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2012年6月懐メロ邦楽295: 【ブルー】淡谷のり子★VOL.3【のりきゃん】 (322) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【ブルー】淡谷のり子★VOL.3【のりきゃん】


1 :07/04/30 〜 最終レス :12/06/05
魅力を語る人は語る。
語りたくない人は語らない。

2 :
σテンプレ

淡谷のり子
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1010464655/
淡谷のり子2
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/natsumeloj/1145375376/l50

3 :
楽屋でディックミネにをむさぼらせていた淡谷先生が、後年清水アキラを「下品」な罵倒していた。
要は清水アキラが嫌いだったのか。

4 :
清水アキラのふざけた感じが生理的に受けつけなかったのかも

5 :
魅力を語る人は、ここでは語らない。
語りたくない人も語らない。
のりきゃん等という題目が気に入らない。

6 :
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7 :
妹さんは元気なの?

8 :
妹は多分まだかろうじて生きてるかな!

9 :
清水アキラって性格が最悪らしい
そういう所も見透かしてたんじゃない?

10 :
やっぱり最悪なんだ、あの人

11 :
淡谷先生がテレビに出てた頃が懐かしい。
初期の《ポエマ》という歌は、いいですよ。

12 :
《ポエマ》さっそく探したいと思うけど、「ポエム」という意味?

13 :
ポエマ・タンゴはコンチネンタル・タンゴの名曲で、
戦前の日本では、淡谷のり子によって紹介されました。
セリフ入りのこの曲は、淡谷のり子もお気に入りで、
晩年のコンサートでも毎回歌っていました。

14 :
セリフ入りなんて、先生らしくとってもお洒落

15 :
>>12
モノラルバージョンとステレオバージョンがあるけど、断然、モノラルがオススメです。
十年に一人のソプラノと言われた歌声が堪能出来ます。

16 :
淡谷のり子のコンチネンタル・タンゴでは、
やはり「ポエマ」と「夜のタンゴ」が双璧でしょう。
どちらも、晩年まで歌い続けました。
また淡谷のり子の和製タンゴでは、「夜のプラットホーム」が
最高でしょう。
この歌は、淡谷のり子が戦前に吹き込み、時節に相応しくないと
発売禁止になってしまい、そのままお蔵入りになった楽曲なのですが、
戦後に歌おうと思ったところ、コロムビアからテイチクに移籍した為に
歌えなくなってしまった曰く付きの楽曲なのです。
勿論「夜のプラットホーム」も、自身のステージでは、自分のオリジナル曲
として、晩年まで歌い続けました。

17 :
「ポエマ」はやたらとイントロの長い曲ですね、ぶっちゃけびっくりした
「夜のタンゴ」も然り
「虹のビギン」が個人的には一番。

18 :
「虹のビギン」という曲は知りません。
淡谷のり子の歌ですか?

19 :
おしゃれ娘の疾走感
ステキだなぁ。とても戦前の和製作品とは思えない

20 :
アップテンポの曲なんてあるんですか。

21 :
>>20
「ルンバ・タンバ」は戦前と戦後と、コロムビアで録音されている。
戦前は「ルムバ・タムバ」と表記された。

22 :
淡谷のり子の戦前のタンゴの中で、「ヴェノスアイレスの歌」も素晴らしい名唱です。

23 :
淡谷のり子が1937年に吹き込んだシャンソン「アマポーラ」も良いですね。
時々、テレビのCMやBGMでこのメロディーを耳にすると、日本での
創唱者・淡谷のり子の「アマポーラ」を思い出すのです。

24 :
アルゼンチン・タンゴにゆかりがあるんですね。

25 :
でもその割にヒット曲は極めて少ない。
大衆ヒットは「別れのブルース」「雨のブルース」「君忘れじのブルース」の3曲のみ。渡辺はま子や二葉あき子よりはるかに少ない。

26 :
>>25
それらの曲目は、戦後の放送局のリクエストで仕方なく歌っていた。
淡谷のり子の若き頃のヒット曲には、戦前のよき時代のジャズやシャンソン
タンゴが少なからずあり、当時のモダンな学生達に好んで歌われたそうだ。
それに、淡谷のり子は、自分のオリジナルヒット曲の「別れのブルース」等も
好きではなく、晩年のコンサートでもほとんど歌うことはなかった。
強いて言えば、「雨のブルース」はオープニングで歌い、その他のオリジナル
曲は滅多に歌わず、シャンソンやタンゴでライブ・コンサートは構成されていた。
淡谷のり自身、自分は流行歌手ではなく、ポピュラー歌手と自負していた。
戦前の日本で、ヨーロッパやアメリカの名曲を日本に紹介した功績は偉大であり、
シャンソンに至っては、日本での第一号のシャンソン歌手でもある。


27 :
確かに流行歌手になったのは、彼女の不本意なことだったと思う。ただ、生活やリクエストのために仕方なく「別れのブルース」などを歌っていた。
ただ、その流行歌で彼女の社会的地位は向上しコンサートも開けるようになったことも忘れてはなるまい。

28 :
>>26
そうですね。
ヒット曲のない歌手は、ありとあらゆる自分のオリジナル曲でコンサートを
構成するようですが、淡谷のり子に至っては、数多いオリジナルの
「別れのブルース」「雨のブルース」「東京ブルース」「思い出のブルース」
「落ち葉のブルース」「鈴蘭物語」「白樺の小径」「すずかけの道」
「君忘れじのブルース」「日暮れの窓で」「満州ブルース」等は、コンサートでは
あまり聴いたことがなかったですね。
ほとんど、戦前に歌ったシャンソンやタンゴで通すということは、よほどの信条が
あった表れだと思います。
また、レコード会社から要求のあった軍歌や愛国歌謡の吹き込みを一切拒否し、
軍隊慰問も当局から一切出演料をもらわず、自費で国内や満州の各地を巡演した
淡谷のり子の一貫した姿勢は、尊敬に値すると思います。
でも、軍隊慰問で披露した歌も、外国曲が主だったようです。

29 :
その外国曲のレパートリーの中には
もしかして「リリー・マルレーン」も含まれているんでしょうか。
あのいわく付きの

30 :
>>29
「リリー・マルレーン」は1939年発売の曲ですが、淡谷のり子の戦前の
レパートリーには入ってなかったようです。
戦前のコンサートの曲目を見たことがありますが、「ヴェニ・ヴェン」や
「ドンニャ・マリキータ」が入っていました。

31 :
でも、慰問先での兵士たちのリクエストで圧倒的に多かったのは「別れのブルース」だったと淡谷は語っている。彼女はそれに辟易したであろう。

32 :
今年は淡谷のり子生誕100周年です。
青森市に遺品のほとんどが寄贈され、記念イベントが期待されているのですが、
財政難もあるのでしょうか?記念館を建てるどごろか、イベントの企画も
特に計画されてないような感じです。
もっと積極的に企画し、遺族の期待に沿うようにしていただけたらと思います。

33 :
淡谷さんは、藤山一郎の逝去がこたえたでしょうね。
服部良一の音楽葬までは元気でしたから。

34 :
一緒に戦った盟友みたいな存在だったんでしょう。

35 :
>>33
淡谷のり子さんは、藤山一郎さんとは、それ程の心を許すような間では
なかったようですよ。
淡谷さんと言えば、仲良しはディック・ミネさんでした。
ミネさんも、淡谷さんを常に「お姉さん」と呼び、同じステージの時は
必ず先に楽屋入りし、淡谷さんをお迎えしていました。
常に、芸能界入りの口をきいてくれた恩人として、歌手の先輩として、
尊敬の念を持っていたようです。
それに、ミネさんと藤山さんとは、仲はよろしくなかったようですので、
自ずと淡谷さんと藤山さんのお付き合いの度合いも慮れます。
ミネさんお芸能界入りは、淡谷さんが骨を折りましたが、淡谷さんは
終戦の少し前、コロムビアから一方的に解雇された後、終戦後は
コロムビアからの再契約の誘いも断り、ミネさんのテイチクに移りました。
そしてミネさんの晩年は、淡谷のり子音楽事務所が(ミネさんの)プロモートを
したのです。
本当に、淡谷さんとディック・ミネさんとは、先輩後輩の関係を超越した
「盟友」だったのです。

36 :
たとえば「ベッサメ・ムーチョ」は
ジョージ・ハリスンにも影響を与えたと思うんですよ。

37 :
>35
ナツメロ番組の楽屋で、淡谷のり子はディックミネに首をなめさせていた。それをたまたま目撃した灰田勝彦はひどくうらやましがっていたと言う

38 :
>>37
ネタでしょ。どう考えてもw
たしかにミネさまの素晴らしいディックと、のりPのデカパイ
が揃えば、敵はいないでしょうが・・・

39 :
のり子さんって胸大きいんですか?

40 :
>38
ところがネタじゃないんです。ディックミネも晩年に語ってました。
>39
巨だったみたいです。それが証拠に、高齢になってからのナツメロ番組では、牛並みに垂れたが衣装越しに見えます

41 :
>>40
じゃ、」お前の母親はどうなんだよ?牛並みに垂れたかよ?
表現に気をつけろ!!

42 :
そうです。
死人に鞭打つ行為は、結局、自分に返って来るものです。
ああいう言動は慎みましょう。
淡谷のり子さんは、今年は生誕100周年、あまりにもこき下ろすような
言動、行動はやめましょう!

43 :
淡谷先生のはでかくて、歳をとったら垂れてきただけのこと。小さかったら、牛並みには垂れるまい。「別れのブルース」を歌う時は、胸をユサユサ揺らして歌ってたね。あれでディックミネは悩殺されてしまう。

44 :
ディック・ミネ = 巨好き(爆好き)
こういう解釈でよろしいんでしょうか。

45 :

いいぇ 淡谷のり子=巨根好き
だったってことじゃぁないの・・・・・

46 :
巨と巨根が触れ合えば、巨からも巨根からも白い液体が溢れ出る…

47 :
二葉のあきちゃんには長生きしてほしいです

48 :
のりちゃんが巨だったのは確かだよ。
歌うときになぜ手を前で組むのかと聞かれて
「昔(戦前)歌っている最中、胸ポロしちゃったから」と
明確に答えているからね。
のりちゃんこそ元祖ロケットアイドル。
禿同 >>47

49 :
齋藤裕さんの応援がある限り
のりちゃんとあきちゃんは
日本歌謡界に燦然と輝く
スターです。

50 :
同じ女王級歌手・美空ひばりとの関係は微妙でしたね。表面的には「ひばりちゃん、ひばりちゃん」なんて言ってたみたいだけど…。

51 :
>>50
「ひばりちゃん」などとは言っていませんでした。
「“ひばりちゃん”だと。あんな可愛い小鳥の名前なんて・・・・。
“ひばり”でいいのよ!」とまで言っていた位です。
あれ(ひばり)と一緒に出るのが嫌だと、NHKの夏の紅白の歌番組の出演の時には、
美空ひばりが司会を担当したので、淡谷さんは、オープニングとフィナーレとには
出ない位、ひばりは嫌いでした。
はっきり言って、美空費ひばりは大大嫌いでした。
聞くところによると、美空ひばりが、淡谷さんは偉大な歌手だと言っているそうだが、
あれが何と言おうと、私はあれには絶対靡かない(なびかない)とも言っていました。

52 :
はっきり言って、美空ひばりは大嫌いでした。
「聞くところによると、あれが、私を偉大な歌手だと言っているそうだが、
あれが何と言おうと、私はあれには絶対靡かない(なびかない)」とも
言っていたのを覚えています。

53 :
戦後のある日、淡谷のり子のもとに毛皮屋が一枚の毛皮を持って来ました。
見たところ、みすぼらしい猫の毛皮のような安っぽいものだったそうです。
そこで毛皮屋に、誰が紹介したのだと問い質したところ、ひばりの母親の
加藤喜美枝が、この毛皮は淡谷のり子じゃなきゃ買えないと紹介してくれた
とのことだったそうです。
淡谷のり子は、安っぽい毛皮はもとより、ひばりの母親の無礼さに腹立ち、
「こんなもの、持って帰れ!」と毛皮屋を追い返したそうです。
そのように、ひばりはもとより、母親も失礼なことをするので、淡谷のり子は
一貫して美空ひばりが嫌いでした。

54 :
「私達から見ると、ひばりは決して歌はうまくないのだから」
「みんながおだて上げるから、いい気になっているのよ」
「“ひばりちゃん”だと、何も可愛い小鳥の名前を付けることないのに。
 “ひばり”でいいのよ!」
淡谷のり子は、徹底的に美空ひばりが嫌いでした。

55 :
どうも淡谷のり子と美空ひばりは同じ歌手なのに別世界な感じがする。
まして2人の共演なんて想像もできない。年代的には充分可能だったろうに(年下のひばりの方が亡くなったのははるかに早かった)

56 :
>>55
片やクラッシックを勉強した歌手で、豪商のお嬢様。
片や譜面も読めない歌手で、貧しい魚屋の娘。
そして、分野はポピュラーと演歌。
合わなかったことと推察されます。

57 :
紅白を私物化して、引退ドタバタ劇を演じた「はるみ」や「昌子」
そして今や紅白のお荷物化してる「小和田アキ子」
などは「ひばり」の比にならないくらい大嫌いでしょう
淡谷先生は

58 :
才能もあり音楽をキチンと基礎から学んだ淡谷と、ずば抜けた音感の持ち主で楽譜も読めないのにスラスラ歌いこなしていたひばり。
対極にいる2人なんだね。どちらも嫌いじゃない。淡谷で好きな曲は「君忘れじのブルース」、ひばりでは「長崎の蝶々さん」

59 :
ひばりのことが嫌いだったのか・・・
淡谷さん

60 :
>>57
都はるみの「北の宿から」は、着てはもらえぬセーターを、寒さこらえて
編んでますとあるのを、着てはもらえぬってわかっているのなら、編むこと
ないよ。今は、スーパーで安く売っているのだから、寒さこらえて編むこと
ないよ。寒さこらえて編んでいたら、風邪を引くよと言っていました。
また、都はるみが引退の後復帰する時、一度辞めたら、のこのこ出て来るな!
私など、一度も引退などと言ったことがないと言っていました。
そして、森昌子のことは、森昌子が森進一と結婚する時、淡谷さんは
森進一から、「もう美人はあきました」と直接言われたそうです。
ところが、淡谷さん曰く、前は“みったくなかったが(綺麗じゃなかったが)”
結婚式の模様をテレビで見たら、綺麗になったと誉めていました。
またその時、美空ひばりが、森昌子を「昌子」と呼び捨てにしていた偉そうな
態度を、呆れ返っていました。
また、和田アキに至っては、仲が良かったので、悪口を言っているのは
聞いたことがありませんでした。

61 :
>>60
和田アキ子のことは、アッコチャン、アッコチャンと呼んでいましたね。

62 :
ひばりを毛嫌いして、アッコをかわいがる
わけわかめ
ああいうのがタイプなの?女好きのりちゃん

63 :
>62
女好きのりちゃんという根拠は何かな?

64 :
>>63
根拠はないが、巨根好き

65 :
>>64
お前は低脳だな。

66 :
>>64
本当にこのような馬鹿が出て来て困ります。
もうお前は出て来るな!

67 :
夕べNHKビッグショウ{服部良一ショウA」で淡谷さんが
出てたけど前回とは違う曲歌うのか期待してましたが
相変わらず(雨のブルース)(別れのブルース)で残念だったな〜
曲目に 夢去りぬ があったしひそかに期待してた

68 :
淡谷のり子の十八番は、やはり、シャンソンとタンゴだ。
本人も、「別れのブルース」は放送局から指定され、厭々ながら歌っていた。
あんな田舎臭い歌は厭だとまで断言していた。
それ故に、本人のライブ・コンサートでは、シャンソンとタンゴが中心だった。

69 :
NHKアーカイブスで、「思い出のメロディ」の映像見ると
淡谷先生が登場して歌う途端に、はりつめた緊張感が漂ってきていいね
やっぱ心で歌ってるんだなと実感する

70 :
淡谷さんもそうなんだけれど。
戦前の流行歌手はクラシック系が主流だったようですがどうして居なくなちゃったんでしょうか。
同じ歌うたっても、クラシック系の歌手が歌うときれいな感じになるんです。発音が明瞭、
声量が豊かなどが理由なんだと思います。「荒野の夜風」でミスコロンビアと二葉あき子が
斉唱している部分。
旅の夜風の西東
出会う術なき、ちぎれ雲
浅い縁に思い出を
愛染かつら揺れて泣け
ここなんか両者の声が共鳴しあってジーンときちゃいました。

71 :
二葉のあきちゃんには長生きしてほしいです

72 :
>>71
齋藤裕さんがいる限り、二葉のあきちゃんは不滅です。

73 :
ケーブルで1949年の映画「果てしない欲望」とかいうのを見ました。
淡谷さんがクラブ歌手として雨のブルースを歌っていました。
いやもう、本当に美しかった。失礼だけど意外でした。
オープニングテーマも雨のブルースでした。
山口淑子さんや笠置シズコさんも出てましたが、若い淡谷さんの
動画は貴重です。

74 :
>>67
木の実ナナとダウン・タウン・ブギウギ・バンドのシーンは観ました。
あれは昭和何年頃の放送でしょうか。

75 :
スレ違いですみません。
渡辺はま子さんは長寿で亡くなられましたが、歌手として活動していたのは
いつ頃まででしょうか?
昭和50年代くらいまでは記憶があります。お歳を召されてもとっても
雰囲気がおありの方でしたが、全力勝負の歌唱は晩年はつらそうでしたね
のり子、はま子、あき子・・・偉大なお三方の歌声はもう過去のものになりました・・・

76 :
詩子(うたこ)もいたね。

77 :
元祖、「おはまさん」
渡辺はま子(わたなべはまこ、1910年(明治43年)10月27日 - 1999年(平成11年)12月31日)。
神奈川県横浜市出身。本名加藤濱子。生涯横浜で過ごした。
昭和27年(1952年)、NHKラジオ番組「陽気な喫茶店」を司会していた松井翠声の元に送られてきた
フィリピンの日本人戦犯が作詞作曲した曲「ああモンテンルパの夜は更けて」を渡辺が改めてレコード化。
日本政府の復員局と渡辺の奔走でモンテンルパの収容所へ慰問コンサートが実現。
フィリピン政府当局に減刑、釈放を嘆願し、当時のフィリピンの首長であったキリノ大統領に日本人戦犯の
釈放を決断させ全員の日本への帰国が実現したことは、渡辺はま子の歌手人生におけるハイライトといえる。
昭和56年、勲四等宝冠章を受賞。テレビやラジオになお活躍を続けたが、夫が亡くなった昭和60年以降は認知症が進行し、
昭和63年テレビ東京の番組「年忘れにっぽんの歌」で生放送中に歌詞を忘れてしまったアクシデントをきっかけとし平成元年に引退…
と言われることが多いが、それはテレビ/ラジオに限った話であったらしく、舞台等ではその後も歌い続けてた。
平成2年6月19日には水戸市の県民文化センターでの、地元銀行主催年金受給者の集い≠ノ特別出演し、往年のヒット曲を数曲歌った。
やがて認知症の悪化と体調を崩した事もあり、自然引退という形になった。よって正しい引退年度の特定は困難となっている。
永らく自宅療養を続けていたが、最晩年は寝たきりの生活であった。亡くなる5日前の平成11年のクリスマスの日、
長女は渡辺にモンテンルパ慰問の際に録音したテープを聞かせると、普段は病気のため表情を変えることのなかった
渡辺が長女の言葉に何度も頷き、一筋の涙を流したという。遺言に従い親族だけで密葬を済ませ、平成12年1月、
松が明けた頃、昭和を駆け抜けた社会派の歌手・渡辺はま子の訃報がひっそりと知らされた。

78 :
昭和63年「年忘れにっぽんの歌」の渡辺はま子のシーン見ました。曲は「桑港のチャイナ街」。2コーラスの出だしが1小節早く出てしまい、指揮者に指摘されてました。おまけにその2コーラスを1コーラスの歌詞で歌っていました。
今でもあのシーンは鮮明に覚えています(当時中3)

79 :
>>78
私は、そのVTRを持っております。
先日、テープからDVDに移したところでした。
渡辺はま子さんは、間違いに気付き、おろおろしていましたが、
最後は、立派に歌い遂げました。
でも、エンディングには、面目ないという表情でしたので、
相当懲りて、これを最後にTV出演はしなかったのだと思います。
何故、撮り直しをしなかったのかなと思いましたら、
この番組は生放送だったのです。

80 :
>79
そのVTRあるのですかぁ〜19年ぶりに見てみたいものです(笑)
確かにあれ以来、彼女は歌番組は出ませんでしたが「徹子の部屋」には出演しました。私はそれもリアルタイムに見ました。モンテンルパについての話をしていましたが、話が噛み合わない印象を受けました。

81 :
渡辺はま子さんが晩年、認知症を発症されてたとは
知りませんでした。
年忘れにっぽんの歌、といえば
二葉あき子さんも音程が不安定な歌唱を晒してしまって、引退に
追い込まれましたよね
松島詩子さんは晩年、声がほんと出てませんでした。淡谷先生と共演される
と歴然と差があって辛かったです。
池真理子さんや並木路子さんのように長く活動していてもポックリ逝かれる
方もいますし、歌い手という仕事は過酷ですね

82 :
並木路子さんは、亡くなる少し前、お話させていただきました。
淡谷のり子さんを、コロムビアの先輩として尊敬しているらしく、
「私、淡谷先生が大好きなの。だから、先生の写真を、いつも定期券入れに
入れているのよ」とニコニコしながらおっしゃっていました。
あの時は、大津美子さんとご一緒にタクシーでご帰宅になりましたが、
それから数週間後に亡くなるとは、夢にも思いませんでした。

83 :
「年忘れにっぽんの歌」→「物忘れぽっくりの歌」

84 :
>>70です
鮫島有美子さんの歌聞きましたが実力って感じました。もう55歳なんですね。鍛錬しておられるんでしょうね
プロの歌手ならこれくらいの実力もたなくっちゃ。クラシック系の流行歌手出て欲しいですがね。

85 :
ttp://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070609/bnk070609000.htm
【きょうの言葉】自分から逃げれば逃げるほど 生き甲斐も遠ざかる 淡谷のり子
日本のシャンソンの先駆者の言葉。青森の豪商の娘に生まれたが実家が没落。
流行歌手になり、「別れのブルース」などが大ヒット。92歳で亡くなるまで独自の生き方を貫いた。
ttp://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070609/bnk070609000-1.jpg
「自分から逃げれば逃げるほど 生き甲斐も遠ざかる」 渋谷のり子 書・婁正綱
きょうの言葉を、婁正綱さんが新たに色紙に書いて抽選で1人にさしあげます。
はがきに掲載日、郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を明記して、
〒100−8693 東京中央郵便局私書箱1046号 産経新聞東京本社編集局「きょうの言葉」係へ。
締め切りは掲載日の1週間後必着。
(2007/06/09 08:20)

86 :
>>85
「自分から逃げれば逃げるほど 生き甲斐も遠ざかる」
淡谷のり子さんのこんな言葉、初めて聞きました。

87 :
>>86
淡谷のり子さんの色紙には、そのような言葉は見たことがありません。
どこで発言した言葉なのでしょうか?

88 :
意外と知られてませんが、東京オリンピック後に行われた
「東京パラリンピック」時の記事より
「パラリンピックに出場中の日本選手に声援と激励を送りましょう」と日本歌手協会の女性
歌手渡辺はま子、菊地章子、宝とも子、藤原亮子、藤崎世津子、多摩幸子らが10日午後
代々木の選手村を訪れた。
手押し車に乗ったバスケット選手たちは同日午前に米国チームと試合を終えてきたばかり、
「あちらはプロ級、かないませんよ」といいながらもベテランぞろいの歌手を前にして元気い
っぱいの表情、歌手たちがくだものやクッキーを選手のひとりひとりにくばると、「一度ぜひ
ナマの歌を聞かせて下さい」というリクエストの声が選手たちから出て「支那の夜」(渡辺)
「岸壁の母」(菊地)「ベサメ・ムーチョ」(宝)などひとりずつ得意の歌を伴奏なしで歌った。
選手たちはきょうはほんとうに楽しかった。これを機会に僕たちのような身体の不自由な者
がたくさんいることを歌手協会の人全員に大いに、PRして下さい」と語り、「関東労災病院
バスケット・チーム」と書いた約1メートル四方のボールドのうちにサインと寄せ書きをしても
らって「これからの試合にもがんばります」と目を輝かせていた。

89 :
>>88
めちゃめちゃ素晴らしいエピソードですね。
感動で心が洗われるようだ・・・

90 :
>>89
めちゃめちゃ素晴らしいエピソードにも思えないし、
感動で心が洗われるまでは感じられない。

91 :
東京パラリンピック初めて聞いた。こんなのやってたんだね

92 :
まったく興味ない。

93 :
淡谷のり子のシャンソン「人の気も知らないで」は最高!
戦前に日本で創唱し、最後の最後までコンサートで歌っていた。

94 :
西田佐知子とは同名異曲なんでしょうね>人の気も

95 :
>>94
西田佐知子の「人の気も知らないで」て、どんな歌ですか?
聴いたことないです。

96 :
>>78
懐かしいですね、私もあの時の「年忘れ」は、鮮明に覚えています。
「何で恥をかかせるのかな」って、思ってました。私は、女性歌手の中では、渡辺はま子さんが一番好きなので、
気になって、歌手協会に手紙を書いて、渡辺さんの住所を教えてもらい、手紙を書いたほどです。
もちろん、返事は来ませんでしたけど。当時、まだ20才でしたが、今では考えられない事をしました。
あの頃までは、まだまだ多くの歌手が健在でしたから、「年忘れにっぽんの歌」・「思い出のメロディー」・
「夏祭りにっぽんの歌」などが、楽しみでした。
淡谷のり子さんは、唯一直にお会いして、話した事のある歌手で、元気な頃は年に一回ですが毎年お会い出来る機会に恵まれました。
坂本スミ子さんとご一緒に来られてました。
今では良い思い出です。

97 :
>>96
本当にそうですね。
あの頃の「年忘れにっぽんの歌」「思い出のメロディー」
「夏祭りにっぽんの歌」等の出演者は豪華版でした。
ディック・ミネ、藤山一郎をはじめ、女性陣では
淡谷のり子、渡辺はま子、二葉あき子等の面々。
今のナツメロ番組は、カリスマ性のある歌手が見られなく
なってしまいました。

98 :
http://www.nhk.or.jp/archives/anohito/images/img_key.jpg
6月30日(土)午後7時30分〜40分、NHK教育テレビで淡谷さん放送されます。

99 :
張りなおします。
http://cgi4.nhk.or.jp/topepg/xmldef/epg.cgi?setup=/archives/anohito/anohito
6月30日(土)午後7時30分〜40分、NHK教育テレビで淡谷さん放送されます。

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