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2012年1月2期野球殿堂63: 1989年パリーグペナントレース (116) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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65: 投手出身は名監督にならない(藤田 元司のぞく) (62)
66: 野球の弱い高校 (354)
67: 昔の選手って大したことないね (834)
68: 【定年55歳】 歴代の審判員を語る 【誤審】 (61)

1989年パリーグペナントレース


1 :11/11/22 〜 最終レス :12/01/22
@ 近鉄 130 71 54 5 .568 - .261 157 45 606 558 3.859 96
A オリックス 130 72 55 3 .567 0.0 .278 170 66 665 616 4.26 93
B 西武 130 69 53 8 .566 0.5 .271 150 149 644 543 3.856 77
C ダイエー 130 59 64 7 .480 11.0 .257 166 85 610 678 4.74 91
D 日本ハム 130 54 73 3 .425 18.0 .2659 131 144 527 571 4.20 69
E ロッテ 130 48 74 8 .393 21.5 .2657 119 99 558 644 4.50 94

2 :
ブーマー開幕から5試合連続本塁打 オリックス開幕8連勝
清原100号本塁打
村田兆治200勝達成

3 :
近鉄、オリックス、西武が三つ巴で優勝争い
西武とのダブルヘッダーで
ブライアントが大爆発して近鉄が優勝を決めた年ですね

4 :
定期的に立つ89年だが、セも話せるようにしてくれよ。

5 :
>>4
巨人はロッテより弱いんだから仕方ない

6 :
オリックスが優勝してたらシリーズどうなったかな…

7 :
この頃のオリックスって誰がいた?
山田、福本が引退して全くわからん
イチローはまだ先だし

8 :
1三松永
2二福良
3一ブーマー
4D門田
5左石嶺
6右藤井
7中本西
8捕中嶋
9遊小川
佐藤、星野、ホフマン、山沖あたり抑え山内、他今井とか
なんも見てなくてオリのファンでもないけど
印象強いから余裕でかけるよ

9 :
10月13日のロッテvsオリックスが
名古屋でも生中継されていた

10 :
なにげにホークスがブルーサンダー打線に次ぐホームラン数。

11 :
工藤が開幕6連敗…西武が最下位まで落ちたね。

12 :
ハムの開幕戦は期待を持たせた。
新人の鈴木が4打数3安打。
同じく新人のテルシー中島がサヨナラHR。

13 :
新人で開幕サヨナラHRなんて、もし巨人だったら物凄い大騒ぎされる
だろうな。

14 :
「消えた維新の夢」
ロッテの、いやプロ野球を代表するスラッガー・落合博満が抜けて生じた「大砲不在」の問題が解消されないまま2年が過ぎた。
さらにその間投手陣の新旧交代も上手く図れないままでいた。つまり投打の不安点がそのまま3年間残ったままという事だった。
指揮官は87年から在任している有藤道世。この「ミスター・ロッテ」だからこそチームの弱点を知る男。
どうしてもやりたくて巡って来た監督の座ではなかった。それでもチームの変革を夢見たのは確か。就任時には、
「チームの精神面の弱さを改善しなければいけない、だからハードにビシバシ練習させるコーチが反対したが僕はやると決めたらやる」
いわゆる“団塊の世代”であり、自身も新人時代に猛練習で名手・前田益穂から定位置を奪い取った経験がある。
坂本竜馬のお膝元である土佐市出身の有藤が“オリオンズ維新”を目指すべく「歯を食い縛った先に未来があるはず」と思うのも無理はない話だった。
しかし現実は厳しかった。
就任3年目を迎えたこの89年も先発転向の牛島の好投に村田兆治の200勝フィーバーこそあったものの仁科時成、水谷則博らからの若返りは
うまく進まず今野隆裕、伊良部秀輝、吉岡知毅らの若手投手も伸び悩んだ。若手・中堅をを容赦なく起用する反面、ベテラン村田や牛島は中6日以上を貫いたのも選手の反感を買った。
落合の穴も依然埋まらず候補に挙がっていた古川慎一が応えられず全体の戦力不足は否めない部分もあった。
西武勢に代表される“新人類”の台頭など有藤の精神論が今の選手に通用しないほど時代は変化していた。
結局この年も8月22日最下位に沈んだまま浮上できずに2年連続最下位でシーズンを終了させた。
勝率も在任3年間で.440、.422、.398と年々落とす結果になりオフに辞任。辞任時も「諦めが早く、精神力がない」と有藤は言ったが
18年間球団を見ていたが故に知り過ぎて自身の先入観で見切りを決めてしまっていた事もあったのではないか。
そんな低迷期でも89年は村田が13年ぶりの最優秀防御率、西村徳文が4年連続盗塁王でチームからも4年連続のタイトル獲得者。
他にも愛甲猛が初の3割打者、新外国人マイク・ディアズが3割30本100打点、牛島の12勝など粒は個人成績を見ても投打ともに揃っていた。
タイトルであろうと初の3割であろうが最終戦まで欠場させず出場させて達成させるあたりも“土佐のいごっそう”の有藤らしかった。
そして88年の10.19に続きこの年も10月にオリックスに対し17点の大勝を含め優勝圏外に葬る2勝を挙げた。
竜馬のようにとはいかなかったが3年間を振り返ってともし質問したらきっと有藤は、
「消化試合でも最終戦の最後までプロらしく一生懸命やるという面は出せた」と毅然とした表情で言うのではないか。

15 :
愛甲の本塁打と伊良部の好投で最後の最後でオリックスの息の根を止めた。

16 :
>>4
古葉・村山・関根ラストイヤー、第二次藤田・ピーコ初年か。
落合が斎藤から逆転打、アイケルバーガー、中日不振、なとこか。

17 :
>>13
巨人はデーゲーム。
日本ハムはナイターでNHK全国中継された。
その試合で出たから普段より相当多くの人が目にしたと思う。

18 :
オリックスが5月に独走し始めたとき、仰木がパリーグの各チームはオリックスに
エース級を当てるように「オリックス降ろし」を提言した。

19 :
>>17
俺も見た
中島の打球が刺さったレフトスタンドの辺りで、ダイエーのメガホンがタイミング良く投げ込まれたのが印象的だった

20 :
ダイエーの後半戦は優勝争いをする3チームにとって鬼のような存在だったな

21 :
この年のダイエーは「閉店間際野球」(このネーミングセンスはすげえ)が
炸裂して弱くはなかった(強くもなかったが・・・)。
本当の暗黒は翌年から。

22 :
ダイエーは後半戦だけなら2位だった。
3チームに優勝の可能性がある
10月15日の近鉄vs西武とオリックスvsダイエーの最終決戦が見たかった

23 :
この年のダイエーは10月の西武戦で
8点差を逆転勝ちした試合が印象的だな。
西武はあの敗戦が後に致命的になったしね。

24 :
この年の西武は酷い負け方が多いよ
終盤まで4-1ぐらいで勝っていたのに7番ぐらい打っていた外国人選手に
ホームランされて負けたり
牛島から10四球ぐらい選びながら1点しか取れず負けたり
香川に決勝ホームラン打たれて負けたり

25 :
10月5日
ダイエー13-12西武
1週間後のブライアントの4発よりも痛かったかな?

26 :
この年って香川が2回くらい三塁打狙って三塁で死んでる記憶があるw

27 :
>>25
有名な話だけど、森監督はこの試合をV逸の最大要因に挙げていたね。
そもそもは序盤で最下位に喘いだのが問題なんだろうけど。
単なる偶然だけど、西武は次に近鉄が優勝する01年も
前半下位低迷、夏場猛追、首位奪取したのち力尽きるという歩みだった。

28 :
オリックスが失速したキッカケの試合って何だろう?日ハムに大差をひっくり返された事があったような…

29 :
オリックスでまともな投手は星野一人だったよな。

30 :
>>27
そのとーりですね
西武
89年
4月終了時点で最下位。
8月16勝7敗1分。
9月15勝6敗(9月16日首位に立つ)。
10月4勝7敗。
01年
4月、5月、6月 それぞれ月終了時点すべて5位。
7月13勝6敗。
9月14日初の首位。
9月15日以降は2勝9敗。

31 :
阿波野と西崎の初対決が実現したのもこの年だったかな?

32 :
西崎も阿波野も90年からおかしくなったね。

33 :
10月8日、初の先発での対決!
87年4月16日に
西崎先発7回、阿波野中継ぎ1/3  以来の同一試合での対決みたい

34 :
佐藤良則がもう少し頑張ってくれていれば

35 :
訂正 佐藤義則

36 :
最後の西武近鉄戦以外も、後半の3強同士の対戦はどの試合もしびれた。
近鉄-オリックス戦もオリックス-西武戦も。
しかも3強それぞれの対戦成績が、それぞれほぼ互角だった事も熱戦が続いた要因といえよう。

37 :
9月の藤井寺での西武戦で爆破予告があった。
昔、名古屋でもあったのを思い出した

38 :
結局、この年は大方の予想が何度覆されたんだろ?
9月にとうとう西武が首位に立ったときは、「何だかんだで、やっぱり最後は西武だよ」だったのかな?

39 :
前後期制撤廃後(83年〜88年)
西武=1位→3位→1位→1位→1位→1位→
阪急=2位→1位→4位→3位→2位→4位→
近鉄=4位→4位→3位→2位→6位→2位→
「やっぱり西武」と誰もが思うハズだよね

40 :
阪急も末期は「ちょっと強いチーム」程度だったしね。
だからオリになって急激に強くなったから驚いたわ。

41 :
阪急のターニングポイントになったのはどの試合?

42 :
>>38
本当にこの年の西武の最後の最後での失速は意味不明だった。
主力がケガで戦線離脱した訳でもなく
リーグ4連覇中で優勝経験も十分だし過信があったわけでもないだろう。
強いてあげれば、絶対的な抑えがいなかったからかな。

43 :
阪急じゃなかったオリックスだ

44 :
西武は1年通して工藤の不調が大きい。

45 :
この年って、近鉄・オリックス・西武の開幕前の下馬評はいかほどだったの?

46 :
やはり西武が優勝候補の筆頭。
近鉄は10.19の同情票で西武の次に優勝予想が多かった。
オリックスは門田加入の祝い票でその次ぐらいだったが、ここは投手のいい日ハムと殆ど差はなかったかもしれない。

47 :
開幕戦で阿波野をKO 佐藤完封で勢いに乗ったね

48 :
8月11日〜13日
西武vsオリックス3連戦で西武3連勝
近鉄が首位になった!

49 :
>>47
佐藤は4月だけは調子良かったんだよなあ。

50 :
開幕での広永の3ランが印象的だった

51 :
西武はオープン戦好成績だったけど
伊東、田辺、清家、森山、黒原など
故障者続出 開幕戦スタメンキャッチャーが仲田、ショートは藤野。
オールスター直前まで3連勝さえ1度もできず出遅れが響いたな

52 :
開幕のロッテ戦、もし工藤で勝ってればまたマシだったかもね。

53 :
西武は6月にルーキー渡辺智男の一軍登録と、デストラーデの加入でチーム状態が上向いた。

54 :
村田兆治開幕戦完封で200勝へ王手だね

55 :
渡辺智男はストレートが威力有って、スライダーも切れて
偉い新人が入ったと思った。この年新人王の酒井とは物が違った。

56 :
ダブルヘッダーが1勝1敗なら面白かったのに

57 :
評論家の有田氏がキャンプの時点で、「森山は野球をなめた
投げ方になっている。今年の彼は駄目だ。」と言って、その
とおりになったのを覚えている。

58 :
×有田氏
○有本氏
訂正します

59 :
この年はセも結構な混戦じゃなかった?
翌年が巨人暴走でひどかったが。

60 :
>>59
優勝 読売ジャイアンツ 84 44 2 .656 -
2位 広島東洋カープ 73 51 6 .589 9.0
3位 中日ドラゴンズ 68 59 3 .535 15.5
4位 ヤクルトスワローズ 55 72 3 .433 28.5
5位 阪神タイガース 54 75 1 .419 30.5
6位 横浜大洋ホエールズ 47 80 3 .370 36.5

61 :
http://probaseball.ojaru.jp/NPB1989-c-record.html
このサイトが詳しい
5月末までものすごい勢いで突っ走ってた広島を6月に捕まえると後は馬なりに
8月はもう
 ・クロマティの4割なるか
 ・斎藤の20勝なるか
個人記録だけが話題になってた印象がある。
ただ試合消化数と残り直接対戦数の関係でなかなかマジックが出なかった。
(8月末に8.0ゲームあってもG-C戦が残り7試合あって広島が6試合多く残していた)

62 :
むらちょうの200勝掛かった試合観に行った。
リベラがいきなり四番スタメン。

63 :
延長11回むらちょう完投負けだね
リベラマイルド5の0
(-。-)y-゜゜゜

64 :
岸川がサヨナラ本塁打をよく打ってたな〜

65 :
工藤からも打ったよな〜

66 :
FM埼玉でライオンズ戦中継が始まった。
ライオンズ贔屓を始めたばかりの頃の文化放送並の応援ぶりだった。
しかしFM的な個性を出したかったのか、当初はライオンズの選手がヒットを打つとインプレー中に
「♪チロリロリン」という変な効果音を入れて聞きづらかった。

67 :
文化放送のライオンズナイターが何時までだっかなあ21時40分ぐらいで
放送終了して、そのあと795で続きを放送していたよね

68 :
小川 中嶋がブルーサンダー打線の弱点と言われていて可哀想だった。

69 :
中嶋:.234(320-75) 5本 26打点
小川:.247(344-85) 5本 32打点
確かに1-6番までに比べて貧弱だったな。
でも藤田の伸び悩み、弓岡の衰えを放置することなくスパッと若手に切り替えた上田さんは
やはり見る目があったと思われる。

70 :
89年熱パ
ttp://www.youtube.com/watch?v=FA_OjnludbI&feature=channel_video_title

71 :
1989年
1月 天皇崩御
2月 ソ連アフガニスタンから撤退、手塚治虫死去
3月 女子高生コンクリート詰め人
4月 消費税スタート、松下幸之助死去
6月 NHK-BSスタート、宇野内閣スタート、天安門事件、美空ひばり死去
7月 参院選で自民党歴史的敗北、宮崎勤逮捕
8月 海部内閣スタート
11月 坂本弁護士一家害事件、ベルリンの壁崩壊、チェコで革命
12月 冷戦終結、ルーマニア革命、株価下落でバブル崩壊スタート

72 :
津野 松浦 河野が完調なら日ハムも良い位置に行けたのにな

73 :
この年の3強、なぜかロッテにここぞで立ちはだかられたイメージが強い。
あれだけ立ちはだかったのになんで最下位なんだ?と思うぐらい。
そこで苦しみまくった末が、「ロッテのほうが怖かった」
あの発言だけ見ればただの暴言だが、3強から見れば、巨人なんかよりロッテがやりづらかったのは確かなんだろうな。

74 :
今年落合が似たようなことを言ってたよ
終盤ベイスと1試合しかなくて楽だったって

75 :
最後の最後でオリックスを倒したのもロッテ…愛甲の本塁打 伊良部の好投

76 :
その前日は1日で24点も取って 愛甲も8の1でアカンかったのにね・・・

77 :
この年の西武は4月に5連敗を喫したが、この5連敗はけっこう久しぶりだったと聞いた
なんでも広岡監督時代以来だったとか 80年代の西武の強さがここからもわかる

78 :
8年ぶりだったようだ。
81年の8連敗以来の5連敗。
その間、4連敗が10回ありすべて5連敗は阻止してきたが
ついに喫してしまう・・・

79 :
それは知らなかった。
82〜88年の7年間で4連敗が10度しかないのも恐らく異常だと思うけど、
それだけ先発陣が充実していたことなんだねぇ。驚いた。

80 :
5連敗目はナベQと西崎の投げ合い!
ハムのデイエット サヨナラ3ラン(T_T)

81 :
近鉄 ブライアント リベラ
オリックス ブーマー ホフマン
西武 デストラーデ
ダイエー アップショー バナザード
日ハム ウインタース
ロッテ ディアズ
外国人は全体的に良かったよね。

82 :
日ハムはウインタースでなくてブリューワね
好成績だったが、翌年から来たウインタースや
前年に故障でシーズンを棒に振ったブリューワの代わりに来たイースラーの方が有名になってしまったが

83 :

来日初打席本塁打のイースラ―。
最後の本塁打は8月26日平和台

84 :
ダブルヘッダー第1試合の3発目だけど、西武ベンチはブライアントを敬遠気味の四球で歩かす考えはなかったの?
第1試合は引き分け狙いでよいのでは

85 :
あの時はあえてブライアントと相性が良かったナベQに代えたんだから
最初から歩かすなんて考えは森監督には無かったのでは?

86 :
イースラーの初HRは小川人犯から。

87 :
イースラーのあの打ち方好きだったな

88 :
>>86
1ストライク3ボールからの5球目

89 :
崩壊した投手陣の中で星野が黙々とほぼ毎試合完投していたのを見て、細いのに丈夫だな〜と思ってた

90 :
星野は阪急・オリックス時代はほとんどケガとは無縁だった。
11年連続2桁勝利もそういった所から来てる記録なんだろうな。
星野以外にも、左投手って右よりも怪我しなかったり現役が長いイメージがある。
筋肉の付き方とかが左と右とでは違うのかもしれないな。

91 :
>>84
同点でランナー無しだぞ。

92 :
たとえブライアントを歩かせても、後ろにリベラが居たから
それはそれで厄介だった筈
リベラは結構良い所で打ってたからな

93 :
ブラは一発あるけど穴もでかかったからね。
リベラマイルドはパワーあるけどシュアな方だったから。

94 :
78年から97年の間でホークスが2番目に成績が良かった年(ちなみに1番よかった年は94年)

95 :
87年は夏場まで好調で
優勝した西武にしぶとく食らいついて大健闘したけど
勝率では89年よりもわずかに下なのか。
でも万年最下位だったチームがあそこまで頑張ったのには
驚いた野球ファンも多かったはず。

96 :
この頃のダイエーのエースは村田と吉田?抑えは井上だったような気がする。

97 :
吉田 加藤 村田で29勝
井上21セーブ

98 :
>>97加藤を忘れてました…岸川 藤本 アップショー バナザード 佐々木と良く打ってたましたね。

99 :
山本もね(^^)v

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66: 野球の弱い高校 (354)
67: 昔の選手って大したことないね (834)
68: 【定年55歳】 歴代の審判員を語る 【誤審】 (61)