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2012年4月鉄道懐かし119: ディーゼル機関車スレッド鉄懐版 (654)
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ディーゼル機関車スレッド鉄懐版
- 1 :08/08/31 〜 最終レス :12/04/15
- 立ててみた
- 2 :
- DD-51
- 3 :
- >>2
どこ国のDL?教えてくれ。
- 4 :
- DD13が好きでした。
昔はその辺にいくらでも居たのに、いつの間にか消えてしまった。
もっと写真を撮っておくべきだった。
鉄博でDD13の1号機に感激。
何年ぶりだろう。久々の再会。
確かにこれだったよ。
KATOのDD13を重連にして遊んでるけど、これは後期型なんだよね。
模型板じゃないけど、初期型きぼんぬ。
- 5 :
- 今でも思うが、ズット横向いたまま運転するの辛そー、と子供時代(凸 =3)
- 6 :
- DD13って、やっぱり貨物レのイメージ?、それとも客車(混合)レのイメージ?
- 7 :
- >>6
東京近辺だとやはり構内に必ず待機しているイメージだな。
品川区、田端区には初期型が集結(新製配置?)、1号機から40号機くらいまで連番でいた。
もちろん、中期型も、後期型もよく見かけた。
時々、短い貨物を牽いていたり、貨車の入換作業を見かけたり。
連結、開放、突放などを飽きずに見物していた消防〜厨房だった俺。
- 8 :
- DD13はSGついてなかったから、客車牽くのは例外的。
清水港線とか尼崎港とか。
片上鉄道の同形車なんかは客車にヴェバスト式温風暖房つけてたが
他ではどうしてたんだろう。
- 9 :
- 停車中のDL、カランカラン音が好き。EL(直流?)と音色が違う警笛が好き。
- 10 :
- >>9
操車場や駅構内で延々とアイドリングを続けて待機してたね。
入換機は夜、尾灯を片側一つだけ点灯させてた。
貨物が大幅削減された時、大宮操や新鶴見にずらりと並べられて廃車を待つ大量のEL、DLを見て悲しくなった。
- 11 :
- 電機より、ディーゼル機のデッキにつかまって、旗を振ってみかった子供時代。
(今でも?w 凸 =33)
- 12 :
- >>11
凸=33
↑これ、いいな。ディーゼル機が走っているように見えるw
入換作業を終えて単機で待機場所に戻る時、よく飛ばして帰っていったな。
その時、デッキで誘導する操車係が振り落とされないよう、しっかりしがみついていたっけ。
俺もやってみたかったけど、ちょっと怖いかな。
- 13 :
- >>5
入換えの時は横向いているのが一番楽なんだよね
DE10のように列車牽引して長い距離走るのは辛いかもしれん
列車牽引が主任務のDD51は正面向きに座るね
- 14 :
- JRのOBなんだろうな、転換直後に錦川鉄道に乗ったら
運転師が体は横向けて前見て運転してたよ。慣れって恐ろしいな。
- 15 :
- >>6
DE10系?が殖えるにつれて、DD13が本線貨物ひくケースって減っていったのでは。
俺が見たことあるのは相模線で、だったが、あれも末期は
牽引定数が一時的に増えてDE11(時折2000代)に代わってしまった。
- 16 :
- >>15
元々DD13は操車場の旧式蒸機の淘汰を目的に大量生産されたから本線の貨物列車の運用は少なかったようだね
それにまわせるほど余裕もなかったからDE10が増備されるまでは蒸機が貨物列車を牽いていたパターンが多い
- 17 :
- >>10
昭和40年代ぐらいにはそこで同じく大量のSLが解体されたんだろうが時がたって
DLやELが同じく大量に解体される事になるとはSLの解体作業に携わった人たちも
予想はしてなかっただろうな。
- 18 :
- >>16
旧式蒸気=C11なんかのタンク式SLの事だろ?
- 19 :
- >>18
違う違う!
C11やC12などの「新しい」蒸気機関車じゃなくて明治生まれの通称B6型、2100〜の各形式だよ。
昭和30年代初頭まで品川や田端などでしぶとく生き残っていた。
齢70年を越す、鉄道車両としては限界まで酷使されていたのがいた。
最後のB6が田端で廃車になったのが昭和33年だという。
DD13の増備時期に合致する。
- 20 :
- >>19
そうだったのか…要するに純国産化する以前の型って事だな?
そんなのが昭和30年代初頭迄首都圏に生き残ってたってのも意外だな…。
- 21 :
- 戦後も残ってた非制式蒸気機関車というと
B6、A8のほかには、900、5500、6200が主なところですっけ?
DD13は、まずは都会のヤード無煙化を狙って投入されたんですね…
- 22 :
- >>19
そだよね
9600や8620から蒸機が存在するんでなくて
当然それ以前のものも大量にあったわけだからね
当時都会のど真ん中でモクモク煙を吐いていた旧式の蒸機は
外国人の目に触れると恥ずかしいとかそんな感じで相当問題視されていたみたい
- 23 :
- 電気式は、ほとんど電気機関車だと思うけどDLなんだよね。今も現役なのかな?
- 24 :
- >>22
まさにそれこそ、童話機関車やえもんの元になったんだろうからな。
- 25 :
- >>23
懐かしくはないけどDF200、
車籍はあるのか知らんが四国のDF50 1号機、
あと釧路の、現在の路線名なんて言ったっけ、あそこのDE 601
- 26 :
- >>24
機関車やえもんナツカシス
時代設定はちょうどこの頃だよ。
レールバスや意地悪な電気機関車EF58www
やえもんはとうとうEH10に連結されて廃回されそうになる・・・涙(俺、このシーンで本当に泣いた)
- 27 :
- S50年代前半にはDF50やDD13の淘汰を目的として、DD51・DE10等の過剰なまでの増備
が繰り返されたが、その結果はS59.2改正前後には各地で用途廃止のDD51・DE10が累々
たる屍を晒すことになった。
ひょっとするとDF50なんかも、手の入れ方によってはもう少し延命させることも可能であった
のかもしれないと思ったりもする。
- 28 :
- >>23
東能代に留置後、ひっそり消えていったDF91は?
- 29 :
- >>23
米原に配置されていたDD50は古い機関車だけど
電気機関車と同じような整備で都合が良かったといわれているね
重量も重く引き出しも容易だったからおおむね好評だったらしい
- 30 :
- >>27
支線における貨物輸送がS59.2以降事実上廃止され、幹線の貨物輸送更にそれにも益して
客車列車なんかも大激減となりDLは殆どお払い箱になってしまったからな。
SLが一気に廃止されだした昭和40年代、非電化区間に於いてはDLがその後にとって
代わられ出してた頃にはDLが20年もしない内にSLと同じ運命を辿る事になろうとは鉄オタ
ならずとも想像出来なかった事だろう…ただSLと違って計画的に全廃させられるなんて事は
当分幾ら何でもあり得ないだろうが。
- 31 :
- >>29
1977年には、まだ米原に背中合わせの重連の姿で
廃車体が置かれていた。>DD50
- 32 :
- >>27
然しDLの場合、SLの時と違って廃止されても極一部の鉄オタ以外には気にも
止められなかったからな。尚且つSLと違って動態保存された機種なんて聞かないし…。
- 33 :
- DF50 1くらいか、動態保存。
わたらせや真岡、嵯峨野などが保存運転と呼べるように
なるにはまだかなり時間を要しそう(保存してるつもりじゃないだろうが)。
埼玉県のどこかの学校に、C58 363とトレードで保存展示された
DE10かなんか(←ほらナンバーすら覚えてない…ゴメソ)は
産業文化財保護のバランスからいうとなかなかの試みだと思った。
- 34 :
- >>33
SLとDLの交換なんて、どう考えても反対する奴の方が圧倒的に多そうな気がするんだが…?
- 35 :
- 国鉄もDD51では過剰となる線区も多い(というか大部分の亜幹線がそう)のは承知していた
はずで、それ故に液体式が主流になってからもDD54やDE50といったクラスの開発を継続し
てたんだろうね。
- 36 :
- >>34 そのとおり。
鉄道文化財に対する世間の認識なんとそんなもの。
>>35
大型エンジンは日本ではなかなかうまくいかなかったんだね
(DD54のは外国製だったけどお守りがダメぽだったんだろうか)。
最近でもDF200はコ○ツ製積むまでは輸入機関載せてた。
- 37 :
- >>36
DD54はお守りの問題で済むレベルじゃなく、設計がマズかったみたい。
ピクの別冊だったかで見たよ。
- 38 :
- >>36
DLなんか静態保存したってSLと違って無機質なただの箱でしかないからな。
- 39 :
- DLなんかは科学技術の推移の記録としてサンプル程度に
各形式1両ずつくらい残しておけば充分?
本線動態運転は必須じゃあなさそうだし。
- 40 :
- >>39
引退したDLが本線動態運転なんかしたとこで、SLなんかと違って極一部の鉄オタ以外からは
「だから何?」だろうからな。SLだったら間違いなく沿線は写真撮影の黒山の人だかりになるだろうが。
- 41 :
- >>37
間違いなく欠陥機関車
欠陥の証拠として1両のみ組合が解体させずに残していたのが
いまの保存機だというのは皮肉
だけどDD54好きなんだけどね
- 42 :
- DD54は新製間もない頃から推進軸折れによる棒高跳び事故が多発。その克服により一時は安定
した状態となり20系「出雲」の牽引機にも抜擢…と言われているように、S40年代半ばが(短い)
最盛期だったんだろうね。
でも20系「出雲」の牽引については、当時は米子に多数のDF50も配置されていたにもかかわらず
スンナリとDD54に白羽の矢が立ったのかしら?
多線区を見ても九州での「富士」「彗星」などの実績から、むしろDF50が選ばれてもおかしく
なかったようにも思えるんだけどね。
- 43 :
- >>42
DF50は、牽引力から言うとライトパシ程度で、日豊線の立石や宗太郎では牛歩状態(そこで空転しないのが僅かなとりえ)だったから、
九州での運用側からすればかなり大変だったと思うよ。
5割増のパワーがある54でないと、長大編成を満足のいく速度で牽引できない、と考えたんでは。
あとマイバッハエンジンは原設計は実績があって悪い物ではないし、ライセンス締結時に手を加える余地を持てなかったのかね、と思う。
実力相応に何とか国産出来るレベルだったフォイトもどきで済ませず、複雑なメキドロ変速機を使ったのが命取りだったような。
日本の戦時中の航空エンジンを連想した。
中島、三菱が、ブリストルやライト、P&Wあたりの流れを汲む星形空冷エンジンでとにかく実用エンジンとしての地位を保ったのに対し、
液冷を続けたばかりにBMWから一気にダイムラーベンツDB601倒立V12なんていう、
ドイツでなければ存分に量産できないようなエンジンを導入して泣きを見た川崎の事例。
飛燕は五式戦にされて僅かながらも活躍したが、54は根本改良ができなかった……
- 44 :
- DD54も結局20系牽引は能力以上の仕事だったみたいだね
初日から遅れを出してダイヤ維持が大変だったらしい
- 45 :
- 急行時代から出雲の京都〜米子間はDD54牽引になってたから、自然な流れだったん
じゃないかと。
幼少の頃、出雲のデッキから走行中のDD54を見たけど、ものすごい轟音で一緒にいた
親父の声も聴きずらかった記憶が…。それに比べてDF50は500番台でも随分優しい音
だった印象が残っています。
関東在住だったので両機を頻繁に比較したことも無いので、実際のところはどうなんでしょう?
未だにちょっと気になっています。
子供には新鋭機のDD54はとても格好良く思えたようで、松江駅にDD54を期待して
急行出雲を見に行ったらDF50でがっかりしたものでした。
- 46 :
- DF50は一応客貨両用とは謳っていても、SG搭載から判るように主な目的はとりあえず
亜幹線の優等列車の煙害追放が責務であったんだろうな。
S50年代には車齢30年前後であるにもかかわらず、外板ボロボロといった状態のカマが
多かったように思う。やはり箱型車体&SGが原因だったのかな?
- 47 :
- 北陸線や土讃線、そして全通成った紀勢線など、トンネル多数な路線に投入が多かったからな。
亜幹線専門の独特なキャラであったな、DF50
- 48 :
- 除雪の回想、誰かありませんか? 剴ハ..‥∵
- 49 :
- >>8
基本的にDD13牽引の客レは暖房停用。
北海道や東北なんかではストーブ積んでたケースもあるけど。
唯一の例外が水郡線。
ここはDD13のミキストが昭和40年代まで残ったけど、暖房用にホヌ30が配備されていた。
昭和47年まで水戸機関区に同形式の配備がありますな(ホヌ30 4・5・7)。
ウェバスト暖房は津軽のナハ12000と井川線客車で現役ですね。
井川線で体験した限りじゃかなり効きが良く快適でした。湯口徹氏の回顧に頷けました。
- 50 :
- >>48
標津線のDD16+キ100が懐かしいな。
軸重の関係でDE15が入れないんで最後までキ100が残った。
函館本線山線のキ750と並んで、国鉄で最後まで残った貨車除雪車。
- 51 :
- DF50といえばエンジン音。
当時の子供向け本に、スルーザー型は「ポンポンポンという漁船の焼玉エンジンのような…」
という表現があり、その独特の音にそこはかとない憧憬の念を抱いていた。
しかし念願叶った四国の地で耳にしたその音は、思っていたほど軽妙なエンジン音ではなく、
どちらかといえば「ゴウゴウゴウ…」といった感じの重低音だったことに少々拍子抜けした
のも今では良い想い出。
- 52 :
- スルザーの音は俺の耳にはバラバラバラって言う感じかな
かなり騒々しい音で、そのわりにノロノロ走ってくるからね
- 53 :
- マンとスルザーの音は、違うんですか?
- 54 :
- まったく違う
俺は500番台の音を聞いたのは山陰で2度だけなのでそれほど印象はないけど
0番台は紀勢本線で嫌になるくらい聞いたなあ
ちなみにこのサイトで音を参考にしてみて
ttp://mahoroba.kir.jp/sepia/oto-dl.htm
- 55 :
- 素朴な疑問なんだけど、昔から解せないことがある。
DF50ってスルーザー(昔の本ではズルッツァーって表記されてた記憶が…)とマンでは機関出力
に差があるということは聞いていたけど、モーター側の出力は変わりないんでしょ?
カタログデータではない実際の運用上で、明確な差がどの程度あったのかと思う。
- 56 :
- >>55
DF50が走った路線を見れば分かるが
全体的に500番台の方が過酷な運用をされた。
その代わり消耗も激しかったが(四国では先に消えた)
- 57 :
- >>56
四国で500番台が先に消えたのはズルツァーのほうが多かったので
保守の利便などを考えて多数派に統一したというのが一番の理由
- 58 :
- あと、直8中速のスルザーと、V12でそれより高速のMANの検修上の扱いやすさの差もあったかも。
- 59 :
- >>46
日豊、山陰、四国、紀勢といずれも海岸線の長い線区が多く
塩の影響もかなりあったんじゃない
- 60 :
- >>56-59
特急・急行牽引のロングラン運用も多かっただけに
日豊線での故障率(特に宮崎電化前)は相当なものだったそうだ。
あと北陸・羽越・奥羽線みたいに気候・線形共厳しい路線を走ってるし。
- 61 :
- DF50は気象条件の厳しい線区を走行していながら、気候に応じた追加装備や改造が意外と少なかったしね。
目立つとこでも紀州のエアフィルターカバー撤去や四国の前面補強や重連改造、九州のヘッドマーク掛け
&貫通扉脇の手すりの小型化くらいか。
>>59サンご指摘のように、抜本的な塩害対策が早期に講じられていたならば、あと数年(民営化時程度まで)
生きながらえたかも。
でもそうしたら竜華のゴハチのように、シールドビームブタ目なんていう改造を受けてたかもしれない。
それはそれで見たくないしね…。
- 62 :
- ど田舎富山DQN男の家族消えろ ど田舎富山DQN男の親消えろ ど田舎富山DQN男の子供消えろ ど田舎富山DQN男の親戚消えろ
ど田舎富山DQN男の家族消えろ ど田舎富山DQN男の親消えろ ど田舎富山DQN男の子供消えろ ど田舎富山DQN男の親戚消えろ
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ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・)
苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで
苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで
苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで
苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで 苦しんで
死ぬとき このレスの事思い出してから地獄へ行けよ
ニヤ(・∀・)ニヤ(・∀・)
- 63 :
- >>61
スノープラウの取り付け方が地域によって違うんだよな。
- 64 :
- >>61
俺はDF50は線区によって手を入れているから個体差はかなりあったと思っている
- 65 :
- なんとなくDFは西日本・四国・九州の機関車というイメージがあるけど、考えてみれば
昔は秋田や郡山、長野にもいたんだよね。
東日本(鉄博など)にも保存機が欲しかったなあ。
- 66 :
- 紀伊長島と梅ヶ谷の間
上下の列車でものすごくかかる時間が違うのが笑えます
梅ヶ谷に向かう列車の遅いこと遅いこと
- 67 :
- 紀伊長島らへんの難所は、開通が一番遅かったところですね。
宿探しにクルマで徘徊のすえ、おれら家族は栃原の民宿に泊まった。
紀勢本線の踏切がすぐそばで、DF50がDD51と組んで走っていた。
ちょうど置き換えの時期だったのだろう。
キハ81とかも見たが、その頃カメラは自由に使わせてもらえなかった…
- 68 :
- DD54は故障多発で、結局DD51に置き換えられたのですが、それならなぜ最初か
らDD51を投入しなかったのでしょうか。
DD54を開発しなければならなかった理由があったのでしょうか。
- 69 :
- DD51だって最初の引き出し試験に失敗するなど問題はあった
ただDD51のトラブルは克服できたがDD54の方はできなかった
それだけのこと
- 70 :
- >>68
DD51はエンジン2台でしょ
DML61ZはDD13のDMF31Sの発展系だったし1,100PS程度だったから初期トラブルも比較的短い期間で解消できた。
でもエンジン1台でDD51同等の出力が出せれば車体重量も軽くなるし、軸重も軽くできてより活動範囲が広がる
高速運転するなら凸型より箱形の方が視認性も高い(DD51の凸型は軽量化の意図もあった)
検査だってトラブルが無ければ12気筒2台より16気筒1台の方が手間はかからない
で、2,000PS級1エンジンの機関車を開発したかったと(DD54は結局1,820PS止まりだったけど)
DD54の試作機であるDD91は試験上ではトラブルもあまり出ずに当初の成績が出たのでDD54はいきなり予算が付いてGOサインが出てしまった
ふたを開けてみればトラブルは多いし、ドイツのメーカーのライセンス契約のせいで勝手な改良は御法度、必然的にダメ機関車の烙印が…
- 71 :
- >>67
いや、紀伊長島への鉄道到達は戦前で結構古い。
紀勢東線の尾鷲開業が昭和9年で、荷坂峠越えは紀勢線全通前から蒸気運転してた。
>>68
重くて必ずしも効率の良くないDML61系を2台搭載することで出力確保するDD51の本質的な旧弊さを自覚して、
亜幹線用として大出力1エンジンで済むドイツ系の液体式DL技術を取り入れようとしたんだろ。
ただ詰めが甘くて欠陥機になってしまったのに、根本対策や腰を据えた改良を怠って葬られ
(技術陣にカネも見識もなかったし、いち早くこの機関車を見放した組合からは妨害すらされた)、
泥縄の対策で代車のDD51増備を余儀なくされたと。
- 72 :
- 東北本線の通称「利府線」に,通勤時間帯DE10牽引の客レがあったが,暖房がなく悲惨だった。
- 73 :
- レスありがとうございます。DD51よりも効率のいい機関車を目指していたが、
結局DD54は成功せず、効率が悪いが、結果としてDD51が量産されてきたという
ことですね。
>>70さんのおっしゃる視認性はどうなんでしょう。実際に機関区の一般公開
とかでDD51の運転席に乗ってみましたが、視認性はそんなに悪くないと思い
ました。
- 74 :
- >>72
晩年の和田岬線もDE10だったけど、やっぱり暖房無しだったよ。
客車が放熱器一式撤去したオハ64だからSG炊いても暖房は無理、というオチなんだが。
- 75 :
- >>73
凸型に比べれば箱型車体のほうが断然視界は良いよ
- 76 :
- DE10は、どちら向きで客車引くのが好き?
写真的にとか、録音的にとか、嗅覚的にとか‥
- 77 :
- >>76
おいらはボンネットの短いほう(2エンド)が前がいいな。
いかにも列車を引っ張っているって感じがする。
重い荷物をのせたリヤカーを引いている人みたい。
中坊の頃、DE10の貨物列車同士のすれ違いを見るため、近くの踏切まで行ってたな。
片方は重連、しかも勾配の起点だったから、エンジン音と排煙がスゴかった。
それに独特のジョイント音も。
- 78 :
- >>77
俺もまったく同じ
昭和52年頃刈谷駅から稲沢までDE11重連が短いほうを前にして走っていたのを
思い出します
総括制御が出来ないので発車時の各機ごとの汽笛が印象深かった
お召し列車の重連だと短いほう同士で繋ぐんだよなあ
- 79 :
- >>78
> お召し列車の重連だと短いほう同士で繋ぐんだよなあ
知らなかった。
なんとかDD51に擬態しようとしてるんだろうかw
- 80 :
-
両機の運転士の距離が近くなって、手合図とか使えるからかな ^^?
- 81 :
- 俺の記憶では昭和52年の和歌山植樹祭で竜華機関区のDE10が重連で牽引したのが短いほう同士の連結だったと思う
理由は一応正規の1エンドがいずれの進行方向でも前になるようにだったというだけの理由
- 82 :
- まあ、ローカル機のDE10だと短い方同士で繋げばお召し牽引に見栄えはするわな
- 83 :
- 結果的にDD54は山陰線系統に特化した機関車で終わってしまったけど、安定した性能が
得られていたならば、他地域への投入も検討されていたの?
- 84 :
- 凸型の方が踏切事故等では乗務員の安心感が違うと聞いたことある。とりあえず身は守れる……と
- 85 :
- 戦前?に上野?らへんでデッキ付き電機と蒸機がぶつかったとき、
電機の乗務員は無事だったことがあったとか。
関係ないけどDD54もC54も播但線にかかわりが深かったのは偶然でしょうね…
横からゴミレスすまそ
- 86 :
- >>84
スレチだけど、アメリカのDLが前方の視認性を理由にボンネットの短い側が前になったあとも、
乗員保護を理由に長いほうを前にした機関車を特注した鉄道が在ったと言うし。
- 87 :
- DD54は性能的に見て、置き換えたカマがC57/D51ということからすると東日本でも
奥羽・羽越・磐越西線あたりに投入されてもおかしくなかったかもしれない。
磐西でDD53が走ったとき、DD54の幻影を見た思いがした…。
- 88 :
- >>87
貨物が最大700t前後だった山陰と違い1000t列車があった奥羽・羽越でDD54は厳しかったと思われ
DD54はある意味DF50の後継、強化版みたいな性能(単機でC57・58以上、D51と同格かやや劣る)の機関車だったし
- 89 :
- DD54って重連総括ナシなんだよね。機関等の不良の話題が優先されるカマだけど、
この辺りの妙な中途半端さが最初から気になる部分でもある。
当初から重貨物は度外視して、客レと軽貨物といった用途に特化したカマだったの
かもしれない。
それでいて数量的には短期間に40輌も造ってるし、形態の差異も大きい。
やはりミステリアスな存在なんだよね。
- 90 :
- 凸=33 ドドッ チャチャ ドドッ
凸=33 ダダダッ ダダン
>>89
DD54の増備はなにか政治的な駆け引きがあったように邪推してしまうな。
1〜4号機の試作で、ダメなところがあるのは判ったはずなのに。
DE10は試作機が落成してからしばらくの間、量産型は作られなかったと思う。
ゴーヨンもしばらく試用してみれば、量産するかどうか見極めが出来たはず。
そのあたり不透明な部分を感じる。
- 91 :
- >>90
試作は1〜3ね
でも確かにいろいろ問題があって量産に移ったのは2年後だったはずで
すぐというわけではないよ
試用して完全には払拭されないまま、なんとかなると見切り発車したんだと思うな
- 92 :
- DD54も性能的に安定してたら○○番台(寒地向け)、△△番台(重連型)、□□番台(SGなし)
なんてバリエーションが存在してたのかな?まあ所詮夢物語だけど…。
DD51では輸送力過剰になる線区向けであったはずなのに、結果的にはそのDD51に置き換え
られてるあたりに、当時の国鉄の車輌増備自体の計画性の無さを感じる。
おそらく予算要求すれば、たいした査定も無く予算化されてたんだろうな。
DD51やDE10が過剰増備だったことは昭和50年代後半に露呈する訳で…。
いずれにしても昭和40年代という蒸気の淘汰が急務という時代の中で生まれ得た仇花的存在
だったんだろうな。
- 93 :
- >>90-91
さらにDD54試作機の前にDD91というマイバッハエンジン+メキドロ変速機の試作機があるから…
まあメーカーの癒着疑惑は古くから言われてる(確かDD54の生産は国会でも非難された)のでアレだが。
>>92
貨物激減、路線廃止の嵐が凄まじかったとはいえ至る所に凸の廃車体が転がる事態になってしまったね…
- 94 :
- メキドロ変速機のメカニズムがイマイチイメージ出来ないんだけど判りやすい図解とかあるサイト無い?
ホイト(フォイト?)式は何となく判るんだけど
ググってみても漠然と「爪クラッチを同調させて変速する」程度の解説しか見つからないんだけど
- 95 :
- DD54の疑惑について、当時、赤旗の日曜版に書かれていたな。
- 96 :
- >>94
普通の自動車のオートマの解説見れば?
- 97 :
- >>96
自動車のオートマと同じ構造なら判るよ、でも同じ構造なのか?トルクコンバーターの基本原理は車も鉄道車両も同じだろうけど
自動車のはプラネタリーギアのサンギア、キャリア、プラネタリーギアのどこを固定するかでギヤ比を変えているんだろ?
メキドロ変速機に関する記述でプラネタリーギア(遊星歯車)という記述は全く見た事ないが
- 98 :
- あぁそうだね。ギア部分違うか。
変速は普通のオートマで、ギア部分はマニュアル車だな。
メインとカウンターシャフトがあって、歯車は常時噛み合い式。変速はドッククラッチでセレクトしてる。
- 99 :
- >>98
と、いうことは昔のホンダマチック(☆レンジがあった頃)をイメージすればいいってこと?
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