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2013年17鉄道懐かし34: 国鉄最大の蒸気機関車 C62を語る (221)
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国鉄最大の蒸気機関車 C62を語る
- 1 :2013/03/30 〜 最終レス :2013/09/15
- 国鉄最大の蒸気機関車であったC62を語ろうぜ!!
- 2 :
- 2号機の燕
- 3 :
- 幽閉状態の3号機
- 4 :
- 国鉄最大の蒸気機関車ってD62じゃないの?
- 5 :
- >>4
C62とD62を比べるとC62のほうが長く重い。
もっとも長さだけで比較するとC59戦後型とそれをハドソン化したC60100番台が僅かに長い(C62は21,475mm、C59戦後型とC60100番台は21,575mm、D52&D62は21,105mm)。
- 6 :
- 軸重軽減のC62'はC62ではないと
常磐流れのカマが来るとシャッターを切らない先輩がおりました
- 7 :
- 軸重軽減機はC62以外にもあったような…
- 8 :
- >>7
C60やD60、D61は改造段階で軸重軽減してたと思う。
D62は東北転用の段階で軸重軽減化してるはず。
C61は元々C57相当だから軸重軽減の必要なかったのかこの変更はされなかった。
仮にC61が軸重軽減したらC58が入るような丙線で使えるようになるとか。
- 9 :
- >>8
C61の炭水車が小さいのは将来の丙線転用も考えての事だったのかな。
- 10 :
- >>6
呉線の話か
もっと遡れば常磐・北海道のC62自体がそういわれたりしたそうだけど
>>9
18m級転車台に乗せること考慮してああなったんじゃなかったかな
- 11 :
- >>10
前半:
呉線末期の写真見たら常磐からの48が先頭に立ってる写真って案外多いイメージある。
後半:
18m級ターンテーブルなら20,375mmの長さでは載らないような。
ちなみにC61の長さはD51/D61の19,780mmより長いな。
- 12 :
- 炭水車が小さいのは、基本途中駅で適宜給水や給炭できる運用を前提としてるからでしょ
特急を牽引するとなると、長距離無停車があたりまえなのでC53やC62のものは当然キャパが求められる。
C61も地方の優等列車牽引は在ったとはいえ幹線ではなく亜幹線以下で、途中停車駅の間隔も東海道や山陽本線の特急とは大違い
- 13 :
- >>12
C53で名鉄局・大鉄局配置の一部で長距離運行に備えてテンダーをD50のモノとトレードした機があるな。
あと戦後のかもめでは編成両数の少なさとテンダーの水容量の関係で当初C62を差し置いてC59を充当してた頃があった。
- 14 :
- そういや高崎の動態復元したC61-20は急勾配が上れないらしくSL碓氷に使えないらしいね。
(碓氷には498を使うのもこのため)
確か復元の際に不要だからとストーカーぶっ壊しちゃったんだよな。
- 15 :
- 現場では最初から改造型のC62よりも生粋のC59の方を評価する声も根強かったみたいですね。
- 16 :
- そりゃ走らせるなら軸重が問題となるから、軸重軽減されてるより、されて無いのを評価するだろ。
ただし運用側としては、そうも言ってられないけど。
他でもD51より軸重が僅かにあるD50が好まれたのと同じ。
- 17 :
- >>11
ターンテーブルには車輪が乗っかれば大丈夫なのでは?
実際に梅小路もC62だと車体ははみ出してるけど、車輪はギリギリだし。
- 18 :
- >>17
実際は車輪がターンテーブルに収まっていれば問題無い。
木更津のターンテーブルもD51やC57がはみ出しているが、車輪は収まっている。
過去、九州ではC60が超ギリギリで載り、回されていた。あの止め方は慣れなんだろうな。
- 19 :
- >>18
木更津はC61も回している。車輪超ギリだったね。
- 20 :
- 空転しやすいカマ、圧がなかなかあがらないカマ、燃料効率の悪いカマ(どれも機関士の技術次第ともいえるが)
これが評価が低いカマ
C62はストーカーあるから、助手には助かってた部分はあるんじゃないの
ただ、築港では2は最悪という評価だったのに、44のように皆が高評価していたカマはあっさり廃車になってしまった。
前補機の2はぶらさがりでほとんど役にたってなかったと聞いたものだが、ツバメマークあるなしで皮肉なもんだ
- 21 :
- 石炭の質もあるのかも知れないね。北海道は夕張などの石炭とかで燃焼が良くて好まれたが、
平に行ったC62は燃えは最悪カスは大量に出るはの常磐炭で苦しめられて煮え湯を飲まされた
ようなもんだったからね。2もカス石炭の常磐炭をやられているはずじゃないかな。
九州も筑豊のを使っていたはずだから。
RMの蒸気機関車のやつを見るとみんな常磐炭はカスは大量に出るは燃えないだ嫌なコメントしている。
- 22 :
- 平のC62もゆうづるの頃には老朽化が激しかったそうだからね
(早期に消えた尾久→仙台転属車は割と程度が良かったというのがなんとも)
- 23 :
- >>21
かなり以前のRMで齋藤晃が島秀雄など国鉄の蒸気機関車の技術者をボロカスに批判していたのを見た覚えがある。
>>15
C62よりC59の評価が高いのは島など国鉄の技術者がパシフィックに対してかなり思い入れがあったのが現場にも伝わったのだと思う。
その延長でハドソンよりパシフィックがいいということに。
あと国鉄の技術者はD型機ならミカドに思い入れがあったみたい。
結局パシフィックやミカドの評価が異様に高いのでハドソンやバークシャーが過小評価されてるように思う。
- 24 :
- C62は改造機ゆえの不具合も多かったからな。特に初期ロットは。
C59は設計製造も新規でやってるし。C62もボイラーも含めてハドソン機
として設計されてたら使いやすかったかも。C61はハドソンにする必要性
は無かった気がするし、D51ボイラーありきで設計した機関車なので、
やはり問題も色々ある。復活機はいくらなんでも軸重軽くし過ぎで、
C54みたいになっちまった。アレじゃ不便で仕方ない。ブレーキ改善で
(+軸重アップ)何とかならんもんなのかね。
- 25 :
- >>24
日本国鉄(鉄道省)がもっとアメリカナイズされてたらもっとまともなハドソンやバークシャーが生まれていたと思う。
本国と違ってアメリカの影響が強かった満鉄や鮮鉄ですらハドソンやバークシャーは生まれなかった。
満鉄パシナは計画段階ではハドソンにすることも考えられてたけど実現してたら↓の機関車に近い感じの機関車になってたような。
恐らくNYCのJ3aを参考にするだろうし。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6a/NYC_Hudson2.jpg
- 26 :
- >>21
石炭の質はかなり影響するね。北海道と常磐では天と地の差があったとも言われた。
質に付いては宮原区のC62乗務員証言が本に記載されてる。
質の良い石炭は火炎が高い・燃焼も長く、投炭も回数が減るが、
質の悪い石炭は火炎が低い・燃焼が短く、投炭の回数が増える。
- 27 :
- >>24
C61をパシフィックにしたら、転用先がC59と被って問題になってただろうね。
結局丙線区へ転用されなかった理由は何だろう?
軸重はクリア出来ても、橋梁が重量そのものに耐えられないとか、
ストーカーが面倒がられたとかだろうか?
- 28 :
- >>24
とはいえC61がC57の補充で出てなかったら東北や九州でも重量化した急行や新設特急を牽くのに困っただろうな
(そういった地域には新型旅客機を入れずC57重連やD51で構わないというなら別だが)
>>27
東北・常磐・鹿児島では結局新製から電化まで使い潰したしその頃には転用先自体が限られた
- 29 :
- >>28
東北線みたくC61が重宝されたこともあってC62の転用が苦しくなったのは趣味的には惜しかったかもね
- 30 :
- >>27
丙線区にはC62の高速性能を必要とする優等客車列車がなかったんじゃないの?
C57やC61で間に合うというか末期はすでにDD51がのさばってたし
lニセコ山線も末期は客車減って換算とダイヤからして実はD51重連で間に合ってたわけだし
- 31 :
- 前に某サイトで「幻のC6212のツバメマーク」って話題があったなあ。
松本謙一氏の談話なんかも紹介されていたような。
- 32 :
- デフの「お飾り」は多線に転用される時に外されてしまうからな。
「お飾り」は、その受け持ちのいわゆる「改造」にあたるから多線に転用する時は、ノーマルに戻すのが通例だし。
デフの「お飾り」がクローズアップされるのも、昭和40年以降の各形式で廃車が出始めた時に、
クローズアップされ始めたから、後世の世代から見たら遅いよ!ってことで。
外され無かった2号機が特別な存在、異常なだけ。
- 33 :
- ニセコ詣でに上目名とか小沢とかに行ってたガキんちょのときは
C62が最高と思ってたけど、今写真やビデオを見てみると
C59がいちばん様式美的には蒸気機関車らしい感じがする。
C62はなんか超特盛りみたいで
あとC51が意外にすばらしい。何度みてもだめなのはC54。
貨物機はどれもあまり美的じゃないけど、9600やD50は渋いね。
最末期にC62が短い貨物列車ひいてたのは哀れすぎた
- 34 :
- C62派とC59派の好み理由の言い分って電気機関車で言えばブルトレ牽引機でEF66かEF65のどちらが相応しいと考えるのに似てる。
C59やEF65が好みという人ってどちらも生まれながらの旅客用機関車だからというのが似てるしC62やEF66は所詮は貨物用とか貨物用機関車からの改造だからC62・EF66なんかと格が違うなんて言ってる奴も居る。
自分はC59よりC62、EF65よりEF66のほうが存在感とか派手さとか色んな意味で好みになってる。
それにしてもC62もEF66も1988年に日本に来たオリエントエクスプレスを牽引して欲しかったな。
- 35 :
- 山陽や常磐末期の写真見ると車体のでかい20系や10系寝台車にはC62のほうが合ってるな
- 36 :
- 自動給炭機が装備されているC62でも
機関助士って必要なの?
- 37 :
- 自動信号線区だとしても、機関士一人で
釜戸やボイラーのお守、右側監視、石炭の整理まで手が回るとお思いで?
- 38 :
- >>36
メカニカル・ストーカーは性質上、自動で石炭を送るだけだから火室の乗務員側に石炭を送るだけ。
火室の隅や奥に石炭が散らないから効率良い燃焼をしないのが欠点。
テンダーの石炭をスコップで拾い、奥に投げ込み、石炭を散すのは機関助士の役目だった。
- 39 :
- >>36
一部の列車であった機関助士を二人以上乗せる運用は減った
- 40 :
- DLやELでも昭和40年代あたりまでは助士が普通に同乗してたな
それこそ必要?と思うけど簡単に転換できない事情もあるしな
助士って万一機関士が突然倒れたとき代わりに運転してもよかったのだろうか
- 41 :
- DLやELの古いSGには助士が必要だったんだっけ?
梅小路の2号機は、給炭装置は稼動するのかな?使わないとは思うけど技術遺産という意味で。
- 42 :
- >>41
ストーカは復活3号機では使ってたんだよな。C61の撤去は残念だけど、
そのまま大宮で保存はしてあるそうだ。
- 43 :
- >>42
>大宮で保存
とうも。それを聞いて安心しました。
- 44 :
- ストーカーは満鉄での採用は早かったけど本土での採用は戦後のC61・C62が最初なのはいくらなんでも遅過ぎたと思う。
色々欠点はあるけども(C61・C62でお召運用がなかったのはストーカー装備が原因?)助手の労働環境の向上に寄与したのは間違いないと思う。
結局国内のストーカー採用機はC61・C62、D52標準仕様、D62とD51の常磐線運用機の一部に留まったけどC57やC59・C60、D51やD61には全機あっても良かったと思う。
- 45 :
- そりゃ8200/C52を輸入したときの件や片手ショベルの使用みたく
石炭をドッと焚くような運転自体をほぼ否定してきた流れがあったし
それを必要とするほどの輸送力増強に迫られたのが昭和10年代以降だから…
- 46 :
- その時代の日本では人間が安くて万能な、
一番コストパフォーマンスが高い機械だった、というだけでしょう。
なんせ誘導ミサイル、自走機関銃のコントローラとして使い捨てたぐらいだから。
人間の能力を超えた要求、人件費の上昇の少なくともどちらかが、
臨界点を超えたのが戦後の大型機だったということ。
- 47 :
- >>45
戦前はC52・C53とD50以外概ねスモールエンジンポリシー(うろ覚え)に凝り固まってたからな。
- 48 :
- 狭軌でストーカーってのはキャブの中で動くのに邪魔くさいんじゃないのかね
おまけに日本の低質炭、末期は豆炭になってこれがまた悪評高かった
目詰まりおこしたり、火床をかえって余計に手間かけて馴らす羽目にもなった。
しかもつぶしてるからシンダーがすごい。そりゃゴーグルもつけたくなるよな。
- 49 :
- >>47
とりあえず重連三重連が増えたのはその副産物
>>48
平坦線でも助士を延々立たせたまま運転操作させることも減ったし
戦前戦中の山岳区間や優等列車みたく投炭目的の助士を乗せるよりは改善になる
- 50 :
- 自動で石炭くべてくれるんだから、多少の問題はナッシングじゃないの?ww
- 51 :
- 国鉄最大の蒸気機関車って、単純にE10だと思ってたけど、アレは『タンク式では最大』だったのか
- 52 :
- >>47
そりゃ軸重問題、転車台の問題もあったから。
- 53 :
- 戦後のつばめ・はとが戦前と同じ8時間運転に復して尚且つ編成が最大13両に出来たのもC62ならではな気がする。
へいわとして復活した際はC59で客車も10両程度だったような。
その後2等車がオロ40からスロ60に変わり食堂車がスシ47からマシ35・カシ36に変更されて編成そのものの重さが増してるからC62でないときつそうな気がする。
- 54 :
- >>53
C53・C59牽引時代の特急は編成重量400〜450t程度だったのが
C62化で最後は550tまで引き上げたんだったかな
- 55 :
- >>54
確か名古屋電化で550tになったはず。
この辺り以降スハ44やスイ38を増結して最大13両まで増結していた。
C62時代のつばめ・はとの写真を見てたら基本11両のところ12〜13両編成で運転されてるのが多い。
- 56 :
- 関連スレ
D51スレ
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1365228832/
- 57 :
- >>56
蒸気機関車最後の10年を語るスレ part8
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1317981766/
- 58 :
- >>53-55
はつかりも大体重量的につばめ・はととそう変わらないんじゃないか。
展望車はないから最後尾はスハフ43だがスハニ35 スハ44複数 マシ35で唯一の救いが2等がナロ10だったが。
かもめの44系当時とそれほど変わらない。
後にかもめは逆に編成が軽くなった(スハニ35→オハニ36 スハ44→ナハ10 スハフ43→ナハフ10)けど。
ていね(ニセコ)もスハ45複数 スハフ44 スロ54又は62だけど2〜3両郵便車と荷物車があったから
結構重かったはず。
- 59 :
- はつかりは編成短いでしょ。
- 60 :
- >>58
常磐線だとはつかりの編成は通常で客車8両(約300t)
その後のゆうづるのほうがほぼ同一時分だが13両(410t)なんで厳しかった
函館本線は昭和30年代のまりもが最大13両(500t)で
ていね→ニセコは11両とかだったかな
- 61 :
- >>60
東京からの九州行き20系ブルトレの山陽本線区間ではC62が電源車含めて最大15両を牽引していたな。
- 62 :
- >>61
カニ22連結でも15両で500t程度に収まるのはさすが20系という感じだ
- 63 :
- そういや、常磐から呉線に転籍したC62が軽量軸なんで急行安芸牽引時に空転騒ぎ起こしたのを思い出した
- 64 :
- 呉線に最後C59が3両だけ残ってたけど、なんでC62に統一しなかったんだろう。
当時すでにC62も余剰でいくらでもあったはずなのに、1966年の時点で
.C62ではなくてどうしてもC59でなければならなかった必然性があったんだろうか。
全検切れまで余裕があったにせよ、C62で同条件で廃車されたものもあったはず。
- 65 :
- >>20
C622って東海道時代も黒ナンバーで調子が悪いと見なされてたみたいね。
北海道転用時にボイラーを新品にしても外れボイラーをひいてしまったのかな?
>>62
20系ってよくよく考えたら電源車以外は全て「ナ」級でかなり軽いな。
>>63
当時廃車発生品の重軸重仕様の従台車があっただろうに。
重軸重仕様に戻してたら空転騒ぎなんてなかったと思う。
常磐からの転用組(23、37、46〜48)って老朽機とはいえ程度は良かったみたいだし。
逆に呉線から北海道に渡った15・16を軸重軽減や耐寒改造する際は15が44の、16は32の従台車やテンダー、及びその他部品を流用したようだね。
- 66 :
- 糸崎ではそもそも[軽]C62というものがあるという認識がなかったとか何とか。
なんで常磐から来たC62が空転するのかはじめはわからなかったそうだ。
C59が残った理由は知らないけど、偉い人が好きだったんじゃない?初めてハンドル持ったカマだったとか。
- 67 :
- >>64
最初はC62統一のつもりだったが軽C62の空転騒ぎが起きたので
編成が重い急行音戸や朝夕の普通牽くのにほぼ限定運用だったとか >C59
>>65
常磐からの転属機は検査費用どころか改造費用まで削った感じだね
結局電化を待たず廃車されたのも出たし
- 68 :
- >>66
でも異動時には車歴簿もいっしょに移るわけで、過去の改造や改良工事も全部わかるはずだけど、技術掛と運転の現場じゃ役所と同じで意思疎通がないのかね。
C59の最後の3輌も全機調子がいいというわけでもなく、どれか1両以外は圧があがらず機関士泣かせだったはず。むしろ代替でD51が使われると、そっちのほうが各停牽引には歓迎されたとか。C62はストーカー付でも平坦の呉線じゃあまり意味なかったんだろうか。
- 69 :
- >>65
全廃と電化が後5年、10年ほど先になっていたなら、従台車の交換もあったんじゃねえ?
常磐から来た時は既に昭和40年代に入っていて、本土は電化も進み、10年もしないうちに全廃が来るから、
検査直前まで乗り、廃車するので、金かける必要無いって意識では。
>>68
現在でもエリート組と現場組の認識が違うのと同じじゃねえかな?
技術としては空転と聞いても、実際に運行中に乗務して、空転を経験してる訳では無いから、
乗務員の操作が悪い・天候などで線路状況が悪かったなどと思う位では?
D51みたいに全国のあちらこちらで空転騒ぎが出るほど、C62は両数も無いんだし。
- 70 :
- C6244のカマの調子はよかったらしいからナンバープレートとデフだけC622と取り替えておきゃよかったのに
- 71 :
- >>70
日立と汽車製造じゃ同じC62でもかなり違うんですけど…
- 72 :
- >>71
そんなの気にするのなんて一部のキモヲタだ。その辺の気動車wを茶色く
塗って牽かせても、懐かしい!って客がいっぱい集まってくるだろ?
一般人なんてその程度だよ。w
- 73 :
- そういや巨大タンク機E10形もろくな活躍出来なかった。
地獄の矢岳越えにも投入されたみたいだけど、大正年代物の4100 4110形より酷かったらしく、
酷い空転でこっぴどくやられたらしい。
あんなD52クラスのボイラーのタンク機で30パーミル連発と2000mトンネルありの
地獄の矢岳越えじゃああなるはな。
- 74 :
- 重量配分が悪いと空転する。D51もナメクジや標準型は空転したけど、
戦時型は重量配分が見直され、モーションプレートの位置が若干前進、空転しにくくなってる。
- 75 :
- D51にモーションプレート位置変更があったって話は初耳だなぁ。
動輪系ごと動かさないとあの位置から動かないようにも思うけど、図面や形式図に反映してないのか?
- 76 :
- >>73
E10の場合は運転側より保線側から徹底的に嫌われたらしい。
動輪の軸距が長いので線路にかかる横圧がものすごく、しかも終戦直後の物資窮乏の時代だからレールの交換もままならず尚更。
肥薩線程度の輸送量なら4110の方が運用も保線の側にも楽だったということ。
だから肥薩線では戦中に投入されたD51も当初は嫌われたらしい。
そもそもE10は板谷越え用に登場した機関車だから奥羽線より輸送量も低く線路規格が低い路線に転用は無理だったということ。
それは昭和38年に水戸から仙台区に転属したC62にも言えて、当初は東北線仙台以北の運用計画もあったが
ついに正規運用に就くことなく常磐線平−仙台の運用にとどまったから、C62最初の余剰廃車を出すことになってしまった。
仙台区ではC62よりC60の方がはるかに使いやすくて重宝され、C62の転入で一旦は青森に転出したC60を、
C62の廃車に伴って再び仙台に戻したりしている。
- 77 :
- D50や9600は空転しないので入換機として評判よかったという話は聞いた。
初期のDD13なんかはその点で評価が低かったともいう。
一方D51だか忘れたが空転防止にコンクリートの死重を乗せてたのもあったが、
低規格路線ではありえない話で、結局C62にしてもその巨大さが転用もできず
恐竜のように短い生涯で終わってしまった感もしないでもない。
そのC62より短命だったC60は不憫だね。旧客の長大編成引いてのんびり走るのは絵になるのに。日豊本線とか山陰本線下関口とか函館本線とかに転用してもよかったと思うが。
- 78 :
- >>76
というか何で仙台区はC60のほうが使いやすいと判断してたんだろうか?
何か東北ではC62もD62も、つまりD52を母体とした62兄弟はイマイチ嫌われてた感じがする。
東海道・山陽や北海道はそれなりにC62を存分に活用出来てたと思う。
- 79 :
- >>78
まず第一に仙台区受け持ち区間でC60で牽引定数不足を起こすような運用がなかったこと。
C60とC62比較した場合、牽引力はほぼ同等で条件が同じなら巨大なC62よりC60の方が扱いやすいのは当然で、
しかもC62は昭和38年になって初めて仙台区配属になったから、C60やC61より保守面でも仙台区では馴染みが
薄かったことも要因としては上げられるかもしれない。
C60に対しC62のメリットはストーカーの有無しかないが、仙台以北における仙台区の大型機の優等列車運用は
むしろ同じストーカー付きのC61が重用され、C60はローカル運用メインだったのでストーカー無しのデメリットは無かった。
仙台区のC62が全廃された後も、常磐線平以北のローカル運用にC60が電化まで使用されたのもそう言う事情によると思う。
現実にローカル運用にC62を使用するのは、ボイラーの大きさゆえに石炭消費量が増大し、
非効率であることも現場で嫌われた要因と言われている。もしかしたらこれが仙台区におけるC62に対するC60優位の最大の要因ではないかとも思える。
- 80 :
- 何度見ても、誰が撮影したのを見ても鳥肌もんだよな。これだけは死守
したかった。最後の方でストーカーの動作音聞けるよ。
http://www.youtube.com/watch?v=pa_7jBOr3po
- 81 :
- >>79
仙台の場合
普通 C60主体
特急、急行 C62(平ー仙台)、C61(仙台以北)
こんな感じだっけ?
- 82 :
- 昭和40年前後の仙台区配置のハドソンは、
C62→常磐線平−仙台間のローカル運用のみ。不定期急行運転の場合のみ充当。
C60と同じローカル専門の丙組に組み込まれC60のサポート的に常磐線内だけに限定使用。
しかし>>79で書いたような要因もあり次第にC60の運用に限定されていき昭和40年秋にすべて運用離脱。
C61→常磐線平−仙台間のローカル、東北線仙台以北のローカル・急行・特急運用
昭和40年の盛岡電化以降は常磐線のローカル運用主体。
もともと仙台区配置だった21号機は平区に転属して急行おいらせの専用機的に常磐線電化まで定期運用。
C60→常磐線平−仙台、東北線仙台以北のローカル運用。
仙台地区における特急・急行牽引の実績無し。
常磐線平−仙台間の特急・急行牽引はすべて平区のC62の受け持ちで、特に昭和40年秋に登場した
最後のC62特急ゆうづるの牽引を任された平区のC62に対して、仙台区のC62は同じ年の秋に
残っていた3両のC62(7・8・9号機)すべて運用離脱という明暗を分ける結果になった。
- 83 :
- >>73 >>76
E10の場合は全動軸だった4110と違って先従輪の影響で急曲線での軸重移動も大きかった
>>78
C62もD62も少数派すぎて配置も評価も偏ったからな
(一ノ関時代の証言が出てくるまでD62の評価は冤罪に近かったし)
- 84 :
- >>77
転用する時期には他の機種も余ってきてるし
今更手間かけて新型機を入れたくないという線路や検修の事情も出てくるから…
- 85 :
- >>83
CとDの61・62はそれぞれ100両くらいあって全国で使われていたらもっとまともな評価されていた気がする。
2軸従台車による乗り心地の向上やストーカー(D61にはないが)装備による機関助手の疲労軽減というメリットが限られた機関区・地域でしかなかったのがハドソンやバークシャーの過小評価に繋がってたと思う。
ストーカーに関してはC57・D51以降の機関車は採用出来なかったのかと思う。
登場当時満鉄では既に採用していてノウハウがあったはずだし。
- 86 :
- 乗務員の作業環境なんてほとんど考えてなかったからな。
それこそ気合と根性でどうにでもなるって発想だし。
だからこそのスモールエンジンポリシーなわけで。
目いっぱい以上の仕事を技術と根性でどうにかしろよってことですよ。
余裕のあるカマで余裕のある仕事、そういう発想にはならなかったんだよな。
保線との力関係ってのもあるだろうし、目先の水炭消費が増えそう(実際はそんなことない)ってことででかいカマは嫌われた。
- 87 :
- 東北本線の場合仙台以南でもC62の空転が嫌われたからな
比較対象が長年の改造で軸重が増えたC51か軌道強化で来たC59という空転しにくいカマだから仕方ない気もするが
>>85
まず燃焼室と動力揺火格子から
- 88 :
- >>86
元々スモールエンジンポリシーって欧州の考え方だっけ?
C61やC62、それにD62は全く対照的にアメリカ流のラージエンジンポリシー?な感じかな?
ある意味これらの機関車はアメリカン的な要素もあるかと。
- 89 :
- >>87
常磐線を考慮しなければならないから軽軸重型投入は仕方ないとは言っても仮にC62重量型を東北線に投入してたらC59のほうが好まれるなんてことはなかった気がする。
軌道強化してC59が入れたならC62重軸重型が投入可能だったと思った。
- 90 :
- >>77
9600やD50は動輪の軸重がしっかり分配されるように設計されているからな。
D51はD50が入れ無い低規格路線まで入れるように設計したのが根本的な間違えだった。
そのD50も先輪問題で二軸貨車を脱線させまくったけど。
- 91 :
- >>85 ストーカーに関してはC57・D51以降の機関車は採用出来なかったのかと思う。
常磐線のD51には、後年改造だがストーカー装備機が水戸に配置されていた。
もともと常磐線には長大な石炭貨物列車輸送という使命があり、平坦線と言えど1000トンを超える重量貨物列車の場合
D51に機関助士2名乗務というかなりキツイ仕業を強いられていたが、機関助士の負担軽減を図るために
ストーカー装備の改造を受けたD51が常磐線に入り、ストーカー無しのD51は他区に転出している。
そもそも重量貨物列車の多かった常磐線になぜD52が投入されなかったのか疑問に思っていたが、
東海道のD62の転用の際、常磐線も転用先候補に挙がったらしい。
ところが常磐線の場合、D62の転入はならずD51にストーカー装備で最後まで対応した。
それは、ストーカーが機関車の牽引力に多大な効果を発揮した結果(だからD51で十分対応できた)なのか、
常磐線が全線平坦線だったからなのか、D62のような大型機が入るのを常磐線受け持ちの現場が嫌った結果なのかよく分からない。
ちなみにC57に後年の改造でストーカーが装備されたという話は聞かないが、C57程度のボイラーではストーカーの必要性はあまり無かったのだろうか?
少なくともD51・C57登場時の昭和10年代初頭は、ストーカー装備により機関助士の負担軽減という発想はなかったと思う。
- 92 :
- >>91
火格子面積がC57なんて2.53平方メートルだから
ストーカーつける意味ないでしょ。
C62は3.85、D51は3.27だから石炭くべる労力ははるかに大きい。
4畳半と6畳ぐらいの差がある。
ボイラー容積もC57は3.80立方メートルで小さいがボイラー容積と
ストーカーとは直接にはあまり関係ない。(D51は4.88、D52は6.88〜7.00)
- 93 :
- 東北地区におけるC60とC61を比較した場合、たしかシリンダー牽引力も動輪上重量もC60の方が上回っていたはずだと思うが
東北線の優等列車牽引では圧倒的にC61優位だったのは、C61にはストーカーが有ったからだと言われている。
長距離優等列車仕業の場合はストーカーが威力を発揮した部分は否めない。
逆に東北でのお召し運用ではC61ではなくC60が充当されている。
お召し列車のように牽引力よりも黒煙防止等の配慮を考えれば手炊きの方が信頼感があったからだろうけど、
C62の場合もついにお召し運用に就く機会を得られなかったのもそのせいだろう。
- 94 :
- >>93
そういえば今の高出力電機EF66もお召牽引とかは無いよね
大出力釜は、やはりお召に向かないのかな?
せめても誉れがお召先導(つばめ)のC6225かあ…
- 95 :
- >>94
大した重量じゃないし、スケジュールはむしろ余裕をもって組まれてる
ので、必ずしも大型SLが必要じゃないんでしょ。
- 96 :
- >>95
それもそうですね 1号編成とか1両辺りが重そうでも短いし(新1号なんて更に軽い)
むしろ整備班が信頼出来る釜を抜擢するから…蒸気なら必然とC59やD51とか頭数も多い釜に
C62は全体でも49両しか居ない高速レア釜…D52と共通箇所が多少は多いとはいえ
万が一を考えたらC59の方が無難ですね
- 97 :
- >>93-94
前にも何処かで書いた気もするが戦前のC53、戦後のC61、C62は機構的な問題以前に
どちらも第一線だった時期は定期列車と一部臨時列車だけで手一杯な使い方してた。
ついでに東北本線・常磐線では牽引定数上もC61>C60で算定
(盛岡〜一戸間以外はC61のほうが40tほど重い)
- 98 :
- >>97
特にC53とC62は何よりも特急・急行の牽引機だな
- 99 :
- 元C59のハドソンとは言え、C60は結構地味だったよね。
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