85 :
>82
>正式に除隊しなければどんな状態であろうと軍属の兵士
同意見です。
では、日本軍によって害された人物が「正式に除隊していない」という証明をどうぞ。
それが出来ない限りは、「軍属の兵士」というのは証明され得ませんよ。

86 :
>>79
中国軍の除隊手続きは軍服の着用の有無によって可能なのですねwww
是非その根拠をお願いしますwww

87 :
>83
>では、あなたはティンパーリを信用するということは、日本軍による軍民分離が厳正であったことも信用するのですね
いいえ?
私が信頼しないのは「国民党宣伝部顧問」に就任してから以降の彼の言説です。
それ以前の、彼が一人のジャーナリストとして出版した『戦争とは何か』における記述には
相応の信頼を置いていますよ。

88 :
>>85
正式な手順によって除隊手続きを行っていないならただの脱走兵ですがw
「自分は既に除隊した退役軍人だ」と主張するなら除隊証明が必要ですがw
証明義務は中国兵にありますw

89 :
>>87
ダブルスタンダード馬鹿丸出しwwwwwww
日本軍による軍民分離が厳正であったことを否定しながら、【国民党宣伝部顧問であったティンパーリ】を信用するお馬鹿ぶりwwwwwww
国民党【宣伝部】顧問ですよwwwwwww
権力に組する事であり、ジャーナリズム精神に反しますがなwwwwwww

90 :
>>87
もう一つw
ティンパーリが集めたとしている「多くの証言」とやらの具体例が無いようですが?w

91 :
>>85
馬鹿丸出しwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
いつ【除隊】したのですか?wwwwwwwwwwwwww
自己解釈馬鹿丸出しwwwwwwwwwwwwww
歴史学者見解を引用してくださいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

92 :
>88
>正式な手順によって除隊手続きを行っていないならただの脱走兵ですがw
管理管轄する上官が「現地除隊とする」と正式に通達すれば軍籍離脱は行い得ますよ。
終戦直後の混乱の最中、満州国で「現地除隊」が横行したのと似たようなモノですね。
>「自分は既に除隊した退役軍人だ」と主張するなら除隊証明が必要ですがw
そもそも中国兵が「入隊証明」なり「所属証明」なりを持つ、系統だった軍隊だったという
点から考えるべきでしょうね。
周辺の農村からかき集めてきた人間をテキトーに組織しただけで、ちゃんとした
「軍籍付与」が行われていたのかどうかすら定かではありませんな。
日本軍もまたそのような認識をしていたようですが。
「対支那軍戦闘法の研究」
 捕虜は他列国人に対する如く必ずしも之れを後送監禁して、戦局を待つを要せず、
特別の場合の外、之を現地又は他の地方に移し、釈放して可なり。
 支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者多く、其存在を確認せられ
あるもの少なきをもって、仮に之を害又は他の地方に放つも、世間的に問題となること無し。」

93 :
>>92
いえ、あなたの自己解釈はいりませんので【歴史学者見解】を引用してくださいなwwwwwww
あなたは、肯定派の歴史学者ですら述べていない自己解釈を根拠にするのですか?wwwwwww
そういうのを【珍論】というのでは?wwwwwww

94 :
>>92
>管理管轄する上官が「現地除隊とする」と正式に通達すれば軍籍離脱は行い得ますよ。
中国軍がそのような通達を行った根拠はどこです?
テキトーに集めたのだろうが軍隊に入隊したなら軍人ですがw

95 :
>93
>あなたの自己解釈はいりませんので【歴史学者見解】を引用してくださいな
おやおや、歴史学者をの国際法に関する判断を「素人判断」としてバッサリ片付ける
手法とは縁をお切りになったのですか?
であれば、歴史学者である秦郁彦の以下の記述が有効になりますので、「軍籍云々」などは
問題にする必要もありませんね。
 南京事件における日本軍の不法行為による犠牲者数は、今となっては「神のみぞ知る」としか言いようがない。
とくにスマイス報告以外には手がかりのない民間人(一般人)の計数は、今後も新たな展開は期待できない。
秦は本書の初版が出た一九八六年の時点で〇.八万〜一.二万人と試算し、軍人捕虜の不法害三.○万に足して、
全数を三.八万〜四.二万と推計した。
『南京事件−「虐の構造」増補版』p317
軍人の捕虜であっても「不法害」の範疇に入るのですから、敗残兵であろうと私服であろうと、
不法害となることに何ら変わりはありません。

96 :
>94
>>上官が「現地除隊とする」と正式に通達すれば
>中国軍がそのような通達を行った根拠はどこです?
中国軍が「お前を兵士とする」という通達を全ての兵士に対して行ったという記録が
無いことですよ。
そもそも中国側には「戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者多く、
其存在を確認せられあるもの少なき」という状態だったのだそうですから。
>テキトーに集めたのだろうが軍隊に入隊したなら軍人ですがw
その場合、除隊もテキトーに行いうるということになりますが。

97 :
>>95
馬鹿じゃないの?(笑)
国際法に関することなら国際法学者見解、歴史的事実を確認するなら歴史学者見解、当たり前でしょうに(笑)
南京戦に参加していた支那兵が除隊していた事実は確認されてるの?(笑)
歴史学者見解をよろしくね。

98 :
>>96
大体南京に日本軍が迫っている時に6000人も除隊した記録があるんですかw
除隊した事が証明できないなら軍人ですねw

99 :
>97
>国際法学者見解、歴史的事実を確認するなら歴史学者見解
おやこれはありがたい。
では、歴史的事実に関しては以下の歴史学者の見解に同意していただけるわけですね。
岩波新書「南京事件」 p223〜p228

(略)
以上の犠牲者数についての資料状況と本書で叙述してきた南京事件の全体状況とを総合すれば、
南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。
日本側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、
より実数に迫る数字を推定することが可能となろう。
(後略)
不法かどうかは法律の問題なのでひとまずおいておくとしても、
「十数万以上」の人々が犠牲になったそうですよ。
宣戦布告もしていない相手国の領土の中で、これ程のことをしでかしたという時点で、
そもそも日本軍が非難を受けるべきなのは当然のことですね。

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