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2012年5月世界史250: 【北爆】ベトナム戦争【テト攻勢】 (239) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【神話】他界観史とその影響【SF】 (804)

【北爆】ベトナム戦争【テト攻勢】


1 :10/12/25 〜 最終レス :12/04/17
ベトナム戦争について改めて調べてみると、北ベトナムって何のた
めに戦っているか分からなくなります。ベトナム共産党の公式見解
は、どうせ民族の独立とアメリカ帝国主義の打倒とかだと思うんで
すが、フランス撤退までならともかく、フランス撤退後は植民地化
の脅威は去ったのだから、ベトナム共産党は武力闘争する必要はな
かったのでは?確かに北爆があり一方的に北ベトナムはアメリカに
侵略されたのは認めます。しかし、究極的な国益を考えるなら、結
果論に過ぎないかも知れませんが、ベトナム共産党は南ベトナムと
戦うのではなく、おとなしく北への南ベトナムへの進駐を認めるべ
きだったと思います。そうすれば多数の戦死者が出ずに済んだろう
し、東南アジア諸国連合へ加入して周辺の安全保障や外交も順調に
行ったことだろうし。つまりベトナム戦争の目的とは、巧妙に民族
主義の衣を纏い民族の独立のためという美談に仕立て上げられてい
ますが、実は単なる共産党の組織防衛のために過ぎないのではない
でしょうか?いろいろ意見をお願いします。

2 :
ベ平連って活動資金ソ連からもらってたんだって。

3 :
結局ベトナム戦争後、刷新政策であっさり計画経済放棄しやがったしな。
・・・ベトナム戦争とは何のための戦争だったんだ?ベトナム民族のため?
共産党のため?

4 :
これが中国共産党なら百歩譲ってまだ分かる。「外的日本を駆逐するため」
という目標は一応一貫性があり矛盾した点もない。しかし、ベトナム共産党
って何よ?はじめは民族の独立を唱えたけれど、それは達成されたわけで。

5 :

【赤旗】ルア・ベトナム共産党政治局員が来日
         きょうから理論会談
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-11-08/2010110802_02_0.html
 日本共産党との第3回理論会談に出席するベトナム共産党代表団の団長、トー・フイ・
ルア政治局員・中央理論評議会議長ら5人が7日、来日しました。日本共産党国際委員会
の森原公敏事務局長が一行を出迎えました。
 ルア政治局員は、先に到着したディン・テー・フイン中央委員(「ニャンザン」編集
長)らとともに、8日から日本共産党本部で、不破哲三・党社会科学研究所所長を団長と
する代表団との会談に臨みます。

6 :
アメリカがベトナム戦争に勝つには世界大戦を覚悟しないといけなかったと聞く

7 :
南ベトナムはアメリカの傀儡でしょ
ベトナム人によるベトナム人のための統一を望んでいたのでは

8 :
ベトナムも所得格差が近年急進している。
ジニ係数でアメリカを超えるのは時間の問題だろう。
かつてチェ・ゲバラは、「二つ、三つ.数多くのベトナムをつくれ、これが合言葉だ」 と
発言したが、ベトナムの現実をあの世でどう思ってるだろうか?

9 :
ベトナムは中国よりはマシとはいえ汚職がかなり酷いだろうな

10 :
P128
南ベトナムで大量の戦争難民が生まれたのは1965年の夏と秋からだった。
アメリカ軍の地上作戦を伴う激しい砲爆撃が開始されたのだった。
難民の大部分は子供や女、そして老人だったがその総数は人口1800万人中の
500〜600万人と推定されている。
(1971年の数ヶ月間の月間難民発生数は1968年のテト攻勢以後のどの期間よりも多かった)
難民分科委員会は1965年以降の南ベトナムにおける民間人死傷者を100万人以上と推定した。その中には
少なくとも32.5万人の死者が含まれている。
エドワード・ケネディ上院議員は報告している。
「解放戦線側は別として『わが方』の数字だけで数万人の不具化した民間人がいる」
「ベトナム戦争報告」筑摩書房 D・エルズバーグ 
著者国防次官補特別補佐官、ランド研究所職員、南ベトナム平定計画担当員

11 :
P216
デピュイはその後まもなくベトナムを去ったが彼の戦術論はそのまま受け継がれた。
デルタ地帯にいた第九師団長のジュリアン・イーウェル准将はヘリコプターの
射撃隊員に両側に家が密集した小路上のサンパンに対する射撃を一切構わずやれと命じた。
そのためこの師団はベトナム戦争で、いや全ての戦争の歴史において
比べもののないほど「敵」とともに「味方」の死者を多数出したと報告されている。
そしてミライ事件の場合と同じく敵の死者は多かったが敵側から捕獲した
武器の数はきわめて少なく、事実上ほとんどゼロに近かった。
一方で省の病院は民間人負傷者でいっぱいだったがその事は師団の
統計にはあらわれず、テレビの週刊統計で国内の視聴者にしらされる事もなかった。
「ベトナム戦争報告」筑摩書房 D・エルズバーグ 
著者国防次官補特別補佐官、ランド研究所職員、南ベトナム平定計画担当員

12 :
>>7
ゆとり乙。たしかに南ベトナムはアメリカの影響が強かったのは事実だが、
そうだとしても、南ベトナムがアメリカの傀儡とまではいえない。南ベト
ナムはキューバのようにプラット条項で保護国となったわけでもなく、
一応主権国家ではある。戦争終結まではアメリカの影響が尋常に強いの
は否めないが、仮に南ベトナム勝利で戦争が終結したら、南ベトナムが
安定した国家運営ができたと思う。たしかに、アホのゴ・ディンジェム
とかのせいで政局が不安定だったのも確かだが。

13 :
アメリカ空軍公式発表によると
1965年8月の一ヶ月間でアメリカ空軍は南ベトナムにおいて
5349の建造物を破壊し2400の建造物を半壊させた
ニール・シーハン(ニューヨーク・タイムス記者)

14 :
マクナマラいわく
政府軍の脱走率は「異常に高く」政府軍への兵の徴募は困難を極めた
すでに65年から年間脱走者が毎年10万人を超え、テト攻勢の1968年にはさらに増加したため
68年から政府軍は徴兵年齢を大きく拡大し、徴募逃れおよび脱走には死刑の罰則も適用する事にした
米紙の報道では、1969年には一ヶ月間に1.3万人が政府軍から脱走し
1973年の8〜10月には毎月2万人が政府軍から脱走していた

15 :
>>1
異民族に長期間あるいは残酷に統治された経験のない
日本人には永遠に理解できないんだよ
飯を食えなくても独裁政権でもまず独立という気持ちが

16 :
>>15
だから、ベトナムはインドシナ戦争後、再植民地化の恐れはなくなったでしょ

17 :
フランスの統治時代てそんなに苛烈だったの?
あんまりそんなイメージ湧かないけどなー・・・

18 :
>>15
インドシナ戦争のあいだ農村のベトミンゲリラとシンパ数十万が南北全土で死んだ
ジュネーブ協定後、一部の正規軍が北上した後も
ゲリラとしてのベトミン組織はそのまま南部農村の9割以上に残った
サイゴン政府はベトミンを激しく弾圧したため、農村と都市支配層の間に激しい対立がおこった
その関係が改善されぬまま1965年に米軍が介入し
激しい南爆を開始した
南爆が開始されてから、サイゴン政府とベトミンの関係改善は事実上不可能になった
再植民地化がどうとか関係なく、ベトミンはおのれを守るためにベトコンとして戦わざるを得なくなった

19 :
>農村のベトミンゲリラとシンパ数十万が南北全土で死んだ
仏史家や米軍高官の著書ではベトミン兵士50万とシンパ数十万死んだとあるが
いずれにしろ大量に死んだろう

20 :
>>18
>南爆が開始されてから、サイゴン政府とベトミンの関係改善は事実上不可能になった
再植民地化がどうとか関係なく、ベトミンはおのれを守るためにベトコンとして戦わざるを得なくなった
つまり、ベトミンが戦ったのは国のためじゃなく自分たちのためってことだな。
これはまさに1が考えていたことが真理ということを証明するな。

21 :
>>17
第二次大戦期には餓死者が数万〜数百万人単位(諸説あり)で出てる。
当時は日本軍も居座ってたけどな。

22 :
ナチによるユダヤの摘発のようにCIAとその手先による赤がりと拷問は残酷。

23 :
>>16
17度線による分割を望んだ一つが中国と言う
現実とベトナムと中国の歴史的な複雑な関係考えてみな。
北ベトナムは北朝鮮にはなりたくなかったんだよ。
北朝鮮がどうしてベトナムのような経済改革ができないか
よーく考えてみなよ。必ずしも中国が歓迎しないからだよ。
中国は北朝鮮を生殺しにしておいて国際情勢の均衡を維持している。
極東で米中露夫々の本格的な紛争がない最大の理由だ。
ベトナムが本格的に警戒していたのは米国よりむしろ中国だろ。

24 :
>>20
国のために国民を殺しまくる政府に国民が敵対するのは当然
そうした軍から毎年10万以上の脱走兵が出るのも当然
累計100万以上脱走兵だして南ベトナムが負けるのも当然

25 :
そもそも54年に締結されたジュネーブ協定に記されていた2年以内の統一選挙を、
南はなぜ反故にしたの?
統一選挙に勝利すれば、一発の銃弾も使わずとも、南主導で統一できたんじゃないの?
この統一選挙拒否が、北に武力闘争開始の口実を与えてしまった。
なにせ統一を前提に結ばれた協定だったから。
そして、そもそも選挙情勢は南にきわめて不利で、その理由である北の指導者とは、
1919年のベルサイユ講和会議に独立請願をして国際舞台に登場してから、
35年にわたり抗仏闘争を戦い続け、ついにディエン・ビエン・フーで勝利し、
フランスにジュネーブ協定を結ばせた英雄だったから。
南ベトナム軍に脱走兵が多かったのも、この独立闘争を主導した英雄に対して、
戦争をする理由が見つからなかったからでは。
結局南ベトナム政府は、アメリカの肩入れと、土着化した華僑やフランス人入植者以外に、
上手く支持を広げられなかった。
そして戦争が終末に近づくにつれ、華僑やフランス人が逃げ出したのは、当然の成り行き。

26 :
>>25
たしかに南が総選挙を拒否したのは非難されるべきだけれど、それと同時に北が南を軍事的に制圧したのもいけないはず。
もし自衛を言い張りたいならば北の領域を取り戻した時点で、南に再度総選挙を実施する旨を伝えるべきだったと思います。
これは奇麗事の様に聞こえますが、それは「理想的な統一ベトナムを建国する」という大義の為には必要なことです。ここで
いう「理想的な統一ベトナム」とは、国民が主体となって建国した国で、それは、偏向した考えを持つ共産党政権が、ただ軍事
力を以って建国した国では決してありません。それに、ここが重要な点だけど、北ベトナムの敵とは敵国人ではなく、自分達と
同じ国民なんですね。だから、南ベトナム軍への攻撃は自国民への攻撃と変わらない。だから、その点からも、百歩譲ってテ
ト攻勢は認めるにしても、その後の南進は道徳的に許されない。同じ国民同士が戦うなど倫理的に絶対に許されないと思うん
ですけどね。

27 :
>>26
歴史に身勝手な倫理観を持ち込む前に南ベトナム解放民族戦線の研究書でも読んできてくれ。

28 :
>>27
いやいや、たしかに国家間での同盟や戦争は倫理などとくだらないものを持ち込むべきではないことは分かるのですが、
果たしてそれが同一民族同士の立てた国家間でも通用するのかということですね。例えば、南ベトナムで都市ゲリラを
実行したり、誘拐や強盗を起こしたり。まだ本当に敵国らしい敵国との戦なら救いがあるでしょうが。

29 :
民族の内紛なんてものは歴史の常だろww
近年でも無数にみられるものだよ。
歴史は観念論で評価するものではない。
演繹的な思考は置いといて帰納的な発想で論評しないと
歴史版で説得するのは難しいね。

30 :
南ベトナム政府は、その気があればいつでも、ジュネーブ協定の精神に則って、
統一選挙実施を北ベトナム政府に打診すればよかったんでは。
なぜ統一選挙を避け続けたんでしょうね。
ベトミン結成からの独立・統一に向けた北の行動は、納得いく範囲内なんだが、
分からないのが南ベトナム政府の行動。
北も南も同じベトナム人による国だとしながらも、統一を拒絶し続ける。
統一してしまうと自分たちの発言権が大きく減退してしまう華僑が、
実権を握っていたってことなのかね。
ボートピープルの多くが華僑だった事実からも、南ベトナム政府の実態ってのが、
滲み出ているんじゃないか。
仏領インドシナだったからこそ利権を守れた華僑のような異民族外国人は、
独立へと導いたホー・チ・ミンに親しみを感じることは無いだろう。

31 :
ゴディンジェムはそもそもフランス植民地時代を象徴するような
カトリック政権で腐敗がひどかった。
当時の米国はこういったアホな政権を多く擁護して失敗している。
蒋介石はプロテスタントだが李承伴もカトリック。
共にクリスチャンで、当時の米国はクリスチャンの政権に肩入れしすぎていた
嫌いがある。米国は実は非常に信仰にこだわる国家。
しかし共に腐敗がひどく民衆の信頼を失っていく。
民心の把握と言う点では南ベトナムに未来など最初からなかった。

32 :
当初は短期で終わるはずだったが実際はかなりの長期戦になってしまった

33 :
>>31
バーベキュー女はまだ帰国させてもらえないもんな

34 :
>>31
>民心の把握と言う点では南ベトナムに未来など最初からなかった。
ここのスレ主同様、反共一点張りで、
また権益の保持に執心していた外国人連中に担がれていたのが、
南の一連の政権だからな。
権益保持者であった日本人がいなくなった台湾や朝鮮半島と違い、
ベトナム国民に分け与えるものすらない状況では、支持は固まらず、
混迷が深まるだけだった。
ホワイトハウスが、この体制でもいけるって考えていたんだから、
共産主義者とのコネを持つ者を大量に斬った赤狩りの影響かね。
判断が甘すぎたよ。

35 :
私は反共一点の腐敗政権と同一レベルですか(笑)まあたしかに私は、南は腐敗がすごくて、ダメだという点に
あまり言及していませんでしたからね。まあ、結論としては北も南も、大小の差はあれベトナム国家自体よりも
党や政権を防衛することを優先していた、ということでしょうかね。

36 :
戦争が起きる原因は時代によって大きく異なるからそれに着目すべきだね
民族の独立闘争とかは当時の主流のテーマじゃなかったよ
共産化するかどうかで先制攻撃仕掛けるのが当たり前の時代だった
そしてアメリカの影響を受けたことが悲劇だったと

37 :
>>36
>民族の独立闘争とかは当時の主流のテーマじゃなかったよ
主流テーマだったからこそ、南ベトナム軍では脱走兵が続出したんでは。

38 :

徳川幕府の世界展開のひろがり
http://s1.shard.jp/rabbit1/0204/45/297_2.html
ベトナムもだが、サウジアラビアの国旗にも意味があった。

39 :
保大皇帝の下に統一された立憲君主国として国家建設を目指す、
っていうのは無理だったの?

40 :
保大皇帝ってどんな感じの君主だったんだろうな。
明君とまでは言えないようだけど、暴君とかいうのでもなさそう。
少なくともバーベキュー女よりはましだろう。

41 :
バオダイは、植民地主義者の傀儡だから無理でしょう。
ベトナム人は彼らと戦える人材を求め、ベトミンがその支持を得る構図は変わらない。
バオダイで統治可能ななら、仏領インドシナのままでも統治可能だ。

42 :
南ベトナムはと娼婦と堕落と退廃のごみためのような所か。きのどくに。

43 :
>>42
南ベトナムがごみだめなんではなく
サイゴンで援助の汁をすすっていた特権層がごみだめなんだ

44 :
マクナマラも言ってたけどさ…
ケネディは、南ベトナム見捨てているよ、
国民の8割を占める仏教徒弾圧して、カトリックだけが良い思いをしている政権なんて支援できないから。
その為に軍事顧問団の撤退を始めている。
(暗殺の直前に)後は一人で南ベトナムが勝手に戦えって、
ニューポートのケネディ家の別荘からJFKがテレビのインタビュアーに答えている。
それをひっくり返してのジョンソンの大量派兵w
ナニ考えてんだって事。

45 :
>>39 >>40
バオダイは退位させられた後、ベトナム民主共和国の顧問に招かれた。いったんこれを受諾したんだけど
すぐに逃げ出した。ま、冷や飯ぐらいに嫌気がさしたんだろうが。で、舌の根も乾かぬうちにフランスの誘い
に乗ってのこのこと南政府の国長になり、反共掲げたわけ。ホーチミンにすれば、今更そいつを君主と仰ぐ
とか有り得んよ。
在位中も無能の象徴みたいな君主だったし。でなきゃ、クォンデを担ごうなんて動きが出てくるわけ無い。
ま、フランスから帰ってきてすぐはちょっと頑張ろうとしたみたいだけどあっさりフランスに握りつぶされた。
フランスとアメリカに一から十までお膳立てしてもらって南の君主に復帰したはいいけど、何にもできずに
ゴ・ディン・ジェムに「選挙」で敗北して君主の座から追われる始末。もともとの首都フエを含む南ベトナム
で選挙やって負けたんだからどうしようもない。同じような立場だったシハヌークと比べると差は歴然。
もともと父親の啓定帝に種なし説があって、バオダイは廷臣と皇后が密通してできた子じゃないか
という説が巷間に流布してた。もちろん真偽不明。でも人の口に戸は立てられぬというし、これもカリスマ
を損ねる原因になったのかもね。

46 :
>>44
もしケネディが暗殺されなかったらベトナム戦争が起きなかったというわけか

47 :
今のベトナムよりタイとかフィリピンのがゴタゴタしてるよな
タイなんかこないだ軍政が選挙拒否して首都の機能マヒする大規模な反対デモ起こって
デモ100人超殺していたし

48 :
>>9
汚職がひどけりゃ、軍が物資を横流しして(=南ベトナム)戦争に負ける。
>>12
南ベトナム指導者の迷言
「僧侶が一人バーベキューになったからなんだっていうの」
こいつはアメリカが選んだクリスチャンだ。
>>17
19世紀末頃からフランスは地主制度をおき親仏カトリック教徒を地主とした。
そうだ。
耕作地没収。
>>26
>たしかに南が総選挙を拒否したのは非難されるべきだけれど、それと同時に北が南を軍事的に制圧したのもいけないはず
おまえは紙か?
>>28
国境線などと言うものは、ちょこまか動くのが普通で内戦と外戦を区別するのは不可能。

仏国:コルシカ島にはイタリア語を話すフランス人がいてアルザスロートリンゲンにはドイツ語を話すフランス人がいる。
伊国:チロルにはドイツ語を話すイタリア人がいる。
ユーゴスラビア国:七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字。

49 :
直に消えそうなコテが来たなw

50 :
>>47
でもBBCのベトナム語版とか見ると、毎日ベトナムのどっかで農民の座り込みやらデモのニュースで溢れてるぜ。
BBCだけ見てると、あたかも全土で人民の蜂起が起きてるような錯覚に陥るw

51 :
小デモやら陳情やらは急成長期の後進国ならどこでも多いだろう
BSの途上国の外国語ニュース見てりゃ珍しくないし
これがミャンマーやらタイみたく大通りや空港埋まるほどならおおごとだけども

52 :
人民蜂起なら済州島事件、光州事件、天安門、台湾228事件、ビルマ民主化運動くらいのうねりがほしい
あとバンコクだけで73年、76年、92年、2010年と光州事件何回も起こしてるタイとか

53 :
>>44
むしろ分かりやすいだろ。
ケネディがベトナム撤兵を考えたから、軍はケネディを暗殺して、
大量派兵の方向に持ってったんだよ!

54 :
ケネディ暗殺の陰謀論が未だにまかり通ってるのか

55 :
ウォーレン報告書を鵜呑みにして“オズワルド単独犯行説”をいまだに信じている人は、バカ。
ブッシュ政権の“イラク大量破壊兵器”と同じホラ話w
ケネディの暗殺の原因はキューバ侵攻を中止した事とビックス湾事件の失敗でCIAの解体をケネディが示唆した事だろうな〜
あとフルシチョフの要請でケネディがトルコからミサイルを撤去させたのもペンタゴンの怒りを買ったらしい。
下院暗殺調査委員会の最終報告書では、“オズワルド単独犯行説”を否定している。
ま〜産軍複合体やらCIAやらは、流石に下院暗殺調査委員会は言わないけどさw
でベトナムに戻るけど、63年の暗殺直前に軍事顧問団が撤退を始めていたのは事実、
これでベトナム戦争が無くなるかは知らんけど、少なくても地上戦は無い。
有っても、キューバと同じで海上封鎖と空爆で北ベトナムを叩く事(ニクソン政権でも同じ事している)ぐらいかな〜
ケネディでもこれ位はやりそうだけど、南ベトナムへ地上軍を派遣することはしないだろう。
地上軍派遣はしなくても、B52でハノイやハイフォン、ホーチミンルートへの
大爆撃は、北ベトナムが南進を続ければ、ケネディでもやりそうだけどね。

56 :
いや、むしろ早い時期に北ベトナムの正規軍が堂々と南進してくるのを確認できれば、
朝鮮戦争の時みたいに米軍を北ベトナムに直接送り込むことが可能になるんじゃないかな。

57 :
軍拡を進めてたレーガンも暗殺されそうになったんだけどな

58 :
ヒンクリーなんて単なる基地外じゃん

59 :
>>56
無理、
シナが1966年に核武装している為に、シナが参戦しかねない北ベトナムへの米地上軍の侵攻は不可能。
マジで核戦争になりかねない。
ジョンソン大統領は統合参謀本部に散々北ベトナムへの地上軍侵攻を要請されていたけど、
とうとうそれだけは認めずに退任してしまった。

60 :
今の北朝鮮と同じで当時の中国に核兵器を運搬する手段があったか?

61 :
70年代にはハワイまで届く弾道ミサイルを開発してた

62 :
>>1 アメリカが北を開放しようとして戦争を始めた訳ではない。
中国共産党が内戦に陥り、中国を守るために敢えて北ベトナムに
南ベトナムへの侵略を要請したのが歴史の真実に近い。
少なくとも中国は米国との戦争を恐れていたし、
もし米国が中国を攻撃していれば勝利した可能性もある、
米国の中国への軍事挑発を逸らすのがベトナム戦争の最低限の役割だった。

63 :
そもそも西側の毛沢東軽視から、東アジアの権益を次々失った。
・中国内戦 毛沢東勝利
・朝鮮戦争 中国義勇軍参戦(勝利なき休戦)
・第一次インドシナ戦争 中国が聖域・武器・訓練・軍事顧問提供で仏軍撤退
こうなると毛沢東の行動をどうしても意識しなくてはならず、中国の介入を避けるべく
・ラオス危機 共産勢力パテートラオ政権入りで中立化
・第二次インドシナ戦争 北ベトナムへの地上軍派遣を断念し空爆限定
これでも状況は好転せず、結局関係改善を目指しキッシンジャー、ニクソン訪中
国連常任理事国入りでも軟化

64 :
Best and Brightiest くらい読め!
ベトナムに地上軍を派遣するならば、徴兵制を執行して毎年10万人の新兵をベトナムに送る必要があると
スチルウェルだか誰だが(10万も記憶があやふやですまん)が、主張してって書いてあったんだ。
高坂正尭センセの本には、“ドミノ”理論で、インドネシアの共産化はさけられないがうんぬんとあった。
結果は、米が介入しなかったインドネシアは共産化せず介入したベトナムが共産化したけど、
ベトナムは、共産主義とは、資本主義が成熟して社会主義を通って実現するものという理論で、共産主義はポイ。(なのかな?)

65 :
アメリカが転進した理由の一つはB52爆撃機が対地空ミサイルで落とされはじめ出したからではまいだろうか。

66 :
ななななななななないんてぃーんないんてぃーん

67 :
ベトナムの公式見解は未だにドイモイやるときに宣言した
ベトナムは社会主義に至る比較的長期の過渡期の初期段階にある
だったはず。

68 :
ポール・ハードキャッスルがいるな

69 :
1954年のジュネーブ会議でのベトミン側の要求
「協定成立後6ヶ月以内の南北統一総選挙を」(交渉後、2年以内に妥協)
もうこの発言で、民主主義陣営側は敗北確定。

70 :
>>62
時系列が少しおかしい。
米国の軍事支援のもとフランスがベトナムと戦争していたのが
1954年まで。中国の内戦は1949年で一応は大陸での決着はついていた。
問題は朝鮮戦争で、これが米国のベトナムへの本格的直接的な軍事介入の
原因。>>1の馬鹿は観念的な頓珍漢だから時系列で史実に基づいた説明が
できない。と言うよりしたがらない。
フランスに関しては後のアルジェリア紛争を考えても、植民地主義左翼の政権でも
経済破綻するまでその権益に固執したことから、植民地放棄する気はまったく無かった
ことはよくわかる。だからドゴールのエビアン協定まで紛争は収まらなかった。共産主義に
側に関しては中心はやはりソ連。例えばスターリンの独裁は国外共産主義にも絶大な影響力
があった。と言うよりは絶対的な影響力だな。彼の指示なしには中国が独自に動いていたことは先ず
ない。ただしこれは1953年までだ。朝鮮戦争とベトナムからのフランスの撤退はスターリンの死が最大の
原因だろう。彼は西側に消耗戦強いて疲弊させるのが最大の目的だったろうから(これは推測だが、共産主義の
拡大というよりは対独戦での東部戦線で西側がソ連に過剰に負担を強いたと彼が考えていたいたことから、その復讐が目的。
戦前のスペイン内戦での西側の態度と、戦後のファシスト、フランコ独裁放置容認からしても単なるスターリンの勘繰りとも言えない。
)。
米国に関してはやはり朝鮮戦争による警戒心と、マッカーシズム以来の共産主義への過剰な警戒心が原因。
中国に関しては1953年まではどれほど独自に行動していたか怪しい。
それほどスターリンの影響力は大きかった。ここいらも朝鮮戦争を調べれば
わかる。この戦争が膠着状態から消耗戦に突入しても停戦させなかったのがスターリンで北朝鮮と
中国は辟易していた。毛沢東のスターリンへの警戒心もここいらから始まりつつあった。
当時の中国は独自の経済力も外交への影響力も軍事力も貧弱なタリバンに毛が
生えた程度の政権だ。国連にも加盟できず西側は国家として認めていない国も多かった。

71 :
イギリスは、1950年1月6日に中共を国家承認した。
そうしなければ香港を守れないと悟ったからだが。
一方フランスは、中華民国との利害を優先したのか、
アメリカに倣えだったのか、中共の説得工作も空しく、国家承認しなかった。
これが1950年1月13日の国連安保理の中国代表権承認決議で、
イギリス:棄権、フランス:反対と立場が分かれ、
それまで控えていた中共のベトミン支援を本格化させる事態へと発展した。
中共のベトナム民主共和国承認は1950年1月18日。
これがフランス植民地帝国崩壊への最初の一撃となった。

72 :
ベトコンは統一後は冷や飯食わされたわけなんだろ?
>>1の言う様なベトナム労働党(後のベトナム共産党)の組織防衛的な意図は、統一前の時点ではそんなに濃くはなかったとは思うが、
統一後は結果的にその様な一党独裁支配をしてしまっているわけだから、
民主主義的思考の強い人にとっては、独立を勝ち取ったと100%称賛することが出来ないのは仕方ないと思う。
ただ植民地支配からの完全脱却というのは、そんな綺麗事では成し得うることではないと思う。
清朝の支配を含めて長年に渡り、外国に支配されることに馴らされ、さらにはそれへの協力で権益を多く受けていた者も数多く居たわけで、
そういった層は往々に財力も影響力も強く、民主政治という政治形態ではいつまでもはびこるものだと思う。
だから、それらを一掃するまでは武力での支配というのは仕方なかった筈だ。
だからといって、今現在に至って一党支配を続けている名目にはならないけどね。

73 :
> 清朝の支配
なんだこれ?まさか冊封朝貢関係のことか?

74 :
>>73
どんな違和感を感じましたか?

75 :
>>72
中共も似た様なもんだ。
単独では国民党には到底かなわず、建国当初は、
雑多な勢力を共産党が纏めていたが、徐々に共産党が力をつけて、
文化大革命期に掃討した。

76 :
異議あり ゲリラ時代からホーチミンルートを頼った一党支配だとおもう。

77 :
60年代前半は、南部ゲリラから捕獲した武器の大部分はアメリカ製、フランス製だった。
米軍が介入しなければ、南部ゲリラがホールートを頼みにしなくてもサイゴン政府は転覆の可能性が高かった。
米軍介入後、米軍の増加と比例するかたちで北部から武器や人員が流入した。
ペンタゴンの報告では60年代初期の南部人のゲリラ党員は30万人。
65年〜68年の同報告では、特に南部デルタは植民地時代からベトコンの強力な中核をなしており
NVAはほとんど役割を果たしていないと報告している。

78 :
第1次インドシナ戦争時代に南部でベトミンを指揮していたのが、レ・ズアンだからな。
60年代と言えば、すでにレ・ズアンが、ベトナム労働党のトップだった時代。
北ベトナムの直接介入無く、ゴ・ディン・ジェムならびにその後継政権は、
崩壊の危機に瀕していたのであろうか。

79 :
>>74
冊封されてたことを普通は支配とは言わない。
倭の五王や足利義満の時代に中国に支配されていたと言わないのと同じ。

80 :
対清政策の場以外では皇帝と帝国を称していたよな。

81 :
>78
レ・ズアンは米軍が介入せずに政権獲得していたら早期失脚していたと思う。

82 :
南ベトナム軍兵士にとって、ホー・チ・ミンって何だったんだろうな。
コミュニストの親玉なのか、フランスを放逐した英雄なのか。

83 :
それ以前に彼らに南ベトナム軍兵士という意識があったか微妙

84 :
米に支給されたおべべとライフルとサラリーが彼らの生活。

85 :
スターリンや毛沢東、金日成と同じ仲間と見るか?それとも
孫文やガンジー、マンネルヘイムと同じ独立闘争の指導者とみるか?
>>82
独立闘争の指導者で、同じベトナム人という意識はあったと思う。

86 :
アメリカ人の頭の中で出来上がったホーチミンを共産主義者とする人物像を、
ついに南ヴェトナム人に浸透させられないまま、挫折したってところか。
それぐらいフランスやその協力者華僑の支配は苛烈であったのであり、
またアメリカ人はそれを理解しようとしなかったと。
第一次インドシナ戦争におけるフランスの戦費の大半を、アメリカが負担した事に、
将来の敗北の遠因があったのだろう。

87 :
マクナマラは後で、ホーチミンをベトナム人にとってレーニンとガンジーを
足して割ったような人物だったと言ってる
ユーゴの民族主義者チトーになぞらえたこともあったと記憶してる
チリのアジェンデとかも近いのではないかな

88 :
ホーチミンは、上手く対仏・対米で中共からの支援を引き出した。
これが効いて、フランスもアメリカもベトミン・北ベトナムを屈服させられなかった。
支出ばかり増え続けて、利益が上がらない土地ならば、近い将来放棄するしかないとの読みか。
キッシンジャーが、北ベトナムから中共を引き剥がすアイデアを出したが時期すでに遅し。

89 :
ベトナムの現状を見ると
共産主義者が政権を取ると
たとえ経済的に資本主義体制に移行しても
絶対に人権抑圧の一党独裁体制を放棄しないことが良くわかる。

90 :
それでもタイやフィリピンより政治的に安定してる

91 :
>>90
弾圧される野党が存在する韓国を非難して、
反対勢力がとっくに抹殺されている北朝鮮を賞賛していた
連中がまだ生き残っているようだな。

92 :
三菱総合研究所http://www.mri.co.jp/NEWS/seminar/mri/2007/1188983_1510.html
ベトナムは、政治的安定、勤勉な国民性、低コスト、中国とアセアンの中間に位置するという立地
大和総研ホールディングスhttp://www.dir.co.jp/publicity/column/070807.html
ベトナムが投資先として海外企業から注目を集めている背景には、若年層を中心とした人口8,300万人の国内市場の魅力に加えて、
(1)廉価な労働力、(2)投資先のリスク分散の受け皿、(3)安定した政治・社会、などが指摘できる
中央信用金庫www.scbri.jp/PDFasiagyou/scb79h17q045.pdf
2) 安価で質の高い労働力、政治の安定性、良好な対日感情
モーニングスター新興国レポート ベトナムhttp://moneykit.net/from/topics/topics112_01.html
2000年以降から急激に増加していることがわかりますが、これはベトナムの政治的安定や安価な労働力、魅力的な立地条件があったためです
日本政策金融公庫中小企業事業http://www.c.jfc.go.jp/jpn/publish/info/no351.html
投資先としてのベトナムの魅力(1)安価、勤勉、そして優秀な労働力(2)政治・治安の安定(3)順調な経済成長(4)WTO加盟(5)投資環境の改善
日本政策金融公庫 国際協力銀行 ベトナム評価http://www.jbic.go.jp/ja/about/topics/2010/0929-01/index.html
良質な労働力、労働コストが他国に比べ低い、政治の安定が挙げられる
三正工業株式会社海外事業部http://www.sansei-ind.co.jp/vhl/feature/
会主義国ベトナムは、安定した政治体制のもと全方位外交を展開

93 :
第一次インドシナ戦争の8年間で南部農村の9割以上でベトミンが強固な人的基盤を築いた
また南ベトナムの人口の9割は農村に居住していた

94 :
>90
その両国より貧乏なのだが。

95 :
産経のサイゴン支局長だった近藤紘一は南ベトナムでも一番尊敬されている政治家は
何だかんだ言ってもホー~ンと書いていたな
駄目だこりゃ

96 :
南ベトナムって要するに、フィリピンみたいなとこだったからな。
フク団とか共産党とかモロ民族解放戦線とかかろうじて押さえ込めたのがフィリピンで
失敗して潰されたのが南ベトナム。今でも南ベトナムが残ってたとすれば韓国や台湾じゃなくて
フィリピンになってただろうね。

97 :
少なくとも、1000人は第一原発に社員が居たのに、750人以上撤退させた。
たとえば、外部電力からの復旧だって、東北電力の電線まで1.5キロしかない
というのだから、電線引っ張っておくヤツ、配電盤の設置準備するヤツ、瓦礫を
処理するヤツと手分けして作業してれば、2日あれば外部電源とれて、冷却再開
できた可能性があるんだよ!それすらしないで、逃げることばかり考えてたやつら
をどうして応援できるというのか?
そもそも、外部電力をつなぎたがらなかったのは、東北電力に借りを作りたくない
という、面子を保つためだったせいではないかと思ってもいる。
バカのおかげで数十万人の関東民が迷惑し、数万人の避難市民が自宅を放棄せざるを
えず、数十人の避難民がこの寒さで死んでいってるんだ。
一人や二人のトーデン社員が死のうが、なんとも思わん

98 :
ゴ・ディン・ジェムも、バオ・ダイに仕えていた貴族であり、いわば支配する側の人間。
その彼が、フランスの傀儡だと糾弾してバオ・ダイを追放した事を功績として自画自賛しても、
政府機能をそのまま引継ぎ、支配構造に大きな変化が無かった。
これではホー・チ・ミンが何十年と独立闘争を続けて、フランスを軍事的に屈服させた偉業とは比較にならない。
しかもアメリカはフランスを支援していた国。ゴ・ディン・ジェムがアメリカの後ろ盾を必要としている以上、
バオ・ダイ同様の帝国主義者の傀儡との謗りは免れない。、

99 :
ハノイ政権も同様にモスクワや北京のお世話になったことは一切スルーか

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