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2013年06月心と宗教11: ☆十字架☆イエス・キリスト☆復活37 (351) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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☆十字架☆イエス・キリスト☆復活37


1 :2013/04/24 〜 最終レス :2013/06/22
「わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、
人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っています。
そして、天から賜わるその住まいを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえています。
それを着たなら、裸のままではいないでしょう。
この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえています。それを脱ごうと願うからではなく、
その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちに飲み込まれてしまうためです。
わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神です。
そして、神はその保証として聖霊をわたしたちに賜わってくださいました。
だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っています。
わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのです 」。
新約聖書 コリント人への第二の手紙
前スレ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1356433059/

2 :
十字架☆イエス・キリスト☆復活・アナウンサー板
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/ana/1317632015/
十字架☆イエス・キリスト☆復活・メンヘルサロン板
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/mental/1363081825/
十字架☆イエス・キリスト☆復活・宗教板
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1356433059/
十字架☆イエス・キリスト☆復活・難病
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/nanbyou/1363167033/
十字架☆イエス・キリスト☆復活・人生相談板
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1363081466/
十字架☆イエス・キリスト☆復活・R板
http://kilauea.bbspink.com/test/read.cgi/pub/1363082035/
十字架☆イエス・キリスト☆復活・アウトロー板
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/4649/1363082575/
十字架☆イエス・キリスト☆復活・リーマン板
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/employee/1363084418/
十字架☆イエス・キリスト☆復活・合唱板
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chorus/1363082429/
十字架☆イエス・キリスト☆復活・なんでもあり板
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mog2/1363170734/
十字架☆イエス・キリスト☆復活3・市況2板
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/livemarket2/1363167495/

3 :
十字架☆イエス・キリスト☆復活・お受験板
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1366883872/

4 :
プロテスタント教会は、「使徒ペテロに始まる使徒的伝承をプロテスタント教会が壊し、叙階の秘跡を損なったために、『教会』と呼ぶことはできない」

5 :
パウロがローマ人への手紙に書いたことは、宗教的禁忌ではなく、
性のマイノリティーに対する、精神性攻撃です。
こういう言葉をうかつに使う人を、使徒や聖人とあがめてきたキリスト教に
責任があります。イエスの十字架にパウロの罪を謝罪しましょう。
そうしないと、イエスが再臨した時に、まずキリスト教徒から裁かれるのです。

6 :
キリスト教は宗教設定が失敗している。
 可哀想な方達が生まれる必然性を備えた宗教となっている。
 キリスト教は、悪魔を神の対抗軸に存在させている。
 そして、その悪魔意識の中に教義を展開する宗教となっている。
 悪魔を仮想敵としている。
 故に、この宗教の考え方・教義が染み込んだ・洗脳された人たちであるキリスト教徒の方々は、
 悪魔の存在を、常に、意識した生活となる。
 仮想敵の悪魔の存在の中の生活なのである。
 常に、意識下に仮想敵の存在がある。
 本当は、仮想敵が居ない状態でも、仮想敵を作っておかないと落ち着かないという洗脳状態の中で、
 本当は居ない仮想敵を無理に作って生活している。
 精神の切迫状態を作る宗教なのである。
 精神ストレス下の宗教なのである。
 可哀想な方々が多い宗教となってしまう。

7 :
イエス・キリストは、何故、人々から罵詈雑言を吐きかけられ、また、唾まで吐きかけられたのか? 
 イエス・キリストは、何故、「大飯くらい」とか「大酒飲み」と言われるのか?
 何故、イエス・キリストは生まれ故郷に帰った時、「預言者とはうまいことをしているな」と言われたのか?
 何故、救世主の血筋にイエス・キリストの父・ヨセフ(ナザレのヨセフ マリアの夫、イエスの養父、大工のヨセフ)が居るのに、
キリスト教はイエスと父は血縁ではないイエスを救世主と言うのか?
 イエスは、「わが神、わが神、何故、わたくしを見捨てられるのですか?」と「神に見捨てられた」という思いに至ったのか?
 弟子たちは、何故、イエス・キリストの刑場から逃げてしまって、立ち会わなかったのか? 
 この事から「人々の罪が贖(あがな)われた」とどうして思えるのか?

8 :
ルターは言う、「人間は善行でなく、信仰によってのみ『義』とされるということに気づき、ようやく心の平安を得た」と。
 しかし、これは間違い。信仰だけでも駄目、マザー・テレサさんの様な『善行』も大切。
 故に、「人間は、善行も信仰も、その両方をもって『義』とされる」が正解。
 ルターは、この後、信仰のためと称して『悪行』をする。
 ルターの悪行は、戦争を起こしたり、人を殺(あや)めたり、信仰者としてあるまじきことをする。
 ルターは、改革をしたと思われているが、自分の経験したことに拘(こだわ)って、古い考えに固執したりする。
 特に、ルターの大罪悪は、他宗教に対する強烈な差別意識である。
 これによってヨーロッパの方々の3割もの人々が死ぬという悲惨な戦争が起きた。
 また、ルターのユダヤ人嫌いは異常で、ナチ・ヒトラーのユダヤ人大虐殺・ホロコーストへと繋(つな)がっていく。
 この様に、人類にとって、ルターは、大悪人・大犯罪人。
 またこれは、人々の「人種的偏見意識」を煽(あお)りたて、ユダヤ人に対して石を投げつけることが日常茶飯事という状況を作った。

9 :
あなたがたのような者たちは、教憲教規やカテキズムという自分たち人間の言い伝えによって、
神のことばであるイエス・キリストやその弟子たちの教えを無にしています。
偽善者たちよ、イエス様はイザヤの預言を引用し、あなたがたについて、こういう適切なことばを語られました。
『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
人間のいましめを教えとして教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。

10 :
イエス・キリストの啓示を受けたパウロは、ガラテヤのクリスチャンたちに、次のように手紙を送っています。
「わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、
キリストの死は無駄であったことになります。 ああ、物わかりの悪いガラテヤの人よ。十字架につけられた
イエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのですか。
わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、
律法を行ったからですか、それとも、聞いて信じたからですか。
あなたがたは、そんなに物わかりが悪いのですか。
御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのですか。 あれほどの大きな経験をしたことは、無駄であったのですか。
まさか、無駄ではないでしょう。 すると、あなたがたに御霊を賜い、力あるわざをあなたがたの間でなされたのは、
律法を行ったからですか、それとも、聞いて信じたからですか」。

11 :
「このように、アブラハムは『神を信じた。それによって、彼は義と認められた』のです。
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきです。
聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、
『あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう』との良い知らせを、予告したのです。
このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けます。
いったい、律法の行いによる者は、皆、呪いの下にあります。
『律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆、呪われる」と書いてあるからです。
そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかです。
なぜなら、『義人は信仰によって生きる』からです。 律法は信仰に基いているものではありません。
かえって、『律法を行う者は律法によって生きる』のです」。

12 :
「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いからあがない出して下さいました。
聖書に、『木にかけられる者は、すべて呪われる」と書いてあるからです。
それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、
わたしたちが信仰によって受けるためです 」。

13 :
「兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言いましょう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、
これに付け加えたりすることは、だれにもできません
さて、約束は、アブラハムと彼の子孫とに対してなされたのです。それは、多数をさして『子孫たちとに』と言わずに、
ひとりをさして『あなたの子孫とに』と言っています。これは、キリストのことです。
わたしの言う意味は、こうです。神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、
その約束がむなしくなるようなことはありません。
相続が、律法に基いてなされるとすれば、もはや約束に基いたものではありません。
ところが事実、神は約束によって、相続の恵みをアブラハムに賜わったのです 」

14 :
「それでは、律法はなんでしょうか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、
約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって
制定されたものにすぎない。
仲介者なるものは、一方だけに属する者ではありません。しかし、神はおひとりです。では、律法は神の約束と相いれないものか。
断じてそうではありません。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたでしょう。
しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、
聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのです 」

15 :
「しかし、信仰が現れる以前は、わたしたちは律法の下で監視されており、やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていました。
このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのです。
しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいません。
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのです。
キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着ました。
もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。
あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。 もしキリストのものであるなら、あなたがたは
アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです 」。

16 :
新約聖書ローマの信徒への手紙
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中から
よみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』
ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、
主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです」。

17 :
詩篇第24篇 ダビデの歌

「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とはヤハウェのものである。

ヤハウェはその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。

ヤハウェの山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。

手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、
偽って誓わない者こそ、その人である。

このような人はヤハウェから祝福をうけ、その救いの神から義をうける。
これこそ主を慕う者のやから、ヤコブの神の、み顔を求める者のやからである。〔セラ

門よ、こうべをあげよ。永遠の戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。

栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましいヤハウェである。

門よ、こうべをあげよ。永遠の戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。

この栄光の王とはだれか。万軍のヤハウェ、これこそ栄光の王である」。〔セラ

18 :
「わたしたちは信仰によって義(正しい者)とされたのですから、わたしたちの主イエス・キリストにより神との和解を得ています」。
新約聖書 ローマ人への手紙

19 :
「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、
神に対して和解を得ています。
わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、
そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいます。
それだけではなく、患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないでしょう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるかもしれません。
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのです。
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるでしょう。
もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、
彼のいのちによって救われるでしょう。
そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのです 」。

20 :
「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、
すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのです。というのは、律法以前にも罪は世にあったが、
律法がなければ、罪は罪として認められません。
しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかったのです。
このアダムは、きたるべき者の型です。
しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっています。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、
ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではありませんか。
かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっています。
なぜなら、裁きの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったのですが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからです」。

21 :
「もし、ひとりの罪過によって、そのひとりを通して死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの
恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストを通し、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではありませんか。
このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、
いのちを得させる義がすべての人に及ぶことになります。
すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのです。
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためです。
しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれました。
それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、
永遠のいのちを得させるためです 」。

22 :
「では、わたしたちは、なんと言いましょうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきでしょうか。断じてそうではありません。
罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるでしょうか。
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、
彼の死にあずかるバプテスマを受けたのです。
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのです。それは、キリストが父の栄光によって、
死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためです。
もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるでしょう。
わたしたちは、この事を知っています。
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられました。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、
罪の奴隷となることがないためです。
それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからです。 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じます」。

23 :
「キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからです。
なぜなら、キリストが死んでくださったのは、ただ一度罪に対して死んでくださったのであり、キリストが生きていらっしゃるのは、
神に生きておられるからです。
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを認めることです。
だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、 また、あなたがたの肢体を不義の武器として
罪にささげてはいけません。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるほうがよい。
なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからです 」。

24 :
「それでは、どうなのですか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきでしょうか。
断じてそうではありません。 あなたがたは知らないのですか。あなたがた自身が、だれかのしもべになって服従するなら、あなたがたは
自分の服従するその者のしもべであって、死に至る罪のしもべともなり、あるいは、義にいたる従順のしもべともなります。
しかし、神に感謝しよう。あなたがたは罪のしもべでしたが、伝えられた教えの基準に心から服従して、 罪から解放され、義のしもべとなりました。
わたしは人間的な言い方をしますが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえです。
あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法とのしもべとしてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義のしもべとしてささげて、
清くならなければならない」。

25 :
「あなたがたが罪のしもべであった時は、義とは縁のない者でした。 その時あなたがたは、どんな実を結びましたか。
それは、今では恥とするようなものでした。それらのものの終極は、死です。
しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、清さに至る実を結んでいます。その終極は永遠のいのちです。
罪の支払う報酬は死ですが、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちです 」。

26 :
新約聖書 ローマ人への手紙
「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して和解を得ています。
わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、
そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいます。
それだけではなく、患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないでしょう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるかもしれません。
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのです。
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるでしょう。
もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、
彼のいのちによって救われるでしょう。
そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのです 」。

27 :
十字架スレの数年前パート22.より。
: リンゴ ◆oPXbhrKCUQ [age] 2011/07/19(火) 21:09:44.16
ID
:LnfLmzFX
>>505

シラ書にそういうみことばあったんですね。ありがとう。

>>506

返事おそくなってごめんね。神様の御名はヘブル語であらわす時に、神聖四文字『YHWH』が使用されます。
ユダヤ人たちは伝統的に、これをアドナイと呼んでいました。
しかし中世に入ってから、マソラなどの写本において、神聖四文字に母音を補うようになってきました。
そして神聖四文字『YHWH』の間に、アドナイの母音であるe,o,aを挿入して、
『YEHOWAH』としてしまったのです。
これは初め、「主」という意味しか持たず、今まで通り『アドナイ』と発音されてきました。
しかし、ユダヤの伝統を全く知らない中世の無知なクリスチャンたちがこれを神の名前であると思い込み、
そのまま『エホバ』と音訳してしまったのです。
では、真の意味での神の御名、すなわち神聖四文字『YHWH』は本来どのように発音したのでしょうか?
現在、古代のギリシア語やヘブライ語の文法から、『ヤハウェ』と呼ぶのが正しいとされています。

28 :
神の御名「YHWH」を日本語訳聖書では「主」と訳されてますが、
ヘブル語の原文からして、神の御名「YHWH」は「主」でも「エホバ」でもなく、「ヤハウェ」が正しい。

29 :
詩篇
「わたしの魂よ、ヤハウェを褒め称えよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名を褒め称えよ。
わたしの魂よ、ヤハウェを褒め称えよ。ヤハウェの御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
ヤハウェはあなたの罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から贖い出してくださる。
慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ち足らせ、鷲のような若さを新たにしてくださる」。

30 :
聖なる王イエス・キリストの父なる神を褒め称えよう。ハレルヤ。>>26

31 :
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(新約聖書 ローマ人への手紙)

32 :
「愛する皆さん。 父なる神は、ずっと昔からあなたがたを選び、自分の子供にしようと、決めておられました。
そして、聖霊の働きかけにより、あなたがたの心は、イエス・キリストの血によって清められ、神様に喜ばれるものと変わったのです。
どうか、神様があなたがたを祝福し、すべての不安と恐れから、解放してくださいますように。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。
私たちは、神様の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、今では神様の家族の一員として、迎えられたのです。
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています」
新約聖書 ペテロ第一の手紙より

33 :
最近のキリスト教の聖書について書いた本は、単刀直入に言えば「科学的におかしいところについてとやかく言わないでくれ、
真意を汲み取る様にしてくれ」と開き直っている本が多い。
 つまり、キリスト教の聖書は「つじつまが合わない所があるが、そのことにとやかく言わないで読んでくれ」である。
 そして、創世記を例に言えば、「神は姿が見せず、ただ声だけがおごそかに響いてくる。精神性を深く宿した文章だ」と説明する。
 そして次に、神は泥をこねて人を作り、エデンの園を足音をたてて歩いたり(神には足があり、足音が出るくらいの体重なのが分か
る)、神は隠れた人を探したりと、人と全く同じ思考をすることを記している。
 そしてその後、「神は必ず罰する」という事を作者は言いたかったという。人が書いたものだと言う。そして言う。バビロン捕囚の
ところで作者は変わっていると。そして、「祖国を失った彼等のプライド、生き甲斐を救うために書かれた」と。
(キリスト教聖書は、その様な、2500年前の、当時の時代的要請の必要性から、その目的から書かれた書物。つまり、世界を救うなど
という考え目的は、まったくない。自分たち民族のために書かれた書物。現代に適合してない)。

34 :
その後、P文書(祭司)という祭儀に関する宗教家の記述が続き、神の絶対性や超越性が書かれ、J文書(ヤハウェ)が続く。
 ここは倫理的に少し低く、作者は宗教家ではなく、語り部だったと思われる。J文書は南部の部族を大切に扱っている。
 (作者は南の部族か?)。J文書は、その後に編集の手が多く加えられて、J文書はズタズタにされてしまった。
 この様なキリスト教で、人類が救済されるわけがない。皆様が幸せになれるはずがない。

35 :
>>33>>34
あなたがたアンチキリストの言うキリスト教解説本は、神の子供たちが書いたものではなく、
サタンの会衆に属する者たちによる偽り教義です。
あなたの言っていることも聖書に書いていないことを、さも書いてあるかのように伝えています。
アンチの諸君は安易に十字架スレに近づいて、みことばを曲げないほうがいいでしょう。
なぜなら、イエス・キリストを信じる者たちは、神の子供と認められ、裁かれることはありませんが、
イエスキリストに敵対する者たちは、この世で生きている間のひとつひとつの言葉や行いについて、
神の御前に申し開きをしなければならないからです。
イエス・キリストの父なる神、すなわちわれわれクリスチャンたちの父に逆らうことが、
どういうことか理解出来るなら、あなたは、リンゴクリスチャンに逆らうことが、
いかに恐ろしいことかがわかるでしょう。

36 :
イエス・キリストの父なる神は長い間、忍耐して来られました。
しかし、そう遠くない将来、神の大いなる戦いが始まります。
われわれの神であり、兄であるイエス・キリストに逆らう地上にいる者たちは、
神の大いなる戦いを目の当たりにして震えあがり、気絶することでしょう。

37 :
その時がくれば、「わたしはだれひとり容赦しない」と万軍の神が仰せられます。

38 :
イエス・キリストを信じなさい。
>>26>>31

39 :
キリストは神>>26

40 :
おはようございます。
主に全勝のいけにえを捧げます。アーメン

41 :
>>40
おはちゅん

42 :
イエスの言葉と言われている言葉が、実は、『ほとんどがイエスの言葉ではない』という事は皆さん知っていると思いますが、
 近年の神学の進歩で、特に、分かって来たことの一つです。
 福音書の中で、イエスが語っている言葉は、その通りに語ったのではないという事も分かって来た。
 原始キリスト教会の信者たちの信仰の中からイエスの言葉として生まれて来たという事が判明してきた。
 結局、福音書は、原始キリスト教会の『信者たちの言葉』によって出来たと言える。
 そして、パウロ路線の福音書記述者のまったくの創作。
 マタイによる福音書は、イエスの言葉と思われるものが一つしかない。
 一つもない福音書よりましだが、まったくイエスの宗教と言えない結果が分かって来た。
 キリスト教の宗教企画をしたパウロは、「十字架上の血の贖い・供犠」と「復活」で、今現在のキリスト教の宗教企画をした。
 パウロ・キリスト教と言われる由縁だ。そのパウロ、本当はイエス・キリストを尊敬していなかった。
 (「コリントの信徒への手紙1」2・2)を読んでみなさい。『イエスのことば』や『イエスの行動』は全く無視と宣言している。
 パウロ路線の「マタイによる福音書」に、イエス・キリストの言葉が1つでもあるのは儲けものだと思いなさい。
 今も昔も路線問題でもめる宗教=キリスト教。この様な宗教で、人類救済ができるわけがない。皆様が幸せになれるはずがない。

43 :
主イエスは、私をも憐れんでくれています

44 :
キリスト教の神は「信じなければ救いを拒否し、切り捨てる」という神であるが・・・、
 (「出エジプト記」20・5・〜6)に・・・
    「わたしは主、あなたの神・・・わたしを否(いな)む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
          わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」・・・がある。
  肝っ玉のちっちゃいキリスト教の神である。また、へどが出そうになるくらいの『自己中心のキリスト教の神』である。
  利他の爪の先の思いもない。「俺が」の神である。「俺だけに・・」の神である。
  「皆様のために」などとの心の広さは、毛の先もない、まったくない。
  キリスト教の神なんてこんなものなのだが。
  こんな神で人類救済ができるわけがない。皆様がたが幸せになれるはずがない。
 この様な種類のキリスト教が呆れるほど有る。この様なキリスト教の教義に洗脳されていれば「教義」の「異教徒は殺せ」の
 キリスト教徒が出来あがってしまう。人類が幸せになれるはずがない。貴方がたに明るい未来があるわけがない。
 これが人類の長い歴史において「悲しみの涙をつくってきた」「戦争の歴史の中にあるキリスト教」なのである。
 (参考)いな・む【否む/辞む】 [動マ五(四)]《「いなぶ」の音変化》 1 断る。嫌がる。辞退する。 2 否定する。

45 :
聖書が教える本質と主要キリスト教会とは乖離しています
聖書が述べる神は愛と真実の唯一神
悪から来る偽りと捏造を神は許容しませんし裁かれます

46 :
リンゴさん
癒しスレでみ言葉の引用をお願いします

47 :
>>42
それはアンチの戯言で、何の根拠もありません。
>>43
>>44
hai hai
(^^)
>>45
その通り。
>>46
.ありがとうございます。今はそのままにしておきましょう。
癒しスレがなぜ、そうなるのか考えてみてください。
批判するひとのせいですか。わたしはそうではないと思います。

48 :
>>43
ハレルヤ。

49 :
神の御旨により、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって立てられたキリスト・イエスの使徒パウロは、 愛する子テモテへ
こう書き送っています。
「次の言葉は確実である。『もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。
もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。
たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実です。彼は自分を偽ることが、できないからです』。

あなたは、これらのことを彼らに思い出させて、なんの益もなく、聞いている人々を破滅におとしいれるだけである
言葉の争いをしないように、神のみまえでおごそかに命じなさい。
あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい」

50 :
「俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、 彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるでしょう。
その中にはヒメナオとピレトとがいます。
彼らは真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、そして、ある人々の信仰をくつがえしているからです。
しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされています。
『主はご自分の者たちを知っておられる』。また『主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ』。
大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられます。
もし人が卑しいものを取り去って自分を清めるなら、彼は尊い清められた器となって、主人に役立つものとなり、
すべての良いわざに間に合うようになります 」。

51 :
「そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、清い心をもって主を呼び求める人々と共に、
義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。
愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけです。
主のしもべたる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、
反対する者を柔和な心で教え導くべきです。
おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、 一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、
目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるでしょう 」。

52 :
詩篇8
「ヤハウェ、われらのヤハウェよ、あなたのみ名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。
あなたの栄光は天の上にあり、みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。
あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。

わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。
人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。
ただ少し人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、
よろずの物をその足の下におかれました。
すべての羊と牛、また野の獣、空の鳥と海の魚、海路を通うものまでも。
ヤハウェ、われらのヤハウェよ、あなたのみ名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう」。

53 :
ある本に・・・
 キリスト教会の権威が伴う救いは、
 
 『 都合よく作り上げられただけで 中味が全くないのもの 』と、
 直接、聖書の『 権威 』によって救いを得ようという プロテスタントのグループが現われた。
 しかし、
 結果的に依然として変化なく、
 むしろ、
 教会内に「聖書霊感説」がはびこり、
 聖書の言葉は、神の霊感で、無謬だとし、
 聖書に対して評することを拒み、
 新しい進展の芽を摘む結果となり、
 停滞を余儀なくされた。
 こうして聖書の学問が固定し、自由と深みを失った。

54 :
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(新約聖書 ローマ人への手紙)

55 :
キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選ばれ、召されて使徒となったパウロがローマにいる、神に愛され、
召しを受けたクリスチャンたち一同へ次のように手紙を送っています。
「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して和解を得ています。
わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、
そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいます。
それだけではなく、患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないでしょう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるかもしれません。
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのです。
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるでしょう。
もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、
彼のいのちによって救われるでしょう。
そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのです 」。

56 :
「異端」の言葉を使って違う意見を抹殺し、
 キリスト教は画一化して行った。
 多様性の良さを理解できない結果だった。
 残ったものを正統派だとした。
 それは、何も正統でも何でもなく、ある一つの解釈に過ぎないのだが、「唯一の正しいもの」とし、
 他に、「唯一のものだ」という事を強要した。
 排他の傾向は強く、
 より一層の排他傾向を持って行った。
 宗教的な幅広さは失って行き、同時に、齟齬の修正もままならない宗教と化して行った。
 異端排除には多くの人命が失われる行為が同時進行した。
 この様な宗教に人類救済はできません。貴方がたが救われることはありません。

57 :
「わたしたちは信仰によって義(正しい者)とされたのですから、わたしたちの主イエス・キリストにより神との和解を得ています」。
新約聖書 ローマ人への手紙

58 :
新約聖書 コリント人への手紙
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによっ て 立ってきたあの福音を、 思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信 じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そし て葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現 れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者 たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわ ば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、 使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様 の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、 あなたがたは信じたのです」。

59 :
詩篇 第32篇 ダビデのマスキールの歌
「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。
ヤハウェによって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。
わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時、一日中苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。
あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。〔セラ
わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。
わたしは言った、
『わたしのとがをヤハウェに告白しよう』と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ
このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にもその身に及ぶことはない。
あなたはわたしの隠れ場であって、わたしを守って悩みを免れさせ、救いをもってわたしを囲まれる。〔セラ
わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。
あなたはさとりのない馬のようであってはならない。また騾馬のようであってはならない。
彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、あなたに従わないであろう。
悪しき者は悲しみが多い。
しかしヤハウェに信頼する者はいつくしみで囲まれる。正しき者よ、ヤハウェによって喜び楽しめ、すべて心の直き者よ、
喜びの声を高くあげよ」。

60 :
ゲヘナ 地獄 工作員 エージェント 操り人形 カタストロフィ 二重罠 イルミナティ悪魔の13血流 で検索。

61 :
>>47
あんたもまちこのスタンスそのものに癒しスレが荒れる原因があると思っているのかい?
まあ、一番大きいのはまちこが事もあろうにサタンの息女、サロメを席に招いたからだが。
あと、セクシャル・ハラスメントはするなよ。
お前は今のままでいい。

62 :
>>61
これまで何度も警告してきたが、彼女たちは神のみことばを軽んじ、
イエスキリストの啓示に従わない。もうわたしの責任ではない。
クリスチャン女性のありかたについて聖書のみことばを引用しておく。
ユダからも警告しておいてくれ。

63 :
イエス・キリストの啓示を受けたパウロは、クリスチャン女性の信仰生活について手紙にこう記しています。
「女はつつましい身なりをし、適度に慎み深く身を飾るべきであって、髪を編んだり、金や真珠をつけたり、高価な着物を着たりしてはいけない。
むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい。
女は静かにしていて、万事につけ従順に教えを学ぶがよい。
女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。 なぜなら、アダムがさきに造られ、
それからエバが造られたからである。
またアダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。
しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう。 」

64 :
イエス・キリストの啓示なる聖書のみことばに書いてあるように
信仰を言いあらわしているクリスチャンの女は
「静かにしていて、万事につけ従順に教えを学ぶがよい。
女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。」とある。
彼女たちは反面教師もいいとこだ。

65 :
キリストの啓示でわかるように、女の信者は、
教えたり、男の上に立ったりすることを、許されないのです。

66 :
神に逆らう者、神のみことばに逆らう者をへブル語でサタンという。

67 :
また、イエスはこういわれた。
「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。
よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。
それは、あなたのする施しが隠れているためである。
すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

また祈る時には、偽善者たちのようにしてはならない。
彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。
すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」

68 :
「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。

御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。 」

69 :
「また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをしてはならない。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、
自分の顔を見苦しくする。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。 それは断食をしていることが人に知れないで、
隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。

あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
あなたの宝のある所には、心もあるからである。
目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。
だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろうか。
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。
あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。 」

70 :
「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと
自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
空の鳥を見なさい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それなのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりも、はるかに優れた者ではないか。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、
それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらってはならない。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 」

71 :
「人を裁いてはならない。自分が裁かれないためである。 あなたがたが裁くその裁きで、自分も裁かれ、あなたがたの量るそのはかりで、
自分にも量り与えられるであろう。 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、
あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、
門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、
求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。

狭い門からはいりなさい。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない 」

72 :
「偽預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。
茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 良い木が悪い実をならせることはないし、
悪い木が良い実をならせることはできない。 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。 このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、
あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、
『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、
倒れることはない。岩を土台としているからである。
また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、
倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。

イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えにひどく驚いた。 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである 」。

73 :
日本に叡尊(えいそん)という佛教の僧侶がいた。紀元1201年〜1290年の僧である。
 彼は『菩薩僧』と呼ばれた。
 菩薩僧とは、単に「悟りを目指す」のみならず、「他人も救済しよう」とする僧のことで、
 『興法利生(こうほうりしょう)』といって、仏教を興し、また、衆生を救済することに努めた。
 そして、教団の人達と共にハンセン病患者の救済をした。
 今から800年も前に、日本では、この様な事が実施されていた。
 また、彼は、橋や港湾の整備など様々な社会救済事業も行なったりしていた。
 そして、更にまた、女性救済にも献身し、多くの女性を助け、仏教の救いを説き、奥義まで丁寧に説いて、
そして場合によっては僧俗にも就かせ、寺を建てて、安心して宗教に身を置いて専念できるようにした。
 この様なところは、女性を排除していた男尊女卑のキリスト教とは全く違うところ。

74 :
神はアブラハムに、サラの意見を受け入れるよう促しました
イエス・キリストは、娼婦に落ちぶれていた女の命を救い改心させました
現在でさえ中東では女性に過酷な風習が残っている←古い時代には、今より厳しく生きにくかったでしょうが、そんな風潮でも女性に配慮されていたということです

75 :
>>74
聖書から、なんと書いてあるかを出典明記してください。

76 :
>>74
神がアブラハムに、サラの意見を受け入れるよう言われた聖書の箇所を示していただけませんか。

77 :
イエスキリストを信じなさい。

78 :
創世記21:12

79 :
>>78
それはアブラハムとサラに関してだけのことです。律法も言っているように、
女は男に従わなければならない。

>>64>>65のみことばをよく読んでみなさい。
そこにはイエス・キリストの「信仰を言い表している女」は
「静かにしていて、万事につけ従順に教えを学ぶがよい。
女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。」とあります。
アブラハムとサラの時代はイエス・キリスト以前です。


80 :
イエス・キリストの十字架とよみがえり後は、
「信仰を言い表している女」は静かにしていて、万事につけ従順に教えを学び、
女が教えたり、男の上に立ったりすることを、許されないのです。

81 :
アブラハムとサラに関してだけのことをクリスチャンにあてはめてはいけません。

82 :
神なるヤハウェのみことばがあるから、アブラハムはサラの意見を受け入れたのです。
しかし、全能者であるヤハウェは、クリスチャンの女に対して、
「静かにしていて、万事につけ従順に教えを学ぶがよい。
女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。」と
イエス・キリストの啓示を受けたパウロを通して仰せられています。
クリスチャンはキリストの啓示に従いなさい。

83 :
「わたしたちは信仰によって義(正しい者)とされたのですから、わたしたちの主イエス・キリストにより神との和解を得ています」。
新約聖書 ローマ人への手紙

84 :
キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選ばれ、召されて使徒となったパウロがローマにいる、神に愛され、
召しを受けたクリスチャンたち一同へ次のように手紙を送っています。
「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して和解を得ています。
わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、
そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいます。
それだけではなく、患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないでしょう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるかもしれません。
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのです。
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるでしょう。
もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、
彼のいのちによって救われるでしょう。
そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのです 」。

85 :
「わたしたちは信仰によって義とされたのですから、わたしたちの主イエス・キリストにより神との和解を得ています」。

86 :
「わたしたちは信仰によって義(正しい者)とされたのですから、わたしたちの主イエス・キリストにより神との和解を得ています」。

87 :
仏教以前の宗教(例えば、バラモン教など)には、女性の出家者が許されてなく、女性出家者は居なかった。
 しかし、仏教には女性出家者(尼僧)が居た。佛教が出来ての最初の女性出家者は仏陀の養母でした。(仏陀の実母は仏陀を産んで
すぐに亡くなられている)。この女性出家者の存在は、はるかヨーロッパのギリシャ人にとっても驚きの先進的状況であった。
 このことは、シリア王の大使でギリシャ人の「メガスティーネス」がインドの王のもとに来た時の見聞録に記録されています。
 その記録によれば「尼たちが居て、そのうえ難解な事を男僧と共に、男女が分け隔てなく議論していたことが、インドの驚くべきこと」
として記されています。
 その点、キリスト教は、現代の今時点においても、女性は聖職者になれないなどの女性蔑視・男尊女卑をしています。
 近代においても、前近代的宗教の状態。 仏教の基本の考え方は、この例の様な男女の平等性はもちろん、次の仏陀の言葉によって分かる。
   「生まれによって賤(いや)しい人となるのではない。生まれによってバラモン(高位者)となるのではない。
            行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモン(高位者)ともなる」。(仏典:スッタニパータ)

88 :
詩篇第24篇 ダビデの歌
「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とはヤハウェのものである。
ヤハウェはその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。
ヤハウェの山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。
手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、
偽って誓わない者こそ、その人である。
このような人はヤハウェから祝福をうけ、その救いの神から義をうける。
これこそヤハウェを慕う者のやから、ヤコブの神の、み顔を求める者のやからである。〔セラ
門よ、こうべをあげよ。永遠の戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましいヤハウェである。
門よ、こうべをあげよ。永遠の戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
この栄光の王とはだれか。万軍のヤハウェ、これこそ栄光の王である」。〔セラ

89 :
「愛する皆さん。 父なる神は、ずっと昔からあなたがたを選び、自分の子供にしようと、決めておられました。
そして、聖霊の働きかけにより、あなたがたの心は、イエス・キリストの血によって清められ、神様に喜ばれるものと変わったのです。
どうか、神様があなたがたを祝福し、すべての不安と恐れから、解放してくださいますように。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。
私たちは、神様の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、今では神様の家族の一員として、迎えられたのです。
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています」
新約聖書 ペテロ第一の手紙より

90 :
新約聖書 コリント人への手紙
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによっ て 立ってきたあの福音を、 思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信 じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そし て葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現 れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者 たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわ ば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、 使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様 の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、 あなたがたは信じたのです」。

91 :
主よ、罪人の私を許し、憐れみをお与え下さい。
主は私の盾であり、最後の拠り所。

92 :
マタイによる福音書のまず最初に記してある「イエスの系図」の 『 信用性は全くありません 』。
 同じ新約聖書のルカによる福音書(3・23〜)に記述されるイエスの系図と 『 全く違っている 』。
 食い違いが甚(はなは)だしいのである。この両者の相違は明らかであって、『 まったくの調整不能の状況 』。
 明らかに聖書記述者が、各自が思いつくままに勝手に記述したとしか考えられない。何らの資料もない『 空想の産物 』である。
 その背後にある『歴史的事実の系図の存在をも否定』されている。故に、イエスの系図はありませんと『存在しないことの証明』にも
なってしまっている。キリスト教は、『よくこの様な勝手記述』をして、このレベルの記述があふれているが、結果的にその
『嘘記述』が、逆に、『真実の存在を否定する』結果になり、良かれとしたことが『自分で自分の首を絞めている』こととなっている。
 キリスト教は、開き直って『歴史的事実なんてどうでもいいのだ、宗教的趣旨が伝わればそれでよいのだ』という事を言う。
 『歴史的事実では全くない』と論外に言っているこの論理は、『 言外に全くの作り話 』ですと言うことで、こういわざるを
得ないのだろうが、この作り話教義(キリスト教の宗教的考え方)が次なるキリスト教教義に関連し、次なる教義が作られている。
 その教義へも影響を与えて行くのである。「アブラハム」の系統に入らねばならないのであると・・・つながっていく。
 『親ガメがこけたら、子ガメもこける』のである。『 総崩れ教義 』が林立する形となるのである。

93 :
>>92
釈迦が脇腹から産まれて赤ん坊が直後に歩き、「天上天下唯我独尊!」と語ったとかバカ丸出しw

94 :
釈迦入滅から56億7千万年後に現れて人々を救うとされる弥勒菩薩www

95 :
アーメンとハレルヤの意味ですが、癒しスレで間違っている解釈がなされていますので、
ヘブル語から正しく訳してみます。まずアーメンですが、これのことばは「本当に」「まことに」となります。
また、ハレルヤは「ヤハウェを賛美しよう」です。
ハレルヤの「ハレル」が「賛美する」を意味し、ハレルヤの「ヤ」はヤハウェを意味します。

96 :
また、アーメンということばは「本当に」「まことに」のほかに「真実」という意味があります。
新約聖書にイエス・キリストのことを「アーメンであるかた」と記されていますが、
これは、イエス・キリストが真実であるかたであることを啓示しています。

97 :
キリスト教に質問します。
キリスト教で説く処の「天地創造の神」と「天にまします御父」、「ヤハウェ」の3つは
同一の神ですか? それとも異なる神ですか?
イスラム教では天地創造の神は巨大なる光と熱の塊(大光明)であって、
とうてい人間が見る事も近づくことも出来ないとされています。
もし、イスラムの教えの通りであるならば、聖書のヤハウェとはかなり
印象が異なりますね。
やはり別の神であると考えてヨロシイですか?
もし同一神であると主張するならば、その根拠を明示する必要があると思います。

98 :
>>97
同一。
聖書の神も基本的にはじかに見たり近づいたりできない。
人間と直接語られる時には、ご親切にも人間や天使の姿をとられたという事です。

99 :
98では、説明になっていませんね。
説明できないと云う事ならば、
「天地創造の神」と「ヤハウェ」「御父」は、それぞれに別の神という事でしょう。

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