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漢王朝とローマ帝国


1 :10/09/10 〜 最終レス :12/04/19
どちらも初代皇帝は戦下手だけど人望がある

2 :
アウグストゥスって戦下手だっけ

3 :
アグリッパが指揮をとってたんじゃなかったっけ?

4 :
劉邦だったらトイトブルグに自分で兵を率いて行って捕虜になるな

5 :
ウィキペの英語版で「カタフラクト騎兵が使われていた地域」
に中国もあった。

6 :
劉邦は意外に親征好きなんだよな。
でも実は項羽と冒頓単于相手以外だとほとんど負けてなかったりする。
あと、章邯ですら一発で捕虜になった項羽相手にしっかり退却を成功させ、
結果幾度にも渡って直接対決して全体の戦略が成功する時間的余裕を作ってる。
奴は名将じゃないけど良将レベルだと思うなぁ。

7 :
秦を滅ぼしたのは劉邦なんだけどな

8 :
アウグストゥスの政治力はすげーよ
ローマが1000年以上も続くわけだ

9 :
ローマは王政時代と共和制時代と帝政時代と分裂以後とはそれぞれ別物だろ。
分裂以前は世界史上唯一無二の王朝といえたのが、分裂以後は凡百の王朝と変わらなくなってしまうし。

10 :
>分裂以前は世界史上唯一無二の王朝といえたのが、分裂以後は凡百の王朝と変わらなくなってしまうし。
分裂以前は世界史上唯一無二の国家といえたのが、分裂以後は凡百の王朝と変わらなくなってしまうし。
に訂正。

11 :
イケメン度では圧倒的にアウグストゥスの勝ち

12 :
劉邦も実は文献上ではイケメン。
彫が深く鼻が高い系統の。

13 :
>>10
主観的で無知なレスだな
まるで塩野七生

14 :
>>10
ユスティニアヌス1世、コンスタンティノス5世、バシレイオス2世、コンスタンティノス7世らを輩出し
千年の栄華を誇った東ローマ帝国を“凡百の王朝”と申すか

15 :
漢の経済力は当時では世界最強
軍隊は・・・帝政初期のローマじゃね?

16 :
>>14-15
いつもの反ギリシャキチガイじゃね?

17 :
>>14 カロヨハネス「俺は?」

18 :
ビザンツスレ無いとローマが付くスレにビザオタとトルコ野郎が湧いてくるからな

19 :
>>15
あんたの言う経済力って具体的にどういう事を指すんだ?
データとして当時の経済力を知れる資料ってどんなのがあるの?
比較はどうやってしたの?
色々聞いてみたい(*´∇`*)

20 :
ローマ帝国に関しては『西洋古典学事典』を読むこと
必須なるぞ。
たとえ貧しくとも『西洋古典学事典』は購入するべし。
決して後悔することなど、あり得ぬゆえにのう。
分かったナッ!!!!!

21 :
>>20
なぜその本が必須か納得できる理由を10挙げよ。
またその理由を挙げた理由を各10ずつ挙げよ。

22 :
劉邦は部下を殺しまくったからな。
アウグストゥスのほうがいいよ。

23 :
王朝分裂→蛮族侵入→戦乱時代の流れは非常に似てるんだよな
後継王朝として東ローマと東晋がすごく被るんだよなww
ただここから完全に中国と欧州の歴史は異なっていくんだけどね
そう言えば垓下とザマは同年なんだよね

24 :
>>23が典型だが、
日本人が「アルヨ史観」に騙されているのが不思議でならない。
中国人は、漢とローマを比較するのが何故か知らんが大好きだけどな。
おそらく日本の場合、アルヨ史観に直接騙されたというより、
高校の世界史で、ギリシアのポリスについては延々書かれているのに、
ローマ国政についての記述が薄すぎて勘違いしているのだと思う。
(おそらく19世紀ドイツ歴史学の残骸がまだ残っている。ローマ嫌いのギリシア好きだからな>ドイツ)
ローマは、帝政になっても建前上はどこまでも都市国家の連合体で、
漢のようなアジア風の領域帝国ではないんだよ。
ビザンツまでくるとさすがにアジア風帝国の実を備えはじめるが、
これを人は「東ローマのオリエント化(非ヨーロッパ化)」という。
漢(前漢)と比較するにふさわしい西方の帝国は、おそらくアケメネス朝ペルシア帝国だろうな。
夏=シュメール王国、殷=アッカド王国、周=古バビロニア、秦=アッシリア、
西楚=カルデア(新バビロニア)、前漢=アケメネス朝ペルシア
とすると、比較的きれいに揃う。シナは、メソポタミアの数百年遅れといったところ。
無理矢理当てはめると、アレキサンダーというのはただの蛮族で、
五胡十六国=ヘレニズム4王国ということになるかね。

25 :
歴史認識にはおおむね賛同するが、いちいち中国蔑視を臭わせるのは気持ちが悪くて仕方ないのだが。

26 :
>>23
大間違いだよ
そんな完全な領域国家なんて近代以降の話だ
それ以前の漢も秦も都市国家の連合体と捕えることもできローマもまた領域国家と捕えることもできる
そもそもあんたの言うアケメネス朝なんて都市国家の代表格そのものじゃねーか

27 :
余計なことで加熱する前に言っておく。
韓非も言っているが、主張をするのに、主張とは価値観の違う人間を想定して受け入れやすいようにしないのはバカのやることだ。
そんな主張をしても、自分が正しいという自己満足を得ることか、初めから主張に近い結論を持っていた人間以外には伝わらない。
双方、気を付けるようにね。

28 :
アンカミス訂正
>>24じゃなく>>25

29 :
またミスったww
>>24に対する反論だww

30 :
そもそもアジア風というのが分けわから俗語だ
西洋の中央集権制を参考にし近代国家化したのはアジアの方だろ

31 :
まぁ、少なくとも日本の研究では、後漢末期の豪族が邑制国家的性質を継承してできたもので、
それが南北朝貴族につながっていくものであるという話だな。
そして、そのミニ邑制国家の首長間の声望で中央政府の官僚が登用されるのが漢帝国。
確かに都市国家連合的性質を有しているのは事実だろう。
ちゅうか、オリエントと中国を一緒くたにして扱うのはあまりにも乱暴。

32 :
>>30
西洋の近代官僚制はフランスのナポレオン三世が科挙を参考に作ったものだけどな。
なんでも簡単に二色に分けてしまうのは考え物だ。

33 :
そもそも何故>>24>>23に絡んできたか謎だ
ただ王朝滅亡から蛮族侵入の流れについて語っただけであり
何が悪いのか不思議だ

34 :
火病的な反論としては、ほぼ想定通りなんだが。
でも、そのような認識では、日本国民として問題なんだよ。
中国人ならいいかもしれないが。
ローマが如何に「変な国家体制」を構築していたのか、その異常さを理解しておかないと、
日本人の基礎素養としては、本当はまずい。
というのは、日本の法律は、間接的にだがローマ法を受容しているからだ。
例えば、民法上の取引で普通に使われる
「善意無過失」、「合意」、「物権と債権」、「不当利得」、「破産制度」や「民事執行制度」、
果ては「弁護士による訴訟代理」という制度なども含めて
ローマの特殊な市民権の性質、
あるいはローマ市民と同盟市民との間の特殊な関係をもとにした取引で発展したもの。
あるいは、「主権」という概念、さらには「近代国家」という考え方自体が、
ローマ法に根深い「ポリス性」が、中世を経て顕現している状況をどう克服するかという問題に関わるもので、
ローマ国政の特異さを理解しておかないと、
近世のフランス王国が、主権なんてことをことさら言い出すのはどうしてなのか、イミフになる。

35 :
だから統治機構なんてローマも漢も時代毎に変容してんだろうに
成立から滅亡まで一貫した体制だと勘違いしちゃってるんだろうね

36 :
とりあえず、>>34がローマ以外は詳しく知らないことについては納得した。
様々な地域の特異なものが混淆して近代があるわけだけどな。
善意無過失については普通に漢にも同じ判例があった気がするが今から論文探すのめんどい。
あと論文とかで「これこれは世界史上特異!」みたいにあっても他の地域の史学の専門論文見ると
普通に存在したりする事があるから「これはこの学者の感想だな」程度に思って気を付けた方が良いよ。

37 :
漢の最後の姿は南朝陳王朝

38 :
楊堅とカール大帝
乱世の時代に終止符を打ち
ともに蛮族がルーツ
自らが正統な支配者として振る舞う

39 :
唯一の違いが、もとになった乱世前の国家が存続してたかだよな

40 :
>>39
そこが中国と欧州の歴史の分かれ目だよな

41 :
ビザンツを併合するカール大帝

42 :
>>41
ビザンツが陳朝のように軟弱であってくれればなww

43 :
確かに後主期の陳朝の軟弱さは異常。

44 :
諸民族を取り込み、現在まで続く種々の制度や法を残し
一般市民のレベルも高度だった世界帝国こそローマ帝国
一般の平民達は知識も待遇も農奴並で、蛮族に土下座しながら
漢民族が汲々として暮らす支那王朝の一つに過ぎないのが漢王朝

45 :
各地方に初等教育機関から高等教育機関まで備え、その教科書に用いられた数学書の
知識の中には西洋では18世紀まで発見できなかった理論を含み、世界で初めて高等文官試験を行い、
識字率が異様に高かったとされる漢帝国の平民が農奴並みとは。
農奴ってすごいんだな。
待遇についてだが、日本史のような四公六民とかの東洋的帝国のイメージで漢を捉えるのは大きな誤謬とだけ。
ああいった重税方式を作ったのは曹操で、それが国民全体に適用されたのは西晋からだから。

46 :
ちゅうか、漢帝国とその後裔が滅び、南に押し込められたのって、逆に蛮族を普段から圧倒してしまい、
蛮族を連行して内地に監視をつけて分散して居住させるってのをやりすぎたから、
人口減少と八王の乱と侮蔑的待遇によって抑えきれなくなったということが理由だけどね。

47 :
>>46
ビザンツ帝国でもよくやってたね。
小アジアのパウロ派をバルカン側に強制移住させてかえって変な異端が流行したり。

48 :
漢は酷吏の時代だな
中国の法は人民を縛り付けるものだったが、ローマの法は権力者の暴走を食い止めるためのものだった

49 :
漢代なら、国は皇帝のもので、皇帝が民のために政治をしてやるという考えが基本だからな
ローマはどの時代を取り出してくるかで一概には言えんわな

50 :
>>45
>その教科書に用いられた数学書の
>知識の中には西洋では18世紀まで発見できなかった理論を含み、
これってなんていう理論?

51 :
>>20
>ローマ帝国に関しては『西洋古典学事典』を読むこと
>必須なるぞ。
>たとえ貧しくとも『西洋古典学事典』は購入するべし。
>決して後悔することなど、あり得ぬゆえにのう。
>分かったナッ!!!!
調べてみたが
>大型本: 1675ページ
>商品の寸法: 31.8 x 24.4 x 7.4 cm
鈍器すぎるだろう、常識的に考えて……
お値段も29800円とキングサイズだし。

52 :
あ、ごめん。
29400円が正解。

53 :
>>49
>漢代なら、国は皇帝のもので、皇帝が民のために政治をしてやるという考えが基本だからな
漢代にその考えはないな。
前漢だと漢家は中国でもっとも大きな国家という側面しかない。
制度的にどこまで行っても連邦的なのよ。前漢は。
少府の役割が明らかにそういう側面をもってる。
だから内朝が普通の国家の様相を呈しており、帝室収入が別に存在して国家予算に匹敵する。
後漢以降になると、逆に皇帝は国家の所有物となる。
帝室の私有物としての内朝は解体され、帝室収入はすべて国家のものとなり、
天子は人民のための政治をしなければならない。
しなければいずれ滅び別の国家が立つだけ。
というのが後漢の国家としての公式見解。
中国の他の王朝と違い、東観という国家の学術機関・国史編纂機関が、
漢自体を相対化してしまい、国家の絶対性を否定したことは、後漢滅亡の理由の一つに挙げられることもある。
そもそもどこもそんな「皇帝の所有物」なんて慢心できるほどの集権制を達成できる時代というのはごく稀。
>>50
ガウスの消去法。
『九章算術』の中にある。
ちなみに注釈者で、前漢の梁敬王劉定国の分かれの劉徽は、カヴァリエリの定理(17世紀)も発見している。
>>51
いやぁ、分量考えれば面白い本としてはむしろリーズナブルな値段じゃね?w
一部の学術書の無駄な高価さと言ったら……

54 :
>>48
酷吏に縛られてるのは主に権力者予備軍とか豪彊みたいな地方権力者だけどね。

55 :
漢の長安は人口約50万でローマ市の人口は最盛期で120万と言われるが、
長安の方が広いのに人口はローマが上なのは、ローマはインスラという5〜7階建てアパート
が主流だったが中国では平屋、つまり1〜2階建てが主流だったためらしい。
なんで中国ではこういう構想アパート様のものが出なかったんでしょうか?(宗教的施設では
相当な高層建築がいくらでもあるのに)

56 :
そもそも長安は100万人以上の人口を抱えられる都市ではありません。
防御が固い代わりに輸送も難しく、唐では食糧問題が頻繁に起こっており
大運河の運用が出来なくなると、大量の餓死者を出しました。
大運河のない漢の時代では言わずもがなです。
後漢が洛陽に遷都した理由の一つに、水運コストの肥大化の問題があります。
前漢末になると20億銭もかかっていた水運費用が、洛陽に移転するだけで3億銭まで削減できるようになりました。
ちなみに漢の外交・軍事コストが年間20億銭であることをかんがみれば、
とんでもない巨額であることに納得いただけるかと思います。
もちろん、新末動乱での長安の荒廃があまりにも激しかったことも理由としては大きいのですが。
おそらく50万というのが、当時としては最適、最高なレベルだったのではないでしょうか。
平屋以上の家屋は必要とされなかったのでしょう。

57 :
>>55
>中国ではこういう構想アパート様のものが出なかったんでしょうか?(宗教的施設では
相当な高層建築がいくらでもあるのに)
日本もそうだけど、地面から離れて暮らすのは神様仏様っていうのが東洋思想。
だから2階建て3階建ての建物自体が存在しなかった。
楼門や宮殿の屋根は二重だけど、二階に部屋が設えてあるワケではない。
つまり豪華に見せるための飾り屋根。(奈良平城宮跡の復元建物参照のこと)
仏塔も1階建ての建物の上部に同じような飾り屋根を付けた建築物で
そもそも人間が夜寝泊りする場所ではない。
ちなみに日本で最初に高層階に居室寝室を構えたのが、安土城の天主に住んでいた織田信長。
彼の場合は自分自身を神だと思っていたのでそうしたんだろうけどね。
だから、秀吉も家康も他の大名も一階建ての本丸御殿に暮らした。
天守閣は見晴台兼武器倉庫だった。

58 :
この時代にラーメンやパスタってあったの?

59 :
>>58
パスタに関してはあったようだけど、今みたいにゆでるんじゃないく焼くか揚げるかしてたそうだから、
今の人間がイメージするパスタは無かったかな。

60 :
中国では現代日本語の意味での麺類を一般に食するようになったのは宋代からだったような。
日式ラーメンに関しては横浜か神戸か函館かどこかに聞くべし。
みんな元祖はうちだというだろうけどw
実は漢代の食事は今の日本に近い。
梅粥とかつくったり、鶏肉あぶったり、一種の寿司みたいなものを作ったり。
粥に鶏卵和えたりしてたっぽい?
鶏卵は長沙王墓とかから発見されてたから、光武帝あたりは鶏と卵入れた親子丼みたいな粥くってたかもね。
漢の人が現代へきたら皮肉なことに日本の方を祖国と思うかも知れん。
漢服はチャイナドレスより和服の方が遥かに近いし。
多分漢字音もより近いし。

61 :
>>60
中華料理が現代で連想されるような中華鍋で豪快に炒め香辛料ぶっ掛けるようになったのは
殆ど宋代に素地ができたようだよね、コークスを燃料として高熱でしかも持久する火力で炒める技術が発達して
陶磁器生産や銅精練にも活用され宋代の発展を大きく支えた
確かに宋代以前の中国の食事って薄味で生魚もあり何だか京都の懐石料理連想させられるよな

62 :
後漢書・梁冀伝の「遂令左右進鴆加煮餅,帝即日崩」のところを指して
「質帝は毒入りラーメンで殺された」てな話になってるのをどこかのサイトで見た覚えが

63 :
餅ってのは粉もののことで必ずしも麺じゃない。
煮餅と書かれててもすいとんみたいな食べ物だったかもわからんので一概には言いかねる。
今の中国で餅と言ったらナンと餃子の皮の中間みたいな食べ物だが。

64 :
始皇帝は漢の0代目皇帝。
カエサルも0代目皇帝。

65 :
>>64
ゼロの概念なんて無い時代

66 :
韓国の衣食住もそんな感じだな。最近まで肉はほとんど食わなかったようだし。
まさか靴を脱ぐ習慣も漢以前の中国と共通?

67 :
熊の手

68 :
ローマ帝国時代の文化や知識が欧州では途絶えオリエントで残っていたのと同じだ

69 :
>>65
現代から比定してるんだから当時どうだったかなど関係あるまいて。
というか漢の方はおそらくインドの伝播だと思われるが、既にあったんじゃなかったっけか。

70 :
>>69
あのな、ゼロ概念てのは哲学が下地に無いと通用しないの。
インドでゼロ概念が生まれたのもインド哲学というベースが有っての事。
そういう基礎的な概念がないと幾ら文明地域であってもゼロ使用は近代を待たねばならない。
だって近代以前にゼロ概念があっても対して役にも立たない。
漢数字と算盤だけで計算は何でもやってたのでゼロなど不要だったのさ。
ヨーロッパ人がインド人のゼロ概念を吸収できたのはギリシア・ローマの哲学が浸透してたから。

71 :
食事に戻るけど、ローマでは実は生魚を使った料理があって、パンに生魚の切り身を乗せたのを食ったりしてたらしい
ローマの主要な調味料はガルムやリクァーメンという魚醤(日本でいうしょっつる、タイでいうナムプラー)だったり、
肉料理よりもむしろ魚介類を用いた料理が多かったり、タコやウニも食ってたり(ナマコはさすがに食わなかったらしい)
してたようだ。
なんてこった。
東西の二大国両方が日本似だなんて……
ローマ人は風呂好きだったことでも知られていてそんなところも日本似問い割れるが、漢ではどうだったんでしょうか?

72 :
……
orz
×日本似問い割れるが、漢ではどうだったんでしょうか?
○日本に似ていると言われるが、漢ではどうだったんでしょうか?
漢は入浴はどうやってたんでしょうか?
ところでゼロについてはWIKIでは
>後漢に完成した九章算術には「(引き算の時)同符号は引き、異符号は加える。正を無入から引いて負とし、
>負を無入から引いて正とする」とある[3][4]。この「無入」とは 0 のことであるが、専用の字はなく、表記には空白を用いていた。
>718年、太史監(天文台長)の瞿曇悉達が九執暦を漢訳し、0 を点で記すインドの数字を導入した。
>しかし算木を用いていた中国の天文学者や数学者は受け入れなかった[5]。旧唐書(945年)は 3040
> および 0 を「三千四十」、「空」と記し[6]、また新唐書(1060年)は 3201 および 0 を「三千二百一」、
>「空」と記している[7]。この「空」は仏教の空と同じく、サンスクリット語の ????? (シューニャ)の訳語である。
>現在も、朝鮮語とベトナム語は「空」を 0 の意味に用いる(?/kong と khong)。また江戸時代の和算家も 0 を「空(くう)」と呼んでいた。
>南宋の時代、蔡元定(1135年 - 1198年)は律呂新書の中で、118098 および 104976 を「十一萬八千□□九十八」、
>「十□萬四千九百七十六」と書いている[8]。この「□」は、以前から欠字を示すのに使われてきた記号、
>虚欠号である(中国語版: 虚缺号)。秦九韶の数学九章(1247年)では、算木数字で空位および 0 に「〇」を用いている。
>この「〇」は「□」が変化したものであり、アラビア数字の「0」ならびに則天文字の「〇」を借用したのではない[5]。
>もっとも、インドの数字のゼロに触発された可能性もある。[3]

73 :
箇条書きマジックだろ
どんな文化でも大抵似てるところと似てないところの両方がある
それに古代においてはコストの高い獣肉を常食するなんて生産力の方が許さないだろう
似てしまうのは当然ではないかな

74 :
>>70
そりゃ哲学史から見たインド哲学におけるゼロ概念の話だろ。
単なる現代からの比定についての話で得意げにそんなことを持ち出すのは衒学趣味か?
コミュ力がなきゃたとえ知識が正しくとも受け入れられないことを知るといい。
そもそも通俗的なゼロ概念の使用については普通にある。
君の言ってることは斧の使用がどの地域においても祭祀と不可分だと言い出すようなものだ。
大してなんの役にも立たなかろうが、数学の発達上必要になることもあろうて。

75 :
まぁ、ゼロ概念の「発生」そのものと深い意味での利用にはインド哲学の存在か、それを理解できる素地が必要だろうがねー。
たとえば色んな家の資金の供出で堤防を作ろうとして、お金を出せない人がいた場合、
要領のいい奴はその家を計算に入れないだけで済ませるだろうが、
几帳面な奴はそれを含めて式として表現する方法を欲するわな。
そこにインドとの交流があれば、普通に伝播しうるだろう。
ちゅうか、既に仏教伝播してるんだがとか、無が理解できなきゃ仏教理解できなくねとか、
そもそもお前ら利便性の面でのゼロの使用について子供の頃そんなに哲学について学んできてたか?とか。

76 :
確かにヨーロッパでのゼロの受容にギリシャ・ローマ哲学が橋渡しとなった側面があることは
他の地域でもそれが必要であるということを意味しないよね

77 :
>>71
>>73の言う通り箇条書きマジックではあるんだけれど、
確かに見方によっては、
「日本は、現在の世界で稀に見る『古代的要素』を持っている国だ」とも言える。
アッカド語(メソポタミア)の楔形文字と同じ方式の表記法(漢字仮名交じり文)を用いて、
上古の中華と同じような屋内での行動様式(履物を脱いで坐って暮らす)をし、開放的な服を着て、
ローマ人のように、穀物粒食に主食として執着し、魚介を好んで食し、
醤油的なアミノ酸の味にこだわり、風呂を好み身体を清潔にすることに執着し、
アブラハム一神教以前のオリエント・ヨーロッパと同じような多神教を
なんでもありで信仰し、神の像の崇拝を厭わず、
母音の時間的長短(モーラ)を知り、高低アクセントを保ち、
わらべ歌は豊富な母音が長短高低を組み合わせて朗々と、
古代ギリシア語や古典ラテン語の韻文のようで…
要するに、この千年紀でユーラシアを席巻した要素に、あまり毒されていないということでもある。
アブラハム一神教(キリスト・イスラム)の席巻を免れていること、
アラム文字型の表音文字単一体系の受容を拒んだこと、
新大陸作物(トマト・とうがらし・とうもろこし)の受容が選択的で、
在来の調味法が忘却されることがなかったこと。
おかげで、いろんな連中が日本文化に変なノスタルジアを感じて、珍説を生みだすことになる。

78 :
>>77
珍しいか、と言えばそれ程でもという気はするが
現代の先進国の中では珍しい、と言えるかもな

79 :
>>73
ガリア人やゲルマン人がローマ人よりも平均身長が10cmも高かったのは
彼らが肉を主食としてたからだって聞いたことがあるが……
これは贅沢だったからとかではなく、森の中で暮らしてる関係上
穀類が手に入れづらく、逆に肉類は比較的手に入れやすかった
かららしいが、

80 :
>>74
>そりゃ哲学史から見たインド哲学におけるゼロ概念の話だろ。
あくまで哲学から派生したインド数学からみたゼロの概念。
>>75
>ちゅうか、既に仏教伝播してるんだがとか、無が理解できなきゃ仏教理解できなくねとか
仏教の無の概念「空即是色・色即是空」の空(無)ではなく、数字としての概念。
0.001+0.0005とか、数学ではゼロは無ではなくあくまで数字として扱う。
これを人類が必要とするのは、分かりやすく噛み砕いたアラビア数学が普及するまで待たなければならなかった。
>そもそもお前ら利便性の面でのゼロの使用について子供の頃そんなに哲学について学んできてたか?とか。
その哲学こそ、数学なんだよ。
古代ではまだ哲学の一分野でしかなかったが、中世以降は独立した学問になった。
中国やその他の地域で数字としてのゼロ概念が普及しなかった要因は
@代数学が発達しなかったから。
A幾何学が発達しなかったから。
B哲学としての抽象概念が発達しなかったから。
古代中国人にとって三角形の定理や代数学など不要な存在に過ぎなかった。
目に前にある積み木を積み上げるだけで、目に見えない部分など無いに等しい存在だったからだ。

81 :
いや、ピタゴラスの定理理解してるんだが、漢の人……
ていうか、代数学は結構発達しとりますて。
幾何学はてんでダメでしたけど。
なんでわからないことを語ろうとするかなぁ。
素地は優秀そうなのに。

82 :
コテハンでぐぐったら……
この人は相手にするとバカをみるかもだ。

83 :
哲学史を中心に噛んできた人なのだろうなぁ。
無自覚にアーリア圏における学問の発展が全ての地域のそれに適用できると思ってるみたいだけど。
中国も哲学からの派生で数学が発展していればそうなんだろうけどね。
儒家や法家の基本的考えは確かに無形のものを徹底的に否定するところから入るし、
法家に至っては公孫龍に対し嘲笑に近いことまでしてるのは事実。
確かに哲学からの発展の側面もあるんだけどね。
暦法の発達がもっとも進んでいたから。
けれども実用性からの発展も大きかった。
ちゅうか、そもそもマヤ文明もゼロの概念持っていたりするわけで。

84 :
ところで漢はローマを大秦国と呼んでたそうですが、ローマは漢をなんと呼んでたんでしょう?
シーナ? セリカ?

85 :
マジレスするとキャセイ

86 :
こいつ馬鹿すぎ

87 :
そういえば漢の上下水道ってどうなん?
ローマに関しては山ほど資料があるけど、漢というか古代〜中世中華の上下水道事情が良く分からない。
陶器製の埋設水道管はあったようなんだけど、具体的な規模とか水量とかがさっぱり。
風呂事情も良く分からない。
誰か教えて欲しい。

88 :
ローマ帝国に関しては『西洋古典学事典』を読むこと
必須なるぞ。
たとえ貧しくとも『西洋古典学事典』は購入するべし。
決して後悔することなど、あり得ぬゆえにのう。
分かったナッ!!!!!
貧民風情には、とうてい無理な話だがナ。

89 :
キャセイは契丹なんでもっとあとだね。

90 :
×キャセイは契丹なんで
○キャセイは契丹由来なんで

91 :
ローマは実は漢より古い国
秦とほぼ同時期に建国してるんだな

92 :
>>87
入浴に関してなら、最低五日に一度は沐浴することは義務付けられてたみたいだけど。
上下水道関係の建築物の規模とか水量まではわからんな。
でも、頻度等を考えると「ローマという例外を除いた世界の中では」そこそこ整備されてたんじゃないかという気はする。
実は豪族の屋敷の方が整備されてるとかはあったりするかもw

93 :
>>83
ゼロを受け入れるとき中国人はイデオロギー的に悩まなかったのかな
テレビでサッカー中継を見るととか、ブラジャーはずせとか
といっている今のイスラム教徒からは想像できないが、
あの時代のイスラム教徒はゼロをすんなり受け入れているだろう。
これがヨーロッパ人だと、マイナスの数字を受けいるときは
「いかさま」とわめき、虚数を作り出したときは「詭弁」だと
自嘲し、天動説のときは裁判にかけたり、火あぶりにしたり
アインシュタインの相対性理論のときは、ナチスは
「ユダヤの邪教」だいって、アインシュタインの首に懸賞金を
かけたのに、

94 :
>>88
買ってきた。
でも、出張で読めるのは週末になってから。

95 :
そういえばサッカーの最古の例は漢らしいな。
ボールをける遊び自体はいろいろあったが大雑把なルールがサッカーなのは蹴鞠なんだってな。

96 :
そうか?
何か一つのものを奪い合い、敵陣の一番奥の特定の領域にまで運ぶ、
解釈によっては自陣の一番奥まで持ち帰る、という形式のゲームは、
世界中で普遍的なもので、各地で自然発生している。
奪い合う対象が球状のもので、運ぶ方法が足で蹴ることに限定されて
いるからって、それがサッカーかどうかは。

97 :
サッカーは韓国起源だっつってるだろ。

98 :
この時代はローマと漢を取り上げること多いけど
中東とインドはどうなん?

99 :
クシャーナ朝なんかは漢と西域で衝突していたような。 
印度や中東なんかはポロがすごく流行っていて(つうか英連邦のスポーツだよな)
すっごくメジャーだったりする。
日本では8cぐらいに私たち日王の祖国である朝鮮半島から伝来した打毬が有名だね。 

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