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2013年17戦国時代251: 結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか (481)
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結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
- 1 :2011/12/01 〜 最終レス :2013/09/12
- 局地戦ではいくら負けても最終的には相手の領地を占領さえすればいい
だから信長は天下をとれたのだと思う
いくら信玄みたいに局地戦で連戦連勝しても相手の領地を占領せねば意味がない
- 2 :
- 数は力なりだと思う!結局いくさに負けてもいいからその後も如何に多くの兵力を動員して負け戦の反省をいかし今後につなげるかだとお思う
失敗は成功の元と言うがそれを一番最初にやった戦国大名が織田信長だと思う
いっぽうの信玄は負けないいくさはしない古い考えだがそれではいつまで立っても天下はとれない
結局は信長との兵力の差がついて勝頼につけが回ってしまった
一回の負け戦で武田家は家臣の信用も失い崩壊してしまった
信長は負けても次いかす事が出来たし兵力を多く動員出来たのが評価できると思う
- 3 :
- だなw
信玄の勝ち戦って結局局地戦に勝ったに過ぎず徳川も今川も村上も取り逃がした事が痛い
いっぽうの信長はちゃんと敵将を討ち取って滅ぼして領土も奪ってるからねw
- 4 :
- だなw
あと極端な例をあげれば項羽と劉邦
戦では100回以上も負けたが最終的にジリジリと兵力を増やし最後に一回勝っただけで項羽を滅ぼしたからなw
- 5 :
- 何これ?
- 6 :
- だなw
局地戦ばかり繰り返してた信玄は時間の無駄で寿命が来たなw
特に信濃平定と川中島の合戦で時間をかけすぎw
- 7 :
- >>1-2
明>>>>>>>>信長
て事でFA?
- 8 :
- そのとおりだと思う
兵力が少ないうちは個人の能力で戦争の勝ち負けが決まるが
兵力が増えれば個人の能力は関係なく兵の多さで押し切るかだと思うw
- 9 :
- 量に対して質が勝る時もある。
・量が生かせない環境下である場合
・技術に大きな差がある場合
・精神力に差がある場合
・同一グループ内で争い指導者をすげ替える場合
・防御力に対し、極端に攻撃力が上回る武器が出現した場合
今後はテロやゲリラの様な少数精鋭の時代になるかも。
- 10 :
- AKBは兵(ヲタ)をたくさん集めれたから糞曲でもミリオンになった
富国強兵に努めた新手の戦法でクオリティ低くても歴史に名を刻める時代を
構築した将軍・秋元氏・・・恐るべし
- 11 :
- だなw
ハロプロはヲタ(兵)が沢山cdを買って個人の能力が強くても
数でまさるakb軍には押し切られてしまうw
- 12 :
- 信玄=つんく
信長=秋元
- 13 :
- 中世の常識を打破した 信長 秋元
中世の枠で終わった 信玄 つんく
- 14 :
- 山口組の5代目も数は力なりで勢力を拡大したと思うw
- 15 :
- >>7
詳しいことは知らないが、兵力なら明>清な気がするんだが
- 16 :
- 兵力だけなら
前秦>>>>>>>>>>アメリカ合衆国
- 17 :
- 兵力の分散、複数の戦線、烏合の衆、心理的な士気低下、
相手の武威、本拠地失陥
これらによって大軍がもろく壊滅することが指摘される。
兵法では虚実と調略などの謀と兵力集中と神速と士気により勝敗は決するのであり
兵の多寡はまったく関係ない。
- 18 :
- >>17みたいなのが上にいなくて本当に良かった。
個人の能力なんて基本的にそう変わらない。
自分達が必死で攻める時には、相手だって必死に守ってる。
自分達が必死で策をめぐらしてる時には相手だって同じだけ必死。
最後に人の力で左右出来る決め手は
物量
203高地なんてどれだけ日本人を減らしたことか
- 19 :
- 産業革命による蒸気機関や燃料燃焼機関や電力機関といった
動力源の発明により、
金属の高度加工技術を背景に火力武装の性能の飛躍的向上。
物流革命による大量生産体制に裏付けられた大量殺戮兵器の火力
殺傷兵器による殲滅戦に対する国家総動員による人命軽視
これにより戦国時代と第二次世界大戦を同列視するのは
スーパーバカと言わざるを得ない。
- 20 :
- 兵が多くてもそれを運用できる組織がなければ烏合の衆
- 21 :
- 基本的に戦国時代の常識などは維新の時点でまったく比較にならず
機関銃などの登場や銃火砲の飛距離など装備の優劣で
兵力の差を補うことが可能であった。
しかし日露戦争のころになると
もはや銃火砲の援護下での交戦でなければまともな戦いにならず
大作戦の勃発とは、充分な火力の蓄積を待って発動している。
戦国期とは戦いの内容が様変わりしているのである。
そのため塹壕戦などの新戦略が発案されていくのである。
それでも日露戦争など1900年代初頭はいまだ兵力的劣勢を
戦略戦術と外交力を駆使して勝利することを可能とした
最後の戦いと言えるだろう。
米国のような絶え間ない豊富な生産力と物量を背景に
大空襲や原爆による都市破壊兵器まで登場する
超国家による物量戦は銃後の民間人をも巻き込んで殺戮し
もはや戦争というよりも一方的虐殺大会となった。
これは兵力差ではなく科学技術力と工業力による
質的優位がもたらしたものであり、
基礎科学すら欧米の真似で、機械加工のための機械まで
米国から輸入していた時点で日本の敗北は目に見えていた。
- 22 :
- 203高地における日本軍の死傷は物量的に
日本軍より旅順要塞の方が圧倒していたのではなく
地の利をもって巧みに火砲を配置した要塞を築いて
籠城戦をしていたことに由来する。
- 23 :
- 兵数が膨れ上がると兵站作業が大切
と、いうより補給が切れたら命取り…。
秀吉が三成などの文官を大切にするのも当然なんですね。
歴史ゲームじゃ戦闘バカばっか必要になるけど
- 24 :
- 大軍なら相手が戦うまえにびびって降伏、とかの威圧戦術取れるしね。
- 25 :
- いくら過疎がデフォの戦国板とはいえ、1-14レスのうち11が
>1による自演と言うのはやりすぎだと思う。
とりあえず>1には桶狭間とその後の氏真君のダメっぷりについて語ってもらおう。
- 26 :
- 例えば100万の大軍と1万の軍が戦ったとするよ
毎日毎日100万の軍は1万の軍勢で1万の軍に敗れたとしても
100回目に勝てばそれで勝てるんだよ
相手も100回も責められたら疲れて力尽きるべw
つまり如何に多く兵を動員するかなんだよw
- 27 :
- だなw
兵力さえあれば何回負けてもまた新たな兵力を動員して立て直しが効くw
- 28 :
- 実際秀吉の小田原攻めも
家康の大阪夏の陣も最後は数で押し切った感じだべw
- 29 :
- >>23
だなw
だから兵力と兵糧の補給の後方支援が一番大事なんだよw
- 30 :
- 福島正則みたいなタイプは完璧に槍で出世したタイプだけど
結局徳川の兵力(政治力)に負けて石高減らされたじゃんw
- 31 :
- だから一番大事なのは兵を多く動員出来るかって事
兵を多く動員するには自然に石高も必要になってくるべ?
- 32 :
- 大軍を運用するには、経済的なバックボーンがいるからね。
戦闘とか合戦に比べてマイナーだけど、有能な武将ってのは大抵優秀な経済家。
- 33 :
- 三国志の蜀が魏負けたのも結局は国力の差(兵を多く動員出来るかだよ)
国が大きくなると個人の能力よりもこっちの方が重要になってくる
- 34 :
- >>32
だなw
だから俺は福島正則とか加藤清正みたいに石田三成をバカにしてたタイプは嫌いw
- 35 :
- つまり官僚こそが最高だな
- 36 :
- 国の運営は官僚だからね
- 37 :
- 福島正則みたいなタイプは一番嫌いw
平和な世の中では必要とされないタイプだなw
- 38 :
- 小牧長久手で家康が秀次隊を討っていたりと
兵力の集中と運用における家康の手腕が光る。
島津など所詮は田舎武者であり、すでに立花宗茂の前に
筑前攻略に失敗して筑後まで追撃をかけられ
そのあとに豊後攻略を開始して、籠城遅滞戦術の前に敗走。
このような条件の下で秋月へ援軍も送れず
日向南部と肥後南部で秀吉と戦おうとする時点で敗北確定。
小田原においては浅間山が噴火していたようで
上野国の松井田城の大道寺政繁が降伏するなど士気の低下が激しい。
また後詰めや友軍による援軍の見込みのない籠城は愚策であり、
伊達が離反した時点で北条の運命は決していた。
家康や秀吉の用兵のように兵の機動運用により
兵力の分散と集中と戦略目標の明確化による内戦作戦などを
すべきでありながら
野戦決戦思想が無く
謙信や信玄を退けた経験から
各地の城に兵力を分散配置した挙句に
敵主力がすぐに到達できる伊豆の近くの
小田原の本営に首脳が籠城を選んでたちまち包囲され自滅。
- 39 :
- 関が原では結局、三成が集めたのは烏合の衆で
二股をかけるような者が多く敗れた。
しかし一部の主力をなした軍は質的に優秀で
寡兵で大兵を押し返している例も見られる。
いままでの人間関係による敵愾心、
自軍の裏切り行為による士気の減退などの要因もあろう。
兵の質や士気は大切な要因であり、
数年レベルの長期籠城などで状況の変化を待つ時などで
重要な要因になりうる。
また個人のカリスマ的な能力が実態以上の実力を発揮させる
集団心理を生むこともある。
しかし一番肝心なのは政略に基づいた外交であり
自国を世界から孤立させないことであり、
戦闘の開始の時点で、講和のタイミングと斡旋先と手段を
用意してから開戦することである。
島津などは近衛などと親しく講和チャンネルを所持していた。
しかし北条は徳川に手切れされて攻め込まれるなど
最初からズサンであり、自軍親族の北条氏規が家康に降伏するなど
士気の維持すらままならない戦況経過しか生まれなかった。
- 40 :
- >>39
三成の場合は実際まともに戦ったのは2万ぐらいで裏切りとか戦わない奴ばかりで戦にならなかったなw
これは徳川の政治力(国力)の差もあったと思う
- 41 :
- まあ実際関ヶ原は西軍がみんな裏切らずまともに戦ったとしたら勝ってたと思うw
- 42 :
- 結局家康は政治力(国力)や兵の動員力で圧倒して最後は勝ったよねw
秀吉の天下統一もそうだよ
局地戦で負け知らずの信玄(武田)や上杉が天下が取れなかった違いはそこだと思うw
- 43 :
- >>39
>関が原では結局、三成が集めたのは烏合の衆で
>二股をかけるような者が多く敗れた。
二股かけていたのはたぶん東軍にもいただろう
返り忠する機会が無かったということだろうな
それよりも東軍に味方した武将は三成憎しで結束していた感がある
逆に西軍に味方した武将は家康憎しというわけでもない
不戦の島津や西軍の要大谷も家康が憎くて西軍に味方したわけではないからな
私怨が勝敗を分けたと見るべきだろう
- 44 :
- 信玄は天下を取る気があったかは定かではないが
本気で天下をとるならまずは徳川を滅ぼし三河遠江を完全に平定し
本拠地を移す位の盤石な体制を取らなかったら無理だったと思うw
ただ元々そこまで行くのに時間もかかり過ぎてたから寿命が来てしまったがな
せめて死ぬ前に徳川ぐらいは滅ぼし勝頼に繋げるべきだったと思う
甲斐に引き返した時点でやっぱり負けだな
- 45 :
- >>42
>局地戦で負け知らずの信玄(武田)や上杉
武田も上杉も北条に負けている
小田原合戦 北条○×●上杉
生野山合戦 北条○×●上杉
小田原合戦 北条○×●武田
三増峠合戦 北条○×●武田
- 46 :
- >>45
まあでも信長程は負けてないべ?w
- 47 :
- ようは局地戦でいくら負けようが最終的に相手の領地を占領すればいいわけよw
- 48 :
- いくら小田原城が堅固でも大軍に囲まれてはあっさり敗北したよな
- 49 :
- >>48
そうそう
大阪城そうだけど最後は数で圧倒されちゃ勝てないよ
後は落ちるのは時間の問題
- 50 :
- 幕府軍は討幕軍より圧倒的多数だったけど
錦旗のお陰で総崩れになったぞ 幕末だがw
- 51 :
- >>50
それは政治力(統治能力)が低下してきてからの話でしょw
- 52 :
- >>46
すまない
別にイッチャモンつけたわけではない
基本的にこのスレの趣旨には賛同している
局地戦は所詮限られた区域での戦いと認識している
- 53 :
- >>44
ただ信玄の場合は三河遠江を平定しても領民から受け入れられたかわからないよ
何故なら信玄は自分の国が豊かになるために略奪をしてたから
自分の国の豪族はいい思いはできるが
この方法では国を統治するのは難しいと思う
- 54 :
- 信長→戦略概念がなく各地で無計画にケンカを売ってまわり
同時に各戦線を支えるために戦力分散して
何度も打ち破られる。
また内政無視で敵を殲滅しても
その配下国人が謀反して治安が達成できない。
安国寺も信長の末路を予見される始末。
外交が糞。屈伏しないなら攻撃するだけ。
浅井も配下扱いして離反されるアスペルガーぶり。
補給は各国人が自弁な為に各地で現地調達の略奪。
秀吉→出来うる限り外交を駆使して敵を減らし
自軍戦力に加える能力を備える。
兵力の集中により目標を撃破。
出来うる限り日数をかけずに迅速に戦役を集結することを心掛けて疲弊しないようにする。
秀吉本人が数字に明るく兵站概念が存在し
兵力の集中を支える大軍補給力がある。
そのために占領地に負担をかけず迅速に治安が回復し経営が可能。
家康→旧武田家臣を登用し武田流軍略を学び、
さらに豊臣政権参加で
秀吉のやり方を学んだ。
- 55 :
- >>52
一般に相手を完全に殲滅することは追求していない小規模な戦争って考えていいと思います。
信玄の場合はこういう小さい戦争での勝利は多かったと思いますが相手を完全には滅ぼせてないのです
- 56 :
- >>54
うーん信長がひどく言われてるけど信長の統治能力かなりは優れてたとお思うよ。
家康は結局は最後は徳川家だけで天下を取るのは諦めて
他の大名に領地を任せる方法で全国統治をおこなったね
- 57 :
- 基本的に秀吉も信長の遺産で天下をとれたようなもので
家康はうまくまとめた感じだなw
- 58 :
- 信長の支配が安定しないかのような書き込みが見られますが、信長統治下の領域内で、民衆反乱のようなことは発生していません。
楽市楽座政策などに見られるように、民衆の支持を受けているからこそ、織田家はあれだけの力をつけることが出来たわけであって、信長の支配に反対する民衆は少ないでしょう。
武将クラスになると、明智光秀だけでなく、松永久秀や荒木村重などの反乱がありますが、これらは野心溢れかえる松永は別として、処遇をめぐる不満がそもそもの原因でしょう。
これは、十分に準備して行えば、未然に反乱を防止できたか、反乱を封じ込めることが出来たはずです。ちなみに、有力家臣や地方領主の力を根本的に割くには、反乱をさせたところを鎮圧して根こそぎ勢力基盤を奪うことが効果的です。
中国の諸王朝や、足利義満などもそのようにして権力を強大化させています。
秀吉による朝鮮の役が失敗し、外征による新たな土地獲得が不可能になった状態で、徳川家康は、戦争による勝利によって土地を得るという成長志向を封じ込めるために、過酷な抑圧策、取り潰しを各大名に対して行います。
信長はそれを先取りしており、攻略した大名は原則滅ぼして大大名の存続を認めず、自らの有力家臣にしても土地についてはかなり冷遇しています。
柴田も滝川も京より遠い遠隔の地に転封されており、明智も長州あたりに転封されるところでした。最終的には有力家臣からも土地を奪い(一代限りの俸禄は多額に振舞うにしても)、徳川家も滅ぼすか土地を奪うかし、全国を完全に中央集権にしたでしょう。
信長は、大軍を編成する際も、有力家臣に、多数の他の家臣を与力として付与するようなシステムを採用しています。明智光秀にも多数の与力大名がいましたが、本能寺の変後に支援を求めても与力大名たちは相手にしませんでした。
本能寺の当時丹羽は近畿におり、多数の与力大名も抱えていましたが、本能寺の変を知って与力大名は逃げ散り、もっとも明智に近い位置にいながら明智の攻撃にでることができませんでした。
秀吉が与力大名をまとめて自らに従属させることが出来たのは、秀吉の力量でしょう。毛利が先に本能寺の変を知っていて、秀吉の陣に宣伝したならば、秀吉配下の与力大名も逃げ散った可能性があります。
つまり、信長は大大名が家臣団の中にも発生しないように配慮しており、有力家臣には権限を与えても土地(兵力)を与えないようにしており、簡単には有力家臣が影響力をもてないようにしているのです。
秀吉は、自らの支持基盤が危ういことを承知していたから、信長のような過酷な大名統治策を採用できませんでした。
家康は、秀吉による外征の失敗があったので、つまり成長志向に限界があることを各大名が理解した状況にあったので、なんとか過酷な統治策を実行することが出来たわけです。
この意味でも先見性のある信長が、その統治策において、秀吉や家康に劣るとは到底考えられません。
秀吉の統治はゆるかったので、土地に制限がなくいくらでも家臣に振舞うことが出来るのであれば、家臣の信望を集め続けることが出来たでしょうが、それは現実的には無理な話であり、実際にも朝鮮への外征の失敗という形で不可能であったことが示されているわけです。
- 59 :
- >>54
>戦略概念がなく各地で無計画にケンカを売ってまわり
別に無計画ではあるまい
斎藤と戦う時は徳川と同盟を結んでいる
上洛する時も武田や浅井と同盟を結んでいる
まあ思いどおりにことが運ぶほど戦国の世は甘くも無いが
それと無計画とか言うなら織田だけではなく武田も採り上げるべきだろう
しかし武田の方は都合よく解釈して終わりなんだろ?
織田には厳しく武田には激甘というのが君の基本姿勢だからな
- 60 :
- >>44
それこそ無茶
軍の近代化とか屁理屈をこねまくる基地外と同様、自分だけが神、後は能無しって信じてる無能の理論。
自分に出来ることが 他人に不可能?何故に?って考えてみればすぐ気付くはず。
信玄だって局地戦で家康には勝てても、殲滅あるいは家康のクビをとった上で、屈伏させるのは無理
- 61 :
- 信長に殺されまくったという一向一揆だが、その後も、スキあれば一揆が蜂起している。つまり、殺されたのは一部に過ぎなかった、と言うこと。
また、斉藤氏家臣も、朝倉家家臣も、武田家家臣も、多くは殺されずに、旧主を裏切って、織田家や徳川家に仕えている。
つまり、信長も秀吉と同じく、敵方の家臣をこちらに寝返らせる、「調略」が中心であり、戦闘は副次的なモノだったのだ。
1580年代の秀吉の「早さ」は、単にスケールメリット。「寄らば大樹の影」で、調略がスムーズに行えたから。信長が長生きしても同じくスムーズに調略が行える。日本中が「寄らば大樹の影」になりつつあったから。
- 62 :
- 一期はアメーバ型組織だから最強
- 63 :
- >>60
それができない時点でやはり信玄の天下は無理なんですよ
- 64 :
- >>61
>「調略」が中心であり、戦闘は副次的なモノ
これは信長や秀吉だけではなく氏康や元就、信玄でもやっていること
まあ合戦は何だかんだいっても金がかかるから当然だな
- 65 :
- >>64
だなw
でも勢力が大きくなればなる程調略も成功しやすくなる
だから最終的には国力と兵力が物を言うって事ですよ
- 66 :
- >>65
国力と兵力にものを言わせた外交が調略だからなあ
- 67 :
- だなw
まあ勢力が小さいうちは局地戦で勝つことや個人の能力が重要視されるが
国力が大きくなって多くの兵を動員出来るようになれば
後は相手を調略で降伏させて統治するかになってくるんだよ
- 68 :
- 勢力が小さいうちは局地戦で勝つことの他に暗殺で勢力を殺ぐ手段もあるなあ
- 69 :
- >>68
まあでも結局空いての領地を占領して統治しないと意味ないんだよねw
- 70 :
- 1君よー
ID:MSq26OC+は、基地外動物園「だがスレ」のシャブ中毒住人だから、
ずーと相手してると「だが」認定されちゃうぞwww
666 :人間七七四年:2011/12/02(金) 20:27:24.22 ID:MSq26OC+
>665
だがはその時その時で人格を使い分けているのは上洛スレ64で証明されている
・やたら高飛車なだが
・一つのスレだけしか書き込まないだが
・やたら織田厨を敵視するだが
・武田のことは全く触れず織田のみを蔑むだが
・稚拙な言葉しか使わないだが
・信長厨を連呼するだが
・1回だけしか書き込まない使い捨てIDを乱発するだが
まだまだ色んな人格があるが全て同一人物
- 71 :
- 自分トークスキルあるし論破する自信あるから大丈夫ですw
だがさんって人は武田厨なんでしたっけ?
全然このスレに来てもらっても構いませんよw
- 72 :
- 暗殺って、、実際武将の暗殺成功した例ってあるのか?
北畠と将軍義輝くらいしか知らんわ
- 73 :
- >>71
桶狭間の戦いも三方ヶ原の戦いも上田城の戦いも意味は無い。
三木城の戦い、鳥取城の戦いの方が意味がある。
という事かな?
織田厨のつまらん所は、戦の浪漫が無い所だよな。
結果が全てと唱えるだけで、他の史実探求者に勝ったつもりになってしまう。
自分が何をしたいのかがわかっていない気がするんだよな。
というわけで1君はこの板で何をしたいのかな???
- 74 :
- 桶狭間は今川義元の首をとった事で意味はかなり大きいでしょう
- 75 :
- 例えばですよ
信玄がそのまま長生きしたとして信長と直接対決をしたとしますよ
それで信玄が局地戦で信長に勝ったとしても結局は信長の首をとれず
領地も獲得出来なかったらまた信玄が甲斐に引き返したときには
信長は兵を回復させて復活してるんですよ
- 76 :
- >>74
長篠は?
- 77 :
- >>75
なぜ信玄は引き返すのかな?
一気に上洛しない理由を1君はどう分析したのかな?
- 78 :
- >>76
武田家の多くの重臣を失ったしこの大敗北で武田家家臣団が分裂し
滅亡につながった戦いであるという意味では大きな一戦だったと思います
そして武田家は財政難家臣の裏切りで領国経営が維持出来なくなって崩壊したと思ってます
- 79 :
- >>77
季節の問題と相手の領土を獲得しないと一気に上洛は無理ですよ
- 80 :
- まず本拠地が甲斐という時点でいつかは甲斐に引き返すでしょ?
- 81 :
- 一気に上洛したとしても相手を完全に滅ぼさない限りは局地戦での勝利に勝ったに過ぎないから
残党とか残ってたらやられますよ
完全にその土地を統治しないとダメなんですよ
- 82 :
- >>78-80
違うよ。
それは全部、研究者の間でも結論がつかない話。
だから延々と論争してるわけで。
あげくに「相手の領地を占領せねば意味がない」と宣言してるのに、
大将首を取ったり、相手の戦力を削いだりでも評価してるじゃん。
いったいどこまで妥協するの?
- 83 :
- 大将の首を上げるのは大きいよ
その国の領国経営が維持できなくなるからね
- 84 :
- 一番大きいのは如何に領土を広げて勢力を拡大するかだと思う
- 85 :
- それで信長は相手を滅ぼし勢力を拡大したわけだしね
信玄は村上義清も家康も首を上げられなかったでしょ?
- 86 :
- 信長は足利義昭の首を上げられなかったよね?
- 87 :
- >>86
追放したからね
- 88 :
- >>81
その論法だと元亀3年の時点で信長が統治していた地域は尾張と美濃だけになるね。
- 89 :
- >>84
戦術レベルでの勝利が、戦略上の不利を引っくり返す。
基本は動員兵力だとしても、戦術レベルで信長の上位に居た
信玄や謙信にはチャンスがあったんだよ。当時はね。
- 90 :
- まあ当時は戦術レベルでも充分信玄とかでも勝てるチャンスがあったがその後は一気に差をつけられたからね
- 91 :
- 元亀3年だと包囲網で一番ピンチだった時だねw
- 92 :
- まあ兵力が少ないうちは戦術レベルでもなんとかなるが
国力の差が大きくなればそうはいかない
- 93 :
- ただ局地戦に勝利しただけでは天下をとるのは難しいでしょう
- 94 :
- 天下を取るって事は完全に国を統治するって事だからねw
例えば関ヶ原で西軍が勝ったとしたらまた戦国時代に逆戻りしてたでしょう?
それと一緒ですよ
- 95 :
- 家康日本を全国統治したから天下が統一された訳ですよ
- 96 :
- はい!論破w
- 97 :
- 動員力あってもやり方によっては撃破可能だったりするぜ
厳島の戦いや、桶狭間の戦い等な
小牧長久手の戦いも動員力で劣る家康が秀吉軍を撃破したし
長期戦になると苦しくなるんだろうけどな
- 98 :
- だなw
だが国の規模が大きくなっていくとそうはいかないよ
- 99 :
- 基地外のID:LACJIC/Iが逃走したからまたレスするよ
河越合戦、厳島合戦、桶狭間合戦は誰もが勝利できるよな合戦ではないと思うよ
それに氏康、元就、信長も2度とあんなキツイ合戦はしたくないと思ってるような気がする
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