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2013年07月日本近代史155: 【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】 (137)
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【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】 (137)
【憲政】立憲政友会vs立憲民政党 part3【翼賛】
- 1 :2012/06/06 〜 最終レス :2013/05/07
- 戦前の政党・政党政治家などを語る
往年の名スレ復活を望む
過去スレ
立憲政友会vs立憲民政党 その2
http://logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/history/1087734726/
立憲政友会vs立憲民政党(憲政会)
http://logsoku.com/thread/academy.2ch.net/history/1007783170/
参考(戦前政党変遷図)
http://www.geocities.jp/since7903/senzen-seitou.htm
- 2 :
- kitai age
- 3 :
- 初代スレが立った当時は太平洋戦争関係以外の近代史スレがあまりなくて面白かったな。
話題はpart2の途中で尽きた感もあるが10年で人も変わっただろうし、新しい見解も出てくるかな。
- 4 :
- ここ10年で出た、戦前の政党を知るのに適した本を知りたい(再刊でも可)
- 5 :
- >>4
川田稔「満州事変と政党政治」(講談社選書メチエ) が、最近出たものでは面白かった。
浜口雄幸は立派な政治家で、若槻禮次郎も言われるほどのヘタレではなく、政党政治の基盤は強固だった。
なのに政党政治は、満州事変と陸軍(一夕会)の策謀で崩壊する。政党と軍の発想の違い、軍の台頭の過程がよく分かる。
- 6 :
- どうも戦前の議会って富豪議会や名士議会のイメージが強いんだよね…
偏見なんだろうけどさ
- 7 :
- そりゃ戦前の無産政党は弱小勢力だからな…
あれがイギリスの労働党みたいに育ってたら違っていたろうに
- 8 :
- 農民労働党 労働農民党 日本農民党 社会民衆党 日本労農党 無産大衆党 日本大衆党 社会大衆党
これだけあって、影が薄いとは。。。無産政党あわれ。
安部磯雄とか赤松克麿はメジャー級かもしれないが、政治家として
どんなことをしたのかは、今ひとつ分からないな。
- 9 :
- 三井→立憲政友会
三菱→立憲民政党
政友会→旧田中系
民政党→旧福田系
あてはめてみれば、
- 10 :
- >>9
あてはまらないよ。
- 11 :
- 大政派と翼賛派
- 12 :
- 男子の本懐
- 13 :
- 濱口雄幸いいわー
もうちょっと長く首相やって欲しかった
- 14 :
- 雨が強くなってきた今日は中止だ
- 15 :
- 政友会:積極財政・大陸進出・陸軍・在郷軍人&民間右翼
犬養毅・森恪・高橋是清・鈴木喜三郎
民政党:緊縮派・国際協調・海軍(条約派)・都市部
若槻礼次郎・浜口雄幸・井上準之助
その他この二大政党時代の人
西園寺公望(元老)牧野伸顕(公家)、田中義一&宇垣一成&白川義則&荒木貞夫(陸軍)
斎藤實&岡田啓介&鈴木貫太郎&大角岑生(海軍)、幣原喜重郎・床次竹二郎・安達謙蔵
修正等あれば
- 16 :
- 牧野は公家じゃなくて宮中派だ。
あと帝人事件の平沼・統帥権干犯問題の鳩山一郎も加えておくか
- 17 :
- 政友会:積極財政・大陸進出・陸軍(田中派)・海軍(艦隊派)・農村部(在郷軍人)&民間右翼
犬養毅・森恪・高橋是清・鈴木喜三郎・鳩山一郎
民政党:緊縮財政・国際協調・陸軍(宇垣派)・海軍(条約派)・都市部&左翼知識人
若槻礼次郎・浜口雄幸・井上準之助
その他この二大政党時代の人
西園寺公望(元老)&牧野伸顕・木戸幸一(宮中)、田中義一&宇垣一成&白川義則&荒木貞夫(陸軍)
斎藤實&岡田啓介&鈴木貫太郎&大角岑生(海軍)、幣原喜重郎・床次竹二郎・安達謙蔵
平沼騏一郎&倉富勇三郎(枢密院)
ちょと修正してみた ほかにもあれば自由にどぞ
- 18 :
- 高橋是清が民政党内閣の大蔵大臣だったらよかったのにね。外交では国際協調派だしね。
- 19 :
- >>18
まったく、高橋はなんで政友会にいたのか分からんね。
山本内閣(与党が政友会)の蔵相になったのが、腐れ縁のはじまりかな?
民政党員だったとしても、やっぱり殺されてしまったかもしれないが。
- 20 :
- 高橋是清総裁・首相までは政友会のほうが国際協調派だった。
- 21 :
- たしかにワシントン会議のときは高橋首相だ。
なぜ憲政会と政友会で、外交政策がひっくり返ったのか謎。
野党だと勇ましいことを叫ぶんかな?
- 22 :
- >21
>なぜ憲政会と政友会で、外交政策がひっくり返ったのか謎。
田中義一が後継総裁として入ってきてからじゃない?
森恪あたりと連携して、それまでの政友会の方針とずれていったんじゃないかな。
まぁ、そもそも政党政治が未熟だったこともあって「敵対政党を攻撃するためには
外交問題を政争の具にしてもかまわない」ぐらいの感覚だったせいかもしれないけど。
今世紀の鳩山民主党が政権奪取のために「普天間問題を解決します」とか言い出して
外交という壁にぶち当たってしまったようなもんか。
- 23 :
- 高橋是清は政友会が敵視した岡田内閣の閣僚をやって暗殺された。
同じく元政友会総裁・首相の西園寺もこの時代の政友会を嫌ってた。
- 24 :
- ttp://go2senkyo.com/elections/category/syuugiin
↑誰かこのサイトとか(何でもいい)から28〜42までの民政党議員・
政友会議員・その他をまとめてwikiに載せてくれないかなあ。
ってか歴史研究家・教授でこのあたりのを専門にしてる人って誰なの?
- 25 :
- 政党内閣の首相をやった人の半数強が暗殺されてるんだね。すごいね。
- 26 :
- 田中義一の陸軍機密費はほんとなの?
- 27 :
- >>26
ほんとだろうな。政党の党首はカネがかかる。それも尋常な手段では作れないほど。
田中義一のような軍政の中心にいた人間なら、次官や会計担当官と組んで
機密費横領して蓄財するのが一番効率的なカネもうけだ。
- 28 :
- >>27
田中個人の横領というよりも陸軍の政党買収費だろう。
- 29 :
- >28
それはあるかもしれないな。
この時期の陸軍は大正デモクラシーという大波の前に、かなり政党勢力に対して劣勢を強いられていたから、
陸軍の中枢にいた田中を政党の中に送り込むことで政党側を懐柔しようと考えるだけの動機を持っていたし。
総力戦という第一次世界大戦によって生じた新たな戦争概念を前にして、心情的には忌避感を強く抱いている
政党勢力と妥協してでも軍備拡張や組織・兵器の近代化を進めなければならないという考えも強かったから、
田中の政界に対する野心をバックアップしようとしたとしても不思議はない。
- 30 :
- 田中は無能すぎた。
- 31 :
- 田中と近衛は戦前の二大愚相だな。
- 32 :
- >>9
亀レスだけれど前半は同意だが後半は滅茶苦茶。
自民党誕生後で8個師団でいえば
政友会→松村・三木派以外の7派に幅広く存在
民政党→殆どが旧日本民主党系の4派に存在
こんなところか。
個人的な主観で近世以前の日本人の姓(かばね)にたとえると:
政友会→平氏
民政党→源氏
というイメージが強いが。
- 33 :
- はじめてきたが良スレ発見
思想に犯されてないめずらしいスレだな
先人のまとめ活用させてもらいます
- 34 :
- 陸軍機密費横領問題担当の検事石田基が鉄橋下で変死体で発見されその後事件はうやむやにされた
らしいけどなんで追求されなくなったの?余計に疑われる気がするけど
- 35 :
- 帳簿や領収書がきっちりと残される性格のものではないから
明らかにしようがない。残っていた文書も終戦時に焼却されただろう。
- 36 :
- >>18-23
田中義一の派兵(強硬外交)も英米と協調の範囲内ではあったようだがな
森恪あたりとは違って協調の範囲内に収めることを考えていた
張作霖爆殺事件の対応で軍に屈したし田中以降政友会は親軍色強くなったが
統帥権や天皇機関説やら政友会はどうも政局的過ぎる
- 37 :
- >>5
永田鉄山の対支一撃論や総力戦体制論は
英米との協調を破ってでも大陸に進出して
総力戦の準備を進めるという点で倒錯してるというか
英米と協調する側の努力を壊して自ら総力戦を招いてるように思えてしまう
- 38 :
- >>29
親英米の自由主義で進められればよかったんだろうが
特に田中以降政友会は自由主義色薄い
原の頃から満州で利権漁りしたりしててかなりあれだが
- 39 :
- 田中外交はワシントン体制から抜け出すものではなくて、英との協調を重視していた。
協調外交の典型のように見られている幣原外交では寧ろ抜け駆け的に蒋介石との
接近が図られた。
- 40 :
- >>39
政友会内閣の外交官時代の吉田茂も満州への進出に
積極的だったがあくまで英米協調が前提だからな
森恪なんかは犬養にも危険視されていたようだが
この点で陸軍の特に統制派は先に開戦を前提として
その準備として資源のために満州を取るという点で倒錯してるように感じる
さらに資源のために太平洋にも進出してそれで英米と対立が深刻化するとか
開戦準備として満州を取っても逆に戦線が広がってるし対支一撃は泥沼化
絶対開戦するから資源を取って総力戦体制を構築せねばという頭が
先にあってそれに縛られ過ぎてるというか頭でっかちだったのかね
東條ではなく永田鉄山が生きて主導していたらどうなったんだろうな
- 41 :
- >36
>田中義一の派兵(強硬外交)も英米と協調の範囲内ではあったようだがな
国家の上層部としては英米との協調歩調を崩さずに外交を展開する一方で、
国民に対しては「支那に対して膝を屈するな!」みたいな強硬なポーズを
取っておく必要があると判断してたんじゃないか?
今の中国が、日本との関係を壊すと経済的な不利益が甚大だから穏便に
止めたいと本心では思っていても、経済的に困窮していたり政治的な不満を
持っている民衆が鬱憤晴らしをする対象として「反日」という反応を
起こしているように、当時の昭和恐慌のただ中で経済的に困窮している
貧農層や都市下層民が現状打開の方法の一つとして「満蒙を取れ」とか
「満州は生命線」とかのスローガンに引き寄せられたんでしょう。
政権を取って民衆の支持を得るためには、そうした「景気の良い話」に
引き寄せられる性質にアピールしたほうが「票を取れる」という判断を
政党がおこなったとしてもそう不思議はない。
そのうえで、政権を運営していく上では「英米との協調」という基本線を
崩すことの不利益は分かっているから、対外的にはそこそこ理解を得られるよ
うな線で物事を納めて、「国内向けには強硬姿勢を示す」という路線と、
「対外的には協調体勢を崩さない」という路線を両立するという
ある種の二枚舌を使い分けようとしたんだと思う。
問題は、そうした時に田中義一に足下の軍部内での中堅層の策動を抑えきれる
ような力が無かったことと、森恪あたりの働きも手伝って、民衆の中にある
支那に対する反発と、陸軍中堅層(双葉会〜一夕会)の満蒙の資源獲得への
策動が一つにまとまって大きな力となってしまったことだと思う。
- 42 :
-
>37
>永田鉄山の対支一撃論や総力戦体制論
永田本人は総力戦体勢を作ることを指向してはいたけど、
対支一撃論には距離を取っていたと思う。
もともと永田と小畑の対立が表面化したのは、
対ソ戦を強く指向する荒木をはじめとした皇道派の考えに対して、
まずは満州国経営を堅固なものにしてこの地域において日本の
確固とした足場を築くことを優先すべきだ、というものだったし。
満州事変後に連盟脱退などを通じて悪化した欧米との協調路線は、
永田が軍務局の中枢に入った昭和9〜10年にかけてかなり回復しているし、
国民党の蒋介石との間でも、かなり宥和的な政策が進められていて
むしろ国際環境的には安定化傾向にあった。
- 43 :
- >38
>親英米の自由主義で進められればよかったんだろうが
その時期に政権にあった浜口雄幸の民政党政権が自由主義的で
親英米姿勢という路線を取っていたから、政権獲得のために
独自色を打ち出すことを求めたからだろうね。
本当に国益を考えるのであれば、外交に関しては民政党の路線に
賛同を示して、それ以外の政策で自党への支持を訴えれば良いのに、
安易で短絡的に幣原外務大臣の行う外交を「軟弱外交」として
非難する方向へと舵を切ってしまったのが間違いだったと思う。
井上蔵相の金解禁政策への批判に一本化していたらまた違った
展開もあったろうにね。
ロンドン軍縮条約問題にしても、軍事予算を減らして国民生活の
立て直しに充てるという意味では大変にまっとうな話しなのに、
予算を削られることに憤慨した軍部の後押しにのって「統帥権干犯」を
言い出して結果的には自分たちの首を絞めることになる方向へと
進んで行ってしまった。
- 44 :
- >39
>田中外交はワシントン体制から抜け出すものではなくて、英との協調を重視していた。
>協調外交の典型のように見られている幣原外交では寧ろ抜け駆け的に蒋介石との
>接近が図られた。
というよりも、実際には田中外交にしても幣原外交にしても
そこまで大きな路線の変更なんて出来なかったんだよ。
外交というのは基本的には外務省の官僚が基本的な路線を進めていくものだし、
相手のあるものだから日本の国内事情だけでそう簡単に路線転換などできるもんじゃない。
それは現今の民主党政権での鳩山の醜態を見ただけでも簡単に了解できる。
田中外交と幣原外交が相対立するものとして国民に受け取られたのは、
もっぱら国民に向けての外交政策を説明する過程でどのような口吻をするかに
よって違いが印象づけられているだけで、諸外国からの視点で見れば
それほど大きな違いなんて感じられなかったというのが実際の処だったみたい。
日本がワシントン体制に対して公然と背を向けたのはあくまで満州事変が原因で、
民政党や政友会といった政党政治家がそれを指向したわけではなかった。
石原完爾が事変前に作成した「満蒙問題私見」で述べているように、
「謀略により機会を作成し軍部主導となり国家を強引する」というのは
こうしたワシントン体制を基本的には守ろうとしていた政党政治をひっくり返そう
という意図の表れだった。
- 45 :
- >40
>この点で陸軍の特に統制派は先に開戦を前提として
>その準備として資源のために満州を取るという点で倒錯してるように感じる
陸軍は日露戦争くらいの頃から伝統的にロシアを仮想的に見立ててきたし、
反共思想の強い皇道派は取りわけ「ソ連」という共産主義国家に対して
警戒心を抱いていた。
そして第一次世界大戦以降、大規模な戦争が「総力戦になる」というのは
必ずしも間違いでも杞憂でもない以上は、それに備えておかなければという
考えを陸軍が持つというその動機自体は必ずしも否定するべきものではないと思う。
その際に支那との関係をどのように構築するのかというのが一番の焦点だった。
満州事変以後でも、必ずしも蒋介石との全面衝突は避けられないものではなかった。
出先軍部を統制して、余計な策謀をさせないようにし、軍事衝突を起こさないように
牽制することが可能であったなら、蒋介石との間に協力関係を構築して、
ソ連という共産主義勢力に対して共同戦線を張ることは不可能ではなかった。
問題は、満州事変以降に習い性になってしまった出先陸軍の中央を無視した
拡大主義や謀略嗜好が抑えられなかった事だと思う。
太平洋戦争の開戦にしても、アメリカからの「中国からの撤兵を行い、
三国同盟を死文化してドイツと手を切れ」という要求を受け入れるかどうかが
開戦と避戦の分かれ道だった。
そしてその三国同盟を結んだ理由にしても、支那事変を有利に収束するために
というのが理由の一つにもなっているくらいだから、どこまで行っても、
元を正せば中国との戦争が泥沼化してしまっていて引き際を見つけられなく
なっていることにその原因がある。
- 46 :
- >東條ではなく永田鉄山が生きて主導していたらどうなったんだろうな
断言は出来ないけど、盧溝橋事件の時に、全面戦争化しないように
石原と一緒に陸軍省内で奔走したんじゃないかなという気がする。
永田の部下だった東條や武藤といった拡大派の盧溝橋事件時の言動から
生前の永田の思考を類推するのは無理なんじゃないかな。
「永田の前に永田無く、永田の後に永田無し」とまで云われたように、
永田の存在というのは陸軍の中ではかなり特異な存在で、東條や武藤は
永田と比べたら遙かに小粒で矮小な存在だった。
永田が構想していた陸軍の進むべき道というのは、陸軍のんかでは
実際には永田にしか見えてはいなかったし、その構想を実現するだけの
政治力や人脈も永田しか持っておらず、その後の陸軍の中で財閥や
重臣層や他省の官僚と共同歩調を取って物事を進めていくだけの
器量を持っている人間はいなかった。
- 47 :
- >>41-46
なるほどー、勉強になりました
- 48 :
- 日本人や日本の工場が大陸で焼き討ちにあって、おびえて外にも出れない状況となった。
これがもし戦前の政党政治時代なら、田中外交が発動、帝国陸海軍の出番となって
上海や青島に旭日旗が翻るわけだ。一発で鎮火するのか、それとも火に油をそそぐのか。
あるいは発動するのは幣原外交かもしれん(確率50%?)が、その時は…
トヨタ・ホンダ・パナソニック・キャノン・イオン・セブンイレブン、
全部まとめて日本に帰ってこい!という無茶な方針で、これまたアテにならない。
当時は英米日の協調でシナを抑え込んで、ルールを守らせるしかなかったと思うが
今はそんな国際的な枠組みもなし。どうしたらよいのだろうかね。
- 49 :
- 幣原の無為無策が関東軍を柳条湖の謀略に走らせたのだ。
春秋の筆法を借りれば満州事変の主犯は幣原だ。
- 50 :
- >49
>幣原の無為無策が関東軍を柳条湖の謀略に走らせたのだ。
多少の反日排日活動なんて、無視するか逆手にとって外交上の圧迫を加えていればそれで良い。
今の中国の反日暴動を受けて、自衛隊が「中国が先に仕掛けてきた」とか言い出して
自作自演で軍事行動を起こすようなもん。
連盟決議での42対1での否決ってのはそういうカラクリを見透かされてのもの。
関東軍の暴走のせいで日本がどれだけ国際的な信用を失い、対外的な損失を被ったことか。
>春秋の筆法を借りれば満州事変の主犯は幣原だ。
アホな出先機関の下っ端の暴走までトップの責任にされたらかなわん。
満州事変の主犯は石原であり、その行動の容認をした陸軍中央の責任であって、
外務省や政府首脳はなんとか暴走を食い止めようとした側だよ。
幣原の外交に反発するアホどもの暴走を抑える手立てを持っていなかったという意味では
政府にも責任の一端はあったとも云いうるが、それをもって「主犯」とする論理を用いるのは
明らかに間違い。
- 51 :
- >>48
今なら日米同盟かね、民主党政権で日米同盟が揺らいでる
足元を見られてる面はあるんじゃないか
- 52 :
- 対中協調し英同盟廃止と九ヶ国条約締結したのも幣原外交らしいが。
わざわざ米に包囲網作らせ、その後に強者にした米英と協調とかかなりひどくね?
- 53 :
- 幣原外交とは土井たか子か福島瑞穂が外務大臣になったようなものだ。
日本の権益も安全保障も放棄して中国と仲良くしましょうという外交。
危機感に駆られた関東軍が行動を起こしたのは当たり前だ。満州事変の
主犯は幣原。
- 54 :
- >>50
日露戦争に勝って当初の目的を果たして一等国の仲間入りをしたはいいが
その後は大陸の扱いが難しくなってしまったな
統帥権による軍部と政府の二元化の危険性は1921年にすでに
近衛は演説で触れているが、結局維新の元勲の作った大日本帝国憲法に
欠陥があって陸軍の暴走や政党政治の破綻はどうにもならなかったのかね
その近衛が日中戦争を拡大して英米と対立のお膳立てして東條に継いだが
- 55 :
- 田中義一は万里の長城以南は蒋介石の統治を認めるが
満洲に限り張作霖を利用して統治させる方針
中華民国の主権は認めるが、日本の実権掌握下における
政権樹立による満蒙分離、吉田茂や森恪はこれだな
民政党は国民政府による満洲含む全中国の統一を容認
不干渉の上で中国との貿易推進
陸軍の統制派は中国の主権を完全否定の満蒙領有で
総力戦体制の構築と来たるべき対ソ戦への準備
- 56 :
- >54
>結局維新の元勲の作った大日本帝国憲法に欠陥があって
>陸軍の暴走や政党政治の破綻はどうにもならなかったのかね
「統帥権の独立」という陸海軍側の振るった論難の剣は、
必ずしも万能の武器だった訳じゃあない。
現に、盧溝橋事件によって発生した軍事衝突が日中の全面戦争へと発展した際に、
統帥側の参謀本部の方が不拡大を指向して、政府や陸軍省側の方が強硬意見を
主張して戦火を拡大していった。
軍政(陸軍省・海軍省)と軍令(参謀本部・軍令部)のどちらが圧倒的な
優位を持っていたとかではなく、それぞれの組織や勢力が右往左往して
統一的な国家運営を行う主体を喪失してしまったことが破綻の原因だった。
それは憲法上の制約という以上に、統治を行う政治主体を上手く作り出せなかった
日本人の心性の問題であったり、強力な意志と政治力を持って国家を導いていこう
とする熱意と情熱を持った指導者が現れなかった(もしくは暗殺されてしまう)
この時代の人材の少なさに、より大きな原因だったと思うね。
明治期には薩長藩閥という政治主体が、政府・財界・文官官僚・陸海軍の中で
ヘゲモニーを握って強い指導力を保持していたから、それぞれの勢力の利害を
調整しながら大きな国家目標に向かって全体をまとめ上げることが出来ていた。
大正デモクラシーという大きなうねりの中で、「閥族打破」というスローガンが
掲げられて、政党勢力が力を付けて行く中で、権力を一部の人間が独占的に
継承していく事への反発が強まるなかでそれらの政治主体が解体されていった。
その後、政党政治家が政治を動かしていく主体となっていくのが理想ではあったけど、
いかんせん政党政治というものが定着するだけの下地や素養が出来上がっていない状態で
英国流の議会政治をスムーズに運営するのは難しかったから(当の英国ですら、
まともに議会政治が運営されるようになるまでは相当の年月を必要とした〉、
「この連中に政治を任せることは出来ん」とする反発が陸海軍の中に芽生え、
また国民の中のある程度の層もその感情を後押ししたのが、昭和前期の政治状況が
流動化した一番の原因だと思う。
「政党政治に任せちゃおれん」とか考えた陸海軍だって、実際の処は大した
政治的展望も無く、国民を統合するだけのビジョンを示すだけの度量を持った
人間はほとんどいない、ただの軍事官僚の集まりみたいなものだったからね。
軍事的な知識や経験は豊富でも、その軍事力を外交や国際政治の中で日本にとって
有益な方向で振るうというだけの見識や指導力を持った人間はほとんどいなかった。
西郷隆盛のいない桐野利秋というか、劉備元徳のいない張飛益徳みたいなのが
当時の陸軍の姿だったんじゃないかな。
- 57 :
- 永田鉄山の構想は来たるべき世界大戦に備えて国力を蓄積すること。
英米との対立を外交で回避しつつ満蒙や華北華中を
日本の経済圏に確保して総力戦に耐えうる工業力と資源を持つ。
それによって次の世界大戦でのフリーハンドを確保。
満洲事変は石原莞爾が決行する以前から一夕会で構想はされてきたこと。
それが永田が殺されて後は陸軍の統制派は中心を失った状態の中、
満洲事変による下剋上の風潮で日中戦争は拡大。泥沼化を予見して、
対ソ戦準備のため不拡大を唱えた石原は下剋上喰らって容れられず。
勝ちに驕った近衛は南京進駐を前に条件を厳しくして和平工作は失敗。
援蒋ルートために泥沼化しつつ戦線は伸び英米との関係は悪化。
陸軍はノモンハンでソ連陸軍と戦い対中和平を求めるようになるも失敗。
アメリカはドイツがイギリスを取って地理も工業力も手に入れるのを
アメリカの安全保障上避けるために、ドイツと交戦中のソ連を維持したい。
それを英米可分論で、早期の対ソ戦回避・援蒋ルート遮断のためにも、
自給自足経済圏の大東亜共栄圏構想で南進論を採って、イギリスの
物資供給を脅かして、フランス領インドシナ進駐でフリーハンドどころか
石油の六割を依存していたアメリカから全面禁輸を食らって石油不足に。
なし崩し的に実際には英米不可分のアメリカと開戦になだれ込むとか。
永田は持久戦構想だったが、実際の日米開戦のプランは初期に
アメリカに打撃を与えてドイツ・イタリアとの包囲網で戦意喪失を狙うもの。
状況頼みの構想は、状況が変われば、それに対応して新しい構想を
立てられる人間がいなくなってしまうとどうにもならないのかね。
しかし日米関係と大陸進出は果たして両立し得たのかね。
「油が欲しいからとて戦争を始める奴があるか」と日米開戦に反対した
石原の事態打開の策はハルノートとほぼ同じ内容だったらしいが。
- 58 :
- >57
>満洲事変は石原莞爾が決行する以前から一夕会で構想はされてきたこと。
というか、満州を実質的に日本の支配下に置くという方策は陸軍中央も含めて
かなり大がかりに進められていた。
ただ、それはあくまで漸進的に1〜2年の時間を掛けて国内向けの地ならしをして、
対外的な理解なり協力なりを得られるめどを立ててから進めるというものだった。
関東軍にいた石原や板垣といった急進派と、それを気脈を通じていた桜会系の
橋本欣五郎や長勇といった十月事件を起こす連中はそれじゃダメだと思ったんだろう。
そういうやり方だと結局、政党勢力を中心とした既存の権力構造を破壊して
「自分たちの思うとおりの国策の進め方」というのが出来ないと判断した。
だからこそ「謀略により機会を作成し軍部主導となり国家を強引する」なんだろう。
一つには総力戦という新しい戦争に対応するための軍政改革や装備の刷新という
陸軍にとっての大目標を達成できないし、彼らにとって「唾棄すべき存在」として
映っていた政党政治家達に何時までも頭を押さえつけられ続けてしまう、とも
思っていた節がある。
昭和5年のロンドン軍縮条約の締結を見ても分かるとおり、経済的な苦境に
経たされていた民政党政権(浜口雄幸→若槻礼次郎)は大規模な軍縮に向けて
舵を切ろうとしていたから、そうした施策への反発心もかなりあったはずだし、
将校が制服を着て電車に乗ると「税金泥棒」として非難されるような屈辱的な
環境を何とか払拭したいという気持ちも決して小さくはなかったはず。
言ってみれば、天皇陛下からの預かりものである「武力・兵力」を使って
非合法な行動を行い、自分たちの要求を政府や国家に対して突きつけるという、
クーデター的な側面が満州事変にはあったし、それを横目に見ながら実際に
国内でクーデター騒ぎを起こそうとしたのが十月事件のメンバーたちだった。
- 59 :
- 結局は外交よな、アメリカは自国の安全保障上イギリスの維持が
目的であるのに英米可分論で親独南進とか見えてなさすぎる
>>56>>58
大正デモクラシーの未成熟に経済の悪化や陸軍の急進化等
色々な要素が絡み合ってああなってしまったんですかねー
- 60 :
- 永田の満洲・朝鮮に加えて華北・華中までを経済圏として取り込み
一種の自衛圏を作る対ソ持久戦構想は
やがて来ることになる冷戦のようなものまで見越していたのかね
思想としては山縣有朋の主権線・利益線の延長とも見れる
永田はルーテンドルフの政治支配や総力戦体制論に影響を受けているから、
生きていれば永田首相の軍事国家になっていたのかね
実際には永田亡きあと陸軍は迷走して日中戦争は泥沼化
敗戦で大陸の日本人はソ連対日参戦で殺されたり
引揚中の略奪暴行殺傷や戦犯として処刑される等悲惨な末路だったが
結局日米同盟でアメリカの庇護下に海洋国家として冷戦を過ごすことに
山縣は軍事に通じてる分対外協調の重要性も認識していて
対華21ヶ条要求みたいなのには批判的だったな
山縣は政党嫌いで有名だが、対外硬派が政党に多かったのも要因
軍部大臣現役武官制も政党が無謀な戦争に走ることを避けるためだったとか
- 61 :
- 石原莞爾もルーデンドルフを研究していたらしいな
昭和陸軍に対する影響は相当大きかったというか焼き直しみたいなもんかね
- 62 :
- >60
>永田の満洲・朝鮮に加えて華北・華中までを経済圏として取り込み
>一種の自衛圏を作る対ソ持久戦構想は
>やがて来ることになる冷戦のようなものまで見越していたのかね
どうだろう?
当時のソ連を見ていて、あれほど強大な国家になることを予想出来たかどうか。
この頃はまだ欧州でナチスドイツが強大な勢力を張り出しはじめた時期だから、
その後の第二次大戦でヨーロッパ各国が焼け野原のようになって疲弊し、
ドイツとイタリアの軍事的・政治的脅威が取り除かれたエアポケットのような
状態になっての冷戦ってのは想像の範疇外だったろう。
欧州でドイツとフランスとイギリスの何処が優勢になるのかどうかも大事だけど、
日本としては第一次世界大戦と同様になるべく巻き込まれないようにして
国力を付けなければならないと思っていたんじゃないかな。
なにしろ第一次世界大戦終了の時点で、兵制・装備・兵器・産業力などの
全ての面で欧州のレベルに置いてけぼりを喰ったことを一番承知していたのが、
欧州に留学して総力戦の研究をした、永田をはじめとした陸軍の中堅将校だったから。
戦車や飛行機、機関銃や有線や無線の電信網を展開する技術力や生産力が
なければ欧州レベルの総力戦には対処できないという認識は持っていたと思う。
海軍に関してはこの時点ではまだ大鑑巨砲主義思想は生きていたし、
米・英に次ぐ世界第三位の海軍力を保持しているという事実もあったから、
それほど差し迫った問題ではないと判断していたろうし。
- 63 :
- >59
>大正デモクラシーの未成熟に経済の悪化や陸軍の急進化等
>色々な要素が絡み合ってああなってしまったんですかねー
最近出た北岡伸一の『官僚制としての日本陸軍』って本が
この辺の事情を掘り下げていて読み応えがあった。
明治期の建軍期から昭和期までを通史として叙述しながら、
それぞれの時期における政治との関係を説明しているから
読んでいて分かりやすい。
支那通と呼ばれた軍人たちの動向を、日本の大陸政策の推移と絡めて
解き明かした部分は、戸部良一の『日本陸軍と中国』と併せて読むと
その後の日中戦争の泥沼がどのようにして発生していったのかを
立体的に浮かび上がらせてくれる。
個人的にとりわけ面白かったのは第3章として収録された
「陸軍は閥対立の再検討」という論文。
近年の陸軍研究の中では革新的な先行研究として引用されることが
多かった論文だけど、30年前に出版された本に収録されただけで
まだ読むことが出来ていなかったから手軽に手に取れる形で収録して
くれたのがありがたかった。
この時代の陸軍内部の実相に興味がある人だったら、この部分を
読むためだけにでもこの本を手に取る価値が有ると思う。
- 64 :
- >>63
興味あるので読んでみますー
- 65 :
- 結局日英同盟あれば米も日本を追い詰められなかったし、米側の妥協も引き出せたよね
譲れば相手も譲ると、日本国内の倫理感覚を外交にあてはめた
米との関係改善の戦略は良かったが、駆け引きの戦術で失敗し
むしろ米は思う壺と追い詰められ敗戦
中韓問題もODA援助やってたら、もっと貢物領土よこせやみたいなw
- 66 :
- 戦前の政友会と民政党も
現在のミンスと痔眠の
所業と全く変わらんなw
官僚(軍)、経団連(財閥)の下僕で政局優先中傷合戦w
- 67 :
- >>66
ODAを慈善活動と思っているとは天使ですか?日本のODAが国内の公共事業同様
ハコモノ中心なことは周知の事実で資金は日本に還流しているよ。
政府がODAをやたらと増額するのを慈善、援助だと思っているとはあなたはこの世が
善意でできていると思っている幸せな人ですね。
>>66
それに加えて「維新」などど称する革新官僚(今はアメリカ直輸入の新自由主義者ね)の
全体主義志向勢力もね。
- 68 :
- 浜口はよくやったよ。
- 69 :
- 統帥権で軍部と結託し
濱口を陥れた鳩山爺と
挙げ足取りでマスゴミ
と結託し痔眠を陥れた
鳩山孫が被って思えるよ。
国家よりも目先の政局優先頭ポッポの血は争えんなw
- 70 :
- 戦前の政党政治は左翼からも右翼からも否定されてるので
2ちゃんのような場では論議しにくい。
- 71 :
- >>69
昭和恐慌を引き起こしたライオン浜口は自滅しただけだよ。
国民の所得を10年で100万も減らした自民も同じで自滅しただけだよ。
- 72 :
- 外交もそうだけど、経済でも二大政党は正反対の政策だから
あれだけ頻繁に政権交代したら、混乱するのも当然か。
浜口の金解禁、井上の緊縮財政は致命的な選択だったが
経済界も金本位復帰を後押ししてた。金持ちが口出すとロクなことがない。
- 73 :
- 筒井清忠『昭和戦前期の政党政治─二大政党制はなぜ挫折したのか 』
ttp://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480066879/
こんな本が出ていた。ちょっと本屋をのぞいてみるわ。
- 74 :
- 今の痔眠&ミンスと
全く変わらないな!w
- 75 :
- >73
今読み終わった。
けっこう面白い。
ロンドン海軍軍縮条約での統帥権干犯論議とか、満州事変後の若槻内閣倒閣から
犬養内閣へのゴタゴタとかはある程度知っていたんだけど、もっと長いスパンでの
政党内閣の成立からその終焉までの間の各政党の内部事情や派閥争いなんかを
丁寧に追いかけた本というのはあまりないから、著者の提示する視点はなかなか
新鮮なモノとして受け止められた。
政党政治の本質ってのはそうそう変わるものではないし、変わらない理由というのは
それなりに根が深いモノなんだというのがよく分かる。
- 76 :
- >>75
政党内閣のあった戦前の8年間ってのは、日本史上でも重要な時期だったように思う。
でも、その詳細はほとんど知られていないのが不思議。詳しく知ることで、
そのときの問題が派閥や党派、そしてマニフェストをめぐる争いであり、
今でも通じる部分がたくさんあることに驚かされる。やっぱ近代史は必修化すべきw
- 77 :
- >76
戦後教育の中で、「全ては軍部が悪かった。政党政治家も軍部以外の官僚もマスコミも民衆も、
みんな軍部と右翼に引きずられてやむを得ずあの戦争に巻き込まれてしまったんだ」式の言説が、
相当強固に日本中を覆っていたからね。
1920年代〜30年代の正確な日本の実相が明らかになると、上記の「ぜんぶ軍部が悪いんや」という
免罪の論理が使えなくなって、戦前から続く組織や集団が自分たちの非を見つめ直さなければ
ならなくなるというしんどさがあったから、かなりの部分であえて封印してしまったんだろうね。
- 78 :
- しかし政党政治もグダグダではあったけど、大陸で勝手なことやったり
選挙を2・26でひっくり返して天皇に怒られたのが軍部であることも事実だけどね。
政党政治はともかく立憲君主制下における民主主義の否定はするべきではなかろう
- 79 :
- 救世主的なものにすがろうとして自らを助ける筈の権利・思考を放棄したがるというのは
日本人に(限らないのかもしれんが)見られる悪癖と言えるんでないかな。
戦前に政党政治に見切りをつけた国民がすがったのは五摂家筆頭という御家柄の近衛で、
その結果があれだ。今の政治でも妙な期待→暴発が起こらないといいんだがね
- 80 :
- テロに倒れた政治家が多いね
今はどんな失策やらかしてもそうはならないけど
- 81 :
- >78
>政党政治はともかく立憲君主制下における民主主義の否定はするべきではなかろう
政党政治というものに対する理解が足りなかったというか、「政党のダメな部分というのは
自分たち国民のダメな部分を反映しているんだから、自分たちの方も律しないとダメだ」という
思考回路に結びつかずに、「あいつら(政党)はダメだ、軍部に期待しよう」という方向に
行ってしまったのがまずかったんだろうね。
陸軍も海軍も、所詮は官僚組織なんだから、自分トコの利益や予算獲得が最優先されるのであって、
「国民のための行動」をするかどうかなんて分かったもんじゃない。
そういう組織を民意の元にコントロールする目的で生まれたのが、国民の負託を受けたという
バックボーンを持つ「議会政治」というものなのに。
- 82 :
- >80
>テロに倒れた政治家が多いね
原敬や濱口雄幸がテロに倒れず、また病死した加藤高明あたりがもう少し長く政権の座に
留まっていたら、政党政治の消長はかなりの程度違ったものになっていたような気はする。
この時期の政党政治はそれなりに強固なものとしてその地盤が固まりつつあったから、
満州事変という出先の暴発さえなければ、そしてそれに陸軍全体が引っ張られるような
事がなければ、シビリアンコントロールは保たれ得ていた可能性はあったんじゃなかろうか。
- 83 :
- 大した差はないと思うが・・・
まず戦前の政党政治が今と比較にならないほど制約の多いものであることを
「軍部が全部悪いのは俗説」と主張している最近の論者は失念している。
言論統制は言うに及ばず、在郷軍人会の社会への浸透度を政党政治の根幹である
「世論」形成への前提条件に入れないようでは何を言っても空論にしかならないだろう。
(5・15の選挙により選ばれた「首相」殺人者に減刑嘆願が有権者から出されたことが
良い証左である。過去の「軍部元凶論者」はこの空気を吸ってきたのだから必然的な結論
になるだろう。近代史を必修化してもこのリアルすぎる「空気」を教えることができるかどうか・・・)
政党政治時代に統帥権干犯や尊氏賞賛による舌禍事件を政局に利用した政治家たちを
私利私欲の輩と批判するがそれが通用することこそが本質だろ。原を評価する向きも多いが
元老の山縣を権力亡者と軽蔑しながら手を結ぶなど、大正期の政党政治は議会政治と言うには
抜け道が多すぎる。これでイギリス、アメリカのような議会政治に発展するというのはあまりにも
甘い考えとしか言い様がない。
- 84 :
- 北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』は読了した。
筒井清忠『昭和戦前期の政党政治─二大政党制はなぜ挫折したのか 』
と
井上寿一『政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか』
はどう?
- 85 :
- >83
>「軍部が全部悪いのは俗説」と主張している最近の論者は失念している。
これについては、近年の研究でこれまで見落とされていた部分に光が当たりつつある
という要因が大きく働いているように思う。
戦後の社会風潮の中では当時の時代の空気を強く記憶している人々が多かったが為に
「軍部元凶論」が圧倒的な実感を持って多くの人々に支持されていたけれども、
近年は政党政治の実際の有りようや、国家運営上においてその占める地位が
それほど低いものではなかったという事が近年の研究によって明らかにされつつある。
それらはあくまで、過去の「軍部絶対悪」思考への揺り戻しなのであって、
実際には軍部の責任は責任として冷徹に捉えており、決して軍の責任を軽いものに
しようとする指向を持った言説ではないのだけれど、おっちょこちょいな「右寄りの論者」が
そうした実証研究を援用することで彼らが主張してもいない「軍部は悪くなかった」式の
デマを振りまこうとしている点に問題があるんだろう。
以下の数値はあくまで比喩として使うものであってとくに学問的な根拠があってのものでは
ないことを承知しておいていただきたいのですが、それまで軍部が99%悪いというのが
通説だったところに、実際には政党政治や他省の官僚たちにもいくらかは悪いところがあったのが
分かってきて、軍部が95%悪くて残り5%くらいはそれ以外の組織にも責任があった、
という見方が出てきた、というのが現在の状況。
圧倒的に責任が重く、国家を破綻に導いた諸悪の根源と言って差し支えないのは変わらないけど
評判の悪いやつの行動に「良い行動」があると必要以上にその「良い」部分が大きく見えて、
評判が良いヤツの行動に「悪い行動」があると必要以上にその「悪い」部分が大きく見えてしまう
という力学が働いてしまう点については、注意が必要なんだと思う。
- 86 :
- >84
>北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』は読了した。
よかったら感想を聞かせて欲しい。
この本が面白かったんで、いま北岡氏の他の著作にも手を出しているところだから、
いろんな人の意見を聞いてみたいと思ってる。
>筒井清忠『昭和戦前期の政党政治─二大政党制はなぜ挫折したのか 』
これも面白かった。
政治や軍事に興味を持ってあれこれと読んでいると「統帥権干犯」という論点を
持ち出した政友会の犬養や鳩山の言動はすごく短絡的に見えてしまう。
でも、それ以前から政党政治という文化の中で、政権党を野党が批判するときに
「天皇の権威」という錦の御旗を掲げると国民が無条件に付いてくるという
現象に味を占めたが故の戦術だったというのが明らかにされてみると、
むしろ国家運営情のビジョンや政策といったものに関心を持たずに
天皇・皇族というシンボルに対して圧倒的な支持を寄せてしまう国民の
大雑把さの方にも大きな問題があったというのが分かってくる。
この辺は各政党の間で戦わされた政策論争と、醜聞の暴露や罵倒合戦を時系列に沿って
丹念に拾い集めて、政党内部の派閥対立や政党自体の合従連衡の動きを細かく
見ていくことで、この時期の政党政治の実態に光を当てようという著者の狙いが
かなりの程度で有効なものとして働いているように感じられた。
一次史料を丹念に当たり、通説では目が届かなかった部分に斬り込んでいくという、
この著者の指向性が遺憾なく発揮されていて、一読する価値は有る本だと思う。
題材は違うけど、2・26事件について扱った筒井氏のデビュー作、
『昭和期日本の構造−二・二六事件とその時代』も凄く面白い。
2・26事件に興味があったら絶対に読んでみた方が良い一冊。
>井上寿一『政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか』
こちらは未読です。
井上氏はこれまでにも何冊かの著作を興味深く読んできた方なので、
是非ともこの本も読んでみたい。
- 87 :
- >>83
在郷軍人を票田として取り込んだ政友会の犬養首相を軍人が暗殺し、有権者が
減刑嘆願するというのは皮肉だね。まあ次の選挙では票を大きく減らすことになるが
- 88 :
- >>86
では北岡本の感想というか粗筋。
このスレの主旨とは違うけど、ポイントは出世競争に走る官僚組織としての陸軍。
政党は腐って居るんだけど、それを無視・封殺して出世競争をするもんだから国のトップに「政治家」が不在となってしまった。
明治維新後に政治を主導した元老のような政治・調整をする存在が必要であったのではないか。
具体的には宇垣一成や南次郎の見識と歴史を比較している。ステーツマンの育たない官僚組織が政治を主導する弊害を描いているような感じってことで。
- 89 :
- >88
ありがとう。
それではこちらも感想やらをつらつらと述べてみます。
官僚制というものに着目して、陸軍の消長を記述した内容に新鮮な感覚を覚えたのがまず大きい。
とりわけ印象に残った記述の一つとして以下のものを挙げてみます。
「第三章 陸軍派閥対立(1931−1935)の再検討」のなかで、南日記の記述を元に
以下のような解説をしている部分。(p199〜p200)
「中堅軍官僚の多数は南に近いが、彼らは陸軍の内情が多少変化してもその地位を脅かされる
わけではなく、結束力に乏しい。これに対し皇道派の運命は荒木・真崎の運命に直結しており、
結束して彼等を盛り立てようとしている。それゆえに多数派・主流派は容易に皇道派を圧倒できない、
というのである」
この指摘自体もかなり新鮮な指摘だったのですが、より面白かったのはそれに続く以下の記述。
(軍にとって重要なのはどちらの派閥から「誰が」トップに立つか云々ではなく、軍の予算を
確保できるのはどちらの側かである、という南の指摘を元にして)
「つまり、軍備充実のための予算−そして予算獲得能力−こそが決定的に重要であり、
したがって派閥関係を変化させるであろうことを南は予測していたといってよい。
皇道派の没落は一九三四〈昭和九)年一月の荒木の陸相辞職を契機として進行していくが、
それは就任以来の荒木の、予算獲得能力に対する疑惑の広がりを背景として生じるのである」
という部分。
ここでは、官僚組織が自己の組織の拡大・増殖を求めるという摂理が、この時期の派閥対立の
重要な要素としてクローズアップされており、これまで重視されてきた両派の政策対立であるとか
感情的対立とかとは別次元のメカニズムが存在していたことが指摘されています。
現代の官僚組織においても、現役時に有力なポストを新設したり外郭機構を作ったりして
組織を拡大したり、天下り先の確保や民間からの有形無形の利益の供与などが「組織の病理」として
問題視されることがあるけど、同じように当時の陸軍においても「予算の獲得・組織の拡大」といった
官僚機構としての要請が陸軍を突き動かしていたことが分かります。
それはそのホンの数年前まで国内に強く存在した「軍縮」への国民的要求や、それにともなう
宇垣軍縮による「同僚軍人の解雇」という形で顕在化した、自分の生活基盤を脅かされる恐怖と
表裏一体のものだったでしょう。
こうした組織の肥大化というのは、その組織にとっての「個別合理性」であって、国家全体にとっては
余り歓迎するべき事柄ではないというのが、昭和期の陸軍が「国家にとっての癌」と化してしまった
原因だったように思います。
- 90 :
- 続き。
来るべき総力戦に備えなければ、という危機意識を持つのは軍人としては当然なのでしょうが、
彼等軍官僚は、それが「日本という国の経済規模や国際環境において可能であるのかどうか」
という視点を持ち合わせていなかった。
そうした「国家全体にとって」という視点を持つことが「政治家」にとって要求されるものであり、
かつての山縣−桂−田中あたりまでの陸軍トップはこうした視点を持っていたからこそ
バランスの取れた陸軍の統治が可能だったのに、昭和期に入ってから様々な要因によって
それが揺らいでしまったことがこの国に大きな不幸をもたらしたのだというのを
本書を通じて再確認しました。
この辺のことをふまえて「第一章 政治と軍事の病理学」の末尾の文章を読むと、腑に落ちるというか
非常に分かりやすいし、問題の所在が明確になるような気がします。
p86−p93の、「2・26事件と粛軍」から「おわりに」のあたり。
この書き込みを書くために本文をあちこちめくってみたけど、書きたいことや言及したいことが
余りにも多くってちょっと呆然としてしまうくらいに、個人的には密度の高い本だった。
薩長閥という派閥の存在意義についても、これまで漠然としてあった「必要悪」といった印象の
マイナスイメージがかなり払拭され、明治期の陸軍にとってはかなりの部分でプラスに働く
有益な存在だったという指摘についても目を開かされた思いです。
「権力核」という言葉で国家機構を束ねる必要性を説く主張に対しては、歴史学者としての
視点を超えた「政治学者」としての氏の力量を感じさせられました。
- 91 :
- 昭和戦前期になると、陸海軍は「軍部」という用語でくくられて、
なにか特殊な霊力をもっているような、エタイの知れないものとして
語られてきたのだが、その本来の性質は「軍務官僚」なんだよな。
ずっと以前から思っていたのだが、そのように叙述してくれる本はまれだった。
北岡氏の著作はまだ読んでいないが、『官僚制としての日本陸軍』という
視点はすごく大切だと思う。じっくり読んでみたい。
- 92 :
- >91
これまで支配的だった「戦後空間の言説」では、<85>みたいに「軍部」という言葉で
旧軍人達を括って、彼等に全ての責任を押しつけるような形で「あの戦争」の受容が
行われてきたからね。
実際には軍部以外の官僚やマスコミや労働団体なども戦争に協力しようとした側面もあるし、
戦争を熱烈に支持していた国民も少なからず居た。
そういう「都合の悪い記憶」を封印するために、「軍部」という言葉に必要以上に重い位置付けを与え
現実以上に強力な存在だったというストーリーが生み出されたという側面があると思う。
もちろん、強力な「武力」を保持していた陸海軍に対して、他の組織や機構が無力だったのは事実だし、
憲兵や特高警察を使った強圧的な政治が行われた側面は無視できないモノだけれども、それだけであれほど
大規模に国家そのものを総動員する大戦争が4年間も(支那事変から数えれば8年も)行い続けられる筈がない。
- 93 :
- >>92
>強力な「武力」を保持していた陸海軍に対して、他の組織や機構が無力だった
問題はここだよな。スレの趣旨に戻ると、あの時代の二大政党には
陸軍の統制など、とても出来ない。他の官僚の統制はどうか知らないが
お互いに殴り合って政権を争うだけの存在のようにみえる。
だが、田中とか宇垣ら陸軍指導者(とくに田中は政党総裁・首相にまでなった)が
政党政治に理解を示していた。にもかかわらず、軍を統制できなかったのは何故なのか。
あるいは、官僚制の外部に出た者は、たとえ元指導者であっても
官僚組織の心理を理解できなくなるのだろうか。外部からの統制に
服さないのが官僚制の宿痾だとすれば、これは現代の問題にも通じるかもしれない。
- 94 :
- >93
>だが、田中とか宇垣ら陸軍指導者(とくに田中は政党総裁・首相にまでなった)が
>政党政治に理解を示していた。にもかかわらず、軍を統制できなかったのは何故なのか。
一番の出発点は、田中内閣時に起こった「張作霖爆殺閥殺事件」だったように思う。
あの時は首相であり、陸軍出身の田中が厳罰を下すために陸軍部内を統制してしようとしていたのに
陸軍内部からの突き上げと、他の閣僚からの反対などがあってその意志を貫けなかった。
石原完爾の行った満州事変が、河本の行為を基本的になぞってブラッシュアップさせたもの
であることを考えれば、あの時点で河本を死刑にしておければ満州事変を防げたかもしれない。
石原や板垣のように現場レベルで腹をくくっている人間は突っ走ったかもしれないが、
本庄繁や林銑十郎のような現地軍のトップは二の足を踏んでいた可能性が高い。
彼等が石原らの謀略を半ば疑いつつもそのレールに乗ったのは、河本への処分が大したものに
ならなかったという記憶が強く残っていたこともあるんじゃないだろうか。
その後、上官や陸軍トップの意向に逆らっても、「戦果を上げればこっちのモノ」という
いわゆる「下克上」の気風が強くなり、上司の命令や指示よりも自分の手柄を優先するような
規律の緩みが生じてしまい、陸軍自体が内部の軍人たちを統制できなくなっていった。
日中戦争勃発時に不拡大を主張した石原に対して、部下だった武藤章が「閣下のやったことを
やっているだけですよ」と言い返したという逸話もあるくらい、上司を上司とも思わない
人間が多くなり、戦争を拡大して「手柄を立てる」機会を増やす方に熱中してしまった。
そうやって個々の軍人が勝手な行動を取ってトップの考えに従わなくなっていった結果、
「船頭多くして船山をのぼる」という状態になっていったんだろう。
この辺は、内部の人事の問題や派閥闘争なども絡んでいるからスッキリとキレイに説明できる
自信はない。
コンパクトにまとまった解説としては去年放送された全四回シリーズのNHKの番組
『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』を書籍化したモノがあります。
上巻収録の「巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム」は一読の価値有り。
- 95 :
- >93
>官僚制の外部に出た者は、たとえ元指導者であっても官僚組織の心理を理解できなくなるのだろうか。
これは側面として二つの問題があると思う。
一つは、官僚制の中にいたモノが外に出て行ったとき、内部にインフィーマルな繋がりを持つ人脈を
保持しているかどうか。官僚を操縦するときには書類や書面によって指示下達される訓令や辞令よりも、
この「人的な結合」を有しているかどうかというのが時に決定的な役割を果たすことがある。
かつての自民党政権時代にも、各省庁はその時の大臣の命令や指示で動くと言うよりも、
その大臣を出した「道路族」「建設族」などの族議員集団の意向を忖度していた。
それら族議員は、官僚の権力保持や予算配分においてその省の利益になることを志向する
からこそ官僚側も族議員の存在を保持し守るという相互関係が出来ていた。
田中の時には宇垣という後継者を残して「インフォーマルな繋がり」に期待していたけれども、
宇垣の方は必ずしも「田中の手下」というようなつもりを持っていなかったようだし、
張作霖爆殺事件の時には陸相の地位にはいなかった。
あのときに宇垣が陸相であったならば部内を統制し得ていたような気もする。
宇垣が外に出た後に陸軍への影響力を行使できなかったのは、「三月事件」での行動時に
部下である小磯や建川の計画に乗るそぶりを見せてから直前に回避したことで、
部下からは「裏切り者」という目で見られ、それ以外の軍人からは「クーデター指導者」として
忌避されたというところがあるのと、やはり宇垣の行った軍縮に対する反発心が軍の中に
根強く残っていたからと言うのがあると思う。
もう一つの問題というのが、陸軍の外に出た元陸軍トップが影響力を行使するには
陸軍以外の足場というものが必要だったということ。
山縣−桂−寺内といった面々は、強力な長州閥(山縣系官僚閥)という存在によって
その地位と影響力を確保し得ていたし、田中はその末席に連なりつつ「政友会総裁」という
政党政治の勢いに乗っかることで影響力を保持しようとしていた。
宇垣の方は、山縣の死によって既に長州閥が衰退して以降のこともあって他の省庁の
官僚との連携は出来なかったものの、民政党という官僚出身者の多い政党と提携する事で
影響力を保持しようとしていた。実際に宇垣が首相になろうとして民政党の総裁に就任
しようとしたことは何度か有る。
陸軍にとって、予備役となって退役した人間は、現役時にどれだけ高い地位にいようと
所詮は「他所の人」という扱いになる。部内に対する影響力というのはその人間がどれだけ
「陸軍という組織にとって役に立つ力を持っているかどうか」という点で測られるので、
「予算を引っ張ってこれる」「省の権益を保持してくれる」などの政治力を期待できない者に
従おうとはしなくなる。
そして、「省にとっての利益」と「国家にとっての利益」が対立したときに、省の方を
優先する人間には協力するが、国家の方を取る人間には協力しないという事態が起こってくる。
その意味では、これは本当に今に続く現代の問題でもあると思う。
- 96 :
- 軍部の暴走は何だったのかという理由で、議論されているが
原因論の一つとして陸軍の採用制度自体に目を向けるべきだと思う
士官学校などの士官採用制度は何度か改定されてきたけど
欧米と決定的に違う所は基本的に能力主義で入学を決めた所
もちろん、欧米の学校でも試験はあったわけだが
あちらの採用基準として上流層出身というのが重要な要素であり続けて
中流層が大半を占めるという自体は少なかった
大正時代になると将校は能力主義で決めているのに、
日本全体は民主化(=大衆化)が進んでいなかったことが悲劇
田舎の中流層が立身出世の登竜門として士官学校に入るも
大正時代は軍縮で人員削減と出世も出来ないという不安感
軍縮で退役しても仕事が無い←これが最大の問題だね
中流層が将校の中核を占めてしまい、予備役編入時の生活が不安定化
また、一般官吏と軍人の官位でのランクの差が、逆に退役時の再就職を困難にさせた
- 97 :
- >96
>原因論の一つとして陸軍の採用制度自体に目を向けるべきだと思う
同感。
もうちょっと軍人の地位を保証し、生活が安定するように配慮する姿勢が政府にあったなら、
あそこまで激烈な「軍の暴走」ってのも無かったんじゃないかと思う。
西園寺公望もこんなことを言っている。
「(ヨーロッパ諸国の、軍人がきちんと評価され活動する環境を確保した状態と比べて)
しかるにわが国の如きは、国土狭小にして、かかる植民地のあるなく、軍人功業の活動舞台
皆無なるに加えて、近年軍縮の機運さかんとなり、ひたすらに経費節約をはかりて、
やや軍人を抑圧し過ぎたるきらいなきにしもあらず。
〈略)
社会組織の構成上、すでに軍人の存在ある以上、軍人の心裡省察もまた大切の事項なるに、
やや等閑に附し過ぎたる憾みなきにあらず。」
筒井清忠『昭和戦前期の政党政治─二大政党制はなぜ挫折したのか 』 p261−262
軍縮軍縮とやかましく言い過ぎずに、彼等軍人の感情を余り傷付けないように配慮しながら
徐々に軍備縮小を図っていっていればもうすこし違った結果が生じていたいように思う。
また、軍人が予備役に回された後にでもその受け皿となる組織を作るなり、再就職が出来るように
軍内部での意識改革を進めたり、一般社会で役に立つような将校への教育を行っておくよう、
軍自体に協力を求めるなりしていくべきだったろう。
- 98 :
- 「不正選挙」を糾弾し始めたら、創価学会のヤクザから恫喝を受けました。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_359.html
2012年12月16日(日) 19時27分15秒 出口調査 三原じゅん子 自由民主党参議院議員
出口調査の結果があちこちから流れてきます。自民党、、、厳しいです。
マスコミの流した情報はなんだったのでしょう、、、、というくらい。全然違う(;゜0゜)
まだ、あと30分。どんな結果が出るのでしょうか。http://ameblo.jp/juncomihara/page-7.html#main
今度の不正選挙で一番ビビっているのは、当の自民党議員であると思います。
彼らは、国家丸ごとのとんでもない不正が行われたのを知ってしまいました。
出口調査ではどう考えても大敗だったのに、なぜか、大差で勝ったことにされてしまった....
ほかの同僚も同じことを言っている....こんな大規模な不正が日本で行われ、自分も当事者だなんて....。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201212/article_200.html
- 99 :
- >>92
特高警察など内務省の戦争責任がほとんど追及されなかったのがいけないとおもう。
内政面で戦争遂行をささえてきたのはたしかなのだし。
内務省が戦争遂行をささえてきたのは反共産主義が動機なのだろうけど、そのほかにも
財閥とのつながりがあったのかもしれない。
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