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2013年04月プロレス362: 1980〜81年の新日本プロレス (218)
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1980〜81年の新日本プロレス
- 1 :2012/12/07 〜 最終レス :2013/04/04
- 1980〜81年の新日本プロレスを語りましょう
- 2 :
- 日本マット界で最も脂が乗った時期だった。
- 3 :
- タイガーマスクデビュー!
この年を境に新日本黄金期へ!
「金八先生」「太陽にほえろ!」の裏番組で視聴率20%超って・・・
- 4 :
- ニコ動で見たハンセン全日転出直前の試合が面白かった
試合は塩だが、藤波がスピニング・トーホールドだして
ハンセンがばらすんじゃねえぞ的なカット!とか
ハンセンがラリアート三発だしてもフォール取れなくて笑いながらエルボーとか
ハンセンが猪木 藤波がマードックを同時フォールとか
アップ主ありがとー!
31年前、1度観ただけだが覚えてるもんだな
子供の頃の記憶力ってすごいよ
- 5 :
- この時代の雑誌は熱くて豪華なメンバーが多かった。
ゴング、別冊、月プロレス、デラプロ、81年暮れにはビッグレスラーも。
毎回日本や海外の試合が熱かったな。
- 6 :
- http://logsoku.com/thread/yuzuru.2ch.net/wres/1246503455/
これをまず読んでからだとより鮮明に思い出せる
- 7 :
- ハンセンNWF奪取
- 8 :
- ローデスは何故猪木と組んだんだろう。
- 9 :
- アメリカンドリーム ダスティ・ローデス!
- 10 :
- あの体型と髪型と色から、俺と兄貴はローデスを「羊」と呼んでいた。
- 11 :
- >>5
ゴング、別冊、月プロレス、デラプロ、ビッグレスラー、ザ・プロレス、ファイト
このあとにエキサイティングプロレスも登場。
更にビッグレスラーとエキプロも別冊まで。
小学舘からはプロレス入門。
ケイブンシャやコロタン文庫も毎年プロレス関連を出してた。
豆たぬき出版社も頻繁に出してたし。
プロレスが一般化していた証拠。
特に佐山タイガーの影響で子供ファンが多かったから。
俺も殆ど買って熟読していたよ。
- 12 :
- YOUTUBEとか、80年代の映像みると、プロレスではない普通のテレビ番組で
「プロレスは筋書きのない真剣勝負 だからおもしろい」とか司会者が大真面目に言ってたもんな
ゴールデンタイムで他の人気番組の裏なのに平均25%とってたり
- 13 :
- 1980年
猪木の最大のライバルは加藤優
- 14 :
- >>12
逆に言えばプロレスの裏番組からすれば『この裏番組には大人気のプロレス放送がある』となるな。
でも昭和の金曜8時は新日、太陽、金八とテレビの前は凄かったな。
翌土曜8時はドリフという巨大な番組があったし。
新日も裏がドリフだったらさすがに勝てなかっただろう。
- 15 :
- でも81年には僅かな期間ながら国際がドリフの裏番組だったという事実が。
- 16 :
- テレ朝に猪木
TBSに美津子
夫婦で金曜8時に出てたね
- 17 :
- >>14
金曜8時は81年夏〜年末がピークだね
当時単独で25%は確実に取れるお化け番組が集中
視聴率戦争がピークに達していたからな
武田鉄矢の金八を移動させたくとも名前が「金八」なだけに他の時間や曜日に移動させられないし
続編も社会現象となった当時の看板で負けるとなっては「ドラマのTBS」のプライドが許さない
当時は他局の人気番組潰しが大得意で強気のTBSですら、武田主演の先生シリーズ続編を諦めたほど
でもタイガー離脱で勢いの落ちた新日に長渕主演の「家族ゲーム」をブツけて視聴層を丸ごと奪い返し
武田の先生シリーズ復活でも当時の新日の息の根を止められるほどだったのに・・
さすがは当時のTBSといったところ、今じゃその面影もないが
- 18 :
- >>15
あれは打ち切りの理由作りのための時間帯移動だったみたいだね。
- 19 :
- >>17
81年夏は「金八」は終了して「仙八」になってただろ。
うぬはリアルタイムを知らないな。
- 20 :
- 金八と佐山タイガーは入れ違いの形なんだよな。
金八2→1980年10月〜1981年3月
タイガー→1981年4月〜(1983年8月)
前に誰だったか忘れたが、レスラーで『金曜8時はタイガーの試合が終わったら金八に変えてた』と。
この人の勘違いだ。
- 21 :
- だから金八の裏時代・・・特に金八2の裏は相当きつかったと思う。
当時の新日はまさにWWF豪華外人路線まっしぐらで、俺的には佐山タイガー
デビュー前とはいえ、まさにこの頃が新日最全盛期だと思ってる。
猪木が最後の全盛期と呼ばれる時代で、OPも過去の名勝負シーン。
WWF豪華外人の夢の対決に加えてハンセン大ブレイク、シンもUWA路線で
まだまだ引っ張れた。
藤波と健吾などの抗争や国際との対抗戦など、日本人対決も併用してた。
後の日本人抗争時代より引き出しが多彩でたっぷり楽しめたよ。
- 22 :
- >>18
打ち切りたい番組を強力なライバルの裏に持って来るのは、
近年のTBSも使ってる手法だね。
うたばんとか、フレンドパークとか。
>>20
実際には佐山引退後のワープロも、
けっこう佐山貯金が働いてたと思うよ。
- 23 :
- >>22
確かにあの時代こそ新日の黄金時代だな。
豪華外人が沢山揃っていたし、MSGタッグなんて夢の祭典だった。
この時代の新日は全日も完全に超えていたし。
80年の新日はわかりやすくて最高だわ。
- 24 :
- >>20は俺が書いたのだが、>>23と丁度一週間前の同時刻だ。
- 25 :
- 豪華外人時代の新日はリーグ戦公式戦以外でも
外人同士のドリームマッチを数多くやってたな。
特にローデス・バックランド・ハンセン・ホーガン
を軸に。
それがハンセンが引き抜かれたとたんにこういった
豪華外人対決が消えてしまった。
同時にローデス・バックランドがお役御免で
消えてしまったのも寂しかった。
- 26 :
- 外人対決で言えば
なんで アンドレvs シン
アンドレvsブッチャー をやらなかったのかな?
発言力のあるアンドレが流血戦を嫌がったとしか
思えない。
その点、ローデスは 両者と大流血戦を演じていたね。
- 27 :
- アンドレとシンはMSGタッグでドリームマッチの
一騎討ちやってるだろ。
ブッチャーとだってプエルトリコか何処か、
海外でシングルやってる。
アンドレはボックとは拒否したとは聞いてるが
シン・ブッチャーとは別に嫌がったとは思えない。
彼らとやったから流血をしなきゃいけない
ことはないし(実際流血無だった)、アンドレも
猪木や坂口、ハンセン、カーンなど何度も
流血されてるし流血を拒絶するほどヘタレ
じゃない。
ただ単に新日フロントがファンの夢を実現する
センスがなかっただけ。
バカの一つ覚えみたいに日本人軍団抗争を
同じカードばかり乱発すりゃファンが喜ぶと
思ってたんだろな
- 28 :
- アンドレとブッチャーの試合は見たかったよ。
ブッチャーが新日に移籍して、真っ先に頭に浮かんだのがアンドレ×ブッチャー。
絶対に組まれるカードだと思った。
アンドレとハンセン、ブッチャーなんか最高だわ。
アンドレのパートナーは適当にして。
それか猪木、アンドレ×ハンセン、ブッチャーとか。
とにかく同時(80年代前半)の新日は日本人対決ばかりだった。
俺は日本人対決よりブッチャー絡みを見たかったし。
アンドレ×ブッチャー
カーン×ブッチャー
バックランド×ブッチャー
辛うじてホーガン×ブッチャーやローデス×ブッチャーは組まれたからなあ。
ホーガンはブッチャーとの戦いがきっかけでブレイクしたし。
- 29 :
- バックランドやローデスは日本人軍団抗争路線に
なったから83年は無来日だった。
来日無しの年は彼らが新日登場してから
初めてのこと。
それくらい当時の新日は日本人対決とタイガー
マスク中心のJr.ヘビ路線に偏っていた。
その最大の弊害があちこちで言われてる
MSGシリーズより最低にショボい面子のIWGP。
少なくともブッチャー、ボック、バックランド、
ローデスらは何とか特別参加でも呼べたはず。
スタッドとかエンリケ・ベラなど興味も
ないB級以下ばかり呼ばれてもちっともワクワク
しなかった。
猪木、ホーガン、アンドレなんてもう腐るほど
やってたマンネリカードだったし。
あれは猪木・新日の人気が凄まじかったから
何とか盛り上げたけど、俺にとっては本当に
夢なんて全く感じない糞リーグ戦だったよ
- 30 :
- >>29同意。
当時は無理矢理自分にムチ打って楽しんでいたけど。
散々煽って宣伝しといて結果的にはあのメンツだったもんなあ。
そりゃ興味が失せるよ。
俺的にはブッチャーが参加しなかった事で興味半減。
大塚が後々に言っていたが。
ブッチャーは地方での興業要員だからビッグなシリーズの次に参加して貰ってた。
言い訳にもならないと思った。
全日時代のブッチャーは最強タッグやCCの次のシリーズにも参加していたし。
それは全日の話だが、シンだってMSGタッグの次にも参加していた。
81年MSGシリーズはシンの最後のシリーズだったが。
- 31 :
- でもシンがいた頃はハンセンもいた。
上記のバックランドやローデスも頻繁に来日してた。
大物外人が沢山いた時代。
だが、ブッチャーが移籍してからはガラリと変わった。
シン、ハンセンは新日を去り、バックランドやローデスもレギュラー枠から外れた。
83年は確かに二人は一度も来日せず、だし。
だからこの時代は大物外人は減ってしまった。
それでビッグなシリーズの次にブッチャー、というのも100歩譲ればわからんでもない。
でも続けて二シリーズくらい呼べるだろと。
IWGPにブッチャーを呼んで次は特参でも。
ブッチャーはNWA王者みたいに(プロレスでは?)多忙じゃないんだから。
- 32 :
- 82、3年の日本人抗争(主に長州×新日)が始まってから見始めた人
その前の外人主力時代を見てきた人
良し悪しではなく恐らくプロレスに対する捉え方や認識は大きく異なると思う。
俺は長州革命前の外人主力時代を見てきたからやっぱり日本人抗争はイマイチだったな。
当時はもの珍しさや新鮮さがあったけど。
でも今から考えるとやっぱり日本人抗争は物足りなく感じていた自分がいたのがわかる。
- 33 :
- 日本人抗争はマンネリになってしまったからね。
顕著なのが83サマーで、毎週メインが「また藤波と長州?」になってたから。
- 34 :
- 長州革命までは日本人対決は行われつつも外人主体の体制は変わらなかったん
だがな。
S・小林戦に始まり、大木戦、そして間をおいて上田戦、プレ日本での狼軍団
、藤波と剛・健吾との抗争。
だが、いずれも単発的、もしくは外人と共闘など飽くまで脇の存在であり、
それらがバランスよく混合していた。
ただ、82年のブラディファイトからラッシャーが凱旋帰国して、国際軍団が
本格的なヒールとして再始動したあたりから日本人同士の抗争路線が強化
された感がある。
それまでの国際軍はあまり新日勢と全面抗争という位置付けではなく、
前座で細々とやっていた。
猪木とラッシャーのシングルもMSGシリーズ以来、半年振りに実現した
ぐらいだし。
むしろ82年はハンセン失って豪華外人体制を無理矢理強化したような感じ
だった。
ブッチャー、ワフー、それに衰えたとはいえ元WWWFチャンプのグラハム、
そしてキッド、ブレッド・ハートら多勢のジュニア戦士といった大物外人
揃い。
このシリーズは猪木とブッチャーの初のシングルが行われるということで、
ブッチャーを強烈にRュし、連日メインエベント出場だった。
それが一年足らずで長州革命から一気に日本人路線に偏るようになり、
せっかく大物外人を呼んでおきながら飼い殺しという極めて勿体無い
状況が連続した。
猪木も世界統一というスケールの大きいプランを打ち上げておきながら、
結局は内輪のチビチビした世界に埋没することになってしまった。
まぁ、確かに興行利益の面では安い日本人で客が呼べ、視聴率が稼げるんだから
企業としてはそちらの方がメリットが大きかったんだろうけど、
プロレスが持っている世界的スケールの魅力が失われてしまったな。
- 35 :
- いかんせん国際軍団が見劣りしてたから全面抗争アングルは無理があったな
当時は外国人が充実してたし。しいて言えば憎まれ役にはなってたけど。
- 36 :
- そっか、82年真ん中はラッシャーは海外だから日本にはいなかったっけ。
でも国際あたりではまだ日本人抗争が新日の主軸ではなかったもんな。
やっぱり長州革命からそれが始まった。
この方が経費が安く済むのもわかる。
更にこれが受けて新日の人気が更に上昇すれば会社的には一石二鳥。
そんな事は当時は子供だったから全く気付かなかったが…
しかしそれによって>>34の通りスケールダウンしたのも否めない。
こういう事も時間が経過してからわかる事だが。
にしても外人がほとんどテレビに映らなくなったのは残念だったな。
毎週の様に佐山タイガーと寺西・小林、長州と藤波じゃあ飽きるわな。
- 37 :
- あまり知られてないが、82年サマーファイト第二弾あたりでラッシャーを
帰国させ、参加予定のヒロ・マツダ、ストロング小林をカムバックさせて
軍団入りさせ、規模を拡大した新・国際軍団と新日の全面戦争を企画してた
んだよな。
それが猪木の糖尿悪化欠場でオシャカになった。
それが実現してれば、或いはまた全く別の形の日本人対決路線になってたかも
しれない。
ストロング小林は入道頭にしたばかりの頃、猪木とラッシャーの髪切マッチの
セコンドについて浜口にハサミを渡したり、猪木やミスター高橋に殴りかかった
りして完全に国際軍入りのアングルだったが、それも立ち消え。
ただ、国際軍団や初期の革命軍はポジションは飽くまで「外人組」。
長州やカーンもマリガンなどの外人勢と組んでいたし、国際軍もブッチャーや
マイク・ジョージなどと組んでいた。
上田馬之助みたいな位置付けだったんだろう。
いつからか、「外人組」という言葉も死語になっていってしまったな。
- 38 :
- 小林は腰痛悪化で復帰が無理だったんだよな。
あれで復帰できてれば違ったのに。
木村は一応はいち団体のエースだったからまだ見劣りしなかった。
※猪木とは格の違いはあったが。
でも長州はそれまでは当然ジョバーのイメージだったから見劣りして物足りなかった。
逆にジョバーの長州があれだけの革命を起こしたからこそ反響も大きかったのだが。
でも長州が結果的に日本マット界のど真ん中の存在になるとは。
80年代中盤は長州が常に日本マット界の話題の中心だったわけだし。
80年代後半になると前田がその立場になっていったが。
- 39 :
- ハンセン→移籍
シン→移籍
ボック→音沙汰がなくなる
ホーガン→猪木のパートナーに
ローデス→来日減少
バックランド→来日減少
残るはアンドレ、ブッチャー、マードック、スーパースターくらいか
やや地味だね
- 40 :
- マッハ隼人と阿修羅原に来てほしかったな、寺西より派手だったし
- 41 :
- >>40
阿修羅は藤波戦が組まれたことに反発してボイコット
したけど、マッチメイク次第では新日に出てたのか?
なんだかんだ理由つけて全日に移っただろうけど。
- 42 :
- 木村、小林、浜口、寺西、原、剛、隼人
これだけの陣容が揃ってれば対抗戦の赴きは十分だった。
7人だから単純に倍以上。
トップ3人ならまだしも木村がエースでも浜口と寺西は中堅だったし。
それと草津まで一生に新日上がってれば更に国際強化。
そうなれば国際軍団は変にヒール色強くなくてもやっていけたはず。
- 43 :
- 一生に → 一緒に
- 44 :
- そうだな、草津には来てほしかったね。
サンダー杉山ってもとは国際だっけ? あの人も一時期外人枠で戦っていたけど。
- 45 :
- 当時の序列的に木村だけ国プロのエースで浜口、寺西は中堅に見えたもんな
正直猪木、坂口、藤波相手に役不足だし、ブレイク前の長州、木村健吾で釣り合う感じ。
草津も来てたら晩年の評価も変わってたかもしれん。
- 46 :
- マツダ、杉山、草津も国際軍に入れたら本当に一大勢力になっていた。
彼らは既にセミリタイヤしたロートルだったにせよ、エース経験がある
ビッグネームの実力者。
そうなるとラッシャーがボスでナンバー2が草津になるのか。
マツダはスポット参戦のゲスト的存在だろう。
これで小林の腰痛もなかったらかなり驚異的な存在。
鶴見や大位山、ヤス・フジイもこちらに参加していればさらに面白かった。
- 47 :
- 維新軍と比較すればわかりやすい
マツダとサンダーが交替でマサさん的な立場
金剛さんはカーンのポジション
浜口はそのまんま浜口
ジュニアが充実して実質谷津的な立場の阿修羅エース、次に試合巧者で参謀として動く寺西
剛や隼人も阿修羅寺西の価値維持用の負け役として活きてくる
正規軍のタイガー始め健吾に星野、それ以下の中堅にも役割が与えられて
当時海外修行中だっけ?小林にも役割が出来て呼び戻される
まあ、健吾さんは長州木戸と並んで外人の引き立て役もできるから、Jrのままにはしないかな?
かわりに浜田を入れて正規軍がガチ一悶着だったりwで更なる展開が見込める
- 48 :
- 例の「こんばんは」事件のせいで対抗戦特有の緊迫感がなくなったわな
現在ならネット上でネタキャラとして大炎上だろうw
- 49 :
- 浜口「(剛に向かって?)来いよお前フフフ」
- 50 :
- 浜口のフォローがなかったら
木村は、あの一瞬で死んでいたな。
とはいえ、後年「マイクの鬼」として人気者に
なるのだから皮肉なもんだ
- 51 :
- 木村は小林脱退で無理にエースへと押し出された感が強く、金網実績でコツコツ貫禄をつけていった苦労人。
エースになって、猪木に挑戦状を送った時も「まるで格が違う、身の程を知れ」とまるっきり相手してもらえなかった。
団体のエースなのに、若手鶴田の試練の十番の相手を引き受けたが、リングアウトですら勝たせてもらえず…
アニキ〜のマイクで生き延びたあたり、なんか哀愁が漂うんだよな。
- 52 :
- 木村は猪木が日プロに戻そうとしたんだけど
芳ノ里に受け入れられず
国際入りがその分遅れたために
杉山、草津、小林よりも冷遇されてた
- 53 :
- 木村といえば、海外遠征している間は「口がきけない・耳も聞こえない」
キャラを通していて(喋りは相棒のシャチ横内が引き受けてくれた)
何度かNWA王者時代のドリーと選手権試合と知らずに対戦していたんだが
後に全日本のシリーズでドリーと一緒になった時に挨拶に言ったら
「お前口がきけたのか!?」とドリーに驚かれたってのは本当なんだろうか
正直眉唾な気がするんだけど
- 54 :
- この年のMSGシリーズ中に組まれたバックランド、藤波×ハンセン、ローデスは凄かった。
ハンセンとローデスが仲間割れしてホーガンが乱入。
二人でローデスを血だるまにすると今度はアンドレが乱入してローデス救出。
これが猪木、バックランド、藤波×ハンセン、ローデス、ホーガンでアンドレが乱入したら更に凄かった。
翌年の猪木、ローデス×ハンセン、ホーガンにシン乱入とか。
この時代の新日は乱闘劇も超豪華爛漫。
- 55 :
- でも当時の日本マーケットってすごかったわな、海外メジャー3団体と提携して
一応タイトルマッチも行われてたし。
- 56 :
- 第3回MSG(バックランド・アンドレ・ローデス
ハンセン・ホーガン)と、
第2回最強タッグ(ファンクス・ブッチャー・シーク
マスカラス) は 今見ても凄い。
- 57 :
- 小林の国際軍団入りはないよ
あの温厚なラッシャー木村が小林のことはボロクソに言ってるから
- 58 :
- 確かにラッシャーは「小林は見てくれの筋肉は凄いけど実際は力なんてほとんど
ないから」とか貶しまくっててびっくりした。
小林も温厚な性格なのに、いったい何がそんなに嫌われる原因なんだろう?
やっぱりホモだからかw
82年のMSGタッグには木村・小林組が当初発表されてたけど、小林の腰痛が
なかったとしてもこの人間関係じゃ木村が拒否してたかもな。
- 59 :
- 81年ももとは木村小林の予定だったよな。
前年には対決していたのに。
- 60 :
- でも小林の国際軍団入りは堂々と発表されていたはず。
小林、剛の二人が。
実際に小林の腰痛がなければ国際軍団入りだったろう。
その後は仲間割れ→分裂になった可能性もあるが。
でも小林、剛が加入すれば戦力もアップしてもっと盛り上がったはず。
そうなれば新日×国際軍団の5×5もできた。
新日側は猪木、坂口、藤波、長州、木村か星野で。
小林は腰痛だが、剛は何故外されたのか?
やはり書かれてる様に人間的な問題だったのか?
- 61 :
- B・アレンもホーガンも「小林はゲイだ」と罵倒してたが
それ以上にやっぱ新日に引き抜かれて猪木に完敗するブックを飲んだんだから良い感情を持たんだろうね
常勝チャンピオンが完敗してしかも中堅に落ちたら「国際は低レベルだ」と宣伝されたようなもんだ
- 62 :
- 小林が最後に現役としてリングに上がったのって、81年10月23日だったっけ?
確か坂口と組んでアレン&ビリー・クラッシャー(M・スーパースター)と
対決だったと記憶してるが。
大木金太郎も11月5日が最後だったように、この時期は往年のレスラーが次々と
リングを去っていったな。
ただ、小林も大木も団体内での存在感が本当に薄くなっていて、いなくなっても
誰も気付かなかったみたいな雰囲気だったな。
- 63 :
- 小林最後の試合は多分、10月15日佐世保だったような気がしてきた。
上記のカードは猪木vsR・木村の初対決があった10.8蔵前だったな。
- 64 :
- 81年の小林って短期メキシコ遠征から帰国して
猪木マードック戦(新日初シングル)のゲスト解説をしてた印象しかないなあ
- 65 :
- いずれにせよ81年闘魂シリーズが小林の最後の試合だろうね。
MSGタッグは発表では木村、小林組だったはず。
でも小林の欠場で浜口に変わった。
翌82年10月の大阪ではスキンの小林が猪木VS木村で木村に加勢した。
でも結果的にあれが小林の引退前の最後の晴れ舞台だったな。
- 66 :
- 66だが、小林は引退試合はやれなかったな。
- 67 :
- 83年8月の木村vs浜口戦のセコンドでもS・小林は入道頭で再登場して、
解説の桜井が「木村、小林、寺西。みんなグルだったんですね」
と如何にも悪の枢軸みたいな表現をしていたなw
そんな流れだからこの時点ではもしかしたら木村と小林の関係はそれほど
悪くなかったのかもしれない。
一度でいいから木村・小林の国際エースコンビは見てみたかったな。
- 68 :
- 草津や杉山といった国際の主力はどうしていたんだろう。
- 69 :
- 草津は80年7月頃から試合なし(アキレス腱だったかな)
杉山は80年MSGシリーズ名古屋大会が最後の試合。
81年MSGシリーズ名古屋大会のバトルロイヤルのレフェリーが最後のリング。
- 70 :
- 年齢的にはまだまだやれただろうにな、草津、杉山。
むしろ彼らが初期の国際の主力として引っ張ってたんだから、
真の国際軍団ならばこれにマツダも加えて初めて形が整う。
参謀に吉原代表、マネージャーにミスター珍という布陣も楽しそうだ。
だが草津も鶴田と同じくサラリーマンレスラーで、プロレスに未練は全くなく
さっさと営業マンに転職してしまったし、杉山は事業が波に乗ってたから
わざわざ痛い思いしてまでプロレスにしがみつく気もなかったみたいだしな。
- 71 :
- 国際が適材適所で行動していたら、もっと面白い国際軍団になっていたかもしれないね。
木村、浜口、寺西の3人は絶妙な気がする。それに何か+αがあれば・・でも決して井上、原ではダメ。
小林が腰が悪くなければ,再生していたかもしれないね。ミスター珍のマネージャーはおもしろいなあ。
- 72 :
- 珍は国際時代、鶴見と大位山の独立愚連隊のマネージャーをやってたからな。
コミカルなイメージだからシリアスな国際軍団のイメージから離れてしまう
かもしれないが、元来根っからのヒールだけにうってつけだと思った。
それと当人がヤル気がなかったんだろうけど、大位山の30代半ばでの引退も
もったいなかったな。
- 73 :
- 浜口はあれだけ対抗戦時代は冷遇に近い状態・・永源と勝ったり負けたり。健吾にガチ失神。
だったのに、年を追う事に言い扱いになってきたね。それも偏に、あの性格と努力の賜なんだろうけど。
- 74 :
- 小林、剛、草津、杉山が揃ってれば新日にも対抗できた。
そうしたら長州革命はなかったかも。
更にヒロマツダが加われば戦力的には新日を上回ったかなも。
- 75 :
- >>74
少なくとも猪木対3人のような扱いはなかっただろうな。
でも小林の再生は期待したいが、剛は中堅。杉山はロートル、草津もヤマハに負けてるから
対抗できたかどうかは疑問。
- 76 :
- 草津がヤマハに負けた頃はもう自身のランクが浜口にも劣ってきつつある時期で
そんなに格に固執していなかっただろうな。むしろフロント入りで
経営の立場としてどうしてこうか、という考えだっただろう。
でもトータル的にみれば国際の格は木村・小林・草津が三本柱というイメージ
はこの頃はまだ根強かっただろう。
- 77 :
- 木村、小林、草津なら猪木とのハンデマッチは逆にできなかったろうな。
幾ら猪木でも勝ち目なし、と写るし。
それこそシン、上田、ハンセンとの3VS1と同じ感じだ。
でも国際は木村、浜口、寺西だけでは弱小すぎた。
だが弱小でも強大な新日に向かってゆく姿は絵にはなったが。
- 78 :
- 木村、小林、草津なら猪木とのハンデマッチは逆にできなかったろうな。
幾ら猪木でも勝ち目なし、と写るし。
それこそシン、上田、ハンセンとの3VS1と同じ感じだ。
でも国際は木村、浜口、寺西だけでは弱小すぎた。
だが弱小でも強大な新日に向かってゆく姿は絵にはなったが。
- 79 :
- 腰悪くしていた小林はともかくなぜ剛竜馬が軍団入りしなかったのかと当時ほんとうに不思議に思っていた。
当時、剛はまだ20代中盤くらいだったろ?なぜもう一度巻き返しを計ろうとしなかったのか。
- 80 :
- 剛の人間性(素行)に問題があったから新日は使わなかった、との書き込みを読んだ事ある。
でも81年10月の後楽園大会に国際軍団と共に小林、剛も一緒に上がって挨拶してんだよ。
会場には行ってないが、ゴングに出ていた。
確かに剛は勿体ないよな。
当時はまだ25だし、藤波のライバル的存在になれたはず。
もっとも藤波はこの直後にヘビーに転向したが。
- 81 :
- >>80
剛ってほんとによく言われないね。
ゆえに葬式まで駆けつけた唯一の大物アニマルの心の広さが,感じられる。
だから浜口は勝ち組なんだろうなあ。
- 82 :
- 木村、浜口、寺西、小林、剛の5人がリング上で国際軍団結成表明は俺もゴングで見た。
ちゃんと写真付きだったね。国際軍団なのに小林は新日の赤袖Tシャツ。
- 83 :
- >>71
>木村、浜口、寺西の3人は絶妙な気がする。
決してかぶる事のない、3人3様のキャラが際立ってたね。
寡黙な闘将・威勢のいい人・テクニシャン
まあ寺西のキャラが認知されたのは、初虎戦以降だったけど。
>>77
3人だけだから弱小だったという反面、
3人だけだったからこそ、全員がそれぞれの持ち場で
最高に脚光を浴びる事が出来た。
特に寺西なんかは、佐山の引退があと1〜2シリーズ早かったら、
個人で脚光を浴びる機会なんかなかったんじゃないかな。
- 84 :
- 寺西さんは解体現場で働いてるんだよな バイトスタートも今は責任者だっけ。
感心する
- 85 :
- >>83
その通りだね。意外と3人とも新日本に対して批判的じゃないのも共通している。
ストロング小林やマイティ井上は新日本のこと、ボロクソなのにね。その辺も興味深い。
- 86 :
- ストロング金剛としてタレント転向でフェードアウトしたもんな
木村、剛もUWF参戦で迷走したり
- 87 :
- 全日移籍組の井上や原は安定していたな。
原の場合は天龍と組んでからまた脚光を浴び始めたわけだし。
ただ裏の部分では借金が大変だった。
それが元で結果的には全日を解雇されたが。
井上は普通に中堅のままで安定していたと思う。
後々には木村達も合流してきたわけだから。
- 88 :
- http://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&cd=11&ved=0CCQQFjAAOAo&url=http%3A%2F%2Fsooda.jp%2Fnote%2F5842&ei=woQGUbWgFozLmgX_q4HYDw&usg=AFQjCNGW6K4ruPQvPWSk3CQ-mA2hcLWHvA
- 89 :
- ラッシャー木村もエースなのに鶴田に勝てなくて、可哀相だったな
- 90 :
- >>87
安定だけど、新日本ブームだったために、脚光をあびることはなかったな。>>井上・原
知名度は国際軍団が格段上だった。
- 91 :
- いつまでも剛に関わってたら藤波は伸びるチャンスを失ってたんじゃね
- 92 :
- 阿修羅は何年かあとに龍原砲で脚光を浴びたからまだ良いのでは?
マイティは国際時代はエース扱いでも実際には中堅の器。
決してマイティの事を悪く貶めて言ってるのではなく現実問題ね。
冬木や菅原が新日だったら潰れていたかも。
菅原はまだしも当時デビュー1年程度の冬木の方は。
- 93 :
- >>92
冬木・菅原に関しては同感。どう考えても新日本向きじゃなかった。高杉にしても。
阿修羅原は、84年まではやられ役。
85年のヒットマン時代から脚光を浴び始めた。他の国際選手よりは体格的にも伸びしろがあったんだね。
- 94 :
- 高杉もいたか。
まあいずれにせよ新日には合わなかったね。
阿修羅は85年のヒットマンまでは確かに革命前の長州的存在だった。
天龍より更に下の位置付けでもあったし。
87年からの龍原砲で完全に波に乗った。
でもヒットマン以降はシンと組んだりまであったから。
完全にヒール的立場になった。
それはそれで悪くはなかったけど。
でもやっぱり天龍との龍原砲で水を得た魚だったね。
全日の最後は後味悪かったけどSで復活したからまだマシだね。
- 95 :
- でもヒットマンや天龍革命以前から
「全日本.4の男」の称号を貰ってたのは、凄い事だよ。
国際からの外様なのに。
石川敬士なんて、生え抜きなのにその称号を貰えなかったんだから。
- 96 :
- その称号は知らないけれど
大仁田のほうが上じゃなかった?
- 97 :
- >>89
勝ったけど?
- 98 :
- 原は日本代表ラガーマンだから体も頑丈だし身体能力は高かった。
大型外人とガシッ!となっても当たり負けしないのは、相撲で稽古を積み幕内まで行った天龍もそうだから、実にいいコンビだった。
強靭な肉体の見せ合いはプロレスの王道というか。
あれが後の小橋や川田の胸板出し→そこに全力打ち、急角度技の応酬というタフネス比べな流れにも繋がっている気がする。
大仁田や冬木や井上らにはそうした真の肉体の強さがなかったから。
何に関しても相手は加減するし、大方をフェイクにする必要があった。
ま、大仁田は身体能力は低いものの、のちに自ら皮膚というか表面的な部分でのタフネスさ(切る、焼く)という部分で、凄惨なプロレスを作ったが。
まさに邪道そのものだな。
- 99 :
- 石川はブサイクだったからな
実家の和菓子屋で作っていたお菓子もあまり美味くなかったというし
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