2013年05月戦国時代62: * 織田信忠 その2 * (978)
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* 織田信忠 その2 *
- 1 :2009/08/31 〜 最終レス :2013/04/30
- 織田信忠(1557〜1582)
信長の嫡男。
松永久秀の謀叛鎮圧や甲斐平定戦などで功を立てた。
信長から家督を譲られ、美濃・尾張の2国を領する。
本能寺の変の際、二条御所で自害した。
前スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156156397/l50
- 2 :
- >>1
乙です。
- 3 :
- >>1乙
信忠の弟達のスレ
【報いを待てや】織田信孝【羽柴筑前】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180257020/
織田信雄を語る
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149993954/
織田勝長総合スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151724055/
- 4 :
- 織田家のマイナーな武将を語るスレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193212492/
- 5 :
- 歴史家の「最近の研究」ほどよく吟味しないといけないものはないぞー
なんせ普通の主張じゃ取り上げて貰えないんで兎に角奇抜な説を唱えているからな
学会で発表するだけならコネさえあればいいし
- 6 :
- もし本能寺の変で信忠だけでも無事脱出できてたら
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1175135022/
- 7 :
- 信忠が正室を持たなかったのは松姫に執着してたからでいいの?
- 8 :
- >>7
んなわけない
- 9 :
- >>7
いずれは天皇家の姫を迎える予定だったとか
- 10 :
- 結婚は個人の好き嫌いでするもんじゃないからなあ。
好いた女なら、妾なり側室でいい。
少なくとも、松姫との婚約は正式に破談になっているのだから、
仮に本能寺が無くて松姫が信忠の元にきたとしても、正室として
迎えることは出来ない。
皇室かどうかはともかく、政治的においしい家から迎えるために、
あえて空けていたってところだろうな。
- 11 :
- 松姫とは正式に破談になってたのか。
自然消滅っぽい終わり方かと思ってた。
- 12 :
- 信忠が生きていたら天下統一後はどういう政権を作ったんだろう?
江戸幕府みたいに長持する支配体制作れたかな?
- 13 :
- >>10
正式に破談になったという史料は織田・武田双方共に
未だ確認されていないはずだが、何か新発見でもあったのか?
あと、仮に正式に破談になっていたとしても正室として迎えることが
できないという訳でもないだろう。どこかの家の養女にして
嫁がせることもできる訳だし。
それと他スレなんかではこれと似たようなことを書かれてると
必ずと言っていいほど松姫にそんな価値が影響力があるわけないとか
過大評価しすぎという意見が脊髄反射のように出てくるんだが、
俺は松姫を過大評価する気はさらさらないとはいえ、かといって彼女が
実家が滅んだから、もう価値も影響力もなかったとする見方には
いささか疑問も持ってるよ。毛利が終わった後のことを見据えるならね。
- 14 :
- >>12
「北条家の体制をパクる」という着想に行き着けばあるいは
- 15 :
- 家康みたいに名家を再興させたい病でもなければ。
- 16 :
- >>12
それこそ織田家は仕組みの無い体制なので、たとえ天下をとっても長続きするとはとても思えん。
>>15
典型的な実体のない司馬史観だな
- 17 :
- 信長が生きていたらどんな政権を作ったんだろね
- 18 :
- 組織はあるよ
四天王や八角将といった呼称は後世に作られたわけではなく
信長存命時の資料にある
ちなみに五将軍と言う言葉は後から作られたもの
- 19 :
- >>17
豊臣政権(これも室町幕府の手直しバージョンだが)よりも、もっと室町幕府近いものだっただろうね。
信長に(主に光秀を通して)付いた、室町幕府の奉行衆(官僚)の多さを考えると、室町幕府的
政権運用以外のものは、なかなか想像できない。
- 20 :
- 武田が滅んだ後、八王子に疎開してた松姫に迎えが行ってるんだっけ?
- 21 :
- >>13
正式もなにも、家同士が敵対関係になったのに、婚約関係は継続と考える理由は?
- 22 :
- >>17
内部官僚と地方軍閥が押し合いへし合いする政権。
二、三代は安定するがその後あぼん。
- 23 :
- >>22
なぜ2、3代なんだw
15代もった徳川とどこが違うの?
- 24 :
- そういうのは妄想の域をでないので問う側も答える側もアホ
- 25 :
- 信長親子が生きていても織田家の長期政権は難しいのか
そう考えると家康てやっぱ凄いんだな
- 26 :
- だから妄想の域を出ないって言ってんだろがw
徳川政権が安定したのは家康だけでなく秀忠、家光の力も大きいだろ。
- 27 :
- 秀忠>信忠てことか・・
- 28 :
- 浅学ゆえ信忠の政治家としての実績を全く知り申さん・・・
相当前に歴史読本かなんかで、信忠の濃尾統治に関する研究レポートみたいのが掲載されていたような気がするのだが、当時は興味がなかったので読み飛ばしてしもうた
- 29 :
- 織田政権が出来ても徳川幕府のように長期政権にはならない、って、どうして想像できるかと言うと、
信長は政権運営組織や仕組みを、殆ど作らなかった事からなんだよ。
仕組みも、それまでの慣習と既得権を丸呑みしてそれを積み重ねて行ったに過ぎない。
「織田政権」と言うものの全体像を把握していたのは、最後まで信長一人だけだったと
考えられる。
これに対して家康は、ごく早い時期から、軍政ともに、合理的かつ効率的に運用できる組織と仕組みを
作っている。
それは不断に改革、改良されていたし、徳川家臣団というのは、そう言う中で組織人としての
規律と規範を訓練されていった。
これはいい悪いの問題ではなく、方向性の違いだと考えてもらいたい。
やはり組織作りというのは時間と手間がかかり、信長が必要としたような即応性には
対応しにくいからだ。
ただ、その方向性の違いゆえに、組織、仕組みの軽視された織田政権と言うものは、継続性と
言うものには疑問符を抱かざるを得ない。と言う事ですな。
- 30 :
- 織田政権中枢の史料ってのもあんまり残ってないから断定も出来ないねぇ。
あるいは佐久間追放が機構改革の先鞭だったかも知れず。
史料が豊富ならともかく、今の段階では妄想の域を出ないって言うのが正解かね。
- 31 :
- >>21
正式に破談と状況推測で自然に破談は似て非なるものだよ。
正式というのは織田と武田の代表が一同に会して同盟も破棄に伴い
この婚約も破棄と宣言するか、書簡でそういうやりとりがあった場合で
実際にそういうことがあったとする史料などが発見されない限り
正式にではなく状況的に破棄だろ。
それに、俺は婚約が継続状態だったと書いた覚えはないよ。
- 32 :
- >>31
同盟継続の一環として政略結婚が企画されたのに、同盟が破られて(これは書状がある)
でも婚約は継続って見るのは無理がありすぎる。
まあここまでくると言葉遊びになってると思いますが。
>>29
徳川の組織って、関東移封で旧北条の組織を吸収してから。
それ以前の徳川家は、組織も他の織田家や武田家とそう大差ない。
- 33 :
- >>32
それはよくある間違い。
独立直後の旗本先手組の編成から、駿河期の大番制度の創設まで、
家康の徳川家はその初期から、組織化において他の戦国大名と比べても非常に熱心だ。
第一、組織の慣習がなければ、いかに北条の官僚機構が優れていても、それを吸収、運用
することなんて出来ない。
プレ近世大名とも言われる北条の高度に発展した官僚機構を、齟齬なく理解、運用出来るほど
徳川家臣団は組織に対しての訓練を受けていたって事だ。
逆に信長の織田家は武田家などとは比べ物にならないほど、組織化は遅れている。
だから甲州攻めの後、織田家は甲斐において、武田家の官僚機構を理解できず、
占領軍としての立場しか取れなかった。
信長の織田家は、守護大名的仕組みからさほど離れていない。
- 34 :
- >>33
先手組も大番制も、発足当初は官僚だ組織だからはかけ離れたシロモノ。
その程度なら他の大名にも類似なものはあった。
のちの幕府の組織機構へと発展していくので、まるでそのさきがけになった
制度が最初から官僚組織だったかのように過大に評価されているだけ。
>武田家の官僚機構を理解できず占領軍としての立場しか取れなかった。
意味不明。戦後処置の期間だけでどうしてそこまでいえるんだ?
織田家の他の征服地域を無視してますよ。
- 35 :
- >>30
もともと仕組みが無いから残ってないだけw
- 36 :
- 無法律で戦国一の強国に成ったならそれはそれですごいな。
- 37 :
- 足利政権での守護大名制度と、徳川政権での藩制度は、どう違うんですか?
結局、地方が強大化して幕府が潰されるという歴史には変わりない。
- 38 :
- >>37
ぜんぜん違う、徳川幕藩体制は中央集権に近い。
滅びたのも地方が強大化したからではない。
- 39 :
- >>38
教えてください。
- 40 :
- >>39
範囲が広すぎる。何をどう教えてほしいのか、具体的言ってほしい。
もしくは本屋や図書館で、通史ものでいいから江戸時代に関する歴史書を読め。ただ、最近のものをだ。
- 41 :
- そうだな地方が強大化した訳じゃない
室町幕府も徳川幕府も、自分達が弱体化して潰れた
これに尽きる
室町幕府は奉行衆が、徳川幕府は旗本が、軍事的資本だったのにその力を失ってしまった
その軍事的資本で周囲に睨みを聞かせていたんだけどな
室町幕府ってのは言うほど将軍のが弱い訳じゃなんだぜ
- 42 :
- じゃあどうして自分達が弱体化したんですか?
足利の場合は義教暗殺を期に弱体化したとかゆわれてますけど
軍事力にどう影響を与えたのかわかりません?
- 43 :
- >>41
それも間違い。江戸幕府が滅んだのは軍事的に弱体化したからではない。
幕末期の幕府は桜田門外の変以後、「天皇を中心とした」新体制への国家変革路線をとった。
ここがポイントだ、将軍ではなく「天皇を中心とした」だ。
ところが孝明天皇の急死で朝廷を岩倉具視を中心とした過激派が主導し、幕府は
政治的に敗北した。
しかし過激派に牛耳られたとはいえ、井伊直弼の暗殺後、幕府の正当性を朝廷に求めていた事を
いまさら変えるわけにも行かない。そのため幕府内部すら恭順派と交戦派に分裂した。
徳川幕府が滅ぶのはもっと政治的な話で、ぶっちゃけて言えば「偶然」に近い。
地方が強大化とか幕府が弱体化とか、そう言う話とは少し違うものだ。
- 44 :
- >>43
結局、軍事的に朝廷や外藩を押さえつけることができなくなったからでしょう
- 45 :
- >>44
徳川家自体も分裂していた。そのくらい当時「天皇を中心とした国家」と言うのは
強烈な国論だった。
- 46 :
- >>38
国替えが当たり前の鉢植え大名ばっかりだもんな。
兵農分離してるから、下命一つで他国へGO。
- 47 :
- いや守護大名も土着してるの少ないぞ
だから守護代なんて台頭してきて戦国時代になった訳で
>>43
国家改革路線を取ったのはどうしようもなく差し迫って弱体化していたからだよ
飢饉に重ねて天保の改革に失敗し経済混乱が起きていた
関東取締出役から上知令の流れは徳川だけを守ろうとした行為の現れであり、
その時点で他の藩に対する守護者的な征夷大将軍という存在価値が低下していった
黒船来航からの流れは加速であっても偶然ではない
- 48 :
- >>47
守護大名と近世大名は存在からして完全に異なる。
守護大名は国人、地侍を通して間接的に住民を支配する存在に過ぎないが、
近世大名は「家中」および住民を、ほぼ把握している行政体だ。
そして室町幕府と江戸幕府の違いもそこにある。室町幕府は後期に住民の直接把握へと
踏み出そうとした事はあったが、基本的には守護、寺社、国人、地侍を通した、間接支配の
政権だ。
これに対して江戸幕府は、戸籍等により日本の「国民」を、ほぼ完全に把握していた。
これは律令制の崩壊以来、初めてのこと。江戸幕府というのがどれだけ強力な政権か
これだけでもわかるというもの。
ついでに、守護大名は基本的に京に在住する事が義務付けられている存在で、
領地の実務は守護代が行っていた、応仁の乱以降守護代などが台頭したのは、
彼らが領地経営の実務を行っていたためだ。
- 49 :
- 少し違うな
守護代には二種類あって守護大名と一緒に在京していたのも居る
若狭武田氏なんかは守護代のさらに代官が大名化した存在だ
そして室町大名達が住民の直接把握に踏み出したのは何も後期に限っての話しではなく
半済などに代表されるように初期の段階から実際に土地を支配しようという行動は行われていた
その長い流れの果てに徳川幕府の近世大名が存在する
- 50 :
- どっちにせよ守護大名と近世大名は存在として違いすぎる。
- 51 :
- 存在として って何だよ
- 52 :
- >>51
近世大名には住民への「行政」が義務付けられているが、守護大名は住民にとっては基本、
税を取り立てるだけの存在でしかない。
- 53 :
- >>52
それなら果たす役割が違うとかもうちょっとマシな表現があるだろうに。
存在として、なんて言われても抽象的すぎて意味がわからん。
- 54 :
- 政治が悪いなら国人一揆を起こすのが守護大名の下の住民だろ
あと守護大名っていうのは徴収権と警察権の行使、いわゆる検断の実行者だから当然治安に対する責任もある
それを放棄すると訴えられるのだ
だからね、室町幕府と江戸幕府の実体の違いなんてのは武士階級がどうこうじゃないんだよ
逆なの。武士の務めってのはそう変わらないけど、仏教勢力が地盤が失って武士階級に一本化された事が一番の違いなのさ
- 55 :
- 一番大きいのは守護使不入権を持つ地頭寺社が居るかどうかだろ
簡単に言えば守護は領国の半分ほどが支配下でないつうこと
- 56 :
- 信忠スレって毎回、信忠の話題がないよなWW
- 57 :
- 信長新作(天道)での評価はどうだろうか?
- 58 :
- >>57
予想
統75、武67、智、61、政70
革新よりは下がりそうだな
北条氏政は急上昇中だけどねWW
- 59 :
- >>57
変わりなしだったはず。
統率78 政治、知略が70ぐらい。
- 60 :
- 天道の正式なパラでた?
- 61 :
- ゲームのスレで聞くべきだな
- 62 :
- 信忠の家来で有名どころって誰だか教えてくれ。
- 63 :
- 信忠につけられてて有名なのは、滝川一益とか森長可とかか。
- 64 :
- 補佐役としては河尻秀隆、知名度はいまいちだけど
- 65 :
- それぞれ一流ではあるがどっか足りない人間ばかりだな
- 66 :
- 斎藤新五と団忠正も森長可と同格ぐらいだと思うが
- 67 :
- 前田玄以って、信忠が寺からスカウトしたんじゃなかったっけ?
- 68 :
- >>67
67へぇ
- 69 :
- >>67
後に五奉行に抜擢された理由は人を見る目のある信忠公が重要してた人物だからって秀吉が答えったって何かで読んだ
- 70 :
- 異色だけど、介錯を勤めた鎌田新介もスカウト組かな?
信長に勘当されたのを武勇を惜しんで拾い上げたらしいが。
- 71 :
- リストラされた佐久間さんの息子の信栄とかもスカウトか?
オヤヂと違って信忠は優しいプリンスな印象だなWW
- 72 :
- 信長がリストラする形で、信忠に見込みがある人材を譲ったとか……ないか。
拾い上げてくれた信忠に感謝して忠誠を尽くすだろうし、良い手段な気もするけど。
- 73 :
- 単純に
「佐久間の息子信栄をウチの信忠の側近として取り立ててやりたい」
「でも、信栄が佐久間並に働くかどうかは未知数、それなのに佐久間の領土をそっくりやるのは無駄じゃね?」
「じゃあ、1回リセットさせてそれから新規で小領土から始めさせればいいや」
こんな感じ?
- 74 :
- の豚だと待つ姫の間には子供がいた
その子供が後の俺である
- 75 :
- 如水が死ぬ前に家臣たちを苛めて長政に靡かせようとしたモノに通じるな
結局、長政は家臣に舐められっぱなしだったらしいが
- 76 :
- 苛めたほうが尊敬されてたりしてなw
- 77 :
- てか、地方企業が多国籍企業になっても、
組織が創業時のままなわけないわよ!
- 78 :
- おだのぶただで変換したら、「織田の豚だ」になったお(´;ω;`)
- 79 :
- 信長と信忠の親子喧嘩は、佐久間親子をはじめとする宿老たちの追放に対する
意見の違いだよ。
信長にしてみれば、将来の禍根を摘み取る目的があったんだけど、信忠にしてみれば、
彼らは有力な後援者だったから抗議し、結果、不興を買ったみたいだね。
佐久間らと親しかった津田宗及も自慢の道具を召し上げられている。
- 80 :
- >>79
初耳な話だな
有岡城攻めの作戦を巡って信長と対立と踊りまくって能道具没収なら聞いたことあるが
- 81 :
- >>79
確かに能にはまった、ってだけで長期謹慎は考えにくいよね。
林秀貞は信忠が家督ついで以降信忠付きにされたんだっけ?
佐久間信栄は赦免された後信忠に仕えているし。
まあ戦国大名としては相当仲のいい親子に思えるけども
- 82 :
- 追放とかあったけどもやっぱり譜代しか信用できねぇ
ってなったんだろね
- 83 :
- >佐久間らと親しかった津田宗及も自慢の道具を召し上げられている。
能道具没収の件は表向きの理由で、このことに気が付くかどうかが鍵なんだよね。
信長と信忠が仲直りしたのと同時期、宗及も道具を返還されている。
そして信栄は信忠に再仕することになる。
- 84 :
- >>1
本能寺の変の際、二条御所で自害した。
某スレでこれを必死になって否定している馬鹿がいるんだが・・・
- 85 :
- すごいねw
チェキしたいんでどのスレか教えてください
- 86 :
- http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/11499623161/150
- 87 :
- >>85
>>86は間違い。
「本能寺の変」スレ。
- 88 :
- >>87
ありがと、みてきました。
妙覚寺ですでに襲撃されてるとわw 手際いいな光秀w
朝廷陰謀論語るのはいいけど、信忠の件も含めて全体的に
荒杉のよーな。まあ元々かなり荒唐無稽な説だけどw
- 89 :
- 武将なら一流かな。義に準じたけど・・・
跡継ぎなら失格だなw
何が何でも捲土重来を果たさないと、大将なんだから
- 90 :
- 一流といえるだけの事跡はないな。
もちろん、一人前といえる程度には成長したとは思うけど。
- 91 :
- つーか、義に殉じたって、なんか違うだろ。
- 92 :
- >>90
戦歴は凄いけどな
だが信長が信忠に手柄を立てさす為に造られた戦歴に見えなくもない
例えるならUFOキャッチャーで店員が取りやすい所に景品を置いてくれてからスタートみたいな
- 93 :
- >>89
捲土重来を果たそうとして明智に捕まって京都にさらし首になったらトンだ恥さらしだろ
- 94 :
- 信長なら恥も何も関係なく生に執着しただろうな
潔く死ぬあたりは貴公子的な弱さというかなんというか
- 95 :
- 美濃勢が多く使えてたのは濃姫の養子となったことに関連してるから
濃姫離婚説とか早死説は信じられないな。
信雄と同じ生母と書かれてることが多いけど、はっきりして無いですよね。
- 96 :
- >>94
それは違くね。
史実の信長だって、明智に包囲されていると知って「是非もなし」と生を諦めた。
信忠も父と同じ心境を辿った、似たもの親子だったということでしょう。
- 97 :
- 後世の目で見ると信長はともかく信忠は本気で逃げようと思ったら逃げきれた公算が高い
けど信忠が「篭城して討死」という決断を下した時にはその情報は集まっていなかった
信長も桶狭間や金ヶ崎のような「一見無謀だが正しい」という決断を下す前には可能な限り情報を集めていた訳で
情報も無いのに正しい決断が出来るかどうかは才能より運・勘の領域だろう
そこはそうする隙を与えなかった光秀を誉めるべきだな
信忠を評価するなら「決断できないうちに捕まる」という最悪の展開だけは避け、とにもかくにも決断だけはした所か
その点では将帥の資質はあったと思う
- 98 :
- この間、NHKの歴史秘話ヒストリアって番組で信忠のこと取り上げてたな。
内容はかなりアレだったけど、けっこう好意的にとらえてた希ガス
- 99 :
- >>97
確かにな
退却に失敗して落武者狩りとかにあってたらそれこそ恥曝しだな
最悪の状態を考えたら一か八かの退却よりは籠城にかけるわな
- 100 :
- 776 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 01:26:01
そりゃオメー
あの策謀多き人と呼ばれた明智っちゃんが親父殺した後なんだぜ?
まさか細川や筒井ですら協力してなくてラクラク逃げ出せるとか思いもよるめーよ
「信長さまは戦って華々しく討ち死したのに息子ときたら逃げようとして捕まってやーねー」
「あのみすぼらしい格好、とても一軍の将には見えませんわね、奥様」
「渋柿くうかw渋柿ww」
なんて状態になったら涙目だろ
777 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 01:30:26
漢、と書いてオトコと読むタイプだったんだろうなw
778 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 02:19:18
逆に無事逃げていたら今頃
「息子さんはちゃんと脱出したのに、信長さんったら明智なんかに殺されてやーねー」
「ま、しょせん桶狭間とか運とかだったのよ運」
「ホントに人生五十年で死んでやんのwwwテラワロス」
なんて言われていたんだろうな
779 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/04/16(木) 10:37:49
わっはっは。
巷に多い信長ファンにみせてあげたいな。
780 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 19:48:26
>>776
>>778
つまり歴オタにろくな人間はいないと
781 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 20:05:41
所詮他人事だからな。
我が身だったら、それこそ明智に降伏とかやりかねんだろ、命惜しさにw
782 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/06/09(火) 19:24:24
有楽斎みたいに自分だけ逃げるかもな
- 101 :
- 信忠も高遠城でヒャッハーしたってのは本当の話?
- 102 :
- >>100
信長は朝倉軍から命からがら逃げのびたぞ。
親父の信長だったら逃げて態勢立て直したろうな。
あの時逃げのびてくれりゃあ織田家の没落も無かったろうに・・・
- 103 :
- >>101
ヒャッハーって何だ?
- 104 :
- >>102
信長は明智の襲撃として「是非もなし」と諦めたぞ。
自分も「信忠が逃亡を選択していたら」というIFには魅力を感じるけど、
「信長なら逃げてただろうに」という評価は違うんじゃねと思う。
- 105 :
- だいたい金ヶ崎の撤退も、実際には信長は、グズグズと決断を先延ばしにしてて、
ギリギリのところで周りから強要されるように撤退って事になった。
信長が即断即決の人間だというのも間違ったイメージだわな。
- 106 :
- 信長が早いのは決断ではなく行動だしな
- 107 :
- >>104
「是非に及ばず」のことなら、他にも解釈がある。
是非を論ずるまでもない。もはや行動あるのみ、という意味だ。
つまりとやかく言っていないでとにかく切り防げということ。
- 108 :
- >>102
金ヶ崎の撤退の時と本能寺の変の信忠じゃ状況がまったく違うだろ
味方の兵数も違いすぎるし殿してくれる味方もいない気付いた時には約500メートルの至近距離に敵の大軍が来てるわけだしな
- 109 :
- 坂本は明智領で勢多は親明智の山岡領、湖賊の一族も明智一門扱い
日野以外は敵地か親明智若しくは潜在的に反織田の家も多い
勢多を渡る=山岡一族が信用できればいろんな手立てがとれたんだろうけど
南側は大和筒井家で明智親族で寄子大名
北西から攻められ東南北塞がれてるように見えれば逃げる気しない
南東は大和を通らなければそこは伊賀、隣の甲賀は山岡領
当時の客観的な状況を考えるとどうみても詰んでるわな
- 110 :
- 信忠の家老とか進言しなかったのかね?
数百名の手勢居れば時間稼げたのに・・・
- 111 :
- >>109
同意っす。
それに加えて光秀に手抜かりがあるはずない、考えたんでわ。
- 112 :
- > 過去を振り返るには、現在の地点で判明している帰結から遡って脈絡を見出し、筋道を立てて
> いくしかない。歴史記述とは結局この合理化の作業だろう。
>
> しかしそれによって、肝心なことを忘れてしまいがちである。それは、いつの時点でも、
> 将来はわからなかった、という当たり前の事実である。
> 歴史上のどの時点も、過去の数知れぬ経緯の上にあり、未来に無限の可能性を秘めている。
> すべての当事者が、どの可能性がより蓋然性が高いかを全知全能を挙げて判断し、
> その結果として一つの現実が生じる。
> あとから見れば必然的で、定まっているように見える道筋も、その時点では誰も
> 確かに予想できなかったのである。
池内恵「中東 危機の震源を読む」(新潮社)より
- 113 :
- 岐阜に逃げれば良かったのに
- 114 :
- 有楽はどんなルートで逃げきったんだろな
- 115 :
- 有楽は逃げ足だけは速そうw
- 116 :
- 茶釜の中に隠れてました!
- 117 :
- 信忠は自民総裁の谷垣的なイメージを持ってたがな。
実際はむしろ、「おやじに認められたい」っていう猪武者だったんかな。よく武功にあげられる武田攻めだが、でかいのは木曽調略。これをだれが主導したかだ。
- 118 :
- >>117
追放までは、武田関係の政略は佐久間信盛がやっていたらしいが、
この時期は滝川一益なんじゃないかね?
- 119 :
- 木曽の調略は遠山友忠だろ。
- 120 :
- >>118
>武田関係の政略は佐久間信盛がやっていた
そういう話は聞いたことないなあ。というか、それが本当だとしたら、武田と本願寺の双方を受け持っていたことになるぞ。
折檻状に武田関連の話はなかったから、佐久間が対武田に関係していたってのは無いんじゃないかな?
- 121 :
- これだけ有名なのに生母不詳ってのが不思議すぎる。
- 122 :
- > これだけ有名なのに
まずここに疑問を持とう。
- 123 :
- いやでも時期天下人確実だったはずの信忠にしては資料が乏しすぎるよな
親不詳は義龍みたいな例外もあるしそこは別にいいんだが
- 124 :
- 信忠に限らず織田の史料は以外に乏しい
- 125 :
- 織田を語るとき大事なのは軍記物では無く手紙
- 126 :
- 妄想率高いからな兵農分離とか楽市楽座とか近世大名とか
- 127 :
- >>126
「桶狭間奇襲」「鉄砲3000丁三段撃ち」「鉄船」も追加だな。
- 128 :
- 信成の家系図も資料性に乏しい……以前の問題。
- 129 :
- 2月3日放送のNHK・歴史ヒストリアに、ラストで信雄の末裔と称して信成が出演する。NHKの、それも歴史番組で、流すとは、何を考えているんだろう。
放送予定
http://www.nhk.or.jp/historia/schedule/index.html
内容
親父!いいかげんにしてくれよ!〜信長に振り回された家族たち〜
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/10.html
- 130 :
- いい加減信成ネタはどこかに一本化せえよ。
- 131 :
- >>130
スルーして粛々と削除依頼出せば良いだけじゃん。
何か実生活で嫌なことでもあったのか?
- 132 :
- >>131
オレは削除や規制に頼ることが嫌いなの。
実生活では今年の夏に4人目の子供が生まれるが、何か問題でもあるか?
- 133 :
- ヽ j .信
合. ゙, l. 成
体 ! ', と
し ', ', 、
た ト-、,,_ l
い ! `ヽ、 ヽ、 _
; / ヽ、`゙γ'´
/ \
! ト, ヽ
ヽ__ ___ノ ,! | | ト, ゙、
レ'゙ ,イ ./|! .リ | リ ! .|! | ト|ト}
,イ ,/ ./〃/ / | / .リ/ //イ|.リ
// //ノノ //゙ ノ'////|.リ/
´彡'゙,∠-‐一彡〃 ト.、,,,,,,,,,,,レ゙
二ニ-‐'''"´ /`二、゙゙7
,,ァ''7;伝 ` {.7ぎ゙`7゙
ゞ‐゙'' ,. ,. ,. l`'''゙" ,'
〃〃" ! |
! l
! (....、 ,ノ !
j `'゙´ ,'
ー--===ァ /
_ _ ./
\ ` ̄ ,/
` .、 /
:ミ:ー.、._ /``'''ー-、
`゙三厂´
- 134 :
- 自称であれ信雄の方の家系だし
少なくとも信成ネタはスレチだな
- 135 :
- >>134
ちなみに、信雄の家系じゃなくて7男・信高の家系ね(自称だが)。
血統が信雄(自称だが)。
>>130
誘導しといてあげる。
972 :日本@名無史さん:2010/05/17(月) 21:17:54
●●子孫ネタに関するスレ(判明してる分だけ)●●
織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
織田信成は織田信長の子孫って言うけどさ・・・
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1272321046/
【神罰】熱田大神様が織田信成に天誅【天罰】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1266571796/
織田信成が何故天下を取れなかったか
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1269605483
他、日本史スレに多数・・・・あるらしい。
- 136 :
- 信忠が本能寺の変の時に死ななければ、
日本はもっと良くなっていたかもしれない。
- 137 :
- >>136
400年以上も前の人間にどれだけ期待してるんだよw
- 138 :
- 徳川よりマシだったろうってことだろう
- 139 :
- 織田時代なんてこの世の地獄みたいな世界なのに。
あんなのが続いたら日本人は支配階級の奴隷として搾取されまくって
近代化なんて絶対に不可能だ。
よっぽど日本に滅んで欲しかったらしいな。
- 140 :
- 一般民衆からしたら、
治安の安定、経済の活性化で比較的良い時代だろう。
地獄絵図は敵対勢力との戦いの場がほとんどだろう。
江戸時代はあまりに抑圧的な側面がある。
搾取も、上からの搾取と言うか、農民が互いに搾取し合うような村社会が形成されてる地域が少なくない。
織田家なら、そういうのは少なくて済んだだろう。
信長は敵対勢力を過剰に滅ぼしたから、批判的に考える人もいるけど、
敵対しない一般の人に対しては、別に過激では無いよ。
- 141 :
- >>140
> 治安の安定、経済の活性化で比較的良い時代だろう。
治安が安定してたとかどこの寝言w
> 地獄絵図は敵対勢力との戦いの場がほとんどだろう。
アホか。国人の中間搾取を認めた上での7公3明の高税率が課せられてたんだぞ
> 江戸時代はあまりに抑圧的な側面がある。
織田時代はもっと抑圧的なんだが。むしろ恐怖政治
> 搾取も、上からの搾取と言うか、農民が互いに搾取し合うような村社会が形成されてる地域が少なくない。
その搾取の上に搾取を重ねてる雪だるま式の搾取社会が織田時代だ
> 織田家なら、そういうのは少なくて済んだだろう。
どこでそんな歴史勉強したんだよ?無知にもほどがあるw
> 信長は敵対勢力を過剰に滅ぼしたから、批判的に考える人もいるけど、
当地において中世的枠組みを無批判に継続している旧態依然とした体制が問題なんだよ
> 敵対しない一般の人に対しては、別に過激では無いよ。
上京は敵対しないことを表明したのに焼打されたなあw
無抵抗な市民に対して大虐殺を行ったわけだが?w
- 142 :
- そうでも、あと別に悪い事を肯定してる訳じゃ無いが、江戸時代よりはマシになったんじゃないかな。
戦乱の時代の政治体制と、江戸時代を直接比較しても意味は無い。
無知じゃ無くて、織田家の延長で平和になったらどうだったかとか、そういう話をしてるんだよ。
- 143 :
- 話それるけど、3年前くらいに高岡の前田利長の菩提寺に行ったら、
こじんまりと信長と信忠の祠があった。
利長は、信長・信忠に仕えていた時期があったから、
死ぬまでその恩を感じていたのかなーと思った。
- 144 :
- >>142
織田政権のまま、これは豊臣政権でも一緒だが、強大かつ広範な搾取圧力にさらされている
社会た続くわけだから、広く民間に金があることが必須条件の近代化など、夢のまた夢だな。
余力の全くない日本は、早々に欧米列強の植民地になってただろうよ。
- 145 :
- つかそれこそ家康の政策とその後の徳川幕府の政策が異なってるんだからそういうのは議論するだけ無駄
信長、信忠がどんだけ革新的だろうが三代目以降がそれちゃんと受け継ぐかどうかは微妙
- 146 :
- 単純に徳川幕府と鎖国とその後を鑑みて
織田氏中心だったら……ってifを求めたいだけで、真面目な議論求めてる訳じゃないんじゃねw
- 147 :
- 鎖国に関しては他のアジア諸国がどうなったかを考えればいいんじゃないかな
- 148 :
- そもそも織田家は対外国外交を何もやってないんだから
妄想するにしたって種がいるよ
- 149 :
- >>1正室が信長の娘だから信忠とは義兄弟だしね
- 150 :
- 信忠「逃げちゃ駄目だ 逃げちゃ駄目だ 逃げちゃ駄目だ 逃げちゃry 」
- 151 :
- 逃げて欲しかったね。
- 152 :
- >>149
誰が?蒲生氏郷か?
>>145
秀信は心優しい名君だよ。
- 153 :
- 本能寺の変当日の逃げる逃げないよりも、前日(だったか?)の急な予定変更の方が大きいと思うのは自分だけか?
本能寺の変自体起こらなかったかもしれない。
- 154 :
- 光秀は信忠が京にいるのを知らなかったんじゃ?知ってたら同時に囲む気がする
- 155 :
- それはねーよw
- 156 :
- 妙覚寺の信忠にすら何度か押し返されてるからな
分割したら最悪、信長と信忠、両方に逃げられかねないと思う
光秀にとってのベストは信長、信忠、家康を全員仕留めることだろうけど
三兎追って一兎も得られなかったら最悪だよな
- 157 :
- 仮に信忠が京から逃げたとしてもどこへ行く?
近江通って長躯して岐阜に戻るか、それとも近くにいる軍勢である信孝と長秀の所?
- 158 :
- 近江さえ抜ければ後は簡単だから(実際に信忠からみれば、光秀がそんなザルとは思わなかったろうが)
岐阜が一番いいよね
- 159 :
- ところで単純に信忠に逃げろと言っても、皆どういう風にイメージしてるのか教えてほしい。
全員で逃げるのか。
少数を残して数十名で逃げるのか。
大多数を残して数名で逃げるのか。
その他。
- 160 :
- 普通なら守将を一人二人残して首脳陣で固まって逃げるところだが
あいにくと雑兵は殆どいずに首脳陣ばっか集まってるからな
ことごとく残すと史実のように織田家が機能不全になる
俺は一か八か一丸となって逃げるのを薦める
光秀も一か八か織田父子家康全員同時に攻めるべきだった
秀吉の大返しがなくても東に家康残ってるのはつらい
- 161 :
- 信忠だけが生き残っても後々難しいよなぁ。
織田長益などが証明している通り、個人単位で逃げれる隙は充分あるけど、大人数を光秀が見逃すだけの隙はあっただろうか。
一か八か逃げて欲しいと思いつつも、信忠の選択も決して間違ってはいないと思うんだよね。
- 162 :
- 結果論だけど、有楽にくっついてりゃ逃げられたのに。
まぁ、生き延びても信雄以上に周囲の複雑な関係に翻弄されて、
その末路は寂しいものだったんだろうけど…。
- 163 :
- その場で単騎で駆ければいいような。
それと岐阜じゃなくて安土で十分。
1〜2時間もあれば普通につく。
判断ミスなんだろうが惜しかったもんだ。
- 164 :
- 親父なら迷わず逃げただろうなー
- 165 :
- 「じゃ、俺一人で逃げるから、後はお前らでなんとかしといて」
と、単騎で逃げて行く殿様なんてイヤだ。
- 166 :
- 金ヶ崎ですね、わかります。
- 167 :
- >>164
その親父が本能寺で逃げないで死んでる
- 168 :
- 逃げられなかったんだろ
- 169 :
- >>166
さすがに状況は違うかと。
信忠の時は、寝間着のままだったり、武器も不足してたんだぞ。
- 170 :
- >>169
外に出てるぐらいだから逃げる時間や余裕はあった。
尻尾をどれだけ切っても頭は生き残るというのが
トップの勤めだもんでね。
- 171 :
- 金ヶ崎より辛いけど親父よりはマシだろう
逃げようと思えば逃げられた
逃げ切れたかは分からんけど
逃げる途中で追いつかれて斬られるよりは、堂々と戦って自害する方がマシかな
- 172 :
- 今回の大河も本当についでで殺されてたな
- 173 :
- >>169
つまりこういうことか
信忠「外出する服がない」
- 174 :
- >>173
>>169は信忠じゃなくて、(信忠が一人逃げるとして)信忠を逃がす為に残る者たちに、ろくな具足も武器も無いということだろ。
- 175 :
- 信忠って悪い評判は聞かないけど、とりわけ勇猛だったという話も聞かないよね
家康の息子たちは秀忠と夭折したもの以外みんな血気盛んなエピソード残してるのに
戦果を上げたというのも周りのフォローがよかったからじゃないかという気がするな
かといって秀忠みたいに守成を完遂させられる人柄という感じもしない
これが赤の他人でただの家臣なら普通に信長に無能呼ばわりされ嫌われるタイプだと思うが
信長は親バカだったんだな
「明智の領地を召し上げ森蘭にくれてやる」なんていうのはもちろん俗説だが、
そういう話ができるような素地が当時の織田家中にはあったのかもしれない。
功業の老臣を排斥して信忠とその取り巻きを取り立てるというような
- 176 :
- >>175
> 戦果を上げたというのも周りのフォローがよかったからじゃないかという気がするな
鬼武蔵「呼んだ?」
- 177 :
- > 功業の老臣を排斥して信忠とその取り巻きを取り立てるというような
そりゃあ信忠に徐々に権力移譲してたんだから、当然そういう事になるだろ。
秀吉だって権力握ったら創業以来の功臣をガンガン粛清、左遷したし、
家康も秀忠への権力移譲の過程で井伊直政以外は基本冷や飯食わしてる。
- 178 :
- >>175
信長「パパが行くまで武田に攻撃しちゃダメだよ」
信忠「親父アホかと。武田めっちゃ弱ってるじゃないかと」
河尻「御館様の命令は絶対でございますぞ」
滝川「御館様が来るまで陣を動かしてはなりませんぞ」
信忠「このオッサン共マジ指示待ち人間」
信忠「親父とかオッサンの意見なんざ知らないし。現場の意見が大事だし」
長可「ヒャッハー!流石若様だぜ!」
信忠「オラ、俺達だけで武田ヌッコロスぞ!!」
忠正「武田は消毒だー!」
信長「パパが行く前に武田滅ぼしちゃったの? 信くん凄いナー」
- 179 :
- クッソワロタwww
- 180 :
- 信長かるすぎw
- 181 :
- >>175
信長公記では褒められてること多くね
- 182 :
- 信忠が血気盛んな逸話は>>178
あとは能にかまけて信長に叱られた逸話、これは無能系の二代目話
他に無能系として「若様は欲しい時に欲しいもんくれて素晴らしいですな」って褒めたら
「欲しい時に欲しくないものやらないとダメだろ。予測し易いヤツは敵から見て与しやい」BY信長
なんてあるが、これは個人的にだからお前はメンドクサイ上司なんだと信長に言いたくなるw
- 183 :
- 欲しい時に欲しい物くれる上司の方がいいよなw
- 184 :
- 信忠の小姓衆は美少年ハーレムとして後の豊臣秀次の小姓衆と並んで有名だったらしいことが
何かに出てたな。
- 185 :
- 密かに「わかってるよ、お前の希望はわかってるけど今はその時じゃない。
しかし、今以上に頑張ってくれれば次には必ずそれには報いるから」って匂わせつつ、
実際それ以上の功をあげたら希望のブツ+αあたりを加えれば
それが理想的。
燃えさせ、しかも燃えつきさせない気配りが大切。
- 186 :
- 信忠の小姓といえば梶原松千代は病をおして妙覚寺に馳せ参じたとか
下方弥三郎に「今生ではもはや恩に報いてやれぬが、来世では褒美をとらせよう」と言ったとか
逸話としてはそんなのがあるな
うん、やっぱこういう上司がいいよなw
- 187 :
- >>178
凄まじい文才を感じるwwww
- 188 :
- 信忠はとりたてて評価するようなネタもないしこき下ろすネタもないな。
信長死後まで生きてなかったのが辛いよな。
断片的に想像するしかないがそれでも可もなく不可もなくという感じで、
信長がかっちり固めてたらイケんじゃね?くらいまでが限界だわ。
それだけに自由な妄想が出来るともいえるが。
高遠城ヒャッハーだけは残念だな。
- 189 :
- 鬼武蔵の逸話にさりげなく登場したりするからな。
団忠正とか斎藤利治とかの信忠との逸話がありそうな人物が一緒に逝ってしまったのは残念だ。
河尻秀隆とかもそうだな。
個人的には高遠城ヒャッハー事件は好きだ。
- 190 :
- 斉藤新五郎はなー。本人も面白そうな経歴なだけに勿体ないよな
- 191 :
- 婚約者求めてヒャッハーしてたというネタ多数だがアレ実話なんだろうかw<高遠城
- 192 :
- さすがにネタ。戦後それらしい動きないし。
- 193 :
- すでに城におらず、甲斐に向かったくらいの情報は入ってたろ。
- 194 :
- なんでそんなんを、高遠城のアレを言われなあかんのや!
- 195 :
- 高遠城ヒャッハー事件って何ですか?
発狂したということ?
- 196 :
- 非戦闘員、女子供も含めて37564って事だろ。
織田軍的に珍しい話じゃない。
- 197 :
-
むむ,無念じゃあ〜〜〜〜〜〜
- 198 :
- その後の放火のほうがひどくね。
- 199 :
- 活躍する前に死んだので何とも評価はしづらい
大将としての実戦は対武田戦くらいのものだけど
信雄、信孝よりはやはり有能だろうね
- 200 :
- 比較対象にする材料が無いので弟たちと比べるのはなんだけど、
とりあえず後継者としての教育と、周囲からの期待の目、
また本人の自覚はあるだろうから
有能なんだと想像することにしておこう。
ただ小説等々にも描かれてる苦悩の種ではあり、
現代の一般人が想像で安直に考えちゃうことだけど
あの信長の後継者という立場は鉛のような重圧だっただろうな。
- 201 :
- むしろ小説とかで信忠が真面目で普通で親父との差になやんでる青年みたいなテンプレだと
逆にそうか?って思ってしまう。けっこうヤンチャな部分が垣間見えないか?
実際はプレッシャーそんなに感じてなかった気がするんだが
- 202 :
- 史料を読み込むと新しい信忠像がみえてくるよね。
勝頼も信忠も永らく親の七光り武将だと言われてきたけどそうじゃないかもしれんよね。
ひっかかるのは高遠城ヒャッハーだけかな。
- 203 :
- 信忠はわからない部分が多いけど、勝頼は明らかに七光り武将じゃないだろ…
- 204 :
- 勝頼は部将としてなら最高だと思う
実力・実績もあり決して七光りではないでしょう
ただ同情すべき所はあるがやはり政治力とかはずいぶん劣るかな
- 205 :
- >>203
>勝頼は明らかに七光り武将じゃないだろ…
見たん!?
- 206 :
- 親父の遺した借金に潰された気の毒な人
- 207 :
- 借金なんか無いだろ。
信長との格差を埋めれなかったのは信長の拡張力が異常だっただけで
そこまで親父のせいにはできない
- 208 :
- >>207
親父裏切りすぎて外交的な信用無かったのと、家臣が力持ちすぎてたあたりは借金じゃねえの?
むしろ勝頼の時代に武田家最大版図築いてるだろ
- 209 :
- 自分も勝頼には興味を持っているが、そろそろ信忠の話しようぜ。
自分の信忠像も>>201と同じ。
池波正太郎の小説に出てくる信忠がいい感じだと思う。
- 210 :
- >>208
外交的な信用無かったとか家臣が力持ちすぎとか別に無いだろ
家中統制は戦国大名中でも先端だし何処からも同盟相手にされなかったという事実も無い
借金は無い、ただ織田に置いてかれただけ、比較すればそれは武田家以外はもっとひどい
もちろん信玄や勝頼に大きな非があるわけでもなく、
信長が異常で、息子の信忠すら機を見るに敏な名将だったという事
- 211 :
- >>209
池波の小説にでてくる信忠って、まさか「蝶の戦記]?
- 212 :
- 10年くらい前に信忠が生きてるif小説あったと思うんだけど
どなたかご存じないですかね
- 213 :
- うるさいなあ。
仮に信忠が生きてたとしてもお前の歴史がかわるわけじゃないだろ。
なんでそんなに必死なん?
そこまで必死だと逆に信忠になんか執着あるとしか思えんわ。
- 214 :
- >>212
たぶん桐野作人の「織田武神伝」だね
- 215 :
- どっちにしろ、信忠を放置でトンズラこいた有楽が勝ち組。
信忠なんて生き残ってても、周りの重臣連中に揉みくちゃ
にされた挙句、ポイ捨てならまだ良いほうだったろう。
- 216 :
- >>214
おお、ありがとう
探してみる
- 217 :
- やっぱ正室は内親王を考えていたのかなぁ?
手頃な内親王っていた?
- 218 :
- まーつーひーめー
- 219 :
- 上杉景勝の嫁さん、どうして菊姫になったの?
松姫のほうが姉さんでしょ。
姉妹でこうも運命がかわるとは。
片方は、子供がいなかったけど旦那はいるし
食いぶちに困らないしお屋敷に住めるし。
松姫は、独身のまま若くして尼さんになるし。
やっぱり景勝>>>>>信忠
- 220 :
- 松姫はロマンティックかも知れんが、メリットがないだろ
- 221 :
- 完全に仮定の話だが、信忠が生き残っていたとしても織田家の天下統一は信長生存の
場合と比べるとかなり困難なものになっていたんではないか
信長生存の場合は4、5年あれば統一が果たせたかもしれないが、信忠となると条件が
全く異なってくると思う
関東の北条家なんて信忠生存でも露骨に叛旗を翻したのではと思う
- 222 :
- 甲州崩れみたいなイケイケドンドン繰り返して逆に早まったりw
どっちにしろIFは答え出ないからな
- 223 :
- >>221
間違いなく滝川一増の軍は崩れるだろうね
甲斐、信濃も離れるだろう
ただ、播磨・畿内・北陸・美濃・尾張は維持できると思う
家康もすぐには離反することはないだろう
光秀軍を潰すことも問題ないが
ただ天下を取れるかどうかは判らない
- 224 :
- 滝川はむしろ崩れないんじゃね?
秋田城介任官や対武田司令官に抜擢されたように
信長政権に於ける信忠の位置は対東国攻略の総司令だろう
信忠と組むことが多かった滝川が関東方面に抜擢されたのもそういう理由
北条は手切れして襲いかかってくるかも知れないけど
滝川に付いてる連中は滝川を見放すことはないんじゃないか
史実だと滝川にくっついても先行き不明だけど、信忠生きてれば
ここで踏ん張れば信忠―滝川の下で美味しい蜜を吸えるんだから
- 225 :
- 信忠が生きていれば北条反逆でも滝川は持ちこたえられたかもね
側近大名を見捨てるようなことはしないだろうから、関東方面の織田党首として大増援を
行ったであろうと思う。ただ一回逆らった北条をすんなり鎮撫できるとは思わないが…
あと信長の死を知った甲信地方の有力者たちの動向が危ない。信長の威光無しだと
信忠健在といっても不満層手動の一揆が起きる可能性あり
その場合は川尻さんでは史実通り統治維持は難しい。同盟配下の徳川の助けを借りる
場面が出てくるかもしれない
- 226 :
- 川尻さん史実どおり殺されそう
- 227 :
- >>226
その可能性は高いよね
信忠健在でも史実通り、甲州地方統治は家康に委託する事態になったかも
後北条や中国地方の毛利の動向は気になるが、上杉は青息吐息だったし
信忠生存なら織田家は最有力大名の位置は維持できたのでは
配下大名の家康は問題無く同盟遵守してくれただろうし、後は家臣団内部の
統制をどうするか。つわもの達が多いからなかなか大変なのでは
- 228 :
- 信忠には大量破壊兵器鬼武蔵がいるからうかつに反抗できないんじゃね?
- 229 :
- >>228
森長可は世代的に藤堂高虎・石田三成・加藤清正らと同世代なんだよな
信忠健在なら重用されたのは間違いない、不安定だった甲信方面の軍事司令官になっていた
可能性もある
史実みたいに信州立ち退きなんて場面も無かったかもしれないし羽柴の下風に立ったり
することも無かっただろう
史実では徳川勢との対戦で戦死するわけだが、信忠政権下なら徳川と協力して甲州鎮撫なんて
展開もあったかも。織田家にとっては早世するのは惜しい人物だった
- 230 :
- 信忠が逃げれたとしてもその後の明智討伐次第で変わってたと思う。
信忠自身が軍勢を整えて率いて明智を倒したのなら秀吉家康も信忠に
臣従して織田の天下になっただろうが、信孝みたいにほとんど秀吉の
助けを借りて明智を討ったのならといずれ信孝と同じ結末になる。
- 231 :
- >>230
明智討伐は確かにキーポイントだね
信忠主導なら信雄・信孝よりはるかにハードルが低く織田家メインで光秀征討
できる条件は整ってはいるが
中国方面に大軍事力を展開していた秀吉の協力はやはり不可欠
野心家秀吉が信忠にどこまで忠誠を誓うかは、空想の話なので何ともいえないが
- 232 :
- 秀吉2万で信孝4000だから、どうしても秀吉の発言力が強くなってしまった。
これが信忠・信孝を合わせてせめて18000以上なら秀吉に牛耳られる事も無かったはず。
- 233 :
- >>232
なるほど。その場合は状況も違ってくるわな
明智征伐後は秀吉も野心はありながらも中国方面司令官の職務に戻らざるを
得なかったかもしれんね
信孝の織田家中における発言権は史実より格段に重くなったかもしれない
当主信忠、補佐信孝で羽柴兄弟みたいな良いコンビになったかもしれん
信雄殿は相変わらず蚊帳の外w
- 234 :
- 蚊帳の外って言うか、京都で公家やら何やらの政策させてればいいんじゃない?
軍事ダメなら裏方やらせれば。
- 235 :
- >>232
>秀吉2万
羽柴勢は移動で疲れ、
池田・中川・高山らが主力だったと思うのだがw
- 236 :
- 信忠存命だったら日和見の連中が対明智に加わってたんじゃね?
重用されるチャンスでもあるし
- 237 :
- お前は何を言ってるんだ
- 238 :
- >>236
信忠には織田家当主という強みはあるよね。この点、信雄・信孝は逆立ちしても勝てない
史実通り、明智討伐で秀吉が大功を挙げれば信忠体制下での大勢力にはなるだろう
でも池田、丹羽、細川らが秀吉を担いで党派を築くという展開は無いだろうね
不安要素はあるものの畿内地区の織田天下は当面は安泰か
- 239 :
- 信忠が存命なら稲葉、氏家ら美濃・尾張衆、蒲生、山岡ら近江衆、伊勢衆が信忠に付くのは必定
勝家、一益、長秀、信孝や細川、筒井も信忠に服するだろうし
徳川も同盟を維持するだろう
家名を汚したくはないだろう
あと織田の力を借り雑賀を統一し信孝の四国渡海を支援しようとした鈴木重秀派の雑賀衆も信忠に付くと思う
逆に雑賀を追放され四国に逃れた反鈴木派の雑賀衆が光秀討伐後に秀吉に付くかも
- 240 :
- >>235
ですな
信忠存命なら摂津・和泉の連中が秀吉につくこともなく
すんなりと信忠の指揮下に入る方が自然な気がする
- 241 :
- 信忠生きてたら少なくとも秀吉以外の方面軍司令官は信忠につくだろうね
秀吉は光秀討伐に協力しても実入りが少なく不満を募らせそうだな
不満もったら秀吉を粛清に走ってもおかしくない
その当時の秀吉には養子の秀勝しかいないから秀吉さえ倒せば羽柴軍は終了するだろうし
弟の秀長も秀吉に殉じて自害するだろう
- 242 :
- 少し秀吉を軽視しすぎてるというふいんきはあるな。
明智討ちの時にドサグサにまぎれて、中将さま討ち死に、なんてやれば
以下史実通り・・
- 243 :
- >>242
秀吉が天下を取ったって史実を知ってるから、どうしても何かしたはずと思っちゃうんだよ。
- 244 :
- 秀吉の知略とかは実際に相当優れてるから
危険視しそうだからね
狡兎死して走狗煮らるるという言葉があるように
天下が目の前に見えたら秀吉を危険人物としてマークする可能性はあると思うけどな
秀吉が西側にひたすら侵攻し続けて畿内への野心を持たないのなら信忠だって
信用するだろうが
- 245 :
- >>243
そう、史実での秀吉躍進→天下人として政権樹立の流れを知ってるから
信忠存命としても大人しくその下におさまるはずない!って思い込みはあるよね
>>244のいわれる通り、天下一統の過程で信忠vs秀吉って局面もあったの
ではないかと真剣に考えてしまう
秀吉からすると主君としての器量では信長>>>>信忠だっただろうし
- 246 :
- つうか信忠健在なら秀吉は勝手に毛利と和睦してまで戻ってこねーよ
んな「自分は野心ありますよ」っていう宣言してどうするんだ
そんなに秀吉をアホの子にしたいのかよ
- 247 :
- >>246
思いきり緊急事態だから勝手に和睦しても咎められないんじゃね?
- 248 :
- なるほど。
もし信忠がいたらあそこまで電撃大返ししたかはわからんか。
毛利に追撃されたら危険だし姫路城でしばらく様子見してたかもしれないし。
とすると秀吉の簒奪的な意思は親子死んだというのが大きかったわけで
かなり早くからあったわけかな。
- 249 :
- >>248
とりあえず秀吉はこのままでは羽柴家の存続は難しいと考えてたと思う
秀勝を養子にしたのも信長の機嫌取りのが大きかったんじゃないかなあ
信長の子供を養子にして自家の権力基盤を強化するより
秀吉に子供さえ生まれなければ
秀勝がそのまま織田家に切り取った領土を戻すようなもんだから警戒心を解けると
考えてたと思う。
- 250 :
- >>248
信長が生きてる間は奉公に必死で簒奪する意志はなかったろうな
持つ余裕なかったというか
- 251 :
- >>247
和睦までは緊急事態で済むかも知れないが、大返しは意味無い
既に言われてるように史実の大返しは「秀吉が畿内に帰ってきた」という政治的な意味しか持たず
実際に戦ったのは、その政治的な効果によって集まった摂津・和泉の軍
秀吉の本体は疲労して使い物にならない
これを信忠生きてる状況でやったらもう秀吉は馬鹿だろ
「御館様が死んだと聞いて駆けつけてきました」→使い物にならない軍隊
馬鹿なの?死ぬの?と言いたくなるだろ。
- 252 :
- >>251
仮に信忠が生きてたらそこまで大急ぎで戻る事も無かっただろ。
だからそんなに疲弊する事も無かったと思う。
- 253 :
- ifなんかはどうでもいいが
史実での大返しでの強行軍は明石まででそこから三日かけて近畿進出だから
疲労度はそれほど考慮しなくてもいいぞ。
近畿に光秀以外の頼るべき大軍勢が居るという政治的意義は
手持ちの軍が信濃以東に居る信忠が生きていても変わらんし
少なくとも信忠は必死に呼び集めるだろう
- 254 :
- 急ぎじゃないなら秀吉軍なんて要らない
信忠の直轄軍で十分という話になる
- 255 :
- 秀吉軍は毛利の抑えに置いといて、直轄軍で光秀と決戦?
- 256 :
- 明智からしてみれば信長を討ったからそこでおしまいというわけではもちろんなく亀山-京-坂本を絶対
安全圏として早々に確保した後に近江を切り取る必要があった。
織田支配体制のトップ信長と織田家当主信忠を同日に殺しえたからこそ、摂津に集結中の織田勢力は
その報が伝わると瓦解した。
結果、明智軍は摂津方面をしばらくは気にする必要性がなくなり瀬田橋を超えて近江になだれ込み、
美濃で暴れていた稲葉とも不戦協定を結ぶことができた。
もし信忠が生存している可能性がそれなり以上にあったのなら、信忠が向かう先でまず考えられるのが
地理的に近く(すぐに動かせることが可能な)ある程度以上に規模のある軍勢がいた摂津。
となれば、明智軍はまず摂津になだれ込むように攻め寄せていたのではないだろうか。
と言うかこの元四国征伐用の織田軍を叩き潰さないことには明智軍としては将来の展望がまるで
見えてこず、山城から軍を動かせようがない。
つまり史実の山崎合戦より前に(恐らく本能寺の変より2〜5日後に)信忠vs明智が淀あたりで
ぶつかった可能性が大いにあるのでは、と思う。
- 257 :
- 秀吉軍が疲弊してたのは事実だけど
それですべてを語るように決めてしまうのはどうだろう。
大返し始めた時には京の状況は不明で
自軍で戦うしかないのだからそのつもりだったんだろう。
信忠がそんなに早く臨戦態勢整えられたかのほうに
重点があるかな。
逃げてたら安土に入ってたろうから光秀はどうしてたかな。
やっぱりかなり不利だわな秀吉に関わらず。
- 258 :
- >>256
>美濃で暴れていた稲葉とも不戦協定を結ぶことができた。
これは初耳。
書状とかで残ってたりするんですかね?
- 259 :
- 信忠が安土方面に向かったら明智軍は必死で追撃するかなぁ?
それとも四国方面軍を警戒して山城から動かないかどっちだろう?
信忠が生きてるのわかったら四国方面軍も崩壊しなさそうだし。
- 260 :
- 必死に追いかけそう
- 261 :
- ちゅうか、「秀吉が天下とれるなら恩を売っておいたほうがお得」って理由で毛利が和睦したんだから
信忠生きてる状況ですんなり秀吉と毛利が和睦するかねえ……
「現場の秀吉がウンって言ったところで、上の信忠がいつ反故にするかわからない」
「信長の路線を信忠が継承するなら引き続き織田は敵」
ってことを考えると、あんまいい案には思えないのだが
- 262 :
- 毛利が恩を売ったつーのは後付だし
虫の息だったのが土豪の首と本領以外の割譲で手打ちという
破格の条件に飛びついただけ
- 263 :
- >>256
信忠生存なら四国方面軍がまるまる健在というのは大きいね!
その場合、明智征伐軍は信忠・信孝・丹羽・三好らがメインになるわけか
そこに池田恒興やら筒井順慶やら細川父子らが続々加わるとそれこそ大軍団だね
仮に秀吉が大返ししてきたとして、主要武将としてで無くその他大勢の一人になっちゃうなw
- 264 :
- >>262
で、それをたかが中国方面軍の秀吉とかわす価値はあんのかって言ってるんだけど?
その手打ちを秀吉は保証してくれんのかって事ですよ?信忠が後でNOと言ったとしても
- 265 :
- 主君の一大事に目の前の難事を一時的にでもうまく処理して即時戻ってきた秀吉は評価されるんじゃね?
信忠が生き残ってたとしても
後は秀吉の立ち回り次第だろう
- 266 :
- >>264
毛利が「本能寺の変」を知ったのは手打ちの後じゃなかったっけ?
- 267 :
- >>264
史実で信忠の生死が判明する前にさっさと手打ちしてるから
そこまでは同じ道をたどるんじゃない
毛利にとっては破格な条件だったので織田軍(秀吉勢)の
気が変わらないうちにさっさと済ませたかったんだし
- 268 :
- まあ一応、毛利も秀吉とほぼ同時期に本能寺を把握していた、という説もある。
ただ秀吉もそうだが毛利も詳細まではわからず、真偽の疑いもあった模様。
- 269 :
- >>268
「信長が福富の活躍で無事逃げられたよ」って奴だっけ?
- 270 :
- >>264
そもそも和睦については起証文で公儀(信長)に対して我等が保障すると書いてる(江系譜)
たとえ独断だとしても直前に秀吉が独断で宇喜多と同盟して保障したという前例もある
>>269
それは中川宛秀吉書状じゃね?
- 271 :
- 秀吉は宇喜多と独断で対等同盟に近い同盟結んで信長に怒られて
その後従属同盟に持ち込んだんだっけ
- 272 :
- 毛利も信長横死→秀吉権力になってから、さしたる抵抗もせずに従属同盟を結んでるよね
これは上杉にしてもそうだが、もう畿内地区を掌握しかけている秀吉に抵抗する余力が無かったということか
ならば秀吉で無くとも信忠健在の場合の織田権力に対しても、毛利・上杉ともにあっさり配下大名となった
可能性もあると思う
信忠が毛利・上杉を含めて、地方大名の自治権を許容する政策を取れば
案外に簡単に統一が進んだ可能性もあるかもしれない
- 273 :
- 信長より早く統一できたかもな
- 274 :
- >>273
信長死去して信忠のみ健在の場合、天下統一できたかどうかは信忠の政策
次第だと思う。信長路線を継承して織田家主導の中央集権制を目指してたのか
どうかが興味深い
秀吉みたく毛利・上杉・島津など地方大名の所領をある程度安堵する政策を
打ち出したとすれば、実際に信長より早い統一なんて可能性もあると思う
その辺、信忠自身がどういった考えを持っていたのかが明らかで無いから
空想の話を進めるのにも限界がある。残念ながら
- 275 :
- 毛利は秀吉1人に押されまくって秀吉に勝てないことを悟っていたし、
安国寺が信長は逆転びに転落するが、秀吉は天下を得る人材と評してる。
その評価を元に毛利は秀吉が中国大返しした時に追撃しなかったことが
秀吉と毛利の和睦が同盟に昇格し
秀吉があまりに迅速かつ速やかに明智や柴田を滅亡させた手腕により「やはり」と心服しただけ。
上杉に至っては対柴田&対佐々同盟の延長。
秀吉個人の人柄にもよる。
- 276 :
- 二代目として申し分ない働きしてただけに早死にが惜しい
- 277 :
- 武田攻めぐらいじゃないか?
- 278 :
- 武田攻めとかビックリするほど統制取れてない、酷い戦ぶりだが。
- 279 :
- 申し分ない働きをしてたらせっかく秀吉の後詰めの軍を率いて姫路まで来てたんだから
信長の指示を仰がず毛利を打ち破って播磨国を安定化させて後継者として世間に名を上げようとしただろ。
所詮は世襲の御曹司おぼっちゃんの域を出ない。
- 280 :
- でも致命的な失策とかはないわけで(周りもそんなんさせないだろうけど)
あのまま生きてればボカした可能性もあるが順調にいった可能性のが高い
結局死ぬのが早すぎて可能性の塊のまま終わったのが惜しいわ
- 281 :
- 大きなポカをやらかしてるだろ・・・
本能寺の変の時に織田有楽斎はうまく逃げ延びたのに
信忠はバカみたいに京に留まり追い詰められて自刃。
信長が本能寺で光秀を引き付けて粘ってた意味を悟れなかった。
- 282 :
- >>281
> 信長が本能寺で光秀を引き付けて粘ってた意味を悟れなかった。
粘ってない粘ってないw
むしろあんまりにもあっけなく死んだせいで明智軍が戸惑ったほどw
- 283 :
- >>280
「可能性の塊」てのは言い得て妙だと思う
親父が軍事的にも民政的にも運の強さでもずば抜けた存在だっただけに
現在では多くの人に名前すら知られていなかったりする
もしかすると父親の英邁の気質を受け継いでいたかもしれず、信長横死と
共に自ら命を絶ってしまったことが惜しまれてならない
- 284 :
- >>282
明智軍がというが、本能寺襲撃のとき、自分たちが何をしてるのかわかっていたのは
重臣たち上層部だけだったようだが。
下級兵士は本城のように、家康を討つと思っていた者もいたし。
- 285 :
- >>284
秀満や光忠の一門衆とか藤田行政とか溝尾茂朝や斎藤利三といった宿老陣くらいしか
詳細知らなかったとかいう感じだよね
- 286 :
- なに言ってんだ?
信忠は有楽と違って止まって抵抗してるわ。
有楽なんて楽に京の脱出に成功し近江の警戒もスルーして安土→岐阜へ抜けてる。
信忠でなく有楽が後継者だったら良かったのにな。
- 287 :
- 逃げない青さこそが信忠だろw
有楽なんかと一緒にすんなよ
- 288 :
- 京都で跡継ぎが逃げたら、口の悪い公家あたりに散々叩かれそうだな。
- 289 :
- 親父見捨てたって、信雄や信孝に愚痴られるだろうな
どっちにしても統率力低下は免れない
- 290 :
- どーせ有楽は僧体か女籠で逃げたんだろw
- 291 :
- 見苦しく逃げた方が良かった
- 292 :
- 逃げずに戦った事を評価している自分は少数派なんだなorz
- 293 :
- 浅井に背後を襲われて見苦しい逃げ出した信長に公家から一言
「どうせ女姿で逃げたんだろワロタw」
- 294 :
- >>291
見苦しくても命があった方が確かに良かった
生き残っていれば織田家正当当主としてそれこそ華々しい未来があったかもしれん
史実で驚異的なサクセスストーリーを展開する秀吉と、どういった連携があるのかも
完全空想の話だが興味がある
その場合は秀吉は信忠側近団に交じって行政官として活動するのか、引き続き中国方面軍を
担当して天下統一後には中国地区もしくは九州地区に大領を持つ大名になるのか
- 295 :
- >>292
そりゃ生き残って欲しかった気持ちもあるけど
逃げずに戦ってこその信忠だと思ってるぞw
- 296 :
- 謀反を起こす明智の立場に立ってみれば信忠が京にもともといなかった場合、早々に返り討ちに
されるという計算くらい容易に出来る。
織田家の長である信長と織田家当主であった信忠が本能寺・妙覚寺という距離にして1kmも
離れていないところに滞在していたからこその明智の乾坤一擲な賭けだったんじゃないかな。
明智にしてみれば有楽と信忠だと討たなくてはならない優先順位が違いすぎる。
- 297 :
- >>296
有楽なら逃げられても「別にいいや」だろうけど信忠なら必死に探すだろうな
- 298 :
- 伊賀越えして逃げた家康は賢明。
ノブタダは先の見えない大バカ
- 299 :
- 家康は堺に居て信忠は京に居た
同列に語られてもなあ
- 300 :
- 討ち取る優先度から言っても嫡男と同盟の大名じゃ段違いだしな
- 301 :
- >>281
距離にしてさほど離れていない両宿所はほぼ同時に攻撃を受けていると思った方が良い
一方が片付いてから攻撃だなんて考えてもおかしい
とにかく信忠も第一目標だったのだから
- 302 :
- 信忠と有楽は共に二条城にいたにも関わらず有楽が逃げ延びた以上は言い訳できないわな。
当時の席次で言っても信長の息子三人+信包&有楽は首脳レベルだったから
有楽が最重要暗殺ターゲットになってなかったとは言い難い。
しかも両人が同じ二条城にいたんだからな。
- 303 :
- 有楽が首脳レベルとか意味不
- 304 :
- >>301
>一方が片付いてから攻撃だなんて考えてもおかしい
おかしいけど実際は本能寺を片付けてから、信忠の方に行ってるね。
捕らえた捕虜から居場所を聞き出した可能性もあるが。
- 305 :
- 前スレの時から結局この話題がループしてるんだよね。
本能寺の変を研究してる学者は沢山いるのだろうけど、信忠をメインに研究してる人は居ないのだろうか。
- 306 :
- じつは本能寺の変を研究してる学者は沢山は居ないんだなそれが
すでにやり尽くされてただの後追いにしかならないのと
新説は小説家の妄想がほとんどだから相手にするのメンドクサって感じで
- 307 :
- 確かに信忠は逃げようと思えば逃げられただろうけど、父親を助けに行かず
そそくさと逃げたとしたらこれまた信雄みたいな立場になってただろ。
柴田や羽柴も信忠におとなしく従ってたとは考えにくい。
- 308 :
- もし織田信長の公的に認められた嫡男であり織田家当主でもあり濃尾の差配をしていた信忠が
あの日京都から逃げられたとする。
文字通り身一つから信長がじきじきに取り立てた配下の明智に不意をつかれた謀反であって
まともな合戦場において信長信忠ともに出陣していて戦況不利になって信長を見捨てて逃亡
したわけではない。
これで柴田だろうが羽柴だろうが誰であろうが家臣筋が信長死後に従わないと考えられる・・・ってか?
まあ考え方は人それぞれだからねwww
- 309 :
- >>307
>父親を助けに行かず
これは信忠本人より、村井とかの責任が大だと思うんだよな。
村井の邸は本能寺の前にあったというし、もっと早く情報を
信忠に伝えられなかったのか。
- 310 :
- >>308
理由はどうあれ信長を見殺しにした事実は残る。
父を見殺しにして終生尾を引いた伊達正宗みたいにな。
なぜ充分な数の兵を率いて京都に行かなかったのか?と責められたら言い逃れ出来ないし。
- 311 :
- そもそも京に臨時で入ったのが信長の指示なのに?
- 312 :
- 広大な自領の真ん中で2000の精鋭馬廻りを率いて護衛が足りないと言われましてもw
他のどの大名とて領内の移動にこんな大兵力引き連れないね
- 313 :
- >>302
信長の弟なのは同じだけど、織田家での地位は
信包>>>>>>>>>>>>>>>>>>>有楽ぐらいじゃないの。
甥の信澄よりも下だし。
- 314 :
- 2000の精鋭馬廻りって言ってもなぁ。
全員が全員妙覚寺に泊まっていたわけじゃなくて分宿していたんだよね。
二条御所で討死にしてる中には、信長が連れて来て本能寺に間に合わなかった面々も含まれてたんだっけか。
妙覚寺には信忠が引き連れて来た軍勢のうち何人が泊まっていたのか、信忠が「逃げない」と決断を下したその時点では一体どれくらいの兵が集まっていたのか。
自分としてはその辺が気になるんだけど、本能寺の変があまり研究されてないというのなら、その辺の推測もされてないのかな。残念だ。
- 315 :
- 本能寺が勃発する1582年に執行された左義長での順は
信忠・信雄・長益・信包と有楽はNo.3の席次。
- 316 :
- >>310
政宗は別にデメリットは無かっただろ。
むしろ父の敵討ちと称してあちこちで撫で切り大会を楽しんで
わざわざ最上の叔父さんにも生きてるもんは人間も動物もすべて殺戮し尽くしたって自慢してたし…
- 317 :
- >>310
山城が敵国に囲まれた領土だったというのならわからないでもないけどさw
京都を囲む周辺の近江も丹後も大和も摂津も全て織田領なわけよ。
もともと京に行く予定ではなかった信忠が父信長の臨時の命により入京。
そして宿泊先も本能寺と妙覚寺と別れていた。
加えて>>308のような状況。
これでもし信忠が逃げ延びられた場合に、父であった信長を見殺しにしたと言うわけだ・・・
はぁそうですか^^;まあ人それぞれ捉え方は自由ですからね^^;
としか言い返せない。
- 318 :
- 逃げ切りに成功した場合、それをどう取り返すかはその後の信忠本人の活躍次第でしょ
理屈は常に結果が生み出すもんだ
ま、上でもあったけど信忠は「ロマン枠」の人物だからその手の話が増えるのは仕方ないけどさ
- 319 :
- 信忠公の状況なら捨てガマリみたいな戦法で家臣団の支援を受けながら近江に単騎で一目散に逃走すれば逃げ切れましたかね?
近江で抵抗しながら急使を走らせた岐阜からの後詰めで一気に押し返し(^-^)
- 320 :
- 逃げるだけなら二条城に入る前、妙覚寺から一目散で逃げれるんじゃない
有楽斎とかも逃げれてるし
- 321 :
- 状況的に逃げられた可能性は非常に高い
というか普通の武将ならともかく逃げようとするだろうが、信忠は普通の武将じゃなかったので逃げようとせず
結果討死したという言い方も出来る
もう一つ言うとそんな信忠の若さを補える武将が傍に居たらやっぱり逃げられたと思う 文官ばかりだったのは最悪
- 322 :
- 有楽がいても何の役にも立ってないしなw
- 323 :
- >>321
村井以外は福富秀勝や野々村正成や斎藤利治とか歴戦の武将ばかりだぞ
- 324 :
- 団忠直は、如何思ってたんだろうな
抜擢されて将来の見通しは明るかったろうに
- 325 :
- >>314
2000名の兵が一ヶ所にいて完全武装してたら時間稼ぎできただろうし、
もしくは明智勢を怯ませるくらい奮戦したかもしれない。
少なくとも信忠を京から落ちのびさせる事はできたかもしれんな。
- 326 :
- >>323
俺も書いてから思った 侍大将クラスなら割と居たよなあって
それに対武田戦で信忠は滝川の言う事を聞かなかったぐらいだから、柴田羽柴クラスが傍に居てもダメだったかも
場合によってはそれが功を奏する事もあったかも知れないけど…二代目の教育って難しいな
- 327 :
- 織田信忠・松平信康・北条氏直・毛利隆元・最上義康はロマンと願望でif妄想されてるだけだしな。
リアルに生きてた武田勝頼や上杉景勝や毛利輝元や佐竹義宣や宇喜多秀家や竜造寺政家や大友義統なんて厳しい批判に晒されてまくり。
正直、信忠がDQNだったら政宗や忠恒くらいには生き抜けたと思うが単なる優等生だったら
下克上を生き抜いてきた実力重視の海千山千な家臣達を統御できないだろう。
特に明智討伐した秀吉や甲斐信濃を奪い取った家康の力量をハンパないし。
- 328 :
- 信忠が本能寺の変当時にひたすら逃げることに集中して、京都脱出に成功していれば日本史の
展開が異なったものになってたのは間違いない
織田家にとってバラ色の未来、となってたかは不明だが
>>327も言ってるが良家の御曹司はキツイ。親父や先祖が優秀な分、ちょこっとでも
選択ミスすると家臣団・領民はおろか後世の人達にまで猛烈な批判にさらされる
信忠の場合も信長がすごいだけにハードルがかなり高い。信長は対領民政策もかなり
優れていたから、その辺でも失策があれば早々に民衆の支持を失いかねない
信忠の領民統治政策てのは、データが無いので何とも論じようが無いが
- 329 :
- >>328
ほぼ同意だが一点だけ謎が。
信長の対領民政策?そんなことで特筆されるようなもんまったく無いだろ。
- 330 :
- >>329
328です。偉そうなことを書いたが図書館の信長特集本やネット、マンガで知識を
得ただけのエセ歴史好きなもんで、その辺ご容赦を(苦笑
目新しい政策は無いのかもしれんが、商業政策を中心によく頑張ったのではと思う
爆発的な領地獲得に全力を費やしていたわりには、広くカバーしてるてな感じで
信忠が生存して信長の遺産をそっくり引き継いだとして、親父みたく薄く広くでも
領民の不満がたまりすぎない程度の統治を行えたかな?て疑問に思ったわけで
- 331 :
- 楽市楽座? 検地? 刀狩?
- 332 :
- 楽市楽座があるじゃないか
- 333 :
- 相撲もしてただろ。
- 334 :
- 楽市楽座に関してはそもそも座が一体どういうものだったかもよく解っておらず、
座のないところは自動的に楽座になるといった状況で、おそらく信長当時の楽市楽座とは
「新しく作った工業団地に工場を誘致する」位の意味だと考えられる。
で、歴史的にはよくあることだが徐々に言葉の意味が変わり、豊臣時代から徳川初期にかけて
楽市楽座が商人の移動と営業の自由を指すようになった感じだ。
- 335 :
- 一向一揆以外の目立った住民一揆が無いって特徴は無いっけか
内政面は結構充実してたんじゃないか?
- 336 :
- >>335
「一向一揆」というものは戦国期には存在しない。
すべて「一揆」「土一揆」の言葉で表現された。
「一向一揆」という言葉と概念が成立したのは江戸中期
- 337 :
- 用語だろ、頭大丈夫か
- 338 :
- >>337
概念としても存在しない。当時の人間は「一向一揆」なるものが現在の人間が考えるような
宗教的一揆だとは考えていなかった。
戦国期のあの一揆に宗教的色合いをつけたのははるか後世の人々。
- 339 :
- >>334
最近じゃ座は熱田の御用商人たちの既得権益の保護でしかないって言われてるしな・・・破座なんて実際は無かったとか。
楽市にしても直轄化した際に在地の既得の楽市の特権を持つ者たちへの追認だったって言うし。
- 340 :
- 楽市の楽は「自由」じゃなくて「安全」じゃあないかって話もあるしね
- 341 :
- 実は楽座については誰も説明できない。
誰がこんな造語を考えたんだよ…
バカなやつが以前、ドイツのギルドみたいなものと説明しててワロタ
他にもデタラメ捏造で政教分離だとか都市国家だとか
なんでもヨーロッパの歴史進展具合と比肩させて説明しようとすんなとw
- 342 :
- 戦国大名の経済力 3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1267685156/
楽市楽座は上のスレで語られてるので見に行くが宜しかろう。
- 343 :
- 当時は略奪が当たり前の時代だからな
強い領主の城下町なら略奪される心配も少ないから商人が集まっただけの話
- 344 :
- いまだに織田は兵農分離とか言ってるバカいるしな。
さらにアホなのは兵農分離と徴兵制を混同してるやつも多い。
安堵を乱発し国人や地侍の解体さえ為されてなかったのに。
身分が固定されたのは強力な権威を背景に全国で不完全ながら刀狩りと検地を組織的に施行した豊臣政権から始まって身分固定がなされた江戸時代なのに。
論拠にしても織田以外は農繁期は出兵しなかったとか主張するが、
そもそも一番人手が必要な時期に刈田もせずに出兵していくなんて普通にやってたし、
次いで農閑期に出兵するからと主張するが冬季に入るや撤兵して帰国したなんてのも普通にある。
そういう都合の悪いことは黙Rるんだよな。
- 345 :
- そもそも農繁期と言っても戦国期の農民は米ばかり作っていたわけではなく、基本
米を刈り取ったらすぐに麦を植え春先にはその麦を刈り取りまた米を植え、という形だったので、
少なくとも春先と秋の2回農繁期があった。(米の二期作も併用している地域は夏も)
ここからも「織田以外は農繁期は出兵しなかった」という変な考えは完全に成り立たないことがわかる。
- 346 :
- 一番人手が必要なのは田植え時だろw
- 347 :
- 信玄とか謙信は普通に刈田もやらずに出兵してるよな。
そもそも稲を植える時期、3月とか普通に信濃出兵してること多いし。
織田厨って稲を植える時期を何月で、
刈田をする時期を何月だと思ってるのか本当に謎w
織田だけ兵農分離してると主張する際に客観的なデータやソースを絶対に出さないし。
- 348 :
- 【一領具足】戦国時代の兵農分離【郷士】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1267337010/
何か関係ありそうなので、貼っておきますよ
- 349 :
- >>320
有楽が逃げても明智勢は放置だろ。信忠が逃げてたら必死で捜索するぞ。
- 350 :
- >>347
もともと完全なウソなんだからデータなんて絶対に出せないでしょ。
>>349
信長の弟を放置するわけないじゃん…
- 351 :
- 有楽は諦めなかったけど信忠は諦めちゃったんだろう いかに優秀なプレーヤーでも諦めたらそこで試合終了
後世の目で見ると安土まで逃げ切れた可能性が高いと分かってるだけに余計残念
- 352 :
- >>307
だったら朝倉攻めの最中の浅井の離反で、信長が単身戦場から離脱した時、
織田諸将も信長から離反してる。
信忠が明智に対して兵力劣勢が明らかなのだから、一時逃避しても恥でも何でもない。
大将が負け戦と分かってて自滅の猪突猛進をするほうが、よっぽどバカ。
どう間違っても天下を取れない器の発想。
- 353 :
- 信忠は武田攻めが凄かった
- 354 :
- 逃げ上手の親父は討たれ、反乱の規模も解らず、京の外の状況も解らず、相手は顔見知りの明智
こんな有り様じゃ逃げ切れない判断してもおかしくはない
>>350
信忠と長益なら信忠を優先して長益は放置だろどう考えても
嫡男と武将不適格な弟、優先順位が違い過ぎるわな
- 355 :
- 封鎖してんだから優先とか後回しとかねーだろw
女性の格好して逃げてるやつもいるから片っ端からチェックしようとしてるのによ。
- 356 :
- 有楽斎とか前田玄以がどうして逃げ切る事が出来たか分からんからその辺りは何とも…
明智の包囲が甘かったから と考えれば「じゃあ信忠も逃げられたんじゃない?」って事になるし
明智側の取捨選択 としたら信忠は到底逃げられまい
ただ、妙覚寺(→二条御所)へ明智勢が集まってくるまで結構時間があったのは確か
- 357 :
- 洛中を完全包囲してたわけじゃないからね
- 358 :
- その事を信忠の立場では把握出来ない訳で
- 359 :
- 有楽だって捕縛もしくは討ち取れば武功として褒賞もらえるし
本能寺の寸前の左義長での席次は信忠・信雄・長益・信包だから
織田政権において重要人物NO.3だよ有楽
本能寺の時の信雄は伊勢にいたといわれてるし
ほとんど信忠と同じ捕縛対象だわ。
- 360 :
- ほとんど同じってwwwwwwwwwwwwwwwww
- 361 :
- どう頑張っても嫡男と茶人の弟じゃ全く重要度が違うってwww
そりゃ捕まえたり殺したりすれば褒美は貰えるだろうが信忠とほとんど同じなんて事は無い
- 362 :
- その後の後継者争いでも全く名前も出なかったのが茶人武将の織田家内での評価
- 363 :
- 捕縛云々よりも、その状況を信忠が判断できたかどうかだろ
神(結果を知ってる現代人)の視点で逃げたら逃げきれたのにとか言ってもしょうがないわ
- 364 :
- 長益も当然に捕縛リストに載ってただろうね。
長益はただの茶人じゃねーのも知らんとは…武田征伐や小牧長久手や関ヶ原でも活躍してるんだが。
長益はむしろ信長後継者の権利を持つ1人として世間に見られ
警戒され破滅しないように茶道へ傾倒することにより保身を図ったに過ぎんだろうね。
淀が徳川は豊臣の臣下だと怒った時に
長益が「それを言うなら豊臣も織田の臣下だったはず」と諫めているなど、処世術に優れ天寿を全うした人物だと言える。
- 365 :
- それを言うなら淀も織田の血を継ぐ(ry
- 366 :
- つーか信忠がワーワー戦ってたからこそ長益も玄以も逃げられたんだろ
信忠が逃げたっつーなら明智は妙覚寺に向ける兵力を京都の封鎖に回せるぞ
- 367 :
- 長益は信忠と違い情勢判断力があったんだろうね。
けっこう賢く立ち回りをして大名として生き残ったしな。
まあ隆信の討ち死に後に鍋島信生の支配を是認した
隆信の弟達や子の肥前藩を支えた龍造寺四家も長益と似たような立ち位置だったろうか。
逆に信長の息子の信雄や信孝らは…龍造寺政家嫡男の高房やその子の季明が龍造寺嫡孫を名乗って当主の地位を返せと喚いていたし処世術が下手過ぎる。
- 368 :
- 有楽斎は妙覚寺に居たのは確かだろうが一緒に二条御所に入ったかも不明
- 369 :
- 本人の談によれば、信忠が切腹した後、自分も腹を切ろうとしたが、
敵の姿が見えなくなったので、それでは死んでもつまらないと思って
脱走したという。
これによれば二条御所にいたことになるが。
- 370 :
- なんで信忠が切腹したら、敵の姿が見えなくなるんだとか、突っ込みどころ満載だなw
- 371 :
- >>369
苦しい言い訳だなw
信忠達が戦って敵軍を引きつけてる隙にこっそり逃げたんじゃないの。
- 372 :
- 戦国時代で唯一、信長の織田家だけが兵農分離。
だから徒手空拳の秀吉や光秀が手柄を挙げて異例の出世ができた。
光秀なんて織田家中の新参者なのに、最短最速で領地を与えられ大名に。
国人連合体の他の大名組織では、絶対に有り得ない出世と抜擢。
こんな基礎知識、一部の自演基地害を除いて皆知ってるがな。
兵農一致の農民徴発軍が農繁期行軍なんてできないのは小学生でも分かるんだが。
農業従事者が戦で農地にいないのに、誰が農業するんだって話だ。
こんな根本的疑問を抱かない思考回路はお目出度いとしか言いようが無い。
農業は当時の基幹産業であり、食料を確保しないと国は一年で滅びるのにな。
史料を引き合いに出して兵農一致軍の農繁期行軍の常態化を信じるなんて、
それはもはや歴史学ではなく宗教だろ。
聖書やコーランにある文言を鵜呑みにする原理主義者と同じだ。
史料にこう載ってるから絶対正しいと思考停止で盲信の愚。
こんなお目出度い輩は、まずロジカルシンキングを学んだほうがいいな。
身分制を破壊したのは信長で、それ以前や以降はガチガチの身分社会。
無知だと自分の都合のいい妄想を膨らませ、身勝手に歴史歪曲して自己陶酔。
傍から見ていると哀れにしか見えん。
- 373 :
- 一緒に二条御所にいたなら
信忠が引き付けてる間とか信忠がワーワー戦ってたから逃げれたとか苦しい言い訳は完全に成立しないよな。
普通に2人がいた二条御所自体が包囲されてる中で有楽は逃げることに成功したんだから。
- 374 :
- だがしつこいぞ
- 375 :
- つーか信忠を過大評価し過ぎ
織田家の行く末に思案が回らない自爆バカだろ。
- 376 :
- 信忠は信長から正式に家督を譲られた政権後継者。
全織田諸将の主君。
何が過大評価なのか意味不明。
- 377 :
- 信忠だけでなくぶっちゃけ早逝した人物はみんな過大評価され気味だよね。
- 378 :
- いや、逆に無駄に暗愚扱いもあるから、両極端っていうのが正しい。
- 379 :
- そもそも二代続けて優秀なんてのは非常に珍しい。
早逝した人間は惜しまれ生きていたらひょっとしてって言うロマンに沿った過大評価をされるが、
下記のように生きていた人間はかなりの批判を受けている人物ばかり。
大内義隆、尼子義久、上杉景勝、武田勝頼、毛利隆元、毛利輝元、龍造寺政家、大友義統、島津忠恒、北条氏政、今川氏真…
- 380 :
- ミス訂正
隆元は削除
- 381 :
- >>370
信忠の首無し死体見つけて明智勢が「ハイ撤収〜」ってなった後に逃げたんじゃね?どっか隠れてて
首持ってったのは鎌田だっけかな。明智としては首ないのは口惜しいけど、
信忠は奮戦してた姿は将兵に確認されてるし、首無し死体でも身元証明はできたろう
信忠の死体が無い=信忠逃げた?だと、明智軍の緊張感も違っただろうし。
まあ、確かに一緒に二条御所に居たってのも胡散臭いがw
- 382 :
- >>381
京における重要拠点を放棄するわけがない。
残兵を捜索したうえで、一定の兵力を駐留させるに決まってるだろう。
- 383 :
- >>373
逆
御所で戦闘始まる前が1番逃げられない時間帯
警戒に全神経を注いでる状況なので、このタイミングで洛中を動くのは危険
こうなるまでに逃げられないなら開戦中のほうがいい
戦闘が始まってしまえば槍や弓を持って命の取り合いで視野が狭くなるから
ドサクサに紛れて逃げるチャンスになる
死兵となって数に勝る光秀を数回押し返してる戦況なら、御所から逃げるのは可能だろう
奮戦の核である信忠は例外になるが
- 384 :
- 朝倉と浅井の前後からの挟撃の危機で逃走し生き残った信長
二条御所で奮戦した犬死にした信忠
残念だが信忠の可能性の限界がすでに見えてるわ…
- 385 :
- まぁどっちゃにせよ信忠は逃げれなかっただろう
もし逃げたら皇族を放置して逃げたとか言われるぞ?
正体不明の外敵に対して御所ほっといて逃げるなんてマネ、当時としてとてもできんだろ
金ヶ崎とは状況が違いすぎるわ
- 386 :
- 皇族無視して将軍連れて京から脱出してから
また入京しようとした有力者なんて過去にいくらでもいただろ…
光秀が皇族虐殺しまくったらどうなるか計算してないとか?
- 387 :
- 対尼子戦や武田攻めの言動から、父親の言うこと以外他人の意見を聞かないイメージがある
長益は逃げる時恐らく信忠を誘ったが聞かなかったのでは
こんな事だと仮に本能寺の変が起きなかったとしても
信長より先にあっけなく討死していただろうな
信長自身の経験からはっきり差をつけたんだろうが、他の弟ともう少し切磋琢磨させた方が良かったかも
- 388 :
- 追記
尼子を支援した対毛利戦だねゴメン
- 389 :
- 甲州攻めは信長の言うことを聞かずガンガン攻め上がる信忠に、
信忠の言う事を聞かずさらに暴走して攻め上がる森や河尻という
軍隊の統帥的には最悪な展開だった。
- 390 :
- まぁ信忠が優秀だったら播磨へ出張した時に
明智光秀、羽柴秀吉、丹羽長秀、滝川一益と
そうそうたる家臣団を引き連れての
織田軍最精鋭軍だったのだから
オヤジに意見を聞くまでもなく
毛利に一撃はかまして武功を立てて
天下に面目を立ててただろうね。
- 391 :
- >>386
光秀が皇族虐殺とか発想おかしいし、
そもそも皇族を無視して将軍を連れることはできないだろ、将軍追放したの信長だ。
南北朝の時代を経て皇族を無力化して足利家を珠玉とした時代の発想を持ってくるのもズレてるぞ。
足利義詮は北朝の皇族を捨てて自分だけ逃げたせいで、南北朝時代長引いたし、
皇族を無視して京都から脱出って、失敗談の例だよ。足利将軍と比較できない。
だいたい、足利将軍があんな風に簡単に首のすげ代えが聞くようになったのは
義澄の時代に奉公衆が解体されたからで、
もともと足利将軍の権威ってのは家格だけじゃなくて軍事力にも基づいてるんだよ。
だから将軍家が無力化した後は、あっちに将軍がいたりこっちに将軍がいたりって状況になった。
天皇家は逆で、この時代では既に家格のみで生きてる。だから偽物を立てても求心力がない。失ったらお終い。
- 392 :
- >>391
そもそも君の日本語がおかしい。
- 393 :
- >>391
なにが言いたいのか不明。
とりあえず認識不足が明らかだから権門体制論や東国国家論とか読んで勉強した方がいい。
それと足利幕府は皇族や公家の所有する権利や荘園を保護しないと山城周辺を統治することすら不可能だったんだぞ。
だから武家が横領した荘園も返却させたりして不満を買っていた。
公武が協力し合う関係であり足利義教に至っては天皇から治罰綸旨を出してもらって朝敵討伐してる。
皇族を無力化して〜足利家を珠玉とした時代なんて無いから。
天皇も家格だけで生きていたのではなく官位任命権なども保持していた。
それに奉公衆は義輝により再建整備され始めていて
伊勢氏や高氏や一色氏や上野氏や大館氏や松田氏や飯尾氏などなどがいて、
さらに宗氏や島津氏らも財政支援しており
そう簡単に将軍の首をすげ替えるのが難しくなっていたから三好&松永は暗殺の暴挙に出たわけだ。
君の言ってることの大半は間違えてる。
- 394 :
- 応仁の乱頃の山城国守護はもうそんな統治が及ばないって状況ではないだろ
一時期の畠山義就なんか山城半国守護以外に対して基盤を持ってない状況だったんだし
だいたい、朝廷が官位任命権を保持してるから、足利家は京都に幕府つくったんだろ
鎌倉幕府のように東国西国で二元政治を行うんじゃなくて、一元化するために
官位任命権を持ってるからって、それを行使できなきゃ有名無実、家格のみのお飾りと一緒
義持の代でそれは確立されてるじゃん
それに義輝が作った奉公衆をそれ以前の奉公衆と同一視するのはおかしいだろ
常備5000程度の軍事力を保持して動かせるから、三好松永の暴挙は成功してない
実際は部隊長クラスに伊勢氏や高氏を雁首揃えて並べただけの代物だ
それだったら義澄以降の将軍達も作ってるんだよ。役に立たないけど
義材だって自分の奉公衆作ってたんだぞ?
- 395 :
- そもそも君は鎌倉府を知らない時点でアウト
室町幕府は鎌倉幕府よりも東国西国での二元政治が顕著だよ。
義満が陸奥と出羽の統治権を鎌倉府に与えざる負えなかったのが致命的。
そのために義教が挙兵した鎌倉府を討つ時に朝廷の権威にすがって朝敵にしてもらい幕府の正統性を付与してもらうハメになる。
有名無実どころか朝廷権威は根強いもので、鎌倉府が朝廷に錦御旗でも下されたら大乱ものなのは明らかだった。
しかも鎌倉府を滅ぼしたものの結局は関東が静謐にならないために持氏の子の成氏を擁立して鎌倉府を再興させなければならず
しまいにはまた鎌倉府は挙兵してしまうなど足利幕府は常に不安定で公家勢力&寺社勢力との調整で山城国周囲を保持していた。
義晴とは違い義輝が英明かつ武勇に優れていたために他国大名への御教書や外交を通じてかなりの支持を得ており、
さらに整備した奉公衆を元にかなり将軍権威を復興させてきており
その奉公衆の支持を受けたからこそ義昭は後継者として内外に認知されており、
この武力があったからこそ信長に対して蜂起して籠城することが可能だった。
役に立たないならそもそも籠城なんてやらないで脱走する。
- 396 :
- つまり戦国時代の公家達は六角氏などに横領された京洛の自らの荘園を取り返してくれたから
足利将軍を支持してきた共存共栄の存在で、だからこそ将軍と横領を支持した管領が対立せざる負えない関係なわけ。
また京の五山の任命権や将軍庶子の権門寺社への出家を通じて畿内における隠然たる影響力の後援も受けていたし、
これは天皇の祭祀的権威の協力も必要な共存共栄の関係だった。
だから東国武家政権とはまったく異なり、
山城周辺はただ単に武力のみに依存して支配はできないわけ。
だからこそ信長も邪魔な義昭をRことなど出来ないし帰京交渉もしたし義尋も手のうちにおいていた。
- 397 :
- だから別に皇族も公家も信忠が逃げようがどうなろうがぶっちゃけどうでもいい。
信忠はとにかく逃げのびるべきで
その後に公家勢力や寺社勢力を安心させるべく大義名分として
義尋でも担いでまた入京を狙えばいいだけの話。
そしたら誰も信忠が逃げ出したことを批判するやつはいない。
- 398 :
- なげーよ
- 399 :
- 3行で
- 400 :
- 本能寺の変における信長の油断は少ない護衛で入京したよりも信忠の在京を許可した事だと思う。
元々信長は若い頃から無鉄砲な所があったから少ない護衛はその延長戦上かもしれんが、12が同じ場所にいるのは同じ飛行機に乗っているような
もんで非常時の場合の危険性があるのに、どうして信長が信忠を堺に追い返さなかったのか不思議。
- 401 :
- 三職就任の件まであるのに今更信忠が足利の旗にして入京する意味がない
それで安心できるなら信長の息子ってだけで皇族も公家も安心するわ
- 402 :
- 安国寺がそのうち信長は高転びに落ちるだろうと予言できたのも
畿内において隠然たる影響力を持っていた公家勢力や寺社勢力が
信長に対してどういう内心を抱いていたかを察していたからだろうね。
朝廷や幕府との折衝窓口だった光秀も公家勢力のそういう空気を察していたのは間違いない。
ただ光秀は比叡山焼き討ちを積極的に行い
その功績で比叡山門前町ともされる坂本の地を与えられるなど寺社勢力からの人気を失ってしまったのだろう。
同時に一方で安国寺は秀吉を高く買っている予言をしているわけだが、
やはり秀吉が公家や寺社から人気があったからだろう。
のちに秀吉が関白になるや彼らへの厚遇ぶりが顕著になるのも頷ける。
力を権威にしただけの信長が死んでしまえば、
信忠はただの人になってしまうわけで
人気があった秀吉に畿内において信忠ではとてもかなうまい。
いつの時代も力で押さえつけるのではうわべだけの面従腹背でしか無く
広範に支持を得ることが必要であろうね。
- 403 :
- 安国寺の予言の文章はよく引き合いに出されるけど
全文はどうなっているんだろう。
都合の良い部分だけを抜き出されているのか?
- 404 :
- 天正元年だぞ、あの報告書。西暦だと1573年。
- 405 :
- 安国寺のは予言でも何でもなくあの時点でのごく常識的観測だろ。
むしろ信長の政権があの時点で安定的拡大をする、と考えた人間のほうが
頭がおかしい。
秀吉を取り上げたのは慧眼といえばそうかも知れないが、あれも文面からすれば
「やり手で付き合っておいたほうがいいよ」位の意味だわな。
- 406 :
- 下記のような文章らしい。
天正元年(1573年)12月12日付児玉三右衛門・山県越前守・井上春忠宛書状で、
「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。
左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」
と書いており織田信長の転落と、その家臣の羽柴秀吉の躍進を予想し結果的にそれが的中したこと
信長の治世はとうぶん持つだろうと思う。来年あたりは公家になされるように思われる。
そうやって持ち上げられたのちに一気に落ちるように見えます。
それと引き換え秀吉はさりとて覇の者だろう。
- 407 :
- 時期をはずした予言を当たった予言とみなすのは無理がある
「三年か五年後に自衛隊がクーデターを起こす」なんて予言があったとして、
十年後に起こったらこの予言は当たったことになるのだろうか?
- 408 :
- 五年、三年は
の逆表記の解釈はよくわかっておらず
三年、五年
ならすぐわかる。
当時の慣用表現として「とうぶんの間」の意味ではと言われてる。
それに予言というよりは見通しであり、外交僧ならではの情報力の分析結果。
実際、本能寺までは信長と信忠を一緒に葬り去るタイミングが訪れなかったのでは?
- 409 :
- ついでに言うとこの書状の存在が表に出たのは秀吉の天下制覇後、恵瓊自身の
宣伝による。
なので書状の内容自体も余り信用できたものではない。
- 410 :
- >>409
それはない。つかお前原文を読んだことないだろ・・・織田厨ってマジで糞だな。
もともとこの書状はむちゃくちゃ長いもので
リアルタイムに各地の多くの情勢を述べている超一級史料。
基本的には岡山まで帰ってきたことを輝元へ報じ、
秀吉・日乗・安国寺が信長に派遣され義昭の帰京交渉が開始されたが
人質を要求され秀吉はそれを信長へ申し上げられないと答えたが
一日、お互いで話を支えて秀吉も御分別したので
このことは一大事でもあるのでどこかなりともお忍びすること。
さりとて中国にきたら憂うる状態になるが紀州へ行くようだとか
義昭の息子が信長の宿にいるので来春の御礼の使者を出すように伝えてたり
秀吉と一緒に信長から遣わされた旧尼子家臣の子の朝山日乗が
秀吉と義昭と安国寺の間をいろいろと調整してくれて、
周公旦や太公望の如き才覚で芸州の安泰の重責を担う人材だとベタ褒めしてる。
しかしこの朝山日乗はキリシタンを陥れようとしてたようで
この後、まもなく信長の寵を失うなど安国寺の予想は外れている。
また浦上宗景に信長が備美播の朱印を与え対芸州に進むのをことの他の事態だと驚き
別所もまかり出てきており宗景と間について両者の前で言い渡され、宗景が武井夕庵(信長右筆)に礼を述べた。
本日はこれから直家と面談し来春に播磨広瀬を攻める話をするが直家も内心で同意しているとも書いており
但馬に来2月に秀吉が進軍することについて半国でもとわび事を申しあげたが許されなかったとも。
柴田勝家を通じて山中鹿介がいろいろ申し上げたが許されなかったとも書いてる。
(山中がいた山名氏が織田から毛利へ寝返ったことと関係あり?援軍要請却下か?)
三好義継の切腹を報じ信長は阿波の三好も許さないと書いてるなど
信玄が死去して畿内情勢が好転したからか?
機嫌が良い信長がいろんな問題でほとんど許さない態度であったと記述している。
その上でこの将軍義昭が紀伊へ行く事と信長の間を調整する秀吉の思考や行動を分析し
公家勢力と寺社勢力からの情報ルートもある外交僧の安国寺が出したものだろう。
- 411 :
- だから、長いって。まとめるってことを覚えろ。
個人の推測を混ぜて、ぐだぐだと書くな。
- 412 :
- >>411
火病発病すんなよ…
- 413 :
- >>410
俺はアンチ織田厨まで読んだ
- 414 :
- 3行で
- 415 :
- >>411
>>長いって。まとめるってことを覚えろ
>>403ように全文を聞くやつがいたから答えたまで。
ただこの織田厨が>>413の織田厨同様に
「都合が悪い部分を削除してんだろ?」な態度だから
できる限り凝縮してほぼ全内容を書いてやった。
実際の文章はもっともっと長文。
>>個人の推測
いやいや推測じゃなくて書いてあることを書いただけ。
実際の書状にもちゃんと、今度信長機嫌一段よく候って書いてあるし
挙げられた問題を信長は許容有間敷之由とたびたび書かれている。
また信玄が死去して畿内情勢が好転したからか?って書いたのは
これが1573年12月12日の書状であり、4月12日に信玄は甲斐に引き返す三河街道上で死去したという
世間の情勢を書いた方が立体的に理解しやすいから。
信長は信玄の侵攻による東部戦線が気がかりで岐阜城から動けずにいたが、
やっと来年から中国戦線での軍事行動を再開することを安国寺が伝えてる。
そのために毛利としては義尋へ(義昭には正室がいなかったので嫡子とされていた)
来春に挨拶の使者を出しつつも義昭を中国領へ招き入れることで
織田との全面戦争になるのを回避しつつその裏では宇喜多に
浦上宗景の播磨広瀬城攻め(姫路の北)をさせる大国同士の代理戦争をさせようとしていた。
- 416 :
- ※1568年上洛戦を開始し徳川家康や浅井長政と合流し9月観音寺城の戦で火蓋を切って以来
1569年内までに将軍の権威のおかげで信長は赤松政秀を擁立し秀吉・池田・別所を播磨や但馬に派兵し平定。
一色義道・赤井直正・波多野秀治も帰属し丹波丹後も平定。さらに山名豊国を擁立して因幡も織田領国に組み込んでいた。
しかし将軍義昭と信長の関係が崩壊し本願寺が挙兵するや周囲との関係が一変し
将軍権威のない急拡大した織田版図が砂上の楼閣でしかなかったのが露呈(信長は美濃平定に11年を要した)
武田の西上への備えから信長は中国戦線を完全に見捨ててる状況だったために
吉川による但馬攻略が成功しており丹波の赤井直正と連絡線が成立し反織田で協調関係だった。
(直正は丹波波多野元秀の娘と婚姻している。波多野秀治は元秀の養子で秀治の妹が播磨別所長治の妻)
また別所や小寺らは同じ守護赤松氏の元で同輩だった浦上氏の下につくことを不満に思っていた。
これは後年において波多野が赤井に呼応して丹波で光秀を大敗させ謙信が手取川で織田勢力を排除したのちに
赤井・波多野に呼応して別所が小寺と共に織田を離反し摂津池田勝正が領民から追放され
荒木村重が擁立され織田へ謀反する一連の流れに繋がり秀吉が播磨に完全孤立する
信長最大の危機を生んだ禍根の元になっている。
この時も謙信が死去したので中国方面への兵力集中が可能になり北陸戦線から兵力抽出をして
姫路城へ信忠の大軍を派兵可能になり播磨西部の山中鹿介を見捨てたものの
毛利を牽制し別所攻略へ力を注ぎ播磨戦線の崩壊が阻止できた。
ところで安国寺はなかなか先が読める人間で1584年正月11日の書状でも秀吉を褒めまくっている。
(秀吉は信雄に年賀の礼に来るように命令し信雄が拒否し秀吉と険悪な状況になっていた)
安国寺はさかんに秀吉と毛利の領地の堺について大きく譲歩してでもはやく和睦締結するように主張してる。
近年において信長がいた時も羽柴羽柴と騒がれ戦をすれば羽柴、城を攻めるも秀吉と盛んに評判になっていたが
いまでは日本を手の内にしており名人であり明日の不慮も考えられないと書いている。
これにより毛利と秀吉の正式な和睦が成立し、3月に入り秀吉は安心して家康信雄と激突する選択ができた。
- 417 :
- 邪魔だなあ、空気読めないやつって。
- 418 :
- 顔真っ赤にして書きまくってるんだろうなぁ。
- 419 :
- >>417>>418
わずか1分差で顔を真っ赤にして必死に自演…織田厨涙目ワロタ
晒しage!
- 420 :
- >>419
お前は自演という言葉の意味解ってないだろ
- 421 :
- 自演ってワロタw
- 422 :
- >>421
そうそうwマジワロスw
こういうのが自演
- 423 :
- ブププ
これこそ
いま酷い自演をみたw
ってヤツだよ(笑)
- 424 :
- あんまり荒らさないでほしいんだが
ちゃんと議論できないんだが
- 425 :
- 織田厨は「だが」などとレッテルを貼ったり
悪口中傷して荒らすだけで
まともに議論できる人間なんていないよ。
- 426 :
- 自分の邪魔なのは織田厨とレッテル貼る割にはアンチ織田厨とレッテル貼られると顔を真っ赤にする奴って…
- 427 :
- 「厨」なんて「好き」みたいなもんで別にレッテルじゃねーし(笑)
- 428 :
- >>427
きみみたいな(笑)厨にとってはそうなんだね
- 429 :
- >>427
だがさん大好きだから別にレッテル貼ってねーよ
戦国板はツンデレが多いんだからさ
三斎様みたいにヤンデレもいるけどな
- 430 :
- Sub・だがとレッテル貼って工作スレまで立てて荒らす基地外
【異常】Sub荒らし報告・観察スレ【誇大妄想】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1268982684/l50
【中二病】 だがvsSub 【精神病】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1295429299/l50
【打倒織田厨】アスペルガーだが無双
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1291725497/l50
【政宗vs信玄】仙台藩百姓vs狂信者アスペルガーだが
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249043647/l50
- 431 :
- >>430
関係ないスレに関係ないレスするお前もキチガイだな
- 432 :
- >>415-416
他人に読んでもらう為に書き込んでるのに、
そんな書き方じゃ一目見ただけで読む気が失せる。
せっかくの力作も台無しだ。
適度に一行、間を開けるなり、要旨をまとめるなりして読みやすいように工夫せよ。
- 433 :
- どうやら織田厨に都合が悪いものは
全て拒絶してケチを付けまくるってのは事実のようだなワロタ
- 434 :
- 某スレに信忠は明智軍に攻められて死んだ(自刃した)んじゃなくて
勝手に自殺したみたいなこと言ってる奴がいるが、「信長公記」など
史料を読んでるのか?
どの本にも本能寺の変は「明智軍が本能寺に信長を襲って殺し、
ついで二条御所に信忠を襲って殺した」と書いてあるんだが。
- 435 :
- 織田厨くんさー信長公記は70種類以上あるんだが…君はどの信長公記を指しているのかね
まずそこのところをハッキリさせようや。
- 436 :
- やだ
- 437 :
- いやなのかよ
- 438 :
- >>402
ただ秀吉は史実でも内心はともかく、表面的にはまずは織田を尊重して、
時間が経ってから直接的な天下取りに動いてるし、
信忠が生きていたら、もっと時間がかかったんじゃないかな。
織田政権はすぐには崩壊していないし、信忠がいたらこれを崩すのはかなり難しいと思う。
- 439 :
- 信長信忠親子は今も京都の守り神
なんといっても建勲さんだから
公家の多くに嫌われていたと妄想するのはイクナイ
- 440 :
- 仮に信忠が生きてたとしても、結局は信忠が信孝ルートを辿るだけになりそう。
- 441 :
- 家督継いでた人間と家督のかの字もなかった人間を同列に語るのもどうかと
- 442 :
- 信孝は信忠の重臣引き継いで日が浅かったからね
- 443 :
- 織田家そのものの家督は継いでいたし、織田本願の地である濃尾の旗頭だし、将の将としても
武田滅亡戦における実績もあるしね
- 444 :
- そもそも清州会議がgdgdになった原因の一つが信忠の死ってのもあるんだがな
過大評価(=生きてれば織田幕府設立した)はするつもりもないが、過小評価(=生きてても死んでも一緒)もするつもりはないわ
- 445 :
- >>439
>今も京都の守り神
アホゆうたらあきまへん。
京都人が尾張出の武将を「守り神」なんて思うわけないじゃーん。
持ち上げられてたとしても表向きだけと思わなきゃ、京都の場合。
- 446 :
- まあ逃亡しなかったのは若気の至りだろうな
家康や政宗も若い頃は血気にはやって大失敗しているから信忠もそんな感じじゃないかねえ
問題は信忠の片腕だった斉藤利治
主君を逃がす努力もせずに一緒に玉砕してしまった
なぜ信忠に逃げるよう言わなかったのかねえ
- 447 :
- 信忠が生きてたら柴田以下重臣連中は信忠に従うわな
明智討伐も秀吉じゃなく信忠主導で行われ、まず順当に勝つだろう
気になるのは
・信長・明智亡き後織田家内の勢力図がどうなるか
・信忠(=織田家当主)が生きている事で他勢力がどう動き、それに対して信忠はどう対応するか
かな
- 448 :
- >>445
それは明治天皇の想いもあるし ないな
一応京都の守り神という名目だけど天皇家の守り神という意味合いもあるかも
例の祟りから守ってもらう為の
- 449 :
- 信長までが怨霊になったら余計に恐ろしくなるしね。
- 450 :
- 自分が信忠」だったら、又は家臣だったら
夜中起こされて周りの状況が全くわからず上様が討たれて明智勢がこちらに向かってますなんて報告されたら討死or切腹しか重いつかんだろうな
逃げてもつかまるだけ、逃げ切れるなんて考えられんと思うわ
- 451 :
- 四天王の明智だからなぁ
明らかに自分より実績も能力も格上だから、俺も総考えるだろう
余程の自惚れじゃなければみんなそうなんじゃね
- 452 :
- 光秀が謀反するとなれば、
既に各所へ話を通しており主要街道は封鎖、
下手に逃げようとしたら、たちまち捕まって赤っ恥を食らうだろう。
そう考えてもおかしくない。
まさか無計画にいきなり始めたとは思わないからな。
- 453 :
- 織田家の家督継承者として育ち家督を継いだ信忠にしてみれば明智の粘り腰な丹波攻略戦などを
それこそ直で見聞きしている立場
まさか明智家単独の言ってみれば暴発とは考えないだろう
暴発と考えなければ京から脱出可能な道なり山超えなりが残されているか否かは下の図を
見れば自ずと明らかにならざるを得ない
丹後細川(継嗣忠興室明智娘)
丹波亀山明智
比叡山
京 近江坂本明智
摂津野田津田
(室明智娘)
大和筒井(室明智光秀正室の妹)
- 454 :
- >>452
非常に計画的だった光秀の普段の信頼が生きたってことだなw
- 455 :
- 「光秀だけが謀反するわけがない。他にも沢山加わってるはず」と思い込んでしまった可能性はある。
それで「逃げても無駄だ。織田はもう終わるんだ」と悲嘆して自害してしまったのかも。
- 456 :
- >>451
逃げられる、あるいは逃げられるかもしれないと言う判断をしても自惚れでは無いよ。
100%完璧な布陣なんて誰にも出来ないから。
- 457 :
- 信忠の選択もあり得る話ではあるけど、逃げてほしかったな。
- 458 :
- 信忠も信孝も、26歳の若さで潰えたのが余りにも可哀相だ
- 459 :
- 信孝は同じ負けるでも、「信孝vs誰か」と認識されるような歴史に名を刻む大きな合戦が出来なかったのが一番残念。
- 460 :
- >>459
つ山崎の合戦
- 461 :
- 山崎での信孝はただの神輿みたいなもんだったからな。
- 462 :
- 信雄「人間は死んだらおしまいだよ」
- 463 :
- 長益「さよう」
- 464 :
- 信忠主人公のエロゲ考えてみた
攻略は濃姫、お市、浅井三姉妹、松姫、五徳。
死んだ吉乃に対してマザコン気味で、モテまくる
- 465 :
- >>464
最後はその中の誰かと二条城で燃える訳だな 誰ともうまくいかないと孤独な死…
俺なら買うけどマニア過ぎ
てか三法師の母親が誰かさえ正確には分かってないんだよなあ
- 466 :
- 三法師どころか信忠すら解ってないってオチ
信忠が生まれて幼いころに実の母親と死別してるみたいってのぐらいしか解ってないみたいだな
- 467 :
- 織田は意外と中央の史料少ないから
- 468 :
- 三法師の母は松姫だとか云ってた捏造文献の持ち主は
今頃なにをしているのだろうか。
- 469 :
- >>466
幼い頃か?
最近の説じゃ元亀2年の6月にだした美濃での織田家の菩提寺である崇福寺への判物が
実母の葬儀のためと考えられてる筈だが?
確か15歳じゃなかったかな?
7回忌にあたる時と思われる天正5年にだした判物とあわせての説だったと思うが。
天正5年の方の判物で、久庵慶珠という戒名だけは分かってるな。
- 470 :
- >>469
15歳か
小説でよく知られてる「吉乃」ではないみたいだという事ぐらいしか知らないなあ
- 471 :
- しかし京都所司代の村井貞勝は全く普段の兵力持ってなかったのか?
本能寺の変の時に信忠と共に戦死したと思ったが
- 472 :
- >>467
安土城と一緒に燃えちまった史料が沢山あったんだろうな。
- 473 :
- しかし明智って変後、安土城でえらい時間を費やしてるよな。
何してたんだろう?
- 474 :
- さあ
- 475 :
- みんなにお手紙書いてたんじゃね
- 476 :
- >>475
納得だが何故安土で?
- 477 :
- 京や居城の坂本に近く、大軍が置ける場所だからでは。
信長の生死が不明な中で、信長の居場所に陣取るのは、密偵に伝えて貰えば各将へのアピールになるし。
城をあされば、書状に添える一品にも事欠かないだろうしな。
- 478 :
- 明智本人もまさか10日かそこらで謀反失敗するとは思っていないから
お手紙せっせっと書いていたんだろうな。
後から見たら時間のかけすぎな印象があるが。
- 479 :
- でも事後報告じゃあ・・・
やっぱり事前に言っとかないとなあ
- 480 :
- 女は、Rぐちょぐちょにしてアンアン喘ぎ声言いながら、
エロい顔してあたしもう変になっちゃうよwと言いいながら、
美味しそうにチンポしゃぶって幸せに満ちた顔してればよいww
性欲処理の肉便器だからな、女はww
RとR以外、何の価値もないんだしww
女はRとRがあるから、チヤホヤされるんだよなあww
RとRに感謝しろ、メス豚ww
- 481 :
- >>479
それこそ下手に事前に
「信長殺っちゃうんで味方ヨロシク」
とか送ったらそのままチクられる可能性大だし
- 482 :
- あの殿じゃ国滅ぶね、そうだよねー、やっちゃう?みたいな
よくある主君押し込めじゃ無いからな、本能寺は。
- 483 :
- >>481
チクれば恩賞間違いなしだしな。うまくいけば光秀の所領全部もらえるかも。
普通なら光秀に味方するより、信長に通報するほうを選ぶだろうな。
- 484 :
- 信長は自身の所領近くを子飼いの武将たちに配分しはじめていたし光秀の所領吸収はないんじゃないかな
- 485 :
- 領土絶賛拡大中だからな、むしろノリノリの奴らの方が多かったんだろうね
- 486 :
- 保守
- 487 :
- 信忠生存系の小説ってどんながある?
桐野作人の「織田武神伝」くらいかなあ、きちんと完結してるの?
あれも途中で作者が朝廷黒幕説を引っ込めちゃったからわけわかめになって天下統一目前で打ち切りエンドなんだけど。
- 488 :
- 坂上天陽の「新天下布武」とかはどうよ?
ただ本能寺は無いし、信長は違う謀反人に殺されてるけども
まあまあ面白かったからオススメしとく
- 489 :
- 信長が死んで信忠だけが生き延びたとしたら
「どう天下を取ったか」より「どんな国を作ったか」の方が興味あるなあ
面白さのため結局内ゲバにせざるを得ない戦記ものより、SFや風刺ものが向いてそうだ
- 490 :
- 信長が生きていても作った国は室町幕府に毛の生えた程度のものにしかなりえない。
信長の統治のあり方を見ればそれはすぐに分かる。
あんまり信長に夢見ないほうがいいよ
- 491 :
- 「信長が」じゃなくて「信忠が」だろ
まあどんな国を作ったかって事なら大して変わらんかもしれんが
- 492 :
- 織田家は仕組みからして守護大名と大差ないからな。
室町的な地方司令官に強大な権限と領地を与えるやり方といい、弱い中央と巨大な地方という構図は変わらない、
名前だけ新バージョンの室町幕府になっただろうな。
- 493 :
- >>492
統一事業途中だからそんな感じだったかもしれんけど、
毛利長宗我部上杉あたりを片付けたら粛清開始だったかもしれんぞ。
それ以前に佐久間と林あたりはそうなったし、光秀も四国方面の窓口ポジションを実質罷免されて、
代わりに一族の信孝や津田信澄に四国征伐任せようとしてたし。
- 494 :
- >>493
それも室町幕府と一緒。外様を外に配置し畿内周辺はほぼ一門衆で固めた
- 495 :
- 浮上
- 496 :
- >>492
直轄領だけでも織田政権は本能寺直前段階で過去の武家政権中最大だぞ
織田以前の政権は鎌倉、室町とも地方武装集団の連合政権だし
豊臣、徳川政権はともに同輩や同格だった勢力が残ってる
織田政権のみが部下のみで作られてる
- 497 :
- >>496
> 織田政権のみが部下のみで作られてる
はぁ?なにいってんだお前?
同盟と既得権益丸呑みの雨あられじゃねーか。
その織田直轄領でも実態は国人地侍の上に乗っかってる室町的支配体制にすぎないんだよ。
そんなの少し勉強すれば解ることだろうに
- 498 :
- そうでもない
- 499 :
- >>497
本能寺の時点の隣接する既存の大名で潰しにかかってないのは徳川だけじゃないか?
毛利、長曾我部、上杉は戦端開いてる状態だし、北条だけは一応同盟継続中か。
- 500 :
- 室町的って言っちゃうと信長もそうだが秀忠の途中まで似たようなものじゃね
江戸期の史料では豊臣の統治方法は完全に織田家の物真似とまで言われてるけど
肝心の織田がよくわからん
手紙に書いてあったりする八角将って役割なんなんだよ?w
- 501 :
- 厨二心を満たすためのものです
- 502 :
- >>497はあちこちで暴れてるバカなんでスルー。
- 503 :
- >>492
どこが強大な権限なんだか。
佐久間の追放も知らんのか?
>>494
それは近世と呼ばれる徳川幕府までそうだな。
- 504 :
- >>503
> 佐久間の追放も知らんのか?
強大な権限を持っていたからわざわざ軍団から引き離したところでだまし討ち的に失脚させたんだが。
それも含めて室町的だな。
- 505 :
- 復活
- 506 :
- 織田政権は室町幕府の枠内で
義尋を大樹として運営してただけだな。
本能寺の変の時に秋田城介の仕業か?
などと信長が最初に訊いたと言うから
織田政権も信長家臣団と
信忠家臣団の新旧対立があったをだろう。
さらに本能寺の変後の家臣たちの
封地割拠と領地奪い合いは
中央での統制統治システムが無く
信長個人の力量に依存していただけだったのが露呈。
信長の息子たちの争いは
同じくやはり封権的で後進的
かつ総領制の未成熟すらもよく現れてる。
- 507 :
- 信長はとにかく勝つ事に主眼を置いていたからなあ。
統制とか統治システムは後回しにしてたんだろう。
そういう意味では秀吉は上手く信長を反面教師にしたなと思う。
- 508 :
- 上手くもなければ大して反面でもない。
秀吉の体制も急ごしらえの行き当たりばったりの成り行きで出来たものだ。
- 509 :
- >>507
その論拠は?
- 510 :
- 秀吉のは単なる織田時代の模倣
と江戸時代初期の人間が言ってる
- 511 :
- 信忠の若死にが惜しまれるが、もし長生きしてたら
曹丕クラスになっていたと思う
- 512 :
- >>507
確かに毛利長宗我部上杉潰すまでは体制はそのままで、
その三家を滅ぼしたら不要になった強大な軍団の解体と粛清開始して統治システム構築ってとこだろ。
- 513 :
- 織田の政治機構はいまだに未研究だから本当に旧体制だったかどうか
- 514 :
- 未研究は言いすぎだな。北条武田今川程は研究が進んでいない
- 515 :
- 浮上
- 516 :
- 研究もなにも信長の文書発給を見ても
統治や軍規に関するもんは皆無。
完全に統治などしてなかったのが露呈してる。
そもそも分国法すら無い織田に
統治実態などあるわけがない。
はっきり言うと法治の概念もない
無法ヤクザが織田。
- 517 :
- だがさんちーす
- 518 :
- 無法ヤクザになすすべもなく負ける雑魚武田
- 519 :
- 圧倒的大軍の織田の侵攻と領国疲弊と浅間山大噴火の時期がたまたま運良くシンクロしたから勝てただけ
まともに抗戦する奴なんていなかったし
負けたというより自落
- 520 :
- 自落するほど雑魚い大名だったのか武田は
まともに武器を取ることすらせずされるがままに蹂躙される武田
こんな雑魚大名家は滅んで当然
- 521 :
- 単に勝頼の自爆と北条徳川の戦闘で疲弊しきってただけ
その圧倒的有利な状況下ですら武田で唯一抗戦した仁科1000以下に50〜60倍の兵力比でもって絶対的に兵力比が物をいう城外戦で
大損害だし一族信家討ち取られ、普通なら10分程度で終わりそうな戦闘に最低で見積もって4時間以上も戦われた雑魚が信忠
信濃の歌にも残ってしまう体たらくぶりw
- 522 :
- うん、自分で過去の傷を抉るのは楽しいかい?www
織田信家が討たれただけで織田家のその後に支障が出るくらいだったんだね?wソースは?w
あ、あと織田信家って織田信安の息子であることが既に確定しているんだけど、
一度逆らった信安系を弾正忠家が一族一門であるとみていたソースは?w
- 523 :
- よぇぇぇぇなー、信忠って。 。 。
話にならんくらいに、雑魚すぎる。
- 524 :
- 一回の失敗や手間取りで雑魚扱いなら戦国武将はみんな雑魚だな
- 525 :
- 信忠は普通の武将だろ
- 526 :
- 武田をさくっと倒せる程度の能力しかないしな
- 527 :
- まだ圧倒的大軍と自落で滅んだのを実力で滅ぼしたように語る馬鹿がいるのか
信長が光秀に実力で殺されたといってるようなもんだな
- 528 :
- 信忠は仁科や秋山より遥かに戦下手だよ
岩村攻囲戦では長篠敗戦後で援軍も望めず士気ガタガタな秋山勢に8から10倍の兵力比でもって半年も粘られ
最後は騙し討ちにしないと勝てない雑魚っぷり。
高遠では裏切りばかりで圧倒的有利な状況下ですら武田で唯一抗戦した仁科1000以下に50〜60倍の兵力比でもって絶対的に兵力比が物をいう城外戦で
大損害だし一門織田信家討ち取られ、普通なら10分程度で終わりそうな戦闘に最低で見積もって4時間以上も戦われた雑魚が信忠
信濃の歌にも残ってしまう体たらくぶりw
- 529 :
- 降伏申し出てきたのは秋山の方だけど>岩村城
- 530 :
- 助命を条件にした降伏交渉が入って
それを受け入れた秋山達を騙まし討ちにして殺したという流れ。
- 531 :
- >>530
いや逆。
秋山の方から申し入れてきてる。
それで信長に挨拶にいったら殺された。
- 532 :
- >>528
∩___∩ |
| ノ\ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| | J
/ ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
- 533 :
- アホ織田厨の贔屓信忠は雑魚
- 534 :
- きがくるって日本語すらおかしくなったか
- 535 :
- 馬鹿織田厨R
- 536 :
- 信忠は信長には及ばないけどそこらのバカ息子よりずーとマシだから
- 537 :
- 良くも悪くも無難というのが信忠の評価。
まあ少なくとも家滅ぼした勝頼や氏政、滅ぼす寸前まで突っ込んだ景勝輝元よりはマシだろう。
徳川秀忠を越えるのは無理
- 538 :
- 信忠が勝頼氏政景勝より上ってアホですか?
信康>景勝>勝頼、氏政>輝元>>>>>>>>>>>信忠(笑)
- 539 :
- 武田攻めなんかみるとこと戦術にかんしては信長を超えてる。
本能寺で信長が最初に言ったのが「信忠の謀反か?」だったらしいし。
- 540 :
- 光秀にぶっ殺された信忠は光秀をぶっ殺した信孝以下
- 541 :
- 武田攻め(笑)
元々裏切りの連鎖で戦いなんてろくになかったのに信忠の功績(笑)
高遠では裏切りばかりで圧倒的有利な状況下ですら武田で唯一抗戦した仁科1000以下に50〜60倍の兵力比でもって絶対的に兵力比が物をいう城外戦で
大損害だし一門織田信家討ち取られ、普通なら10分程度で終わりそうな戦闘に最低で見積もって4時間以上も戦われた雑魚
どんだけ雑魚なんだよこいつwwwww
- 542 :
- 信忠>>>>信康>秀忠>>>勝頼>輝元>景勝>氏政
- 543 :
- 信忠>>>>信康>秀忠>>>勝頼>輝元>景勝>氏政
- 544 :
- 俺なりに信長の野望風に信忠の能力を表すと
統率87
政治78
智謀74
って感じ。
- 545 :
- 秋山や仁科に物凄い兵力差と圧倒的に優位に状況で挑みかかってけちょんけちょんにやられた信忠が統率87(笑)
- 546 :
- 政治 知略 統率
信忠 63 55 20
贔屓目にみてもこんなもん
- 547 :
- お前ら信忠舐めんなよ
信忠が糞だったらとっくに信長に殺されてるから
- 548 :
- 自分の子をRわけねーだろw
信雄みたいなボンクラを始め一門皆優遇しまくりなんだから
- 549 :
- 武田勝頼は領土100万石近くあって、甲斐源氏の名門武田家を滅ぼした無能当主なんだから
滅亡さえしなかった戦国大名よりも下だわなww信忠どころか信雄よりも下でいいw
いくら織田信雄や織田信忠ですら、織田家を滅ぼすなんて馬鹿なことは回避しているからなw
武田家は信玄勝頼と無能当主が2代続いたせいで源頼朝以来続く由緒正しき甲斐源氏をそこらの豪族風情と同格になるまで下げたA級戦犯
- 550 :
- しかも武田家滅亡は「裏切りの連鎖」と自ら武田家をこき下ろすだがwww
武田家はまともに家臣すら統率できませーん、戦う以前の前準備すらできない無能当主ばかりでーすって言ってるようなものw
そういえば無能当主の信玄も板垣甘利のお飾り当主だったもんなw村上義清に感謝しなくちゃなw
- 551 :
- 頼朝以来?
- 552 :
- >>550
>源頼朝以来続く由緒正しき甲斐源氏
>源頼朝以来続く由緒正しき甲斐源氏
>源頼朝以来続く由緒正しき甲斐源氏
>源頼朝以来続く由緒正しき甲斐源氏
>源頼朝以来続く由緒正しき甲斐源氏
源氏の由来くらい調べようぜ・・・。
ああ、だがだから無理なのか、サーセン(www
- 553 :
- >>552
あんたもレス安価間違えてる気がするんだがw
書いてる奴は同じだけどな
- 554 :
- 源頼朝以来ってのは、血縁じゃなくて時代だよ?
- 555 :
- 頼朝以前から武田氏っていなかったか?
- 556 :
- >>545
仁科盛信贔屓だけど。
高遠城の攻防戦の武田勢は、武田陣営総くずれのなか
少しでも防波堤になろうと「討ち死に覚悟の必死」で戦ったので
そうなると大勢で押し寄せても以外に苦戦したりするもんだと思うけどね。
- 557 :
- むしろ逆。
武田陣営総崩れで士気もガタガタ
きっと史料に書かれてなくても寝返りや兵の逃亡もあったに違いない
何せ浅間山噴火&領国疲弊による混乱・寝返りの連鎖中
他にまともに迎撃しようとする連中なし
こんな圧倒的有利な状況で武田で唯一抗戦した仁科1000以下に50〜60倍の兵力比でもって絶対的に兵力比が物をいう城外戦で
大損害だし一門織田信家討ち取られ、普通なら10分程度で終わりそうな戦闘に最低で見積もって4時間以上も戦われた雑魚
- 558 :
- 何と戦ってるんだこいつは
- 559 :
- >>557
本当に浅間山の大噴火があったなら領国を離れ補給路の伸びた織田軍に不利に働くよ。
- 560 :
- 織田方の侵攻地域からやや離れた場所での噴火だから補給路への影響はない
武田からすれば策源地もろかぶり
- 561 :
- だがに触れてもいい事ないよ
- 562 :
- 信長程ではないにせよ普通の優秀な人だったと思うけど。
二条御所で圧倒的兵力に差がありながらも信忠側は奮闘したらしいが
それだけ人望もあった人なんだろうと思う。
本能寺の変がなく織田政権がずっと続いていたら
カリスマ性はあるけど苛烈で厳しい信長とはまた違う意味でのそれなり
の吸引力のある二代目になつたのではないかね。
- 563 :
- 統率89政治78知略72人望92
- 564 :
- 政治 知略 統率
信忠 63 55 20
贔屓目にみてもこんなもん
- 565 :
- その信忠に滅ぼされた武田(笑)
- 566 :
- ×織田に滅ぼされた
○勝頼の自爆と財政破綻と徳川北条戦の領国疲弊と浅間山噴火による自落
あんなもん火事場泥棒みたいなもんだろ
実力で滅ぼしたように語る馬鹿がいるから困る
- 567 :
- >>565
信忠にとって武田攻めは片手間だよ。
それ以前にも松永荒木毛利本願寺別所ときっちり指揮しているからね。
信忠にとって松永荒木以下だったのが武田だよ
- 568 :
- 武田が酷い状況であったにしても信忠はその状況を利用して滅ぼしてる訳で高遠城で手間取った事も含めてそれは間違いなく信忠の実力
万全な状態でとか何てのは意味の無い仮定
- 569 :
- >>568
は?
火事場泥棒を優劣の根拠にして滅ぼしたから功績とか糞論拠で語るって正気ですか?
信長は光秀より弱いといいたいのか?
- 570 :
- それもまた光秀の実力の評価点、ただしこれを以って光秀>信長とするのはまた別の問題
それとも「火事場泥棒は姑息だから評価しない」って言うのか?
武田信玄の三方が原なんてまさにこれだが、
唯一と言っていい完全勝利を「兵力差が圧倒的だから評価しない」と言うんだね?
まあそれでもいいんだけど
- 571 :
- あんなもん誰でも滅ぼせるだろ
本能寺の光秀と一緒
こんな実力とは全く関係次元の戦闘で評価なんて普通しない
元々勝頼の自爆と対北条徳川戦で極端に弱りきってる上に天変地異による災悪
寝返りの連鎖でまともに戦う者皆無
今川氏真レベルでも5万もありゃ十分勝てる
こんなもんを実力で滅ぼしたとか言わん
いわば火事場泥棒みたいなもん
本能寺後武田領国の織田軍が皆蹴散らされて周辺大名の草刈場になったのも織田が雑魚すぎたおかげだろうな
武田の三方が原は普通なら城に籠もられて絶対的に不利な状況を信玄の神采配で
城から釣りだして2.5倍の兵力比で10倍もの被害差与えたんだからはっきりいって次元が違いすぎる
北条も織田もめちゃめちゃにやられてたし
- 572 :
- あの「森長可」を扱えただけでもボーナスポイントを上げて良いと思う。
- 573 :
- 森長可がDQNとかただの講談&軍記ソース
- 574 :
- 火事場泥棒だろうが何だろうが信忠にはその状況が立場が与えられたそしてそれを活かしたそれは信忠自身の実力
誰にでも出来るとか確かめようの無い仮定を持って来られても困る
- 575 :
- >>571みたいな誰でも勝てる状況で勝ったからといって強い事にはならない
ただ織田嫡男として生れたから圧倒的大軍&信長が作ったand偶発的条件でできた圧倒的優位な状況で戦ってただけ
状況を活かしたんじゃなくてただ始めからそこに棚ボタのように置かれた物を取っただけ
こんな火事場泥棒を元に武田を滅ぼしたから評価とかアホすぎる
- 576 :
- なら三方が原も無評価だなw
兵力差2,5倍で敵を倒すなんて誰でもできる。
元々今川など周辺勢力との抗争で弱りきっていたのが徳川
そんな偶発的条件を揃えてただけのおぜん立ての元家康を2,5倍の兵力を叩くだけ。
武田信玄どころか織田三法師ですらできる。よって三方が原は信玄の功績ではない。
- 577 :
- 三方が原で調子こいていたはいいが信玄死後はあっさりと三河遠江領で武田に帰順した領主が
半年もたたずにあっさりと徳川に帰順。これも武田が雑魚すぎたせいだろうなw
結局武田信玄は徒に兵を消耗し財を浪費させ他国の領民、大名に迷惑をかけただけ。
だから当然武田信玄の三方が原はマイナス要素
というのがだがの理屈w
- 578 :
- 武田の三方が原は普通なら城に籠もられて絶対的に不利な状況を信玄の神采配で
城から釣りだして2.5倍の兵力比でランチェスター法則からいっても甚大といえる10倍もの被害差与えたんだからはっきりいって次元が違いすぎる
北条も織田もめちゃめちゃにやられてたし
北条も三増峠で同じやり方でやられてたし
徳川相手に勝てるのなんて信玄くらいだろ
織田なんて姉川でも徳川以下が確定してるし
斉藤六角本願寺浅井朝倉長島一揆北畠などどこ相手でも負けまくりだから
徳川に勝てるわけがない
- 579 :
- なら織田信忠も寝返り多重離反を招く神采配で武田を滅ぼしたということになるなwwww
相手の事情(徳川の事情、武田の事情)をうまく利用し相手に抗する隙を与えなかった。
まさに武田が雑魚すぎたとはいえ信忠の采配は神懸りなものであった
どうあがいても武田は雑魚大名なんだよ哀れすぎるwwwww
江戸時代に武田がどうなったか逐一説明してやろうか?wwww
- 580 :
- あんなもん誰でも滅ぼせるだろ
本能寺の光秀と一緒
こんな実力とは全く関係次元の戦闘で評価なんて普通しない
元々勝頼の自爆と対北条徳川戦で極端に弱りきってる上に天変地異による災悪
寝返りの連鎖でまともに戦う者皆無
今川氏真レベルでも5万もありゃ十分勝てる
こんなもんを実力で滅ぼしたとか言わん
いわば火事場泥棒みたいなもん
本能寺後武田領国の織田軍が皆蹴散らされて周辺大名の草刈場になったのも織田が雑魚すぎたおかげだろうな
- 581 :
- 兵力差2,5倍で敵を倒すなんて誰でもできる。
元々今川など周辺勢力との抗争で弱りきっていたのが徳川
そんな偶発的条件を揃えてただけのおぜん立ての元家康を2,5倍の兵力を叩くだけ。
武田信玄どころか織田三法師ですらできる。よって三方が原は信玄の功績ではない
三方が原で調子こいていたはいいが信玄死後はあっさりと三河遠江領で武田に帰順した領主が
半年もたたずにあっさりと徳川に帰順。これも武田が雑魚すぎたせいだろうなw
結局武田信玄は徒に兵を消耗し財を浪費させ他国の領民、大名に迷惑をかけただけ。
だから当然武田信玄の三方が原はマイナス要素
- 582 :
- 武田が雑魚とか東美濃でも三方が原でも高遠でも岩村でもガチンコ勝負だと負けまくりなのが織田なのに
よく雑魚とかほざけるね
長篠なんて基地外勝頼の発狂でまぐれ勝ちしただけだしこんなんで実力が測られては適わん
- 583 :
- 武田の三方が原は普通なら城に籠もられて絶対的に不利な状況を信玄の神采配で
城から釣りだして2.5倍の兵力比でランチェスター法則からいっても甚大といえる10倍もの被害差与えたんだからはっきりいって次元が違いすぎる
北条も織田もめちゃめちゃにやられてたし
北条も三増峠で同じやり方でやられてたし
徳川相手に勝てるのなんて信玄くらいだろ
織田なんて姉川でも徳川以下が確定してるし
斉藤六角本願寺浅井朝倉長島一揆北畠などどこ相手でも負けまくりだから
徳川に勝てるわけがない
>>581
家康以下が確定してる信長じゃ2.5倍の兵力比で10倍もの被害差与えるなんてどうやっても無理
城に籠もられて時間や兵を膨大に消費して終り
幼君龍興に負けまくる信長ごときじゃ下手すりゃ野戦でも大敗しかねない
- 584 :
- 三方が原がガチンコwwwww家康がドジっただけだからwwww
ガチンコ対決の長篠と高遠と岩村は全部武田の大惨敗wwww
井の中の蛙で甲信というド田舎で威張りくさっていたら
中央の巨大勢力織田家の本格討伐を受けて骨すら残らなかった武田一族wwww
- 585 :
- 兵力差2,5倍で敵を倒すなんて誰でもできる。
元々今川など周辺勢力との抗争で弱りきっていたのが徳川。徳川家康はお家のために出て行っただけ。
そんな偶発的条件を揃えてただけのおぜん立ての元家康を2,5倍の兵力を叩くだけ。
武田信玄どころか織田三法師ですらできる。よって三方が原は信玄の功績ではない
三方が原で調子こいていたはいいが信玄死後はあっさりと三河遠江領で武田に帰順した領主が
半年もたたずにあっさりと徳川に帰順。これも武田が雑魚すぎたせいだろうなw
結局武田信玄は徒に兵を消耗し財を浪費させ他国の領民、大名に迷惑をかけただけ。
だから当然武田信玄の三方が原はマイナス要素
- 586 :
- >>583
村上義清以下が確定してる信玄じゃ相手のドジがなければ兵力差を覆すなんて無理
織田と戦っても時間や兵を膨大に消費して終り
村上に2回も負けて氏真しか倒せなかった信玄じゃ野戦でも大敗して討死するのがオチwww
- 587 :
- 武田対織田の結果
上村合戦 武田の圧勝
東美濃攻防戦 武田の圧勝 東美濃は完全に武田に帰属
三方が原 武田の圧勝 織田家トップクラスの佐久間敗走
長篠 城みたいな陣地&圧倒的兵力差&高性能鉄砲&雨でぬかるんだ地面
ここに勝頼が無謀に突っ込んできたのを迎撃しただけ。しかもその状況ですら勝頼を討ち取れず
柵も破られ9時間も戦われる始末
岩村攻囲戦 兵力差6〜8倍&長篠後後詰も来ない状態で士気ガタガタ&徳川からも援軍貰ってる状態で半年かかっても
落とせず騙し討ちにしないと勝てない醜態ぶり
高遠攻囲戦 兵力比50〜60倍で絶対的に兵力比が物をいう城外戦で一族織田信家始め大損害を出す
信濃の歌にも残ってしまう体たらくぶり。普通なら10分で終わりそうな戦闘で最低に見積もっても4時間以上戦われる雑魚っぷり
武田と織田比較
領土拡張率 武田>>>>織田(0倍)
戦闘 織田 圧倒的大軍で寡兵の斉藤浅井朝倉本願寺武田上杉毛利赤井波多野長島一揆本願寺北畠など
どこと戦っても大敗&大苦戦&大損害
武田 兵力比1.4倍程度の攻撃側としてさほど多くない数で攻略の難しい山間の信濃上野奥三河遠江等を次々と攻略
負けほとんどなし。大国北条軍にも、信長より遥かに戦上手な事が確定的な家康にも大勝
直接交戦結果 上記の通り
天正3年に入っても長篠で敗れる寸前まで下記のように武田軍は圧倒的な戦闘力を見せ付けているのですから。
武田軍は足助・浅賀井・八桑・大沼・田代の諸城を攻略した先遣隊に
作手(新城市)で勝頼が合流し、山縣隊が野田城・ニ連木城を落城させ
吉田城で家康の救援軍を撃退し吉田城へ敗走させ、勝頼隊と合流して長篠城攻め開始。
甲陽軍鑑が長篠の戦いの記述を書く時に元ネタに使ったとされる
天正6年成立の長篠日記によると武田軍の9時間近い長時間の猛攻後に撤退。
馬場隊700で佐久間隊6000を敗走させ柵まで追い詰め43人討ち取り
山縣隊1500で徳川隊6000を柵まで敗走させるも
大久保隊が側面へ回りこむのを必死に阻止
さらに馬場の第二次攻撃で佐久間隊崩壊寸前まで追い詰めるも
鉄砲隊の反撃で武田は撤退。織田方6000討死。武田方7000討死
>>584
どじってなんかいない
放置すれば兵持ってるのに武田に臆して戦わず、領内を敵方に蹂躙され素通りを許したいう事になり威信失墜
北条も同じやり口でやられてるから全くドジった根拠にならん
- 588 :
- はいはい言い訳乙言い訳乙wwww
「放置すれば兵持ってるのに武田に臆して戦わず、領内を敵方に蹂躙され素通りを許したいう事になり威信失墜」
というのは徳川の事情だろカスwwwwwどこが「信玄の神采配」だカスwwwwww
長篠では山県馬場内藤真田土屋三枝望月小幡ほか両手で足りないくらいの将士が討死wwww
岩村では秋山が姑息にもだまし討ちしようとしてあっさり返り討ちwww降伏すら許されない無惨っぷりwww
高遠では武田軍総玉砕になるも朝からやってわずか昼ごろに戦闘終了という世紀のドジっぷりwwww
善戦した、だの歌に残っただの都合よく解釈することだけは長けている武田厨wwww
武田は織田に負けて滅ぼされたんだよ哀れwwww
- 589 :
- >>588
>長篠
負けた直後でも軍動かしてるし織田方でも6000もの被害が出たし兵力比3倍の相手のまるで城のような陣地に
雨でぬかるんだ地面の中高性能鉄砲が待ち構える所に無謀に突っ込んだから負けただけ
>美濃遠山氏の支配を離れて武田領となっていた岩村城を1575年11月に織田城介信忠が攻める。
半年前から攻城してたのに一月で落としたとか相当馬鹿だな
>城主の秋山伯耆は織田軍の布陣する水精山に夜襲をかけるが河尻与兵衛、毛利河内らの手で撃退。
信長公記にしかない捏造です
>秋山は和議を申し入れ自ら少人数で出てきたところを信長は捕縛させ磔に処する。
和議を申し入れたのは織田方。まともにやったら10倍もの兵力比&援軍も望めないような圧倒的有利な状況ですら
勝てないから騙し討ちにするしかなかった
>あまりに雑魚すぎて降伏すら許されなかった武田方の大敗北
あまりにも信忠が戦下手すぎて騙し討ちにするしかなかった
>通常の城攻めをはるか上回るたったの4時間で城は陥落し、武田軍が軒並み討ち取られた。
わずか1000そこそこの兵士が城外戦をして華々しく散る事を選んだのに
圧倒的に兵力比が物をいう城外戦で50〜60倍もの兵力比でもって一門の1人が戦死し
普通なら10分程度で終わりそうな戦いに最低で見積もって4時間も戦われてしまう醜態ぶり
- 590 :
- あんなもん誰でも滅ぼせるだろ
本能寺の光秀と一緒
こんな実力とは全く関係次元の戦闘で評価なんて普通しない
元々勝頼の自爆と対北条徳川戦で極端に弱りきってる上に天変地異による災悪
寝返りの連鎖でまともに戦う者皆無
今川氏真レベルでも5万もありゃ十分勝てる
こんなもんを実力で滅ぼしたとか言わん
いわば火事場泥棒みたいなもん
本能寺後武田領国の織田軍が皆蹴散らされて周辺大名の草刈場になったのも織田が雑魚すぎたおかげだろうな
武田の三方が原は普通なら城に籠もられて絶対的に不利な状況を信玄の神采配で
城から釣りだして2.5倍の兵力比で10倍もの被害差与えたんだからはっきりいって次元が違いすぎる
北条も織田もめちゃめちゃにやられてたし
- 591 :
- 秋山優勢なら秋山が和議結ぶ必要ねーだろカス杉wwwww
なんで自分から数人で織田信長のもとにいくという自殺行為やってんだよカスwww
そうしないと許してくれなかったからだろwww
挙句織田信家が一門衆wwwwww武田信玄と若狭武田くらい違うのに一門衆wwww
言い訳尽くしの武田厨哀れwwww
- 592 :
- カス武田家の末路
武田義信:信玄嫡男、無能当主信玄を諌めたせいで逆ギレされ廃嫡。女系のみ
海野竜芳:信玄次男、盲目のため出家。武田滅亡後に自害し息子は家臣であった大久保に寄生、のち5代後に高家旗本入り
武田信之:信玄三男、早死
武田勝頼:信玄四男、武田家最後の当主。父に劣らぬ無能っぷりで名門甲斐源氏を滅ぼす。
仁科盛信:信玄五男、息子が徳川旗本になる、家系偽造説がある。
葛山信貞:信玄六男、よくわからんまま死亡、断絶。
武田信清:信玄七男、嫁のつてを利用して仇敵上杉家に仕えるという屈辱を味わう
武田信実:信玄弟、息子が徳川旗本になる
江戸期〜明治期のカス武田家
ほとんどの武田家一族は名前が見えなくなる、大名として残っていないのであるから当然である。
挙句徳川家康に息子の武田信吉を武田家当主にすると言われあわや家を乗っ取られるところであった。
この件は武田信吉が早死にしたためおじゃんになったがそれだけ武田家は忘れ去られていたのだろう。
大久保に寄生した信玄孫の武田信道であったが大久保事件で主家が改易され巻き添えを食らう。
ほどなく復帰したらしいが存在そのものはほぼ全て忘れ去られていた。
孫の武田信興が側用人柳沢吉保の家に寄生していたこともあってなんとか高家旗本には復帰する。
だが結局その子武田安の代で高家武田家は断絶。柳沢吉保の一族の連中が養子に入り以後実質は柳沢家として明治まで続く。
- 593 :
- 秋山は半年も援軍なしに寡兵で織田の圧倒的大軍&奥平ら徳川の援軍相手に孤軍奮闘してたから疲れてただけだろ
信長みたいに信義のかけらもない武士はそうそういないからまさか騙し討ちで殺されると思わなかったんだろ
- 594 :
- 疲れてんなら全然優勢じゃねーだろwww
しれっと「勝てないから騙し討ち」とか言ってんじゃねーよw
大体優勢で織田から和議結んでるとしたらなんで秋山は単独で信長の元へ行くの?w
城譲ってはいさよならでいいだろカスwww
- 595 :
- 単独じゃない少数
- 596 :
- そら援軍もなしに寡兵で半年も戦えば誰だって疲れるだろ
物資的な問題もあるし
- 597 :
- それもう負けルート入ってますやん
ひたすら疲れさせる→疲れさせた敵を撫で斬り→落城
- 598 :
- 疲れてるけど抗戦不能になったかどうかは話は別
武田からはもう援軍望めないと思って降っただけの可能性あり
- 599 :
- あとなで斬りって「騙し討ちで」な
まともに戦ったら勝てないから騙し打ったつくづく卑怯で情けない戦法だ
長島一揆の時も滋賀の陣の時も武田と敵対した時も美濃攻めの時も最後の武田攻めの時も
織田が約束破るのはいつもの事だが
卑怯で情けないやり方でしか領土拡張できないクズ
- 600 :
- 騙し討ちつったってそれも立派な兵法じゃないの
勝てる状況を造り出すって意味じゃお前さんの言う信玄の神采配とやらと同じ事よ?
つーか武田も約定、同盟破りの常習犯な件
- 601 :
- 味方の援軍望めない+自分が少数兵力=周囲の織田軍を取っ払うことができないってことやん
それ守勢側は完全に詰んでるから。
「攻城側は城に入って勝鬨を挙げる」だけが勝ちじゃないからね。
順当に守備側がもう無理ですキリがありませんって降伏したってだけやないの。
- 602 :
- 単独での抗戦が不可能になったかどうかは話は別
武田からはもう援軍望めないと思って和議にのっただけの可能性あり
- 603 :
- どんな理由にしろ戦いつづける事ができなくなって守備側から和議・降伏って事はそれ守備側の負けじゃん
籠城戦での守備側の勝利条件って攻撃側に城攻めを断念させ撤退させる事、それが出来なかった以上どんな屁理屈こねようが守備側の負け
- 604 :
- 末路は逆さ磔だから哀れ過ぎる。
- 605 :
- その点、信長はある意味、恵まれてる感はある。
遺体が明智の手に落ちていたら、変な話、信長の人気は今よりかは下だったような気がする。
- 606 :
- だから継戦不可能だったなんて根拠はどこにも存在しないつってるだろうが
事実としてあるのは半年も寡兵で援軍も望めない状況で圧倒的大軍相手に持ち堪えたということだけ
単独での継戦可能でも物資的・援軍なし状況的にこれ以上戦い続けても無意味と思って和議に乗っただけかもしれんだろが
大体秀吉の天下統一の遠征で降伏した大名なんて皆このパターンだしな
- 607 :
- 事実としてあるのは半年持ちこたえものの攻撃側を撃退する事も叶わず和議開城を選んだという事だけ
つまりは防衛失敗だ
無意味だから和議だろうがそうじゃなかろうが負けは負け
秀吉に屈した大名達も負けた事に代わりは無い
- 608 :
- 兵力比10倍で援軍なしに半年なら奮戦した方だろ
撃退なんてあの兵力差でできるわけがない
よほど寄せ手大勝が油断してるか幸運に見舞われない限り
ガチンコ戦闘じゃ落とせなかったけど騙し討ちで無理矢理城を奪っただけ
- 609 :
- >>605
遺体を不明にさせた辺りは信長の意地を感じるよ。
信長の首をさらせたら明智ももっと味方がついたかもしれん。
- 610 :
- 騙し討ち?無理矢理?兵法ですが何か?
信玄だって騙し討ち、謀略、約定破りに何でもござれだったし汚いとか卑怯とか清々堂々の試合でも無い戦ではそれこそ無意味
ガチンコだけが本当の戦とかガキみたいな価値観をこっちに押し付けんなそれとも本当にガキか?
- 611 :
- 軍鑑が伝える信玄の初陣とかなー
- 612 :
- >>単独での継戦可能でも物資的・援軍なし状況的にこれ以上戦い続けても無意味と思って和議に乗っただけかもしれんだろが
いやだからそれ完全に詰んでるんだって。
攻城側(この場合織田軍)は矢継ぎ早に領内から兵糧を持ってこれるのに対して
守勢側(この場合秋山)は援軍でも来ない限り岩村城に蓄えた兵糧しか持てない。
援軍(この場合秋山の主君武田)が来れないということは、=救援物資や兵力が届かないと言うこと。
そんな状態でいつまでも織田軍が取り囲んでたらどうなるかくらいわかるやろ?
つまるところ秋山にとっての勝利は織田軍の完全撤退のみであって、
「耐えたから秋山が優勢」というのは完全に気休め。どちらが言い出したにもかかわらず、
織田との和議を秋山が認めた時点で「城を維持して織田を倒すなんて無理」と証言したようなもの、事実上の降伏宣言。
だから秋山は信長のもとへ行ったんだわな
- 613 :
- 結局スレタイ関係ないよな・・・。
織田で立てれば武田が沸くし、武田で立てれば織田が沸く。
もう、織田VS武田のスレだけ立てればいいんじゃないか?
- 614 :
- >>613
完全に誤認意識だな
これはアスペルガーだがという基地外によるレス手法。
つまり織田スレを立てたときに沸いた「武田」と
武田スレに沸いた「織田」はどちらもだがである可能性が高い
注意すべきはアスペルガーだが
- 615 :
- >>609
何気に光秀は信長の葬儀をやろうとしてるんだよな。
その前に死んだけど。
- 616 :
- >>614
つまり、織田でも武田でも本当はどっちでもいいのだけど、
立った方のアンチ気取って俺はスゲーっていいたい奴が多いってこと?
- 617 :
- 多いというか悪質で分かりやすい奴が一人存在していると
- 618 :
- 噛み付きあってるのをスルーすればいいだけなんだよな
- 619 :
- 噛みつきあってるように見えるのが実は1人のシャドーボクシングという例もあるからね
- 620 :
- でもお茶受け代わりになったよ
- 621 :
- 武田攻めばかり語られているが真に見るべきは長篠以降の畿内制覇における功績
- 622 :
- お茶受けで思い出したけど、
子どもの頃に八王子の親戚の手土産に貰った「松姫最中」
未だにあるんだな。
- 623 :
- >>605
足利義教みたいな扱いになってたんだろうなぁ。
- 624 :
- :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
:::::::::::::::::
:::::::::: _____
∧_∧ | |....____|_
( ´・ω・) | |.:::| |:::::::::::::|
┌/::::::: l |__|._.|_|___.l
| |:: |:::: | ∠二二l┌━━┷┐
- 625 :
- 見た目ど真ん中ストライ〜クのソープ嬢を妊娠させたくてたまんねぇ
嫁にして子供産ませてぇ〜
- 626 :
- なぜスレタイにRマークがあるの?
- 627 :
- 二条新御所から脱出することはできなかったのか?
- 628 :
- まさかの展開の人生クライマックスに
テンション上がっちゃったから無理じゃね?
信長じゃなくて味噌いへやすの息子だったら、
誰か老臣が諌めて無理矢理にでも脱出させただろうに
仮に生き延びていても晩年は秀次や元親化してキチガイ化してそうな気性
- 629 :
- この状況では無理です、と提言した村井貞勝と
体を張って家康の自害を止めた本多忠勝の差
- 630 :
- 変直後、家康が自害しようとしたという通説も怪しい限り。
家康を美化しようとする徳川御用史観にすぎず。
伊賀越え中、穴山梅雪を謀殺した卑劣漢が、そんなしおらしいマネする訳がない。
- 631 :
- はいはい史料を出せ史料を。
お前のは思い込み史観という
- 632 :
- 君は関ヶ原開戦時、信康が生きていたらと家康は嘆いたという徳川御用史観を鵜呑みにする輩か。
君こそ史料出せよ。ま、無理だろうが。
他人には史料提出求めるが、自らは何も論証せず逃げ回るお家芸。
- 633 :
- >>632
お前大阪の陣スレ追い出されたら今度はこっちを遊び場にする気なのか。迷惑な。
- 634 :
- 誰の信者だか知らないがそんなに家康にコンプレックスを持ってるのか
- 635 :
- >>626>>630の内容から察するに穴山の信者だろ
- 636 :
- 武田を瞬殺したのは彼がずば抜け過ぎていたのか
武田が雑魚過ぎたのか、評価が分かれるところだな
- 637 :
- その両方だと思う。
信長も親バカな所はあるけど基本能力主義の人なんだから後をまかせる
事が出来る位には優秀だったと思う。
滅亡時の武田は一種の集団ヒステリーじゃなかったかなと思う。
- 638 :
- ×織田に滅ぼされた
○勝頼の失政自爆と財政破綻と徳川北条戦の領国疲弊と浅間山噴火による自落と甲江同盟反故の騙し討ち
あんなもん火事場泥棒みたいなもんだろ
実力で滅ぼしたように語る馬鹿がいるから困る
大体高遠以外でろくな会戦なんかなかったじゃねぇかw
- 639 :
- ハイハイ浅間山浅間山
自然災害が武田だけピンポイントに狙われたって何かの罰が当たったんじゃねえのか?w
- 640 :
- 自然災害だったら武田以外にも普通に被害は出てるわなw
- 641 :
- この流れ何度目だ?w
たまには違う切り口の反論じゃないと面白くないんだが
- 642 :
- >>639-640
実際に武田のみピンポイントだったら、まさしく天罰だよねw
- 643 :
- 信玄時代からの信濃で悪逆非道の限りを尽くしていた報いだ
- 644 :
- 一次史料を見る限り
高遠城以外で戦闘が一切起きてないまま
織田軍は甲斐へ侵攻してる。
完全に武田が自壊してる以上、
天変地異と武田滅亡がリンクしてる以外に理由が見出せない。
信忠の能力なぞ、全く測れ無い。
- 645 :
- それはお前さんの考え?それともお前さんの言う一次資料に「武田は天変地異等によりまともな反撃が出来ませんでした」とでも書いてあるの?
- 646 :
- 火事場泥棒しただけのただの猪武者
武田が通常の状態なら余裕で返り討ちに遭って首ちょんぱ
本能寺で自殺出来たお陰でこれ以上無能を晒さずに済んだ
- 647 :
- >>637
どいつもこいつも無能揃いの愚息どもだったから目糞鼻糞。
心配で心配で滝川とか森とか優秀な重臣がたくさん付いてたじゃん
- 648 :
- 57 :人間七七四年:2011/10/23(日) 13:57:47.78 ID:me5jDEs+
大名にもなれずボロ負けして終わったボンボン信忠
親父無き後の織田を守れもせず潰した雑魚息子どもの醜態があまりにも惨めなため
親父ともどもあっさり死んだボンボン信忠だけはきっと優秀だったに違いないという
織田厨の妄想の対象となり現代に至る
- 649 :
- >>647
むしろ信忠はそいつらの尻叩いてはよ攻めろと指示してたんだけど
軍事指導者としては機を見て敏だと言わざるを得んだろ
速攻で崩壊して領土平らげたんだから
まぁ武田が張子の虎で実は雑魚だっていう話もあるけどな
- 650 :
- 尻叩いて早よ攻めよなんて一次史料に全くないどころか、
信忠無視して森らは無断で勝手に進軍してるわけだが。
むしろ信忠はまったく軍を統制できていない。
- 651 :
- そもそも織田信忠にとって甲斐の盆暗息子をぶっ潰すなど赤子の手をひねるような楽勝任務
普段毛利や本願寺松永と近畿戦線で戦いぬいている息子に対して
武田ごとき田舎大名を攻めろという命令は、いくら父親の命令といえども
>>650
そもそも信忠は信長の慎重命令なんてまるで聞いてない
河尻や滝川は職務関係上信長の命令を忠実にこなしているが
信忠は森や団のようなイケイケで、気休め程度に勝頼が軍を引いたと言う情報だけ信長に渡して
後は家臣含めて手当たり次第に城を攻めていた。
あまりにイケイケすぎて調子に乗ったのか武田の諏訪大社や恵林寺まで焼き払い
信長から咎められているくらいなんだがw
- 652 :
- イケイケで二条城で自刃する雑魚www
- 653 :
- 親父並みに短気で冷酷だったのは確かだな
短慮で猪突猛進なのは似ていないが
- 654 :
- >>652
首級を挙げられ蹴られた上、京で獄門にされた武田の二代目よりは遥かに見事だろw
- 655 :
- 親父だったらサンポールじゃなかった三法師なんかより自分が一目散に逃げるのにね。
状況判断も出来ない屁垂れボンボン。
- 656 :
- >>651
信忠の統御から逸脱して進軍する森らを
信長は「のちに俺に直接、訴訟する気でいるのだろうが、受け付けない」と書いてるのも知らんとかアホ過ぎ。
- 657 :
- >>655
えっw 三法師も京に居たと思ってんの?
- 658 :
- >>656
それ河尻や滝川相手に対してだろw
信忠がイケイケで攻め込んでいたのは一次史料をきっちり見ればわかる話w
妄想だけで決めつけるだが乙w
- 659 :
- そもそも二度にわたって慎重論を唱えてきたのは他ならぬ信長自身
その信長を無視しているのに森や団がタダで済んでるのは他ならぬ信忠がそう考えて軍を動かしていたから。
信忠が慎重論だったら信長に行く前に信忠の手で処罰されるだろうなw
- 660 :
- それ結果オーライなただのラッキー
桶狭間と一緒
猪突猛進しかできない糞雑魚
- 661 :
- それで勝ってるんだから何の問題もないだろw
- 662 :
- この場合は機を見て敏と言うべきだろう
猪突猛進の猪武者ってのは失敗した場合に言われる言葉だ
- 663 :
- 信忠なんて森らからガン無視されてたじゃんよ…
- 664 :
- 高遠で一緒に攻めてるじゃん
ご丁寧に両方とも乗り込んでw
- 665 :
- >>664
一次史料にそんな話は無い
- 666 :
- >>661
>>662
攻めるだけで引く事を知らない3流以下の愚将
- 667 :
- 織田嫌いのゲーム脳の阿呆餓鬼は、毎度ワンパで芸が無いね笑
- 668 :
- 引く必要が無い状況で一気攻めしたのを攻めるだけで引く事を知らないって言われてもなあ
- 669 :
- >>668
はぁ?本能寺の事だろ
- 670 :
- 余裕で逃げれるのに逃げなかった糞だしな♪
- 671 :
- ああ、本能寺の時ね
そんでその時はどのタイミングでどうやってどこに逃げて、その後どうすれば愚将じゃなくなるの?
具体的にご教授願いたいが
- 672 :
- 余裕で逃げれると知ってるのは未来人だけ
- 673 :
- 未来人でも無理だと考える
「余裕で逃げれる」とのたまうのは京都の地理も知らないアホだけw
- 674 :
- 光秀のそれまでの実績を考えれば単独で突発的な謀反だなんて想像もできんしなあ
- 675 :
- はいはい希望的観測
- 676 :
- 信長の逃げ足の早さをよく知ってる光秀が何の手立てをしてないなんて考えられないだろ
エスパーならともかく
- 677 :
- 松姫さまを振った時点でありえんくらいにチャラ男。
俺なら松姫さまとガッキーどちらかを正室に選べ、ちなみに側室を娶ることは罷りならん
と迫られたら本気で二週間悩むレベルで松姫さまマンセーだというのに。
- 678 :
- >>677
義信みたいに親父に歯向かってでも自分の愛を貫こうって気概が全然無い屁垂れだもんな。
身内にはやたら甘い信長なんだから逆らったところで幽閉まではされないだろうに。
おまけに親父が死んだと知ると光秀に一矢報いようともせずにさっさと死を選ぶ意志の弱さ。
- 679 :
- 松姫がお前さんの好みだからって信忠にとってどうだったかはまた別の話な件
一矢報いようともせずって二条城で報いてんじゃん
- 680 :
- 松姫振ったってw
それ以前の問題だろ。
- 681 :
- 会ってすらいないのにな。
手紙のやり取りって話も、実際はどーだったのか。
- 682 :
- 幼い頃に決められた自分の許嫁がどんな顔か想像するくらいは信忠もやっただろう。
しかし所詮は甲斐の山奥の娘。あまり美人そうなイメージは湧かなかったと思う。
- 683 :
- 三法師は結局誰腹なの
森はさすがにアカン
- 684 :
- 曹丕=信忠
- 685 :
- >>684
粘着質で昔の事で家臣をネチネチいじめてたのか?
- 686 :
- >>685
叔父の長益が二条城で無理やり信忠を切腹させて自分は生き延びている
どうも長益は金持ちだが、極度のケチだった曹洪とある意味似ている
これじゃ信忠はひねくれて過去のことで家臣をいじめそうだな
現に信忠は小山田信茂の降伏を拒否し「この不忠者の最期を見届けるがいい」
とこれを処刑した 信忠の狭量さと粘着質をあらわしている
- 687 :
- むしろ信忠は良くも悪くも現代的な意味での御曹司って感じだがな。
親には頭が上がらず、周りに対しては気前よく威勢よし、格好わるいことはしたくないっつう。
- 688 :
- 後半は親の言うこと聞いてないけどな
- 689 :
- 後半どころか大半親の言うこと聞いてないな。
軍事面でも信長と何回も衝突しているし、プライベートでも能道具を取り上げられた
なんて逸話が残っている。むしろ信忠が信長の言うことを素直に聞いてる逸話がほとんどない。
独断で行動したり積極的にいろいろやって信長にたしなめられる話ばかり
- 690 :
- それなのに最後親父見捨てて逃げれなかったてのがな
ツンデレ親子は困るわ
- 691 :
- 能道具取り上げの件は、弟2人も芸能に嵌ってたと聞く。
父親とは後で和解してるし、ほのぼのな親子喧嘩に感じたけど
- 692 :
- 武田侵攻では信長の言いつけを守って良い子ちゃんだった信忠を無視して
どんどん進軍する森らという間抜けな指揮ぶりだけどな。
信長も「どうせ軍令無視しても、あとで俺に直談判すればいいと思ってるんだろうが認めない」と書状に書いてあるし。
信忠なんて信長から陣の前進の許しを乞うて許可をもらってから前進してるビビリだし
- 693 :
- 信長の指示を守る良い子ちゃんが信長の命令無視して諏訪大社焼き払うんですねw
そういえば武田の菩提寺である恵林寺も焼いていたなw
- 694 :
- 別にいい子ちゃんじゃないし
- 695 :
- 二十過ぎた男がいつまでも親の顔色伺っているのも問題だけどな
現代でもよく言われないのに、あの時代ならなおさらだろう
- 696 :
- >>693
ソースは?
- 697 :
- ソースならスーパーでいくらでも売ってる
- 698 :
- 生きてれば織田家は安泰だったのに
- 699 :
- >>698
本能寺から逃げ延びたという前提でか?
それなら信孝か信雄の運命を信忠がたどる事になるだけ。
- 700 :
- 家督継承済みなんだしそんな事にはよっぽどの事が無い限りならんだろ
秀吉が織田家中一番手にでる事は避けようが無いかもしれんが史実みたいな簒奪はまず無理
- 701 :
- 生き延びてたら足場の濃尾の将兵引き連れて光秀殴りにいくだけじゃねーか
- 702 :
- 秀吉に信忠生存の報が入ってたら大返ししたか微妙じゃないのかな
信長も信忠も死んでたから対毛利戦を勝手に和睦して終わらせても咎められなかったけど、
信忠が生きてたらそういう動きを取れたかどうか
- 703 :
- >>700
家康が秀頼に対してした様に、秀吉が信忠の力を徐々に削いでいったんじゃないか?
- 704 :
- 織田家臣の筆頭でもないのにどーやんだよ、大返ししたところで、
「おう、お疲れ、…で、毛利は?」
- 705 :
- そもそも秀吉は信忠ラインとはパイプが細いからな。事態が落ち着いたらそれこそ強大過ぎる家臣として
真っ先に粛清の対象になるんでないか
- 706 :
- >>703
信忠は秀頼みたいな幼君でもなければ超絶無能って訳でもないから例え史実通り山崎で秀吉が光秀を討ってもまず無理
- 707 :
- 野豚だ
- 708 :
- 織田の豚だ
- 709 :
- そもそも秀吉はのぶおと信孝の争いに便乗して権力掌握してたからな
当主が生きてたら分裂のしようもないし諸勢力の各個懐柔、撃破も不可能
- 710 :
- 信忠がいきてたら
柴田勝家
前田利家
以外に、秀吉側についた家臣も軒並み
信忠につくよ
- 711 :
- >>706
信忠が生き延びてたなら、
織田の反明智系諸将は全員秀吉ではなく信忠の下に参集するので、
史実通り山崎で秀吉主導により光秀を討つのは絶対無理。
- 712 :
- 一職支配を許された者を中心に自立傾向に進み、
結局、信忠は滅ぼされるだけだろ。
元々、織田ではなく、信長の強権で家臣を無理強いして従えていたに過ぎないし、
それが原因で別所や荒木や松永や明智ら一国規模の一円謀反が頻発してるのが織田。
信忠の権力が削り取られ重臣合意による分権化から分国自立、
信雄や信孝の擁立や家康の信濃甲斐侵攻で織田崩壊。
信長に謀反した経験ある柴田にしたって林や佐久間みたいな結末になる前に光秀が謀反してくれたのは正直有難かっただろうな
- 713 :
- そもそも信忠はせいぜい尾張・美濃の指令権を譲られてるが
各軍団長クラスは信忠の家臣でもなんでもないのに
従う義務なんてまったくないだろ。
信忠の側近や家臣と対立した軍団長クラスが
信雄や信孝を甘言で擁立して傀儡にするだけ。
- 714 :
- 家督継承済みだしほとんどの連中は従うだろ?まずは
その後の展開は信忠とその政権の能力次第だが
- 715 :
- まあ秀頼に家康を統御しろと言うのと同じで、
信忠に権臣を統御するなんて無理。
- 716 :
- >>715
一度も戦場に立つ事無く死んだ秀頼と同じ様に扱われてもね。
それに秀頼にとって家康は家臣ではないが
信忠にとって方面司令クラスは皆家臣。
史実では、主筋の父子が消えた途端に主家に仇名した恩知らずも混じってはいるが。
- 717 :
- 信忠は信長クラスのカリスマ性は無いが人間性は信長以上だと思う。
武田家の松姫との物語が事実なら、素晴らしい青年だょ。
武田家と決別した後も、松姫を正妻として迎えに行くつもりだったからね。
そして松姫も立派、信忠が死んでもなお信忠だけを思い続け一生を終えたんだから。
この物語を誰かドラマにしないかなあ?
- 718 :
- それ嘘だから。知ってて書いてるんだろうけど
- 719 :
- 戦国大名の代替わりは
ほとんど当主権限の後退と
老臣・重臣らによって合議制への意向が見て取れる。
これは家への忠誠という江戸時代の価値基準ではなく
個人への忠誠でしかないことに由来し、
子供への忠誠なんてものが確保されていないことに起因する。
むしろ有能な者が自立し、場合によっては当主との間で紛争どころか毒殺などまでおきる。
特に織田家は組織・政治・内政・外交・法・軍に至るまで
ロクな制度がなく穴だらけでデタラメで完全に威圧を背景にした信長個人に依存しているため
謀反が頻発し、最後は下克上により織田政権そのものを体現する信長が完全否定された。
信忠もそれをよく実感しており、父の死=織田政権崩壊となるために
自分の命を犠牲にしてまで父を救出しようとしたし
信長の死を知ったときに逃げることすら諦めたのだろう。
そもそも信忠と秀吉や柴田らはほとんど接点がなく
感情的にも疎通していない完全に他人状態。
安土から離れた場所で広大な軍権を持って班鎮割拠している勢力である秀吉らが
素直に頭を下げて真心で信忠を慕い忠誠を誓うなど夢物語。
- 720 :
- 妄想語りはいいから
- 721 :
- 織田信忠スレなのに信忠のことを調べもせずに書き込む>>719の度胸はすばらしい
- 722 :
- そもそも秀吉はともかく勝家なんて織田に謀叛を起こすとか完全に自滅ルート
前田や佐々に寝返られまくって、北ノ庄を枕に討死する未来しか見えない
- 723 :
- 当時、織田の直轄地ってどれくらいあったの?
2ヶ国与えられて家督を譲ると言われてもあまりピンとこない感じがする
- 724 :
- >>717
松姫との創作ロマンスを信じてる純真な人が未だいたんだ・・・
感涙
鈴木保奈美初主演作「おんな風林火山」、見てたクセに知らないふりも憎いね
- 725 :
- また信忠過大評価の豚長厨か。
どう考えても信忠如きに歴戦の海千山千のやつらを統御できるわけがない。
- 726 :
- 松姫はともかく、信忠が過去の思い出を引きずる人間だとはとても思えんな
- 727 :
- うむ、信忠は絶対にネガティブな人間ではないw
- 728 :
- 信忠生存の場合家康はどう出るのかな
- 729 :
- 三法師擁立を真っ先に提唱したのが家康だぞ?織田徳川同盟が守られる限り、家康は信忠を支持するだろ。
- 730 :
- 信濃や甲斐を火事場泥棒して、
しかも信雄相手に織田三河領を要求しまくった家康が信用できるとでもwww
- 731 :
- まだ家康の甲信侵入を火事場泥棒とか言ってるバカが居るのか。勉強してないのがまるわかりだぞ?
恥ずかしい。
- 732 :
- 即寝返るということはしないだろうが、小牧の成り行き考えても
信忠が凡君と判断したor自身の勢力を拡大できたならわからんね
- 733 :
- 小牧長久手のどの成り行きを考えたらそういう結論になるんだよ?
全く理解できない
- 734 :
- 家康は織田重臣との相談を一切無視して
いち早く三法師を独断で後継者と主張して
尾張へ侵入してる野心家だからな。
秀吉が光秀をさっさと倒していなかったら
家康が三法師を傀儡にして信雄や信孝と衝突してたのは間違いない。
もっとも家康と秀吉が三法師を後継にしようとするあたり
彼らは最初から示し合わせて後継者を本能寺の変以前に相談して同意してたっぽいけど。
- 735 :
- >>734
アホか。あの当時の状況じゃ、誰が見ても常識的に考えて後継者候補は三法師しかいなかった。
清州会議で信孝押したとか信雄押したとか、アレ後世のつくり話だぞ?
他家に出て自前の家中組織を既に持っている人間が宗家に戻って跡を継ぐというのは
反発が大きくてそうそう出来るものじゃない。
- 736 :
- >>735
>>誰が見ても常識的に考えて後継者候補は三法師しかいなかった
はいはいwそんな話聞いたことないわwwwお前の願望妄想乙wwwそれを裏付ける一次史料を出してみろよwww
そもそも三法師なんて妾の子じゃねーかよwww
- 737 :
- >>736
そもそも正妻に子供居ないんだけど、信忠
- 738 :
- >>736はキリシタンなんだろ
正妻以外の子は私生児として相続権無しという
- 739 :
- あの時期の家康が、織田家の後継に口出しできるわけねー
完璧なまでに部外者
- 740 :
- 松姫・鈴木保奈美 菊姫・伊藤かずえ 真理姫・比企理恵
信忠・ええと、氷川きよしのホモの相手
- 741 :
- あの時期の織田家の誰にとっても三法師擁立が一番ベターな選択なのは、誰が考えても解ること
- 742 :
- >>725
家康没後の秀忠にでも出来た天下差配が、信忠に出来ん訳なかろうが。
信忠過小評価の豚長厨か。
織田家の歴戦の海千山千の諸将は誰一人として信忠に頭が上がらない。
よって彼等を統御するのは楽すぎて欠伸がでるワ。
- 743 :
- 正妻の子である信長は次男だけど
妾の子だった兄は織田家当主になれんかったんだから
三法師なんて完璧に選択外で
良識に従えば信忠の弟達こそ相続権が発生するわけで
自ら意思決定不可能な幼君を担ぎ上げて専横する気まんまんじゃんよwww
- 744 :
- >>743
それが出来たのは「正妻の子」である信長が居たからだ。
正妻もいない信忠がどっから「正妻の子」をひねり出すんだよ?
頭おかしいなおまえ
- 745 :
- 妾の子だろうが他に信忠の子が居ない以上、嫡男になるわな三法師
幼君傀儡化や専横の意志が無かったとは思わんが
- 746 :
- 妾の子が嫡男に豹変するわけないし。
正妻の子がいないなら
信長のいずれかの子が相続するのは当たり前でしょうに。
特に重臣功臣を専横させずに
統制して織田家を守ろうとする意思が貫徹しているなら尚更。
- 747 :
- >>746
お前嫡男の意味わかってないだろ。
先ず辞書で調べてこい
- 748 :
- 正妻の子である信房こそ本当の嫡子に相応しいよな
- 749 :
- 日本では正妻に子がいない場合、妾の子でも嫡子になれます
- 750 :
- 信忠も秀頼も秀忠も側室の子
- 751 :
- 三法師が側室腹なら、信長の息子も全員側室腹で条件が同じなら
他家に養子にいってない=他家の人間じゃないで
織田家に残っていた三法師が候補に挙がってもおかしくない
その場合、織田家に残っていた信長の幼少の息子達も候補に挙がるべきだけど
- 752 :
- >>751
問題は織田の家督を信忠がもう次いでる・・・という事かな
- 753 :
- 信長はすでに織田家の隠居爺です
- 754 :
- 信長の4男の秀勝を織田家当主にしないのは自分を疑う人がいるからだと秀吉が書状に書いてるんだから
実際のところ信長の子が継承するのが筋だったのは明らかでしょ。
そもそも守り立てる側近すらまだ付けられていない2歳に満たない赤子を当主にするなんて馬鹿馬鹿しい。
発言力が高まる守役らがいない赤子の方が御し易いから専横できると踏んで担ぎ上げただけ。
三法師を担ぐ時点で下克上する意思がはっきりわかる。
案の定、織田領国を重臣たちで切り分けて領国化してるし
信長死んだら早くも家臣同士で領地の奪い合いかって
その暴挙を興福寺が呆れてる。
- 755 :
- 信忠の弟たちの名前が挙がらなかったのはそれぞれの守役を勤めた奴の影響力増大を他の連中が嫌ったからなんだろうな
それである意味全くの中立だった三法師が選ばれたって事かねえ
- 756 :
- 信忠の血筋を重視したんだろ。
信忠は充分に織田当主として認識されてたから。
- 757 :
- 血筋を重視?
意味わかんね。
信長の血を色濃く継承してるのは
信長の子であって孫じゃねーじゃん。
そもそも信長は信忠の妾腹の子なんて
一度も対面してねーだろ。
公記だって生まれたことすらスルーじゃんよ。
- 758 :
- 本能寺の時点で織田家当主が信忠だったというのが解らない馬鹿なのか
- 759 :
- 三法師が前当主信長の庶子より不利な点は、幼児だって事ぐらいじゃないの
- 760 :
- その後に当主が幼少じゃ心許ないねという理由で家督が信雄に移ってるからな
- 761 :
- 戦国の戦乱の真っ只中で、
側近団すら編成されてない幼君を擁立。
しかも信忠家臣団系すら幼君を盛り立てようともしない。
明らかに
織田重臣による傀儡政権のために擁立されたのが三法師。
信忠家臣団からも支持されてない。
- 762 :
- 毛利尼子なんかも孫が継いでいるだろ
- 763 :
- >>762
その2人は健在な祖父の指名じゃねぇか。
山名兵庫頭教言の娘を母にする晴久は23歳で側近家臣団がちゃんといたし、
母が大内義隆の養女で長門守護代内藤氏の娘の輝元は12歳だったから元就の後見を受けて2年後には将軍に輝を貰ってるし。
実権持つ祖父が成長するまで家臣団の下克上を抑止してる。
- 764 :
- 三好長慶も元服前に家督を継いでいるが、父も祖父もいなかったぞ
- 765 :
- 嫡男相続ではなく、
この時代はまだ将軍が後継に認めた器量ある人物に相続権があった。
- 766 :
- ……それを嫡子(嫡男)と呼ぶのだが。
- 767 :
- >>766
では嫡男=実子ではないと言うことだね。
- 768 :
- 日本語大丈夫か?
- 769 :
- 何で極端から極端に振れるかねえ
- 770 :
- バカは極論しか理解できないからしょうがない。
- 771 :
- 元就なんて明らかに兄の子ぶっ殺して
自分が継いでいるし
実力あるもんが継ぐのが当たり前だからな。
- 772 :
- どこが明らかにやねんってのと
実力ってなんの話やねんってのと
俺のようなアホには説明してもらわんと分からん
- 773 :
- ほんとに秀信が正統なら
軽く廃されて信雄が擁立されるわけが無い。
- 774 :
- 他に候補者が出てくる時点で三法師は誰もが認める嫡男じゃなかったと思うんだが
- 775 :
- そら庶子だし
- 776 :
- むしろ1513年3/19付で志道広良が元就は今後は広良の援助を得て毛利のために奉公する誓約書を書かせてたりと
元就の謀反をすでに警戒している姿が現れていたり1523年7/15に幸松丸死去7/19元就擁立決定
神仏詣の粟屋元秀が将軍から元就の相続許可をもらって帰ってくる7/25家臣から連署状をとる
この手回しの良い流れのスムーズさから幸松丸の暗殺後までを視野にいれて練られた謀反のなは明らか。
そもそも相合元綱が尼子の後援を受けていた話は陰徳太平記の捏造話で、
そもそもそのネタ本である安西軍策にはそんな話すら出てこない為、
完全に元就による家督強奪を正当化するために作られた虚構話。
1517年の毛利所領は40余りの荘を保有し判明している7荘だけで5700貫に上るとしていた・・・
毛利家文書151・252号によれば1475年備後国伊多岐・重永・山中など世羅台地にも毛利は3000貫を獲得し備後国にも発言力を持っている。
大内の元就への加増は毛利家文書253〜255号などにも見られるが、
幸松丸が鏡山城先陣を勤めたのは毛利家文書239でわかるが鏡山城攻防に信頼できる史料は無く
平賀氏は鏡山城落城の現形の功で東西条616貫を経久から与えられてる(平賀家文書61号)
義興による加増の由来が毛利家文書251号に書かれているが元就が過去を振り返って書いているので、
安芸の大半が尼子になびいたが毛利だけが大内に忠勤したとかデタラメが書いてある。
ここに尼子がやってきた時に幸松丸が死んで元就が継いだと書いており、なぜ死んだのかまったく触れてない実に不審である。
毛利家文書239号に元就が跡を継ぐのは尼子の承認ありの証拠。
吉川元経の妹と元就が婚姻してるし、元就の妹と吉川元経も婚姻してるから
尼子と元就は婚姻関係で深くつながってる。
1515年末にも吉川経基(子が国経と尼子経久正室・孫が元経・曾孫が興経)が
尼子経久に毛利との縁談を提案していることからも窺われる。
ゆえにまず幸松丸を殺害し元就が跡を継いだのは尼子の承認あってのことだろう。
1532年7/10尼子晴久と元就が妻の実家の吉川の仲介で兄弟契約してる(毛利家文書210号) だろう。
しかし1534年9月23日には大内義隆から元就に官位を授けるように後奈良天皇に申し出て、
のちに叙任しておりさっさと尼子を裏切っている。そしてさらに吉川興経から尼子との和睦を斡旋されているが
元就に怒っている尼子側が拒否しているのが笑える。さすが鉄面皮元就である。
父の簒奪のやり方を踏襲した元春の独立へ向けた動きは元就が死去するや顕著になり
仲が悪かった兄の子の輝元を周防長門2ヵ国に押し込めて大友と対峙させ制限を加える一方で
領土が奪取できそうな地域へ・・・隆景と共に両川は東へと広域支配目指して領土を広げていくのである。
天正9年には湯原春綱へ元春が出した書状には
「作州祝山数年被遂籠城、御忠義之段吉田ニ茂被感思召候、可被加似合之御褒美之由候、
当時依無明所、末次・黒田百貫之内五十貫地之事、従吉田可被成御扶持間之事、拙者令裁判進置候」
今回の奉公に輝元から加増すべきところだが、俺が勝手に加増してやる!と宗家を蔑ろにしているのがわかる。
毛利宗家は元春の無断決定による褒美を追認するだけの象徴的傀儡存在に落とされ、元春らは寺社に対しても独自支配を進めていく。
そして天正15年の広家の家督相続では山陰国衆15名が吉川氏に「任御下知 上様へ可抽馳走候」となる。
館鼻氏もこの事実を吉川氏による山陰国衆統制の完成と評価している。
吉川山陰領国形成と吉川小早川の毛利本家へのクーデターたる関が原の対立から
元春宿願の岩国吉川領の成立への道。
- 777 :
- 誤爆ですか
- 778 :
- >>776
誰も読まないコピペ、ご苦労さん
- 779 :
- 元亀3年末に天皇の勅願寺になった恵林寺を燃やす暴虐を働き
本能寺の変を呼んだバカ親子
- 780 :
- ヒデー
バカ親子にフルボッコされ殺されて領民に歓喜された勝頼が哀れ過ぎる
- 781 :
- 噴火の混乱が沈静化した途端に、
川尻を始めとして領民にフルボッコされた織田軍w
- 782 :
- ほとんどは勝手に逃げましたがw
- 783 :
- 信長から逃げて駒場の山中で野垂れ死んだ信玄
信忠から逃げて天目山で野垂れ死んだ勝頼・信勝親子
親子三代で織田から逃げて山の中で野垂れ死ぬなんて中々出来る芸当じゃない
50000の兵で25000の武田を僅か一ヶ月で滅ぼした織田信忠
25000の兵で8000の徳川を半年かけても滅ぼせなかった武田信玄
武田信玄が無能だったのか、織田信忠が最強過ぎたのか
- 784 :
- 釣られはせんぞー釣られはせんぞー笑
- 785 :
- 本能寺の変でもしも信忠が二条城から生き延びていればな〜
今は妄想しかできないけど。
- 786 :
- >>785
以前にそういうスレはあった。
今でも落ちきって生きてるかもしれないけどね。
でも所詮は「歴史上ではキリの無い」不毛な「もしも」妄想に過ぎない。
下らない。
- 787 :
- たらればがいかんってのはそれを前提に別の話を進める場合でしょ
たられば妄想を許さないとかそっちのほうがくだらないと思うがね
- 788 :
- 『信長の支配は、強い主従意識、直接的な命令・指揮の発令関係によって成り立っている。
一定程度独立して決まった職務を分担執行する奉行人制や評定衆などの政治機構を構築しようとしなかった。
したがって、信長に急変が生じた時、分国全体の支配が後継者にスムーズに継承されるかどうか、その保証はない体制だった。
例え嫡子信忠が生き残ったとしても、分国の一大名で、譜代ともその他とも直接の主従関係を持たない信忠が、
分国全体を維持するのは容易ではなかったはずだ。』
人物叢書・織田信長(P280)より
- 789 :
- 織田家を存続できはしたろうが、天下とれたかどうかは怪しい
案外小牧までの織田信雄あたりと大差なく落ち着いて、ってなるかもしれん
- 790 :
- 生き続けた信雄、長益R
- 791 :
- 信忠生還IFで先々のことはともかく、光秀への対処という点では単独で当たれたのかな?
一番近くにいた信孝は軍勢を自壊させちゃったが、信忠は近江や美濃の直属軍を維持して
光秀に当たってれば、仮に秀吉その他の助けを借りてても織田当主の座は当面確定じゃね?
- 792 :
- 側近も連れて帰れればな
側近の多くが信忠と一緒にいたから、そいつらの多くが戻ってないと厳しい
- 793 :
- いやいや、甲信に結構残ってたろ。
- 794 :
- 信忠のじゃなくて信長の側近衆の事だろ
- 795 :
- 甲信に残ってた連中こそ大半信長の家臣じゃね?
斎藤や団のような信忠側近衆は信忠と運命を共にしている
- 796 :
- あけました
- 797 :
- you tubeで「新唐人テレビ」を検索して見てください。
それを見ると中国人も中国の民主化を望んでいる事がわかります。
新唐人テレビは中国の民主化を望む中国人自身によるテレビ局で、海外に拠点をおき、中国共産党の圧力に屈する情けない日本のマスゴミよりもよっぽどまともなテレビ局です。
日本語による吹き替えも毎日アップしています。
日本では中国共産党の圧力により報道出来ないニュースが沢山取り上げられています。
新唐人テレビのような勇気ある報道機関を広める事で、中共の圧力に屈し、真実を伝えない日本のマスゴミのへなちょこぶりを浮き彫りにする事にもなります。
さらに新唐人テレビを衛生放送を使って中国国内に放送する計画まであります。
これはある意味、中国共産党に対する強力な「兵器」です。
新唐人テレビを日本や在日中国人の間に広めて、中共が日本に戦争をしかけてくる前に中共を内部崩壊させましょう!
- 798 :
- 信忠が生き延びても信孝と同じ運命をたどるだけ。
秀吉と合流して光秀を討てるだろうが、その後は秀吉にいいように扱われて不満を持って
秀吉を討とうとするが逆にコテンパンにやられて「報いを待てや羽柴筑前」と言い残して自害。
- 799 :
- >>798
当時の信孝の重臣は「元」信忠家臣
新しい主君に馴染む前に秀吉に工作を受けた
- 800 :
- >>798
信忠に森長可が合流するから戦闘力では秀吉を上回る。
- 801 :
- 秀吉を上回るんなら毛利輝元・織田信雄の家臣の木造・高木・吉村あたりでも十分
直接対決でボロクズのように蹴散らしたしな
- 802 :
- 信忠が生きてる状況だと、清州会議も領地の再配分も秀吉が後見人になる事も無い訳で
秀吉が信忠を排除するなら、かなり時間かかりそうな気がするが。
- 803 :
- 信忠がたとえ生き延びられても、史実通りに秀吉+信考で山崎の戦いが起こったら
調子に乗った信考と信忠との兄弟争いが勃発して、「誰かが天下取る」以前に
太平記的内輪もめになる可能性が高いんじゃないか
本能寺の変が起こる歴史で信忠が天下を取るには、生還&明智討伐を自力でやるしかないのでは
その意味では大坂に逃げて信考(というか丹羽長秀)と合流を計るのが妙作だったかも
- 804 :
- まあ状況にもよるが、「信忠の利害」と、「織田家中の利害」が必ずしも一致していないからな。
どうしたって対立が起こるのは間違いない
- 805 :
- 本能寺の変後の混乱は継承者がハッキリしないところに乗じたものだから
後継者と明示されていた信忠が生きていれば言うほど好きなようには振る舞えないと思うけど
- 806 :
- 家督も継いでるしね
- 807 :
- しかし信長が「織田家の天下」の形を明示せずに本能寺で死んだので、信長の在世時に曖昧だった
各武将の既得権をどうするかで結局争いは起こるだろう。
これは信忠の能力とか以前に、織田体制の構造的な問題だから、誰がどうしたって織田家の分裂は
不可避だったと見ていいだろう
- 808 :
- その分裂規模は信忠の示す天下と既得権の扱い次第でかわりそうだが
結局、未知数なんだよなあ
- 809 :
- 信忠が生き延びても「至近にいながら父信長を助けられなかった」という事実は残るわけだから
織田家中での求心力低下は避けられない。
かつて信長が家督を継いだ時の柴田みたいに信忠の弟を担いで謀叛を企む者が出る可能性もある。
- 810 :
- もし仮に信忠が信長を救出して明智軍撃退までしてたら織田の天下はゆるぎなくなってただろうね。
秀吉や家康も天下取りの野心が芽生える事無く一生を終えてただろう。
- 811 :
- 未知数のままだなぁ
- 812 :
- あの状態で助けられる方が奇跡的だし言うほど問題視されるかね
というか親を助けられなかったから求心力が下がったパターンなんかあるのかと
まして神輿が養子に出されてる連中では大義名分もたたんし
対抗できる勢力も築けなきゃ勝ち目もないだろ
- 813 :
- 北の方に親ごと撃った奴がいたなw
- 814 :
- 有楽のように、一緒に居たのに一人で逃げたら後で問題にされるだろうけど、
別の場所にいて、しかも手勢も少ない状況なら逃げたほうが褒められそう。
- 815 :
- ニュースも記者会見もあるわけじゃないしな。織田の事を良く思わない人は「親を置いて逃げた」って言うだろうし、好意的な人は「良く逃げた、良く敵討ちした」て言うかもな
- 816 :
- 逃げた上で、ちゃんと軍を仕切って仇討ちすれば、むしろ評価上がるだろうな。
- 817 :
- 美濃に逃れて自前の軍で光秀を討つか大坂に行って信孝や摂津衆、大返ししてきた秀吉と合流して山崎をするかで戦後がかなり変わりそうね
- 818 :
- 信忠生存の報が誰にどの時点で伝わるかによってそれぞれの行動も変わってくるよなあ
例えば秀吉は信長死亡と同時に知ったら多分大返ししないだろうけど、
数日タイムラグがあったら毛利と独断で和睦して軍を返す途中になる(史実どおりなら)
摂津まで速攻で戻ってきたあたりで信忠様健在ですとか言われたら秀吉はどうすればいいのだろうかw
- 819 :
- IFにIFを重ねりゃなんでも言えるわな
- 820 :
- そらまあ元があり得なかったことなんだからそうでしょ
その上でどのくらい説得力のある話を乗せられるかって話だと思うけど
- 821 :
- IFなんか答えは出ないよ
- 822 :
- あくまで妄想を楽しんでるだけで答えを出そうと思ってる奴はいないだろ
- 823 :
- 誰か、織田信忠で天下統一!!的なスレ立てて
- 824 :
- >>788
分国法による法治も行政を支える
官僚機構をまったく作ってないので
信長個人がやりたいようにやり、
下々がそれを実現する為に資金調達や軍役などを
己の才覚で調達してきて武功をあげることでクビにならずに済み
失敗したら改易、信長が機嫌悪いと一族が指名手配される。
重い連年の重軍役と食料補給を領民に課しながら一揆を起こさせないように才覚しなければならず、
一揆を起こしたら残酷な手段で一族虐殺と脅し抑える。
それでも一揆が発生した場合は統治失敗で改易。
この信長の野蛮かつ未開な統治手法では破滅は見えていた。
- 825 :
- ゲスな秀吉のことだから、難癖つけて戻るだろ。
- 826 :
- 信忠が美濃方面に逃げて自前の軍を整えてるならともかく大坂に逃げてきてるのに引き返したとなるとデメリットの方が大きいだろ?
信忠と光秀の戦いがどうなるにせよ織田家内での権力拡大は 難しくなりそうな
- 827 :
- >>824
人物叢書「織田信長」からの受け売り乙だなw
- 828 :
- 受け売りでもええやん。今のところこれを否定できる史料や研究はないんやし
- 829 :
- 北条か武田以外は必ず破滅するつってるようなもんだな
もちろん史実は違ってたわけで
- 830 :
- そうだな。北条武田のシステムを受け継いだ徳川が勝利した。
- 831 :
- だな。北条武田型のシステムにしはじめてた織田も分裂が無ければ上手くいったかもな
- 832 :
- >>828
一つの物の観方に過ぎず、信長特殊論を唱える研究者もかなりいるのだが。
- 833 :
- >>832
特殊論は議論が全然整理されておらん、思いつきがバラバラに出ているような状況だからな。
そのへんきちんとしないと、学問としてまともに取り上げられる状況じゃないだろ。
- 834 :
- 仮に信忠が大阪に脱出して信考と合流したら、堺に居た家康も危険な伊賀超えでなく
信忠と合流して一緒に光秀と戦う可能性が高いな
後の歴史へ及ぼせる影響の事を考えると信忠は本当にもったいないなぁ…
- 835 :
- >>833
即レス乙w
>そのへんきちんとしないと、
そんなことオレに言われても知るかよ、研究者さんに言えや
- 836 :
- >>834
家康はどうだろな
伊賀越えも危険だけど自前の兵無しで合戦参加ってのも危険だし不安じゃないか?
まず何は無くとも安全圏である自領への帰還と軍勢を手中に収める事を選ぶんじゃないかな
- 837 :
- >>835
特殊論なんて今のところ意味が無いって話なんだろ?
- 838 :
- >>836
まぁ意地でも帰るだろうな。
関が原や小田原攻めのような、少数でも出席してればOKなんて合戦じゃないし、
そもそも信長死後の織田家中なんて誰が敵かさっぱり分からんのじゃないか?
- 839 :
- 目端の利くやつなら
このドサクサにまぎれて家康殺してただろうね
信康は死んでるし、次男三男は幼児だったから
その後を見通せばここで殺しといて犯人を
光秀に被せておけば、戦後に三河遠江を
簡単に併合できる
- 840 :
- 目端の利くやつどころか神様級だな
- 841 :
- こっちもいいぞ
http://ikura.2ch.net/sengoku/index.html#1
- 842 :
- >>839
それだとお供の連中も皆殺しにしなきゃいけなくなる
そうなるとさすがに疑惑を呼んで降伏した大名や軍団長にも動揺が走りそうな気もする
光秀討って事後処理終えて安定するまでは無理は避けた方が無難だと思うけどな
- 843 :
- 家康の生涯最大の危機と言われた「神君伊賀越え」の物語は真実か
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/160/
秀吉の「中国大返し」はどこまでが真実か〜
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/161/
面白かった。
- 844 :
- >>843
典型的な陰謀論脳。アホらしい
- 845 :
- ksk
- 846 :
- ksk
- 847 :
- ksk
- 848 :
- 武田征伐で信長に勝手に動くなと命じられおっかなびっくり信忠
その信忠を無視して、あとで信長に直談判するからいいやw
とばかりに信忠無視で進撃する森らw
この時点で統率すらできない信忠にはなんにも権力移譲されてないお飾りで無能じゃんよ。
- 849 :
- 無能に瞬殺された更に無能な勝頼w
- 850 :
- バカが2人
- 851 :
- ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130310/V2dLTkoyQzY.html
まーた捏造か
- 852 :
- ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130310/V2dLTkoyQzY.html
まーた捏造か
- 853 :
- 武田討伐の責任者は川尻であり
信忠はただのお飾り。
信忠はよく贔屓目にみても滝川と同格レベル。
森や梶原はまったく相談もせず、どんどん進軍。
信長もあいつら軽率な行動の言い訳に力戦したとか言って
後から俺に訴訟してくるだろうと書いてる。
織田厨は信長書状すらまったく読んでないアホ
自分の願望信長像・信忠像を否定するレスを中層レッテル人格攻撃で排除してるだけ。
そして武田を捏造妄想曲解でまったく根拠ゼロの悪口中傷でっち上げで攻撃してきた歴史。
- 854 :
- はいはい
- 855 :
- そもそも信忠自身が信長の命令など二の次で諏訪大社焼いたり城攻めまくってるのに何言ってんだこいつw
「城介事、是も如言上、信長出馬之間ハ、むさとさきへ不越之様、滝川相談堅可申聞候、此儀第一肝要候」と信長は再三再四言い聞かせてるのに
信忠も一緒になって武田をボコボコするのに参加する有様、こんな猛将ばかりに無惨にやられた武田の心中いかばかりかw
- 856 :
- 「将外に有ては主の言聞かざること有」
前線将兵が戦術命令まで必ず守るとは信長自身思っていないかと
- 857 :
- >>856
むしろ信長は自分の指示通りに動かないと許さないと言ってるし
命令したことをすぐ終らせて、すぐ俺のところに来い。
次の命令をしてやる!って書いてる書状とかもあって、
光秀や原田とか目の病気になりながらも働いてるブラックさ。
- 858 :
- 信忠が信長の命令を二の次?そんな事実は全くない。 
それにお前の書いた文章は信長が準備して出陣日が決まったら上申するように命じてる2/15の話であり、 
まだ織田軍は出陣すらしてない時だからw 
だから信忠が信長の意向を無視して進軍開始してる証拠にすらならない。 
開戦前に強がり言ってても開戦したらなw
そもそも諏訪大社を信忠の独断で燃やしたとする一次史料は? 
その後、信忠は森や梶原の進撃を統制出来ず失敗してるだけだし、
信長が進軍上進を許可したりする書状もあるし、 
このことは2/23や3/1の信長書状でたびたび森や梶原の進軍に信長が言及してる事実からわかる。
むしろ信長の耳に森らの勝手な行動をチクってただけだろw
- 859 :
- 脳内史実は興味ないんで
- 860 :
- 信忠の諏訪大社焼き討ちなんて信長公記でもある話だし、そもそも信長はまだ参陣していないだろ。
3月1日の書状でも「是も我々いまた無進発故候、城介堅申付候ハぬ事沙汰之限候」
「信長発足候者、不可及異儀候」と書かれてるし2月の書状から見ても
森、梶原と並んで信忠が信長からキツく言われていることは明らか。
というか信忠が言うこと聞かないから仕方なしに信長は老臣の河尻から言い聞かせているわけなのだが・・・
3月2日の高遠攻めも共同で行い、4月11日には森に対して感状出してる信忠が森や梶原をチクって嫌がらせしてたとかw
- 861 :
- 「俺が行くまで進むなよ?進むなよ?」とか言いつつ全然来ないよな信長。内心「行け〜行ったれ〜!」とか思ってたのかね?
- 862 :
- 細かい命令はともかく
出陣の目的は命令をこなす事ではなく、勝つ事だからな
- 863 :
- アホか。命令を順守した上で勝たんといかんにきまっとるだろ。
命令違反の勝利が敗北より悪いことは往々にしてある。
- 864 :
- つ将在軍、君命有所不受
- 865 :
- 武田攻めで信長が一番喜んだのは信忠の成長
これを機に家督相続に繋がってるからこの件に関しては信長は信忠を評価してる
つまりお前の言ってることはデタラメ
- 866 :
- >>865
妄想きもっ
- 867 :
- 鏡に向かって言ってるのか、かわいそうに
- 868 :
- 相かわらず織田厨は読解力0の馬鹿だな
対北条戦の疲弊と甲江和与反故の騙まし討ち奇襲を食らったときたまたま運わるく浅間山が噴火したため
撤退するハメになって滅んだといってるんだが
大体国力の疲弊状況が織田とは関係なしの外発的要因と偶発的条件によって作られ裏切りだらけになり火事場泥棒的に奪っただけなんだから
こんなんをもって実力で倒したとか言わん。自落しただけ。
- 869 :
- 武田はそれまでのゴタゴタで既にガタガタで浅間山の噴火の影響もあって自落しましたってのは何かの史料に載ってるの?それとも誰かの論文か何か?
- 870 :
- 珍説も糞もない。寝返りだらけになった状況や騙まし討ちにより防衛状況が整ってなかった事、
浅間山噴火後で撤退してる事からアホでもわかる
- 871 :
- 勝頼も佐竹の仲介が成功しそうで、確約が早く来ないかと悶えるとか書いてるし、天正8年に入ると織田信房(御坊丸)を武田が織田へ返還したこともあり
景勝が甲江同盟を結んだのを、なぜ事前に報せてくれなかった!と抗議を受けてるし。そのため武田の軍事行動の中心は対北条戦で、
織田と武田は和睦交渉中で事実上の戦闘停止状態。そのため勝頼の書状も対北条での景気のよい話の書状ばっかり。逆に高天神城とその周辺に関しては関心がないと言うより
事実上の膠着状態(甲江同盟交渉の影響で緊張状態にないヌルイ感じ)になってたとしか思えない。なんせ高天神城からは一切、援軍要請すら出てない。
天正9年正月になって久しぶりに高天神城への勝頼書状が登場するが、使者の往来の忠節ぶりを褒めて加増の話を書いてるだけで、援軍に出るとか、そんな危機的な内容は一切書いてない。
そして次ぎに登場するのは3年も籠城して討死した岡部の所領の相続を息子に認めてる書状。明らかに武田側に高天神城が落とされるとは思ってなかったとしか思えない。
織田と武田の同盟が成立すると誤認して遠江方面での軍事行動を控えていたとしか思えないし徳川も高天神城に砦を構築して包囲したとは言え本気で攻め落とすつもりがあるような態度でなかったから使者の往来が
天正9年に入っても可能だった。つまり織田が同盟成立を匂わせて佐竹や武田を騙していて御坊丸を返還した武田は同盟なったと誤認して安心してたら突然、高天神城が落とされてしまったと思われる。
しかもそんな武田に織田はさらに同盟のカマかけて南化玄興ルートで和睦交渉の美人局をやってまたしても佐竹や里見まで今度こそ同盟成立したと誤認してる(天正9年8月)
- 872 :
- 珍説じゃないってんなら教えてくれたって良いじゃないか
何で相手を貶める事と長文で誤魔化そうとするのさ?
- 873 :
- 寝返りがおきまくってろくに抗戦できなかった状態みりゃ弱りきってた事くらいアホでもわかる
喧嘩でいえば他の強者との戦いでつかれきってた強靭ファイターがもう仲直りしようねと関係が良くなってたため警戒0で油断しきってた相手から
突如騙まし討ちで10人くらいの大勢でしかも凶器使って襲われ、たまたま悪いタイミングで発症した心臓病のために抵抗できなくなったため
無理矢理殺されたみたいなもん。こんなもんを実力で勝ったとはいわん
信長が光秀に殺されたから信長は実力で殺されたといってるようなもん。
- 874 :
- 史料名を教えてもらいたいだけなんだが?
妄想でも珍説でも無いってんなら根拠とした史料なり論文なりが有るだろ?それ出せば済む話なのに何で長文と相手を貶める事で誤魔化そうとしてんの?
- 875 :
- 寝返りがおきまくってるのは各史料でわかるだろ
後だましうちは>>871のように一次資料類で甲江和与の詐欺をしてるのがわかる
浅間山噴火は多聞院日記とかに書いてるだろ
- 876 :
- 浅間山が大噴火して武田滅亡の前兆とか噂された時点で積み天変地異で滅亡したのが武田家。
援軍に来た勝頼も諏訪から甲斐へ撤退せざるを得なくなる。東に横たわるアルプス山脈を無視して考えた場合、広島での原爆が京都から視認出来たくらいの距離に相当する。
京の公家日記に視認観測記録が記述される程の大規模噴火は、1108年の大噴火(後日、浅間山のある上野国の国司が朝廷へ上野国壊滅の報告をしている)
に続いて武田滅亡のこの時で有史以来わずかに二回目でしか無い。
信吉が1602年に水戸25万石に封じられたのは武田としてだよ。
信玄最強というのは江戸初期から常識であり
甲州流軍学が江戸時代を通じて最強とされ続けてるしな。
1576年 円昌坊教雅書状
謙信、大方於太刀者日本無双之名大将ニ而御入候
1582年3/5 蓮成院記録
甲斐国越後国衆弓矢天下一之軍士
信玄死去から10年経っても甲斐国越後国衆弓矢天下一之軍士
とその遺武があったほどの威勢だったけどな。
信長死んだら武遺の話題すら出てないな。
江戸期を通じて織田流軍学なんてもんは
誰も見向きもせず一切評判になったことすらないw
蓮成院にはリップサービスする必要性は無いし実際に風聞として天下一だという世評を知っていて
これからその地へ行くことにビビっている姿がわかる。
だが、その古今無双の名将〜の勧修寺晴豊の書状はあくまで
綸旨案であって実際には再考された結果、送られてない。
しかも実際に出された同日付けの万里小路書状では
露骨に馳走しろとか書かれてるしwww
万里小路宛ての女房奉書では誠仁親王の元服費用を織田から取れ!
信秀も御所の御事を他と違う御事だと認識していたとか書かれてるように
信長にリップサービスして金を取ろうと考えた結果の下心からのマンセー言辞でしかない。
だから他者と比較して信長がスゴイと言った表現ですらない軽薄さ。
しかも実際には再考され出されてない。そして女房奉書の如く元服費用だせと同日付けの万里小路も直球で信長宛て添え状出してる始末。
フロイスによると恐ろしいほどに東方の空が真っ赤に染まったと書かれておりしかも浅間山噴火と同日に赤い光りが
豊後国(大分県)でも観測されたと言う。 実に凄まじい爆発力だったのがわかる。
- 877 :
- 信忠が雑兵と一緒に高遠城に夢中になってた時に勝頼の1万の後詰が来てれば確実に戦死してただろうね
- 878 :
- >>860
信長公記なんて捏造軍記は一次史料じゃねぇよカス
3/1書状を歪曲解釈して気持ち悪いんだよお前。
信長は総司令官の川尻へ宛てて
俺が出陣するまでに伝い城を築き終えよ、これは信忠や他の者もやること。厳命である。
4日後には俺も出陣する。不注意な戦をせず、軍記も違反するな、弱敵と侮るな。
森と梶原の勝手な行動をお前らの言上で聞いたので、俺から申し聞かせた。
勝手な行動はあとで俺が来た時に訴訟するつもりだからだ。
このように命令を聞かないのは俺がまだ進発してないからだ。
信忠が堅く申しても意に沿わない事は沙汰の限りであるので、このことは俺が進発したら
異議を言わせないから、お前らも固く陣を守り、あとからの俺の仕置きを待て。
高遠を焼いた件はしかるべくことだ。すべて相談してから計略しろ。
信忠や滝川や水野信之や水野忠重らの陣所の申告のこと聞き届ける。しかしそこより先へ出るな。
だいたい高遠攻めに信忠が参加してたかあやしいけどな。
高遠を燃やした報告は川尻だし、そのころの信忠は
滝川や水野信之や水野忠重と一緒にいたとしか思えないし
3/3に出された信長の信忠への書状では穴山がついに謀反したので勝頼が北へ逃げたので
(徳川と北条がついに動き出し駿河が挟撃を受ける可能性が発生したので穴山がついに決断)
お前らの大嶋(下伊那)から飯島(上伊那)への陣換を許可するがそれより先は一切進軍すんな。だもんな。
3/5の信忠→坪内宛の高遠での戦功感状は原本なしで寛永諸家系図 伝坪内利定に収録されてる写しだけで
坪内家が先祖の戦功を捏造してるだけだし。信忠が後方の安全地帯にいたとしか思えん。
- 879 :
- スマヌ言葉足らずだったわ
俺が欲しかったのは浅間山の噴火が原因で武田が滅んだって史料なり論文なんよ
そんなに凄い噴火だったのに織田の進軍に何の影響も無かったのかい?不思議な話だ
- 880 :
- 多聞院も噴火を信濃や甲斐の滅亡を予言する怪異だという噂が広まったと記しているし、
北条氏政も10日以降甲斐方面からの連絡が途絶えたと書状に書いて八王子の甲斐への入り口にいた氏邦へ甲斐方面への進軍を中止し慎重に様子を伺う姿勢に変化。
明らかに甲斐が混乱してるのが伺える。
北条が陣ぶれを出したのは20日で、
勝頼が飢えすぎへ援軍要請出したのも20日
20日あたりになるまで噴火で領国が混乱していた武田も
混乱して情報が断絶していた北条もやっと情勢がつかめた証拠だろう。
- 881 :
- 信長が出陣を急いだのは
森ら若手が、信忠の指令を黙殺しまくって
勝手な行動するためだから、よっぽど信忠は人望も統率力も皆無だったのがわかるな。
- 882 :
-
>>877
逆に言えば、それをしなかったから勝頼は愚将と言われるんだけどね
信忠討取りとはいかずとも、織田軍に犠牲を与えることくらいはできたはずだし
何より甲斐国境付近の高遠落城なんて、信濃における武田の支配権を放棄するに等しい
最も、現実問題として寝返った木曽義昌すら討伐できなかった武田軍が織田軍と戦えるかどうかは甚だ疑問ではあるが、
可能性として武田勝頼が乾坤一擲の戦を仕掛けていれば、勝ったかもしれない。
それをせずに織田の若造相手にむざむざと尻尾を巻いて逃げ、勝頼信勝以下多くの武田一門が無惨な死を遂げたのは
武田が心根から弱弱しい連中の集まりだったということだろ
- 883 :
- 噴火で甲斐本国が混乱してるのに高遠どころじゃねぇよ。
つか勝頼が浅間山隣接の真田を頼らなかった理由も理解出来るな。
勝頼夫人が戦勝祈願で勝頼に何ら罪は無いのにって天に訴えてるのも、
浅間山のことを指した天変地異への怒りを現したもんなんだろうな。
武田滅亡の怪異なんて話が民の噂になってたら勝頼夫人も天に訴えもするだろうね。
- 884 :
- 浅間山の噴火記録見ると1582年の噴火は、大した事は無かったみたいだけどね。間が悪い時に噴火したんで動揺しただけという…
- 885 :
- >>884
デタラメ乙
- 886 :
- 1108年、1532年、1596年の噴火被害の記録は残っているのに1582年の人的被害の記録は残っていない
フロイスは「空が赤かった」と言ってるだけ。被害の事は書いていない
- 887 :
- どうせいつもの織田アンチなんだからほっときゃあいいのにw
- 888 :
- また無知晒す織田チョンw
1532年と1596年の噴火は同時代史料にはなく、
突然、18世紀の書物に出てくる為、創作とされてるのも知らんとはwww
江戸時代終了までで、同時代一次史料に記されている確定噴火は、
1108年の大噴火が上野国司による田畠滅亡一国未曾有の災害報告。
今回の豊後からも目視できた武田滅亡の怪異超噴火
1783年の1500人近くの犠牲者を出した熱泥流小噴火。
この3つだけだ。
- 889 :
- つまりただの目視って事じゃんw
- 890 :
- 単に浅間山の標高が高いから遠くからも見えたってだけだよな。1108年の噴火は堆積物が残ってるのに
- 891 :
- まあ、何かにすがりたいだけだと思う。
そう言えば、その時の上杉や後北条の記録はどうなんだろう。
あるのかな?
- 892 :
- へぇ他の噴火で堆積物が見つからなかったなんて誰が主張してんの?
つか平安京や江戸幕府により交通自由な安定社会時代と、
戦国時代真っ只中の時代背景すら理解出来ずに、
死者の記録がないとか喚いてんのかよw
つか1108年の記録でも死者に言及してないのも知らんのかwww
- 893 :
- だがさんがんばるなぁ
- 894 :
- バカ若殿信忠は無能過ぎて、
25歳になっても川尻が事実上の指揮官やってるくらいのボンクラw
追加保護者に滝川まで付けられるくらい信長は不安視していたが、
案の定、森や梶原は好き勝手やった挙句に信長に断罪されるどころか加増してもらったw
ハッキリ言って信忠イラネw
- 895 :
- >>892
天仁噴火は「上野国の田畑が壊滅」て報告あるだろが。火砕流の痕跡もはっきり残ってる
天明噴火も火砕流や鬼押し出しなど痕跡は残っている
天仁と天明の間は中小の噴火があった事は分かってるが大噴火は確認出来ない。被害報告も文書も無く堆積物や溶岩の痕跡も確認出来ない
つー事で後はスコップでも持って浅間付近を掘り起こして来い。がんば
れーー
- 896 :
- はいはい息を吐くように次々と嘘を吐く織田厨乙w
浅間山北東山麓の大規模発掘調査で
ガラス質状の塊である岩滓群→軽石層→軽石層の三段堆積が発見されたので最低でも三回の大噴火があったのが確定してる。
1108年の岩滓と1783年の軽石層の間の軽石堆積状況から、
大噴火があと一度あったのは間違いのない事実なんだがw
- 897 :
- >>884
そもそも噴火で家が滅びるなんて、うちはとっさの自然災害に対応できない
脆弱体質の統治体制しかないですよって言ってるようなもんだからな
1586年に天正大地震が織田豊臣領内を直撃した時は平然と管理対応して
逆に徳川や島津に対して攻勢をかけたくらいだ。
山がちょっと噴火しただけで滅亡するくらい弱ってたんだからそら木曽も寝返りたくなるわな
織田の若造の手柄箔塗に使われた武田・・・
- 898 :
- 浅間山の大噴火が無かったらどうなってたんだ?
噴火で足止め食らってたらしい北条も攻め込んでくるんだから余計にアウトなんじゃないの?
- 899 :
- 溶岩なら桜島が毎日吹いてるぞ。毎月100回近く噴火してる。それでも島に人は住んでるし
山麓に溶岩で被害といえるかどうかねー
- 900 :
- 天正地震の時に滅亡の前兆怪異なんて噂は全く無かったしなあ。
怪異や神仏に恐れを抱いてテレビも無い中世人の得体のしれない噂は衝撃的だったろうな。
- 901 :
- そういう噂が流れるくらい武田が弱体化してたってことだろ・・・
- 902 :
- 天正10年1月6日付けの勝頼書状には
軍事行動は延期。2月には仏事を執行するから (3年喪を秘していたので信玄7回忌だった)
3月、4月も一切動かない。
などと軍備を解除して武田領国は仏事に入ってた。
そこで織田軍が無防備の武田領へ奇襲しただけだからなぁ。
斎藤滅亡も義龍7回忌法事で美濃諸将が仏事の最中の時だし。
信長は服喪期間にコソ泥して滅ぼしてるだけだろ…
- 903 :
- 天正10年1月6日付けの勝頼書状には
軍事行動は延期。2月には仏事を執行するから (3年喪を秘していたので信玄7回忌だった)
3月、4月も一切動かない。
などと軍備を解除して武田領国は仏事に入ってた。
そこで織田軍が無防備の武田領へ奇襲しただけだからなぁ。
斎藤滅亡も義龍7回で美濃諸将が仏事の最中の時だし。
信長は服喪期間にコソ泥して滅ぼしてるだけだろ…
そもそも騙まし討ちによる武田防衛体制解除・北条徳川戦の疲弊や内政失敗などによる国人のそううっての離反
・出陣しようとしてきた所に浅間山噴火と不運が重なったのが武田滅亡。
- 904 :
- 喪に服してれば戦争相手に手加減されるとでも思ってたのか勝頼は…
アホ過ぎる…
滅んで当然だな
- 905 :
- 武田は朝敵になってお終い。動揺もするだろ
- 906 :
- マジレスするのもどうかと思うけど喪中だから攻めないでくださいね、ってお花畑すぎるだろ。
- 907 :
- 当時の事情で話しているのに、現代の感覚で言い訳しているんだもの。
そりゃお花畑過ぎる説明じゃなきゃ無理だろ。
- 908 :
- 春秋戦国時代から喪中に攻めこむのは常套手段だよな・・・
- 909 :
- 信玄の死なんてあっという間にバレまくったし、とっとと本葬あげてケジメつけりゃいいのに
- 910 :
- 日比野弥次郎・日比野孫一に陣夫銭の件で棚橋彦一郎の違乱に対して、
和田八郎に命じて1貫500文を納めるようにと決まったので
異議申し立てをしないようにせよという内容の書状を発給している。
この書状は織田信長御朱印の旨で裁許するようにと書かれているが
日比野は尾張、棚橋は美濃の人物でいずれも信忠領地の武将
- 911 :
- >>910
結局、信長が裁断してるのか。
やっぱ信忠は無能だな。
- 912 :
- Wikiの丸写しするのは結構だが>>910を取り次いだのは信忠側近の団忠正だけどな
ちなみに団は信長、信忠両方に近しい立場を織田家内で取っている。
- 913 :
- >>912
つまり信長からの御目付か
- 914 :
- その団(梶原)と森に信忠の指揮権は完璧にシカトされ、勝手気ままに進軍された挙句に、
森や団は信長から非難されるどころか、
団は岩村、森は北信濃を加増してもらう始末。
無能信忠はただの傀儡お飾り。
そりゃ信長死んだら領国崩壊して家臣に勝手に領国切り分けされ乗っ取られるわな。
- 915 :
- まぁ信雄や信孝ほど傀儡化するかどうかは分からないが
もし本能寺で逃げてりゃ尾張・美濃の大名でしか無いわな
ここで甲斐・信濃での苛烈な残党狩りとか寺の焼き払いとかがジワジワ効いてくるだろうね
- 916 :
- てか信長の書状には、森と梶原が河尻に相談しなかったとは書いてあるけど、信忠に無断で進んだとは書いてないし
- 917 :
- 信忠の軍勢には付け込む隙がたくさんあったのに
勝頼が自壊したから
本来なら高遠城で討ち死にしてるレベル
- 918 :
- 勝頼が無能で付け込む隙がたくさんあったから
森や団に突き進ませて武田の崩壊を早めたんだな
良い判断だな
- 919 :
- 勝頼が無能というよりは先代の負の遺産が大きすぎたのでは
- 920 :
- なるほど川尻も森もみんな信忠をシカトしてたってわけか。
てっきり信忠や川尻ら首脳陣が信長に森がいうことを聞かないってチクったのかと思ったが、
そもそも川尻が勝手に信長にチクったのなら
川尻も信忠なんてお荷物だから首脳陣からハブにしてたのか。
- 921 :
- 信忠と勝頼の二世対決見たかったな
経験では勝頼の方が上だけど問題は兵の質だよな
武田は長篠の大敗以降2万以上動員すると素質不良な雑兵が増えるから・・・
- 922 :
- 信忠なんて岩村攻囲戦といい高遠攻囲戦といい規格外の兵力比でもって半年以上かかっても自力では落とせなかったり
1000以下の仁科に城外戦で蹴散らされて信家戦死させただけじゃん
比べるまでもないわ
- 923 :
- 長篠なんて6000そこそこつれてきただけだしただの局地戦だろ
武田の疲弊は対北条徳川戦やら勝頼の失政自爆やら信長の同盟反故の騙まし討ちやら浅間山噴火が原因であって
長篠は大して関係ない。現に長篠以降でも北条相手に勝ちまくってるし織田には岩村を騙まし討ちと圧倒的大軍と半年以上もの長期間を使って
火事場泥棒されただけで、ろくに信濃に踏み込ませていないし徳川もさほど領土取りかえしていない
- 924 :
- 高遠の後詰さえ出来てればなぁ
5000程度でいいから勝頼が率いて突っ込んでればそこで討ち死にしても
武田の武門は示せたし信勝をさっさと上杉に逃してれば家門も命脈保ったかもしれない
高遠での織田軍の無秩序な攻撃見る限り後詰が来て城から打って出れば3万の信忠軍は潰走したかもしれん
- 925 :
- 火力差兵力差が圧倒的に違うのに、そこに突っ込めとな?
- 926 :
- 織田軍が高遠城に夢中になってる時に突っ込めばわからんよ
前線に出張ってたと言われる信忠は後詰に呼応した仁科の出撃で突き崩されてたかもよ
- 927 :
- 後詰めがいないからこそ、城攻めに集中したんだろ。
城攻めに余るほどの兵力がいて、後詰めがいるのに、そっちに兵力割かないとか、どういう前提だよ。
- 928 :
- 新府と高遠の距離
武田軍の地の利
特に勝頼は高遠の城主でもあった訳であの辺りは庭も同然
夜間に新府を出て奇襲しても面白いかもな
- 929 :
- 仮想戦記でも書いてろ
- 930 :
- 岩村城の戦いの時に武田は夜襲で大失敗してるし。武田はやりたくないだろ夜襲
- 931 :
- 岩村城の夜襲話なんて信長公記の捏造話じゃん
実際の所は半年かかっても圧倒的兵力差で武田は後詰なしの絶望的状況なのに自力では落とせず騙まし討ちにしただけだし
- 932 :
- 岩村城は秋山も結局自力で落とせなかったしな。山奥過ぎだろ
- 933 :
- 盟約反故も騙し討ちも信玄さんの得意技でしたね
根をあげて開城降伏の交渉に出向いたら殺されただけじゃん秋山
何処が自力で落とせて無いのやら
つーか前にもやったなあこの話題、そして逃げたなあお前
- 934 :
- 秋山がいつ根をあげて開城降伏の交渉に出向いたんだよ
織田方から和睦の使者が入って岐阜まで出向いたら騙まし討ちされただけだろうがw
- 935 :
- 岩村城なんて東美濃攻防戦の時何回も武田方織田方のとき落ちまくってるじゃん
こんなん堅城でもなんでもないわ
- 936 :
- >>息子すらぶっR悪党信玄
信玄は息子を殺したくなかったんだよ。
つかそもそも殺したとはどこにも書いてないから病死だろうし。
永禄8年5月に富士山麓の勝山で、義信妻(今川からきた)
のために信玄は祈祷してあげてるし、
でも6月に義信は甲斐二の宮美和神社で不穏な集会を開いた。
この出席者の署名のうち17名中4名は名前に花押がない。
これは反信玄決起集会に集まらなかった人々がいた証拠とされる。
そして10月に飯富を親子不仲にする陰謀の罪状で死刑にしてる。
11月には去る6月より文句が多いと三枝昌貞を信玄は叱責してるし、
翌年8月に三枝を含む3人が知行を与えると言う条件で
信玄に反逆を企てたりしませんと信玄に忠誠を誓ってる。
その後に義信の存在がまったく無くなると鴨川氏が指摘してる。
義信は明らかに信玄に反逆し、その態度を改めなかったので自業自得で自滅した。
信玄は父を追放してるだけにそれを黙認するわけにもいかなかっただろうね。
信玄は晴信を殺したとは一次史料にはないしただの急死だろ。
そもそも嫡男殺したのはまずい事だと連呼してるバカ長厨は
江戸幕府を作った家康が信康を殺したことはどう思ってんだw
それに本能寺の変の時に信長は秋田城介(信忠)の仕業か!と言ったと言うから嫡男の謀反は想定内のことだったようだしな。
だいたい自害に追い込んだのは家康だろ!なに混同してんだw
天正6年3月に信康の岡崎城へ岡崎衆の常住を義務づけた家康だったが、
突然9月に岡崎衆に信康へ出仕することを禁止
天正7年8/4岡崎から追放したと8/8に信長へ報告
9/15の銘文で信康の五輪塔。
三河物語には二股城で15日に服部半蔵が自刃の検使だったと書いてるし。
ちなみに2/20に信長の娘の五徳が桶狭間まで家忠らが護衛して送ったと書いてるな。
織田厨ってなんでこんな初歩的なことも知らずに無知を晒すだけでなく
武田義信のことと恥ずかしくもなく混同して書いてんの?
なんでそんなにアホなの?
恥ずかしくて自害する気にならないの?
- 937 :
- >>将軍家仲介の和睦を平気で反故にする信玄
いやいやそんな証拠はいっさい無い。
第三次川中島の戦いの後、信玄に交戦の非難が幕府から届く3月まで
甲越両軍とも戦をした形跡が一次史料からはまったく確認できない。
信玄は反論として謙信の方が従わずに信濃へ出兵して海野地方を放火したと言ってる。
その後、謙信は二度目の上洛して義輝に会っている。
永禄11年3月からの義昭・信長による近じか上洛するからお前ら和睦して
上洛してきて協力しろよ交渉の時も
9月に謙信が武田の使者を抑留して断交宣言するなど、武田側に非は見られない。
(ちょうど謙信は今川氏真との武田挟撃の秘密交渉を成立させていた)
>>朝敵にされても、まったく動じなかった約束破りの常習犯信玄
信玄は朝敵になんてされてねーぞ・・・
むしろ幕府へ宛てた逆賊信長打倒の激文を
正親町天皇が取り寄せて筆写し醍醐理性院に奉納してるほど。
その後の話は同意。信長は何も考えてなかった乱暴者に過ぎない。
>>同盟を破り奇襲したキチガイ信玄
永禄12年正月7日氏照→上杉宛書状で、
このたびの手切れは、年来今川殿駿越ト合、信玄滅亡之企歴然
それゆえ信越雪深いみぎりゆえ駿河仕置きしようとこの一理ゆえに軍を動かした。
と謙信に氏照が、今川が武田に攻められたのも止むを得ないと情勢報告してるから、
信玄が今川を討たないと逆に謙信と氏真に信玄が挟撃されていた。
氏真は三河徳川の攻略を諦め、代わりに武田領侵略に路線変更していた。
ちなみに義昭の斡旋で越後と相模と甲斐の同盟が水面下で動いていたのを今川が察知して焦って
俺を同盟の保証人にしてくれ除け者にすんなよと今川は参入を希望して
そんなの噂だけでねーよwと拒絶されたっぽい。
だとすると今川に内緒にしていた北条も同罪だしな。
武田と北条が上杉と戦っている裏で、今川が上杉と秘密同盟する表裏をしていて、
武田に起承文を出したことまで上杉に報告。
武田が本庄を謀反させ 飯山城攻めし、上杉を追い込んでいる最中にこんな真似をして、
駿甲国境を封鎖するは、謙信に信濃出兵を依頼する始末。
しかし信玄が一揆を依頼したために謙信は越中攻めする必要に迫られて無理だった。
ここにおいて武田が今川攻め開始。明らかに今川が関係悪化をエスカレートさせてる。
と言うか開戦に向けて今川が動いてる。
- 938 :
- >>同盟を破って家康を攻撃した同盟破り常習犯信玄
絶対許さんと書いてるのはたしかだけど
あれは完全に屈辱感から来る逆恨みだろw
つーかそのくせ謙信にビビッて勝頼に和睦要請して拒否られてるのが信長w
1/8 に秋山を呼び戻したと信玄が家康や1/9信長へ謝罪して問題解決済み。
2/18、3/13 家康と謙信が情勢報告をしたりと内通交渉している事実
3/23 市川宛の信玄書状は真偽が疑われている書状であり見当余地ありだが
雪解けするので謙信が信濃へやってくるのは疑いない。
北条と興亡の一戦をやるために甲越の和睦を信長に媒介してもらいたい。
ただいま信長に頼む以外にない。粗略にされては信玄滅亡疑いなし。
この織田厨が得意になって持ち出してくる書状は偽文書の可能性あり。
5/23 信長の配下の武井などへ信玄が出した書状。
遠江の人質も渡したし、その後に北条がやってきたから対陣した。
掛川城落ちたのに氏真が無事に三河経由で尾張へ送られたのは
小田原衆と岡崎衆が会面し掛川籠城衆を
つつがなく駿河へ通過させてやったからで存外のことだ。
すでに氏真と氏康親子は和睦の旨。
家康も誓詞を出してる。この状態を信長はどう思っているのか!
信長も家康に氏真と氏康親子に敵対するように催促するべき。
5/24 氏政から酒井へ 氏真が帰国したし、家康から誓詞も届いた。当方との入魂大慶
完全に家康の方が上杉&北条と入魂して武田を裏切ってますね。
本当にありがとうございました。
ちなみに信玄は家康を信長の配下同然にみてます。
そして信長も三好攻めや北畠攻めなどで東側に介入する余裕もない。
翌年には浅井・朝倉と泥沼の戦いを開始するし。
>>天文22年に謙信が天皇直々の「治罰」令を貰っている。
>>が、それでも信玄はへっちゃらだし、謙信の配下も謀反。
>>後年、謙信と信玄の和睦が成ると信玄は見返りに朝廷から信濃守の官位貰っているが、
>>和睦破りで奇襲し春日山近辺まで略奪。それでも特に不利蒙ったことなし。
この頃の謙信は越後を統治するのも難しい状態で
平子と松本の山俣の領地を巡る紛争は幕府の介入による解決を謙信は依頼してるし
越後守護上杉家の伊達時宗丸養子問題から対立していた揚北衆の抗争もいまだまったく解決できてない。
その挙句に関東管領山内上杉まで越後に逃亡してきた。
そこで混乱する越後統治の正当性と北条化した上野国への対応として天皇権威が必要だったんで
天文22年4/12治罰の綸旨を謙信は貰っているが、
一方の5月には武田も後奈良天皇の綸旨と義輝の御内書をもらってる(村上氏と一進一退の攻防中)
7/23には義輝が嫡男に義の字を与える使者も甲斐に来てる。
8/20には後奈良天皇が諏訪大社に自筆文書を奉納してるが
それには信玄の戦勝を祈願し信濃を安定させた上で禁裏奉公するように頼んでる。
8月中に村上氏との勝敗が完全に決したことから、謙信が危機感を抱き9月に南下開始しており
それ以前の段階である謙信がもらった治罰の綸旨が信玄を朝敵にしたとする曲解捏造は非常に気持ち悪いぞ。
>>朝廷から信濃守の官位貰っているが、 和睦破りで奇襲し春日山近辺まで略奪。
いやいやそんな証拠はいっさい無い。
第三次川中島の戦いの後、信玄に交戦の非難が幕府から届く3月まで
甲越両軍とも戦をした形跡が一次史料からはまったく確認できない。
信玄は反論として謙信の方が従わずに信濃へ出兵して海野地方を放火したと言ってる。
織田チョンってほんと偏執的に武田貶しに必死だが、毎回無知を晒して真性のバカじゃないのかw
- 939 :
- 元亀3年7/7付けで信玄が小里氏の背後に信長の後援があり残念でならないがとりあえず許すと見て見ぬ
フリをする方針にしたことを述べていて織田との抗争にならないよう配慮してたら
信長が11/15に岩村城を奪った小里内作へ書状を出してる。
明らかに信玄は信長との信義を守っていたら裏切られてる。
>>信長が和睦をかなり武田寄りの立場で仲介する意志
謙信と信玄の和睦の仲介は元亀3年7月はおかしい
元亀2年だと柴辻が2009年に主張して反論はいまだ無し。
家康に至っては謙信との書状の中で「信長と信玄の間をどうやっても裂いてやる」と書いてるキチガイぶりだぞw
そもそも元亀3年に和睦仲介してるのは信玄。本願寺と信長の和睦交渉を仲介して努力してたのに
信長は東美濃で小里氏を支援してた。それを察知した信玄だがそれでも最初のころは見逃して我慢していたんだが。
>>諏訪氏を裏切った信玄
武田と村上と諏訪は同盟していたはずなのに諏訪氏が突然、
関東管領上杉の軍勢を信濃に呼び込んだ挙句に
佐久郡を管領軍と分割してしまう背反行為に
諏訪と同盟していた武田と村上が激怒した挙句に、武田が管領軍を大破し
信濃で孤立無援となった諏訪氏が滅亡するのは当たり前です。
【むしろ信長の方が裏切り三昧の悪党です】
まぁ、信玄西上の頃の織田の石高なんて
美濃ですら信玄に内応してるし、伊勢一向衆が岐阜の近くに砦を構築してるし
かなり削りとられているし
近江だって街道の維持すら不可能で、柴田らが琵琶湖を渡海して大津へ移動してるし
蒲生まで朝倉に内応してるし
石高ですらも武田以下だろう。
バカな織田厨は最低でも300万石以上とか言ってて池沼ぶりを発揮してるがw
信玄死んでないなら、吉川軍が丹波へ突入して丹波の赤鬼の赤井と合流しちゃうし
三好軍は京の西端の桂川以西に駐留しちゃってるし
六角義堯の書状から四国から大規模な三好軍の上陸が開始される寸前だろうし
完全に織田が終わってるのは明らか。
一度決着のついた話を繰り返すのは無駄だからテンプレにこれいれよう
・武田が織田・徳川に騙し討ちをしかけた⇒織田厨のデタラメ
- 940 :
- 東美濃攻防はガチンコのぶつかり合い。激しく感状を出した後に再奪回されたりしてる。11/15に信長が岩村城を取ったと聞いたから
私も出陣する。川尻と信広から聞いてくれと小里に書状を出してる。しかしその日付以前に再び武田が岩村城を奪回して
11/9に山村らに感状を出してる。これにより岩村城の武田所属が確定し、信玄も岩村城に兵を移動させたから来春は美濃攻めると書いてる。
岩村城は11/14よりもう少し早く開城してるだろう。その報告を信長が得て11/12に赤沢、
11/15延友に急いで替地をあてがう書状を出して動揺を押さえようとしてる。
岩村城攻防では武田所属を確定させた軍事的結果を出した川尻と信広もやってきての
上村合戦みたいなものがあった可能性も高い。ちなみに苗木城主遠山直廉の娘は高遠城主武田勝頼と
永禄9年に12歳前後で婚姻していて、勝頼後継者の信勝を産んだが死んでしまった。信玄が元亀3年に絵馬と鍋山らの呼応を得て
木曾勢による飛騨攻めした際に直廉も参加し、その時の矢傷を受けたのがもとで亡くなった。
7/7に信玄は岩村城の景任と苗木城の直廉宛に小里を時期を見計らって成敗するように言っており
苗木城も武田方だった。だから後年に勝頼の明知城攻めの時も妻の実家の苗木城だけ攻められなかった。
苗木城も武田方だったんだろうね。どう考えても織田が岩村城を奪回して
秋山を討つまでは苗木城が織田方として持ちこたえていられるわけがない。
信勝に弓を引くとか考え難い。
信玄は元亀元年7/19に天台座主のトップの交代で新座主に猿の絵を送って祝福してる。
天台宗といえば比叡山であり、その比叡山には日吉神社があり延暦寺の守り神とされ、猿は日吉神社を象徴していた。
つまり信長が比叡山を焼き討ちした元亀2年9月に信長は信玄へ挑発したも同然の悪行をしている。
永禄12年正月7日氏照→上杉宛書状で、このたびの手切れは、年来今川殿駿越ト合、信玄滅亡之企歴然
それゆえ信越雪深いみぎりゆえ駿河仕置きしようとこの一理ゆえに軍を動かした。
と謙信に氏照が情勢報告してるから、信コが今川を討たないと逆に謙信と氏真に信玄が挟撃されていた。
氏真は三河徳川の攻略を諦め、代わりに武田領侵略に路線変更していた
元亀3年10/18付け河田宛の謙信書状による反論でありその文中には「遠山号岩村認候処 城主取合 敵数多討捕 敵追払候」
と抜き出して柴辻が論を展開してるだけなので忠実に一字一句の抜き出しも付け足しもしてないので
別に歪曲したり捏造などしてない。そしてこの柴辻への反論はまったくなされてなく
無血開城論などすでに廃れた話で現在は誰も無血で譲渡されたなど書いてない。
さらに武田方の遠山氏が勝ったなどとこちらは一度も書いてないのに
「織田にボッコボッコにされ」などと得意がっててバカ丸出しの織田厨だが
結局、この信玄死去に至る経過において岩村城周辺でボッコボッコにされまくったのは織田方な事実はスルーw
信長公記は信長に不利になることは一切書かれてない。つまり武田の動きが書かれてないのも書けないから。
ちなみに岩村城を元亀3年9月に小里氏の協力を得て織田信広と川尻を派遣し、信長五男御坊丸を遠山に養子に入れて
城主にしたことで信玄は怒っていた。それで11月には岩村城が武田に取り返され、11/9にはその戦功として
信玄が山村七郎右衞門に美濃千檀林と茄子河領300貫加増の書状を出してる。
信長は(恵那市中野)安弘見に領地を持つ延友佐渡に替え地を土岐郡釜戸に扶助したのが11/15、
加茂郡安弘見郷(白川町)の赤沢右近の代替地に各務郡蘇原郷を扶助してる。
あきらかに武田方が11月中にはすでに、加茂郡や恵那市周辺まで進出しており、
信長が必死に裏切らないように領地を宛がって離反を食い止めようとしてる。
- 941 :
- 騙し討ちは信長の得意技だろw
百姓一揆相手に騙し討ちして逆にボロクソにされる織田軍www
- 942 :
- 今に伝わってる信忠の猪武者ぶりも豊臣と徳川の時代に貶められてる可能性もあるからなぁ
織田の正当性を否定しないと成り立たない政権が続いたから
- 943 :
- 具体的に何という史料で史実の信忠と比べてどう貶められてるか書かない限りお前のアホ妄想にすぎん
- 944 :
- そもそも光秀に殺された信忠ごとき貶める必要すらない
秀吉の場合三法師を織田家家督に掲げて織田政権簒奪をもくろんだのだから
信忠を貶めたら余計に織田の後見としての名分もなくなる
家康の場合は秀信なんぞはなから政権争いの蚊帳の外なので貶めようが崇めようが影響度は0
- 945 :
- 武田を滅ぼされた恨みは大きいのであった ちゃんちゃん
- 946 :
- 川尻や滝川ら首脳部からガン無視され
直属の部下の森や団にもシカトされる信忠・・・
- 947 :
- むしろ部下が暴走して信忠を軽んじてるからこそ
高遠城でのあの無謀な指揮につながったんじゃないかな?
DQNを従わせるには蛮勇を見せざるを得ないというか
- 948 :
- 部下が暴走するも何も信忠が焚き付けてるし
本当に森や梶原が信長も信忠も無視してたら即効打首ですわ
信忠も森や梶原を怒るどころか感状まで出しちゃう始末
- 949 :
- 感状なんて結果オーライで出すことは珍しくないからなぁ
- 950 :
- 暴走だったら何のお叱りもないってのは凄い違和感あるけどな
例えば前田利家は謹慎中に勝手に桶狭間出陣して武功立てたらしいけど
信長はそれでよくやった帰ってこいとは言ってない
- 951 :
- だがさんにとって真実は重要じゃないからねぇ
- 952 :
- いや、だがさんにとっての真実は重要だぞ
コピペ爆撃でスレ潰すくらいには
- 953 :
- 嘘か真実かは問題ではない。
信玄にとってプラスになるかマイナスになるかが重要。
- 954 :
- 流し読みしてたから気づかなかったが、
4月に信忠が森に武田攻略の武功の感状だと?
嘘吐いてんじゃねぇよwww
信忠無視して進軍したからそんな感状なんて出されてねーよ。
お前、東美濃から北信濃の川中島に転封になったら、
新領主に対する一揆が発生したので、それを鎮圧したことを褒めた書状のことだろが。
しかも偽書状写しの疑いが高く、
差出人が信忠だったり、信長だったりしてハッキリしない写しだろが。
- 955 :
- 誰と戦っているんだ?
- 956 :
- >>955
ふっ
お前には見えないだろうが
インターネッツは敵だらけなんだよぉ!
- 957 :
- 織田厨連続涙目w
- 958 :
- >>954
武田攻略の武功なんて一言も言ってないがw
勝手に誤認したのを捏造だと言い張るのは日本語できない人だけだぞw
挙句勝手に齟齬認定して感状を偽物扱いw
信長信忠双方が同じ感状を出したとかいくらでも言えるのにw
- 959 :
- これはひどい
- 960 :
- 話の流れを無かったことにする織田厨得意の逃げ口上www
- 961 :
- 「話の流れ」なんてものが有ったと思い込んでいることに驚いた
- 962 :
- 限りなく卑怯者織田チョン
- 963 :
- 森や団すら統御出来ない信忠じゃ、
柴田や秀吉や池田や丹羽を統御できるわけねーよな。
- 964 :
- 家臣と制御する事が将の役目ではない
家臣を活かす事が将の役目なのだよ
- 965 :
- パワハラ&ブラック待遇企業が将を活かすとか言っちゃたから部下に下克上され虐殺される織田親子www
- 966 :
- 織田ほど身内優遇のホワイトなんて存在しないだろ
戦死した森坂井塙、追放した佐久間の息子達は信忠につかせて既定の出世ルート
板垣甘利ら老臣一族を退けて挙句板垣の息子の腹切らせた某家の方がよほど酷いw
- 967 :
- 佐久間や林や安藤や丹羽氏勝とか突然リストラされるなんて超ブラックじゃんw
- 968 :
- でも佐久間は自分でその道を選択したんだぜ
普通なら頑張って名誉挽回しますだろ
- 969 :
- それが可能ならやってるだろアホか。
- 970 :
- 可能だからこそ信長も奮起を期待してるわけだが
働かないやつが首切られても仕方ないだろ
あ、お前は働いてないからそれが解らんのか、すまんな^^;
- 971 :
- 織田のバック無しに
毛利、長曾我部、上杉、北条、武田、高野山と言った敵のうち、
どこの敵を佐久間独力で平らげることが出来んだよ?
- 972 :
- アスペルガーだが自作自演大爆発!
ID:l3hgUjnC(レス数5)
ID:ph0Dv9LL(レス数8)
レス数の合計は現時点で 13
おまえ馬鹿すぎて笑えるwww
- 973 :
- >>971
前田利家はほぼ同様の言い回しをされて、首取っただけで帰参できたけどな
- 974 :
- >>973
へぇ。その一次史料を出してくれないかね?
だいたい若く槍の又左と呼ばれてた若き日の利家とは違い、
信盛が言われた時は年齢的にも不可能じゃねぇか。
すぐ死んじゃうあたり、すでに闘病生活してたんじゃねぇの。
- 975 :
- だがさんも闘病生活大変だな。ちっとは良くなったかい
- 976 :
- >>975
で、一次史料はまだなのか?
- 977 :
- 来るやつ来るやつが皆同じに見える病気らしい
妄想で信長が悪逆非道に感じ信玄は聖人君子に見える不治の病
- 978 :2013/04/30
- 今日はいろんなスレでハッスルしてるな。
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