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2012年4月中国英雄12: 中国史上最高の名将 (112)
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楊 家 将 (210)
史記について語るスレ (102)
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水滸伝の二次創作で一番面白いのって? (601)
【電視劇】***三 国***【歴史大作】 (199)
中国史上最高の名将
- 1 :09/03/07 〜 最終レス :12/04/23
- 白起
- 2 :
- 杜松
- 3 :
- 同じようなスレいくつあるんだよ
どれも過疎化してるし
- 4 :
- 張飛
- 5 :
- ゥ葛亮
- 6 :
- 毛沢東だろ
- 7 :
- 朱栫C他在朝鲜战争中打败了美帝国主义!
- 8 :
- 朱栫C他在朝鲜战争中打败了美帝国主义!
- 9 :
- 朱栫C他在朝鲜战争中打败了美帝国主义!
- 10 :
- 朱檮ン朝鲜战争中打败了美帝国主义!
- 11 :
- 韓信
- 12 :
- 王セン
- 13 :
- 劉秀
- 14 :
- 楽毅
- 15 :
- 季しん
- 16 :
- 彭徳懐以外考えられない
- 17 :
- 劉秀のみ
- 18 :
- 李典
- 19 :
- 私選中国七大名将
王翦(秦)
韓信(前漢)
呉漢(後漢)
李靖(唐)
曹彬(宋)
伯顔(元)
徐達(明)
次点:岳飛(南宋)
- 20 :
- 王異
- 21 :
- 呂尚
- 22 :
- 太公望
孫子
諸葛亮
- 23 :
- 諸葛亮は名宰相かもしれんが名将ではないな
- 24 :
- 諸葛亮の名をあげてる奴って絶対
否定されること分かって言ってるだろ
今までどのスレでも否定されなかったことって無いし
- 25 :
- >>23
名宰相なんかじゃない。
政治的才能はなく、戦争しか脳がない。人を見る目がない。
- 26 :
- 政治家としては劉備より下だろ
軍事は当代上位
- 27 :
- 关羽 诸葛亮 朱コ
- 28 :
- 曹豹
- 29 :
- ラーメンマン
- 30 :
- 孫武
- 31 :
- カンシンかな
- 32 :
- 項羽
- 33 :
- >>32
韓信に恐らく2回もボコられてる時点で史上最高はありえない。
- 34 :
- 個人武勇なら項羽が最高だけど、最高の名将では無いな。
- 35 :
- 二足で食べないのは両親だけと
言われるシナ害虫にとって、
他人や配偶者、子供は食材ですか??
- 36 :
- 肯定するわけじゃないが人食いは中国に限ったことではないよ
- 37 :
- 孫武と李靖は、ほとんどの人が候補にあげるね
基本的のこの両人のどちらかで
- 38 :
- わずか数千で数十万の兵を何度も倒した
陳慶之が出てないのはおかしい
- 39 :
- 宇宙大将軍に負けてるようじゃ駄目。
- 40 :
- だっておめぇ宇宙大将軍だぞ
- 41 :
- 陳は宇宙大将軍に勝ってるだろ
>>33
ガイカ以外で項羽と韓信の直接対決ってあったっけ?
ガイカだって項羽10万、韓信30万、と兵力差三倍で
それなのに項羽が最初は韓信の兵を押し崩して
やばくなりかけた所で兵力の差が出て項羽が退いた、っていう流れで
その後も項羽は漢軍の攻撃を撃退しまくってるんだから
韓信にぼこられたっていうのはいつの事?
- 42 :
- 項羽3万 漢王軍(上将軍韓信)56万で
項羽が勝ってる件
- 43 :
- >>41
- 44 :
- ミスった
>>41
>韓信にぼこられたっていうのはいつの事?
京・索間の戦い。
垓下では、押し込んだ後、挟撃されて撤退してるんだから、
どちらかというと「誘い込まれた」という印象すらある。
あと、漢軍は後方の軍を投入していなかったから、実際は兵力差は3倍もない。
>>42
前後の流れから考えて、その時韓信は指揮を取ってなかったというのが有力な説。
- 45 :
- 毛沢東は将軍としては最強クラスだと思う
あの状況から大陸制圧するとかハンパじゃないぞ
- 46 :
- >>44
おーい
なんかあまりにも韓信びいきが酷すぎるというか
色々知識も怪しそうだぞ
>>あと、漢軍は後方の軍を投入していなかったから、実際は兵力差は3倍もない。
垓下では韓信の率いた軍だけで三十万、劉邦の率いた本営がその後ろに属してた
漢軍の総数は百万近かったとか
つまり韓信の軍だけで項羽が率いてた10万余の三倍近いんだよ
どこが有力な説なんだよ
横光先生の漫画みたいに韓信が大元帥職を退いて関中に帰ってたっていう設定にするのか?
56万の大軍の上将軍やって項羽の3万に完敗してる時点で
どう見ても負けだろ
- 47 :
- >>44
ついでに京・索間の戦いについてだが
史記の淮陰侯(つまり韓信)列伝では
楚人起彭城,轉鬥逐北,至於滎陽,乘利席卷,威震天下。
然兵困於京、索之閨C 迫西山而不能進者,三年於此矣。
要約してみると「楚人の軍勢が彭城から起こって敵を敗走させ、滎陽まで至って勝利を得て席巻し、威勢は天下を震わせた。
しかし楚軍の兵は京・索の間で困らせられ、西の山に迫ったが進むことができず、この状態で3年が過ぎた。」
韓信の伝なのに、ほかならぬ韓信が破ったとか書いてないばかりか、
楚兵が困らせられた、とあるだけで項羽が率いていたのかどうかすら不明。
この文章から見るに、この戦いで韓信が指揮を執ったのかもわからない。
これで韓信が項羽をぼこったってのはおかしくないか?
- 48 :
- >>47
>信復收兵與漢王會?陽,復?破楚京、索之閨C以故楚兵卒不能西。
はっきり信って書いてあるよ。
>項王之救彭城,追漢王至?陽
「項王が」彭城を救った後、漢王を追って?陽に至ったとあるから、
項羽が率いていた可能性が高いと思われる。
>楚人起彭城〜
淮陰侯列伝では項羽個人のことを「楚人」と表現することも少なくない。
後の流れからすると、ここでは項羽個人を指してると解したほうが適当っぽい。
彭城の時に韓信がどこにいたのかは、手元の資料じゃ全くわからないけど、
少なくとも、漢の布陣がかなり詳しく載ってる学研の歴史群像シリーズにはどこをさがしても韓信の名前はないな。
後、これは憶測に過ぎないんだけど、韓信が50万を率いて3万に負けちゃうような将だったら、
直後に張良に大将に推挙されたり、「多々益々弁ず」なんて自分を評したりするのは辻褄が合わないんじゃない?
- 49 :
- >>48
然兵困於京、索之閨C 迫西山而不能進者
これで項羽と解するのは難しいだろう
兵が困らせられた、とあるんだからその部下っぽいが
しかも西山を越えて進めなかったとあるし
歴史群像っておいおい
あれは娯楽本や講談からも普通に引用してるだろ
彭城の戦いでは参戦してたが才がまだ十分に認められてなかった、って
ところじゃないのか
- 50 :
- >>49
>兵が困らせられた、とあるんだからその部下っぽいが
部下が戦ってたんだとすると、漢の息の根を止めるチャンスに
どうして目の前まで来ていた項羽本人が指を咥えて傍観していたんだという疑問が出てくるな。
>彭城の戦いでは参戦してたが才がまだ十分に認められてなかった、って
>ところじゃないのか
どちらにせよ、戦局を左右するような立ち位置にはいなかったと考えるのが妥当なところだろう。
- 51 :
- >>50
それは田氏斉が息を吹き返したからじゃないか?
項羽がケイ陽に至ったときに田横率いる田氏斉が息を吹き返した、と史記にもあったろ
そんで部下の軍も苦戦し、地形的にも進みがたかったので
短期攻略を諦め、田氏斉を警戒して本拠である彭城を固め、漢軍と斉軍の2敵をうまく対処する機を伺ったって感じじゃないか
漢の上将軍なんだからそれはないだろ
もともと軍人皇帝である劉邦からすれば、独自に軍を与えて大功績を挙げられるほどの才とは思ってなくても
配下の将軍の中では有数の存在と見てなければ上将軍に任じたままにしておくとは考えにくい
あの戦いでは項羽が異常なんであって、韓信だって50万もいるんだから
負けるとは思ってなかったろ
- 52 :
- >>51
漢王之敗彭城,諸侯皆復與楚而背漢(項羽本紀)
漢之敗卻彭城,塞王欣、翟王翳亡漢降楚,齊、趙亦反漢與楚和 (淮陰侯列傳)
要するにこの時点で彭城の戦いのとき漢側だった諸侯(斉含む)はみな楚側についていて、漢は孤立
項羽本人が韓信に勝つ自信があるなら引き返す必要などない、戦略的には圧倒的に優位な状況
>>49
西の山というのは広武山のことじゃないか?
その言葉は現在までの両雄の躓きを説明したもので
彭城戦直後に限定しているわけではないから
- 53 :
- >>51
項羽の行動の傾向から考えても、目の前の憎き漢軍を見ておいて、
部下に攻めを任せて、自身は後方に下がるとは考えにくいけどな。
少なくとも緒戦においては、後方は部下に任せ、項羽が前線の指揮を取っていたと考えるのが自然だと思う。
後半の文は何が言いたいのか、いまいちわからないけど、
可能性の話が通るんなら、その時、韓信は廃丘の章邯を攻めていたってのはどう?
劉邦が最大の敵である項羽に当たり、上将軍が2番目の強敵に当たるってのは不自然じゃないだろう。
繰り返しになっちゃうけど、韓信が自軍の十数分の一の敵に負けるという「やらかし」をもし、していたのだとしたら
ここまでの名将としての評価を後世から受けられるとは到底思えないんだよね。
「多々益々弁ず(笑)」ってなるでしょ。
- 54 :
- >>52
その諸侯連中はみんな楚が有利なら楚につき
漢が有利なら漢につく連中
現につい先ほどまで敵だった連中だぞ
そいつらの帰趨を定めさせる為にも、
田氏斉が復活した状況の中で無理に漢を攻め、本拠を再び失うような真似はできんだろ
そんなに戦略的に有利な状況なら韓信一人の帰趨など大した問題じゃない
その諸侯連中をこぞって動員して漢を多方向から踏み潰せばよいだけの話
それができなかったのは、楚にとって諸侯連中は大して頼みになる連中ではなく、
結局斉と漢の2敵を対するには楚軍を使うしかなかった、というだけの話だ
そして本拠を2度も落とされるようなへまは漢に攻略されたのを取り返したばかりでもあって
可能な限り避けたかっただけのことだろう
- 55 :
- 李靖でいいよもう
- 56 :
- >>53
そんなことをいわれてもな
実際に田氏斉が復活しているのに
項羽が漢にのめりこめるとは考えにくいだろ
せっかく漢軍を撃破して本拠を取り返して威信も戻したのに、
漢にのめりこんで本拠地を2度も攻略されるヘマをうつわけにはいかんだろうし
項羽の行動傾向をいうなら、主目的の牽制に自身の主力を当て、部下に他の相手を当てる傾向は結構ある
特に竜ショはそういう時に項羽から兵を預けられる事が多かったようだな
本拠奪還を果たし、威信を取り戻し、不安定ながらも諸侯の支持を勝ち取った中で後背に斉が復活した項羽にとって
本拠が再び敵に奪われることを懸念するのは至極当然だろう
なんでこんな文がわからんのか、そっちのほうがわからん
漢の上将軍だった韓信に敗戦の責任がないとか、そんなおかしな話はありえない、って事だ
廃丘については距離離れすぎだろ
記述にも一切なしだし
韓信が名将として称えられているのは背水陣や水攻めの計、木瓶を生かした渡河作戦など
十分な実績があるからであって
そんなろくにあやふやで誰が指揮してたのか、勝ったのか負けたのかもわかりにくい戦いで
項羽に勝ったとまで持ち上げなくていいと思うが
他の韓信の著名な勝ち戦はもっと具体的に書かれているものだろ
- 57 :
- 項羽も韓信も史上最高とは程遠いからスレ違い
- 58 :
- >>54
田氏斉は自分の領土の保全にしか興味がなかったみたいだからその心配はないと思うが
旗色を窺い優位な方につくような連中だからこそ
項羽が韓信相手に優位に戦い、強さを見せ続ける限り
寝返りはしないじゃないのか
そんなことを恐れていては永久に漢の領土には攻め込めないし
実際田氏斉よりはるかに危険な斉王韓信が隣国に誕生したあとも
彭城を空けておいて長々と広武山で対峙し続けていただろ?
- 59 :
- >>52
ついでに斉の動向については
項王之救彭城,追漢王至滎陽,田亦得收齊,立田榮子廣為齊王
「項羽が彭城を救い、劉邦を追ってケイ陽まで至った為、田横もまた斉を得て、田栄の子を立てて斉王とした」
田横は反項羽の首魁だぞ
- 60 :
- >>58
当時の韓信を大きくみすぎだな
北伐成功前の韓信など項羽が威信をかけて戦う程の名声はない
田氏斉が興味ないとかいうのは完全な結果論だろ
当事者達にとってはそんなことわからんし、項羽は現に真っ先に田氏斉を狙って
本拠地を開け、そこを漢軍につかれて攻略されている
2度も同じヘマを後世が見えているかのように、タカをくくってやらかすわけにはいかんだろ
後背の状況を確かなものにした後なら攻め込めるだろ
韓信に対しては竜ショと20万の兵をぶつけているだろ
これは当時の楚軍にとっては主力軍に近い大兵力だ
それを韓信の計で失ってしまったとあっては、戦略的に十全の状況など求めようがなく、
もはや劉邦を討ち取って一気に片をつけるのが項羽にとって一番てっとり早く確実なやり方になった
広武山の対峙は楚軍が下り坂で項羽がなんとか短期決戦で逆転を狙っていた状況
彭城救援からケイ陽に至るときとは全然状況が違うだろ
- 61 :
- >>58に追記として
項羽は竜ショが敗北した後、あの項羽がわざわざ使者を送って韓信を味方につけようと外交してるくらい
彭城や後背の安全には項羽としても思うところがあったんだろうよ
それが拒否されたので(まあ当たり前だが)
項羽としては韓信と劉邦が合流する前に劉邦を討ち取るしかなくなり、
(ハンゾウもいうように劉邦を失えば韓信は盗賊の首領も同じ)
なんとしても劉邦を討ち取ろうと広武山で決戦を求めたんだろうよ
- 62 :
- 孟きょう
- 63 :
- >>60
向こうは野戦で迎撃する構えを見せてくれてたわけだし
当時大した評価じゃなかったならなおさら一戦で軽く粉砕すればいいのでは?
っていうか項羽が滎陽に再攻勢をかけた半年後も
後背に田横がいるという状況は全然変わってない
変わったのは韓信が滎陽から遠く離れたというだけ
むしろ漢が篭城戦法に切替たせいで速攻で片付けにくくなっている
斉どころか小勢力の彭越に簡単に暴れまわられたことから考えても
後背の備えを十全にしてから出撃したとは考えにくい
大体項羽は彭城のときも彭越のときもそうだが敵が具体的に軍事行動を起こし
本拠地や糧道を荒らされたとき初めて取って返すが
それまでは目の前の敵に喰いつくタイプだろ
まるで動く気配のない斉に脅え目の前の敵を放っといて
撤退するか?
- 64 :
- >>63
半年たって斉が動く気配がない、彭城を襲われる気配がない、という確信をもった、
もしくは竜ショが後に率いていった20万の戦力をある程度守りに使って固めていたから
漢軍攻めに動いたってところだろう
実際に彭城は楚滅亡まで攻略されることも脅かされることもなかった
韓信が動き出したのももちろん判断材料の一つではあったろう
ただ、それは韓信に勝てないから、韓信がいなくなったから勝てる、なんて妙な過大評価の賜物ではなく
劉邦が軍を二つに分けて活動を開始した以上、そのままでは韓信に領土を切り取られてしまう
項羽が韓信に向かえば劉邦が動き、領土を切り取りに動く、という戦略観点から
玉である劉邦をつぶしにかかったと見るのが妥当だろう
まあ、もっともその韓信にも斉を攻略するまで兵を差し向けなかったことを考えると
当初はそれほど心配してなかったのかもしれんが
彭越に関しては部下を派遣して負けてる
ノーマークだったわけじゃないな
ほかにも自らは動かず竜ショを派遣して英布に向かわせたり
陳平を派遣して司馬に向かわせたり、と
項羽は主力をとどめた上で、部下の分遣隊を差し向けてる事が結構ある
彭越奪還後にケイ陽まで迫り、斉が復活した時の項羽の状況も
項羽が本拠の守りを懸念して、部下に漢の相手を任せるても全くおかしくない状況だな
- 65 :
- >>63
追記として、そんなに項羽が韓信を恐れるだか警戒するだかして
韓信がいるいないで漢を攻めるかどうかを決定するほどに、高く評価してたなら
(北伐成功前の韓信のどこにそうまで評価するほどの材料があるのか疑問だが)
韓信が北伐成功させ、斉を攻略するまでほっておき、その上でも自分はいかず
部下である竜ショを差し向けてるだけ、って明らかにおかしすぎだろ
- 66 :
- 当初龍且の参謀が提言していたのはまともに韓信軍とぶつかると不利だから
持久戦に持ち込み斉の残存勢力にゲリラ活動をさせて足元を脅かすこと
それに格上相手にまともに戦って勝つのは難しくても負けない戦いで動きを抑えるのは不可能じゃない
実際項羽だって(多分)格下の田横に手こずり結局勝利を納められぬまま彭城を奪われている
龍且が慢心せず血気にはやらなければ結果は違ったかもしれない
最悪劉邦を倒すまで足止めしてくれればいいわけだから
主力に近い大軍を割いたことからもしても韓信を軽視していたとも思えない
それに項羽は斉侵攻まで韓信の動きを手を拱ねいて見ていたわけでもなく
趙の時には遊撃隊を送り込み攪乱し、平定の邪魔をしている(楚數使奇兵渡河擊趙,趙王耳、韓信往來救趙)
そのせいかは知らんが趙の平定は魏・代と比べると大分時間がかかっている(趙が大きかったせいもあるだろうが)
劉邦を討つのを優先したのは手近にいて韓信より与み易い相手だったならむしろ当然
趙のときにせよ斉のときにせよ、遠方にいる戦上手の韓信相手に遠征して苦戦するようなことがあれば
その隙にまた彭城を劉邦に陥されかねない
2度も同じヘマをやらかすわけにはいかんだろう
手強いけど枝葉に過ぎぬ韓信相手には時間稼ぎし
安全に勝てる根幹の劉邦をメインターゲットに定めるという戦略は別におかしくはない
斉攻略に失敗した項羽からすればそんな短期間で河北を平定するなど予想しにくいだろうし
- 67 :
- >もしくは竜ショが後に率いていった20万の戦力をある程度守りに使って固めていたから
そんな大きな戦力を置いといたなら彭越は彼らに対応させればいい
彭越に糧道を荒らされている状態でも、(和睦後は全然動きなしの)斉のためにそんな大軍を遊ばせといて
御大自ら劉邦と彭越の間を東奔西走することもない
>半年たって斉が動く気配がない、彭城を襲われる気配がない、という確信をもった
(例え同盟を破り侵攻する意図を隠し持っていたとしても)項羽が彭城に居座ってるならそりゃ動けないだろう
そんなことは滎陽まで行っても彼らが全く動きを見せなかった時点で判断することだろう
そもそもそんなに斉が気になるなら本人が滎陽まで出向かず斉に備え
滎陽には部下を差し向ければいいこと
本人がその場にいながら部下に戦わせたというだけというならわざわざ行く意味がない
大体項羽の身体が一つしかない以上、別戦線にいる敵に部下を差し向けるのは当たり前
でも目の前にいる敵に対して部下だけを戦わせ
彼らが不利になっても最後まで出て行かないなんて珍妙なことをしたことがあるか?
- 68 :
- ていうか項羽と韓信どちらの伝でも「京索間で漢軍勝利」の次の文で
楚以故不能過滎陽而西
以故楚兵卒不能西
楚、故を以て滎陽を過ぎて西すること能わず。
ここで負けた結果それ以上進撃できなかったと
はっきり書いてあるけどね
逆に斉の動きを気にして進撃を止めたとか引き返したなんて
どこにも記述なし
長々議論することでもない
- 69 :
- 「故を以て〜能わず」の後は(彭城戦の結果)斉・趙等諸侯が漢から離反という
漢にとってのマイナス要素が解説されるのみで
そのまま項羽本紀の方は第二次滎陽攻防戦
淮陰侯列伝では北伐開始と新しい展開に移っているし(高祖本紀も概ねここら辺をミックス)
普通に読めばこの戦いで一旦挫かれ仕切り直したと見るしかないな
- 70 :
- 妄想くらい自由にさせてくれ
- 71 :
- 項羽本人は滎陽まで来ていた
当然楚軍の最高司令官である
そこでもう一度両軍が激突し楚軍は破れた
でもどういうわけだか項羽はこの戦いの指揮を執っていない(はず)
(どこにも記述がないけど)和睦したはずの斉のことが気になっての撤退であって
韓信のせいじゃないということにしとく
だから黒星にはカウントしない
一方彭城戦のときの漢軍トップはあくまで劉邦で
韓信にどれほどの権限があったかもわからない
それどころか当時どこにいたのかも記述なし
でも韓信は上将軍だからとにかく敗戦責任がある
だから黒星扱い
なんか項羽にだけ妙に都合がいいんだよな
- 72 :
- >>68
その前の文ではしっかりと兵が困らせられた、とあるけどな
項羽が率いたとはかかれずに兵が、と書かれてる
>>69
それを率いてたのが項羽だったかは別の問題
>>70
だって項羽じゃなくて兵が困らせられた、とはっきりあるじゃない
項羽が指揮とったなんてそれこそ一切書いてない
一応兵を漢軍に差し向けたろうとは言ってる
それを項羽が率いた記述がどこにもないが
- 73 :
- 韓信に対し竜且ごときを差し向けただけってのがおかしいというなら
その竜且を破り手の空いた韓信が
嬴方面で再起を図っていた田横軍に対し本人が自ら出向かず
灌嬰を差し向けただけってのも変だな
仮にも項羽に一歩も引かず戦った相手だろ?
こっちは普通に灌嬰が勝ったから問題なかったが
- 74 :
- >>66
だから肝心の竜ショ本人は韓信の事を警戒せずに猛攻に出てる
名実ともに楚軍最強の将である項羽が仮に破れ、
その項羽が韓信がいたんじゃ攻められない、なんて妙な過大評価するほどに警戒してるらしい相手に対して
竜ショは無警戒に突っ込むほどの馬鹿だったのか?
そうとは思えないが
単に楚軍にとってもいまだ韓信という存在の注目度はその程度だったって事だろう
背水陣のときに韓信が「本格的な朝食は敵に勝ってから取ろう」といった時、誰もが笑ったというくらい
北伐経過中でさえ韓信の存在は味方にとっても絶対的なものじゃなかった事が伺える
なんかね、あんたの論調見てると後世の韓信という存在の名声を
生きてる当時の、業績上げる前の韓信が持ってるといいたげな口調に感じるんだよ
そんなことあるわけないだろ
20万の兵を割いたから警戒してたって?そりゃ警戒してたろうさ
なんのかんのと斉まで攻略してきた相手だからな
でもね、はっきりいってあんたが言うほどに、項羽自身でさえ勝てないとまで楚軍に評価されていたなら
竜ショの行動が軽率すぎるし、さらにいうと、食客の策は防衛策の基本であって
特に目新しいもんでもない
その割には背水陣で主力はあっさり壊滅してるがな
てか李作車の献策で兵の疲れを取るために慰問期間を割いていたというのもあったはずだろう
だからねー
そんなに韓信を警戒してたにしては、楚軍全体としての行動が韓信を向いてなく
竜ショにいたっては軽視すらしてる
楚軍最強の将である項羽以上だと竜ショは自負してたと?
とてもそうには思えんが
単に韓信の評価がその程度だったと見るのが妥当だろう
後世からみた結果論の評価を、リアルタイムで生きてる人間が必ずしも持ってるわけじゃないんだから
- 75 :
- >>73
田横はゲリラ戦で項羽と渡り合っていたわけで
正面決戦で渡り合っていたわけでもなかろ
てか韓信が攻めたときの田横はもう戦力がろくになかった状態でもあったしな
- 76 :
- >>67
だから項羽は彭越相手に分権部隊差し向けて負けてる
ノーマークだったわけでもない
さらにいうと、彭越は項羽の主城を攻撃してきたわけでもない
それからいうと、竜ショの兵力が項羽本隊から転用されたもんだとしたら
20万の兵力なんてものすごい戦力の喪失だろ
でも項羽本隊の動きは竜ショ軍を差し向けた後もその前とそん色なく動けてるぞ
まあ、さすがにいくらかは項羽本隊からも転用されていたとは思うが20万丸々なんてありえんだろ
だから項羽が漢に向かっている間に斉が復活し、それに対しての警戒する必要が生じた、
項羽は分遣隊を先発として漢軍に差し向けたが、それが思いのほかてこずったので
一旦引き返して状況を整理することにした、という単純な話だろ
逆に急遽後背に敵が登場したのに、しかも主城をつい最近奪われて取り返したばかりなのに
それも無視して漢に向かって全力投球で向かっていくなんてそれこそ考えにくいが
- 77 :
- しかしまあ、単発IDの沸くこと沸くことw
- 78 :
- >>72
訳文読むと
兵困於京、索之
「兵は京索の間に困(くる)しみ」
その軍は京と索の間で苦しめられ(あるいは痛めつけられ)
別に項羽が率いていたとしても矛盾しない文だと思うが
>>75
榮弟 ,收齊散兵,得數萬人,反擊項羽於城陽
於是田榮弟田收齊亡卒得數萬人,反城陽。項王因留,連戰未能下。
数万の兵を得た田横が城陽で反抗し、項羽は留まって連戦したがまだ降すことができずにいた
この戦いに関してゲリラ戦と読み取れるか?拠点を次々移動しつつ遊撃戦って感じじゃないが
灌嬰と戦ったときの戦力については書いてないので知らんが
- 79 :
- >>75
要するに状況ややり方・作戦目的によって格の差があるはずの武将でも
色々変わってくるということだろ
龍且が韓信をなめていたということに関しては
兵力などに驕り、その時の状況から考えても明らかに格上と分かる敵将を侮り敗れた
彼を知らず己を知らない武将は歴史上いくらでもいるから
証明にはならんな
斉を警戒した云々についてはそれらしいことはどこにも書いてないし
- 80 :
- >>76
>逆に急遽後背に敵が登場したのに、しかも主城をつい最近奪われて取り返したばかりなのに
>それも無視して漢に向かって全力投球で向かっていくなんてそれこそ考えにくいが
急遽というか斉から手を引けば田氏が復活するのは分かりきっていたし
すり寄ってきて和睦した相手を敵と言い切る点についても疑問があるが
むしろその場合目の前の敵を躊躇なく全力を挙げて叩き潰す
各個撃破がセオリーだし項羽のやり方じゃないの?
項羽雖聞漢東,既已連齊兵,欲遂破之而擊漢
これを見ても漢の大軍が彭城に迫っているのを聞いても目の前の斉軍を破ることに集中して
本当に陥落した後やっと反転している
まして滎陽でのケースでは背後に具体的な脅威は何一つ迫ってきていない
動きの鈍い背後の敵(正確には全然動いてないし敵でもないが)に気を取られすぎて
思い切りの悪いどっちつかずな対応を項羽が取るかな?
- 81 :
- シナ虫国の誇る輸出品と言えば、
婦と犯罪者でヨロシイか?
- 82 :
- >>77
そういう思考に囚われちゃうようになったら、一旦距離を取ったほうがいいですよん。
- 83 :
- >兵困於京、索之
これはてっきり彭越あたりに補給ラインを絶たれたのが主たる困しむ要因なのかと思った
つまり楚軍の進撃がこのあたりで止まって戦線が停滞し、食糧事情が悪化して兵が苦しんだと
- 84 :
- もうおかずねえし醤油に飯かけて食う
- 85 :
- おいおい、5万の連合軍で50万の殷軍を破った太公望と
3000で100万の大軍を破った光武帝を忘れちゃ困るぜ。
兵力差的にはダントツだろw
- 86 :
- >>85
太公望は伝説に半分足突っ込んでる時代の人物なんで、兵数とかの記述は信用できん。
昆陽の戦いは42万対1万3千くらいじゃなかったっけ。
どっちにしろすげえけど。
- 87 :
- 昆陽の戦いは1万vs43万かな。
分かりやすく例えると、たった1人で43人相手にケンカして勝利を収めたという事。
本当にチート。
- 88 :
- 昔は10倍まで嘘ついても正式に許されたんでしょ?
それにしたって4.3倍だが
- 89 :
- 建前:100万
実数:43万
- 90 :
- >>88 さらに、ちゃんと総帥の指揮系統下にいた兵になるとさらに減り多分5万程度。
他の兵は率いている奴らがまともじゃなく、しかも一緒に猛獣とか歌妓まで連れてたらしいからほとんど遊んでた。
そこに、命がけの3000が奇襲を仕掛ければどうなるか・・・
だから、わりと現実的な勝利ではあるのだ。太公望は・・・すげえ
- 91 :
- 大公望信者(笑)
- 92 :
- 91 太公望は伝説の名将ですから(キリッ
他のやつらとはやはり格が違うわけです(キリリッ
- 93 :
- >>90
おいおいデマ流すなよ?
歌妓連れてたって何の情報だ?
漢書、後漢書、後漢紀、東観漢記全て確認したがそんな情報はどこにもないぞ。
小説情報はやめておけよ、連中すぐ女抱かせて酒かやらせたがるから。
あと猛獣連れてるのは遊びではなくて戦力だよ。
一種の誇張表現だろうとは思われるけど、それだけの軍勢だったとしたいわけだ。
一応、王邑はテキ義の乱の鎮圧に参加して成果を出しているし、異民族戦でも荘尤程ではないがそれなりの見識を見せている。
あと、王邑の軍勢は王充の論衡を見る限り六万。
もちろん王邑はテキ義の乱の際の王莽の反応から小城に固執せざるを得なくなってるわけだが。
そう易々と破られるものでもないよ。
- 94 :
- >>90
突っ込み入れていい?
5万なら4.3万から増えとるがな。
あと、王邑の下の指揮官には結構名将が参加している。
荘尤は作戦の専門家で、その兵站作戦はかなり精密なものが史書に残されていて、
現代からのその検証からも名将であることは疑い得ないし、異民族戦でも軍功を何度も挙げている。
王邑直属の部将の一人として参加していた竇融は、後に軍閥を築いたが、
軍閥時代に単独で匈奴や羌の侵攻を再三撃破している。
君の言うようなあからさまな弱将という感じの奴はいない。
強いて言うなら、この敗戦以外に軍歴のないものや、この敗戦によって軍歴が微妙になった奴はいる。
- 95 :
-
いない
中国人に名将はいない
迷将は、いっぱいいたけど
- 96 :
- おいおい、今の漢民族(笑)と昔の漢民族を一緒にするなよ。
- 97 :
- 三国志でも「義理」だとか「誠意」だとかが頻繁に出てくる。
それが今の中国にはない。確かに本当に同じ民族なのかと疑いたくなる
- 98 :
- 人種的に三国志以降はもう色々混ざりまくってる
(そうデジタルなもんじゃないが、今の話ではとりあえずおいて)
>>97
義理とか誠意って言葉が頻出するということは、
逆に全然足りてないって証左だな
関羽・張飛、日本だと忠臣蔵などが持て囃されるのは、
実際はレアケースだから
- 99 :
- >>89
朝鮮征伐のとき明軍は100万を号していたが
碧亭館で惨敗すると兵力2万余と訂正したな
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