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2013年01月趣味一般119: 【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【3箱目】 (645)
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【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【3箱目】
- 1 :2012/05/27 〜 最終レス :2013/01/10
- 前スレ 埋蔵金発掘が趣味の人
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1191231282/
古今東西埋蔵金の話ならなんでも結構です。ただし、「my雑巾」は禁止します。
※前スレが「5年」も続いたんで、皆さんの自由闊達で、活発そして想像力豊かな書き込みをしてください。
【書込み注意事項】
荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入力し書き込みしてください。
E-mail欄に sage と入力し書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。
sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。
【指定返信方法】
個別の書き込みに対して返信したい場合は、半角で入力しましょ。
>>71 ←全角× >>71←半角○
【注意事項@(諸注意)】
@埋蔵金の本質から地域・人物等に迷惑がかかる場合があるので、人名・固有名詞等の記述は慎重に
A仲間募集・共同出資・物証等売買において、詐欺等の可能性もありますので、くれぐれもご注意ください。
【注意事項A(スレ立てについて)】
荒らし煽り反応直リン、全て控えましょう。
次スレは事前にスレ立てを宣言してから>>950が立てる。
応答がない時は>>960以後10レス刻み、>>980から順次。
- 2 :
- できたおー 2ゲット
- 3 :
- 【スレッドを見失う方へ】
スレッドを見失う方は、http://find.2ch.net/ ←2チャンネル検索などを用いて、「埋蔵金」キーワードで探せます。
お気に入りに入れて、頻繁にチェックしましょうw
今年こそは、現地調査を含めたオフ会をしたいと真剣に考えております。
飲み会には必要ありませんが、【ここでメンバーを集め現地調査をする方々】は、
成年・未成年は問いませんが、免許証・パスポートなど顔写真入りの身分証明書及び、連絡先をご提示いただける方に限らせていただいたほうがよろしいと思います。
これは、現地調査等で事故にあわれた時の連絡や警察・消防等へ問い合わせのためです。
私自身もバイクに乗っているため、免許証のほかに緊急連絡先、血液型等を書いた紙をパウチして常に携帯しています。
- 4 :
- 165さん
新スレ立ち上げ、ありがとうございます。
- 5 :
- 早速来ていただいてありがとです。
前にも書きましたが、遊女であろうと花魁であろうと、あったとすれば村の女性が滑落して死んだ程度の話で、
淵の上に演舞台を作って躍らせて、台ごと葬り去ってのは難しいと思いますね。
どう考えたって、まとめて切り殺したほうが手っ取り早いでしょう。
河童とか妖怪の類もそうですが「戒め」「注意喚起」で、その場所に近づいたらダメよという警告のためではないかと思います。
その場所とは、荒らされたくない場所、危険が多い場所が多いですね。
確かに谷川とか危険がいっぱいです。
また、近づかれたくないので伝承を残している場合も多いです。古墳などね。
埋蔵金があるかはわかりませんが、なるべく近づくなって場所なんだと思います。
- 6 :
- 前スレで
>畠山氏の記述は意図的に場所を変えてたりは考えられないですか?
>私はある意味での作為的なものを感じますけど。
とありますが、地図や交通が発達した世の中で、ちょっと調べればわかりそうなもんなんですが・・・。
畠山氏は、ほかの著書でも橋の名前を間違えたりもしています。
作為的にではなく、意外と緻密ではないんじゃないかと思います。それでも頼らざるを得ないですがね。
おいらん淵が間違えなのか、柳沢川が間違えなのかはわかりませんが、前スレで書いたように
一之瀬川を柳沢川と間違え、その合流地点をおいらん淵と間違えた可能性「も」ありますね。
地図等を含めた現状から見るに「一之瀬川と龍喰川の合流地点」がしっくりきます。
ですが、なんか違う気がしてならないのです。
龍喰川を間違えてる可能性のほうが、一之瀬川を柳沢川に間違え、合流地点をおいらん渕に間違える(2点の間違え)より現実的です。
地図を見ると、おいらん淵の近所に鶏冠山より流れ込む川があります。
国土地理院の地図にも記載されていないし、古地図に河川名が書かれていないけど、川?沢?がありますね。A川としましょう。
「柳沢川とA川が合流するおいらん淵近くの山中を」のほうがしっくりきます。
ですが、龍喰川という変わった名前の川を間違えるでしょうか?
あ 河川名じゃないや 正確には、龍喰谷と大常木谷ですね。
- 7 :
- やはり、龍喰谷と大常木谷を丹念に調べるしかなさそうです。
そしてA川 枯れてしまったんでしょうか?現在の地図に載ってません。
龍喰谷と大常木谷、A川を丹念に調べるとなると一苦労ですね。
もちろん沢登りが活発なので、沢から見える場所にはないでしょうし。
果たしてどこなのでしょうか。。。
- 8 :
- 「武田の宝」を読んでますが、花魁淵の件は「平八郎長者の埋蔵金」らしいとあります。
黒川=武田の埋蔵金とは無関係なんでしょうか?
それから高橋某の野宿跡も転落場所から僅か離れてるだけ。
「宇沢某が通った花魁淵近くの道」って旧旧道を指すのなら、165さんの先記に矛盾しますね。
- 9 :
- あ 失礼失礼 まぎらわしかったですね。
おいらん淵の件は、平八郎長者の埋蔵金です。
畠山氏の日本の埋蔵金「武田の秘宝 甲州武田氏秘宝」章のを順におっていっているだけです。
修二郎の話の最後に「すると、「Rの老人の中から、それはきっと、平八郎長者の宝を探しあてたにちがいない」と、いいだすものが出てきた。
となり、平八郎長者伝説につながっています。
平八郎長者伝説は昔話であり、滑落した修二郎の話のほうが埋蔵金メモの話もあるので、地図の解説も含めて連投してました。
また、同じ著書の中に「信玄『牛の金鉱』」の章があり、信玄の軍費の話、黒川千軒になっていきます。
その章の中にも「柳沢川と龍喰川の合流地点である『花魁淵』だ、といわれている。」と書いてあります。
- 10 :
- そこで、まず「誰の埋蔵金かは、おいといてw」修二郎がどこで見つけたのかを考えていたんです。
まずは、畠山氏が2度も間違えている「花魁渕」の位置と、修二郎の滑落場所についてを抑えておきたいと思っています。
上にも書きましたが、整理すると
<花魁淵はどこだったのか?畠山氏は河川の名称の間違いなのか?>
@一之瀬川を龍喰川と間違えたのか? → 一之瀬川と柳沢川の合流地点=現在の花魁淵で正解。
A一之瀬川を柳沢川と間違えたのか? → 一之瀬川と龍喰川の合流地点=本当の花魁淵???
<宇沢某の話 Rの連中以外にはめったに足をふみ入れない場所とは?>
@花魁淵近くの山中→現在の花魁淵は青梅街道沿い → 現在の青梅街道は新道だった → 旧道は馬車道だった → 馬車道になる前の旧旧道もしくは、馬車道になれなかった旧旧道があるのではないか?
A逆を返せば、『二ノ瀬』Rの連中が足をふみ入れる場所→部外者はめったに足をふみ入れない場所→街道の脇道(二ノ瀬R方面へ)なのか?→当時の脇道はどこなのか?
<滑落場所はどこか?>
@金塊を持った人が、青梅街道沿いに野営するとは思えないが、帰り道だった → 青梅街道筋の脇道ではないか?横に柳沢川もあるし
<混合>
@畠山氏が勘違いして、一之瀬川と龍喰川の合流地点を花魁淵としてしまった → 一之瀬川と龍喰川の合流地点の周辺が怪しい → 二ノ瀬に近いし、川沿いで滑落
A畠山氏が勘違いして龍喰川と書いてしまっただけで、一之瀬川と柳沢川の合流地点(現在の花魁淵)である → Rの連中も行き来するし、花魁淵の周辺で滑落
- 11 :
- いずれにしろ、川沿いで人目に付きにくい場所ですね。
明治時代の地図にも龍喰川も一之瀬川も書いてあるのに・・・。
しかも、花魁淵の位置を2回も書いているのに・・・地図見なかったんか?
滑落した場所がわかればその周辺が怪しい。
その周辺って言っても、埋蔵場所から早朝に出立して、滑落した場所(野営地)まで歩ける範囲。
埋蔵場所が川沿いなどと一言も書かれていないから、山中を含めたいたるところ。
でも帰り道だと思われるので、花魁淵の近所の青梅街道に「出よう」としたかもしれないし、
街道に出たので、一旦、山中の脇道にそれて一泊したのかもしれない。
その滑落した場所が、Rの連中以外はめったにふみ入れない場所の川沿い。
川はいくつかあるり、花魁淵は川の合流点だが、近くの山中と書かれており、龍喰川や柳沢川とは書かれていない。
いったいどこなのだろう?
- 12 :
- 過疎ってしまうw
- 13 :
- 花魁淵に関する武田家の埋蔵金の件。
ことこの件に関する限り、埋蔵金はない。
武田家は、金山のありかがよそに知られるのを防ぐために花魁を殺したのではなく、
金が枯渇し、金山が閉ざされるのをよそに知られることを恐れて殺したのが
真実だからだ。
枯渇した中でも、残ったわずかな金を埋蔵したという確たる資料があるなら別だが。
- 14 :
- >>13
もし埋蔵金があるなら、噂は噂を呼び、武田家縁の者達の間を
駆け巡るであろうから、
武田家旧臣で後に佐渡金山の開発・運営にも携わった大久保長安などが
放っておかなかったろう。
しかし、彼が武田家埋蔵金を探索したなどという話は寡聞にして聞かない。
- 15 :
- >>13
いやぁ〜いきなり凄い新解釈ですね。
>武田家は、金山のありかがよそに知られるのを防ぐために花魁を殺したのではなく、
金が枯渇し、金山が閉ざされるのをよそに知られることを恐れて殺したのが
真実だからだ。
確かに一理ありますね。金の枯渇=財力の低下、つてことですよね。
周りの国主にすれば侵略するいい機会になり得る訳だし。
勝頼が天目山で自刃した際にも埋蔵したらしい話もありますけど。
- 16 :
-
>>13
新解釈は驚きましたが、「花魁淵の件=黒川金山埋蔵金」との根拠って???
983にも書いたのですが、No8・9にもあるように「花魁淵の件=平八郎長者の埋蔵金」では?
事実、“ぶつ”を持ってた高橋某なる遺体も見つかってますからね。
もしかすると既に掘り出されていて無いかも知れませんが。。。
- 17 :
- どもども^^
私の書き方が悪くて、「花魁淵の件=黒川金山埋蔵金」となってしまってるようですが、
上でも書きましたが、「花魁淵の件=平八郎長者の埋蔵金」です。
ただ、畠山氏の著書で、修二郎の話の最後に「すると、「Rの老人の中から、それはきっと、平八郎長者の宝を探しあてたにちがいない」と、
いいだすものが出てきた。 となり、平八郎長者伝説につながっています。
実際、修二郎が見つけたお宝は、誰の埋蔵金なのかはわかっていません。
鶏冠山はもとより、岩岳、牛王院平も怪しいと思っています。
ただ、武田氏の金山が枯渇してっていうのは違うみたいです。
黒川周辺には、まだまだあったみたいですよ。
大久保長安は、埋蔵金などを探すより、金山奉行としての地位や賄賂だけで十分潤っていたでしょう。
なので、大久保長安の埋蔵金の話や、徳川家が激怒して大久保家を蹂躙したんでしょう。
- 18 :
- さてさて
どうしましょうか?
- 19 :
- 過疎ってきましたw
- 20 :
- 新幹線に乗って外を眺めてるときに、埋蔵金が埋まっているところも知らずに通過してるんだろうなぁ。
なんてたまに思います。
埋蔵金ってロマンですよね(^O^)
- 21 :
- こんにちは。
以前>>13と>>14で書いたたわけです。
ここで語られている花魁淵関連の埋蔵金って武田家の金山関係の埋蔵金じゃないんですか。
そりゃ失礼しました。
花魁淵=武田家=金山っててっきり思い込んでました。
どうりで、武田家関係で埋蔵金なんて聞いたことないのになぁと。
ちゃんと読めとツッコまれるかもしれませんが、中身が難しいためスルーすることが多く、
雰囲気だけで誤解していました。
そういうことなので、金探しに今後とも頑張ってください。
ちなみに、その平八郎って人の埋蔵金ってことですが、その人はそもそもどこで
それを手に入れたんですかね?
その元を辿ると、やっぱり武田家の金山関係じゃないんですかね?
それも書いてある!とツッコまれるなら、私の怠け心のせいでございます。
- 22 :
- どもども
ヤフオクなどで畠山氏の日本の埋蔵金などを買われると、もっとワクワクしますよ。
昔と違って、上下巻で5千円ほどでしたので手が届く範囲だと思います。
平八郎ってのは、金鉱脈を発見して成金になった人です。
個人的には、あまり信じられない話です。
上に書いた滑落者の修二郎の話は、「あるなら」武田のではないかと思っています。
- 23 :
- さてさて どうしたもんかね?
ユーチューブで、武田の埋蔵金(龍バミ川支流)と、結城の埋蔵金(中久喜城跡)の動画がありますね。
この動画をアップしている人は、邪馬台国の話もしているので、ちょっと遠くへいちゃってる感じで
す。
ネットでいろいろ見ているけど、謎の「日本の埋蔵金」研究所さんと、八重野氏の「日本トレジャーハンティングクラブ」さんしか
埋蔵金を専門に扱っているところはない。
謎の「日本の埋蔵金」研究所さんは、各地の埋蔵金伝説の紹介と更新はされているものの、活動内容が不明です。
「日本トレジャーハンティングクラブ」さんは、八重野氏のクラブなんで、本格的に現地発掘などをしている。
メンバーも募集しているが、現地発掘もしているので土木等の特技がないと敷居が高そう。
赤城本命さんみたいにホームページでも作るかね?
- 24 :
- また過疎化が進むと、お酒のつまみに文章が書けなくなるので、休日の余暇を持て余してしまう。
まぁHP作るとなると文章だけでは面白くないので、現地の画像や動画も必要になるな。
以前に調査したときの画像はあるものの、記念撮影になってしまっているので撮り直す必要もあるね。
赤城と武田に絞ってもいいが、武田は山歩きになるんでつらいな。山歩きなんかしたことないもん。
結城?ありゃーダメありそうにもない。あるなら中久喜だね。現地行けばわかるけど、大岡越前が掘ったり他の人が大々的に掘って出ないんだもの。
結城城跡じゃないだろうね。まぁ三種の和歌ぐらいが見どころかな。
他は遠すぎ
- 25 :
- はじめまして。
前の「埋蔵金発掘が趣味の人」が閉じてから、誰か後をついでやってくれる
人がいないかなと、ずっと待っていました。165さん有難うございます。
ここで再開していることを知らない人が多いと思います。私自身も、掲示板
を偶然に覗いてみて、たまたま発見しました。
私の現在の関心は主に梅雪の埋宝ですが、竜喰谷にも2,3回行ったことが
あるので、次回、畠山清行氏の本の「武田の秘宝」の一部を整理して数日中
に書き込ませて頂きます。
- 26 :
- 埋蔵金のRル「日本の埋蔵金」の著者畠山清行氏は、埋蔵金研究者であると同時に、
作家でもあるので、若干の創作や脚色があると思われます。まずは素直に信じて読み、
どこか辻褄が合わないところは自分なりに修正解釈するのがよいと思われます。
山梨県一之瀬高橋近辺、高橋修二郎が発見した埋蔵金に関連して、時系列的に整理してみます。
(1)黒川金鉱開掘の少し前 黒川谷(高柳村)平右衛門、信玄の軍費の一部、黄金の延棒、
平右衛門は三河→甲府→高柳村へ移住。 [三河にいる時情報入手か。]
(2)天保11年、黒川金鉱の開掘、地元高柳村の名主、次郎左衛門と倅善蔵、開掘失敗。
[金鉱開掘に名を借りた埋蔵金探しか。]
(3)明治8年、辺見正順と家来10人、埋蔵金発掘失敗。
(4)明治40年9月末、高橋修二郎、棒金発見、転落死。二の瀬Rの宇沢某遺体発見。
花魁ぶち近くの山中。修二郎のメモから3か所に埋蔵。少なくとも1ヵ所は川沿い。
メモにはのべ板もあると記されていた。場所は高橋・・・に、とある。
(5)大正元年、帝国電灯社員金沢猪作、大菩薩登山途中、道に迷い弓削一司郎と埋蔵金に
遭遇。砂金2壷、朱1壷。 [朱があったとすれば、朱が砂金と同じくらい貴重だった
大昔の埋蔵金か。こちらこそ時代も知れない平八郎長者伝説のものか。]
私は、高橋修二郎(の発見した)埋蔵金は3か所あり、1ヵ所位は未発掘で、川沿いの洞穴
ということで、その川を竜喰川と推定して2,3回行ったことがあります。川違いだったかも
知れません。皆さんはどう思いますか?宇沢某は地元の人間で遺体発見現場の川とメモも
見ていること、小埋蔵金と思われるので、既に発掘されている可能性も否定できません。
とにかくその川はどの川か、探索するなら、候補の川を絞ってつぶしていくほかないと思
われますが・・・
- 27 :
- はじめまして
上にも書きましたが、畠山氏は2度もおいらん淵の場所を間違えています。
おいらん淵の場所(龍バミ川と柳沢川の合流)が創作なのか、
単に間違えたのか(一之瀬川と柳沢川の合流)のかは、今となっては謎です。
もし、候補を挙げるとしたら、龍バミ川(上流に埋蔵金伝説があります。)
宇沢某の記述によるならば、青梅街道を越えて黒川山方面ではない気がします。
黒川山には金鉱山があったことからも、候補地としては捨てきれません。
しかし、高橋修二郎が帰り道だったことも考えれば、畠山氏がいうおいらん淵と、現おいらん淵を中心とした
片道半日の半径内でしょう。
- 28 :
- あげてみる
- 29 :
- 高橋修二郎の残したメモから推理すると、
(1)「高橋(以下十字不明)・・・に」から、一之瀬高橋から片道半日の半径以内の場所。
(2)「・・・口は川について下って三つ目の(一字不明)のほらあなから入る」から、
険しい渓谷の川で、大岩か滝が三つ以上あり、その近くにほらあながある所。そしてその川は、
「下って」が間違いなければ、河口からはさかのぼるようには近づき難く、川の中流か上流から
川に下りて、下流方面へ「下って」行く方が到達しやすい地形の川。(例 渓谷の対岸が河口の川)
ということになると思います。
竜喰川上流に埋蔵金伝説があるのは知りませんでした。差し支えなければその内容を教えて
下さい。私は行ってみて、竜喰川はその名前ほど険しい川でなく、この川ではなさそうとの
印象を持ったので、大常木川あたりかなと思いつつも、ターゲットを梅雪に変えました。
- 30 :
- 穴山梅雪の埋宝について何か意見がある方はいませんか?
- 31 :
- すいません すいません
忙しくて書き込み遅れました。
将監峠(しょうげんとうげ)は、奥秩父東部の峠である。
埼玉県と山梨県の県境に位置し、龍喰(りゅうばみ)山と牛王院平(ごおういんだいら)の最低鞍部である。
かつての将監峠は、大洞川の最低鞍部「井戸沢のタル」とは異なった場所に位置していたようである。
牛王院平周辺には、武田氏が金鉱を採掘した遺跡がある。(wiki参照)
牛蒡金採掘ノ跡ともいい、或いは平賀源内採鉱ノ跡ともいう。
一方明和年間平賀源内は中津川に信玄の遺鉱について採鉱に従事したという確定した事実があるから、中津川もここも信玄公の遺跡について再掘をしたと考えるのが妥当であろう。
しかも中津川においては大規模にやっただけ失敗も大であったというから、恐らくここはその以前極めて地味にやったものではあるまいか。
これは恐らく寺院の存在を伝える名称であると思うが、梓山の奥には常楽院、入川の奥には清光寺と、いずれも仏教の信仰篤き信玄公が、
採鉱当時、遊女屋軒を並べるという本能満足の設備の一方に、又霊的救済の施設を講じたことも賭易き事実である。
ここもその一例と思うが、まだ遺跡を発見した事はない。
国志には御王院とあるが、古老にはギウワウヰンと発音する人もあり、その点から考えてみればやはり牛の字が正しいと思われる。
出典:昭和十年七月 朋文社発行 原全教著
この地域に武田の埋蔵金伝説がありますが、だれがいつ?などは不明です。
金鉱=埋蔵金から派生したのかもしれませんね・
- 32 :
- >>31
詳しい回答を有難うございました。参考になりました。
黒川谷の埋蔵金については秘文、秘図がないので、やるなら足でかせぐしかないですね。
- 33 :
- 武田の埋蔵金にうといので、いろいろ見てみると
川沿いってのは、難しいと思う。
川はあくまでも目安や小道(小径)がない場合の上り下りの順路にしか過ぎないと思った。
増水すれば流されてしまい、護岸を壊してしまうしね。川を考えるなら支流じゃないかな。
- 34 :
- 竜喰川へ行ったとき、沢登りのパーティーに二度会いました。沢登りの人達
に簡単に中を覗かれるようなほらあなでないことは確かですが、彼らの目的
は埋蔵金探しではないので、岸より少し上の方にあるほらあなで、崖の上の
道を通る人からは見えないほらあなだと思います。既に持ち去られているの
では・・・
ところで、165さんは徳川埋蔵金に詳しいのでしたね。
こちらの進度状況はいかがですか。
私は徳川は全く分りませんが、本当にあるのですか?場所が特定できないだけですか?
- 35 :
- 徳川埋蔵金の最大の欠点は、掘らなきゃいけないことです。
めぼしいところがあったとしても、掘ってみないとわからない。
穴が30センチずれても当たらない。30センチ浅くても当たらない。
掘るということは、労力と私財が必要なんです。
これがハードルを高くしていますね。
そう考えると、武田の埋蔵金はほら穴系なんで見つけやすいかもしれません。
落盤とかで埋まってるかもしれないけど、穴自体は見つけやすいと思います。
- 36 :
- 前レスから書いていますが、徳川埋蔵金はあると思います。
TVでやっていたような400万両は尾ひれがついた話ですが、いくらかはあるでしょう。
水野氏の詐欺という方も多いですが、すでに詐欺として成り立ってないことと、
お亡くなりになられた水野氏から「嘘でした」との答えもないことから「有る」方に分がありますね。
場所の特定ですが、これまた水野氏の情報からしか得られないのも難点です。
いろんな物証や情報が世に出回っている中、コツコツとふるいにかけ、候補地をしぼっていっています。
しぼっても「掘る」これがネックですね。
- 37 :
- え!三代目水野智之さんが亡くなられたのですか。知りませんでした。
DVD「あたえられるか否か 徳川埋蔵金120年目の挑戦」は見ました。
水野さんが”絶対の信頼を寄せる人”というふれ込みで掘ったのに出ませんでした。
水野さんから情報を得て掘ったのに出ないということは、どこか根本的に間違いが
あるのではないでしょうか。(出ていればDVDは中止。でも噂にはなります。)
たとえば・・・武田の話に戻ってしまいますが、弓削一司郎は怪しまれないよう行者
の格好して何年も柳沢峠付近を探索していました。結果的に砂金樽を発見しましたが、
そもそも一司郎が探していたお宝は祖先の弓削新太郎正勝が穴山梅雪と一緒に埋蔵した
信玄の財宝だと思います。ところが、弓削新太郎はこの財宝を梅雪が別な場所に移し替え
たのを知らずに子孫に自分が埋蔵した場所を書き残した・・・。弓削一司郎のお宝探しは
根本的に間違ったエリアを探し回っていたのだと私は考えています。
- 38 :
- 梅雪から「風」と名前を変えます。軽〜く。
- 39 :
- まずは、確率が高い高橋修二郎の方からの方がいいかもですね。
弓削の方は、創作の部分が多すぎる気がします。
- 40 :
- 高橋修二郎は3ヵ所なので、1ヵ所位は未発掘かも知れませんね。
「川について下って三つ目の○・・」の○が滝だと仮定すると、滝と言える
ような滝が、少なくとも3つはある川ということになりますね。
柳沢川、一之瀬川、竜喰川、及びこれらの川に流れ込むある程度大きい川の
近くと推理しますが・・単独でなくできれば二人以上で行かれた方がよろしい
のでは・・。熊や怪我対策のほかに、ほら穴の存在を対岸から確認してくれる
人がいると大変助かります。
- 41 :
- 「川について下って」だから滝じゃないと思う。
川について下ってだと、再上流から3つ目でしょ?
川下からのアタック(川・沢のぼり)じゃないのかな?上流から川を下ってくるのだろうか?
修二郎の滑落場所を考慮しても、川・沢登りだと思うけど。
- 42 :
- りゅうばみのどん詰まり辺りは、熊の巣なんですよね。熊だなだらけだった覚えが(笑)
- 43 :
- 竜喰川には2,3回行ったことがあるので、多少なりとも参考になればと思います。
竜喰に簡単に接近するには、二之瀬集落から山道に入り、途中右方面の山道を選んで進めば
竜喰川の崖上の道に出て、やがて滝が目の前に現れます。河口に山道は無く、言わば中流域
にぶつかる感じです。
竜喰川を河口から遡るには、一之瀬川沿いの一之瀬林道が一之瀬集落に入る手前に一之瀬川
の岸まで下りやすい斜面があり、ここからほんの数メートルですが流れに流されないよう
岩につかまりながら腰まで水につかって進むとすぐ浅瀬となり、対岸から水が流れ込んでいます。
これが竜喰川の河口です。あとは沢登りの感覚で歩くといくつかの滝にRます。
つまり竜喰に限って言えば、集落から竜喰川へのアクセスは河口からの沢登りよりも中流域からの
川下り、又はさらに上流への遡行の方が楽と言えると思います。
畠山さんは宇沢某が偶然に高橋修二郎の遺体を発見したように書いていますが、私の想像では日が暮れに
人がいないはずの山中で野営中の火がちらちら見えたので、翌日又は翌日が雨の場合は翌々日行ってみた
のだと思います。
火があって人がいることが分っていても、集落に直接通じる道がない、あるいは橋がないなどの理由で
簡単には近づけないところだと思います。
そういう意味で私のおススメは大常木谷です。ただし事故は自己責任でお願いいたします。
- 44 :
- 高橋○○○○○○○○○○に
椀の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
省略
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る
- 45 :
- 省略がまずかったな
高橋○○○○○○○○○○に
椀の形○○○○○○○○○る
大本○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴
にもま○○○○○ある
右の○○○口は川について下って三つ目の
○のほらあなから入る
まずこれをなおそう
省略がまずかったな
高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る。
大本○○○右三本○○○○○○○○ 山○○○○○あり穴は大きな岩の左からみ○○○○○○○る。
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴にもま○○○○○ある。
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。
- 46 :
- 高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る。
大本○○○右三本○○○○○○○○ 山○○○○○あり穴は大きな岩の左からみ○○○○○○○る。
↑これは一つ目の穴の場所の説明。
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
のべ板○○○○二つの穴にもま○○○○○ある。
↑これは穴の中のお宝の説明。 「木で」とあるが、鋳造途中の枝みたくなっている奴だと思う。銅銭とかでよくみられる製造途中のもの。
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。
↑右のとは、縦書きでの「右」であるから、二つの穴=二つ目の穴の場所の説明と思われるが、「三つ目の○のほらあなから入る。」と書いているので
二つ目のほら穴の説明ではなく、穴は一ヶ所で途中で3つに枝分かれしている他の穴のはないのか?
- 47 :
- 次に
高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る
古地図を見ても「一之瀬高橋」で、「二ノ瀬」であり「二ノ瀬高橋」ではない。
落合集落の上の「高橋」集落があり、一之瀬高橋、二ノ瀬には神社仏閣学校があることと、
犬切峠を越えなければいけないことから、高橋集落の一之瀬、二ノ瀬(二ノ瀬は一之瀬高橋に付随)ではなく単独集落だと考えられる。
では、なぜ高橋からスタートしているのか?
これは、今と違って花魁淵から一之瀬高橋に行く道がない。高橋集落を通過して犬切峠を越え一之瀬高橋、二ノ瀬へ行かなければならないので、
高橋から文章がスターしているの「かも」しれない。
以前ココで、花魁淵は塩山駅とは逆方向でると書いた人がいた。オレもよく覚えてるなw
道が高橋を通過し犬切峠を越えて一之瀬高橋に入っているので帰りも逆ルートだと思われるが、なぜか高橋から塩山駅とは逆の花魁淵で滑落したことになっている。
- 48 :
- 最後に
右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。
これが話をややこしくしている。
「高橋・・・」の文章で、場所の説明をしているからだ。
「穴は大きな岩の左からみ」←この部分ね。
違うな。あくまでも仮説で
「高橋」から始まる文章は、「川」の場所の説明だろう。
で、最後の文章が、穴の場所の説明ですな。
でね。「高橋」と書いておきながら「龍バミ谷(川)」がわからないということは無いと思うんです。
もちろん当時の地図にもしっかり龍バミ谷って書かれていますし、高橋〜一之瀬高橋まで明治の新道も通っていますし。
一之瀬高橋(龍バミ谷)が、地図にも書かれていない秘境の地ではないんです。
でね。
「川について下って」「川に滑落した修二郎」で、みんな騙されていると思うの。
- 49 :
- 文章の「右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。」から
「高橋・・・穴は大きな岩の左からみ○○○○○○○る。 」の穴をイコールだと勘違いしているかもしれない。
「高橋・・・」の文章は、道の説明であって、文中の穴は「穴に向かう道」の「穴」じゃないかと。
で、上(>>48)に書いたように龍バミ谷の位置、名称がわからなかったとは考えずらいのね。
となると、「右の○○○口は川について下って三つ目の○のほらあなから入る。」の○が、龍バミ川ではない気がする。
かといって、龍バミ川以外に滝があるとなると「沢」ってわけにもいかないし。。
おっと、アニメの見すぎだ。滝の裏にほら穴があるなんてww 「崖」かもしれない。
「右の穴の入口は川について下って三つ目の崖のほらあなから入る。」んーしっくりくるね^^
こう考えると、龍バミ谷、大常木谷など当時から名の知れた所じゃない気がします。
もちろん、修二郎が東京の人で、現地へ行くには地図を買ったでしょうから、すでに龍バミ谷、大常木谷はでていたでしょう。
- 50 :
- まとめ
お宝がある川が、龍バミ谷、大常木谷ほど有名ではないので、
まず「高橋・・」でマイナーな川を特定させるための説明が必要だった。なので「山」が出てくる「山間(やまあい)」「山道」など
二つ目の穴ではなく「二つの穴」とのことなので、入口が一つで3つに枝分かれしている穴。
その3つに枝分かれしている一つの穴のお宝の内容を記入し、残りの二つの穴にもまだある。としている。
その穴(お宝があった穴)の入口は、「高橋」で書いた川の三つ目の崖のほら穴からはいる。そこまで行く間に2つほら穴があるのでは?
直すと「川について下って三つ目の○のほらあなから入ると、右の(お宝の穴)○○入口がある」
どうですか?大胆推理しすぎですかねww
明治43年の地図をみると、小径(小道)のほか、獣道?小道より細い道が書かれています。
もしかしたら、獣道のような道を見落とさないために、まず「高橋」から書いたんじゃないでしょうかね?
もしそうなら、川とかしていますが、龍バミもしくは、大常木にそそぐ川の支流かもしれません。
まずは文章と同様に「一之瀬高橋」からスタートしてみるといいかもしれません。
風さん連れて行ってww
- 51 :
- んー 読み直してみたが、思いつきで書いているので文章がグチャグチャだな。
文才がなく面白おかしく書けてない・・・。
次回は、前にも書いたけど畠山氏の言う花魁淵?の場所の大胆推理をしてみるねw
- 52 :
- 高橋から二ノ瀬を抜けた奥に椀の形の岩あり横の道を登る。
大本の道の右三本目の小道より登る 山間に数本川あり穴は大きな岩の左からみた側の小川にある。
木で○○○○数十本
棒は大小合わせて数十枚
のべ板が数十枚二つの穴にもまだいくつもある。
右のあなの入口は川について下って三つ目の崖のほらあなから入る。
- 53 :
- 梅雪の埋宝探索の時に同行して貰えるなら修二郎の時同行もOKですよ・・
ところで椀ではなくて腕となってます。(ミスプリの可能性もありますが)なので岩ではなく「腕の形をした木」
が目印だと思います。木が何本か立っている所だが険しい崖のようになっていて、右から3本目の木の間から
でないと下に降りられない・・降りると山のような大岩があるが、その大岩の左側まで行ってみないと穴の入口
が見えない・・
一之瀬高橋が起点と考えずに、そのすぐ近くが埋蔵地点と解釈するなら、竜喰川ではなく、藤尾山か石保戸山が
有力と思いますが、そのあと「川について下って三つ目の○の・・」があるので、すぐそばに険しい谷川がある
ことが条件となりますね。さてその川とは・・・
- 54 :
- 165さん
連投の嵐ですね。
どうしたの?
- 55 :
- えwww
だって、みんなあまり書いてくれないからww
過疎化が進むし、さみしいしでww
- 56 :
- まぁそれと、今年こそはオフでもって・・・。
赤城本命さん飲みいきますよー
そちらまでおうかがいします^^
- 57 :
- 165さん
秋あたりに赤城に行こうと思っています。
その時でも。
それから、解読の最終段階が近づきましたよ。
石、炭、雨がなんとか説明できそうです。
- 58 :
- いよいよ、水野家三代の弔い合戦の始まりですね。期待しています。
- 59 :
- 大常木谷がやっぱり怪しいですな。
- 60 :
- 蔵の奥にしまってあったツボから大判小判がザックザック(数億円)
↑
コレクターに売却予定なんだけど税金かかる?
- 61 :
- >>60
にわかには信じがたいですが・・
埋蔵金を探しに行かなくても蔵の奥にあったわけですね!マスコミに知れたら・・
雑所得で申告納税するか、それとも少しずつ少しずつ現金化する?
- 62 :
- こんばんは^^
赤城埋蔵金さん
解読の最終段階とは・・・・すごいですな。
秋までは先が長いので、途中で一杯飲みましょう。
そちらまでお伺いしますよ。
ただし、飲んでバイクで帰れないので、次の日休みの日がいいです。
風さんもw
意見交換や現地視察程度ならOKです。
会って突然掘ったり、川登ったりは無理ですw 準備ができていないww
片道200kmぐらいなら、そちらまでお伺いしますよー
- 63 :
- 165さん 梅雪をやってみませんか。
赤城をやったり梅雪をやったりで忙しいとは思いますが。
私は梅雪の方が確実性があると思っています。だって諸澄九衛門が現実にその
一部を掘り出しているわけですから。
都内のどこかで待ち合わせ、意見交換を2,3回したあと来年現地視察。
いきなり掘ったりはしません。確証を得るまで一緒に山道の散歩ですね。
- 64 :
- 165さん
いい感じなんですよ。
風さん
tomari-hirosi.com
黄金円陣
私の徳川埋蔵金のホームぺージです。
見てもらえたらありがたいです。
- 65 :
- ちょwww 赤城本命さんいい感じなんですかwww
赤城で?? 赤城以外説の私はどうすればww
メールくださいなw
梅雪のほうというか、武田の埋蔵金はヒントがかなり多いのと、埋蔵場所がわかりやすいですよね。
埋蔵金の中でも、一番現実的です。
大丈夫!「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」を買って今読んでいるところです。
知識を蓄えているところでございます^^
- 66 :
- 赤城本命さん
ホームページ見させて頂きます。ITに弱いのでアクセスできなかったら
質問させて貰います。
165さん
その後あらためて「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」の大常木谷が書かれたところ
を見て、あまりに険しくて、修二郎の埋蔵金はここ以外の所かなと思うように
なりました。・・・となると一の瀬川本流ですかね〜
- 67 :
- 赤城本命さん
黄金円陣読ませて頂きました。難しい!長文の力作であることは分りましたが、
基礎知識が無いのでよく理解できませんでした。また後でもう一度読ませて頂き
ます。
一つだけ疑問があります。埋蔵者は、誰のために何の目的で埋蔵したのでしょうか。
徳川家再興のため、自分の子孫のため、それとも赤城流八門遁甲の謎を解ける
知識人なら誰でもいい?
- 68 :
- 風さん
私は歴史部分はあまり調べていないので、実は詳しくないのです。
誰の為かという問題もよく解りません。
私は自分がよく解らないことには、簡単に答えを出さないことにしています。
これはこれまでの解読作業で学んだことです。簡単に考えると絶対に間違えます。
私が赤城を本格的に始めたきっかけは物証Aを調べていて、奇妙なことに
気付いたことでした。その後、物証Bで同じような一致点があり、
灯明皿の解読は、物証A、Bの延長にあるのです。
黄金円陣の内容が難しいのは事実です。実は物証A、Bの解読結果を
書かずに灯明皿だけを書いたために非常に歯切れが悪いものになったのです。
黄金円陣で言いたかったのは
@八門遁甲は16方位の式盤を使用した暗号であること。
A和算を使用し、暗号化してあること。
B物証A、Bと明確な規則性があること
以上なのですが、Bの詳しい内容は書けなかったのです。
- 69 :
- 赤城本命さん
回答有難うございます。奥が深いんですね。
数学の順列、組み合わせは私が最も苦手の分野です。遁甲についても「敵の
目を欺いて己の身を隠す」術、くらいの理解しかありません。
やっぱ、徳川に首を突っ込むのはやめて、梅雪にしますね。
連絡とりたい時はメールさせて頂きます。
- 70 :
- またまた名前を「風」から、「風の子」に変えます。
前の「埋蔵金発掘が趣味の人」で「風」さんがいたのを思い出しました。
書かれた内容はよく覚えていませんが、かなり先を行って居られる大先輩だった
ように思います。「風」さんの復活も願って、私は「風の子」に改名しますのでよろしく。
「風」さんは、以前「赤城」も「梅雪」もあると思うと書かれていましたが・・我々の努力不足か。
- 71 :
- んー 本を読んでいたけど、いたるところに鉱山があったんですね。
鉱山跡をひとつひとつ調べるのも地道な作業ですが、確実かもしれません。
砂金採りもしたいですな
- 72 :
- 泉昌彦さんの本を読むと、山梨はあっちこっち砂金だらけ。
一番興味を持ったのが「砂金溜り」。川の水が流れる岩盤に「砂金溜り」の穴
があるのだから、行けば案外簡単に見つかるかもです。
- 73 :
- いきたいなー 砂金でもいいからとりたいなー 熊怖いなー
- 74 :
- 蛇も居るよ。
- 75 :
- >>72
砂金だまりは、ありそうですよね!
僕も本を読んでそう思いました。
先日、前を通ったので、チョットだけ一ノ瀬高橋の方へ細い山路を入って見ましたが、入る人がほとんど居ないのか荒れてました。
沢も藪だらけで、観光の帰りでは沢にも降りる気になれませんでした。軟弱でスミマセン。
- 76 :
- こんな暑くちゃ現地行く気にもならないw
だけど、砂金採りにはいい季節かもw
- 77 :
- >>75
大城川に合流する渓谷に砂金ツボが七つ。まず滝のすぐ上の岩盤に穴一つ、続いて
20分ほど遡行すると流れが急カーブした岩盤上で四つの穴・・とありますから、
行くならここがいいんじゃないかと思います。
一之瀬高橋の山に入る場合はある程度の準備をされて、その気で行かれた方がよろしい
と思います。できれば誰かと一緒に複数で。何年も前ですが、藤尾山で熊が歩いている
のを見たという人がいます。
- 78 :
- アク禁で書けませんでした。
自分も現地偵察行くなら同行希望してます。
- 79 :
- ちょっと 風の子さん 983と3人で現地調査してみますか
沢登り、山登りは初心者なんで下見ということで
一之瀬あたりのキャンプ場にか、裂石温泉あたりに一泊して
初日は現地入りと地図等の確認→早朝から現地調査(夕方解散)→次回につなげる
旧旧道や滑落場所、一之瀬川・龍バミ川と柳沢川の各合流地点の確認、その他の合流する川の確認
この程度なら、装備もトレッキングブーツ程度で十分かと思います。
- 80 :
- オプションとして砂金採りなどw
今は昔と違って砂金採りを本業としている人はいないと思うので、それなりの成果がでるかも
まぁそもそも金が枯渇して閉山でしょうから物自体もないかもですが
http://home.f01.itscom.net/yaeno/golddust.htm
砂金採り用の道具が、http://www.mdj-inter.com/index.htmで売ってました。
砂金採りの方法 英語ちんぷんかんぷんだけど、かなり参考になった。最後はスポイトで吸うんだね。
ユーチューブ(英語)http://www.youtube.com/watch?v=0Cbiiohp5bQ&feature=related
- 81 :
- 本来の目的から外れるけど、砂金採り楽しそうw
ユーチューブ見いちゃったw
まぁ初回ということで、顔合わせと山沢上りの道具もないということでw
で、秋ぐらいに修二郎、梅雪などにせまってみるのもいいかと。
もちろん!徳川埋蔵金も忘れていませんよ!赤城本命さん!
- 82 :
- >>165さん
是非、行きましょう! 連れてって下さいまし。
因みに旧旧道や滑落地点(推定)の確認は、危険性が少ないでしょうか?
晩秋辺りが最適でしょうか。
ヤブも枯れて涼しくなるし、動きやすい時期でしょうから。
- 83 :
- >>165さん
同じ趣味を持つ人がネットだけでなく会って情報交換できるのはいいことです。
日時、場所を指定して下さい。そこへ集合します。私は仕事をリタイアした身
なので、基本的に合わせられます。どこかに泊って打ち合わせ、翌日現地偵察
でよろしいと思います。他に参加希望者があればそれでも構いません。
場所にもよりますが、砂金採りまでする時間はないのではないでしょうか。
- 84 :
- 調査山行に混ぜて欲しいデス (>_<)
固ハンにしないとダメですかね?
- 85 :
- 現地に最寄りのキャンプ場に泊まるのが良いですね。天候次第ですが。
裂石温泉からだと移動時間も掛かるようですし、現場の距離とかどうでしょう?
夜は軽く「顔合わせ」がしたいです。
>>84さん
はじめまして。
自分なんかも新参者の余所者です。
これを機会にお会いしてみたいです。
- 86 :
- おおお みんなステキwww
ちょっと作戦を練りましょう。
上にも書きましたが初回から山登り、沢登りは無理ですww 知識と経験、道具がありません。
まず、時期なんですが、素人ですいません。季節は今ぐらいでも大丈夫なんですかね?アドバイスをお願いします。
次にコースですが、基本的なコースとして
Aコース(歩いちゃうよコース)
一之瀬川〜龍バミ川合流地点(畠山氏のいう花魁淵)を見学
川沿いの林道を通って柳沢川の合流(現在の花魁淵)〜藤尾橋(真の花魁淵?)まではいきましょう。
で、落合、高橋を通って一之瀬まで
道も整備されていて畠山氏の足跡をたどることともなり、初回向きかなと思います。
Bコース(水の中に入っちゃうかもコース)
龍喰川をいきなり遡るのはアレなんで、
一之瀬川の支流である石橘花橋の近所の支流を登る?w
龍喰川の下駄小屋の滝の手前の支流を登る?w どこまで?ww
いやいや、旧旧道をいきましょうか。
これは、地図とにらめっこする限り畠山氏の文章の通りで、当たりじゃないかと思う地点です。
現在の花魁淵では小径(小道)が確認できませんでしたが、ここにはあります。
宇沢某が通った可能性大です。
また、現在の山歩きコースではないようなので、何か発見があるかもです。
- 87 :
- で、一泊二日となると
場所的にも一之瀬キャンプ場 http://www.cosmo.ne.jp/~camp/
に泊まって、作戦を練りつつ、翌朝から出発です。
キャンプ道具はまったくもっていないので、バンガローにでも泊まりましょう。
参加資格ですが
成年・未成年は問いませんが、免許証・パスポートなど顔写真入りの身分証明書及び、連絡先をご提示いただける方に限らせていただいたほうがよろしいと思います。
これは、現地調査等で事故にあわれた時の連絡や警察・消防等へ問い合わせのためです。
私が幹事になりますが、連絡先が取れるようホームページを作ります。2〜3週間後には完成するでしょう。
完成後、ここでお知らせいたします。
- 88 :
- さて、集合の仕方ですが、車を捨てたのでバイクしかないです。
一之瀬キャンプ場に自力で来れない方がいましたら、申し出てください。
持ち物・・・なんだろ?
・トレッキングブーツ(替え用のクツ)・虫よけスプレー
は基本として、見ずにはいるようなら、
・着替えフルセット(替え用のクツ含む)・軍手
熊と戦うなら武器ですかね?
あと何かあれば、追加お願いします。
さて、今日はここまで
あ >>84さん
コテハンや知識・経験は全く必要ありません。
このスレの通り、趣味(興味)の範囲で結構ですよ^^
- 89 :
- >>893さんのご心配にお答えしていなかった。
Aコースは車も通れて楽ちんです。(確認済み)
Bコースで書かれている道は、両手を広げればいっぱいいっぱいの道だと思います。
旧旧道はそんなもんです。
ほとんどが川沿いの道ではないので、川に落ちることもないでしょうが、山の斜面でしょうから転げ落ちる可能性もあります。
※畠山氏の文章にも宇沢某が川沿いの道を通ったとは書いてありません。
修二郎の遺体を発見したのは、谷川への降り口を見てみたら(降りてみたら)あったと書いてあります。
例えばですが、どうでしょうか。。
旧旧道は、沢や川を山側に迂回するコースを必ずとります。(前スレで紹介した動画にもあります)
今回Bコース(旧旧道)も同様で、山側へ迂回しています。
道なき道より比較的歩きやすい旧旧道(村の者もめったに通らない道)を修二郎は通り、その道からハズレ川を下り始めた。
旧旧道に腕の形をした木などがあるかもですよーw
- 90 :
- 893じゃないwww 983さんだw 大変失礼いたしました><
まぁ その旧旧道自体を探すのも難しいことは確かで、明治から平成も24年なんで
入口すら見つからないかもしれません。
- 91 :
- 165さん
あははは
- 92 :
- 165さん
幹事を引き受けてくれて有難うございます。何かとご苦労ですが誰かがやらないとまとまりませんから。
各自、自由に意見は述べても行動を起こすときは幹事の決定に従うことにしましょう。
[季節・時期について]
本当は早春〜5月の連休前後までが理想的と思っています。その理由は、我々の目的が隠れた「ほら穴」
を見つけることだからです。木の葉がなくて見通しが良ければ、遠くからでも穴や岩が見えるからです。
木の葉が邪魔して「ほら穴」らしき所まで折角行っても、岩が剥がれた跡が黒い影となっているだけだったり
黒っぽい葉やコケだけだったりします。6月の梅雨入り前で、新芽が蕾の頃、萌えて新緑になる前の見通しが
いい頃が理想的です。
ただ今回は顔合わせと事前調査だけですから、険しい谷間に分け入るわけではなく、いつでもいいと思います。
それから、探索しようとする川が対岸にある場合は、渡河しなければならないので水温、気温が高い夏場がいい
ということになると思います。
ところで「旧旧道」とはどの辺り(どこからどこまで通じる道)を言っているのでしょうか。
- 93 :
- 旧旧道と書きましたが、「小径=小道」です。
明治の新道(馬車道)の表示もなく、秩父往還に通じる道でもなく、生活道路(村々をつなぐ道)でもなさそうです。
畠山氏に出てくる、炭焼きで生計を立ててた人が利用していた道かもです。
場所は、二ノ瀬の集落と、一之瀬川・龍喰川の合流地点のちょうど中間ぐらいです。
現在の山道は、当時の地図より南下しています。これは時代の流れとともに渡河がある程度しやすくなったからかもしれません。
となると、二ノ瀬の宇沢某も通るでしょうし、生活道路でもなければ「めったに通らない道」となると思います。
上の方で、畠山氏は「河川名を間違えたのか?花魁淵を間違えたのか?」と長文を書きましたが、この小道についての自問自答になっていました。
もし、河川名を間違えていたなら、かなり有力な道だと思われます。
- 94 :
- 水差すようで、すみません。
自分は個人的に現地入りの前に町中で一度、顔合わせをしたいと思っています。
現地入りの前に各自の顔合わせを行なって、当日の必要装備の抽出や交通手段など直に検討した方がスムーズに行きませんか?
ネット上(メール等)で事前打ち合わせして現地にいきなり出掛けるよりも、互いの素性も装備も分かり安心できます。
各々地理的に現地集合の方が都合良いなら従いますが、山中に行くのですから準備周到に越したことはないと。
- 95 :
- >>94
前日顔合わせ、翌日偵察、本格探索は次回の予定で、装備は山道を歩ける程度の靴くらいに考えていますが。
その意味でAコースかBコースかといえば、Aコースに近いスタイルではないでしょうか。初回なので、全く
の顔合わせ、自己紹介だけなら都内のどこかで会合ということになりますが。幹事のお考えを聞きましょう。
ところで、改めて本を読み直してみたので、気付いたことを書いてみます。読んだ本は、
@日本の埋蔵金 上 畠山清行著 昭和51年3月発行のもの(昭和48年2月初版)
A信玄の黄金遺跡と埋蔵金 泉昌彦著 昭和50年8月発行
@・・二の瀬Rの宇沢某・・明治40年頃のある秋の朝、・・・「花魁淵」近くの山中を通りかかると・・
A・・ところが、本来女郎が沈められたというのは、銚子の滝(現在の花魁淵)から2.5キロも離れた藤尾橋
の下にある淵である。・・
@、Aを合わせると、宇沢某は藤尾橋の近くで高橋修二郎の転落遺体を発見したことになり、「川について
下って三つ目の○」の川は柳沢川の可能性が濃厚になるのではないか?すると、竜喰川などは的外れで、
探索すべきは柳沢川のしかも藤尾橋近辺、の左岸又は右岸の山中又は沢沿いということになりはしないか?
私が過去に事前偵察も含めると3,4回行った竜喰は何だったんだ〜(反省!)
ちなみに、畠山さんは柳沢川と竜喰川の合流する「花魁淵」と書いていますが、「柳沢川と高橋川」の間違いと
して読めば、合流してすぐ藤尾なのでピッタリ合います。Aによればこの辺りに「女郎道」があって、始末される
ことを恐れて一之瀬高橋を経て奥秩父(大滝村)の方角へ逃れようとして・・とあります。
- 96 :
- 983さん
一度、ご飯でも食べながらいろいろお話するのもいいですね^^
埼玉の川口ですが、東京駅を利用していますので、山手線内であればどこでも、いつでもいいですよ。
風の子さん
私のは初版本ですが、中身は同じでしょう。
高橋○○○○○○○○○○に 椀の形○○○○○○○○○る。
の高橋が気になりました。
高橋川なのかな?藤尾橋(新の花魁淵)なのかな?と思いました。
さらに、一之瀬高橋なので、高橋からスタートするのは高橋川か、地名の高橋が有力だと思いました。
古地図を見ると河川の表示はありますが、高橋川と書かれていないのです。
それと、藤尾橋を通るのは明治の新道(馬車道)で、滑落するにはしっくりこなかったのです。
馬車道ですから、往来はあるでしょうし、馬車が曲がれるよう緩やかになっています。
もちろんそれは、青梅街道なのです。
藤尾〜落合(青梅街道) 落合〜高橋の奥 高橋〜一之瀬まで、明治の新道です。
畠山氏の著書の「Rの連中以外にはめったに足を踏み入れない場所」ではないという感想です。
また、高橋と二ノ瀬には、神社仏閣がそれぞれありますから別々の集落で、二ノ瀬の人間が高橋の地域を「Rの連中以外」と表現するかが問題です。
- 97 :
- それと、現在の花魁淵でも、藤尾橋でもそうですが、
金を持った修二郎が帰り道に塩山駅方面とは逆方向の道を通るかも問題です。(以前、これを指摘した人がいました)
また、落合、藤尾橋周辺には、民家の表記もありますので、畠山氏を信じるならココではない気がしました。
ただ、現在の花魁淵と藤尾橋との間の柳沢川に黒川山から支流が入ってきていますので、支流となればいい感じかと思いますが、
やはり青梅街道が引っかかりますね。
明治の新道といえど、青梅街道沿いにテントをはるとは思えませんし、
現地をみているならお分かりでしょうが、街道から外れてテントを張るのも難しいかと思います。
なので、現青梅街道は新道であって、明治の新道(明治天皇行幸(明治10年〜)ため)の上に作られているが、旧旧道があるのではないか?
そしたら現青梅街道は柳沢川の北岸を通っているが、明治の新道は南岸を通っている。
ということは、旧旧道があるとすれば南岸だろうし、旧旧道なら滑落する可能性も高くなると考えたわけです。
- 98 :
- 上で書いた民家は、明治の新道沿いにありますので、忘れ去られた旧旧道なら民家もないでしょうし、
新道があるためめったに足を踏み入れない場所になっているのではないかとも思いました。
それと、二ノ瀬の宇沢某が時間をかけ朝、青梅街道まで出てくるのも引っかかりました。
そうなると藤尾も難しいかな・・・と
徳川埋蔵金もそうですが、畠山氏を信じるしかないのと、考えられる場所(藤尾橋周辺を含む)をかたっぱしから調査する必要があるということですかねww
花魁淵に振り回されている感じがしてならないのです。
- 99 :
- >>165さん
自分、神奈川湘南地区。勤めは都内なんでOKです。
旧旧道の存在に興味があります。
冷やかし歓迎されますか?宜しくお願いします。
おいらん淵周辺はバイパス化されて以前の道が旧道になりました。
時間があったら青梅街道からですが下見して来ます。
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