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2013年17哲学80: 【てつがくがたり】池田晶子3【犬と夫と冷蔵酒】 (225)
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【てつがくがたり】池田晶子3【犬と夫と冷蔵酒】
- 1 :2013/07/27 〜 最終レス :2013/09/05
- 前々スレ
池田晶子という哲人を知っているか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1320862517/
前スレ
存在の謎】池田晶子スレPart2【今もどこかにいる?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1364408867/
wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%99%B6%E5%AD%90
つべ
http://www.youtube.com/watch?v=ChGYZ3rcUz0
わたくし、つまりNobody賞
http://www.nobody.or.jp/ikeda
- 2 :
- 前スレがカオス&過疎を起こしていたので思い切って次スレいきます
禰宜さん、管理人交代でガンガンここを仕切ってくださいね
では皆さんも盛り上がって参りましょ〜
レーーッッツてつがく!!
- 3 :
- >>2
また思い切ったことをされますねw
基本マジレス厨の自分には荷が重いですが、了解しました。
池田晶子という哲学者、もとい哲人は一体なんだったのか、そして彼女の存在の
なにが新しく、そして彼女の可能性不可能性には果てしなく意義があるにも関わらず
語られることが質量ともに圧倒的に不足してる感はあるので、時間のあるときにつれづれ
なるままに問題提起してみようとは思います。
ますので、
- 4 :
- まあ、まずは最近の時事からちょっと斬り込んでみましょうか。
巷では参院選で自民党が圧勝しねじれ解消ということでわいてますが、果たして
この自民党勝利は繰り返される政治現象のひとコマに過ぎないのか、それとも高度
に一回性のある本質的歴史事象なのか?
ネットに潜む沈黙せる天狗諸兄ならいくらでもこれに裏の事象は読み取れるはずだけれ
ども、それをどこまで本質に深めることが出来てるでしょうかね?
- 5 :
- 確か衆も参も自民だけで過半数だったはず
公明切ってしまったら面白いんだが
- 6 :
- 公明党といえば、廃仏毀釈の落胤も同然の存在ですか
かの呪われた半島の因業も含め込んで、切られないまでも生半な地獄を見る
くらいでは済みそうにないような気もしますね〜
ああしたものを生んだのは寺社の堕落なのか、はたまた寺社を見限った大衆なのか
- 7 :
- 参院は自民単独過半数じゃないんだけど、そこはつっこまないんだ。
公明党が廃仏毀釈の落胤っていうのはどういう意味かね?
- 8 :
- >>7
その「希望」がかの党や例の「維新政党」の絶望の種とも限りませんしね。
むしろ今、自民党単独過半数じゃなかったことをのちのち彼らが恨めしく
思うような展開にならないとも限りますまいw
ああいう本家の名門日蓮正宗に破門されながら、その本尊を正当性もなくあがめ
ゾンビのように存続する「カルト(邪宗)」が存立するにはそれ相応の因果がある、
とそれだけの話ですよ
ほんとにオウムのときもそうでしたけど、自己の生死なんて究極の問題を安請け合い
できるああした歴々の度し難さたるや、ちょっとぞっとしないものがあるのも確か
ですねー
ほんと、考える、て難しいです
- 9 :
- バカしかいないな
池田が見たら笑いそう、むしろ笑えなさそう
私が書いた本はここまで読まれてなかったのかって
- 10 :
- >>9
ソクラテスシリーズでもプラトンとソクラテスにそんな嘆き方させてますねー
まあ、本人も「自分の本は初めから古典みたいな(売れ行きの)動き方をする」
といってますし、あせらないあせらない、じゃないでしょうか?
- 11 :
- >>9
あなたみたいな人がいる限り、池田は死なない。
このスレの惨状こそ彼女がドン・キホーテだった証だし、みんなそこに惚れるんでしょ?
あと、コテハンはたいがいキチガイ。経験的にも理論的にも。
- 12 :
- 参、過半数じゃないのか
じゃあ参ごといらねえな
- 13 :
- >>11
少なくとも禰宜氏は賢いぞjk
- 14 :
- いや、前スレ見たけど少なくとも池田の核と魂胆は理解できてないな
これくらいの人ならそこらじゅうにわっさわっさいる、問題は本物かどうか
まああの人の本は無理な人にはどれだけ読んでも理解は無理だと思う
- 15 :
- >>13ど〜もですw
>>14
ふふふ、実に刺激的な挑発ですね。
自分が本物かどうかはさておき、その池田女史の「核と魂胆」について
は是非ともご教示願いたいものです。
とりあえず、彼女への理解を妨げるものを貴君は何だとお考えになります?
- 16 :
- ↑このレスを見れば、賢明な池田読者ならすぐに察しがつくだろう
- 17 :
- >>16
おまえの知性をみせてみよ
- 18 :
- もう見えてんじゃん。
- 19 :
- >>16
やれやれ自身の振った「核と魂胆」の内容には一切言及せず、だんまり黙して
高みから印象操作的勝利宣言、ですか。
禅宗系の破戒僧にありがちなロジックですが、それなりに概念に裏打ちされた
語彙のある相手にやるにはあまり上等な戦術とは言えませんね。
沈黙は時として全てを語るとはいえ、充溢なる沈黙と空虚なる沈黙は画然として
いますのでご用心。
ただ、「核と魂胆」という言葉は面白いので拾わせてもらいます。
自分は前々スレでそれを「魂への問い」と「哲学エッセイの可能性」
という言い方をしましたけど、はたしてこれを問題意識として持続できる
ようなつわものはいないものなのでしょうかね?
- 20 :
- >問題意識として持続できる
答えは出すつもりないんだ。
- 21 :
- >>20
出そうとして出るような代物だとでもお思いで?
まあ、あなたがその問いを全身全霊で生きているのなら、そこにその解答
はその限りにおいて、あるといえるのかもしれませんが、それなら揶揄などでは
なく是が非でも、言及でもってお答えください。
こちらの答えもそちらの答え次第です。
- 22 :
- 禰宜氏に同意
- 23 :
- 「出そうとして出るような物ではない」
「その問いを全身全霊で生きているのなら、そこにその解答はその限りにおいて、あるといえるのかもしれない物」
答えは出てるじゃないか。
- 24 :
- >>23
座布団1枚w
もっとも、「お思いで?」と問いで訊いているものを「ない」と断言調にし、
そして肝心要の「あなた」を意図してかせずか外してるのは失点ですがw
さて、出そうとして出ないならどうすればでるのか?また、いかにしてその解答
たる「問いを生きること」は可能になるのか?
- 25 :
- >>24
それ正に「てつがくがたり」にありなし
- 26 :
- 出ないと言っているのに出てる。
問い続けると言いながら、出ている答えに気付かない。
相手の意見を執拗に求める。
導かれる答えは、
「負けを恐れて決断から逃げている。」
- 27 :
- >>26
あなたは己の阿修羅に気づいておられない。
語るべき「決断」としての「言葉」なら自分にはそれこそ腐るほどあります
けど、それを自分がただ語るだけではなんの意味もないので、諸君の思惟の
残滓としての「意見」をこうして求めているのですよ。
以前、「某」というコテハンを使った方も君のような話し方をしていましたが、
自分を負かそうとする限りは貴方の沈黙も先に言った「空虚な沈黙」に過ぎないですよ?
さて、語りて黙すを同時になせるか?
- 28 :
- 結論は出た。
- 29 :
- >>26
> 「負けを恐れて決断から逃げている。」
それはおまえだろ
勝手に禰宜に投影するなよ
不自由な奴だな
- 30 :
- 何の脈絡もなく勝ち負けを口にする奴は創価
- 31 :
- いいね。煽りあいに創価認定。2chらしくなってきた。
- 32 :
- ファッ! 共産党員
- 33 :
- あとはネトウヨとチョーセンジンか。
長●●もいっとくか?
- 34 :
- >>28
いやいやw答えが問うこと自体にあるとわかったなら、さらに問い続けなければ
ならないのであって、
「問うこと自体が答えニダ!(キリッ)」
と立ち止まってしまうことにはよくよく気をつけなければならないかとw
>>31
ネトウヨはともかくとして、チョーセンジンは最近めっきり減りましたね。
まだ巷には成人前のなりすまし君たちがスケボーで往来して通行者に迷惑かけ
たりしてますが。
そういえば最近、アニメ「進撃の巨人」が本国のほうで流行りまくってるそう
ですけど、本質として巨人崇拝者の彼らにはむべなるかなな現象なんですかねー
- 35 :
- ×>>31
○>>33
- 36 :
- 長〜
州〜
力〜
- 37 :
- また逃げてる。大事なのはそっちじゃないでしょ?
- 38 :
- >>37
もうちょっと具体的なご批判を
中朝韓いわゆる特アの話題はともすれば嫌悪と憎悪に始まり、それに終わる、
ということがありがちですけど、たとえば、八百万の神々を精神の土台とする
日本人とどこまでもこの地上精神の卓越性(つまり、巨人・タイタン)を精神の
土台とする彼らの本質にまで踏み込めた論考とかないもんでしょうかね。
そこまでいけば彼我の相容れなさとかは(どーしようもないがゆえに)どーでも
良くなっていろいろと物事を先に、建設的に、進められるようにもなるはずなんですが。
- 39 :
- >>38
日本人はかつて一度も八百万の精神なんて土台にしたことねえんじゃねえかな
日本人の精神の土台はいつだって島国根性だと思うけどな
- 40 :
- >>39
いやいや、太古の昔から花鳥風月に天地自然のもののあはれとか、もののをかしとかを愛で
詩歌にし楽しむなんて高度に精神的な在り方をしてきたくせにそれを精神的だと自覚してない
当のそのことこそが、八百万の神々を土台にしてる、てことなんですよ。
それに比べれば島国根性なんてのはあえて己の外形を保つために被ってる殻や衣のような
もので。
どうも池田さんもそうでしたが、日本という国を「数ある国一般のひとつの形」と捉えて
ほかの国と平等、というか悪平等に捉えるとかえって日本という国は見えなくなるように
思えますね。
- 41 :
- >>40
民衆一般は島国根性だと思うよ
閉鎖的な雑草魂
日本は飛行機の出来る前は台風などの為、船での侵略が難しかったこともあり、大陸からの移民も少なく、支配層が変わりにくく、基本的に文化は支配層で作り上げられている
江戸時代などにみられる大衆文化も基本虐げられた民の文化的逆襲とみていい
現代でも島国ならではの卑屈さが日本人に深く根ざしている
その卑屈さは実は昔から支配者層が天候等に外海からの侵略に助けられていて自分達の実力ではないという事実からの卑屈さがベースになっている
民を虐げるのもそのストレスの出しどころ
やられる民はたまったものではないんだが
八百万の思想は支配層上流階級層のいわゆるファンタジーの幻想世界観で
神話に該当するもので
大陸先か島国先かでいえばおそらく大陸が先とみて間違いないと思うよ
島国で育まれるスケールではないと思う
まあこの辺は歴史学者やジブリに任せた方がいいんではないかな
千と千尋もいいけどコクリコ坂なんてたまらんもんがあるよ
- 42 :
- 哲人の気が狂わんばかりの孤独を語ろう
- 43 :
- >>41
有意義な長レスありがとうございます。
いろいろと批判せざるをえないところもあるのですが、ちょっと長くなりそう
ですので、簡単に
民衆の島国根性、というところはあえて否むところもありません。
ただ、民衆も当然ながら十杷ひとからげではないわけで、路傍の地蔵様やお社祠に
水と供え物と祈りを欠かせない民衆もいれば、それを省みない、どころか揶揄し
内心で嘲笑するような民衆もいるわけで、後者がいわば地上精神のわだちといえる
島国根性に囚われるのは自然な帰結、といえるでしょう。
大衆文化にはそうした崇高に向かうベクトルとともに俗悪に向かうベクトルもまた
内包されており、あえてもののわかった「支配者」が崇高なベクトルをとりあげて、
大衆の田楽や猿楽を能楽に昇華させる、というようなことも江戸以前にはあったよう
ですね。
- 44 :
- また、海により外界の半端な侵略からは助けられていたのは確かですが、
それは裏を返せば、そんな海をも越えてくる力を持った強大な超国家の
外圧にのみ晒されていた、ということですね。飛鳥時代の隋しかり、鎌倉時代
の元しかり、江戸幕末の欧米列強しかり。
とくに神風なんかは祈れば吹く、というような他力本願的な守護では決して
なくて、元の侵略のときは壱岐・対馬・五島の流血に加え九州はじめ西日本の
民衆の代表としての武士の多大なる貢献、公家や寺社の捧げ物に祈祷と日本中
心をひとつにして人事を尽くし、ようやく吹いた、ということがどうも真相ら
しいです。
元の史上最初の火薬を使った戦術と集団戦法に一騎討ちしかしらない御家人
が苦戦した、なんてのは戦端の最初も最初の悲喜劇でしかなくて、むしろ大事
なのは、その最初の邂逅において元の猛威から日本の御家人を救ったのは遠く
古代の御世に隋や唐を警戒して築かれた古代の防塁・水城だった、てことでしょう。
あのときは神のみならず古代人も当時の日本人を救った、ということで、そこまで
筋金の入った戦意に島国根性や「大陸が先」として好しとする卑屈なんてのは、
ちょっと入り込む余地はないかと思えます。
では、神風の「吹かなかった」、「あの戦争」はどうなのか、というとそこには
池田晶子さん亡きいま現状で最先端を行くと思われる女流哲学者・長谷川三千子さん
の論考をとりあえずおすすめしておきます。
- 45 :
- >>42
ジブリ、というよりは宮崎駿さんも漫画版ナウシカとか見る限りはそんな
虚無の孤独を知りえた稀有な才能だったんですが、今の惨状は見るに耐え
ないですね。
たぶん、かの敗戦でわれわれ日本人が例外なく味わい、戦後世代も時空を
超えて捕える死に至る病に負けてしまったんでしょうね。
- 46 :
- 禰宜氏は博物学者になれるね
長谷川三千子でググりました
非常に優秀な家系で育った人のようです
著書など読んでみようと思います
- 47 :
- >>46
う〜ん、せんだっての長レスは歴史哲学からの演繹のつもりだったんですけどねw
とりあえず、おすすめは「バベルの謎〜ヤハウィストの冒険〜」と「神やぶれたまはず」
です。
あと、訂正
>>45
×かの敗戦 ○かの終戦
なんかいろいろな素材から考えれば考えるほど、あの戦争に日本はほんとに
「負けた」のか?って気がしてしょうがなくなってくるんですけど、世間は
(主にマスコミ関係で)毎年恒例の辛気臭い年中行事の時期ですね〜
- 48 :
- リソースの限られた島国では、敗者を追い詰める事、ひいては敗者を生まないために勝負そのものをしない。
それをいい面からみれば、八百万という寛容になるし、悪い面から見れば曖昧、卑屈な島国根性になる。
支配者も腹を切らせるための神輿でしかないし、服従と軽蔑は常に表裏一体だ。
コミュニティ内から敗者を生まないシステムを作り上げた創価とネトウヨはその同じ根っ子から出た。
ネトウヨの在日告白のスレを前にどっかで見たけど、気持ち悪かったなぁ。
- 49 :
- >>48
そうですね。日本的大衆(マス)を説明するものとしては非の打ち所が
ないです。問題はその大衆の枠を超え出でるものもまた、たしかにいる
という事実ですが。
ある意味ネトウヨの元の右翼も創価もあの戦争という「川に入って入ってない」
「人」たちですからね。
日本人のように「絶望」してるふりしてもまったく絶望を知りえないものですから、
どんなに日本人のふりをしようとしても浅薄でしかないのは哀れなものです。
「足りない人に悲劇はない。」
これは、はるか昔に小林秀雄さんがたしか満州事変と秀吉の朝鮮出征に絡めた論述で
語った言葉ですが、なによりもそのへんの事情をいいあててますよ。
- 50 :
- 逆だな。
資源的リソースに恵まれた日本では頭数を減らす必要がなかった。だから、強力な一神教に進化する必要がなかったし、馴れ合いが閉鎖的な島国根性を生んだ。
支配者は分配者で、服従は安定への期待だ。
資源の限界が来た今日では、力が必要になり、その先駆者としてネトウヨが生まれた。
- 51 :
- 事象の裏に流れる世界精神なんてホントにあるのかないのか
あるといえばあるしないといえばない
と返すのはやめてね
ある夫、ない夫
- 52 :
- >>51
どうやら弁証法が理解できてきたご様子ですね。
ご安心を。歴史哲学を持ち出した以上、そこを「はぐらかす」必要はありません
ので、はっきりと、ある、と答えておきましょうw
>>50
ネトウヨをずいぶん憎んでらっしゃいますね。
それはともかくとして、残念ながら、論拠が間違ってます。
資源の限界なんてのは、国力の全てを出し尽くした元寇の折はもとより、
タタラ製鉄で森林(=エネルギー資源)を使い果たした古代出雲人が
とっくに経験済みの事象ですよ?
一神教関連は先に挙げた長谷川三千子さんの著作を読んでいただければ
おわかりいただけるかと思いますが、マスコミが用いるような「支配者⇔被支配者」
の二分法自体、日本の事象を捉えるには苦しいものがあると思われます。
- 53 :
- 政治、宗教の形はそれが生まれた緯度≒平均気温≒食糧の量による。
日英の気質の違いは緯度によって、日中韓のそれは海流による平均気温の差の為に起こる。
そして、日本は相対的には恵まれた環境にある。
- 54 :
- >>53
相対的に恵まれた、どころか、主食作物にして土地面積コストパフォーマンスが
チートもチートな稲を栽培するのに向きすぎてる風土、というのは大きいですよ?
もっとも豊作と凶作の差が激しすぎて下手に人口増やすとえらいことに
なるから、昔の村落では一見理不尽極まる口減らしもあったみたいですが。
しかし、食糧の量や気温の差は経済現象の土台になりこそすれ、そもそも
民族のあり方の前提たる宗教にまで関わる、というのはどうでしょう?
よろしければ、もう少し御持論の展開をお願いいたします。面白そうな話でも
ありますのでw
- 55 :
- 奪い合う必要がない国、奪い合わなければ生きていけない国、奪い合う余裕すらない国でその規範となる宗教や最適な政治体制が異なるのは当然。
キリスト教、イスラム教が砂漠で生まれたのは偶然ではない。
仏教が生まれたインドに現在仏教徒が少ないのは何故か?
- 56 :
- >>55
そこはそもそもの土台となったユダヤ教とヒンズー教に突っ込む必要がありそうですね。
キリスト教はカナンの荒野、イスラム教はアラブの砂漠で生まれたが、そもそも
そうした風土がなぜ流民ユダヤの妬み深い独神を欲し、さらにその版図を拡げなければ
ならなかったのか?
キリスト教が寛容なるローマの神々を排斥しつつ展開したのをお忘れなく。
仏教においては事情は少し異なり、そもそも仏とは「状態」という概念に近く、
いわばヒンズーの神々が悟り解脱したら「仏」になるという教説であるため、あえて
仏になった神々を拝むか仏にならずとも尊い神々を拝むか、というだけの話でしか
なくかの地でもヒンズーとブッダの神仏習合は(地域的特色差として)成立している
ものと思われます。
高山の厳しい風土ゆえに仏を選んだはずのチベットの現状がああなのは本当に
痛ましい限りですが。
- 57 :
- 太初に言葉ありき
ありき
- 58 :
- VIPで以下の書き込みを見たんだが
太初に言葉なし
万物を別つは神なり
ロゴスに槍を突き立てなさい
あなたは一なる全を知るであろう
実に面白い
- 59 :
- いや面白いですねw言わずもがなですけど、ヨハネ福音書、
太初に言葉あり
神は言葉なりき
をひっくり返してるわけですねw
そこのところはよ〜くわかりますよwスレを回すためとはいえ饒舌に過ぎる
自分が言っても説得力ないかもしれませんがw
が、そこを矛盾ではなくあえて逆説でまとめるとするなら、神仏習合の話も
出たことですし、こう言い換えてみましょうか
太初に沈黙あり
万物を総べるは仏なり
ロゴスに槍を突き立てなさい
あなたは全(禅)なる一を知るであろう
本地垂迹反本地垂迹、さて仏が先か神が先か
- 60 :
- >>59
言葉が先か人間が先か
- 61 :
- >>60
遺憾ながら、言葉が先、かと。
これは唯識論と唯物論の対立のような低次元な話ではないので、
くれぐれも注意。
あるいは、「言葉」を「考え」といい代えてもいいかもですね。
人間、という考え(イデア)無しに、人間、は存在しうるか?
その「考え」を抱いてるのは誰なのか何者なのかをとうてしまったら、まあ、
「貴方が神だ。」
と答えても差し支えないのかも、ですねww
- 62 :
- >>61
ふむ
では言葉とは何か?
- 63 :
- >>62
すでに答えてますよ?
沈黙でないもの、です。
このように弁証法で答えるのを許さない、というなら、
無限に語って語りつくせぬもの、
とでも答えておきましょうか。
- 64 :
- >>63
君のは弁証法といえるのかね?
- 65 :
- 「最初に言葉ありき」って、お喋りをしているうちに、
神についての話も二次的に出来ちゃった、という意味かな。
それを冒頭に持ってくる宗教って、思いっきりぶっちゃけてるねw
お喋りをしている主語を神にしないで、主体無きお喋り、
つまり人間の共同主体性を主語にしてるんだから、20世紀哲学的。
「最初に言葉ありき」と宣言して、後はギミックっていう化け物みたいな宗教。
昔の人は凄い物語を作ったもんだ。。。。という解釈は浅い?
- 66 :
- >>64
止揚された「合」をあくまでも沈黙のうちに示唆するのに留める点は
弁証法というには苦しい、というのは認めますよ?
自分の提示する逆説の連なりを弁証法として止揚させられるかどうかは、
貴方しだい、ですw
>>65
いやその昔の人の反則的な気の大きさを感じられるのなら、充分深いですよw
またその「共同主体性」というのは現在過去未来そして実存しえない可能性としての
「すべての人間」を主語にしてしまってるものだから、まともに考えたら気が
遠くなってどこかに消えてしまいそうですねw
- 67 :
- 俺の勝手な解釈だと、
1.初めにロゴス(宇宙法則・理法)があった [善悪の未分状態]
2.理法は神と共にあった [善悪の分化]
3.理法は神である [善の勝利]
1.ロゴスを、全宇宙を司る法則(理法)であると解釈してみた。
2.ロゴスは生命に対して残酷でもある。愛がある神にロゴスの舵取りをしてもらいたい。
3.善と悪に分かれたロゴスは、神に舵取りが任せられた。
キリスト教は、ロゴスを善と悪の闘いとして捉え、
仏教は、ロゴスを善悪未分のままで捉えているのではないか?
という俺の解釈。適当だけど。
- 68 :
- いやいや善悪を天(=形而上領域)地(=形而下領域)にまで拡大すれば、
充分通用する解釈ですよw
「天地(あめつち)初めて開けしとき、高天(たかま)の原に成りませる神の
名は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。」―(古事記)
しかし、先に誰かが仰ってましたけど、砂漠や荒野で生まれたキリスト教はじめ
一神教の善悪に対する厳しさ、悪に対する容赦なさ、その殲滅の徹底ぶりはすごい
ですよね。
仏教のほうは親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや」に象徴される
ように「善悪の彼岸」の存在論にベクトルが強く向いてるせいで、ああした善悪
に対する容赦なさは怒れる仏、「明王」を持ち出さなければ成立しえないのが
苦しいところですね。
同じ仏教国である日本とチベットの明暗を分けたのはたぶん、その怒りをもって
悪を滅却する明王信仰の有無で、空海上人の天才が偲ばれるところです。
- 69 :
- ゾロアスター教は分かりやすい。
ゾロアスター教は、ロゴスの暗黒面を悪神、ロゴスの明るい面を善神としている。
善行、善言を積めば人は救われる、というシンプルな考えかた。
キリスト教は分かりにくい。
なぜ神は、人に災難や試練を与えるのか?それは、
人が神を裏切ったときに、原罪を背負ったからだ、となる。
なんたって、当時のパレスチナは災難続きで、いくら善行を積んでも
救われるどころか、どんどん災難に遭う。この不条理。
神は、子供を鍛える巨人の星の父親みたいなものとして存在すると考えるようになる。
- 70 :
- キリスト教の信者さんが言うには、
「はじめに『言葉』があった」の『言葉』とは、イエスのことを意味しているようだな。
まず最初に、イエスの精神(言葉)があったという意味なのかな?
俺は低俗だから、「精神」と聞くと、足のない幽霊みたいなものを想像してしまう。
それか、ヒトダマのイメージ。
精神とは言葉であり、言葉が肉体に成る、という発想が俺には無かった。
西洋人て、こういう発想で生きてたんだな。だから彼らは、お喋りなんだ。
カルチャー・ショックを受けた。
- 71 :
- 池田晶子さんのウィキペディアを読んでいたら、高校時代は登山に熱中する、と書いてあった。
そういえば、教育評論家の尾木直樹氏の言うことには、「登山を趣味にする女子は素敵になる」のだとか。。。
- 72 :
- >>69
長谷川さんの「バベルの謎」もそうですが、梅原哲学の憎悪と怨念を乗り越えた
安田喜憲さんの文明論もおすすめしたいです。
聖書における災難の代名詞「ノアの洪水」が実は森の神フンババ(=自然)を
殺したギルガメシュ(=人類)への懲罰(日本においては八岐大蛇)を独神ヤーヴェ
が成り代って成し、その説得力を成しているのが解ると思います。
裏切り原罪を背負った相手が超自然の神ではなく、自然だった、というのはなんとも
皮肉な話ですね。一応、エデン追放でそれを回収してたりもしますが。
一方、日本では自然破壊も関係ない地震のような理不尽極まりない災難に対して
は兼好法師の「方丈記」で示されるように、そもそも失うものを持たない、心を身軽
にしておく、という対処をするようになっていったようで、日本に伝統的に大資産家
というものが少ないのもそのせいなんでしょうね。
- 73 :
- >>70
(認識的な)精神、というよりは、(行為的な)考え、といったほうがしっくりくる
ような気がします。
精神、思考の骸たる言葉はその触媒ですね。
また、ロゴスの方は邦訳としてもっともしっくりくるのはやはり「言霊(ことだま)」
でしょうね。彼らはそれをさらに神の「聖霊」と悪魔の「悪霊」に分けているような節
があります。
まあ、あれだけお喋りだと、すべてをおじゃんにしてしまう悪魔悪霊の「呪文」がうっかり
口をついてしまうとしても無理のないことですがw
>>71
いと耐えがたき困難に挑み抜く精神の輝きを持つ女性こそはジャスティス!!!
生きてたら三浦さんみたくエベレストに挑んでたとしてもおかしくないですねー・・・
- 74 :
- >>73
ふむ
では私とは何か?
- 75 :
- >>72
タフでなければ生きて行けない。
ジェントルでなければ生きる資格さえない。という台詞があります。
文明における強さを兼ねた優しさとは何でしょうか。
- 76 :
- 私は、私である。
だから、「私とは何か?」という問いはナンセンスだ。
このような質問をする人には、
「私が、私ではない何かであるのか?」と逆に問い正したい。
- 77 :
- >>76
同感です。
>>74さんには埴谷雄高さんの
「『私とは何か?』ではない。『何が私か?』が問題だ。」
という言葉を捧げておきます。
>>75
自分も一応、池田さんを見習って学府という「野獣の檻内」ではなく、「野」
で生きているのですが、やはり一番大事なのは研ぎぬいた「牙」の剥き時納め時
の見極めでしょうね。
学府内の「賢人たち」には、これがからきし無い(=タフだがジェントルでない)。
野で生きてると、己のそれなりの「知」に対して見当違いの憎悪や嫌悪をむき出して
挑んでくる輩は必ずいますし、目をかけた者に刃向かわれることもざらなわけですが、
そこのベクトルをうまくそらし(時にはあい争わせ)、身を隠し、燃え尽きたころを
見計らって手を差し伸べる、というのも「文明」におけるタフさとジェントルさを
兼ね備えた「野人」の処世、というものでしょう。
そんなものがもはや優しさといえるのか、というとなかなか難しいのですが、それも
優しさ、ということにしておきましょうwでなきゃ、こっちが保ちませんしw(涙)
- 78 :
- ふむ
では何が私か?
もしくは
私とは何か?
- 79 :
- それを心の中で10万回問うのです
10万回それを考えた後に啓けますよ
- 80 :
- 誰も答えられないのですか?
- 81 :
- 私が何であるかを私以外に尋ねるとはどういうこと?
- 82 :
- >>81
浅い
誰も答えられないのですか?
- 83 :
- 自分の頭で考えない人には哲学を理解させることは出来ない。
- 84 :
- >>83
- 85 :
- >>78
>>82
食い下がりますねーw。
埴谷さんの諧謔がわからない時点で語るに尽きてるんですけど、
池田さんの言葉からひとつだけヒントを・・・
「魂と『私』との関係において、『私の魂』はない。『魂の私』が正しい。」
「貴方」を所有するところの魂の感覚を少しなりとも掴み、自我との関係を整理
し、デカルトの一般性としての「私」か、貴方の「私」や禰宜の「自分」のような
特殊性としての「私」かも明らかにした上で、問い直してください。
まあ、そこまで整理できるんだったらそもそも問う必要もないでしょうが。
- 86 :
- 私とはこの全身全霊である
問いに対し全身全霊で答えようとしない者に哲学は微笑まない
我々は表現者である
全力で応えてみせよ
- 87 :
- お節介だが
言葉=全知全能
我々はどれだけ巧みに表現できるか?
- 88 :
- >>77
>燃え尽きたころを見計らって手を差し伸べる
優しさを人生実践で鍛えていくことは辛いものですねえ。
科学的な筋トレで筋肉をつけるように人格陶冶も出来れば
どんなに人生が楽なことか。
- 89 :
- >>86
とんちんかんなこと言わんでください。
全身全霊で答えられるのは、全身全霊で問われた問いに対してのみです。
あなたの問いは自分が前の問いに全身全霊で答えたあとに、空気も脈絡も
読まずに成された怠惰な問いだったでしょうに。
Q.私とは何か? A.貴方である。
Q.「私」とは何か? A.誰か、である。
怠惰な問いにはこれくらいでちょうどいいんですよ。もっと答えて
欲しけりゃせめてデカルトくらいは持ち出してください。
- 90 :
- >>87
無限の全能、から有限の可能(〜できるか?)を切り取るのはさすがにちょっと
空しいですね。
ただ、全知全能の神にも弱点がないわけではなく、神にも創りえなかった、無、
こそはそれ、と言えるでしょう。
だからこそ、自分はこれまでもたびたび無を司る無知無能の仏、の話をしてきた
わけです。
>>88
いやホントきついっス。
俗塵の風当たりのきつさ痛さは鍛えた精神力に正比例しますので、池田さん
や衆俗の救済のために山を降りた昔の僧侶の苦しみたるやいかばかりかという
思いを味わう日々ですねw
まあ、それでも一花咲かせてやろうという思いは一文明人として強く持って
ますが。
- 91 :
- 久しぶりに俺もコテハンにしよう
禰宜さん全力でいきまっせ
- 92 :
- 「私」を真剣に考えるには、死について考えることが避けられないようです。
でも、死について考えるのが怖いので、そのかわりに無について考えているヘタレの俺です。
死について考えることは、哲学修行入門者が躓く関門ですね。
この関門を通過すれば、人間として凄みが出ると思います。
- 93 :
- >>91
なんかRPGのラスボスみたいなコテハンですねw
これはこのスレもさらに熱くなりそうですww
勇次郎改めイチナルモノさん、今後ともよろしくお願いしますw。
>>92
「死は思惟不可能、ゆえに怖がることも不可能」というのが、池田さんが
その著作中のソクラテスに仮託した、死に対するひとつの結論でしたが、
そもそも闇を恐れるように「思惟不可能」自体が怖い、と躓く人もいるみたいですね。
あと、いわゆる「勇者」という類型の人々が本能的に命の価値よりも魂の価値
に優位を見出すし死の恐怖を乗り越える、ということも世界史には往々にして
あるものですが、それに対して「命を大事にしない奴なんて大っ嫌いだ!!」
とか罵る、戦後日本特有の倒錯がさらに問題をややこしくしてたりもしますので、
この話は難しいですね。
「考えられないもの(死)はそもそも怖がりようがない。」
この無門関をよくよく吟味あれ。
- 94 :
- 訂正:
×見出すし
○見出し
あと、そもそも「死の恐怖」とか「無の怖さ」以前に「恐怖・怖さ」自体を
考えてみるのもひとつの手かもしれませんね。
恐怖はあくまでもひとつの感情実体・有、であるのでそれに対置するものと
して死・無を考えたとき、果たしてもはやそれは恐怖といえるのか?
なんか10年くらい前にそんなことを考えて大爆笑してしまったことをうっすら
思い出しましたw
- 95 :
- >>92
今のところの貴方の死についての考察を書いてほしいな
- 96 :
- >>93
「死は思惟不可能、ゆえに怖がることも不可能」
蓋し名言です。
俺が考えた阿呆な迷言は、「次の睡眠は思惟不可能、ゆえに次の睡眠を怖がることも不可能。これから眠ることは死の予行演習なり」です。
自分が眠った後に再び目が覚めるかは、確率の問題であって、二度と目が覚めない可能性は否定できない。
今から眠ることは死と部分的に同じではないか。再び目が覚める確率や、肉体の痛み以外の点は似ている。
それならば、これから眠るのなら二度と目が覚めることが無いという気持ちで眠りに入ろう、と考えました。
現実の死に直面しても、「ううう、痛すぎ、気を失いそうだ、俺はついに死ぬのか、いや、もしかしたら、
このまま気を失っても死なないで次の日に目が覚めるかも♪うふふ♪」と思いながら死んでいった人が
何億人と今までいると思うんですよね。どうでしょう?
- 97 :
- ありがとうございます
死についての考察を参考にさせて頂こうと思ったのですが、湯川先生風に言って「さっぱり分からない」が今のところの私の考察です
以前言った、池田女史の見事な自他殺の考察、そこに死についての考察を完了できるヒントがあるはずなんですが…いかんせん見つける気力がまだおきないのです
すんません
- 98 :
- 無を考えることは、宇宙も無、他者も無、恐怖を感じる自分も無ですから、無無無で別離が起きなくて怖くないです。
死を考えることは、宇宙は有、他者は有、恐怖を感じる自分は無ですが、有有無で別離が起きるので死は怖いデス。
- 99 :
- >>96
原著のソクラテスだと
「Rばハーデス(冥府)におもむくか、夢を見ない眠りにおもむくか、
のいずれかである」
とあります。
前者ならば、ハデス(冥王)は閻魔同様に究極の番人であるので、悪法をも
法とし毒杯をあおぐ究極の遵法精神をもってすれば、それは恐るるに足りないし、
「夢を見ない眠り」ならこれに勝る楽しみもあるまい、ということで
彼は毒杯を仰ぐわけですが、そのときに仰るとおり、
「毒杯を仰いだとして、なにかの間違いでまた目が覚めることもあるかもしれない。
そうなったらそうなったでクサンチッペがめんどくさいな。」
なんて思いがあったとしても全然不思議ではないですねw
結局、死のみならず、「死ぬ瞬間」というのも認識不可能なんですね。
イチさん、実はそれは自分もまだ見つけきれてないのですが、案外それ
は前に自分が「嫉妬心のせいで読めない」と言ったあの死刑囚との対談、
の中で語ってるからなのかもしれません。
まず、陸田(ですよね?)死刑囚との対談から当たってみてはどうでしょう?
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