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2012年3月創作発表132: 和風な創作スレ 弐 (241)
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和風な創作スレ 弐
- 1 :
- 妖怪大江戸巫女日本神話大正浪漫陰陽道伝統工芸袴
口碑伝承剣客忍者伝奇書道風俗和風ファンタジー戦国
納豆折り紙酒巫女巫女俳句フンドシ祭浴衣もんぺ縄文
とにかく和風っぽいものはこちらへどうぞ。二次創作も歓迎
過去スレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1220743518/
↑のHTMLとDATはこちら
http://www26.atwiki.jp/sousaku-mite/pages/866.html
- 2 :
- いちおつ!
- 3 :
- おお復活したか!
乙乙!
- 4 :
- スレ立て代行人さん、ありがとうございます!
では即死回避を兼ねて、投下します
↓過去作のリライトですが……
- 5 :
- 【第一幕】
縁側で、少女が昼寝をしている。
歳の頃は、十二、三といったところである。
耳朶にかかるくらいの長さの髪は毛先が揃っておらず、手入れのされていないおかっぱという風情だ。
けれどひときわ目を惹くのは、その髪の色である。
女郎花(おみなえし)のような鮮やかな黄色。
幾分穏やかな午下がりの陽光に照らされ、いっそう明るく輝いていた。
盆を過ぎて陽の光は徐々にではあるが、その猛々しい力を翳らせ始めていた。
つくつく法師の鳴き声が賑やかになり、夏の終わりを感じさせている。
夏茜が少女の額のあたりに留まり、しばし羽を休ませてから飛び去った。
その縁側から表に回ると、店前ではいつもの遣り取りが繰り返されていた。
町人姿の若い男が、暖簾を背にして袖に両手を入れ、涼しい顔をしている。
その鼻先へ、風の男が、怒鳴りかかっている。
「てめぇ! いいかげんにしろよ。なんならお前のところの毛唐を、女郎小屋にでもぶち込んでやろうか」
若い男は、おどけたような顔をして見せ、
「彩華(さいか)を? これは興味深い。死ぬ覚悟ができたらいつでもどうぞ」
といい、人をくったような笑みを浮かべた。
- 6 :
-
裏手の縁側にまで、その声が聞こえている。
――ったく、煩いな。お客が来なくなるじゃあないか。
既に目を覚ましていた金髪の少女は、うんざりした様子で起き上がると、朝の素振りに使った鉛入りの木刀を手にした。
草鞋をつっかけ、店前へ出る。
「慎太郎、これではお客が来なくなるぞ」
忠告しつつ、少女は風の男を睨みつける。
少女の紅い瞳には、鋭い気が漲っている。
左手に握られた木刀は、今にも振り抜かれそうである。
おそらくは金貸しに雇われた、いつもの借金取りであろう。
少女の姿を見とめると、借金取りの男は、さっきまでの威勢を鈍らせた。
「と、とにかく、てめぇは泥棒と同じなんだからな。番所に引き摺り出してやるから、覚えてろ!」
少女の気に気圧され、男は捨て台詞を吐いて去って行ったのである。
- 7 :
-
男の姿が見えなくなると、慎太郎と呼ばれた若者は深いため息をついた。
「やれやれ。お茶も飲まずに去ってしまわれると、儲けも無い。ただ働きだ。
もっとも、連中に出してやる茶など無いが」
慎太郎は、袖から手を出して溜息を吐くと、痩身を猫背気味にしながら三和土(たたき)に戻った。
「こうもしょっちゅう来られると、鬱陶しい。斬り捨ててしまえばいいのに」
少女は彼のあとに続き、あっさりと言う。
「いい考えだ。彩華、それをやってみるか? それこそ連中の思うつぼで、俺たちは番所にお世話になることになろうな」
自嘲気味に笑いながら、慎太郎は厨(くりや)に入っていった。
〆 〆 〆
- 8 :
-
『休み処 子延(ねのび)』は、慎太郎の父が始めた茶屋である。
先代が亡くなったため慎太郎が経営をすることとなったが、元来、彼は商売に興味が無い。
繁盛していた店も、彼の代になってからは寂れる一方だった。
職人の給金を工面するために切り崩した財産は無くなってしまい、重ねた借金は未だもって返済の目処が立たない。
もっとも、今となってはその職人や仲居たちもみんな去ってしまい、給金を工面する心配は無いのだが。
「少し早いが、夕餉にしよう」
慎太郎はそう言って、湯を沸かす。
若干浅黒い蕎麦を傍らに置き、葱を刻む。
「また蕎麦切りかぁ」
彩華は藪蕎麦を眺めながらぼやいた。
「蕎麦は嫌いか。なんなら蝗(いなご)の佃煮でも食うか?」
慎太郎は言いながら、太さの揃わない不恰好な蕎麦を湯に放ち、頃合いを見て割下の塩梅をたしかめる。
「……蕎麦がいい」
彩華は卓袱台を拭いて箸やら蕎麦猪口やらを並べ、席に就いた。
茹で上げた蕎麦を笊に盛りつけ、慎太郎は
「まあ、佃煮すら作れない有様だけどな」
と呟いた。
〆 〆 〆
- 9 :
-
慎太郎から遣い物を頼まれ、彩華は城下の通りまで出ていた。
往来を歩いていると、辻のところに、人だかりが出来ていた。
――なんだろう?
背の低い彩華には、人だかりの中心に何があるのかよく見えなかったが、
人々の話していることを総合すると、どうも辻斬りがあったようだ。
斬られた男は大きな廻船問屋に奉公する番頭らしかった。
頼まれた遣い物から戻った彩華は、慎太郎に辻斬りのことを報告した。
「そいつはいいな。今度は例の金貸しを斬って欲しいものだ」
慎太郎は皮肉や憎まれ口がすっかり馴染んでいる。
この反応も、いつものとおりだ。
彩華は事件のことが気になっていた。
辻斬り自体は珍しいものではなかったが、ここ最近増えている気がする。
そして斬られる人物に共通点がありそうな気がしたのだった。
「慎太郎、『丘田屋』は大きな店なのか?」
「ああ。この町じゃ一番の廻船問屋だ。稼ぎはうちの三千倍くらいだろう」
慎太郎は繕い物をしながら答える。
「そんなに」
彩華は眼を丸くする。
「商売敵だった『縞田屋』の若旦那が亡くなったのをいいことに、大きな取引を独占しているのさ。
そういえば、その若旦那も辻斬りに遭ったんだったな」
それを聞き、彩華はちょっと引っかかった。
「……『丘田屋』が、その若旦那を亡きものにしたのかな?」
そこで手を止め、慎太郎はにやりと笑うと、
「ふふん、そうかもな。近松もびっくりの筋書きだ。しかし近頃の世は、絵空事よりもえげつないことが普通に起こる」
と言った。
〆 〆 〆
- 10 :
-
長身の男が、夜道を歩いている。
消炭色の小袖を着ているため、夜闇に溶け込むかのようだ。
そしてその顔には、小面(こおもて)の面が着けられている。
今夜は新月で、あたりは深い闇に包まれていた。
往来には人はおろか、猫すらいない。
能面の男は、路地の陰に身を隠した。
遠くから、提灯の灯りが近づいてくる。
ひどく慌てているようで、息も上がっていた。
提灯が能面の男の佇む路地に差し掛かった時、鋭く風を切る音がした。
続いて、「ぎゃっ」という短い悲鳴。
転がる提灯と、人が倒れこむ音。
能面の男は提灯を踏み消し、倒れた人物の懐から何かを取り出すと、もと来た道を戻って行った。
〆 〆 〆
- 11 :
-
「彩華、ちょっと店番しててくれ。俺は寺へ行ってくる」
慎太郎が身支度をしながら、中庭に声をかける。
「と言っても、客相手じゃないぞ。今時分に来るであろう『いつもの熱心なお客さん』の相手だ」
彩華は素振りをしていた手を止め、
「厭だ」
と言った。
慎太郎はその答えを予想していたので、にやりと笑いながら手ぬぐいを投げて寄こすと
「じゃあ支度を急げ。例の辻斬りに関する話も聞けるかもな」
と言った。
彩華は無言で木刀を置き、道着を諸肌脱ぎにすると、井戸の水を頭からかぶった。
黄色の髪が濡れて、その輝きをいっそう強くする。
滴を拭って奥の部屋でさらしを巻きなおし、濃紫の袴に着替える。
三味線の革袋に脇差を忍ばせ、慎太郎に従った。
仙石寺は町の外れにある古い寺だ。
慎太郎と彩華が門をくぐると、背の高い和尚が庭を掃いていた。
「おや、子延どの」
「お久しぶりです、叡仁どの」
二人は本堂の右手にある茶室に通された。
叡仁和尚が抹茶を立ててくれ、二人の前に置く。
- 12 :
-
「こちらまで見えなさるのは、半兵衛どのの時以来ですな。息災で何よりです」
「親父の時は世話になりました。おかげさまで、負の遺産をしっかり受け継ぎました」
そういって慎太郎は自嘲気味に笑う。叡仁和尚は渋い顔をしている。
そして彩華のほうを見て、尋ねた。
「こちらが件の娘さんですかな」
「そうです。食い詰めて行き倒れになりかけていたところを拾いました。
あの頃はまだ、羽振りも良かったですし。今だったら、俺が食い詰め者だから放っておくでしょうね」
和尚は笑い、そして彩華の紅い瞳をじっと見た。
彩華も睨み返す。
「ふふ、子延どのは頼もしい用心棒を持たれたようですな」
目を外し、和尚は慎太郎のほうに向き直る。
「金貸しの連中は、近頃は如何です?」
「相変わらずですよ。こいつのおかげで助かってます。
しかし連中、最近は趣向を変えてきたらしくて。まったく、飽きさせない……」
そう言いながら慎太郎は懐から巻物を取り出し叡仁和尚に手渡した。
そこには、慎太郎を連行し店を差し押さえるという内容の通達が書かれていた。
発行元は奉行所となっている。
叡仁和尚は一通り目を通し、
「偽物ですな」
と言った。
「やはりね。それは分かっているんです。
ただ、なんで今さらこんな芝居じみたことをやる必要があるのか? ってことが気になるんです」
- 13 :
-
そんな手紙が来ていようとは、彩華も知らされていなかった。
一日中店にいるわけではないが、生活を共にしているのに。
「偽物にしても手が込んでいるし、金だってかかる。そんな酔狂が分からない」
「ふうむ……」
和尚は腕を組んで考え込む。
彩華は抹茶に口をつけた。
「……苦い」
その言葉に、和尚と慎太郎は噴き出した。
「はっはっは、たしかに家じゃあ番茶の出がらしばかりだからな」
「彩華どの、足を崩してはどうじゃ。痺れているのではないか」
正座は慣れない。彩華は胡坐に座り直そうとするが、うまく足が動かない。
その様子を和尚と慎太郎は笑いながら見ていた。
〆 〆 〆
- 14 :
-
寺を辞すると、もう辺りは黄昏時の薄闇に染まっていた。
慎太郎は、褐色の空を振り仰いで呟いた。
「逢魔が時だな」
「オーマガトキ?」
夕暮れの、このくらいの薄暗い時間をそう呼ぶのだ、と慎太郎は言った。
――通りの向こうから、自分を呼ぶ声がする。
薄暗く、相手の顔が良く見えない。
しかし聞き覚えのある声から、てっきり知人だと思って近寄ってみると、
そこには人外のものが待ち伏せていた……。
夜でもなく昼でもない、曖昧な時間。
そういう境目に、魔物は潜むという。
時間や場所の、境目こそ魔がつけ入る隙がある。
だから、町と町の外の境目には地蔵を祀るのだ――。
慎太郎の話を聞いて、彩華はぶるっと身を震わせた。
「怖くなったか?」
「な、何を! ちょっと、寒気が走っただけだ」
語気を荒げて反論する彩華を笑いながら、慎太郎は夕餉の献立を考えていた。
その二人の後姿を、離れた所からじっと見つめる人影があった。
- 15 :
- ↑ひとまずここまでです
他の方も気兼ねなく投下くださいな♪
- 16 :
- 復活おめ
投下も乙、続き期待
- 17 :
- 乙です
続きのほうを楽しみにしておりますね
- 18 :
- 晒しを巻いていても諸肌脱ぎはこう、エロスで素晴らしいと思ふ!
- 19 :
- 【第二幕】
「どちらさんも、ようござんすね。入ります。 ――二六の丁!」
「くそったれ!」
「悪りぃな、旦那。今日はもう帰ったらどうだい」
鉄火場で、いつものとおりの遣り取りが響いている。
作務衣を着込んだ職人風の男は、悟られないように気を遣いながら、壷振りの動きをじっと目で追っていた。
がっしりとした体つき。口は真一文字に引き結ばれ、ぎょろりと大きな眼が、あたりを注意深く見回す。
牟島源堂は、博打を打ちに来た風を装って、この賭場と廻船問屋『丘田屋』の繋がりを暴く心算だった。
「……頭」
鳶姿の若者が、牟島に囁いた。
「準備が整いました」
「そうか。あいつはもう少しで文無しになる。清算するところを押さえるぜ。手前ら、ぬかるなよ」
「へいっ」
- 20 :
-
「旦那。しめて六十両、きっちり払ってもらうぜ」
胴元が、先ほどから負け続きの男に払いを迫った。
「ちょっと待ってもらいてぇ」
牟島が大きな声で場を制した。
「その賽、検めさせてもらうぜ」
言うが早いか、壷振りの手から賽ころをひったくると、懐から鉈を取り出して叩き割った。
賽ころの中には、鉛が仕込んであった。いわゆる「グラ賽」だ。
「なんだよ、こりゃあ。イカサマじゃねぇか。――こんな真似までしてカネ巻き上げて、
いったい何に注ぎ込んでるんだ、丘田屋さんよ?」
太く通る声で怒鳴り、賭場をゆっくりと見渡す。
「てめぇ!」
胴元の取り巻きのたちが一斉に立ち上がった。
しかし、その周りにいた鳶姿の男数人が、それぞれたちを取り押さえる。
賭場は争乱となった。胴元は、機を見て逃げ出した。
「逃がすか!」
鉈を手に、牟島も賭場を飛び出す。
逃げる背中に、狙いすまして鉈を投げつけた。
ぎゃっ、という悲鳴に続いて人が倒れる音が、夜闇の向こうに聞こえた。
すぐに追いつくと、牟島は胴元を問い質した。
「さぁ吐いてもらうぜ。この賭場で儲けたカネはどこへ流れている」
先ほどの鳶の男らも集まってきた。
「ぐ……お前ら、『黒場会』か……」
「俺たちのことは詮索しないほうが身のためだぜ。背中が痛てぇだろ? すぐに手当てすりゃ助かるかもしれねぇ。
さっさと吐くほうが賢明ってもんだ」
「お、『丘田屋』だ……」
「ふん、予想通りか」
〆 〆 〆
- 21 :
-
東三條の賭場で胴元をしていた両替商が何者かに害されたという報せは、
丘田屋の当主、丘田長慶の耳にも届いていた。
丘田は苦々しい気持ちで煙草を呑みながら、思案していた。
「失礼いたします」
障子の向こうで丁稚が静かに囁く。
「能面どのをお連れいたしました」
「入れ」
障子を開け、長身の男を部屋へ通して丁稚は退いた。
男は小面の面を付けており、見る者に異様な印象を与える。
相手が正座するのを待って、丘田はゆっくりと煙草の煙を吐き出し、言った。
「次の仕事だ。東三條の賭場で胴元がされた。『黒場会』という連中だ。そいつらを始末してもらいたい」
「……」
能面の男は黙っている。
面のせいで表情が読み取れない。
丘田が、
――見返りは今までの三倍出そう――
と言おうとした矢先、能面が口を開いた。
「……連中は心得がある。こちらも手傷を負うやもしれぬ。商家の小倅や番頭風情とはわけが違う」
――こやつ、『黒場会』を知っているのだな。
丘田は報奨金を五倍に上げた。
〆 〆 〆
- 22 :
-
彩華は朝から滝行に出かけていた。
昼下がり、飯も食わずに帰ってくると店が閉められ、雨戸の下方に紙が差してあった。
――彩華へ
仙石寺に行ってくる 夕刻には戻る
慎太郎――
あてにしていた食事はお預けとなり、仕方なく家で待つことにした。
しかし、数刻を過ぎても慎太郎は帰ってこない。
外はもう黄昏時である。
彩華は、空腹に耐えられなくなったのもあったが、慎太郎の身に何かあったかもしれないとも思い始めた。
そして脇差を手に、店を飛び出した。
――逢魔が時。
いつか慎太郎に聞いた話を思い出し、彩華は嫌な予感を頭から振り払おうとした。
角を曲がれば仙石寺、というところまで来た時。
その角から、長身の男が姿を現した。
- 23 :
-
橡色の着流しに、小面の面を付けている。
左手には、五尺はあろうかという長い刀が握られている。
異形でありながら、その姿は夕陽の中に溶けこむようでもある。
――辻斬りは、こいつだ。
彩華は直感でそう思った。
不思議なことに、辺りに人の気配は無く、物音一つしない。
能面の男そのものが、幽玄の気配を放つ存在であるかのようだ。
男が、すらりと長尺の刀を抜いた。
刀身は、墨で塗られたように漆黒である。
彩華も、柄に左手をかけ、鯉口を切る。
冷静に相手との距離を測る。
刹那。
さっと一陣の風が吹いた。
能面の刀が斜め下より振り上げられた。
跳躍でそれをかわす。
距離を詰め、一気に抜き放った。
彩華の脇差は空を切り、わずかに袖を掠った。
能面の刀は、彩華の脛を掠っていた。
- 24 :
- 一回目の立ち合いは両者とも空振りである。
脛にチリチリした感触が残った。
抜き身の脇差を構え、青眼につける。
能面は、野太刀を斜め下段につけ、ゆらりと廻りこむ。
彩華は再び能面との距離を詰め打ち込む。
能面は素早く斬り返す。
その刃を峰で受ける。
圧倒的な力に、身体ごと弾き飛ばされた。
――られる!
すぐに立ち上がると、目の前に能面の姿は無かった。
辺りを見回しても、もちろん頭上にも、人影はない。
「彩華!」
慎太郎の声がした。すっかり暗くなった通りの向こうから、慎太郎が誰かを背負って走ってくる。
「辻斬りと、立ち合ったんだな」
まだ抜き身を携えたままの彩華を見て、慎太郎は言った。
「慎太郎、その人は……」
背負われていたのは叡仁和尚だった。
「間に合うかどうか分からないが、とにかく医者に運ぶ」
薄闇の中、二人は走った。
〆 〆 〆
- 25 :
-
叡仁和尚は深手を負っており、二日後に亡くなった。
「まさか叡仁どのも自分の寺で自分の葬式をすることになるとは思わなかっただろうな」
慎太郎は、相変わらず不謹慎なことを宣う。
しかし、唯一と言っていい理解者を亡くしたのだ。
表には出さないものの、慎太郎が深い悲しみに沈んでいるのを、彩華は感じ取っていた。
あの日、慎太郎は思い当たることがあって仙石寺を訪ねた。
彩華は滝行に出かけていたので、普段なら店を留守にすることは滅多にしないのだが、
その時はどうしても寺に行かなければならない気がしたという。
叡仁は不在であった。
寺には和尚一人で住んでいるので、案内のものは誰もいない。
しかし、つい先ほどまでいたような気配がある。
――叡仁どのがこんな形で寺を空けるなんて珍しいことだ……。
慎太郎は不審に思い、しばらく寺の周りを探すと、裏手の川べりに和尚が倒れているのを見つけた。
和尚は肩口から腰まで、背中をひといきに斬られていた。傷はまだ新しく、鮮血が流れ出していた。
〆 〆 〆
- 26 :
-
「きっと、同じ奴だ」
彩華は脛の傷に包帯を巻きながら慎太郎の話を聞いていた。
叡仁和尚は比較的背が高い。
その肩から腰まで途切れることなく刃傷を付けるとするなら、あの、能面の持っていた斬馬刀に相違ない。
あんな長尺の刀を自在に振ることが出来る腕力は相当なものだ。
「その程度の傷で済んだのは僥倖だったな」
薬草を煎じた汁を脇に置き、慎太郎は彩華の脛を眺めて言った。
「次は負けない」
彩華は、能面と再び相まみえるときはどちらかが死ぬ時だろうと、漠然と感じていた。
- 27 :
- ↑ここまでで
- 28 :
- これは前スレに投下されてた奴か!
オリジナルもかなり面白かったけど、こっちの文の方が好きだぜ
- 29 :
- 【第三幕】
『黒場会』は、諸国の仕置き人の連合である。
牟島源堂は、その中にあって若頭という職を占めていた。
いわゆる「粗にして野だが卑ではない」若者で、普段は蕎麦打ちの職人として働いている。
彼は鉞(まさかり)や鉈などの扱いに長けており、何より喧嘩がめっぽう強かった。
牟島は蕎麦粉を仕入れに水郷まで出掛けていた。
今日中には戻る予定であったが、雨が降ってきたために旅籠で遣り過ごすことにした。
寛いで座敷の格子窓から外を眺めていると、表が何やら騒がしい。
見れば、数人の風の輩が、町人風の若者を取り囲んでいる。
若者の側には、菅笠を被った童がいる。
「子延、覚悟を決めろ。てめぇはもう終わりだ」
しとしとと雨が降っており、昼間だというのに薄暗い。
場末の宿場には、彼ら以外誰も居ないようだった。
「あの店を手放すんだ。そうすりゃ、命だきゃあ助けてやってもいい」
そんな借金取りの声が聞こえないように、慎太郎はを見渡すと、
「これはまた趣向を凝らしたな。あんたの熱心さには恐れ入る」
と言い呆れたように笑った。
唐傘をさしている慎太郎に寄り添うように、彩華は立っていた。
目深にかぶった菅笠の奥で、どもを確かめる。
「ふざけた野郎だ……だが、その減らず口も今日までだ」
どもはめいめい刀を抜いて、二人を完全に取り囲んだ。
彩華は着込んだ蓑の下で脇差の鯉口を切って、機に備えた。
- 30 :
-
怒号とともに、三人のが同時に斬りかかってきた。
彩華は慎太郎の前に出ると蓑と笠を脱ぎ払い、その陰から飛び出した。
抜きざまに一人、斬った。
返す刀で、もう一人を薙ぐように斬った。
脇差を逆手に持ちかえる。
振り向きざまに、背後から斬りかかる一人を斬った。
あっという間の出来事だった。
斬られた三人は斃れて血溜まりをつくっている。
脇差を青眼につけ、彩華は残るたちと対峙する。
一対一での立ち合いでないにも関わらず、彩華は鮮やかにを斬り伏せていった。
牟島は、目の前で繰り広げられる立ち回りを、信じられない気持ちで眺めていた。
まるで陣か何かのような気すらした。
年端もいかない少女が、大勢の相手に互角以上に闘っている。
鮮やかな黄色の髪は、女郎花を思わせる。
彼女の手には、ひと振りの美しい脇差が握られている。
六人のを打ち倒し、あとには借金取りが残った。
これまたいつものごとく、何やら捨て台詞を吐いて逃げていった。
ちょうどその時、雷鳴とともに雨がひどくなり、二人は茶屋の軒先に走って行った。
〆 〆 〆
- 31 :
-
牟島は、『休み処 子延』の前に立っていた。
意を決して暖簾をくぐると、店内には誰も居ない。
薄暗く埃っぽく、しばらくこのような状態が続いていたのであろうと思わせる寂れようだった。
「御免」
奥へ向かって声を掛けるも、反応は無い。
更に大きな声を出そうと息を吸った時、奥から痩せた男がのそりと出てきた。
――間違いない。あの時見た、唐傘の男だ。
牟島は男をじっと見つめる。
「……何か御用ですか」
言いながら、男は牟島を値踏みするように見た。
「おっと、すまねぇな。俺は牟島 源堂というものだ。子延 慎太郎どのと見受けるが」
「……だとしたら、何とする」
慎太郎は牟島をじっと見つめ、それ以上は何も言わなかった。
「子延どの。単刀直入に言う。ここに、黄色の髪をした娘が居るはずだ」
「彩華のことか」
牟島は、金髪の少女剣士を『黒場会』に参加させようとやってきたのだった。
そのことを話すと慎太郎は、
「それは出来ない相談だ。彩華はうちの奉公人。あいつを引き抜かれたら店が成り立たない」
いくらか説得を試みたが、弁の立つ慎太郎相手では分が悪すぎた。
牟島は、口より先に拳が出るような男なのだ。
また来る、と言い残し、貨幣を数枚置いて牟島は去って行った。
- 32 :
-
さて、慎太郎はそう言うものの、彩華が奉公人らしき仕事をこなした例は無い。
店は御覧の通り、閑古鳥が鳴いている有様である。
家のことは、慎太郎一人で事足りている。
彩華は日中、剣の稽古をしたり、川沿いを走りこんだりしているのだった。
よく怪我をつくっては、慎太郎に薬草を塗ってもらっている。
「彩華、お前は何の為に稽古をしているのだ」
ある時、慎太郎は興味本位で訊いてみた。
「?」
彩華はきょとんとしている。
「例えばな、武士は何のために剣の腕を磨くのか。戦の時、敵を倒すためであろうな。
お前は、誰か倒したい輩がいるのか」
「倒したい奴がいないと、稽古しちゃいけないか?」
質問を質問で返され、慎太郎は苦笑する。
「いけないことは無いが……」
そして、さらに問う。
「では、職人や芸人が腕を磨くのは、なぜだ? 彼らは、誰かを倒したりするわけじゃない」
「……?」
彩華は首を傾げる。
「職人は、自らの創るものに誇りを持っている。より素晴らしいものを生み出そうと、日々努力している」
慎太郎は、幼いころから職人や芸人たちを見てきた。
蕎麦を打つもの、庖丁を研ぐもの、三味線を弾くもの、版画を彫るもの……。
彼らは、「創ること」に自分の全存在を懸けているような独特の雰囲気を持っていた。
――彩華、お前の剣はそういうものか?
そう訊こうとして顔を上げると、かすかな寝息とあどけない寝顔が目に入った。
- 33 :
-
「ふ、やはり肝心なことは訊けぬか」
剣の腕は立つが、彩華はまだ子供なのだ。
床に寝かせ、薄掛けをかけてやると、慎太郎は牟島源堂のことを思い出した。
『黒場会』のことは、慎太郎も聞き及んでいた。
牟島は、先日の水郷での立ち合いを見ていたと言った。
たしかに、彩華の剣の腕は目を瞠るものがある。
そこら辺の、師範代と言われる者たちと比べても、なんら遜色は無い。
喧嘩集団が、彩華を欲しがるのも無理は無い。その点に関しては慎太郎も納得していた。
あの立ち合いの後、彩華は得意気に慎太郎に言った。
「わたしが居て、役に立っただろう」
それは、紛れもない事実ではある。
彩華が居たおかげで慎太郎の身が保たれてきたといっても過言ではないのだ。
かといって、結果的に年端もいかない少女を用心棒のように使ってしまっている自分を、
慎太郎は後ろめたく思ってもいた。
- 34 :
- ↑ここまでっす
レス下さった方々、ありがとうございます!
- 35 :
- 乙
前の時よりも和風っぽさを意識してる感じだな
- 36 :
- 【第四幕】
黒場会は、一連の辻斬り騒動を、丘田屋の仕業に相違ないと睨んでいた。
賭場を押さえて胴元の口を割らせた結果、案の定、賭場のカネは丘田屋へ流れていた。
そして、丘田長慶は幕府の家老連中を高級料亭で接待していたという。
奉行所を丸めこんで、自分たちの悪行をもみ消すためであろう。
しかし、これには決定的な証拠が欠けていた。
牟島たち黒場会の若衆は、夜な夜な町を見回っていた。
現場を押さえるため、接待が行われそうな店の前で張ったりもした。
いつでも丘田屋に踏み込めるよう、その機を逃さないようにするためである。
〆 〆 〆
「仕置き人? なに、それは」
早朝の走りこみから戻った彩華は、水浴びで濡れた髪を手拭で拭きながら尋ねた。
「ま、言ってみれば悪い奴を懲らしめる連中だ」
山芋をすりおろして出汁でのばしたものを、丼に盛った麦飯とともに盆に載せ、茶卓に置いた。
「わ、山かけ飯だ。やった!」
彩華は卓に就くと、両手を合わせて一度拝んでから嬉しそうに箸をとった。
「……でもこれ、食べちゃっていいのかな?」
バツが悪そうに慎太郎を見る。
「いつ来るかもわからない客のために、取って置くこたぁないさ」
食え、というふうにあごで示し、前掛けを外して自らも卓に就く。
「表に出ないよう、悪いことをしている輩は大勢いる。証拠が無けりゃ、奉行所もしょっ引けない」
慎太郎は冷茶を注いだ。
「例えば、『丘田屋』は悪い奴か?」
山芋を飯にかけ、軽くかき混ぜながら聞く。
「かも知れん。この半年でずいぶん稼ぎを増やしたが、その伸びには後ろ暗い噂が付きまとっている。
幕府へ金品を握らせたとか、賭場の元締めとして上納金を集めているとかな」
浅漬けをつまみながら、慎太郎は言った。
「あの辻斬りは?」
そう言って飯をかきこむ。彩華の顔が丼で隠れる。
「あいつは、丘田屋に雇われた用心棒か、始末屋だろうな」
言う傍から、疑問がわき起こった。
――となると、叡仁和尚がられたのは何故だ?
.
- 37 :
-
「叡仁和尚は、知っていたのかもしれない」
「何を?」
飯粒を口の端に付け、彩華は聞いた。
ふと、閃いたことがあった。
彩華を連れて仙石寺を訪れたときのことである。
寺を出る間際に叡仁は言った。
「子延どの。先代より受け継いだあのお店は、決して他人に譲り渡してはなりませぬぞ」
そのときは、和尚の親心からの忠告と思って、軽く受け止めた。
しかし、思い返すと、叡仁和尚はいつになく強い調子でそれを言い聞かせようとしていた。
借金取りは、異常なくらい執拗にやってくる。
店を手放せ、とも言う。
その借金取りと、丘田屋は繋がっている可能性がある。
丘田屋はめぼしい両替商を抱え込み、不正にカネを集めている噂があるのだ。
――となると、丘田屋は、この店を是非手に入れたいと思っている?
――というより、この店には、丘田屋にとって都合の悪い何かがあるのかも知れない。
叡仁和尚は、確信は無くともそれに気づいて慎太郎に忠告した。
それが気になり、仙石寺を再び訪れた時、叡仁は件の辻斬りにやられてしまった。
おそらく、口封じだろう。
次に狙われるのは、間違いなく慎太郎自身だ。
〆 〆 〆
- 38 :
-
先代から勤めていた板前が、彼を詰って店を去っていく。
幼い頃、よく遊んでもらった仲居はすまなそうな顔をして辞めていく。
あとに残ったのは寂れた店と、ひとりぼっちの「二代目」である……
夜更けに、慎太郎は目を覚ました。
「……また、夢か」
このところ、同じ夢ばかり見る。
慎太郎に商才は無かった。
先代、子延半兵衛が亡くなって慎太郎に当主の役が回ってきた。
彼は休み処を経営するということに特段興味は無かったが、とりあえず、現状維持するということと、
周囲の人間、古くからの職人や仲居達が期待したものだから、その座に収まった。
元来、慎太郎は趣味人であり、利益追求に頓着しなかった。その為、発展性は無かった。
折しも周りに新しい商いが出来たりして、慎太郎の店への客足は遠のいた。
やがて、現状維持はおろか、給金の払いもままならない状況にまでなってしまった。
幸い、先代が残した田畑や山があったので、それを切り崩すことで財源に充てていたが、それも限界があった。
――過ぎたことだ。どうあっても、あの頃には戻れない。
職人たちが誰も居なくなった頃、慎太郎のもとに金貸しがやってきた。
曰く、切り崩した田畑や山は子延のものではない、先代の時に我々が貸したものだ、
勝手に処分されたのでは堪らない、かくなる上は相当分の金銭で贖ってもらいたい、そのような内容を並べ立てていった。
以来、店には借金取りが毎日のようにやってくるようになり、反対に、客は誰も来ないようになった。
先日水郷に出かけたのも、はじめは商材になりそうなものを貰ってくる心算だった。
けれど、考えるうちにどうでも良くなってしまった。
この店が、客を呼べるとは思えなかったからだ。
かつて鳶や左官などの職人たちがひと息入れに集まった茶屋も、今は見る影もない。
何とかしようと思っていた時期もあった。
けれど、徒労感ばかりが募る。
いつの間にか慎太郎は、物事を自覚なしに諦めてしまう性分になっていた。
- 39 :
-
慎太郎は、床の上で自問自答する。
――最早どうにもなりはしない。俺も叡仁和尚のように、ばっさりられれば良いのだが。
全てを、無に帰したいと思う。
あらゆるしがらみに、もう疲れていた。
鈴虫が鳴いている。
障子を開け、夜空を仰ぎ見る。今夜は満月だった。
蒼い光が畳を照らす。冷たくもなく暖かくもない風が緩やかに吹き抜ける。
慎太郎は、月光を浴びてしばし虚ろになっていた。
彩華という謎の少女。
その生立ちも家族も故郷も、何一つ分からない。
確かなのは、類まれなる剣の腕と、少々異な風貌だけ。
彩華は、何も諦めない。
目的を定めると、真っ直ぐに向かっていく。
そこに迷いや打算は全く見られない。
――あいつは……何を支えに生きているのだ? あの真っ直ぐさは、どこから来るものなんだ……
ふと、離れの様子が気になった。
離れはもともと蔵として使っていたが、蓄えるものなどもう何もない。
今は、彩華が寝泊まりしているだけだ。
何を思ったのか、今でも分からない。
ただ、慎太郎が離れを開けた時、彩華はそこに居なかった。
- 40 :
- ↑本日はここまででございます
- 41 :
- 【第五幕】
月明かりの中、彩華は脇差を片手に走っていた。
ある人物を追っていた。
数刻前、彩華はふと目が覚めて喉が渇いていることに気付き、中庭の井戸へ向かった。
そこで、塀に手がかけられるのを目にした。
すぐさま脇差をとり、闖入者に斬りかかるため身構えた。
ひらり、と塀の上に姿を現したのは、かの能面の男だった。
能面は、彩華の姿を見るやすぐに塀の外へ身を翻した。
「待てっ!」
彩華も塀を飛び越え、男を追った。
金髪の少女が浴衣姿で走っている姿を、牟島源堂は目の端でとらえた。
「張っていろ! 俺はあの娘を追う」
仲間に声をかけると、牟島は飛び出した。
あの黄金色の髪、見紛うはずもない。
走っているが、追われているのではない。
その逆に、何者かを追っている走りかただ。
角を曲がると、浴衣の少女は立ち止っていた。
牟島が追いつくと、少女はさっと振り向いて身構えた。
左手には美しい脇差。
その鯉口を切り、彩華は距離を測る。
――娘とは思えない、気だ……。
牟島は慎重に声をかけた。
「おい娘。子供は寝る時間だ。何をしている」
「辻斬りを見つけた。それで追っかけた。おまえも仲間か?」
辻斬りとは、件の能面をつけた男であろう。
そいつと、この少女の接点が、今一つ分からない。
「辻斬りなんか追うもんじゃない。返り討ちに遭うぞ」
言いながら、この娘にその心配はいらないか、と思った。
- 42 :
- 「辻斬りをやっつけないと、安心して寝られない」
「確かにな。俺は牟島 源堂ってもんだ。俺も同じように、辻斬りをやっつけるために見回ってんのさ」
牟島は少女と目線を合わせるようにしゃがんだ。
敵ではないと分かったからか、少女は構えた姿勢を解くと、牟島に近付いた。
そのとき。
「いた!」
彩華は、牟島の肩越しに、能面の姿を見た。
こちらに曲がったと見せかけて、逆方向に逃れていたのだろう。
再び走り出す彩華。
同時に駆け出す牟島。
薄明かりの下で、逃げていく人影が辛うじて見える。
――この娘は遠目が利くらしいな。
牟島は走りながら、懐の鉈を探った。
捉えられる距離まで追いついたら、いつでも投げつけてやる心算だった。
「待て、こいつは罠かも知れねぇ」
一町ほど走ったところで、牟島は彩華を制して立ち止った。
気がつくと、町の外れまで来ている。
逃げると見せかけて自分の有利になる土地に誘い込み、一気にかたをつける……。
そのような闘い方で、何十人もの集団を一人で全滅させた男が居た。
牟島は、かつて同僚だったその男を思い出したのだ。
もと来た道を戻るため、先ほど渡った橋に差し掛かった時。
ちょうど月が雲に隠れ、闇が濃くなった。
橋の上に、夜気が凝ったように、人影が現れた。
- 43 :
-
能面を着け消炭色の着物を着た、長身の男。
手には漆黒に塗られた抜き身の斬馬刀。
彩華は、はっとして身構える。
牟島は背中に背負った鉞(まさかり)を解いて左手に握り、歩を進める。
「……御蔵。手前とはあまりやり合いたくなかったが」
言うが早いか、鉈を投げつける。
能面は身体をに開き、それを躱す。
そして斬馬刀を振り上げた時、
牟島は鉞で薙ぎ払った。
重量のある金属音。
鉞と刀がぶつかり、競り合う。
すぐに両者離れる。
息つく間もなく斬りつける。
斬線をかいくぐって、鉞をふるう。
鮮血が飛び散った。
牟島の左腕がざっくり裂けた。
「……っ、御蔵ぁ!」
牟島は斬られてもなお、鉞を振り上げて距離を詰める。
能面の脇に隙が出来た。
そこへ牟島は鉞を――
- 44 :
-
振り下ろさない。
その間に身を立て直す能面。
斬馬刀が、牟島の腿を薙ぎ払う。
牟島が転倒した。
「!」
彩華はすかさず脇差を抜く。
その気配を察したか、能面はすぐに身体の向きを変えた。
そして彩華に斬りかかる。
彩華は抜身を振り上げ、高く跳ぶ。
斬馬刀が一振り、空を振り抜いた後――
彩華の脇差が、能面の額のあたりを割った。
乾いた音がして、割れた面が落ちた。
ふたたび差した月光に、能面の男の素顔が見えた。
御蔵(みくら) 半之丞(はんのじょう) は憔悴しきっていた。
- 45 :
-
御蔵は、斬馬刀を再び振ろうとはしなかった。
橋の上で、棒立ちになっていた。
その額から、赤黒い血が流れ出すのを、彩華ははっきり見ていた。
牟島は、鉞を持った手の力を抜いた。
「……これでいい……俺は、されるべきだったのだ」
消え入りそうな声で御蔵はそう呟くと、背後に背負った橋の欄干から、川の下へゆらりと身を投げた。
「御蔵っ!」
牟島は叫んだが、川の流れは速く、夜闇に沈んで姿を探すことは出来なかった。
〆 〆 〆
- 46 :
-
彩華と牟島源堂が、能面の男と立ち合っていた頃、慎太郎は困惑していた。
探しに出ようかとも思ったが、手掛かりがない。
それよりはここで待ち、入れ違いにならないよう備えるほうが賢いかもしれない。
――あいつがここを黙って出て行ったとしたら……
胸がチクリと痛んだ。
――なにを、馬鹿な。
あいつはただの浮浪児だ、出て行こうが泊り込もうが、俺には関係ない。
けれど……
それを言うなら、あいつは俺に何の義理も無いのに、剣を振るって俺を護ってくれている。
――義理。義理って、何だ。
俺など、辻斬りにられちまったほうがいい。穀潰しほど世に憚るってのは、笑えない冗談だ……。
――俺は、誰かに対して義理立てしたようなことが、あっただろうか。
叡仁和尚は、俺のせいで死んじまったんだろうか。
――もう、人に借りをつくるのはたくさんだ。
慎太郎は空っぽの離れを眺めた。
そして、その奥から、あるものを取り出そうとした。
〆 〆 〆
- 47 :
-
先日、水郷に出かけた時のことである。
先代からの馴染みの農家も、只で野菜や米を譲ってくれるわけではない。
駄目もとで頼み込み、どうにか幾許かの米と、それと合わせて炊く麦や粟を分けてもらった。
そこで農家の親父に、蔵の物はどうした、と聞かれた。
蔵にあるもので金目のものは、真っ先に売ってしまった、と答えると、親父は青ざめた顔で
――馬鹿な奴だ。
と残念そうに言った。
たしかに、壷やら掛け軸やら芸術品の類は換金してしまっていた。
しかし、その中に古ぼけた証文があったのを思い出したのだ。
あまりにも汚れていて、何が書いてあるか読む気も無かった。当然、カネにはならないと思い、
仕舞いこんだままだったのだ。
慎太郎は、その証文を蔵の奥から見つけ出した。
――なんだか解らないが、これは丘田屋にとって都合の悪いもののようだな。
〆 〆 〆
- 48 :
-
「御蔵半之丞は、俺の同僚だったんだ」
『休み処 子延』で、斬られた右腕に包帯を巻いてもらいながら牟島は話した。
明け方、慎太郎が証文を見つけ出したころ、彩華は手傷を負った牟島源堂を背負って戻ってきた。
慎太郎は牟島を店に上げ、薬草を煎じた。
「まだ、俺が若頭になる前の頃だ。俺と御蔵は、拐われた娘たちを働かせている廓(くるわ)に踏み込んだ」
「廓って?」
訊く彩華に、
「……あとで教えてやる」
慎太郎は目を合わせずに言った。
「俺たちは、不条理に拐われた娘たちを取り戻すため、そこへ突入した。けれど、俺たちの調べは十分じゃなかった。
そこではじめて、主人が浪人たちを用心棒として雇っていたことを知ったんだ」
牟島は茶を一口啜ると、続けた。
「腕の立つ連中ばかりだった……、仲間が何人も斬られた。だが、そこには御蔵の妹もいたんだ。
御蔵は、妹を助け出そうと必死に闘った」
慎太郎は、黙々と包帯を巻く。
「ところがだ、その妹が、一人の浪人を庇って言うんだ。
『この人をさないで!』ってな」
「……」
「馬鹿言ってんじゃない――、御蔵は妹を説得しようとした。その陰から、庇われた浪人が、御蔵に斬りかかった」
牟島の拳が握られるのを、彩華は見るともなしに見ている。
「御蔵は既の所で躱して、すかさずその浪人を斬り伏せた。その御蔵に対して、妹は――、
人でなしだの、鬼だのと罵った」
彩華は黙って聞いていた。
- 49 :
-
手当が終わり、慎太郎は茶を淹れた。
「あいつは、『何が正しいことなのか、判らなくなった』と言っていた。そしてその日を境に、行方をくらましちまった」
茶に口をつけ、牟島は縁側から遠くを見やった。
「能面をつけた用心棒の話を聞いた時、御蔵に違いないと思った。斬馬刀を振れる人間は、俺が知る限りではあいつだけだからな」
彩華は、膝の怪我をさすった。もうほとんど癒えている。
「あの面は、御蔵の感情を封じるものだったんだろうな。感情をし、あいつは用心棒稼業に染まっちまったんだ」
- 50 :
- ↑ここまでで
自分ひとりで50レスも消費してしまった……orz
すみません、あと1回で終わりますんで
- 51 :
- 投下乙なんだよー!
- 52 :
- 【終幕】
牟島は日が高くなるまで慎太郎の店にいた。
彩華は昼寝をしている。
牟島は、慎太郎に言った。
「今夜、丘田屋に踏み込む。あの娘にも協力してもらいたい」
「何度も言わせるな……」
「貴殿が蔵から見つけ出した証文は、丘田にとって非常に都合の悪い代物だ。
それがここにある限り、貴殿と、あの娘は刺客につけ狙われることになるんだぞ」
「……」
「夕時、また来る。俺は、あの娘に今夜のことを話す。あいつは、貴殿を護るために俺たちと一緒に来るだろう」
慎太郎は、苦々しい気持ちで聞いていた。
「一つ、頼み事をきいてはくれまいか」
「何だ?」
「丘田屋の一件が落着したら、彩華を自由にしてやってくれ……。
あいつが、自ら黒場会に入りたいと言うのなら、それで構わない。
でも、俺はあいつに、自分の人生を生きてもらいたいんだ。ここを出ていっても、それはそれでいい」
「……約束するぜ」
牟島が暇をしようと立ちあがった頃、彩華が起きてきた。
〆 〆 〆
- 53 :
-
雲が月を覆い、空気が湿気を含んで重く感じる。
彩華は、黒場会の連中数人とともに、夜更けの道を歩いていた。
丘田屋に踏み込む――
そのことを思うと、脇差を持つ手が震える。
「怖いか」
牟島は、右腕一本で闘うつもりで、鉈だけ持って同行している。作務衣の下の大腿には、
包帯がかなりきつく巻いてあるはずだ。
「怖くなんか……」
彩華は言い淀む。
丘田屋の屋敷には、数十人の浪人崩れや荒くれ者が集められているという話だった。
「怖いときは、何が怖いか、言っちまうほうがいいんだ。俺も、怖い。こんな身体で、丘田屋の用心棒集団と
渡り合えるとは思っちゃいない」
「……」
丘田の屋敷の裏手に回る。
戸板を盾のように持った鳶たちが、塀に登る。
案の定、そこを矢で狙い撃ってきた。
盾で防いで、塀の向こう側に飛び降りる。
が、庭に埋められた何本もの槍の穂先が、最初に飛び降りた鳶の若者に深手を負わせた。
「怯んでんな! 続けっ!」
牟島は叫ぶなり、盾を下敷きにして飛び降りる。
鉈で穂先を薙ぎ払う。
そこへ矢が飛ぶ。
「源堂!」
彩華は、飛び降りるやいなや、脇差で矢を弾いた。
「へ、おめぇ……とんだ芸当ができるんだな」
牟島は冷や汗を拭って、鉈を握り直した。
- 54 :
-
黒場会の若衆は、玄能や手斧を投げ、屋根上から矢を射掛ける連中を倒していった。
「頭! ここはオレらが」
「よし、任せた。押し入るぜ、お前も来い!」」
牟島は彩華を促し、屋敷の縁側から廊下へ上がる。
そのとき、障子が蹴られて数人が斬りかかってきた。
彩華はすかさず脇差を振り抜き、浪人たちを斬り伏せる。
暗くて狭い屋敷の中。
得意の跳躍や立ち回りをしようにも、動ける範囲は限られる。
剣は躱すのでなく、防ぎ受け止め、力で押し切って、少しでも斬りつけなければならない。
力で劣る彩華には、不利な条件だ。
しかし、小柄な体躯が幸いし、押し入れや柱の陰、わずかな障害物を盾に、彩華は攻撃を逃れた。
――「斬る」んじゃない、「突く」んだ。
彩華は、脇差を逆手に持ち、慎重に歩を進める。
気配を察し、必要最小限の動きで敵の動きを奪う。
斬るよりずっと生々しく、嫌な感触が残る。
生暖かい返り血が頬に飛ぶ。
そうして、何人を刺しただろうか。
――狙うは一点――。
彩華は奥の座敷を目指してずんずん進む。
余計なことは考えない。
気を張っていないと……、自分のしていることが、恐ろしくなってしまう。
“敵”を斬ることに、躊躇いは無い。
けれど、決して慣れることもない。
剣を抜くのにふさわしいと誰もが認める理由など、ありはしない。
彩華は、自身に拠って立つしかない。
今は、この悪党を倒すこと。そして慎太郎の平穏な生活を取り戻す。
それが「正しいこと」かどうか考えるのは……、他の人に任せよう。
〆 〆 〆
- 55 :
-
――今頃は、討ち入りが始まっていることだろう。
月の見えない真っ暗な空を見つめ、慎太郎は思いを巡らせる。
先代から継いだ店が寂れていく。
それは、必然と思っていた。
――俺だって、やりたくてやっているわけじゃない。
いつでも、頭の片隅でそう思っていた。
店がうまくいかなくなったのと、慎太郎が皮肉口調になっていったのは、ほぼ同時期だった。
物事に対して斜に構え、真正面からぶつかることを避けていた。
ぶつかれば、力及ばず打ちのめされることが分かっているからだ。
傷つくことを避け、言い訳を重ねて今に至っている。
――俺はいったい、何をしているんだ……?
自らの行いを見直すきっかけは、彩華だった。
彩華の、まっすぐな眼差し。
はじめは、気にも留めなかった。けれど、次第に気にかかるようになった。
――あいつを支える信念は、何なのだ?
その疑問は、慎太郎自身へ翻る。
――俺は、何を信念に生きている?
振り返れば、自身の行いがひどく醜く思える。
仕方が無い、という諦めは、前に進む努力を放棄していることだ。
けれど、人はそう簡単に変われるものではない。
何か、大きな契機が無い限り……
――彩華……絶対に死ぬなよ。生き残って、ここへ帰ってこい。
帰ってきたら、お前に暇をやる。好きなところへ行っちまえ。
――俺だってな。本気になりゃ、できるんだ。命張るのは、お前だけじゃないんだぜ。
「もう、見ないふりをして逃げるのは、やめだ」
〆 〆 〆
- 56 :
-
彩華が障子を勢い良く引いた。
部屋には、丘田長慶が――
狼狽しきった顔で、彩華を見ていた。
「く、来るな! い、命が惜しくば、来るな!」
丘田は、彩華を見て刺客だと察知するや、床の間の刀を手にして抜いた。
――悪党の親玉は、こいつだ。
彩華は、丘田の顔を知らなかったが、直感で判った。
がたがた震えながら、丘田は床にへたりこみ、かろうじて刀を持っているような状態だった。
先ほどまでの恐怖や、圧迫感が嘘のように引いていく。
彩華は脇差を袖で拭い、鞘に収めた。
そして鋭い眼で睨みつける。
瞳は血のように赤く、怒りに満ちている。
それでも静かに、押しした声で、訊く。
「縞田屋の若旦那、丘田屋の番頭、それに、慎太郎の父上をさせたのは、あんたか」
「し、慎太郎……? あ、あぁ、子延の倅だな。そ、それが、ど、どうした」
脇差の鍔に手をかけたまま、彩華はさらに訊く。
「なぜ、した」
「わ、我々に、し、し、従わなかったからだ。は、はは、ば、馬鹿な奴だ、
さ、さんざん、引き、立てて、立ててて、やややった、といいうのに」
――最低な奴だ。こんな奴に生きている価値など無い。
失望感が湧いてきた。
そのことに、ほんの少し、戸惑う。
――どうしてだろう……、こんな下衆にも、なにかを期待していた?
眼を伏せた時、わけのわからない叫び声とともに、丘田が斬りかかってきた。
彩華は、脇差を抜き払った。
「ぐはっっ!」
右手には、精確に頚を斬った感触。
丘田は弾かれたように後方へ吹っ飛び、頚から血を吹いて動かなくなった。
嫌な感触が、右手にまとわりついていた。
〆 〆 〆
- 57 :
-
『丘田屋』の当主、丘田長慶は何者かの襲撃を受け、死亡した。
屋敷からは、丘田屋の悪事を示す証が多く見つかり、奉行所が大々的に検めに入ることとなった。
慎太郎の家の蔵から発見された証文も、それを後押しする重要な証拠となった。
子延家の借金は、根も葉もない偽りのものであり、返す義理も無いものだった。
かくして、慎太郎のもとには財産が返ってきたが、それでも半分程度しか回収できなかった。
「俺の甲斐性の無さの現れ、というわけだ」
そう言って慎太郎は情けなく笑った。
『休み処 子延』は、若い職人たちが集まる場所として生まれ変わりつつある。
――未来ある職人や芸人の卵たちが、存分に腕を磨ける場所にしたい。
無給だが、志ある連中が前向きに頑張れるような場所にしたい――
そういう慎太郎の思いのもと、小料理や蕎麦、茶を出したり、店内で唄や三味線を聴かせたりする。
残った田畑で、僅かながら菜園も始めた。
慎太郎自身も、料理や小咄などを身につけるべく努力している。
「蕎麦打ちなら、俺が教えてやるぜ」
そう言って牟島がやってきたのは、騒ぎが収まってすぐだった。
「ところで、あの娘はどうした」
「彩華は……、旅に出た」
「……そうか」
慎太郎は、奥の茶箪笥から一筆箋を取り出すと、牟島に渡した。
「寂しいか」
牟島は手紙から目を上げると、言った。
「まあ、な」
二人の男は、秋の気配をにじませてきた夕暮れの空を見ながら、
今は遠い地であろう少女のことを想った。
了
.
- 58 :
- ↑以上、これにて終了で御座い
※本作品は、↓のスレのレス番91のキャラ設定を使って書いたものです(完全オリジナルではありません)
http://www26.atwiki.jp/sousaku-mite/pages/44.html
長々と占有してしまって、申し訳ありません
他の方も、どうぞ気軽に投下してくださいな
- 59 :
- 乙でしたー!
彩華はどこに流れていったのだろう
- 60 :
- 乙!
前スレのオリジナル以来に読んだけど、これやっぱり好きだわ
- 61 :
- 『能面』読んで下さった方、感想下さった方、ありがとうございました!
なんか一人で専スレ状態で申し訳ないですが……
第二弾投下します
↓
- 62 :
- 【序】
かつて、一人の刀鍛冶が居た。
その男は生まれてから死ぬまでに幾千もの刀を打ったが、
たった一つの例外を除けば、全てが大根もまともに切れないナマクラだったという。
その生涯で唯一の例外。
男が最後に生み出した鉄塊。
だがそれは、決して名刀と呼ばれうる代物ではなかった。
刃渡りは95センチ。反りはあるが、両刃造りのために峰でも人を斬れた。
しかし刃そのものは研ぎ目が荒く、切り口はひどく乱雑だった。
鍔には目を引くような細工はされておらず、また持ち手に巻かれた糸とて染色されていなかった。
鞘ひとつを取り沙汰しても職人芸というほどでもない。それは野太刀としてはごくありふれた物だった。
ある特徴を除けば、他のナマクラと並べても遜色ないほど美しさに欠ける刃物だった。
刀身に刻まれた銘は『閂(かんぬき)』。
刀鍛冶が自らの命と引き換えに打った、彼が生涯で唯一銘を打った太刀。
その太刀は何をどう斬っても、絶対に折れることが無かったという。
- 63 :
- 【第一幕】
春霞が夜になっても通りを満たし、うっすらと白い靄がかかったような夜であった。
空気は生ぬるく、梅の香りが漂っている。
町から少し離れたところにあるあばら屋で、金属を打つ音が響いている。
男は、一心不乱に槌を振るっていた。
――これが最後の業物になる。
その覚悟が、鬼気迫るものを彼に与えていた。
男は刀鍛冶である。
いや、今となっては「刀鍛冶でもあった」とする方が正しい。
刀鍛冶だけで食っていけるわけはなく、包丁や匕首(あいくち)など刃物全般を扱っていた。
打ちながら、研ぎや直しもする。
ところが、彼の包丁は一本たりとも売れたためしが無い。
「くそっ! どうしてだ。
俺は十五の時から、ずっと鍛冶の修行を積んできた。一日も休むこと無く打ち続けてきた。
いい加減な気持ちで打ったものなど、一つだって無い。持てる技術を全て注ぎ込んで、
最高に美しい刃紋を生み出しているはずなのに!」
男は不満を募らせていた。
しかし現実に売れないのだから、彼は明日の食い扶持にも困る有様となっていた。
いよいよどうにもいかなくなり、飲まず食わずで数日が経った。
- 64 :
-
「何故なんだ、他の連中よりも俺の方が美しい物を打っているはずだ、なのに、何故認められない?
美しくない刀など打つ意味が無い、そんな物を打つくらいなら、いっそ……」
男が、今打っている刃物。
それは、刃渡り三尺程に及ぶ太刀である。
男は、刃紋の美しい刀を打つということに、自分の全存在を賭けていた。
食い詰めて飢え死にする前に、彼がもっとも忌み嫌ったやり方で、一本だけ刀を打つ。
認められない悔しさと、文字通り自身の命を、その刀身に打ち込んでいた。
焼入れを済ませ、刀身が出来上がった。
それは、彼が追求してきた“美しい刀”とは似ても似つかない、全く対極に位置するような業物だった。
銘を刻みつけ、そのへんにあった糸で柄巻きをすると、まだ白木のままの鞘にひとまず納めてみた。
反りが若干合っていないが、どうにか納まる。
そこまで確かめたところで、夜がうっすらと明けてきた。ふいに、猛烈な眠気が襲ってきた。
彼は、井戸の水でもかぶろうと小屋の外に出た。
その時である。
背後から、何者かが彼の頭を殴打した。
漬物石を何度も何度も打ち付けられ、男は絶命した。
彼を害した者は、そのまま小屋に侵入し、物色する。
出来上がったばかりの刀が目に留まった。
侵入者はすかさずそれを掴むと、足早に立ち去ったのだった。
% % %
- 65 :
-
「へへ、へ、今夜はツイてるぜ」
同業の連中からは“熨斗(のし)”と呼ばれているその盗人は、今しがた奪い取ってきた太刀を見つめて興奮していた。
白木の鞘に納められた、一振りの無骨な太刀。装飾も何も無い鍔と、染の入っていない糸で巻かれた柄。
襲ったのは、シケたあばら屋だった。金目のものなんてあるはずが無い。そう思ったのだったが、
なぜだか、熨斗はその小屋を狙わずにはいられない感情に駆られた。
そういう時、熨斗は本能に逆らわないことにしている。
頭でぐちゃぐちゃ考えるより、重そうな漬物石を抱えて勝手口の陰に身を潜めるほうが先だった。
ふらりと出てきた家主の背後から殴りつけ、頭蓋を叩き潰す。
せめて食い物があればいい……程度に考えていたのだったが、その小屋に刀があったのは、文字通りの儲け物というほかない。
折しも藩から廃刀の通達が下って半年。侍ですら刀の入手が困難になってきた時節であった。
――コイツは高く売れるぜ。
熨斗は、こういう事には目はしが利いた。
やや引っ掛かる鞘から太刀を抜き、月明かりに照らしてみた。
分厚い刀身は手にずっしりと重く、鈍い輝きを放っていた。
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- 66 :
-
月明かりの差し込む長屋の一室で、乱れた息遣いが聞こえている。
布団の上で、一対の男女がまぐわっている。
「だ、誰だ?」
はじめに声をあげたのは、布団の上の男の方だった。
「ありゃ、お楽しみ中だったかい。へへ、気にせず続けてくれな」
熨斗は、下卑た笑いをしながら、のそりと部屋に入り込んだ。
「お、おのれ、物取りかっ!」
裸の男は、枕元の刀を抜く。
しかし――
「へっ、やることやって死ぬなんて、歌舞伎役者みてぇで粋じゃねぇか」
熨斗が男に斬りかかる。
男は咄嗟に刀で受ける。
重みのある金属音。
熨斗の太刀が、力任せに振り抜かれる。
男の刀は真っ二つに折れた。
女の叫び声。
すかさず太刀を力いっぱい振り回す。
女の頭を斬り飛ばした。
血飛沫が行灯の一面をべっとりと汚す。
- 67 :
- 続けて太刀を振り下ろす。
男の肩口がざっくり斬られた。
腕は切り離される寸前である。
男が倒れた。
呻き声が煩い。
熨斗は、男の喉笛に太刀を突き立てた。
隣の部屋から、もう一人男がどたどたと駆け込んできた。
熨斗は刀を握り直し、むちゃくちゃに振り回した。
襖、手首、行灯、枕、額、二の腕、布団、項……
あらゆるものを、力任せに斬った。
% % %
- 68 :
-
「へ、へへ……」
寺の裏手に身を潜めた熨斗は、長屋から奪ってきた手文庫をこじ開けて、中を探った。
入っていたのは、一分銀が三枚と珊瑚の玉簪。
「へ! へっ、へへっ! ……ざまぁ、みやがれ。どうだ、オレはこれだけ、稼げるんだ……」
興奮しつつ、彼は銀貨と簪を懐に収めた。
熨斗というあだ名を、彼自身は快く思っていない。
幼い頃に頭をぶつけたせいなのか、顔の筋肉が引き攣り、
いつも顔をしかめたような、歪んだ表情で固まってしまった。
その貌のせいで、人からは忌まれ避けられた。
熨斗は堅気の道から外れ、泥棒稼業をするようになった。
けれど同業の連中にも、仲間と言えるほど親しい人間はいない。
いつも一人で、空き巣や火事場泥棒のようなけちな稼ぎをしていた。
しかし、ここ最近は違う。
あの無骨な太刀を手にいれてから熨斗は、「力尽くで奪う」ことを覚えたのだった。
はじめは、忍び込んだ納屋の奉公人に気づかれた時だった。
とっさに、持っていた太刀を抜いて無茶苦茶に振り回した。
気がつくと、奉公の男は血塗れで、見るも無残な姿になっていた。
男をして、熨斗は逃げた。
――なんだよ、簡単じゃねぇか。しゃ、いいんだ。捕まることも、人を呼ばれることもねぇ。
熨斗の盗みは、つまりは強盗である。
躊躇いなく町人をし、その蓄えを奪うようになっていた。
% % %
- 69 :
-
横丁の長屋がまたやられたという話を受け、同心の永野嘉兵衛は苦い顔をしていた。
このところ長屋や商店を襲っては蓄えを奪っていく、狂った盗人のことである。
「清次」
嘉兵衛は、若い岡っ引きを呼んだ。
「聞くまでも無く、奴の仕業だろうが……、事の仔細は?」
「へい、られたのは長屋の浪人二人と、そこを世話していた隣のめし処の女将です。
この女将が、寡婦(やもめ)らしくって、そこの浪人の一人とまんざらじゃねぇ仲で……」
そこの下りが長くなりそうなので、嘉兵衛は若い部下を睨んだ。
「あっと、ええと、それで、金目の物は残ってなかったってぇ話で。んで、浪人のものと思われる刀が、
折られて散らばっていたって話で」
――折った刀は、売れないから置いていったか。
「間違いないな。これで三件目か」
「へい。刀は折られていて襖は傷だらけ、金子(きんす)は盗られて人はられて……、手口は同じです」
嘉兵衛は顎を掻くと、
「横丁の寺と、北の外れの神社を洗っておけ。……もっとも、何か出てきたところで――」
言いかけてやめ、部下に指示を与えると、修羅場となった長屋を後にした。
- 70 :
- ↑
ひとまず今日はここまでで
- 71 :
- 【第二幕】
街道を歩く、小柄な旅人がひとり。
菅笠を目深に被り、長羽織で身を覆っている。
その左腰がちょっと突っ張っているのを見るに、道中差を帯びているのが分かる。
その旅人とすれ違う、左官が二人。
すれ違いざまに、声を掛けた。
「おい、」
旅人は、声を無視してさらに足を速める。
その態度にむっと来た左官の一人が、追いかけて行く手を阻んだ。
「おい、声掛けてんのにしらばっくれるなよ。ジャリが一丁前にドスなんざ差しやがって」
笠に手をかけようとする左官の手を、素早く振り払う。
「……てめぇ」
額に青筋を立てる左官を、もう一人が宥めながら旅人に言った。
「おい坊主。ひとりで、どこへ行くつもりだ」
旅人はなおも黙っている。
「なぁ、」
片方が身を屈めて笠の下を覗きこむもうとした矢先、
「イテェ!」
眼元を押さえて転倒した。
足元に、おはじきが一粒こぼれる。
「こんのガキ!」
もう一人が乱暴に笠を払う。
すかさず、旅人は身を翻す。
そして、一閃。
左官の鼻の頭を鋭い風が掠め、
一気に鮮血が吹き出た。
傾いだ笠から見えたものは、女郎花(おみなえし)の如く鮮やかな黄色の髪。
その顔は、年端のいかない “少女” だった。
紅い瞳には鋭い気。
少女の右手には、抜身の脇差。
その鋒(きっさき)を先に倒れた方の目の前に突きつけ、
「あんまりわたしに絡むと、ただじゃおかないぞ」
と言い捨て、納刀して立ち去った。
% % %
- 72 :
-
少女の名を、彩華(さいか)という。
一二、三歳くらいの孤児である。
ずっと街道を歩いて来、ようやくこの宿場町に辿り着いた。
腹も減っているし、くたびれている。
――ここで、泊めてもらえそうなところを探そう。
町並みを眺め回しながらしばし歩くと、路地からいきなり猫が走り出てきた。
口に何か咥えている。
「この泥棒猫!」
若い女の声も聞こえた。
反射的に彩華は身を翻し、猫を追った。
猫が素早く方向転換しようとした矢先、飛びかかった。
引っ掻く間もなく、猫は彩華に取り押さえられた。咥えていたのは、柳葉魚(ししゃも)だった。
「ったく、こいつったら!」
若い女がやって来て、彩華が抱え上げた猫の頭を叩く。
はぐっ、という鳴き声と共に柳葉魚を口から離すと、猫は抗議するように鳴きながら手脚をじたばた動かした。
「悪かったね、坊や……っと、なんだ、お嬢ちゃんか」
彩華と目を合わせた女は、ちょっと驚いた様子だったが、柳葉魚を拾うと、
「ちっと捕まえといておくれよ」
と言って猫に齧らせた。
「ちゃんとおねだりすりゃ分けてあげるのに。根性が卑しいったら、こいつ」
猫は、フガフガいいながら柳葉魚を齧っている。
女は、二十歳くらいに見える。
襷をかけ、艶の良い黒髪を後ろで一つに結っている。
――料理屋の人かもしれない。
彩華は、そんな期待を胸に見つめていた。
女は、柳葉魚を食べ終わった猫を逃がすと、
「さて……お嬢ちゃん、あんたもおまんまの食い上げかい?」
そう尋ねてニヤリと笑った。
「あたしは妙(たえ)。この旅籠『藤屋』の、……一応、女将だよ。あんたは?」
彩華は自分の名を名乗ったが、そこへお腹の音が空腹を告げた。
妙は笑って、彩華を宿に上げた。
% % %
- 73 :
-
「ほら、出来たよ。まずは腹を膨らませなきゃ」
妙は鍋を囲炉裏の鉤に掛け、言った。
ようやく食事にありつくことが出来た。
巾広い麺は、下手な職人の切りそこねたうどん……という風体だ。
それが野菜と共に煮込まれていて、味は味噌で仕立ててある。
「あんた、一人で旅してるのかい」
彩華は口をもぐもぐさせながら、頷く。
「どこへ行くつもりなの」
「西のほう」
彩華は言葉少なに、夢中で鍋をつついている。
妙は囲炉裏の周りを片付けながら話しかける。
「危ない目に遭ったりしないのかい?」
「さっき、遭った」
「! ちょっと……」
手を止め、眉をひそめる。
「でも大丈夫、追っ払った」
きっぱりした口調で言う。
「へえ! 平手打ちでもかましたの?」
「そんな感じ」
「あんた、お金は……っと、無いから食い詰めてるんだったっけね」
「うん」
「……まったく、聞けば聞くほど呆れるね!」
妙は笑って、
「で、どうする? ここに住み込むかい?」
布巾で手を拭きながら問うた。
彩華は、こく、と頷いた。
「じゃあ遠慮無く、バンバン働いてもらうよ!」
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- 74 :
-
「ごめんよっ」
暖簾をかき分けて、中年の同心が入ってきた。
「いらっしゃい! お早いお着きで!」
彩華は元気よく声を出す。
「おやぁ? お妙、おめぇいつの間に子供こさえたんだい」
彩華を珍しそうに見ながら、永野嘉兵衛が言った。
「ちょっと! あたしの子じゃないよ。新しい奉公の子」
奥から妙が手拭いを片手に現れた。
「へぇ、奉公人かい。二代目藤屋も、いよいよ軌道に乗ってきたってところかい」
嘉兵衛は、宿の上がり框に腰掛けると、彩華を眺めながら言った。
「何いってんの。あたしなんか、まだまだですよ。この子、風来坊みたいだから」
妙は彩華の頭を撫でながら言った。
「そうかい。いやしかし、この宿もずいぶんしっかりしたもんだ。甚作の野郎もあの世で安心してるだろう」
「だといいんですけど。化けて出られちゃかなわないからね。……嘉兵衛さん、何かあったの?」
寂しそうに笑うと、妙は心配そうに尋ねた。
「おう、それなんだがな……」
- 75 :
-
永野嘉兵衛は、一応用心のため、と前置きしてから、このところ頻発している物盗りのことを話した。
「盗人、というには温(ぬる)すぎるんだ……必ず皆しにして、奪う。
やり合えば取り押さえられるかもしれねぇのに、どういうわけだかそいつは、必ずしをやっている。
逃げ延びた奴は、……今のところ居ない。だから、そいつがどんな身形かも分からねぇ」
妙は眉をひそめながら嘉兵衛の話を聞いている。
彩華は仕事をしながら、二人の話に聞き耳を立てていた。
「辻斬り、ってのとも、ちっと勝手が違ぇみてぇなんだ」
と、嘉兵衛は言った。
「気味が悪い。ヘンな世の中だね」
さも嫌そうに、妙は顔をしかめる。
お茶でも――と言ったが、嘉兵衛は手を振って断り、気をつけるよう念を押して帰っていった。
「あの人は?」
嘉兵衛が帰った後、彩華は妙に尋ねた。
「同心の嘉兵衛さんだよ。お父つぁんとは囲碁仲間でね、よく打ちに来てた。
そのよしみで、今も何かと気にかけてくれてるんだ」
「……、」
彩華が尋ねようとするより早く、
「お父つぁんは流行病でね。そういや、もうそろそろ初盆だね……」
妙は、遠くを見るような目で通りを見つめながら言った。
- 76 :
- ↑ここまでです
- 77 :
- 乙です
彩華ちゃん出たー!
身一つで旅とはまた剛毅な
- 78 :
- 【第三幕】
永野嘉兵衛は、四十を幾許か過ぎた実直な男である。
一六の頃から岡っ引きを勤め、十年ほど前に同心に出世した。いまや、この町ではよく知られた顔だ。
嘉兵衛は袂に入れた手を徐に出すと、懐の十手をなんとなく握り直してみた。
岡っ引の頃から数えて、三本目になる。房が付いてからはまだ一本目だ。
廃刀令が下ったが、十手に関しては、どうなるのかまだお上から沙汰がない。
“鋭利な部分”も“突起”も持たない構造だが、十手そのものが“突起”と言えなくもない。
この十手で、幾人もの連中を縛りあげてきた。
十手に刻まれた無数の刃傷が、その事実を裏打ちしている。
嘉兵衛の右腕にも、同じくらいたくさんの古傷がある。
何度も死にそうな目に遭いながらも、嘉兵衛はこの町を護ってきたのである。
歩きながら、嘉兵衛は思案する。
それは昨夜の凶行だ。
またしても、件の物取り――“熨斗”と呼ばれる男だ――がしをしたのだった。
% % %
- 79 :
-
夜更け時。
寺の鐘が四つ鳴った頃、飯屋で盃を空けていた客が言った。
「おっと、そろそろ帰んねぇとウチのかかぁに目ん玉くらっちまう」
「へ、もうとっくに愛想尽かされてんじゃねぇのかい」
馴染みの客が一人、二人と席を経つ。
その時、飯屋に一人の男が入ってきた。
熨斗である。
ボロボロの着流しの上から、袢纏を羽織っている。
長屋を襲ったときに盗ってきた物で、それだけが風体に沿ぐわない。
歪んだ貌に、眼だけが異様にぎらついていて、辺りの空気を不穏なものにした。
「おう、酒だ!」
熨斗は、どっかりと空いた席に腰掛けると、大声で言った。
既に別の場所で引っかけてきたのかも知れない、若干呂律が回っていないような口ぶりだ。
店主は、もう看板にする心算だったのだが、そのただならぬ気に気圧され、口を噤んでしまった。
「カネなら、あるんだぜ」
そう言って熨斗は、袖から幾許かの小判と銭を出した。
「文句ねぇだろ」
熨斗は、あたりの客を睨めつけながら冷や酒を口に運んだ。
因縁を吹っ掛けられたら堪らない、というように、馴染みの客は、そそくさと店を後にする。
やがて客が熨斗だけになってしまうと、店主は決死の覚悟で切り出した。
「あの、すみませんけど……・もう、看板なんで、これでお終いに……」
何本目かの徳利を卓に置きながら、おずおずと言う。
「あ゛ぁ? カネならあるって言ってんだろう」
熨斗は不機嫌そうに唸り、
「それともなにか、オレがこんなツラぁしてるから、追い出そうってか……」
ゆらりと立ち上がって店主を睨めた。
歪んだ貌がさらに醜く歪む。その奥の眼が据わっている。
- 80 :
-
「どいつもこいつも……何なんだ、てめぇらは! あ゛? オレのツラが気味悪りぃのか」
熨斗は、太刀を手に持ち、引き抜いた。
「ひっ……!」
店主が後ずさる。
「仕事は寄こさねぇ、雇いもしねぇ。稼ぎをあげても認めやがらねぇ……なんだあいつらはよォ!」
熨斗は徐に太刀を振り上げると、側にあった銚子目がけて振り下ろした。
銚子が派手に割れ、酒の雫とともに飛び散った。
その太刀の切っ先が飯台の角を掠めたとき、ごりっ、という音とともに木っ端が散った。
「ま、まままさか、皆しにするっていう……」
店主は腰を抜かして、へたり込む。
「目ぇ逸らして、こそこそ陰口叩きやがってよ……ってやらぁ、奴ら全員、地獄行きだァ!」
熨斗は、太刀を両手で持ち、滅茶苦茶に振り回す。
鈍い音と、濃い血の臭いが飯屋に充満した。
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- 81 :
-
例の盗人が、またしをした――
それを聞いた彩華は、頼まれてもいないのに遣い物に出ると妙に伝え、旅籠を飛び出した。
「横丁の飯屋の親父さん、それはもう酷いことだって……」
通りで女たちがひそひそと話している。
彩華はそれを聞きながら、現場に向かっていた。
件の飯屋は人だかりがしていて、番所の岡っ引き数人が、野次馬を追い払っていた。
「ひでぇな、こりゃ」
「おい、こりゃあただの酔客じゃねえな」
「例の物盗りか?」
「飲み食い代を踏み倒そうとした、ってぇところだろう」
野次馬たちが口々に言っている。
彩華は、小柄な身体を人と人の間へ潜り込ませながら、それを聞いていた。
人だかりの切れ目まで来たとき、脚の隙間から、嘉兵衛の姿が見えた。
嘉兵衛は現場を検めながら、思案している様子だった。
% % %
- 82 :
-
――しを、愉しんでいる?
嘉兵衛は、未だ止められない盗人の凶行に苛立ちを覚えつつ、頭のもう一方では、冷静に分析を行っていた。
主たる目的はしであって、物を盗るのは其の序(ついで)である可能性もある。
残された刃傷から判断するに、剣の腕はさほどではない。
俄か仕込みの、剣術とも呼べない滅茶苦茶な振回しかただ。
そして――ここがもっとも嘉兵衛の引っかかる点であるのだが――その刃物の斬れ味は、はっきりいって良くない。
にもかかわらず、人体はおろか襖や障子にいたるまで、ざっくりと切断されている。
傷がついただけであるとか、刃が入ったものの途中で止まる、といった形跡が、一切無いのである。
飯台の角が欠けていて、斬り口が新しいことから、これもその凶器によるものと判断できる。
その斬り口はぎざぎざで、獣が喰いちぎったような印象を与えた。
――斬れない刃物を力任せに振り回した、という印象だな。よほど剛力な者なのか……?
「旦那!」
清次が駆けてきた。
「何か見つけたか」
横目で若い岡っ引きを睨みながら問う。
「いやぁ、それがさっぱりで……あ、いや、その」
――こいつ、岡っ引きやっていけるのか?
嘉兵衛は呆れるのを通り越していささか不安になりながら、部下を見つめる。
「番所からの通達で。検めが済んだら、奉行所に集まるように、だそうで」
「ふん……?」
おおよそ察しがついたのか、嘉兵衛は現場を見渡すと部下を呼び集めた。
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- 83 :
-
奉行所には、既に他の同心らが集まっていた。
例の物取りの件に違いない、誰しもがそう思っている。
実際、それに関する噂話をあれこれ検証している連中もいた。
やがて役人が、若い侍を伴って現れた。
「里部丹次郎どのだ」
年の頃は二十歳位だろうか。
聡明そうな顔つき、背筋の伸びた体躯はやや鯱張っている。
強ばった表情は、緊張しているせいなのか。
「例の物盗りが質(たち)の悪い輩ということで、都の方から来て下すった。しばらくこの町に留まって下さるそうだ」
役人がそう言い、若い侍が目礼をした。
「なるほどね。とうとうお上の方から刺客が差し向けられたってわけか」
嘉兵衛の隣で、同僚が小声で呟く。
役人はその後、この若者がいかに剣の名人であるかを延々説明しだした。
それがいわゆるお世辞のたぐいであろうことは、嘉兵衛も長年の経験上、知っている。
だが嘉兵衛はこのとき、それを聞きながらなぜだか、妙のことを思い浮かべたのだった。
- 84 :
- ↑ここまでです
- 85 :
- 一点、どうでもいい訂正です
>>75
×初盆
○初彼岸
季節間違えてた……orz
↓投下しますです
- 86 :
- 【第四幕】
廊下を雑巾掛けし、井戸水を汲んで茶を沸かす。
泊まり客が帰ったあとに、布団を上げ浴衣を洗濯する。
夕方には窯にくべる薪割りをする。
『藤屋』は旅籠、つまり大衆旅館である。
彩華は、そこで仲居と番頭の仕事をいっぺんに引き受けていた。
もともと働くことは嫌いではない。
どんな仕事にも、剣の道に通じる極意がある――というのは師匠の教えだ。
小柄で華奢な身体ながら、てきぱきと勤めた。
薪割りは上手に出来たし、井戸の水を汲んで運ぶのも、大の男に引けを取らないくらい働いた。
彩華にとって、日常の“仕事”はすなわち修行に等しいものだったのである。
「彩華、ちょいと頼まれとくれ」
妙に呼ばれ、彩華は厨に入った。
「あたしとしたことが、しくじっちまったよ……豆腐を切らしてた。
一っ走り、買いに行ってくれるかい。番所の近くだ、場所は分かる?」
銅貨と鍋を受け取り、彩華は頷いた。
「まだ日も高いけど、気をつけるんだよ!」
背中で声を聞き、昼下がりの町に出る。
空気が生暖かく、梅の香りが匂っている。
気持ちがおかしくなりそうな、狂気を孕んだ気配だった。
彩華は奉行所近くの豆腐屋で木綿豆腐を買い求め、藤屋に戻る道を歩いていた。
奉行所の前に差しかかった時、人影を目にした。
- 87 :
-
「では里部さま、よろしゅう頼みます」
「うむ」
二人の男が、奉行所から出てきたところだった。
ひとりは、この奉行所の役人である。
もう一人は、身形の整った若い侍であった。
「して、今夜のお宿は」
役人が尋ねると、
「先に旅籠を見つけてきた。心配は無用だ」
侍はニコリともせず答える。
「さいですか、では……」
役人はお辞儀をし、侍は奉行所をあとにした。
そのやりとりを、彩華は少し離れたところから見ていた。
豆腐屋へ遣い物に行った帰りである。
早く帰って豆腐を妙に渡さないといけないのだが、なぜだか彩華はその侍を尾けることに決めた。
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相手からは判別できないくらい、離れて歩く。
侍は、通りをいくつも曲がりながら歩いていた。
しかし、迷っているふうではなかった。しっかりと確信を持った足取りで、
辻に来るたびに周囲を見渡し、一つの路地を決めて歩いていく、というふうだった。
――追手を巻く歩き方じゃない。向かう方向は、決まっているような……
そして一軒の店の前で立ち止まった。
――やっぱり。
彩華の直感は当たっていた。
侍は、『藤屋』の客だったのである。
「遅かったね! とりあえず、これを出しといて」
妙は厨と座敷を忙しく行き来しながら、彩華に燗のついた銚子を渡した。
座敷では数組の旅人が酒を呑みながら歓談していた。
彩華は宿に戻った侍が気になったが、ここはまず妙の手伝いをするのが先決だ。
酒や料理を運び、合間に風呂の準備をし、めまぐるしく働いた。
% % %
- 88 :
-
里部丹次郎が藤屋に逗留して、数日が経った頃である。
妙は買い物に出た先で、その若侍に出会した。
「買い物ですか」
丹次郎は、妙の手から食材などの入った籠を分け持った。
「大丈夫ですよ! お武家さまに荷物なんて持たせたら、女が廃ります」
そう言って断るが、丹次郎は聞かずに
「宿へ戻られるのでしょう、拙者も戻るので序ですから」
籠を持ったまま歩き出した。
押し問答になりそうだったので、そのままあとに従いて歩いた。
丹次郎は、黙って前を歩く。
つい早足になるのだろう、妙と距離が開くと足を遅め、気まずそうにする。
――無口な人。きっと照れ屋な性分なんだ。
妙は、彼のそんな姿を微笑ましいと思った。
- 89 :
-
「あら、寒菊が出てる」
妙は、通りに面した店の軒先で、鉢植えの寒菊を観た。
初彼岸はもうすぐである。
ふと亡くなった父、甚作を思い浮かべた。
父は物静かな人だった。
酒も煙草も呑まず、毎日を地道に務めていた。
そんな父にも、二つの趣味があった。
同心の嘉兵衛とよく打っていた碁、それに菊の栽培である。
とくに菊の栽培はかなりの評判で、泊まり客から売って欲しいと言われるくらいであった。
妙は、目の前の寒菊に亡き父の姿を重ねていた。
藤屋はそこそこに繁盛していた。
妙が、今まで惨めな思いをすることも無く育ったのは、父のお陰である。
父が亡くなった後は、とにかく必死で藤屋を切り盛りすることに励んでいた。
悲しみにくれている暇など無かったのだ。
それが、寒菊を見ているうちに妙の中で、何かがふっと緩んだ。
気がつくと涙を流して、鉢植えの前にただ立っていた。
- 90 :
-
「妙さん」
丹次郎が、怪訝そうに声をかける。
妙はそれに気づかない。
再度呼ばれてようやく気づき、歩き出そうとしたとき。
気もそぞろだったのだろう、ふらついた。
丹次郎はすかさず肩を抱き、妙を支えた。
妙はその時、気恥ずかしさと一緒に、僅かな安心を感じたようだった。
凭れかかっていたい――
頭の片隅で、そんなことを思ったかも知れない。
今までは、縁談など断ってばかりだった。
けれど、一人で気を張って生きて行くのに疲れを感じ始めていた。
誰かと支えあって生きて行くということに、妙は言いようのない感情を抱き始めていたのである。
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- 91 :
-
八つ半頃。
泊まり客もおらず、夕餉の支度にはまだ早い。
藤屋が比較的、暇になる時分である。
彩華は、散歩してくる、と伝えて町に出た。
向かう先は奉行所である。
奉行所の門を警護する武士の目を盗み、そっと中に入り込む。
目当ての人物はすぐに見つかった。
先日、若い侍と話していた役人である。
濡れ縁に面した座敷で、書き物をしている。
そこへ、羽根を投げ込む。
「……?」
役人はそれを拾い、どこから飛び込んできたのかと、縁に出て辺りを見回した。
彩華が近づく。
「なんじゃ、こんなところで遊んでいてはいかんぞ」
「羽根が……」
「これか。返してやるから、羽根つきならもっと別のところで遊びなさい」
- 92 :
-
その時である。
彩華は、役人の目をじっと見つめた。
目が合う。
役人は、しばしその深い紅の色に見惚れていた。
そして、うわの空で羽根を返す。
「ありがとう。……あの若い侍は、どこから来たのかな」
彩華は羽根を受け取る手を止めて、呟くように言った。
「あぁ……、なんでも、都の方で鳴らしていた腕利きの剣士だって話だ。
けどなぁ、良くねぇ噂もあるんだよな」
「どんな?」
「曰く、『臆病者の丹次郎』。
里部丹次郎は道場では強いが、真剣勝負の野良仕合になると逃げ出す腰抜けだ、ってんだ」
「ふうん……。なんで、そんな人が来たのかな」
「そこはなぁ、面子ってもんがあるんだろうよ」
「?」
「丹次郎は、道場では腕が立つ男で名が通ってる。
いずれ藩主お付きの剣術指南役か、はたまた若き道場主かと、言ってみれば将来有望な若者よ。
けれど実戦じゃてんで役に立たねぇ、とはいえそいつを無碍に扱っとくわけにゃいかねぇ……」
「……」
「で、だ。この白川町にはしをはたらく質の悪い盗人がいる、
そいつを成敗するために腕の立つ里部丹次郎が選ばれた、ってわけだ」
「うん」
- 93 :
-
「しかしな、おそらくその裏はこうだ。
――里部が首尾よく盗人を成敗することができれば、面目躍如。
慥かな腕を持つ侍として、適当な時期に呼び戻し、それなりの役職につけることはできる。
――そうでなければ……つまり、噂通りの臆病者だったなら。
逆に盗人にされることだろう、既に何人もられているからな。
都の連中が自ら始末をつけることもない……奴らの考えそうなことだ」
「……」
そこまで聞いて、彩華はふっと視線を外し、羽根を受け取って
「ありがとう」
といって背を向けた。
「おう、あんまりこの近くで遊ぶんでねぇよ」
背中にかかる声に手を振り、彩華はもと来た道を駆けていく。
その後姿をぼーっと見ながら、役人ははっと気がついた。
「……? わしは、なにを話していたんだったか?」
% % %
- 94 :
-
「里部。すまぬが、白川の奉行所に行ってもらいたいのだ」
目付からそう言いつけられたとき、丹次郎は一瞬、誰のことを言っているのか分からなかった。
昨秋のことである。
城下で酒に酔った浪人が暴れまわっている場に、丹次郎が居合わせた。
「お侍さん! あいつを、何とかしとくれよ!」
逃れてきた飲み屋の女房が、丹次郎に縋りついた。
元来、正義感の強い男である。
「し、静まれ! それ以上の狼藉は許さんぞ!」
震える脚を叱りつけるように威勢よく叫び、丹次郎は浪人と相対した。
道場では、誰も太刀打ち出来ないくらいの実力を持つ丹次郎である。
当然、周りにいた誰もが鮮やかに浪人を斬り伏せるであろうと思っていた。
ところが、いざ立合いの場に臨んで、彼は足が竦んで動けなかった。
刀を持つ手は震え、剣技は全く冴えを見せず、防戦一方である。
あわや返り討ちかと思われたとき、奉行所の手のものが数人駆けつけ、浪人を一斉に取り押さえた。
いくら道場で強くても、それが実践に生きなければ全く意味が無い。
丹次郎は、自分に人を斬る覚悟が無いことを、まざまざと見せつけられることとなったのだ。
そこへ、この移動命令である。
――おれを厄介払いする心算か。
丹次郎自身、直接言われはしなかったものの、そのことには薄々気づいてはいた。
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- 95 :
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回想し苦い思いを抱きながら、丹次郎は仕合支度をしていた。
まだ薄暗い、夜も明けきらない時分である。
「こんな早くに、お出かけになるんですか」
朝餉の支度を始めようとしていた妙が、声をかけた。
「……拙者の役目は、件の物取りを討つことです」
目を合わせず、丹次郎は支度を続けながら、ぼそぼそと言った。
「早く始末をして、安心して暮らせる町にしなくてはなりません。大丈夫、気遣いは無用です」
そう言って、丹次郎は出て行った。
妙は旅籠の間口まで出て丹次郎を見送った。
そしてその後ろ姿へ向けて、火打石を打った。
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- 96 :
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朝霧が立ち籠める、早朝である。
春先とはいえ、まだまだ肌寒い。
着物がたちまち濡れて、いっそう寒さを感じさせる。
熨斗はして奪ったカネを手に、塒(ねぐら)にしている破れ寺へ戻るところだった。
辻のところで、一人の侍と出会した。
襷を掛け、額には鉢金。あきらかに仕合支度をした武士。
「んだぁ? てめぇ」
熨斗は、酔いの回った頭で絡んだ。
丹次郎が早朝から仕合支度をして出ていったのは、彼なりに熨斗を討つ心算だったからだ。
犯行は深夜に行われている。戻ってくる頃を狙うのだ。
早朝ならば視界もあり、有利に闘える。
しかし、それがこうも早くに当たるとは、丹次郎自身が面食らっていた。
「き、き、貴様!」
思わぬ遭遇に、心の準備は十分ではない。
丹次郎は、うっかりすると震え上がりそうになるのを必死に抑え、気持ちを落ち着けようとする。
「貴様が、こ、しをやっている物盗り、だな。せ、成敗、してくれるっ!」
言うが早いか、侍が刀を抜いた。
「しゃらくせぇ!」
熨斗も、太刀を抜いて振り回す。
が、酔いのせいで狙いがまったく定まらない。
丹次郎は次第に落ち着きを取り戻し、相手を見据える。
――落ち着け、道場の立合いと同じだ。むしろ型が成っていないから隙だらけだ!
丹次郎は八相に構え、機を伺う。
熨斗が斬り込んでくる。
しかし所詮、俄剣法である。
斬り込んでくるそこへ、丹次郎は小手を打つ。
熨斗は手首を斬られ、太刀を落とした。
- 97 :
-
圧倒的な実力の差に、熨斗は死を悟った。
手首から夥しい血を流し、恐怖に震えながら、命乞いをした。
「ま、待っれくれ、こ、さねいでくで!」
酔っているため、呂律が回っていない。
丹次郎は油断なく鋒を向けたまま、熨斗の落とした太刀を見、それをもう一方の手で拾い上げた。
奇妙なことに、峰にも刃が付けられている。
手にずっしりと重いが、それはあまりに分厚い重ねのせいであろう。
おそらく、刀に対する一般的な美的感覚から言うと、それは「醜い」と形容するに等しい代物である。
しかし、なぜだかそれは丹次郎を惹きつける刀身であった。
――どうしたことだ、これは……。無骨な造りであるのに、刃に浮かぶ沸(にえ)が非常に繊細で美しい……
丹次郎は自らの刀を納めると、拾った太刀を握り直し、
「貴様は、良い物を持っていたようだな」
と言って口端を歪め、卑しい笑みを浮かべた。
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- 98 :
- ↑ここまでで御座いやす
- 99 :
- 続編来てた!
この文体読みやすくていいわ
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