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2012年3月懐かしニュース74: 【空手二段】比叡山女子大生人事件【全裸絞】 (698)
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【空手二段】比叡山女子大生人事件【全裸絞】
- 1 :
- 【事件概要】
1989(平成元)年8月31日、
千葉県野田市から旅行に来ていた早大四年の女性(当時25)が、
比叡山延暦寺の横川中堂秘宝館で目撃されたのを最後に、行方不明となった。
9月2日、女性の自宅に一千万円を要求する脅迫電話がかかる。
9月9日、山中で女性のリュックサックが発見される。
9月10日午後4時、東海自然歩道近くの雑木林で、遺体となって発見された。
遺体は靴と靴下以外は何も身に着けておらず、着衣の上に横たわっていた。
翌日の司法解剖の結果、死因は首に巻き付けられた紐による絞と断定。
9月13日午後9時、大田正雄(当時48)を人の疑いで逮捕。
「金と強姦目的」と自供(後に強姦目的は否定)
- 2 :
- 関連スレ
★福島県郡山市強姦事件★
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/archives/1151718381/
- 3 :
- 犯人は滋賀作野郎なのか?
- 4 :
- 【被害者女性】
●外見
身長163センチ。肌は日焼けしている。スポーツで鍛え上げた、やや肩幅の広い体格をしている。
「最近痩せて色が白くなり、綺麗になった」との証言もある。
髪は長く(約25センチ)、後ろで束ねている。
京都市内で撮影された写真では、白いTシャツに紺のジーンズ、白に赤線の入った
スニーカーを履いていた。
害時も同じ服装と見られていたが、検死の結果、上半身はブラジャー(産経新聞調べ)、
タンクトップ、Tシャツ、長袖シャツを着用。下半身は柄の入ったトレパンだった。
なお、これらは全て脱がされ、遺体の横や下に散乱していた。
●人となり
生前の彼女については証言が非常に多い。共通しているのは
「真面目で生一本」
「しっかりした性格で意志が強い」
「ボーイッシュ(親しい友人や家族には一人称が『俺』など男言葉だったらしい)でありながら几帳面」
といったところ。それを示すエピソードにも事欠かないが、とりあえず省略。
ただ、担任教師いわく
「男にしてみれば、真面目すぎて、冗談を言ったら怒られる、という近寄りがたいような
存在だった」とも。
事件当時も、親しい男性はいなかった模様。
- 5 :
- ●体力、そして空手
中学・高校とも無遅刻無欠席。
中学時代は陸上部で長距離と砲丸投げをやり、高校では男女一緒に走るマラソンで、
4位になったことがある。
体力には自信があったようだが、体育系大学の受験には失敗している。
高校3年、
「痴漢に遭ったのをきっかけに、空手を始めた」(本人談)
以後7年間、稽古に励む。
自宅前の路上での空手の稽古や、トレーナー姿でジョギングをする姿は、
近所でも評判だったという。
翌年には初段、事件の前年には二段に昇格。
だが比叡山では、空手で凶行を逃れることはことはできなかった。
恵まれた体格や「スポーツウーマン」「空手二段の女丈夫」のイメージが強く、
当初は複数犯説(=一人では無理)もよくきかれたが、実際の彼女は抵抗する間もなく
仮死状態にされている。その後、痴漢よりも酷い目に遭ったわけだ。
●学問
受験に失敗後、日大文理学部に入学。ここでの卒業論文は死後出版され、
国会図書館に寄贈されている。
また、麗澤大学のアグネス=チャンの講義を受けたことがあり、彼女が寄稿している。
日大卒業後、早大二文美術科に学士入学。ここで仏像に魅せられ、
将来は仏師になって国宝級の芸術に直に触れることを志すようになる。
京都に来たのも、研究論文のためだった。
順調ではないが個性的な学歴だ。この事件で未来の女性仏師を失ったのは、大きな損失といえる。
- 6 :
- ●事件当日までの足取り
論文のため6月に上海へ行ったところ、あろうことか天安門事件が発生、
強制送還の憂き目に遭う。
これを取り戻すため、京都行きを決定。8月26日に自宅を出発し、9月2日には帰宅予定だった。
26日に京都に入ると、8月30日までは何事もなく市内各地を回っている。
8月31日午後8時に旅館をチェックアウト。京都駅から路線バスとケーブルカーで比叡山山頂へ。
根本中堂などを見学した後、東海自然歩道を歩いて、横川に向かった。
その途中で、太田と遭遇することになる。
つづく
- 7 :
- 『大田』ね。
爆笑問題じゃないんだから。
- 8 :
- 被害女性は男性経験あったのだろうか?
- 9 :
- ということは犯人は空手2段以上の
心得があったものと思われるよな。
- 10 :
- 秘宝館、の三文字しか見えない
- 11 :
- 確かにこの事件、疑問がいろいろ出てくるかと。資料には限りがありますが、
少しでもお答えできれば幸いです。
被害者の男性経験? 勘弁してください。
では、続き。
- 12 :
- 【犯人・大田正雄】
●略歴
和歌山県出身。中学卒業後、滋賀・大阪・和歌山の各地で職を転々としていた。
昭和61年頃から比叡山にやって来るようになる。人の多い都会が苦手な一方、
山が好きだったらしい。
7〜9月は叡山でテント暮らし、それ以外の季節は工員や土木作業で
金を貯めていた。
●性格
周囲の証言は辛辣を極める。(新聞雑誌もそういう証言だけ載せるので)
まとめると、「人間嫌いで酒好き、勤労意欲に乏しい」といったところ。人犯として
特筆すべき人格ではない。むしろ地味。にもかかわらず当時騒がれたのは、
『比叡山でテント暮らし』という生態が異様に思われたからだろう。
オートバイを盗んだり、レストランで飲食物を盗んだり(現行犯逮捕→起訴猶予で釈放)
手癖が悪かったのは確か。
皮肉にも被害者と同じく、仏教の知識は豊富だった。しかし肝心な根気、そして信仰心に欠けていた。
そんな人間がこの事件だけ、悪知恵と行動力を発揮した。
●外見
身長175センチ、白髪交じりで痩せた身体つきだが、山暮らしで腕力や足腰は強い。
一見人のよさそうな顔をしている。
犯行当時、一部報道では作務衣姿と報じられていたが、シャツにトレパン姿だったようだ。
『叡山=僧侶』の先入観からか。
- 13 :
- ●テント暮らし
一応言っておきます。真似しないで下さい。
テントと言っても、布やビニールシートを周囲の木に張っただけ。内部のスペースは2畳余り。
じめじめした杉林の中で、大田いわく「ムカデが気味悪かった」とのこと。
ろうそくで明かりをとり、食事は水を入れて柔らかくしたカップラーメン中心。あとカップ酒。
木の実や山菜も食べていた。
昼間は時々大津市側に下りることもあるが、ひたすら山中をフラフラする毎日だった。
雨が降ればテントにこもっていた。
長年の山暮らしで、比叡山の地理をすみずみまで知り尽くしていた。比叡山はまさに、
大田の庭だったと言える。
そんな大田と被害者女性が、東海自然歩道で顔を合わせたのは、午後2時頃だった。
- 14 :
- 【犯行】――自供を中心に
その時、大田の所持金は1万円を残すのみとなっていた。
「一人旅の女性なら誰でもいい。して金を奪おう。ついでにカラダも……」
腹を決めた大田の目にとまってしまったのが、一人で歩いていた被害者女性だった。
長袖シャツにトレパン、スニーカー。リュックを背負いウエストポーチを腰に巻いていた。彼女はいつも、
こうした格好で出かけていたという。
声をかけられ、彼女は気さくに応じた。並んで歩きながら、大田は旅行の目的や予定を聞き取る。
「地元の優しいおじさん」のような大田を、女性はまったく警戒しなかった。
大田は「話好きで、人のよさそうな女の子に見えた。『近道を教えてあげる』と言えばついてくると思った」
と述べている。
横川中堂に行くことを知ると、大田は途中で引き返し、ビールを飲みながら彼女を待つことにした。
そこは山道の分岐点で、ハイカーや一人旅の女性がよく通る要所だった。大田はそれを知っていたから、
先ほどの女性も帰りにここを通ると踏んでいた。
横川中堂から、秘宝館へ。ここで女性は30分ほどかけて仏像を見学した。目撃した職員は、
「背が高くて体格がよく、物静かな娘さんでした。髪を後ろできりっとたばねた姿が印象的でした」
と語る。
帰りぎわ、職員が『ありがとう』と声をかけると、彼女は軽く会釈した。おそらくはアグネス=チャンの
語るように、恥ずかしそうに笑いながら。
さらに別の職員が、秘宝館の方向から歩いてきて横川中堂側の階段を一人で降りている
女性を目撃。これが生前最後の目撃情報となった。
2時49分発の、横川発最終のバス(当時)に彼女の姿はなかった。乗り遅れたのか、歩きたくて
乗らなかったのかは、分からない。
- 15 :
- 木製の道標に腰かけていた大田のところに、先ほどの女性が戻ってきた。
大田は女性に、
「三千院に行きたいが、近道はありませんか」
と尋ねられたという。
狙い通りの展開。大田は真意を隠し通したまま、
「私はこの山で仙人のような生活をしていて、近道はよく知っている」と言うと、
先に歩きだした。女性もその後についてくる。
そこは近道などではなく、袋小路の獣道だったのだが……
足元にクマザサが生い茂る、うっそうとした杉木立の中。二人はかき分けるように獣道を
進んだ。日中でもあまり陽がささないうえ、前日に大雨が降り、地面はまだ濡れている。
「何度もつまずき、滑り、木にしがみついた」
と、現場に行った新聞記者は述べている。
被害者女性は、こんな道が近道だと信じて疑わなかったのだろうか。
大田がどのように被害者をついて来させ、
どうやって襲い、
彼女に何をしたか。
次回ではさまざまな説を、可能な限り紹介したい。
- 16 :
- http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww2.ttcn.ne.jp%2F%7Echipmunk%2Finoue.htm&hl=ja&mrestrict=chtml&lr=&inlang=ja&q=%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%B7%A7%E4%B8%80&output=imode&site=search
- 17 :
- >>15この事件初めて知った。 続きはまだですか?
- 18 :
- ありがとうございます。
では、続きを。
- 19 :
- 【襲撃】
被害者女性は空手二段。当時としては長身で体格もよかった。
痴漢に遭ったというトラウマもあり、簡単に屈服するとは思えない。
そんな彼女がなぜ、むずむざとされたのか。
まず、大田の供述によると、
「写真撮影にいい場所を教えてあげる」と言って、あちこちの写真を撮らせた。
また、お互いを撮影しながら進んだ。
女性は撮影に熱中し、大田に背を向けてカメラを構えてしまった。
その背後から、大田は彼女を襲った――
ということらしい。確かに害後、カメラを隠しているので、フィルムに大田が写っていた
可能性は高い。
疑問なのは、獣道のあちこちに『写真撮影にいい場所』があるのかということに尽きる。
よほど大田が言葉巧みに誘ったか、獣道の風景が女性の感性に訴えたのか。
そこから、脅して連れ込んだのではないかとする説もある。
被害者のズボンに切られたようなあとがあったことから、刃物で脅したのではないかと
いうわけだ。
ところが、遺体に抵抗した形跡はなかった。致命傷以外に目立った外傷もない。
前述の通り、もし相手が刃物を持っていても、必死に抵抗したのではないだろうか。
また、切られたあとは木の枝などによるものかもしれない。
やはり供述どおり、カメラを構えた隙に背後から襲ったと見るのが妥当だと思う。
勉強熱心だった被害者は、大田の巧みな説明に好奇心をそそられてしまったのかもしれない。
- 20 :
- 【害】
大田は背後から、女性の首に腕を巻きつけ、絞めあげた。
カメラを構えて両手がふさがり、相手に背を向け、しかも相手が襲ってくるなど夢にも
思っていなかっただろう。
当時から指摘されていたが、やはり空手二段程度で身を守ることはできなかった。
数分後、女性はとうとう意識を失い。仮死状態に陥ってしまった。
大田はとどめを刺す。背負っていたリュックの紐を抜き取り、もう一度女性の首を強く絞めて、
窒息死させた。
午後3時ごろだったと推定される。
- 21 :
- 【強姦はあったのか?】
腕で首を絞め、紐で絞。
この間に女性が犯されたのではないかという声も、当然聞かれた。
靴と靴下を履いただけの全裸状態に剥かれ、脱がされた衣類の上に仰向けに横たわっていた
のだから。
被害者は25歳。空手やスポーツで鍛えられた立派な身体を持ちながら、顔はどちらかというと
童顔だったらしい。
空手と仏像研究に打ち込み、日頃もTシャツにジーンズとラフな格好だった。ファッションや恋愛には
興味がなかったように見える。
だが、高校時代に痴漢に遭ったことといい、善人も悪人も惹きつける何かを持っていたのか。
大田もまた、ぐったりした彼女を前に欲情し、行為に及んだとしても不自然ではない。
剥ぎ取った衣類を裸体の下に敷き、挿入。欲望を満たした後、発覚を恐れて絞といったところか。
「挿入された痛みによって意識が戻り、慌てて首を絞めなおしたのかもしれない」と、
ある捜査関係者は述べている。もしそうだとすると、犯されていると知りながら何もできず、
死を迎えさせられたことになる。
この件について大田も当初、
「金と強姦が目的だった」
と明言している。ところが数日後には
「強姦はしていない。女性を裸にすることで、変質者の犯行に見せかけようとした」
と供述を変えている。どちらが真実か、自分は断定できない。
ただ個人的に思うのは、
「罪状に強姦が含まれると、官の心証もずいぶんと変わるのでは」
ということだが。
ちなみに検死では、強姦されたかどうかは諸般の事情で「分からなかった」。
- 22 :
- いずれにしろ、女性が文字通り身ぐるみはがれたのは間違いない。
大田は、シャツをブラやタンクトップごとたくし上げた。ズボンもショーツも脱がせ、
遺体の横や下に敷いた。
たとえ挿入しなくても『すべて』を見られており、忌まわしい視姦と言って差し支えない。
(また、『行為』は生前に行なわれるとは限らない)
リュックとウエストポーチを手に、大田はそそくさと修羅場を立ち去った。
後に残されたのは、全てを奪われ、仰向けに転がされた裸の女性だけ。
このあと彼女はなお十日間も、聖なるお山で素肌を晒し続けることになる。
だが間もなく、大田の自滅も始まる。それは被害者宅にかけた、脅迫電話から……
つづく
- 23 :
- ううむ、俺も初めてこの事件知った。一気に読んでしまいました。
1さん、続きを。
- 24 :
- 俺も初めて知った。
- 25 :
- 個性的な名前の女性でしたよね。
もう15年位前になるんですね。
- 26 :
- どうも。初めてこの事件を知った方が多いのは意外でした。ちなみに私も、
子供の頃にこの事件が起き、詳しく調べ始めたのはずっと後になります。
バブル絶頂期の1988〜89年。この事件と前後して、
『連続誘拐人事件』『女子高生コンクリート詰め人事件』という
日本犯罪史上最悪級の事件が相次いで発生しました。
それに比べると、この事件は犯人の面で地味ではあります。比較的早く捕まりましたし、
性格的にも著しく破綻しているわけではありません。
この事件を特別なものにしているのは、被害者なのです。確かに名前も特徴的でしたが、
その人となりはもっと個性的で魅力的でした。
文武に励み、仏師になる夢を追っていた女性が、もし無事であったら。
言っても仕方のないことではありますが。
では、続きをどうぞ。
- 27 :
- 【命の代価】
テントへと戻りながら、大田は戦利品のリュックサックとウエストポーチを調べる。
金目のものは現金3万9000円とトラベラーズチェック、カメラが入っていた。
トラベラーズチェックは本人しか使えない。カメラは質入れせず、
山中あるいは大阪市内で捨てたという。
結果的に、たった3万9000円のために女性は辱めを受け、されたことになる。
他にはスケッチブック、クレヨン、パンフレット、手帳なども入っていた。
女性にとって本当に大事だったのは、京都の思い出や研究成果がつまった、
スケッチブックやパンフレットだったはずだ。
しかし大田には価値がない。途中で、無造作に打ち捨てている。手帳はまだ、捨てていない。
そして、大田はなぜかウエストポーチをそのまま持っていった。これが後に、命取りとなる。
そして、大田はさらなる愚挙をしでかす。
- 28 :
- 【脅迫電話】
9月2日午前8時。千葉県某市の女性宅の電話が、突然鳴った。女性の母親が取る。
受話器の向こうから、関西なまりの男の声がしてきた。
男は母親の名前を正しく呼ぶと、こう告げた。
「八瀬から電話をしている。娘を預かっている。1000万円を京都まで持ってこい。誘拐だよ、誘拐」
大田は女性の手帳から自宅の電話番号を調べ、電話をかけたのだ。
しかし、大田は本気で金を脅し取ろうとしていなかったようだ。
大田が被害者宅に電話をかけたのはこれが最初で最後だった。身代金目的の誘拐なら、
受け渡し方法を細かく、数度にわたって指示するものと思われる。たとえ人質が死んでいたとしても。
では、なぜ電話したのか。大田は、
「娘は名古屋に行くことになっているだろう」
などと、1分近くも会話を交わしている。どうやら、万一女性が蘇生していたらと、家の様子を探ったらしい。
結局母親が、
「お金は用意できない」
と答えると、
「じゃあ娘の命はないよ」
との言葉を最後に、電話は切れた。もちろん、すでに女性の命は絶たれているのだが。
『ハリのある、関西なまりの男の声』――母親は、大田の声をはっきり覚えていたという。
両親はすぐに、警察に通報。千葉県警と京都府警は内偵を開始した。
- 29 :
- 【下山】
大田は厚かましくも、9月4日まで比叡山にいたらしい。さすがに捜査の手を恐れたのか
手帳を捨て山を下りると、大阪に向かった。
スポーツ紙の求人を見て、大阪市平野区の工場を訪れ、住み込みで働きはじめた。
取り立てて変わった様子はなく、仕事も手際がよかったという。
ただ、同僚には『警察に追われている』と漏らしていたという。同僚も同僚で、真面目に受け取らなかった。
食堂ではビールを飲みながら(またか)、イヤホンでラジオを聴いていたという。
捜査の進展を確認していたのだろう。
警察は依然として、女性の足取りをつかめないままだった。新たな脅迫電話もない。
9月8日。千葉県警と京都府警は、ついに公開捜査に踏み切る。
『京都を一人で旅していた女子大生が行方不明。自宅に、1000万円を要求する脅迫電話』
新聞各紙は夕刊で一斉に報じた。当然週刊誌やテレビも動き出す。
大田逮捕までの約1週間、数多くの憶測と証言が飛び交った。ここからは事態の進行とともに、
真偽入り混じる数々の新聞・雑誌記事を取り上げていきたい。
つづく
- 30 :
- なんで自宅に脅迫電話入れたんだろうね?
発覚が早まるのに。
- 31 :
- やはり、本当に死んだのか不安になり、様子を確かめたのでしょう。
それが合理的な判断だったかは別として。
いつも思うのは、この事件が今起きていたら、ということです。2chには
スレが乱立し、犯人と被害者への憶測が飛び交っていたのでしょうか。
見てみたいような、見たくないような。
また、ニュース映像などがネット上で入手できたかもしれません。
当時の映像が残っていないのは、本当に残念です。
では、続きをどうぞ。
- 32 :
- 【取材合戦始まる】
警察発表を基にしているため、新聞の第一報はどこも似たり寄ったりだった。
『千葉県某市の早大四年、○○○○さん(25)が、旅行中の京都で行方不明になった。
8月26日から30日まで京都市内の旅館に宿泊。31日にチェックアウトしたが、
同日夜に宿泊予定の名古屋のホテルには姿を現さなかった。
9月2日には男の声で自宅に、1000万円を要求する脅迫電話がかかってきた。
警察は女性が何らかの事件に巻き込まれたと見て、公開捜査に踏み切った。
女性は身長163センチ、やや肩幅が広い。
失踪当時の服装は白いTシャツに紺のジーンズ、スニーカーを履いていた』
前日まで、この事件は一切記事にならなかった。公表前に、独自に取材した報道機関も
ないようだ。
警察の情報管理が優秀だったのか、それともマスコミが……
ともあれ、マスコミにとっては公開捜査=報道解禁である。
各社は続々と千葉県某市に乗り込むと、女性の家族や知人に取材を始めた。
- 33 :
- 【美談また美談】
女性の知人たちは、口々に女性の人物像やエピソードを語った。
さっそく、
「痴漢に遭ったのをきっかけに空手を習い始め、今では二段の腕前。
自宅の路上で空手の稽古をすることもある」
という、彼女を象徴するような話が出る。なお、最初は空手の段が初段か二段かで混乱があった。
他にも、
「母親がケガをした際には一人で家事をこなした。近所でも評判の、活発で明るいお嬢さん」
「さっぱりした性格で、中学では陸上部で砲丸投げの選手。男勝りの強い女の子だった」
などなど、誰に聞いてもいい話ばかり。そして締めはお決まりの、
「無事に帰ってきて、あの明るい笑顔を見せてほしい」
しかし、それを『偏った評価だ』と非難することはできないだろう。してどうする。
さらに取材範囲は広がる。高校時代の担任や早稲田で卒論指導をしていた教授も直撃。
高校の担任いわく
「最近では珍しい『質実剛健』タイプ」「独立独歩で、自分でこうと決めたらやり抜く子」
「男に誘われたからといって簡単についていくような子じゃない」
など、性格を細かに語っている。
ちなみに、「男には真面目すぎて、近寄りがたい存在だった」と後で語ったのもこの担任。
早大の教授いわく
「分からないことは積極的に質問してくる。いつもの笑顔で、ひょっこり姿を見せてくれれば
いいのだが」
さらにさらに、とんでもない人までインタビューされたのだが、それは後で。
- 34 :
- だが知人とはいえ所詮は他人。辛かったのは報道陣が自宅に押し寄せた、女性の
両親であろう。張り込みの警官が伝言することもあれば、直接家の前で
コメントすることもあった。
病気だった父親が、メモを片手に玄関に立ち、
「ご心配とご迷惑をおかけし、申し訳ありません。とにかく、早く帰ってきてほしい」
と語る。
母親はドア越しの取材に
「この一週間、ほとんど眠れません。ただ無事でいてさえくれれば」
と答えたり、玄関で
「皆様の配慮に感謝しています。今後とも色々とお世話になるでしょうが、
よろしくお願いします」
とメモを読み上げた。
さらに、電話での取材もあった。
「行方不明になって日がたつので疲れています」
という答えだったらしい。そうとしか答えようがないだろうに。
- 35 :
- 【あの推理作家】
驚くのは夕刊フジで、推理作家の故・山村美紗にインタビューしている。
「事件の詳しい内容は知らないが、拉致された可能性が強いと思う。
旅先の京都で知り合って、少し仲良くなった男が、誘拐を企てたのでは。
実家のことは、話しているうちにそれとなく聞きだせるし」
「京都の根っからの住人じゃないかもしれない。京都は周りの目が厳しい所だから、
すぐ噂になる。一回身代金要求を拒否されて、あっさり諦めるのを見ると、
昼間でもぶらぶらしているような男じゃないかしら」
「しかしこの設定、まるで小説みたいね」
当たっているかどうかの判断は、皆さんにお任せします。
なお、彼女はこの事件を題材に「京都・比叡山人事件」を執筆……してません。
いくらなんでも。
- 36 :
- 【京都での日々】
一方、女性の足取りも少しずつ明らかになっていく。
26日に京都到着後、几帳面な彼女は毎日自宅に電話し、絵葉書を送っていた。
このエピソードに時代を感じる。
27日は南禅寺、六波羅蜜寺などを見学している。
28日は空手道場の友人と京都市内の仏具屋を訪ね歩き、写真を撮ってもらっている。
この写真は公開捜査に使われ、新聞雑誌にも載っている。
29日は忙しい。午前中に三十三間堂を見学。午後には著名な仏師を訪ねて、
仏像の彫り方や修理の方法を質問している。
次いで京都国立博物館の美術院国宝修理所を訪れ、学芸員に就職先があるかどうかを尋ねた。
「女性は修理員として採用していない」と断られる。そういう理由が通る時代だった。
30日は東寺へ。仏具店で、数珠を入れる袋も買っている。こんなものを買っているあたり、
本当に信心深かったんだなと驚く。
この間数回、旅館に彼女あての電話が来たが、すべて知人からのものだった。
そして31日、チェックアウト。従業員は語る。
「『お世話になりました』と明るく出ていきました。口数の少ない落ちついた女性でした。
『今回の旅行は雨にたたられて』とこぼしていました」
そう、27日と30日に京都では大雨が降っている。それにもめげず、彼女は京の街中を
熱心に歩いて回っていたのだ。
- 37 :
- 【そして比叡山へ】
JR京都駅に、女性は大型のリュックサックを預けた。
その数時間後。比叡山山頂へのケーブルカーの中で、神奈川から来た老夫婦が
彼女と会話していた。
彼らは2時間ほど行動を共にし、正午ごろ、別れたという。
「女性は比叡山で行方不明に」――これがフィクションだったらどんなに良かったことか。
次の日、事態はさらに絶望的な方向へと突き進んでいく。
つづく
- 38 :
- 今後はsage進行でひっそりと。
- 39 :
- 【リュック発見】
9月9日午後、横川中堂から約1キロ下流の大宮川の川辺で、捜査員が木の枝に引っかかった
リュックサックを発見した。
調べたところ、ふたの部分に女性の苗字と千葉県の住所が書かれていたため、女性のものだと
断定された。
リュックはモスグリーンで、縦35センチ、横40センチ。ふたは開き、中は空っぽだった。
このニュースは10日の各紙に掲載され(テレビだとさらに早かったはず)女性が何者かに
襲われた可能性がますます高まった。
そして。
- 40 :
- 【遺体発見】
10日午後4時すぎ、東海自然歩道から脇に300メートルほど入った林の中で、
捜査員が女性の死体を発見。
害から10日後、女性は再び全裸の身体を人目に晒された。
リュックが見つかった現場からは西へ直線距離で約1キロ、道をたどれば
約3キロ離れていた。
すぐ近くには樹齢300年の大木『玉体杉』がある。ここは行者や密猟者の他は、
ほとんど人通りのない場所だった。
女性は頭を北に、足を南にした状態であおむけに倒れていた。
着衣はスニーカーと靴下以外全て脱がされて、遺体の横や下に散乱。
泥で汚れたうえに変色した衣類は、上着と下着の区別もつかない状態だったという。
スニーカーだけ残したのは、面倒だったのか大田の趣味だったのかは分からない。
かろうじてスニーカーは失踪当時の特徴をとどめており、警察は遺体が
女性のものであると判断した。
また、遺体の周囲には女性の所持品であったクレヨン・スケッチブック・パンフレットも
落ちていた。
1.女性宅に脅迫電話がかかっていること
2.現場が人のほとんど通らない場所であること
3.遺体の状況
警察はこれらの事実から、女性が何者かに山中で襲われ、強姦後された人事件とみて、
合同捜査本部を設置。本格的な捜査に乗り出した。
「女子大生誘拐事件」から「女子大生全裸人事件」へ――話題性を増したことで、
新聞・雑誌の取材熱は一気に高まった。
これからわずかな期間の間に、おびただしい量の情報が活字となってあふれることになる。
つづく
- 41 :
- おお、更新されないと思ってたらsageてたのね。
続き楽しみにしてます。
- 42 :
- 探させてすみません。
では、更新した場合、最初の1レスをageにしますね。
- 43 :
- 【悲報走る】
遺体発見の一報が入ると、被害者女性宅では雨戸が次々と閉められた。
両親はショックで寝込んでしまったという。
それでも10日午後10時、大学教授の父親が玄関前に現れた。寝間着姿のまま、
顔はやつれきっていた。少し前に肺を患い、退院したばかりだった。
「取り乱しており、気持ちの整理がつきません」
と断ったうえで、父親は用意したメモを読み上げた。
「警察から、遺体が娘だと聞きました。でもやはり、信じられない。心当たりがありません。
現地にいつ行くかは、これから皆と話し合って決めたいと思います。
皆さんのこれまでのご配慮に心から感謝しています」
新聞によって文面が大きく異なるが、これが要旨だった。
彼を取り囲み、フラッシュを浴びせる報道陣、およそ50名。配慮……してるか?
この数がいかに世間の注目を集めていたか、そしていかにあっという間に忘れ去られたかを
物語っている。
- 44 :
- 【ヒロインのあらわなお姿】
さて。この記事を読ませたい(=売りたい)と思った時、最も強調するのはどこか。
おそらく、「遺体が裸だった」という点ではないだろうか。
事実、多くの新聞雑誌がその方法をとった。
調べた中で、最後まで「裸」という文字を使わなかった新聞は1紙だけ。
(その1紙も、服を脱がされていたことは書いていた)
タブロイド紙の双璧フジ・ゲンダイは当然大見出しにでかでかと「全裸」と載せ、
リード文にも本文にも書き、ある意味期待を裏切らない。
週刊誌ではフライデー・ポスト・アサヒ芸能・FOCUSが大見出しに「全裸」「半裸」と
大書。本文にも「スニーカーを履いただけの全裸」とか「全裸で絞」とかが盛りだくさん。
当たり前か。(ただ、そうしない雑誌も意外と多かった)
悲しいけど、このスレのタイトルも同類なのよね。
- 45 :
- こんな死に方しちゃった人は、もれなく雑誌等で晒し者に
なっちゃうのかな。
むしろ犯人よりも、マスコミに憤りを覚える。
- 46 :
- 【あふれ返る思い出】
失踪直後からいっぱい出ていた女性についての証言は、彼女が人事件の被害者に
なったことでさらに増加した。
●空手
「よく家の前の道で、空手の練習をしたり、トレーナー姿でジョギングをしていました」
「7年間、男子と一緒にきつい練習に耐えた。ボーイッシュな感じだったが、道場の
掃除を率先してするなど、細やかさもあった」
●勉強
「高校の頃は文芸部と美術部に所属。絵本作家を夢見ていたこともあり、紙芝居を熱心に製作。
文化祭には、自宅で徹夜で展示作品の油絵を仕上げる。芸術に関して人一倍の興味を持っていた」
「すすんで留年したほど仏像に魅せられていた。将来は仏師になって、国宝級の芸術に
直に触れるんだと常々言っていた」
「日大を卒業する前に教育実習で高校に来た。授業熱心で生徒にも慕われていた」
●性格
「本当に生一本」「いまどきにしては珍しいしっかり者」
「男の子みたいな行動力のある子」「男勝りの強い女の子」「大人しくてマジメ」
「ひたむきな努力家で几帳面」「活発な一方で慎重なところも」「しっかりした娘さん」
活発なのか大人しいのか……
●その他
「小学生の頃、ランドセルを背負ったまま家に遊びに来た」
「いつもジーパンにスニーカー、デイパックを背負った姿。ボーイフレンドもいなかったようです」
「体格が良くて、見るからに強そうな感じの女性。襲いかかろうなんて気を起こす男はいないと思う」
微妙に失礼な発言が混じっていますよ。
「黒丸だけ読んだ、乙」と言われてもおかしくない。
ここまで細かいエピソードが次々に出てくるのも、珍しいのではないだろうか。
何が、そうさせたのだろうか。
遺体のあられもない状況を書きつつ、生前の美談を満載。
それはコインの両面のように思えてならない。このスレもそうだが。
- 47 :
- 女って悲しいね。
犯人に辱められて、さらにマスコミにまで辱められるなんて。
自分に非は何もないのに
- 48 :
- 【犯人は誰だ】
同時に、犯人について、数多くの推測が飛んだ。
やはり一番多かったのが
「空手2段の女丈夫=とても一人では太刀打ちできない=複数犯ではないか」
という意見。
実際には空手2段といえども初老の男一人にあっさりとされてしまったのだが。
実は「空手2段は強い」というイメージが先行する中で
「空手2段程度では型を重視するため、実戦でそれほど役に立たないのではないか
=単独犯もありうる」
という意見は出ていた。素人にも、状況が試合とずいぶん違うことくらいは分かる。
ちなみに、某大学の心理学部教授の分析。
「犯人は若い精神病者。日頃から女性に押さえつけられた立場にあったのが爆発」
ふーん。
他には、
「怪しい紳士風の男」
「女性に声をかける不審な車」
といった情報も流れた。
共通していたのは「土地勘のある人物」という点くらいで、しかもそれは誰でも考え付くはず。
犯人逮捕までの間は、多くの大学教授や推理作家、そして記者や読者による
「探偵ごっこ」の時間でもあった。人事件はいつでもそうだが。
- 49 :
- 【自滅、始まる】
その頃、真犯人、大田正雄の耳にも、遺体発見の報が届いた。
ここで大田は、よせばいいのに信じがたい行動に出る(いつものことか)
遺体が発見された10日以降、大田は捜査本部に数回にわたって電話を寄せる。
「現場の東海自然歩道付近で被害者らしい人を見た」と。
さらには、
「女性がされた現場近くでバッグを拾った。以前、窃盗容疑で逮捕された
ことがあり、当時、世話になった刑事さんに詳しく話をしたい」
と大津署に電話をかけ、捜査に協力するそぶりさえ見せたのだ。そして実際に、
誰も大田をマークしていなかったのに、自分からのこのこ大津署へ出向いてしまう。
長期化するかと思われたこの事件は、人々の知らないところで急展開を迎えはじめた。
主に、犯人の頭の悪い行動によって。
つづく
- 50 :
- 続き、楽しみにしてます。
とりあえず仕事行ってきます。
- 51 :
- この犯人、まだ服役中かな。
出て来てもまたホームレスなんだろうけど。
- 52 :
- 一日あけてしまいましたが、続きといきましょう。
- 53 :
- 【司法解剖】
明けて11日早朝。
被害者女性の母親が、遺体確認のため新幹線で京都に向かう。
この一日は遺族や警察があわただしく動いた。
比叡山の現場では、警察による遺体の鑑識や遺留品捜し、聞き込みが始まった。
午前8時半から150人を投入し、女性のリュックサックが見つかった付近と、
遺体発見現場周辺を重点的に捜索。左足の下から女性の腕時計が発見された。
ちなみに9時から、延暦寺阿弥陀堂で女性の法要が営まれている。
午前11時35分に遺体の鑑識が終了した。遺体は担架で11日ぶりに比叡山を下り、
午後0時20分に、京大医学部の法医学教室に搬送された。
司法解剖は午後3時から行なわれた。
まず、女性が通院していた歯科医のカルテと歯の治療痕が一致し、遺体が
被害者女性であると断定された。
そして、遺体の首には布製のひもが、数回巻きつけられたままになっていた。
体の他の部分に死に繋がるような傷がなかったことからも、死因が絞であると
断定された。
着衣については、上半身の衣服はたくし上げられ、下半身の衣服は脱がされて
遺体の下に敷かれた状態だった。
生殖器も調べられたが、犯されたという物的証拠は最終的に確認できなかった。
- 54 :
- 午後、女性の母親が京都に到着し、捜査本部のある京都府警下鴨署を訪れた。
身元の確認を要請されていた母親だが、
「変わり果てた娘の姿は見たくありません」
と、遺体は見ないままだった。
結局、この日までに見つかったリュックサックなどを娘のものだと確認するに
とどまった。
午後8時10分、遺体が宇治市の会館に仮安置される。思えば害、鑑識、
司法解剖と何日も肌を露出した状態だった。ようやくこのあたりで遺体に服が
着せられ、女性の死後の恥辱も終わったのだろう。
この日、近畿管区警察局がこの事件を「管区指定4号事件」とした。これに伴い
合同捜査本部は捜査員をさらに増やし、103人体制とした。
- 55 :
- 【対面と会見】
9月12日昼すぎ、宇治市の会館の霊安室で、女性の母親がようやく娘と対面した。
せめてもの慰めか、棺は花や人形で綺麗に飾られていたという。
母親はハンドバッグから経典を取り出し、しばらく声を出さずに読経。娘が大事に
していた人形を職員に、
「お棺に入れてやって」
と手渡した。室外にもすすり泣きが漏れていた。
午後2時。斎場で、母親に見守られ、女性の遺体は荼毘に付された。
夕方 母親は上京区の京都放送会館で記者会見。喪服姿のやつれた表情だったが、
義弟に付き添われ、約10分間会見した。
「事件発生以来、警察や報道関係の方々(←そうかなあ)、本人と交友関係のあった皆様に
協力をいただき厚く御礼申し上げます。
一人の人間の生存を信じた多くの人々のご努力に、心よりお礼を申し上げます」
「本日、娘と自宅に帰れることになりました。25年間、一生懸命に体を鍛え、真剣に
生きた娘の姿を遺骨の節々に感じました。親としては、もう少し仏像の研究をして論文を
仕上げ、人生の区切りをつけさせてやりたかった。
京都を愛し、京都でこのような事件に巻き込まれたことが残念でなりません。
私はこれからも、娘と語り合い、京都の話をしていきたいと思います」
「胸騒ぎがして寝つけなかった時に電話があった。娘の行動を大変よく知っており、
娘の名前を正しく呼び、私の名前まで知っていた。40歳前後の男で、ちょっとどすをきかせた声でした。
自分の欲望のために若い生命を奪った犯人への憤りは、言葉に表せません」
(『欲望』という表現が意味深である)
最後に、
「る子を箱に納めて親の名をねんごろに書きし道に捨てめり」
と詠み、母親の会見は終わった。その言葉は、私ごときのレスよりはるかに重く響く。
- 56 :
- 【終わりの始まり】
話はその朝に戻る。
大田正雄は働いていた工場の社長に
「交通事故を起こした。警察に行かなければならない」と話し、給料を2万円前借りした。
ここでも嘘をつき、大田は工場を去った。2万円は……返ってこなかったと思う。
数日前に電話をかけた知り合いの大津署員と、大田はJR大津駅で落ち合った。
女性のウエストバッグを拾ったと打ち明ける一方で、人については厚かましくも否定する。
アリバイを述べ、自分が無関係であることを強調しようとしたのだろうか。
だが、バッグについて「拾った」「もらった」と話は二転三転。アリバイもあいまいだった。
さらに脅迫電話の声と年齢的に似ていること、比叡山の地理に詳しいことも疑惑に拍車をかけた。
警察は大田が事件と関わりがあると見て、厳しく追及を始める。
すべては、時間の問題だった。
- 57 :
- 【逮捕】
9月13日。
現場が報道陣に公開されているころ、朝から警察は大田を追い込みにかかっていた。
午後7時すぎ、大田は犯行を自供。
午後9時、大田正雄は人の容疑で逮捕された。
つづく
- 58 :
- http://read.kir.jp/file/read53932.jpg
- 59 :
- 【葬式無用】
午後9時半ごろ、犯人を逮捕したとの連絡が被害者女性の自宅に入った。
「娘にはかわいそうな思いをさせたが、犯人が捕まったので、第2の犠牲者が
出なくて良かったと思います。遺骨が帰ってきたら、犯人が捕まったよと報告したい。
安らかに眠ってほしい」
父親の代わりにおばが玄関先に現れ、父親の言葉を報道陣に伝えた。
その後、玄関の門にはこんな張り紙が張られた。
「本日はご多用中遠路ご来訪くださいましてありがとうございます。
生前、格別ご好誼をいただき肉親として心から感謝しております。
なお、娘の固い遺志により、通夜、葬儀、告別式などのことは行いませんので
悪しからず、ご諒承(りょうしょう)ください」
「自分が死んだら葬式などはしてほしくない」
女性は生前、周囲にそう語っていたという。その理由は記事に残っていない。
ただ、25歳の若さにして、彼女が自分の最期に理想を抱いていたことは確かだ。
冗談ではなく真剣だったからこそ、家族も彼女の言葉に忠実に従ったのだろう。
こうして彼女は最期まで『独立独歩』を貫いた。
- 60 :
- 【逮捕翌日】
明けて14日、犯行動機などについて本格的な調べが始まった。
害方法や動機についてはすでに詳しく説明しているので、ここでは繰り返さない。
大田は「申し訳ないことをした」と後悔している様子で、調べには素直に応じたという。
……それが何になるというのか。
正午すぎ 遺骨を抱いた母親がようやく京都から帰宅した。
遺骨を家にしまい、玄関に現れた彼女は
「犯人逮捕は新幹線に乗った後だったので聞いていませんでした。本当に犯人が
逮捕されているのならうれしい」と、やつれきった表情で語った。
- 61 :
- 【祭りのあと】
被害者の後は加害者がマスコミの餌食になった。
大田の半生と山暮らしが取り沙汰され、
「エセ破戒僧」「霊峰オオカミ」と散々な呼ばれ方をする。
「『酒を飲ませろ』とわめいた」「尼僧を追いかけ回した」といったエピソードが
まことしやかに書かれたが、それらはどうやら別人であったようだ。つまり、
紙上にデマが踊ったことになる。
実像は、>>12>>13で述べたとおり、拍子抜けするほどの小物である。
事件の与えた損害の大きさに対して、この人間の小ささが妙に腹立たしい。
害方法も詳しく解説された。
「悲劇を繰り返してはならない」「女性の一人歩きは危ない」と、
ありきたりな教訓もよく聞かれた。
だが、大田逮捕から1週間もたつと、すでに『解決』したこの事件は急速にメディアから
消えていく。9月16日に延暦寺で行なわれた回向法要の記事が取材としてはほぼ最後で、
あとは検証記事に変わり、遅くとも翌週には新聞雑誌は取り上げなくなった。
あれだけ騒がれた事件が、多くの人々の記憶から消えていった。
この板は「懐かしニュース」だが、この事件はまさに「忘れ去られたニュース」となりつつある。
- 62 :
- 【裁き】
大田はどうなったのだろうか。
10月4日、京都地検が大田を強盗人罪で京都地裁に起訴した。
11月20日の初公判では、罪状認否で起訴事実をほぼ認めた。
1990年3月6日、論告求刑公判。
検察側は
「霊地比叡山で惨したうえ、被害者の両親に脅迫電話をするなど残虐、
執ような犯行で地域社会に恐怖を与えた」
として無期懲役を求刑した。
3月30日、判決公判。
長は「人を疑うことを知らない被害者を裏切った責任は大きい」として、
求刑通り無期懲役を言い渡した。
そう、女性一人をあんなに辱めてしても、死刑にはならない。
うがった見方をすれば、大田は不安定な山暮らしから、逮捕されたことで
衣食住が保障されたとも言える。
大田が控訴したのか、現在の生死は、などは残念ながら分からない。
ただ生きていようと死んでいようと、社会に与えた損害をあがなえるはずもない。
女性は戻ってこない、それがすべてだ。
- 63 :
- 【事件の影響】
比叡山では「女性の一人歩きは危険」との看板が立つようになった。
同じ注意書きはガイドブックにも必ずといっていいほど載っている。
女性の命取りになったバスについては、最終発車時刻が延びた(はず)。
仏教美術界にとって、未来の研究家・仏師を失った意味は小さくないだろう。
彼女の死を乗り越え、後続(特に女性)が出てきてほしいと願う。
また「女性は修理員として採用していない」という京都国立博物館の姿勢は
変わったのだろうか。
- 64 :
- 【残された言葉】
1989年の暮れ、女性がよく利用していた奈良の旅館の女将に、
『女性からお礼のはがきが届いた』。女性の生前の言葉遣いをまね、
父親が代筆したものだ。
「みんな、俺のこと心配してくれてるってな。ありがとう。こんな事でへこたれてねえ。
今までどおり勉強してるから心配しないでくれよ。じゃあね、バイバイ」
「いろいろ親切にしてくれたから、俺、奈良での勉強は、いつも精一杯やれた。
本当にありがとう」
活発だったという女性の、肉声が伝わってくるようだ。
そして1993年。女性の日大での卒業論文が、本として出版された。
70ページ足らずなので、自費出版だと思われる。
この本の前文を、アグネス=チャンが書いている。そこから、等身大の彼女の姿を
うかがい知ることができる。
「いつも運動をした後のように、ちょっぴり紅潮した頬で……大きな瞳でまっすぐに
私の話を聞いていました」
「わからない時は目と目の間にちょっぴりしわができ、面白い時は白い歯を見せて笑い、
悲しい話の時は涙を流してくれました」
「授業が終わると彼女はよくデスクにやって来て……質問しました。そしていつも
スポンジのように私が話したことを吸収してくれました」
「短い人生の中で彼女は、十分に役割を果たしました」
そう、信じたい。
終わり
- 65 :
- 一応、以上で書きたいことは書きました。誰かが質問してきたら、答えられる範囲で
答えたいとも思うし、このままdat落ちも、それはそれでいいのかもしれませんね。
なお今回、多くの新聞雑誌を参考にしましたが、テレビ・ラジオの記録はまったく
入手できていません。メディアの一部でしかないことをご了承ください。
では、また。
- 66 :
-
- 67 :
- >>65おつかれさん!知らなかった事件を詳細に説明してくれて知ることができましたありがとう。ではまた、って…たまにはレスしてよ
- 68 :
- 知らない人が多いですね。なにしろ平成元年ですから。
この年といえば連続誘拐人事件、天安門事件、東欧の民主化、
参議院選挙与野党逆転、竹やぶ一億円事件、と世相を反映する印象深い
事件が多かったのですがこの事件も妙に印象的。
それは私自身が早稲田を目指していた浪人生だったことと被害者の名前
が個性的であったことにあります。
中卒の宿無しに早稲田の女子大生がされたことに人生の悲哀を感じました。
さらには9時前の各局のスポットニュースで被害者の母親が自宅前で悲壮な
表情で遺体発見のインタビューを受けていた映像も忘れ難いものでした。
- 69 :
- 当時中学生だったけど、この事件よく覚えてる。
手元にあるガイドブックにも、比叡山の女ひとり歩きは危険、ってあります。
- 70 :
- ちょうどこのニュースが流れていたころ、南アルプスを単独で縦走してました。グループ登山の人たちが、ラジオを聴きながら、これはやられてるとか、富士見平山荘事件を思い出す、などと言っていました。
富士見平山荘事件は小屋番が泊り客の若い女性を害するという、山屋に衝撃を与えた事件でした。
http://www.chichibu.ne.jp/~elf/3/field/file1.htm
それでも若い女性の単独行が絶えたわけではなく、この報道が流れているときも、何人か見かけました。
- 71 :
- http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/xsports/1154597375/27
- 72 :
- >>44
【ヒロインのあらわなお姿】ってひどいね。
- 73 :
- また首絞めか!!
もう飽きた
- 74 :
- で、スレ主は早稲田に受かったのか気になるところ
- 75 :
- 女の空手なんて護身には全く役立たない。
逆に逃げるのを遅らせて悪い結果になるんじゃないかな。
- 76 :
- 日野OL放火事件もこの頃だったかな。
- 77 :
- R起っ勃ってきちゃった
- 78 :
- ↑しね
- 79 :
- 最高ーっ!
- 80 :
- ↑バカ丸出しWWW
- 81 :
- 俺も|の先がヌルヌルになってきちゃった。(;´Д`)ハァモー
- 82 :
- むかし、群馬県の霧積高原でも同様の事件があったよね。
その事件は迷宮入りして時効になっちゃたけど .....
山での女性の一人歩きは危険だね。
- 83 :
- フォーカスとかの写真誌とかに現場の写真出てたけど
通学路だったとかで「知らない人にはついていかない」との立て看板
まあ大学生でも見えなかったわけどもないだろうけど
- 84 :
- これは|が勃つ事件でつね。
工女タソ ハアハア
- 85 :
- >>21
>挿入された痛みによって…
25才の女が|突っ込まれて痛み感じるかね?じゃあるまいし
- 86 :
- オレも空手有段者のマムコ舐めたい。。 (;´Д`)ハァハァ
- 87 :
- 死後10日も経つとに残った精子も愛液も腐汁と一緒に腐っちゃうよね。
犯されたのは明らかなんだからケーサツは犯人に犯し方を入念に自白させるべき。
- 88 :
- >>85
>じゃあるまいし
そ の ま さ か だ! いや知らないけど。
- 89 :
- のマムコ舐めたい。 (;´Д`)ハァハァ
- 90 :
- この被害者はだよ。
- 91 :
- 濡れてないのに無理やり挿入=痛いって事では
- 92 :
- >>91
それだ!
- 93 :
- 俺も空手2段のなめたい!!
うらやましい!!
- 94 :
- この被害者、工女さんという変った名前でしたね。
うちの親が「変な名前付けるからこんなことに・・・」
とかぼやいてたな。(ゴメンナサイ)
超まじめそうな、堅そうな女性でしたね。
一人娘でご両親とも当時かなりなお歳だったと
記憶しています。さぞがっかりされたことでしょうね・・・
この事件来、一人旅を禁止されてしまったので
よく覚えています。合掌。
- 95 :
- 顔写真ないでしょうか?オカズにしたいのですが
- 96 :
- う〜ん、オカズにするような感じじゃあ
ないと思いますよ。女の私から見ても。
- 97 :
- >>96
ブスなのですか?
ブスでもこの犯され方なら抜けるけど
- 98 :
- >>97
ブスっちゅーか、なんか私の記憶では
月ヶ瀬村のされた女子中学生とイメージが
かぶるんですよね〜(やっぱブスかな)
ホネホネっぽくて貧相な感じというか・・・
まあ、それで抜けるんなら勝手ですが。
(ご遺族、被害者の方、ごめんなさい)
- 99 :
- >>98
ありがトン
今からヌいてきます
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