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2012年1月2期文学11: デリダとドゥルーズ 文学との関係を中心に (571)
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デリダとドゥルーズ 文学との関係を中心に
1 :11/12/16 〜 最終レス :12/01/19 いまなお刺激的であり続けるこの2人 スレタイ的な感じで ナンシー、ラクー=ラバルト、コフマン、ド・マンなど 周辺も視野に入れつつ
2 : とりあえず前世紀に出た本は早く邦訳されてほしいな。 ジュネとヘーゲルをめぐるデリダの「グラ=弔鐘」もそうだし、 ド・マン「死角と明察」も刊行後40年以上経ってるし。
3 : 哲学板だけでいいと思う。
4 : こんなところにこんなスレ。 センスがやぼいったらないね、と思ったらsale menteur君か。 さもありなんとこそいうべけれ。
5 : なぜこの二人を並べた
6 : そういえば、蓮實はフーコーも入れて3人を並べた本を出してたっけ。 Ryuichi Sakamoto の「Derrida」でも聴きながら、 ドゥルーズのベケット論とデリダのブランショ論が遭遇する場所を またーりと探りつつ、2日酔いをさまそう… http://www.youtube.com/watch?v=mFjKg-E4aPA http://www.youtube.com/watch?v=sR-_ZdkWUtU
7 : ここじゃないでしょ
8 : 美しい本は一種の外国語で書かれている
9 : >>8 ドゥルーズだね。 ドゥルーズのベケット論の前に、デリダのブランショ論を再読しようかな。
10 : Ne faudrait-il pas, allant contre l’usage, dire en premier lieu la disparité? Alliés ou reliés, ces écrits paraissent ensemble néanmoins, dissemblables et discontinus. Sans doute cherchent-ils à décrire un seul et même mouvement. Procédant en vue d’une oeuvre unique, celle de Maurice Blanchot, ils tenteraient ainsi de l’approcher, même s’ils doivent renoncer à l’aborder.
11 : デリダは自分のブランショをめぐる論考が雑多なものだといいつつ、 これらがun seul et même mouvement(たったひとつの同じ運動)を描いているといい、 ブランショというひとつのユニークな作品une oeuvre unique, celle de Maurice Blanchot を目指し、そこに接近しようとしている(接岸はできなくても)。 ここでデリダはブランショの名と作品(ウーヴルoeuvre)を結びつけているけれど、 ブランショ自身は無為(デズーヴルマンdésoeuvrement)という言葉を使った。 作品=oeuvreにdéがついた言葉は脱作品を匂わせる。無為=脱作品化。
12 : >>9 ドゥルーズは引用してるだけで元はプルーストでしょ
13 : アセって利口ぶって結局アホを証明しとる
14 : デリダはジョイスのもなかった?
15 : スレタイと1レス目に挙げられてる名前のラインナップのミーハーくささがすごい 中身も案の定スレ主の自己満足を記録するメモ帳に 風呂敷の広げ方に下心が見え透いていて気持ち悪いったらありゃしない
16 : 隔離スレを荒らすのは野暮を通り越して無粋というもんですぜ
17 : あー隔離スレだったのか それは俺が悪かった スマソ
18 : デリダは法の力でカフカにも触れてたなあ
19 : >>14 『ユリシーズ・グラモフォン』ね。 一応読んだけど、理解にはほど遠く… >>18 カフカについてはドゥルーズもデリダも本を書いてるね。 >>13 こちらは馬鹿を演じているのに、ある種の人からは 「利口ぶってる」と思われることはよくあることw
20 : >>12 そうだった! 失礼。ああ、わが記憶力の貧しさよ… ドゥルーズのほうは、「自国語の中で外国人のように話すこと」だったね。 マイナー文学として、ど、ど、どもるこ、こ、こともふく、くめ。 ということで手元の本で確認して書くことにした。 「美しい本は一種の外国語で書かれている」 は『批評と臨床』のエピグラフになってるね。 で、『サント=ブーヴに反論する(CSB)』からの引用であると。 今度は、『CSB』にあたってみると、うーん、これかな。 「優れた文学書には、一種、外国語が書かれたようなところがある。」 (出口・吉川訳『プルースト評論選T』) ドゥルーズも(また他の外国の批評家も)よく記憶で引用することがあるから、 ドゥルーズの宮林訳とプルーストの出口・吉川訳は同じ言葉を訳してない可能性があるなあ。 今度、Contre Saint-Beuveの原文を機会があったらあたってみよう!
21 : 「われわれはツルツルした氷の上に入り込み、摩擦がなく、それゆえある意味で は条件では理想的なのだが、まさにそのために歩くことができない。われわれは 歩きたいのだ。だから、摩擦がなければならない。ザラザラした大地へ戻れ!」
22 : パイパン全否定か
23 : >>21 ヴィトゲンシュタイン『探求』だっけ? 懲りずにまた記憶頼みだけどw
24 : >>23 そ、板違いだが
25 : すべての時計は雲である。
26 : ここまで「ナオミ」「ヘドバとダビデ」無し。
27 : 哲学引用クイズスレでいいの?
28 : Paul Celan パウル・ツェラン全詩集 [改訂新版] 全3巻 中村朝子 個人完訳 体裁 : 四六判上製 貼り函入り 口絵一丁付き 装幀 : 中島かほる 定価 : 第T巻/第U巻 7,140円(税込) 第V巻 5,040円(税込) 各詩篇には、詳細な訳注を付す 2012年2月 全3巻 同時刊行
29 : >>25 それ知らないなあ >>27 いえいえ隔離スレですw >>28 一応拾っておこう。 デリダのツェラン論『シボレート』はとても魅力的な本。 日付、灰、名前、そして割礼をめぐる論考は ツェランの詩へと誘ってくれた。
30 : 「死のフーガ」のツェランの朗読。 http://www.youtube.com/watch?v=gVwLqEHDCQE ラクー=ラバルトにもツェラン・ヘルダーリン・ハイデガーを論じた 『経験としての詩』があるけどこちらは積読の1冊。
31 : >>20 に追記 プルーストの言葉「美しい本は一種の外国語で書かれている」の原文を Contre Saint-Beuveを持ってる他スレのGさんに教えてもらったところこうだった。 Les beaux livres sont écrits dans une sorte de langue étrangère. Sous chaque mot, chacun de nous met son sens ou du moins son image, qui est souvent un contresens. Mais dans les beaux livres, tous les contresens qu’on fait sont beaux. 美しい書物ってのは、ある種、外国語で書かれたようなところがあるんだよね。 一つ一つの単語に、俺たちはそれぞれ、自分なりの意味、少なくとも自分なりのイメージってのを 込めてしまうわけだけれど、そのイメージってのはだいたいが見当ちがいなんだよ。 ただね、美しい書物の中では、読み手のどんな誤読であれ美しいのさ。 (既訳を部分改定w)
32 : で、ドゥルーズはこのプルーストのフレーズをやたら気に入ってたらしく 『批評と臨床』のエピグラフになってるほか、『ダイアローグ』のほうにも入ってた。 もしかしたら『プルーストとシーニュ』のほうにもあるかもしれないなあ。
33 : 河出文庫の『ディアローグ』 の中から。 「美しい本は一種の外国語で書かれている」 って言葉はどうもしっくり来なかった。 ドゥルーズは、コレ(美しい〜)が文体の定義だ、 なんて言ってたけど、ますます納得できなかったな。 そして、これはドゥルーズの言う「趣味」の問題ではないと思ったのです。
34 : アセンション、哲学関係のもの読んでると頭がオーバーヒートしそうに ならない?次から次へと新しい世界の見方を提示されてさ
35 : やっぱりおまえがついて来たか(笑
36 : ほほえましいね。胸がキュンとなる。
37 : >>34 逆に頭がクリアーになることも多いかな。 「あっ、こう考えることもできるのか!」みたいな。 限られたものしか読んでないけどね。
38 : >>33 美しい書物は一種の外国語で書かれてる、ということでプルーストが言いたいのは、 読者それぞれに翻訳を促すような面が美しい書物にはあるという意味合いだと思う。 読書における翻訳に多少のエラーがあっても、すべて美しいと。 一方、その言葉を引くドゥルーズの文脈では、ちょっとヴェクトルが変わってくる。 プルーストでは「読むこと」だったのが、「書くこと」の面において言われていて、 自国語の中で外国語のように書くことというマイナー文学の定義につながってくる、 そういうふうに読めると思うんだね。 そのへんの理解の幅を広げるためには『カフカ論』がいいかもしれない。 マイナー文学の代表例が、プラハでドイツ語で書くユダヤ人のカフカであり、 また、アイルランドで生まれフランス語と英語の両方で作品を書くベケットなんだけど、 もっと一般化した文脈で文体ということをいうならば、 自国語を見慣れないものとして扱う異化によってしか文体は生まれない、 それは趣味の問題ではなく、国家装置としての言語を相手取る政治的なものなんだ、 そういう視点がドゥルーズにあるように思うね。
39 : 「美しい本は一種の外国語で書かれている」 折口信夫の第二国語のイメージと重なる気がするなあ スレチだけど
40 : >>38 ドゥルーズは、文体を、母国語で吃ることだと説明していますね。 言語活動(ランガーシュ)それ自体で吃ることだ、と。 ドゥルーズの概念の平面は、自分自身よくわからないので、 解説してくれると本当に助かります。 文学の文に関する考えで俺がまず一番先に思い浮かんだのは、 谷崎潤一郎の『文章読本』です。 文は吃ることじゃない。実用的に書くことだという考え方です。 そして今、どれだけの小説家が谷崎の影響を受けているかを考えると…… ちょっと長くなるのでまた今度にします。
41 : >>40 この人、フランス語を読めないことだけは分かった。
42 : エトランゼってところと国家装置ってところに引っかかった。 ググッてくる。
43 : >>39 折口信夫のはどんなやつ? >>40 ドゥルーズの言葉は割と感覚的に読んでるところがあって 感覚的に得たものをあまりうまく説明はできないんだけど、 カフカ論の第3章「マイナー文学とは何か」だけでも あたってみるといいかもしれないね。 >>42 ステレンジなものが好きなんだね〜。ポパー読んでるの?
44 : デリダのバルト論を読了。デリダにしてはちょっとキレがない作品だったなー。
45 : ドゥルーズといえば、脱中心なのに、ドゥルーズの何かについて中心的に 論じることなどできるのだろうか。 ドゥルーズの「ニーチェ」読んでると 哲学的な脱中心化のプロジェクトを、ドゥルーズはニーチェから受け継いでる みたいな印象もってしまうな。 「器官なき身体」っても、ニーチェにオリジンがあるんじゃないか。 哲学者の精神の生理学的基礎構造を論じるニーチェの、「器官」や 「身体」という概念的戯れから、「器官なき身体」は容易に惹起しそうだ。
46 : ドゥルーズはニーチェの精神でベルクソン的に思考したような人って感じ。 ドゥルーズの思想には中心はどこにもなく、あるいはあちこちに中心が偏在し、 というよりも、常に知の先端(非知に接する境界)で書いてきたような印象だね。 「器官なき身体」の元はアントナン・アルトーだね。 ただドゥルーズの引用の仕方は上で話題になったプルーストの言葉にも多少いえるけれど、 オリジナルの文脈を軽視して乱暴に持ってくるようなところがある感じ。 そのラフっぽさが哲学者らしくなくていいんだけどね。
47 : へー、アルトーがオリジンか。器官なき身体って。 アルトーもニーチェに影響うけてるって話聞いたことあるな。 そういうことなら、ドゥルーズはアルトー経由でニーチェの 影響うけてるんだろうきっと。 これが系譜学的、考古学的な 解釈学なんだきっと。
48 : ニーチェもアルトーも晩年は狂人になって、 同じようなフレーズを書いてるのが面白いw すべての固有名詞は私だ、みたいなことを言っててね。 ドゥルーズは直接ニーチェを読んで相当影響を受けてるね。 アルトーにもニーチェ的なものを見出したってことじゃないかと思う。 ニーチェにある学者的なものは系譜学になるんだろうけど、 その影響を受けたのが知の考古学を使ったフーコーなんだろうね。
49 : アルトー 「私、アントナン・アルトー、私は私の息子であり、私の父であり、 私の母であり、そして私である。」 ニーチェ 「私が人間だというのは偏見です。……私はインドでは仏陀でしたし、 ギリシアではディオニュソスでした……最後にはヴォルテールとナポレオンでも ありました。ひょっとしたらリヒャルト・ヴァーグナーであったかもしれません。」
50 : ドゥルーズは狂人が好きなんだね フーコーも狂気の本書いてたし
51 : アルトーについてはデリダも論考を書いてて、 「エクリチュールと差異」所収の論文のほか、 「基底材を猛り狂わせる」というデッサンについてのものもあるよ。
52 : アセンションは文学板から消えろや
53 : >>52 ルサマンはドゥルーズもデリダも読んでないんだろ?w だったら用はないなー。 ルサマンは俺に関心を寄せてても、俺のほうはまったく関心がないからさ。 それにいろんなスレで言ってきただろ、作家に絡めて語れないのが駄目だと。 ドゥルーズはニーチェとともにルサンチマンを批判してるから まあ一度読めばルサマンの自己反省を促してくれるかもな。
54 : アセンションのキモさ爆発 こいつ小難しい本読んでおれは頭いいと思い込んでんだろな ルサンチマンの塊みたいなヤツ こういうバカは自分のはなしを他人に押し付け聞かせて自己マンしたいだけ それがはっきりわかる
55 : >>54 石原涙目w ばーか
56 : >>54 敗走決定www大阪帰れよ。ジイサン
57 : また村上春樹児童ポルノ頒布罪人が成り済まし犯罪してる。ばいいのに。 なんで全世界的にされたりしないんだろう、星中で非行しかしなかった福島いじめの村上春樹ポルノ業者には害しかないのに 息を吸うのも吐くのも害。ばいいよ。今すぐ。それ以外はすべて悪い。
58 : >>54 よールサマン。クリスマスイヴにその書き込みかーい? そろそろ俺に対するみっともないオッカケはやめたほうがいいぞー 俺を貶してもそっちが惨めになるだけだから。 それに「ルサンチマン」という言葉を正確に理解して用いないとね。 ドゥルーズはニーチェについて語りながら「ルサンチマン」をこう定義する。 常にアクションに対するリアクションしか起こせないものだと。 常に反動的であり、常に否定的(ネガティヴ)であると。 それに対してドゥルーズは能動的で肯定的な人間を好む。 ルサマンはスレッドのテーマに絡めては何ひとつ語れず、 そこに書き込む人間について反動的かつ否定的にしか語れない、 その意味できみはドゥルーズ=ニーチェが批判するところの ルサンチマンを体現しているわけだ。 プルースト、ムージル、ブランショ、ジョイス、フォークナーなど いろんなスレで度々言ってきたのにまだ理解できないのかな? 批判的に語るにしても、スレ趣旨に絡めて語るとはこういうことw
59 : 関野昂著作選〈1〉関野昂哲学論集 [-] 関野 昂 (著) 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 関野 昂 1989(平成元)年8月8日群馬県に生まれる。四歳のころより多くの物語を書き、 小学校六年生からは哲学への強い関心を持つ。館林市立第五小学校から館林市 立第四中学校に進み、中学一年生より生徒会本部書記。陸上部部長。中学二年 生の夏、館林市中学生オーストラリア派遣団に参加。帰国後の2003(平成15)年 8月24日夕刻、栃木県足利市内のJR線踏切に入り、自ら命を断つ。享年十四歳 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) -: 198ページ 出版社: 現代図書 (2005/8/8) 内容, 2008/1/25 By 編集部 - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 関野昂著作選〈1〉関野昂哲学論集 2003年8月に14歳と16日で自らの命を絶った中学2年生の遺稿集の第1巻。「14歳から」 ではなく、「14歳までに」哲学と対峙し、格闘した軌跡を哲学論集としてまとめた。 「存在」と「認識」をめぐり、「現象はそれ自体として存在し、宇宙は認識によっ て存在しない」という結論を見出すに至るまで、小6から中2までの2年間、著者は悪 戦苦闘を続けた。「思惟すること」自体がはらむ問題と可能性を読者に突きつける。 哲学者入不二義基のHPの推薦コメント 20. 関野昂著、『関野 昂著作選1 関野 昂 哲学論集』、現代図書 14歳で自死した哲学少年の遺稿集。すでに或る高みに到達していて清々しい、 と同時に惜しい。
60 : >>58 2ちゃんにしか居場所ないからって必死すぎ 惨めなヤツだな
61 : >58 ルサンチマンでぐぐりますた。 主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。 デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。 この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望に起源がある。 フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)でこの言葉が利用され、 マックス・シェーラーの『道徳構造におけるルサンチマン』で再度とり上げられて、 一般的に使われるようになった。 ・・・とあり、ドゥルーズは『ニーチェと哲学』でルサンチマンをとりあげたとありますた。 この概念2ちゃんで使えますね。勉強になりますた♪
62 : >>54 >>58 >>61 現実でだれにも相手にされない人間が嫉妬や羨望をバネに 2ちゃんで名無しにたいして偉そうにふるまう アセンションめちゃめちゃルサンチマンまみれだね
63 : >>60 >>62 鈴木に人影から喧嘩売ってボコられた石原乙w
64 : >>62 きみ相当頭悪いよアンカーも滅茶苦茶だし
65 : 最近のアセンション、少し滑ってる。そんなにたくさんのスレへ 書き込まないで、よく読んでから工夫すればいいのに
66 : アセに生理的嫌悪感を抱くやつが多くてすこし世間を見直した
67 : 2ちゃんで世間って石原乙w
68 : ばか、2ちゃんにいるようなヤツに 2ちゃん以外の世間がるか
69 : 「世間がるか」ってw
70 : /:::::::::::::::::::::::ヽ-、 _∠ - ―- _:::::::::::ヽ:::\ ,イ __ ¨ ‐ ::::::ヽ:::ヽ // _ イ:T ¨ri- ._. ヽ¨ヽ1:::::ハ j イ斗‐!: | |:l:|-:、T ォ、ヽ!-、:ハ ,.ィ | /: :.|: |r‐i、 l |:l:|r‐ 、: |: ヽ} ム:}メメ レ:.:.:|:!:イ.f_:| ヽl.f_∨:i: レ {d爻爻 あたし世間girlですがなにか? |: |(|: :.| トュリ トュリ |:.:|)| {====} 石鹸girlじゃないですよ lN:. |: :.| `,,, ' `,,, !l.:|: | ヽ tiノ |:.:|:. :|ヽ、 _ .イ:j:l |: | Nl!: :.|从:≧ァ ≦‐j:从:!:.j ヽ:.l イ { l_/ ´ ._.トレ | ハ /:::Vj トイ::Oヽ./::::::::::Vj ___z―.|::::!::::::::::::::::i::::::::: Vj /:::::::::::::::::::::::::|:::ハ ::::::::::::::l::::::::::ハ {:::::::::::::::::z:::::::: |:::::::{::O:::::::::l:::::::/:::', 乂_:/三三V::::::::ヽ::::::::::::l:::::::::::::ハ イ/. . ./7::::::::::::::}:O:::::::l:::::::::/::::', /. . ィ7_/::::::::::::_ム/::::::|::::::::::::::::::ヽ-、 /. イ. ..j .V` ー‐ ∠ --、::l:::::::::::::::::::::ソ \ /. .´. .{{. . l ム_ / __. `ト __::/ }、 {. . . . . . >'ー' ー/二 _ \ | /:::ヽ ヽ ‐ ¨ ヽ__ノ ,./. . . . . . Y_..j_ ∠::::::::::::\ 〈_ // . 二>. ¨. . . . T -r‐く_):::::::::::::::\ /. . . . . . . . . . . . / ヽ-' ヽヽ ::::::::::::::ハ {. . . . . . ._ - ¨7_, イ \\:::::::::j:ノ ` ー一 ヽ 〉 .`ー''
71 : やれやれw 相変わらずスレテーマの書き込みが少ないねえ。
72 : うぜー
73 : >>61 キェルケゴールとマックス・シェーラーは知らなかったなあ。 やはりニーチェ「道徳の系譜」の影響がでかそう。 原文箇所はこうだね。 Der Sklavenaufstand in der Moral beginnt damit, dass das Ressentiment selbst schöpferisch wird und Werthe gebiert: das Ressentiment solcher Wesen, denen die eigentliche Reaktion, die der That versagt ist, die sich nur durch eine imaginäre Rache schadlos halten. Während alle vornehme Moral aus einem triumphirenden Ja-sagen zu sich selber herauswächst, sagt die Sklaven-Moral von vornherein Nein zu einem „Ausserhalb“, zu einem „Anders“, zu einem „Nicht-selbst“: und dies Nein ist ihre schöpferische That. Diese Umkehrung des werthesetzenden Blicks — diese nothwendige Richtung nach Aussen statt zurück auf sich selber — gehört eben zum Ressentiment: die Sklaven-Moral bedarf, um zu entstehn, immer zuerst einer Gegen- und Aussenwelt, sie bedarf, physiologisch gesprochen, äusserer Reize, um überhaupt zu agiren, — ihre Aktion ist von Grund aus Reaktion. ドイツ語もフランス語も綴りはいっしょみたいだな。
74 : デリダとドゥルーズがともに本を書いてるのが、カフカとニーチェ。 デリダのニーチェ論はデリダの中でもミステリー小説的な芸があるなあ。
75 : ドゥルーズを学ぶための80冊、アセンションは何割読んだ?
76 : >>75 そういうサイトか本があるのかな? まあ19以前の古典はからっきし疎いからぜんぜん読めてないと思うなあ。 むしろドゥルーズから徐々に遡行していく感じだ。
77 : ドゥルーズを通して知ったのはサミュエル・バトラー。 ユートピア小説「エレホン」を書いた作家。 ErewhonはNowhereのアナグラムだけど、 ドゥルーズが「いま、ここ」と言う場合は now+hereでもあるエレホンを意識してる感じ。 ハクスレーのすばらしい新世界」はバトラーの影響を受けたらしい。
78 : エレホンおもしろそうだね。 あらすじを検索しただけでもじゅうぶんにおもしろいし。 ザ・世間体という宗教に支配されたどこにでもありどこにもない国の話。 世間体は大切でもありバカでもあるって風刺かな。
79 : なかなか面白いよ。 そうどこにもなくて、あちこちにある。 不在と偏在が相容れないものじゃない空間なんだね。 ユートピア小説もあっけらかんとしたやつが良い。
80 : エレホン再刊されんか。それか改版新訳で出るとか。
81 : デリダやドゥルーズを読みたいけど今は簿記をひたすらやらなきゃならんのだ。はぁ。
82 : >>80 「エレホン」もそうだし昔旺文社文庫で出てた「万人の道」なんかも どこかで復刊すればいいのにと思うなあ。 >>81 現実で闘うためにはそっちのほうが大事だよね。とりあえず今は。
83 : >>43 ああ〜酒浸りが続いて亀になってまいましたわw 折口は現代の我々が普通に使っているような言語を第一国語と呼ぶ。 けどその現代語では、立ち現れる「詩」を掴むにはあまりにも貧困なのだと。 だから外来の翻訳語や、あるいは古語によってしかその「詩」を迎え入れることはできないと。 これがまあ第二国語の大ざっぱなイメージかな。 ある種のクレオールと言ってもいいかも。 「未来語としての外国語」ね。
84 : >>74 デリダのパピエ・マシンに収録されてるルソーの読解も推理小説みたいな鮮やかさがありますよ
85 : アセンションの能力では力不足が良く分かる展開
86 : ルサンチマン君とかいわれるぞ オー怖
87 : パウル・ツェラン詩文集 パウル・ツェラン著/飯吉 光夫 編訳 2520 円 2012年02月刊行予定 死者を想い、生を凝視する、魂の言葉 ジャンル : 海外文学 体裁 : 四六判 上製 200頁 刊行年月 : 2012-02 内容 : 「あの日」から私がもとめたのは、死者たちを「悼む」言葉ではない。 彼らと「ともにある」ための言葉だ。そこにツェランの言葉があった。 絶対的な脆弱、絶望的なまでの希望、そして戦慄的な優しさをはらむ言葉が。 ――斎藤環(精神病理学) 「もろもろの喪失のなかで、ただ“言葉”だけが、失われていないもの として残りました」。未曾有の破壊と喪失の時代を生き抜き、言葉だけ を信じつづけた20世紀ドイツ最高の詩人の代表詩篇と全詩論。改訳決定版。
88 : これは買う。
89 : >>83 なるほど〜 その話を聞くとベケットを思い起こすなあ。 母国語ではないフランス語によって 本当の意味で書き始めることができたベケット。 そしてフランス語を先に書いた上で 母国語の英語の翻訳バージョンを自分で書いたり。 詩を迎え入れる、という表現とどこまで重なるかわからないけど、 自国語をどもらせようとするドゥルーズと近い気はするなあ。 しかし、ここ島国ニッポンで、クレオール的あるいはマイナー文学的な、 そういう異邦性を獲得するにはどういうスタイルがあるのだろうと考えると、 古語に行くっていう道もあるかもね。
90 : >>84 パピエ・マシンのやつってド・マンの読解を傍らにルソーを読むやつだっけ。 「孤独な散歩者の夢想」あたりの読解のやつはおぼえてる。
91 : ド・マンって本が読めない批評家の一人だな。文庫とかでも出てない。
92 : ド・マンは主著2冊が未訳だからねえ。 「死角と明察」は原書刊行から40年以上経ってるよ。
93 : ??????????
94 : ド・マンが訳されないのは、ナチスがらみの過去のせいなのかなあ。
95 : こんなスレがあったのか 参考になるは
96 : ほんと初歩の初歩しか哲学の知識ないけど、『アンチオイディプス』読めるかな? 一応『オイディプス』は読んだし、オイディプスコンプレックスもちょっと知ってる
97 : >>96 オイディプスコンプレックスの図式に人間の欲望を閉じ込めることに対する批判も含まれてるから、そっちとは関係がないとは言えないけど 戯曲のオイディプスとは全く関係ない 内容が難しいっていうよりとにかく読みづらいから、先にドゥルーズの解説書を読んだ方がいいんじゃないか
98 : >>96 哲学というより精神分析についての知識がないときついかもしれない。 フロイト、ラカン・・・ 精神分析にずっぷりはまって、精神分析的な思考に取り憑かれてしまった人には解毒剤になる本。
99 : ドゥルーズはともかく、 デリダの文学寄りの著書でこれ読んどけっていうのがあれば誰か教えて
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