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2013年01月哲学180: 【唯物論】心の哲学総合スレ■02【二元論】 (310)
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【唯物論】心の哲学総合スレ■02【二元論】
- 1 :2012/11/18 〜 最終レス :2013/01/07
- 錯綜している心の哲学について語りましょう。
【唯物論】心の哲学総合スレ■01【二元論】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1292749937/
- 2 :
- >>1
乙です。
- 3 :
- 心的なものと物理的なものを分けて考えるというのは無理があると思う。
世界は物の総体ではなくて事柄つまり現象の総体であると考えたほうが
しっくりくるような気がする。
というより、物とは何かを詳細に考えていくと、結局は現象よりもさらに
説明のつかない無制約な実在性であるように思えてくる。
物そのものって何なんだろう?
物そのものという概念こそが実は絶対不変のそれ以上還元し得ない実在
つまり「霊魂」そのものじゃないのか?
「物」という発想は「神」という発想と同義じゃないのか?
素粒子論などの物性屋は例えて言うなら現代版の信仰を広める神父みたいな
ものじゃないのか?
- 4 :
- この板はIDがないので、誰が喋ってるのか分からない。簡単な数字でも名前につけてくれ。
- 5 :
- 分かりました。
- 6 :
- 333
- 7 :
- 前スレの続き
>>986
>そもそも「我」については 文字通り何一つ考えることも論じることも不可能となります。
この問題(主観と客観の対立)はすでに18世紀頃までに、論理的思考の限界のせいで思弁では決して
到達出来ない領域としてある意味片付けられてしまっていますね。
しかし同じく思考では絶対に到達できないとされていた「宇宙に果てはあるのか」などの問題について
当時では思い付きもしなかった数学や物理学のアプローチによって未知の世界への扉を叩き始めているのも
また事実です。
あるいは地動説や進化論(自然選択)や相対性理論のように何百年(あるいは何万年?)にもわたる
常識を覆すような偉大な発想の転換によって、思いも寄らぬ説明が与えられるという可能性も
絶対にないとは言い切れないでしょう。
個人的には後者の可能性は低いと思いますが。
>後者はそもそも「死ぬ」ことは有り得ない、というか、 死ぬとか生きるとか論じることに意味がない、
ということではないのでしょうか。
最終的にはそこに行き着くのだと思います。
「私」の死は客観的にみれば宇宙の森羅万象のなかのちっぽけな一部が変化しただけにすぎませんが、
一方でその宇宙のすべての情報は私の意識のなかに存在しているので、つまり私自身が宇宙のすべてなので
それががなくなる意味など到底理解不可能でしょう。
- 8 :
- 貴重な意見をたくさん聞かせて頂きとても参考になりましたし、自分自身の考えもある程度まとめることが
出来ました。
最後に切り札としてとっておいた話をひとつだけ。
以前に私自身とまったく同じ粒子配列は現実にはありえないと書きましたが、実はあれはウソです。
すいません(笑)
おそらく「観測可能な」宇宙の全歴史のなかには存在しないでしょうが、最近の理論や観測データが示す通り
宇宙が無限だとすれば、私のコピーは理論上かならず存在します。
なぜなら「私」を構成する粒子の組み合わせの数は厖大でも「有限」であり、無限に繰り返せばかならず
いつかどこかで同じ組み合わせが出現するはずだからです。
これはサンプルを「私」から「私を含む地球」、銀河系、観測可能な宇宙全体(直径約140億光年)
にまで拡大しても、出現する平均距離が長くなるだけで同じことです。
宇宙のかなたには我々の宇宙とまったく同じ宇宙があって、そこには私とまったく同じ人間が、同じ環境、
同じ人々に囲まれて暮らしており、私とまったく同じ人生を送っているでしょう。
一瞬後には違う粒子配列という理屈もここでは通用しません。
物理学でいう、これ以上分割出来ないプランク時間のような最小単位を想定すれば、すべての瞬間において
まったく同じ性質をもつ宇宙も無限の中には存在可能だからです。
この考えが正しいかどうかはわかりませんが、自分や自分の親しい人が亡くなっても、
広大な宇宙のどこかで、いつも自分とその人達が過ごした時間は存在しているという考えは
素敵ではないでしょうか。
少なくても原理主義宗教などが説く、死んだら全能の神の元に召されるから安心して殉教しなさいというような
宇宙の真実を極端に矮小化した理念よりはよほど慰めになるのではないかと個人的には思います。
なぜならこれは宗教でも絵空事でもSFでもなく、純然たる科学にもとづいた結論なのですから。
- 9 :
- 前スレに書き込もとうとしたら直前にスレ落ちしてしまい、次スレの序盤に最終レスというマヌケな事態
になってしまいご迷惑をおかけしました(汗)
このテーマについてはこれをもって最後の書き込みとさせてもらいますが、気が向いたらハンドルネームで
また参加させてもらうかもしれません。
- 10 :
- >>7
>この問題(主観と客観の対立)はすでに18世紀頃までに、論理的思考の限界のせいで思弁では決して
>到達出来ない領域としてある意味片付けられてしまっていますね。
いや、個人的には哲学の問題で「片付けられてしまっている」ものは何一つないと思います。
とにかく「異論がない哲学的結論」というものを、ひとつも見たことがありません。
だから、「哲学は学問ではない」「意味がない無用の長物」という意見も根強いわけでしょうが(笑)。
また、いわゆるハードプロブレム(心身関係)は、思考の限界のせいで答えが出ない可能性は
あると思いますが、ハーダープロブレム(なぜこれが私なのか)は、そんな大仰な問題ではなく
単なる勘違いではなかろうかと個人的には考えます。
>つまり私自身が宇宙のすべてなので それががなくなる意味など到底理解不可能でしょう。
結局、こういう「独我論的センス」があるかどうかの問題なのだと思うのですが、
私はどうしてもこういう考え方が実感としてわからないので、「私というのは世界の一部分である
この体のこの自我のことで、いくら振ってもそれ以上の意味はないのだから、この体がRば
私もなくなるだろう」としか思えないわけです。
>>8
まさにこのような「双子の宇宙」のような例が典型で、実際にそういうものがあって、
そこに私と全く同じ性質の人間が私と全く同じ人生を送っていたとしても(現実にそれが幾つあっても
不思議はないと思いますが)、私にとってはそれは(まさに野田首相や坂本龍馬や宇宙の彼方の
どこかの星のタコのような宇宙人がそうであるのと全く同じ意味で)「赤の他人」としか思えません。
この地球にあるスカイツリーがあっちの地球にあるスカイツリーと別個の個物であるのと
全く同じ意味で。これこそ「個物は性質によって個物であるわけではない」の典型例ですが、
これはもう、感性の違いとしか言いようがないと思われます。
同じように、ニーチェの「永劫回帰」のように仮に時間が連環していて、今起きているのと
全く同じ出来事が無限遠の過去にも未来にも無限回数繰り返されるとしても、「それが今の私と
何の関係があるのだろうか」と思ってしまいます。
- 11 :
- 最後に、さんざん「私のコピー」の話をしたので一応付け加えてみますが、文字通りに
人体の「ある時点・ある瞬間の粒子配列」を再現しても、それは自我にはならないのではないか
と思います。これは当たり前のことで、例えばボーリングの球が投げられてレーンをごろごろ
ころがっている途中の「ある時点・ある瞬間」の粒子配列を物質コピー機でとなりのレーンに
再現したとしても、それはただレーンの真ん中にボールを置いたのと同じなので、ボールは
全然ころがらないでしょう(傾斜でゆっくり動くだけか)。
元のボールと同様にボールをころがすためには、それが一秒でも一万分の一秒でもそれ以下でも
(もしかすると、そういう意味のある最小の時間の幅をプランク時間と呼ぶのでしょうか)、
とにかくゼロではない「一定の幅の時間のボールの動き」をそのままとなりのレーンに再現する
必要があります。(物理学的にいうとボールの運動エネルギーか力のベクトルだかを再現する
とかいうことになるのでしょうが、私は物理はさっぱりわからないのでご容赦ください・笑)。
これがボールや、また機械のようなものであれば、完全な「静止状態」のそれをコピーして、
後からエネルギーを注入するというやり方でも動きの再現はできると思いますが、人間では、
というかおそらく生物ではそうはいきません。内部の細胞やら何やらの微細な「動き」をコピー
しないと、そもそも生命のある存在にならないかもしれません。(あるいは「自我のあるロボット」
でも、そうなのか。)
ですから、自我をコピーする機械は、単なる物質コピー機ではなくて、もっとはるかに複雑高度な
機能を果たす必要があると思われます。このことはあるいは心身問題にも多少の関係があるかと
思えたので、一応書いてみました。
- 12 :
- 心身問題ってホントに難しいよな
物質が先か心が先かでぜんぜん話が違ってしまう
- 13 :
- なるほど、魂が永遠かどうかとか究極的には感性の違いでしかないってことか。
二人の意見の違いがそれを証明してるね。
- 14 :
- >>7
「主観と客観の分離」の問題は、論理思考の限界としての「決して到達出来ない領域」として、
在る意味では、片づけられている。 つまり、「主観と客観の一致」という事は、論理的に
不可能であるとして、存在論と認識論とを分離し、「主観と客観」の統一という問題は、
認識論上の問題として、今日に至っている。
この「主観と客観の分離」の問題が、単に「哲学分野の問題」のみに留まらず、自然界に対する
科学技術のあり方、又は、医学分野に於ける「生命倫理の問題」への歯止めのかからない暴走として
現れているのだと思う。
- 15 :
- 哲学的ゾンビにつてい質問させてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
哲学的ゾンビは
(1)普通の人間と全く同じように振る舞う
(2)クオリア(現象的意識)を持たない
という2つの条件を持っているとされます。
しかし、クオリアがなければ感情により対象を評価することはできないと思います。
感情による評価がなければ普通の人間と同じ行動はしないと思うのですが。
どこか考え違いをしているのでしょうか。
- 16 :
- >>15
映画を見て泣いたり笑ったり彼女を危険から守るためにこぶしを振り上げたり
下痢して苦悶の表示を浮かべたりすることも、哲学的ゾンビの状態ではそれら
の複雑で表面上は生き生きとした多彩な表情が単純な物理的入出力の反応で
あっても思考実験上では全然問題がない。
「ゾンビが苦しい表情をしている」と苦しい感情というものを生き生きとした
感覚を持って判断するのはゾンビの方の問題ではなくて、そのゾンビを観察
している生身の人間の方の問題。
しかもそれが果たしてゾンビであるのかそれとも自分と同じ生身の感覚を持った
人間であるのかを確かめる術はない。
- 17 :
- >>memeさん
有限な最小のものから「よーいドン!」と事象が開始されれば、それは一方
通行であって不可逆性です。そして常にどこまでも伸び続けているか、
あるいはいつか縮み始めるかの問題に関わらず、有限の世界は全体としては
いつまでたっても境界を持つあくまで「あらゆる時点で有限な世界」です。
従ってその場合、私が死んでもやがて私の生きていた時の状態と全く同じ
配列が現れる可能性はあるかもしれないでしょうが、しかし私の中に
無限フラクタルな構造を持つ潜在的な全事象の配列空間を想定することは
出来ません。
もちろんこれはあなたの言う有限な最小の空間というものを想定した場合の
話ですが。
- 18 :
- >>16
>映画を見て泣いたり笑ったり彼女を危険から守るためにこぶしを振り上げたり
>下痢して苦悶の表示を浮かべたりすることも、哲学的ゾンビの状態ではそれら
>の複雑で表面上は生き生きとした多彩な表情が単純な物理的入出力の反応で
>あっても思考実験上では全然問題がない。
感情の機能が単純な物理的入出力の反応の結果だとするとヒトは皆
哲学的ゾンビということになりませんか。
- 19 :
- >>18
というか、あなたの身近にいる一見普通に生活している人全てがゾンビで
あるかそうでないかを知ることが出来ないし、逆に僕がモニター越しに
レスを返しているあなたがゾンビでないかどうかを、僕には知るすべがない
のです。
実際に自分で五感や感情を感じていることを自覚している「観察する本人」
のみが、「自分はゾンビでではない」という言明を自分自身においてのみ
実証できるんです。
たた、目の前のゾンビかもしれない人たちが「自分はゾンビではない」と
主張しても僕にはそれを証明できませんし、それと同様に、この僕が
「自分はゾンビではない」とモニター越しにいくら主張したとしても、
あなたにはそれを証明することが出来ないんです。
- 20 :
- >>19
つまり哲学的ゾンビは客観的に観測できないということですね。
そのようなものは存在しないのとみなすのが今日では一般的です。
それは神の存在と同様です。
- 21 :
- その論法だと非哲学的ゾンビも存在しない事になるぜ
- 22 :
- >>21
非哲学的ゾンビって何ですか。
- 23 :
- ごめん適当な造語
クオリアを持った他者
観測できないものは存在しないとみなすなら
他者のクオリアは観測できないので
他者のクオリアは存在しないとみなすことになる
つまりクオリアを持った他者は存在しないとみなすことになる
と言いたかった
- 24 :
- >>23
それは論理的に変です。
(1) まずヒトという集団が存在するのが前提でしょう。
(2) その中でクオリアと呼ぶ機能(?)を持たない個体を「哲学的ゾンビ」と定義する、というのがゾンビ論者の前提と認識しています。
しかしクオリアそのものが観測できないのであればクオリアの有無という識別条件そのものが存在せず
従って(2)の前提が意味を成さず、その結果(2)を前提とする「哲学的ゾンビ」も存在しないということです。
しかし(1)の前提が否定されたわけではないのでヒトは存在し、そのうち哲学的ゾンビは存在しない、ということになると思います。
- 25 :
- 自分のクオリアは観測してるはずだけど
- 26 :
- 非哲学的(ゾンビ)ではなく
非(哲学的ゾンビ)ですね。
- 27 :
- >>25
それは主観による知覚なので物理的な観測ではありません。
- 28 :
- 前提が違うんだな
こっちはヒトという集団の存在を前提とする前に
根源的な主観の存在を前提としてる
- 29 :
- 根源的な主観って、もしかして霊魂のことですか?
- 30 :
- クオリアだよ・・
- 31 :
- 哲学的ゾンビは物理的に同一の信号処理が神経細胞上で行われているのにクオリアのみ欠如している
しかしクオリアの欠如は観測不可能
これでは霊魂は存在する、しかし観測不可能、という主張と同等に見えますね。
- 32 :
- そもそも誤解がある
哲学者たちは哲学的ゾンビが存在するとか言ってるわけじゃなくて
居たとしてもわからないよね(客観的に観測できないよね)という話をしてる
哲学的ゾンビとか言い出したチャーマーズもいるととは言ってない
これは唯物論者を困らせるための思考実験
「哲学的ゾンビが存在したとしても観測できないよね」というお話だから
思考実験上はいる前提なのに観測できないから存在しないとか主張されても困る
- 33 :
- 観測できないものの想定から派生する結論は同様に空論といえるのではありませんか。
それともなにか実証的な証拠でもあるのですか。
- 34 :
- 物理現象とクオリアが独立であるという根拠はあるのですか。
- 35 :
- チャーマーズが言いたいのは
クオリアが現代物理学で捉えられる範疇にないということ
根拠もクソもない
根拠を得る方法がない
あの思考実験は
物理的な観測ができる以前に自分のクオリアの存在が前提で
自分のクオリアを前提としながら唯物論者であることはできないよ、と
唯物論者を揺さぶろうとしたもの
自分のクオリアの存在を信じられる人は
クオリアは存在するのに確かめられない唯物論的な現代物理学は不十分
自分のクオリアの存在を信じない人にとってはどうでもいい話
初めから無いものを観測できないから不十分とか馬鹿じゃね?って話
- 36 :
- >>35
>自分のクオリアを前提としながら唯物論者であることはできないよ、と
>唯物論者を揺さぶろうとしたもの
クオリアの存在と唯物論が対立する点が理解できません。
クオリア(より厳密にはクオリアを認識する意識)の存在が物理的な現象から独立であるという
前提があるように思えますが、そのような証拠はあるのですか。
>クオリアは存在するのに確かめられない唯物論的な現代物理学は不十分
不十分であるとはいずれできるようになる可能性があるということで
できないということとは状況が違うでしょう。
単に不十分であることを主張するのにこのような論法を使う必要があるのでしょうか。
また使ったからと言って物理学(厳密にはおそらく脳科学)でクオリアが説明できない
ことを説明することにはならないように思われます。
- 37 :
- >>19
>「自分はゾンビでではない」
どうしてわかるのでしょう。
- 38 :
- >>36
哲学的ゾンビぐらいの変テコSF思考実験でもいいから
物理学的にクオリアを確かめる方法を編みだせば
物理的な現象と関係が有ることが証明される
けど誰もまだ今のところ証明してない
SF的な空想力を駆使してもってところからわかると思うけど
今のところの未来予想図だと未来科学でもわかりそうもない
さっぱりわからない
哲学者は脳科学でクオリアが説明できないと断言してるんじゃなくて
どう考えても今のところはわかる見通しがないと言ってる
けれどクオリアはあることはわかっている(と信じる)人たちの中には
今はわからなくても後でわかるんじゃないのと思ってる人たちと
現代物理学を拡張・改革しなきゃいけないんじゃないかと思ってる人たちと
何しようがわかんないんじゃないの?必要なら「信念」という形で前提化するか
他の「信念」から説明したり説得できるような思想が作れないかなと考えてる人たちがいる
- 39 :
- 追記するけど
基本的に俺は(その他こういう話をする人たちも)
たぶん>>36さんと現状認識はたいして変わらないんじゃないかと思う
哲学的ゾンビの意味とか前提が共有されてなかったから議論みたいにになってるけど
「未来に証明されるとは言えない/証明されないとも言えない」ということなら俺と一緒
- 40 :
- チャーマーズの二次元主義でもクオリアと唯物論は対立してない。
というか、クオリアは二次内包として存在しているわけではないというのが、
チャーマーズの話ではむしろ勘所なんだけど、
様相論理をまるで理解してないからこういう頓珍漢な議論になるんだろうな。
- 41 :
- 哲学的ゾンビの話って概念分析なわけだよ。
クオリアという謎の存在がまだ人知られず存在しているのではないか、
というの話ではなくて、我々が現に「存在する」とか言っているとき、
その中に数えられているものにクオリアと呼べる領域があるのではないか?
ということなんだな。
- 42 :
- 喧嘩にならないねこのスレは
- 43 :
- >>38
>哲学者は脳科学でクオリアが説明できないと断言してるんじゃなくて
>どう考えても今のところはわかる見通しがないと言ってる
わからないならわからないでいいけど「哲学的ゾンビ」の思考実験は
もっと積極的な物理主義に対する攻撃のためではないのでしょうか。
- 44 :
- >>40
チャーマーズの想像可能性論法そのものが理解できないのですが。
>現在の物理学では、意識、クオリア、経験、感覚を全く欠いた世界が想像可能であることを主張する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93 より
意識やクオリアや経験、感覚のいずれも神経細胞上の電気的な信号とは関係ないなにかである、という主張のように読めます。
そのようなものを想像したりそれが論理的に可能とは思えません。
- 45 :
- >>44
パーマンのコピーロボットのことだよ。
- 46 :
- >>45
パーマンのコピーロボットにクオリアがないと断言できるのですか。
- 47 :
- >>46
ない。
- 48 :
- >>47
人間の脳の全ニューロンとシナプスを電子的に再現し、
同様の発火をさせれば同様のクオリアが発生すると
考えるのは自然だと思います。
どこがおかしいのでしょうか。
- 49 :
- クオリアが発生したかどうか判定する方法があればいいのだが…
- 50 :
- >>49
ない。
- 51 :
- 哲学的ゾンビの話があくまで思考実験の話だという事がなぜか理解できない人が
どこにでも必ずいます。こちらがいくら説明しても頑なにトンJンな
反論を繰り返してくるのでとても煩わしいです。
おわり。
- 52 :
- >>48
おかしくないよ
そういう仮説もある
チャーマーズもそんな事言ってる
でもクオリアが物理的に観測できないから証明できない
想像可能性論法は反語的な話で
現代物理学はクオリアを無視してるから
現代物理学に基づいて想像された世界にはクオリアがないことになるが
それでいいのだろうか(いやよくない)という話だよ
だからそんな世界想像不可能ってのはまともな感想だよ
- 53 :
- >>52
検証できない時点での議論はカントのアンチノミーのようなものではないでしょうか。
しかし、観測技術やそれを説明する理論が整備された現在ではそのうちのいくつかは答えがいられていると思います。
クオリアは主観的現象ですが、物理的現象と関連付いているのなら何らかの方法でシミュレート可能になり、
倫理的な問題はあるかもしれませんが、部分的な停止や信号の入力等の操作と、対話等の出力から
クオリアの実体に迫ることは可能だと思います。
物理学(あるいは脳科学)がクオリアを扱わないのは、扱う方法がまだないからであって存在を否定しているのではないと思います。
- 54 :
- >>51
そうですね。思考実験なので実際に意識の有無があるわけでは無いのですね。
- 55 :
- >>53
脳ミソのある部分が傷ついたりすると特定の図形やらが認識できなくなったり、
電極ぶっ刺してビビビとやると音楽が聞こえたりすることから、
「人間のクオリアの性質と脳ミソの構造には一定の相関関係がある」
と言えることは確かです。
でも「人間のクオリア」に関する研究が脳ミソとの対応関係の研究にどうしても
依存せざるを得ないということが、「クオリア一般の起源」に関するトンデモナイ思い違いを
引き起こしているように思えるのです。つまり、
「人間のクオリアの性質と脳ミソの構造との相関関係を掘り下げてゆくことでは
クオリア一般の起源を説明することは出来ない」
ということで、脳神経科学の実用性の部分は飛躍的に発展する余地は大いにあるでしょうが、
それでもあいかわらず哲学の問題としてのハードプロブレムは残ったままになります。
>>54
アナタがゾンビでないことを僕は信じるよう努力します。
ですからアナタも僕がゾンビでないことをお願いだから信じてください。
- 56 :
- >>55
ゾンビでないこととは何でしょう。
- 57 :
- 物理学や数学で行われる思考実験は
極端な演繹ではあっても実証可能なものです。
哲学、特に心の哲学で用いられる思考実験は
主観的な判断に訴えるものがほとんどで
「哲学的ゾンビ」の場合も「想像可能」を根拠に
物理主義を批判していますが、根拠としては
ないに等しいように思われます。
これが説得力を持つこと自体不思議です。
- 58 :
- >>55
>「人間のクオリアの性質と脳ミソの構造との相関関係を掘り下げてゆくことでは
> クオリア一般の起源を説明することは出来ない」
反例を出せばいいだけです。
「哲学的ゾンビ」は反例にはならないと思います。
- 59 :
- クオリアの起源は、それが淘汰に対してたまたま優位だった、でね?
- 60 :
- ゾンビの話を物理主義の完全否定みたいに受け取ってるようだけど、そういう話じゃない・・
ゾンビの話は物理学とクオリアの対立を主張するものでは全然ない
君が>>53で「扱う方法がまだないからであって存在を否定しているわけではない」と言ってるその通り
ゾンビの話が示しているのは「今は扱う方法が誰にも思いつかない」ってこと
誰も物理学がクオリアの存在を否定したなんてこと言ってないよ
だって言い出しっぺのチャーマーズ自身が物理学を拡張して説明しようとしているんだよ?
- 61 :
- >ゾンビの話が示しているのは「今は扱う方法が誰にも思いつかない」ってこと
思いつくだけならいろいろある
だれかの脳神経とその上で発生する電気的信号を全て再現して
再現された人格と対話して確認するではダメ?
- 62 :
- 思考実験というのは主観的な判断に訴えているのではなくて言葉の意味に訴えているわけね。
意味というのは客観的なものなわけ。H2Oであること水の言葉の意味であるようにね。
そういうことについての思考を、信じられたり信じられなかったり、主観的な態度をとりえるのは、
言葉の意味の影のようなもんなわけね。
その上で、基本、言語は観念やセンスデータみたいなものについて語ってない、
というのがすっきりする見通しなんだよね。
そういうのはフレーゲやウィトゲンシュタイン辺りからずっと評判が悪いわけね。
なんでかっていうとそういうものがあるとすれば、論理的なパラドクスが生まれるから。
あるとすればパラドクスが生まれる、ということは、パラドクスを生む思考に何か誤りがある。
そのとき最もパラドクスを生まない言語観が、
言語は観念やセンスデータや私秘的な直接経験のようなものについて語っていない、とするもんだったわけ。
言葉が語る対象の中にそんなものは含まれていない。
それは存在しないよりももっと強い意味で、そんなものについて現に語れていない=ナンセンスってことなのね。
そういう方向で心を消去してきたのがだいたい20世紀前半の哲学の主?潮流なんだな。
- 63 :
- んで、クリプキが20世紀後半に様相を問題にしたわけね。
様相というのはあることが必然か偶然かということなんだけど、
クリプキが提唱する画期的に意味論により、偶然をあらわす文の真理値を形式化できたわけ。
それは例えば「明日雨かもしれない」という文が真理値をあらわすことなわけ。
まぁこれは真なんだけど、哲学としてはこのとき対応する事態は何かってことね。
それは明日雨であるような世界が成立できることなわけだ。
さらに、これをパトナムが引きついで「水はH2O以外であることが可能か?」みたいな問題にしたわけ。
どっかに地球そっくりな星があってもそこの水は科学的調査の結果HYZという未知の物質でありうる、
という思考実験ね。それはここで「水」の意味がH2Oから切り離されうるということなわけね。
じゃあ、残った意味ってなんだ? というところにクオリアを持ち出しのがチャーマーズなわけだ。
- 64 :
- >>59
だとすれば、意識は物理に影響を及ぼしうるという結論に行き着くね
今のところイメージしにくいことだが、コンピュータ上で人工生命作ったら進化してOS書き換えやがった、てなことが起こるかもしれない
- 65 :
- しかし意識が物理現象を引き起こさないとすると、痛みや苦しみのクオリアがこうも不快であることに全く合理性がない
脳が処理して反応返せば済むだけの話に、意識が理由なく拷問を受けている
まあ、「意味なんてない」で済む話だけど
- 66 :
- >>65
意味は大ありです。
感情は対象を評価して行動を決定するための機能です。
- 67 :
- >>64
まず意識と物理が独立という点が間違いでね?
- 68 :
- >>66
スレのサブタイトルに【二元論】が入っているけど
ここに来る人の多くは【唯物論】が前提で語っているでしょ、↓こんな感じで
意識は行動決定に寄与していない
脳内の物理的な状態が行動を決定していて
その物理状態が「この行動に決定した」というクオリアを発生させている
あくまで物理状態があるからクオリアが発生しているのであって
何もないところから突然クオリアが、
しかもある意図を携えたクオリアが現れて物理状態に影響するということはない
- 69 :
- 意識と脳内の物理的状態は等価でね?
- 70 :
- タイムラグがあるから因果関係っしょ
逆向きの因果があるかはしらんが、あったほうがロマンはある
- 71 :
- 意識にのぼらない処理もあるけど
意識も処理の一部とみなすのが自然だよ
- 72 :
- >>68
それ随伴現象説で二元論じゃね?
唯物論ならクオリアは脳のそういう機能だとしか言えないのでは
- 73 :
- 唯物論だと脳にクオリア発生のための専用回路があり、脳内にクオリア発生
二元論だと専用回路はないけど発生機能はあり、どっかににクオリア発生
どっかは脳内を含むどこでもいいしどこでなくてもいい
というイメージ
- 74 :
- 二元論の根拠は何よ
- 75 :
- >>74
・信号のやりとりからクオリアが生まれることを想像すらできず
・また実際にコンピュータ等で再現できず
・脳の中にもそれっぽい部分が見つからない
↓
唯物論…今はわかんないけど、そのうち見つかるし再現できるよ、検証できないけど
二元論…いっそ、回路が複雑化したら勝手に機能が生まれると考えちゃえば解決だわ
どこに生まれるかって?しらねえし確かめようもねえ
いっそ別次元に既にある自我と繋がる機能と考えても辻褄あう
なんでもありで便利すぐる
観念論…どうせ自分以外の自我とか確かめられないし意味ねえよ
- 76 :
- >>75
わお・・
- 77 :
- いくらなんでも適当すぎたゴメン
物質論で説明がつきそうにない部分を切り分けただけで、根拠はないかと
もし物質論でハードプロブレム含めて全て説明がつき、厳密に検証できないまでも多少の再現ができれば、
二元論は消え失せることはないにせよ求心力はかなり失うかと
- 78 :
- >>74
二元論の根拠は何か。
>近代哲学で、二元論が定義されたのは、デカルトからである。 デカルトの「方法的懐疑」によって、
疑うことの出来ない「懐疑の極点」として「私=超越論的主観」が実体として創出した。この「私=懐疑の極点」というのは、
純粋精神として認識されているので、「私=精神」の外にあるものとして「物=客観的存在」を認識している。
つまり、デカルト哲学は、精神(自己)の外部にある物を「物質」と定義している。
近代哲学に於ける「二元論」は、デカルトから始まり、スピノザ、カント、ヘ−ゲル、フォイエルバッハ、マルクス、
そして、フッサ−ルへと引き継がれて行く。 従って、現在、ハ−ドプロブレムでの「主観(精神)と客観(物質)」の一致問題と、
「二元論」の哲学上の「主観と客観の分離」の課題は、まだ解明されない問題として残っている。
- 79 :
- 精神を実体として捉える見立てはライルの行動主義で終わってるんだけどね。
- 80 :
- 昔からそうなんだけど、二元論の何がダメかっていうと、
希望的観測だからじゃなくて、ナンセンスな形而上学に陥りがちなところなんだよね。
感覚以外に物があると言ったら、感覚の限界みたいなものを規定しなけりゃいけないわけ。
デカルトは思考も感覚だって言ってるから、それはできないんだな。
ヒュームやバークリはその辺見抜いてるから全部感覚ですって一元論にしちゃうわけね。
観念論としてもこっちの方がずっと賢いよね
- 81 :
- ただ、デカルトは特異点からの光景しか言えなかったからそこが弱いんだよね。
- 82 :
- 私達が存在するこの世の全ての事象は、「形而下学的領野」と「形而上学的領野」で
構成されている。私達が普段の生活する中で、自分と言う「主観的意識」で行動しており、
「自分」と言う意識なしで行動している人間はいない。 この「主観的意識」は、形而上学的領野」に
入る。 現代の論理実証主義では、実体としてある「主観的意識」を命題化が出来ない為に、論究の対象
から外している。 だから、「形而上学」がナンセンスだから科学で取り扱わないのではなく、科学の限界
である為に「形而上学」を扱えないのである。 それゆえに、現代の西洋哲学は、「形而上学的領野」に対して
科学とは別に、「心の哲学」として論究が進められている。
- 83 :
- >>82
つまり技術が進んで「主観的意識」を実証主義的に扱えるようになれば
かつて哲学が神の存在証明を諦めたのと同様のことが主観に関する「形而上学的領野」でも起きるということですね
- 84 :
- 経験的に、意識がない間も俺は行動や判断が可能だが、意識がない間のことは記憶に残らない
意識自体の有無はわからないにせよ、記憶できていないのか、変なものが記憶されているか、記憶を取り出せないのかわからないが、
科学が発展すれば海馬は分析できるだろうから、これは検証が可能だろう
その結果次第では、意識てのは体験を海馬に書き込むための翻訳装置だとか、
海馬に書き込まれた情報をデバッグやエラー訂正するために最新情報を検証する装置だとか特定できる可能性がある
体験をクオリアにデコードしないと海馬に記憶できないとかで
- 85 :
- ウィトゲンシュタイン風にいうと神の存在というのは肯定するにせよ否定するにせよナンセンスなわけ。
「神は存在する」も「神は存在しない」も真理条件を欠いているがゆえにナンセンスで、
それゆえ「神は存在すると信じる」という命題的態度もナンセンスなわけね。
「客観的にはナンセンスだけど主観的に意味はある」ような話じゃなくて、
ナンセンスな命題にどういう態度をつけてもナンセンスなんだよ。「他人の心」みたいなものも同様。
- 86 :
- >>83
>つまり、科学技術が進んで「主観的意識」を論理実証主義的に扱える様になれば、
かつて哲学が神の存在証明を諦めたのと同様のことが主観に関する「形而上学的領野」でも
起きると言うことですね。
>ゲ−デルは、「不完全性定理」で、「形而上学的」な事象は、論理思考(三段論法、演繹法、帰納法など)では
命題化(証明不能命題)が出来ないので、「証明不能」であることを数学的に証明している。 だから、自己という
「主観的意識」は、「形而上学的領野」に入るので、今後、科学がいかに進歩しても、科学での証明は出来ない。
この「形而上学的領野」の論究が、科学ではなく、哲学分野で「心の哲学」又、「新現象学」として進展しているのは
この様な理由から来ている。
- 87 :
- >>86
数学は今までの理論と矛盾が出れば受け入れるのみで拡張できないが、
科学は今までの理論と矛盾する観測があれば観測にあわせて科学そのものを拡張できる
- 88 :
- >>87
勘違い、数学は定義そのものを変更すればどんな類にでも拡張できる
それは方程式のような性質で証明できるかどうかである。
科学は拡張ではなく修正やいい直し、ニュートン力学も間違いじゃなく
解釈で正しいとするのが科学で実測とは人の解釈によるもので
明確に定義されて証明するものとは程遠い。
- 89 :
- >>85
すいません、「他人の心」がなぜナンセンスなのですか。
- 90 :
- 以前貧血でひっくり返って痙攣したときに癲癇を疑われて
脳のCTとかMRI撮ったことがあるんだけど、
脳に電気流す(よく分からんが、電子が移動するってこと?)と感覚を発生させることができるそうだけど
脳にある種の電磁波をぶつけて反射させてもどうやらクオリアは生まれないみたいね
程度にもよるんかもだけど(試せないけど放射性喰らうと何か見えるんかもね)
頭振っても何か見えるわけでもないし、Gも関係してないみたい
- 91 :
- ゲーデルが証明したのは意味論的真理と構文論的真理が外延的に一致することを証明できないということなんだけど、
三段論法がどうとか言ってる人、論理学スレでも電波飛ばしてたけど、ちゃんと論理学勉強し直しなよ。
- 92 :
- >>91
「形而上学的事象」を「論理学(論理思考)」は、どの様に捉えているのでしょうか。
- 93 :
- そもそも、語りえないのが形而上であって、ある問題が形而上か形而下かは科学なり文化により変動する
ある問題について、これは形而上だから語れないというのはトートロジーでしかない
シンプルに、今の人類には語れないのでナンセンス、というべき
未来においても語れないだろう、というのは単なる予想か予言とでも言うべきもので、
人類が進化したり、人類以外になら簡単な問題であるかもしれない
- 94 :
- 形而上を語るのが形而上学だろうが。
- 95 :
- すまん、形而下で語りえない、だ
- 96 :
- マジかよ、トートロジーだったのかよ!
- 97 :
- >>93
形而上の類の存在と同じ形而上の世界の存在は相互に関係をもち説明できる
ただ形而下で説明できないだけ。
形而上とは形而下の定義によって解釈は多様であり形の上か下かという
話にすぎない。単語として形而上をまる覚えしたり、それを理解もして
いない教授が教科書の比喩をそのまま引用するから矛盾がおきる。
有能な教授(先生)がいるように馬鹿教授(先生)もいるわけだ。
また一部の素晴らしい功績があるからといって専門外にも適用
されるわけでもない。
- 98 :
- >>97
形而上の類の存在と同じ形而上の世界の存在は、相互に関係を持ち説明できる。ただ、形而下で
説明出来ないだけ。
>その通りだと思う。 「形而上学的事象」を科学(形而下)で説明できないだけで、「形而上的事象」は、
哲学の分野である事を、教授でも明確に理解している人が少ないと言うことです。
- 99 :
- 形而上学的命題がナンセンスなら形而上学的事象なるものは不可能なんだけどね。
端的にいえばそんな分野は成り立たないし、
ないといよりも現に語れていないし語られたことがないわけ。
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