2012年3月戦国時代179: 【】武士の格言名言辞世の句【】 (394) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【】武士の格言名言辞世の句【】


1 :
人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり 織田信長
人に尋ねて出た知恵は本当の知恵ではない 豊臣秀吉
大黒天が常に上を見ないのは、一朝事ある時にその頭巾を脱いで上を見るためであり、
そこに大黒天の極意がある。頭巾ばかり注意して、それを脱ぐ時のことを知らないのでは駄目である 徳川家康

2 :
曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照らしてぞゆく     伊達政宗
五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで     足利義輝

3 :
関連
どの武将の辞世の句が好きですか? 2
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183227238/l50

4 :
「天神の祈りのつよき三星をなりはすまひぞ家ちかに居れ」
天神山城主浦上宗景麾下の三星城主後藤勝元家臣額田与右衛門が敵陣(三村)に放つ。

5 :
>>4
狂歌ってのも面白いな

6 :
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」の話が巨人の星に出てきたな。

7 :
>>1
信長のは敦盛の一節であって信長は言ってない

8 :
言ったことは言ったろ。
ただ創作ではなかっただけで。

9 :
夏の夜の
   夢路はかなき
        あとの名を
 雲井にあげよ
      山ほととぎす
柴田勝家の辞世の句

10 :
不勢とて敵を侮ることなかれ 多勢を見ても恐るべからず  
道にただ身をば捨てんと思ひとれ かならず天のたすけあるべし  島津忠良(日新斎)
日学(日新斎の学流)の精神をあらわした「いろは歌」四十七首からの二首。

11 :
さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の 別れをさそふ郭公かな お市の方
仏祖遊戯神通末期一句猛虎舞空 徹岫宗九
ちりぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ 細川ガラシャ(明智玉)
スレタイは、武士の〜としましたが、戦国時代の姫様、僧、茶人、その他の人々の言葉もありということで。

12 :
諸卒の中に敵方に対する悪口を言う者がいたならば深くこれを戒めるべきである。
敵方に刺激を与えることは敵の奮起を促すようなものである。という意味の言葉もある。 武田信繁

13 :
下の情をしる事はこれ虚無僧たりし故なり 水野勝成

14 :
安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も自ら涼し 快川紹喜
川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ 石川五右衛門
日本で一番有名な辞世といえばこれ。

15 :
加藤清正
自分は一生の間、人物の判断に心を尽くし、人相まで勉強したが、結局よくは
分からなかった。ただいえるのは、誠実な人間に真の勇者が多いということだ。

16 :
べらぼうめい   遠山の金さん

17 :
>>15
加藤清正の言葉とは珍しいね。
東軍の武闘派らしい飾り気のない言葉に感動した。
「我は兵にて戦いを決する。塩にて敵を屈せしめることはしない」 上杉謙信

18 :
「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」伊達政宗

19 :
討つものも 討たれるものも からわけよ 砕けて後は 元のつちくれ

20 :
>>15
律義者だったのに豊臣家をないがしろにし始めた家康と
彼に反抗した三成のことを言ってるのかな?とか妄想したら面白いな。

21 :
宇喜多秀家だったかな
「豊臣からならたとえ一万石でもありがたく受け取るが
徳川からはたとえ十万石でも受け取らない」みたいなこと
言ったの

22 :
>>12
某日本シリーズのことだな

23 :
「第一に神仏を信じ奉るべきこと」 北条早雲

24 :
「敵は本能寺にあり」は創作?

25 :
古の道を聞きても唱えても我が行にせずばかひなし 島津日新斎(いろは歌より)

26 :
>>24
江戸時代の創作

27 :
異方に 心引くなよ 豊国の 鉄の弓末に 世はなりぬとも 立花道雪

28 :
武者は犬ともいへ畜生ともいへ勝つことが本にて候 朝倉宗滴

29 :
どっちが

30 :
仏の嘘は説法
武士の嘘は武略
百姓の嘘は可愛きものなり
この言葉から従来の温和で文化人な光秀のイメージとは真逆な実像を感じさせる

31 :
「曇りなき心の月をかざして浮きよの闇を照らして行くぞ」伊達政宗時世の句
確かこんな感じ?

32 :
「花ぞ散る 思へば風の 科ならず 時至りぬる 春の夕暮」
少弐政資辞世の句

33 :
>>31
既に>>2にある。晩年に詠んだ漢詩も似た様な内容だと思った。

34 :
今はただ 恨みもあらじ もろひとの 命に替はる 我が身と思へば
              
別所長治の辞世の句。たしかこれでよかったっけ?
初めて聞いたとき幼心に強く印象に残ったな、これ

35 :
浮き世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して  清水宗治

36 :
よき夢を見するがな(´・ω・`)

37 :
三成に過ぎたる物が二つあり
島の左近に佐和山の城
家康に過ぎたる物は二つあり
唐のかしらに本多平八

38 :
乱世の奸臣
治世の能臣

39 :
文武弓馬の事については、武士たる以上、つねの道であるから、とくに書き記すまでもない次第である。
文を左にし武を右にするのは、古から伝わっている武士の道であって、文武はともに兼ねそなえなくてはならぬものである。 北条早雲

40 :
政宗の手紙
思いもよらぬ細やかなお手紙を、また起請文までいただきました。
本当に恥ずかしい次第で、何を言っても愚かなことのように思えます。
さてさて、先日の夜は酒の上に何をしたか、何を言ってしまったか、
大弱りしております。
そこから貴方を疑う気持ちがあったなら、そのことを手紙に書くか、
でなくば伝蔵か横目の者どもから申し伝えて、貴方のことをあきらめもしましょうが、
あなたをあきらめることなどできません。それで、とくに何も申しませんでしたが、
私は酒の上に何を言ったのでしょう。夢にも覚えていないのです。
昔私のところへ出仕されてないとき、貴方にかの者が惚れているとのことを、
ある乞食坊主が落とした文の中に書いてあったのです。
その坊主は行方知れずになってしまったので、とても詮議はなりません。
そんなことはない、と自分に言い聞かせましたが、あまりに貴方のことをよく知っていたので、
どうにも気持ちを抑えきれず、貴方のお心を確かにしたくて確かにしたくて、
酒に酔った勢いで言ってしまったのだと思います。
酒の上とはいえ、私の言ったことをお聞きになって、恨みに思われたのでしょう。
このように仰るのはよほどのことと思います。
承れば、腕を傷つけてこのように血判を押されたとか。なんてことを、と心苦しくてなりません。
私がその場にいたならば、御脇差にすがってでも止めたものを――。
せめて私も指など切るか、そうでなければ股か腕を傷つけるのでなければ、貴方のお心に応えられるものではありません。
けれども、私もはや、孫や子どもを持つ年頃になってしまいました。
人は口さがないものですし、行水のときなどに小姓どもにそれをみられて、
「いい年をして似合わぬことを」
と言われましては、子どもにも恥になると思い、気持ちばかり逸って暮らしております。
ご存知のとおり、若い頃は酒の肴にも腕を裂き、股を突き、衆道の証をごく当たり前にしていたものですが、
今は世の笑い事になってはと、差し控えております。
日本の神々に誓って、腕・股を突くことを嫌だと思って差し控えているのではありません。
私の腕や股をご存知でしょう。傷のないところの方が少ないのです。
このように昔は衆道の証をたてるのを誇った私ですが、時代の流れは是非もありません。
これではあまりにあまりに心元なく思われるでしょうから、伝蔵の見ているところで起請文を書き、
血判を押して進上いたします。
どうかこれにてお許しください。今日よりはいままでにもまして心を通わせ、
お情けに預かることができれば、海よりも山よりも忝く思います。
なお、伝蔵にも私の気持ちを伝えるよう、言ってあります。
恐々謹言。
正月9日   政宗(花押)

41 :
返す返すも恥ずかしくてなりません。
どうか私の気持ちをわかってくださいますよう――。
解説
「伊達政宗の手紙」で有名になった、政宗の恋文。 伊達政宗文書2865号。
ともかく恋々とした長文に、訳してても 「もう勝手にやってて!」 な気分。
自分の身体を傷つけて気持ちの証をたてる風習が、既に見られるのが面白いですね。
「我ら腕・股を御覧候え。あまり空き間もなき様に、昔はさようの事好き候てつかまつった」との一文が中にありますが、つまり作十郎は、政宗の「腕」や「股」をよく知っているわけです。
無数の傷は政宗がそれだけ恋多き男だったことを物語ります。作十郎は今、確かに政宗の寵を受けていますが、平行して実姉の多田氏が政宗の側室となっています。
上司である小姓頭青木掃部丞もかつて政宗の寵を受けていましたし、それぞれがどんな思いで政宗の傷跡を見ていたか、は想像がとても及びません。
それでもなお、自分の腕を傷つけて自らの証をたてた作十郎なのです

42 :
どうらんの下に涙の喜劇人

43 :
「各自の得意とするところをよく知り、それぞれの能力、分際にふさわしくそれを使えば、役に立たない人間はいない」 中江藤樹

44 :
※世界の偉人達の格言
「独身者とは妻を見つけないことに成功した男である」(アンドレ・プレヴォー)
「裕福な独身者には重税が課されるべきであろう。ある人間が他人よりも幸福であると
いうのは不公平だ」 (オスカー・ワイルド)
「女を腕の中に抱くと、やがて腕にぶらさがられ、そのうち背負うことになる」(サシャ・ギトリー)
「女たちは私には象と同じように思える。眺めるのは好きだが家に欲しいとは思わない」
 (W・C・フィールズ)
「私は男でなくて幸せだ。もし男だったら、女と結婚しなければならないだろうから」
 (スタール夫人)
「結婚した人々の唯一の楽しみは、他人の結婚に立ち会うことである……悪魔的な楽しみだ」
 (ラモン・ゴメス・ド・ラ・セルナ)
「離婚の動機ですって? ありますとも、弁護士さん、私が結婚しているということです」
 (エミール・ポラック弁護士)
「人は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する」
 (アルマン・サラクルー)
「頭のいい男は良い夫ではありえない、なぜなら彼らは結婚しないから」
 (アンリ・ド・モンテルラン)
「女たちを知れば知るほど、私は自分の手の方をいとおしく思う」 (ショロン)
「男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない」 (フレデリック・リット)
「結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから」
「夫が妻にとって大事なのは、ただ夫が留守の時だけである」 (ドストエフスキー)
「一人でいるとき、女たちがどんなふうに時間をつぶすものか。もしそれを男たちが
知ったら、男たちは決して結婚なんてしないだろう」 (O・ヘンリー)
「三週間互いに研究しあい、三ヶ月間愛し合い、三年間喧嘩をし、三十年間我慢しあう。そして
子供達が同じことをまた始める」 (テーヌ)
「恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる」 (リヒテンベルグ)
「ウェディングケーキはこの世で最も危険な食べ物である」 (アメリカの諺)

45 :
>>44
徒然草第百九十段も入れてくれよw
(要約)
「男は妻を持つべきじゃない」(吉田兼好)

46 :
>>44
日本人が結婚して子孫を残すのが嫌なのですか?
それとも貴方がモテないから腹いせですか?
早い話がスレチガイ

47 :
昔より主を討つ身の野間なれば 報いを待てや羽柴筑前 織田信孝

48 :
一筆啓上火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ(本多重次)
「簡潔」の見本のような手紙。
ちなみにおせんとは長男の仙千代の事。

49 :
遊びも度重なれば楽しみならず 珍膳も毎日食らえばうまからず 楠木正成

50 :
心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ 明智光秀

51 :
今はただ恨みもあらじ諸人の いのちに代はるわが身と思へば 別所長治

52 :
武夫の取り伝へたる梓弓 かへるやもとの栖なるらん 吉川経家

53 :
吹きとふく風な恨みそ花の春 紅葉の残る秋あらばこそ 北条氏政

54 :
屍をば岩屋の苔に埋みてぞ雲居の空に名をとどむべき 高橋紹雲

55 :
>>19
×からわけ
〇かわらけ(瓦器)

56 :
大ていは地に任せて肌骨好し 紅粉を塗らず自ら風流

57 :
諌(いさ)めてくれる部下は、一番槍をする勇士より価値がある 徳川家康

58 :
>>57
家康は家臣が生意気な事を言っても、それが理に適っているなら認め採用しそうだ。
こういうところはさすが征夷大将軍。

59 :
名言デコメ
http://dcst.jp/?i=131&c=00558845

60 :
一芸に熟達せよ
 多芸を欲する者は巧みならず
     長曾我部元親

61 :


62 :
鳴かぬなら毒しよう不如帰 浮田直家

63 :
「鳴かぬなら 養育するぜ 時鳥」宇喜多秀家

64 :
「鳴かぬなら 泳いでみせん 時鳥」宇喜多秀家

65 :
「人は生涯、己にあった舞を舞う。それでよいのじゃ。殿、おさらばでござる」島左近

66 :
武田信玄の影に隠れがちだけど、弟の武田信繁はかなりの武将だったみたい。
上下二巻からなる「信玄家法」の下巻は信繁が子供である武田信豊に示した家訓なんだけど凄くためになる。

67 :
>>34
いい辞世ですね。
苦しい篭城戦の末のこの辞世、どのような境地でしょうか・・・

68 :
春雁我に似たり 我雁に似たり
洛陽城裏花に背いて帰る 直江兼続
詩は駄目ですか?

69 :
良いよ

70 :
為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人の儚き
武田信玄

71 :
「の中に入ってたんだよ」
勝新太郎

72 :
「負けたことのない人間は、どこかよろしくない」
徳川家康

73 :
「春風に梅も桜も散り果てて
          名にぞ残れる箕輪の郷かな」
           長野業盛(1566年没)
「老いの身はいづくの土と成るとても
             君が箕輪に心留まる」
        安藤九郎左衛門(1566年没)

74 :
戦場においては研ぎ澄まされた刀を用いるがよく、けして鈍刀を所持し使用してはならぬ。
なまくら刀は骨まで切れぬ。とも言われている。 武田信繁

75 :
「死にともな嗚呼死にともな死にともな 深き御恩の君を思えば」
本多忠勝

76 :
罰を薄くして賞を厚くせよ。 島津義久

77 :
よき夢を見するがな
秀吉

78 :
末の露もとの雫や世の中の おくれさきたつならひなるらん 高橋鑑種

79 :
一筆啓上ホモ用心、おせん犯すな、馬犯せ(本多重次)

80 :
>>79
こういう、小学生以下の書き込みをして、キャッキャと喜ぶ精神について。

81 :
笑いの根源を理解しない>>80の精神って・・・
日本人が最も笑ったギャグがであることと
人間が最初に笑う言葉がであることを理解すれば
ズレているのは>>80のほう

82 :
長野業政最期の言葉、
「ああ苦しい(ああ苦しや)」
こういうの見ると、当たり前だけど戦国武将も普通の人間だよな、と思うので。

83 :
秀吉、聚楽第の門の落書き
「奢れるもの、久しからず」を見てすぐそこに付け足した。
「奢らぬものも久しからず」

84 :
若き日の信長が家臣の村井七郎左衛門に言った迷言。
「王(天皇)とはいかなるものか?
 厨子などに入れて持ち運ぶものか、それとも人であろうか?」

85 :
細川忠興の臨終の言葉
『みな共が忠義、戦場が恋しきぞ!いづれも稀な者どもぞ!』

86 :
長宗我部盛親
捕らえられ、蜂須賀家の者に
「命惜しさに生け捕りになるとは、地下の親父様も安眠できまい」といわれて
「おお!命は惜しい。命と右手が使えたら、家康をこのままにしておくものか!」
斬首の直前に
『我未だ木鶏たりえず』
※木鶏:強さを表に出さない最強の闘鶏

87 :
そんな双葉山みたいなこと言ったんかい。
いや、順番から言えば盛親のほうが先だけどよ。

88 :
わたしは弓矢取りの家に生まれて、朝廷にお仕え申す身分であるから、
天道に応じ、正直の理をもって家の名をあげ、
朝恩に浴して身を立てることは、三宝のお許しなされるところである。
この上は、私の名聞や利欲のために義を忘れ、恥を顧みず、当世にへつらっているような、
穢い武士の心から、すっかり離れたいものである。  菊池武茂

89 :
大東亞戦争前は、全日本国民共通の思想として、
日本哲学会などによって活発に研究されていた武士道。
しかし、戦後GHQの検閲と政策により、日本人の心から武士道は抹されてしまった。
武士道を研究するスレを極東板あたりに立てようと思ってるんだけど、協力してくれる人っていますか?
武士道に詳しい人、興味がある人、もっと知りたい人、情報提供できる人などいたらお願いします。
私はこのスレチェックしてますので、いたらお願いします。

90 :
>>89
このスレを立てた者です。はじめまして。
協力するのは全然OKですが、なにをすればいいですかね?

91 :
確かに辞世は当時の武士の思想、死生観を反映してるから、いい資料になる。
武士道=江戸時代にできたもの、とか朝倉宗滴を引き合いに出して斜に構えてるやつが多いけど、
そんな単純なもんじゃない。

92 :
なぜに極東板に?

93 :
>>91
自分も前は戦国武士道と江戸以降の道徳武士道を分けて考えていた。
たしかに歴史学としては別物として扱うべきなのかもしれないが、武士の道として考えれば、
戦時の武士道と戦のない時代の武士道では、時代の要請で表面は変わっていくのは当たり前だからね。
ただ根底に聖賢豪傑たる志がないといけないのだろう。
平和な時代だからと言って気迫のない軟弱武士になったり、戦時だからと荒々しいだけの武士では駄目なのだろう。

94 :
>>90
返事が遅れました。
>>1さんは格言がお好きなようなので、
よろしければ戦国時代の武士と呼べる人の格言を、
出典付きで教えてもらえたら嬉しいかもです。
すでに知られていて、有名な格言が何から出典なのかを調べるのも面白いかもしれません。
出典がないとちょっと厳しいかもですねぇ。
>>91
むしろ、大戦前の哲学者は、
武士道の源流は日本の建国時からあるって言ってたくらいですからねw
>>92
武士道を通して日本を良くするというのが最終目標なので、
日本を良くするといえば極東です。

95 :
>>94
わかりました。
スレを立てたら教えてください。
たいした知識もないですが協力させてもらいます。

96 :
独行道
一、世々の道にそむく事なし
一、身にたのしみをたくまず
一、よろづに依怙の心なし
一、身をあさく思、世をふかく思ふ
一、一生の間、欲心思はず
一、我事において後悔をせず
一、善悪に他をねたむ心なし
一、いづれの道にも、わかれをかなしまず
一、自他共にうらみかこつ心なし
一、恋慕の道思ひよるこころなし
一、物毎にすきこのむ事なし
一、私宅においてのぞむ心なし
一、身ひとつに美食をこのまず
一、末々代物なる古き道具所持せず
一、わが身にいたり物いみする事なし
一、兵具は格別、余の道具たしなまず
一、道においては、死をいとはず思ふ
一、老身に財宝所領もちゆる心なし
一、仏神は貴し、仏神をたのまず
一、身を捨ても名利はすてず
一、常に兵法の道をはなれず
正保元年五月十二日 新免武蔵(宮本武蔵)

97 :
時は今雨の下しる 五月かな 明智光秀
敵は何処にありや?→敵は本能寺にあり 明智光秀

98 :
>>97
× 敵は何処にありや?→敵は本能寺にあり 明智光秀
○ 頼山陽

99 :
明智光秀の>>50の辞世の句は本人によるものなのでしょうか?
それとも後世の創作なのでしょうか?
知っている人がいましたら教えてください。

100 :
大内義隆の辞世の句に痺れる

101 :
名の為に棄つる命も惜しからじ終いに止まらぬ浮き世と思えば
       ↓
契りあらば六の巷に待てしばし遅れ先立つことはあるとも

102 :

散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐
益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜
三島由紀夫
辞世の句

103 :
ところで時世の句って誰がどうやって記録してたんだろうね。
その辺りがはっきりしてないと今一つ……
別に捏造だとかいって冷やかしたり貶したりするつもりはこれっぽっちも無いんだけど。

104 :
辞世は遺言書と同じで死ぬ時に作るんじゃなくて普段から用意しておくものだから
配下や親族がそれを伝えたり寺なんかに預けたりする
だが、当然残らない場合も多々ある
軍記物や講談本なんかにのみ記載されてて胡散臭いものもあるし
本物にしても余人に依頼して書いてもらったんじゃないかと言うものもある

105 :
二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。
生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。
それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきパチルスである。
こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。
おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。
政治も、経済も、社会も、文化ですら。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より

106 :
私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。
私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。
そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
(中略)
この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。
(中略)
それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。
否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。
政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より

107 :
個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。
もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、
その実践によって、文学に対する近代主義的盲信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より

108 :

「ああいう行為じゃ、何の解決にも
ならんのだよ。自己満足でしかないんだ」
「自しちゃいかんよ、ギブアップだよ」
「ああいう死に方は、一見、男らしく見えるだろ。
でも違うんだ、生きて戦ってこそ男じゃないか」
鶴田浩二。三島の切腹に対して。

109 :
>>108
三島先生が亡くなった時、僕はやむにやまれぬ気持ちで日本刀を抜いて、号泣した。
鶴田浩二
村松英子「三島由紀夫・追想のうた」より

110 :

鶴田浩二「昭和維新ですね、今は。」
三島由紀夫「うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。」
鶴田「三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。」
「週刊プレイボーイ昭和44年7月8日号」(三島由紀夫映画論集成・所蔵)より

111 :
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
三島由紀夫
「果てし得ていない約束――私の中の二十五年」より

112 :
惜しいかな後世
真田を云いて毛利を云わず
水戸黄門様

113 :
三島由紀夫がいつから武士になったのやら

114 :
三島由紀夫は武士道を求めた人だから良いと思うのですが、戦国時代板なので難しいところですが、
前にも楠木正成など戦国時代以前の人物も出ているので、よしとしてもいいかと。

115 :
楠木は戦国時代じゃないだけで武士だからスレタイに合致していると思うが
三島なんて時代は愚か、武士ですらない
武士に憧れた虚弱体質ぼっちゃんの厨二病
スレチなんだから黙っとけ

116 :
板違い同士の喧嘩は他所でやってくれ

117 :
われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。
なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、
このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本の文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じているからである。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

118 :
われわれは、自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。
もちろん、われわれの考える文化的天皇の政治的基礎としては、複数政党制による民主主義の政治形態が最適であると信ずるから、
形としてはこのような民主主義政体を守るために行動するという形をとるだろうが、終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。
三島由紀夫
「反革命宣言」より

119 :
ウヨうざ

120 :
つらかりし 人こそあらめ 祈るとて 神にもすがる 我が心かな 上杉謙信
こういうの見ると女性説もありかなとか思えてくる

121 :
すがるじゃなくてつくすじゃなかった?

122 :
「つくす」だ。すまん。

123 :
キリストのメッセージ 
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。
その代わりに、わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://www.nowaksvd.net/jp/jiai/jiai02.htm
ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm
煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣
http://www.sanpaolo-shop.com/product/4359
キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html
キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm
キリストの受難を目撃し体験した女性 アレキサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.salesio.jp/web/sdb_saints/biography/alessandrina.htm
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html
病を患いながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html
カトリック書店/日本国内にあるカトリック教会の住所と地図
http://www.donboscosha.com/
http://www.sanpaolo-shop.com/
http://shop-pauline.jp/
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm

124 :
明智光秀
御大将に物申す。武田攻めでの御折檻、徳川様接待不首尾での御叱り、また、近江坂本・丹波領地を召し上げ、出雲石見を切り取れとの冷たき御沙汰、
さらに丹波で、足の不自由な母を、見しにした仕打ち!など!語り尽くせぬ怨みあれども!此度の戦、決して、私心にあらず!

125 :
>>123
基督教を信仰した武士の言葉ならスレ違いではなかったのに・・・とゆうことで
雲か雲かとばかり見せて山風の色に咲きたつ春の夕暮 蒲生氏郷

126 :
年金をブチ壊した公務員労働組合の「自治労」
教育をブチ壊した教職員労働組合の「日教組」
捏造した歴史を振りかざして反日三昧の「韓国民団」
人権利権で国民の血税を食い荒らす「解放同盟」
日本の敵または日本のガンばかりだが、すべて民主党の支持組織である。

127 :
山名豊国とかのマイナー武将は残ってたりするんかな
教養関係強そうだけど

128 :

敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花(本居宣長)
かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂(吉田松陰)
剣道は 神の教への道なれば 大和心をみがくこの技(高野佐三郎)

129 :
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。
戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。 田母神俊雄

130 :
現代のサムライ降臨!!

131 :
神仏を礼拝することは、身の行ないというものである。
神仏に対して拝む気持ちがあるならば、ただひたすらに心を正しく穏やかに持ち、
正直一途に暮らし、上なる人を敬い、下なる者を憐れみ、つつみかくしなく、
有るをば有るとし、無きをば無いとして、ありのままの心持ちで生活することが、天意にも仏意にも適うというものである。
このような心持ちでいるならば、たとえ祈らなくとも神明の御加護はあるものであり、
たとえ祈ったとしても、心が曲がっていたならば天道からも見放されるものであることを、
肝に銘じて、深く慎まなくてはならないのである  北条早雲

132 :
一休禅師が本願寺蓮如上人との親交を詠んだ詩。
わけのぼる ふもとの道はおおけれど おなじ高嶺の月をこそ見れ

133 :
>>100 討つひとも 討たるるひとも 諸共に 如露躍如電 応作如是観 
      たしかに渋。

134 :
ほととぎす 血に啼くこえは 有明の 月よりほかに 知る人ぞなき (久坂玄瑞)

135 :
戦ひに 疲れて眠る 兵士らの 蒼醒めし顔を おろがみて通る 
    大東亜戦争万葉集

136 :
「真心の あるかなきかは 屠り出す 腹の血潮の 色にこそすれ」 林忠崇
この辞世を見るたび戦国から300年たって武士道ってのができたんだなぁってきがする
これは戊辰戦争の時に詠んだもの
彼はこのあと70年ほど昭和16年まで生きアパートの一室で息を引き取る際
「なにか辞世はありますか?」と問われたことに「明治元年にやった。今はない」と答えてなくなった
最後の大名です

137 :
×すれ
○知れ
orz

138 :
流れての末の世遠く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水 高橋紹雲

139 :
>>136
>この辞世を見るたび戦国から300年たって武士道ができたんだなぁってきがする
武士道とは武士の道ですから鎌倉武士にも戦国武士にも武士道はあったはずです。
それとも哲学的に研究されて文献として著された武士道という意味でしょうか?

140 :
今一般にイメージされてる武士道の事でしょ

141 :
豊臣秀吉いわく
信長公は勇将であったが、良将ではなかった。
剛が柔に勝つことは知っていても、柔が剛を制することを知らなかった。
一度敵となった者を許すということがなく、
ことごとくその根を絶ち葉を枯らすようなことをした。
降伏した者をし、他国からの攻撃が絶えることがなかった。
これは器量が小さいからである。
人から恐れられはするが、愛されることはなく、
喩えるなら猛獣のようなもので、
噛み付かれるのを恐れるけれども、
見るものはこれをして害をのがれようとする。
明智光秀の反逆もこのためである

142 :
>>141
この話の真贋はともかく、秀吉って信長生前から明らかに、信長をなめてた感じがする

143 :
>>142
どうだろう。
心の中はわからないが、なめていると信長に気付かれたらオシマイだからね。
今に伝わる言行、逸話を見ると秀吉はかなりビッグマウスなのは確か。
源頼朝、義経や謙信、信玄への評価もなかなかおもしろい。

144 :
>>143
越中戦線からの無断撤退なんて、「何?俺がいなくて中国戦線維持できると思ってんの?」
って意識がなきゃできないよ。

145 :
や ぽこぽこ出して びんびんか
         
           珍宝田 竿二郎 棒龍

146 :
軍の礼法として侍が心得ねばならぬのは、
いらないところに儀礼を好んではならぬことである。 加藤清正

147 :
限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風(蒲生氏郷)
古も 今もかはらぬ世の中に 心のたねを 残す言の葉(細川幽斎)

148 :
My castle is in the hearts of my people

149 :
仁に過ぎれば弱くなる、
義に過れば固くなるよし 伊達政宗

150 :
楼の上も埴生の小屋も住む人の
心にこそは高き賎しき
島津日新斎

151 :
旗立てし昔を松も知るらめや
風に靡かぬ草も木もなき
北条氏康

152 :
士とは己を知る者の為に死ぬ     預譲(漢字違うかも)
これ、武士道の根本思想だと思うんだがね。
こんなこと言ったら良く叩かれるんだが、武士道の源流は
古代中国の春秋戦国時代から始まるんじゃないかと思うんだ。
そう思う逸話が多くて多くて。鳴かず飛ばずの逸話や、楽毅の話とかさ。
史記とか呂氏春秋とかの書物は平安時代に日本に伝わり、
当時の武士達も読んでただろうしさ。
オマエは親中なだけだろ反日売国野郎が、とか罵らないでくれよ。
そんなんじゃないから

153 :
一筆啓上
お仙犯すな
馬犯せ

154 :
火の用心が抜けてるよ

155 :
これより
我ら修羅に入る!!
仏と会えば仏を斬り!!
鬼と会えば鬼を斬る!!
情を捨てよ!!
ただ一駆けに敵城へ攻め入れ!!
前田 慶次

156 :
お前らまとめて相手にしてやるからかかって来い!

157 :
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「3月22日・・・真実を知ってほしい」
平成21年3月22日(日)1600名入場無料全席指定
【特別講演】
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志方俊之氏 (元陸上自衛官陸将・北部方面総監)
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【特別ゲスト】 田母神俊雄氏 (前航空幕僚長)
市民の協力でボランティア開催が実現!
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158 :
よくみのほどをしれ
小畠虎盛

159 :
細川忠興さんだったかな、狂歌だけど
代々に召し出されて先手して 犬に劣りて死ぬる無念さ
秀吉に対する恨み言だったのかな。なかなか壮絶だなあと思った

160 :
じゃあ明智につけばよかったのに……というのは無しか?

161 :
「我が国旗」
徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。
朝日を背にすれば、いよよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。
それは鹿児島の大大名、天下に聞えた島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始まりである。
模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。
之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。
それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。
明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。
からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。
平岡公威(三島由紀夫)11歳の作文

162 :
↑そうなの?
秀吉の朝鮮出兵で、日本軍が掲げたナショナル・フラッグは
どんなデザインだったのかな?

163 :
>>162
日の丸
白地以外にもいろいろあったが。

164 :
テレビドラマネタでなんだけど、昔観た幕末物の錦旗は紫地に金の日の丸だったなあ。

165 :
>>152
戦国武士が中国古典から学ぶことが多かったのは、今に残る文献を見れば一目瞭然です。
中国古典を取り上げただけで反日的だと言う人はこのスレにはいないと思います。
近代の愛国者、三島由紀夫も儒学の一派である陽明学を学んでいたと言いますしね。

166 :
>>164それは貴方の見間違えか、そのテレビドラマの製作陣が余程無知かのどちらかだよ。いわゆる「錦の御旗」は菊の御紋だと… 
戦艦大和の艦首や三八銃にも刻まれていたね。  
日の丸まことに以て、美しさといい、威厳といい、図案といい日本の国旗たるにふさわしいが、もしこれを替えるとしたら、紫地か猖々緋地に、光り輝く金色の菊花しかないだろう。 
なんとなればこの旗を先立てて日本は、近代の夜明けを越えたのだ! 
祖国よ!!永遠なれ!!

167 :
石原ニ中よ☆永遠に

168 :
春秋の花も紅葉もとどまらず 人も空しき関路なりけり 島津義弘

169 :
茶の湯とは ただ湯を沸かし 茶を点てて 呑むばかりなり 本を知るべし 千利休

170 :
>>169
文字通り受け取っちゃうと阿呆呼ばわりされる句だなw

171 :
>>168
島津義弘って根っからの武士のイメージ強いけど、なんか格調高い歌とか
文章かくよね。奥さんにあてたなおなお今夜もそなたを夢に見参らせ候て…とか。

172 :
>>171
顔立ちも女顔だったらしい

173 :
みよやたつ雲も煙も中空にさそひし風のすえも残らず 冷泉隆豊

174 :
もののふが かなしき命つみかさね つみかさね護る 大和島根を 特攻隊勇士

175 :
死にとうない 仙崖

176 :
わが恋は三島の浦のうつせ貝
むなしくなりて名をぞわつ゛らふ    鶴姫?
政宗のは死ぬ1年前位ので
咲きしより今日散る花の名残りまで
千々に心のくだけぬるかな
こっちの方が好きだ(辞世の句より)
自業自得だけど可哀想と思ったのが
山の端の 月は昔にかわらねど
我が身のほどは面影もなし  宇喜田秀家 八丈島で

177 :
今、四海必ずしも波穏やかならねど、日の本のやまとの国は 鼓腹撃壌(こふくげきじよう)の世をば現じ
御仁徳の下、平和は世にみちみち 人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交はし 利害は錯綜し、敵味方も相結び、外国(とつくに)の金銭は人らを走らせ
もはや戦ひを欲せざる者は卑怯をも愛し、邪なる戦(いくさ)のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能はず いつはりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおほひ 力は貶(へん)せられ、肉は蔑(なみ)され、
若人らは咽喉元(のどもと)をしめつけられつつ 怠惰とと闘争に
かつまた望みなき小志の道へ 羊のごとく歩みを揃へ
快楽もその実を失ひ、信義もその力を喪ひ、魂は悉く腐蝕せられ
年老ひたる者は卑しき自己肯定と保全をば、道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおおひかくされ、真情は病み、道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑ひは浸潤し 魂の死は行人の顔に透かし見られ よろこびも悲しみも須臾(しゆゆ)にして去り
三島由紀夫
「英霊の聲」より

178 :
清純は商(あきな)はれ、蕩は衰へ、ただ金(かね)よ金よと思ひめぐらせば 人の値打は金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、生(なま)かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰えたる美は天下を風靡し 陋劣(ろうれつ)なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲球不満の螢光燈に輝き渡り、朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は摩滅し、烈しきもの、雄々しき魂は地を払ふ。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔けるものは翼を折られ 不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑(あざわら)う。
かかる日に などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし
三島由紀夫
「英霊の聲」より

179 :
上を学ぶ下と云ひ大将少し気を抜けば下々は大いに油断するものなり
加藤清正
上に立つ者はどんな時も気を引き締めておけよ!ってこと

180 :
怠らず行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよしおそくとも 徳川家康公

181 :
(都会の流行が流行り始めた自国に対して)
今の様ならば薩州は変じて弱国となるべし。
田舎者は田舎者の如くなるを可とす。
島津義弘

182 :
>>181
さすが武骨だね〜
島津家の強さはこういう心構えにあるんだろう。

183 :
能も芸も慰めも道たても本路たても、何もかもいらず候。
ひとえにひとえに武略・計略・調略かたの事までに候々。
はかりごと多きは勝ち、少なきは敗け候と申す。
毛利元就

184 :
>>10
>道にただ身をば捨てんと思ひとれ かならず天のたすけあるべし  島津忠良(日新斎)
我が身を省みて涙が出ました。ありがとうございます。

185 :
>>184
その歌は、私も、島津日新斎の「いろは歌」四十七首の中でも好きな歌のひとつです。
我が身を省みることの出来る心が素晴らしいと思います

186 :
秀吉の九州征伐の締めくくりにて
豊臣秀吉「汝はなお、我に敵対し得ると思うか」
新納忠元「主君義久公が決意されるならば、今直ぐにでも敵対し仕る」
間髪入れず、速攻で答えているところが素敵過ぎる。

187 :
>>186
その後に新納忠元の気概に感心した秀吉が忠元を呼び戻して、
槍の穂先を自分に向けて、忠元にその槍を与えた。
これには、秀吉と接見する前に仲間内に、もし話がこじれたなら秀吉を斬ることも辞さないと話していた忠元も、
秀吉の器量に感心したというような話を読んだことがある。
士は士を知るってやつだね

188 :
>>19
太ももが震えました。

189 :
おもひおく 言の葉なくて つひに行く 道は迷わじ なるにまかせて 黒田如水

190 :
武士道は死狂いなり 山本常朝

191 :
旗本の侍たちは、たとえどれほど家柄がよく賢くても、
武道に心がけのない者と、親不孝者は役に立たない。
また、乱世に武道だてするのは、鼠が人を噛むようなものである。
治世に武道を嗜む者こそ本当の武道の達人である。 徳川家康公

192 :
>>1の織田信長に補足
人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり
一度生を得て 滅せぬものの あるべきか

193 :
>>187
何という人たらし

194 :
当たらなければ どうという事はない

195 :
佐久間盛政の辞世
(処刑の前、檻車で京都の市中を引き回された)
「世の中を廻りも果てぬ小車は火宅の門を出づるなりけり」

196 :
我 人に媚びず 富貴を望まず 黒田如水

197 :
我、身短小にして 勇功あり。背の高きをもって尊しとせず。
池田輝政
チビでもいいよね

198 :
>>140
そんな貴方に>>91,93の過去スレッドを読む事を強くお勧めします。
>>30
けどだからって光秀がそんな悪者という訳では無いだろうに……

199 :
上げ潮じゃ
秀吉

200 :
古へを慕うも門司の夢の月 いざ入りてまし 阿弥陀寺の月 木付統直

201 :
「鍛錬の末得た武勇は、
 持って生まれた武勇に勝る。」
      BY 信長
天才信長らしくない一言だが・・・。
ええこと言うのう。

202 :
>>187
この頃はまだまともだったんだな

203 :
「よくみのほどをしれ」 小幡虎盛

204 :
君に引く荒木ぞ弓の筈ちがひ 射るに射られぬ有岡の城 細川幽斎

205 :
この辺りで>>30の発言について討論しても良いと思うのですが……
とりあえず俺はその発言を以て光秀と本能寺の変をどうこう言うのは
妥当では無いと思うのです。
ついでに戦国時代とはチト違うが
安倍頼時
「人倫世に在るは、皆妻子のためなり。貞任愚かといえども、父子の愛、棄忘すること能はず」
安倍貞任
「わが国の梅の花とは見たれども 大宮人は何というらん」

206 :
鷹は空を飛びて能あり。鵜は水に入りて能あり。
面々の得る者あれば、一人に何事も備わらん事を求むべからず。    家康

207 :
>>205
一昨年の年末についてかいな。仰せごもっとも、ということでよかろ。

208 :
いくとせもちぎりかわらぬ七夕の けふまちへたるあふせなるらん 本願寺顕如
いくとせのかはらぬ物を七夕の けふめづらしきあうせなるらん 如春尼(顕如の妻)

209 :
七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空  朝倉義景

210 :
月花を心のままに見つくしぬ なにか浮き世に思ひ残さむ  豊臣秀次

211 :
>>101
平塚為広→大谷吉継ですね、創作かもしれませんが素晴らしいです。

212 :
戦場に駆け入りて討死するは、いとやすき業にて、いかなる無下の者にてもな
しえらるべし。生くべき時は生き、死すべき時にのみ死するを、真の勇とはい
うなり。 水戸黄門こと徳川光圀

213 :
>>212
黄門様の時代でも死を恐れない猪武者が数多くいたからこそ、蛮勇を戒めた言葉なんだろう。
逆に現代の日本人は科学技術は発達したけど、死すべきときに死すという気持ちが減っているんじゃないかと思う。
残虐な犯罪やイジメなどが毎日のように報道されるのは、
究極のところ、死の覚悟というものが日本人から減ってしまったからのように思う。

214 :
>>213
トンJンにもほどがあるだろ。

215 :
>>214
死の覚悟とまではいかなくても、
皆が保身や自分一人の安全を考えるから、
残虐な行為がまかり通るのは事実。
さほどトンJンだとは思わない。

216 :
>>215
戦国や江戸初期がどれだけ伐としてたか勉強してみな?

217 :
>>216
ディベートのような議論をする気はない。
どれだけ伐としていたか勉強すればアナタの意見に私が同意すると思うのなら、
それはアナタの思い上がりか、ただの片意地だよ。
自分の意見や、私の意見の間違いだとする部分の明示や説明もなく、
ただ単に勉強不足と言ってのける態度はどうかと思う。

218 :
>>217
キミの言う「死の覚悟」のある連中がワラワラしてた時代は、今よりずっと伐として残虐な
事件も多く、人の命も動物の命も実に軽く扱われていた。
現実に楽しみとして人をしていた連中がいた時代だ。
そんな事も知らずに、「死の覚悟を持っていれば残虐な犯罪やいじめは〜」、なんていっているんだから、
勉強不足だと指摘する意外にどうすればいいのか?
知った上でそんな事言っているのならよりたちが悪いわけだが?

219 :
>>216
武田信繁の残した九十九の教えの一つに、
説明しないで人を責めるのは酷だということが書いてある。
賢いアナタから見ると、私は馬鹿なのかもしれないが、
私も私なりに戦国時代や江戸時代の書物は読んだ上で考えをレスしたんだよ。
そこは理解してほしいです。
連投失礼
それではおやすみなさい。

220 :
>>218
動物の命は今のほうが軽く扱われている側面もあるよ。
戦国時代、江戸時代は基本的に四つ足の動物は食べていない。
現代の養殖してされる家畜や使い捨てにされるペットの数は戦国時代に食されたり狩られた動物よりも多いことも事実だ。
一概にどちらが残酷などとは言いきれないはずなのに、
言い切ってしまうアナタこそ勉強不足や一定の思想に凝り固まっているように感じる。

221 :
>212
勉強になりますた

222 :
>>220
まさか対動物に関してのみ反論し、>>213でした
> 残虐な犯罪やイジメなどが毎日のように報道されるのは、
> 究極のところ、死の覚悟というものが日本人から減ってしまったからのように思う。
という対人の方は無視なのか?
レスを読む限り、まず結論ありきで、それを>>212に当てはめただけなんだと思える。
あくまで本人の信念、心情的なレスであって、
何らかの論拠があるわけじゃないのかもしれない。
それなら反論するのも野暮だなと。

223 :
212です。213〜222さん、レスありがとうございます。
討論は、これくらいで・・・
先人達が残してくださった御言葉をお聞かせください。
↓ では、どうぞ ↓

224 :
私もトンJンの一言で片付けられてカチンときましたのでつい・・・・
あくまでも私個人の考えと受け止めてもらえればよかったのですが。
私と214どちらが正しい意見だとかないと思います。

225 :
>>224
瞬時に死を覚悟することを余儀無くされた先人達と、私も含めて、日夜マスター
ベイションに専念する現代人とでは、思惟方法も異なるものです。
未熟者である私も、諸先輩方の言葉に接する度、自問自答を繰り返しています。

226 :
>>225
下品な野郎だな
出ていけ

227 :
心こそ 心まよはす 心なれ 心に 心 心ゆるすな  沢庵

228 :
Q――士道とは何か。
三島由紀夫:…ぼくは、魂の問題といふことで「士道」といふ言葉を使つた。
内面的なモラルといつてもいい。
内面的なモラルといふものは、自分が決めて自分がしばるものだ。
それがなければ、精神なんてグニャグニャになつちやふ。
今日では、自分で自分をしばるといつたストイックな精神的態度を、だれも要求しなくなつた。
ストイックなのは損だと、だれもが考へてゐる。
三島由紀夫
「精神的ダンディズムですよ」より

229 :
抵抗に死に身になれ。抵抗はやれ。ただし遊び半分にやるな、といふことだ。
たとへば抵抗は楽しいものであるといふベ平連などの考へですね。あれが一番きらひなんです。
ベ平連式の“抵抗”は、大衆にアピールする。抵抗とは楽しい、抵抗とは手をつないで
フランス・デモをやることだ、フォーク・ダンスをやることだ、これが非常にいやなんです。
抵抗はナマやさしいもんぢやない。血みどろで、死に身にならなきやできないのが本当である。
内部批判をする連中が、手柄顔で歩いてゐる。石原君のことぢやなく、世間一般ですよ。
…自分の属してゐるものの内部批判した男が英雄視される。こんな間違つたことはない。
抵抗をもう少し暗いものにしなきやいかん。
三島由紀夫
「精神的ダンディズムですよ」より

230 :
Q――「士道」の復活は、現代において可能ですか。
三島由紀夫:ぼくはさういふふうに問題を考へてゐない。
「士道」といふ言葉をいふのは、その言葉が、まるで一滴のしづくのやうにその人の心にしたたつたら、
自分で考へてごらんなさい――といふだけなんです。
「士道」といふものは、マスコミを通じて広まるやうな性質のものではない。
われわれの心の中を探つてみると、心のなかに持つてゐる自己規律に照らして、どこかやましいものがあるはずだ。
やましいものがあれば、士道に反してゐるのだと考へるべきだ。それが日本人だと思ふんです。
なぜやましさを感じるか。それは士道にもとつてるからなんです。士道つてそんなものではないか。
一言でいへば、「士道」とは男の道ですよ。
三島由紀夫
「精神的ダンディズムですよ」より

231 :
戦国武士の発想と三島由紀夫の発想をくらべてみるのも勉強になるかもしれないね。
戦国武士だけを尊重したり、三島由紀夫や新右翼の思想だけを尊重するなら、
それは中庸を欠く自己満足でしかないだろう。

232 :
自己満足を否定する事に意味があるとは思えぬお( ^ω^)

233 :
仙台藩百姓の考え方には興味がない

234 :
まあまあ皆だ色々考えるべきでしょう。

235 :
での間違いでした。
訂正しお詫びします。

236 :
日本における唯一の革命の原理は天皇にしかない。
三島由紀夫

237 :
新右翼の一部にはなぜか武家嫌いがいる。
それはなぜでしょう?

238 :
「草莽」的な尊王思想じゃないの
幕末で言えば清川八郎とか武市半平太とか

239 :
他人の過失について、かれこれと批判しないほうがよい。
「自分が好むところを他人に与えよ」という言葉もあり、
自分の嫌なことは他人もまた嫌なものである。  武田信繁

240 :
忠義とは、私には、自分の手が火傷をするほど熱い飯を握つて、ただ陛下に差し上げたい一心で
握り飯を作つて、御前に捧げることだと思ひます。
その結果、もし陛下が御空腹でなく、すげなくお返しになつたり、あるひは、
『こんな不味いものを喰えるか』と仰言つて、こちらの顔へ握り飯をぶつけられるやうなことが
あつた場合も、顔に飯粒をつけたまま退下して、ありがたくただちに腹を切らねばなりません。
又もし、陛下が御空腹であつて、よろこんでその握り飯を召し上つても、直ちに退つて、
ありがたく腹を切らねばなりません。
何故なら、草莽の手を以て直に握つた飯を、大御食として奉つた罪は万死に値ひするからです。
では、握り飯を作つて献上せずに、そのまま自分の手もとに置いたらどうなりませうか。
飯はやがて腐るに決まつてゐます。
これも忠義ではありませうが、私はこれを勇なき忠義と呼びます。
勇気ある忠義とは、死をかへりみず、その一心に作つた握り飯を献上することであります。
三島由紀夫
「奔馬」より

241 :
上杉謙信
・ドンとこい超常現象
・なぜベストを尽くさないのか

242 :
男と女。どちらが強いといえば女じゃ。
男は刺されたり突かれたり、慣れてないからのぅ〜

243 :
隠し立てしないと恥ずかしいようなことは、してはならぬ。
人の目は天にかかっているものである。  島津義久

244 :
おもしろき こともなき世を おもしろく
高杉晋作

245 :
すみなすものは心なりけり  野村望東尼

246 :
>>244は名作、>>245は駄作

247 :
>>246
司馬遼に洗脳されているな。

248 :
>>247
司馬遼太郎は「おもしろき〜」についてなんて言ってるの?
知らないので教えてください。

249 :
司馬遼の小説は好きだが、司馬遼という人物には興味はない。
武田鉄也にでも聞いてください。

250 :
>>248
確か野村の付け足しによって妙に説教臭くなって、高杉の上の句の
よさが失われた、みたいな感じだった記憶が。
どの作品だっけ?十一番目の志士だっけ?

251 :
>>250
そうなんですか。
ありがとう!
個人的には「すみなすものは心なりけり」好きなんだけどなぁ

252 :
つーか、晋作が自分を東行と名乗るほどあこがれた、西行法師の詩風からみれば
「すみなすものは〜」で正解だわな。

253 :
左翼はいつも、より良き未来世界といふものを模索してゐる。
いつもより良き未来社会へ向かつて我々は進歩してゆくと考へてゐるのです。
…ところがソビエトはご承知のやうな状態になつた。
これは完全な官僚社会のみならず、その常套語を使へば、帝国主義なのです。
そして、かつて日本人が未来社会と思つたのが帝国主義になつてしまつた。
もうスターリン批判以来、日本人のソビエトに対する夢も崩れた。
では、中共はどうか。中共はどうも日本人の西洋崇拝から言ふと少し外れる処があつたんだけど、
文化大革命といふことがあつたので、ますます日本人の理想から遠くなつてしまつた。
…そこで未来社会の展望を失つたところに彼らの焦燥と彼らの一種の絶望感があることは確かなのです。
それで、より良き彼らの本当の未来社会とは何であるか。
皆さんは、「自由からの逃走」といふエーリッヒ・フロムの本などをお読みになつたことがあるだらうと思ひますが、
…いはゆる、ヒューマニテリアン・ソシャリズムですが、完全な言論自由化の社会主義といふやうな、誰が考へても
実現不可能のやうな、より良き未来に向かつて進んで行かうと、それがまあ大体の左翼型のラディカルな革命の
行動の先にある未来国であると考へて良いと思ひます。
…何も私は共産主義に対抗して生きてゐるわけではありません。
…ですけれども彼らの考へにうつかり動かされ、蝕まれていつたならば、どういふ結果になるか目に見えてゐる。
三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

254 :
私は未来といふものはないといふ考へなのです。未来などといふことを考へるからいけない。
…我々はアメーバが触手を伸ばすやうに、闇の中を手探りで少し先の未来までは予測ができる。
或ひは来年くらゐまでは予測できるかもしれない。
しかし、人間が予測されない闇の中を進んでゆくためには、その闇の彼方にあるものを信ずるか、或ひはその闇といふものに
対決して本当に自分の現在に生きるかといふことの二つの選択を迫られてゐるといふのが私の考へ方の基本であります。
“未来に夢を賭ける”といふことは弱者のすることである。
そして、自分をプロセスとしか感じられない人間のすることであります。
…このやうな思考の中からは人間の円熟といふことも出て来なければ、人間の成熟といふ思考も絶対に出て来ない。
実は、人間は未来に向かつて成熟してゆくものではないんです。
それが人間といふ生き物の矛盾に充ちた不思議なところです。
人間といふものは“日々に生き、日々に死ぬ”以外に成熟の方法を知らないんです。
そこで、何も未来を信じない時、人間の根拠は何かといふことを考へますと、次のやうになります。
未来を信じないといふことは今日に生きることですが、刹那主義の今日に生きるのではないのであつて、
今日の私、現在の私、今日の貴方、現在の貴方といふものには、背後に過去の無限の蓄積がある。
そして、長い文化と歴史と伝統が自分のところで止まつてゐるのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。
つまり、自分が支へてきた文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いてゆくのではないのです。
今、私が四十歳であつても、二十歳の人間も同じ様に考へてくれば、その人間が生きてゐる限り、
その人間のところで文化は完結してゐる。
その様にして終りと終りを繋げれば、そこに初めて未来が始まるのであります。
三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

255 :
われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、
これこそ自分であるといふ気持で以つて、全身に自分の歴史と伝統が籠つてゐるといふ気持を持たなければ、
今日の仕事に完全な成熟といふものを信じられないのではなからうか。
或ひは、自分一個の現実性も信じられないのではなからうか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。
自分の背中に日本を背負ひ、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負つてゐるのだといふ気持に一人一人がなることが、
それが即ち今日の行動の本になる。
…「俺一人を見ろ!」とこれがニーチェの「この人を見よ」といふ思想の一つの核心でもありませう。
けれども、私は中学時代に「この人を見よ」といふのは「誰を見よ」といふのかと思つて先輩に聞きましたところ、
「ニーチェを見よ」といふことだと教へて貰ひ、私は世の中にこんなに自惚れの強い人間がゐるのかと驚いたことがあるのです。
しかし、今になつて考へてみると、それは自惚れではないのであります。
自分の中にすべての集積があり、それを大切にし、その魂の成熟を自分の大事な仕事にしてゆく。
しかし、そのかはり何時でも身を投げ出す覚悟で、それを毀さうとするものに対して戦ふ。
…ここにこそ現在があり、歴史があり、伝統がある。彼らの貧相な、観念的な、非現実的な未来ではないものがある。
そこに自分の行動と日々のクリエーションの根拠を持つといふことが必要です。
これは又、人間の行動の強さの源泉にもなると思ふ。といふのは人間といふものは、それは果無い生命であります。
しかし、明日死ぬと思へば今日何かできる。そして、明日がないのだと思ふからこそ、今日何かができるといふのは、
人間の全力的表現であり、さうしなければ、私は人間として生きる価値がないのだと思ひます。
三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

256 :
本日ただ今の、これは禅にも通じますが、現在の一瞬間に全力表現を尽すことのできる民族が、その国民精神が
結果的には、本当に立派な未来を築いてゆくのだと思ひます。
しかし、その未来は何も自分の一瞬には関係ないのである。
これは、日本国民全体がそれぞれの自分の文化と伝統と歴史の自信を持つて今日を築きゆくところに、
生命を賭けてゆくところにあるのです。
特攻隊の遺書にありますやうに、私が“後世を信ずる”といふのは“未来を信ずる”といふことではないと思ふのです。
ですから、“未来を信じない”といふことは、“後世を信じない”といふこととは違ふのであります。
私は未来は信じないけれども後世は信ずる。
特攻隊の立派な気持には万分の一にも及びませんが、私ばかりでなく、若い皆さんの一人一人がさういふ気持で後輩を、
又、自分の仕事ないし日々の行動の本を律してゆかれたならば、その力たるや恐るべきものがあると思ひます。
三島由紀夫
「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より

257 :
是非もなし  織田信長

258 :
振りかざす太刀の下こそ地獄なれ 一足進め先は極楽  宮本武蔵

259 :
味噌を熱湯にとかして飲むとおいしい  石田三成

260 :

…ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日のわれわれの胸にも直ちに通ふのだ。
この凄涼たる風がひとたび胸中に起つた以上、人は最終的実行を以てしか、つひにこれを癒やす術を知らぬ。
三島由紀夫
「日本文学小史 第四章 懐風藻」より

261 :
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己れを尽して人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
西郷南州(西郷隆盛)
「遺訓」より

262 :
幾たびか辛酸を歴て 志始めて堅し
丈夫は玉砕するも甎全を愧づ
一家の遺事 人知るや否や
児孫の為に美田を買はず
(一個の男子たる者、玉として砕け散ることはあつても瓦のやうなつまらぬ生涯をまつたうすることを愧づかしく思ふ…)
西郷南州(西郷隆盛)
「遺訓」より

263 :
益荒男の たばさむ太刀の鞘鳴りに 幾歳耐えて けふの初霜  三島由紀夫

264 :
>>263
既出
三島由紀夫を連投しているのは同一人物か?
武士道を重視していた人だから別にいいのだが、
基本は戦国時代板なのだから、そこらへんも考えてくれ。

265 :
生を必するものは死し、死を必するものは生く 上杉謙信

266 :
たとえ身は 蝦夷の島根に朽ちるとも 魂は東の君やまもらむ 土方歳三

267 :
質問です春日局の詩についてなんですが
「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」とありますが
音読する際は「にしにいる つきをいざなひ ほうをえて けふぞかたくを
のがれけるかな」でいいのですか?とくに法が「のり」だったらどうしようか
悩んでいます
文献によってよみかたまちまちですよね
上のしだと
たとひみは 蝦夷のしまねに朽ちるとも たまはあずのきみやまもらむ
あと人前で音読する最赤っ恥を書かないコツとかありますか?
毛利元就の
「をさまれし よにこそしけれ」とかは音読し「おさまれし」のほうが適切
なんですか?

268 :
>>267
のりだYO

269 :
そうっすか、やっぱ海苔でしたか、回答ありあとうございます

270 :
治世に文を用い、乱世に武を用いるのは、当然のことであるが、
治世に武を忘れず、乱世に文を捨てないのが、最も肝要である。 
黒田如水公の言葉です。

271 :
世の中を見ると君臣朋友の間は、みなワガママから不和となっている。
自分が好むことを人が好まない場合だってあるのだ。
家来とても同じように嫌がることが多い。
将たる者は、ここに気をつけ、自分に好み性格がよく似ている士を選んで、
ひそかに自分の目付に頼んでおき、時々意見をきき、自分の善悪をきいて、
万事に心をつけることが、将たる者の第一の大切な務めである。
この心得がなければ、自分の過失がわからずに、それが次第に大きくなって、
人々にうとまれ、家を滅ぼし、身を失うものである。  豊臣秀吉

272 :
まてしばし我ぞ渉りて三瀬川 浅み深みも君に知らせん 蒲生大膳

273 :
我が人生に一片の悔いなし!!!   ○オウ

274 :
反省と改善の出来ない武将は生き残れなかったのが戦国時代。
ラオウは平和ボケの甘ちゃん

275 :
>>269
ここでは ほう と読むんじゃないか?
法は仏法を指すんだろう?
法をのりと読むと、人の決めた決まりごと・法律 になるんじゃないかな?

276 :
死はもとより覚悟の上なり

277 :
俺が死んだら何人泣くべ 特攻隊勇士

278 :
もののふが かなしき命 つみかさね つみかさね護る 大和島根を 特攻隊勇士

279 :
真夜中に
何度も起きて
オシッコへ

280 :
辞世じゃないけど・・・
初陣に松一本手植えして負ければ墓地のしるしとやせむ 柴田勝家
13歳のときの句だそうです。初々しいなあ権六。

281 :
どちらも敬意を持って読むべき先人の歌なんだけれど、
戦国武士と特攻隊の歌を比べてみると、
特攻隊の歌の悲壮感に比べて、戦国武士の歌には落ち着きというか静寂を感じる。
これは徴兵された者と、子供のころから当たり前に武士として育った者の違いだろうね

282 :
孤軍援(たす)け絶えて俘囚となり
君恩を顧念して 涙 更(また)流る
一片の丹衷(たんちゅう) よく節に殉じ
雎陽(すいよう)は千古 これわが儔(ともがら)
他に靡(なび)きて今日また何をか言はむ
義を取り生を捨つるは わが尊ぶところ
快く受く 電光三尺の剣
ただ まさに一死をもって君恩に報いむ

283 :
>>281
特攻隊は死を権力に強要されたからだろ
無能な上層部の命令で、しかも米軍の艦船は対空装備が整っているから近づく前に落とされてろくに戦果もあげられない
まさに無駄死にだから理不尽なもんだ   

284 :
主君の失政から負け戦をしなければならない状況は戦国時代にもあったわけだから権力がどうだのって話じゃなく、
徴兵制度で緊急的に作られた兵士と、生まれながら武士になることが決まっていた人間の鍛え方と覚悟の違いの話でしょ。

285 :
内戦と外戦の違いもあるだろうなあ。
同じとは言い切れないが、かなり近い価値観を持った者同士の戦いとそうじゃない者同士の戦い。
戦国の世でも女子供の命は保障されていたようなものだから安心してたけど、
無差別爆撃で明らかなようにアメリカ軍は女子供をしにきていたわけだし。

286 :
嫉妬をすることがないように誰彼によく申しつけるがよい。
「堅固な防備をゆるめるのは、盗賊の横行を許す端緒ともなり、
顔に厚化粧をするのは、心を乱す端緒ともなる」
のであって、どこまでも高雅な気持ちを維持していなくてはならぬ。 武田信繁

287 :
極楽の道はひとすじ君ともに 阿弥陀をそえて四十八人  大石内蔵助良雄

288 :

日本はみかけの安定の下に、一日一日魂のとりかへしのつかぬ癌症状をあらはしてゐるのに、
手をこまぬいてゐなければならなかつた。
もつともわれわれの行動が必要なときに、状況はわれわれに味方しなかつたのである。
(中略)
日本が堕落の淵に沈んでも、諸君こそは、武士の魂を学び、武士の錬成を受けた、最後の日本の若者である。
諸君が理想を放棄するとき、日本は滅びるのだ。
私は諸君に、男子たるの自負を教へようと、それのみ考へてきた。
一度楯の会に属したものは、日本男児といふ言葉が何を意味するか、終生忘れないでほしい、と念願した。
青春に於て得たものこそ終生の宝である。決してこれを放棄してはならない。
三島由紀夫
遺言「楯の会会員たりし諸君へ」より

289 :
時世の句によく不如帰って出てくるけど、あの時代不如帰って特別な意味のある鳥だったの?

290 :
夜に(も)啼くので、この世とあの世を行き来する鳥と思われていたらしい。
北欧神話のヴァルキリー的な魂の案内者とでも言えばいいのだろうか?

291 :
「我に七難八苦を与えたまえ」 山中鹿之助

292 :
都渡劃断す千差の道 南北東西本郷に達す 尼子勝久

293 :
あら楽し思いは晴るる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし   大石内蔵助良雄   

294 :
七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空  朝倉義景

295 :
み菩薩の種を植えけんこの寺へ みどりの松の一あらぬ限りは  宇喜多秀家

296 :
うきた氏とは珍しい…

297 :
>>296
この句は信仰心の覚悟が出ていてカッコイイと思います。

298 :
君主たろうとする者は、その心を寛大にして、些細なことにかかわるべきではない  徳川家康公

299 :
咲く花を散らさじと思ふ御吉野は 心あるべき春の山風   徳川家康
春、花、風というキーワードが含まれているだけになかなか興味深い

300 :
【武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり】
山本常朝『葉隠(武士としての心得について見解を「武士道」という用語で説明した記録)』より

301 :
>>300
これだね
一、武士道に於いておくれ取り申すまじき事。
一、主君の御用に立つべき事。
一、親に孝行仕るべき事。
一、大慈悲を起し人の為になるべき事。
此の四誓願を、毎朝、仏神に念じ候へば、二人力になりて、後ろへはしざらぬものなり。
尺取虫の様に、少しづゝ先へ、にじり申すものに候。仏神も、先ず誓願を起こし給ふなり。

302 :
名言、格言、辞世の句
残しただけで、おかしいよ。
本当の人間は、そんなもの残さないって。

303 :
本当の人間ってなんだろか

304 :
ageてまで言う事かのう

305 :
>>300
「葉隠」良いですよね
イメージでけで喰わず嫌いして読んでいない人には是非読んでもらいたい書です。

306 :
>>149 政宗公遺訓ですね。
「仁に過ぐれば弱くなる。 
 義に過ぐれば固くなる。
 禮(礼)に過ぐれば諂(へつらい)となる。 
 智に過ぐれば嘘をつく。
 信に過ぐれば損をする。
 氣長く心穏かにして、萬に儉約を用て金銭を備ふべし。
 儉約の仕方は不自由を忍ぶにあり。
 此の世に客に來たと思へば何の苦もなし。
 朝夕の食事うまからずともほめて食ふべし。
 元來客の身なれば好嫌は申されまじ。
 今日の行をおくり、子孫兄弟によく挨拶をして、娑婆の御暇申すがよし。」

307 :
楠公の
武運を心でうらやみし
俺も今日より扶遙の一機ぞ
神風特攻隊員辞世

308 :
>>302
そんなことない
言葉(文字)は人間だからこそ使えるもの
人間は言葉(文字)が使える唯一の動物なんだよ

309 :
言葉は以心伝心よりかはワンクッションおくけれど、
>>308の言うとおり人間が創造した素晴らしいものだよ。

310 :
____      ________             ________
|書き込む| 名前:|            | E-mail(省略可): |sage           |
 ̄ ̄ ̄ ̄       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄           。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                          ∧_∧__ /   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                         /(*゚−゚)つ./\<. ここに「sage」(半角)と
                       /| ̄∪ ̄ ̄|\/. .| 入れるとスレがあがらないの。
                         |____|/   | そうするとマターリできるの。
                          ,,,,∪∪,,, ,,

311 :
私は進歩主義者ではないから、次のやうに考へてゐる。
精神をきたへることも、肉体をきたへることも、人間の古い伝統の中の神へ近づくことであり、失はれた完全な
理想的な人間を目ざすことであり、それをうながすものは、人間の心の中にある「古代の完全性」への郷愁である、と。
精神的にも高く、肉体的にも美しかつた、古典期の調和的人間像から、われわれはあまりにもかけはなれてしまひ、
社会にはめこまれた、小さな卑しい、バラバラの歯車になつてしまつた。
ここから人間を取りもどすには、ただはふつておいて、心に念じてゐるだけでできるものではない。
三島由紀夫
「きたへる――その意義」より

312 :
苦しい思ひをしなければならぬ。
人間の精神も肉体も、ただ、温泉につかつて、ぼんやりしてゐるやうにはできてゐない。
鉄砲でも、刀でも、しよつちゆう手入れをしてゐなければ、さびて使ひものにならなくなる。
精神も肉体も、たえず練磨して、たえずみがき上げてゐなければならぬ。
これは当り前のことなのだが、この当り前のことが忘れられてゐる。
若いうちに、つらいことに耐へた経験を持つことほど、人生にとつて宝はないと思ふ。
軍隊のやうな強制のない現在、一人一人の自発的な意志が、一人一人の未来を決定するにちがひない。
三島由紀夫
「きたへる――その意義」より

313 :
三島由紀夫を崇拝してる人たまにいるけどどこに共感するんだ?

314 :
>>313
そりゃ共感する人もいるでしょ、普通に。
ただ毎度のことながらスレ違いなんだよねw

315 :
どんな人間だって全力で何かをして生きればそれに心を打たれる人は独りくらいいるだろ
まあ特攻隊やら三島を「現代の武士」みたいなノリでここに書いてるんだろうけど
少なくとも戦国を扱った板の範疇ではないわな

316 :
検索してみると三島由紀夫を扱うスレは結構ありますね。
さすが日本を代表する文学者であり愛国者です。
以降、三島由紀夫の言葉の連投は下記のスレなどでお願いします。
☆三島由紀夫の主義・主張★
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/shugi/1258439789/l50
三島由紀夫の美文、名文、名言を引用してみよう
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1265269733/l50

317 :
文武は車の両輪の如くどちらか一つ欠けても駄目である  黒田如水公

318 :
>>317
蒲生氏郷も言ってたような・・・

319 :
真田丸での敗北後に総攻撃を主張した秀忠に対する家康の返答
敵を侮るな、戦わずに勝つ事を考えろ

320 :
>>318
文武を鳥の両翼や車の両輪に例える武士は多いですね

321 :
流れての末の世遠く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水
屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき 高橋紹運公辞世の句

322 :
家康辞世の句ですが、
嬉しやと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空
1.再び覚めて=幕府成立だとして、
 一眠りは駿府への引退?それとも死?
 死だとすると、死たる眠りとそれ以前にあたる浮世の夢で、夢眠りが連続してて若干違和感
2.浮世の夢=人生=暁の空だとして、
 人の一生は暁の空のように一瞬のもの
 現世は夜明けで、これから涅槃でうはうはするぜヒャッハー
なんでしょうか?
イマイチ解釈がわかんないです。戦国の知識が乏しく和歌解釈にも不慣れですみません
ググると、結構辞世の句として評判なので、どのあたりが高評価なのかなぁと不思議に思い

323 :
辞世の句と言えば忠臣蔵!
大石内蔵助の辞世の句は、
・あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
・極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人
生き様が伝わる名句です!

324 :
何を惜しみ何を恨みん 元よりも この有様に 定まれる身に   陶晴賢

325 :
人として名をかるばかり四十二年 消えてぞ帰るもとの如くに  宗像氏貞

326 :
おれは、Fラン中退、30代精神分裂症

327 :
人といふ名をかる程や末の露 消えてぞ帰る本の雫に  三村元親

328 :
>>323
>あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
大石内蔵助といえども討ち入りまでは苦悩や迷いがあったんだろうな。
吉良上野介を討って武士の本懐を果たして切腹することになって、
すべて終わるときが来たら不思議と心が晴れ晴れしていたんだろう。
いま自分が迷い抱えてるから、この辞世が胸に響く。

329 :
我が君の命にかわる玉の緒を 何に厭ひけん武士の道 鳥居強右衛門

330 :
不来不去 無死無生 今日雲晴れて 峰頭月明らかなり 天野隆良

331 :
さぞな春つれなき老とおもうらん ことしも花のあとに残れば 新納忠元

332 :
散りぬべき 時を知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ
曹丕

333 :
>>332
それ、細川ガラシャの辞世だろ

334 :
今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命に替はる 我が身と思へば
張任

335 :
>>334
それ、別所長治の辞世だろ

336 :
なかなかに世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の科にして 今川氏真

337 :
おもひおく 言の葉なくて つひに行く 道は迷わじ なるにまかせて
孫策

338 :
>>337
それはケネディ大統領の言葉だろ

339 :
昔より主を討つ身の野間なれば 報いを待てや島田紳助
北野武

340 :
やってはならぬ やらねばならぬ
ならぬことは ならぬものです  (会津什の掟)
四十九年一睡の夢一期の栄華一盃の酒 (上杉謙信)
辞世の句ってさその場で思いつくものかな、前もって作ってるのかな

341 :
誰かが、適当に作ってるのかも

342 :
>>322
なんか蒼天航路のラストそのまんまなんだけど

343 :
辞世って前もって作っておくものでしょ

344 :
>>340>>343
基本的には前もって作っておくもの。
用意せず死んだ場合には、生前最後に書いたものを辞世の句とすることもあるみたい。

345 :
なかなかに世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の科にして
今川氏真

346 :
自分の死ぬときの辞世の句を考えないか?

347 :
>>346
では、月孔雀さんの辞世を書き込んでくだされ

348 :
もうすぐ、死ぬとすると。
「夢を見た、学者や歌手を、目指してた。行き着く先は、放蕩息子」
かっこ悪いな・・・

349 :
>>348
それ、履歴の句w

350 :
名のためにすつる命は惜しからじ つひにとまらぬうき世と思へば 平塚為広

351 :
思いきや千年をかけし山松の 朽ちぬるときを君に見んとは  伊香賀隆正

352 :
思へば此世は常の住処にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月より猶あやし
金谷に花を詠じ栄花は先立て無常の風に誘はるる
南楼の月をもてあそぶ輩も、月に先立つて有為の雲に隠れり
人間五十年、化天の内を比ぶれば夢幻のごとくなり
一度生を受け滅せぬ物のあるべきか
一度生を受け滅せぬ物のあるべきか

353 :
鍋島直茂
「侍たる者、平素の油断が禁物だ。思わぬことに出会うものだからである。
油断をしていると必ず失敗してしまう。
もし、他人が自分の悪口を言っていても、他人の悪口を言うものではない。
仕事では人を誘い、遊びには人に誘われるのが望ましい。
自分が知らないことを人が話しているとき、知ったかぶりをするのはよくない。
自分が知っていることを尋ねられたとき、教えないのもよくないことだ。」 葉隠より

354 :
「下の情をしる事はこれ虚無僧たりし故なり」水野勝成

355 :
めいとには能わか衆のありけれは おもひ立ぬる旅衣かな
薬師寺元一

356 :
仮初めの雲隠れとは思へども 惜しむ習ひそ存明の月 大嶋照屋

357 :
約束の念仏は 申して候よ やろうやらじは弥陀のはからい
熊谷直実

358 :
いにしえの鎧にまさる紙衣
風のいる矢も通らざりけり
熊谷直実

359 :
人はただ身の程を知れ草の葉の
露も重きは落つるものかな
徳川家康公

360 :
400:日本@名無史さん :2011/01/26(水) 14:15:35 [sage]
八幡太郎義家の教えに、「武家の五つの道」というものがあった。

一には、究途(道を極めること)を知る
二には、卑賤をわきまえよ
三には、道理を先立てよ
四には、国土を知れ
五には、掟を違えず

以上五つを武家の守るべき道である、としていたと言う

361 :
島津義久の辞世の句の意味がわかりません。
教えてください。

362 :
世の中の米と水とをくみ尽くし つくしてのちは天つ大空
島津義久

363 :
「鎌倉武士のなんともいえぬ潔き気風の真髄となっているものもやはり平安時代の「あわれ知ること」である。
平安士女の生活と鎌倉武士の生活が相異なるから、その現れた事相はもちろん違う。
彼にあっては花鳥風月恋愛等に顕れたものが、これにあっては、軍陣の関係、忠孝の事蹟などに顕れたが、
その外相をおいて、その真生命について見るときには、同じ情韻が溢れているのである。
自分の詠歌を勅撰集に加えたいばかりで、死を決して落ち行く旅の路から戻ってきて、夜、和歌の師の門を叩いた平忠度もある。
足柄山の月の夜に笙の秘伝を伝えた新羅三郎もある。
落花に対して風を恨んだ源義家もある。
梅の花を箙に插して敵陣に突進した梶原景季もある。
熊谷直実が平敦盛を逃がそうとしたなども、みな鮮明に鎌倉武士の風尚を示すものである。
これらはむしろあまり鮮明すぎて、鎌倉武士の風尚を浅くするかと思わるる事例に過ぎぬ。
実に鎌倉武士は武健であった。(1/2)

364 :
忠君の情が厚かった。
そしてその武勇や忠義に一種の気韻を与えて、花よりも美しからしめるものは、
この「あわれ知る」という気風であったのである。
武士道は決して文字の上の解釈で知られるものでもなく、理屈や教条で組立てられるものでもない。
理屈や条規は、ただその形体である。その真体、精神はただ身証体得するほかには、これを捉える術はないのである。
鎌倉武士のあいだに禅学の流行したのも、その原因はこの辺にあるのである。
このことについては、武士はいつ死ぬか分からぬから宗教によったのだろうとか、
在来の仏教が腐敗したから禅宗が流行ったとか、いろいろの解釈をする人があるけれども、
我は禅の直覚的悟道と武士道の真髄なる物のあわれ、物の心を知るということと同じ趣があると思う。」(堀維孝)『国民道徳に関する講和』稿本。大正二年(2/2)

365 :
浄土にも剛の者とや 沙汰すらん
西にむかいて うしろみせねば
熊谷直実

366 :
何事をするにしても、退屈の心で怠ってはいけない。
孟子にも、聖天子舜の御代の人々は、努めて怠らず、よく栄えたとある。
武田信繁

367 :
盛衰で人の善悪は判断されないものである。
盛衰は時の運である。
善悪は人の道である。
しかし、教訓のために盛衰を言うのである。
葉隠より

368 :
武士道は死狂い也 鍋島直茂

369 :
>>337
それは黒田如水公の辞世。

370 :
牙を持たぬ人のため 地下百尺の捨石とならん!
この一念 この年齢まで 言い聞かせたるこの身ならば 首の落ちたるとて 死ぬ筈はなし!

371 :
図にはずれて死にたらば犬死にキチガイなり。
恥にはならず、恥にはならず
葉隠より

372 :
食べ物がどこからか送られて来た時には、
家臣たちに対して分配するようにしなければならぬ。
『三略』に、「古に良い将がいて兵士と苦楽をともにし、
陣中に酒や食べ物が送られて来た際には、
これらの品々を川に流し入れて、
将も兵士ともにその流れを飲んで楽しみをわかち合った」
という話が伝えられている。
武田信繁

373 :
南無八幡大菩薩
源義家

374 :
風流ということも大切であるが、それを快楽を貪ることと誤解してはならぬ。
『史記』に「酒を飲み過ぎれば心が乱れ、
快楽を貪るなら悲衰がやってくる。」とあり、
『左伝』には、「酒色に溺れ快楽を貪るのは、毒を食べるに等しく、
ついにわが身を失う原因となるから、気をつけなさい」とある。
『論語』にも、「善を好むことが酒や色を好むほどならば誠がある。」と記されている。
武田信繁

375 :
自分の気に入らないことが、本当に自分のためになることだ
鍋島直茂

376 :
義理ほど深いものはない。
従兄弟などが死んでも涙の流れないこともあるが、
縁もゆかりも見たこともない昔の人の話を聞いて、
義理ということについては涙がこぼれる
鍋島直茂

377 :
忠も孝もいらず、武士道においては死狂いなり。
このうちに忠孝は自ずからこもるべし
葉隠

378 :
『人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある』
http://www.youtube.com/watch?v=KdZkYrY5DKk

379 :
武士としての嗜み以外の事に余分の手出しをせぬように。
古い言葉に、
「好み事が多いと、ついには本道を忘れ、
天分の業以外に真の好み事はありえない」
とあり、また、
「過ぎたるは及ばざるが如し」
という言葉もある
武田信繁

380 :
人別に格言やら辞世の句やら載ってて読みやすかった。
後世の捏造やらも混じってるけどね。
ttp://hagakurecafe.gozaru.jp/meigen.htm

381 :
立ちよりて影もうつさじ流れては
浮世を出でる谷川の水
赤松義村

382 :
筑摩江や芦間に灯すかがり火と
ともに消えゆくわが身なりけり
石田三成

383 :
澄む月の暫し雲には隠るとも
己が光は照らさざらめや
大嶋澄月

384 :
よわりける 心の闇に迷わねば
いで物みせん 後の世にこそ
波多野秀治

385 :
何事も 移ればかわる 世の中を
夢なりけりと 思いざりけり
真田信幸

386 :
おもしろきこともなき世におもしろく
高杉晋作

387 :
すみなすものは心なりけり
野村望東尼

388 :
後の世もまた後の世もめぐり会え
染む紫の雲の上まで
源義経

389 :
今はただ恨みもあらじ諸人の命に代わるわが身と思へば
別所長治
 

390 :
善しやただ みだせる人の とがにあらじ
時至れると 思ひけるかな
少弐政資

391 :
古の 鎧に勝る 紙衣
風の射る矢も 通らざりけり
熊谷直実

392 :
幸せな時は、自慢と奢りで身を滅ぼす危険がある。
充実した時ほど、日頃の倍も謙虚な気持ちでいないと失敗してしまう。
幸せな時に調子に乗る者は、
調子が悪くなるとすぐにへこたれる
葉隠より

393 :
命をも 惜しまざりけり 梓弓
すえの世までも 名の残れとて
別所友之

394 :
天地の清き中より生まれきて
もとのすみかにかえるべらなり
北条氏照
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