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2012年3月民俗・神話学28: 【尚武の】武士道&神風特攻隊【文化】 (251) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【尚武の】武士道&神風特攻隊【文化】


1 :
日本のますらを文化

2 :
日本人の性格には一種微妙な本能がある。すなわち、理想と自我とを融合させようとする傾向が、はっきりした
強い底力となっている。
乃木大将の生涯は、この日本人の特質をそっくり具体化したものである。
スタンレー・ウォシュバン「乃木大将と日本人」より

3 :
神風特攻隊のメンバーは、ほとんど例外なくその先祖が武士だったのだよ。
アンドレ・マルロー
パリでの、竹本忠雄との談話より

4 :
西欧全体にたいしてフランスは日本の精髄の《受託者》たらんとするものであります。
この日本の精髄について全世界が甚だしい無知のなかにいるということを、どうか、しっかりと肝に銘じて
いただきたい。
全世界にとって日本とは、依然としてエキゾチズムか絵葉書風景の国、目もあやな、あの版画に描かれたかぎりの国に
すぎないのであります。さればフランスは、なによりさきに、こう表明しなければなりません――
日本は中国の一遺産ではない、なぜなら日本は、愛の感情、勇気の感情、死の感情において中国とは切りはなされて
いるから。
騎士道の民であるわれわれフランス人は、この武士道の民のなかに、多くの似かよった点を認めるようにつとむ
べきであろう。かつ、真の日本とは、世界最高の列のなかにあるこの国の十二世紀の偉大な画家たちであり、
隆信(藤原)であり、この国の音楽であって、断じてその版画に属する世界ではない、と。
アンドレ・マルロー
1958年、ド・ゴール政権、文化大臣時の来日講演より

5 :
君と共に将来は、日本の文化を背負つて立つ意気込みですが、君が御奉公をすましてかへつてこられるまでに、
僕が地固めをしておく心算です。僕は僕だけの解釈で、特攻隊を、古代の再生でなしに、近代の殲滅――
すなはち日本の文化層が、永く克服しようとしてなしえなかつた「近代」、あの尨大な、モニュメンタールな、
カントの、エヂソンの、アメリカの、あの端倪すべからざる「近代」の超克でなくてその傷(これは超克よりは
一段と高い烈しい美しい意味で)だと思つてゐます。
「近代人」は特攻隊によつてはじめて「現代」といふか、本当の「われわれの時代」の曙光をつかみえた、
今まで近代の私生児であつた知識層がはじめて歴史的な嫡子になつた。それは皆特攻隊のおかげであると思ひます。
日本の全文化層、世界の全文化人が特攻隊の前に拝跪し感謝の祈りをさゝげるべき理由はそこにあるので、今更、
神話の再現だなどと生ぬるいたゝへ様をしてゐる時ではない。全く身近の問題だと思ひます。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和20年4月21日、三谷信への葉書より

6 :
>>3
武士の家故に勉学を重んじており子息の大学進学率が高かった
ってことじゃね?

7 :
避けえないとなったときに、祖国のため、先祖、子孫のために、戦いの場に赴いた戦士たちを、後世の人間が
敬意をもって遇しないとしたら、その国はやがて滅びるだろうと私は思います。
難民救済活動でいろんな国へ行きましたが、女子供、老人たちが見るも無残な難民となって、彷徨う姿を見るたびに、
国や民族が滅びるとはこういうことかと、とても悲痛な思い駆られます。
だから私は、「自衛力なき民族は滅びる」という言葉を実感としてうけとめられるのです。
全人類の歴史を考えてみれば、いったいどれほどの民族が絶えてしまったか。
もう自分が生きていることは奇跡のようなことだと思って間違いない。
そして自分を、自分の両親、そのまた両親を生かしてくれるために、自らの命を投げ出してくれた人がいる。
自分の存在はそうした尊い犠牲の上にある。
この感覚は理屈では教えられないような気がする。もう素朴は宗教心しかない。
靖国神社にはそうした、生きてはまみえることのなかった子孫のために命を投げ出してくれた人たちが祀られている。
藤岡弘、
「正論」平成15年11月号より

8 :
感謝の気持ちは自分もまた次なる子孫のために、愛の連続性に責任を持つという姿勢として現れてくる。
だからこそ、どの国、どの民族も自国の為に戦って倒れた戦士の慰霊を大切にする。
当たり前の行為なんだということを改めて日本人は自覚すべきである。
私は世界中を回って、共産主義というものがどれほど嘘で、どれほど裏のあるものかということを実見してきた。
スローガンの”平等”は実現されず、一部の特権階級だけが潤っている。
粛清された大勢の遺骨の山とは、悲惨な現実を見せられたら、日本で共産主義を信じて私を排除することに
汲々としている人が哀れに思えてきたくらいです。
藤岡弘、
「正論」平成15年11月号より

9 :
私にいわせれば、いまの日本が徹底した侮りをうけないで済んでいるのは、身命をなげうって究極の奮戦を
してくれた英霊、とくに神風特攻隊のお陰です。
彼らが武士道精神を発揮して戦ったその記憶が『バリア』となって、いまもわれわれを守ってくれている。
あまり日本に理不尽なことを仕掛けてはならないという自制を世界にもたらしている。
問題なのはその残像が彼我の間から急速に薄れつつあることです。
戦後半世紀の平和は、「平和憲法」によってもたらされたものではなく、最悪の戦いのなかで、究極の武徳を
示してくれた英霊のお陰だと私は思っています。
逆説的ですが、戦う力をもってはじめて、『孫子』にある「戦わずして、人の兵を屈するは、善の善なる者なり」
が果たせるのです。
戦後の日本人はこの逆説がまるで分からなくなってしまった。
藤岡弘、
「正論」平成15年11月号より

10 :
藤岡弘、
w

11 :
明治維新のときは、次々に志士たちが死にましたよね。あのころの人間は単細胞だから、あるいは貧乏だから、
あるいは武士だから、それで死んだんだという考えは、ぼくは嫌いなんです。どんな時代だって、どんな階級に
属していたって、人間は命が惜しいですよ。それが人間の本来の姿でしょう。命の惜しくない人間がこの世に
いるとは、ぼくは思いませんね。だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。
維新にしろ、革命にしろ、その覚悟の見せどころだとぼくは思うんだが、全共闘には、やっぱり生命尊重主義というか、
人命の価値が至上のものだという戦後教育がしみついていますね。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

12 :
ぼくがウソだと思ったのは「きけわだつみのこえ」でした。あの遺稿集は、もちろんほんとに書かれた手記を
編集したものでしょう。だが、あの時代の青年がいちばん苦しんだのは、あの手記の内容が示しているような
ものじゃなくて、ドイツ教養主義と日本との融合だったんですよね。戦争末期の青年は、東洋と西洋といいますか、
日本と西洋の両者の思想的なギャップに身もだえして悩んだものですよ。そこを突っきって行ったやつは、
単細胞だから突っきったわけじゃない。やっぱり人間の決断だと思います。
それを、あの手記を読むと、決断したやつがバカで、迷っていたやつだけが立派だと書いてある。そういう考えは、
ぼくは許せない。
三島由紀夫
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より

13 :
特攻で死んだ者の中には朝鮮人も居るのだが

14 :
――それはそうと、この間江田島の参考館へ行って、特攻隊の遺書をたくさん見ました。遺書というのではないが、
ザラ紙に鉛筆の走り書きで、「俺は今とても元気だ。三時間後に確実に死ぬとは思えない……」などというのがあり、
この生々しさには実に心を打たれた。
九割九分までは類型的な天皇陛下万歳的な遺書で、活字にしたらその感動は薄まってしまう。もし出版するなら、
写真版で肉筆をそのまま写し、遺影や遺品の写真といっしょに出すように忠告しました。
それにしても、その、類型的な遺書は、みんな実に立派で、彼らが自分たちの人生を立派に完結させるという
叡智をもっていたとしか思えない。もちろん未練もあったろう。言いたいことの千万言もあったろう。
しかしそれを「言わなかった」ということが、遺書としての最高の文学表現のように思われる。
三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

15 :
僕が「きけわだつみのこえ」の編集に疑問を呈してきたのはそのためです。
そして人間の本心などというものに、重きを置かないのはそのためです。もし人間が決定的行動を迫られるときは、
本心などは、まして本心の分析などは物の数ではない。それは泡沫のようなただの「心理」にすぎない。
そんな「心理」を一つも出していない遺書が結局一番立派なのです。
それにしても、「天皇陛下万歳」と遺書に書いておかしくない時代が、またくるでしょうかね。もう二度と
来るにしろ、来ないにしろ、僕はそう書いておかしくない時代に、一度は生きていたのだ、ということを、
何だか、おそろしい幸福感で思い出すんです。いったいあの経験は何だったんでしょうね。あの幸福感は
いったい何だったんだろうか。
三島由紀夫
林房雄との対談「対話・日本人論」より

16 :
今の日本の大威張りの根拠は、みんな西洋発明品のおかげである。
これはそもそも、大東亜戦争の航空機についてさへ言へることで、あの戦争が日本刀だけで戦つたのなら
威張れるけれども、みんな西洋の発明品で、西洋相手に戦つたのである。ただ一つ、真の日本的武器は、
航空機を日本刀のやうに使つて斬死した特攻隊だけである。
三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より

17 :
遺書は上官に検閲されて書き直しを命じられてたのだが。

18 :
>>17
全部が書き直ししてるわけじゃないから、そんな日教組みたいなこと言っても無意味。

19 :
>>17
それに検閲されてたら「きけわだつみ」のようなのあるわけないし。

20 :
アメリカの青年たちよ。東洋には、すばらしい国がある。それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに
違いない。奮起しろ!
レイモンド・A・スプルアンス大将(硫黄島攻略の米軍第五艦隊長司令官)

21 :
覚えておいてくださいよ。切腹は自にあらずということを。切腹とは、祖廟をまえにした犠牲(いけにえ)であるということを。
この庭園も、これまた一個の祖廟ならずしてなんであるか。
アンドレ・マルロー「日本の挑戦」より

22 :
知覧は陸軍。「きけわだつみの声」は海軍。
日教組ではなく、元特攻隊員が書き直しを命じられたことを発言してる。
遺書に限らず、兵士の手紙の検閲は当たり前の事。

23 :
書き直してない人も沢山いるから、どうでもいいよ、そんなこと。

24 :
「東京」は、実際には、何人かの被告を見せしめに裁き、全員、愛国心のゆえに有罪なりと宣言したに
すぎない。(中略)民主主義思想の愚鈍ぶりは、東条英機をして「ファッシスト的」独裁者たらしめた。これは
歴史的真実に反するのみならず、当時の君主制日本の神制政治上の概念にも相反するものである。諸政党解党に
つぐ大政翼賛会の唯一党結成は近衛公の意志によるものであって、東条英機将軍は、公に代って帝国政府の
総帥となるに及び、連合国にたいする政府の決断躊躇をすべて引きつぐ結果となったのである。連合国側こそ、
「経済制裁」に名をかりて、宣戦布告もなく日本を窒息死せしめんとしていた事実を忘れてはならない。
ピエール・パスカル「花山信勝著『平和の発見』付録」より

25 :
捕虜収容所の日本人指揮官のなかには、無数の捕虜にたいする扱いが穏当でなかった者も、それは多々あったで
あろう。しかし、「捕虜虐待」で絞首刑にされた人々の運命たるや、シベリアへの「死の行進」やカティンの
大虐をやってのけた連中、またケニヤ・エジプト・北アフリカ・インドなどの収容所の警護者どもの思いも
およばないようなものだったのだ。
…リチャード・ストリーがその著『近代日本史』のなかで記しているごとく、日露戦争時において、ロシア兵の
捕虜ならびに支那の民間人にたいする日本軍のふるまいは「世界中の尊敬と感嘆を勝ちえた」事実を思うがよい。
でなくして、旅順開城ののち、露軍司令官ステッセルは、なぜ乃木将軍にその白馬を献じようと欲したであろうか?
ピエール・パスカル「花山信勝著『平和の発見』付録」より

26 :
最初の特攻隊が比島に向つて出撃した。我々は近代的悲壮趣味の氾濫を巷に見、あるひは楽天的な神話引用の
讃美を街頭に聞いた。我々が逸早く直覚し祈つたものは何であつたか。我々には彼等の勲功を讃美する代りに、
彼等と共に祈願する術しか知らなかつた。彼等を対象とする代りに、彼等の傍に立たうとのみ努めた。
真の同時代人たるものゝ、それは権利であると思はれた。
特攻隊は一回にしては済まなかつた。それは二次、三次とくりかへされた。この時インテリゲンツの胸にのみ
真率な囁(ささや)きがあつたのを我々は知つてゐる。「一度ならよい。二度三度とつゞいては耐へられない。
もう止めてくれ」と。我々が久しくその臭から脱却すべく努力を続けて来た古風な幼拙なヒューマニズムが
こゝへ来て擡頭したのは何故であらうか。我々はこれを重要な瞬間と考へる。人間の本能的な好悪の感情に、
ヒューマニズムがある尤もらしい口実を与へるものにすぎないなら、それは倫理学の末裔と等しく、
無意味にして有害でさへあるであらう。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

27 :
しかし一切の価値判断を超越して、人間性の峻烈な発作を促す動力因は正統に存在せねばならない。
誤解してはならない。国家の最高目的に対する客観的批判ではなく、その最高目的と人間性の発動に矛盾を
生ずる時、既に道義はなく、道徳は失はれることを云はんとするのである。人間性の発動は、戦争努力と同じ
強さを以て執拗に維持され、その外見上の「弱さ」を脱却せねばならない。この良き意思を欠く国民の前には
報いが落ちるであらう。即ち耐ふべきものを敢て耐ふることを止め、それと妥協し狎(な)れその深き義務より
卑怯に遁(のが)れんとする者には報いが到来するであらう。
我々が中世の究極に幾重にも折り畳まれた末世の幻影を見たのは、昭和廿年の初春であつた。人々は特攻隊に
対して早くもその生と死の(いみじくも夙に若林中隊長が警告した如き)現在の最も痛切喫緊な問題から
目を覆ひ、国家の勝利(否もはや個人的利己的に考へられたる勝利、最も悪質の仮面をかぶれる勝利願望)を
声高に叫び、彼等の敬虔なる祈願を捨てゝ、冒涜の語を放ち出した。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

28 :
彼等は戦術と称して神の座と称号を奪つた。彼等は特攻隊の精神をジャアナリズムによつて様式化して安堵し、
その効能を疑ひ、恰(あた)かも将棋の駒を動かすやうに特攻隊数千を動かす処の新戦術を、いとも明朗に
謳歌したのである。沖縄死守を失敗に終らしめたのはこの種の道義的弛緩、人間性の義務の不履行であつた。
我々は自らに憤り、又世人に憤つたのである。しかしこの唯一無二の機会をすら真の根本的反省にまで
持ち来らすに至らなかつた。
軈(やが)て本土決戦が云々され、はじめて特攻隊は日常化されんとした。凡ての失望をありあまるほど
もちながら、自己への失望のみをもたない人々が、かゝる哀切な問題に直面したことには一片の皮肉がある。
我々は現在現存の刹那々々に我々をして態度決定せしめる生と死の問題に対して尚目覚むるところがなかつた。
もし我々に死が訪れたならそれは無生物の死であつたであらう。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

29 :
(中略)
沖縄の失陥によつて、その後の末世の極限を思はしむる大空襲のさなかで、我々がはじめて身近く考へ
目賭(もくと)したのは「神国」の二字であつた。我々には神国といふ空前絶後の一理念が明確に把握され
つゝあるが如く直感されたのである。危機の意識がたゞその意識のみを意味するものなら、それは何者をも
招来せぬであらう。たゞ幸ひにも、人間の意識とは、その輪廓以外にあるものを朧ろげに知ることをも包含する
のである。意識内容はむしろネガティヴであり、意識なる作用そのものがポジティヴであると説明して
よからうと思はれる。それは又、人間性の本質的な霊的な叡智――神である。(中略)
我々が切なる祈願の裏に「神国」を意識しつゝあつた頃、戦争終結の交渉は進められてあり、人類史上その
惨禍たとふるものなき原子爆弾は広島市に投弾されソヴィエト政府は戦を宣するに至つた。かくて八月十五日
正午、異例なるかな、聖上御親(おんみづか)ら玉音をラヂオに響かし給うたのである。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

30 :
「五内(ごだい)為に裂く」と仰せられ、「爾(なんぢ)臣民と共に在り」と仰せらるゝ。我々は再び我々の
帰るべき唯一無二の道が拓(ひら)くるを見、我々が懐郷の歌を心の底より歌ひ上ぐるべき礎が成るのを見た。
我々はこの敗戦に対して、人間的な悲喜哀歓喜怒哀楽を超えたる感情を以てしか形容しえざるものを感ずる。
この至尊の玉音にこたへるべく、人間の絞り出す哭泣の声のいかに貧しくも小さいことか。人間の悲しみが
いかに同じ範疇を戸惑ひしてうろつくにすぎぬことか。我々はすでにヒューマニズムの不可欠の力を見たが、
これによつて超越せられたる一切の価値判断は、至尊の玉音に於て綜合せられ、その帰趨(きすう)を
得るであらうと信ずる。人間性の練磨に努めざりし者が、超人間性の愛の前に、その罪を謝することさへ
忘れ果てて泣くのである。この刹那我等はかへりみて自己が神であるのを知つたであらう。人間性はその限界の
極小に於て最高最大たりうることを。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

31 :
(中略)
けふ八月十九日の報道によれば、参内されたる東久邇宮に陛下は左の如く御下命あつた由承る。
「国民生活を明るくせよ。灯火管制は止めて街を明るくせよ。娯楽機関も復活させよ。親書の検閲の如きも
即刻撤廃せよ」
かくの如きは未だ嘗て大御心(おほみこころ)より出でさせたまひし御命令としてその例を見ざる処である。
この刹那、わが国体は本然の相にかへり、懐かしき賀歌の時代、延喜帝醍醐帝の御代の如き君臣相和す
天皇御親政の世に還つたと拝察せられる。黎明(れいめい)はこゝにその最初の一閃を放つたのである。(中略)
青年の奮起、沈着、その高貴並びなき精神の保持への要請が今より急なる時はない。
ますらをぶりは一旦内心に沈潜浄化せしめられ、文化建設復興の原力として、たわやめぶりを練磨し、
なよ竹のみさを持せんと力(つと)めることこそ、わが悠久の文学史が、不断に教へるところではあるまいか。
平岡公威(三島由紀夫)「昭和廿年八月の記念に」より

32 :
交戦中にされた男の最後の記録を読んではじめて、戦争というものが本当にどんなものかわかりはじめた。
…日本軍の兵士たちの耐えた困苦のほどは圧倒的な感動をよびおこした。
それに引きかえ、週に一度検閲しなければならないアメリカ軍の兵士たちの手紙には、何の理想もなく、また
たしかに何の苦しみもなく、ただただもとの生活に戻りたいということだけが書かれていた。戦争中ずっと
この対照が私の心につきまとってはなれなかった。
ドナルド・キーン「日本との」より

33 :
そうです。ぼくは、非常に近い距離からアメリカの軍隊を見ていました。
しかし、理想をいだいて戦っているような米兵には、ただの一度もお目にかかったことがありませんでした。
それは確実に言えることです。「もっといい世界のために、自分は戦死してもいい」などという文句は、
アメリカの兵士の手紙の中には、こんりんざいなかったのですから。
日本の兵士は、家族に送る手紙の中ででも、「滅私奉公」とか「悠久の大義」などという言葉を使っていました。
ぼくは、日本の軍国主義者の理想を受け入れることは絶対にできなかったが、このような手紙を書き、日記を
つけた個々の日本兵士には、敬意をいだかずにはいられませんでした。
結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信ずるにいたった。
ドナルド・キーン「日本との」より

34 :
革命は行動である。行動は死と隣り合はせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を
離れて行動の世界に入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼む
ミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは人間性の自然である。
「帰太虚」とは太虚に帰するの意であるが、大塩(平八郎)は太虚といふものこそ
万物創造の源であり、また善と悪とを良知によつて弁別し得る最後のものであり、ここに
至つて人々の行動は生死を超越した正義そのものに帰着すると主張した。彼は一つの譬喩を
持ち出して、たとへば壷が毀(こは)されると壷を満たしてゐた空虚はそのまま太虚に
帰するやうなものである、といつた。壷を人間の肉体とすれば、壷の中の空虚、すなはち
肉体に包まれた思想がもし良知に至つて真の太虚に達してゐるならば、その壷すなはち
肉体が毀されようと、瞬間にして永遠に偏在する太虚に帰することができるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

35 :
その太虚はさつきも言つたやうに良知の極致と考へられてゐるが、現代風にいへば
能動的ニヒリズムの根元と考へてよいだらう。
…仏教の空観と陽明学の太虚を比べると、万物が涅槃の中に溶け込む空と、その万物の
創造の母体であり行動の源泉である空虚とは、一見反対のやうであるが、いつたん悟達に
達してまた現世へ戻つてきて衆生済度の行動に出なければならぬと教へる大乗仏教の教へには
この仏教の空観と陽明学の太虚をつなぐものがおぼろげに暗示されてゐる。ベトナムにおける
抗議僧の焼身自は大乗仏教から説明されるが、また陽明学的な行動ともいふことが
できるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

36 :
陽明学には、アポロン的な理性の持ち主には理解しがたいデモーニッシュな要素がある。
ラショナリズムに立てこもらうとする人は、この狂熱を避けて通る。
われわれは天といへば青空のことだと思つてゐるが、こればかりが天ではなくて、石の間に
ひそむ空虚、あるひは生えてゐる竹の中にひそんでゐる空虚もまつたく同じ天であり、
太虚の一つである。この太虚は植物、無機物ばかりではなく、人間の肉体の中にも口や
耳を通じてひそんでゐる。われわれが持つてゐる小さな虚も、聖人の持つてゐる虚と
異なるところはない。もし、誰であつても心から欲を打ち払つて太虚に帰すれば、天がすでに
その心に宿つてゐるのである。誰でも聖人の地位に達しようと欲して達し得ないことはない。
「聖人は即ち言あるの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖人なり」
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

37 :
太虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入つていく
ほかはない。形のあるものはすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさへ地震によつて
ゆすぶられる。何故なら形があるからである。しかし、地震は太虚を動かすことはできない。
これでわかるやうに心が太虚に帰するときに、初めて真の「不動」を語ることができるのである。
すなはち、太虚は永遠不滅であり不動である。
心がすでに太虚に帰するときは、いかなる行動も善悪を超脱して真の良知に達し、天の
正義と一致するのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

38 :
その太虚とは何であるか。人の心は太虚と同じであり、心と太虚とは二つのものではない。
また、心の外にある虚は、すなはちわが心の本体である。かくて、その太虚は世界の実在である。
この説は世界の実在はすなはちわれであるといふ点で、ウパニシャッドのアートマンと
はなはだ相近づいてくる。
大塩平八郎はその「洗心洞剳記」にもいふやうに、「身の死するを恨みずして心の死するを
恨む」といふことをつねに主張してゐた。この主張から大塩の過激な行動が一直線に出てきたと
思はれるのである。心がすでに太虚に帰すれば、肉体は死んでも滅びないものがある。
だから、肉体の死ぬのを恐れず心の死ぬのを恐れるのである。心が本当に死なないことを
知つてゐるならば、この世に恐ろしいものは何一つない。決心が動揺することは絶対ない。
そのときわれわれは天命を知るのだ、と大塩は言つた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

39 :
われわれは心の死にやすい時代に生きてゐる。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると
日本には、平八郎とは反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」
といふ人が無数にふえていくことが想像される。肉体の延命は精神の延命と同一に
論じられないのである。われわれの戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重のヒューマニズムは、
ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問はないのである。
社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、
肉体の死ぬことばかり恐れてゐる人で日本中が占められてゐるならば、無事安泰であり
平和である。しかし、そこに肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを
恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

40 :
死を恐れるのは生まれてからのちに生ずる情であつて、肉体があればこそ死を恐れるの心が
生じる。そして死を恐れないのは生まれる前の性質であつて、肉体を離れるとき初めて
この死の性質をみることができる。したがつて、人は死を恐れるといふ気持のうちに
死を恐れないといふ真理を発見しなければならない。それは人間がその生前の本性に
帰ることである。
ひたすら聖人に及ばざることのみを考へてゐるところからは、決して行動のエネルギーは
湧いてはこない。同一化とは、自分の中の空虚を巨人の中の空虚と同一視することであり、
自分の得たニヒリズムをもつと巨大なニヒリズムと同一化することである。
何故日本人はムダを承知の政治行動をやるのであるか。しかし、もし真にニヒリズムを
経過した行動ならば、その行動の効果がムダであつてももはや驚くに足りない。陽明学的な
行動原理が日本人の心の中に潜む限り、これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ
知られぬやうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起ることは予言してもよい。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

41 :
日本が貿易立国によつて進まねばならない島国といふ特性を有しながらも、アジアの
一環に属することによつて西欧化に対する最後の抵抗を試みるならば、それは精神による
抵抗でなければならないはずである。
精神の抵抗は反体制運動であると否とを問はず、日本の中に浸潤してゐる西欧化の弊害を
革正することによつてしか、最終的に成就されない道である。そのとき革新思想が
どのやうな形で西欧化に妥協するかによつて、無限にその政治的有効性の方向に引きずられて
いくことは、戦後の歴史が無惨に証明した如くである。われわれはこの陽明学といふ
忘れられた行動哲学にかへることによつて、もう一度、精神と政治の対立状況における
精神の闘ひの方法を、深く探究しなほす必要があるのではあるまいか。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より

42 :
娘が明かす鶴田浩二「傷だらけの人生」
「いろんな奴が、いろんなことを言った。俺はちゃんと聞いてたよ。確かに俺には戦争の体験はない。
戦友が散っていったのを、この目で見たわけでもない。でもそういう映画が俺を一人前にしてくれたんだ。
俺は戦争で死んでいった人たちに、生かされたっていう思いなんだ。」
父はお前に分かるか、という目で私を見詰めた。私には父が言っていることが全て理解できた。
私が深くうなずくと、父は再び話し始めた。

43 :
「女の人の手も、髪の毛一本だって触れることが出来ないで、『お母さん』と思いきり泣くことも我慢して
死んでいった若い人たちの魂を思うと、俺は生き残りだ、あの人たちに生かして貰ったんだと強く感じるんだよ。
そういう気持ちで、そういう姿勢で、俺は若いうちに死んでいった人たちを悼んでいかなきゃならないんだ。」
閉じていた目蓋をゆっくり開いて、もう一度私を見た時、父の目は、自分はそうするしかなかったと言っていた。
「同じ日本人の血が流れてるのに、どうして無関係だと言えるんだ。俺の中ではね、あの人たちの死は、
戦争を始めた誰それがいけなかったとか、天皇の責任だとか、そんなこととは全然別の問題なんだ」

44 :
武士道とは死狂いなり。
覚悟を決めて突き進むのみである。
他に意味はない。 山本常朝『葉隠』
どうしたら覚悟が決まるんだろう?
凡人は欲が邪魔をするが、天才は違うのだろうか?
凄すぎる。

45 :
うるせーよ。
少しは自分の言葉で物事を語ってみたらどーだ?
俺は27歳の愚民の1人だ。でも特攻し散られた方々の様々な手記を読み、
俺の今後の人生を考え直すきっかけとなった。
現世に彼の方々の精神、魂が生き、そして俺を突き動かしてくれた。
それが彼等の本望ではないのは百も承知だ。
でも、俺の意志、考えを変えてくれたのは紛れもない事実。
彼等の魂は間違いなく今も生き、平成の世を動かしている。

46 :
電波スレ

47 :
厨二病スレ

48 :
支那スパイが飛んできました

49 :
武士道

50 :
それでも無職引きこもりの>>45であった(笑)

51 :
武士道って、死を常に見つめる事ですよね?死を認識して初めて生きる事が出来ると。覚悟って、いつかは死ぬんだって認める事では?

52 :
武士道(笑)

53 :
【野分祭】三島・森田両烈士の遺した憂国の情
http://www.youtube.com/watch?v=hcG6h8AzZ-0

54 :
三島由紀夫も森田必勝もいいけれど、それ以前の武士も学ぼうぜ

55 :
ネトウヨ湧き過ぎwwwwwwww

56 :


57 :
第7回出陣学徒慰霊祭のお知らせ
●開催日:12月5日(日)
●場所:第1部 靖国会館
    第2部 靖国神社本殿
●参加費3000円(玉串料込)学生1000円
●当日のスケジュール
■記念講演 於靖国会館2階偕行の間
13:00開場、13:30開会
・実行委員長挨拶
・来賓挨拶
・学生意見表明
・記念講演:宮本雅史先生
演題:「回天特攻の真実」
(宮本雅史先生略歴)
1953年和歌山県生まれ。慶應義塾大学卒業後、産経新聞社入社。93年にゼネコン汚織事件のスクープ
で新聞協会賞を受賞。書籍編集者を経て、現在那覇支局長。『回天の群像』では、元特攻隊員や遺族
の証言を追い、特攻隊員の心とその背景に迫った。著書に『特攻と遺族の戦後』『歪んだ正義―特捜
検察の語られざる真相』ほか多数。
■出陣学徒慰霊祭 於靖国神社本殿
15:40より
●主催:日本保守主義研究会学生部
http://www.wadachi.jp/
●協賛:拓殖大学政策研究愛好会「日本の心」http://nihonnokokoro.web.fc2.com/
 当日予約なしの参加も承っておりますが、会場の都合事前に下記のフォームよりお申し込みください。
http://form1.fc2.com/form/?id=533120

58 :
ここで武士道はいかにも日本の文化って書いてるけど日本人の90%以上は武士以外なんだぜ
ほんの一部の上流階級の軍事的文化を無理矢理日本人に押し付けたのは明治政府
権力に弱い日本人はそれに従ったけど言ってみればそれは権力によって自分または家族が危機に陥るのを恐れていただけ
西ヨーロッパみたいに命を懸けての民衆革命なんてなかった
だから戦後すぐに日本人はもとの軟弱民族に戻った。軟弱になったんじゃなくて「戻った」だけ
かの三島由紀夫でさえ「若きサムライのために」の中で日本人は本来兵士には向かないと述べている(一部のサムライ除く)
興味があれば読んでほしい

59 :
ネトウヨとチョン湧き過ぎwwwww
巣に帰れ

60 :
>>58
武士は世襲でも血脈でもない。
公家、農民、海賊からも大名を輩出していることからわかるだろ。
ちなみに、武士道は死狂い、一向宗は退けば無間地獄、進めば往生極楽だ。
つまり武士道は日本人のスタンダード。
>>59
オマエは中立な良い子ちゃんなの?w

61 :
日本人ほど精神性が出来上がった戦士はいない。それは昔の歴史を調べるとわかる事。
基本的に昔の人達の伝記を悪く伝わっているのは今の日本政府の教育に問題がある。
今の日本を見ているとそれがわかるんでないか?
平和を語るくせに、戦争から目を背ける日本。
他の国より豊かなのに、伐とする日本。
平和路線で国を運営するのに、道徳授業を重要視しない日本。
戦争をしない国なのに、意味なく人をす国日本。
他人に対する愛よりも、自分の利益のみを考える人が多くなった日本。
テロは許されない行為と語りながら、尖閣諸島漁船衝突事故・普通にみれば、
中国の日本に対するテロとわかるのに、テロリストに屈服する日本政府。
敗戦してから、日本は自分たちの正義を見失った・・・。
昔の日本が正しいとは言い切れないが・・日本としての正義があった。
将来的に今の日本は外国に侵略される事を意味している。
なぜか・・今の日本政府は国民のために命を捨てる気がない・・。
歴史を見てもわかる事ではないか・・日本の将来は・・。

62 :
夢や戯言だけでは、世の中は回らないという事。

63 :
>>62
その通り
現代日本の平和思想は夢や戯言だ。
平和のなはずの日本の年間自者数の多さが物語る

64 :
武士道の素晴しさにアンチと在日が火病ってるな
これは武士道の正しさの証左
本も読まずに、ネットに書かれてることだけ鵜呑みにしてる
ユトリバカが多いなあ。
本は、右も左も思想があって、ニュートラルだけど
ネットは、どっちかに傾いてる事が多い。
少しは外に出なさい。

65 :
>>60
>武士道は死狂い
それは江戸時代の平和な時代に書かれた「葉隠」についていってるのかな?
それの本当の意味は、戦争のない武士が低級官僚化した江戸時代の
武士の理想像やマナーとして書かれた物であって、実際に戦っていた
戦国時代の武士の物ではないよ。
戦国時代の武士は、生き残るために無能な君主は裏切ったり、仕える
大名を何度も変えたり、ゲリラ戦や闇討ち、暗、略奪も行っていた。

66 :
 
日本の「真逆のトリック」はその戦術でも
http://s1.shard.jp/deer/0202/6/151.html
日本の切腹、特攻隊、武士の武勇、全て真逆のプロパガンダだった。
戦争の戦術でも、日本の武士たちは常に臆病で卑怯者だった。
時代劇、歴史ドラマ、戦争物語は、全てプロパガンダと捏造だ。
日本の得意とする戦術は、「褒めし」と「騙し討ち」だった。
その邪悪さは想像を超える。だから、これまで、ほぼ、ことごとく成功してきた。
この「褒めし」は、心理的なものではない。
本当に「褒めて」、本当に「す」のだ。

67 :
>>66
くだらねぇプロパガンダしてるのは朝鮮人のお前じゃねーか

68 :
今から35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。
こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。同じアジア人として、このような英雄が
マバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを「誇り」に思っています。
ダニエル・H・ディゾン画伯

69 :
古代から世界各国に似たような話あると思うが…
現代ではイスラム過激派がやってる

70 :
「紀效新書」1595年 戚継光
「これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は
恐れおののくのみだった。 日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も
飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、(サムライと)遭遇すれば皆両断されてされる。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである」
「揮刀如神」 明末期 
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。 我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身が
すくみ逃げ腰になる。 剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から武術を鍛えられ始め、
壮年にいたれば手に負えなくなる」
「単刀法選」 程宗猷 1621年
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」
「広東新語・語器」 屈大均(1630〜95)
 「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、
大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」
「大君の都」 Rutherford Alcock 1863年
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、
二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。大きいほうの刀を使うと、
ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」

71 :
>>65
葉隠読んだことあります?
山本常朝がどういう武士だったのか知っていますか?

72 :
「鎌倉武士のなんともいえぬ潔き気風の真髄となっているものもやはり平安時代の「あわれ知ること」である。
平安士女の生活と鎌倉武士の生活が相異なるから、その現れた事相はもちろん違う。
彼にあっては花鳥風月恋愛等に顕れたものが、これにあっては、軍陣の関係、忠孝の事蹟などに顕れたが、
その外相をおいて、その真生命について見るときには、同じ情韻が溢れているのである。
自分の詠歌を勅撰集に加えたいばかりで、死を決して落ち行く旅の路から戻ってきて、夜、和歌の師の門を叩いた平忠度もある。
足柄山の月の夜に笙の秘伝を伝えた新羅三郎もある。
落花に対して風を恨んだ源義家もある。
梅の花を箙に插して敵陣に突進した梶原景季もある。
熊谷直実が平敦盛を逃がそうとしたなども、みな鮮明に鎌倉武士の風尚を示すものである。
これらはむしろあまり鮮明すぎて、鎌倉武士の風尚を浅くするかと思わるる事例に過ぎぬ。
実に鎌倉武士は武健であった。(1/2)

73 :
忠君の情が厚かった。
そしてその武勇や忠義に一種の気韻を与えて、花よりも美しからしめるものは、
この「あわれ知る」という気風であったのである。
武士道は決して文字の上の解釈で知られるものでもなく、理屈や教条で組立てられるものでもない。
理屈や条規は、ただその形体である。その真体、精神はただ身証体得するほかには、これを捉える術はないのである。
鎌倉武士のあいだに禅学の流行したのも、その原因はこの辺にあるのである。
このことについては、武士はいつ死ぬか分からぬから宗教によったのだろうとか、
在来の仏教が腐敗したから禅宗が流行ったとか、いろいろの解釈をする人があるけれども、
我は禅の直覚的悟道と武士道の真髄なる物のあわれ、物の心を知るということと同じ趣があると思う。」(堀維孝)『国民道徳に関する講和』稿本。大正二年(2/2)

74 :
>>73
>この「あわれ知る」という気風
加賀百万石・前田家の子孫は鼻高々だろうね。
前田利家は釜ゆで大好きな残酷野郎だが。
残酷な先祖に感謝。
それと聖将とも言われる上杉謙信は、奴隷狩りで有名
http://sengokuclub.com/cgi-bin/uda/col3.cgi?mode=dsp&no=21&num=

75 :
>>73
>忠君の情が厚かった。
信長
目上である将軍を蔑ろ。 尽くしてきた部下も合理主義で切り捨て。
秀吉
信長の子も不都合ならす。 信長を「虎狼の心」などと中傷。
家康
秀吉との約束を破り、陰湿な言いがかりで豊臣家を滅ぼす。
彼らが代表武将トップ3 忠孝?信?なにそれ。

76 :
>>73
>武士道の真髄
そもそも、武士道に明確な定義は存在しない。
戦国期、江戸武士道、鍋島藩の葉隠、みな異なる。
各人が好き勝手を主張。新渡戸も実情との差異を批判されてる。
武士は一般的に、戦国期は仁義なき利の争い、平定後は忠義面で家存続第一。
庶民にとっては年貢を納める対象。その他の面は、個々人のケースにすぎない。

77 :
多様性を主張しながら、他者の意見を否定するバカとは話にならない

78 :

ドラマで有名な忠義武士道は、「印籠、へへーっ」の水戸黄門だが、
実像は若い頃に辻斬り、後には酷税で民を苦しめてる。
ラストサムライのモデルと言われる、「敬天愛人」の西郷隆盛は、
薩摩藩による酷い離島搾取を、明治以降も継続しようと大島商社を設立。

79 :

武士と暴力団の共通点。
暴力の縄張り争い。メンツを重視。庶民を威圧&たかる。○○道と美化。
旗本奴なる武士集団が世間に迷惑掛けたりも。


80 :

長い武士道教育の結果(幕末)がこれだよ。
薩摩 黒船前から幕府に隠れて密貿易。反幕府の原動力に (武士道の忠義が蔑ろ)
薩摩 農民に重税。さらに奄美の離島などで酷い搾取。明治後も継続計る。 (民に非情)
長州 幕末にテロ起こしまくり (武士道はテロリズム?)
薩長 会津戦争 (幕府への忠義に殉じた敗者への狼藉で、長く怨みを残す)
水戸の天狗党 尊皇の先駆者だが、藩の内ゲバで敵の身内まで標的 (陰湿凄惨な報復合戦)
「反幕府・テロ・非情」

81 :
ファビョって連投・・・わかりやすいw

82 :
自演だろカス

83 :
武士(源頼朝)が朝廷に認めてもらい、荘園管理の地頭を全国に。
しかし武士なので暴力的。
おまえら農民が言う事を聞かないなら、
妻子たちを閉じ込め、耳を切り、鼻をそぎ、髪を切って尼のようにし、縄で縛って痛めつけるぞ
「紀伊国阿弖河荘(あてがわのしょう)百姓訴状」
まさに支配側に立った。

84 :
飛行機に爆弾詰め込んで突っ込ませるって作戦は気に入らない
けどそれをやった特攻隊員の人達は素直に尊敬するなぁ
ほぼ100%の人達が作戦には同意してなかったんじゃないかな よく解らないけど
でもそれをしないと自分はおろか家族までもが非国民扱いされるのが当時の日本だった
家族を守りたかったから 将来の日本が平和になるように という考えで特攻した人がほとんどじゃないのかな

85 :
>>58
三島由紀夫の「若きサムラヒのための精神講話」には、そんなこと一つも書いてなかったよ。

86 :
>>84
(´;ω;`)

87 :
>>84
自分と家族が非国民扱いされるのが恐いから、無駄だと分かって
ても爆弾背負って的に体当たり攻撃しなきゃならないって、
村八分や集団いじめが恐いから、家族の中で若者を犠牲に差し出す
的な、かなり陰惨な状態だな。
そんな悲惨で末期的な状態の国には二度としないために、遺族や
生き残った人々は、過ちを繰り返さないようにすると思うけど。

88 :
戦後、文化の問題の偏頗な扱ひは、久しく私の疑惑を培つて来た。戦争について書かれた作品で、文学作品として
後世に伝へられる資格を得たものは、悉く文学者の作品である。餅は餅屋であるから、もちろん文章は巧い。
文学的な深みもあり、普遍的な説得力もある。しかし、いかんせん、その個人的な戦争体験は限られてをり、
戦闘に参加する前から文筆の人であつた者の目に映じた戦争は、どんなに公平を期しても、そこに自ら視点の
限定がある。いかなる大戦争といへども、個々人にとつては個人的体験であることは当然だが、同時に、そこには、
純戦闘員による戦争の真髄が逸せられてゐたことは否めない。
誤解のないやうに願ひたいが、私は、文学者の書いた戦記が、体験のひろがりと切実さを欠いてゐる、と非難して
ゐるのではない。ただ、あの戦争に関する記録乃至創作を、純文学的評価だけで品隲することは、実は、もつと
大きな見地からは、非文学的、ひいては非文化的行為ではないか、といふ疑問を呈したのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より

89 :
その好例がこの「戦塵録」である。これがいはゆる文学作品を狙つた記録でもなければ、文学的素養ゆたかな人の
作物でもないことは、一読すでに明らかである。しかしここに描かれてゐるのは、大きな一つの文化及び文化様式の
終末の悲劇なのである。
わけても貴重なのは、筆者が戦闘機乗りとしての純戦闘員であり、戦争の最先端の感情と行為を体験し、又、
一人の若者であつて、純情な恋愛とその愛別離苦を身にしみて味はひ、且つ、戦争の終末とその終末に殉じた人たちの
最期に立会つたといふことである。行為者にして記録者であること、青春の人にして終末の立会人であつたこと、
……このやうな相矛盾する使命をこの人に課したのは、おそらく歴史のもつとも生粋のものを後世に伝へようと
はかられた神意であるにちがひない。
今にして思へば、私は、戦後文化の復興者であらうと自負した人たちの近くにゐすぎた。そこにゐたのは、必ずしも
私の責任ではないが、そこにゐて感じた反撥の数々は、却つて私をして文化と歴史の本質について目をひらかせて
くれたとも考へられる。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より

90 :
すなはち、昭和二十年八月、身を以て、日本文化の伝統的様式を発揚し、日本の純にして純なる文化の終末を体現し、
そこに後世に伝へるべき真の創造を行つたのは、いはゆる文化人ではなくて、「戦塵録」に登場する、若い
戦士だつたのであり、自刃して行つた矜り高い武人たちだつたのである。戦後の文化人は、そこにもつとも重要な
文化の問題がひそむことを理解せずに、浅墓な新生へ向つて雀躍したのである。残念ながら、私もその一人で
あつたと云はねばならない。「戦塵録」の著者ならびにその戦友たちは、若き日を、戦ひ、死に直面し、
絶対的なものについて思惟し、しかも活々と談笑し、冗談を飛ばし、喧嘩をし、異国の美女に心を惹かれ、
明日をも知れぬ恋を体験し、……そのやうに十分に生きた上で、ひとりひとり、いさぎよく散つてゆく。冒頭の
人名の上に引かれた赤線は、かれらの名を抹消するのではなく、かれらの名を不朽のものにするのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より

91 :
そして、選局逼迫の只中にも句会を催ほし、死に臨んでは辞世を作る。日々日本刀の手入は怠りなく、そこには、
日本人に対する日本文化の「型」が与へた最後の完璧な強制とその達成があつた。もちろんかれらは、強制されて
句を作り辞世を詠んだわけではない。しかし文化の本質とは、その文化内の成員に対して、水や空気のやうに、
生存の必須の条件として作用して、それが絶たれたときは死ぬときであるから、無意識のうちに、不断に強制力を
及ぼす処のものである。それこそは文化であり、このやうな文化を理解しなくなつたところに、戦後の似而非文化は
出発したのである。戦士たちの死の作法そのものが文化であるやうな文化の、最高度の発揚とその終末を、
「戦塵録」ほど、みごとに活々と語つてゐる本はなく、その点でいはゆる文学作品をはるかに凌駕してゐる。
では果して、日本文化は滅びたのか? 私は、ここには、反時代的なその「型」の復活の衝撃によつてのみ、
蘇生の可能性をのこしてゐる、とだけ言つて置かう。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より

92 :
「戦塵録」は、もとより意図して、文化の発揚と終末を語つたものではない。それは伝来の規律正しい簡潔な
「軍隊の文体」で語られた記録であり、すべてが「型」の文体であるから、そこには人間心理の発見などといふ
ものではない。戦闘状況は巨細に述べられるが、強ひて迫力を加へようとした抒述はない。(中略)
平凡な抒述であるだけに却つて深い真実に迫つてゐる。戦闘の場面と、これら恋愛の場面と、最後の自決の場面が、
「戦塵録」の三つのクライマックスであることは明らかである。
私はその上に、ただ一行、いつまでも心に残る個所をあげておきたい。それは私がそのやうな青空を同じ時期に
日本でも見てゐるからであり、又、今を去る数年前、同じ青空を、現地カンボジアで見てゐるからでもある。
昭和二十年六月二十五日、死を決した著者は、スコールのあくる日の大空、「手を伸せば指の先が藍色に染って
しまひそうな」ほど鮮やかに澄んだ熱帯の空を眺めて、次のやうな一行の感想を心に抱くのである。
「此の大空、果てしない碧空にこそ凡ての真理を包蔵して居るのではなからうか」
三島由紀夫「『戦塵録』について

93 :
兵隊さんは命がけ 私たちは襷がけ
一億一心
長期決戦の為に一層の節約を心がけませう

94 :
私は戦後の国際戦略の中心にあるものはいふまでもなく核だと思ひます。そして核のおかげで、世界大戦が
避けられてゐるのも事実ですが、同時に核が総力戦体制をとることをどの国家にも許さなくなりました。なぜなら、
総力戦体制をとつた戦争はただちに核戦争を誘発するからであります。そして世界戦争の危険がさけられると同時に
限定戦争と云ふ新しい戦争が始められました。(中略)ところが、限定戦争の最大の欠点は国論の分裂を必然的に
きたすといふ事であります。なぜなら総力戦体制に入つた場合にはどんな自由諸国でも国民の愛国心がおほいに
高揚されて、国民はいやでもおうでも、祖国のために戦ふといふ信念に燃え立ちます。第二次世界大戦時がさうで
ありました。ところが今は、一方で国家が国家の国際戦略に従つて、限定戦争を行なつても、国内では総力戦体制が
しかれてをりませんから、これに反対する勢力は互角の勝負で戦ふことが出来ます。従つて限定戦争があるところでは、
かならず平和運動と反戦運動が収拾出来ないやうな勢ひで燃え上ります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

95 :
(中略)しかしながら、限定戦争に対する抵抗する体質としては、自由諸国と共産諸国とではおのづから違ひます。
共産諸国は、閉鎖国家でその中で言論統制が自由であり、相互の監視が徹底してゐますから、国論の統一のためには、
どんな陰鬱な暗澹たる手段を弄することも辞さない。(中略)
そしてアメリカでは御承知のとほり反戦運動が収拾つかないやうな形になつてをり、しかもそれがブラック・パワーの
やうな一種の民族主義的なものと結びついて、ますます国論統一を妨げていく状況です。
(中略)共産圏の有利な事は、人民戦争理論といふものがありますから、自由諸国の正規軍に対して、自分らの方は
不正規軍をもつて不正規戦を戦ふことが出来る。この不正規戦はあくまで人民が主体で、女、子供もこの戦争に
参加します。そして彼等は、いはゆる工作員になつて、全くなにも知らない子供が手紙の走り使ひにつかはれても、
その手紙が重要な秘密文書である場合もある。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

96 :
(中略)これで一方では、アメリカ正規軍の兵隊が十人死ぬとする。一方では人民戦争に参加した、あるひは、
ひそかに参加した女、子供が十人死んだとする、その場合にその死の与へる衝撃は女、子供の方が何十倍強い事は
御承知のとほりであります。
(中略)
今言つた事をだいたい要約しますと、共産圏の利点としては、限定戦争下における国論統一の利点、人民戦争理論に
よるヒューマニズムの徹底的利用の利点、この二つが彼等の最大の利点であります。この点については自由諸国内の
マスコミュニケイションは、むしろ共産圏に有利に働くわけであります。(中略)
かういふ点から、自由諸国は二つの最大の失点を初めから自らのうちに包含してゐるんです。これを考へないでは
世界戦略も国際戦略もないといふ事は非常に重要な問題で、これをコンピューターではじいて、物量の上で、
あるひは純戦術的な上で勝つ事が明らかな場合でも、この二つの失点によつて負けるべき事は今までしばしば
実際にあつたとほりです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

97 :
日本のことを考へますと、私は日本はやはり、あくまで忘れられたものに対する価値といふものを認識してゐないと
いふ感じがしてしやうがないのです。といふのは、日本も自由諸国の一環でありますから、私は言論統制といふ事には、
非常に反対であります。そして分断国家の場合には共産圏に対する反感、憎悪、あるひは競争意識、かういふものは、
国民に彌漫してをりますし、また、共産圏からも直接的な被害、肉親の戮、その他の恐ろしい体験がありますから、
これに対する言論統一はむしろ容易であります。韓国が良い例であり、いろんな分断国家ではさういふ例が見られます。
(中略)さういふ意味で(日本は)非常に言論統一といふ事がむづかしい。もしこれを強行しようとすれば、
非常に人工的な手段を使つて、益々国民の反撃をかふやうな方法でしか出来ないわけでありますから、マスコミ操作と
いふ事自体が難しくなつてくる。これはアメリカも同然であります。ところが日本人には民族精神の統一として、
その団結力の象徴といふものがあるのに、それが宝の持ち腐れになつてゐるといふのは、これは当然天皇の問題で
あります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

98 :
またもう一つは、第二のヒューマニズムの利用といふ点につきましても、我々は現代の新憲法下の国家において、
ヒューマニズム以上の国家理念といふものを持たないといふ事によつて苦しんでゐる。先のよど号事件にも
見られましたやうに、韓国や北鮮が非常に鮮明な単純なわかりやすい国家意志を表明したのに、日本政府は、
つひに人命尊重以上の理念を打ち出す事が出来なかつた。これはあくまでも敵に戦略的に負けてゐる事であると
私は思ふのです。といふのは、新憲法の制約が、あくまで人命尊重以上の理念を日本人に持たせないやうに
ぎりぎりに縛りつけてあるからであります。
私がこれから申し上げる防衛問題の前提としてこれを申し上げるのは、我々はヒューマニズムを乗り越えて、
人命より価値のあるもの、人間の命よりももつと尊いものがあるといふ理念を国家の中に内包しなければ
国家たり得ないからであります。これは種々利用されて欠点はありますが、我々は天皇といふものを持つてゐる。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

99 :
我々がごく自然な形で団結心が生ずる時の天皇、それから、人命の尊重以上の価値としての天皇の伝統と、この
二つのものを持つてゐながら、これを常にタブーにして手をふれることが出来ないままに戦後体制を持続してきた。
ここに私は共産圏、敵方に対する最大の理論的困難があるにもかかはらず、結局この根本的な問題を是正すること
なしに、ずるずると動いてきてゐることに非常に危機感を持たざるを得ないのです。そして現在の状況は、戦争は
すぐには起りますまいが、ある暴力が発生すると、非暴力といふものが非常にいいことに見えます。(中略)
さういふ点から、左右そのものが平和的な仮面を被つた共産党系と、いろんな点で利用し合ふやうになる。
これは大きな政治の場面でも、向うが平和的な手段にくれば、これを利用することによつて自分も利得をうる。
そして中間にゐる大衆社会はどちらもニュートラルなものとして歓迎する、さういふ状況が出来上つてゐることが
戦略上、非常に私は問題点であると考へます。これは、私は日本の防衛といふものの、先づ基本的な前提として
判つていただきたいと思ふのです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より

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