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2012年3月文学67: 三島由紀夫の「豊饒の海」を語ろう★ (314) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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三島由紀夫の「豊饒の海」を語ろう★


1 :
『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の長編小説。
「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の4部からなり、「浜松中納言物語」に題材をとる。
1965年から1970年にかけ、月刊の文芸雑誌『新潮』に連載された。
概要
「夢と転生」がテーマ。20歳で死ぬ青年が、次の巻の主人公に生まれ変わっていく。
仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬、など様々な東洋の伝統を踏まえて書かれている。
なお第一巻は和魂を、第二巻は荒魂、第三巻は奇魂、第四巻は幸魂を表すと三島は述べている。第四部「天人五衰」の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自した(三島事件)。
「豊饒の海」とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」の訳語。
創作ノートからは、当初とは全く違った構想だったことがうかがえる。

2 :
第一巻・春の雪
生まれたときから貴族であることが約束されている侯爵令息・松枝清顕は自尊心の強い繊細な人物であった。
何不自由ない生活を送っていたが、流れるままの生活に何か蟠りを抱えていた。
そんな彼にとって、幼馴染の伯爵令嬢・綾倉聡子は特別な存在であった。聡子もいつからか清顕を恋い慕うようになっていた。
が、些細なことで自尊心を傷つけられた清顕は突き放したような態度をとるようになる。聡子は失望して洞院宮治典王と婚約。
皇族の婚約者となったことで、聡子との恋が禁断と化したことから、日常生活からの脱却を夢見る清顕は、聡子に関係を迫り、聡子もこれを受け入れる。
しかし聡子の妊娠によって二人の仲は両家に知れ渡り、聡子は大阪の松枝侯爵の知り合いの医師の元で中絶をし、そのまま奈良の門跡寺院「月修寺」で出家する。
なおも清顕は聡子との面会を希望するが、聡子は拒絶。雪中で待ち続けたことが原因で肺炎をこじらせ、清顕は二十歳の若さで死ぬが、
死ぬ直前に親友・本多繁邦に転生しての再会を約束する。

3 :
『豊饒の海』の第一巻『春の雪』、第二巻『奔馬』を通読して、私は奇蹟に打たれたやうに感動し、驚喜した。
このやうな古今を貫く名作、比類を絶する傑作を成した三島君と私も同時代人である幸福を素直に祝福したい。
ああ、よかつたと、ただただ思ふ。この作は西洋古典の骨脈にも通じるが、日本にはこれまでなくて、しかも
深切な日本の作品で、日本語文の美彩も極致である。三島君の絢爛の才能は、この作で危険なまでの激情に
純粋昇華してゐる。この新しい運命的な古典はおそらく国と時代と評論を超えて生きるであらう。
川端康成

4 :
今日では、「豊饒の海」は彼の数多い作品の中で最高の地位に置かれている。
近代日本を一種のパノラマのように見せる点で、翻訳された他のどんな作品より優れているからである。
「春の雪」に明治末から大正にかけての日本を描き、「奔馬」の勲に激動の昭和初期を映し、「天人五衰」中に
復興した日本社会の醜さをあばく…
西洋人があまり知らない国・日本が、そこではみごとに語られている。
ヘンリー・スコット・ストークス「三島由紀夫 死と真実」より

5 :
読後のこころよい興奮のうちに、『源氏物語』をはじめて読んだ日々のことが、二重写しになって、おもむろに
浮かんできた。
…今になって『源氏』が読みたくなった…(中略)
『夕顔』にいたるや、小躍りして私は思った。これこそ『源氏』だ、と。ふたつのイメージが重なったばかりでなく、
重なると同時に、忽然、ひかりを発し、匂いを発し、小天地はおのずから展開してゆく。私は静かな熱狂を覚えた。
そのしずかな熱狂が、『春の雪』読後、私によみがえった。
それは、この国の暗い地下水、「優雅」に対する讃嘆であった。
(中略)優雅とは、洗練された、優美繊細なものと一般に言われているが、その根底には、いつも野性を秘めて
いなければならない。(中略)
優雅とは、地上のあらゆる権勢富貴を、つねに見おろす魂の高貴さにあり、言い替えれば、すべての物質に
対する精神の優位を示すものである。(中略)
まことの「優雅」は、現代人のいわゆる「優雅な生活」を棄てた人たちの手によって、受け継がれて来たのである。
(中略)私は『春の雪』が、三島のすべてではないことを知っている。しかしそこには、作者三島のふるさとがある。
三島ばかりでなく、日本文学が、否定しようとしても否定できないもの、脱皮しようとしても脱皮できないもの、
ひとたびは回帰すべき、この国の「深い根」が描かれている。「優雅」が描かれている。だから私は『春の雪』を、
『豊饒の海』の第一巻としてばかりでなく、三島の全作中の、最も高い位置に置きたいのである。
坊城俊民「焔の幻影 回想三島由紀夫」より

6 :
奔馬
 舞台設定は昭和7年6月16日。その2年前、昭和5年11月に右翼青年・佐郷屋留雄による浜口雄幸首相狙撃事件が起こり、
翌6年には陸軍中佐・橋本欣五郎や大川周明らによる三月事件(戦後発覚)と十月事件(未遂)、さらに物語が
動き出す7年には血盟団事件と五・一五事件が世間を震撼させた、いわゆる「テロリズムの時代」を背景としている。
「小説内小説」である『神風連史話』は、史実に基づいているだけに興味深いが、
「あれほどの敬虔な精神の集中、あれほどの純一無垢の志に、何故神助が添わなかったのか」
という一文は印象的であり、物語の末路を示唆してもいる。
 
 登場人物では、井筒や相良ら若い「同志」をはじめ、勲らを精神的に指導し最後には裏切りをみせる堀中尉、
あるいは『春の雪』の因縁から聯隊長として再登場する洞院宮らが物語に躍動感を与えているが、注目すべきは、
綾倉聡子とはまた違った形で結果的に勲を翻弄し、打ちのめすことにもなる鬼頭槙子、そしてその性格づけに作者が
最後まで決定的な結論を示さなかった佐和の存在だろう。
 物語は中盤、甲斐国北都留郡梁川に位置する真杉海堂の道場近くの山麓で、一つの劇的な展開を見せ、
「不発の結末」へと急激に進んでいく。そして暗黒の時刻の最中の、あまりにも唐突な終末。
それは、勲がかつて夢見ていたような「昇る日輪を拝しながら」の最期ではなかったのだが……
作者三島は飯沼勲に何を仮託し、読者に対してどのような「世界」を見せようとしていたのだろうか。
三島文学の中でも、あまりにも有名な最後の一文に向かって、この物語は荒れ狂う奔馬のように疾走するのだ。

7 :
暁の寺
 三島由紀夫『暁の寺』は「頓死」する小説である。
「豊饒の海」四部作のうち、唯一、章立てにより2部構成を採っており、その前半と後半とでは、文章、
内容の緊密度、構成、ボリュームともに著しい非対称ぶりを示している。そして、全編を貫いて、ついに
『春の雪』の松枝清顕や『奔馬』の飯沼勲の如き「ヒーロー」の登場しない、いわば“物語から遠く離れた”
「アンチ・ロマン」として、四部作の中でも異彩を放つ問題作となっている。
 第1章、冒頭の舞台は昭和16年のバンコック。日米戦の切迫が時局を大きくうねらせ、年末にはあの悲劇的な
太平洋戦争が勃発する年である。本多繁邦は五井物産の庇護のもと、47歳の名を遂げた弁護士として大名旅行の
途上にある。そして、自分は日本人の生まれ変わりだと言って泣き叫ぶ、満7歳になる「狂気の」月光姫との謁見。
 それは、『奔馬』結末部で深甚とした印象を読者に与える飯沼勲の叫び、
 
「ぼくは幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によって罰せられたわけですね。(略)大人になるより、…
そうだ、女に生れ変わったらいいかもしれません。女なら、幻など追わんで生きられるでしょう、母さん」
 という科白を直ちに想起させよう。そして、言うまでもなくこの預言は清顕の『夢日記』にも遡るものである。

8 :
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三島由紀夫Part40
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9 :
 ヒンズー教の聖地ベナレス、とりわけマニカルニカ・ガートの描写は、いわば前半部の圧巻というべきもので、
死者を焼き尽くす炎は、第2部結末部に直結している。そして、アジャンタの洞窟寺院の体験、西洋の輪廻転生説
(オルペウス教)、ミリンダ王のナーガセーナ長老との問答、マヌの法典、「唯識」論――。あたかも第1部は、
三島美学と鋭く対峙する輪廻哲学の絢爛な見本帖とでも言うべき観を呈している。そして昭和20年6月、蓼科との
思わぬ再開……。
 
 対して、第2章は昭和27年春に時を移し、58歳の本多は財をなした観念的な「俗物」として再び姿を現す。
 徹底したストイックな理知に前半生を生きた本多は、今や「覗く男」として私たちの前に出現する。
観念的な第1章と大きな対比を描くように、第2章はまるで大衆小説のような筆致のもと、輪廻の輪から
はみ出した登場人物たちが各々滑稽な猿芝居を演じているかのようだ。

10 :
 19歳になり、肉体的にも(後には性的にも)成熟したジン・ジャンとの再会。そして、あまりにも突飛な――
あたかも作者・三島によって物語の結末部を不意に断ち切られたかのようなカタストロフィー。
最後の1行を読み終わるまで、読者はこの大団円を信じることなどおよそ不可能であるに違いない。
 
 逆説的に言えば、この物語は結末を迎えることによってすべての読者を裏切り、取り返しのつかない破綻を
迎えてしまった絶望的な小説と言うこともできよう。森川達也は、文庫版の解説に三島の
「私はこの第三巻の終結部が嵐のように襲って来たとき、ほとんど信じることができなかった。それが完結することが
ないかもしれない、という現実のほうへ、私は賭けていたからである。この完結は、狐につままれたような出来事だった」
という言葉(『小説とは何か』)を紹介しているが、さらに言うならば、三島の築きあげてきた文学的キャリアが、
この一作によって全否定されてもおかしくはない、それほどの不可逆的なまでの失敗作が、その破綻ぶりの天才的な
深さにより、却って文学作品が根源的に持つ魔術的リアリズムを我知らず露呈させているという――芸術の臨界を
超えた凄みをも呈しているように見えるのだ。

11 :
天人五衰
 『天人五衰』は、脱稿の日付に三島自決当日の「昭和四十五年十一月二十五日」の日付が刻まれているように、
文字通り小説家・三島由紀夫の「白鳥の歌」である(ただし、年譜によれば三島は最終稿を8月に伊豆下田東急ホテルで脱稿したらしい)。
 戦後の一時代の文学史を画した三島にふさわしい「問題作」であることは間違いないが、四部作としては
『春の雪』『奔馬』に比べ、その構想、完成度を比べると一歩も二歩も及ばない。『暁の寺』第二部以降連綿と続く
三島の見えない虚脱、「書き急ぎ」の観は本書でも明らかだ。論理展開のその気詰まりなまでの「強引さ」を、
三島らしい細部描写の過剰な超絶技巧によって韜晦しているといって過言ではない空虚な饒舌さ。
 半面、そうした構成力の投げやりな粗さや無関心なまでの切断、断絶も(例えば本作に登場する浜中百子の扱い。
紅一点のヒロインでありながら、透の『待った甲斐があって、やっと傷つける値打のある存在が現れたぞ』という
放恣な欲望を充足するためだけに描写される)、「肉をとおって聖性に達する、この暗い隘路」のような
「輪廻転生」という主題の難解さのもとでは、一種独特なリアリティーを獲得しているように読めなくもないだろう。
 

12 :
『豊饒の海』全四巻を貫いているのは、大乗仏教に現れる「唯識」哲学である。
それは、徹底した実在の「否定」であり、外部世界に実在すると思われていたものは、すべて自らの深層意識=
「阿頼耶識」の錯覚が描き出した影像に過ぎないという思想だ。
そこは三保の松原、空飛ぶ天人を謳った「羽衣伝説」の舞台でもある。本多繁邦は76歳になっていた。
「覗く少年」安永は、同じく「覗く老人」本多のカリカチュアでもある。「自分はいつも見ている。もっとも
神聖なものも、最も汚穢なものも、同じように。見ることがすべてを同じにしてしまう」と慨嘆する本多老人に対し、
「あそこからこそ自分は来たのだ、幻の国土から。夜明けの空がたまたま垣間見せるあの国から」と見得を切ってみせる透少年。
「見るがいい。この少年こそ純粋な悪だった!」という命題は、「人生をまじめに厳粛に考えたりする年齢を、
本多は夙うに通りすぎていた。どんな邪悪な戯れもゆるされる年齢である」という本多への修飾に精確に対応する。
まごうことなき「悪」の物語、それが『天人五衰』のもう一つの主題である。
 
 ひょっとすると、あの少年は、はじめて本多の前に現れた精巧な贋物なのではあるまいか。――そう嘯いてみせる作者・三島の声は、
本作品に周到に投げかけられた有毒な「罠」ではなかったか。果たして、安永透は本当に「贋物」だったのか。
その解釈をめぐって、本書は錯綜した複線的な「読み」に開かれるだろう。

13 :
駄作な

14 :
前景の兵隊はことごとく、軍帽から垂れた白い覆布と、肩から掛けた斜めの革紐を見せて
背を向け、きちんとした列を作らずに、乱れて、群がつて、うなだれてゐる。わづかに左隅の
前景の数人の兵士が、ルネサンス画中の人のやうに、こちらへ半ば暗い顔を向けてゐる。
そして、左奥には、野の果てまで巨大な半円をゑがく無数の兵士たち、もちろん一人一人と
識別もできぬほどの夥しい人数が、木の間に遠く群がつてつづいてゐる。
前景の兵士たちも、後景の兵士たちも、ふしぎな沈んだ微光に犯され、脚絆や長靴の輪郭を
しらじらと光らせ、うつむいた項や肩の線を光らせてゐる。画面いつぱいに、何とも云へない
沈痛の気が漲つてゐるのはそのためである。
すべては中央の、小さな白い祭壇と、花と、墓標へ向つて、波のやうに押し寄せる心を
捧げてゐるのだ。野の果てまでひろがるその巨きな集団から、一つの、口につくせぬ思ひが、
中央へ向つて、その重い鉄のやうな巨大な環を徐々にしめつけてゐる。……
古びた、セピアいろの写真であるだけに、これのかもし出す悲哀は、限りがないやうに思はれた。
三島由紀夫「春の雪」より

15 :
女がとんだあばずれと知つたのちに、そこで自分の純潔の心象が世界を好き勝手に描いて
ゐただけだと知つたのちに、もう一度同じ女に、清らかな恋心を味はふことができるだらうか? 
できたら、すばらしいと思はんかね? 自分の心の本質と世界の本質を、そこまで鞏固に
結び合せることができたら、すばらしいと思はないか? それは世界の秘密の鍵を、
この手に握つたといふことぢやないだらうか?
歌留多(カルタ)の札の一枚がなくなつてさへ、この世界の秩序には、何かとりかへしの
つかない罅(ひび)が入る。とりわけ清顕は、或る秩序の一部の小さな喪失が、丁度時計の
小さな歯車が欠けたやうに、秩序全体を動かない靄のうちに閉じ込めてしまふのが怖ろしかつた。
なくなつた一枚の歌留多の探索が、どれほどわれわれの精力を費させ、つひには、
失はれた札ばかりか、歌留多そのものを、あたかも王冠の争奪のやうな世界の一大緊急事に
してしまふことだらう。彼の感情はどうしてもさういふ風に動き、彼にはそれに抵抗する術が
なかつたのである。
三島由紀夫「春の雪」より

16 :
夢のふしぎで、そんなに遠く、しかも夜だといふのに、金と朱のこまかい浮彫の一つ一つまでが、
つぶさに目に泛ぶのです。
僕はクリにその話をして、お寺が日本まで追ひかけてくるのは別の思ひ出でせう、と笑ふのです。
そのたびに僕は怒りましたが、今では少しクリに同感する気になつてゐます。
なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつて
われわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、
いづれも手で触れることのできない点で共通してゐます。手で触れることのできたものから、
一歩遠ざかると、もうそれは神聖なものになり、奇蹟になり、ありえないやうな美しい
ものになる。事物にはすべて神聖さが具はつてゐるのに、われわれの指が触れるから、
それは汚濁になつてしまふ。われわれ人間はふしぎな存在ですね。指で触れるかぎりのものを
涜(けが)し、しかも自分のなかには、神聖なものになりうる素質を持つてゐるんですから。
三島由紀夫「春の雪」より

17 :
夢とちがつて、現実は何といふ可塑性を欠いた素材であらう。おぼろげに漂ふ感覚ではなくて、
一顆の黒い丸薬のやうな、小気味よく凝縮され、ただちに効力を発揮する、さういふ思考を
わがものにしなくてはならないのだ。
法律学とは、まことにふしぎな学問だつた! それは日常些末の行動まで、洩れなく
すくひ上げる細かい網目であると同時に、果ては星空や太陽の運行にまでむかしから
その大まかな網目をひろげてきた、考へられるかぎり貪欲な漁夫の仕事であつた。
何故時代は下つて今のやうになつたのでせう。何故力と若さと野心と素朴が衰へ、
このやうな情ない世になつたのでせう。
一瞬の躊躇が、人のその後の生き方をすつかり変へてしまふことがあるものだ。その一瞬は
多分白紙の鋭い折れ目のやうになつてゐて、躊躇が人を永久に包み込んで、今までの紙の表へ
出られぬやうになつてしまふのにちがひない。
三島由紀夫「春の雪」より

18 :
あたかも俥は、邸の多い霞町の坂の上の、一つの崖ぞひの空地から、麻布三聨隊の営庭を
見渡すところへかかつてゐた。いちめんの白い営庭には兵隊の姿もなかつたが、突然、
清顕はそこに、例の日露戦没写真集の、得利寺附近の戦死者の弔辞の幻を見た。
数千の兵士がそこに群がり、白木の墓標と白布をひるがへした祭壇を遠巻きにして
うなだれてゐる。あの写真とはちがつて、兵士の肩にはことごとく雪が積み、軍帽の庇は
ことごとく白く染められてゐる。それは実は、みんな死んだ兵士たちなのだ、と幻を見た瞬間に
清顕は思つた。あそこに群がつた数千の兵士は、ただ戦友の弔辞のために集つたのではなくて、
自分たち自身を弔ふためにうなだれてゐるのだ。……
幻はたちまち消え、移る景色は、高い塀のうちに、大松の雪吊りの新しい縄の鮮やかな麦色に
雪が危ふく懸つてゐるさま、ひたと締めた総二階の磨硝子の窓がほのかに昼の灯火を
にじませてゐるさま、などを次々と雪ごしに示した。
三島由紀夫「春の雪」より

19 :
で、聡子の忘れたフリは何なの?
>>6
その奔馬の中に違う本が出てくるところ、すごく面倒臭かったw
あれは読んでて苦痛だったね。
一番軽いのが暁だね。覗きとかアングラ要素を出してしまうのは何だか残念。
それは肉体の学校あたりの週刊誌小説に限定してほしかったなあ。
春の雪はすごく好き。盗賊と金閣寺の手に入れると滅んでしまう美みたいな感じで。
遅すぎたところに恋があるんだよね。
「清様遅いわ」まさに春の雪。季節に遅れた、遅い雪w
まあ三島の中で一番の作品は、美しい星かな。
凡人を皮肉ってるのがいいねえ。金閣寺はね、燃やさなければならない
っていう使命を無理やり思い込んでいる部分をカットしているのが残念。
まあ三島は固いのは限界があったと思う。
ドストエフスキーに比べたら温いし。

20 :
聡子は痴呆症を患ってたんだお

21 :
(小論)
 改めて気がついた『春の雪』の日付の意味
   浅野正美

三島由紀夫氏没後40年という節目の年に、「豊穣の海」を通して読み返した。
前回読んだのは私の年齢が三島氏の生涯の年齢を超えた5年前、奇しくも三浦重周氏が自決した年であった。
 恥ずかしいことだが、今回の読書で初めて、春の雪というこの作品の題名を理解することができた。
初読以来30年が過ぎたが「豊穣の海」は私が今までの生涯で一番多く、繰り返し読んできた文学作品である。
にも関わらず私はずっと、春の雪とは清顯と聡子が雪の朝、車に乗って逢い引きをし、初めての接吻を交わしたあの美しくも印象的なシーンから取られたものとばかり思っていた。
この作品にはもう一つ印象的な雪のシーンがある。それは物語の終幕近くで、聡子会いたさに清顯が月修寺に通う場面である。

22 :
 この場面の前後を時系列に並べると、物語は次のように展開している。年号は大正3年。
2月21日    清顯東京を出発
2月22日    帯解着 宿屋から車を雇い月修寺へ
2月23日    午前と午後に月修寺へ 車は門前まで
2月24日    月修寺へ 宿屋から徒歩
2月25日    月修寺へ 発病
2月26日    月修寺へ 車は門前まで 雪(風花) 深夜本多合流 病悪化
2月27日    本多月修寺へ その日の夜行で帰京 意識混濁
2月28日    午前6時新橋駅到着
3月 2日    清顯死去
 お気づきの方もおられようが、2月26日!は清顯が月修寺から最後の否を宣告された日である。
病に蝕まれた体にはもう寺に通う体力は残されていない。そして雪。

23 :
この雪を三島氏は作品の中でこう描写している。
「この日大和平野には、黄ばんだ芝野に風花が舞ってゐた。春の雪といふにはあまりに淡くて羽虫が飛ぶやうな降りざまであったが・・・・」(単行本351頁)
 清顯は車を門前に待たせ、喘ぎながら参道を往く。
「命を賭けなくてはあの人に会へないといふ思ひが、あの人を美の絶頂へ押し上げるだらう。そのためにこそぼくはここまで来たのだ。」(同354頁)
 三島氏はここで初めて「春の雪」という言葉を使っている。この日付は偶然であろうか。
春の雪には、ここまではっきりと日付がわかる個所は他にはほとんどない。例えば先にあげた雪見のシーンでも、日付は明確にされていない。
前後の文章から、この日が正月から飯沼の卒業試験までの間ということがわかるので、おぼろげに、1月か2月であろうということくらいが読み取れるだけである。
 命を賭けるべき絶対の美(天皇 聡子)、そして絶対の美からの峻拒。この主題は三島氏が金閣寺や2.26事件に関する一連の発言の中で繰り返し訴えて来たことに繋がる。

24 :
 三島氏が2.26事件を意識してこの日付を設定したかどうかは、今となってはわからない。
ただし、先にも触れたように、絶対の美、雅からの拒絶、雪、主人公の死、と並べてみると、偶然とは思えない。
雪の2月26日に向けて、清顯は聡子に会いたいという執念を抱いて帯解に旅立つが、思いはかなわず19年の生涯を閉じる。
それから22年後の同じ日に、国を憂える青年将校、兵士達は昭和維新を志して決起するが、ここでも思いは届かない。
第二巻の奔馬では、この2.26事件とほぼ同時代を生きる主人公の飯沼勲が、昭和の神風連たらんとする。
 小説「春の雪」は、2.26事件へのオマージュであったというつもりはない。この二つの日付の一致はすでにだれかによって指摘されていることだと思う。
ただ、鈍感な私が最近初めて気が付いたというに過ぎない。
また、多くの読者にとって、題名の春の雪が、雪見の逢瀬からではなくて、帯解に舞った淡雪から取られていることも自明のことだろう。

25 :
永すぎた春から考えてみる。
あの作品は春つまり二人の婚約があり、結婚(春)までが永すぎたという作品。
三島は春を二人の結びつきとしている。
ならば冬はどうだろう。そして冬の季語でもある雪は。
春に雪、つまり春に訪れた冬。清様の死。
冬は死だ。
冬に降る雪に何の意味があるのだろうか。
まさにジッドの狭き門を思い起こさせる。
弊害のない恋に何の意味があるのだろう?
ただ結ばれることに何の意味があるのだろう?
肺炎を患った時についに ズレ が完成したのだ。
春 と 雪 という本来は交わるもののない二つのもの。
春の桜、冬の雪、こんなものは凡人にくれてやればいい。
清様は凡人ではなかった。
春の雪は積もることはない。
だが誰もが空を見上げるだろう。
冬の雪は当たり前なので空を見上げない。春の雪だからこそ意味があるのだ。
三島が滅びる不安のある金閣寺を愛したように、水と油が混ざるような季節に美を描いた。

26 :
仮面の告白から考えてみる。
女たちは清様を見て頬を赤く染めていた。
しかし聡子だけは・・・・。
仮面の告白には、ふんどしの男に視線をやるシーンがある。
聡子は清様の股間を知っている。
昔、聡子はオムツを変えていた。
つまり聡子は既に清様の股間を知っているので、頬を赤らめることもない。
他の女たちが清様と寝るとしたら、彼女たちは初めて見る彼の股間に頬を赤らめる。
しかし聡子は「清様の股間は子供の頃からずいぶんと成長して」と考えるだろう。
それが清様は許せなかった!!!!
だから冷たくした。
車の中で清様と聡子は 行為 をしようとした時、運転手は車を止める。
その時に清様は「車を止めるな」と叫ぶ。
聡子は外を見ていた。清様ではなく。
春の雪が降っていた窓の外。
窓じゃない方を見れば、子供の頃にはなかった清様の陰毛がある。つまり「黒」。
窓の外には「白」の雪。窓の中には「黒」の清様の陰毛。
聡子は外を見ることを選んだ。
二人の初めての春に、聡子は「白」つまり雪を選んだ。

27 :
午後の曳航から春の雪論考おながいします。

28 :
百年たつたらどうなんだ。われわれは否応なしに、一つの時代思潮の中へ組み込まれて、
眺められる他はないだらう。美術史の各時代の様式のちがひが、それを容赦なく証明してゐる。
一つの時代の様式の中に住んでゐるとき、誰もその様式をとほしてでなくては物を見ることが
できないんだ。
様式のなかに住んでゐる人間には、その様式が決して目に見えないんだ。だから俺たちも
何かの様式に包み込まれてゐるにちがひないんだよ。金魚が金魚鉢の中に住んでゐることを
自分でも知らないやうに。
貴様は感情の世界だけに生きてゐる。人から見れば変つてゐるし、貴様自身も自分の個性に
忠実に生きてゐると思つてゐるだらう。しかし貴様の個性を証明するものは何もない。
同時代人の証言はひとつもあてにならない。もしかすると貴様の感情の世界そのものが、
時代の様式の一番純粋な形をあらはしてゐるのかもしれないんだ。……でも、それを
証明するものも亦一つもない。
三島由紀夫「春の雪」より

29 :
ナポレオンの意志が歴史を動かしたといふ風に、すぐに西洋人は考へたがる。貴様の
おぢいさんたちの意志が、明治維新をつくり出したといふ風に。
しかし果してさうだらうか? 歴史は一度でも人間の意志どほりに動いたらうか?
たとへば俺が意志を持つてゐるとする……それも歴史を変へようとする意志を持つてゐるとする。
俺の一生をかけて、全精力全財産を費して、自分の意志どほりに歴史をねぢ曲げようと努力する。
又、さうできるだけの地位や権力を得ようとし、それを手に入れたとする。それでも歴史は
思ふままの枝ぶりになつてくれるとは限らないんだ。
百年、二百年、あるひは三百年後に、急に歴史は、俺とは全く関係なく、正に俺の夢、理想、
意志どほりの姿をとるかもしれない。正に百年前、二百年前、俺が夢みたとほりの形を
とるかもしれない。俺の目が美しいと思ふかぎりの美しさで、微笑んで、冷然と俺を見下ろし、
俺の意志を嘲るかのやうに。
それが歴史といふものだ、と人は言ふだらう。
三島由紀夫「春の雪」より

30 :
俺が思ふには、歴史には意志がなく、俺の意志とは又全く関係がない。だから何の意志からも
生れ出たわけではないさういふ結果は、決して『成就』とは言へないんだ。それが証拠に、
歴史のみせかけの成就は、次の瞬間からもう崩壊しはじめる。
歴史はいつも崩壊する。又次の徒(あだ)な結晶を準備するために。歴史の形成と崩壊とは
同じ意味をしか持たないかのやうだ。
俺にはそんなことはよくわかつてゐる。わかつてゐるけれど、俺は貴様とちがつて、
意志の人間であることをやめられないんだ。意志と云つたつて、それはあるひは俺の
強ひられた性格の一部かもしれない。確としたことは誰にも言へない。しかし人間の意志が、
本質的に『歴史に関はらうとする意志』だといふことは云へさうだ。俺はそれが『歴史に
関はる意志』だと云つてゐるのではない。意志が歴史に関はるといふことは、ほとんど
不可能だし、ただ『関はらうとする』だけなんだ。それが又、あらゆる意志にそなはる
宿命なのだ。意志はもちろん、一切の宿命をみとめようとはしないけれども。
三島由紀夫「春の雪」より

31 :
偏差値低そw

32 :
聡子と自分が、これ以上何もねがはないやうな一瞬の至福の裡にあることを確かめたかつた。
少しでも聡子が気乗りのしない様子を見せれば、それは叶はなかつた。彼は妻が自分と同じ夢を
見なかつたと云つて咎め立てする、嫉妬深い良人のやうだつた。
拒みながら彼の腕のなかで目を閉ぢる聡子の美しさは喩へん方なかつた。微妙な線ばかりで
形づくられたその顔は、端正でゐながら何かしら放恣なものに充ちてゐた。その唇の片端が、
こころもち持ち上つたのが、歔欷(きよき)のためか微笑のためか、彼は夕明りの中に
たしかめようと焦つたが、今は彼女の鼻翼のかげりまでが、夕闇のすばやい兆のやうに
思はれた。清顕は髪に半ば隠れてゐる聡子の耳を見た。耳朶にはほのかな紅があつたが、
耳は実に精緻な形をしてゐて、一つの夢のなかの、ごく小さな仏像を奥に納めた小さな珊瑚の
龕のやうだつた。すでに夕闇が深く領してゐるその耳の奥底には、何か神秘なものがあつた。
その奥にあるのは聡子の心だらうか? 心はそれとも、彼女のうすくあいた唇の、潤んで
きらめく歯の奥にあるのだらうか?
三島由紀夫「春の雪」より

33 :
清顕はどうやつて聡子の内部へ到達できるかと思ひ悩んだ。聡子はそれ以上自分の顔が
見られることを避けるやうに、顔を自分のはうから急激に寄せてきて接吻した。清顕は
片手をまはしてゐる彼女の腰のあたりの、温かさを指尖に感じ、あたかも花々が腐つてゐる
室のやうなその温かさの中に、鼻を埋めてその匂ひをかぎ、窒息してしまつたらどんなに
よからうと想像した。聡子は一語も発しなかつたが、清顕は自分の幻が、もう一寸のところで、
完全な美の均整へ達しようとしてゐるのをつぶさに見てゐた。
唇を離した聡子の大きな髪が、じつと清顕の制服の胸に埋められたので、彼はその髪油の香りの
立ち迷ふなかに、幕の彼方にみえる遠い桜が、銀を帯びてゐるのを眺め、憂はしい髪油の匂ひと
夕桜の匂ひとを同じもののやうに感じた。夕あかりの前に、こまかく重なり、けば立つた
羊毛のやうに密集してゐる遠い桜は、その銀灰色にちかい粉つぽい白の下に、底深く
ほのかな不吉な紅、あたかも死化粧のやうな紅を蔵(かく)してゐた。
三島由紀夫「春の雪」より

34 :
・今西が拾う黒いブラジャー
・黒いベレー帽の老人が拾う黒い鴉(鬘)

35 :
滝に落ちてた黒い犬

36 :
>ただ感情のために生きるという生き方は、ふしぎにも、自然な成行を
忌避させがちなものである。なぜなら自然な成行は自然に強いられてそうなるという
感じを与え、何事につけて強いられることのきらいな感情はこれから抜け出して、
今度は却って自分の本能的な自由を縛ろうとさえするからである。(春の雪・新潮文庫140頁より)
「春」の「桜」は自然な成行だ。
つまり清様が聡子に会いに行く行為は自然の成行だ。
しかし会いに行こうとする刹那、あの右足を無理に出そうとする力がある。
それは歩くために必要な身体の力である。しかし脳から右足への指令が行く刹那、そこに
力を出す意図
が生じる。脳が右足を前に出す 力を出す意図 は果たして自然の成行だろうか。
確かに好きな聡子に会いたいという本能は自然の成行であるが、同時に
好きな聡子を思い、口角を少し上げる、頬の筋肉は 意図的 だ。自然の成行ではない。
脳が指令しているのだ。
「冬」の雪(聡子を思う気持ち)は自然の成行であるが、右足を出した刹那、それは「春」の雪に変わる。
自然になろうと心がけようと 右足を出す意図 に瞼を閉じようとしても、それはもう
冬の雪を感じようとする、冬の桜もしくは春の雪となってしまう。
聡子は優雅だった。清顕よりも優雅すぎた。年上で、彼の股間を知っている。

37 :
聡子の優雅は決して超えることは出来ないだろう。
その知らばっくれた態度の聡子!!
何も知らないと言った顔をして全部お見通しの女!聡子!
聡子より優雅の上にいくために、清顕は苦悩する。
>ふつうの少年だったら己惚れで有頂天になるほどのあの接吻の思い出も、
この己惚れに親しみすぎた少年にとっては、日ましに心を傷つける事件になった。
春の桜(普通の季節の普通の花=普通の少年の恋)ならば良かった。
しかし清顕にとっては唇が触れた時(冬の雪または春の桜)ではなく、
もっと奥(冬の次の季節→春)、あるいはもっと前(春の前の季節→冬)
つまり「奥」は「聡子の接吻をする後の心」、「前」は「聡子の接吻をした前の心」
聡子の心には分からない。
だが、清顕は「春」=「接吻」をしていても「冬」=「聡子の心」が気になる。
その戸惑いは唇にも出ていただろう。それは接吻の幼さ。身体の幼さ。オムツを替えられた時に見られた股間の幼さ。
聡子は全てを知っている。
全てを知っているものの優雅。余裕。そして何も考えていないような「無知を装う余裕」
何一つ答えを出せていない清顕には、その余裕は持てない。
悔しい。あの女!!!!
どうしたら、どの局面になれば本性をだす!
・・・・死を持って望むしか、あの女の優雅にはたどり着けない。
それか清顕が、春の雪を追わず、本物の無知(聡子は無知の演技)を得て
春の桜のように、そこらへんの男たちのように彼女の肉を愛するか。
清顕は死を持って彼女に挑んだのだ。

38 :
「聡子、貴様は全て知っているんだろう」
と清顕が聞けば、彼女は眉一つ動かさずに首をかしげるだろう。
その優雅!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
しかしそんなことを聞く時点で、清顕の優雅は不粋に代わる。
手紙を燃やした、という報告に喜んだ 刹那 、、、、清顕はまた自分の負けを認めざるをえなかった。
聡子の単純な表情、言動は何一つと信じられない。
この女は 春の雪 だ。
笑顔の青空に雪を含んでいる。
しかしその雪は、春の温かさで地上までは降りてこない。
下にいる(聡子より下)清顕にとって、その雪は見えない。
どうしたあの女よりも優雅に!
結婚が決まったあと、取り返しがつかない行為をした時、あの女はよろめくはずだ。
聡子「清顕、遅いわ。もう無理よ」
清顕「(こうなることを知っていたくせにこの女!)・・・・」
どうすれば!!!死しかない。
この女だって、俺が死ぬことが分かれば、きっと本性を出す。
さあ春の雪だ。雪を見せろ!お前が望んでいたのは春の雪だ。

39 :
「清様? 何のことですか?」
>>20
レスありがとう。答えが出た。
無知の最高地点は痴呆なんだな。
聡子の忘れたフリは、最高地点である痴呆へ昇華した。
だけど夢で思い出す。朝には忘れる。起きた時には忘れる。
春の夜に積もった雪は、朝の温かさに消えてなくなっているだろう。
夢日記は、春に積もった雪を保存させる唯一の方法だった。

40 :
ジン・ジャンの黒子が出たり消えたりするのは何故なんだろう?

41 :
気まぐれな子なんだお

42 :
襖の奥で「忍び泣き」は本当は「忍び笑い」だったら、そのときすでに聡子は痴呆段階だったのかも。

43 :
痴呆っていう描写自体はどこにあるの?

44 :
描写自体はないけど。

45 :
聡子痴呆説にはワロタ。
まあ、最後のシーンは山門にたどりつくまでに、もう体力がなくなって、
座ったまま死にかかっている本多の幻想だろう。
ちなみに、松枝清顕の存在を否定される伏線としては、最後に休憩する直前に、
『道幅半ばで松の枝先の影が途絶えているのを……』がそうだな。
いずれにしても、三島の作品は描写を楽しむのが一番だと、俺などは思う。

46 :
貧しい想像力の持主は、現実の事象から素直に自分の判断の糧を引出すものであるが、
却つて想像力のゆたかな人ほど、そこにたちまち想像の城を築いて立てこもり、窓といふ窓を
閉めてしまふやうになる傾きを、清顕も亦持つてゐた。
聡子はそのころふさふさと長い黒いお河童頭にしてゐた。かがみ込んで巻物を書いてゐるとき、
熱心のあまり、肩から前へ雪崩れ落ちる夥しい黒髪にもかまはず、その小さな細い指を
しつかりと筆にからませてゐたが、その髪の割れ目からのぞかれる、愛らしい一心不乱の横顔、
下唇をむざんに噛みしめた小さく光る怜悧な前歯、ながらにすでにくつきりと遠つた
鼻筋などを、清顕は飽かず眺めてゐたものだ。それから憂はしい暗い墨の匂ひ、紙を走る筆が
かすれるときの笹の葉裏を通ふ風のやうなその音、硯(すずり)の海と岡といふふしぎな名称、
波一つ立たないその汀から急速に深まる海底は見えず、黒く澱んで、墨の金箔が剥がれて
散らばつたのが、月影の散光のやうに見える永遠の夜の海……。
三島由紀夫「春の雪」より

47 :
われわれは恋しい人を目の前にしてさへ、その姿形と心とをばらばらに考へるほど愚かなのだから、
今僕は彼女の実在と離れてゐても、逢つてゐるときよりも却つて一つの結晶を成した月光姫を
見てゐるのかもしれないのだ。別れてゐることが苦痛なら、逢つてゐることも苦痛でありうるし、
逢つてゐることが歓びならば、別れてゐることも歓びであつてならぬといふ道理はない。
さうでせう? 松枝君。僕は、恋するといふことが時間と空間を魔術のやうにくぐり抜ける秘密が
どこにあるか探つてみたいんです。その人を前にしてさへ、その人の実在を恋してゐるとは
限らないのですから、しかも、その人の美しい姿形は、実在の不可欠の形式のやうに
思はれるのですから、時間と空間を隔てれば、二重に惑はされることにもなりうる代りに、
二倍も実在に近づくことにもなりうる。……
優雅といふものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を。
三島由紀夫「春の雪」より

48 :
>三島の作品は描写を楽しむ
三島は文字で書かれた描写。
聡子の描写があっても、聡子の顔は一切読者には伝わらない。
しかし聡子の顔はどんなものか?と聞かれた時、3分説明をしたところで
「もういいからw」
と止められてしまうだろう。
つまり言葉では説明できるけど、映像的には説明できない。
珍説か?僕の想像力が弱いのか?
それとも・・・・一冊読み終えることに目的を持った浅学の僕の、粗い読み方のせいか。
速く読むことは何かを見落としている。
遅く読むことは左の親指の汚れを本に多くつけることになる。
作業着を着た職場の場合。

49 :
本の読み方が浅い、というか読み方を知らないからだろうな、オマエの場合。

50 :
>>48
聡子の顔はあなたの理想の顔で想像してください。
by 三島由紀夫

51 :
彼はまぎれもなく恋してゐた。だから膝を進めて聡子の肩へ手をかけた。その肩は頑なに拒んだ。
この拒絶の手ごたへを、彼はどんなに愛したらう。大がかりな、式典風な、われわれの
住んでゐる世界と大きさを等しくするやうなその壮大な拒絶。このやさしい肉慾にみちた肩に
のしかかる、勅許の重みをかけて抗(はむか)つてくる拒絶。これこそ彼の手に熱を与へ、
彼の心を焼き滅ぼすあらたかな拒絶だつた。聡子の庇髪の正しい櫛目のなかには、香気に
みちた漆黒の照りが、髪の根にまで届いてゐて、彼はちらとそれをのぞいたとき、月夜の森へ
迷ひ込むやうな心地がした。
清顕は手巾から洩れてゐる濡れた頬に顔を近づけた。無言で拒む頬は左右に揺れたが、
その揺れ方はあまりに無心で、拒みは彼女の心よりもずつと遠いところから来るのが知れた。
清顕は手巾を押しのけて接吻しようとしたが、かつて雪の朝あのやうに求めてゐた唇は、
今は一途に拒み、拒んだ末に、首をそむけて、小鳥が眠る姿のやうに、自分の着物の襟に
しつかりと唇を押しつけて動かなくなつた。
三島由紀夫「春の雪」より

52 :
雨の音がきびしくなつた。清顕は女の体を抱きながら、その堅固を目で測つた。夏薊の
縫取のある半襟の、きちんとした襟の合せ目は、肌のわづかな逆山形をのこして、神殿の
扉のやうに正しく閉ざされ、胸高に〆めた冷たく固い丸帯の中央に、金の帯留を釘隠しの
鋲のやうに光らせてゐた。しかし彼女の八つ口や袖口からは、肉の熱い微風がさまよひ出て
ゐるのが感じられた。その微風は清顕の頬にかかつた。
彼は片手を聡子の背から外し、彼女の顎をしつかりとつかんだ。顎は清顕の指のなかに
小さな象牙の駒のやうに納まつた。涙に濡れたまま、美しい鼻翼は羽搏いてゐた。そして
清顕は、したたかに唇を重ねることができた。
急に聡子の中で、炉の戸がひらかれたやうに火勢が増して、ふしぎな焔が立上つて、双の手が
自由になつて、清顕の頬を押へた。その手は清顕の頬を押し戻さうとし、その唇は押し
戻される清顕の唇から離れなかつた。濡れた唇が彼女の拒みの余波で左右に動き、清顕の唇は
その絶妙のなめらかさに酔うた。それによつて、堅固な世界は、紅茶に涵された一顆の
角砂糖のやうに融けてしまつた。そこから果てしれぬ甘美と融解がはじまつた。
三島由紀夫「春の雪」より

53 :
あの花々しい戦争の時代は終つてしまつた。戦争の昔話は、監武課の生き残りの功名話や、
田舎の炉端の自慢話に墜してしまつた。もう若い者が戦場へ行つて戦死することは
たんとはあるまい。
しかし行為の戦争がをはつてから、その代りに、今、感情の戦争の時代がはじまつたんだ。
この見えない戦争は、鈍感な奴にはまるで感じられないし、そんなものがあることさへ
信じられないだらうと思ふ。だが、たしかに、この戦争がはじまつてをり、この戦争のために
特に選ばれた若者たちが、戦ひはじめてゐるにちがひない。貴様はたしかにその一人だ。
行為の戦場と同じやうに、やはり若い者が、その感情の戦場で戦死してゆくのだと思ふ。
それがおそらく、貴様をその代表とする、われわれの時代の運命なんだ。……それで貴様は、
その新らしい戦争で戦死する覚悟を固めたわけだ。さうだらう?
三島由紀夫「春の雪」より

54 :
繁邦は思つてゐた。人間の情熱は、一旦その法則に従つて動きだしたら、誰もそれを
止めることはできない、と。それは人間の理性と良心を自明の前提としてゐる近代法では、
決して受け入れられぬ理論だつた。
一方、繁邦はかうも思つてゐた。はじめ自分に無縁なものと考へて傍聴しはじめたが、
今はたしかに無縁なものではなくなつた代りに、増田とみが目の前で吹き上げた赤い
熔岩のやうな情念とは、つひに触れ合はない自分を、発見するよすがにもなつた、と。
雨のまま明るくなつた空は、雲が一部分だけ切れて、なほふりつづく雨を、つかのまの
孤雨に変へてゐた。窓硝子の雨滴を一せいにかがやかす光りが、幻のやうにさした。
本多は自分の理性がいつもそのやうな光りであることを望んだが、熱い闇にいつも
惹かれがちな心性をも、捨てることはできなかつた。しかしその熱い闇はただ魅惑だつた。
他の何ものでもない、魅惑だつた。清顕も魅惑だつた。そしてこの生を奥底のはうから
ゆるがす魅惑は、実は必ず、生ではなく、運命につながつてゐた。
三島由紀夫「春の雪」より

55 :
模写してる人って、横書きでキーボードで打っても意味ないのに・・・。

56 :
模写しているバアサンは、携帯でやっているから、ある意味スゴい。
模写なんて、文学板の三島スレでやる意味がないのは明らかなんだが、
本人は、それが自分の仕事だと思っているらしい。
多分、論ずること自体ができないのだろうな。

57 :
海はすぐそこで終る。これほど遍満した海、これほど力にあふれた海が、すぐ目の前で
をはるのだ。時間にとつても、空間にとつても、境界に立つてゐることほど、神秘な感じの
するものはない。海と陸とのこれほど壮大な境界に身を置く思ひは、あたかも一つの時代から
一つの時代へ移る、巨きな歴史的瞬間に立会つてゐるやうな気がするではないか。そして本多と
清顕が生きてゐる現代も、一つの潮の退き際、一つの波打際、一つの境界に他ならなかつた。
……海はすぐその目の前で終る。
波の果てを見てゐれば、それがいかに長いはてしない努力の末に、今そこであへなく
終つたかがわかる。そこで世界をめぐる全海洋的規模の、一つの雄大きはまる企図が徒労に
終るのだ。
……しかし、それにしても、何となごやかな、心やさしい挫折だらう。波の最後の
余波(なごり)の小さな笹縁は、たちまちその感情の乱れを失つて、濡れた平らな砂の鏡面と
一体化して、淡い泡沫ばかりになるころには、身はあらかた海の裡へ退いてゐる。
三島由紀夫「春の雪」より

58 :
あの橄欖(オリーブ)いろのなめらかな腹を見せて砕ける波は、擾乱であり、怒号で
あつたものが、次第に怒号は、ただの叫びに、叫びはいづれ囁きに変つてしまふ。大きな
白い奔馬は、小さな白い奔馬になり、やがてその逞しい横隊の馬身は消え去つて、最後に
蹴立てる白い蹄だけが渚に残る。
退いてゆく波の彼方、幾重にもこちらへこちらへと折り重つてくる波の一つとして、白い
なめらかな背(せびら)を向けてゐるものはない。みんなが一せいにこちらを目ざし、
一せいに歯噛みをしてゐる。しかし沖へ沖へと目を馳せると、今まで力づよく見えてゐた渚の
波も、実は稀薄な衰へた拡がりの末としか思はれなくなる。次第次第に、沖へ向つて、
海は濃厚になり、波打際の海の稀薄な成分は濃縮され、だんだんに圧搾され、濃緑色の
水平線にいたつて、無限に煮つめられた青が、ひとつの硬い結晶に達してゐる。距離と
ひろがりを装ひながら、その結晶こそは海の本質なのだ。この稀いあわただしい波の重複の
はてに、かの青く凝結したもの、それこそは海なのだ。……
三島由紀夫「春の雪」より

59 :
本多は、頭のよい青年の逸り気から、やや軽んずるやうな口調で断定した。
「それは生れ変りの問題とはちがひます」
「なぜちがふ」とジャオ・ピーは穏やかに言つた。「一つの思想が、ちがふ個体の中へ、
時を隔てて受け継がれてゆくのは、君も認めるでせう。それなら又、同じ個体が、別々の
思想の中へ時を隔てて受け継がれてゆくとしても、ふしぎではないでせう」
「猫と人間が同じ個体ですか? さつきのお話の、人間と白鳥と鶉と鹿が」
「生れ変りの考へは、それを同じ個体と呼ぶんです。肉体が連続しなくても、妄念が
連続するなら、同じ個体と考へて差支へがありません。個体と云はずに、『一つの生の流れ』と
呼んだらいいかもしれない。
僕はあの思ひ出深いエメラルドの指環を失つた。指環は生き物ではないから、生れ変りはすまい。
でも、喪失といふことは何かですよ。それが僕には、出現のそもそもの根拠のやうに思へるのだ。
指環はいつか又、緑いろの星のやうに、夜空のどこかに現はれるだらう」
三島由紀夫「春の雪」より

60 :
>>50
竹内結子は骨太すぎた。
沢尻エリカあたりなら良かっただろう。

61 :
三島はオカルティスト

62 :
せめて現代語訳してくれないと読む気がしない

63 :
本多はその言葉を聴き流しながら、さつきジャオ・ピーが言つたふしぎな逆説について思ひに
耽つてゐた。たしかに人間を個体と考へず、一つの生の流れととらへる考へ方はありうる。
静的な存在として考へず、流動する存在としてつかまへる考へ方はありうる。そのとき
王子が言つたやうに、一つの思想が別々の「生の流れ」の中に受けつがれるのと、一つの「生の流れ」が別々の
思想の中に受けつがれるのとは、同じことになつてしまふ。生と思想とは同一化されてしまふ
からだ。そしてそのやうな、生と思想が同一のものであるやうな哲学をおしひろげれば、
無数の生の流れを統括する生の大きな潮の連鎖、人が「輪廻」と呼ぶものも、一つの思想で
ありうるかもしれないのだ。……
それは正しく琴だつた! かれらは槽の中へまぎれ込んだ四粒の砂であり、そこは
果てしのない闇の世界であつたが、槽の外には光りかがやく世界があつて、竜角から雲角まで
十三弦の弦が張られ、たとしへもなく白い指が来てこれに触れると、星の悠々たる運行の音楽が、
琴をとどろかして、底の四粒の砂をゆすぶるのだつた。
三島由紀夫「春の雪」より

64 :
……いつか時期がまゐります。それもそんなに遠くはないいつか。そのとき、お約束しても
よろしいけれど、私は未練を見せないつもりでをります。こんなに生きることの有難さを
知つた以上、それをいつまでも貪るつもりはございません。どんな夢にもをはりがあり、
永遠なものは何もないのに、それを自分の権利と思ふのは愚かではございませんか。
私はあの『新しき女』などとはちがひます。……でも、もし永遠があるとすれば、それは
今だけなのでございますわ。
清顕は皆に背を向けて、夕空にゆらめき出す煙のあとを追ひながら、沖の雲の形が崩れて
おぼろげなのが、なほ一面ほのかな黄薔薇の色に染つてゐるのを見た。そこにも彼は聡子の影を
感じた。聡子の影と匂ひはあらゆるものにしみ入り、自然のどんな微妙な変様も聡子と
無縁ではなかつた。ふと風が止んで、なまあたたかい夏の夕方の大気が肌に触れると、
そのとき裸の聡子の肌がそこに立ち迷つて、ぢかに清顕の肌に触れるやうな気がした。
少しづつ暮れてゆく合歓(ねむ)の樹の、緑の羽毛を重ねたやうな木蔭にさへ、聡子の断片が
漂つてゐた。
三島由紀夫「春の雪」より

65 :
「君はのちのちすべてを忘れる決心がついてゐるんだね」
「ええ。どういふ形でか、それはまだわかりませんけれど。私たちの歩いてゐる道は、
道ではなくて桟橋ですから、どこかでそれが終つて、海がはじめるのは仕方がございませんわ」
彼はかねて学んだ優雅が、血みどろの実質を秘めてゐるのを知りつつあつた。いちばんたやすい
解決は二人の相対の死にちがひないが、それにはもつと苦悩が要る筈で、かういふ忍び逢ひの、
すぎ去つてゆく一瞬一瞬にすら、清顕は、犯せば犯すほど無限に深まつてゆく禁忌の、
決して到達することのない遠い金鈴の音のやうなものに聞き惚れてゐた。罪を犯せば犯すほど、
罪から遠ざかつてゆくやうな心地がする。……最後にはすべてが、大がかりな欺瞞で終る。
それを思ふと彼は慄然とした。
「かうして御一緒に歩いてゐても、お仕合せさうには見えないのね。私は今の刹那刹那の
仕合せを大事に味はつてをりますのに。……もうお飽きになつたのではなくて?」
と聡子はいつものさはやかな声で、平静に怨じた。
「あんまり好きだから、仕合せを通り過ぎてしまつたのだ」
と清顕は重々しく言つた。
三島由紀夫「春の雪」より

66 :
しかし、コピペもここまでやると、著作権侵害だろう。
そんなことも分からずにいるのか?

67 :
没50年で著作権は消えるのでは?

68 :
三島が死んだのは、1970年の11月だぞ。

69 :
バカな自演

70 :
バカはオマエ

71 :
今って2023でしょ。
分かりづらいから三島が数えやすいように昭和で数えてくれないかな。
コンビニバイトで宅配伝票に22年と書いてしまうよ。
三島92年くらいか。昭和92年か。

72 :
生きていたら86歳で、昭和86年

73 :
梶井基次郎でも読んでたほうが面白い。

74 :
それはクレヨンしんちゃんと三島文学を比較したら
前者は下ネタで優位だけど
後者は耽美が優位。
何と比べて面白いか書いてくれないと困る。
総合的に、ならあなたの感性は低いよね。世間の標準だと。

75 :
世間の標準だと逆だよね。梶井の方が評価高いよ。

76 :
>>75
「世間」は梶井のかの字も知らない人が大半だよ。
ちなみに三島由紀夫は梶井が大好きで賞賛してるけど、少なくとも文芸評論するときは、あんたみたいに「世間の基準が」とか間抜けな語りはしてないよ。

77 :
しつこいね、小谷野とかいうバカかな、粘着アンチは。

78 :
被害妄想まで入ってら
お前みたいなゴミ小谷野だって相手にしないよ

79 :
>>78
やっぱり小谷野か。キチガイ自画自賛の自演してるし、気持ち悪いね。

80 :
>文芸評論するときは
強弁きた〜って感じ。

81 :
落着き払つたこの老女の、この世に安全なものなどはないといふ哲学は、そもそも保身の
自戒であつた筈が、それがそのまま自分の身の安全をも捨てさせ、その哲学自体を、冒険の
口実にしてしまつたのは、何に拠るのだらう。蓼科はいつのまにか、一つの説明しがたい快さの
虜になつてゐた。自分の手引で、若い美しい二人を逢はせてやることが、そして彼らの
望みのない恋の燃え募るさまを眺めてゐることが、蓼科にはしらずしらず、どんな危険と
引きかへにしてもよい痛烈な快さになつてゐた。
この快さの中では、美しい若い肉の融和そのものが、何か神聖で、何か途方もない正義に
叶つてゐるやうに感じられた。
二人が相会ふときの目のかがやき、二人が近づくときの胸のときめき、それらは蓼科の
冷え切つた心を温めるための煖炉であるから、彼女は自分のために火種を絶やさぬやうになつた。
相見る寸前までの憂ひにやつれた頬が、相手の姿をみとめるやいなや、六月の麦の穂よりも
輝やかしくなる。……その瞬間は、足萎えも立ち、盲らも目をひらくやうな奇蹟に充ちてゐた。
三島由紀夫「春の雪」より

82 :
実際蓼科の役目は聡子を悪から護ることにあつた筈だが、燃えてゐるものは悪ではない、
歌になるものは悪ではない、といふ訓(をし)へは綾倉家の伝承する遠い優雅のなかに
ほのめかされてゐたのではなかつたか?
それでゐて蓼科は、何事かをじつと待つてゐた。放し飼の小鳥を捕へて籠へ戻す機会を
待つてゐたとも云へようが、この期待には何か不吉で血みどろなものがあつた。蓼科は毎朝
念入りに京風の厚化粧をし、目の下の波立つ皺を白粉に隠し、唇の皺を玉虫色の京紅の照りで
隠した。さうしてゐながら、鏡の中のわが顔を避け、中空へ問ふやうなどす黒い視線を放つた。
秋の遠い空の光りは、その目に澄んだ点滴を落した。しかも未来はその奥から何ものかに
渇いてゐる顔をのぞかせてゐた。……蓼科は出来上つた自分の化粧をしらべ直すために、
ふだんは使はない老眼鏡をとりだして、そのかぼそい金の蔓を耳にかけた。すると老いた
真白な耳朶が、たちまち蔓の突端に刺されて火照つた。……
三島由紀夫「春の雪」より

83 :
  三島由紀夫研究会『公開講座』のお知らせ
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         本会の公開講座はどなたでも参加できます
      記
とき   平成23年2月25日(金曜日) 午後六時半
ところ  アルカディア市ヶ谷 五階会議室
     (JR、地下鉄「市ヶ谷」駅下車徒歩3分)
講師   井上隆史(白百合大学教授)
演題   「もう一つあった『豊饒の海』のストーリー」
会費     おひとり 2000円(賛助会員は1000円)
      参加される方はなるべく下記の書籍を前もってお読み下さい。
************************
<井上隆史『三島由紀夫 幻の遺作を読む』(光文社新書)の内容>
三島由紀夫文学研究の第一線にたつ筆者は山中湖の三島文学館で遺族から託され、残された創作ノートや膨大な資料のなかから、
ひとつひとつを丹念に時間をかけて丁寧に掘り起こし、時代の背景をも複合的資料との整合性を追いかけ、研究を積み重ねてきた。
過去にも通説とはことなる三島の作を発見され、新しい全集にも収録された。
井上氏は、「豊穣の海・創作ノート」(全十八冊)を克明に調べられた結果、最後の四部作『豊穣の海』は、じつは五部作の予定であり、結末は、実際の小説とはまったく違うストーリーだったという結論に達した。
『天人五衰』も題名が決まったのは土壇場のことだったうえ、唯識、阿羅耶識の研究文献で三島がもっとも依拠した三冊の本の存在など興味津々の研究成果が披露される。未踏の世界へ大胆な船出をされたような労作であり、三島ファン必読!
今月号『WILL』でも、堤堯氏が、本書を絶賛しています!

84 :
何人くらいくるんだろう?
前に人間不平等期限論の公開講座に行こうとしたら満員で断られたな。
確か40人くらいだったけど。
無料だったからかな

85 :
50人位までかもね

86 :
聡子は意外なことを言つた。
「私は牢に入りたいのです」
蓼科は緊張が解けて、笑ひだした。
「お子達のやうなことを仰言つて! それは又何故でございます」
「女の囚人はどんな着物を着るのでせうか。さうなつても清様が好いて下さるかどうかを
知りたいの」
――聡子がこんな理不尽なことを言ひ出したとき、涙どころか、その目を激しい喜びが
横切るのを見て、蓼科は戦慄した。
この二人の女が、身分のちがひもものかは、心に強く念じてゐたのは、同じ力の、同じたぐひの
勇気だつたにちがひない。欺瞞のためにも、真実のためにも、これほど等量等質の勇気が
求められてゐる時はなかつた。
蓼科は自分と聡子が、流れを遡らうとする舟と流れとの力が丁度拮抗して、舟がしばらく
一つところにとどまつてゐるやうに、現在の瞬間瞬間、もどかしいほど親密に結びつけられて
ゐるのを感じた。又、二人は同じ歓びをお互ひに理解してゐた。近づく嵐をのがれて頭上に
迫つてくる群鳥の羽搏きにも似た歓びの羽音を。
三島由紀夫「春の雪」より

87 :
「ぢやあ、気をつけて」
と言つた。言葉にも軽い弾みを持たせ、その弾みを動作にも移して、聡子の肩に手を置かうと
思へば置くこともできさうだつた。しかし、彼の手は痺れたやうになつて動かなかつた。
そのとき正(まさ)しく清顕を見つめてゐる聡子の目に出会つたからである。
その美しい大きい目はたしかに潤んでゐたが、清顕がそれまで怖れてゐた涙はその潤みから
遠かつた。涙は、生きたまま寸断されてゐた。溺れる人が救ひを求めるやうに、まつしぐらに
襲ひかかつて来るその目である。清顕は思はずひるんだ。聡子の長い美しい睫は、植物が
苞をひらくやうに、みな外側へ弾け出て見えた。
「清様もお元気で。……ごきげんよう」
と聡子は端正な口調で一気に言つた。
清顕は追はれるやうに汽車を降りた。折しも腰に短剣を吊り五つ釦の黒い制服を着た駅長が、
手をあげるのを合図にして、ふたたび車掌の吹き鳴らす呼笛がきこえた。
かたはらに立つ山田を憚りながら、清顕は心に聡子の名を呼びつづけた。汽車が軽い
身じろぎをして、目の前の糸巻の糸が解(ほど)けたやうに動きだした。
三島由紀夫「春の雪」より

88 :
 ▼感情の源泉
 満洲得利寺の戦い(明治37年6月14、15日)は日露戦争最初の大規模な会戦だった。奥保鞏(やすかた)率いる第二軍は、ロシア軍の左翼に第三師団を、中央に第五師団を据えて戦端を開こうとした。
しかし後発の第五師団は塩大澳(えんたいおう)に上陸したばかりで合流が遅れ会戦に加われない事態となり、第四師団は左翼縦隊で北進し連絡が途絶えてしまった。ロシアの大軍に第三師団のみで当たる状況になり苦戦をしいられた。
劣勢を盛り返すには、第四師団と連絡をとり、転回させ敵の右翼に当たらせるしかない。だがその任を帯びた連絡斥候を次々送りだしても、コサック遊撃隊に捕まり、されてしまう。
そこで最後に白羽の矢が立ったのが副官の石光真清だった。
石光は田中義一に命じられ、諜報員として満洲・極東シベリアに渡り、時に馬賊になりすまし、ロシア軍の兵站線をさぐった実績があった。
石光は曹長他部下三名とともに闇夜の中磁石を便りに、馬を駆って北に向かった。部下を一人られながらこの大任を全うし、第二軍は激戦の末ロシア軍を撃退した。
三島が『春の雪』でセピアインク写真の弔祭の情景を詳述したのは、遥か三十年前に喪った友・東文彦への「悲哀は、限りがない」弔意を塗りこめたからである。
 
 小論「三島由紀夫と神風連」ですでに触れたが、石光真清は『城下の人』を昭和18年に出版している。実際にはその子・真臣の手になる遺稿集であった。
真臣の1才年上の姉菊枝は、東季彦という学者に嫁いだが、このふたりの間にできたのが東文彦であった。つまり文彦は真清の孫になる。
 三島は、学習院の5年先輩にあたる東文彦と、昭和15年末から18年10月まで百通以上の手紙を交わした。
 その大部分は『三島由紀夫 十代書簡集』に収められている。
文彦は結核に罹って自宅療養していたので、三島が会えたのは一回だけだったようだ。三島は東邸を頻繁に訪れたが、コミュニケーションは文彦の母菊枝を介しての手紙の授受だった。
息子の文学活動を喜ばない父梓(あずさ)に自分ひとりで抗することが難かった三島にとって、文彦や文彦の執筆を支える東家は助け舟となり、文彦と東家が十代の三島の至福の在り処となった。

89 :
文彦の「幼い詩人」という作品に“悠紀子”という登場人物がいて、三島はこれからとって悠紀夫と称したりした。これがペンネイムの由紀夫になったとも云われている。
三島、文彦、それに徳川義恭の三人は、季彦の援助で同人誌『赤絵』を出した。 しかし二号を出したところで、文彦が死んで潰えた。 
▼親友の急と春の雪とのあいだ
三島の文彦との再会は彼の死の床となった。その枕元で深夜まで徳川と文彦を弔い、徳川は死顔をデッサンし、三島は「東健兄を哭す」を書き上げた。健(たかし)は文彦の本名である。
文彦の急死により、三島は文学についての思いを通わせる友を失い、その心裡は暗転し至福の時は畢わった。そして至福は悲しみとともに三島の心の奥底に沈んでいった。 
自裁の直前まで三島の発言、書き物に!)東文彦!)は一切あらわれなくなったが、これが三島の書くこと=生きてゆくことの秘泉、「源泉の感情」となった。
 三島が文彦と文通し、東邸を頻繁に訪れていた昭和17年に文彦の祖父真清が没する。
そして文彦は亡くなる直前の昭和18年夏に出された祖父の遺稿集『城下の人』の表紙絵(墨絵の熊本城)と5枚の挿絵を描く。 
この『城下の人』は昭和33年復刻出版され毎日出版文化賞を受賞するが、三島はこの『城下の人』を蔵書の中に有していた。 
真清の自伝は4冊に渡るが、文彦が関わったのは『城下の人』だけで、他の3冊は『廣野の花』(旧書名、諜報記)、『誰のために』(旧書名、続諜報記)、『望郷の歌』として親族の手で出された。
石光真清は、明治元年現在の熊本市内の藩士の家に生まれ、商法講習所(現一橋大学)を経て職業軍人になるべく陸軍幼年学校・陸軍士官学校に進学し、卒業して近衛師団に配属され、日清戦争では満洲そして占領した台湾に渡る。
帰国後、露語の習得を開始し、シベリアへ渡り、ハルビンで写真館を開業するが、日露戦役に出征し、金州城、遼陽・奉天会戦に参戦する。
戦後、田中義一参謀の要請で使命を帯びて再び渡満するが、事業を興して失敗し、帰国し郵便局を開く。再再度、渡満して貿易会社を興し、諜報活動にも従事するという波乱の人生を送った。

90 :
三島が「東健兄を哭す」と題する追悼文を寄せた、文彦の遺稿集『浅間』の巻末年譜に、“外祖父 石光真清”の名がみえる。 
三島の頻繁な東邸訪問の際、真清の娘にあたる文彦の母菊枝との間で真清のことが話題に上ったこともあったろう。 
▼欧米化に抗して
三島と文彦の文通の最中に真清は亡くなり、文彦は祖父の遺稿集の製作に、表紙絵や挿絵を描くことで深く関わったから、三島は『城下の人』初版を手にとっていたろう。
そこから真清と出会った加屋霽堅を知り、真清が父真民から教え諭された神風連の次の件を目にしただろう。  
・・・おまえたちは、神風連、神風連とあの方々を、天下の大勢に暗い頑迷な人のように言うが、それは大変な誤りだ。あの方たちは、ご一新前は熊本藩の中枢にあって、藩政に大きな功労のあった方々だ。学識もあり、勤皇の志も篤い。 
 ところがご一新後の世の動きは、目まぐるしく総じて欧米化して、日本古来の美点が崩れていくので、これでは国家の前途が危ういと心配し、明治五年、大田黒伴雄氏、加屋霽堅氏等をはじめ国学の林櫻園先生の感化を受けた百七十余名の方々が会合して今後の方針を協議された。
 この会合で日本古来の伝統は必ず護る、外国に対しては強く正しく国の体面を保つことを申し合わせた。この人々を進歩派の人々が神風連と呼ぶようになった・・・
 三島は昭和18年『城下の人』を、昭和33年その復刻版を手にして、加屋霽堅と真清とのを胸にしっかり刻しただろう。 
三島が『城下の人』を大切に所蔵していたのは、文彦がこれに関わり、文彦の手になる表紙絵と挿絵があったからだ。そして加屋の名が刻まれていたからだ。三島は、文彦と真清を通じて、神風連の加屋霽堅につながったのだ。

91 :
「放尿の海」は、日本の夏。

92 :
「お髪を下ろしたのね」
と夫人は、娘の体を掻き抱くやうにして言つた。
「お母さん、他に仕様はございませんでした」
とはじめて母へ目を向けて聡子は言つたが、その瞳には小さく蝋燭の焔が揺れてゐるのに、
その目の白いところには、暁の白光がすでに映つてゐた。夫人は娘の目の中から射し出た
このやうな怖ろしい曙を見たことはない。聡子が指にからませてゐる水晶の数珠の一顆一顆も、
聡子の目の裡と同じ白みゆく光りを宿し、これらの、意志の極みに意志を喪つたやうな幾多の
すずしい顆粒の一つ一つから、一せいに曙がにじみ出してゐた。
聡子は目を閉ぢつづけてゐる。朝の御堂の冷たさは氷室のやうである。自分は漂つてゆくが、
自分の身のまはりには清らかな氷が張りつめてゐる。たちまち庭の百舌がけたたましく啼き、
この氷には稲妻のやうな亀裂が走つたが、次には又その亀裂は合して、無瑕になつた。
剃刀は聡子の頭を綿密に動いてゐる。ある時は、小動物の鋭い小さな白い門歯が齧るやうに、
ある時はのどかな草食獣のおとなしい臼歯の咀嚼のやうに。
三島由紀夫「春の雪」より

93 :
髪の一束一束が落ちるにつれ、頭部には聡子が生れてこのかた一度も知らない澄みやかな
冷たさがしみ入つた。自分と宇宙との間を隔ててゐたあの熱い、煩悩の鬱気に充ちた黒髪が
剃り取られるにつれて、頭蓋のまはりには、誰も指一つ触れたことのない、新鮮で冷たい
清浄の世界がひらけた。剃られた肌がひろがり、あたかも薄荷を塗つたやうな鋭い寒さの
部分がひろがるほどに。
頭の冷気は、たとへば月のやうな死んだ天体の肌が、ぢかに宇宙のかう気に接してゐる感じは
かうもあらうかと思はれた。髪は現世そのもののやうに、次々と頽落した。頽落して無限に
遠くなつた。
髪は何ものかにとつての収穫(とりいれ)だつた。むせるやうな夏の光りを、いつぱい
その中に含んでゐた黒髪は、刈り取られて聡子の外側へ落ちた。しかしそれは無駄な収穫だつた。
あれほど艶やかだつた黒髪も、身から離れた刹那に、醜い髪の骸(むくろ)になつたからだ。
かつて彼女の肉に属し、彼女の内部と美的な関はりがあつたものが残らず外側へ捨て去られ、
人間の体から手が落ち足が落ちてゆくやうに、聡子の現世は剥離してゆく。……
三島由紀夫「春の雪」より

94 :
ああ……「僕の年」が過ぎてゆく! 過ぎてゆく! 一つの雲のうつろひと共に。
すべてが辛く当る。僕はもう陶酔の道具を失くしてしまつた。物凄い明晰さ、爪先で弾けば
全天空が繊細な玻璃質の共鳴で応じるやうな、物凄い明晰さが、今世界を支配してゐる。
……しかも、寂寥は熱い。何度も吹かなければ口へ入れられない熱い澱んだスープのやうに熱く、
いつも僕の目の前に置かれてゐる。その厚手の白いスープ皿の、蒲団のやうな汚れた鈍感な
厚味と来たら! 誰が僕のためにこんなスープを注文したのか?
僕は一人取り残されてゐる。愛慾の渇き。運命への呪ひ。はてしれない心の彷徨。あてどない
心の願望。……小さな自己陶酔。小さな自己弁護。小さな自己偽瞞。……失はれた時と、
失はれた物への、炎のやうに身を灼く未練。年齢の空しい推移。青春の情ない閑日月。
人生から何の結実も得ないこの憤ろしさ。……一人の部屋。一人の夜々。……世界と
人間とからのこの絶望的な隔たり。……叫び。きかれない叫び。……外面の花やかさ。
……空つぽの高貴。……
……それが僕だ!
三島由紀夫「春の雪」より

95 :
――さうして、寝苦しい夜をすごして、二十六日の朝になつた。
この日、大和平野には、黄ばんだ芒野に風花が舞つてゐた。春の雪といふにはあまりに淡くて、
羽虫が飛ぶやうな降りざまであつたが、空が曇つてゐるあひだは空の色に紛れ、かすかに
弱日が射すと、却つてそれがちらつく粉雪であることがわかつた。寒気は、まともに雪の
降る日よりもはるかに厳しかつた。
清顕は枕に頭を委ねたまま、聡子に示すことのできる自分の至上の誠について考へてゐた。
本多は、決して襖一重といふほどの近さではないが、遠からぬところ、廊下の片隅から一間を
隔てた部屋かと思はれるあたりで、幽かに紅梅の花のひらくやうな忍び笑ひをきいたと思つた。
しかしすぐそれは思ひ返されて、若い女の忍び笑ひときかれたものは、もし本多の耳の迷ひで
なければ、たしかにこの春寒の空気を伝はる忍び泣きにちがひないと思はれた。強ひて抑へた
嗚咽の伝はるより早く、弦が断たれたやうに、嗚咽の絶たれた余韻がほの暗く伝はつた。
今、夢を見てゐた。又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で。
三島由紀夫「春の雪」より

96 :
僕は滝の下の犬のようだ。
犬は誰にも見られない。
聡子は俺を見てくれない。まるで俺は犬だ。
犬が見てもらうようになるにはどうしたらいいと思う?なあ本多。
それはな、相応しくない場所で、相応しくないことをすることだ。
華やかな庭園の滝の下で、華やかでない状態でいることだ。
死体でいることで、聡子は俺を見てくれるだろう。
又、会うぜ。
きっと会う。
醜いものを見た時に、誰かが死んだ時、きっと俺を思い出すだろう。
なあ本多、俺は死ということでしか聡子に近づけない。
生のままでは、聡子とは結ばれない。
春の死。本多、夢日記はお前に渡す。
意味のないものほど、色々な・・・・・・じゃあな

97 :
>>94素敵すぎて泣いてしまいそうな文章だな。大好きだな三島は。

98 :
ほんに。

99 :
聡子のモデルとされた女性の伝記が最近出てた。
元本を昔読んで結構面白かったけど、筆者の想像が多い。

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