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2013年06月ビートルズ55: 【bayfm78】ビートルズから始まる。9【小林克也】 (271) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【bayfm78】ビートルズから始まる。9【小林克也】


1 :2013/02/01 〜 最終レス :2013/06/20
bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組
番組内コーナー
・ビートルズ・カレンダー
・ビートルズ・ストーリー
・リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)

前スレ
8 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1341307124/
7 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1320067779/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/

2 :
では、1月27日の初めから。

3 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年1月27日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(1月27日)
 ・1970年(今から43年前の今日)
  もうビートルズは解散しています。
  ジョン・レノンが急に思い立って、「インスタントカーマ(Instant Karma)」、お馴染みの曲かな?。
  ジョン・レノンになると、ちょっとビートルズほどポップスじゃないからね。
  ここらへんから、ちょっとビートルズファンも分かれてくるんですよね。
  「インスタントカーマ」はちなみに、ジョン・レノンの曲としては大ヒットするわけですが。
  インスタントカーマを思いついて、その日の夕方すぐスタジオに入ります。
  これはすごいんだよねえ。夜の7時に、もうスタジオ3だから、いつものスタジオとはちょっと違うのかな。
  そこで録音を開始して、そのうちに、朝までかかったかどうか知りませんけども、
  その日のうちに出来ちゃって、ミックス作業も終えて、10日後の・・・
  これねえ、ほんと10日後、店にレコードとして出るっていうのは、もう考えられないことですよね。
  いかにもうビートルズが神様みたいな存在だったか、ジョンがすごかったか、ポールがすごかったか。
  「とにかく出せ!」ってことで出たわけです。
  で、ジョン・レノンはプロデューサーにフィル・スペクター(Phil Spector)を頼みます。
  で、これが気に入るんですよね。
  ただ、ものの本によると、フィル・スペクターはいろいろ楽器の追加を要求したらしいのよね。
  で、最後に「ストリングスも入れようよ」っていうことで、ジョンは「ちょっと、それは待ってくれ」っていうことで
  ストリングスは入れなかったんですけども。
  ジョンはフィル・スペクターの仕事は大いに気に入って、このあと何十曲も録音して、カバーバージョンとかね。
  「もうこれは、どうにも出来ないよ」っていうふうな、有名なアルバム、知ってますか?
  「レット・イット・ビー(Let It Be)」のアルバムをプロデュース、フィル・スペクターに頼むことになるわけですよね。
  

4 :
  さあそれでは、その「思い付いた」っていう、
  思い付いて、もうはっきり言って10日後には店に出ていた、ていう。
  ジョン・レノンだから出来るような技だと思いますが。
  ジョン・レノンの「インスタントカーマ」をもう一度。
  
  〜 John Lennon / Instant Karma
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F3qvosHHcWc
  (小林)どうですか?ジョン・レノンの名曲「インスタントカーマ」
  これ、思い付いてそのうちにやっちゃった、ていう。
  バックはギターにジョージ・ハリスンだとかビリー・プレストン(Billy Preston)だとか。
  まあ名義でいくと、プラスティック・オノ・バンド(Plastic Ono Band)っていう事になるんでしょうかね。
  ドラムスがアラン・ホワイト(Alan White)で、ベースがクラウス・フォアマン(Klaus Voormann)っていう、こういうバンドでやって。
  やっぱり、これはジョンらしいですよね。
  ビートルズの頃は、おそらくジョンとポールの区別が、そんなにできない。
  まあ、ものすごく聴き詰めると判るわけですけど。
  だけど、ソロになってから正体が判ってきますよね。
  だから、こういうジョン・レノンが一番好きだ、という人もかなりいます。

5 :
□ストーリー
 ・「カントリー、ウエスタン、ロックンロール、スキッフル、ザ・クォーリメン。出演予約 受け付けます。」
  と書かれた名刺を持って、駆け出しバンドのクォーリメンのマネージャー=ナイジェル・ウォーリーは演奏場所探しにがんばっていた。
  バンドを結成してから数カ月経った1957年の夏の初めになると、クォーリメンにもボツボツと仕事が入るようになり
  高校生バンドにしては、そこそこ名前も知られるようになっていた。
  こうしてメンバーは、青春の1ページとして演奏を楽しんでいたが。
  バンドのシンガーでリーダーである少年だけは すでに「自分はもっとビッグになる」ことを予測していた。
  少年の名は ジョン・ウィンストン・レノン。
  後にビートルズのフロントマンとしてロックの世界で頂点に立つ男、ジョン・レノン。
  そしてこのレノンの前に、もう一人の天才が現れることになる。
  少年の名は ジェイムス・ポール・マッカートニー。
  マッカートニーもまた、ビートルズの二枚看板の片方としてロックの世界の頂点に立つ人物であることは言うまでもない。

  ポールの生まれ育ったリバプールの家では、音楽は途絶えることがなかった。
  父親のジム・マッカートニーは、戦前には「ジム・マック・ジャズバンド」を率いて活躍していたローカルのミュージシャン。
  このマッカートニー家のリビングには、かつて経済的に余裕のあった時代に、地元のNEMS(North End Music Stores)で買ったアップライトピアノがあった。
  たまに時間が空くと父親のジムはこのピアノのふたを開け、好きだったジャズのスタンダードナンバーを弾いてくれた。
  この数年前に、優秀な看護師として病院に勤務していた妻のメリーをR癌で亡くして以来、ジムは経済的にも落ち込み笑顔を忘れていたが、もうすっかり立ち直っていた。
  二人の息子、中学生のポールとマイケルのために「仕事も家の事もがんばらないと」ジムはそう心に決めたのである。
  「ああ…、うちはやっぱり裕福じゃないんだな」15歳の少年ポールは、その事実をしっかり受け止めていたのであった。

6 :
  〜 The Beatles / Honey Pie 
  ttp://www.youtube.com/watch?v=BTuOAPE-LOo
  〜 The Beatles / Till There Was You
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Mr5gCdUXJQY
  
  (小林)Honey PieそしてTill There Was You と続きましたが。
  ロックファンは、「ビートルズの、この初期の頃は、ぜんぜんロックじゃないね」wって思う方もいるかもわかりませんけど。
  彼らが14〜5歳の頃の話しをしているわけですが、そのころはロックは全体のマーケットの10%にも行ってないからね。
  だから、この時代は、特にポールなんかは昔のものを、お父さんを通して、ばっかりじゃなくて、自分で常識として持っていたんじゃないかと思われますね。
  Till There Was You もアメリカではペギー・リー(Peggy Lee)のヒットでお馴染みです。
 
  で、あと Honey Pie お送りし致しました。

7 :
□ストーリー(続き)
 ・「中学生のポールとマイケルのために、仕事も家の事もがんばらないと」ジム・マッカートニーはそう心に決め、仕事に家事に子育てに励んだ。
  その一方で「ああ…、うちはやっぱり裕福じゃないんだなあ」15歳の少年ポールは、その現実をしっかり受けとめていたのである。
  もちろんジムにとって、家事、つまり家庭内の雑務はまったく未知のものであったが、彼はガマン強く少しづつ全てを身に付けていった。
  料理も 裁縫も 洗濯も アイロンがけも自分で覚えた。
  毎日綿花市場での仕事を終えると、急いで肉屋と八百屋に行き、リバプールのアラートン地区にある家に帰って掃除を済ませて、ポールとマイケルの夕食を作る。
  ジムの姉妹、つまりポールとマイケルの叔母さんたちもそれぞれ週に一度やって来て、丸一日かけて家中をきれいに掃除してくれた。
  近所の女性やその娘たちも、何かあればすぐに駆けつけた。
  ポールとマイケルが学校から戻って来れば、たとえ家に誰もいなくても、メモが残され、どこに何があるかが判るようになっていて。
  暖炉にはすぐ火を起こせるように、薪と焚き付けに使う古新聞が置かれていた。
  ポールの父親ジムも、ジョンの育ての親である伯母さんのミミと同じく「我が家からは絶対にテディボーイを出すまい」といつも眼を光らせていた。
  ただ問題は、ジムは一日中仕事で留守にするために、ポールとマイケルだけで床屋に行かせ、洋服も子供たちだけで店に行って選ばせるしかなかった。
  ということ。
  
  ジムが不思議に思ったのは、二人の息子のうち取り分けポールが床屋から帰ってくると、
  なぜか髪が盛り上がっていて、髪を切る前よりもむしろその分量が増えているように見えることであった。
  さらにヘアスタイルだけでなく、服装をめぐっての争いも繰り広げられた。
  ポールが身に着けるズボンの裾が日に日に細くなって行くのである。
  当時これは「ドレーンパイプ(drain pipe)」「排水管」と呼ばれていたデザインのもので。
  それはまさに、「テディボーイの制服」とも言えるスタイルだったのである。

8 :
  〜 Paul McCartney / Teddy Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Os8qC2vSEBI
  
  〜 Ringo Starr / Liverpool 8
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OM34giD4o4w
  (小林)いやあ、これはけっこう盛り上がる曲(2曲目)ですよねえ。
  リンゴ・スターの Liverpool 8という、
  これはリンゴ・スター自からが作曲。
  そしておそらくプロデューサーのデイブ・スチュアート(Dave Stewart)
  デイブ・スチュアート知ってますかね?、みなさん。
  80年代のあの「ユーリズミックス(Eurythmics)」知ってますかね?
  ユーリズミックスの人ですね。
  デイブ・スチュアートがプロデュースして、作曲も手伝ったりしていますけど。
  まあ、リバプールを出て行かなきゃいけなかったわけですよ、ビートルズだから、ね。
  でも、名を辱めるような事はしなかった、ていう。
  ちょっとドラマチックなビートルズの歓声も、ビートルズに対するファンの歓声も、盛り込んだり。
  それから、後半のリバプールの叫びは、サッカーを思い出す人が多いんじゃないでしょうかね。
  その前は70年の、ポール・マッカートニー、ソロアルバムの中に入っています。
  ポールらしい Teddy Boy。

9 :
□ストーリー(続き)
 ・後にビートルズの音楽的な中心人物として、ロック界の頂点に立つ男ポール・マッカートニー。
  彼の少年時代は幸せだった とは言い難い部分がある。
  最愛の母親で病院の看護士長というキャリアを持っていたメアリーを、ポールは中学生時代にR癌のために失っている。
  そのため、母親の愛情ばかりではなく、経済的な面でも大きな打撃を受けた。
  もちろん、残された父親ジム・マッカートニーは仕事と家事そして育児の全てを一人で背負い込みがんばった。
  しかし、男親の限界はある。
  それに長男のポールが思春期の真っただ中とあれば、それもなおさらのことであった。
  一番の心配事は、ポールが床屋から帰ってくると、なぜか髪が盛り上がっていて、髪を切る前よりもむしろその分量が増えていたこと。 
  そしてもう一つ、ポールが身に着けるズボンの裾が日に日に細くなって行ったこと。
  当時これは「ドレインパイプ」「排水管」と呼ばれるデザインのもので、まさに「テディボーイの制服」とも言えるスタイルだったのである。
  
  それに気付いたジムは、ドレインパイプを禁止して昔ながらのキチンとしたシェイプに戻すように命令した。
  しかしポールも15歳、黙って父親の言いつけを守るわけがなかった。
  ポールは父親の出した条件に適うズボンを買ってくると、一度父親に見せ、それからこっそり仕立て直し専門の洋服屋へ持ち込んだ。
  もちろん父親には内緒で、裾は細く丈は長めにと注文を付けるのである。
  直しから上がってきたドレインパイプのズボンをポールは涼しい顔で身に着けた。
  もちろん、父親のジムの眼も節穴ではない。
  ジムもすぐに気付き、ポールを問い詰めた。
  しかしポールは しっかりウソの理論武装で応戦したのである。
  「お父さん、だいじょぶだよ、このズボン。学校の生活指導の先生も大丈夫って言ってたよ。
  だって、こんなの、街じゅうの男子が穿いてるんだから、心配なんかいらないって。」

10 :
  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P7FJFKC8bLg
  〜 The Beatles / I should have known better
  ttp://www.youtube.com/watch?v=vJImvBHeo8Q
 
  (小林)2曲続きましたね。
  Long Tall Sally もう、ポール・マッカートニーのこれはもう おはこ(十八番)ですからね。ビートルズのね。
  
  そして、やっぱりビートルズはジョン・レノンのボーカルをポールの後に聴くと、座りがいいですよね。
  I should have known better これも1964年「ハードデイズナイト(A Hard Day's Night )」のアルバムから。

11 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしておりますので。
       <中略>
  beatles@bayfm.co.jp
  こっちで待ってます。
  (川崎市/男性)50歳
  私がビートルズを知ったのは中学校の音楽の授業。
  教科書に「イエスタデイ」の楽譜が載っており、この切ないメロディに心を打たれました。
  またそのあと、「レットイットビー」や「ヘイジュード」など、どこかで聴いたことのある曲が彼らの楽曲と知り、ビートルズが大好きになりました。
  今でも家の掃除をする時や車の運転中によく彼らの曲を聴いています。
  その影響か、19歳になる浪人中の息子もビートルズをたまに聴いているようです。
  今日はそんな息子が「ノリが良くて好きだ」と言ってるこの曲。
  (小林)
  これは元々ジョン・レノンのおはこ(十八番)だったんですよ。
  でも、ジョージがリードボーカルを取る曲が無いっていうんで、やっぱりリーダーのジョン・レノンが気を使ってね。
  「おまえ、歌っていいよ」っていう、歌わせた Roll Over Beethoven!
  〜 The Beatles / Roll Over Beethoven
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rchp-dOc7EY

12 :
  〜 Earth,Wind & Fire / SEPTEMBER
  ttp://www.youtube.com/watch?v=2S8ZrQG0y6g
  (小林)ビートルズのロックンロールからね、Earth,Wind & Fireが聴こえると、またちょっと新鮮な感じですよね。
  
  (府中市/男性)
  40年以上も前からラジオを聴いていますが、一昨年の地震と津波以来いっそうラジオを聴いている時間が長くなりました。
  先日ビルボード東京でアル・マッケイ・オールスターズのノリノリのステージを見に、いや踊りっぱなしでした。   (小林)行きました?。
  いつもは娘とだけ一緒だけど、初めて息子も一緒に三人で行きました。
  生のステージの迫力に息子も喜んでいました。
  いろいろあって、今は子供達とは別々に暮らしているけど、息子も少しづつ立派な男になって来ました。
  プレゼントまで用意してくれていました。
  帰りの電車の中、一人プレゼントの重みをかみしめていました。
  リクエストはそのステージで踊りまくっていた、Earth,Wind & Fireの SEPTEMBER。

13 :
  (小林)
   SEPTEMBERっていうのは、ギタリストだったアル・マッケイ(Al McKay)も曲作りに参加してる曲で。
  まあ、アル・マッケイというとね、Earth,Wind & Fireのスタイルを作るのに、リーダー座長のモーリス・ホワイト(Maurice White)に並んで力があった人ですけども。
  今は辞めてますが。
  アースの「♪got to get you into my life」ていう、あの有名な曲をカバーしているのもお馴染みですが。
  実はアル・マッケイは1970年代の初めにね、ジャクソン5ほど人気がなかったのかな?、黒人のファミリーグループが日本に来たんですが。
  その時に彼は「コンサートマスター」としてね、ギター一丁で日本のバンドを率いて、バックを出来るようにって。
  コンサートマスターとして来ていました。
  も〜のすごくギターが上手い人だったんですよ、彼は。
  それで僕は、絶対ね、例えば、黒人のギタリストだから、
  例えばスライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly and the Family Stone)だとか、ああいうファンキーなやつを聴いてると思って、
  でっかいカセットデッキをチェックしたんですよ。
  そしたらねえ、エルトン・ジョン(Elton John)とかね、ビートルズですよ、彼が一生懸命聴いていたのは。
  「ああ、勉強してんだなあ…」と思いました。
  そういう僕とのRがあったんですね、アル・マッケイ。
  オーケストラで、自分のオールスターズで、アース(Earth,Wind & Fire)じゃない別の営業で稼いでるみたいですが。

14 :
  (千葉県山武郡/男性)16歳
  ジョン・レノンの Only Peopleです。
                      (小林)いやあ、ありがとう。これ、ねえ、なかなかリクエスト来ない曲だよ。
  中学の頃これを歩きながら聴くのが好きでした。
  周りの風景が音楽と一致して、すごく楽しい散歩にすることができる曲だと思います。
  (小林)
  もし聴いていたら名前を早く聞かせてください。
  イシイ食品から例のモノを送りますから。w
  どうも、こんな曲リクエストくれて ほんとにありがとう。
  
  〜 John Lennon / Only People
  ttp://www.youtube.com/watch?v=JC6aOZTNrLo
  〜 The Beatles / Please Please Me
  ttp://www.youtube.com/watch?v=MBfsrVIm9yI
  
  (板橋区/男性)
  ビートルズの詩は 二つの意味があるものが多くあると言われています。
  自分が感心したのは Please Please Me。
  Pleaseは日本語でもよく使う「どうぞ」の意味。
  そして次の Pleaseは「喜ばせる」。だから訳すと「どうか私を喜ばせて」になります。
  すごいですね。他にも自分で気付いて無いのがあったら教えてください。
  (小林)
  これはねえ、あなた間違えている。
  ジョンの好きな「言葉遊び」に過ぎないんですよ。
  だから日本語にすると「ダジャレ」なんですよね。
  昔のね、ビング・クロスビー(Bing Crosby)なんかが歌った曲の「Please please me」ていう歌詞がある歌があるんです。
  それから取ってるやつで、ただビートルズがやると、そこのとこが裏声をはさんだ“ハモり”になるんでPlease Please Meがすっごい新鮮に聴こえる技。
  それを発揮してるわけですね。

15 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
 
  リクエスト、ほんとにありがとうございますね。
  「話し」の方は来週はもっともっと面白くなりますから、よろしく。
  
  リクエスト、メールアドレスは
  beatles@bayfm.co.jp
  採用の方には(略)
  
  面白いことを書く必要はないですよ。
  ただ、あの、なんというのかな、気の利いたことを書いて…
  あ、まあ、どうでもいいですw
  ワガママなリクエスト待ってます!。

16 :
2012年12月4日放送の 「スペシャルパーティ」の一部を見つけました。w
ttp://www.youtube.com/watch?v=xai2DpU_Dx0
ゲスト:平原綾香 Chika
曲:「スマイル スマイル / 平原綾香」
  「In My Life / 平原綾香」
  「Jupiter / 平原綾香」
ギター:古川昌義 
ピアノ:扇谷研人
  「Let It Be / 平原綾香&Chika」
ピアノ:田中祐士 

17 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年2月3日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 2月3日)
 ・1966年(今から47年前の今日)
  ロンドンの有名なナイトクラブで、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)がショーをやりました。
  それをポール・マッカートニーが見に行った。
  ポール・マッカートニーはスティービー・ワンダーやモータウンの大ファン。
  四人の中でモータウンに一番影響されたのはポール・マッカートニーだと言われていますが。
  スティービー・ワンダーは、まだ十代です。
  スティービー・ワンダーにとってビートルズは、すごかったんじゃないかと思いますよ。
  スティービー・ワンダーもそりゃもうね、アメリカでナンバーワンを飛ばす大シンガーになってるわけですど。
  まだ、十代のガキですからね。
  もうビートルズが、眩しくてしょうがなかったんだと思いますよ。
  事実、それから2〜3年経つとスティービー・ワンダーは、やっぱり目覚めて、自分で曲を書くようになって。
  「トーキングブック(Talking Book)」から3枚4枚ぐらいのアルバムを出す間はですね、音楽の世界にビートルズと同じように革命をもたらします。
  これはなかなか、ビートルズの偉さが今伝わって、スティービーの70年代の偉さっていうのは伝わってないんですけども。
  だから、スティービーはポールからすごい刺激を、ビートルズから刺激を受けることになる。
  それが今から47年前の今日始まったっていうことですね。
  なお、ポール・マッカートニーはモータウンの音にまいっていました。
  特にポール・マッカートニーがファンだったのが、ジェイムス・ジェマソン(James Jamerson)ていう ベースプレーヤー。
  この人のベースはファンが多いです。
  ベースが単なるリズム楽器的な役割じゃなくて、ハーモニーを決めちゃう。
  大きく曲の色を変える役割さえ持つようになったジェイムス・ジェマソンのベースのファンだったわけですね。

18 :
  スティービーの この頃ヒットして、アメリカで3位ぐらい、イギリスでもヒットしていた曲があるんですけども。
  これは、カバーバージョンです。
  ベースは、もちろんジェイムス・ジェマソンが担当しています。
  だからみなさん、宿題がありますw。ベースも聴くようにw。
  スティービー・ワンダーのボーカルもちゃんと聴いてください。
  若いスティービー・ワンダーです、Up-Tight。
  〜 Stevie Wonder / Up-Tight 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=otJsDVCkrfI 
  (小林)モータウンの代表的なスティービー・ワンダー、この頃はモータウンのスターだったわけですね。
  Up-Tight、1966年頃のヒット曲ですが。
  面白いですね、ポール・マッカートニーはモータウンの影響を受けている。
  このモータウンのスティービーの Up Tightていう曲はですね、実はボブディランなんかの影響を受けているんですよ。
  歌詞だとかノリがね、ボブディランぽい曲なんですよね。
  ただ、アレンジが違うんでモータウンの音になってるわけですね。
  Up TightとかOut Sightとか、この頃の大流行語をね、ちゃんとコマーシャルに作った、プロのプロたちが作った曲なんですけども。
  それをスティービーが歌っていた。
  つまり、影響っていうのは、お互いに影響しあうんですよね。
  昔のものを聴いて新しくしたりとか、それから、同時代のものから頂いたりとか、面白いですね。
  スティービー・ワンダーとポール・マッカートニーは、あとで有名な共演をすることになりますよね。
  わかってますか?
  言った方がいいですか?w
  「エボニーアンドアイボリー(Ebony and Ivory)」ですねw。
  ハイ。

19 :
□ストーリー
 ・「お父さん、だいじょぶだよ、このズボン。学校の生活指導の先生も大丈夫って言ってたよ。
  だって、こんなの街じゅうの男子が穿いてるんだから、心配なんかいらないって。」
  この言葉の主は、ジェイムズ・ポール・マッカートニー。
  のちにあのビートルズの音楽的なリーダーとして全世界のロック界のトップに立ち、現在ではイギリス王室から「サー」の称号を授かり
  その資産評価額もイギリスの国内でトップに君臨する人物、ポール・マッカートニーである。
  この時ポールはまだ15歳の高校生。
  数年前に母親を亡くし、当時は2歳年下の弟マイクと、リバプールの綿花市場で働く父親のジムとの3人暮らし。
  当時のイギリスの女性としては、そう悪くはない病院の看護師長としての給料をもらっていた妻のメアリーを失ったジムとしては、
  自分の安い給料だけで、家事と育児もしながら暮らして行く というのは、かなり厳しい状況であった。
  そしてジムは生活苦以上に、かつて経験したことのない場面に出くわすことになる。
  それは他ならぬ長男ポールの思春期への突入であった。
  1956年、エルビス・プレスリーを初めとするロックンロールの台頭もさることながら、ポールもやはりジョンと同じ「スキッフル」の洗礼を受けた。
  そのスキッフルの大スター=ロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)と彼のスキッフルグループがリバプールにやって来て、エンパイアシアターでコンサートを行った。
  ポールは昼休みに、ポールの通う高校リバプール・インスティテュートの友達と出かけて行き、
  このスターシンガーがやって来る瞬間を一目でも見られないかと、会場の外で待っていた。
  かなり遅れて来たドネガンは、そこに集まっているファンの工場労働者たちが「これじゃあ仕事に遅れてしまう」って聞いて、彼らのために一筆したためた。
  「御社の社員の皆さんが、午後からの仕事に遅れたのは、リハーサルに遅刻した自分のせいです。彼らのせいではありません。」
  「ファンに対する このスターの、あまりに親切な気配りを一生忘れない。」と後にポールは語っているほど、心に残る出来事であった。

20 :
  〜 Lonnie Donegan / Lost John
  ttps://www.youtube.com/watch?v=CfzGhyx3R_U
  〜 The Beatles / I've Just Seen a Face 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dlKDgmiHVB8
  (小林)いかがですか?
  ポール・マッカートニーたちが憧れていたロニー・ドネガンの Lost John。(1曲目)
  これは1956年。
  約10年ね、まあ9年経った「HELP」のアルバムの中にはこの I've Just Seen a Face(2曲目)が入っていました。
  やっぱり、影響を受けていますよねえ。
  はい。2曲続きました。

21 :
□ストーリー(続き)
 ・1956年。
  15歳になる年に、当時リバプール・インスティテュートに通う高校生であったポール・マッカートニーは「スキッフル」という流行の音楽に夢中になった。
  イギリスに古くから伝わるフォーク音楽にアメリカ南部のブルースのフィーリングを加えたこの「スキッフル」は
  イギリスだけではなく、大西洋を渡ったアメリカでもヒットするほどのブームとなっていた。
  そのスキッフルを代表するスターの名は、ロニー・ドネガン。
  ポールはリバプールにやって来たドネガンを見て以来、自分でギターを弾いて歌ってみたいと思うようになった。
  幸運なことに、自分もピアノやトランペットを演奏しアマチュアバンドで活躍していた父親のジムは、
  息子たちにはどんな楽器でも 大喜びでやらせようとする人間であった。
  家にはすでに、ピアノのほかジムの愛用する楽器がいくつかあった。
  最初ポールはトランペットにチャレンジしようとしたが、すぐに上唇が腫れ上がった。
  つまり、唇の形がトランペットには不向きだったのである。
  それにポールは、楽器演奏よりむしろ歌を歌うことが好きだった。
  すでに人前で歌うことに恥じらいや抵抗感というものは無かったし。
  夜眠りに就く前は、必ずベッドにもぐってお気に入りの歌や 覚えたばかりのヒット曲を口ずさんでいた。
  実はこのポールの習慣は、父親のジムやお手伝いに来てくれていた近所のオリーブという娘には筒抜けであった。
  ポールの歌がなかなか上手で、よく通る声をしていたため、階段の下まで聴こえていたのである。
  経済的にはとても裕福とは言えないマッカートニー家ではあったが、
  ジムはポールのためにバイオリンのようなFホール付きのギター、俗に言う「ピックギター」を買ってきてくれた。
  色はボカシが3段階になった高級感のあるサンバーストで、素敵な白いピックガードが付いていた。
  ジムはさっそくピアノに向かって、ピアノを弾きながらポールにギターを教えた。
  それは何時間も飽きもせずに続くのである。
  「さあポール、次はこのコードだ。そう そう そう。その調子だ。いいぞポール!」

22 :
  〜 The Beatles / Two Of Us("Let It Be... Naked" version)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=W6Az2d1umas
  〜 The Beatles / Blackbird-Yesterday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MJznCHjwGXM
  (小林)いかがですか?
  2006年、あのジョージ・マーティン親子がプロデュースを担当して、これは大好評だったアルバム「LOVE」の中に入っているバージョンです。
  Blackbird-Yesterday(2曲目)。
  そして、その前は、これはポールがですね。
  ジョン・レノンがフィル・スペクター、プロデュースを頼みましたね、フィル・スペクターにね。
  でも、いじりまくって結局ダメにしちゃった、ていう、ポールはずっと根に持っていたんで、その「Let It Be」をやり直した。
  曲順まで変えてしまった、あの「ネイキッド(Naked)」の「Let It Be... Naked」の中に入っているバージョンで Two Of Us(1曲目)。

23 :
□ストーリー(続き)
 ・「さあポール、次はこのコードだ。そう そう、そうそう、そう。その調子だ。いいぞポール!」
  経済的にはとても裕福とは言えないマッカートニー家ではあったが、根っからの音楽好きである父親のジムは、
  ポールのために、バイオリンのようなFホール付きのギター、俗に言うピックギターを買って来てくれた。
  色は高級感のあるサンバーストで、素敵な白いピックガードが付いていた。
  ジムはさっそくピアノに向かってポールにギターを教えた。
  それも何時間も飽きもせずに続くのである。
  今となっては意外なことであるが、ポールは最初のうちはなかなか上達しなかった。
  ポールの左手はコードを上手く押さえることが出来ず、右手は弦をかき鳴らすことが出来なかった。
  理由が判明するまで少し時間がかかったが、それは簡単なことであった。
  ポールが左利きだったから。
  こうしてポールは右手でコードを押さえ、左手で弦をピッキングするというスタイルに変更した。
  こうした方がはるかに上手く行くことにやっと気付いたのである。
  それでも、右利き仕様のギターはかなり弾きにくい。
  そこでポールは、父親がギターを買ってくれた楽器屋にそれを持ち込んだ。
  「あのう、お願いがあるんですが。」
  「やあ、君はジムんとこのポールだね。どうだい? ギターの腕は上達したかな?」
  少しの沈黙の後、ポールが答えた。
  「それが…、どうやら僕は左利きなんで、右利き用のギターじゃ上手く弾けないみたいなんです。どうしたらいいでしょう?」
  すると、店の主人は答えた。
  「あ、そうだったのか。それは悪いことをしたね。さあ、どうするかなあ。
  そのギターをいったん引き取って、左利き用のギターをメーカーにオーダーすることもできるけど。
  そうすると、半年ぐらいかかってしまうぞ。それは困るよねえ。
  じゃあどうだろう。ギターの弦を上下逆さまに張って、左手で弾くっていう方法もあるけど、どうかな?」
  「あ、僕それでいいです。弦を張り替えてください。出来るだけ早くお願いします。」

24 :
  〜 The Beatles / Paperback Writer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MirsbMS_XJU
  〜 The Beatles / I'm Looking Through You (Anthology 2)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XRhZy1usD34
 
  (小林)いかがですか?  
  1996年になってねえ、アンソロジー(Anthology)の2が出ましたが。アンソロジーは3枚出てますが。
  これは、ビートルズのねえ、ほんとうに深いんだっていうことをマザマザと知らせてくれたやつですね。
   I'm Looking Through You(2曲目)、これいかがですか?  
  初めて聴いている人もいるかもわかんないですけども。
  こっちのバージョンの方が、なんかイイよ って言う方もいるんじゃないかと思われるほど、イイ出来ですよ。
  
  その前は、お馴染みの Paperback Writer(1曲目)。
  2曲続きました。

25 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにして差し上げていますので・・・。
  365日リクエスト待ってますからw よろしく。
  beatles@bayfm.co.jp
  こっちで受け付けています。
  (船橋市/男性)
  ビートルズそしてメンバーのソロの曲は、CD・ラジオ・テレビだけでなく動画サイトでも映像を見つつ聴くこともあります。
  動画の中で私のお気に入りと言えば、ポール主演の映画「ヤァ!ブロード・ストリート(Give My Regards To Broad Street)」の中で、
  トト(TOTO)のスティーヴ・ルカサー(Steve Lukather)とジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro)らと共演している「シリーラブソング(Silly Love Songs)リプリーズ(Reprise)」のライブ映像です。
  全身白ずくめの変な衣装とメイクで演奏しているシーンが滑稽です。
  ウィングス(Wings)のアルバム「スピード・オブ・サウンド(Speed of Sound)」に収録されているバージョンも良いですが、
  ポールとはまた違った、秀逸なベース演奏を含めて、名曲だと思いますので、映画バージョンをぜひリクエストしたいと思いますので、よろしくお願いします。
  (小林)
  あなたのリクエストです。
  〜 Paul McCartney / Silly Love Songs(MV)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=RN6lWjN0ups
  (小林)どうですかあ? こっちのバージョンも好きな人は・・・
  これは客観的に見るとw 嫌いだっていう人もいるんだけどw。ポールらしいですよね。
  ポールはこういう風なことをやって、ちょっといたずらをやったりするような、それも80年代ですからねえ。
  こういうことが出来たんじゃないかと思います。

26 :
  (千葉市中央区/男性)
  数えきれないビートルズのカバー曲の中でも、
  35年ぐらい前、けっこうヒットもし、また当時流行りのディスコミュージックのテンポから始まり、
  その後これでもかと曲のサビ部分だけをいい感じでつなげた名曲である「スターズオン45」の「ビートルズメドレー」です。
  当時私は小学生、ビートルズの原曲を聴く前に 先にこちらを聴いてしまい、
  当たり前ですが、名曲のサビだらけの曲だけに、こちらの曲を先に気に入ってしまったため 後にそれぞれの原曲を初めて聴いた際、少し物足りなさを感じてしまった。
  少し歪(いびつ)な過去があります。
                             (小林)いびつw やっぱり自分で自覚していますねw。
  でも、歌声も違和感なくテンポも良いし、本当にいい曲ですよ。
  ぜひともよろしくお願いします。
                             (小林)まあねえ、ネタがビートルズだから出来るような45だと思いますが。
  それでは今年も毎週ほんとに楽しみに聴かせていただいてます。  
  これからも、お体に気を付け、私たちに元気パワーを与え続けてください。
  (小林)
  あなたのリクエストで・・・
  
  〜 Stars On 45 / Beatles Medley
  ttp://www.youtube.com/watch?v=57gXY8tZG4k(シングルバージョン)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ZOuZmEKmtWQ(フルバージョン)
  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttp://www.youtube.com/watch?v=J3jrWVp2L7U
  (松戸市/女性)
  今年もビートルズの歴史・曲を聴いて、素敵な一年でありますように。
  放送で Strawberry Fields Foreverの話しをされていたので聴きたくなりました。
  リクエストお願いできますか?
  (小林)
  久しぶりにかけました。

27 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?
  ポール・マッカートニーやジョン・レノンが高校生のころのお話しをしています。
  だから1950年代ですよ。ねえ。
  若い方は聴いててどうでしょうか?
  けっこう、やあ、時代は変わっても同じなんだなあ・・・。
  めっちゃくっちゃ細いズボンが流行っていたらしいですよ。
  日本ではね、マンボズボンって言ったってwww  
  そういうふうなことを思い出してしまいましたよ。
  リクエストの方もよろしくお願いします。
  採用の方には(略)
  
  楽しいリクエストを待っております。

28 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年2月10日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 2月10日)
 ・1964年(今から49年前の今日)
  ビートルズが初めてアメリカに上陸して4日目。
  まあ、もうビートルズの「I Want To Hold Your Hand」がナンバーワンになって、すごいことになってくるわけですよ、アメリカで。
  それまではイギリスだけだったでしょ。
  これはアメリカ。
  世界各国ですごいことになるんですが。
  もうだから、世界のマスコミが注目しているビートルズ。
  アメリカに上陸します。
  そして、49年前の今日は、ニューヨークのあの有名なプラザホテルで、ビートルズの記者会見がありました。
  このころは、けっこうビートルズの記者会見てのは、ロンドンを発つ前のロンドンの空港でやったりとか。
  ニューヨークへ到着した時ニューヨークでやったりとか。いろんな記者会見があるんですけど。
  この頃の記者会見ってのは めっちゃくちゃ面白いですよね。
  もうビートルズが珍しくてしょうがないわけですよ、大人たちは。新聞記者たちは。
  だから、本当に滑稽な質問をしたりするんですよね。
  「床屋はいつ行くんですか?」とか言うんですよね。
  そうすると、ジョン・レノンとかリンゴ・スターは、あの人たちはユーモアが利いてますからね。
  「いや、4人とも床屋へ行ってきたばっかりだよ」って言うんですよw。
  そうすると大人たち 笑うんですよ。
  もうほら、髪が長いから床屋に行ってきたっていうイメージが無いわけですよね。
  「今、ヘアカットしたばっかりだよ」とか そういうこと。

29 :
  アメリカの新聞、ニューヨークのヘラルドトリビューンは
  「ビートルズの正体は、75%は宣伝、20%がヘアカット髪型、5%がチアフルモーニングス。」
  これは、まあ、モーニングスというのは亡くなった人たちへの言葉ですから。
  まあ5%は日本語にすると、ブラックユーモアみたいな感じですね。
  だから、もひとつニューヨークのデイリーニュースという新聞は
  「ビートルズっていうグループは、エルビスのステージなんかに比べると、もうエルビスが霞んじゃうぐらいのすごさがあるよ。」
  っていうようなことを書いたりしています。
  で、この日エルビス・プレスリーから祝電をもらうんですよね。
  「おめでとう。世界でアメリカで大ヒットしたね。」
  ていうような祝電をもらっちゃうわけです。
  で、翌年には、エルビスっていうと、ビートルズの特にジョンとポールにとっては一番尊敬するロッカーですから、
  ハリウッドのプレスリーの家に行くっていうことになるわけですね。
  翌年はね。
  さあ、それじゃ、ビートルズが上陸したころ、1964年2月10日の時点では、これがエルビスの最新ヒットでした。
  映画「Fun In Acapulco」ていうw、プレスリーのラスベガス周ったりアカプルコ周ったり、観光名所をみんな周るような映画があったんですけども。
  そのアカプルコシリーズの中に入っていました、プレスリーの Bossa Nova Baby。
  〜 Elvis Presley / Bossa Nova Baby
  ttp://www.youtube.com/watch?v=W-yZifpgCR0

30 :
  (小林)1964年2月の時点で、プレスリーの一番新しい曲がこの Bossa Nova Baby。
  大ヒット曲じゃなくて、これはプレスリーファンはけっこう知っている有名な曲です。
  プレスリーはそのころ、一年に一本ぐらい映画を出している。  
  そのサントラがヒットするというパターンをずっとやっていて。
  これは、ジョン・レノンとかねポール・マッカートニーは、そういうプレスリーのやり方が嫌いだったんですよ。
  「ロッカーはそんなことじゃだめだ。」っていうふうな、気持ちがあったんですが。
  Bossa Nova Baby という。
  これはねえ、楽しい曲だなあと思うでしょ?
  そうなんです、プレスリーはこういう楽しさを売っていたんですね。
  で、ボサノバっていうのはですね。実は、プレスリーが世界的な現象となるんですが、その裏で、静かなシャレたクールなボサノバ音楽っていうのも世界中でヒットしていたんですよ。
  だから、その中にw、アカプルコはメキシコのアカプルコが舞台ですから、マリアッチ音楽なんかが入って、けっこう音楽的にはテンコ盛りの、面白い音楽になっておりましたね。

31 :
□ストーリー
 ・「あのう…お願いがあるんですが…」
  「やあ、君はジムんとこのポールだね。どうだい、ギターの腕は、上達したかな?」
  少しの沈黙の後、少年が答えた。
  「それが、どうやら僕は左利きみたいなんで、右利き用のギターじゃ上手く弾けないんですよ。どうしたらいいでしょう?」
  すると店の主人が答えた。
  「あ、そうだったのか。そりゃあ悪いことをしたなあ。さあ、どうしたもんかなあ。
  そのギターをいったん引き取ってだね、左利き用のをメーカーにオーダーすることもできるんだけど。
  そうすると、半年ぐらいかかってしまうぞ。それは困るよねえ?。
  じゃあどうだろう、ギターの弦を上下逆さまに張って、左手で弾くっていう方法もあるけど、どうかな?」
  「あ、僕はそれでいいです。弦を張り替えてください。できるだけ早くお願いします。」
  この、ポールと呼ばれている少年の名は、ジェームス・ポール・マッカートニー。
  ここから約8年後、アメリカ進出を果たし、全世界でロックの頂点に立つことになるビートルズの中心的メンバー、あのポール・マッカートニーである。
  ポールはこの時15歳、まだ高校一年の年齢である。
  彼も当時のイギリスの青少年のご多分に漏れず、イギリス独自の流行歌であるスキッフルとロックンロールに夢中になっていた。
  前の年に、看護婦長として働いていた母親のメリーを亡くして以来、すっかりふさぎ込んでいたポールであったが、ロックに没頭することですっかり元気を取り戻していた。
  母親としての役割だけではなく、大きな収入源も失ってしまったマッカートニー家ではあったが、
  もともとアマチュアバンドマスターとして活動していた父親のジムは、ポールの音楽への傾倒ぶりには理解を示していた。
  少ない給料の中から、何とか工面して買ってあげたギターであったが、それは通常の右利き用のもの。
  左利きのポールは自分で楽器店を訪れ、弦を張り替えてもらい、これで初めてスタートラインに立つことになった。
  右利きのミュージシャンとは逆方向にギターやベースのネックがそびえるスタイルは、その後50年以上ポールのトレードマークとなるのである。

32 :
  〜 The Beatles / All My Loving (The Ed Sullivan show)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ENR9rFsADIs
  
  〜 The Beatles / Dont Let Me Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qR-SlkUgCRg
 
  (小林)ビートルズの、もちろんこれはビリー・プレストン(Billy Preston)をフィーチャーしていますね、キーボードにね。Dont Let Me Down。
  ポール・マッカートニー(?)のボーカルです。
  これは実は Get Back のB面であった、ということですね。
  
  そしてその前は All My Loving。ライブで、アメリカの有名な「エド・サリバン・ショー」。
  ビートルズが「エド・サリバン・ショー」ていうテレビのショーに出たことは知っていますね。
  その本人エド・サリバンの軽い声でビートルズが紹介されて、生で録音なんですけども、これは「アンソロジー(Anthology)」に入っていましたね。
  ちょうど今日、冒頭でお送りした、記者会見の話しをしましたね。
  その前の日に撮られたものです。
  今だと録画、その頃はフィルム撮りをしたものの音からお送りしました。

33 :
□ストーリー(続き)
 ・1957年、15歳になる年、ポール・マッカートニー少年は最初のギターを手に入れた。
  ポール本人も、また買ってくれた父親のジムも、ポールが左利きであることは理解していたが、
  ギターを選ぶのに わざわざ左利き用を探す必要があるかどうかまでは考えたことが無かった。
  もともとピアノやクラリネットには「左利き用」なんて存在しないし、第一左利き用のギターなんて誰も見たことすらなかったのである。
  幼いころから何でも卒なくこなすタイプであったポールも、このギターだけは少し手こずってしまった。
  最初はどうすることもできず、買ってもらってから数週間はギターを眺めているだけで、楽器としては機能していなかったのである。
  しかしついにポールが、このギターを購入した楽器店に持ち込み、弦を左利き用に張り替えてもらった時から、全ては変わった。
  圧倒的にコードが押さえやすいのである。
  そしてその瞬間、ある意味でポールは堕落して行った。と、言うこともできる。
  ギターは彼の生活において何より大切なものとなり、毎朝目が覚めると先ずギターに目を向ける。
  夜は明かりを落とした後も、ポールの眼は闇の中に光るギターのサンバーストカラーを探し求める。
  学校の授業も、バスでの通学時間も、友達との遊びやつき合いも、さらには食事の時間も、全てギターを手に取る瞬間のために我慢してしのぎ さっさと済ませるものとなった。
   
  やっと自分ひとりの時間になると、ギターを手に取り、その空洞に響くカランとした音を聴きながら、ずっと練習してきたコードを
  「今度こそきれいに鳴らすことが出来かどうか」にトライしてみる。
  そしてこのポールの熱中ぶりは、さらに加速することになる。
  彼はなんと、バスルームやトイレにまでお気に入りのギターを持ち込むようになった。
  こうしたポールの熱中ぶりは、プロのロックアーティストになっってからも、垣間見ることができる。  
  
  ポールの仕事好きはロックの業界でも有名なこと。
  どんなにレコーディングが続いても、スタジオを切り上げることは無かった。
  朝帰りなんて言うものは日常茶飯事。
  ポールはアマチュアのころから「ロックの虫」だったのである。

34 :
  〜 The Beatles / It's Getting Better
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gP4apO4dbhw
  (小林)
  1967年の、あの「サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド(Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の中に入っている、
  ちょっと地味で見のがしがちな曲ですけれども。
  これはものすごく味があるイギリス風の曲ですよねえ。
  イギリス風のロックという感じ。

35 :
□ストーリー(続き)
 ・1957年のある日から、ポールのギターへの熱中ぶりは更に加速することになる。
  彼はなんと、バスルームやトイレにまでお気に入りのギターを持ち込むようになった。
  こうして20世紀最大の「ロックの虫」は生まれた。
  当時イギリスでベストセラーとなっていたギターの教則本に「一日でマスター」というシリーズがあったが、
  もちろんポールもこれを入手して練習に励んだ。
  当時をふり返ってポールはこう語っている。
  「とにかくリバプールは田舎過ぎたし、だいたいにおいて1950年代は信じられないくらい情報が少なかった。
  教則本には一番簡単なキーがAの時の3コード、つまりAとDとEのコードしか書いてなかったんだ。
  カール・パーキンス(Carl Perkins)やエルビス・プレスリーなんかの、いわゆるロカビリーならこれでなんとか間に合うんだけど、
  僕のお気に入りのバディ・ホリー(Buddy Holly)なんかは、少し凝った曲を書いていて、AのキーでB、あるいはB7(セブンス)を使うんだよね。
  これには少し困ったよ。
  だって、教本にはB7(セブンス)なんて書いてなかったし、近所の大人たちもこんなコードは知らなかったんだ。
  ただ、ある人に尋ねたら『隣町だったら、そのコードを知っている人がいるよ』って言うんだよ。
  それで、次の週末に僕はギターを抱えてバスに乗った。
  Bのコードがどうしても知りたかったんだよね。
  そしてバスに揺られること一時間。やっと隣町に着いた。
  その人の家のドアを叩いて僕はこう言ったんだ。
  『あの、すみません僕はフォースリンロ−ドに住むポール・マッカートニーと言います。
  Bのコードがどうしても解からなくて、突然で申し訳ないんですが、BとB7(セブンス)を教えて頂けないでしょうか?
  これが解からないと、バディ・ホリーの曲が弾けないんです。どうか、お願いします。」

36 :
  〜 Buddy Holly & His Crickets / That'll Be The Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tmUd3MXmW38
  〜 Paul McCartney / It's So Easy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=B0hEcU0lpKM
 
  (小林)ポール・マッカートニーの It's So Easy(2曲目)。有名な曲ですよ。
  最後のところでポール、しゃべってますけど。このしゃべりっていうのは、黒人しゃべりですよね。
  ポール・マッカートニーがやっぱり絶対、ポール・マッカートニーの歌の秘密なんですけど、ここんとこにある秘密はどういうことかと言うと。
  その歌を歌う人間になりきってるわけですよね。
  だから It's So Easy 。いまのポール・マッカートニーの歌は、彼の解釈の黒人ボーカルですよね。
  It's So Easy という曲が気に入った方は、リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt)の大ヒット曲があるんですけども。
  これもチェックしてみてください。
  
  そしてその前は(1曲目)バディ・ホリーとクリケッツ(Buddy Holly & His Crickets)。
  有名なバディ・ホリーのThat will be the day。
  これはアメリカでナンバーワン。
  クリケッツというのはバディ・ホリーのバンドです。
  コオロギですよね。
  「コオロギ」がいたからビートルズが「カブト虫」になった、てのは、これはもう常識です。

37 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして送らせていただいています。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (船橋市/男性)
  ラジオから流れてくるビートルズの曲と克也さんの語りは癒しとなっています。
  今回初めてのリクエストですが、ベタで「ロングアンドワインディングロード(The Long and Winding Road)」
  ただアルバムの「レットイットビー(Let It Be)」のテイクではなくて、ウィングスのライブアルバム「ウイングスU.S.A.ライヴ(Wings Over America)」からのテイクを。
  この曲は、ビートルズ、ウィングス、ポールのソロ、時代でいくつかのテイクがありますが、このライブテイクが一番好きです。
  まだ高校生だった頃、夏の暑い日にテアトル東京まで映画「ROCK SHOW」を一人で見に行ったのを思い出します。
  (小林)
  あなたのリクエスト.。
  〜 Paul McCartney & Wings / The Long And Winding Road(Wings Over America)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=P3-MiEhnwC8

  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zLGWyfGk_LU
  (小林)
  All You Need Is Loveが流れています。
  (八潮市/女性)
  今年1回目の放送で、番組が10年目とおっしゃってビックリしました。
  私は結婚して丸2年が経ちましたが、リスナー歴も同じ年数でしたので、番組の長い歴史に感動しました。
  昨年娘が生まれ、子守唄のようにたくさんの歌を歌いますが、ビートルズもしょっちゅう歌っています。
  それだけ親しみやすく、だけど色褪せない楽曲で、いつ聴いても歌ってもワクワクしますね。
  (小林)
  という、リクエストありがとうございます。

38 :
  (習志野市/男性)
  いつのまにか、こちらの番組が日曜夕方の楽しみになっています。
  アルバム「ラバーソウル(Rubber Soul)」に収録されている「The Word」は、愛を歌ったビートルズの曲の中でも、どこか詩と曲のイメージが合わない独特の曲のように思います。
  ギターのフレーズが特に気に入っている曲でもあります。
  リクエストは「The Word」かと思いきや、        (小林)自分で言っていますw。
  日本語訳のタイトルが付いている、スピッツの「愛の言葉」です。
  おそらく意識してタイトルを付けたのかな、と自分では思っています。どうかよろしく。
  (小林)
  あなたのリクエストで、スピッツです。
  
  〜 スピッツ / 愛のことば
  ttp://www.youtube.com/watch?v=adI0F9wWZ_8
  〜 パフィー / これが私の生きる道
  ttp://www.youtube.com/watch?v=XRVShbxb87Q
  (小林)
  奥田民雄・パフィーの「これが私の生きる道」かけちゃいました。 
  (稲城市/男性)
  久々にインターネットラジオを流しながら仕事をしました。
  そして「ビートルズから始まる」を初めて聴きました。
  長年続いている番組なのに、そんなことつゆ知らず。
  「ああ、こんないい番組やってるんだなあ。」て思いました。
  1956年生まれの小生は、中学から高校時代ビートルズとしては終盤のころに彼らを知ったわけですが。
  海の向こうの曲にしろ、いわゆるJポップでも、ビートルズの曲想、音が与えた影響ってすごいですよね。
  そのビートルズのメンバーたちが受け止めた音楽はどんなものだったか。
  そんな話がまだまだ聴けそうで、これから小生の「是非モノ」のプログラムになります。
  コーデュロイの上下のパンタロンで「イエスタデイ」を得意げに歌っていた生田君は元気かな?
                       (小林)っていう、友達のことを思い出していますねえ。w
  特にリクエスト曲はございませんんが、バリバリのビートルズ感を出してくれる、奥田民雄・パフィーの「これが私の生きる道」とか
  ビートルズの影響を語っていただきたい。
  (小林)ということで、これをかけちゃいました。

39 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?
  ポール・マッカートニーの15歳のころのお話し。
  この番組、さっきの話しじゃないですけど、10年近くやってて、
  ジョン・レノンが亡くなってから、ジョン・レノンについて、
  また、ビートルズの中心だったジョン・レノンについて語る場面が多いんですけど。
  こんどは、ポールです。
  ポールもとても興味深いんで、期待していただきたいと思います。
  それから、リクエストもよろしくお願いします。
  採用の方には(略)
  いろんな方がね、ビートルズに関しての意見だとか経験だとか、リクエストを送ってくださってて。
  ほんとうにね、リクエスト楽しみにしておりますので、よろしくお願いします。
  

40 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年2月17日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(2月17日)
 ・1964年(今から49年前の今日)
  ビートルズは初めてアメリカに渡ります。
  それもビートルズの曲が1位になって、アメリカでね。
  アメリカに行くわけです。
  で、「エドサリバンショー」に出るっていうのが主な仕事なんですけど。
  十何日間ビートルズは滞在することになると思いますけど。
  先週もお伝えしましたけど、ニューヨークで有名なプラザホテルで記者会見をやる。
  あれから一週間経った きょうはですね、
  一週間前はプレスリーから祝電が来ておりましたが。
  今度は、プレスリーのマネージャーのカーネル・パーカーっていう人からビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインに今度は祝電が来ておりました。
  というかw、プレスリーたちは、やっぱりビートルズがこれからもう世界を、自分たちが世界を揺るがしたようにビートルズが揺るがして行くんだ、という事が判ってるわけですよね。
  だから、自分たちはちょっと峠を越えたかどうか分かりませんけども、ビートルズと友達になろうというふうな魂胆がちょっと見えるわけですねえw。
  これはもう、分かりますよね 気持ちとしてはねw。
  そういう日です。
  そして、ビートルズのマネージャー=ブライアンにとっては、もう一つ吉報がありました。
  それは、ブライアンの事務所のナンバーワンはビートルズですが、もう一人女性がおりまして、「シーラ・ブラック(Cilla Black)」と言います。
  このシーラ・ブラックという人はですね、歌手志望で、ビートルズが出てたキャバーンクラブのクローク係りをしていたんですが。
  ブライアンにスカウトされて、歌手としてデビューして。
  そのシーラ・ブラックの「Anyone Who Had A Heart」という曲がイギリスでナンバーワンになった、
  ていうことが、アメリカにいるブライアンの元に伝わったということであります。

41 :
  このシーラ・ブラックという人は、もともと本名がプリシラ・ホワイト(Priscilla White)。
  プリシラ(Priscilla)だから、「シーラ(Cilla)」ですよね。
  ホワイトだから、「ブラック」wっていう、芸名を名乗ったという。
 
  さあそれじゃ、ジョージ・マーティンが、ビートルズと同じプロデューサー=ジョージ・マーティンが担当した、シーラ・ブラックのヒット曲。
  これはねえ、あのバカラックの・・・バカラック知ってますか?有名なバート・バカラック(Burt Bacharach)の曲です。
  なかなかシャレた曲です。
  シーラ・ブラックのイギリスナンバーワン。Anyone Who Had A Heart。
  
  〜 Cilla Black / Anyone Who Had A Heart
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rWAcG5p0Jyg
  ttp://www.youtube.com/watch?v=ykd7172CUeA
  
  (小林)49年前の今日
  ビートルズがアメリカでエドサリバンショーなんかに出て、もう世界の注目になっている。
  もう世界の中心になっているような感じ。
  同じ事務所のシーラ・ブラックのこの曲は、方やイギリスでナンバーワンを発していた。
  ちょっと前に、この曲のちょっと前にディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)という有名なシンガーが歌って、
  アメリカでヒットさせたやつのカバーバージョンであります。
  シーラ・ブラック Anyone Who Had A Heartをお送りしました。 

42 :
□ストーリー
 ・「あの、すみません。僕は隣の町のフォースリンロードに住むポール・マッカートニーといいます。
  Bのコードがどうしても解からなくて。突然で申し訳ないんですが、BとB7(セブンス)を教えて頂きたいんです。
  これが解からないと、バディ・ホリーの曲が弾けないんです。
  どうか、お願いします。 お願いします。」
  この言葉の主は、ジェームズ・ポール・マッカートニー。
  後にあのビートルズの音楽的なリーダーとして全世界のロック界のトップに立ち。
  現在ではイギリス王室から「サー(Sir)」の称号を授かり。
  その資産評価額もイギリス国内でトップに君臨する人物、ポール・マッカートニーである。
  15歳になってやっと手にしたギターであったが、それはなかなか苦戦していた。
  その理由は、最初ポールが左利きであったために、上手くコードを鳴らせなかったから。
  これは楽器店で弦を左利き用に張り替えてもらうことによって解決した。
  そうなると、好きになった物ならなんでもとことん熱中するポールの性格は功を奏し、その腕前はどんどん上達していった。
  コードが解からなければ、バスで隣の町に行ってでも教わりたい、という熱意は、まさにプロになってからのポールそのものであった。
  こうしてポールは当時のイギリスの流行歌であるスキッフルのヒット曲ならほとんど弾いて歌えるまで上達した。
  これには、元アマチュアバンドのリーダーであった父親のジム・マッカートニーも舌を巻いた。
  しかし、問題はここからである。
  ポールはマスターしてしまったスキッフルにはすっかり飽きてしまっていた。
  時代は、自由の国アメリカからやって来た新しい音楽「ロックンロール」が席捲していたのである。
  エルビス・プレスリーをはじめとするロックンロールのレコードは、みんなそのファッションセンスも含めて、イギリスのティーンエイジャーの男の子達のお手本になっていったのである。

43 :
  〜 Elvis Presley / Hound Dog
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SKtzJb6guoo
  〜 Frankie Lymon & The Teenagers / Why Do Fools Fall In Love 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2sAHiR0rkJg
 
  (小林)2曲。
  エルビス・プレスリー Hound Dog。
  そしてティーンエイジャース(Teenagers)歌っていたのが 中心がフランキー・ライモン(Frankie Lymon)ていう。
  若いですよ、まだこの頃。
  Why Do Fools Fall In Love。
  エルビス・プレスリーの Hound Dogが アメリカで長い間ナンバーワンになるんですけど。
  イギリスではこの Hound Dogが ナンバーワンになれなかったw。
  それは 今聴いたフランキー・ライモンのこの歌のせいで、っていう。
  この2曲は、はっきり言って「50年代に燦然と輝くヒット曲」、歴史的な曲ですけども、
  皆さんのラジオは燦然と なんか輝いたりしていませんか?w  あははww。
  行きます。

44 :
□ストーリー(続き)
 ・1957年、当時リバプール・インスティテュートに通う高校生だったポール・マッカートニー。
  15歳になる年であった。
  この年、最初のギターを手にしたポールは、当時のイギリスの流行歌であるスキッフルのヒット曲なら ほとんど弾いて歌えるようにまで上達した。
  しかし、問題はここからである。
  ポールは、マスターしてしまったスキッフルにはすっかり飽きてしまっていた。
  彼が本当に弾きたいのは、自由の国アメリカからやって来た新しい音楽「ロックンロール」
  それも、そのロックンロールのヒット曲の中で演奏されるギターソロ。
  つまり、リードギターであった。
  ポールがそう思ったのも無理もなかった。
  当時のロックンロールの主役はもちろんフロントで歌うシンガーであったが、その後ろでは必ずイカしたギターリストが寄り添い、ボーカルをサポートしていたのである。
  エルビス・プレスリーにはスコッティ・ムーア、ジーン・ビンセントにはクリフ・ギャラップ、リッキー・ネルソンにはジェームス・バートン、といったギターヒーローたちが控えており。
  さらには、カール・パーキンス、エディ・コクラン、そしてチャック・ベリーといった自分でリードギターを弾きながら歌うという、素晴らしいアーティストもいた。
  ポールはそういったロックのギターリスト達のシャープでワイルドなプレイに酔いしれ、そのフレーズをコピーすると同時に、
  リトル・リチャードやファッツ・ドミノといった黒人シンガーの力強く震えるようなボーカルスタイルも研究し、
  自分のものにしようと、そのシャウトのスタイルに至るまで毎日練習に励んだ。
  
  当時ポールが一番気に入って聴いていたレコードは、エルビス・プレスリーの All Shook Up。
  白人でありながら黒人さながらにシャウトして見せたかと思いきや、甘く包み込むように歌うエルビスのシンガーとしてのスタイルは
  ポールの目指すところとなるのである。

45 :
  〜 Paul McCartney / All Shook Up
  ttps://www.youtube.com/watch?v=726-Ufz5Ado
  〜 Paul McCartney / Ain't that a shame
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SzA6cfb727k
  (小林)これは録音としては80年代90年代にやったものですけど。
  ポールがすでに高校時代には、これは自宅で練習していた曲ですよ。
  高校時代の憧れの人たちですよ。
  今(2曲目)聴いたのは Ain't that a shame
  ニューオルリンズのリズム&ブルースの、元祖の一人ですね。ファッツ・ドミノ(Fats Domino)の曲をカバーしました。
  そして、プレスリーの、ポールが一番好きだったという曲を、
  おそらくプレスリー、いえポールが高校時代に歌っていたのとはちょっと違うハードロックのスタイルでカバーしております。
  (1曲目)All Shook Up。

46 :
□ストーリー(続き)
 ・プロのミュージシャンとしてデビューして以来、50年以上に渡り現役として活動し続け、そのセールスは数十億枚に達し、
  イギリス王室からは「サー(Sir)」の称号を授与され、その総資産額ではイギリスでトップという、
  欲しいものは全て手にした世界最高峰のロックアーティスト=ポール・マッカートニー。
  その世界最高のロッカーは、どうやって自分を磨いていったのか。
  いったい何をやれば、トップの天辺(てっぺん)のさらに頂上にまで昇りつめることができるのか。
  ポールの高校生時代に遡(さかのぼ)って、もう少し詳しく探ってみることにしよう。
  エルビス・プレスリーや、リトル・リチャードなど、ロックンロールのシンガーとしては最高峰に位置するパフォーマーもさることながら
  当時15歳のポールは、エヴァリー・ブラザーズ(The Everly Brothers)にも注目し、そのボーカルスタイルや、さらにはハーモニーにも魅了されていた。
  ポールはこのアメリカの兄弟デュオ=エヴァリー・ブラザーズの新曲が出ると、欠かさず買っていたという。
  エルビスのように派手で大音量を要するサウンドアレンジももちろん大好きであったが、
  このエヴァリー兄弟の少しカントリーっぽく少しアコースティックなサウンドであってもロックンロールは成立するという事実にポールはかなりの影響を受けたと言われている。
  ポールが本当にエヴァリー・ブラザーズが好きだったという証拠に、彼が一時イアン・ジェームスという友人とエヴァリーズのマネをしていた、という事実がある。
  それも、二人でギターを弾いて歌うだけではなく、ヘアスタイルはエルビスよりも少しソフトなリーゼントで、お揃いの白いジャケットを借りてきて身に着けるなど、衣装も完全にコピーしていた。
  このスタイルが後のビートルズの最大の看板、ジョンとポールのツインボーカルに発展することは言うまでもない。

47 :
  〜 The Everly Brothers / Wake Up Little Susie
  ttp://www.youtube.com/watch?v=CByPkTZtnzU
  〜 The Beatles / One After 909
  ttp://www.youtube.com/watch?v=TipfIUP1kAE
 
  (小林)One After 909。これはジョンとポールのツインボーカルというかね。
  「レット・イット・ビー...ネイキッド(Let It Be... Naked)」の中に入っています。
  その中からお送りしました。
  そしてその前は、ポールが15になったかならない頃の、イギリスでの第2位。
  イギリスで第2位だったのは、1位がバディ・ホリー(Buddy Holly)の That'll Be the Dayが1位だったから。
  ポールが影響を受けたエヴァリー・ブラザーズの Wake Up Little Susie。

48 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  参加しがいがあるというものですねw。よろしくお願いします。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  FAXやハガキなんかでもけっこうなんですが。
 
  (市原市/男性)
  ジョン・レノンの Whatever Gets You Thru The Night をリクエストします。
  僕は昔、エルトン・ジョンとかローリングストーンズが大好きでよく聴いていました。
  その中で、ビートルズの名前もよく出ているのは聞いていたんだけど、まったくの無関心。  (小林)w
  でもある時、この曲をエルトン・ジョンとジョン・レノンが歌ったことを知った時から、かなりビートルズも気になってしまい 聴き込み始めました。
  でも、やっぱりエルトン・ジョンがお気に入りだから この曲をリクエストします。
  実はビートルズというより、克也さん目あてでこの番組を聴いています。  (小林)w
  「ベストヒットUSA」でお気に入りになって、克也さんの教材「アメリ缶」(おしゃべりアメリ缶)を買って勉強してから海外放浪をして来ました。(小林)あははw。
  まだ、売ってますかね?  
                                (小林)売ってないみたいですねw。
  さあ、これからも楽しいロックンロール番組をお願いします。
  (小林)
  ということで、さあこれは、エルトンが主役じゃないですからね。
  話しはご存知かと思いますけども、ジョン・レノンがエルトンを呼んだんですからね。w
  で、エルトンは「これは絶対ナンバーワンになるよ」ていう太鼓判を押して。
  「ええ、なるのかよ?」 「なったら、それじゃ僕のマジソンスクエアガーデンのコンサートにゲストで出てくれる?」っていうことで
  ナンバーワンになっちゃったんで、
  エルトン・ジョンのコンサートに 今度は久しぶりにジョン・レノンがライブをやりに、マジソンスクエアガーデンまで行ったというエピソードは、この番組を通してお馴染みだと思います。 
  〜 John Lennon & Elton John / Whatever Gets You Thru The Night
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Ho1yJwvWCrw

49 :
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps
  ttp://www.youtube.com/watch?v=F3RYvO2X0Oo
  (小林)ということで、ジョージ・ハリスンの名曲がかかりましたねえ。
  
  (横浜市/男性)
  ここんところジョージの曲がよくかかるけど、私はなんと言っても While My Guitar Gently Weeps が大好き。
  前曲のエンディングを割って入るような掛け声から始まるこの曲、いつ聴いてもしびれます。

50 :
  (銚子市/男性)
  僕はアメリカの暗い歴史であるベトナム戦争にすごく関心があるんですが。
  当時のアメリカ兵たちは戦地でどんな音楽を聴いていたんでしょうか。
  また、当時のラジオかはどんな音楽が流れていたんですか?。
  ご存知でしたら・・・。
  (小林)
  アメリカの戦争の歴史って(言うと)おかしいですけど。
  戦争の時は、必ず戦争の前に軍の放送が行くわけですよね。
  軍の放送っていうのは・・・、あのね、一番戦地にいると有り難いのは、楽しい歌なんだって、楽しい流行歌なんだって。
  もちろん「がんばれ」とかね。
  「戦争はやだ」っていうのは軍の放送だから流れないけども、一番がんばれじゃなくて、戦争に「がんばれ」っていう歌はいらない。
  もうほんとうに、「男と女の恋の物語」みたいな、それは悲しい歌であっても、それが一番良いんだって。力になる。
  これは、不幸なことに日本でも311っていうのがあってね、被害に遭われた方、たくさんいらっしゃるわけですけども。
  やっぱり彼らが一番有り難いのは、本当に楽しい歌、恋の歌、これが力が出るんだって。
  もちろん「がんばれ」って言っていただくのは有り難いことは有り難いんだけども。
  そうなんだってよ。
  だから、ヒット曲ていうのはね、流行歌と言うんですかね、そういうのがアメリカのラジオから流れてきた、と思って想像して。
  その当時のヒット曲を調べて見てください。いいですね。
  あなたのリクエストは映画「プラトゥーン(Platoon)」の劇中に流れていた、
  スモーキー・ロビンソンとミラクルズの The Tracks of My Tears。
  〜 Smokey Robinson & The Miracles / The Tracks of My Tears
  ttp://www.youtube.com/watch?v=WyeMaVUdKrw

51 :
  〜 Bon Jovi / It's my life
  ttp://www.youtube.com/watch?v=9SKFwtgUJHs
  (小林)ボン・ジョビの It's my lifeが流れました。
  (千葉市緑区/男性)
  この曲はビートルズファンでも楽しめる洋楽の一曲であります。
                     (小林)えっ?ビートルズファンでも嫌いな人wいるかもわからないよw。 なんてねw。
  テンションが上がるこの曲をかけてください。
  (小林)
  テンション 上がりましたかぁ?。

52 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
  リクエスほんとうに たくさんありがとうございます。
  それぞれ、もうね、リクエストは、ほんとわがままに自分自身が出るようなリクエストの方が、僕たちは有り難いと思っているので。
  人のマネをすることなく、自分が知らなきゃ知らない、知ってるんなら「これだけ知ってるぞ」自慢もけっこうですから。
  そういうリクエストをよろしくお願いします。
 
  メールのアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (略)
  そして、話しの方はポール・マッカートニー。
  きょうも、それから先週もそうでしたが。
  僕はね、ロックの「名シーン」てのがあると思うんですよ。
  個人的な話しなんですけど、この、名シーンがありましたね。
  僕の一番好きな話しは、
  ポール・マッカートニーがギターのコードを教わるために、バスでわざわざ一時間かけて隣の町へ行って。
  誰も知らない人の家に行って、ドアを叩いて、
  「僕はポール・マッカートニーと言います。このコードが解からないので、バディ・ホリーが歌えません。教えてください。」
  これはすっごい話しですよね。
  この番組を聴いて頂くと、そういうふうな名シーンがね、どんどん出てきます。
  やっぱり僕は、やっぱり一番好きなシーンはね、ジョン・レノンが「ビートルズはカバーやんねえよ!」って言った。
  あれが一番好きですけどね。w

53 :
今日radicaが起動してなくて録音しそこねてしまいました(T_T)
キロックノンさんが頼りです。
今週もよろしくおねがいします。

54 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年2月24日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 2月24日)
 ・1965年(今から48年前の今日)
  もう、ビートルズは史上空前の 忙しさです。
  すごいことになってるわけです。1965年は、64年に売もうれちゃって世界的なグループになって。
  そして、1965年48年前の今日は、あの「HELP!」の撮影がバハマで行われます。
  バハマに行って撮影するという事で、
  前の年の「A Hard Day's Night」に続く主演映画という事で、
  ワーキングタイトルという事ですが、仮のタイトルは「Eight Arms To Hold You」「あなたを抱く8本の腕」つまり四人だから。
  「Eight Arms To Hold You」というシャレたタイトルになるはずだったんだけども、
  後半になって「Help!」という名曲が生まれて、結局この映画は「HELP!」になるわけですが。
  すでに、2月15日「Ticket To Ride」から、サウンドトラックの録音セッションは始まっていて、
  バハマに行くまでに
  「Another Girl」「I need you」「The Night Before」「You Like Me Too Much 」「You've Got To Hide Your Love Away」「Tell Me What You See」「You're Gonna Lose That Girl」
  これ、録音してるわけですよね。ええ。
  3月12日はバハマロケも終わってロンドンに戻ってくるわけですが、これ映画で言うとクランクアップが5月12日で、映画の公開は夏、7月29日というわけです。
  でもこの「HELP!」の映画もすごかったんですけども、
  作品的に言うと、ビートルズに「Help!」が出来ることによって、
  ビートルズが、ただ単なるアイドルみたいな存在だったわけですが。
  「Help!」で音楽的にすごい内面を歌う曲じゃないですか、内面を歌うロックンロールで、ビートルズの作風はがぜん深くなって行くわけですね。
  これはまあ、一つの大きなきっかけである曲でもあるわけですが。

55 :
  というわけで、バハマの岩場に楽器を持ち込んで口パクで収録された、ポールの曲を聴いてみましょう。
  リードギターもポールが弾いております。
  
  〜 The Beatles / Another Girl
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jikh25SBmqo(Mono)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Qbb1YpRNtfE(MV)
  (小林)The Beatles  Another Girl。

56 :
□ストーリー
 ・1956年の初頭に、イギリスにも押し寄せた「エルビス・プレスリーの衝撃」を境に、
  ジーン・ビンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディ・ホリー、そしてエディ・コクランなどなど
  「ロックンロール」と呼ばれる音楽とその美学は、リバプールの少年少女たちに大きな影響を与えた。
  こうしたロックンロールを受け容れることは、当時のティーンエイジャーにとって人生最初の「自立」であった。
  
  当時リバプール・インスティテュートに通う高校生だったポール・マッカートニーも、そうしたロックンロール熱に感染した最初のジェネレーションであり、
  ロックンロールによって人生を変えられた一人であることは、言うまでもない。
  このロックンロールのブームとほぼ時代を同じくして、
  イギリスでは、古くから伝わるフォークソングにアメリカのカントリー&ウェスタンや黒人音楽を混ぜ合わせたようなスタイルの「スキッフル」と呼ばれる音楽が大流行していた。
  その大流行と同時に、イギリスにはかなりの数のアマチュアスキッフルバンドが誕生。
  演奏が比較的簡単であり、洗濯板をパーカッションにしたり、大きなブリキのタライとホウキでベースを作ったりと、
  あまりお金がかからないという理由で、スキッフルバンドのブームを後押ししたのである。  
  ポールの通うリバプール・インスティテュートにも このブームは押し寄せた。
  伝統のある学園内にもバンドは次々に生まれたのではあるが、ポールはあまり興味を示さなかった。
  実際には すでにギターを手に入れ、毎日の特訓のおかげで、そこそこの腕にまでは上達していたポールであった。
  しかし、当時から何ごとにも努力家で完璧主義者であったポールは、まだまだ自分は人前で演奏するレベルでは無い、と自らを厳しく評価していたし、
  やりたかったのは単純なスキッフルよりも、卓越したテクニックを要するロックンロール。
  こうしてポールは、自分のギターがデビューする日を“今か今か”と待ち侘び、日夜練習に明け暮れていたのである。

57 :
  〜 Elvis Presley / All Shook Up
  ttp://www.youtube.com/watch?v=3rQEbQJx5Bo
  〜 Paul McCartney / That's All Right
  ttp://www.youtube.com/watch?v=1dKwD_etYT8  
 
  (小林)2曲続きました。
  ポール・マッカートニーの(2曲目) That's All Right。
  これはプレスリーの曲なんですけども。
  プレスリーの影響を大きく受けたポール・マッカートニーが、そのプレスリーの曲をカバーしているという。
  2001年のアルバムの中に入っています。
  そして(1曲目) All Shook Up。
  これはモロ、だからポールが15歳16歳のころ影響を受けたエルビス・プレスリーの。
  これはもう、イギリスでもアメリカでも世界中で1位を記録しまくった エルビス・プレスリーのとても面白い曲ですね。
   All Shook Up。
  2曲続きました。

58 :
□ストーリー(続き)
 ・「スキッフルねえ?。まあ、悪くないけど、ちょっと単純すぎるかな。
  やっぱロックンロールの方が、だんぜんカッコいいし、ギターソロも弾ける。
  早くロックのバンドで演奏したいなあ。」
  この発言の主は、プロのミュージシャンとしてデビューして以来、50年以上に亘(わた)り現役として活動を続け、
  そのレコードのセールスは数十億枚にも達し、イギリス王室からは「サー(Sir)」の称号を授与され、
  総資産額ではイギリスでトップという、欲しいものは全て手にした、世界最高峰のロックアーティスト=ポール・マッカートニー。
  その世界最高のロッカーはどんな影響を受け、どうやって作られたのか。
  ポールの高校生時代に遡(さかのぼ)って、もう少し詳しく探ってみることにしよう。
  1956年、15歳になるポールは最初のギターを父親のジムに買ってもらった。
  左利きのポールにとって、弦を右利き用に張ってあるギターを弾くことはかなり難しいことで、最初はどうすることも出来なかった。
  しかしギターショップの主人の提案で、右利き用のギターの弦を左利き用の向きに張り替えることで、世界は一変した。
  圧倒的にコードが押さえやすいのである。
  この日からポールのギターの腕前は急速的に伸びて行った。
  そんなポールに、ある日同級生のアイバン・ボーンが興奮してこう言った。
  「ポール、すごいんだよ!。俺たちのクラスのレン、そうレン・ギャリー知ってるよな?。
  そのレンと俺が代わりばんこにベースを弾いているバンドがすごいんだよ。本当だよ。
  ロックンロールをやるんだよ。とにかくすごい。
  特にボーカルのやつがすごいんだよ。でたらめの歌詞を作って歌うんだ。
  とにかく すごいんだよ!。」
  ポールは冷めた表情でこう答えた。
  「なあ、アイバン。おちつけよ。お前今、すごい、って何回言ったと思う?
  だいたいロックンロールバンドって言ったって、リバプールじゃそんなの見たことないし。
  おそらくスキッフルを少し元気にやっているだけだろ?。
  俺、興味ないな。」

59 :
  〜 John Lennon / Be Bop A Lula
  ttp://www.youtube.com/watch?v=K7FSlekmNz8
  〜 Paul McCartney / Blue Jean Bop
  ttp://www.youtube.com/watch?v=jApNq1mdoi0
  (小林)ジョン・レノンそしてポール・マッカートニーの歌声が続きましたが。
  いずれも カバーです。
  で、誰のカバーかと言うと、これが渋いんです。
  プレスリーを中心に、もうロックンロールってのが世界に広がって行くわけですね、1956年57年。
  だけど、そのプレスリーの陰にジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)というアーティストがいて。
  プレスリーは もう王者ですから、まあ楽天的な、ロックンロールだけども楽天的な感じがあるんですよ。安心できるような。
  でも、このジーン・ヴィンセントというアーティストは、なんて言うんですかねえ、もう明日が無いような陰(カゲ)がある。
  なんか、彼のロックを聴くと絶望だとか悲しみにも感じるような。
  だから イギリスでは特に「プレスリーよりジーン・ヴィンセントが好きだった」ていう人がけっこういるんですよね。
  ジョンもポールもそうだったかもわかんない。
  その証拠に(1曲目) Be Bop A Lulaという、彼の代表的な曲をジョンがカバーして。
  (2曲目)Blue Jean Bop これをポール・マッカートニーがカバーしております。

60 :
□ストーリー(続き)
 ・「ポール、すごいんだよ。俺たちのクラスのレン・ギャリー、知ってるよな?  
  そのレンと俺が代わりばんこでベースを弾いているバンドがすっごいんだよ。本当だよ。
  ロックンロールをやるんだよ。とにかくすごい。
  特にボーカルのやつが ほんとにすごいんだよ。でたらめの歌詞を使って歌うんだけど。
  これがすごい!。」
  ポールと呼ばれる少年は、冷めた表情でこう言った。
  「なあ、アイバン。少し落ち着けよ。お前今、すごい、って何回言ったと思う?
  だいたい ロックンロールバンドって言ったって、リバプールじゃそんなの見たことないし。
  おそらくスキッフルを少し元気にやっているだけだろ?。
  俺、興味ないな。」
  これはロック史上で最も成功したミュージシャン=ポール・マッカートニーが15歳の時に
  クラスメートのアイバン・ボーンと交わした会話である。
  このクラスメートのアイバンは、かなり社交的な性格で、自分とポールが通う学校=リバプール・インスティテュート以外の学校の連中とも交流があり。
  当時テディボーイと呼ばれた不良グループにも仲間入りしていた。
  そしてこのアイバンの特技が かなりユニーク。
  それは「すごいやつを、すごいやつに会わせること。」であった。
  さっそくアイバンは、自分の同級生の中で「一番すごいやつであるポール」を、自分の参加しているバンドの「すごいシンガー」に引きあわせることにした。
  「なあポール、おまえバンドをやりたいんだろ?。だったら、そいつに会った方がいいって。
  あんなすごいやつ、このリバプールじゃ今まで見たことないよ。
  なんだかよく分かんないけど、カリスマがあるっていうのかな。
  いつの間にか仲間を束ねてバンドに仕立て上げて、演奏しては大喝采を浴びてんだよ。
  もし、お前がやつに会わなかったら、一生後悔すると思うよ。
  俺が保証するから。」

61 :
  〜 The Beatles / Two Of Us
  ttp://www.youtube.com/watch?v=cfiE_5O9Dn0
  〜 Paul McCartney / Singing The Blues
  ttp://www.youtube.com/watch?v=0UtP9Os69Po
  (小林)というわけで、ビートルズの(1曲目) Two Of Us。
  これはまあ「レット・イット・ビー(Let It Be)」の中に入っているやつですね。
  
  それから(2曲目)ポール・マッカートニーは、これは「UNPLUGGED」
  これは面白いサブタイトルが付いていて、「オフィシャル・ブートレッグ(The Official -Bootleg)」。
  「オフィシャルな、公認の海賊版」ていう。
  ガイ・ミッチェル(Guy Mitchell)ていう人のねえ、1956年の、すっごいヒットなんですよ。
  プレスリーなんかと同じようにヒットしていた曲を、50年代の渋い大ヒットをやっていました。
   Singing The Blues。

62 :
□リクエスト
  (小林)採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてプレゼントしております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (小林)
  住所も名前も何も書いて無いんですけど。走り書きみたいなメールです。
  (匿住所/男性)
  先ほどスティービー・ワンダーが紹介されていました。   (小林)それも、これ、1カ月ぐらい前かな?。
  「エボニーアンドアイボリー」を改めて聴きたいと思いました。
                                  (小林)これはポールとスティービーがやってるやつですね。
  スティービー・ワンダーは他にも「ウィアーザワールド」や「心の愛」や「愛のハーモニー」や、特に「ハッピーバースデイ」などが好きでした。
  スティービー・ワンダーはキング牧師に捧げる曲もありました。
  2月14日のヨーコの誕生日、スティービー・ワンダーもハッピーバースデイ喜んでいるんでしょうか?。
  ハッピーバースデイ ヨーコ
  (小林)
  ってw。なんか自分の頭の中でぜんぶ回ってる感じがしますが。
  僕は、まあ先輩として、皆さんにちょっとアドバイスは。
  スティービー・ワンダーはね、今言った曲、これからかける曲も、まあ良いんですけど。
  ビートルズが70年に解散するじゃないですか、
  そのあと、レッドツェッペリンなんかが、こんどは世界をビックリさせるわけですよね。
  で、それから2〜3年経ってスティービー・ワンダーが「トーキング・ブック(Talking Book)」というアルバムを出すんですが。
  これから3枚ぐらいのアルバムは、もう世界中はスティービー・ワンダーに釘づけ。
  そんなスティービーの初期の70年代前半のやつは、もう傑作です。
  他のやつは忘れてもいいぐらい、すごいですからスティービーは。
  そのことを 忘れないでくださいね。
  で、だから、80年代90年代はちょっと「お釣り」で生きているスティービー・ワンダーという感じがありました。
  だから、まあポールに呼ばれたりして、これを…
  あ、どっちが呼んだのかな?
  〜 Paul McCartney & Stevie Wonder / Ebony And Ivory
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Pw7Uu32s690

63 :
  〜 The Beatles / Here, There and Everywhere
  ttp://www.youtube.com/watch?v=Vd9HrO1b7pk
  (小林)Here, There and Everywhere流れました。 
 
  (茨城県龍ヶ崎市/男性)
  自分がビートルズを好きになったきっかけの曲は Here, There and Everywhere。
  この曲はメロディが ほんとに美しいですよね。
  (小林)
  っていうことで。
  リクエストは、このオリジナルか、ジャズ系のアーティストのリクエストあったんですけど。
  皮肉でも悪口でも(なく)、大人の世界 大人の言葉なんですけど。
  ビートルズのカバーというのはね、ちょっと身構えないとダメなところがあるんですよね。
  ビートルズをカバーするということはね、ミュージシャンがね、「ビートルズをカバーすれば売れるだろう」てのがあるわけですよねw。
  だから、なんでカバーするのか っていうのを考えてみると。
  まあ、リクエストあったのはね、けっこう演奏は抜群ですよね。
  ただ、この番組でも時々言ってますけど、音楽が出てくる後ろに、思想だとか哲学だとか、そういったものを持っているかどうか、ていうことで。
  演奏が上手いばっかりじゃあダメ、っていうことで。
  「どちらを選ぶ?克也さん」ってことで、オリジナルの方を選ばせて頂きました。

64 :
  (佐倉市/男性)
  初のリクエストです。
                   (小林)初めてのリクエスト、お待ちしております。大歓迎です。
  「バングラデシュのコンサート」でのレオン・ラッセル(Leon Russell)の「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」をお願いします。
  中学生のころ誕生日にレコードを買ってもらい、この曲がストーンズの曲と知り、その他のいろいろなアーティストを知るきっかけでした。
  ジョージの交友関係のおかげだと思います。
  (小林)
  この「バングラデシュ」は、けっこうレオン・ラッセルが良かった、ていう人もおります。
  もちろん、ジョージ・ハリスンが中心でね。
  だけど、「ボブ・ディランなんかよりも、レオン・ラッセルがなかなか渋かったよ」ていう人がおります。
  だけど、あなたは ストーンズの曲、てことでリクエストだったわけですねw。
  レオン・ラッセルの渋さも、ちょっと楽しんでくださいよ。
  それじゃあ、例の「バングラデシュ・コンサート」のライブで、
  そのストーンズの曲を、レオン・ラッセルがカバーしています。 Jumpin' Jack Flash。
  
  〜 Leon Russell / Jumpin' Jack Flash-Young Blood
  ttp://www.youtube.com/watch?v=lZIi188Cakk
  〜 The Beatles / Lucy in The Sky With Diamonds
  ttp://www.youtube.com/watch?v=zP3AhpKcE6s
  (小林)
  お馴染みの Lucy in The Sky With Diamondsが流れています。
  (静岡市/女性)
  私がビートルズの中で いまだ気になり好きな曲をリクエストします。
  当時中学生だった私が、ビートルズの中で一番印象に残った曲 Lucy in The Sky With Diamonds。
  私は落ちこぼれでしたが、優等生の友達と「幻想的な曲だねえ」と意気投合したのを覚えています。
  あれから月日が流れても、いまだにこの曲を聴くと昔を思い出します。
  (小林)
  ということで、 Lucy in The Sky With Diamonds。
  レオン・ラッセルのマジソン・スクエア・ガーデンでのライブで Jumpin' Jack Flash、そして Young Bloodとメドレーの途中で いきなり割り込んだのがこの曲でした。

65 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたか?
  ポール・マッカートニーのねえ、高校時代の話しをしていますが。
  間もなくですよ。
  来週あたりかなぁ?。
  来週あたりに、ロックに残る名場面。
  いろんな人の生涯で、必ず名場面てあるじゃないですか。
  その、名場面が来ますから。
  楽しみに待って(いただきたい)。
  二人とも生意気だったわけですよ、ねえ。
  その二人って、誰か 分かると思いますけども。
  
  それから、リクエストよろしくお願いしますね。
  今日のように 初めての方も大歓迎なので。
  (略)
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  こっちで、待っております。

66 :
>>65
>来週あたりかなぁ?。
>  来週あたりに、ロックに残る名場面。
>  いろんな人の生涯で、必ず名場面てあるじゃないですか。
>  その、名場面が来ますから。
>  楽しみに待って(いただきたい)。
>  二人とも生意気だったわけですよ、ねえ。
>  その二人って、誰か 分かると思いますけども。

キロックノンさんありがとう
名場面、聴き逃してなかった!
明日は絶対ヘマはせんぞ!

67 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年3月3日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー( 3月3日)
 ・1990年(今から23年前の今日)
  ポール・マッカートニーが「ゲット・バック・ツアー」で、東京でコンサート。今日です。23年前の今日。
  東京ドームのみ6回コンサート でしたが。
  ポール・マッカートニーの1990年代の、もう本当に活発に行動するポール・マッカートニーの黄金期が始まると言ってもいいです。
  と言うのも、ふり返ってくださいよ。
  1990年(から)遡ること10年、(1980年)もう最悪のポール・マッカートニーですよね。
  1月には成田で捕まっちゃう。逮捕されちゃう。強制送還される。
  で、同じ年の12月にはジョン・レノンが亡くなる。
  ジョン・レノンが亡くなるっていうことでね。
  これ、なんの理由も無いわけじゃないですか。
  それで、ポール・マッカートニーたちは大変な恐怖を味わったといいますよね。
  自分もやられるんじゃないか、ということで、
  ポール・マッカートニーはボディガードを増やして、自分の牧場がある家に引っ込んでいく。
  で、オノ・ヨーコもニューヨークに住んでいるわけですけれども、ニューヨークから姿を消します。
  どこかヨーロッパへ行っちゃうわけです。雲隠れ。
  で、ポールは1980年代は、82年に「タッグ・オブ・ウォー(Tug of War)」
  ポールはいっぱい多作な人ですから、「タッグ・オブ・ウォー」ていうアルバム出します。 
  それから、10cc(テンシーシー)のエリック・スチュワート(Eric Stewart)とコラボやったり、
  それから、エルビス・コステロ(Elvis Costello)。
  エルビス・コステロはリバプール、故郷(ふるさと)は同じで、ビートルズのファンクラブに入っていた。
  もうビートルズに憧れるミュージシャンです。
  ビートルズに憧れてミュージシャンになった。
  でもコステロは、特に詩がすごい、曲がすごいとして、知られています。
  で、エルビス・コステロとポール・マッカートニーは一緒にやりますね。
  その他いろんなことをやったりするんですけども。

68 :
  やっぱり、今から23年前の今日、東京に来て この「ゲット・バック・ツアー」てのが、やっぱりポールを元気付けさせた、と言う事ができると思いますが。
  このツアーでは、ウィングスのツアーでは ちょこっとしかビートルズの曲はやってなかったみたいなんですが。
  「ゲット・バック・ツアー」では圧倒的にビートルズの曲が増えています。
  「ゲット・バック・ツアー(TRIPPING THE LIVE FANTASTIC)」の2枚組のライブから聴いて頂きます。
  この曲をやっています。
  〜 Paul McCartney / I Saw Here Standing in There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yEDmslEDRZE  
  (小林)ポール・マッカートニー I Saw Here Standing in There 。
  ポール・マッカートニー 40代後半です。

69 :
□ストーリー
 ・「なあポール、おまえバンドやりたいんだろ? だったら、そいつに会った方がいいよ。
  あんなすごいやつ、このリバプールじゃ今まで見たことないよ。
  なんだかよく分かんないんだけど、カリスマがあるっていうのかな。
  いつの間にか仲間を束ねてバンドに仕立て上げて、演奏しては大喝采を浴びるんだよ。
  もしお前がやつに会わなかったら、一生後悔すると思うよ。
  俺が保証するから。」  
  この言葉の主は、1957年当時リバプール・インスティテュートに通う高校生のアイバン・ボーンという少年。
  ポールと呼ばれているのは、後にあのビートルズの音楽的なリーダーとして全世界のロック界のトップに立ち、
  現在ではイギリス王室から「サー(Sir)」の称号を授かり、その資産評価額もイギリス国内でトップクラスに君臨する人物=ポール・マッカートニーである。
  このクラスメートであるアイバンの「すごいやつ」という表現に、ポールは少しも興味を示さなかった。
  そしてアイバンは、その「すごいやつ」である相手の少年に対しても、ポールの事をやはり「すごいやつだ!」と吹き込んでいたのである。
  アイバンには「すごいやつには、すごいやつしか合わせない」というのが自慢であった。
  1957年のリバプール、ウールトン地区。ここの夏の恒例イベントと言えば、セント・ピータース教会主催のガーデンパーティだった。
  これはなかなか大きなフェスティバルで、参加者は皆きちんと正装し、教会に関係する団体全ての山車が出て、ウールトンの古い街並みを練り歩き、
  教会への参道を登りきったところの野原で開催されるセレモニーに 参加者を誘導するのである。
  このイギリスならどこにでもあるような平和なフェスティバルの一場面で、ロックの歴史を塗り替えることになるRがあることを、まだ誰も知るはずがなかった。

70 :
  〜 The Beatles / I've Got a Feeling
  ttps://www.youtube.com/watch?v=h9HTsW2aWBU
 
  〜 The Beatles / Drive My Car
  ttps://www.youtube.com/watch?v=D5gGndr5fbA
 
  (小林)2曲続きました。
  どちらもポールとジョンのツインボーカルぽい曲ですよね。
  「レット・イット・ビー(Let It Be)」から I've Got a Feeling。
  そして「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」から Drive My Car。

71 :
□ストーリー(続き)
 ・1957年のリバプール、ウールトン地区にあるセント・ピータース教会が主催するガーデンパーティのスケジュールは7月6日に決定した。
  この年のイベントは、いつもの年以上に凝ったプログラムになっていた。
  毎年恒例の「ローズ・クイーン」を祝うセレモニーが行われる他、昔の兵士を敬う「義勇騎兵団」による楽団の演奏。
  リバプール市警による、警察犬の芸も好評だった。
  そして、この年初めてフェスティバルに「ティーンエイジャー」が出演することになった。
  ジョン・レノンが率いるバンド「クォーリメン」がパレードに参加し、フェスティバルで演奏して欲しい、と主催者側から依頼を受けたのである。
  実情を言うと、このころクォーリメンは低迷期にあった。
  少し前、彼らは他の数十組のスキッフルバンドに混じって、リバプールのエンパイアシアターで開かれた あるオーディションを受けに行った。
  このオーディションは、キャロル・リーブスというスターを発掘する名人であるプロデューサーの「ディスカバリーズショー」と呼ばれるものであった。
  クォーリメンは予選こそ勝ち抜いたものの、前にも決勝で当たったことのある、チビで愛嬌のあるエンターテイナー=ニッキー・カブのバンドに敗退を喫してしまった。
  この評価はシアターに集まった観客の投票によるもので、正当な審査であったと思われる。
  クォーリメンの初期のメンバーで バンジョー担当のロッド・デイビスは語っている。
  「僕らが演奏したのは一曲、向こうは二曲メドレーで緩急をつけてやっていた。
  どちらにしろ、やつらの方がはるかに上手かったね。
  それに、アクションも派手。
  全員がステージ狭しと飛び回りながら演奏するんだ。
  それだけでも人目を引くわけで、もう相手にもならなかったよねえ。
  僕らクォーリメンは、真面目すぎたんだ。
  ステージでも、直立したままで、ニコリともしなかったんだから。
  それにしても、ジョンの悔しがり方といったらすごかったよ。
  楽屋のイスやテーブルに当たり散らして グッチャグチャにしたんだからね。
  あの時のジョンは、ほんとうにすごかったよ。」

72 :
  〜 The Beatles / A Hard Day's Night
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zSm0M-BbVdY
  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttps://www.youtube.com/watch?v=AKNGGZ7Dq2M
  (小林)ビートルズが2曲。それも12弦ギターを使った曲です。
  A Hard Day's Night これは1964年の有名な。
  
  そしてこれは「ラバー・ソウル(Rubber Soul)」の中に入っている If I Needed Someone。
  えーっと これも12弦。
  ジョージ・ハリスンはやっぱり、ジョンや…、こうやって聴いてみるとあれですね、ジョンやポールとは違う曲を書きますね。
  2曲続きました。
  

73 :
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月のリバプール。
  この時16歳の少年、ジョン・ウィンストン・レノン。
  後のあのビートルズの中心的人物であるジョン・レノンの最初のバンド=クォーリメンは、結成してわずか2年目にして低迷期を迎えていた。
  演奏スタイルがあまりに真面目であったため、オーディションでは目立つことができず、評価が芳しくないのである。
  そうしたオーディションから1ヶ月後の日曜日の午後、クォーリメンは煌(きら)びやかに飾られた石炭用のトラックに乗り リバプールのウールトンの街のパレードに向かった。
  彼らの山車は軍楽隊など他のバンドの音とそのリズムが克ち合わない様、パレードの最後尾に付くことになっていた。
  バンドとバンドとの間には、ボーイスカウトやガールスカウト、そして幼稚園児らによるガールガイドらが、やはり地元商店街から提供された車の荷台に乗って続いた。
  そして、今年は13歳のローズクイーンがレースのついた純白のドレスとピンクのベルベットのガウンを身に包んで、女王の座に座り、小さな兵隊と家来達に囲まれて進んで行くのである。
  期待通りティーンエイジャーとしては 初めての出演となるクォーリメンを一目でも見ようと、大量の中高生がウールトンに押しかけた。
  そして、その中には学校の同級生でもあるアイバン・ボーンに誘われたポール・マッカートニーも混じっていた。
  クォーリメンにはベーシストが二人いたのであるが、この日の茶箱ベースの担当はレン・ギャリーであったため、交代でベースを受け持っていたアイバンは高見の見物となっていたのである。
  
  実のところ、この日のポールは あまりバンドには期待をしていなかった。
  それよりも、このフェスティバルにはリバプール中の同じ世代の女の子がやって来る、と聞き、髪も服装もバッチリキメて来たのである。
  このあと運命のRがあることなど、少しも期待などしていないポールであった。

74 :
  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OyGfTPy2Ef8
  〜 The Beatles / Oh! Darling 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=F2J6XdC9ad0
  (小林)いやあ、ジョンのボーカル、ポールのボーカル、と続きましたよ。
  両方とも ディストーションかけるようなところ「ア゛ー」っていうところありますけど。
  どっちも迫力おんなじくらいですよね。ええw。
  面白いもんですねえ。
  1966年 Bad Boyの方はラリー・ウィリアムズ(Larry Williams)のヒットのカバーです。
  そしてポール・マッカートニー自身の作詞作曲の Oh! Darling。
  これは1969年の「アビーロード(Abbey Road)」、アルバムがね。
  2曲続きました。

75 :
□リクエスト
  (小林)毎回言ってますが、イシイのミートボールなどセットにして、これは参加賞とでもいいますかね、
  皆さんにお配りしておりますので、発表された方は待っててくださいね。
  メールアドレスは beatles@bayfm.co.jp
  (江戸川区/男性)
  以前「ゴールデン・スランバー」のリクエストがありましたね。
  それがどうでしょう、あのリンゴのドラムソロから始まる「「ジ・エンド」まで流していただきました。
  さすが「ビートルズから始まる」ですね。
  そりゃそうですね。あれ、かけないとねえ、様にならないですもんね。
  リクエストは「デビル・イン・ハー・ハート」をお願いします。
  この曲を聴くと ウキウキして心が弾みます。
  (小林)
  ていう。
  これはビートルズはカバーをするのに、例えばメジャーなアーティストをけっこう避けた、っていう。渋い曲を選曲した。
  その選曲眼も「ビートルズさすが」っていう評判ですけども。
  これは「ザ・ドネイズ(The Donays)」っていう女の子グループの曲であります。
  (The Donays / Devil in his heart  ttp://www.youtube.com/watch?v=9oEfzk7kToI)
  で、ジョージに歌わせましょうか、ジョージにね。
  〜 The Beatles / Devil In Her Heart
  ttp://www.youtube.com/watch?v=BdRKHY_02UY

76 :
  〜 松任谷由美 / ルージュの伝言
  ttp://www.youtube.com/watch?v=S7myyv5__qg
  (小林)
  というわけで、ビートルズの渋い曲のあとはw こういう曲が流れました。
  (横浜市/男性)
  先日、片思いの女の子にフラれてしまいました。
  その翌日、半分つらい思いを引きずったままレコードショップに出かけて、前から欲しかったユーミンの「日本の恋と、ユーミン(と)」を買って聴きました。
  そしたら、失恋の傷が半分癒えた気がしました。
  それと、ライナーノーツが克也さんだったので、さらに傷が癒された感じがしました。
  (小林)w
  僕は、何十年ぶりにライナーってものを書きましたけど。「ルージュの伝言」ていう。
  ちなみにユーミンは、1967年のジョン・レノンが一番好きだったプロコル・ハルム(Procol Harum)の「Whiter Shade Of Pale」「青い影」でロックの洗礼を受けたと言われています。
  だからこないだも、プロコル…。 プロコル・ハルム まだやってんだよねえ。
  一緒にコンサートやったようですけども。

77 :
  (東京都渋谷区/女性)
  リンゴ・スターの It Don't Come Easy。
  克也さんの話では、アメリカではリンゴが一番人気があったと聞きますが。
  私もリンゴが一番好きで、その中でもこの曲はビートルズが解散してから出たリンゴ・スターのソロですが。
  私が一番好きな曲なのでリクエスト致します。
  (小林)
  このように、リクエスト、好みを書いていただいてけっこうですね。
  これは、ちなみに1971年 イギリス、アメリカで4位。両方とも4位だったという曲です。
  リンゴ・スターがやっぱり、1964年に、もうアメリカどこ行っても「キャー!」って女の子が騒ぐ中で、やっぱりリンゴ・スターが圧倒的に人気があったと言われています。
  これは最初の2〜3年ですけども。そのあとは それぞれの人気が出てくるんですけども。
  最初はあれですよね、リンゴ・スター。音楽グループなんだけど、やっぱり顔を見ちゃうわけですよね。
  そしたらね、リンゴ・スターがね、一番の役者顔。別にハンサムとかそういうんじゃなくて。
  この人は、役者の世界で云う所の「デッドパン」なんですよ。「無表情顔」なんですよ。
  これがいいんですよねえ。これが自分たちの思いが、顔に入りこんじゃうわけですね、一番。
  ポールはいつもニコニコ顔でしょう。ジョン・レノンもニコニコしてますよね。
  ただね、リンゴ・スターだけニコニコしてない、これがいいんですよ。これがクールなんですよね。
  そういうところじゃないか と思うんですけども。
  〜 Ringo Starr / It Don't Come Easy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jZfAik7wP8U

78 :
  〜 Natalie & Nat King Cole / Unforgettable
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2uRtNMFfF-g
  (小林)いやあ。今日のシメにふさわしい曲が流れましたね。
  ナタリー・コール(Natalie Cole) それからお父さんのナット・キング・コール(Nat King Cole)。
  この時点では もうお父さんは亡くなっていた、ねえ。
  有名な、亡くなったお父さんとデュエットをさせた という。
  デイヴィッド・フォスター(David Foster)という、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)なんか 例えば「I Will Always Love You」なんかのプロデューサーですよ。
  まあ一番有名な人の一人ですよね。あの人のアイデアでこれが実現して、グラミー賞を取ったことが有名ですが。
  (横浜市/女性)
  ナット・キング・コールは発音が綺麗で優しい歌声なので大好きです。
  娘のナタリーがタイムマシンに乗って父親とデュエットしたかのような、切ない曲です。
  先日、北山修さんが、加藤和彦さんと同じような事をしたい、と思っていると、いうようなことをおっしゃってたのを聞いて、思い出したんです。
  私が11歳の時、父が46歳で病死したので、ナタリーと北山さんの寂しさが少し分かるような気がします。
  よろしくお願いします。
  (小林)
  ありがとうございました。

79 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたか?
  先週も言ったんですが、「ロックの名場面」が来るんだ、っていうことを言ったら。
  今週まだあれですね、ポールとジョンは まだ顔を合わせてないねw。
  来週、顔を合わせます。
  どんな感じだったんだろうねえw。
  服装だとかいろんなことを見て、ポールはもうめかし込んで来てるわけですよ。お祭りに、ねえ。
  で、もう ジョンとか知らないわけですから。
  来週をお楽しみに。
  それから、リクエストをよろしくお願いします。
  最後のリクエストは、ほんとに泣かせましたが。(横浜市/女性)さんのリクエストね。
  そんなのもいいし、まあビートルズのことを語ってもいいし、語らなくてもいいし、自分の事を言ってもいいし、人の事を言ってもいいんです。
  適当にいろんなコメントを添えて、リクエスト待ってます。
  採用の方には(略)
  beatles@bayfm.co.jp 
  こちらで待っております。
  よろしく。

80 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年3月10日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(3月10日)
 ・1975年(今から38年前の今日)
  ジョン・レノンの「Stand By Me」がシングルとしてアメリカで発売になります。
  国によって発売は変わるわけですけど。
  それぞれイギリスやアメリカ他の国でも小ヒット、大ヒットには至らない。だけどお馴染みの曲だからね、これはね。
  1980年代になって「スタンド・バイ・ミー」という映画が、これが全世界でヒットします。
  これはスティーブン・キング原作で、少年時代の ある夏の思い出を映画にしたものなんですけど。
  このヒットで、また古い「Stand By Me」というオリジナルアルバムが、ベン・E・キング(Ben E. King)のオリジナルソングがヒット致します。
  でも、ジョン・レノンは1970年代の「ロックンロール(Rock'n'Roll)」のアルバム、これはジョン・レノンのソロなんですけれども。
  ジョン・レノンがこういう風にカバーをやったってのは珍しいんですよ。
  これはちょっとした理由があって、この番組でも昔「どうしてジョン・レノンが『ロックンロール』のカバーアルバムってのを出したか」ていうのは、
  これは事情があってね。
  「ジョン・レノンが作った『Come Together』ていうのが、チャック・ベリーの歌にそっくりだ」っていうふうなことで、
  出版社同士もめちゃって、「どうするか?」っていう時に、和解策として「それじゃ、ジョン・レノンがお宅の出版の歌をカバーしますから」ていうことで、ジョン・レノンは。
  で、この頃はけっこう複雑にいろいろ絡んでて、オノ・ヨーコにジョン・レノンがロサンゼルスに追い出されていたw、っていう時期なんだよねw。
  だから、これはまあいろいろ説があるんですけど、とにかくジョン・レノンの「ロックンロール」の中に入っていて「Stand By Me」をカバーした。

81 :
  で、ジョン・レノンの「Stand By Me」は最初に聴いたジェネレーションもいるわけですよね。
  僕みたいに古いジェネレーションは、ベン・E・キングを聴いて「あ、ジョン・レノンがカバーした!」っていうことを知るわけですけども。
  これはもう明らかな違いがあって。
  ベン・E・キングのやつは、とても優しくて、いかにもリズム&ブルースっていう、昔のリズム&ブルースていう感じなんですけども。
  (Ben E. King/STAND BY ME  ttp://www.youtube.com/watch?v=LyjcHLjsfVI)
  ジョン・レノンは、こう、突き刺すようなねえ感じで、やっぱりハードロックに仕立て上げてるんですよ。
  だから、ベン・E・キングのやつはホンワカとしたものがあるんですが、ジョン・レノンのやつはねえ、悲壮感もちょっと漂っている。
  ていうことで、ジョン・レノンの方をちょっと聴いてみましょうか。
  38年前の今日、アメリカでシングルとして発売になった、ジョン・レノンの Stand By Me。 
  〜 John Lennon / Stand By Me  
  ttp://www.youtube.com/watch?v=xa08Te3mMEg
  (小林)いかがですか?ジョン・レノンの Stand By Meです。
  これは38年前の、今日の発売のシングルという事で。
  これねえ、さっきもお話ししましたけど「ロックンロール」の背景、ジョン・レノンの私生活、それからロサンゼルスに住んでたわけですよね。
  で、生活はけっこう荒れていたジョン・レノン。
  だから、ジョン・レノン研究には、これは恰好の材料ですよ。
  だから、歌なんかにも彼のモノが反映していたんだと思うんですよ、心がね。
  それとか、ジョン・レノンの仲間たち、ジョン・レノンを慕うミュージシャンたちが、このアルバムには参加しています。
  フィル・スペクター()というw有名なプロデューサーが、これ、最初はやるんだけども、
  ジョン・レノンとケンカしちゃってね。
  フィル・スペクターがマザーテープを持って逃げちゃったり、とかね。
  いろんな事件があって。
  これは、ほんとにねえ、ジョンとか、1970年代とか、ビートルズとか、好きな方は、ここんとこをねw、ちょっとねw、研究して深く入るのもいいかも分かりませんよ。

82 :
□ストーリー
 ・「アイバンのやつ、『今日お前が会うやつは 絶対すごい男なんだ。俺が保証する。』 なんて言ってるけど、どうなんだろ。
  このリバプールに、そんなすごいやつなんているのかなあ?。
  おっとっとっ、おい、それより今 通り過ぎて行ったあのピンクのスカートの女の子、かわいいなあ。
  この辺りの子か?。えっ、見たところ 彼氏一緒じゃないみたいだしな。
  よし!ちょっと声でもかけてみるか。」
  この、いかにもナンパな感じの少年の名は、ポール・マッカートニー。
  そう、このロックの歴史上で最も成功した、誰もが認める天才ミュージシャン。
  あのポール・マッカートニーの15歳の時のセリフである。
   
  時は 1957年。7月6日。リバプール、ウールトン地区。
  ここの夏の恒例行事といえば、セント・ピーターズ教会主催のガーデンパーティ。
  ポールは同級生のアイバン・ボーンの強い希望で ある少年と会うことになっていた。
  このイギリスなら どこにでもあるような平和なフェスティバルの一場面で、ロックの歴史を塗り変えることになるRがある事を、まだ誰も知らなかった。
  それにポール本人も、そのRなんて最初から期待などしていない どころか、お目当てはパーティに集まって来る同世代の女の子たち。
  この日のポールは いつもより髪を盛り上げ、細いズボンを身に着け、テディボーイを気取っていた。
  天気は快晴。それほど暑くもない7月の午後のリバプール。
  丘の上には 赤い石で造られた教会があり、その四角い塔に嵌め込まれた時計の金色の針は、永遠の夏の時間を指し示しているかのように見えた。
  教会の敷地には屋台が出て、ハンカチや日用雑貨、手作りのケーキ、そして野菜やフルーツが売られ、
  子供たちはピンボール、輪投げ、コイン拾いなどを楽しんでいた。
  そんな中、「すごいやつとすごいやつ」の運命のRは この後すぐに訪れる。
  それは間違いなく、ロックの歴史を変える 運命の遭遇となるのである。

83 :
  〜 The Beatles / Rock and Roll Music
  ttp://www.youtube.com/watch?v=rBrH9EWZ-Bc
  
  〜 The Beatles / She's a Woman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=z7HDdJiyCN4
 
  (小林)ポール・マッカートニーのボーカルは いろんな引き出しがあってね、
  この曲は(2曲目)、まあ R&Bぽい、リズム&ブルースぽいボーカルを披露しておりますが。
  これは1964年の「I feel fine」のB面です。
  そしてその前は、お馴染みの Rock and Roll Music。

84 :
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月6日 リバプール、ウールトン地区にあるセント・ピータース教会が主催するガーデンパーティの日。
  ロックの歴史を変える「すごいやつとすごいやつ」のRは、もうそこまでに迫っていた。
  その、すごいやつの片方を、ジョン・ウィンストン・レノン、後のビートルズのリーダーとなるあのジョン・レノン。この時16歳であった。
  自分が率いるバンド「ザ・クォーリメン」が この日のガーデンパーティに出演するとあって、ジョンはいつもより早く起きて、その身なりを完璧に整えた。
  グリースで固めたリーゼントヘアーにチェックのシャツ、そして「ドレインパイプ」つまり「排水管」と称された当時流行の細身のズボンで武装していた。
  これぞ正に テディボーイ。
 
  朝ジョンが階段を降りて行くと、そこには育ての親であるミミ伯母さんがいた。
  ジョンの身なりを見たミミ伯母さんは、全身で失望の念を表現した。
  まるで自分の息子のように可愛がり、キチンとした躾と教育を施してあげたジョンが、どうしてこんなチンピラのような恰好をしているのか。
  それは、彼女の理解の範囲を遥かに超えていたのである。
  ミミにすれば、それまでの献身、気遣い、それに教育の全てを否定、拒絶されたようなものであった。
  「ジョン! なんなの?あなた、その格好は!」  
  ミミのこのひと言が引き金となって 口論は始まった。
  「ミミ、こんなの今じゃ 普通の格好だよ。何がいけないって言うんだい?」
  「あなたは頭を冷やしなさい!。そんなニワトリのトサカみたいなヘアスタイル、誰が見たって普通じゃないわよ!
  今、ここですぐ、頭を洗いなさい!」
  ところがジョンは、ミミの言うことなど聴く耳を持たなかった。
  「ああ、だから年寄りはやだね。だいたい、僕らの世代の言い分なんて ただの一度も聴いてくれた試しがないじゃん。
  俺はもうたくさんだよ。ミミ伯母さん、今まで育ててくれて、どうもありがとう。どうぞお元気で。」

85 :
  〜 John Lennon / Crippled Inside
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XBuMC25npYk
  〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qpCV2wgoxC8
  (小林)
  1969年の「アビイ・ロード(Abbey Road)」の中に入っています(2曲目)Maxwell's Silver Hammer。
  そしてその前は、ジョン・レノンのソロですね。
  Crippled Inside。
  まあこれは、訳すと 放送注意語 になってしまう、という。
  ジョン・レノンお得意の内容のサウンドであります。

86 :
□ストーリー(続き)
 ・「ああ、だから歳は取りたくないねえ。だいたい、俺たち世代の言い分なんて、ただの一度も聴いてくれた試しがないんだから。
  ああもう、たくさんだよ。ミミ伯母さん、今まで育ててくれて、どうもありがとう。どうぞお元気で。」
  1957年7月6日、当時16歳の高校生であったジョン・レノン少年は、育ての親である叔母のミミに向かって悪態を吐いた。
  悪態 と言うよりは 逆切れ である。
  こうした激しい口論の末に、ジョンは怒って家を飛び出し、そのあとすぐに バンドのメンバー=ピート・ショットンと合流した。
  この日ジョンが率いるバンド=クォーリメンが出演を依頼されていたのは、地元リバプールのウールトン地区にある、セント・ピータース教会主催のパーティ。
  ミミ伯母さんの家を出てからすぐ、その日のパレード用の石炭トラックに乗った。
  すると、どこからともなくビールやワインが回って来て、ジョンはこれを飲み干した。
  伯母さんとの口論でかなり頭に来ていたジョンにとって、このアルコールの差し入れは 正にグッドタイミングなもの。
  もちろん16歳のジョンが酒を飲むことは、法律では許されてはいない。イケないことであった。
  しかし、この日はフェスティバルだったせいもあり、周りの大人たちも黙認してくれた。
  そうなると、最初の一杯は二杯に、二杯が三杯になり、こうなるともうどうでもいい。
  ジョンはグデングデンに酔っぱらった。
  パレードも屋台も、このフェスティバルの目玉である、可愛らしいローズクイーンも、さらには主催者である教会の牧師さんの祈りの文句も。
  ジョンにとっては、その全てがぼんやりと煙る霞(かすみ)の向こうとなった。
  もちろん、ジョンを我が子のように可愛がり 厳しく躾けて来たミミ伯母さんは、こんな事実を知る由もなかった。
  さらには、ミミをビックリさせたもの、それはこの教会の祭りに来た時に 初めて目の当たりにするものであった。

87 :
  〜 The Beatles / Revolution
  ttp://www.youtube.com/watch?v=5IYloD3tyEQ
  〜 The Beatles / I Me Mine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=01UipbZL3ww
 
  (小林)1970年ですねえ。(2曲目)I Me Mine
  これはなかなか、歌詞も単純に聴こえるけど、すごい深い意味を持つよねえ。ビートルズがやるとねえ。
  面白いですよねえ。
  その前は、1968年の、この時はA面がポールで、B面がジョン・レノンだった。
  A面はポールの「Hey Jude」。
  B面をお送りしました。Revolution。
  2曲続きました。

88 :
□リクエスト
  (小林)採用の方 全ての方にイシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしております。
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  (千葉県山武市/男性)
  毎週楽しく聴いています。初めてメールをします。
                             (小林)ありがとうございます。初めての方大歓迎。
  きょうは久しぶりに帰宅した娘といっしょに聴いています。
  娘は最近ビートルズをよく聴いているとのことで、こんな素敵なラジオ番組があると知って感激しています。
  ちなみに、娘は昭和の終わりの生まれで、私はもうすぐ還暦です。
  「グリー(glee)」という番組でも歌われた、娘の好きな曲 Blackbird をリクエストします。
  (小林)
  なかなかこれ(glee)、いい番組だよね。日本じゃこういう番組作れない気がするよねw。
  それじゃあ、きょうのリクエスト第一曲目、 Blackbird。
  
  〜 The Beatles / Blackbird
  ttp://www.youtube.com/watch?v=CjQx7RFErCY

89 :
  〜 The Carpenters / Yesterday Once More
  ttps://www.youtube.com/watch?v=YTaWayUE5XA
  (小林)
  カーペンターズの大ヒット曲ですねえ。もうラジオで あんまりかからなくなった、だから嬉しいでしょう。
  これ、リクエスト応えましたよ。カーペンターズの Yesterday Once More。
  (市川市/女性)
  先日より、エドサリバンショーに出る話しをやっていますが、私も1990年代、小学生のころBSで父と観ていました。
  トッポジージョが楽しみでしたねえ。                  (小林)あの人形ね。
  当時私は、番組自体が古いことに気が付いていませんでした。  (小林)そうなんw。
  ビートルズも観ていたと思うんですが、ABBAやカーペンターズの記憶が強く残っています。
  ビートルズを学習しているものとして、記憶が無いことは残念です。
  仕方ありませんけども、
  ビートルズから脱線しますが、エドサリバンショーの思い出であり、大好きな曲なのでカーペンターズをリクエストします。
  年齢は読まないで・・・
  (小林)年齢若いじゃないw。気にしないでw。ねえ、僕の年齢になるとどうするのよw。

90 :
  (府中市/男性)
  先日プレスリーに続いてかかった曲、昔 子供番組の「ポンキッキ」でワンフレーズ使っていました。
  何を隠そう、僕が初めてビートルズに触れたのもポンキッキであります。
  Please Please Meと When Im 64を使っていました。
  僕は1973年生まれなので、とうにビートルズは解散していました。
  しかし、ポンキッキで初めてビートルズに触れ、小中学でどっぷりとビートルズ漬けの毎日を送りました。
  歌詞カードがあれば、オリジナル曲は半分、いや7割ぐらいは歌えます。
                        (小林)立派ですねえ。
  I've Just Seen a Faceをぜひかけてください。ラジオの前で歌います。
  (小林)
  かけましょう。 I've Just Seen a Face。
  〜 The Beatles / I've Just Seen a Face
  ttp://www.youtube.com/watch?v=dlKDgmiHVB8

91 :
  〜 The Beatles / If I Fell
  ttp://www.youtube.com/watch?v=kPKYPI1jjdg
  (長野県/男性)
  ビートルズのエピソードを知るたびに、今まで聴いてきた曲のイメージが変わったり、新たな彩りが加わったりして
  30年近く聴いてきたビートルズの楽曲とは、まだまだ長い付き合いになりそうです。
                             (小林)うれしいね、こういうのね。
  一回り年下の妻も 時折ビートルズナンバーを口ずさんでおります。
  その姿が嬉しく思われる このごろです。
                             (小林)www。聴かせてくれてるんじゃないですか。
  今後も楽しい番組を期待しております。
  ハモりが心地良い If I Fellをリクエストします。
  (小林)
  どうもありがとう。

92 :
  BGM= Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=VUImpeQG66U
□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたでしょうか?
  リクエストの方なんですけども、毎週リクエスト呼び掛けますけど、よろしくお願いしますね。
  採用の方には(略)
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  まあ、なんでも好きなようにリクエストしてください。
  今日なんか、いろんな方からね、やっぱり愛を感じるリクエストもあるし。
  それから、ちょっと自慢してた「7割方歌えるよ」っていう、ああいう自慢もちょっと可愛いい自慢じゃないですか。
  どんなことでもいいですから、チョコチョコっと付け加えて、リクエストお待ちしております。
  
  それから、ジョンとポールのR、これはもう本当にすごい、ロックの最大の名場面なんだけど。
  その、セッティングって言うんですかね、お祭りで出会うわけですよ、ジョンとポールは。
  いい話し じゃないですか。
  ただ、この次にお送りする、みたいな感じで。
  よく、テレビなんかで 気を持たせてCM行っちゃったりするじゃないですかw。
  今日、考えてみると、気を持たせてジョンとポールのRを CMの後じゃないもんねw。
  一週間待っていただくw わけですよねw。
  えー、申しわけないw。
  だけど、一週間待っても、そこ行かないかもわかんないw。
  だけど、知ってるわけですよ、みんなね。
  「ああ、このあとジョンとポールがどんなR方をするのかな?」って、知ってるわけですけど。
  これはもう名場面だから、我々はもったいぶってお送りしようと思っております。よろしくお願いしますw。
  ねえ、ほんと、来週はやれるのかな? 来週?
  来週やります!。
  ジョンとポールのRです。
  乞うご期待!。

93 :
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2013年3月17日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也
□ビートルズカレンダー(3月17日)
 ・1969年(今から44年前の今日)
  まだビートルズは解散していません。
  この日、44年前の今日、「クリーム(Cream)」の・・・ 
  「クリーム」ってわかりますよね?
  クリームは あのジョージ・ハリスンの親友のエリック・クラプトン(Eric Clapton)がいた三人組=クリームの「Badge」が発売になります。  
  このクリームの Badgeは 実はジョージ・ハリスンがギターで入っています。
  そして作曲もジョージ・ハリスンです。
  ただ、その頃は契約の問題があって、ジョージ・ハリスンと名乗れないために「ランジェロ・ミステリーオーソ」
  つまり「謎の天使」ていうw 謎の天使という名目を使っていますね。
  ジョージ・ハリスンが作って、アレンジもジョージ・ハリスンだと思いますけども。
  これは親友ということもあって、曲が良いんですよね。
  エリック・クラプトンが大好きな曲で、エリック・クラプトンのベストアルバムの中には必ず入る曲なんですが。
  この頃はあれですよね、ビートルズにエリック・クラプトンが客演する。
  で、エリック・クラプトンのクリームにジョージ・ハリスンが入る。
  お互いに客演しあっているのは どういうことかというとね。
  それぞれのグループの雰囲気が悪い と、雰囲気が悪いんですよ。
  後半 クリームなんかはね、やっぱり3人とも大御所ですからね、エゴが衝突し始めると、もう大喧嘩になったらしいんだけど。
  そんな時にジョージ・ハリスンが入る。その逆もありですよね。
  ジョージ・ハリスンがちょっと イジメられたり していましたからね。
  そんな時エリック・クラプトン連れて行く、ていう。
  客演をし合っていた。 
  でも、この頃はジョージ・ハリスンの才能がグングン伸びていた頃です。
  だからこの「Badge」ていうのは、ほんとうに名曲です。
  ちなみに、この「Badge」ていうのはね、Badgeて言う曲でしょ。
  ジョージ・ハリスンが譜面に「Bridge(サビ)」とメモを書いてのがw、いつの間にか「Badge」になっていたという。

94 :
  あ、それからね、
  ジョージ・ハリスンの最初の上さん=パトリシア・アン・ボイド(Patricia Anne Boyd)ね、パティ・ボイド。
  彼女の誕生日でもあるんですよ、今日は。
  ちなみに 今日68歳になっています。
  今では写真家としても活躍中。
  
  さあ、それじゃジョージ・ハリスンも入ったクリームの Badge。
  〜 Cleam / Badge
  ttp://www.youtube.com/watch?v=s7rHCYtbZRo
  (小林)クリームの Badge。
  ジョージ・ハリスンが入っていました。
  ちょうど今から44年前の今日、アメリカでシングルとして発売された曲でもあります。

95 :
□ストーリー
 ・「ジョン! あなた なんなの?その頭、そのズボン。それにシャツの襟なんか立てちゃって。それじゃまるでチンピラじゃないの!
  すぐにシャワーを浴び直して、全部着替えなさい!。」
  「なに言ってんだよ。やだねったら やだね。俺はこのままで出かけるから。
  ミミ伯母さん、今まで育ててくれて、どうもありがとう。どうぞお元気で。」
  ここでジョンと呼ばれているのは、ここから7年後、あのビートルズのリーダーとして世界中の若者を熱狂の渦に巻き込むことになる張本人=ジョン・レノン。
  そして、ジョンに向かって厳しく怒っているのは、ジョンの文字通り育ての親である、伯母のミミ。
  ジョンの父親であるフレッドは、遠洋航海の船の上で働いていて、ほとんど帰って来ない、という人物。
  母親のジュリアはジュリアで、夫フレッド以外にボーイフレンドを作り育児放棄をした、当時としてはかなり奔放な女性であった。
  こうしたジョンの境遇を見て、可哀そうに思いジョンを育てることを申し出たのが、ジュリアの姉であるミミ伯母さん。
  そのミミも、思春期に差し掛かったジョンにはホトホト手を焼いていた。
  いつの時代も思春期の男の子は反抗的になるものだが、
  この1950年代は、さらに特別な時代でもあった。
  それは「ティーンエイジャー」という世代が市民権を獲得した事が大きな要因。
  第二次世界大戦後のアメリカ合衆国の好景気が引き金となって、若年層が使える小遣いが増え、娯楽としての音楽も数多く生まれた。
  その中でもティーンエイジャーに一番影響を与えたのが、「ロックンロール」と呼ばれた新しいジャンル。
  そのロックンロールは音楽的な範囲を超えて、ファッションや考え方にまで影響を与えた。
  「自分はもう子供じゃない」「くだらない大人になんか、なりたくない」
  といったティーンエイジャーの哲学は 海を越えイギリスにも波及することになる。
  この時16歳のジョン・レノンも、その例外ではなかったことは言うまでもない。

96 :
  〜 John Lennon / I'm Stepping Out
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Jm5fp7QScCU
  〜 Plastic Ono Band(John Lennon) / Hold On
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dV73Y2RjHMw
  (小林)ジョン・レノンの歌声が続きました。
  ジョン・レノンの I'm Stepping Out 1984年の「Milk And Honey」(アルバム)
  ジョン・レノンの遺作ですよね。
  
  そして、プラスティック・オノ・バンド(PLASTIC ONO BAND)
  1970年 Hold On。

97 :
□ストーリー(続き)
 ・1950年代中盤 アメリカに生まれたロックンロール音楽は、大西洋を越えてイギリスにまで波及した。
  同じ英語を母国語に持つアメリカとイギリスではあったが、そのアクセントが違っている以上に、考え方や慣習などにおいて全く別の世界である。
  それでもイギリスの若者たちは、ロックンロールに夢中になった。
  その結果、格式の高い歴史を誇るイギリスにおいてティーンエイジャーは 初めてその市民権を獲得することになる。
  イングランド北西部の港町リバプールにおいても、それは例外ではなかった。
  むしろ首都であるロンドンよりも、アメリカから輸入されるロックやリズム&ブルースの音源の情報は多く、それらは若者たちを熱狂させた。
  1957年7月6日、「そのロックンロールをみんなの前で披露しよう。」と張り切っていたのが 当時16歳の少年ジョン・ウィンストン・レノン。
  のちにビートルズのリーダーとして世界のトップに立つ人物=ジョン・レノンである。
  この日は地元のセント・ピータース教会が主催するフェスティバルであり、それは例年以上に豪勢なプログラムとなっていた。
  その日ジョンは、育ての親である ミミ伯母さんと大喧嘩をした。
  ミミはジョンの身なりにビックリして、怒りのレベルメーターが振り切れてしまった。
  リーゼント頭にチェックのシャツ、それに超スリムのズボン。
  それは完全に当時流行していたテディボーイのファッションそのもの。
  「すぐに着替えなさい!!」と叫ぶミミの命令を無視し、ジョンは出かけた。
  
  そしてさらに、もっとミミを驚かせたことがあった。
  お祭り会場にやって来たミミが、軽食が用意されているテントで紅茶を頂いている時、それまで聴いたことも無い大きくけたたましい音が聴こえて来た。
  それは噂に聞いていたロックのバンドが出しているもの。
  そして、さらにビックリしたのは、そのバンドの真ん中にいて歌を歌っているのが、なんとミミが育て上げているジョンだった、ということ。

98 :
  〜 The Beatles / You Can't Do That
  ttps://www.youtube.com/watch?v=t5t6vGmsQ7o
  〜 The Beatles / Rip It Up - Shake, Rattle and Roll - Blue Suede Shoes
  ttps://www.youtube.com/watch?v=W7bQWlRPgRQ
  (小林)これ(2曲目)は1996年の「アンソロジー(Anthology)3」に入っている、ビートルズの本当にリラックスした演奏。
  ロックンロールのスタンダードのメドレーなんですけども。
  歌詞をちょっと変えたり、歌詞が不確かだったり、揃ってなかったり、これはもう ちゃんと揃ってるってことなんですよねw。
  ビートルズですよねえw。
  「アンソロジー3」1996年です。
  そして、その前は「A Hard Day's Night」(アルバム)のやつですね。
  これは You Can't Do That。

99 :
□ストーリー(続き)
 ・1957年7月6日「最新型のロックンロールを みんなの前で披露しよう。」と張り切っていたのが、当時16歳の少年=ジョン・ウィンストン・レノン。
  のちにビートルズのリーダーとして世界のトップに立つ人物=ジョン・レノンである。
  
  この日は地元のセント・ピータース教会が主催するフェスティバルがあり、それは例年以上に豪勢なプログラムとなっていた。
  この日の朝は、そのジョンと育ての親であるミミ伯母さんが大喧嘩をした。
  喧嘩の原因はジョンの服装、それはまるで街のチンピラそのものであった。
  もちろんミミの忠告も聞かず、ジョンはお祭りに出かけてしまった。
  喧嘩のせいでムシャクシャしていたせいもあり、未成年であるにもかかわらずジョンは、ワインとビールでベロンベロンに酔っぱらった。
  何時間か経って、ミミも教会の近くのお祭り会場にやって来た。
  ここに来るまでミミが知らなかったことがあった。
  それはジョンがロックバンドをやっていること。
  この時の出来事を ミミはこう証言している。
  「私が軽食を用意されたテントで紅茶を頂いているその時、けたたましい音が響いたんです。
  あまりに突然で、いったい何が起こったのかすぐには分かりませんでした。
  私の周りからは すぐにみんないなくなって、その音が聞こえてくる原っぱの方へ走って行ったんですよ。
  そしたら、バンドらしきものが石炭トラックの上で演奏しているんです。
  その真ん中には、私が買ってあげたギターをぶら下げて、マイクの前に立っているジョンがいました。
  仲間のピート、そうピート・ショットンていう子もいましたね。
  ジョンはすぐに、ポカンと口を開けている私に気付いたんですが、すぐに即興で歌い出しました。
  それは本当にアドリブでした。
  たしか歌詞は、
  ♪ミミが来る、オー オー、ミミがやって来る♪
  でしたかねえ。
  それはそれはもう、心臓が停まりそうなくらい ショッキングな出来事でしたねえ。」

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