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2013年02月三国志・戦国391: 三国時代の文学スレッド (234)
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三国時代の文学スレッド
- 1 :2011/12/12 〜 最終レス :2013/01/28
- | 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚) ∧ ∧ ∧ ∧ .∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` ) . (´ー` ) (゚∀゚ *) (´<_,` ) (´∀` ) (・∀・ ) (‘∀‘ )
 ̄ //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
.\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 驕@ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
./ ◆< ./..◆ < ./..◆< ./ ◆< /..◆< ../..◆< ./ ◆<
/ '´ ヽ).../ '´ ヽ...)../ '´ .ヽ. .((操)))/ '´ヽ..) ./ '´ヽ..)/ '´ヽ )
∠/ ノノ∠/ ∧ ∧/ . ノノ (・∀・)っ ∧ ∧ .ノノ .ノノ
(; ゚Д゚) 。・゚・⌒) (つ /. . (゚∀゚,, )
/ 丕 o━ヽニニフ )) | (⌒) 〔~植∪ ̄〕=
しー-J 彡 _ し⌒^ ◎――◎=
後漢末期の建安年間とその前後には、唐代以前の詩聖・曹植や
曹操・曹丕・曹叡など曹家の偉大な詩人たち、建安の七子などが
たくさんの優れた文学作品を残し、中国文学を著しく発展させました。
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、
それらの漢文の重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文芸の題材にも、
三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、
真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。
三曹でも西晋でも蘇東坡でも土井晩翠でもなんでもおkかとミ ・∀・ ミ
まとめサイト
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
- 2 :
- 関連スレ
鄄城文学サロン
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1204710457/
- 3 :
- 最近、岩波の曹植の詩集を読み返してます。
帰宅途中や部屋の窓から外を見てると、冬は東京でも月や星が綺麗だなーなんて思うんですが
「明月澄清景 列宿正参差」
の詩句を思い出してしまいます。
曹植はもっと綺麗な夜空を見てたんでしょうけどね。
でも、冷たい澄んだ空に浮かぶ月や星って本当に綺麗ですよね。
それで、また読んでみるかって感じで。
やっぱり良いなと思って、語る場を作ってみました。
解説などはできませんが、気ままに紹介していこうと思います。
- 4 :
- 懐かしいスレタイが復活してるな
- 5 :
- >>4
実は私は、昔あった文学スレにはリアルタイムでは参加できなかったんです。
まとめサイトを読んでると、勉強にもなるし、良い気分転換にもなるし、
参加できなかったのが残念です。
中国文学もほとんど知らないし、いくつか詩を流し読みして「いいなあ」と思うぐらいだったので、
ここではもっと深く味わって楽しみながら勉強もできたらいいなと思ってます。
ちょっとこれから書いてみます。
- 6 :
- 時代は違いますが、たしか大正天皇が諸葛亮の詩を詠まれてますよね。
- 7 :
- 「明月澄清景 列宿正参差」
曹植の公讌詩の一節です。
公讌詩
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_chi/koen.html
最初に読んだときから、詩内の他の句や、他の詩を差し置いて一番印象に残っている部分なんです。
曹植の文と聞いたらまずここが浮かびます。
もしかしたら、詳しい人に言わせたら「ここはそんなに重要じゃないよ」となってしまうかもしれませんが、
なぜだか惹かれるんです。
きっと、冷たく澄んだ空に浮かぶ月や星が好きで、この詩のこの一節がそういうのを連想させるからだと思います。
詩で詠まれてるのが初秋のことだっていうのはわかります。
でも、どうしたってこれで連想するのは冬の月星です。
どうしてか、考えてみました。
曹植の公讌詩は、宴の日の流動的な光景を見事に文字で描ききっています。
静止した風景じゃなく、動画を描く感じです。
それなのに煩雑じゃなくて、すっきりした言葉で描いています。
同じ場面で詠まれたらしい、曹丕の「芙蓉池作」の宇宙の描写が印象派で、
光の美しさを創作を交えて描いているのに比べると、かなり写実的に描いています。
写実的で、すっきりとしている。
その端正さが、冬の夜空を連想させたのかな、と思います。
曹植はどんな気持ちでこの詩を作ったんでしょう。
この詩、軽く読み流すとあっという間に終わってしまいます。そして、簡潔だなあと感じてしまいます。
上に書いたように、流動的な光景をすっきり表現してるからです。
(でも、詩句から情景を想像すると、あっという間に軽疾な馬車が並んで飛ばしてるのが浮かぶからさすがですね。)
これって、感情を迸らせて書いたらこういう詩にはならないと思います。
かなり冷静に、計算して書いてると思います。
曹植は、もちろん曹丕と兄弟仲良かっただろうし(詩を兄弟で唱和してるのなんかも、いいですよね)、
宴を楽しんでいたと思うけど、この詩を作るときには、醒めた頭で、宴の熱気に流されず、
孤独な局外者、観察者になっていたんじゃないでしょうか。
現実の宴の場は、沢山の人で賑わっていた。
でもこの詩は、楽しい賑わいと、孤独な曹植の世界の、二重世界になっているように見えます。
そして、後者として世界を浮かべたとき、私は、その光景を前者の何百倍も美しいと感じてしまいます。
- 8 :
- 私は、秋の夜空よりも冬の夜空の方が好きです。
冬の夜は、音が全部夜の闇に吸い込まれてしまったように、背筋がぞっとする程静かですよね。
張り詰めた空気は清澄で。
その中にいて、ひんやりした白い月光や綺麗な星を見ていると、
宇宙と自分の間に何も隔てるものがなくて、心の中を直に照らされてるような気持ちになります。
秋の月は、それに比べると弱いなと思ってしまうんです。
東京でなければ、もっと綺麗なのかもしれません。
それとも、私の感性の問題かもしれませんが。
月や星を楽しむにも色々なやり方があります。
みんなで集まって楽しむこともできるし、孤独に楽しむこともできます。
個人的には、宇宙を心が吸い込まれそうな程美しいと感じるのは、一人でいるときです。
公讌詩の情景を、孤独な曹植の世界として見ると、月や星だけじゃなくて、馬車が並んで駆ける様子も、
林立する鮮やかな蓋いも、坂を覆う蘭も、池に浮かぶ蓮の朱も、魚の立てる波も、澄んだ夜に響く鳥の声も、
車に絡んで足を速める風も、どれも背筋がぞっとするような、非現実的な美しさを帯びると感じるんです。
ほのぼのとした幸せな美しさではなく、心を抉るほど強烈な美です。
虚構の美だから、冬の月星の下に、秋の花が咲き誇ることができます。
それも、冬の月星と同じ性格を持って。
でも、そういうことができるから言葉の世界っておもしろいと思います。
確かに、公讌詩は宴会の盛大さ・楽しさや、主催者の威徳を褒めるためのものです。
でも、曹植の使った詩句は、その枠に収まらない情景を想像させてくれます。
「飄颻放志意 千秋長若斯」
(私はゆらゆらと天にものぼる心地がし、心の馳せ行くがままに任せる。
ああいついつまでも、このようでありたいものだ。)
これを素直に解釈すれば、「兄上の宴は本当に楽しい。良い日に、景色も綺麗で、気の合った仲間達と、楽しいことをして、
こんなに幸せなことはない。このまま時間が止まって、いつまでもこの日が続けばいいのに」
です。
でも、私が感じたように読むと、現実よりも美しい言葉の世界を創り上げた曹植が、
自分の言葉の世界の中で自由に解き放たれ、歓喜の叫びを上げている姿が浮かんできます。
- 9 :
- >>7-8は、建安文学や漢文学に詳しい人が見たら、つっこみ所がありすぎると思います。
詩句を見て抱いた素直な印象で、推し量っているだけだし、
あまりに自分の好みに引き付けて詩を読んでいるのは自覚しています。
つっこみはお待ちしてます。
でも、詩の読み方って一つじゃないと思うんです。
たとえ、それが古代中国人が彼らの文化の中で詠んだ詩であれ、
現代人がそれを読んで、彼らの考えもしなかった解釈をして美しいと思ってもいいと思うんです。
- 10 :
- 孔融 六言詩
漢家中葉道微 漢家中葉にして道微(くら)し
董卓作亂乘衰 董卓衰えに乗じ乱を作る
僭上虐下專威 上を僭(なぞ)らい下を虐げ威専らとす
萬官惶布莫違 万官違い莫く布を惶れ
百姓慘慘心悲 百姓惨惨心悲し
漢王朝も代を重ねるとその繁栄に陰りが差して来た
董卓はその衰えに乗じて乱を起した
皇帝陛下に対しては僭越な行いをし下々の者を虐げて権力を欲しいままにする
朝廷の人間で呂布を恐れないものはなく
天下万民が無惨な有様となり心に悲しみを感じないものはいない
漢王朝は衰えた!なんていう言葉の入った詩を
献帝の前で堂々と発表しちゃうのだから孔融は凄い
- 11 :
- >>6
ええ!
これですよね。
出師表(大正天皇御製詩集より)
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/others/emperor_taisyo.html
今日、まとめサイトを読んでてちょうど読んでた詩です。
大正天皇は、日本史で好きな人物の一人です。
好きになったきっかけは、下のFLASHです。
たくさんの人に見てほしいと思います。
絶対に、人口に膾炙したイメージが変わると思います。
http://www.geocities.jp/flash_okiba3/flash/taishou.html
孔明の七言絶句、まとめサイトによると大正五年の作だそうなので、
第一次世界大戦の最中ですよね。
それも題材に関係してるのかな。
二音、二音、三音の音のまとまりも、「謀・表」「劉・秋」の押韻も、綺麗です。
内容も、日本人の孔明好みのツボがよくまとまってますよね。
ただ、それだけにこの詩からは天皇の人柄はあまり見えてこないかな、と感じました。
例えばこの詩を、他の日本人の有名な漢詩人の詩だと言われても納得してしまうと思うんです。
ちょっと他の大正天皇の詩をぐぐって見てみたんですけど、
他のの方が、優しくて繊細な性格が伝わってきました。
- 12 :
- >>10
漢王朝は衰えた、と言ってしまうのもすごいけど、「董卓」「布」と実名を明らかに書いてるのもすごいですね。
孔融がこれを朗唱した時、献帝とか重臣とか、恐ろしい董卓や呂布の名前にビクッとしたりしなかったのかな。
惨い事をした人物の実名が呼ばれるって、そういうことだと思うんです。
名前が出ただけで、事跡も蘇る。
まして実際に体験した人はなおさらでしょう。
この詩が優れてる理由には、それもあると思います。
(そういえば、悪人の名前を呼ぶか呼ばないかって、洋の東西で真逆だったりします。
東洋では本名を遠慮なく書く、呼ぶ。西洋では、決して呼ばないようにする。)
孔融の人柄は、この詩からよくわかります。
本当に剛直で大胆不敵。
時事問題を過去の歴史上の出来事に仮託するのは漢詩でよくありますけど、
孔融ははっきり今の時代を詩に詠んでる。
建安文学を気骨、慷慨の文学というなら、この孔融の詩はまさにだと思います。
それに、詩に詠まれるべきは政事なんだっていう信念も見えますね。
彼の世代は、まさに乱世のまっただ中で、魏の母体ができあがってから詠まれた詩とは雰囲気が全然違う。
六言っていうのも特徴的。
漢字の音として、四音が一番安定するらしいです。
五言詩、七言詩は、わざとそのバランスを崩してテンポを良くしたんですよね。
でもこの内容だと、偶数音の方が合ってると思います。
- 13 :
- 同じ気骨、慷慨の詩でも、
三曹や若い世代の七子の意識には新しい魏があって、孔融の意識には滅んでいく漢があった。
だから両者の作風には隔たりがあるし、漢が魏に滅ぼされたように、孔融は曹操に駆逐されてしまったんでしょうか。
外科医の摘出手術みたいです。
曹操の集団の中で、孔融は異物と見なされてしまったと。
でも、魏のエネルギーの最盛期が王朝成立前っていうのが皮肉ですよね。
帝国になった魏は、頽廃が進んで文学も違った色を帯びてきます。
- 14 :
- ちょっと、孔融がこの詩を発表したときの場面を想像してみました。
確かに>>10の通り、初句で万座に衝撃が走りそう。漢室の衰えは誰もが感じていたと思います。
でも、誰もが思ってるだけで口にしないことを、口に出すのってすごいことですよね。
その後に続けて「董卓」「呂布」の実名。
献帝も朝臣も、董卓に蔑ろにされてた頃を思い出して苦い過去を噛み締める。
そして極めつけに「天下の万民は……」
孔融は、この詩で檄を飛ばしたんですね。みんなが現実を直視して世の中の平定に力を尽くすように。
間違っても、蒼天航路みたいににんまり得意げにポーズを決めて読んではいない。
漢が滅びそうだからこそ、孔融の詩は人の心に響いたんだろうし、
漢が滅びそうだからこそ、孔融自身も死ななきゃいけなかったんだろうなあ。
- 15 :
- 七子に選ばれてない呉質ってかわいそう
- 16 :
- こんばんは。
>>15
呉質、私も気に入ってる人物なんです。
初めて名前を知ったのは、まだ三国時代の文学に興味が無かった頃。
曹真の事を調べていて、呉質に体型をからかわれたのを見つけたときでした。
えー、曹真って太ってたんだー、かっこいいのに意外だ!と思う一方で、
この呉質っていうのもつまらないことするなあって思ったことがあります。
呉質が好きになったのは、文学に興味を持つようになって
曹丕の「魏文帝与朝歌令呉質書」「魏文帝与呉質書」を読んだときなんです。
曹丕は呉質には自分の弱いところも見せられるんだなあって。
本当に親友だったんでしょうね。
昔は、人とコンタクトを取るのが今よりずっと大変だったと思うんです。
今だったらメールで一瞬だけど、曹丕は遠く離れた場所にいる呉質に、人の手で手紙を書いて送った。
「会いたい、会えない」っていうのも、現代よりずっと強かったでしょう。
建安含め魏晋南北朝の詩で「この楽しみは得がたいものだ」って言葉がよく出てきますけど、
本当にそうだったんでしょう。
だから書く手紙にも特別な思いを込めるんでしょうね。
ところで、曹丕の手紙以外で意外なところで呉質の名前を見て、笑っちゃったことがあるんです。
不意を打たれたというか。
ちょっと、紹介してみます。
- 17 :
- 李賀 李憑箜篌引
呉糸蜀桐張高秋
空白凝雲頽不流
江娥啼竹素女愁
李憑中国弾箜篌
崑山玉碎鳳凰叫
芙蓉露泣香蘭笑
十二門前融冷光
二十三糸動紫皇
女媧錬石補天処
石破天驚逗秋雨
夢入神山教神嫗
老魚跳波痩蛟舞
呉質不眠倚桂樹
露脚斜飛湿寒兎
書き下し文
呉糸蜀桐 高秋に張り
空は白く 雲を凝らし 頽(くず)れて流れず
江娥 竹に啼き 素女 愁う
李憑 中国に 箜篌を弾ず
崑山 玉砕けて 鳳凰叫び
芙蓉 露泣いて 香蘭笑う
十二門前 冷光を融かし
二十三糸 紫皇を動かす
女媧 石を錬って 天を補う処
石は破れ 天は驚き 秋雨を逗(も)らす
夢に神山に入って 神嫗に教うれば
老魚 波に跳(おど)り 痩蛟 舞えり
呉質眠らずして 桂樹に倚(よ)り
露脚 斜めに飛び 寒兎を湿(うる)おす
- 18 :
- 中唐の詩人、李賀の詩に呉質の名前が見えます。
どうやら「呉剛」の間違いらしいのですが。
呉剛は、唐代の説話集「西陽雑俎」に、次のような話が残っています。
「月には高さ五百丈ものもくせいの木があり、一人のひとがいて、常にそれを切っているが、
すぐにその切り口がふさがってしまう。
その人の性は呉、名は剛。仙人の修行の途中で過ちを犯し、月に追放されて木を切り続ける罰を受けたのだ。」
でも、呉剛の間違いだったとしても、他の呉じゃなくて呉質に間違えられたのって
運命じゃないの?とか思ってました。
この詩に出てくる李憑は、玄宗皇帝お抱えの立て琴の名人らしいです。
ちょっと、現代語訳を書いてみます。
呉の絹糸と、蜀の桐とからなる素晴らしい立て琴。たけなわの秋、その弦が張られれば、
空は灰色。雲が息を凝らし、くずれかけたまま動かない。
湘江の女神たちは竹の上に涙を流し、琴の名手・素女は烈しく感動する。
李憑が世界の中央で、立て琴をひき始めたのだ。
崑崙山に玉が砕け、鳳凰が叫んだのか、蓮の花がこぼれ、香り高い蘭の花がほほえんだのか──と思わせて立て琴は響き、
首都・長安の十二の城門のあたりで冷たい日差しを和らげ、二十三本の弦は天帝の心を揺り動かす。
人類創造の女神が五色の煉瓦を作って天を修繕するところへ、立て琴が鳴れば煉瓦は割れ天が驚き、秋の雨をこぼす。
かれが夢の中で神々の住む山に入り、老いたる神女に立て琴を教えたとき、年を経た魚が波間に踊り、
骨張った竜は舞った。
月の世界の呉質までが音色に聞き惚れて眠りもせず、もくせいの木によりかかり、夜露が斜めに飛び散って、
寒々とした月光を濡らしている。
- 19 :
- すさまじい詩ですよね。
李憑の演奏が、天地や、宇宙や、神々の世界まで揺り動かす。
地が揺れ動くのがどんなことか、日本人は、阪神大震災や今度の震災を目の当たりにして
知っています。
この詩の情景は、それよりもすさまじい鳴動です。
この詩の世界は、どんな映像でも再現できないと思います。
現実に、これほどの力を持った音楽はないと思います。
これは、言葉の世界だからこそできることです。
李賀の詩には、パワーがあります。
二十七歳で死んだ、痩せこけて白髪が混じった頭の男の中には
計り知れない鬱屈と爆発する力があったんだと思います。
幻想的、非現実的な、すさまじい言葉の世界を創り出すことで、李賀以上の漢詩人は見たことがありません。
>>7-8で書いたようなことを、李賀は素でやっていたと思います。
で、この詩の最後から数えて二句目に呉質がいるわけですけど。
呉剛だというなら、他の神話世界の言葉と並んでスケールの大きさを感じるだけなんですけど、
呉質が一人ぽっと混じってるとなると、おもしろさを感じますよね。
神話に呉質が混じってるんですよ。
「これは間違いだ」と言っちゃうのは簡単ですけど、建安文学好きには垂涎もののシチュエーションじゃないでしょうか。
呉質さん、何してるんだろう。
生前あくどいことをやった罪で、木を切り続ける罰を与えられたのかな。
それとも、女神・嫦娥のために月で詩を作っているのかな。
ちょっと気取って、腕なんか組みながらもくせいの木に寄りかかって、目を閉じて演奏に酔いしれてる
呉質の姿が目に浮かんで、なんだか良いです。
- 20 :
- 文学など糞!
文章は傾向の怠業というのを知らんか?
- 21 :
- 孔融 六言詩
郭李分爭為非 郭李は爭い分かち非(あ)しきを為し
遷都長安思歸 都を長安に遷して帰ることを思う
瞻望關東可哀 関東を瞻望すれば哀しくなるばかり
夢想曹公歸來 夢に想う曹公は帰来し
從洛到許巍巍 洛に従い巍巍(ぎぎ)たる許に至る
郭と李カクは権力を巡って決別してお互いに悪事を働いている
長安に遷都した後も(洛陽に)帰りたくてしょうがない
関東(の諸侯)を見れば(私利私欲の輩ばかりで)悲しくなるだけで
夢にまで見ていた曹操がやって来て
洛水の流れに沿って行くと大いなる都許昌に辿り着くことができた
曹公憂國無私 曹公は無私にして国を憂い
減去廚膳甘肥 廚膳より甘肥を減去す
群僚率從祁祁 率従する群僚は祁祁(きき)なりて
雖得俸祿常飢 俸禄を得ると雖も常に飢える
念我苦寒心悲 我が苦寒を念えば心悲し
曹操は無私で国を憂いており
自分の食事は甘いものや贅沢なものを全てなくして倹約していた
(そんな曹操だから)付き従う人も多いのだが
俸禄が出たとしても(曹操が倹約しても足りず)常に飢えるようなことになってしまっている
私に甲斐性がないばかりに悔しくて悲しくなって来た
>>10の続き
実は孔融の読んだ六言詩の主観視点は献帝だったのである
ヤバイ、皇帝を主人公にした歌とかマジ不遜
そして曹操のヒーローっぷりがハンパない
何でこれで孔融処刑しちまうんだ?ってくらい美化してる
そしてオチが酷い、時代劇のおとっつぁんになってる
- 22 :
- こんばんは。
>>21
すごい、>>10の詩には続きがあったんだ!
勉強になって嬉しい。スレ立ててよかったです。
ありがとうございます。
ちょっと思ったんですけど、献帝、「朕の気持ちがお前にわかるのか?」って内心面白くなかったんじゃないかな。
本当は許に行きたくなかっただろうし。曹操には憤懣やるかた無かっただろうし。
最後の「念我苦寒心悲」だけが別の意味で正しくて。
もちろんそんな事公言できないから、褒めるんだろうけど、それだと余計ストレスが溜まるだろうなあ。
こういう、ナチュラルに人の神経を逆撫でするような所が、曹操に処刑された原因だったりして。
孔融って、曹操に難癖つけてるだけだと思ってたんですよ。それもメチャクチャ上手な文章で。
だけど、こうやって一方では持ち上げ、一方では難癖つけてだと、曹操も「どっちなんだよ!」って
余計心証を悪くしちゃったりして……。
それからもう一つ感じたことは、孔融の詩って感情表現が直球ストレートですよね。
「悲」「哀」「苦寒」って、感情を表す言葉を直接使ってます。
曹植が吁嗟篇でこれでもかと比喩を使って悲しみを伝えてるのとは、
対照的に見えます。
- 23 :
- 「漢王朝は衰微した!」とか、悪人の名前を直接書いたりとか、皇帝になりかわって詩を書くとか、
詩中の感情表現だとか、それぞれの特徴を見ると孔融ってどこまでも素直な人だったんだなって感じます。
まとめサイトに載ってた文章と、それについての書き込みも見ましたが、
なんか思ってた以上に、とてつもなく面白い人に思えてきました。
- 24 :
- 後漢書と三国志では同じ正史でも孔融の扱いが大分違う
前者の孔融は後漢末の忠臣であり、王朝を護持しようと曹操に抗い、そして死ぬ孔家の英雄扱いだし
後者の孔融は魏初において虚名のみを恃みに、受命の君である曹操を邪魔する孔家の恥さらし扱い
>>1氏の史観はどうも三国志の魏側の視点ばかりから孔融を見ているように思えるのだが
ちょっと発言や詩作はロックだけども、彼は後漢朝廷と皇帝からは結構好かれてるからね
献帝なんかは相談事を持ちかけたりしてて不仲と考える根拠の方が薄弱かと思う
- 25 :
- 王粲 七哀詩 其二
荊蠻非我郷 何為久滯R 荊蛮は我が郷に非ず 何為れぞ久しく滞Rす
方舟溯大江 日暮愁我心 舟を方べ大江を溯れば 日暮れて我が心愁う
山崗有餘暎 巖阿搶d陰 山岡に餘暎有りて 巌阿に陰の重なりを増す
狐狸馳赴穴 飛鳥翔故林 狐狸は馳しり穴に赴き 飛鳥は故の林に翔ける
流波激清響 猴猿臨岸吟 流波は激しく清響し 猴猿は岸に臨みて吟ず
迅風拂裳袂 白露霑衣衿 迅風は裳袂を払い 白露は衣襟を霑す
獨夜不能寐 攝衣起撫琴 独り夜に寐ること能わず 衣を摂りて起き琴を撫でる
絲桐感人情 為我發悲音 絲桐は人情を感じ 我が為に悲音を発す
羈旅無終極 憂思壯難任 覊旅に終極無く 壮んなる憂思に任り難し
荊州と言う田舎は私の故郷ではない(中原生まれ長安育ち)
それなのに何故こんなところで無駄に時間を過ごしてしまっているのか……orz
船を並べて大きな江(襄陽辺りなので恐らく漢水か)を遡れば
自分が老いていくだけで(日暮途遠:年老いるが道半ば 史記)憂鬱になる
山々にあるのは太陽の残光があるだけで(私の人生の光もこんなものだ)
川岸や崖も陰が濃くなっていく(私の人生もこんな陰ばかりだ)
(もう遅い時間なので)狐や狸ですら穴倉に走って帰るし
飛ぶ鳥も巣のある林へと急いで帰ってる(にも関わらず私は帰れない)
激流の音は綺麗だなぁ(現実逃避)、猿達が岸に向かって鳴き声上げてるのも聞こえるわぁ(田舎過ぎだろ!)
吹き荒ぶ風が服の袂を揺らし、夜露によって服はびっちょり(旅とかマジ辛い)
夜は(寂しくて)一人で寝るに寝られず、寝巻きから着替えて琴をかき鳴らす
琴は私の心が分かってるから、私の為に悲しみの音で慰めてくれるのだ
この旅は(戦乱からの逃避なので戦乱が終わらない限り)終わりがないのに
(旅のストレスによる)強い憂いにもう耐えられない(帰りたい)
相変わらずの豆腐メンタル王粲さん
当時の琴は親しい人にしか音を聞かせない楽器で自分の心情が伝わる楽器とされていました
「琴の音を知る仲」というのは義兄弟に匹敵する間柄なのです
なので某けいおんの平沢なんちゃらさんがギー太に感情移入してるかの如く
琴に惚れ込んでる、とかそういうわけではないです、そこだけは大事
- 26 :
- >>24
>>22-23はテンション上がりすぎでした。孔融を貶したかったわけじゃないんです。
新しい驚きだけで書いてしまって、献帝と孔融の関係も知らなくて。
でも、確かにずっと長い間、孔融への認識は魏の視点の通りでした。
まとめサイトと>>10と>>21を読んで初めてそうではない人物像に触れたんです。
でも、そうですね。曹操が孔融を処刑してるんだから、魏としては孔融を殺されて当たり前の人間に
仕立てないといけなかったでしょうから……。
献帝が孔融にした相談も気になるので、後漢書をあたってみます。
- 27 :
- >発言や詩作はロックだけども
確かに。私はむしろロックな部分を知って孔融を面白いと思ったし、興味を持ちました。
ただの旧態依然とした儒教的常識人だと思ってたんです。蒼天はやりすぎだとは思ってたけど、
それに近いと思っていました。
旧態依然なんてとんでもない、面白い、と。
詳しく知りたいので、もっと勉強します。
- 28 :
- >>25
長く哀しい余韻を残す王粲の七哀詩を、ありがとうございます。
「方舟遡大江 日暮愁我心」
「方」の字には、「(舟を)並べる」、という意味があるんですね。
王粲は誰かと一緒だったんでしょうか。
大江に舟が浮かんでいるって、漂白の身の上とか、どこへ行くのか途方に暮れている様子が
浮かんでしまいます。
舟の小ささと空間の広漠さ。
広漠な空間は、そのまま寂寥感や虚無感の大きさに見えます。
しかもそれが黄昏時だったら、行く手は暗がり、見えなくなるんですから。
(ここ、史記が出典だったんですね)
でも、一人ぽっち、ぽつんと広漠な大江に浮かんでいるわけではないから
完全な孤独ではないんですね。
それからここ、ピンときました!
「獨夜不能寐 攝衣起撫琴」
阮籍の詠懐詩の冒頭と似た表現ですよね。
詠懐詩
夜中不能寐 夜中 寐ぬる能はず
起坐弾鳴琴 起坐して鳴琴を弾ず
薄帷鑒明月 薄帷に明月鑒り
清風吹我襟 清風 我が襟を吹く
孤鴻號外野 孤鴻 外野に號び
朔鳥鳴北林 朔鳥 北林に鳴く
徘徊将何見 徘徊して 将に何をか見る
憂思独傷心 憂思して独り心を傷ましむ
琴は自分の心情が伝わる楽器だと知って合点がいきました。
演奏するのが他の楽器じゃなくて琴なのは、孤独な感情を表現したかったからでしょうか。
其二は、悲しみは悲しみでも、其一の悲惨で救いようのない光景とは違うと感じました。
- 29 :
- 文章は傾国の怠業というし、孔融は糞賊の代名詞
- 30 :
- この詩のために、家のベランダから撮ってみました。
クレーンが邪魔ですね。
http://kie.nu/2IQ
曹丕 芙蓉池作一首
乗輦夜行遊 逍遙歩西園 輦に乗りて夜行きて遊び 逍遙して西園を歩めり
雙渠相漑灌 嘉木繞通川 雙渠 相漑灌し 嘉木 通川を繞(めぐ)る
卑枝拂羽蓋 脩条摩蒼天 卑(ひく)き枝は羽蓋を拂(はら)ひ 脩(なが)き条(えだ)は蒼天を摩す
驚風扶輪轂 飛鳥翔我前 驚風 輪轂を扶け 飛鳥 我が前を翔る
丹霞夾明月 華星出雲間 丹霞 明月を夾み 華星 雲間より出づ
上天垂光采 五色一何鮮 上天 光采を垂れ 五色 一に何ぞ鮮やかなる
寿命非松喬 誰能得神仙 寿命 松喬に非ず 誰か能く神仙たるを得ん
遨游快心意 保己終百年 遨游して心意を快くし 己を保ちて百年を終へん
今まで載せたのは、訳を本からお借りしていましたが、
今回は自分で訳に挑戦してみたいと思います。
現代語訳
車を引かせて、夕方に遊びに出た。気の進むに任せて、西園の中を歩き回った。
並んで走る小川はともに芙蓉池に流れ注ぎ、その周りをめぐるように、見事な木々が立っている。
(夫婦のように対になっている小川といい、木々の見事さといい、言うことなしだ)
その木々の低い枝は、羽飾りをつけた車のおおいをかすめ、高く伸びた枝は、天まで届くよう。
速い風が、車輪が回るのを助け、飛んでいる鳥が、私の目の前を羽ばたいてゆく。
(風と一つになったようで、気持ちいい)
夕焼けに染まった霞が明るい月を取り巻き、輝く星が雲の切れ目から顔を出した。
頭上空は、地上に美しい色合いを見せる。その色合いは、千変万化して、何と鮮やかなことだろうか。
赤松子や王子喬のような永い寿命を持っていないのに、誰が神仙になることができるだろう。
今のこの時を心地よく楽しみ、自分を保って百年の寿命を終えたいものだ。
- 31 :
- 写真の夕方の空、実物はもっとずっと綺麗だったんです。
冬の夜空も好きですが、夕方も好きです。夕方は一日の中で一番空の変化が激しい時間です。
沈んでいく夕日を取り巻く雲は、薔薇色とも紫色ともいえない、微妙な色に染まります。
空は、太陽に近い所はピンクに近い色、遠い所は青や藍に近い色になって、
同じ色をしている所がありません。
夕日が山の向こうに消えると、一瞬、山の端から明るい光が漏れて、
その後、すぐに空全体が青に染まり、暗くなります。
この変化は、一瞬ごとに違いがわかるほど早く進んでいきます。
だから、見られるのはすごくラッキーなことで。
時間がある時には、ずっとベランダに立って日が沈むまで眺め続けています。
「丹霞夾明月 華星出雲間
上天垂光采 五色一何鮮」
この部分って、その時間を全部切り取って描いたものですよね。
刻々と変化する空をひと続きで切り取って表現しています。
丁寧に想像すると、二十文字の中に好きな光景がぎゅっと凝縮されているのが広がって、
なんだか良いです。
それに、見方によっては広がるのはすごく幻想的な風景だったりします。
空には月と星が輝いているのに、それを取り巻く雲霞は夕焼けに染まった薔薇色。
空の色は夕焼けの頃から夜に近い紫色の頃まで、グラデーションになってる。
印象派の絵画みたいです。
空の綺麗な時間の中から良い所を集めた、理想の最高の瞬間です。
曹植の公讌詩の印象は>>7-8ですけど、これは対照的な、ふんわり甘美な雰囲気です。
- 32 :
- 最後四句だけは、どうしてこういう締め方にしたんだろうって思うんです。
ここまでずっと楽しんで色んなものに目を向けてるのに、心を解き放ってるのに、
ふと現実に戻って心を自分の内心に戻しちゃってる、そう見えます。
個人的に、ですが、曹植の公讌詩に比べて心を抉るようなショックを受けない。
空の描写も、曹植のようにぐっと心をわし掴みにされる感じじゃなく、
あー、綺麗だなあ… ってこっちから眺めていく感じです。
大好きですけどね。
- 33 :
- 曹ミ・曹鑠を見てるから死にたくねぇなぁってことでしょ
- 34 :
- >>33
そうか、そうですよね。
忘れてたけど、曹丕も曹植も戦場を知ってるし、曹丕は特に宛城から脱出してるんでしたっけ。
よく出てくる「良い日は得難い」って表現と根底の気持ちは同じなのかも。
定命だからこそ、いつでも楽しめるわけじゃないからこそ、今を楽しもう、か。
- 35 :
- 戦場を知らぬ文弱の糞賊どもが何をほざくか!
- 36 :
- 洛神賦いい
洛神賦図いい
- 37 :
- 三曹は後世多大なる影響力があるしね。
- 38 :
- こんにちは。
>>36
洛神賦と洛神賦図巻、これですね。
動く洛神賦図巻
http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/luoshenfumarquee.html
洛神賦図巻と洛神賦
http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/luoshenfu.html
私もこの作品がとても好きです。
でも、この機会にもう一度じっくり読んでみたいと思いました。
下のリンクの、1〜21までの番号に沿って感想を書いていきたいと思います。
すぐには終わらないと思うので、その間に他の話題とか出しちゃっても大丈夫です。
- 39 :
- わたしはどちらかというと
洛人賦は修飾が過剰すぎて、読むの疲れる派だなあw
- 40 :
- 1.
この賦に感情移入できるのって、やっぱり「曹植の体験」として書かれてるからだと思います。
具体的な年号とか、地名を入れて真実味を出していますよね。
これがないと、普通のお伽噺みたいになると思います。
楚辞はそういう感じだったと思います。
儒教のイメージが強い中国ですけど、幻想的な文学はそれこそ古代からたくさんありますよね。
曹植も影響を受けてるだろうし、幻想文学は魏晋南北朝時代に志怪小説として大いに花開くようになります。
母体はきっと楚辞です。
この部分に出てくる「宋玉」は屈原の弟子で、楚辞関係の人だし。
その中で、人と神や仙女は恋愛的な接触をします。
「九歌」の「湘君」とか「湘夫人」とかで、シャーマンが神の降臨を求めるけど降りてきてくれない、なんていうのは
気まぐれな女性に振り回されてる恋する男の姿そのものです。
(ちなみに恋愛的発想は、儒学的文学にも取り入れられて、その場合は臣下が主君を思う描写に使われます)
恋愛的接触の形態は、時代によって異なってきます。
ざっくり言うと、時代が古いほど結ばれず、時代が新しいほど一度結ばれることが多くなります。
古い時代の作品に出てくる神女は、人間の男とくっつきません。
姿を現さなかったり、求愛に応じる振りをして気づくと姿を消してしまっていたり、
そういうのばっかりです。
人と神の住む世界は違う、と考えられていたからかもしれません。
新しい時代になると、道教が興隆します。
人外の世界へのシンパシーがぐっと強まり、仙人へのあこがれが生まれます。
そこで、仙郷に迷い込んで、桃を食べて仙人の力を得るとか、
仙人に出会って修行をして自分も仙人になるだとか、
仙女に出会ってRして夢のような時間を過ごすとか、そういう作品が山ほど出てきます。
ただ、ずっと仙境で暮らしました、とはならないことが多いです。
一度帰って、もう一度戻ろうとしてもできなかった、という結末が多いです。
浦島太郎の物語もこの話形です。
曹植の洛神賦で、登場するのは神女ですよね。
そして、曹植は自ら結ばれない結末を選びます。
結ばれなかった甄皇后のことが頭にあったという説は、私もそうだと思います。
- 41 :
- >>39
修飾過剰、わかりますw
事実、私も>>38で「もう一度じっくり読んでみたいと思いました。」って書いたとき、
「よし、やるぞ!」って気合いを入れました。
丁寧に、気長に、気を配って読もうと思いました。
なんか、さらっと読むような作品じゃないですよね。
大好きなんですけど、忙しい時には……という感じではありますよね。
- 42 :
- そうなんですよー。曹植好きがこうじて図書館で
洛神賦の邦文を読んだんだけど、文章長すぎてウボァーとなりましたw
- 43 :
- 洛神=甄皇后説はなんというか、曹植独身でもないのに未練たらしいなーと思ったりする。
甄后が結婚したのが204年で死んだのが221年。曹丕と結婚する前に曹植が親父に甄皇后くれー
といったハナシ(信ぴょう性ははてな)を聞いたことがあるけど、それにしても横恋慕期間が長いような。
- 44 :
- その人が死ぬと気持ちが溢れ出すってのはあるかもしらんね
- 45 :
- >>43
それ俺も思った!
でも、妻子がいても初恋?の女性が忘れられないのが三国時代の男なのかな
- 46 :
- 曹操 ←初恋とか何だとか気にしなさそうな人w
- 47 :
- 曹植の初恋w
wiki調べ(wによると生年が192だから12歳のころかw青いのうww
- 48 :
- 曹叡の父親は曹丕袁煕でもなく、じつは曹操だったりしてwと無茶苦茶言ってみるw
あのエロおやじなら、十分やりかねない。もちろん甄夫人には口封じをするw
- 49 :
- ただでさえ自分が袁氏の子なんじゃないかって悩んだだろうに
そんな説まで加えたら曹叡が可哀相だろ…
- 50 :
- 卞氏:よちよち。この子はおじいちゃん似でちゅねー。
曹丕:はははは、わたしの血を濃く受け継いだみたいだなw
曹操:( ………。)
甄氏:( ………。)
- 51 :
- 曹操実子説の判断材料:
・曹操「このいくさは子桓のためにしてやったようなものだな(おれさまも狙っていたのに!)」
・曹操は未亡人に目がない。杜氏(秦朗の母)、尹氏(何晏の母)、鄒氏(張済の嫁)
・曹操はたしか若いころに花嫁泥棒をしたことがある
・曹丕が死の間際まで曹叡を正式な後継者に定めなかったこと。
あとはテレ東の歴史珍説番組なみのトンデモ妄想を重ねていけば論になるかな?
- 52 :
- >>51
そもそも曹叡は後継者じゃなかった
母親が皇后じゃなくてただの妾だからな
曹丕が死んだ段階で成年した男子が郭皇后との間になく
繰り上がりで皇帝になったのに過ぎないという状況を無視して
「曹丕が死の間際まで曹叡を正式な後継者に定めなかった」というのは暴論
論拠にならない
- 53 :
- あとマンガで悪いんだけど、
蒼天航路で夏侯惇の娘を嫁にクレ言っていたのは元ネタあるんだっけ?
あれが本当なら近親者にも手を出すクセの悪さの証明になるんだがww
- 54 :
- マンガだろ
- 55 :
- 質問です
この時代の文学を研究するための必須事項ってありますか?
これは必ず読めとか
こういう考え方ができなきゃいけないとか
指導教官なんてものもなく、趣味で論文でも書いてみたいんです
- 56 :
- >>52
甄氏が妾だというソースが知りたい
- 57 :
- 曹丕没時点で、ということか
すまん
- 58 :
- >>56
曹丕の正式な妻、皇后は郭氏
これはしっかりと正史三国志に書いてある
そして、明帝紀には「追諡母甄夫人曰文昭皇后」とあって
甄「夫人」を文昭「皇后」と諡を追加したことがバッチリ書かれてる
追諡されるまでの甄氏はただの夫人
しかも本人の伝を見る限りちゃんとした官位である夫人ではなく
一般的に結婚してる女性という意味の夫人のようだ
(郭氏の場合は貴嬪になったりして出世の経過が見える)
つまり甄氏は妾
- 59 :
- >>58
詳しくありがとう
ずっと気になっていたことが解決した
と、これだけだとスレチなので何か話題をと思ったが
まだまだ勉強中の身なので何も投下できないわ
ただ、今日は旧暦換算で曹植の命日だよな
- 60 :
- こんばんは。
少し間が開いてしまいました。
>>42
しかも、じっくり読んでみると、結構深読みできてしまうんですよね……。
今回、隠喩に着目して解釈してみました。
>>43-47
>洛神=甄皇后説の是非
ちょっと実際にどうなのかを探りたいですね。
今日これから投下する内容も、それを考える一端になればいいんですが。
真面目に考えたので、よかったら放置しないで意見とかもらえると嬉しいです。
>>48-51
>曹操実子説
俺の中の甄氏のイメージが……。
>>52-58
待って、郭氏の立后は甄氏の死後じゃありませんでしたっけ。
確かそうだったと思うんですが、それじゃあ、曹丕はそれまで正妻を誰も置かなかったということですか?
甄氏の前に結婚した誰かが正妻だった、という記述はありましたっけ。
あと、夫人である以上は妾じゃないのでは……。
妾は、公式に結婚してないけど関係のある女の人のことだと思うので。
>>59
今日、曹植の命日だったんですね……。
家にあったお酒を出してきて、曹植のために追悼のお酒を飲むことにしました。
空を見ながら曹植のことを考えます。
文人は死ぬと白玉楼に登るそうです。
曹植も、今いるのかなあ。
- 61 :
- http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/luoshenfu.html
2.
ここには、四つの注目すべき点があります。
@具体的な旅の経路が書かれている
曹植は、洛陽から藩国に帰るために、伊闕を後にし、轘轅山を越え、通谷を通り、景山に登ります。
曹植好きとしては、曹植が旅をしている姿が浮かんでいいなと思います。
が、私はここでちょっと突っ込んだ視点を提示してみます。
「人生は旅である」
という隠喩は、文学の世界だけではなく、人間一般に自然に共有されているものだと思います。
生誕は旅の始点。死は到達点です。
曹植が旅の描写をしたのは、もしかしたら死へ至る人生の旅を仄めかしたかったのかも、なんて思いました。
A日がすでに西に傾いている
「一生は一日である」
という隠喩も、広く無意識に理解されているものです。
生誕は夜明け、成熟は正午、老年は黄昏、死は日没、死後は夜です。
@を前提にして話すと、人生という旅の中で、曹植は斜陽、つまり自分自身の衰退期を見たのではないでしょうか。
年齢的には若いですが、実際、40年余りの人生の中では黄昏時ですしね。
車は傷み、馬は疲れている。
これは人生の困難と挫折を思わせます。
ぱっと思いついた具体例が西洋文学で申し訳ないのですが、
「人生の道半ばにして、
わたしは暗い森の中に我を見出した。」(ダンテ『神曲』)
と似たような雰囲気を感じます。
人生の成熟期に及んで、明確な目標やそこへのはっきりした道筋を持たない、迷った状態にあった、
と気づいたということですからね。
- 62 :
- B香草、霊芝、柳
どれも、神を思わせる植物です。古代中国の祭祀では、シャーマンは香り草を用いていました。
「楚辞 九歌 東皇太一」でも、「盍将把兮瓊芳(巫女はまた、美わしい芳り草の束を手に取り持って)」とあります。
霊芝は、「巫山の夢」の故事の神女が身を変えていたものです。
柳も、強い陽の気を持つ植物として縁起の良いものです。
この時曹植は、この世ならぬ領域(霊界ではなく、神界)に半ば身を置いていると考えられます。
Cこころは別世界に誘われ、思いは遥か彼方に飛翔していく
これは、漢詩によく使われる表現で、いいな、と私も思っていたんですが、この「心」「思い」とは何でしょうか。
原文では「精」「神」「思」という漢字で表されています。
精神、とは中国人の考え方としては、肉体に宿るものです。つまり、魂です。
思考も、生きている人間のするものですよね。
@ABと併せて考えると、魂や思いが肉体から解放された自由な状態、つまり、死に近い状態に
なっているんじゃないでしょうか。
死はネガティブなイメージが強いですが、
「生は束縛であり、死は解放である」
という考え方もあります。
- 63 :
- こうやって見ると、曹植は、気まぐれに降臨した神女と逢ったんじゃないんです。
彼が神女と出会うタイミングは、この時でなければいけなかったんです。
死という到達点に向かう人生の旅の中で、自分の衰えを自覚し、困難と挫折を噛みしめている最中に、
ふと人ならざる世界、神の世界へ足を踏み入れてしまわなければ、会えなかったんです。
だから、蒼天航路で、少年曹植が洛神賦を披露して孔融をやり込めるなんてシーンは、
不適切だったんです。
(蒼天は、前に出た孔融の人物像からみても、間違いが多いですね)
だとすれば、曹植が神女と結ばれなかったのは良かったんです。
結ばれていたら、曹植は命を落とさなければならなかったと思います。
そういう発想があるからこそ、古代中国文学で、人と神は「絶対に結ばれない」ものだったんだと思います。
私が洛神=甄皇后説を支持するのは、「人と神」、つまり結ばれない関係が、「生者と死者」と重なるからなんです。
甄皇后が死んですぐに作られたっていうのは、関係があると思います。
- 64 :
- そうだ、大事なことです。
>>59
>まだまだ勉強中の身なので何も投下できないわ
ここは、「知っていることを書く」のではなく、「好きなことを書く」っていうのを
コンセプトにできればいいなと思って立てたんです。
知識を書くんだったら、基礎知識のない私も辛くなってしまうし
本を読めばいいわけだから、スレとしても面白くないじゃないですか。
書いてて面白いスレって、「この詩が好き、どうして好きかってそれは…」って
全部さらけ出せるスレじゃないですか。
で、好きなこと書いてたらスレも盛り上がって、気づきも増えて、
学びは後から付いてくるわけじゃないですか。
だから、何でもどんどん書いてください。
できるだけ沢山の人、話題、作品、視点がスレの肥やしになるから。
- 65 :
- >>60
郭氏は貴嬪として甄氏生前から正式な妻の地位を得てるよ
正妻はこっち
妾ってのは現代日本だと結婚をしてない存在というイメージが強いけど
三国時代は本妻、側妾を区別せず全部後宮などに入れて夫人としてる
皇帝や王侯の場合、妻の後宮での地位を見て判断しないとダメだね
現代日本とはそもそも結婚システムが違うんでね
そうして見た場合、甄氏は女性としての地位を認められてないただの妾
郭氏は女性として正式な地位である貴嬪として、曹丕が魏王になった時に認められてる
(それ以前の曹丕にはそもそもそういう地位を女性に与える権限がない)
ここで甄氏がこの郭氏の地位向上に対して文句を言ったことが
賜死の原因の一つと正史三国志では述べられてるな
立后が甄氏の死後なのは単純に曹丕が皇帝となって
皇后を立てられる地位になるのが甄氏の死後だから
曹叡による名誉回復運動があったからこそ、我々は甄氏を「皇后」として認識し
曹丕という癇癪持ちの気紛れに殺された悲劇の女性として認識してしまうが
妾が分をわきまえず他の女性が正式な妻としての地位を得たことに対して
宮中人事に口出しをするという時点で、処刑されても当然の行いをしてるんだよ
- 66 :
- >>61-63
この作品を「死という到達点に向かう人生の旅」というように解釈するのは
素晴らしい発想だと思います。
ひょっとしたら曹植が洛神賦を着想した時、彼の中で
自殺願望的な何かが渦巻いている精神状態だったのではないでしょうか。
しかし、「やはりまだ自分は死ぬべきではない」という思いが強くなって
女神は曹植に別れを告げて去って行くという筋書きになったのではないかと思うのです。
そう解釈すると、女神は「あなたはまだ生きている。自ら死を選んではならない」と
曹植を諭してくれた命の恩人だったのかなと思います。
自分も過去の文学スレにリアルタイムで参加できませんでした。
復活させてくれたスレ主さんに感謝です!
- 67 :
- >>55
誰かに教えられるほど、知識ある人間ではないんだけど、応援したい。
先行研究の参考文献を片っ端から当たるのは論文の基本かとおもわれる。
役に立たなくてスマヌ。
- 68 :
- >>67
ありがとう
先攻研究って研究書とかでいいのかな
それなら図書館行けばいいか
論文はどこをどうやって探せば見つかるんだろ
- 69 :
- 論文ならここで探すと便利よ。建安文学の論文もあって勉強になりますw
http://ci.nii.ac.jp/
CiNiiに本文ありをクリックすればPDFファイルで読める。
PDFない論文がほしい場合は、近所の一般公開している大学図書館に潜入してみるのも手。
- 70 :
- >>69
>>68じゃないがありがとう
良いサイトを知った
うむむ、だが読んでて反感というか、そうじゃないだろうと思うのが多いな
かといってどう違うのか上手く説明できないんだがorz
- 71 :
- 人文系の学問なんて論拠さえしっかりしてればある程度言ったもん勝ち
論拠さえあるならいくらでも反論していいし
逆言うと論拠なければどんなに荒唐無稽なこと言われても黙るしかない
まあ違和感あるなら、しっかり言語化して批判する材料探して
論理立てて反論してくといいと思うよ
- 72 :
- こんばんは。
>>65
詳しいご説明、ありがとうございます。「後宮佳麗三千人」重きも軽きもみんな「夫人」なんですね。
甄氏としては、自分の方が先に嫁いでいるし、家も代々二千石の名家なので、
恨み言を言う気持ちもわかります。
彼女の生涯が、苦労続きだったことを考えると、どうしても同情してしまいます。
当時、儚いのは本当に女性の身ですね。
曹叡のことも調べてみました。曹丕生前、諸侯として封建されているのは、やはり後継者から外されていた
証拠とみなしてよさそうですね。
魏の諸侯王はみんな藩国に赴任しなければいけなかったと思うので、
曹叡も都を出ていたでしょうし。
即位まで公の場に出なかったというのも、そのあたりが理由でしょう。
曹叡の心境はどんなものだったでしょうか。曹叡は206年の生まれだといいます。
生母を失ったのは15、6歳の時です。
このあたりで、確か狩りの鹿のエピソードがあるんでしたっけ。
多感な時期、史書にあるような理由で生母を殺された息子は、たぶん用心深さを習得しようとするでしょうね。
長子でありながら、嫡子ではなく、都を離れなければならない境遇に置かれても、
不満を見せて不興を買うことはしなかったでしょう。
そしてその後の数年は忍従の数年間だったと思います。
曹叡の英邁な資質はそのたまものだったのかもしれません。
始皇帝と漢の武帝の風があるというのは、境遇も併せて言われたことかもしれません。
- 73 :
- >>66
素晴らしい発想だと言っていただき、ありがとうございます。
これから洛神賦を読んでいく、励みになります。
- 74 :
- 傍論ですが、『酉陽雑爼』にある『妬婦津』の記事に洛神賦が登場するのでご紹介。
==
臨清に妬婦津(とふしん)がある。伝説によると、晋の大始年間(265〜275)のとき
劉伯玉の妻、段氏は字を明光といい、嫉妬心が強かった。
伯玉は曹植の『洛神の賦』を愛誦して、その妻に語った。
「こういう女を妻にできたなら、心残りはないね」
ところが明光は
「あなたはよくも水神が美しいからといってわたしを馬鹿になさいましたわね。わたしは死にます。
きっと水神になってみせるから。」 と言って、その夜、河に身投げをして死んだ。
それから七日目の夜に、彼女は伯玉の夢にあらわれた。
「あなたは神をご所望でしたね、わたしは今、神になりました」
伯玉ははっと眼が醒めた。それからは一生涯、河川を渡ろうとはしなかった。
以来、その河は妬婦津と呼ばれるようになった。
ここを渡る婦人たちは、皆、衣裳をつくろわず、化粧を剥がして渡った。
美服美粧して渡ると、神が嫉妬してたちまち風波を起こすからである。(後略)
いかにもなつくり話っぽさがありますが、洛神賦が引き合いに出されるあたりに
曹植の詩聖としての評価を感じざるをえませんw
でも曹植の洛神への修辞麗句はやっぱり、過剰だと思います。
それこそ、段明光がヒステリーを起こして身投げしてしまうくらいにw
(ついでにかつてつくった妬婦津ネタ)
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1298380310/225-238
他にもこれと似たような言い伝えに「妬女泉」というのがあって、
これも、婦人が美服美粧をして渡ろうとすると、嫉妬した神が
大雨を降らせて、必ず稲妻を光らせるらしいですw(泉の場所は董卓の塁の近く)
- 75 :
- >>74
『酉陽雑爼』の話、初めて知りました。ありがとう。
でもこの話に甄氏のことは出てこないんですね。
段氏は河に身投げして死んだっていうから、本来の宓妃を意識して行動しているようにみえます。
つまり、晋の大始年間には、洛神=甄皇后説はあまり認知されていなかった?
↓
洛神=甄皇后説は、残念ながらあとから作られた話の可能性が高いのではないかと思いました。
- 76 :
- 三国時代の2ちゃんねらーのスレか
まあ確かに2ちゃんねらーと魏晋の文人どもとは感性が合いそうだな
発想も似てるし
- 77 :
- 三国時代の文学スレは腐臭と患者臭がするのは何でなんだろうな
- 78 :
- >>76
2ちゃんねらー→匿名掲示板で何かを叩いて優越感に浸りたがる
文人→政治の担い手
全然違う
- 79 :
- お前らの大好きな二つを掛け合わせてやったのに否定しやがるのかw
時代の中心者ぶってる所が似てるだろw
ひろゆきは曹操だな
早くひろゆき様に御子息が生まれるといいなw
曹否や曹植と比較できるし讃えられるからなw
- 80 :
- >>77
曹操が醸造酒の発明者とか言い出さなけりゃ別にどうでもいい
- 81 :
- >>75
『妬婦津』では、洛水で溺死した宓妃と河に身投げした段氏が対になっているんですよね。
わかりますwでも、甄氏についての言及がなにもないのは、
つくり話のなかで、特に登場させる必要性がなかっただけなんじゃないのかな〜という気がw
>つまり、晋の大始年間には、洛神=甄皇后説はあまり認知されていなかった?
どうなんでしょう(謎)。李善という人が、文選の注でそういう説を唱えているらしいのですが(658年頃)。
でも誰がなんのために、李善注の引く『感甄記』なる物語で曹植と甄夫人を両思いにしたんだろう…。
そもそも、曹植が甄夫人に横恋慕をしていたと最初に言い出したのは誰? 『感甄記』ていつ成立したんだろう?という疑問も。
皇室ゴシップ記事が大好きな正史裴松之注でさえ、曹植と甄夫人のチョメチョメに関しては、一言も拾い上げていない…(見落としがなければ)。
神霊記事も大好きな裴松之(372-451)なら、甄夫人の霊が枕を介して曹植の夢に現れたというホラー話を
真っ先に取り上げてくれるような…。誰も聞いていないのに、『明帝、袁煕の息子説』を否定してくれるような裴松之が
曹植と甄夫人の関係に触れていないのは信ぴょう性が全くないと判断したから?それとも裴松之の時代には『洛神=甄皇后説』が
生まれていなかったからなのか?(謎)
でも、曹植の漢詩を全部、正史の注にのっけてくれるようなハッスルする人でもないから、裴松之至上主義に走るのもどうかとは思うんだよねw
東晋以降、異民族に中国の北半分を取られてしまったのを契機に高まった蜀漢正統論も気になる。
曹植、甄夫人は、「後漢を滅ぼした大逆賊」の曹丕に迫害されて悲劇の死を迎えたから、徐々に「判官贔屓」が芽生えていった?
でも、曹植は既に文人としての声望は集めていたはずだから、関係ないのかなw
あと歴史ロマン的に気になるのは、曹植の「感婚賦」と「洛神賦」、モデルは同じだったりするのかな〜、ということ。
- 82 :
- 全然、違う意味になっていたので訂正。
× どうなんでしょう(謎)。李善という人が、文選の注でそういう説を唱えているらしいのですが(658年頃)。
● どうなんでしょう(謎)。李善という人が、文選の注で洛神=甄皇后説を唱えているらしいのですが(658年頃)。
- 83 :
- おまけ。
AA板でみつけた洛神賦の二次創作のご紹介。
現代劇になっているけど、洛神賦のかみくだきかたが実にみごとで、
元ネタを知っている側としてはニヤニヤになりましたw
http://www.toofectarts.com/videoshelf/bcd/2007/allofcstory17/034.htm @
http://www.toofectarts.com/videoshelf/bcd/2007/allofcstory17/036.htm A
http://unkar.org/r/aastory/1188994502 BC
AA厨以外はあんまり、興味わかないですよね、うん。
- 84 :
- こんにちは。
>>74
『酉陽雑爼』の話、ありがとうございます。AAスレも拝見しました。こんな良いスレがあったのか……。
うーん、こんなAAネタが作れるなんて、すごい。実は私はAA厨でして。綺麗なAAを集めたり、
「やる夫」の歴史ものを色々読んだりしていて。
女神=曹丕説は、曹植の忠孝に篤さを強調したい、という意図が見えますね。
ところで、妬婦津の話、知らないはずなのにどこかで聞いたことがある気がしたんですが、
以前、岡本綺堂の『中国怪奇小説集』を借りて読んだときに、中に入っていたのでした。
この怪奇小説集、「六朝・唐・五代・宋・金・元・明・清の小説筆記の類から二百二十種の怪奇談を抄出した」ものです。
不勉強にして、それぞれの原典を読んでいないので完全体の知識はないのですが、
二百二十読むだけでも、中国の怪奇小説って面白いなあ、それに、三国志ってやっぱり人気なんだな、
と感じたことがあります。
今読み返したら、紹介してくださった『酉陽雑爼』にも、妬婦津の話以外に
・墓荒らしを呪う劉備の霊
・阮籍の絵
・若い才人に恋してR呉質の娘の霊
の話が出てきました。
青空文庫で読めるので、私もご紹介します。
凡例 http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/33217_11889.html
開会の辞 http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/33218_11890.html
捜神記(六朝) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1298_11892.html
捜神後記(六朝) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2235_11894.html
酉陽雑爼(唐) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1299_11895.html
宣室志(唐) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1300_11896.html
白猿伝・其他(唐) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1301_11897.html
録異記(五代) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1302_11898.html
稽神録(宋) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2236_11899.html
夷堅志(宋) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2237_11900.html
異聞総録・其他(宋) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2238_11901.html
続夷堅志・其他(金・元) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2239_11902.html
輟耕録(明) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2240_11903.html
剪灯新話(明) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2241_11904.html
池北偶談(清) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2242_11907.html
子不語(清) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2243_11908.html
閲微草堂筆記(清) http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1303_12030.html
- 85 :
- 妬婦津の話に出てくる、地名の臨清を調べたら、昔の魏郡にあたるそうです。
そしたら段明光が身を投げたのは清河かも。
この地は時代が下っても隋の大運河が通って、水に関わる街だったので、
こういう話ができたのかもしれませんね。
「よい嫁を貰おうと思ったら、妬婦津の渡し場に立っていろ。渡る女のよいか醜いかは自然にわかる」
これってなんか面白いw
>いかにもなつくり話っぽさがありますが、洛神賦が引き合いに出されるあたりに
>曹植の詩聖としての評価を感じざるをえませんw
>でも曹植の洛神への修辞麗句はやっぱり、過剰だと思います。
>それこそ、段明光がヒステリーを起こして身投げしてしまうくらいにw
確かにw一つ言えることは、この劉伯玉は想像(妄想?)を爆発させることのできた人みたいですねw
これでもか、これでもかと詰め込まれた装飾を全部イメージしてたんですかね。
それで妄想で頭がいっぱいになって、出てくる話題といえばそれで、近くにいる奥さんに吐き出す……とまあ、
はた迷惑な感じかもしれませんw
自分の奥さんの性格ぐらい知ってただろうになあ。
私が伯玉なら、美人を形容する文章が好きなら、段明光を題材に装飾を凝らした文を作ってみるんだけど。
装飾系男子。
そういえば、同じような装飾過剰な文章といえば、こんなの思い出しました。
「さてこの妖精の現身なる乙女は、月をも凌ぐ美しさでございます。
ヴェールの下に冠をいただき、新月のように夜に映え、黒い瞳は闇の底にある生命の水さながら。
なよやかな姿は白銀の棗の木、その木の頂で二人の黒人(下げ髪)が棗を摘んでおります。
この甘き唇の女人ーー棗の実さながらの彼女を思い出すだけで口には甘いつゆが満ちるほど。
まばゆく輝く彼女の歯は真珠とも紛うばかり。その鮮かさは真珠貝を遥かに凌駕しますが、
この歯をくるみこむ唇は艶やかな紅玉髄の色をしております。
両の捲髪はさながら円を描く輪縄で、それが、人という人の心を惹きつけます。
緑なす黒髪は、バラの頬にうちかかり、捲髪から立ち上る芳香に、その水仙の瞳は夢見るように悩ましげ。
彼女の眼は魔術師をも邪視をも呪文で封じてしまいましょう。
蜜のように甘い百の言葉を秘めているのか、彼女の唇は、魔術で人々の胸の火をさらに燃え立たせますが、
爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的で、塩は甘くないのに彼女の塩(魅力)は甘美なのです。」
(ニザーミー『ホスローとシーリーン』)
(ちなみに、このシーリーンは「かなり」気の強い女性です)
(最後の一文は、訳だとよく意味がわかりませんが、原音だと言葉遊びになってるみたいです)
- 86 :
-
>>81
>でも誰がなんのために、李善注の引く『感甄記』なる物語で曹植と甄夫人を両思いにしたんだろう…。
これは永遠の謎ですね〜
曹植と甄夫人、最初に「二人をくっつけよう!」と思いついた人は大発見だと思います。
でも、これは別の人でも置き換え可能ですよね。
例えば、曹彰と甄夫人をくっつけたり、明帝は曹操の子だ!なんて妄想する方もいらっしゃいますし。
みんな甄夫人の貞操を何だと思っているのかwww
>あと歴史ロマン的に気になるのは、曹植の「感婚賦」と「洛神賦」、モデルは同じだったりするのかな〜、ということ。
「感婚賦」も思わせぶりな作品です。
これも見方によっては、甄夫人のことを想っているように見えてしまうw
個人的には、「感婚賦」の「これから妻を娶る」という状況は、
自分が成人してこれから社会に出ていく状況と重ね合わせていて、
その不安な気持ちを象徴的に表現しているのかなあと思います。
曹植は比喩表現を好む人なので、あまりストレートに自分の状況を描かないのではないかと思います。
でも、もしモデルを想定するなら、「感婚賦」の場合、曹植と曹丕がともに欲しがった邯鄲淳なんて如何でしょう?
曹操に「感婚賦」を示して、「僕はこんなに邯鄲淳先生のことを思っているので、ぜひ僕に下さい」と説得してたら面白いw
- 87 :
- >>75>>81-83
その謎、知りたいなあ。
多分、「曹植が甄氏に横恋慕していた」という説がそもそもの元凶じゃないかと思います。
それがなければ、洛神賦の女神のモデルが甄皇后なんて言われませんよね。
普通に楚辞とかの影響を受けているか、曹丕のことだって言われるだけじゃないかなあ。
李善以前に成立したと(思われる)『感甄記』にせよ、その説がなければ作られないと思います。
推測ですが、きっと作者の心境には曹植への同情があったと思うんです。
曹植に少しは救いを、と。
救いの手段として、曹植が恋い焦がれた甄皇后と結ばれるようにしてあげよう、と。
「曹植が甄氏を好きだった」という説がなければ、ただの曹丕への嫌がらせにしかなりませんよね。
曹植と甄氏を結ぶあらゆるエピソードや説は、上記の説が潜在的に醸成され、共有されていた中で
生まれたものなんでしょうね。
>そもそも、曹植が甄夫人に横恋慕をしていたと最初に言い出したのは誰?
これが一番核になる謎だと思います。
東晋以降の蜀漢正当論は、晋は魏の後を継いだ以上は、魏を正当と見なさなければならなかったけれども、
同時に魏の非も主張しなければ禅譲を迫った理由が立たないということなのかな。
蜀漢正当論は、裏を返せば曹丕批判だから、曹植正当論が同じように勃興してもおかしくない。
文人としての声望はむしろ判官贔屓の理由だと思います。
才能がありながら、迫害された、というのが判官贔屓されるポイントだから……。
感婚賦、知らなかったのでぐぐってみました。
http://sikaban.web.fc2.com/kankon.htm
http://www23.atwiki.jp/3000aa/pages/91.html
出てきました。
なんか思春期っぽくていいなw
そういえば、この時代の詩賦って、帰らぬ夫を待つ妻に仮託したものは溢れてるけど
未婚の男が(神とかじゃない)未婚の女に叶わぬ恋をするのは珍しい気がします。
私が知らないだけかな。
- 88 :
- >>83
これ、私は好きでした。青い鳥みたいな、幸せは実は近くにあった、みたいな終わり方がほのぼのします。
- 89 :
- >>86
>感婚賦
なるほど!
>>87で疑問を書いたけど、
>「これから社会に出て行くことへの不安」
>「邯鄲淳が欲しい気持ち」
>「曹植は比喩表現を好む人なので、あまりストレートに自分の状況を描かないのでは」
と考えると、納得できます。
- 90 :
- >>86
感婚賦が「邯鄲淳が欲しい気持ち」という考え方は好きだな
それを読んだ曹操が「そうかそうか!」と
笑いながら頷いている姿を想像してしまうw
- 91 :
- 復活。
- 92 :
- 復活オメ。
歴ゲ板で細細やってた身としちゃ、このスレがあると嬉しいんで続けて欲しく
- 93 :
- 止まってるみたいなんで、話題投擲
お題は「応援合戦」。この時代、戦のときに、太鼓や笛を鳴らして、兵に歌わせた軍歌
楽府詩集にも、魏、呉、晋の鼓吹曲が掲載されていますな
本文は台湾の中央研究院でも見ていただくとして、まず各題だけ並べます
(以下、台湾楽府詩集から。誤引用あったらスマソ)
・魏鼓吹曲 曹操が、漢の鼓吹曲をベースに、繆襲に作らせたもの
《楚之平》、《戦栄陽》、《獲呂布》、《克官渡》、《舊邦》、《定武功》、《屠柳城》、《平南荊》、《平關中》、《應帝期》、《*熙》、《太和》
(*=蔡文姫の父の名前「ヨウ」の字)
・呉鼓吹曲 韋昭に作らせたもの。同じく漢の鼓吹曲がベース
《炎精缺》、《漢之季》、《*武師》、《伐烏林》、《秋風》、《克皖城》、《關背コ》、《通荊門》、《章洪コ》、《従暦數》、《承天命》、《玄化》
*てへん+慮。チョと読み、発表するの意
・晋鼓吹曲 魏の鼓吹曲をベースに、司馬炎が傅玄に作らせたもの
《霊之祥》、《宣受命》、《征遼東》、《宣輔政》、《時運多難》、《景龍飛》、《平玉衡》、《文皇統百揆》、《因時運》、《惟庸蜀》、《天序》
《大晉承運期》、《金霊運》、《於穆我皇》、《仲春振旅》、《夏苗田》、《仲秋*田》、《順天道》、《唐堯》、《玄雲》、《伯益》、《釣竿》
*けものへん+爾
内容はいずれも君主自慢ですが、正直、こんな歌が流れる戦場を想像しますと、
「うちの君主様はこんなに凄いんだどー!」
「嘘こくでねぇ、お前んとこの君主なんて○×$%#、うちの君主様はもっと凄いやーぃ!」
みたいなノリにしか見えません。
ちなみにこの時期は、他にも朝廷が郊外で神々を祭るときに歌われる郊祀歌、舞の伴奏である舞曲歌など、「歌」と共にあった時代でもありますね。
舞曲歌は、魏では、曹操の命で王サンが作ってますか、あと曹植もだったかな。
晋代には曹操の歩出夏門行が、碣石舞として編纂されなおし、晋楽所奏として歌われています。
まぁ当時の文学は、現代のマスコミ代わりといいますか、「情報戦の発露」としての一面もあるんでしょうな。
調べると調べるほど、奥が深いもんだと思います。
- 94 :
- >>93
魏鼓吹曲と呉鼓吹曲の詩の部分を以前読んだことがあります。
魏は曹操と歴戦の勇士の名シーンが主体、
呉は孫権と歴戦の勇士の名シーンおよび孫堅の名シーンを扱っているのですが、
孫策の活躍を扱ったものが一切無いあたりに、
孫策に対する江東名士の感情への配慮のような物が見えるような気がするのですが。
- 95 :
- >>94
おっしゃるとおりです。
ただそれだけではなく、孫策に関する名士への配慮というだけでなく、孫策ではなく、孫権こそが孫堅の正当な後継者である、という意思の表れ、と見るのは穿ちすぎでしょうかね?
鼓吹曲は、都合のいいものだけ扱い、都合の悪いところは無視するために、国の内情というものが透けて見えます。
楽府詩集に、蜀の鼓吹曲がないのはなぜか?
この板の方なら大体お分かりかと思いますが、漢の後継である蜀で、鼓吹曲がなかったということは考えられない。
後の晋書以降で現れる音楽の項が、三国志にはなかったことから、陳寿が何らかの理由で鼓吹曲を残さなかった、もしくは残せなかった可能性もあります。
なぜかは無学なので判りませんが、諸葛亮が資料を残さなかった可能性。漢代の鼓吹曲をそのまま使用していた可能性が考えられます。
また、魏の鼓吹曲をちょいと見てみましょうか。量が多いので、訳というには投げやりです。
1、楚之平
「初之平」とも言う。《晉書?樂志》によると、「漢の《朱鷺》をベースにしたもの」
義兵が世を平定せんと、金鼓を鳴らし武を振るう。武帝の示す道を往けよ、名を轟かせよ。
漢の気は尽き、社稷は傾く。皇帝は道を失い、桓帝や霊帝を出す。宦官は世を乱し、群雄争う。
辺章と韓遂が蜂起し、金城の地は乱れる。中国は騒擾し、古の聖なる教えは忘れられた。
武皇赫き,旗旌を起てる。天下なびき,天下は平らか。九州済りて,九州安寧となる。
武功を作りて,武功成る。いにしえ五帝を超え、三王をもとおく。礼楽おこりて,紀綱定まる。
あまねく日月,輝光を行き渡らせる。
2、戦?陽
「漢の《思悲翁》をベースにしたものである、曹公言うものなり」
戦うは?陽、?水の堤。兵士らは憤怒し、甲を身につけ馳せり。陣いまだ成らず、徐?の地に退いた。
二万騎ありて、堀を壁を平らにするも。軍馬傷つき、六軍驚き慌て、軍勢集わず、隊列は幾度となく傾く。
白日沒して、時は晦冥、中牟の地を顧み,心は營に息をひそめる。同盟を疑い、計は未だ成らず。
我らが武皇に頼って、萬國を寧す。
- 96 :
- 3、獲呂布
「漢の《艾如張》をベースにしたものである、曹公、呂布を生きて捕らえたるなり」。
呂布獲った、陳宮斬った、大悪人の首を草のように刈った。天下統一して、掌中に運ぶ。
4、克官渡
「漢の《上之回》をベースにした、曹公、袁紹と戦い、官渡の地でこれを破る」。
袁紹を官渡に破る、白馬を由とす。屍は硬直し血は流れ原野をおおう。賊はむれること犬羊のごとし、王師は尚寡(すく)なし。
黄砂は丘のごとく積もり、風に飛び揚がる。転戦すれば不利で、士卒は傷つく。今日勝たずんば、後に何を望む。
袁紹軍の掘った土山地道、われ等を破ることはできず。ついには勝って勢いを駆り、冀州を震わせ。城をほふり邑を破る,神武は遂に章らかならん。
まぁこの後も続くんですが、見てのとおり、三国志演技やゲームでは、物語の始まりを示す黄巾の乱や、青州兵が出てきません。
うたう人である名士への配慮か、それとも黄巾賊や青州兵が、魏が禅譲を受けた後も少なからぬ影を落としていたのか。当時と後世の視点の違いによるものなのか。
いずれにせよ、このへんの重点の置き方というのは、考えさせられるものがあります。
- 97 :
- っと、文字化けが多いけど、そこは勘弁。
あと、歌うのは名士とは限りませんので、そこは訂正しときます。
- 98 :
- 再度復活
- 99 :
- お前らいい加減にせい!
乱世に文学など無用じゃ!
そんなことより富国強兵に努めよ!
文章は傾国の怠業じゃ!
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