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探検の歴史


1 :2010/09/11 〜 最終レス :2013/01/06
世界地図の空白を埋めていった先人たちを語れ

2 :
高岳親王(799〜865)
平城天皇の第一皇子。真言僧として出家し、天竺を目指すが、その途中羅越
国で流砂に飲み込まれて死亡したとされる。
羅越国については、ラオスないしはマレー半島とする説が有力。
ただし、その場合は流砂に飲み込まれたという記述とは矛盾する。
11世紀には、マレー半島の言葉が日本に伝わっており、数詞とされていたも
のは、現代マレー語と一部対応している。
金剛三昧(9世紀)
唐代に中国へ渡り、更に中天竺まで行って帰還して来た日本人僧。
本姓や詳しい経歴は不明であるが、中天竺へ巡礼して壁画を見て来たといい、
それも二回も渡天していたという。
また、四川も訪れていたらしい。

3 :
進んで渡海した僧や商人ではないが、漂流者の異国体験も興味深いものがある。
津太夫(1744〜1814年)
仙台藩の御用商人として物資を満載し江戸に向かう途中、
暴風雨に遭遇し船の転覆回避措置として帆柱を切断したため自力航行不能になり、
約半年間の漂流後、当時はまだロシア帝国領だったアリューシャン列島に漂着。
数々の苦難の末、シベリアで出会った日本人の案内でシベリアを横断して首都ペテルブルグに到着、
帰国を切望する津太夫ら四名は外交使節として日本に向かうロシア特使とともに
北海⇒カナリア諸島⇒マゼラン海峡⇒ハワイ島を経て日本に帰還することができた。
上記の通り、本朝初の地球を一周した人物ながら、教科書にも載らず、人物伝すら知られない人物。

4 :
音吉(1819〜1867)
尾張の人。13歳の時、江戸へ向かう船が遠州灘で遭難。
388日間漂流した末、14人が3人となって、現在のアメリカ合衆国ワシントン州に漂着。
原住民に売り飛ばされた後、モリソン号に乗って帰国しようとするも叶わず。
明治を目前に、帰国を望みながら亡くなった。
息子(母はマレー人)は父の遺言に従い、日本に帰化している。
なお、日本人としてはおそらく最初にロンドンの土を踏んだ人物である。
(寄港自体は津太夫一行が先)

5 :
ハンノが最強

6 :
>>5
「ゴリラ」の発見者ですね。
しかし、記録はともかくネコ2世の方が距離的には上では。
時代が下ると、鄭和なども出て来ますが。
徐福は、始皇帝本紀だと実際に航海に出たのかも疑わしい。
『アナバシス』の顛末は、探検と言ってよいのでしょうか。

7 :
>>2
その時代だとロシア関係が目立つね。
大黒屋と高田屋は有名だが、同じ頃には中川五郎次という人がいる。
吉村昭の「北天の星」参照。

8 :
>>7
1000年も違いますけどw
高岳親王(799〜865)
金剛三昧(9世紀)

9 :
アイスランドに行ったノルウェー人たち

10 :
それは探検ではなく移住っていうの(^〜^)

11 :
新しい移住先を見つけるのも探検あればこそ。
ところで前の方に出た漂流の話は、探検と言うより冒険だな。

12 :
コロンブス

13 :
そういえば前人未踏の土地とかって残ってないの?

14 :
未踏峰としてナムチャバルワという山がある。
中国とミャンマーとインドの国境あたり。

15 :
まだ未踏の地があるのか!
やはり地球は広いな〜

16 :
未踏といっても上をヘリで飛んでるからな。
本来の探検・冒険はもう出来ないだろう。
あとは地底や宇宙に舞台を求めることになる。

17 :
深海は最後の秘境だよ

18 :
新しい中国の有人深海潜水艇は7000mまで潜れる。
日本のしんかいの6500mを抜かれちまったよオイ。

19 :
>>18
しんかい6500は、設計上1万メートルよりも深く潜航できる。
問題は、それが日本に1台しかない事だ。
しんかい2000も、事実上退役状態だし・・・

20 :
>>19
しんかいの方だけ安全係数の下駄を履かせて1万メートルより深く潜航できるとか
言っても意味がないような。
実用潜航深度は日本の「しんかい6500」が6500mで、中国の「蛟龍1号」が7000m。
潜水艇も必要だが、海洋調査船も日本はもっと造るべきだ。

21 :
別に中国とムキになって張り合う必要ないだろ。
意識しすぎだ、おまえら。

22 :
探検が盛んだった時代ってのは
つまるところムキになって国同士が張り合ってた時代なんだぜ。
16世紀にはスペインvsポルトガル
18世紀にはイギリスvsフランス
で、21世紀には日本vs中国というのは言いすぎか
シャカリキに頑張れば勝てる可能性はあるが、
クールな無関心さはでは中国の後塵を拝する未来が確定。

23 :
ポルトガルみたいにムキになりすぎてキャパシティを超えてしまった例もある訳だがw

24 :
>実用潜航深度は日本の「しんかい6500」が6500mで、中国の「蛟龍1号」が7000m
中国はあっているが、日本のは6,200〜6,300m付近での重点的観測が必要と考えらているから6500と名付けただけで
しんかい6500の実用潜航深度は15000m

25 :
訂正
>しんかい6500の実用潜航深度は15000m
しんかい6500の設計上の限界潜航深度は15000m

26 :
まあ落ち着け。

27 :
ずっといじめられっ子だった中国があんな風に
狂っちゃうのは分からんでもない。
その辺わかって世界も生暖かく見守ってる感じ。

28 :
>>25はまだ何か勘違いしているようだが
15000mってのはしんかい6500のチタン耐圧殻がこれくらいなら
耐えるだろうという理論値だ。JAMSTECで行った実際の水槽試験
では13200m相当の水圧で圧壊してる。
現実にはそんな数字の限界まで潜る馬鹿はいないわけで、
安全係数を2から2.5ほど取って限界潜航深度を決めているが、
それは世界のどこの国でも同じことだよ。

29 :
>28
それ縮尺モデルの話じゃないのか?
なんか本論からドンドンずれてきてるが深度7000以上に潜る理由があればやるんじゃねぃ
現状は潜水病を回避するために沈降や浮上に時間がかかり過ぎるとかの乗員の安全に考慮してやらないだけだろ
>現実にはそんな数字の限界まで潜る馬鹿はいないわけで
軍艦はそんな甘いこと言ってられんと思うがコレは俺が本論をそらしているな(苦笑

30 :
理論上の耐久値と保証値は別に設けておかないとな。
保証値が6500mってなだけだろ。
常に理論値で行動してたら頻繁に事故ってるだろ。

31 :
まあ理論値が15000mなら可能な限り挑戦しろよって気持ちは分かるが。
まあ消耗品なんだしだんだん弱くなってきてしまうものなんだから
その6500mくらいで許してやった方がいい。
エレベーターとかだって同じだろ?
多分限度の表示の倍位はいけるんだよ。
でも古くなってくると動きが悪くなってくるだろ。それと同じだ。

32 :
>>14
登頂されちゃったみたいだね。
やっぱり深海とか地底しか残ってないのかな。
スペランカーが希望の星なのか。

33 :
冒険と探検。
登山は探検と言うより冒険ぽいが、みなさんはどう区分するかな?

34 :
三人なのか被ってる奴がいるのか分からんが最近の壷は争点をずらして論点を誤魔化す姑息な連中ばかりだな
整理する
>新しい中国の有人深海潜水艇は7000mまで潜れる。日本のしんかいの6500mを抜かれちまった
発端は↑ね
>しんかい6500は、設計上1万メートルよりも深く潜航できる
間違いが指摘される(コレは俺のレスじゃない)
>しんかいの方だけ安全係数の下駄を履かせ
ここで>20が突然根拠不明の推測を付け加え>18の間違いを繰り返す
で、>24の俺が初登場、しんかい6500は6500mまでしか潜れないわけではないと>19を援護
>28は縮尺モデルでの実験を本体の実験であるかのように誤導させる更に安全係数は世界中で同じと争点を完全にそらし結論がでたかのように仮装する
>30.31が>28と同じ根拠不明の言を繰り返す
日本のしんかい2000が潜れる限界は3300mしんかい6500は10050m(←法規上の耐圧深度)
日本は縮尺モデルにおいても13000mの水圧に耐えれることを実証
汎用品ではないこうした一品物(宇宙船・航空機・深海艇)での曲面仕上げ等の加工は日本のお家芸
>28.>30が決定的な勘違いを犯しているのは設計図云云では無く、現代中国には理論値に適う精密品を仕上げる技術力が
日・米・仏・露に匹敵するのかという現実を考慮していない点
自動車・鉄道においてすら他国のコピー品しか製造できない中国に、深海調査船という高度な工業力が要求されるものに対して
日本と中国が同列に語れるという根拠を何一つ示さず双方同じ安全係数であるとのみ主張している
日本だけ下駄を履かせていると言うが、(恐らく中核部は)露製(モンキー)の中国の深海調査船に日本の優位性は全くないという主張の方が俺には奇異に思える

35 :

へびあし(←何故か変換できない)
>29現状は潜水病を回避するために←コレ俺の勘違いorz
結局中国は7000mまで潜って何がしたいのだろうか、そういうのは無人調査艇の仕事だと思うが…
>31
>まあ消耗品なんだしだんだん弱くなってきてしまうものなんだから
知らない事は黙ってろ恥をかくだけだ
これいじょう無駄なレスを重ねるなら今後お前の書いた全てのレスに今回お前がやっているようなゴミレスを書いてやろうか?
無意味なレスに付き合わされる不愉快さが理解できないというのなら、お前が実感できるまで続けてやるよ

36 :
↑何を必死になってるんだコイツは。
シャカリキに頑張れと書いたのは俺だが、
コイツは努力の方向を完全に間違えている。

37 :
どっちもクズだぁぁぁ

38 :
探検に必要なのはハードウェアの性能じゃない。
たった400dかそこらのちっぽけな帆船で、
発見また発見の大航海を3度もやったキャプテン・クックを見習え。


39 :
>>38
あと、逆転の発想だよ。
それやったのがコロンブス。

40 :
そういえばさアマゾンとかの森林地帯って探検し尽くされてんの?

41 :
>>40
パウリスタ衆がさんざん遠征して先住民狩りしてたろ

42 :
>>40
つい最近も未開部族を発見したってニュースがあったから、
まだまだアマゾンにも未踏地帯はあるってことじゃね。
http://www.abc.net.au/news/stories/2008/05/30/2260586.htm?section=world

43 :
>>41
まあ彼らも案内者に頼って他部分はあるしちょっとくらいは
未踏の地があるのかな、と。
やっぱり衛星とかある現代じゃ全部探検し尽くされたのかな。
>>42
未開部族が踏破してそうな気もするけどw
まあ世間に認知されてない土地はまだ残ってればいいな。

44 :
Aシャクルトンの冒険談はおもしろかった

45 :
未踏地と南極で思い出したが、
まだ人類が誰も到達していない湖が地球上にある。
たぶん人類が火星に降り立つ時代になっても、
この湖の探検は手付かずじゃないかな。
ボストーク湖
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%B9%96

46 :
>>43
>やっぱり衛星とかある現代じゃ全部探検し尽くされたのかな。
人工衛星の時代になり、夜の地球が観測されるようになると
アマゾンやアフリカ、東南アジアの長らく人跡未踏と言われていた密林地帯に
無数の明かり(焚き火)が映し出されるようになったそうだ。
そもそも20世紀半ば、飛行機が飛来して初めて接触した部族も居るし。
イリアンジャジャの部族の老人は飛行機から人が降りてくるのを見るまでそれを「大きな鳥」だと思ってたそうだ。

47 :
サハラ砂漠のエミクーシ山とか登頂歴あるの?

48 :
>>45
驚くべき生態系があったりするのかもね。
興味ある。

49 :
>>45
手つかずと言うよりも、手がつけられないんだよね。
ボストーク湖の環境を汚染するのが怖いから。
だから、ボストーク湖の”湖面”に達する直前で
掘削を中止しているはず。
日本の”ドームふじ”での氷床ボーリングも、基盤岩の直前で
掘削を中止していると言う話。

50 :
ここひと月ほど、南極に関する本を読みあさっているんだが・・・
トイレの話と”ナニ”の話がほとんど出てこない事について。
特に”ナニ”に関しては、第1次隊の”ベンテンさん”の話と、
不肖宮嶋氏がダッチワイフを持ちこんだ話、ぐらいしかないんだよね。

51 :
ニュージーランドで新種のダチョウを発見 絶滅した巨鳥モアの近縁種か ただし大きさは成鳥で鶏程度★2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/news2/1285149441/

52 :
未来永劫人跡未踏であろう高山がある。
その名はカイラス。チベットにあり、標高6500mくらい。
全山が氷雪に覆われ、氷河を従え、頂上付近まで登ろうとすれば高山病に苦しむ
という山だ。しかし、それ以上に強力なシステムにより、難攻不落を誇る。
チベット仏教徒はこの山を世界の中心にある山と言う。
数年前登山計画を発表した連中がいたが、世界中から圧力を受けて、登山を行えるどころか
計画段階で登山は中止されてしまった。
未来永劫人類が絶頂を極めることは不可能であろう。

53 :
>>52
たしか5600か5800ぐらいまで 普通に行けるから
こっそり登った奴はいると思うんだけどな。
最近西チベットにガリ空港ができたからアクセス良くなったよ。

54 :
>>53
しかし、こっそり登ると
公に自慢できないんだよね。

55 :
>>54
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E5%B1%B1
wikiによるとミラレバという吟遊詩人が登った伝説はあるみたい。
ちなみに、あの山はチベットの聖山でチベット仏教徒の聖地であるだけでなく
チベット好きのバックパッカーの最終目標地。今年ガリ(アリ)空港ができるまでは
ラサからランドクルーザーをシェアして往復2週間ぐらいかかってたはず。
普通にいけるドルマラ峠の標高が5630メートルだから山頂まで1000メートルぐらい。
空気薄いけど、装備を整えれば単独でもなんとか行けそうな気がする。
確かに登っても自慢はできないどころか、バッシングがすごそう。
日本の恥とか言われそうだね。
聖山がらみの未踏峰はネパールのマチャプチャレが最高じゃないかな。
http://photofriend.jp/photo/choice/57749/1177396/
ポカラから見えて綺麗。切り立っててかっこいい。

56 :
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4101286213
江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚
探検じゃなくて漂流の話だが



57 :
漂流記は日本が世界に誇れる偉大な冒険談ではある。

58 :
子供の頃読んだ不思議本に
「オーストラリアの牧草地に、底無し沼が点在している!」ってネタがあったが
今思うと、カルスト台地を牧草地にしてるだけだな

59 :
オーストラリアは「内陸は湖」といわれて、
探検家はボートを持って奥地に入ったんだと。
結果は……全滅

60 :
オーストラリアなんて沙漠とか塩湖だらけだもんな
ディサポイントメント湖なんて名前つけるぐらいだし

61 :
中国人は西欧人の発見前から海鼠漁に訪れていたので
オーストラリアを知っていたそうです。

62 :
当時の中国人はオーストラリアを何と呼んでいたんですか?

63 :
インドとオーストラリアの交流もはるか昔からあったらしいね。
ヨーロッパ人は中国の南に「アジア大半島」があると想像していたが、
これはインドからおぼろげにオーストラリアの地理を聞いた証かもしれない。

64 :
>>62
南蛮

65 :
なるほど、すると南蛮人の本来の意味はアボリジニだったのですね。
ありがとうございました。

66 :
>>63
ないない。
>>65
南蛮の元々の範囲は華南〜ベトナムで、後には東南アジア。
現在のオーストラリアを別個の地域として認識していたわけではないから。

67 :
>南蛮の元々の範囲は華南〜ベトナムで、後には東南アジア。
黄河中原から見て朝貢国以外の南方諸民族はみんな纏めて南蛮人。
同じように北荻、西戎、東夷も朝貢国の外側を指す。
なのでアボリジニも南蛮人の範疇に入る。

68 :
四夷概念と実際にアボリジニをどう呼んでたかは天と地の差があるんだが。
大体中華圏の勢力化の雲南だって南蛮だし、長江以南の支配下にない非漢
族は山越と呼ばれてたし。東夷西戎北狄南蛮なんて、実際に使った具体的
な呼称じゃなくて、概念の話だ。
中国との中継貿易を行ってた東南アジアの商人やそれに加わっていた中国
人がアボリジニをどう呼んでいたかは記録からでないと分からない。
>>65
変な回答に影響されて南蛮人の意味がアボリジニなんて滅茶苦茶な解釈し
ないでくれ。

69 :
中華からみて夷(日本)戎(中東)狄(モンゴル)はある程度発展していたので
時代の経過によってあまり悪い印象で見なくなったが、南方に関して言えばまだまだ未発展段階にあり
未だに未発展段階の民族を蛮族とか野蛮人と呼ぶ蔑称として名残がある。
古代中国人から見た場合、農耕牧畜の有無や衣服の着用は文明の証として見做された。
その基準からみたらアボさん達は蛮族にカテゴライズされてしまうのだろうね。

70 :
蛮族にカテゴライズされるのと、アボリジニが南蛮と呼ばれていたなんて
妄想の返答と全く関係ない話だ。
だいたい南方が未発展だの古代中国だの、いつの話をしてるのやら。
東南アジアの人間がアボリジニと中国との海鼠の中継貿易を既に行ってい
いる時代で、しかもそれに中国人が絡んでくるのは、どう見積もっても中
国人が南海交易に積極的に乗り出す宋・元以降だし、海鼠の需要が増え
たのは明代だ。この時代の南方を未発展で片付けられるのがたいしたも
のだ。
アボリジニは当時でも蛮族にカテゴライズはされているだろうが、南蛮と
呼ばれていた根拠はゼロだ。何度も言うが概念的なおおざっぱな名称と
実際の呼び名が一致するわけじゃない。
実際に絡んでパオ氏がここで嫌われる理由がわかったわ。

71 :
>>70
宋元以降だろうと明以降だろうと漢民族の四夷に変わりは無い。
その上で、南方の非朝貢民を南蛮と踏まえること自体に何ら変わりは無い。
そもそもアボリジニが海鼠貿易に積極的に関わったという記録もないし
仮に中国人がオーストラリアの海岸でアボリジニに遭遇してもただの蛮族にしか見えないだろう。
その場合、蛮族と呼ばれていた根拠がゼロとか一切関係なく未開な時点ですべて蛮族なの。
それが四夷思想ってヤツですよ。
南の蛮族なので南蛮。それ以上でもそれ以下でもないの。
日本が中華の王朝に正式に朝貢するまで他の多数とひっくるめて単に東夷と呼ばれていたのと一緒。
頻繁に行くようになって倭とか固有名詞が生まれたけど、それも狭義の意味では蔑称だし。

72 :
結論。
「アボリジニが南蛮と呼ばれていた」は間違い。

73 :
結論
仮に遭遇していたら南蛮人と呼ばれただろうねって話。
だから間違てるワケじゃない。

74 :
>>71
>そもそもアボリジニが海鼠貿易に積極的に関わったという記録もないし
http://ja.travelnt.com/about-nt/key-facts/history.aspx
>マカサーンたちは何世紀もの間、アーネム・ランドのヨルング族などノーザン・テリトリーのアボリジニと交易を行い、
>そこで得た品物を中国南部の市場で売りさばいていました。
http://www.minpaku.ac.jp/research/sr/11691053-07.pdf
>ナマコは17〜18世紀にインドネシアの南部からオーストラリアにマカサーンと呼ばれる人々が遠征し、アーネムランドの
>アボリジニと一緒に干しナマコを製造していたことが知られている。
多分、ナマコ交易がいつ頃のものかも知らずに、中国人が関わっていたという話だけで、きちんと裏を取らないから古代中国云々
と言い出して墓穴掘ったんだろ。
なんども言ってるが、四夷というのは概念的な話で西南にいても蛮でも戎でもなくて、夷と呼ばれるのもいる。あと、清の時代に
なっても、西洋人を夷という呼称で呼んでいて、抗議を受けてもいる。中国だって名称と方角の関係を厳密に適用しているわけじゃない。
全くの勉強不足だ。
>日本が中華の王朝に正式に朝貢するまで他の多数とひっくるめて単に東夷と呼ばれていたのと一緒。頻繁に行くようになって倭とか固有名詞が生まれた
方角と名称をある程度合わせている史書でも、朝貢しようが倭は東夷伝に記載されてる。魏志倭人伝の正式名称も知らないのか。
>>73
>仮に遭遇していたら南蛮人と呼ばれただろうねって話。
それなら、偉そうに>>62で南蛮と断言した挙句に適当な講釈垂れてグダグダ抗弁するな。知らないことは恥でもなんでもないが、中国史の
知識もないくせに四夷思想の講釈を垂れりゃ無知を指摘されて当然だし、自分の話が否定されたら間違ってないと抗弁しつつ主張を変えるのは、
単なる卑怯者だ。

75 :
結論。
アボリジニが南蛮と呼ばれていたというのは、少なくともパオ氏の主張からは全く
根拠がない。もしそういう史料があっても、それは妄想だけが根拠のパオ氏の見識
でもなんでもなく、単なる偶然に過ぎない。
つまりはそういうこと。

76 :
同じコテハンなのに、何で山野と比べてこいつがウザいのか考えたら
こいつは「考察」じゃなくて「妄想」を挟み込むからなんだな

77 :
本来パオ氏みたいなのはスルーかおちょくるかがパターンなんだろうが、ほかっ
ておくと際限なく増長するからな。おちょくるとムキになるし。
俺はそういうのはきちんと論破しておかないと、曖昧な知識で組み立てたいい加
減な論を延々講釈されるだけだと思ってる。
中国商人や東南アジア商人のアボリジニとの交流は面白そうなんだけど、言い出
した人間がなあ。おまけに言いだしっぺのくせに都合が悪くなった途端に記録が
ないとか、否定的見解に転向しおった。
このへんは誰か東南アジア貿易史に詳しい人が解説してくれるとありがたいな。
南方大陸とかメガラニカとかオーストラリア発見以前の南半球に関する希望的予
測も面白そうだし。

78 :
>>74
>>61でもパオ兄が述べたように、海鼠交易自体は否定してまへんで〜。
ただアボさん達がどの程度、シナ人達と関わっていたかはシナの文献からは不明ですと
言いたかったんや。
その上で華夷思想とはなんぞやいう話題やがな。
>西洋人を夷という呼称で呼んでいて、抗議を受けてもいる。
>中国だって名称と方角の関係を厳密に適用しているわけじゃない。
そりゃ貴方、アメリカ大陸から太平洋を西に西に進んでシナに到達すれば
はるばる東の果てから来たように見えんがな。
だから「夷」やんか。
日本でもこっちから見て東の果てに存在するアメリカ合衆国に対して
「攘夷」やいうて狂気したやんか。
方角に関してはあながち間違えではおまへん。
>朝貢しようが倭は東夷伝に記載されてる。
>魏志倭人伝の正式名称も知らないのか。
それは朝鮮も含めた東夷を一纏めにした書だからです。
その中で倭の部分は倭人の条と言ってるだけ。
現代風に言えば「極東アジア伝・日本の条」。
そんなことも知らねーのかよ?
まだまだ尻が青いな。フフフ。

79 :
>>78
君、自分で言ってること恥かしくないか?専門板どころか本当に本気で中学生レベルだぞ。
>そりゃ貴方、アメリカ大陸から太平洋を西に西に進んでシナに到達すればはるばる東の果てから来たように見えんがな
だから無知なんだよ。太平洋航路なんぞ誰も使ってりゃせんし、当時の中国王朝だって西洋人がどこから来たくらい知ってるわ。
なんでポルトガルやイギリスの商人が太平洋から来るんだよ。
坤輿万国全図くらい高校で習うぞ。お前、西洋人と中国人との関わりの歴史も知らんのだな。
>日本でもこっちから見て東の果てに存在するアメリカ合衆国に対して「攘夷」やいうて狂気したやんか。

攘夷という言葉の語源も知らないのだな。尊皇攘夷というのは、春秋時代の「南方」の楚に対抗するためのスローガンの尊王攘夷
が語源で、幕末の攘夷志士たちが都合のいい言葉だと中国の史書からそのまま引っ張ってきたの。だから、中国だって方角と名称
を厳密に使ってないと何度も言っただろう?
>それは朝鮮も含めた東夷を一纏めにした書だからです。
君は倭と言われるまで東夷と言われていた、つまり朝貢して倭になったら東夷じゃなくなった、と言ってたんだよ。大体君の主張
は朝貢国の外が東夷西戎南蛮北狄と呼ばれていたということなんだがな。
>>67で「朝貢国以外の南方諸民族はみんな纏めて南蛮人。同じように北荻、西戎、東夷も朝貢国の外側を指す。」と自分で言って
るぞ。
俺は朝貢しても倭は東夷伝に入っていると言っていると、そうじゃないことを指摘してやっただけ。
俺の言ったことを丸ごと繰り返して自分の解説みたいに偉そうにいうのが卑怯者たる所以だ。「狄」の字も知らない恥かしいミス
を黙っててあげただけでもありがたいと思え。
こんな程度のこと、ちょっと歴史好きな中学生でも知ってるレベルの話ばかりだぞ。ほとんどまる一日かけてそんなレベルの反応
しかできないんじゃな。こんなレベルの自慢話で尻が青いなんて煽られても怒るどころか心配になる。

80 :
おまけだ。
大体、議論が進んでから根拠のない煽り文句を言うのは負けるのが怖くて、相
手を低いレベルだと罵ることで、相対的に自分を高く見せて自尊心を保とうと
する心理の表れだ。
俺は君の歴史知識レベルが客観的にみても相当低いことをきちんと論証してみ
せてるから、別にそんなことする必要もない。
中傷でも嫌味でもなく、小学校の高学年レベルでこれを自慢げにいったら、い
くらでも褒めてあげてもうちょっと教えてあげるが、世界史板でこんな初心者レ
ベルの論破と解説してやらなきゃいけなくなるとは、全く思わなかったわ。
もう探検の話とは関係なくなったから、続きをしたけりゃ中国史関係のスレに
でも移動してくれな。このスレの人に迷惑になるから。スレ移動してもちゃんと
相手してあげるから心配するな。

81 :
パオとは仲良くしようと思っていたが少し待ってみる。

82 :
俺も寝起きで半分寝ぼけて書いてるし、中国史のスペシャリストじゃないからな。
四夷概念とか蠻とか、もう少し掘り下げなきゃいけない余地があるのは自覚して
る。何しろ本来は周代から清の時代までの長い歴史全般の中での話なんだから。
色んな時代背景をかなり端折って大雑把に書いてるということは断っておく。

83 :
パオは釣りだから相手にすんなつーの。
しかも頭が悪いから煽りも下手。
相手にしてるほうもアホだぞ

84 :
歴史専門板で紛らわしい嘘を書いている時点で糾弾されて然るべき存在だな。

85 :
>>83
確かに分かる奴には丸分かりだけどな。
すぐに釣りだの煽りだのの一言で何も説明せんと、そのいい加減な話が歴史板のログとして残るだけだ。
おまけにそんなのばかりになれば、まともな話でもアンチによる説明なしでの釣り煽り呼ばわりの全否定まで許容されるということになるぞ。というか、なって
ないか?ただでさえおかしなのが湧きやすい板なんだし、ある程度はきちんと相手して変な説ははっきりさせておく必要はあると思うが。

86 :
ああ、俺がパオの相手してる68,70な。

87 :
>>79
>だから無知なんだよ。太平洋航路なんぞ誰も使ってりゃせんし、
>当時の中国王朝だって西洋人がどこから来たくらい知ってるわ。
>なんでポルトガルやイギリスの商人が太平洋から来るんだよ。
正確には東シナ海から上陸した。
つまり中国大陸から見て海岸線は東側に大きく拓けているので
海から来る異邦人は纏めて「夷」の呼称で呼んぶことに何ら間違いはない。
喜望峰経由〜マラッカ海峡経由だろうと、太平洋横断だろうと、
海外の貿易船は寧波や杭州に入るパターンが多い。
近代になってからも天津や旅順など大陸東側の港湾から異邦人は入ってきたので
「夷」の呼称はあながち間違いとは言えない。
>攘夷という言葉の語源も知らないのだな。尊皇攘夷というのは、
>春秋時代の「南方」の楚に対抗するためのスローガンの尊王攘夷が語源で、
>幕末の攘夷志士たちが都合のいい言葉だと中国の史書からそのまま引っ張ってきたの。
またまたそんな聞いたことも無い珍説を説くかな。
すまんが、出典を教えて下され。民明書房?
ま、百歩譲ってそうだったとして「楚」の国は中国大陸の南部ではなく東部だろ?
南部といえば広東や雲南の方だろ。
都合良く「楚は南方の国です」とか言い張るなよ。
華北から見たら南方でも中国の地図上ではどう見たって東部。
長江の河口は中国大陸の南方ではなく、東シナ海に向かって行くから東方なの。

88 :
>>79
>君は倭と言われるまで東夷と言われていた、つまり朝貢して倭になったら
>東夷じゃなくなった、と言ってたんだよ。大体君の主張は朝貢国の外が
>東夷西戎南蛮北狄と呼ばれていたということなんだがな。
そうだよ。
だが、冷静に考えてみなよ、東夷伝には朝貢国以外の記述も載ってるだろ。
たとえば邪馬台国に敵対した狗奴国とか、更に遠方のまだ中華文明に属していない国の記述も。
それらをひっくるめて東夷伝という書にまとめたのさ。
だから邪馬台国のこと指して東夷と言ってるワケではない。
その外側の国もまとめて記してるから東夷伝と言うのさ。
例えば、国連に属していなくてもアジアの国ならアジアの地理書に載せるだろ。それと一緒。
>「狄」の字も知らない恥かしいミスを黙っててあげただけでもありがたいと思え。
2ちゃんねるで偉そうに誤字を指摘されてもね…
それこそガキの揚げ足取りと言うもの。
>本当に本気で中学生レベルだぞ
中学生レベルとか言い出す時点で己の稚拙さを知るべきだ。
それこそ猿以下のレベルと言わざるを得ない、お粗末さだね。

89 :
>>82
>82 :68,70 :2010/10/05(火) 12:41:50 0
>俺も寝起きで半分寝ぼけて書いてるし
平日の昼過ぎまで寝てるのか?
無職?ニート?
他人のレスに食ってかかってる場合ではないだろう?
とにかくハロワに行きなさい。

90 :
このコテあたまわるすなぁ

91 :
うあ・・・本当にバカだ。
尊王攘夷という言葉くらいwikiでも引いてみろ。
当時の中国が西洋人がどこから来たのか知ってるのは説明したはずだが。杭州や
寧波に上陸したから夷ねえ。四夷概念を延々講釈したんだから四夷概念じゃ「来た
方向」じゃなくて、居住地で分けてることくらい知ってるはずだが。それなら広
州に来てた西洋人は南蛮にされるぞ?四夷思想すら理解できずに偉そうに言って
たこと自分で証明してるぞ。
>百歩譲ってそうだったとして「楚」の国は中国大陸の南部ではなく東部だろ?
お前、正気で言ってるのか?だったら中学生の歴史マニアのレベルにすら達して
ないぞ。もの凄く馬鹿馬鹿しいが、当時の中華世界は華北で長江中流域の流域の
楚は南方だ。南東の下流域の呉や越が楚の版図に入ったのはその後だ。広東や雲
南なんざ、春秋時代の中国の視野にも入ってないぞ。
>それらをひっくるめて東夷伝という書にまとめたのさ。
あ〜 ひっくるめて言ってる時点で東夷のカテゴリに入れられてるんだが。
例えば新唐書じゃ突厥や回鶻は北狄伝には入れられてない。北狄とは別に
カテゴライズされてるが、日本は新羅や百済と一緒に東夷伝に入れられて、
つまり、東夷にカテゴライズされてるの。
あと、俺が書き込んでるタイムスタンプよく見とけ。なんで寝起きなのか
分かるからw
もう、お前さんの抗弁がどう見られてるかだけの問題になってるな。今ま
での反応に好意的なのが一個でもあったかw
いくらでも無知を指摘できるが、時間ないからこれで切り上げとくな。

92 :
これ以上スレチになった話に付き合いたくないので、少し冷静にまとめておく。
パオが絶対視する四夷概念というのは正直、思い浮かぶ限りこのイメージ図しかない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tianxia_ja.svg
見れば分かるがあくまで概念であって、全中国史に絶対的に適用できるものじゃない。
外国船が寧波や杭州から入ってきたというのも、俺は>>74で清の時代だと指摘してい
るし、清代は西洋人(夷商)の貿易窓口は南の広州しかなかった。これは受験世界史で阿片戦争の
絡みで覚えておいたほうが良いポイントだし、詳説クラスなら載ってることだろう。
天津だの旅順だの、阿片戦争以降の話は勿論論外で夷という呼称はそれ以前のもの。
それと楚を東だというのは何を根拠にしたのかわからない。これは本当に高校の資料集の地図レベル
の話だから強いて言うなら、楚漢戦争時の項羽の領土を勘違いしたか、春秋時代の中華の領域と今の
中華人民共和国の領土をごたまぜにしてるとしか思い浮かばない。
以上、すくなくともパオは中国史に関しては高校世界史のレベルでもないし、中国史の入門書や概説書
すらまともに読んでない。もし読んでいても、それは理解できそうな文字列だけが頭に入っていて、理
解できない所は自分の脳内妄想で補完している。だからこうやってやり合うと、どんどん妄想補完が進
む上に知識が追いつかなくなるから、言ってることのレベルがどんどん低くなる。
これは一応中国史に限ったことだから、イスラムやヨーロッパ、中央アジア史のパオの知識レベルは知
らない。
アボリジニと中国人の関係は珍しくヒットだったが、裏も取ってない所を見ると自分も理解できてない
聞きかじりの話が、下手な鉄砲を数打って当たっただけだと断定せざるを得ない。

93 :
あと、俺はパオがニートだろうが引きこもりだろうが中卒だろうが、きちんとした歴史知識と考察をす
るなら敬意を払うし、この流れのように適当なことばかり垂れ流すなら社長だろうが大学教授だろうが
中学生レベルと言う事にためらいはない。ここじゃ言ってることが全てだからな。
>>80の言葉を再掲しておく。
「議論が進んでから根拠のない煽り文句を言うのは負けるのが怖くて、相手を低い
レベルだと罵ることで、相対的に自分を高く見せて自尊心を保とうとする心理の表れだ」
ここのスレじゃ俺はここまでにする。パオが勝利宣言してもこれだけ無知を晒したら虚
しい自己満足に過ぎないし、勝ち負けなんざ、読んでる人間がするものだからな。
まあ、パオの相手する奴がバカだというのもその通りだと思ってるしな。
パオがこれ以上やりたいのならどこか適当な過疎スレにでも移動してくれ。まあ、パオ
が変なこと言いふらさないようにパオ専用誘導スレでもあったほうがいいかなとくらい、
思ってるが。
このスレの人たちには元がアボリジニの話だったとはいえ、関係ない応酬をしたことを
謝罪しておく。

94 :
「発見」の定義ってなんだろうか。
新大陸発見→先住民がいた
間宮海峡発見→アイヌなどは知っていた

95 :
記録したかどうかです

96 :
>>91
>うあ・・・本当にバカだ。
この一言で単なる他者を貶めるだけの鬱憤晴らしレスになってますね。
かなり博識で素晴らしい方の筈のに、この一言で貴方は自分自身を詰まらない小者に貶めてる。
自分の意見を聞き入れない他者を「こいつバカ」の一言で片付けてしまう残念な人になってます。
>尊王攘夷という言葉くらいwikiでも引いてみろ。
そして出典を求めると「wiki」。
グーグルで検索して最初にヒットするwikiで知っただけの事を公言してしまってる。
そもそも誰でも自由に編集可能なモノを引き合いに出して「これが証拠だ」と言われても
何ら説得力の欠片も無いです。
じゃあ仮にパオ兄が趣くままにwikiを編集したら、それは歴史の真実として認めるのですか?
「だって、ほらwikiに書いてるじゃん」で納得してくれますかね?
>広東や雲南なんざ、春秋時代の中国の視野にも入ってないぞ。
これまたwiki知識でしょうか?
春秋時代の国でなければ漢民族の視野に居なかったのでしょうか?
その外には誰も住んでいない未開の荒野が広がっていたとでも漢民族は考ていたのでしょうか?
交流があまり無いにしても異民族の地であることは知っていたでしょうし、
それを指してた思想こそ華夷思想でしょう。
四夷の範囲は漢民族の膨張に従って時代を経ると徐々に外側へ広がっていっただけなのです。
日本の飛鳥時代も同様に勢力圏外に蝦夷や熊襲など異民族が居る事を知っていましたし
だからこそ自分たちの文化水準の高さを再認識できたのです。

97 :
>>92
>思い浮かぶ限りこのイメージ図しかない。
はい、これもwikiからの引用ですね。
自分で書籍を読んで研鑚するということが無い人なのでしょうか?
どちらにしろ、こんな図は誰でも自由に作れてアップロードできます。
こんなものを出されてさも説得力有り気に書かれても滑稽なだけです。
>外国船が寧波や杭州から入ってきたというのも、俺は>>74で清の時代だと指摘しているし
>清代は西洋人(夷商)の貿易窓口は南の広州しかなかった。
華夷思想は清代以前からありましたし、清代以前にも外国船は来航してたし、
泉州、揚州、福州、杭州、劉家港など東部沿岸の港湾が外国船の主な寄港先になっていました。
何故なら当時の内陸部にあった都市に大運河を使って物資を輸送するためです。
広州で積荷を降ろすよりも上記港湾で下ろした方が利便性が良かったのです。
>天津だの旅順だの、阿片戦争以降の話は勿論論外で夷という呼称はそれ以前のもの。
そのとおりです。
それ以前は上記の東部沿岸の港湾都市が利用され、近代以降は引き続き北京に近い東部の港湾である
天津や旅順が多用されただけのことです。
広州からわざわざ上がって来るのは大変ですからね。
ただ、広州に西洋人がわざわざ立ち寄る理由はマカオなど西洋人の拠点が有ったからです。

98 :
ああ、尊王攘夷のほう、忘れてたわ
俺が持ってる奴入門書じゃ教養文庫「世界の歴史3 東洋の古典文明」な。春秋時代の
尊王攘夷と幕末の尊皇攘夷とは偶然の一致というなよ。
後、とりあえずは漢書刑法志に斉の桓公の業績として「外攘夷狄,內尊天子,以安諸夏」と
あるし、春秋公羊傳注疏に「齊桓先朝天子晉文先討夷狄者晉文之時楚與爭〜」と注されてる。
斉の桓公や晋の文公の時代はこれが覇者の役目だったということ。
字が違うから関係ないと言ったら、それは単に意味が汲み取れないというだけの話な。
あと、俺は西洋人が夷と呼ばれていたという例は清の時代の話を引用して、清の時代
は貿易はは広州しか許されなかった、と説明してるのに、なんで他の時代の話を自慢
げにするのかねえ。読解力がないからバカだと言ったんだよ。
本気でこれで終わる。パオにも言っておくが、これ以上やりたいなら、余所の板に
言ってくれ。
重ね重ねこのスレの人にはスマン。

99 :
>>85
330 名前:パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. [] 投稿日:2010/10/01(金) 02:58:07 0
シュークリームの発祥についていえば、
古代中国の「周」王朝が起源という説がある。
周で考案された薄皮の菓子を北方の遊牧民族がクリームを入れた物に
中東でインド由来の砂糖を使ったのが今日にシュークリームという説。
またもう一つの説として、清朝後期に「周」という名前の洋菓子職人が
欧州に菓子修行に行った際に中華伝統の油条からヒントを得た薄皮の生地にクリームを注入した菓子を
考案したという説もある。
いずれも「周クリーム」が語源であるようだ。
自分が学生時代にバイトした洋菓子店のパテシエから実際に聞いた話。

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