2012年3月戦国時代178: 美濃斎藤家 (286) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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美濃斎藤家


1 :
蝮の道三
大男の義竜
凡愚の龍興
美濃三人衆
個性的な面々の斎藤家について語りましょう

2 :
斎と斉
どっち?

3 :
龍興は凡愚か
父親の急死で13歳の若さで家督継げと言われても、
なかなか苦労すると思うがどうだろう。
織田信長は17でした。

4 :
まあ20になるまで粘りましたがね

5 :
>>2
齋藤

6 :
道三乗っ取り以前の斎藤家は語っていいのか?妙椿とか。

7 :
どうぞ

8 :
石丸の乱が痛かったな。あのまま利仁流斎藤が美濃の支配層に残っていたら
信長侵攻時の美濃の結束は高かったかも

9 :
なら利三もか。

10 :
家臣に城を奪われた時点で擁護できんなあ

11 :
やはり竹中重治でしょ

12 :
龍興って何度か信長破ってなかったっけ?

13 :
殆ど負けだろう。破った戦いといえば十四条・河野島合戦くらいじゃないか?

14 :
道三の父はなんて名前だっけ

15 :
>>14
ミチロウ

16 :
>>14
長井新左衛門尉じゃ
松波基宗の子ともされるが、例の出世物語が親子二代にわたる話では?
と言われことが多い

17 :
もう親子二代説で確定でしょ。

18 :
世代的には一番しっくりくるな>二代説

19 :
道三は義龍以外に子供いたの??

20 :
いっぱいいたよ

21 :
五男は長龍だったね

22 :
>>19
義竜に手打ちにされたはず。

23 :
斎藤新五郎はどうなるのよ?

24 :
道三は謀将のイメージが強いが、戦も強い。
美濃内乱では同族から近江勢、
加納口の戦いでは尾張勢率いる織田信秀を完全に叩きのめしてる

25 :
大柄で病弱で謀略家な義龍のキャラがいまいち掴めない

26 :
実績が少なすぎる

27 :
http://s.pic.to/16uis
岐阜市にある織田塚。

28 :
義竜の死因は何?

29 :
(俗)斎藤義龍は道三の息子ではなく土岐頼芸の息子で身長2mでハンセン病だった
(史)義龍は道三の息子で身長も平均値で変な病には犯されてなかった。

30 :
父子二代の逸話が,
ひとり分にまとめられて伝えられてしまった
という定説で本当なのか?

31 :
今二代説である程度言われているのが、最初期の法華経を学んでいた僧
法蓮房として生を受けたが、その後その学友のつてを使い、美濃の名家長井家に
仕官した所までが、父である可能性が高く、その後斎藤道三の実父が亡くなったという辺りから
正式に道三(この時は司馬小説では庄九郎だったか勘九郎だったか)の名が出てきたらしい。

32 :
どこからが道三なのかな?
松浪庄五郎?
西村勘九郎?
長井新左衛門?
父は松浪基宗?

33 :
六角義賢が家臣に宛てた手紙に、道三の父親が小坊主、油商人、長井市への
仕官ということを経て、道三が長井氏を乗っ取り、美濃の国主になった。
と、書いてある。

34 :
斎藤秀龍・・・その道の人のような名前だね

35 :
>>33
ってことは西村勘九郎までは親父殿なのかな?

36 :
岩井三四二の斉藤道三書いたの面白いよ〜
書店で売ってるの見たこと無いけど。

37 :
日本大百科全書によると
(略)
 この俗説には混同があり、その前半部分は道三の父の事績で、道三の国盗りの過程は、
実際には道三とその父の2代にわたったことが明らかにされている。
妙覚寺学僧で還俗して西村を称したのは実は道三の父新左衛門尉(しんざえもんのじょう)であり、
新左衛門尉は守護土岐氏の有力家臣長井氏に出仕してしだいに台頭、
長井氏を称し長井氏惣領と並ぶ実力者に成長する。
新左衛門尉は1533年(天文2)死去するが、その子長井規秀(道三)の確実な初見も33年で、
同年もしくは34年、道三は長井氏惣領を討ち、
35〜36年、時の守護土岐二郎(実名未詳)を追放して頼芸を守護とする。
37年ごろ守護代斎藤氏の名跡を継いだらしく、斎藤利政と名のり美濃の実権を握ると、
やがて52年頼芸をも追放するが、子の義龍と不和になり、
56年(弘治2)4月長良川畔に戦って敗死した。
織田信長、飛騨の三木自綱はその女婿。 〈谷口研語〉

38 :
つまり長井新左衛門尉までが父
長井規秀→斎藤利政→道三ということね
ありがとうございます

39 :
どうも国盗り物語のイメージが強い。

40 :
じゃあ斉藤道三はいつ生まれたんだろ。

41 :
永正元年(1504)説があるね

42 :
義龍が長命なら信長は美濃攻略だけで一生終わりそうだな

43 :
義竜は結局頼芸の子なの?

44 :
わからない。
話自体はもちろん創作だけれども嘘から出た誠ってこともあるしね。
永久に分からないと思うよ。

45 :
斎藤家が支配してたのは美濃一国?西美濃?

46 :
西美濃じゃない?遠山がいたし

47 :
道三の幼名は峯丸といい、非常な美童だった。
また大変頭も良かった。

48 :
道三の生涯を書いた古い資料は『美濃国諸日記』と太田牛一の書いた『信長公記』がよく使われる。

49 :
美濃国諸日記は、道三一代立身説なの?
50 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

51 :
美濃って、東西以外にも中美濃とか奥美濃ってあるんだ
そこらがよくわかりません

52 :
父子説を裏付けてるのは
六角承禎の手紙と『近濃記』の2つ。

53 :
道三が美濃を取ったといわれているころは、
加茂郡北部や恵那郡北部は三木氏の支配圏。郡上郡の東氏も半独立状態。

54 :
斎藤妙椿の頃は、郡上の東氏や居益の長江氏を破って、威勢は国中に及んだんだけどね
土岐も守護代の斎藤も後が続かなかった
55 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

56 :
道三の親子国盗り説でちょっと疑問に思ってたことなんだけど
あの当時に書かれた資料には一代説て書かれてたりするの?
あるんなら、一代で国を盗るっていうインパクトある嘘を皆、揃って書いたってことかな?
そんな混合するほど人々の印象に残らない事件じゃないと思うんだけど

57 :
あげ

58 :
>>56
これを言ったら実もフタもないけど、
はっきり言って一代説も二代説も大差ない。
京都からきた商人が
美濃の一家臣の家と親交を持ち
ちょっと美濃に基盤を作ったところで
二代目(つまり道三)にバトンタッチだから、
実質、一代の国取りに等しい。

59 :
まあたしかに、二代説が正しかったとしても、
守護の部下守護代の重臣小守護代のさらにしたの家からだからねえ。

60 :
非常に亀だけど>>58丁寧にありがとう
なるほどと納得しました
だとすると、道三はやはり一角の人物ではあったのかな

61 :
守護代長井氏を乗っ取ったのかが第一段階。
守護土岐氏を駆逐したのが第二段階。
どこでも起こってる主家乗っ取りを2回やった稀有な例なんだろうな。
62 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

63 :
>>61
細かいつっこみですが、長井家は守護代ではなく小守護代ですよ。

64 :
そうだね。ごめんなすって。

65 :
龍興と新五の生き方は対照的だよな。
龍興は、ひたすら織田家に反目して朝倉とともに死亡
新五は、ひたすら織田家に仕えて本能寺で死亡

66 :
もし、道三の子供や孫に優秀なのがいたら、信長は天下を取れなかったの?
てか、なぜに美濃を攻めたのだ?伊勢はなぜ、後になった?

67 :
>>66
道三の遺言状があったからだろ
美濃を後回しにしても遺言状の効力が薄まるばかり
道三の後継者としての美濃攻略なら龍興政権の親道三派の離反も狙えたかもしれないし
と俺は思っているんだが・・・

68 :
道三の遺言状は存在そのものが怪しいけどな。
織田家側の史料である信長公記にしかでてこないし、
信長の美濃侵攻を正当化するための捏造な気がする。

69 :
この書状については偽書説もあるみたいだけど、道三の遺言状は
こういう感じで妙覚寺に残ってるよ。
ttp://www.geocities.jp/ootaka502/saitodousan.htm

70 :
まあ遺言状はともかく舅&盟友の敵なら一応大義名分が立つんじゃないか

71 :
確かに遺言状云々は置いといても名分のたつ美濃を攻めるのが常道じゃね?
それに美濃は豊かな国だし、主君が変わったばっかの国ってのは狙いやすいとも考えたかもね

72 :
義龍がもうちょっと長生きだったら、信長の天下取りも遅れていただろうな。

73 :
時差は出るだろうが、結果としては変わらんだろうな・・蓄えた国力差で押し切られた部分もあるし。
一番時差が出る、というか歴史が変わるのは、道三が生きていた場合な気がする。
北畠の方に伸ばしていけるかもしれんが、少なくとも義昭つれて上洛、はなさそうだ。
上洛するとしても普通に上洛か。斉藤あたりと一緒に。
でも今思うと、美濃の斉藤と尾張の織田、さらに三河の家康まで同盟出来たなら、かなり強力な勢力圏だよな。
74 :あぼーん:あぼーん
あぼーん
75 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

76 :
長井道利は道三の異母兄弟?

77 :
稲葉一鉄から明智光秀の家老になった斎藤利三の出自に詳しい人いますか?

78 :
詳しくないけど地元だと光秀の従兄弟か甥ってことで。

79 :
政宗>>>>>>>>>>油売り

80 :
>>77
道三が養子入りした斉藤家と遡れば道祖。

81 :
まぁ道三のスタート位置は、信長の親父信秀よりはましって言う程度。

82 :
>>81
信秀のほうが親の代の下準備がある分有利。
道三二代説をとっても、二代目道三より信秀のほうがまだいい立場からのスタートだな。

83 :
( ・ω・)?

84 :
そうかな?道三のほうが信秀よりはマシだと思うぞ。
小守護代と同等の力の家と、半国守護代家の三奉行の家だから。

85 :
弾正家のあった津島の経済力をバカにしてはいかんよ。

86 :
>85
津島って猪子だかの領分もあったらしいけど。

87 :
経済力だけで家の格は決まらないよ。
それに弾正忠家は織田ではあるが、守護代織田家と繋がり有るかは不明だし。
おそらく、道三の長井家と同じく、成り上がって織田の名を貰った家だろう、と言われてるし。

88 :
それでも一応国人をまとめる立場になれたんだから
金の力は偉大だな

89 :
織田弾正家は津田氏だったんじゃないかな
90 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

91 :
龍興が朝倉に亡命したのは同じ反信長派だから?
実母は近江浅井家の出だけど、浅井に対する信頼は低かったか。

92 :
義竜、超未熟児として産まれたはずなのに、
よくも無事に育ったものだな。
しかもデカく成長しおってからに。

93 :
稲  葉  一  鉄

94 :
>>91
朝倉と浅井では家格が違うし

95 :
龍興は道三みたいに朝倉を乗っ取ろうとしたんだろ。

96 :
龍興って庶子だったの?

97 :
>>96
それが通説みたい。
義竜も早世したし、子は多くなかったようだね。
龍興の子はどうだったんだろ?

98 :
義竜謀反の時には美濃三人衆+不破は同調したの?

99 :
龍興が一色なんとかって改名してたらしいけど
何か意味あるの?

100 :
一色范可なら義龍やん。

101 :
一色の由来はどこだろ?

102 :
騙り
深芳野が一色氏の娘って説もあるらしいがどうだろね

103 :
斎藤利堯も道三の息子だよね?

104 :
道三には、の強さで家臣や大名の能力を測るという奇癖があった。
濃姫を嫁がせた時、信長がうつけなら刺しせと短刀を持たせたのもその意味。
しかし侍女を通しての報告の書簡を読んで、道三は娘婿を天下人の器と思うようになった

105 :
>>104
それは面白い仮説あるね

106 :
竜興の正室って誰なん?

107 :
森可成が尾張に下って来た原因は?

108 :
>>106 子もいなそうだし、わかんないね
没年からすると いて当然なんだが

109 :
一部の越前朝倉氏の系図に義景の叔父の娘(つまり従姉妹)が龍興の室だった
とあるが、他に傍証資料も無いし。
龍興の晩年を慮れば、側室ぐらいだったら別に不思議でもないけど。

110 :
美濃三人衆の一人、稲葉氏は伊予の出なの? 一鉄は伊予守なのも偶然?

111 :
伊予河野氏の一族説と
美濃にもともといた藤氏と河野一族の合体説があるみたいだね
伊予守はわからないや

112 :
>>110-111
稲葉家の通字が「通」なのは、河野氏の縁者っぽいな。
林通勝(織田家の秀貞じゃなくて、松永家の家臣)とかも同系統かも。

113 :
あと一鉄の家臣だった斎藤利三と長宗我部が縁戚なのも、
どこか四国との縁を感じさせる。
この辺りのこと、詳しい人いないかな?

114 :
諸説あるが稲葉氏が伊予河野氏の末を名乗ってたのは確からしいな
尾張の林氏は稲葉氏から分かれたんじゃなかったか
斉藤氏と長宗我部氏の縁は分からんな、どういう繋がりがあるんだろ
普通ならもっと手近なところからもらうだろうし

115 :
>>114
長宗我部に嫁いだ利三の義妹は、将軍家の家臣の娘とかじゃなかった?
将軍家とのパイプ作りの一環じゃないかな?

116 :
>>115
>将軍家の家臣
石谷光政

117 :
西美濃の不破氏の家格は、稲葉・氏家・安藤と比べてどうだったんだろ?

118 :


119 :
国人の遠山氏や明智氏との関係はどうだったんだろ?

120 :
悪くないけど支配しきれてない感じで。

121 :
長良川の合戦で道三側についたのは明智だけ?(しかも中立)

122 :
信長の姉妹が道三の室になっているようだが
彼女は道三の死後どうなったのだろう?

123 :
斎藤家って身内の管理がしっかりできない
から息子に親されたりするんだ こいつらの家庭環境悪そう
まるで信長が道三を見しにしたかのように見られるけど
信長自身人様のお家騒動なんかに付き合いたくなかったんだと思うが
まあ道三が生きていたほうが信長は美濃強奪しやすいとは思うがね 

124 :
道三、義龍以外の子はかわいがっているみたいだから
家庭環境悪いのとは違うような・・・。
結局無理な国盗りのツケが回ってきたのだろう。
道三が生きていて信長にメリットがあるのは
美濃攻略なんて事より尾張での自分の地位の確立だろう。
信長と道三の関係はただの義理の親子関係以上に、
互いを深く認め合っているように思う。
完全に道三の死戦となる長良川の戦いに
信長が自ら参戦したのも、
道三への敬意のためと思うな。

125 :
どうざんは二人いたかもしれないから、子供もじっしじゃないから、冷たくあしらわれ実子じゃないたつおきが決起してつぶれたと思う。

126 :
>>125
小学生かい?
まずは世間に流布している様々な説の根拠を調べよう。
>どうざんは二人いたかもしれない…誰の書いた何ていう本に載ってるかな?
>子供もじっしじゃないから…実子じゃないとしている本の名前は何かな?
>冷たくあしらわれ…道三が義龍を冷たくあしらっていると書いている本の名前は何かな?
そういうところから歴史を再認識してみよう。

127 :
別に信長斎藤家の人間なんかしてないじゃん

128 :
春日文書には筒井やら寺社のことやら載ってるようだが どんな文書なんだろか?

129 :
>>121
亀だが、『美濃国諸旧記』によると
道三側の武将は以下の通り。
川島掃部助唯重
林駿河守正道入道道慶
道家助六定重
道家清十郎
高橋修理治平
竹中遠江守道治
竹中主水氏泰
川村図書良秀
片桐縫殿助為春
溝尾庄兵衛茂朝
大塚藤三郎昌宗
三宅式部信朝
桑原十郎左衛門久明
神山内記義鑑
神山主馬正長
神山彦八定常
松原治郎左衛門義保
岩手弾正道高
大沢治郎左衛門為泰
中村宗助秋益
井上加々右衛門頼久
大西太郎左衛門勝祐
一柳右近直秀
山内伝兵衛盛重
飯沼杢之助知俊
鷲見新藤次基綱


130 :
>>129
道家、竹中、溝尾、三宅辺りは後の織田家と縁がある連中だ。

131 :
竹中遠江守道治って 半兵衛の親父重元のことなのね。

132 :
道三の正室は明智光継の娘か。

133 :
斎藤家はローマ出身だ

134 :
正面は岐阜県だ〜!

135 :
義龍って身の丈何尺?

136 :
6尺3寸らしい。阿部ちゃんくらい?

137 :
結構高いね、サンクス

138 :
もう、小倉女は権力者の肉便器でその程度の女だったってことでいいじゃんW

139 :
>>25-26
道三が果たせなかった斎藤家の本格的戦国大名化はほとんど義竜がやってるよ
永録2年の信長の上洛と前後して上洛し朝廷から式部大輔に任官されてる
弟や岩倉織田家や今川との戦いに忙されていたとはいえ、
5年間の間信長の美濃侵攻を阻んでいるのだから凡愚ではないね

140 :
龍興、美濃を奪われても諦めず朝倉で再起をはかる姿勢はカッコいいよな。
普通は大名から転落したら自したくなるだろ。

141 :
>>139
信長が美濃を攻め始めたのは桶狭間以降で、それ以前にはない。
滅茶苦茶なひいきのひきだおしだそりゃあ。

142 :
斎藤義龍と織田信長の合戦は、
弘治二年、斎藤道三が長良川合戦で敗死した後の大浦合戦、
弘治三年、織田信広が斎藤義龍に内応した時の対陣、
永禄三年、森部六月合戦と八月合戦、
他にもあるかな?

143 :
>>140
最後は越前で1人の武将として戦死とは、数奇な運命だな。
弟の長竜は織田家に仕えているというのに……。

144 :
>>143
それも「家」を存続させる武家の習い。

145 :
>>142
>>141が言ってるのは「義龍と対立していない」ではなく「美濃を攻め取ろうとしていない」
つまり守り抜くもなにもそもそも桶狭間以前は侵攻していないって事じゃないのか
長良川の件は道三の援護、信広の件は離反者討伐だから美濃取りが目的ではないし
森部合戦は今川の脅威が無くなった桶狭間の直後だ

146 :
あ、信広の件は事前に失敗だったか
まあとかく信長から守り抜いたからってのは妙な言い分だと思う

147 :
>>145
>>141が言ってるのは「義龍と対立していない」ではなく「美濃を攻め取ろうとしていない」
>つまり守り抜くもなにもそもそも桶狭間以前は侵攻していないって事じゃないのか
146
>まあとかく信長から守り抜いたからってのは妙な言い分だと思う
142は最初に『斎藤義龍と織田信長の合戦』と書いてあるように合戦の確認。
141の反論ではないよ。
森部合戦もわざわざ六月と八月と書いたし。
『他にもあるかな?』と確認までしている。
私的には斎藤義龍も織田信長も自国の問題が山積で後回しだったと思います。
まあわざわざ書くことでもないですが・・・。

148 :
たしかに義龍の時代では、国内安定度は美濃が上で、義龍が尾張にちょっかいだして、
信長がそれに対処するという関係だった。
これで「信長から守った」というのはおかしな表現だろう。

149 :
この流れに関連していると思いますが浅井家や六角家との外交関係も注目してみたい。
斎藤義龍と浅井長政は戦をしているんだよね。

150 :
六角義治の正妻は義龍の娘なんだね。

151 :
そうだよ。

152 :
   斎藤道三
   /   \
織田信秀-明智光継

153 :
六角ともっとうまく組めなかったのかな?

154 :
149です。
>>153
六角義賢の関心事は畿内の情勢。
斎藤義龍の関心事は美濃の統治。
六角・斎藤の同盟の内容は『両家の不可侵&対浅井長政戦略』かな?

155 :
六角は京の争いに介入してきた一族だからね。
六角からみれば背後の不安を無くす というところだろうか。
斎藤はどの程度尾張を不安視していたのだろう?

156 :
Sengoku Adventure マムシ

157 :
道三のときは六角とはどうだったの?

158 :
土岐頼芸の室は六角定頼の娘だし 頼芸はまず近江に逃れている。

159 :
斎藤道三や義龍は信長を暗しようと
していました そのために濃姫を織田家に
送り込んできたのです
そのため信長が濃姫を大切にせず男色にふけったのは
濃姫が悪い
息子や娘を暗の道具に仕立て上げている
道三は鬼畜でしかない
息子にされる哀れでみっともない末路は
道三が愚かな人間であることの証である

160 :
信長よりみっともない死に様
道三wwwwwwwwwww

161 :
斉藤さんに義経頼朝の真似事ができるか

162 :
最近六角承禎文書の研究報告があがったが道三は二人って説が
有力になったようですな。信長公記の道三イメージが払拭
されるようですし。

163 :
>>153
六角は観音寺騒動以降家中が混乱してとてもじゃないがまともに連携なんて出来ない。

164 :
美濃の小勢力を語る〜稲葉・氏家・安藤・不破 他
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214108829/

165 :
六角が影響力持っていたのはやはり定頼の時代だな。

166 :
そうだね。

167 :
ノブ野暮ではまず尾張を攻め取って織田家臣をみな家来にし、義龍が氏んだ時点で秀吉に痕を継がせるのが王道。

168 :
龍興には子孫いるよね?

169 :
いないんじゃないでしょうか

170 :
いるよね

171 :
はっきりとした確証がないけど、
子孫だとされる系統はいるんじゃなかったかな?
側室系統だとか。
単なる自称なのか、本当なのか、
特に誰も研究対象にしてないから、はっきり分からない。

172 :
知られてないという事は 旗本御家人や大名の重臣にはなってないって事だね。

173 :
興龍はなんで美濃を退去したあと、一色を名乗ったんだろ?

174 :
>>173
母親が一色氏の出だったからでは?

175 :
斎藤義龍も一色を名乗ってるよ

176 :
〓戦国武将人気投票Z〓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1221233990/

177 :
妙珍が長生きしていれば

178 :
道三は妙椿の子孫?家名上ではそうか。

179 :
斎藤利良の名跡を継いだんだよね

180 :
妙椿は強いよね。

181 :
強いわ悪いわ抜け目が無いわ>妙椿

182 :
戦国武将人気投票
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1227373466/

183 :
>>181 悪くて抜け目がないって なんかいいですね。

184 :
>>183
しかも風流の道まで心得てて、当代の歌人達とも親交も深かったんだぜ
一条兼良、東常縁、宗祇、この人ら全員妙椿と親交があったという驚異
このことがかの有名な逸話へとつながることになったわけだが

185 :
妙椿自身は守護代じゃないんだね

186 :
幕府奉行衆として、土岐家からもある程度独立していた特殊な存在だね。>妙椿
そういえば織田家も、朝倉の尾張守護代であり、なおかつ将軍直属の奉行衆だったな。
戦国時代って実はこの、奉行衆というものの存在を頭に入れておかないと理解できないよね。

187 :
>織田家も、朝倉の尾張守護代であり
斯波のと思う

188 :
織田も朝倉も守護代

189 :
そういえば竜造寺も守護代だったな。

190 :
森可行、可成親子は一体何時ごろまで斎藤の家来だったんだ?

191 :
道三の死後に織田に仕えたのかな

192 :
道三死ぬ前から寝返ってたみたいだ。
1554年の織田の戦でもう森の名前がある。
元々、代々土岐氏に仕えてる家柄だからあまり道三と仲は良くなかったのかも。

193 :
一部の土岐旧臣の抱きこみに失敗してた感がある道三
森可行&可成親子(土岐氏譜代の家柄)
坂井政尚(森と同時期に出奔)
金森政近&長近兄弟(土岐氏庶流)
蜂屋頼隆(土岐氏庶流)
存命中にこれだけ逃げられてしまった。しかも織田に。

194 :
土岐旧臣は含む所あるだろな。

195 :
当然といえば当然。

196 :
土岐って源平合戦より前から美濃にいるんでしょ。

197 :
齋藤多幸丸の子孫登場

198 :
文麿よりれっきとした近衛さん。

199 :
道三は家督問題で内乱
義龍は宗教問題で混乱
龍興は家中問題で叛乱
統治の下手な一族なのか治めにくい土地なのか

200 :
>>199
>義龍は宗教問題で混乱
これ詳しく。
宇喜多みたいに、信仰の違いで出奔者でも出たの?

201 :
別伝の乱の事だと思うが、どういう乱か俺には全然わからん。

202 :
>>193
織田家に寝返ったというのは深い意味が有るんじゃない?
いずれは義龍に自分が破れるのを見越して、娘婿のところに
やったって言うのは?ないか?!

203 :
>>202
森と坂井は、信長と濃姫の婚姻前だからないんじゃないか?
森可成の正室は、濃姫についてきた美濃衆の娘で、信長が仲を取り持ったと言われるが、
道三に従った美濃衆と、離反した美濃衆の結びつきを強くして、
尾張での美濃衆同士の反目を防ごうとしたんだろうか?

204 :
本貫地を捨てて移住する武士というのは不自然だな

205 :
斉藤静六は直系子孫

206 :
寝返ったというより美濃から排除されたのかもね。

207 :
別伝の乱ってぐぐってもよくわからないな

208 :
別伝の乱は
1559年だか1560年に義龍が自分の師である別伝を美濃禅宗のトップに立てようとした事件、
禅宗主流派を巡っての宗派争いが発生、当初は義龍を背景に別伝らが優勢に立ち、
快川和尚ら本来の主流派は美濃から逃亡、
しかし逃亡した快川和尚らは全国の禅宗の支援を受けて美濃に帰国、
これに対し義龍は足利義輝の権威を利用して対抗、(義輝宛だかの書状あり)
これから美濃はどうなってしまうんだって所で義龍死亡、
これを機に主流派は盛り返して、別伝は国外へ逃亡、別伝派の寺社は焼き討ちされ廃れる、
といった感じの乱。
義龍が生きていれば信長は・・・といった意見をよく耳にするが、あながちそうとも言えない、
ある意味いいタイミングで死んでくれたといえないことも無い。

209 :
それはどうだろう?義龍死亡前では別伝有利だったし、
大規模な乱に発展したかどうか。収まるところに収まったんじゃないかと。
この程度の宗教問題はわりと多くの大名が抱えてたしね。

210 :
他国の寺社がどう動くかだな、あと他国の軍勢がそれに呼応するかどうか
本願寺みたいに全国規模での支援体制が整っていたりすると厄介なことになりそ
また長引けば織田や浅井がどう動くか

211 :
臨済宗だからなぁ。本願寺とは違いすぎる。単体での軍事力はそれほど期待できない。
結局他国の大名頼りになるんだけど、それ言い出したらどこの大名でも
いえることだしなぁ。比叡山とか、興福寺とか、諏訪社とか。
俺にはたらればを五六個積み上げないと大規模な内乱になる絵が見えてこない。
もちろん義龍が生きているというのもその一つだけど。

212 :
臨済宗は体制よりだよね。

213 :
妙心寺派は土岐氏とともにある体制派そのもの。

214 :
美濃には妙心寺派多いんだね。

215 :
宗教問題は厄介だからなー
武田の原も宗教問題のせいで一時期出奔したらしいし

216 :
>>208
それは義龍死後に別伝の乱が原因で滅んだというなら理解できるけど、
実際はそれほどの影響が見られないし、ちょっと考えられない。
というか、この程度で滅びるのなら織田も朝倉も武田も上杉も最上etc・・・も
数回滅びてなきゃならんわなぁ。

217 :
禅系って争わないイメージだったのに。

218 :
禅宗と一揆は遠い感じ。

219 :
一向宗だって宗旨は戦いそうにない。

220 :
司馬の国盗り物語二巻まで読んだ
主人公(道三)は何でも出来る完璧超人、周りは皆凡愚、愚鈍
みたいな典型的なアレでがっかりだわ

221 :
典型も何も、そう言う典型を作ったのが国盗り物語だろうに。

222 :
それ以前は題材として取上げられる事もなかったかな。

223 :
講談とかにありそうだが。

224 :
ないだろうな。

225 :
じゃあ芝居か。

226 :
民間伝承なのかな。

227 :
蝮というのは新九郎(道三)よりも
親父の長井新左衛門尉に相応しいと思いますね。

228 :
どこらで入替わるの?

229 :
長井の家臣ぐらいかな。

230 :
道三肖像模写鮮やかに
 安土町下豊浦の県立安土城考古博物館で、美濃国(岐阜県)の戦国武将・斎藤道三の画
像(重要文化財)が公開されている。同館が2007年から実施し、鮮やかな色彩を再現
させた同画像の復元模写も同時に初公開。退色が進む原本と見比べられるよう、並べて展示している。
 重文の画像は縦97・6センチ、横46センチで、常在寺(岐阜市)の所蔵。1556
年に息子・義龍(よしたつ)との戦いで敗死した父・道三を悼むため、織田信長に嫁いだ娘の濃姫が
同寺に寄進したとされる。
 肩衣(かたぎぬ)を着て扇を持ち、上畳に座った姿。戦国時代に道三を描いた唯一の画像とされるが、
退色が著しく、元の色が分からない状態だった。
 同館が専門家の協力を得て画像を解析したところ、素材の絹を「蘇芳(すおう)」という赤い染料で
染めた後、岩絵の具で彩色したことなどが判明。これを基に、文化財の保存や修復の
尽力者に与えられる「読売あをによし賞」の第1回奨励賞を受賞した模写制作家の富沢千砂子さんが、
当時の染料など使って慎重に復元した。
 同館で開催中の秋季特別展「戦国の城―安土城への道」で、11月8日まで公開する。
大人660円、高校・大学生500円、小・中学生350円。月曜休館(祝日の場合は翌火曜)。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20091017-OYT8T01207.htm
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20091017-450042-1-L.jpg
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20091017-450059-1-L.jpg

231 :
マムシってコブラの事なのか?

232 :
森と坂井って仲悪いから、別々の時期に出奔したのかと思ってた。
森←土岐、坂井←斎藤って感じで。

233 :
>>231
コブラは動物園にいる
マムシは草むら・田畑の畦・山どこにでもいる

234 :
本州にはハブすらいないが。

235 :
ハブ空港すらない。

236 :
戦国時代の日本人はコブラなんか知らないだろ

237 :
コブラといえば宇宙海賊かジョージさん

238 :
六波羅と共に大量自害した斉藤利行一族も関係あるのか?

239 :
>>227
岩井三四二氏の「簒奪者」では新左衛門尉がそのあたりの片鱗を見せてますね。
新九郎は親父の支持通りに動いている印象でした。

240 :
まさに2代でなんだ。

241 :
天道の武将ファイルですらも二代説が通説と書いてあったな

242 :
最近の学会ではそうなのかな

243 :
いつ頃代替わりしたと思われてるんだ?

244 :
美濃斉藤氏の子孫は江戸まで一切残ってないの?

245 :
道三以前の斉藤さん?

246 :
>>244
道三の子孫じゃなく、道三以前って意味?
直系男子はいないんじゃないか?
女系だと、稲葉家に血がつながってるけど。

247 :
真偽は知らんが以前子孫を名乗る人きてなかったっけ?

248 :
長竜の系統も全滅だっけ?

249 :
藤原利仁
斉藤実盛
斉藤利行
土岐頼員妻
斉藤玄喜
斉藤妙椿
斉藤利三
斉藤福子

250 :
質問です。一色義輔(斎藤龍興)の改名過程は
龍興→義糺→義輔
で合っているんですか?又それぞれの諱は一次史料で確認がとれるのでしょうか?

251 :
>>246
斎藤利三の斎藤氏は春日局の子女が大名になっているんだけどな。
斎藤徳元が確か道三の一族じゃなかったっけ?
>>250
確か、稲葉山城にいたころは一色氏を称していたので、後ろ二つの名前でよかったはず。
ほかにも義棟とも名乗っていたみたいだな。

252 :
あげ

253 :
出典知らないけど義糺・義輔・義棟のほうが義龍の継嗣として正統っぽいね。
龍興という諱が庶子説のプロパガンダに見えてくる。

254 :
>>253
義棟は武田神社所蔵の書状で名乗っている。
義竜は安藤氏や竹腰氏などの重臣にも、一色氏の有力被官の姓を(安藤→伊賀など)
名乗らせているので、それも考慮すると「一色左京大夫」の後継者としての諱はやはり
「義」の字を使ったもののほうがふさわしい感じがするな

255 :
確か、能登の方にも斎藤家いたよね

256 :
いろんなとこにいるよ

257 :
鎌倉幕府の文官として一族が拡散したからな

258 :
後醍醐帝の御作戦にスパイを送り込んだ朝敵だな

259 :
上州斎藤家 佑樹は1

260 :
義龍の名前は、一色氏としての名前だから、
斎藤高政→一色義龍
となるんだよね。

261 :
鎌倉幕府文官斉藤氏の子孫は春日局の兄弟が旗本にいたよな?
道三系は本能寺で信忠と共に滅んだんだっけ?

262 :
長龍だっけか

263 :
長龍ってだれ?
ゲームじゃないんだから。

264 :
ああ、正しくは利治なのか

265 :
斎藤利三も血族なのん?

266 :
道三の一族ではない

267 :
>>265
本来の斉藤一族

268 :
「100人乗っても大丈夫」稲葉山城攻撃中に城壁が倒壊。23人がケガ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/river/1293804606/

269 :
利治は信長信忠に厚遇されていたらしいけどそんなに優秀だったのかね?
確かに飛騨から越中に侵攻して上杉軍を撃破する大戦果上げているけど

270 :
新五郎は優秀かどうかよりも、信長に国譲り状を残した道三の実子で、
その国譲り状を信長に実際に渡したと言われる人物だし、
信長正室で信忠の養母濃姫の実弟な訳で、その人間が信忠につけば
わざわざ道三の名である勘九郎をつけた信忠の美濃支配が巧く行くという
思惑そのものも大きく働いていると思う。

271 :
加治田の斎藤利堯について

272 :
847 :人間七七四年:2011/12/02(金) 21:40:51.76 ID:VprH9eM9
光秀に信長がやられた後に
加治田の斎藤利堯が岐阜を奪って
勝手に安堵状をばら撒いたのは有名だろ。
道三の子だし状況によっては美濃国主になれると計算したんだろう。
852 :人間七七四年:2011/12/03(土) 00:13:34.41 ID:sxP/Yxyu
>847
信玄が加治田も味方って書いてるから
斎藤利堯も内応してんだよね。
だから中美濃から東美濃西部にかけて
一気に信玄側になびく可能性が高い。
美濃金山城主の森可成は元亀元年9月に討死して
嫡男の森可隆も同年4月に朝倉軍のために討死してるし
森長可はまだ15歳だから
斎藤利堯の影響力の方が大きいのは間違いない。
また東美濃東部を支配する岩村城遠山氏は
遠山一族惣領家だから武田方に味方して
秋山隊を呼び込んだから、信玄本隊がやってきたら
遠山一族も騎下に組み込まれるのは間違いないね。

273 :
880 :人間七七四年:2011/12/05(月) 17:06:19.11 ID:df3EnClf
>852
道三の息子である斎藤利堯は稲葉一鉄の甥だからね。
この2人って本能寺の変があった時に美濃を横領して自立しようとしてたほどだし
武田軍が大挙として美濃へなだれ込んだら加治田の斎藤利堯だけでなく
美濃西部で大垣の北に位置する一鉄の清水城あたりが伊勢一向宗と共に挙兵すると考えられる。
 また竹中と共に稲葉山奪取した経歴のある
大垣北東の北方城の安藤守就は天正8年のことになるが
武田に内通を理由に信長から追放を受けてる。
信長が北伊勢へ攻撃をかけた時には三人衆の謀反の噂が流れて撤退してこともあり
基本的に斉藤氏を売った西美濃三人衆はいつ織田を売ってもおかしくない。
>>875>>876
そもそも福原一門全員が興元と上洛したわけじゃないし
井上一族に元就の多治比が奪われた苦労話は池亨氏も実に怪しい話で信じ難いと却下してるね。
井上はのちに元就がして重要通行路収入の利権収奪してるから井上の罪状をでっち上げる必要があり
城を乗っ取られたとかウソを書いて元就正当化に利用しただけ。
 元就黙とか福原の叔父さんとかみんな何やってんだよ?と思う。
過去を振り返った書状で元就は自分を天涯孤独って言ってて、
叔父さんどころか家督争いでした弟までいないことにしていたり…
尼子が相合元綱を使って元就を追い落とそうとしたってのも捏造だしね。
7/15に幸松丸が突然死して7/19には元就擁立決定。 動けるのは実質たった3日しかない。
その間に元就擁立を確定づけたのはたまたま上洛し神仏詣をしていた栗屋元秀が
将軍から相続許可を貰ってタイミングよく帰ってきたことと尼子から家督を継ぐことを元就が認められたことがある。
明らかに3日の間に相合元綱を出し抜いてる。
どう考えても幸松丸死去以前から家督奪取へ向けて計画し動いていたとしか理解できないし
元綱がいつ死んだのかもわからないどころか元就自身が天涯孤独だと言って元綱の存在自体を抹消してる。
元就の人生は捏造ばっかりで怪しいことばかりだからね。
 柒谷宛て児玉就忠・桂元忠連署書状で
尼子家との今までの経緯を説明する中での冒頭に尼子方として西条陣に出陣した幸松丸が死んだことに触れられ
毛利之家督を元就可存之旨、従與州被仰候て、事を存候処に、
其以後渡辺之者共能州(尼子筆頭家老亀井秀綱)へ色々頼申故、不被打置、
荷擔(負担を尼子が担がされる)させられ候つる、其外御取扱無曲子細敷多候に付、
しかるに防州へ仕えたと、元就が尼子へ渡辺を派遣して懇望してくるので尼子も捨て置けず荷物になるが
元就を後援してやったが元就が尼子を裏切り大内に仕えたと経緯を説明してる。
その後の文章は塩冶興久と経久の対立における毛利の対応についての弁明が続く。

274 :
もし斎藤利堯が信玄と通じてたり、本能寺の変に乗じて、
美濃独立を考えていたとしたら、
相当の変人だよな。

275 :
このラジオはかなりマニアックな戦国トークをしてるよ。
字幕も出るからわかりやすい。
第3回は「斎藤妙椿」だからきいてみ。
http://www.suki-radi.com/

276 :
ほほう

277 :
age

278 :
まあ元亀3年っていったら
織田配下に入って間もないからねぇ。
しかも濃姫は冷遇されて実子に恵まれてないどころか、
加治田の旧主は家を乗っ取られたも同然だから
その配下国人層の意向次第で鞍替えしないと
維持できないだろ。

279 :
>>278
濃姫が冷遇されたかどうかも全く史料にないから分かりません。武功夜話はなしですよ。

280 :
国人の意向とやらも史料ないしな。

281 :
1565年9月28日に織田への味方をして孤立奮闘してた
加治田城の佐藤紀伊守親子って信長に会って
感涙にむせび言葉も無いほど感激してありがたがったんだけど
翌29日に龍興が信長と決戦に出てきたら、
佐藤紀伊守親子を見捨てて信長逃亡しちゃうんだよな・・・
佐藤紀伊守が斉藤に出してた人質の娘が串刺しにされたのに。
結局のところ息子は斉藤軍の前に討死するし
岐阜陥落後に佐藤は用済みとばかりに隠居を強制され
加治田城は養子名目で送り込まれた
斎藤新五郎により乗っ取られちゃうし。
稲葉山を信長が奪ったあと
戦乱で失われてしまった名物の壺を義龍妻に
絶対に隠し持ってるだろ!さし出せと執拗にいびる信長に
無いものは無い・・・と義龍妻がもう自害するより仕方ないと決意したが、
信長に冷遇されている面目丸潰れの濃姫や
その親類、一族、美濃有力国人たち17人が結束し
失業していた佐藤紀伊守も参加し、
これ以上嫌がらせを続けるなら美濃国衆共みんなで自害するといって
信長に抵抗した話が言継日記に佐藤紀伊守から聞いた話として出ている。
朝廷の高位にいる殿上人の言継に佐藤紀伊守が
さびしい身の上についてグチって憤懣をブチまけているほど信長は冷酷。
そもそもその後の佐藤忠能は史料上では行方不明扱いで抹消されてる・・・
三次史料の堂洞軍記によると伊深村でひっそり野たれ死んだみたいだが。
ちなみに伊深村は織田軍の佐藤信則の領地だから
完全に領地を奪われて追放されてる…可哀想に。

282 :
家臣の美濃三人衆って・・・殉じなかったよね

283 :
>>281
それって、史料と創作が入り混じってないか。

284 :
>>283
ウィキの情報をところどころ抜き出して改変したものみたいだね。

285 :
確定さんがこっちに出張か?

286 :
斎藤利尭って何気に凄い人だと思うわ
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