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【中南米】ラテンアメリカ総合スレ【新大陸】


1 :2007/02/12 〜 最終レス :2013/03/18
近所の日系ブラジル人への不満から
戦前の南米移民の話まで歴史っぽいことなんでもどうぞ
その他インカ、マヤ、アステカ、
三国同盟戦争、チャコ戦争、キューバ革命、中米紛争、チャベス談義、
R二世の話、ギアナ三国の旅行記、サッカー、カルナバル、
新興宗教、アングラネタ(麻薬等)、ラテン音楽etc...
なんでもありの南米大陸を語れ
参考スレ
南米情勢の回顧と展望
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1134985969/ 
【ブラジル】南米女性のエロい身体【アルゼンチン】
http://sakura01.bbspink.com/test/read.cgi/ascii/1150553092/
南米情報交換しましょ
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/world/1001863832/  
【絶対】南米王者 PART9【渡すな】
http://ex20.2ch.net/test/read.cgi/soccer/1167387228/ 
アルゼンチン・ロック 秘境だ!!
http://music.2ch.net/test/read.cgi?bbs=wmusic&key=1005653409
キューバン”サルサ”
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/dance/1114053378/
南米系料理(ブラジル料理、アルゼンチン料理)
http://food7.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1021616608/
【カポエラ】カポエイラは実戦格闘技【ブラジル】
http://sports10.2ch.net/test/read.cgi/budou/1161220328/

2 :
2 :名無し三等兵 :2005/12/19(月) 19:02:59 ID:u6X92F7x
南米と一括りにされる地域だが、多様性に飛んでいる。
日本人にとって南米とはなんだろうか。 いわゆる欧米人が日本と聞いて想起するのは
フジヤマ、ゲイシャ、シンカンセンだと俗にいわれるが、日本の実情を反映していないと
多くの日本人が感じるようにアマゾンやパタゴニア、ナスカの地上絵も南米のホンの一部の
実像に過ぎないとこの板の諸兄には理解していただけるだろう。
南米の国々は政治体制も幅広く、一部の国家を除いてほぼ親米で彩られ、往々にして
その民政は抑圧的であり、人権状況も芳しいとはいえないとされる。
また、アジアの地域で中国やアメリカの影響力を語ることなく国際関係や軍事関係そして
政治状況を語る事が不可能であるように、超大国アメリカの存在が極めて大きい。
政治軍事はいうにおよばず。この地域の事象の多くに米国が大きなウエイトを示している。
南米の展望をみていく上で米国の存在とその外交方針、関与政策は非常に大であると
いわざるを得ない。

3 :
あの国境はどうやって決められたんどろう?
中米のゴチャゴチャしたもの、南米の大雑把なもの、
あれらは、アメリカ合衆国内の州境や、アフリカ諸国の
国境のように、人工的にひかれたってかんじが全然しない。

4 :
スペイン、ポルトガルの宣教師や、イエズス会による
黒人やインディオへのカトリックの布教は、一般的に『魂の征服』と捉えられることが多いが、
実際はカトリックと先住民の信仰や、アフリカ伝来のヨルバ系の黒人宗教との習合も多く、
そういった宗教の中で一番広く知られてるのはハイティのヴードゥー教が有名である。
他にもキューバのサンテリア、ブラジルではリオのマクンバ、バイーアのカンドンブレーなど
が有名であり、今でもブラジルやキューバでは少なくない白人中流層の家庭が
そういった黒人宗教を信仰しているのである。
こうした国々の人々は自身を「自己流のキリスト教徒」と規定しているが、
実際はアフリカの黒人宗教ほぼそのものであり、
この点で北米と南米がどれだけ違うのかを理解できるだろう。

5 :
>>3
植民地時代の副王領や、軍事総督領の境界線をそのまま国境線にしたらああなったって感じかな
南米諸国でもポルトガル系(つまりブラジル)の住人はわりかし協調性があって、
少しの意見の違いならなあなあで収めることができたけど、
スペイン系は協調性がなく融通が利かない国民性で、些細なことで対立してるうちに
最初はまとまってた国が四分五裂した原因だという話もある
中米連邦とか大コロンビアとかボリビア=ペルー連合とかがそんな感じ
親しみ易さからすれば友達にするならブラジル人か。
育ちが悪いとすぐに嘘つくし裏切るけど、これは第三世界共通だし

6 :
南米はウッホホーイってイメージがある

7 :
南米の歴史もけっこう日本人にはわけわかめだよな
南米ABCとかペルーとか

8 :
一応やっとくか。ラテンアメリカ主要国解説
南米編その1
ブラジル
国名の由来は、赤の染料が取れるブラジルの木から。昔は赤い色が貴重だったので重宝された。
地域のリーダーを自他共に認める中南米で最大の大国
経済規模が巨大で唯一のポルトガル語国家。戦前、戦中に日本人移民えの排斥があったものの
日本との関係は深い。実はこれでも中南米じゃ一番協調性がある人々の国で、
過去に何度も分裂の危機を迎えながらも上手いこと回避してきた。
というのもこの国の教養ある人は相手を傷つけないように配慮し、
ズバズバと厳しいことを言ったりすることは少ないのだ。
北から南に行くに従って肌の色が白くなる。見えない壁はあるが、
キューバと並んで世界でも最も人種差別が少ない国のひとつ。
文化的にはアフリカ+カトリック+ツピ・グアラニー(先住民)だけど、人間の性格はアフリカ化してる。
チリ
首都サンチャゴのそばにある、先住民の言語で「地の果て」を意味するといわれているチレ谷から国名をとったらしい(諸説あり)
アニータみたいなアバズレ女は例外で、むしろ南米には珍しいコツコツとした人間の国
山がちな風景と、一年中春の初めのような気候と、魚介類の豊富さから南米の日本とも言われる
国民性を反映してか、経済は南米で一番健全。ハイパーインフレも乗り切った。
実は結構軍事大国で、過去にはボリビア・ペルー同盟から海と、鉱山のあるおいしい地域を奪ったことがある。
サルサやサンバのような激しいリズムのダンス音楽は流行らないお国柄
アルゼンチン
アメリカ合衆国をモデルに形成された南米唯一の純白人国家にして、一番嫌われてる国
成立時に「国家近代化作戦」と称して組織的に先住民を絶滅させ、「南のヤンキー」
として生きることを決めたこの国には、「ビベサ」という、人を騙して物を盗むことをよしとする文化があり、
政府の高官や外交官でも海外のホテルから時計などを盗んでいくという。
アルゼンチン人は欧米諸国の中の米の部分に入ると思いたいらしく、
実際19世紀から20世紀前半を通して続いた経済成長は、
アルゼンチン人にそのような思い込ませるに足るものであり、長らく他の南米国家を混血と見下し続けていたが
先住民との混血であることを、国家の正当性とアイデンティティにせざるをえない南米において、
唯一の白人国家であるという事実はアルゼンチン人を傲慢にし、
今もアルゼンチンと他の南米諸国の間には意識的に深い溝がある。

9 :
ペルー
インカ帝国の遺跡と、不安定な国家。
スペイン領植民地時代に、リマが南米全体の政治的中心だったため
アルゼンチンを除けば最も白人支配が強固な国である。
フジモリが出てくる前は国土の約半分を左翼匪賊(センデロ・ルミノソとか)に支配されてたが、
改革者フジモリもそういった層に追い落とされた
この国の日系人は悲惨な歴史を持っている。ボリビアにならんでインディオが多い国だが、
インディオ内でもケチュア系(インカ帝国の支配層)と、アイマラ系(被支配層)の間で断裂がある。
黒人は少ないが、文化的な影響は大きい。マチュピチュいいね。そんぐらい。
コロンビア
「プラトンと切り裂きジャックの国」
19世紀まで北部南米の中心ヌエバ・グラナダ副王領を前身に持つこの国は、
文化的にイスパノ・アメリカの中心であり、
先住民のバカタ部の首都の地に建設された首都ボゴタは「南米のアテネ」とも称された。
その一方で住人は融通が利かなく、千日戦争やボゴタソ(ボゴタ大暴動)と呼ばれる
大内戦を何度も繰り返し、その度に多くの死者を出している。
ガルシア・マルケスのような南米の誇る大文豪とともに、左翼、右翼のゲリラや
幾多もの凶悪犯罪者を生み出したこの国は、その二面性を表して
「プラトンと切り裂きジャックの国」と呼ばれていた。
現在も四十年以上内戦を続けているが、
コカインの生産量世界一の国でありながら、南米で最も正しいスペイン語が話されており、
実際行ってみると人間に温かみがあるという話もよく聞く。南米の矛盾を体現したような国家
人種的には南米で最もメスティーソ(混血)の比率が高い国家である。サルサのもう一つの中心

10 :
勉強になるスレだなー

11 :
うん
こういうスレを見ると、歴史難民板できて良かったと思うよ。

12 :
ウルグアイ

何もない国家。
アルゼンチンとブラジルの緩衝地帯を作るためにイギリスの要請で独立した。独立時の人口は約八万人だった。
アルゼンチンと同じように国家形成期にインディオを抹殺してしまったが、辛うじて黒人は少し生き残ってる。
アルゼンチンかブラジルの一州でもおかしくなかったとの思いがあるのか、
ウルグアイ人は民族音楽に打楽器を多用することをアイデンティティにしてるという。これも小国ゆえか。
周辺国と差をつけるため南米で最も早く福祉国家を目指したのだった。

ただし、南米のビートルズと呼ばれるLos Shakers(映像http://www.youtube.com/watch?v=3tE_FM7SHRE)や、
南米のストーンズことLos Mockers (http://www.youtube.com/watch?v=GwuHsJIw1qM ストーンズの黒く塗れのカバー)
mockersとはmods+rockersのことで、リンゴ・スターの渡米時の発言より)

を生み出し、南米における、ウルグアイ・インベイジョンの時代を築いた。ゴメン、これぐらいしかしらない。
ただ、Los shakers はマジですごいので、ビートルズが好きならばマイナーだけど是非聴いてみるべし

ストーンズの元曲、ちなみに黒く塗れ、は映画フルメタルジャケットの主題歌。モッカーズの方が上手じゃん?
http://www.youtube.com/watch?v=OX6kx6E_7kQ&mode=related&search= ストーンズ
http://www.youtube.com/watch?v=GwuHsJIw1qM           モッカーズ

13 :
アルゼンチンて対戦前までは世界有数の豊かな国だったらしい
街並みもパリのような感じだと聞いた


14 :
パラグアイ

三国同盟戦争(ロペス戦争)で有名だけど、その話はこのサイトhttp://ww1.m78.com/topix-2/lopez.html
に任せよう。

元は先住民のグアラニー族に布教してたイエズス会の領地が国家の起源であり、
ソラノ・ロペスの親父の時代に近所の国と同じように国家白人化政策をしていたのだが、
ロペス戦争で負けて南米一の軍事大国から小国に転落する。
日本も戦時中にロペス戦争の故事を引いて本土決戦と叫んでたという話を聞いたことがある(未確認)

その後ボリビアに攻め込まれて散々な目にあったが、どうにか撃退、領土を維持する。
(チャコ戦争 http://ww1.m78.com/topix-2/chaco%20war.html


南米で唯一、先住民の言語(グアラニー語)が国民の日常言語となっている国で
この国の音楽は、アルパというハープを使って奏でられるものが多く、
一般的な南米国家とはちがい、しっとりとした趣がある。
日系人の旅館や料理屋もある。物価も安いし治安も周辺国に比べると格段にいいのでのんびりしたい人向け

15 :
>>13
そこら辺はアルゼンチンが徹底してアメリカをコピーしようとしたからなんだけど、
アメリカのアイデンティティとなってる民主主義の精神(って書くのはいやなんだけど)
を除いたまま、表面だけコピーしたからその一方で流入した白人移民は公共心を持ち合わせず、
稼ぐことしか考えてなかったんだ。

ブエノスアイレスが「南米のパリ」と言われてたのは事実だけど、
最後までパリのコピーしかできなかった。
アルゼンチンは南米国家で、十九世紀に国民の総白人化に成功した唯一の国だったけど、
それによってアルゼンチンは大切なものを失ったと嘆くアルゼンチンの愛国者は結構多い。

そうやってアイデンティティの育成を怠ってきたツケが「ビベサ」に見られるような
モラルの完全な崩壊で、まあどうしようもないことになってるんだ。2001年のデフォルトは記憶に新しいと思うけど、
国中あんな感じで誰も責任をとろうとしない。
他人を出し抜こうとばかりしてる。ごめん、ちょっと私怨入ってるね。

ここら辺が参考になる
http://www.interq.or.jp/pacific/getjapan/ar/ar.htm
http://www.interq.or.jp/pacific/getjapan/ar/ar1.htm


16 :
すっかりスレを私物化してしまった。申し訳ない。

17 :
いや面白いから続けてくれ


18 :
人種の話

ラテンアメリカの人種は、メスティーソ(混血)が主体となってるところに
北米との大きなは違いがある。
1/32でも黒人の血が混じってれば、どれだけ肌が白くても、金髪でも、目が青くても
法律上黒人になる北米と、混血が一つの階層をなしてるラテンアメリカ社会の違いは大きい

人種による格差よりも、階級による格差の方が大きいが、差別は存在する。
一般的に国民の大多数をなすのは褐色の人々(出稼ぎのペルー人みたいな感じ)だが、
どの国も経済状態、社会状態が上に行くほど肌が白くなる傾向がある。
この見えない壁は、ベネズエラやペルーといった差別の大きい国だけではなく、
キューバやブラジルといった短期の滞在では差別をあまり感じないで済む国にも存在する、南米社会の大きな問題である。

ただし、その一方で自分の人種は、本人の社会的な地位によって変更できるので、
茶色い富裕層(数代で白人に同かされるが)や、黒い中産階級がいないわけではない。
というのも、本人に金さえあればたとえ黒くても周りが白人だと認めるのである。
逆に白人の貧困層も大勢おり、
また、ラテンアメリカの極端に相続税が低い傾向のある税制ではあまり考えられないが、
もし白人中産階層でも一端落ちぶれれば数代で褐色になる可能性もある。
つまり南米人にとって、人種は北米ほど決定的に重要な要素ではない。
黒人に生まれただけでありとあらゆる偏見や差別にさらされなければならない
北米の差別とは根本的に人種に対する考え方が違うのだ。

今日はここらへんで

19 :
オーアリオーオオーオパーオパーオパー

オパーってなんだ?

20 :
アルゼンチンはイタリア系が一番多いらしいね

21 :
他にもスペイン系、ドイツ系、アイルランド系、フランス系、イギリス系も居る。
アイマール(Aimar)って名字はフランス系かな?

22 :
多分スペイン系

23 :
乙!! 南米ってほんとによく知らない。遠すぎて。
米国人はけっこう旅行に行くらしいけどねー。
っつか、板違いなのでアレだけど、モッカーズというのが異常に気にいったwww
南米といえば、ボリビアが地味に気になる存在。
『明日に向って撃て!』で、ボリビアに逃げるのはいいけど、
駅をおりたらいきなり豚のウンコがあって鶏がいるっつー描写が印象深くて。
そのせいで、自分のイメージではボリビアが南米で一番「何もない国」。

24 :
なんで、南米のイタリア系は北部からの移民が多いんだろう?
アメリカのイタリア系は逆に南部出身が8割らしいけど

25 :
マラドーナとか南部系の移民の子孫もいるにはいるけど確かに気になるね

26 :
ペルーからボリビアに入ると途端に未知がガタガタになるし、
村々の風景も貧しげになる。
実際に行って見ると国によって印象は全然違うよ。
チリなんかヨーロッパのどの国よりも綺麗だと思うな。

27 :
ボリビアはなんであんなに貧乏なのか不思議なぐらい貧乏
やっぱ太平洋戦争かな

28 :
がんばれ南米スレ!
映画の話ばっかりでアレだけど、ハリウッド映画の悪役とかって
すぐに「リオ」に高飛びするよね。リオデジャネイロに行くと、
国際法かなんかの関係で安全なのかな? 米国からは近いし。

29 :
よく知らないのに適当に言うけど、ブラジルで子供つくると本国の法律じゃ逮捕できないからなんじゃないかな?
後は犯人引き渡しの問題とか死刑がないこととか。ごめん、やっぱよくわかんない
でもリオってシティー・オブ・ゴッドな世界のとなりに「イパネマの娘」みたいな
ボサノヴァの世界があるって思うとすんごいアンバランス町だよね

30 :
映画ミッション見たよ。パラグアイって白人少ないよね?

31 :
>>28
最近ニュースにもなったが、日本で事件を起こし帰国したブラジル人に対し、日本政府が身柄の引渡しを要請しても
ブラジルの法律によりブラジルは同国民の身柄引渡しを拒否できるそうだ。

32 :
旧ナチの残党とかも、それで身柄引き渡しされなかったものな
だからモサドが拉致って(ry

33 :
パラグアイのストロエスネルがドイツ系でナチス信奉者だったのは有名な話

34 :
自演だらけらしいのでやってきました

35 :
ブラジルでi-pod買おうとすると日本の二倍ぐらいする
なんでかってーと国内産業を保護するために関税かけまくってるから

36 :
ウルグアイの歴史
ラ・プラタ川東岸地域(バンダ・オリエンタル)の
アルティガス将軍がアルゼンチンへの併合を求めて反乱を起こすが、反乱は失敗し、
アルゼンチンとブラジルがお互いに領有権を主張していたバンダ・オリエンタルを
イギリスの強い要請により、
人口8万4000人のウルグアイ東方共和国として独立することとなった。
独立後、初代大統領は国内に唯一残っていた狩猟系インディオの
チャルーア族(1000人ぐらい)の武力を国にとって脅威になるとして滅ぼし、
ウルグアイの先住民は組織としては全滅する。
>>34
レスのほとんどが>>1である俺の自演で寂しいからなんか書いてくれよ

37 :
アウグスト・セサル・サンディーノとサンディニスタ
『近代ゲリラ戦の生みの親』
「No me vendo,No me rindo. 私は自分を売ることもしないし、降伏もしない。」
−サンディーノ
「Somoza is son of a bitch. But,our son of a bitch.
ソモサは糞ったれだ。しかし、我々の糞ったれだ。」−F・ルーズベルト
中米のニカラグアという小国に一人の人物がいた。
合衆国の衛星国として二派に分かれ抗争していた不安定なこの国で、
一介の浮浪者から、流れ者の頭目→自由党軍の指揮官→反米ゲリラの指揮官→
ゲバラの先駆者ともいえる、
ラテンアメリカ反米運動のイコンの一人にまで成り上がった人物がいた。
アウグスト・セサル・サンディーノ。サンディーノの事業と、
ニカラグア現代史については、その世界史的な意義はさておいても、
もっと知られるべきだと思ったので、今回彼と、
彼の名を関した革命組織を簡潔に取り上げることにした。

38 :
ニカラグア前史
19C〜20C初期のアメリカ合衆国は中米、カリブ諸国全域に覇権を確立するため、
海兵隊を使った小規模な軍事介入をおこなっており、ニカラグアもその例外ではなかった。
合衆国の目的はこの地域の小国を属国とし、そこに自由で民主的で親米的な政権を樹立する
というものであったが、
(そしてこの流れは現在もソマリアPKO、アフガン戦争、イラク戦争と続いているが、
合衆国の目的が達成され、長期にわたり維持されてるのは現在まで日本ただ一国である。)
そんな高望みがそれまでの歴史の中で大都市も中間層も近代工業も発展していなかった
域内諸国で通用するはずもなく、それはニカラグアも例外ではなかった。
19世紀のニカラグアは他のラテンアメリカ諸国と同様に、建国以来自由党と保守党の対立が続き、
首都のマナグアも自由党の本拠地レオンと、保守党の本拠地コルドバの中間地点としての
立地により選ばれたというような有様だったが、それでも両派の対立は止まず、
一方が治安部隊を動員した違法選挙で政権を取れば、もう一方が反旗を揚げるという形で
何度かに渡る内戦が繰り返され、その選挙監視のために海兵隊を派遣するというのが
自国人保護に並ぶアメリカの軍事介入の主な理由だった。
サンディーノが青年時代を迎えた頃のニカラグアは、独裁者を排斥するために合衆国が
海兵隊を送り込み(1912年第一次派兵)そのまま保守党を通じて国を操っていたのだった。

39 :
生い立ち
建国以来自由党と保守党の争いが続いていたニカラグアで、アウグスト・ニコラス・カルデロン
(後にセサルと改名)・サンディーノは1895年に、ニカラグアの貧しい村の自由党派の富農の
家の跡取りグレゴリオ・サンディーノと、その家に奉公にでていた先住民の間に私生児として生まれた。(後に認知された)
十歳までは母親に面倒を見られ、その後は母方の祖母を経て、家督を継いだ父親に庶子として育てられた。
庶子としてそれ相応の扱いしか受けられず、嫡子だった弟ソクラテスとの待遇は明らかに
差をつけられたもので、こうした生い立ちが後の社会主義思想の土壌となったようである。
しかし、父親の経済力や社会階級の良さにより、若い頃からそこそこ本は読んでいたらしく、
もともとカルデロンだったミドルネームをCつながりでセサルに変えたぐらいだったが、
(セサルは古代ローマの英雄カエサルのスペイン語読み)やはり庶子の定めか高等教育は受けれず暫く
ニカラグアをぶらぶらすることとなる。基礎教養はあったので、もし人文系の大学に進んでいたら
間違いなくコミンテルンの一員になっていただろう。

40 :
青年時代
それからしばらく国内や国外で技能工をしていたサンディーノだったが、1921年、26歳の時に、
飲酒で武器を取り出し、有名な保守党派の政治家の息子、ダゴヴェルト・リバスを殺しかけ、
ニカラグアにいられなくなったサンディーノはメキシコに流れた。
後に何度も見られることになる軽率な一面だった。
メキシコ滞在中サンディーノはメキシコの革命政府が合衆国と対等に近い関係で渡りあっていることや、
メキシコの労働者が労使交渉などに携わっていること見て大きなショックを受けたらしく、
ここで後にサンディーノの思想を規定していく無政府主義と、
カルト思想に影響されていくことになる。(余談だが、後のサンディーノを印象付けるカウボーイハットは
タンピコの油田で労働者として働いていたときにテキサス人に影響を受けたらしい。)
1926年、ニカラグアではチャモロのクーデタに対して自由党が反乱をはじめ、
前副大統領のサカサがメキシコの支援でカリブ海岸に「護憲政府」を開いた。
護憲戦争が始まったのだった。保守党と自由党との内戦が始まったので、
サンディーノは早速武器と兵隊を集め、将軍として自由党軍(モンカダ軍)に加勢する。
といっても最初のうちは大した武装もなく、鉱山の倉庫からダイナマイトを盗みんで戦闘してたぐらいで、
彼らが軍としての体裁をとるようになったのはサカサが投棄した銃を海中に潜って拾い出してからだった。

41 :
サンディーノ戦争 納得しなかった男
こうなると合衆国はいても立ってもいられずに、メキシコに圧力をかけて自由党軍への援助を停止させ、
その後すぐに海兵隊をみたびニカラグアに上陸させ、サカサを武装解除させると、
サンディーノが属していた自由党軍の指揮官モンカダ将軍と会見し、
次の大統領の密約を結んだ上でこれも武装解除させた。大統領にはディアスが据えられた。
こうしてニカラグアをこれ以上不安定にさせておきたくなかったアメリカの仲介で、
とりあえずの休戦協定が結ばれたが、休戦の内容にあった、
『アメリカ海兵隊がニカラグアの選挙監視をする』という条項に納得できなかったサンディーノは
指揮下の部隊と共に自由党を離反し、1927年、赤と黒の無政府主義旗を立てて、
ニカラグア北東部山岳地帯で世界最初の近代ゲリラ反米闘争を開始する。
戦争がはじまり、海兵隊(とニカラグア国家警備隊)が意外なほどに苦戦していることが諸外国に伝わると、
サンディーノは一躍ラテン・アメリカ全体の英雄となり、
サンディーノ自身もアメリカではなく、南米ABC三大国(アルゼンチン、ブラジル、チリ)
による選挙監視の実現を訴えるが、アメリカは相手にせず、国際社会の支援と言ってもコミンテルンからの
義捐金と、同じくコミンテルンつながりの隣国エルサルバドルの革命指導者
ファラブンド・マルティがついてきたぐいでしかなかった。
また、その後サンディーノ自身も次第にカルト宗教にかぶれ、コミンテルンと絶縁したところで
諸外国からの人気も徐々に次第に下火になっていった。
アメリカ側の事情により、サンディーノ軍を交戦部隊と認めるわけにはいかなかったので
サンディーノ軍は終始ゲリラではなく、バンディッド(山賊)として扱われ続けたが、
アメリカ兵の被害を恐れたアメリカは利権集団となっていたそれまでのニカラグア軍を解体し、
ニカラグア人からなる国家警備隊(Gardia National ガルディア ナシオナル 
『自衛隊』とか訳したら面白いかもしれない)を編成し、サンディーノ討伐に当たらせた。

42 :
暗殺
戦争は泥沼の様相を呈しており、合衆国は大恐慌などの大打撃でもはや戦意を失っていたが、
それでも面子にかけて1933年の総選挙の実施までは撤退することは出来なかった。
1933年、海兵隊が総選挙の実施と共に国家警備隊をニカラグアに残し撤退すると、
殆どカルト宗教の教祖のようになっていたサンディーノは一転山から下り、
サカサ政権の下でで再びニカラグアの英雄となる。しかし、自由党政権に閣僚のポストを求めるも断られ、
失意の内にそれまでのゲリラ仲間と共にニカラグア北部の未開地を開拓していた。
ところが、当初の政府との合意が次々と反故にされる事態に、
サンディーノが首都マナグアまで抗議しに出向いたところを1934年2月、
アメリカ子飼いの国家警備隊司令官アナスタシオ・ソモサに暗殺された。
開拓地の妻子、部下も共に殺害された。
このサンディーノ戦争でのアメリカ海兵隊の戦死者はおよそ119人(諸説あり)
ニカラグア人の死者も軍民あわせて1000人と見積れるかどうかであった。
ずっとジャングルと山岳地帯での戦争だったため意外なほどに被害は少ない、
爆撃機が大きな活躍をせずに済んだ最後の古き良き時代の戦争だった。
サンディーノは実質何もできていない。海兵隊は選挙監視の目的を達成したから勝手に帰っていっただけだし、
その後のソモサ王朝の成立を全く防げていない。
自分が何をなすべきかを自分でもしっかり理解できてないまま
反米闘争を続けているうちにラテンアメリカの反米闘争のシンボルになってしまった感がある。
自分の存在と戦果をラテンアメリカの反米運動につなげることはできたが、それが限界だった。
軍人としてのサンディーノを見ると、何度も重要な拠点を喪失し、街攻めにも失敗し続けているが、
殲滅されるような致命的な敗北は起こさなかった。ニカラグア北部の山岳地帯やジャングルでの
戦いにほとんど落伍者を出すことなく、自身のメキシコ滞在中でさえも留守のゲリラ部隊を指導し続けたのは、
サンディーノ軍がせいぜいで3000人を上回るぐらいの部隊とはいえ、特筆に価するだろう。
閣僚のポストを求めて拒否され、また、自分に権勢があるうちにアナスタシオ・ソモサの危険性を見抜けなかったなど、
政治的に甘い面がみられたが、一介のゲリラ司令官では片付けられない気がする。

43 :
ソモサ王朝
1936年、ニカラグアは国家警備隊司令官ソモサのクーデタで親米独裁国家となり、
ソモサ一族が国富と全土の約50%以上を支配し、親子三代約四十三年に渡って
国家警備隊をバックにニカラグアを支配しつづけたソモサ王朝の時代に入った。
傭兵部隊と国家警備隊の一部を用いて南の隣国コスタリカに攻め込み、
コスタリカ武装警察に撃破されたり、首都マナグアを襲った大地震の復興支援を
「全て」着服するなどやりたい放題の政治をしてたソモサ一族だったが、
サンディーノの意思と旗を受けついたサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)により打倒され、
「中米のアミン」とまで呼ばれた三代目ソモサ(アナスタシオ二世、タチート)は、
1980年に亡命先のパラグアイで暗殺された。パラグアイ警察当局は
、下手人はアルゼンチンの極左ゲリラ「人民革命軍」だったと発表したが、
サンディニスタが関わっていた可能性もあるという。
なお、この内戦だけで四万人の死者と、数十万人の難民が出ている。

44 :
サンディニスタ革命
この革命は当初、冷戦中にも関わらず概ね世界中から祝福されたが、
−イギリスのロックバンドThe Clashが傑作の4thアルバムにサンディニスタ!なんて名前をつけたほど。−
革命達成直後からFSLN内で革命の路線を巡っての対立が、もっと具体的に言えば革命の左傾化が激しくなった。
サンディニスタはその当初からトマス・ボルヘ内相(当時)の中国革命型の農村を中心とした持久人民戦線派(GPP)、
都市労働者中心の革命を目指したプロレタリア派(TD)、ダニエル・オルテガ大統領を筆頭とする第三派(TT)からな
る三派の連合体で革命当初は複数政党、混合経済、非同盟外交を三本の柱としていたのだったが、
タチートの残していった12億ドルの対外債務など、楽観できない状況の中でサンディニスタ政権は急速にキューバに接近していき、
アメリカ側に積極的なタカ派外交を繰り広げるレーガン大統領の在任という運の悪さも手伝って、
1981年、合衆国の支援する旧ソモサ派の兵士と、反革命派ニカラグア人傭兵からなる反革命部隊
(コントラ・レボルシオン)との第二次ニカラグア内戦がはじまった。
1984年の選挙の時にあった六つの野党も内戦の混乱から次第に弾圧され(この選挙は野党連合がボイコットした。)、
「ゼロ司令官」ことエデン・パストラのような革命の元勲までもがコントラにつくという未曾有の混乱の中で、8
8年初めには年率1300%のインフレを迎えるなど、生活苦で民心が反サンディニスタに向かう中、
同年三月にカトリック教会の仲介で和平が成立し、休戦した。事実上の降伏といってもいいだろう。
1990年に行われた総選挙では、ビオレータ・チャモロが10ポイント以上の大差で
FSLNのダニエル・オルテガを破り、新たな大統領となった。
こうしてサンディーノと、その息子達の世代の闘いは敗北という形で幕を閉じた−はずだった。

45 :
終わりに
そのはずだったのだが、その後もニカラグアはソモサ派とサンディニスタの政権争いが続き、
今も世界最貧国のひとつであるなか、2006年11月、なんとサンディニスタの代表ダニエル・オルテガが
再び大統領に返り咲き、ベネズエラのチャベスやボリビアのモラレスと結んで、中米にも今後の見通しが立たない状況が生まれている。
合衆国の行動は確かに世界の覇権システムを維持するため、という確固とした理念があり、
地域の安定を保つために、保護者としての役割を演じたという面は当然無視できない。
しかし、その場凌ぎの場当たり的な外交が当初リベラルだったカストロや、サンディニスタを左傾化させることとなってしまった。
それらの政権とは本当に敵対しなければならなかったのか。対話と譲歩で合衆国の覇権システムの中の
革新国家という位置に置くことは出来なかったのだろうか。振るわれた暴力は不可避のものだったのか。
避けえたものだったのではないだろうか。
このような歴史は南北問題が是正されない限り何度でも歴史に繰り返されることになるだろう。
暴力を行使するというオプションが使い辛い世界になることを願う。

46 :
ニカラグアの歴史って全く知らないから勉強になった


47 :
>>46
どうもです。去年某所に投稿したものに手を加えました。
実は>>1です。寂しいんでなんでもいいからたまに書き込んでください
トゥパマロス民族解放運動(MLN Movimiento de Liberacion Nacional or National Liberation Movement)
ウルグアイのモンテビデオで暗躍した左翼都市ゲリラ
名前の由来は18世紀のペルーの辺りで反スペイン反乱を起こしたトゥパク・アマル2世(ツパマロ)より
旗はアルティガス将軍の旗とほぼ同一のものを使用
(ここら辺はコロンビア革命軍のコロンビア国家に対するスタンスに近い)
社会党の軍事組織員らによって結成された20人の戦闘員から出発し
最初から軍事組織をつくりあげることを目的としており、
1年半の準備ののち政府機関への襲撃など武装闘争に決起した。
銀行強盗、誘拐、襲撃を繰り返し、
最終的に数千人のメンバーを擁し、ウルグアイは内戦状態に陥った。
ウルグアイ軍の本格出動により鎮圧され、その後の73年には軍政化に置かれる
仏伊合作の『戒厳令』という映画にトゥパマロスの様子が出てくるらしい(見てないので誰か見た人解説してください)
http://movies.jp.msn.com/film.aspx?P_MediaID=1817 (映画の要旨)
トゥパマロスは85年の民政化復帰により、1989年に合法化され、現与党である左翼連合の拡大戦線に合流した。

48 :
年表 (参考 http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/laplata/urguay.htm )
1962 ラウル・センディックが社会党から分離し民族解放運動(MLN)結成。武装闘争戦術を採択
1965 MLN、はじめてトゥパマロスの名を用いてバイエル社のプラントに爆弾攻撃
1966 トゥパマロスがはじめて警察と衝突。武器移送中のメンバー二名が射殺される
1968.7 資産凍結に対し、各地にストが広まる
1968.7 トゥパマロス、ライフルクラブに潜入。1ダースの自動小銃を奪取。
1968.8 トゥパマロス、テロ活動を開始、電力公社総裁で右翼の実力者ペレイラを誘拐
1968.12 ウルグアイ政府は国家非常事態宣言を発令。立法・司法に対する行政権の介入を宣言
1969.10.08 トゥパマロス パンドの町を一時占拠
1969.11  トゥパマロス、イタリア人の企業家ガブリエル・ペレグリーニを誘拐。身代金として6600万ドルを獲得
1970.4 トゥパマロス、特別警察の幹部モランを殺害
1970.5 トゥパマロス、海軍基地を襲撃し武器を奪取
1970.5 トゥパマロスのよびかけでLAゲリラ組織の調整会議開催
1970.7 トゥパマロス、ブラジル領事のディアス・ゴミデを誘拐。USAIDの職員ダン・ミトリオーネを
    CIAのスパイとして処刑(映画『戒厳令』のモデル)
1970.8 トゥパマロスの指導者センディック逮捕。ウルバーノが後任に
1970.10 トゥパマロス、イギリス大使とアメリカ外交官等を誘拐
1970.11 トゥパマロス、共和国銀行を襲撃、405万ドル相当を奪取
1971.1 トゥパマロス、イギリス大使ジャクソンを誘拐
1971.2 トゥパマロス、ブラジル領事ディアス・ゴミデを誘拐。身代金として2500万ドルを獲得
1971.9.6 センディック他トゥパマロスの106人、刑務所からトンネルを掘り脱獄
1971.9 トゥパマロス、誘拐中のイギリス大使を釈放
1972.4  トゥパマロスの25人が脱獄
1972.4.14 トゥパマロス、元内務次官、海軍将校らを処刑。さらに『死の中隊』(軍事警察か)の軍人を暗殺
1972.4.15 議会はトゥパマロスを交戦団体として認定。ポルタベリ大統領に戦時大権を委ねる
1972.4.17 政府は内戦状態を宣言、全ての治安機関が軍の指揮下に
1971.7.11 「内戦状態」宣言を停止。この作戦でゲリラ300人と政府軍兵士50人が死亡。
1972.9  センディックをはじめとするトゥパマロス幹部、一斉逮捕され組織は壊滅
1973.3 軍部の政治介入が激しくなる
1973.6 ポルタベリ大統領、軍部の意向で議会を閉鎖。全ての政党の活動を停止する。全国労働者協議会が抗議のゼネスト。
1973.7 軍部、ストを実力で粉砕。政党や労組の指導者を一斉逮捕
1973.8 トゥパマロス、一時的敗北を認める

49 :
89 :ドン・ベムーゴ ◆eaYqa3SeLE :2007/06/30(土) 21:39:09 ID:???
ガダルカナル戦に参加したニカラグアでのサンディーノ戦争参加者
・メリット・エドソン大佐
・ルイス・チェスティ・ピューラー(ニカラグア国家警備隊の創設に参加)
ぐらいしかわかりませんでしたが多分もっといるはず
ウィリアム・H・ルパータス少将はハイチでの戦闘に参加してたようです。
http://yasai.2ch.net/army/kako/982/982552446.html
↑見てるとルパータスって凄い人みたいですね。
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/V/USMC-V-VI-2.html
ここの697ページにニカラグアでのヒットエンドラン戦術がどうこう書いてあります

50 :
>>47
俺は専門外すぎて、とても書き込めるような知識はないし
せいぜい応援するのが精一杯ですよw
ただトゥパク・アマル2世の名前で思い出した事が一つくらい
ペルー公邸人質事件を起こしたMRTAももトゥパク・アマルを称してたね
その敵手たるフジモリの大統領府内にも彼の肖像画が飾られていたそうだだけれど・・・・

51 :
さっきNHKでインカ帝国のいけにえの儀式のことやってたよ
発見された子供のミイラがすごい綺麗な状態だった

52 :
パラグアイ戦争教えてくださぇ
内陸国のパラグアイの独裁者ロペスがブラジル、アルゼンチン、ウルグアイに仕
掛けた超無謀な戦争
結局敗北して男女の人口比率が1:10になり、一時的に一夫多妻を許容したらし
いけど

53 :
>>50
いえいえ、駅でアンデスのフォルクローレやってたよ〜ぐらいで十分です。
トゥパク・アマルー2世に限らず、反スペイン闘争の指導者は一応公式に英雄扱いされるんですが、
各国の寡頭支配層がその反乱の意義や思想を実践に移そうとしないのが
ラテン・アメリカの悲劇かなあと。チリなんかも独立時にはマプーチェ族の英雄の名前をいろんなところに使いながら
掌返してマプーチェ族を弾圧したりしてたわけですし。チリはそんなに悪い国家じゃないですけど。
>>51
実は前コロンブス期の話は全然わからないのですよw
インカでは生贄にされるために育てられた子供がいたそうですが、それぐらいしか知らないです。
>>52
教えるも何もそれであってますよ。もっと知りたいならここら辺が参考になるかと。
http://ww1.m78.com/topix-2/lopez.html
http://yagua.hp.infoseek.co.jp/triplearianza.html
http://www.kaho.biz/paraguay.html
独立後のラテンアメリカ全体でもパラグアイとチリだけが内乱を避けて安定してたという事情を最大限に活用して
アントニオ・ロペスはパラグアイの独裁者として富国強兵策に努め、
パラグアイを南米一発展した国にしたのですが、
ドラ息子のソラノ・ロペスはパラグアイを南米のプロイセンとも言われる重武装国家にしたのですが、
致命的なまでに外交センスがなかったのがパラグアイの運の尽きでした

54 :
>>53
良質サイト紹介サンクス

55 :
ソラノ・ロペスも敵を絞れば勝てたかもしれなかったんですけどねえ
大土地所有を廃した南米で唯一まともな国家として
発展する可能性もあったのに残念です

56 :
うーん
なんとも言えないですね
そのように社会改革派としてその活動に専念すれば良いのですが
・ロペス一族のパラグアイの一族支配
・反対者は親族でも実力で排除
・ナポレオン3世に対する異常な傾倒
・国力が充実する前にウルグアイに対する内政干渉を行ったことに見え隠れする
対外拡張主義
これらはちょっと看破できないかもしれませんね

57 :
267 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/07/22(日) 13:27:37 ID:???
スレタイトルに戻って。>>248で既出(マプーチェ族)でしたが、チリのアラ
ウカーノ族の抵抗というのがすさまじいものだったそうで、インカにも征服
されずにいた彼らは、1536年にスペイン人と初接触した後、1540年
にはマタカマ砂漠を越えてきたスペイン軍に敗北したものの、1550年に
はこれを撃退し、その後も数千人規模で抵抗を続け、植民市の破壊を繰り返
しています。
1553年には首長のラウタロが捕虜になっているものの、彼は馬丁となっ
てスペイン人を観察した上で戦術を練った上で、同年脱走・帰還しています。
やはりこの年には戦死してしまいましたが、勇猛果敢ぶりはスペイン側にも
驚かれ、「高貴なる野蛮人」として詩作の題材にまでなりました。
その後、1599年には一応休戦と境界線の確定が定められ、スペインと再
戦したり、スペインと手を組んでオランダと戦ったりしながら、チリに凄惨
な方法で鎮圧される1881〜1883年まで抵抗を続けています。
南方熊楠は、「アウカインジアン」が短兵をもってスペイン人の騎馬鉄砲に
勝利したは、敵も歌を作って賞賛したと『十二支考』で述べ、真田幸村(信
繁)の戦いぶりになぞらえています。
彼の生きた時代まで戦っていた訳ですし、興味も惹かれたでしょうね。

58 :
271 :ドン・ベムーゴ ◆eaYqa3SeLE :2007/07/22(日) 16:30:18 ID:???
>>267
補足ですが、マプーチェ族は初代チリ総督ペドロ・デ・バルディビアをはじめとして、
多くのスペイン人総督(マプーチェはウィンカと呼んだ。ウィンカはインカの転訛)を打ち破りました。。
ラウタロの軍隊には既に3000人ほどの騎兵がいたらしく、
休戦後の17世紀から18世紀にかけてはビオビオ川を国境線にして
アルゼンチン側のパタゴニアに進出し、パタゴニア側の先住民を従えた大国となったようです。
マプーチェがインカ、マヤ、チブチャ、アステカのように文明的な
民族ではなく、部族国家だったのが逆に良かったらしいです
チリ独立の時に独立を目指す秘密結社ラウタロとかカウポリカンとかが
できますが、これもチリのアイデンティティをインカ、スペイン両帝国を破った
マプーチェ族を南米人のアイデンティティにしたかったからのようです。
なおアラウコ(アラウカーノ)はマプドゥングン語で「泥水」を表し
マプーチェ族が自称することはないようです。

59 :
マプーチェ族について
以上の様にマプーチェ族は「ウインカ」(白人)とよく戦い
ビオビオ川以南での講和が成立すると、
スペイン人との交易を通じて銀貨を手に入れるようになっていった。
この銀貨はそのまま貨幣としては使われず、主に原料として
溶かされ、再びマプーチェ族の装身具として生まれ変わったのであった。
元々マプーチェ族の保持していなかった馬は年代が進むごとに神格化され、
いつしかマプーチェ族の戦士は戦闘で死んだ後、馬と共に天に昇り、
ウインカ人の騎士と天空で決闘するのだという死生観が生まれるまでになった。
マプーチェ族はキリスト教に改宗しようとはしなかったが、布教を通して交流は生まれ、
この天空に昇りという概念にもスペイン人のもたらしたキリスト教の影響が見て取れる
チリ独立後、チリ政府はビオビオ川以南を国家に編入し、チリ人の耕作地とするため
マプーチェ族を攻撃し、ビオビオ川以南を領土にした。
マプーチェ族は小さな居留地に押し込められ、多くのものはキリスト教に改宗するようになったが、
ピノチェットの独裁の終了後、マプーチェ族は政治的に徐々に力をつけ始め
チリにおける自治権の拡大を求めている。

60 :
ウルグアイのミュージシャン、ホルヘ・ドレクスレルについて

39 :ドン・ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2007/08/27(月) 01:08:52
ホルヘ大好きですよ
ウルグアイってなんとなく影が薄い国だけどたまに凄い逸材が出るんですよね
60年代のウルグアイ・インベイジョン、ウィスキー、南米で一番長いカルナバル等等
ウィスキーの監督は自殺しちゃいましたけど・・・
そういやホルヘも今スペインに住んでるそうで、
サッカーも最近勝ててないし人材流出ヤバイですよね。次のワールド杯は久々にがんばってもらいたいです
レディオヘッドのカバーしてるアルバムと
ttp://www.hmv.co.jp/product/detail/1212411
モーターサイクルダイアリーズの主題歌が収録されてるアルバム
ttp://www.hmv.co.jp/product/detail/1095852
があるんで、入るならこのどっちかがおすすめです
尤も無理して買うこともないと思いますけどね
http://jp.youtube.com/watch?v=rvC0f7yL9ag&mode=related&search=
ユーチューブで聴けちゃうしw

61 :
自分専用メモ帳スレッド
過疎板だからいいか
OPAマンセー

62 :
おkおk
今のところ歴史にまつわる事なら日記にしようがメモにしようが問題ない
こっそりロムしてるだけだが頑張ってくれ

63 :
1801年のコスタリカの人口統計は53000人
内スペイン系クリオージョはおよそ2割
今でこそ白人国家を名乗ってるけど、実はアルゼンチン以上に
独立前は白人白人してなかったようで
コスタリカの白人国家論は既に神話になってるらしいけど、
それはまた次の機会に

洋楽サロンでちょっと良いことがあったので記念に
>>62
いつもありがとう。またたまには何か書いてくれよ

64 :
日本語で読めるアルゼンチン史の概説がないので、不十分ながら自分で書いてみよう
と思ったんだけど、ためしにちょっと書いてたらなんか凄い量になりそうな予感。
とりあえず第一次世界大戦までを邦語と英語だけで組み立てようとしてるけど、(西語の文献なしw)
何かアルゼンチンっブラジルとはまた違うベクトルで訳わかんない国だと再認識
独立後60年近く内戦してるってどこのコロンビアだよ・・・

65 :
南米史って難しい

66 :
>>65
ですよね。どこも延々と色んな勢力が入り乱れて足の引っ張り合いを続けてる上に
エリートと民衆の乖離、白人と有色人種の乖離、堂々と表に出てくるマージナルな存在、
歪な経済構造、それを解決しようとする方策が独裁かポプリスモ・・・
ガルシア・マルケスが人気を博したのは、
彼がラテンアメリカで一番の歴史家であるからなのかもしれません
でも何故かこのどうしようもない地域に心惹かれる

67 :
堕落した民主主義とか高潔な独裁制とか
びっくり箱のような地域だもんね

68 :
アルゼンチン史をまとめる前にまず人物から見ていったほうが良いと考え、
興味深い人物の人物列伝を書いてたらとても終わりそうになくなってしまった。
トマス・コクレーン、アンドレス・サンタクルス、フアン・マヌエル・デ・ロサス
等、日本語でまとまった評伝が読めるのはこのスレだけかもな人物が
そこそこ出てくる予定なので乞うご期待。いつになるかわかんないけどw

69 :
ロサスって凄い人物で、冗談抜きでスターリンのようなもの凄いキャラクターでありながら、
混迷のアルゼンチンを一つにまとめ、英仏米の圧力に一歩も屈しなかったという
まさに謎の男です。十九世紀に全体主義を実践したといっちゃっても言いすぎじゃないぐらい。
今2000字ぐらい書いてますが、まだまとまんないです。一人の略伝なのに2500字は行くかな?
この人だけで苦難スレ立てれちゃいそう。州知事万歳! iViva Rosas!

70 :
メキシコ北部にはアメリカから逃げてきた黒人奴隷の末裔が住んでいるらしいけど
本当なの?

71 :
お久しぶりです。ずっとウィキペディアのウルグアイ関連のページをいじってました。
パラグアイ戦争のページもいじくってみたり。ソラノ・ロペツって表記は勘弁してもらいたいです
>>70
すいません、あんまりメキシコ詳しくないんでよくわかんないです。
あ、でも西部開拓の前ぐらいのテキサスら辺にアメリカ南部から黒人奴隷が逃げてきて町村を作ってたみたいです。
結局西部開拓と共にそういう町はほろぼされちゃったみたいですが、
そこから逃げる過程で今のメキシコ北部にたどり着いた黒人もいたかもしれません。その内調べてみます。
メキシコの黒人ってーと植民地時代に沢山輸入されて
メキシコ市付近の街道筋で山賊やってましたが、今はメキシコ全体で100万人近い人数しか残ってないみたいです

72 :
おお、久しぶり
メキシコといえばアラモ事件が思い浮かぶ

73 :
お久しぶりです。本当に長いことほっぽらかしてました。
アラモってあれもけっこう酷い言いがかり(とだけは言えないけどさ)ですよね
サッカー戦争の編集が完了したんで挙げときます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%88%A6%E4%BA%89

74 :
ウィスキーの監督が自殺したってこのスレで初めて知った
何があったんだろう

75 :
ごめんあげてしまった
過疎板っぽいから大丈夫かな?
どの南米スレ見てもウルグアイの話題って少ないね
歴史はここやwikiでなんとなくわかった
文化や生活や人柄について興味あるんだけどスレ主教えてくれますか?
スレ違いだったらごめん

76 :
どうもです。人少ないんでどんどんあげてください
僕もウィキでウイスキーの監督が自殺したって話知りました。
行ったことある人はみんな良い国だって言いますけど、確かに情報が少ない。
周りに個性的な国が多すぎて没個性になってるってのは否めないです。
教えるってほど詳しくなく、あまり参考にはならないでしょうけど、簡単に。

文化・・・土着の南米文明があるわけでもない上先住民も消えてしまったんで国民と土地との連続性がない。
ガウチョの伝統かありますが、裏を返せばガウチョしかない。
アルゼンチンもそんな感じですが、アルゼンチンはいざとなれば
北西部のアンデス地方からインカ帝国に国民をつなぐってこともできそうですが、
ウルグアイでそれをやるにはちょっと無理があるかと。
ないものねだりですかが、もっと黒人とかが多ければブラジルみたいな感じになってたかもしれません。
なのでどうしても文化はヨーロッパ的にならざるをえず、
それが旅行者から見ればつまらなかったりもします。
これからウィキに国民音楽カンドンベとホセ・エンリケ・ロドーとエドゥアルド・ガレアーノ辺りを書こうと思ってます
生活・・・なんとも言えないです。経済的にはそこそこ豊かかな。南米じゃ治安も良いし。
食文化とか充実できたら良いと思ってるんですが、あんまりよく知らないんでブログとかみた方がいいかも
人柄・・・五、六人しか知らないけど総じて温厚というかお人好しが多い感じ。ちょっとひいき入ってるかも

77 :
日系の知り合いでいうと、ブラジルとペルーは本気で仲悪い。なぜだろう。

78 :
ペルーは地震とかで戸籍がなくなっちゃったせいでブラジルに比べるとデカセギに来るのは偽装日系が多く、
それが原因で本物の日系人のブラジル人が、ペルーの偽日系人が
日系社会全体への印象を悪くしてるって怒ってたっていう事情があるみたいです

79 :
スペイン系の国とポルトガル系の国は中が悪い

80 :
>>76
レスサンクス!
アルゼンチンと関わりの深いウルグアイだがビベサは無いのかな?

81 :
1じゃないけど、ビベサというか、ああいうねじ曲がった文化は基本的に中南米どこの国もある文化だけど、
行った限りじゃアルゼンチンとペルーが突出してる印象を受けた。
アルゼンチンは国が北の方の国よりは豊かなのにあんなに人が悪いのはちょっと異常だと思う。
日本人としては、教育がある人が周りに比べてからいきなりチノチノ言われることが少ないのが救いかな。治安も悪くないし。
ウルグアイでそんな嫌な思いはしない感じ。よく言われるけどチリも、田舎っぽいお人好しさわ感じる。

つかブエノスが突出して外国人から評判悪いだけで、アルゼンチンでも北や西の方は結構みんな優しい
南米のパリとか言って気取り過ぎてるのがあんなにねじ曲がっちゃった原因なんじゃないかな。

82 :
南米人の嘘つきはひどいぜ

83 :
途上国だから仕方ないさ
インド、パキスタン、フィリピン、アフリカ、もっと酷いところも沢山あるし
ミャンマーなんかは途上国で貧乏でも良い人多いけどね

84 :
【国際】スペイン国王、ベネズエラのチャベス大統領を「黙れ」と一喝 中南米首脳会議、荒れ模様 [11/11]
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1194762054/

85 :
http://upup.s13.dxbeat.com/up/up2544.jpg

86 :
世界史板にペルーのスレ立てたけど、自分以外のレスが二つしかないという状況はどうにかならんもんかね

87 :
ウゴタソどしたの?

88 :
南米で殺されたな

89 :
そういえばメキシコとかキューバに行くとか言ってたもんな
大丈夫か?

90 :
>>86
スレ題がインカ〜ペルーなら少し注目されたかも
でも今の世界史板はどこも荒しばっかりだからな
ミクシィなら・・

91 :
ウゴタソ・・・(´;ω;`)

92 :
冥福を祈ろう…
このスレの発展が今は亡きウーゴの供養となる…

93 :
コスタリカ白人史
ウィキに限らずあらゆる統計を見るとコスタリカは白人(クリオージョ)が
絶対多数の国であるかのように紹介され、
コスタリカ共和国の歴史教科書でもそういうことになってるが、実際行った事があれば
わかるように、コスタリカ人の大多数はスペイン化したインディオや、メスティーソ、ムラート、黒人が
独立後に自らを白人だと錯覚したからなんだと
で、なんでそういうことが起こったかというと、それはコスタリカが田舎すぎたからだとか
そう言われれば確かにスペイン植民地時代発展してたメキシコ、グアテマラ、エルサルバドルは
差別がきっちり固定化してたのが今になっても残ってるってのはあるかもしれない

94 :
サンダニスタ!

95 :
サンディニスタでねえの?

96 :
ウゴタソいなきゃつまんないお(´・ω・)

97 :
死んだのかな…

98 :
縁起でもない

99 :
たぶん名無しでいる

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